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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)6623号 判決 1994年1月20日

原告

松下徹

ほか二名

被告

前田伸二

主文

一  被告は、原告に対し、金二八一二万五六一五円及び内金二五五二万五六一五円に対する昭和六二年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金六六一九万二三三〇円及び内金六〇一七万四八四六円に対する昭和六二年一二月二〇日から支払みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

左記記載の事故(以下(一)ないし(五)で特定される事故を「本件事故」という。)が発生した。

(一) 発生時 昭和六二年一二月二〇日午前一一時四五分頃

天候 晴

(二) 発生地 神戸市垂水区神陵台二丁目一番六〇号先市道(以下「以下「本事故現場」という。)

(三) 事故車 普通乗用自動車(神戸五二て一二〇〇、以下「被告車両」という。)

(四) 運転車 被告

(五) 被害者 原告(当時九歳)

(六) 事故の態様

被告は、被告車両を運転して南から北に直進中、進路前方の横断歩道を東から西へ横断中の原告に対し、自車右前側部を衝突させて、原告を路上に転倒させた。

2  被告の責任

被告は、被告車両の所有者かつ運転者で、本件事故はその運行によつて生じたものであるから、自動車損害賠償補償法(以下「自賠法」という。)三条によつて、本件事故による損害について賠償する責任がある。

3  原告の傷害

原告は、本件事故により、脳挫傷、脳幹部出血、眼球運動障害、両視神経萎縮の傷害を負い、左記の経過で治療を受けた。

(一) 脳挫傷、脳幹部出血について

明舞中央病院 昭和六二年一二月二〇日から翌六三年二月一六日まで入院

リハビリテーシヨンセンター附属病院 昭和六三年二月一七日から同年七月二二日まで入院

翌二三日から同年一〇月四日まで通院

(二) 眼球運動障害、両視神経萎縮について

朝霧病院 昭和六三年八月二日から同年九月三〇日まで通院

4  原告の後遺障害

左手麻痺、肩関節屈曲制限、平衡感覚喪失、運動困難、知能低下等の神経機能、精神機能の障害 自賠法施行令別表第五級二号(以下単に等級と号のみを示す。)

両眼視力低下、複視、眼底視神経障害、両眼求心性視野狭窄、固視困難、核性・核上性眼球運動障害、終末位眼振等の両眼の障害 第一一級一号

気管支切開痕 第一四級一一号

併合第四級

なお、後遺障害の内容、程度は、上口鑑定の結果のとおり認定すべきである。

5  原告の損害

(一) 入院雑費 二八万〇八〇〇円

一日当たり一三〇〇円の二一六日分

(二) 入院付添費 一〇八万円

一日当たり五〇〇〇円の二一六日分

(三) 入通院付添交通費 六万九一二〇円

一日バス一往復当たり三二〇円の二一六日分

(四) 通院交通費及び通院付添交通費 一四万七一四〇円リハビリテーシヨン附属病院へのタクシー代一四万四七四〇円

朝霧病院へのバス代一日一往復当たり四八〇円の五回分

(五) 通院付添費 二四万円

一日当たり三〇〇〇円の八〇日分

(六) 入通院慰籍料 二五〇万円

入院七か月通院三か月、重症

(七) 後遺障害慰籍料 一三〇九万六〇〇〇円

(八) 後遺症逸失利益 四二七六万一七八六円

昭和六二年大卒男子年収二五四万七〇〇〇円×一・〇五(昭和六三年上昇分)×〇・九二(喪失率)×一七・三八(新ホフマン四五年)

症状固定一〇歳時

(九) 弁護士費用 六〇一万七四八四円

6  結論

よつて、原告は、被告に対し、自賠法三条に基づく損害賠償として、金六六一九万二三三〇円及び内金六〇一七万四八四六円に対する昭和六二年一二月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合の遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)ないし(五)は認め、(六)は否認する。

