大阪地方裁判所 平成12年(ヨ)10079号 決定 2000年9月29日
債権者
三井物産株式会社
右代表者代表取締役
中川一已
債権者代理人弁護士
中川克己
竹林節治
畑守人
福島正
松下守男
竹林竜太郎
木村一成
債務者
崎本泰江
主文
一 債務者は,別紙物件目録記載の「大阪三井物産ビル」22階所在の債権者関西支社審査部及び業務部の執務場所(別紙図面<略>(一)赤線囲み部分)に立ち入ってはならない。
二 申立費用は債務者の負担とする。
理由
第一申立て
主文と同旨
第二事案の概要
本件は,債権者が,債務者に対し,解雇の意思表示をしてその就業を拒否し,執務場所への立入を拒絶しているにもかかわらず,債務者が来社しては執務場所に無断で立ち入り業務への支障を生じさせているなどと主張し,立入禁止の仮処分命令を求めた事案である。
一 前提事実(争いのない事実及び証拠上明らかな事実)
1 債権者は,資本金1924億余円,従業員数7000枚(ママ)を擁する総合商社であり,別紙物件目録記載の建物(以下「本件ビル」という。)を株式会社竹中工務店とで共有し,本件ビル18階ないし22階部分に関西支社の各部署を配置し使用し管理している。
債務者は,昭和40年4月1日,債権者大阪支店(昭和62年4月の機構改組により現在の関西支社となった。)に採用され,経理部を経て昭和45年4月から審査部配属となった。債務者が勤務していた審査部は本件ビル22階に配置されている。
2 債権者は,平成12年4月27日,債務者に対し解雇の意思表示をした(以下「本件解雇」をいう)。
これに対し,債務者は,解雇通知書及び解雇予告手当の受領を拒否し,同年5月27日付で解雇に同意できず,社員としての取扱いを求める旨記載した内容証明郵便を債権者に送付した。
債務者は,同年5月1日以降も,ほぼ連日,債権者関西支社を訪れ,審査部に毎朝挨拶するなどしている。
二 当事者の主張と主要な争点
債権者は,被保全権利として,本件ビルの所有権又は占有権に基づき,無権限者が本件ビル18階ないし22階部分へ立ち入るのを排除し将来の立入を予防する請求権を有するところ,債務者は債権者の拒絶を無視し連日来社しては審査部及び業務部が配置されている執務場所(別紙図面(一)の赤線囲み部分)に出入りし,打ち合わせ机を占拠するなどしているが,<1>債務者は本件解雇により債権者の従業員たる地位を失い,本件ビルへ立ち入る何らの権限をも有しなくなったし,<2>仮に本件解雇が無効であったとしても,労働者には就労請求権はなく,したがって債務者が債権者の施設へ無許可で立ち入ることは許されないものであり,債務者の立入行為は不法侵入,不法占有であるから,債権者は,債務者に対し,右執務場所へ立ち入らないよう求める請求権を有する旨主張し,さらに保全の必要性についても,債務者の不法侵入,不法占拠のため,打ち合わせ場所が使用できず,審査部内に異様な緊張感が漂い,また,債務者との対応や機密保持のための対処を迫られるなどの業務上の支障が出ている等と主張している。
これに対し,債務者は,本件解雇は,内規等に定める公正,公平な手続を遵守したものではなく手続的にも違法であるうえ,解雇の正当理由を欠くものであって無効であり,就労請求権を含む社員としての権利を有しているし,保全の必要もないなどと主張している。
本件では,債権者が,債務者に対し,債権者関西支社審査部及び業務部の執務場所への立ち入らないよう求める権利を有するか(換言すれば,債務者が右執務場所に立ち入る権限を有するか否か)が被保全権利に関わる主要な争点であり,被保全権利が認められる場合には,さらに保全の必要性も争点となる。
当事者の主張の詳細については,本件申立書,答弁書,債権者提出の第一主張書面,債務者提出の平成12年8月10日付準備書面,同月25日付準備書面(三)の各記載を引用する。
第三主要な争点に対する判断
一 被保全権利
(一) 疎明資料及び審尋の全趣旨によれば以下の事実が一応認められる。
