大阪地方裁判所 平成12年(ワ)2173号 判決 2001年11月09日
原告
甲野花子
同訴訟代理人弁護士
杉谷喜代
杉谷義文
被告
アジア航測株式会社
同代表者代表取締役
関野旭
同訴訟代理人弁護士
河本毅
宇田川昌敏
福吉貞人
被告
乙原一郎
同訴訟代理人弁護士
若松巌
主文
1 原告と被告アジア航測株式会社との間において,原告が同被告に対する雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告らは原告に対し,各自254万3418円及びこれに対する平成9年3月5日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員の支払をせよ。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用はこれを3分し,その1を被告らの,その余を原告の負担とする
5 この判決は,2項に限り,仮に執行することができる。
事実
第1申立て
1 原告
(1) 原告と被告アジア航測株式会社との間において,原告が同被告に対する雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
(2) 被告アジア航測株式会社は,原告に対し,平成9年7月1日から本判決確定に至るまで,毎月末日限り,各34万円の支払をせよ。
(3) 被告らは原告に対し,各自911万4799円及びこれに対する平成9年3月5日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員の支払をせよ。
(4) 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに第(3)項について仮執行の宣言を求める。
2 被告ら
(1) 原告の請求をいずれも棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
第2主張
1 原告の請求原因
(1) 当事者
被告アジア航測株式会社(以下「被告会社」という。)は,航空機による写真撮影等を目的とする会社である。
原告は,昭和42年4月13日生まれの女性であり,平成3年4月1日,被告会社に雇用され,平成9年3月には,大阪府吹田市江坂町所在の関西生産技術部設計部地域計画課に勤務していた者である。
被告乙原一郎(以下「被告乙原」という。)は,昭和42年7月7日生まれの男性で,大学卒業後,他社に勤務した後,平成7年8月に被告会社に雇用され,平成9年3月には,原告と同じく関西生産技術部設計部地域計画課に勤務していた者である。
(2) 被告らの不法行為責任
ア 被告乙原の不法行為
被告乙原は,平成9年3月4日午後1時30分ころ,被告会社の関西生産技術部設計部執務室ミーティングルームにおいて,原告からパソコン用印刷機のカートリッジ注文方法について説明を受けていた際,突如激昂して,原告に対し,右手拳骨で原告の左顔面を1回殴打し,原告に顔面挫創,頸部兼腰部捻挫,頭部外傷の傷害を負わせた。
原告は,現時点においても,頸部及び腰部痛,手のしびれ,右顎関節痛,頸のこむらがえり,めまい等の症状があり,なお治療中である。
イ 被告会社の使用者責任
被告乙原の暴行は,被告会社の業務の執行についてされたものであるから,被告会社は,被告乙原の使用者として,被告乙原の暴行について責任を負う。
また,被告会社には,事件が大きくならないうちに,いち早く両者の円満解決という形で終息させようとするあまり,上記暴行の当日,手当もせず仕事を継続させ,翌日は出張に行かせて,初期手当を遅らせ,原告の病状を悪化させたという責任もある。
ウ 損害
(ア) 治療費327万4599円
(イ) 交通費84万0200円
(ウ) 慰謝料500万円
(3) 休業中の賃金支払約束
被告会社は,平成9年3月14日から同年4月16日までの間に,原告に対し,前記暴行による原告の傷害が完治するまで出勤扱いにして賃金を全額支払う旨約した。
(4) 被告会社の解雇権濫用
ア 解雇の意思表示