2  請求原因2は認める。

3  請求原因3のうち、原告が、原告主張の入通院をしたことは認める。

4  請求原因4は否認する。

なお、自賠責保険の認定は、局部に神経症状を残すものとして、第一二級一二号とされた。

後遺障害についての鑑定の結果は、リハビリテーシヨン病院での診断とかけ離れたものであつて、作為の介入の疑いもあり、信用できない。

5  請求原因5は争う。

特に、後遺障害については、第一二級一二号は神経症状であるから、比較的短期間に消滅することが予想されるところ、原告は、症状固定時に一〇歳の児童であつたから、通常に比較し短期間で消失すると推認できるから、就労年齢である一八歳まで残存することはありえず、後遺障害に基づく逸失利益はない。

三  抗弁

1  過失相殺

事故現場は、直線で見通しのよい幅員八メートルの広い道で、狭路と交差した横断歩道付近であつた。被告車両は、南から北に進行し、右横断歩道の約一五〇メートル手前に差し掛かつたが、横断歩道上を西から東に渡る歩行者がいたこと及び被告車両の走行する車線が、西側歩道と接していたことから、西側を注意して走行していたところ、原告は、東側の狭路から飛出し、被告走行車線まで一気に走り出て来たので、被告は、急制動の措置をとつたが及ばず、原告は、被告車両の右側部の前側に接触し、バランスを失つて、被告車両側部に衝突転倒した。

このように、原告は、見通しのよい直線道路であるから、相当遠くから被告車両を発見できたこと、狭路から広い道への飛出しであつたこと、事故地点が、二・三メートルの歩道も含むと、道路の東側端から七メートルも離れた反対車線であること、衝突の態様は、被告車両が原告を跳ね飛ばしたものではなく、被告車両の側部と原告との衝突接触であることからすると、原告の過失は大きいので、相応の過失相殺がなされるべきである。

2  損益相殺

被告は、本件事故の損害の一部である治療費として、七七七万五七九〇円を支払つた。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は争う。

本件事故のあつた道路は、制限速度が時速二〇キロメートルであつたのに、被告は、本件事故当時遅くとも時速三五キロメートルで走行していたこと、被告は、本件事故のあつた道路が見通しのよい道路であり、横断歩道が設置されているのが明白であるのに、前方の注視を怠つていたものであること、原告は、横断する前に停止して横断歩道を横断しており、飛出しとはいえないことからすると、本件事故は、前面的に被告の過失によつて引き起こされたものである。

また、本件道路は、幹線道路ではなく、事故時は、夜間でなく、原告の直前直後横断佇立・後退もないので、原告の過失を加算すべき要素もなく、逆に本件道路は住宅街であり、原告は事故当時九歳の児童であつて、被告には、前方不注意、速度違反等の重大な過失があることからしても、原告に相殺すべき落度はない。

2  抗弁2の事実は認める。

理由

一  本件事故の発生及び被告の責任

請求原因1(一)ないし(五)の事実及び同2の事実は、当事者間に争いがなく、被告は、自賠法三条によつて、原告の本件事故に基づく損害を賠償する責任がある。

二  傷害及びその治療経過

原告が請求原因3記載の経過で入通院したことは当事者間に争いはなく、右争いのない事実に、原告法定代理人親権者父松下修及び同母松下とよ子本人尋問の結果並びに後記各項表題の下の( )内記載の各証書によると、以下の事実を認めることができる。

1  明舞中央病院(甲第一号証の三、七、一〇、第二ないし第五号証、第六号証の一、二、第七ないし第九号証、乙第四ないし第六号証)

原告は、本件事故直後、意識不明の状態で、救急車で右病院に搬送され、同日入院したが、その時点で意識状態が悪く、瞳孔不同も認められ、下肢は硬直し、呼吸も困難であつて、呼吸及び循環器をつかさどる脳幹部に出血が認められ、その部位からいつて、積極的な外科治療の適応でなかつたため、保存的に脳圧を下げる治療を行い、気管内挿管その後気管切開の措置がとられ、その際の医師の判断によると、命も危なく、この急性期を乗り切つても、植物人間状態となる可能性もあり、そうでなくとも、意識障害、四肢の硬直は残るとされていた。

