大阪地方裁判所 平成10年(ワ)2209号 判決 1998年12月01日
反訴原告
瀨尾末正
ほか一名
反訴被告
橋栄禧
主文
一 反訴被告は、反訴原告瀨尾末正に対し、一五九万八一八七円及びうち金一四五万八一八七円に対する平成七年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴被告は、反訴原告髙橋春美に対し、一五二万一四〇二円及びうち金一三八万一四〇二円に対する平成七年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 反訴原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを一〇分し、その七を反訴原告らの負担の、その余を反訴被告の負担とする。
五 この判決の第一、第二項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 反訴被告は、反訴原告瀨尾末正(以下「反訴原告瀨尾」という。)に対し、四八一万〇三三七円及びうち金四四一万〇三三七円に対する平成七年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴被告は、反訴原告髙橋春美(以下「反訴原告髙橋」という。)に対し、五三六万三七四八円及びうち金四九六万三七四八円に対する平成七年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、反訴原告瀨尾の運転し、反訴原告髙橋が同乗する自動車に、反訴被告が運転する自動車が追突して、反訴原告らが負傷したなどとして、反訴原告らが反訴被告に対し、民法七〇九条、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、損害の賠償を求めた事案である。
一 争いのない事実等
以下は当事者間に争いがない。
1 反訴被告は、平成七年一二月二八日午後八時三〇分ころ、普通乗用自動車(大阪七九み四四四八、以下「反訴被告車両」という。)を運転して、大阪府守口市大日町三丁目四番二九号先道路(府道京都守口線、以下「本件道路」という。)に停止中の反訴原告瀨尾が運転し、反訴原告髙橋が同乗した普通乗用自動車(大阪七一そ九三一九、以下「反訴原告車両」という。)に衝突させた(以下「本件事故」という。)。
2 本件事故は、反訴被告の過失によって発生した。
3 本件事故当時、反訴被告は、反訴被告車両を自己のために運行の用に供していた。
4 反訴原告瀨尾は、本件事故により受傷し、「右膝打撲、右肘打撲及び頸椎捻挫」の傷病名で守口敬任病院に平成七年一二月二八日から同月二九日まで通院加療し(通院実日数二日間)、吉田病院に同日から平成九年三月一三日まで「外傷性頸部症候群、右肘関節挫傷、右膝関節挫傷、腰部捻挫」の傷病名で通院加療(通院実日数二八四日間)した。
5 反訴原告髙橋は、本件事故により受傷し、「頸椎捻挫、右膝打撲、右腕神経叢損傷(疑)、頭部打撲」の傷病名で平成七年一二月二八日から同月二九日まで守口敬任病院に通院加療(通院実日数二日間)し、吉田病院に同日から平成九年三月一五日まで「外傷性頸部症候群、右肘関節挫傷、右膝関節挫傷、腰部捻挫」の傷病名で通院加療(通院実日数二七七日間)した。
6 反訴被告の支払
(一) 反訴原告瀨尾の損害に対し、二七万七三四〇円を支払った。
(二) 反訴原告髙橋の損害に対し、二九万六五二〇円を支払った。
二 (争点)
傷害の程度、症状固定日、寄与度減額(反訴原告髙橋について私病及び心因性)、収入(反訴原告瀨尾について)及び損害との相当因果関係
第三争点に対する判断
一 前記第二の一の事実、証拠(甲一、二1、2、三1ないし3、四1、2、五1、2、六1、2、七1、2、八1、2、九1、2、一〇1、2、一一1ないし3、一二1、2、一三1、2、一四1、2、一五1、2、一六1、2、一七1、2、一八1、2、一九2、3、二〇、二一、二二、二三1ないし3、二四1、2、二五1ないし3、二六1ないし3、二七1ないし3、二八1ないし3、二九1ないし3、三〇1ないし3、三一1ないし3、三二1ないし3、三三1ないし3、三四1ないし3、三五1ないし3、三六1ないし3、三七1ないし3、三八1ないし3、乙二1、三ないし七、一七、一八、反訴原告瀨尾及び同髙橋各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、右証拠中、右事実に反する部分は採用できない。