被告会社は,原告に対し,平成11年8月31日をもって解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)をし,同意思表示は,同月28日,原告に到達した。
イ 解雇権の濫用
しかし,本件解雇は,原告の休業については被告会社に責任があり,被告会社は完治するまで出勤扱いにすると述べていたにもかかわらず,賃金の支払を停止しており,その上で解雇に及んだのは不当であり,解雇権の濫用である。
また,原告は,業務上負傷した者で,本件解雇時なお治療中であったから,本件解雇は,労働基準法19条に違反し,効力がない。
ウ 未払賃金
原告の賃金は,平成9年3月当時,1か月34万円であった。
2 請求原因に対する被告らの認否(ただし,請求原因(3)(4)については,被告会社のみ)
(1) 請求原因(1)の事実は認める。
(2) 同(2)の事実については,被告乙原が原告の顔面を1回殴打したことは認めるが,その余の事実は否認する。殴打は,平手でされたもので,強度のものではなく,原告主張のような傷害が生じた事実はない。
(3) 同(3)の事実は否認する。ただし,被告会社が,同年4月9日ころ,当面出勤扱いにする旨述べたことはあるが,これは完治するまでという趣旨ではない。
(4) 同(4)の事実については,被告会社が本件解雇の意思表示をしたことは認めるが,その余の事実は否認する。原告には次の解雇事由があり,本件解雇には合理的理由がある。
すなわち,原告は,平成9年3月14日以降,正当理由なく職場離脱をし,以後長期欠勤を続けた。
更に,原告は,同月4日の被告乙原との喧嘩抗争について,当日,円満に解決したにもかかわらず,その後,頸椎等に原告主張の症状が生じ,これが悪化したと称して,長期欠勤した以外に,被告会社に多数の診断書を送付し,自ら又はその両親或いはTをして,面会を強要し,強談威迫の行動を行い,電話をしたり,書面を送付して,被告会社の業務を混乱させた。また,労災申請手続に協力するよう強要し,実際に,申請し,被告会社を労働基準監督署の事情聴取に応じさせ,被告会社の業務を混乱させた。更に,被告乙原を刑事告訴し,被告会社等にその取調べに応じさせ,被告会社の業務を混乱させる等した。これは,被告会社の就業規則第85条第1号「職務を著しく怠った者」及び同条第4号前段「その他不都合な行為があったとき」に該当する。
しかるに,被告会社は,当初においては,原告の反省悔悟を期待して,その言動を黙認し,あるいは当面出勤扱いとし,さらに休職扱いとするなどし,原告及びその両親の心情にも配慮するなど誠心誠意対応し,尽くすべきところを尽くし,円満解決を図ってきたが,原告は性懲りもなく筋違いの主張や言動を繰り返すなど,自己の不法,不当な主張に固執してきた。被告会社は,ここに至り,やむなく原告との円満解決を断念し,平成11年8月23日の常務会において,原告の解雇を決定したものである。そして,解雇理由については,上記のとおり,就業規則第86条第3号の懲戒解雇事由に該当するが,諸般の事情を考慮し,第19条第2号「著しく職務怠慢か又は職務成績劣悪でその他会社又は同僚の迷惑となる時」を適用した。
従って,本件解雇は,手続上も尽くすべきところを尽くし終えたものといえ,極めて合理的なものである。
また,被告乙原の行為は,業務上のものではなく,労働基準法19条の適用はない。
3 被告らの抗弁
原告と被告乙原とは,平成9年3月4日,被告会社大阪支店応接室において,原告に怪我がなかったことを確認した上で,金銭請求を一切しないことで,和解を成立させた。
また,設計部長Aが,双方の非を認め,設計部の従業員全員の前で和解したことを表明することを提案し,原告及び被告乙原はこれを了承し,同月5日,Aにおいて,設計部執務室に設計部の従業員全員を集め,原告及び被告乙原が全員の前に立った状況で,原告及び被告乙原の間で暴行事件が発生したこと及びその後示談が成立した旨を説明し,その席上原告及び被告乙原は,全員の前で,騒ぎを起こしたこと並びに和解成立の事実を示す意味で,従業員に対し頭を下げた。以上の次第で,原告と被告乙原との間で,相互に何らの請求をしないことで示談が成立した。
4 抗弁に対する原告の認否
抗弁事実は否認する。原告と被告乙原との間で和解や示談が成立したことはない。