同年の一二月二六日筋肉硬直性が軽減し、右上肢を動かし始め、翌六三年一月四日開眼し、意識レベルが改善し、翌五日呼名に対し反応があり、同月一六日頃は燕下障害及び筋萎縮が強かつたが、右上肢だけは動かすことができるようになり、同月二〇日単語も発し、同月二三日経口摂取も少しずつできるようになり、二五日両下肢も少し動き、その後の回復は順調で、同年二月一七日頃には、主な症状は、左片麻痺、右不全片麻痺、運動失調、右内反尖足の他、眼球の運動性にも問題を残し、座れるものの、バランスが不良な状態であつた。

2  リハビリテーシヨンセンター附属病院(甲第一号証の八、九、第一二ないし第一六号証、乙第二号証の二七、二八、第三号証の二、第七ないし第一四、第二八、第二九、第三四号証)

原告は、昭和六三年二月一七日、リハビリのため、右病院に入院したが、その頃の診断は、左片麻痺、右不全麻痺、運動失調、右内反尖足であつて、検査の結果によると、脳波はかすかに異常であつて、バランスは不良、知覚はほぼ正常で、頭部CTで中脳部に低吸収域が認められ、前腕回内・外反復テストは左の障害が著明で、右は問題がなく、指鼻試験は左右とも、特に左がまずく、情緒は落ち着きのない状態で、記憶、計算、話し方、理解力、読み方や反復の仕方に特に問題はなく、知能や精神機能の異常は特に認められなかつたが、座るため起上がつたり、座つたり、立つたりするためには介助が不可欠の状態であつた。同年三月四日頃の検査結果としては、知能等については、IQ一〇六、知覚―運動統合発達検査一〇歳七か月レベルであつて、握力が右一四キログラム、左八キログラム(一〇歳の平均はそれぞれ一六・五二キログラム、一三・四七キログラム)であつて、日常動作は回復して来たが、バランス不良及び姿勢の保持等の問題があつた。その後のリハビリで徐々に回復し、同年四月初め頃には、指鼻試験はかなり改善し、左片麻痺は軽度となつたものの、右内反尖足が残存して、起立時や歩行時のバランス障害が問題となつており、車椅子生活となるか杖歩行ないし独歩となるかが確立できない状態であつたのに、本人には、その点の自覚はなかつた。その後も順調に回復し、同年五月三一日には歩行機による歩行が可能となり、立位バランスもまずまずとなり、同年七月二〇日の握力は、右が一七キログラム、左が九キログラムであつて、同年七月二二日退院時には、装具なしでの歩行が可能となり、日常生活動作は一応自立したが、左手でのボタン止めや爪切りはできず、バランス障害は残り、両足ならコントロール可能であるが、片足ならほとんど不可能で、実用性はほとんどなく、駆け足も小走りで二〇〇ないし三〇〇メートルならできるが、それ以上では足がもつれて危険で、跳ぶのは不安定だが、蹴るのはなんとか可能で、両手や右で投げることは可能であつたが、左で投げるのは不十分であつた。その後、原告は、同年一〇月四日まで、同病院に通院し(実通院日数一九日)、リハビリを続けたが、同病院の診断によると、左片麻痺、運動失調等は軽快し、歩行では転倒しないものの、走ると転倒することがある程度で、身体障害者の等級までには該当しないほとんど問題のないレベルに至つているということであつた。

3  朝霧病院(甲第一号証の一三、第一〇ないし第一二、第二八号証、乙第三号証の三、四、第一五号証)

前記各病院を通院中、眼球の運動障害等が見られたので、それらとの受診と並行して、昭和六三年八月二日、右病院に通院を開始し、眼球運動障害、両視神経萎縮との診断を受け、視力〇・五、左〇・七、固視不能、視野求心性狭窄等の症状があつたが、中枢性の運動障害であつたため、眼科的に積極的に治療する方法はなく、合計五回通院した。

