大阪地方裁判所 平成10年(ワ)4567号 判決 1999年3月12日
甲事件原告(以下「原告」という)
久郷美津江
乙事件原告(以下「原告」という)
奥野浩次
右原告ら訴訟代理人弁護士
田窪五朗
被告
株式会社ディオス
右代表者代表取締役
松井昭夫
右訴訟代理人弁護士
肱岡勇夫
同
平井健志
主文
一 被告は、原告久郷美津江に対し、二九八万六五〇〇円及びこれに対する平成一〇年五月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告奥野浩次に対し、九六万円及びこれに対する平成一〇年四月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを五分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
五 この判決の第一項及び第二項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告らの請求
一 被告は、原告久郷美津江に対し、三六八万六五〇〇円及びこれに対する平成一〇年五月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告奥野浩次に対し、一六六万円及びこれに対する平成一〇年四月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告を退職した原告らが、被告に対し、退職金の支払を求めるとともに、被告が原告らを懲戒解雇すべき理由が全くないのに、原告らに対し懲戒解雇する旨の告知書を交付したうえ、原告らを懲戒解雇した旨記載した書面を被告の取引先に送付するなどして、原告らの名誉及び信用を毀損したことが不法行為に該当するとして、損害賠償の支払を求めた事案である。これに対し、被告は、原告らは在職中から被告と同業種の新会社の設立工作をし、被告従業員の引抜きを行ったのであって、これを理由に懲戒解雇したと主張し、退職金の支払を拒んでいる。
一 前提事実(争いのない事実及び(証拠略)、原告奥野本人及び弁論の全趣旨により明らかに認められる事実)
1 原告久郷美津江(以下「原告久郷」という)は、昭和五四年一一月訴外大津コンピュータ株式会社(以下「大津コンピュータ」という)に雇用され、平成元年一一月二五日同社を退職し、翌一一月二六日被告に雇用され、被告のDE部長の職にあった従業員であり、原告奥野浩次(以下「原告奥野」という)は、昭和六三年一月二〇日大津コンピュータに雇用され、平成元年九月三〇日に同社を退職し、翌一〇月一日に被告に雇用され、被告のシステム推進部課長の職にあった従業員である。
2 原告奥野は平成九年一二月一九日、原告久郷は同月二二日、被告に対しいずれも平成一〇年一月二五日付けで退職する旨の退職届を提出したが、被告は、原告らに対し、平成九年一二月二五日付けで、原告らを懲戒解雇する旨の意思表示をした(以下「本件懲戒解雇」という)。また、被告は、原告らを懲戒解雇した旨明記した平成一〇年一月二〇日付け書面(以下「本件書面」という)を被告の取引先等約三〇社に送付した。
二 争点及び争点に関する当事者の主張
争点は、本件懲戒解雇が有効か否かである。
1 被告の主張(懲戒解雇理由)
(一) 被告の取締役であった中野兼二(以下「中野」という)は、平成九年一〇月三〇日取締役を辞任し、独立して新会社を設立することとなった(その後、中野は、平成一〇年一月一六日、株式会社アエラを設立した)。
(二) そこで、被告は、中野が引抜工作を行うおそれがあると考え、平成九年一一月七日開催の定例経営会議において、原告久郷を含む幹部社員に対し、「中野が新会社を設立する動きがあり、引抜工作が行われる危険があるので、組織の点検をするとともに、部下社員の動きに注意して引抜きなどの動きがあったときには、すぐに連絡すること」を指示した。
(三) しかしながら、原告らは、右指示に反し、次のような行動をとった。
(1) 原告久郷は、平成九年一一月頃から、「日本タクミクス株式会社のための雇用促進事業団への人材高度化能力開発給付金受給資格取得の事務手続のための連絡」と称して週一ないし二回の割合で外勤・直帰を繰り返していたが、これは新会社の設立のために奔走していたものである。
(2) 原告奥野は、平成九年一二月一〇日頃、勤務時間中に、被告の従業員で原告奥野の部下である甲斐一(以下「甲斐」という)を喫茶店に呼び、新会社への移籍を勧誘した。
(3) 原告らは、平成九年一一月二一日に行われた有志による中野の送別会の二次会において、被告の従業員である今井克朗(以下「今井」という)や大津コンピュータの従業員である小山茂樹(以下「小山」という)らに対し、執拗な引抜工作を行った。
(四) 原告らの勧誘工作の結果、被告の従業員である安藤豊及び島津貴仁、大津コンピュータの従業員である小山が退職し、中野の設立した株式会社アエラ(以下「アエラ」という)に入社した。
(五) このような原告らの行為は、職場規律、服務規律に違反するものであり、特に、前記(二)の指示にも反するものであり、職務命令違反行為でもあって、就業規則五条、五六条、五七条に違反する。そこで、被告は、就業規則九九条四項、一三項、一九項及び一〇一条に該当することを理由として、原告らを懲戒解雇した。