理由
1 当事者
請求原因(1)の事実は当事者間に争いがない。
2 不法行為について
(1) (証拠・人証略)によれば,次のとおり認めることができる。
原告が勤務する被告会社の関西生産技術部設計部地域計画課においては,従業員が使用する印刷機の消耗品の注文は従業員が持ち回りで担当していたが,厳密な決め方はされていなかった。原告は,平成9年3月4日午後1時15分ころ,設計課のBが,Cに対して印刷機のトナーのカートリッジ交換を申し出た際,Cに,新しいカートリッジを注文すべき旨を述べたが,これに対し,Cが消耗品注文の担当は被告乙原に替わったと答えたことから,原告は,被告乙原に対し,「乙原さん,カートリッジを1つ注文してください。」と命令口調で告げた。被告乙原は,担当になった意識がなかったうえ,原告が日頃から口うるさく,その意見を押し付ける口調には反感を持っていたので,横柄に,2,3個注文すると告げた。原告は,これを聞き,被告会社全体のことを考えない無責任な態度であると思い,「2つも3つも一度に買ったら置く場所がないし,値段も高くつく。」などと言ったが,被告乙原が「それだけ分かっているのならあんたがやればいいじゃないか。」と答えたことから,被告乙原について,入社して1,2年の新米社員で,仕事もできないと思っていたことから,腹を立てて「担当も決まっているし,注文の仕事も覚えなあかんでしょ。」と言い返し,これに被告乙原が「いつもいつも指図するな。」と応じて口論となった。その後,課員から,別室で話し合えと言われ,原告は,被告乙原を,同設計部執務室ミーティングルームに誘った。原告と被告乙原は,同室において,机を挟んで立ち,被告乙原において「あんたはいつも指図する。俺は女に指図されるのはきらいなんや。」等と言い,原告は,「指図はしていない。」と答えていたが,その後,被告乙原が「暇があるんやったらお前がやれ。」と怒鳴ったことから,当時,多忙な状況にあった原告は,一層腹を立てて「誰が暇あるんや」と怒鳴り返し,これに激高した被告乙原が右平手で原告の左顔面を1回殴打した。これによって,原告のめがねが飛び,つるが曲がったが,原告はよろけただけで倒れはしなかった。被告乙原は,原告をさらに殴打しようとしたが,Cがひき止め,他の課員が来て,原告と被告乙原は引き離された。
以上のとおり,認めることができる。原告本人は,拳骨で殴打されたと述べ,かつその旨陳述書に記載するが,他方,平手では原告が受けたような症状にはならないとか,平手であれば空手の手刀拳であると述べるところからも,その供述や記述は推測によるものといわざるを得ないし,上記暴行の現場に居合わせたCの供述(<証拠略>)では,殴打したとき「パチン」と音がしたというのであって,これに被告乙原本人の供述を併せて考慮すれば,被告乙原は原告を平手で殴打したと認めるのを相当とする。
また,原告本人は,殴られて倒れ,失神したと述べるが,この点における原告本人の供述自体が曖昧である上,Cの供述(<証拠略>)に照らし,採用することはできない。
他方,被告乙原本人は,その平手打ちを原告が顔を背けて避けたので,それほど強度のものではなく,これによって負傷したとは考えられない旨述べるが,前述のとおり,暴行時,原告がよろけたこと,殴打された原告の顔面が赤く腫れていたこと,めがねが飛び,そのつるが曲がっていたことが認められ,これらによれば,被告乙原の暴行は相当強度のものであったと認めることができる。そして,上記認定を覆すに足りる証拠はない。
(2) 原告の負傷については,(証拠・人証略)によれば,次のとおり,認めることができ,これを覆すに足りる証拠はない。