三  後遺障害

1  リハビリテーシヨン附属病院及び朝霧病院での後遺障害診断の結果

乙第三号証の二ないし四によると、以下の事実が認められる。

リハビリテーシヨン附属病院の、昭和六三年一〇月四日の後遺障害診断においては、自覚症状としては、視力やや低下、左右下視時の複視、走行時のバランス障害を訴え、他覚的症状としては、神経学的所見において、指鼻試験、踵膝試験において、左側の巧緻性がやや低く、衝動的眼球運動障害が認められるとされ、頸部に気管切開痕が認められたが、精神機能検査には問題がなく、頭部CTは、中脳部に小さな低吸収域を認め、右眼の網膜出血が器質化したと考えられる白班が認められ、上下肢の各関節の可動域制限は、顕著なものは認められず、症状の増悪はないであろうとされた。

朝霧病院の、昭和六三年九月三〇日の後遺障害診断時においては、自覚症状として、両眼の視力低下、複視を訴え、前眼部・中間透光体に異常はなく、眼低に視神経障害、両眼に求心性視野狭窄が認められ、眼位については固視が困難であり、核性、核上性眼球運動障害、終末位眼振が認められ、視力は裸眼で右〇・八、左〇・七、矯正で右一・五、左〇・九となり、調整機能も右近点距離一二センチメートル、遠点距離〇・六メートル、調整力六・七D、左近点距離九二センチメートル、遠点距離五メートル、調整力三・一D、眼球運動も全方向の二分の一以上の注視野の障害があり、左右上下視で常に、場合によつては正面視でも複視がみられ、視野狭窄もあつたものである。

2  後遺障害診断後の原告の状況

甲第一号証の一二、第一七号証の一ないし三、第一八号証、第一九号証の一ないし四、第二三、第二四号証、第二五号証の一ないし三、第二六号証の一、二、第二九号証、第三四号証の一、二、第三五ないし第四〇、第四三ないし第五四号証、第五五号証の一ないし三、第五六ないし第六一号証、検甲第一八ないし第二七号証、乙第三〇、第三七ないし第四二号証、検乙第一、第二号証、証人黒川芳晃の証言、原告法定代理人親権者父松下修及び同母松下とよ子各本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。

原告は、本件事故前は、健康で、小学校に通学し、中の上程度の成績であつたが、本件事故後に復学してからは、普通の生徒と同様に通学したものの、成績は中の下程度になつて、そのまま中学三年生となつた。中学校を卒業後、親元を離れ、岡山県津山市にある全寮制の高等学校に進学した。

原告は、本件事故後、体育の授業においては、走行時にバランスを崩すことがあつたため、長距離走、ダツシユは禁止され、準備運動であるランニングや腕立て伏せにも参加できず、バスケツトボールにおけるチエストパスもキヤツチできない等の支障があつた。

原告は、本件事故後は、歩行時にもややぎこちなくなることもあり、バランス感覚が悪く、靴ひもを結ぶ等の細かな動作には手間取り、手先の動きが悪い状態であつた。

3  鑑定人らの診断時の原告の症状及びそれに対する評価

(一)  乙第三一ないし第三三号証、鑑定人上口正の鑑定の結果及び証人上口正の証言によると、鑑定の際の原告の症状及び鑑定人らのそれに対する評価は、以下のとおりとなる。