(1) 債権者の就業規則(平成11年7月1日改正)には,従業員の解雇に関する次の規程がある。
「第18条 次の各号の一に該当するときは会社は30日前までにその旨を予告するか,または解雇予告手当を支給して従業員を解雇することができる。
ただし,第3号に該当する場合会社は別に定める内規に従って委員会の意見を微して決定しなければならない。
(中略)
3 長期にわたり著しい非能率,組織不適応,労働意欲の欠如等により会社の業務遂行に支障をきたし将来もその職掌に見合う業務を果たすことが期待しえないと認めざるをえないとき。
(後略)」
また,右規定に基づき,右同日制定の別紙「就業規則第18条第3号適用に関する内規」(以下「18条内規」という。)が定められている。
(2) 債務者は,債権者から,平成9年8月ころ,特命業務として,過去5か年の倒産分析等の報告を命じられ,さらに平成11年5月ころ,重ねて右倒産分析の報告を命じられるとともに,これに加えて不良債権の貸倒れ等にかかわる税務問題の分析とマニュアル作成を命じられたが,これらの業務は使用目的もなく,公正,公平を欠く業務分担であるなどを理由にその遂行を拒否した。債権者は書面で再三厳重注意を行うなどしたが,債務者がこれに従うことはなかた(ママ)。
また,債権者が平成9年6月ころ審査部の部内事務職宛てに取引先ファイルキャビネットの整理を指示したことに対しても,債務者は,再三にわたる書面での厳重注意等にもかかわらず,右業務等を遂行しなかった。
さらに,債権者では,関西支社の新社屋建替のため平成7年11月に他ビルへ仮移転した際,それに伴う通勤緩和のための措置として出退勤時刻の弾力的運用がなされたことがあり,このとき,債務者は本来午前9時15分始業のところを午前9時に出勤し,午後5時30分終業のところを午後5時15分に退勤することにしていたが,右弾力的運用の措置が平成9年12月末をもって終了したにもかかわらず,その後も既得権と称し,午後5時15分に退勤し続け,債権者から無許可早退になるなどとして再三にわたる書面による厳重注意を受けた。
そのほかにも,債務者は,債権者から,平成11年10月8日,私用電話,私用ファックスについて書面注意を受け,平成12年3月31日,私用文書の大量コピーについて書面による厳重注意を受けた。
(3) 右のような債務者の勤務状況に対し,債権者は,18条内規に基づき,平成12年1月27日,同年2月1日付での経理部への指導観察のための配置転換を命じたが,債務者がこれを拒否した。そこで,債権者は,同内規に基づき,同年2月26日以降,数度の(ママ)わたって退職勧奨を行ったが,債務者はこれも拒否した。
このため,債権者は同年3月17日,18条内規に基づき,同条に規定する委員会(以下「18条委員会」という。)への出席とそれまでの休職を命じた。
債務者は,同年3月27日,債権者に対し,「職掌転換の件」と題する書面を提出して,これまでの債務者の実績が評価されていないこと,従前債務者が行っていた業務から一方的にはずされたこと,約定に反して右業務へ戻して貰えないことなどの不当,不満を訴えるととと(ママ)もに,右倒産推移等の分析報告という特命業務を行わなかったこと,早時退勤していたことについての弁明などを行い,旧一般職への職掌転換を求めた。
債権者では,右「職掌転換の件」が提出されたことから,論点整理のため,債務者の上司である審査部長にその反論をまとめるよう指示し,同年4月3日,審査部長後藤から,債権者に対し「関西支社審査部崎本泰江(BS群Bコース)のこと」と題する反論書が提出された。
同年4月6日に開催された18条委員会は,業務部長大橋が委員長となり,経理部長小野,文書部長村山,関西支社業務部長松本,関西支社経理部長鳩山が委員となって構成され(債務者所属の総括部長は審査部長である後藤であるが,同人は債務者が不当,不満を訴える当事者であり,公平を期して18条委員会の委員からはずされた),あらかじめ債務者や審査部長後藤から提出されていた右各書面等をもとに,審査部長後藤,債務者の順で事実確認等の事情聴取を行い,審理した結果,同月21日,解雇を至当とする意見を答申した。