退職金規定には、懲戒解雇の場合には退職金を支払わない旨の規定があり(八条)、被告は、原告らに対し退職金を支払うべき義務はない。
2 原告らの主張
(一) 退職金請求について
(1) 被告が、平成九年一一月七日開催の定例経営会議において、「中野が新会社を設立する動きがあり、引抜工作が行われる危険があるので、組織の点検をするとともに、部下社員の動きに注意して引抜きなどの動きがあったときには、すぐに連絡すること」を指示した事実はない。
(2) 被告が懲戒解雇事由として主張する事実は、いずれも憶測を述べたものに過ぎず、本件懲戒解雇は、何ら正当な理由なくされたもので、著しく相当性を欠き、権利の濫用であって無効である。
ア 原告久郷が、日本タクミクス株式会社(以下「日本タクミクス」という)の件と称して新会社の設立のために奔走していたとされる件については、被告の憶測に過ぎず、事実無根である。原告久郷は、日本タクミクスの件に関し、平成九年一一月ころまでの間に三回程度同社に赴き直帰したことがあるだけである。
イ 原告奥野が甲斐に新会社への移籍を勧誘したとされる件については、原告奥野は、甲斐に対し、上司として同人の同僚である丸尾政利へのサポートを指示しただけであって、新会社への移籍を勧誘した事実はない。
ウ 原告らが平成九年一一月二一日に行われた中野の送別会の二次会において被告従業員らに対し引抜工作を行ったとされる件については、原告久郷はそもそも右二次会に参加していないし、原告奥野がかかる引抜工作を行った事実もない。
(3) 被告の退職金規定によれば、退職金の金額は、退職時の本給に勤続年数に応じた係数を乗じた金額であり、自己都合退職による場合は、これに退職金規定六条所定の支給率を乗じた金額である。勤続年数については、原告ら大津コンピュータから被告に移籍した従業員については、大津コンピュータ在籍期間が通算される旨合意が成立している。
したがって、原告久郷の退職金は二六八万六五〇〇円(計算式・一九万九〇〇〇円〔基本給〕×一三・五〔勤続一八年の場合の係数〕)であり(なお、勤続一五年を超える場合は、自己都合退職であっても減額されない)、原告奥野の退職金は、六六万円(計算式・一六万五〇〇〇円〔基本給〕×五〔勤続一〇年の場合の計数〕×〇・八〔自己都合退職の場合の支給率〕)である。
(二) 被告の不法行為について
被告は、合理的な理由がないのに原告らを懲戒解雇したうえ、原告らが在籍していた当時付き合いのあった取引先など三十数社に対し、原告らを懲戒解雇した旨明記した本件書面を送付した。右被告の行為により、原告らは著しい精神的苦痛を被ったうえ、名誉及び信用を毀損され、再就職も著しく困難になった。
したがって、右被告の行為は原告らに対する不法行為を構成し、原告らの被った精神的苦痛及び有形無形の損害は、金銭に見積もってそれぞれ一〇〇万円を下ることはない。
(三) まとめ
よって、原告久郷は、退職金及び不法行為による損害賠償として、三六八万六五〇〇円及びこれに対する退職金について催告書による支払期限が徒過し、かつ、不法行為の後である平成一〇年五月七日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告奥野は、退職金及び不法行為による損害賠償として、一六六万円及びこれに対する退職金の支払期限が徒過し、かつ、不法行為の後である同年四月二六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。
第三争点に対する当裁判所の判断
一 本件懲戒解雇の効力について
1 当事者間に争いのない事実、証拠(略)及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告の取締役であった中野が、独立して新会社を設立するため、平成九年一〇月三〇日取締役を辞任し、平成一〇年一月一六日アエラを設立したこと、平成九月一一月二一日に開催された中野の送別会の二次会に原告奥野が参加したこと、原告奥野は、同年一二月一〇日頃、勤務時間中に、被告の従業員で原告奥野の部下である甲斐を喫茶店に呼び、「会社を辞める。今度新しい会社を作るから良かったら来ないか」と述べたこと、原告奥野は、アエラ設立当初から同社の取締役に就任し、一〇〇万円の出資もしたこと、被告の従業員であった安藤豊及び島津貴仁、大津コンピュータの従業員である小山が退職し、右三名はアエラに入社したこと、原告らは、同年一二月二九日に中野が主催した忘年会及び平成一〇年一月二〇日に開催されたアエラの発足パーティーに参加したこと、原告久郷は、現在に至るまでアエラの役員又は従業員とはなっていないこと、以上の事実が認められる。