(1) 身体的・神経学的障害

<1> 平成三年七月二三日、二七日、同年八月一〇日の検査によると、以下のとおりである。

原告の意識状態は清明、言語は正常であつて、目に関する左記の点以外には、脳神経に異常を認めなかつた。

視力は、左右とも裸眼〇・四、矯正一・〇であり、良好であつて、視野もほぼ正常であり、眼底所見も正常であつた。眼球運動については、正面視において軽度の内斜視を示し、垂直性の眼振を示した。左右とも内転、外転とも不十分で、側方視時にその方向へ向かう眼振を、上方視のときは左右とも垂直性眼振を認め、注視の困難な状態と考えられる。前記の眼位のずれからして、他覚的には複視を認めても不思議はないが、自覚的には複視を訴えなかつた。瞳孔は、左右ともに対光反応は良好だが、左右差があり、左が大きかつた。

運動に関しては、左半身の筋力低下が認められ、握力は右二五キログラム、左が一五キログラムである。不随意運動は認められなかつた。

反射に関しては、腱反射は左上下肢で亢進しており、バビンスキー反射(足の拇指の異常反射)、ワルテンベルグ指屈反射(手指の異常反射)が左に認められ、左鍾体路症状があるものと判断される。

感覚障害は認められなかつた。

協調運動については、指鼻試験にて、右は正常、左は中程度の拙劣さであつて、企図振戦(特に、人差し指等で一点を触ろうとした場合に、小脳の障害によつて生ずる震え)が左手に認められた。踵膝試験は左右とも拙劣であるが、左のほうがその程度が強かつた。アジアドコカイネーシス(手を円滑に回内、回外することができない。)が左上肢に認められた。

起立歩行については、片足立ちは左右の足とも不安定、つぎ足歩行も不安定で、歩行の際少し跛行し、ぎこちないが、走ることは一応できた。

直腸膀胱障害は認められなかつた。

脳波は軽度異常であつて、基礎律動がやや遅く不規則であること、徐波成分が多いものの、特に左右差や突発性異常はなかつた。

<2> 右症状を要約すると、眼球運動制限、水平性及び垂直性の眼振があるため注視が困難である。軽度の左片麻痺、平衡機能の障害が認められるが、これは小脳性の失調症によつており、起立歩行時の身体の安定に問題を残しており、左上下肢の運動障害は、左片麻痺による筋力の低下と小脳症状による協調運動の障害があいまつて生じているものと考えられ、このためにその巧緻運動が困難となつており、これらの症状は、受傷によつて生じた脳幹部出血によるものである。日常生活上、片足立ちや平均台でバランスをとつたりすることは困難であることは充分に考えられる。

(2) 精神機能の障害

平成三年九月三日と同月一七日のWIS―R(児童用知能検査)によると、言語性一〇一点、動作性七六点、全検査八八点との結果がでた。まず、言語性検査では最高と最低の差が一〇点と開いており、狭い意味の学習に関してはそれほど不自由はないものの、日常生活場面では状況把握が悪く、適切な年齢相応の対応ができず、かなり幼い対応をする可能性が示唆される。動作検査でも、出来、不出来の差が大きく、不出来の程度は、器質性障害による視覚―運動協応能力の低下を示唆し、粗大運動のみならず学習面での微細運動にも影響が及ぶと考えられ、とくに部分間の関係の予測が困難で、見通し能力が低下すると、定まつた升目への字のあてはめと言つた簡単なものから算数の文章題の立式や作文に至るまで様々な場面で障害があらわれやすい。このように、動作性の低さや問題ごとのばらつきの大きさから、低下したものが保たれているものの足をひつぱる可能性が大きく、動作性の得点七六点の方が本人の無理なく出せる力を示している。そして、この点数は、知能分布では下位に入るものである。

また、その頃のロールシヤツハ法、ベンタンゲシユルタルトテストによると、表面だけ見ると、顕著な性格や人格変化は窺えないが、僅かながら、<1>方法論のはつきりしている事柄には即座に対応するが、自発的に未知のものにかかわつていく姿勢に欠ける。<2>漠然とした不安感、不確実感に突然とらわれその補償のために行動が固執的、強迫的になることがある。<3>自他共に感受性が鈍くなつている傾向が認められる。

