大阪地方裁判所 平成元年(ワ)7434号 判決 1993年1月28日
原告(反訴被告)
池千賀子
同
池由紀子
同
池恵理子
同
池裕輝
右三名法定代理人親権者母
池千賀子
右四名訴訟代理人弁護士
大沼順子
右訴訟復代理人弁護士
松本剛
同
丹治初彦
被告(反訴原告)
新海商運株式会社
右代表者代表取締役
田島泰敏
被告(反訴原告)
株式会社サカイ引越センター
(合併前の旧商号 株式会社堺引越センター)
右代表者代表取締役
田島治子
右両名訴訟代理人弁護士
野玉三郎
主文
一 被告らは各自、原告池千賀子に対し、金八〇〇万円及びこれに対する平成元年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは各自、原告池由紀子、原告池恵理子及び原告池裕輝に対し、各金四〇〇万円及びこれに対する平成元年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
三 原告らのその余の請求及び反訴原告らの請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、本訴分及び反訴分を通じて、被告らの負担とする。
五 この判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一本訴
被告らは各自、原告池千賀子に対し金八〇〇万円、原告池由紀子、原告池恵理子及び原告池裕輝に対し各四〇〇万円並びに右各金員に対する昭和六一年三月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二反訴
1 反訴原告新海商運株式会社に対し、反訴被告池千賀子は金一八三万三九〇〇円、反訴被告池由紀子、反訴被告池恵理子及び反訴被告池裕輝は各金六一万一三〇〇円並びに右各金員に対する平成元年九月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 反訴原告株式会社サカイ引越センターに対し、反訴被告池千賀子は金二六〇万七五〇〇円及びこれに対する平成元年九月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、反訴被告池由紀子、反訴被告池恵理子及び反訴被告池裕輝は各金三六万九一六六円及びこれに対する平成元年九月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二事案の概要
本件は、引越荷物運送中の交通事故のため死亡した者の遺族らが、同事故は過労による居眠り運転が原因であるとして、不法行為及び安全配慮義務違反による損害賠償金並びにこれに対する遅延損害金の支払を雇用先である運送会社及び引越運送取次会社に求めた(本訴)のに対し、同会社らが、反訴として、同事故により車両及び積荷が損傷したとして、債務不履行及び不法行為を原因とした損害の賠償、貸金及び立替金の返還並びにこれらに対する遅延損害金の支払を右遺族に求めたものである。
一争いのない事実等
1 当事者
(一) 原告(反訴被告)池千賀子(以下「原告千賀子」という。)は池裕二(以下「裕二」という。)の妻であり、原告(反訴被告)池由紀子、原告(反訴被告)池恵理子及び原告(反訴被告)池裕輝(以下、右三名を「原告子ら」という。)は子である。
(二) 被告(反訴原告)新海商運株式会社(以下「被告新海」という。)は、裕二の雇用主であった。
(三) 被告(反訴原告)株式会社サカイ引越センター(「以下、被告サカイ」という。)神戸支社は、裕二の配属先であり、裕二は同支社において、引越貨物の搬送業務に従事していた。
2 事故の発生
次の事故が発生した(以下「本件事故」という。)。
(一) 日時 昭和六一年三月二日午後一一時四五分ころ
(二) 場所 愛知県豊明市栄町梶田八〇番地の一先道路上
(三) 態様 裕二が、被告堺の業務として、神戸市内から埼玉県へ向け引越貨物を搬送中居眠り運転をし、信号待ち車両に追突した。
(四) 結果 裕二は、頸椎骨折を負い、死亡した。
3 本件事故当時、裕二は、被告サカイが運送取扱を受託し、被告新海に運送を取り次いだ荷主島崎健の引越荷物を運送中であり、裕二が運転していた四トン普通貨物自動車(以下「事故車」という。)は被告新海の所有物であった。
4 被告らは、裕二に対して、同様の安全配慮義務を負う立場にあった。
5 原告らは、労働者災害補償保険から、遺族特別支給金として三〇〇万円、葬祭料として五一万二一六〇円、遺族補償年金として九八四万七八〇〇円、遺族特別年金として一五八万七〇〇円の支払を受けた。
6 被告サカイは、昭和六一年三月三日、裕二の葬儀費(納棺等)一一万五〇〇〇円を、株式会社市川葬儀社に支払った(金額については、<書証番号略>により認める。)。
7 被告サカイは、原告千賀子に対し、昭和六一年三月三日に五〇万円、同月四日に一〇〇万円を期限を定めずに貸し与えた。
8 原告らは、被告サカイに対し、平成元年一一月一日の本件口頭弁論期日において、本訴請求にかかる損害賠償請求権をもって、同被告の請求する貸付金返還請求権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。