これを受けて,債権者は,債務者を解雇することとし,同月27日,右(3)の事実を主たる解雇理由として就業規則18条3号該当を理由に債務者に対し本件解雇を通告した。解雇予告手当は債務者がその受領を拒否したため,翌28日,債務者の給与振込口座に振込送金した。
(4) 本件ビル22階には別紙図面(一)記載のとおり,審査部及び業務部が配置されている。
債権者は,本件解雇後債務者が使用していた机を撤去したが,債務者は,平成12年5月1日,社員の出社時刻である午前9時すぎころ,出社と称して審査部の執務場所に立ち入り,入り口付近に設置されていた打ち合わせ場所(机,椅子を設置し,三方をついたてで囲んだもの)の1つ(別紙図面(一)の<1>)を占拠し,債権者が即時退去を要求する警告書を発したにもかかわらず,社員の退社時刻である午後5時30分ころまで,読書するなどして右打ち合せ場所を占拠し続けた。その後も,ほぼ連日,債務者の立入りと右打ち合わせ場所の占拠が続くため,債権者では同月10日,右打ち合わせ場所を撤去し,警備員1名を22階のフロア(別紙図面(一)の<3>)に配置して,債務者が右執務場所内に立ち入らないよう説得させることにしたが,同日午前9時すぎころ来社した債務者は警備員の制止をきかず審査部の執務場所に立ち入り,審査部第一審査室室長に,出社の挨拶をし,執務部に隣接する業務部の打ち合わせ場所(別紙図面(一)の<2>)を占拠した。その後,ほぼ連日この状態が繰り返されている。
この間,債権者は,口頭及び警告書を発するなどして,重ねがさね即時退去を要求している。また,警備員による説得は効果がないため同年5月末をもって一旦その配置を解除したが,その後も債務者の立入りや打ち合わせ場所の占拠はやむ見込がなく,同年7月12日以降,業務部の入口(別紙図面(一)の<4>)を閉鎖したうえ,毎朝午前9時から9時30分までから右エレベーターフロアに警備員2名を配置し,審査部及び業務部の社員数名の立会のもとで債務者の審査部執務場所への立入りを阻止するという措置をとった。しかるに,かかる措置も債務者が警備員のいなくなるのを待って立ち入るため効果はなく,来訪客への配慮もあって同月18日で打ち切り,その後は断続的に警備員配置を行うに止まっている。さらに,昼休み時間には債務者が社内文書を閲読したり持出したりすることへの懸念から社員が交代で昼休みをとることとしている。
(二) 右認定事実に対し,債務者は,債権者が主張する18条内規(<証拠略>)は,制定日付が遡らせてあり,本件解雇時に効力を有していたのは昭和57年8月26日制定にかかる内規(<証拠略>)であると主張するが,平成11年7月1日に社員の職掌等に関する就業規則が改正されており(争いがない),これに合わせて内規も改正されたものと認められ,債務者との訴訟対策のために債権者がわざわざ制定日付を遡及させた虚偽の内規を提出しているとは考え難く,債務者の右主張は採用できない。また,債務者は,審査部長が提出したとされる右反論書も日付が遡らせてあり,18条委員会にはかかる書面は提出されていないなどとも主張するが,根拠のない主張であり採用できない。
他に,右認定を左右するに足る証拠はない。
(三) そこで右認定事実によって判断する。
もともと,雇用関係が継続している場合であっても,使用者は,企業施設の占有管理権を有するから,労働者に企業施設への立入りを許諾するか否かは本来使用者の自由になし得るところであり,労働者には一般に労務の提供に必要な限りにおいて企業施設への立入りが許されているが,それは,使用者の包括的な許諾があることによると解される。これに対し,債務者は,労働者には就労請求権が認められるべきであると主張するが,労務の提供は義務であって権利ではないから,労働契約等に特段の定めがある場合等を除いて,労働者は使用者に対し就労請求権を有するものではなく,使用者は労働者の提供する労務の受領を拒否することができると解する。したがって,たとえ労務の提供のためであったとしても,使用者の拒絶が明らかな場合に,これに反して労働者が企業施設に立ち入ることは原則として許されないというべきである。