(3) 醜状痕

喉に、長さ三センチ程度の気管切開痕があつた。

(二)  なお、被告は、右の(1)、(2)の結果について、リハビリテーシヨン病院での診断とかけはなれており、作為の介入の疑いがあると主張する。

しかし、前記認定の原告の症状には他覚的に把握されているものが多く、鑑定の際の検査結果同士に矛盾するものもなく、鑑定人らもまつたく原告の作為を感じなかつたものであつた。また、その鑑定の認めた症状の内容も、眼の神経症状、軽い左片麻痺、運動失調(バランス障害)の点においては、同病院も含めそれまでの原告の症状の経過と一致するものである。ただ、それらの症状の程度ないしその評価については、鑑定と同病院の診断結果の間には違いがないわけではないが、まず、軽い左片麻痺、運動失調の点については、同病院においても、指鼻試験、踵膝試験において、左側の巧緻性がやや低いとし、鑑定の結果よりもやや軽い表現ではあるものの、左側の巧緻性の問題自体は認めており、また、退院直前に、左握力の低下は把握されており、左手でボタン止めや爪切りができないことも把握されているものであつて、そのことに、同病院が、主に、日常の自立を目的としてリハビリを進めていたことからすると、症状の評価の観点がその方向からなされるであろうことは推測できることを総合考慮すると、右同病院の診断をもつて、鑑定の結果中のこの部分の信用性を排除することまではできず、また、知能指数の点については、確かに同病院でのIQは平均的な数値を示しているのに、鑑定での評価は総合すると低いものであるが、もともと、IQテストは、鑑定において測定された動作性を直接図るものではなく、知的な面を重視しているものであつて、その結果は、鑑定の結果の言語性のテストと一致しているのであるから、この点についても、同病院の検査結果が、鑑定の結果を排除するものとまではいえない。よつて、同病院での診断は、少なくとも、右鑑定における眼の神経症状、左片麻痺、運動失調(WISC―Rの動作性の判断を含む。)関係についての診断を覆すに足りない。

4  当裁判所の判断

(一)  右認定によると、原告には、軽度の左片麻痺、それに基づく筋力低下、運動失調(協調運動障害、平衡機能の障害)が認められ、それによつて、起立歩行時の身体の安定に問題があり、主に左の手先等の巧緻運動が困難となつていることが認められ、その程度は、日常生活で、歩行にもややぎこちなさがある他、体育の授業等レベルの運動に支障が生じ、靴の紐を結ぶ等の細かな作業については困難を生じるものであつて、事務的な作業に関しても、注視が困難で、運動協応能力が低いこと(乙第三五号証によると、前記の動作性七六点は、境界線(劣)である。)やそれによる学習障害によつて学力の発達がある程度阻害されたことから、相当程度制限されているというべきであるから、神経系統の機能に障害を残し、服することができる労務が相当程度制限されるもの(第九級一〇号)に該当すると解すべきである。

なお、気管切開痕は認められるものの、その位置、大きさからして、労働能力に影響するほどのものとはいえず、眼の障害についても、鑑定時点においては、視力や視野はほぼ正常範囲であるから、労働能力の喪失を判断するに当たつては、前記の神経症状の中で総合して評価すれば足り、別個に眼の障害として労働能力の喪失を加算する必要はない。また、鑑定が、性格や人格について指摘する点については、鑑定自体が認めるように、僅かな傾向であるので、これによつて、性格や人格に後遺障害と認定されるほどの問題があるとまでは認めることができない。また、前記のリハビリテーシヨン病院及び鑑定の言語性の知能検査の結果からすると、前記神経症状によつて学習が困難になることによつて反射的に発生する点(前記で評価済みである。)を除くと、知能の点は、後遺障害と認めるに足りるものはない。