二争点
1 安全配慮義務違反の有無及び裕二の賠償責任の有無
(一) 原告らの主張
(1) 裕二が行っていたのは、荷物の積み込み、積み降ろし業務と自動車運転業務であり、肉体的疲労を伴うばかりでなく、精神的緊張・疲労を伴うものである。
他方、被告らは、共同一体として、裕二に対し、配車や作業の指示をなしていたのであるから、自動車運転業務を命じるに当たり、自動車運転に要求される高度な注意力の維持が困難にならないような配車を行うべき注意義務を負っていたものというべきであり、注意力の維持に対する障害の最たるものは疲労であるから、一日当たりの労働時間、継続する労働時間の長さ、休息時間の付与、長時間または夜間勤務が不可避の場合にはその前後の労働内容等の点で、過労による疲労の蓄積が生じないよう配慮すべき義務があったものというべきである。
(2) 労働基準法においては、法定労働時間を一日八時間、一週四八時間以内と定め、かつ、週一回以上の休日の付与を使用者に義務づけており、これに反する場合には刑事罰が課されるものとされ、同法三六条に定める協定(以下「三六協定」という。)が有効に締結され届出された場合にのみ刑事免責を与えられるものとしている。
そして、特に自動車運転者の場合、労働時間を含めた労働条件が悪くそのため重大な交通事故を引き起こすことが稀ではなかったため、労働基準法の基準の趣旨を明確にし、その徹底を図るため、昭和四二年に労働基準局長通達「自動車運転者の労働時間改善基準」(四二年基発第一三九号)が出され、さらに、自動車運転者の労働条件の最低の基準を定めたものとして、昭和五四年一二月二七日の労働基準局長通達(基発第六四二号)が出された。
同通達は、次のとおり定めている。
ア 始業時刻から始まる一日の拘束時間は、時間外労働をも含め、一三時間以内とする。ただし、右時間は、二週間を平均して計算することができる。
イ 拘束時間の最大限は、一日当たり一六時間とし、一日当たりの拘束時間が一五時間を越えることのできる回数は、一週間を通じて二回とする。
ウ 勤務と次の勤務との間には、連続した八時間以上の休息時間を与えなければならず、業務の必要上、右休息時間の付与が困難な場合には休息時間を分割して付与することも可能ではあるが、その場合でも、始業時刻から始まる一日において一回当たり連続して四時間以上、合計一〇時間以上の休息時間を与えなければならない。
エ 始業時刻から始まる一日の運転時間は、時間外労働をも含め、九時間以内とする。ただし、右時間は、二週間を平均して計算することができる。
オ 一週間における運転時間は、時間外労働をも含め、四八時間以内とする。ただし、右時間は、二週間を平均して計算することができる。
カ 連続運転時間は四時間を越えてはならない。
キ 休日労働は、二週間における総拘束時間が一五六時間を越えない範囲内で行うことができるが、その回数は二週間を通じて一回とする。
(3) よって、使用者は、自動車運転者に対して、配車の指揮命令を行うに際し、右の基準を遵守し、また、長時間または夜間勤務の前後に労働密度の濃い勤務を命じれば、疲労が蓄積、持続していくことを避けられないから、長時間または夜間勤務の前後の労働密度を軽くした配車を行うべき義務を負担している。
(4) しかし、昭和六一年一月四日以降本件事故当日までの間、裕二が勤務を休んだのは四日間のみであり、このうち同年二月四日から六日までは姉の葬儀出席のためであり(このことは被告らも知っていた)、実質的な休日はわずか一日(一月三一日)のみであって、本件事故当日まで、裕二は二四日間の連続出勤をしていた。
また、裕二の拘束時間は、同年二月二〇日が一〇時間三〇分、同月二一日が一二時間二〇分、同月二二日が一二時間、同月二三日が一四時間、同月二四日が一一時間、同月二五日が一七時間程度、同月二六日が二二時間程度、同月二七日が一〇時間一〇分、同月二八日が一五時間程度、同年三月一日が一一時間五〇分であり、同年二月二三日には名古屋、同月二五日には富山県、同月二八日には名古屋への長距離運転を命じられていた。
そして、本件事故当日の同月二日には、裕二は、午前七時に始業し、西宮市で一件の引越作業を行った後、引き続き夜間埼玉県に向け、長距離輸送を命じられたものである。
(5) 被告らは、裕二に対し、右のとおりの恒常的過労状態で十分な休息を与えぬままに埼玉行きを命ずれば、疲労から睡魔に襲われ重大事故を惹起する危険性があることを当然予測でき、また、これを避けることも極めて容易なことであった。
(6) 以上によれば、被告らは、裕二の右状況を知悉しながら、何らの措置も取らないまま、裕二を過労状態での長距離運転業務に就かしめたものであり、被告らは、安全配慮義務違反があるというべきであり、裕二は、被告らの同義務に反した配車の結果、疲労が蓄積して、恒常的な過労状態にあったところに、本件事故当日の長時間労働の疲労が加わり、高度な注意義務の維持が困難な状況に追い込まれ、本件交通事故により、死亡するに至ったものというべきである。
(二) 被告らの主張