1 本件道路は、東西に延びる片道二車線の道路で、最高速度は、時速五〇キロメートルと規制されている。本件事故当時小雨状態で、路面は濡れていた。反訴被告は、本件事故当時、反訴被告車両を運転して本件道路第二車線を西から東へ進行中、前方で信号待ちのため停止している反訴原告車両を発見し、衝突の危険を感じて急制動の措置を取ったのが、車間距離が約一〇・二メートルまで接近していたので、間に合わず反訴被告車両前部を反訴原告車両後部に追突させた。反訴被告車両は右衝突地点から約一・五メートル先で停止し、反訴原告車両は衝突の衝撃で右衝突地点から先に約三・六メートル動いたが、右移動による前方車両との衝突はなかった。
2 反訴原告瀨尾は、反訴原告車両を運転して、本件道路第二車線を西から東へ進行中、信号待ちのために止まって、サイドブレーキを引いて待っていたら、後ろから反訴被告車両に追突され本件事故に遭った。反訴原告瀨尾は本件事故当時シートベルトを着用していた。衝突の衝撃でダッシュボードが開き、反訴原告瀨尾は、シートに後頭部、首、腰を打ったが、ハンドルを握っていたこととシートベルトを着用していたことで頭など体を車両のフロントガラスなどに打つけることはなかった。反訴原告髙橋は、反訴原告車両助手席でシートベルトを着用して背もたれを倒して座っていたところ、後ろから追突された衝撃で、右後頭部をヘッドレストに打ち付け、その他頭、右肩、すね、右くるぶし、足首を打った。
3 反訴原告瀨尾は、本件事故後救急車で守口敬任病院に搬送され、本件事故により、右膝打撲、右肘打撲、頸椎捻挫、外傷性頸部症候群、右肘関節挫傷、右膝関節挫傷及び腰部捻挫の傷害を受け、守口敬任病院に平成七年一二月二八日から同月二九日まで通院加療(通院実日数二日間)したが、通院が大変という理由で、吉田病院に同日から平成九年三月一三日まで通院加療(通院実日数二八四日間)した。病院でのレントゲン検査などの検査では頸椎、腰椎に軽度のOA変化があるほか、異常所見はなく、神経学的にも目立った異常所見は認められなかったが、反訴原告瀨尾は、首、頭及び腰等の痛みなどを訴えていたが、首は事故当初から回った。吉田病院での治療は、当初から専らマイクロ波や牽引など保存療法にとどまった。吉田病院の医師鈴木孝は、平成九年三月一三日に症状が固定したとの後遺障害診断書を作成したが、反訴原告瀨尾の吉田病院での治療は通院当初からあまり変わらず、本人の主たる愁訴及び嘔吐があることの症状も同じであった。反訴原告瀨尾は、「近藤塗装」という屋号で塗装業を営み、本件事故当時、臨時でない従業員を四人使っていたが、自分でも塗装をしていた。反訴原告瀨尾は、平成八年一月一六日ころ、塗装の仕事をしたら痛みが出て仕事を中止せざるを得なかったが、同年三月一五日から仕事に復帰した。反訴原告瀨尾が休んでいる間、従業員は、自己独自の仕事をしていた。反訴原告瀨尾は、平成八年四月一五日、リハビリの先生の指示で三牧接骨院に行き、施術を受けた。
4 反訴原告髙橋は、本件事故後、救急車で守口敬任病院に搬送され、本件事故により外傷性頸部症候群、腰部挫傷、右肘関節挫傷、右膝関節挫傷、頸椎捻挫、右肘打撲、頭部打撲の傷害を受け、平成七年一二月二八日から同月二九日まで守口敬任病院に通院加療(通院実日数二日間)を行い、吉田病院に同日から平成九年三月一五日まで通院加療(通院実日数二七七日間)を受けた。反訴原告髙橋は、病院で首、肩、右腕の痛みを訴え、嘔吐もあり、正月ころから指のしびれも出たが、後記既往症の変化を除けばレントゲンやMRI検査では腰椎に軽度のOA変化があるほか特別な異常は認められなかった。また、本件事故当時から動かすと痛みはあるものの首は動いていた。アレン、スパーリングなどのテストでは右側に神経症状が認められたが、反訴原告髙橋には、本件事故当時、軽度の脊柱管狭窄があり、椎間板ヘルニアのため吉田病院に通院中で、手術の予定もあった状態であった。右手術は現在でもなされていない。また、根性坐骨神経痛の既往障害もあった。吉田病院での治療は、当初から専らマイクロ波や牽引など保存療法にとどまった。吉田病院の医師鈴木孝は、平成九年三月一五日、症状が固定したとの後遺障害診断書を作成したが、反訴原告髙橋の吉田病院での治療は通院当初からあまり変わらず、本人の主たる愁訴なども同じであった。反訴原告髙橋は、平成八年四月一五日、リハビリの先生の指示で三牧接骨院に行き、施術を受けた。反訴原告髙橋は、本件事故当時、離婚して、子供がいたが、施設に預けており、一人暮らしで生活保護を受けて生活してきたが、平成一〇年三月五日から子供と一緒に暮らしている。反訴原告髙橋には母と姉がいたが、平成八年九月に母が、平成九年一二月姉が病死した。反訴原告髙橋は、平成八年八月二八日から外傷性神経症の傷病名で大阪府立中宮病院に通院しているが、そこでは子供の登校拒否の問題等も相談していた。また、反訴原告髙橋は、平成八年九月七日から同月九日まで頸部捻挫の傷病名で高井病院で入院加療(三日間)、平成八年九月九日から同月一三日まで外傷性頸部症候群の傷病名で有澤総合病院で入院加療(五日間)を受けていた。