(二)  なお、鑑定の結果のうち、神経機能、精神的機能の障害の程度について、第七級四号ないし第五級二号に該当すると判断する部分は、以上の次第で採用しない。

四  損害

(一)  入院雑費 二八万〇八〇〇円

前記のとおり、原告は、本件事故の傷害によつて、二一六日間入院したところ、一日当たりの入院雑費としては、一三〇〇円が相当であるので、右記のとおりとなる。

(二)  入院付添費 六五万八〇〇〇円

前記のとおり、原告は、本件事故の傷害によつて、二一六日間入院したところ、病状の経過、原告の当時の年齢(九歳)からすると、明舞中央病院に入院した五九日間全日の付添看護を要し、甲第四一号証の一によると、リハビリテーシヨン病院入院中一五七日間は、機能回復訓練のため及び精神的安定を図るため、半日の付添を要したと認めることができ、原告法定代理人父松下修及び同母松下とよ子各本人尋問の結果によると、その間母である松下とよ子ないし父である松下修が付き添つたことが認められ、近親者の付添看護費としては、一日当たり四五〇〇円、半日あたり二五〇〇円と認めるのが相当であるから、右記のとおりとなる。

なお、入院付添交通費は、入院付添費で考慮済みである。

(三)  通院付添費 六万円

前記のとおり、原告は、本件事故に基づく傷害について、リハビリテーシヨン付属病院に一九日、朝霧病院に五日通院したと認められるところ、原告の年齢からすると、通院の付添を要したと認められ、一日当たりの付添費としては、二五〇〇円が相当であるから、右記のとおりとなる。

(四)  通院交通費 五万九四〇〇円

リハビリテーシヨン病院への通院のための一回当たりのタクシー代は、甲第二七号証によつて、往復三〇〇〇円と推定されるので、五万七〇〇〇円となり、朝霧病院へのバス代は一回当たり四八〇円の五回分で二四〇〇円と認められるから、合計は右のとおりとなる。通院付添交通費については、通院付添費で考慮済みである。

(五)  入通院慰籍料 二四〇万円

前記のとおり、原告は約七か月間入院し、約三か月通院したと認められ、当初は昏睡状態が続いた等前記の原告の症状に照すと、右記金額を相当と認める。

(六)  後遺障害慰籍料 六〇〇万円

前記の程度の神経症状に、眼の障害及び醜状痕を総合考慮すると、右記金額を相当と認める。

(七)  後遺症逸失利益 一六〇六万七四一五円

前記の後遺障害の程度からすると、原告は就労が予想される一八歳から就労可能年齢である六七歳までの間三五パーセント労働能力を喪失したと認められるところ、基礎収入としては、原告は、一八歳以降は、当裁判所に顕著な最新の平成四年賃金センサス産業計企業規模計男子旧中卒新高卒二三四万五三〇〇円の収入を得る蓋然性はあつたといえ、新ホフマン係数によつて中間利息を控除すると、左記の計算となる。

二三四万五三〇〇円×〇・三五×(二六・八五二(新ホフマン五八年)-七・二七八(新ホフマン九年))=一六〇六万七四一五円(小数点以下切り捨て)

(八)  損害合計 二五五二万五六一五円

五  過失相殺

1  本件事故の態様

(一)  請求原因1(一)ないし(五)記載の事実は、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、甲第一号証の一、二、四ないし六、一四、第二一、第二二号証、乙第二号証の一ないし三、七、八、一〇、一四ないし二一、二四ないし二六、二九、検甲第四号証の一ないし三、第五、第六号証の各一、二、第七ないし一七号証、原告法定代理人父松下修及び被告各本人尋問の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

本件事故現場は、南北に延びる直線路で、片側一車線で、それぞれの幅は四メートルであり、東側に幅二・三メートル、西側に幅二・四メートルの歩道があり、横断歩道が設置されており、車両側から両歩道、特に横断歩道付近の見通しはよかつた。本件事故現場の路面は、アスフアルトで舗装されており、平坦で、事故当時は乾燥しており、駐車禁止であつて、最高速度は、時速二〇キロメートルに制限されていた。本件事故現場は、幹線道路から離れた団地内を貫く道路で、主に団地内へ出入りの通行車両しかなく、車両通行量は少なく、付近に中学校や小学校、シヨツピングセンターがあり、本件事故は日曜日であつたが、横断通行する人は少なくなかつた(事故二五分後から始めた実況見分時の五分あたりの通行量は、車が三台、人が一五人であつた。)。本件道路の東側には、幅約三・四メートルの路地があつた。なお、本件事故現場の概況は、別紙図面のとおりである。本件事故の際、本件事故現場には、スリツプ痕等衝突地点を特定できる痕跡は認められなかつた。