(1) 本件事故は、本件事故現場で信号待ちをしていた普通貨物自動車に、居眠り運転をしていた裕二の四トン普通貨物自動車が追突したものである。
被告新海は、本件事故当日の午後五時に帰社した裕二に対し、埼玉県春日部市までの直行を指示し、同人は同日午後六時ころに出発した。しかし、裕二は、被告新海から会社出発後の一時帰宅が厳重に禁止されていたにもかかわらず、直接目的地に向かわずに、一旦自宅に帰り、酒好きのため、長男の誕生祝及び雛祭りを兼ねて軽く飲酒した後、自宅を出発し、一家団欒の気の弛みと、酒が車の振動と暖房によってまわりかけたことから、居眠り運転をしたものである。
裕二は、昭和五九年一〇月一日に、被告新海に正式採用された後、同年一二月には伊勢原市内の東名高速道路で、昭和六〇年二月には和歌山県内の国道で、いずれも追突事故を起こしており、いずれも長距離を走り疲労したための事故ではなく、気の弛みか飲酒を原因とするものであった。
(2) 引越運送は、月、曜日によって、需要が変動し、一月、二月に多少少なく、三月から四月にかけては平均より多くなり、また、日曜日、土曜日、大安の日は忙しくなるものであるから、毎日曜日を公休とすることは不可能である。
また、運転手には、仕事を取り合いにする者が多く、交替で休ませようとすると怒る者が多いが、被告らは、出勤時間が一週間以上一〇日程度になると公休を指示し、休ませていた。さらに、長距離運転は一週間に一回程度で、原則的に順番制にしていた。
裕二は、大事故を続けて起こしたため、長距離運転は無理であるとして、長距離運転をさせないようにしていたが、長距離に出ると長距離手当、食事代が支給され、また、顧客からの祝儀も多くなるため、借金を抱えていた裕二が、長距離運転に行かせて欲しい旨懇願し、そのため、特別に多くの回数にわたり、長距離運転に行っていたのである。
長距離専門の運送会社においては、一か月に一〇回以上の長距離運転があるが、被告新海のばあいには、一か月に三回平均程度であり、裕二の場合も、昭和六一年二月中には、一四日から一五日にかけての甲府市への一回のみであり、二三日、二八日の名古屋、二五日から二六日にかけての富山県射水郡への運送は、いずれも中距離である。
被告新海においては、月給制では仕事が遅い者がいるため、歩合制を採用したところ、仕事に時間がかからなくなったばかりか、運転手の給料も上がった。また、このため、通常の運送では遅くなっても給料に反映することはなく、タイムカードも単なる出退社の記録に過ぎず、中長距離運送に出て帰社が遅くなると、タイムカードが押されないという場合もあった。
(3) 本件事故以前の一週間は、中距離運送が重なった時であって、裕二の拘束時間は他の週に比べ、長くなっているが、それでも二月二五日は一七時間であるし、同月二八日の名古屋行きの場合でも一〇時間三〇分にまで達していない。
また、長距離運送の場合、できるだけ時間に余裕を持って出発し、途中で仮眠を取るようにさせており、これらの時間をも含めて拘束時間とするのでは長距離運送は成り立たない。
(4) したがって、本件事故の原因は、過労ではなく、裕二の右のような一方的かつ重大な過失によるものであるから、裕二は、不法行為または債務不履行により、本件事故による被告らの損害を賠償すべきである。
2 原告らの損害額
原告らは、裕二の逸失利益、葬儀費用及び原告ら固有の慰謝料を損害として主張する。
3 損益相殺の範囲
被告らは、労働者災害補償保険から支給された年金はすべて、損益相殺の対象とすべきである旨主張し、原告らは、損益相殺の対象となるのは、遺族特別支給金及び葬祭料の合計三五一万二一六〇円に限られるべきであり、年金については、その性格上、損益相殺の対象とすべきではないと主張する。
4 被告らの損害額
被告らは、本件事故によって、次のとおりの損害を受けたものと主張する。
(一) 被告新海
合計三六六万七八〇〇円
(1) 事故車全損による損害金
三一六万七八〇〇円
(2) 事故車の引取費用 一五万円
(3) 事故による代車費用 二五万円
(4) 事故による荷物積替費用
一〇万円
(二) 被告サカイ 二一〇万円
本件事故当時の運送品の損害について、荷主島崎健との間に、被告サカイが五一〇万円を支払う旨の示談が成立し、被告サカイは、これを支払った。このうち三〇〇万円については、損害保険金を受領し填補とした。
5 納棺等の費用の請求の可否
被告サカイは、被告サカイが支払った裕二の納棺等の費用一一万五〇〇〇円については、被告サカイが原告らに立替えて支払ったものであると主張し、これに対し、原告らは、被告サカイが負担する旨の合意があった旨主張する。
第三争点に対する判断
1 安全配慮義務違反の有無について
(一) 前記争いのない事実に加え、証拠(<書証番号略>、証人中野秋代、証人野口隆、原告千賀子並びに被告新海代表者田島憲一郎)を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 本件事故当時、引越運送については、被告サカイが顧客からこれを受け、引越運送自体は、被告新海が行うという体制になっており、被告新海の代表者と、被告サカイの代表者とは夫婦であって、被告新海の神戸営業所と、被告サカイの神戸支社は、同じ場所にあり(以下、まとめて「営業所」という。)、同営業所長と同支社長は、中野信敏が兼任していた。