二1 反訴原告瀨尾について
右によると、本件事故によって反訴原告瀨尾が受けた衝撃はそれほど軽度なものとはいえないが、反訴原告瀨尾の訴える症状は他覚的所見に乏しく(頸椎、腰椎に軽度のOA変化は推測できる。)、吉田病院における治療ももっぱら反訴原告瀨尾の愁訴に応じて継続されたことが窺われること、その治療内容も当初から保存療法にとどまっていることからすると、反訴原告らの受けた前記認定の傷害の程度はそれほど重度なものとはいえなかったと認められる。
右と前記認定の治療経過、就業状況及び他覚的所見の乏しい頸椎捻挫は事故後六月くらいで治癒することが多いことなども総合すると、反訴原告瀨尾が本件事故により受けた傷害は、平成八年三月一五日ころには仕事が可能になる程治っていて、遅くとも同年六月末ころには症状も固定したと認めるのが相当である。
ところで、反訴原告瀨尾の吉田病院医師鈴木孝作成の後遺障害診断書(乙三)の記載中には、症状固定日が平成九年三月一三日とする部分があるが、同病院での反訴原告瀨尾の治療内容は当初から前記のような内容であまり変化がなく、その間に症状の変化があったことも窺われないから、平成九年三月一三日まで症状が固定しないとするのは相当でなく、したがって右部分は採用できない。
2 反訴原告髙橋について
右によると、本件事故によって反訴原告髙橋が受けた衝撃はそれほど軽度なものとはいえないが、反訴原告髙橋の訴える症状は他覚的所見に乏しく(頸椎、腰椎に軽度のOA変化は加齢によるものと推測できる。)、吉田病院における治療ももっぱら反訴原告髙橋の愁訴や嘔吐に応じて継続されたことが窺われること、その治療内容も当初から保存療法にとどまっていることからすると、反訴原告らの受けた前記認定の傷害の程度はそれほど重度なものとはいえなかったと認められる。ただし、衝突時の姿勢や本件事故後長く嘔吐が続いていたなどの症状などからすると、反訴原告瀨尾よりも受けた傷害の程度は重かったと推測できる。
右と前記認定の治療経過や同乗していた反訴原告瀨尾の傷害や症状固定日の比較考慮等を総合すると、反訴原告髙橋が本件事故により受けた傷害は、遅くとも平成八年九月末ころには症状が固定したと認めるのが相当である。
ところで、反訴原告髙橋の吉田病院医師鈴木孝作成の後遺障害診断書(乙四)の記載中には、症状固定日が平成九年三月一五日とする部分があるが、同病院での反訴原告髙橋の治療内容は当初から前記のような内容であまり変化がなく、その間に症状の変化があったことも窺われないから、平成九年三月一五日まで症状が固定しないとするのは相当でないばかりか、反訴原告髙橋本人尋問の結果によれば、吉田病院では、症状と関係なく治療費の支払の関係で後遺障害診断書が作成されたことが窺われるので、その信用性に疑問があることからすると、右後遺障害診断書の症状固定日部分は信用できない。
また、反訴原告髙橋には、本件事故当時、椎間板ヘルニア、根性坐骨神経痛の既存障害があり、しかも、椎間板ヘルニアで手術の予定であったこと、外傷性神経症の傷病名で大阪府立中宮病院に通院しているが、反訴原告髙橋には本件事故後、母や姉の病死や子供も問題等あって、このことが反訴原告髙橋の精神に少なからず影響を及ぼしていたと推測できるので、本件事故後の症状には右を原因とする心因的な影響もあると認めるのが相当である。以上の諸事情から反訴原告髙橋の治療が長引き、損害が拡大した面もあるので、損害の公平な分担の見地から民法七二二条二項を類推適用して、反訴原告髙橋に生じた損害からその一割を控除するのが相当である。
三 反訴原告らの損害
1 反訴原告瀨尾
右を前提にすると、反訴原告瀨尾は、本件事故により次のとおりの損害賠償請求権を取得したと認められる。
(一) 治療費 六九万二八五四円
(反訴原告瀨尾の主張 一五五万四六二九円、既払分を除く。)
甲二2、三2、3、四2、五2、六2、七2、八2、乙八2によれば、反訴原告瀨尾は、守口敬任会病院及び吉田病院の治療費として症状固定日まで合計六九万二八五四円を負担したことが認められる。
なお、反訴原告瀨尾は、三牧接骨院での施術費も本件事故と相当因果関係ある損害と主張するが、反訴原告瀨尾本人尋問の結果によれば、リハビリの先生の指示があったにとどまることが認められ、右先生は医師ではなく、施術師にすぎないと推測できるから右事実から右施術費も本件事故と相当因果関係を認めるには足らず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠がないので、反訴原告瀨尾の右主張は採用できない。
(二) 休業損壊 四四万二六七三円
(原告の主張 一五〇万五七〇八円)