原告は,被告乙原から上記暴行を受けて後,左眼の下あたりが赤く腫れ,殴打による痛みがあったが,患部を冷やすなどして仕事を続け,その後,夕刻から頭痛があったものの,鎮痛剤を飲んで午後9時ころまで残業し,翌日も,頭痛を鎮痛剤で抑え,午前9時20分ころに被告会社に出勤し,東京に出張して,午後11時を過ぎて帰宅した。そして,同月6日になって,被告会社を休んでU外科で診察を受けた。原告は,同医院では,医師Jの診察を受けたが,その結果は,殴打された部位に圧痛と腫れがあり,ホフマン反射は左右マイナスで,神経症状は認められなかったものの,顔面挫創,頸部捻挫により約1週間の通院治療を要するとの診断であり,鎮痛抗消炎剤等の投薬を受けた。原告は,その後も頭痛等を訴えて同医院に通院し,同月7日には,圧痛部が左眼上部に広がったと訴え,頸部カラーの装着を受けた。原告は,同月21日ころには,頭痛のほか,頸部,顎関節に激しい痛みを感じ,被告乙原から受けた暴行のことを考えると体や手がぶるぶると震え出し,呼吸がしにくくなり,ときにひきつけ症状を起こすようになった。同医院では,同月22日には,同医師によって,同症病名で,今後約1週間の通院治療を要する見込みと診断している。原告は,同月下旬ころから,腰部痛をも訴えるようになり,同年5月12日のU外科では,顔面挫創,頸部捻挫に加え,頭部外傷,メニエル氏病と診断され,その後,同年7月30日には,顔面挫創,頸部捻挫,頭部外傷との診断,同年10月17日には,顔面挫創,頸部捻挫,頭部外傷に加え,腰部捻挫の診断がされている。原告は,その後現在まで,U外科に通院し,平成11年8月17日には,傷病名を,顔面挫創,頸部捻挫,頭部外傷,腰部捻挫とし,頸部腰部痛,手のしびれ,右顎関節痛,頸のこむらがえり,めまい等の症状ありとする診断がされている。
原告は,U外科に通院する一方で,他の病院や医院で診察を受け,平成9年3月28日には,大阪府立病院歯科口腔外科において,顎関節症,咬合異常と診断され,同年4月10日には,K病院脳神経外科において,頭部外傷Ⅰ型後,頸椎捻挫,頸性頭痛,右上肢連動,知覚障害により,向後約2週間の休業加療を要すると診断されている。
(3) ところで,被告らは,上記暴行事件については,和解が成立していると主張するので,検討するに,(証拠・人証略)によれば,次のとおり,認めることができる。
原告は,上記暴行事件後,総務経理部課長Dから被告乙原が被告会社を辞めると言っている旨を聞き,被告乙原の退職に反対し,穏便な措置を求めたこと,その後,被告会社が中に入って仲直りをするということになり,同日午後6時ころ,被告会社大阪支店応接室において,A,D,被告乙原,原告が集まり,Aから,仲直りを求められ,原告はこれに,よろしくお願いしますと答え,被告乙原は,殴って済みませんでしたと謝り,次いで,これからも仕事を教えて頂かなければいけないのでよろしくお願いしますと言い,翌日,Aにおいて,従業員に円満解決を報告することになった。そして,同月5日,設計部の従業員の前で,Aから解決したことの報告があり,原告は,これに立ち会って,異議を述べなかった。ただ,原告は,その席で,従業員としての立場と個人としての立場は違うという意識があったが,この点は,被告らに十分に伝わらず,被告乙原は,これで全く解決したと考えていた。一方,原告は,その直後から,被告乙原の暴行による痛みが続いていることもあって,同被告に穏便な措置を求めたことを悔やむようになり,被告乙原に謝罪を要求するようになり,原告の症状が悪化するに従って,その思いはさらに強まった。
以上のとおり,認めることができる。これによれば,原告と被告乙原とは,一旦仲直りをしたことが認められるのであるが,その当時,原告自身,傷害については,顔面が赤く腫れていることと痛みがあると言(ママ)う程度の認識であり,治療が長引くという予測はなく,被告らにおいては,原告に傷害が生じたという認識もなかったのであり,上記応接室における仲直りの席でも,傷害に対する損害賠償のことは話題になっていなかったものであるから,上記,暴行当日の仲直り及びその翌日の解決の報告をもって,損害賠償請求を全くしないことを内容とする和解であるとすることはできない。従って,被告乙原は,その暴行により原告に生じた相当因果関係の範囲内の損害については,その賠償責任を免れない。
(4) そこで,損害について検討するに,原告は,前述のとおり,同月6日,U外科において,顔面挫創,頸部捻挫との診断を受けた。被告乙原の上記暴行が相当強度のものであったことは前述のとおりであり,原告に暴行の当日から痛みが続いており,他に,原告が傷害を受けたような事情がないことからすれば,原告に生じた顔面挫創及び頸部捻挫が被告乙原の暴行によって生じたものであることは,これを認めることができ,これを覆すに足りる証拠はない。