近畿圏内程度の通常の引越運送作業は、午前中に一件、午後に一件程度あり、そのための配車及び作業の指示については、中野信敏営業所長兼支社長が主に行っていた。そして、その指示は、当日の午前中の分については、当日の朝になされ、午後の分については、午前中の作業が終了した後に、無線等によってなされるのが通常であった。また、午後に荷物を積み込み、翌日にかけて運送する長距離の引越運送の場合(以下「長距離運送」という。)には、通常、その前日にその指示がなされていたが(第九回野口証言調書四丁裏)、時には、当日になってから、長距離運送に出るように指示がなされることもあった(第一〇回野口証言調書一二丁裏)。その場合においても、午前中に別の引越運送を行ってから後に、長距離運送に取りかかることになっていた。また、長距離運送の場合、荷物を積み込んだ後、一度営業所に戻り、高速道路料金等の仮払等を受けた後、営業所を出発することになっていた(積み込み後、直接出発させていたとの被告新海代表者の供述は、中野証言〔第八回調書一〇丁裏〕に照らし信用できない。)。
(2) 被告新海における運転手の作業内容は、トラックの運転の他、引越荷物の梱包、運搬、積み降ろし、顧客との対応、代金の収納、通常三名程度付けられる助手への指示等を含み、運転手は、助手を率先指導して、作業に当たらなければならない立場にあった。助手は、通常、被告新海あるいは被告サカイの従業員または従業員見習の者(被告らは、これを「準社員」と呼んでいた。)が一名の他、被告サカイが雇ったアルバイトが二名程度であり、アルバイトは、作業経験のない学生である場合も多かった(第九回野口調書五丁表以降、第九回中野調書二一丁裏以降。積み降ろし時の運転手の負担は軽い旨の被告新海代表者の供述は信用できない。)。
被告新海における運転手の賃金体系は、基本的に歩合制であったが、運転手らには、その計算方式は明らかにされておらず、出勤日数と売上によって給料が決まるのであって、休暇を取ることは即ち収入減につながるというのが、運転手らの認識であった(第一〇回野口調書九丁裏以降、同一六丁表)。また、歩合制であるため、残業時間等は給料の額とあまり関係なかった(第九回中野調書一二丁裏)。
被告らにおいては、定休日はなく、(<書証番号略>には、日曜日を定休日とする旨記載されているが、かかる内容の就業規則が本件事故当時存在したことを認めるに足りる証拠はない。)、被告らからの指示で運転手が休む場合(被告らはこれを「公休」と呼んでいた。なお、運転手から事前に届けた場合も「公休」に当たるとの被告新海代表者の供述は、<書証番号略>及び中野証言に照らし信用できない。)が一か月に一、二日程度あった(同二四丁裏)。そして、運転手が一か月に三日から四日程度休むと、それ以上に、休暇を取ることは難しい雰囲気にあり、運転手の方から申し出てそれ以上に休暇を取ることは実際上難しく(同八丁裏以降、原告千賀子調書一一丁裏)、また、それ以上休むと給料も少なくなった。
また、被告新海は、本件事故当時、時間外及び休日の労働に関して労働基準法三六条に規定されている書面による協定(いわゆる三六協定)を労働者らと結んでいなかった。
なお、被告新海神戸営業所には、仮眠施設や、シャワー室等として実際に運転手に供用されているものはなかった。
(3) 長距離運送の場合には、通常、午前中に一件の引越運送を終えた日の午後に荷物の積み込みを行い、当日の夜間にその荷物を搬送することになっており、そのほとんどの場合には、一人の運転手が搬送に当たっていた。この場合の高速道路の料金については、急ぐ荷物や、荷降ろしが午後になる場合はすべてを支給していたが、原則的には片道分のみ支給されることとなっていた(第八回中野証言一一丁表)。
そして、運転手は、目的地に翌日の午前九時あるいは午前一〇時といった荷主との約束時間に間に合うように搬送し、目的地の距離によっては、その間に二、三時間の仮眠を取ることができる場合もあったが、その場合にも、トラックの運転台で仮眠することになっていた。目的地での荷降ろしは、当該運転手が、あらかじめ被告らが依頼しておいた現地の小型貨物業者の派遣した作業員一名程度と、目的地で合流して、これに当たることになっていた。
運転手は、長距離運送をして帰った翌日(出発日の翌々日)には、平常のとおりの仕事をするのが通常であった(同三六丁裏、したがって、目的地で一泊してくるように指示していた旨の被告新海代表者の供述は信用できない。)。
また、長距離運送及び近畿圏外に出るような中長距離の引越運送は、通常、一人の運転手が平均して一週間に一回程度行っていた。
(4) 被告新海においては、タイムレコーダーが設置されていたが、タイムカードを退勤時間に正確に押すようには徹底して指導されておらず(第八回中野調書三七丁表)、また、作業から帰った時間が遅い場合等、タイムカードが押されないことも多かった(<書証番号略>、第九回野口証言調書七丁表)。また、運転手は、各人が日報をつけることになっており、日報用紙には、出庫時間及び帰庫時間を記入する欄が設けられていたが、特に帰庫時間については、必ず記入するようには指導が徹底されておらず(<書証番号略>)、運転手の正確な勤務時間を把握するための資料はなかった。