債務者は,本件解雇に関して,右のとおり,有効な18条内規に基づくものではないとか審査部長の反論書は作成されていなかったと主張するが,それらの主張が採用できないことは右に述べたとおりである。
また,関西支社関係者が多数出席するなどしており,18条委員会の構成が公正,公平でないなどとも主張するが,関係証拠によれば,18条委員会を構成したのは右認定の5名にすぎず,その他は録取等のために立会したに過ぎないと認められるし,債務者の上司たる審査部長が構成から外されたのは同人が事情聴取を受ける立場にあったためであってその措置が不当とはいえず,その他の委員は右平成11年7月1日付内規に適合する者であるから,格別その構成が公正,公平を欠くとも認められず,これに関する債務者の右主張も採用できない。
本件解雇は,右認定のとおり,就業規則等に定める手続をも履践したうえでなされており,主たる解雇理由とされた事実も概ね認めることができるのであってその意思表示にはこれを不存在又は明白に無効と認めなければならないような重大な瑕疵は認められず,一応は適法というべきであるし,債権者は,その後も,債務者の立入りに対し再三退去を求めるなどしているのであるから,債権者が債務者の提供する労務の受領を拒否していることは明らかである。これに対し,債務者は本件解雇の不当性を縷々主張するなどしてその効力を争っているが,本件解雇の有効性に関する紛争は,別途,地位確認ないし賃金請求の訴えを提起するなどして解決すべきであり,債権者及び債務者間の労働契約には債務者の就労請求権を肯定すべき特段の定めや事情は認められず,したがって,債務者は自ら提供する労務の受領を債権者に強いることはできないのであって,右の明示の拒絶に反して債権者の企業施設に立ち入ることは許されないというほかない。
にもかかわらず,債務者は,債権者の拒絶を無視して,審査部や業務部の執務場所に立ち入り,打ち合わせ場所を占拠するなどしているのであるから,右債務者の立入りは違法であり,債権者は,債務者に対し,企業施設の占有管理権に基づき,右執務場所に立ち入らないよう求める権利を有するというべきである。
以上によれば,被保全権利については疎明があると認められる。
二 保全の必要性
債務者は,前記認定のとおり,本件解雇後,その効力を争ってほぼ連日出勤と称しては債権者の審査部あるいは業務部に立ち入り,打ち合わせ場所を占拠するなどしているのであるが,労使関係の紛争当事者が連日もとの執務場所への違法な立入りを強行するということはまことに異常な事態というべきであって,かかる実力行使が同部署の社員らに不要な緊張を与えるなどして,その職務への専念の妨げとなっていることは合理的に推認できるのみならず,債権者には,入室阻止のための警備員の配置による経済的損失も生じているし,業務部の打ち合わせ場所が債務者の占拠により使用できなくなっていること,債務者の入室阻止立会のため,債務者に対する退去要求と説得のため,さらに機密保持のため他の社員の動員を余儀なくされるなどの業務上の支障も生じている。
他方,これらの執務場所への立入りを禁じることによって債務者に何らかの損害等が生じるものとは考えられない。
以上によれば,保全の必要性についても疎明があると認められる。
三 よって,本件申立ては理由があり,右申立てを認容することによって債務者には経済的損失が発生するとは考えられないので担保を立てさせることなく認容することとし,主文のとおり決定する。
(裁判官 松尾嘉倫)
物件目録
一,所在 大阪市北区中之島2丁目<以下略>
一,家屋番号 <略>
一,種類 事務所・店舗・駐車場
一,構造 鉄骨,鉄骨鉄筋コンクリート・鉄筋コンクリート造陸屋根地下4階付23階建
一,床面積 <略>