ところで,原告は,その後,症状が悪化したと主張し,顔面挫創及び頸部捻挫による治療を続けるほか,頭部打撲,メニエル氏病,腰部捻挫,顎関節症についても,被告乙原の上記暴行によるものと主張する。
そこで,上記暴行事件以降の推移を検討するに,(証拠・人証略)によれば,次のとおり,認めることができる。
ア 原告は,前述のとおり,上記暴行事件当日仲直りをしてから,被告乙原に穏便な措置を求めたことを悔やんでいたが,被告乙原には,被告会社から処分がされるであろうと考えて自分を慰めていた。その後,頭痛が激しくなって,平成9年3月6日から勤務を休み,U外科において通院治療を受け始めたが,同月8日には,出社して,被告会社に同月6日付けの診断書を提出するとともに,Dと面談し,その際に,被告乙原の謝罪を要求するなどした。その後,Aは,事前に連絡したうえで,同月14日,被告乙原を謝罪させるため同道して原告方に赴いたが,原告は不在であった。原告は,同月21日,仕事の引継ぎの関係もあって,被告会社に行ったが,その際,被告乙原が原告に笑いかけたことから,同被告に対する憤りの気持ちを強め,被告乙原に処分を加えない被告会社に対しても不満を持つに至った。そして,このころから被告乙原の暴行事件のことを考えると体や手がぶるぶると震え出すようになった。同月23日には,弟から,拳法の殴り方の話を聞くなどして被害者意識を強めるようになった。原告は,同月25日には,U外科の医師Uから,日ごとに症状が悪化するのは気によるものだと言われ,そのとき同医師から上司に心の怪我を取り除く必要があることを説明すると言われ,被告会社に電話して,Aに医師Uとの面談を求めた。そこで,A及び設計部技師長Eは,同医師に面会したが,同医師から,外科的にはほぼ完治しているが,精神的なダメージがあるので,被告会社としてはその点を考慮すべきである旨を告げられ,原告には,早く元気になるようにとの話をして引き上げた。その後,原告は,頸部痛のほか腰部痛や顎関節の痛みを訴え,同月28日には,大阪府立病院で診察を受けた。同年4月3日は,雨天であったが,頸部痛が激しく,その中で,被告会社が何もしてくれないと,同被告やAに対する不信感を強めていった。
イ 一方で,被告会社は,Uの話を聞いて,原告の訴える症状が外傷性のものではなく,心因性のものであり,長期化の可能性があると認識するに至り,その上で,被告乙原には,治療費等を負担させて示談させる方向で仲介する等の方針を決め,同年4月9日には,取締役Fが原告に面会した。そして,原告の意向を聞き,被告乙原に謝らせることや当面出勤扱いにすること等を告げたが,その際,原告は,Fの言葉から,被告会社が原告の欠勤を被告乙原に対する意地からであると思っているように感じ取り,被告会社に対する不信感を強めた。そして,同月10日には,K病院脳外科の診察を受け,暴行を受けた初期に安静にしなかったことが不適切であったとの指摘を受けたことから,暴行事件の翌日に出張させた被告会社に責任があると考えるに至り,また,そのころ,保険診療における第三者行為届けの提出をDに依頼し,同月14日には,電話で,Dに直接これを依頼したところ,Dが明確な返事をしなかったことから,被告会社に対する不信感をさらに強めた。そして,同月15日,Dとの電話中に,激しい痙攣を生じ,悲鳴をあげる症状を呈するに至った。同月16日には,被告会社から,D,A,Eが原告方を訪問して,原告の両親と面談し,治療費に関しては,原告の両親からは,なぜ労災によらないのかと質問を受け,労働災害ではないとの認識は持っていたものの,労災申請は時間もかかるし,結果も分からないから,当面,健康保険による治療を行うのがいいとの話をして,いずれにするかは原告の方で決めることであると話し,また,欠勤については,当面出勤扱いにする旨を述べた。