(5) 裕二は、昭和五九年一〇月ころから、被告新海の従業員となり、その神戸営業所で運転手として勤務していた。
本件事故当時、裕二は、運転手として勤務する傍ら、被告らの指示を従業員に伝達し、従業員をまとめたり、従業員の意見を被告らに伝達したりする役職である副班長であった(<書証番号略>)。
裕二は、昭和六〇年一一月二一日以降の同年中、一二月三日に休んだ後は、同月三一日まで休暇を取っておらず、また、昭和六一年一月には一日から四日まで休んだ後は、同月三一日まで休暇を取っておらず、同年二月には、四日から六日まで休暇を取り、妻である原告千賀子の姉の葬儀に出席した他には休んでおらず、同月七日以降本件事故当日の同年三月二日までは、二四日間連続して出勤していた(<書証番号略>)。
(6) 同年二月七日以降本件事故の前日までの裕二の行った作業内容は次のとおりであった(<書証番号略>)。
ア 同月七日には、午前六時五七分に出勤し、荷台を六トントラック並に長くした四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに駐車場を出(以下「出庫」という。)、作業員四名とともに、明石市内の引越運送及び神戸市内の引越運送を一件ずつ行った後、神戸市内で引越の梱包を行い、午後六時一五分に駐車場に戻り(以下「帰庫」という。)、午後六時二二分に退勤のタイムカードを押した。
イ 同月八日には、午前六時五五分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、神戸市内の引越運送を二件行い、午後五時四〇分に帰庫し、午後五時五三分に退勤のタイムカードを押した。
ウ 同月九日には、午前六時五三分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、大阪市内から牧方市への引越運送の後、神戸市内の引越運送を一件行い、午後五時三〇分に帰庫した。
エ 同月一〇日には、午前六時五八分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、他一台のトラックとともに、大阪市から神戸市への引越運送及び宝塚市内の引越運送を各一件行い、午後八時に帰庫し、午後八時四分に退勤のタイムカードを押した。
オ 同月一一日には、午前六時五〇分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、神戸市内の引越運送を一件行った後、車を乗換えて神戸市内及び明石市内の二軒で営業活動を行い、午後七時三〇分に帰庫し、午後七時三三分に退勤のタイムカードを押した。
カ 同月一二日には、午前六時五四分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、西宮市から大阪市への引越運送を一件行った後、明石市内でピアノ運送を含む引越運送を行い、午後八時三〇分に帰庫し、午後八時三五分に退勤のタイムカードを押した。
キ 同月一三日には、午前六時五三分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、姫路市内の引越運送を一件行った後、同市内での引越運送を手伝い、午後四時一〇分に帰庫し、午後五時三分に退勤のタイムカードを押した。
ク 同月一四日には、午前六時五〇分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、神戸市から和歌山市への引越運送を一件行い、午後七時に帰庫し、午後七時一分に退勤のタイムカードを押した。
ケ 同月一五日には、午前六時四七分に出勤し、四トンロングトラックを運転して、作業員三名とともに宝塚市内に赴き、他一台のトラックと共同してピアノを含む引越荷物を梱包し積み込んだ後、甲府市に向け出発し、荷物を降ろした後、同月一六日に帰社し、同日午後七時二四分に退勤のタイムカードを押した。
コ 同月一七日には、午前六時四三分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、他一台のトラックと共同し、作業員五名とともに、尼崎市内の引越運送を一件行い、その後神戸市から芦屋市の引越運送を手伝い、午後四時二〇分に帰庫し、午後四時五九分に退勤のタイムカードを押した。
サ 同月一八日には、二トントラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、他一台のトラックと共同し、作業員三名とともに、神戸市内の引越運送を一件行い、午後三時に帰庫し、午後四時すぎに退勤した。
シ 同月一九日には、午前六時五三分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、他一台のトラックと共同し、作業員二名とともに、加古川市から神戸市及び尼崎市への引越運送を一件行い、午後四時三〇分に帰庫し、午後六時五三分に退勤のタイムカードを押した。