被告は、昭和六二年一二月二〇日午前一一時四五分頃、被告車両を運転して南から北へ進行中、別紙図面記載の横断歩道の約一五〇メートル手前の横断歩道を過ぎたあたりで、本件事故現場の横断歩道を西から東に横断している歩行者を見たため、本件事故現場東側には路地があつて、そこから歩行者がでてくる可能性があることは知つていたものの、主に横断歩道の西側からの歩行者の横断に注意して、東側からの歩行者には注意を払わずに、時速約三五キロメートルで進行していたところ、別紙図面<2>付近に至つて初めて、横断歩道上の<ア>付近を東から西に走つていた原告を見つけ、急制動したが及ばず、<×>付近で、自動車前バンバー右横部分から右前フエンダーあたりを原告に衝突させ、原告の身体を跳ね上げ、<イ>付近に着地せさた。

原告は、同級生の松本とともに、本件横断歩道の東側路地を西側に歩行していたところ、<ア>付近で走り出して、東側歩道の横断歩道手前で、一瞬停止したが、十分左右を確認せず、また走り出して横断歩道に進入したところ、衝突地点の直前で松本が危ないと叫んだためか、進行してきた被告車両に気付き、右側に避けようとしたが及ばず、前記の態様で、被告車両と衝突した。

(二)  なお、乙第二号証の一四(捜査復命書)の目撃者田村麻江への照会結果によると、原告が横断歩道に進入する直前の停止の有無について、その目撃した横断歩道での走りかたからして、停止はしなかつたであろうとする部分もあるが、推測にすぎず、停止したのを直接見たとする同書証中の松本への照会部分、甲第一号証の一四、乙第二号証の一九、二〇に照らし信用できない。

2  当裁判所の判断

前記認定によると、原告は、路地から走り出した後、横断歩道を渡るに際して、左右の安全の確認を十分にせず、一瞬停止したのみで再び横断歩道に走つて進入したものであるから、横断の際の安全確認が不十分で、横断方法もやや適切さを欠いたといわざるをえない。

しかし、一方、本件事故現場は、横断歩道上であつて、歩行者としては最も安全に横断することができることを信頼すべき場所であるのに、被告は、その存在に気付きながら、東側からの歩行者にまつたく注意を払わず、昼間に、現実に横断者が通行した直後に、横断者がないことの確認もないのに、徐行するどころかまつたく減速もしないで、団地内の車両の通行の少ない、最高速度が二〇キロメートルに制限されている道路を時速約三五キロメートルのままで走行していたものであつて、その過失は著しいといえる。

したがつて、原告の年齢が事故当時九歳であつたことや被告が東側を見ていれば、遅くとも原告が路地から出て歩道に入つた直後からは、容易に発見できる道路状態であつたことも斟酌すると、原告には、相殺しなければ公平に反するほどの過失はないというべきである。

六  填補

抗弁二の事実については、当事者間に争いがないが、原告の請求に含まれた部分に対する弁済ではないので、控除しない。

七  弁護士費用

本件訴訟の経過、認容額等を考慮すると、二六〇万円をもつて相当と認める。

八  結論

よつて、原告の請求は、被告に対し金二八一二万五六一五円及び内金二五五二万五六一五円に対する昭和六二年一二月二〇日から支払済みまでの年五分の割合の遅延利息の支払を求める範囲で理由がある。

(裁判官 林泰民 水野有子 村川浩史)

事故現場

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