反訴原告瀨尾本人尋問の結果によれば、毎年の確定申告上の収入は年額二〇〇万円くらいであったと認められ、右事実からすると、反訴原告瀨尾の本件事故当時の収入は一日当たり五四(ママ)七九円と認めるのが相当である。なお、反訴原告瀨尾は右年収以上の収入を主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠もないので、右主張は採用できない。そうすると、反訴原告瀨尾は本件事故日の翌日から前記認定の平成八年三月一四日まで七七日間就労できなかったから、次の計算のとおり本件事故による休業損害は四四万二六七三円となる(円未満切捨て、以下同じ。)。
計算式 5,749×77=442,673
(三) 慰藉料 六〇万円
(反訴原告瀨尾の主張 一三五万円)
本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、反訴原告瀨尾が本件事故によって受けた精神的苦痛を慰藉するためには、六〇万円をもってするのが相当である。
2 反訴原告髙橋
右を前提にすると、反訴原告髙橋は、本件事故により次のとおりの損害賠償請求権を取得したと認められる。
(一) 治療費 一〇五万五二五八円
(反訴原告髙橋の主張 一三四万八七一五円、既払分を除く。)
甲一〇2、一一2、3、一二2、一四2、一五2、一六2、一七2、一八2、三一2、三二2、乙一一2、一三ないし一五によれば、原告は、守口敬任会病院、吉田病院、大阪府立中宮病院、高井病院及び有澤総合病院の治療費として症状固定日まで合計一〇五万五二五八円を負担したことが認められる。
なお、反訴原告髙橋は、三牧接骨院での施術費も本件事故と相当因果関係ある損害と主張するが、反訴原告瀨尾本人尋問の結果によれば、リハビリの先生の指示があったにとどまることが認められ、右先生とは医師ではなく、施術師にすぎないと推測できるから右事実から右施術費も本件事故と相当因果関係を認めるには足らず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠がないので、反訴原告髙橋の右主張は採用できない。
(二) 入院雑費 九一〇〇円
(反訴原告髙橋の主張どおり)
弁論の全趣旨によれば、反訴原告髙橋は高井病院及び有澤総合病院入院中の七日間に、一日当たり一三〇〇円を下らない雑費を支出したものと認められるところ、右合計は九一〇〇円となる。
(三) 休業損害 〇円
(反訴原告髙橋の主張 二二〇万五九三三円)
前記認定によれば、反訴原告髙橋は本件事故当時独身の一人暮らしで、子供がいたものの施設に預けており、生活保護で生計を立てていたに過ぎないから休業損害は認められない。なお、乙一八、反訴原告髙橋本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、反訴原告髙橋本人は、本件事故当時、子供を引きとる気持ちを持っていたが、母などの病気のため客観的には困難であったと認められるから、右のような気持ちがあったとしても家庭の主婦とは認め難い。
(四) 慰藉料 八〇万円
(反訴原告髙橋の主張 一四〇万円)
本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、反訴原告髙橋が本件事故によって受けた精神的苦痛を慰藉するためには、八〇万円をもってするのが相当である。
四 結論
以上によると、本件事故による反訴原告瀨尾の損害は、一七三万五五二七円になるところ、前記のとおり、反訴原告瀨尾が反訴被告より支払を受けた二七万七三四〇円を控除すると、残額は一四五万八一八七円となる。
本件の性格及び認容額に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当損害金は反訴原告瀨尾につき一四万円とするのが相当であるから、結局、反訴原告瀨尾は反訴被告に対し、一五九万八一八七円及びうち一四五万八一八七円に対する本件事故の日である平成七年一二月二八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
以上によると、本件事故による反訴原告髙橋の損害は、一八六万四三五八円になるところ、前記のとおり、寄与度減額一割を控除すると、一六七万七九二二円となり、更に反訴原告髙橋が反訴被告より支払を受けた二九万六五二〇円を控除すると、残額は一三八万一四〇二円となる。
本件の性格及び認容額に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当損害金は反訴原告髙橋につき一四万円とするのが相当であるから、結局、反訴原告髙橋は反訴被告に対し、一五二万一四〇二円及びうち一三八万一四〇二円に対する本件事故の日である平成七年一二月二八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 岩崎敏郎)