ス 同月二〇日には、午前六時五二分に出勤し、四トンロングトラックによる加古川市内の引越運送を、作業員として他の作業員二名とともに、一件行い、午後五時二六分に退勤のタイムカードを押した。
セ 同月二一日には、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、他一台のトラックと共同し、作業員三名とともに、西宮市から茨木市への引越運送を一件行い、午後七時二〇分に帰庫した。同日の総走行距離は、一〇二キロメートルであった。
ソ 同月二二日には、午前六時三七分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、吹田市から大阪市への引越運送を一件行った後、神戸市内の引越運送を行い、午後七時に帰庫した。同日の総走行距離は、一二三キロメートルであった。
タ 同月二三日には、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員二名とともに、神戸市から名古屋市への引越運送を一件行い、午後九時二〇分に帰庫した。同日の総走行距離は、四九〇キロメートルであった。
チ 同月二四日には、午前六時四三分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、姫路市内の引越運送を行った後、西宮市から明石市への引越運送を行い、午後六時三〇分に帰庫し、午後六時三四分に退勤のタイムカードを押した。同日の総走行距離は、二三〇キロメートルであった。
ツ 同月二五日には、午前六時三八分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、神戸市内の引越運送を一件行った後、午後から西宮市内で引越荷物を積み込み、富山県射水郡へ向け出発し、同所で赤帽二名とともに積荷を降ろし、同月二六日帰庫し、同日午後六時三八分に退勤のタイムカードを押した。同月二五日から同月二六日の総走行距離は、八七二キロメートルであった。
テ 同月二七日には、午前七時二八分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前八時出庫し、作業員三名とともに、神戸市内の引越運送を行った後、西宮市内の引越運送を行い、午後七時一〇分に帰庫した。同日の総走行距離は、七七キロメートルであった。
ト 同月二八日には、午前六時五七分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員三名とともに、神戸市から名古屋市への引越運送を行った。同日の総走行距離は、五五九キロメートルであった。
ナ 同年三月一日には、午前六時四九分に出勤し、四トンロングトラックを運転して午前七時三〇分ころに出庫し、作業員四名とともに、箕面市から大阪市への引越運送を行った後、西宮市内の引越運送を行い、午後六時五〇分に帰庫した。同日の総走行距離は、一三九キロメートルであった。
(7) 本件事故日である昭和六一年三月二日には、裕二は、午前七時一三分に出勤し、トラックを運転して、神戸市から宝塚市への引越運送を行った。それから、同日に指示を受けた引越運送のため(原告千賀子調書四丁表に照らし、三日前に指示していた旨の被告新海代表者の供述は信用できない。)、午後から西宮市内で埼玉県春日部市までのピアノを含む引越荷物を積み込んだ。同引越の荷主は、無理な注文をする、被告らにとって、いわゆるうるさいお客であった(第八回中野調書一三丁)。
積み込みが終わった後、被告新海神戸営業所に戻り、午前中の引越代金の受渡し等をし、片道の高速代等の仮払いを受けた後、午後六時三〇分すぎころ同営業所を出発し、一旦、神戸市北区にある自宅に帰った。
裕二は、同日午後七時三〇分前後に、自宅を出発し(原告千賀子調書四丁裏以降)、神戸から阪神高速道路に乗り、松原ジャンクションから西名阪有料道路に乗換え、桑名付近において国道に入り、愛知県豊明市内の国道二三号線上で居眠り運転をし、本件事故に遇った。
裕二は、本件事故後、病院に搬送され治療を受けたが、死亡した。
(8) 裕二は、昭和五九年一二月二九日午前四時ころ、神奈川県伊勢原市内の高速道路で追突事故を起こしたことがあり、昭和六〇年二月一四日に和歌山県西牟婁郡すさみ町で運転中、道路視線誘導標を損傷したことがあった。
(二) 以上によれば、被告らには、従業員を運転手として使用するに当たり、自動車の運転という高度な注意義務の要求される業務を中心的な業務内容とするものであるから、運転手がかかる注意義務に応じた集中力を維持した上で業務に従事できるよう就労環境を整えるべき注意義務を負っていたものというべきところ、裕二が本件事故当日である昭和六一年三月二日までの二四日間連続して出勤し、その間に、二日間にわたって一つの引越運送に当たる場合以外は、毎日、自動車運転及び引越の業務を行い、帰庫した時間が明らかな一七日間について限定しても、出庫から帰庫まで平均して一一時間弱程度稼働し、拘束時間はそれ以上であったばかりか、本件事故当日の一週間においては、運転総距離は二三〇〇キロメートル以上であり、同年二月二三日には名古屋まで、同月二五日から二六日にかけては富山県まで、同月二