2 右事実によれば、原告奥野は、アエラ設立に相当深く関与していたことが推認される(この点につき、アエラ設立への関与を全く否定する原告奥野の供述は信用できない)が、被告を退職した従業員が競合会社を設立することが禁止されているわけではないこと(このことは、被告取締役である(人証略)も認めるところである)からすれば、原告奥野がアエラ設立に深く関与したことは何ら懲戒解雇事由になるものではない。もっとも、競合会社設立に当たり、在職中に社会的相当性を欠くような手段を用いて被告の従業員を引き抜くなどした場合には、被告に対する背信的な行為として、懲戒解雇事由になる余地があるというべきであるが、被告が原告奥野による引抜工作と主張するのは、中野の送別会の二次会への参加及び甲斐の勧誘であるところ、(人証略)によれば、右二次会において原告奥野が具体的な勧誘行為を行った事実はなかったことが認められ、また、(人証略)によれば、原告奥野が甲斐に対して行った勧誘行為は、条件等も示さずに単に良かったら来ないかと述べたのみであって、その後原告奥野が執拗に勧誘を繰り返した事実もないことが認められるから、いずれも懲戒解雇理由になるほど社会的相当性を欠く行為であるとはいえない。
一方、原告久郷については、中野の送別会の二次会にも参加しておらず、アエラ設立への関与の程度も不明であり(被告は、日本タクミクスの業務と称してアエラ設立に奔走していたと主張するが、かかる事実を認めるに足りる証拠はない)、その他被告従業員に対し勧誘行為をしたことを窺わせる証拠はない。(人証略)は、原告久郷の引抜行為等について証言するが、いずれも客観的根拠のない憶測に過ぎないもので、採用できない。
3 被告は、平成九年一一月七日開催の定例経営会議において、原告久郷を含む幹部社員に対し、「中野が新会社を設立する動きがあり、引抜工作が行われる危険があるので、組織の点検をするとともに、部下社員の動きに注意して引抜きなどの動きがあったときには、すぐに連絡すること」を指示したにもかかわらず、原告は右指示に反した旨主張するので、検討する。
この点については、被告の主張に沿う(書証略)(経営会議議事録)が存在する。しかしながら、右議事録は、それまで議事録が作成されていなかった経営会議において突然作成されていること、作成日付も被告の休日である土曜日であることなど不自然な部分があり、また、(人証略)によれば、その原本の保管がどのようにされているのかも曖昧であって、真実経営会議の直後に作成されたものかは疑わしい。また、(人証略)によれば、被告代表者は、当時、中野が退職して独立することをむしろ応援していたことが窺われ、経営会議において引抜工作を警戒してこれに対する対策が指示されたというのもやや不自然である。したがって、右経営会議において、真実被告が主張するような指示がされたのかは疑問である。また、仮にそのような趣旨の指示がされたとしても、前記認定によれば、原告らがこの指示に明らかに違反したといい得るのは、原告奥野が甲斐を勧誘した程度であるが、原告奥野が既に退職を決意し、アエラの設立にかかわっていたことを考慮すると、右勧誘行為は懲戒解雇を正当化するほど重大な業務命令違反であるとは評価できない。
4 したがって、原告らの行為は、被告が主張する懲戒解雇事由(就業規則九九条四号、一三号、一九条)に該当しないか、仮に該当するとしてもその程度は軽微であり、本件懲戒解雇は社会的に著しく相当性を欠き、懲戒権の濫用であって無効というべきである。
二 原告らの退職金の額について
前記のとおり、本件懲戒解雇は無効であり、原告らはいずれも平成一〇年一月二五日付けで自己都合退職したものというべきであるから、被告は原告らに対し、退職金規定所定の退職金を支払うべき義務がある。そして、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告らの勤続年数は大津コンピュータ在籍年数を通算して計算すべきことが認められるから、退職金の額は、原告ら主張のとおり、原告久郷が二六八万六五〇〇円、原告奥野が六六万円である。
また、(書証略)によれば、退職金は退職より三か月以内に支給するものとされていることが認められる。
三 不法行為について
1 被告は、原告らに対し、無効な懲戒解雇を行ったものであるが、(人証略)によれば、被告は、本件懲戒解雇をするに際し、他の被告社員の報告のみに基づき、原告らに事情聴取することもなく、多分に憶測に基づいて安易に懲戒解雇という重大な処分を行ったといわざるを得ないのであって、かかる経緯に鑑みれば、本件懲戒解雇は、原告らに対する不法行為も構成するというべきである。また、被告が、原告らを懲戒解雇した旨記載した本件書面を取引先等約三〇社に送付したことも、原告らの名誉を毀損する不法行為を構成するというべきである。
2 そこで、原告らの損害について検討するに、原告久郷本人、原告奥野本人その他弁論の全趣旨を総合すると、本件懲戒解雇及び懲戒解雇した旨を明記した本件書面の送付により、原告らは相応の精神的苦痛を被り、また、その名誉を毀損されたことを認めることができること、他方、原告奥野は前記のとおりアエラ設立に関与し、その取締役に就任しているのであって、再就職が困難になったという事情は認められず、原告久郷についても、再就職していないのが被告の不法行為が原因であるとまでは認めがたいこと等の事情を考慮すると、その損害額としては、原告らそれぞれにつき三〇万円が相当である。
四 結論
以上の次第で、被告は、原告久郷に対し、退職金として二六八万六五〇〇円及び不法行為に基づく損害賠償として三〇万円の合計二九八万六五〇〇円、原告奥野に対し、退職金として六六万円及び不法行為に基づく損害賠償として三〇万円の合計九六万円を支払う義務がある。
(裁判官 谷口安史)