八日には名古屋まで引越運送業務を行い、富山県行きの場合を除いた五日間には、出庫から帰庫まで一一時間から一四時間弱程度の日が続いたこと、運転手の業務内容は、運転にとどまらず、引越荷物の梱包、運搬、積み降ろし、顧客との対応、代金の収納、通常三名程度付けられる助手への指示等を含んでいたから、通常、一日に二件程度の引越運送をこなしていた裕二は、肉体的、精神的にも、相当程度に負担のかかる立場にあったものと思われること等からすれば、裕二は、本件事故当日の同年三月二日には非常に疲労を蓄積した状態にあったものと推認されるところ、同日にも、通常と同様、四トンロングトラックを運転して、午前中に一件の引越運送を行い、さらにその後、当日に指示を受けた埼玉県までの引越荷物の梱包積み込みを行ったものであり、同引越荷物には比較的神経を使うものと思われるピアノを含んでおり、また、荷主はいわゆるうるさいお客であったというのであるから、同積み込み作業終了後は、肉体的にも精神的にも相当疲労したものと推認されるが、裕二は、特に休息を取ることもなく、同日夜には埼玉県に向けて出発しており、その途中に居眠り運転に至ったのであるから、被告らには、前記注意義務違反があることは極めて明らかであるものといわなければならない。
そして、以上によれば、裕二は、慢性的な疲労状態にあったところ、本件事故当日の勤務による疲労が重なり、居眠り運転をするに至ったものというべきである。
(三) したがって、本件事故は被告らの右注意義務違反によるものというべきであるから、被告らは、本件事故による損害を賠償すべき責任がある。
なお、被告らは、裕二に対し、埼玉県春日部市までの直行を指示したが、裕二は、会社出発後の一時帰宅が厳重に禁止されているにもかかわらず、一旦自宅に帰り飲酒したため、一家団欒の気の弛みと、酒が車の振動と暖房によってまわりかけたことから、居眠り運転をし本件事故に至ったものと主張し、中野証言及び被告新海代表者の供述の中にはこれに沿う部分もあるが、第一〇回野口調書一二丁表によれば、目的地へ直行せよとの指示を被告らが運転手らに対して徹底していたものとは認められず、また、原告千賀子の供述に照らして、本件事故当時、裕二が飲酒運転をしていたものとも認められず、さらに、単に一時帰宅したことを原因として本件事故が惹起されたものとも考えられないから、被告らの右主張は採用できない。
また、被告らは、裕二が自らの不注意でよく事故を起こしていた旨主張するが、証拠上明らかな事故は、昭和五九年一二月と昭和六〇年二月の二件のみであり、前記の裕二の置かれた就労環境よりすれば、右事故にあっても、必ずしも裕二個人がその責を負うべきものかは不明であるから右主張も採用できるものではない。
さらに、被告らは、運転手は仕事を取り合いにする者が多くて休ませようとすると怒る者が多いが、出勤時間が一週間以上一〇日程度になると公休を指示し休ませていた旨主張し、中野証言及び被告新海代表者の供述の中にはこれに沿う部分もあるが、前記認定事実によれば、むしろ運転手は休暇を取りたくても取れない状況にあったものというべきであるから、右主張は採用できない。
そして、被告らは、裕二には多額の債務があり、その返済のために裕二から頼み込まれて特に長距離運送を多くし、休暇も取らせなかった旨主張し、<書証番号略>及び原告千賀子の供述によれば、裕二に八〇数万円の債務があるため、被告新海代表者田島憲一郎に保証人になるよう申し込んでいたことは認められるものの、そのこと以外のことがらについての中野証言及び被告新海代表者の供述を信用することはできず、連日出勤を裕二の方から申し込んだことまで認められないし、仮に裕二がかかる申込みをしたものとしても、そのことによって、被告らの負うべき前記注意義務が免除されたり軽減されたりするものとも考えられないから、右主張は採用できない。
2 原告らの損害額について
(一) 裕二の損害(逸失利益、主張額五二八六万一三六八円)
<書証番号略>によれば、裕二は、昭和三一年八月一〇日生(本件事故当時二九歳)であり、昭和六〇年九月から昭和六一年二月までの六か月間に給与として合計一五三万四五〇〇円を得た他、昭和六〇年夏期賞与としては二二万円、同年冬期賞与としては一八万円を得たことが認められるから、本件事故により死亡しなければ、さらに六七歳までの三八年間就労可能であり、その間に少なくとも、平均して、一年当たり三四六万九〇〇〇円の収入を得ることができたものと推認されるので、同金額を基礎に、生活費として三割を控除し(裕二の年齢、家族構成その他の諸事情を考慮すると、生活費控除率は三割とするのが相当である。)、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息の控除をして、本件事故による裕二の逸失利益を算出すると、次のとおり五〇九二万一四五一円となる。
(算式)3,469,000×(1−0.3)×20.970=50,921,451
(二) 相続
原告千賀子は裕二の妻であり、原告子らはいずれも裕二の子であることについて当事者間に争いがないことは前記のとおりであるから、法定相続分に従い、裕二の右損害のうち、原告千賀子は二分の一である二五四六万七二五円(一円未満切り捨て、以下同じ。)について、原告子らは各六分の一である八四八万六九〇八円についての損害賠償請求権をそれぞれ承継取得した。
(三) 原告らの損害
(1) 葬儀費用(主張額八〇万円)
八〇万円
以上の事実に加え、原告千賀子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、裕二の葬儀のため、千賀子が八〇万円を必要としたことを認めることができ、これは本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
(2) 慰謝料(主張額合計二〇〇〇万円)
合計一八〇〇万円
本件事故に至る経緯、本件事故の態様、結果等以上認定の事実、その他、原告らと被告らの関係、被告らの本件事故後の対応等本件弁論に現れた諸事情を考慮すれば、本件事故による原告ら固有の慰謝料としては、原告ら各自について四五〇万円とするのが相当である。
(以上合計 原告千賀子 三〇七六万七二五円
原告子ら 各一二九八万六九〇八円)
3 損益相殺
労働者災害補償保険から原告らが支払を受けた金額のうち、遺族特別支給金及び葬祭料の合計三五一万二一六〇円について損益相殺すべきことは当事者間に争いがなく、また、遺族補償年金九八四万七八〇〇円については、労働者災害補償保険法一二条の四によれば、損害の填補たる性質を有するものというべきであるから、これを損益相殺として控除すべきである。しかし、遺族特別年金は、同法二三条による労働福祉事業として給付されるものであるから、損害の填補としてこれを考えることはできず、これを控除すべきではない。
よって、損益相殺後の原告千賀子が賠償を求め得る損害額は二三八二万四六六五円、原告子らのそれは各一〇八四万五六〇八円となる。
4 裕二の賠償義務の有無について
前記1認定の事実によれば、裕二に被告ら主張の注意義務違反は認められないから、被告らの本件事故による損害賠償請求は、理由がない。
5 納棺等の費用の請求について
被告サカイが支払った裕二の納棺等の費用一一万五〇〇〇円については、全証拠に照らしても被告サカイと原告らの間に、被告サカイが立替えて支払うことについて合意があったものとは認められず、以上認定の事実に照らして、裕二の納棺等の費用を支払うことが、被告サカイにとって他人の事務に当たるものとも認められないから、右費用償還を求める被告サカイの請求には理由がない。
6 相殺
被告サカイが原告千賀子に対し、昭和六一年三月三日に五〇万円、同月四日に一〇〇万円を期限を定めずに貸し与えたことは当事者間に争いがなく、原告らが被告サカイに対し、平成元年一一月一日の本件口頭弁論期日において、本訴請求にかかる損害賠償請求権をもって、被告サカイの請求する貸付金返還請求権とその対当額において相殺する旨の意思表示をしたことは、本件記録上明らかに認められるから、原告千賀子の二三八二万四六六五円についての前記損害賠償請求権と被告サカイの一五〇万円の貸付金返還請求権は差引され、その結果、原告千賀子の損害賠償請求権は二二三二万四六六五円となり、被告サカイの右債権は消滅したこととなる。
7 弁護士費用(主張額合計二〇〇万円)
合計二〇〇万円
本件記録上、原告らは、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起追行を依頼し、その報酬及び費用として、相当額の支払を約していることは明らかであるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告らが被告らに対して本件事故による弁護士費用相当の損害として求め得る金額は、原告ら主張の原告千賀子につき八〇万円、原告子らにつき各四〇万円を下らないものとするのが相当である。
第四結論
以上の次第で、原告らの被告ら各自に対する本訴請求は、原告千賀子については金八〇〇万円及びこれに対する本件記録上明らかな本件訴状送達の日の翌日である平成元年六月一一日から(原告らは、本件事故の日の翌日からの遅延損害金を求めているが、被告らが裕二に対して負っていた前記注意義務は、労働契約に基づき裕二と被告らとの関係において設定される契約法上の特別な義務というべきであり、一般法上の義務であるとは考えられないから、本件において不法行為は成立せず、前記注意義務の不履行に基づく損害賠償債務は、不法行為の場合とは異なり、期限の定めのない債務として履行の請求を受けた時から遅滞に陥るものというべきである。)支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告子らについては各金四〇〇万円及びこれに対する同日から支払済みまで右と同じ割合による遅延損害金の、それぞれ支払を求める限りにおいていずれも理由があるからこれらを認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、被告らの原告らに対する反訴請求はいずれも理由がないからすべて棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官林泰民 裁判官松井英隆 裁判官小海隆則)