ウ その後,原告の依頼を受けた知人のTが,同月18日,Aに電話をし,被告会社が不誠実である旨述べて,面会を求め,Aが対応しないなら,社長を呼ぶように言い,その後も,何度も電話をしてきた。その結果,24日,被告会社において,GとAがTに会うこととなったが,Tは,原告の病状が悪化しているとして,被告会社に使用者責任を認めること,労災申請の手続をすることを要求し,Aが被告会社の責任を否定すると,訴訟に訴える旨述べ,更に,被告乙原との面談を要求するなどした。被告会社は,5月の連休明けに回答することを約束し,その後,弁護士に依頼することとなった。
その結果,被告乙原は,同年5月7日付けで,原却主張する暴行に至る経緯等が事実と異なること等を記載し,更に,傷害があるという原告の言い分を疑い,その根拠を明らかにするよう求めること等を記載した内容証明郵便を送った。被告会社は,同月8日,代理人弁護士名で,被告乙原との件は同被告と協議すべきであること,今後,被告会社に対する要求等は書面によること,原告が同年3月6日以降欠勤していることについて釈明を求めるとの内容証明郵便を送った。原告は,これらの書面を読み,被告乙原に対する怒りを新たにし,被害感情を一層強めていった。
エ その後,原告は,被告会社が,完治するまで治療をすること,完治するまで出勤扱いにすることを認めたと主張したが,被告会社は,原告からの被告会社への直接の問合せ等には弁護士の方に言うようにと回答するようになり,被告会社代理人においては,原告の主張を否定する文書を送付し,被告会社に一切の責任がないという立場から,原告の要求を一切拒否し,事務的に対応するようになった。被告会社は,同年7月1日以降は,賃金の支払をしなくなり,原告は,これが約束と違うとして,被告会社に対する不信感を強め,その後,原告が財形貯蓄の解約を求めたことにもこれに応じなかったことから,原告は,被告らに対する極端な被害感情を持つに至った。
オ 原告の症状には,平成9年5月15日のK病院におけるMRI検査の結果に第4/第5,第5/第6頸椎の椎間板膨隆が認められ,同年11月17日のMRI検査で第4/第5頸椎の椎間板膨隆,平成12年1月29日のMRI検査で第5/第6頸椎の椎間板膨隆が認められるが,そのほかはCTスキャンによる検査結果でも異常所見はない。
以上の事実に鑑みるに,原告の症状は,頸椎そのものの損傷はなく,MRI検査で椎間板膨隆がみられるだけであるから,被告乙原の暴行によって生じた傷害は顔面挫創と頸椎捻挫に止まるものというべきで,咬合異常,腰部捻挫はその発症の時期から見ても,被告乙原の暴行によるものとはいいがたい。そして,頭痛,頸部痛,めまい等の症状については,暴行を受けた当日残業したり,翌日出張したりして,医師の治療を受けたのが翌々日となったという経緯から見れば,頸椎捻挫に対する治療の遅れが症状悪化につながった可能性は否定できない。ただし,頸椎捻挫は,頸椎周辺の筋肉損傷であるから,これが数か月も治癒しないことは稀な例というべきであって,原告の症状については,治療開始の当初から,被告乙原及び被告会社の対応に不信感を抱き,その過程で,被告乙原が原告の感情を逆撫でするような書面を送り,被告会社も事務的な応対に変わり,これらが原告の被害感情を強くしたという経過によれば,心因的なものが,大きく作用しているといわなければならない。そして,メニエル氏病という症状もこれに原因するものというべきである。心因的な症状に対する治療費のすべてを加害者の負担とすることは,損害の公平な分担という理念に沿わないが,本件では,被告乙原が,必要もないのに原告の感情を逆撫でするような書面を送り,暴行した事実は明白であるのに,当初の仲直りの後は,全く謝罪することもなく,また,被告会社も一定の時期以降は事務的な対応に終始したことを考慮すれば,これらが原告の精神的負担を強めたことは容易に推認できるから,以上を総合して,原告に生じた損害は,本訴提起までの損害額から4割を控除したものに限るのを相当と考える。
以上から,損害額を検討するに,(証拠・人証略)によれば,別紙<略>のうち,大阪歯科大学付属病院,大阪市大眼科における治療費を除く323万9031円の6割に相当する194万3418円(円未満切り捨て)を,被告乙原の暴行と相当因果関係のある損害と認めることができる。
慰謝料としては,症状の程度や治療期間が長期に及んでいること等諸般の事情を考慮し,60万円を相当とする。
以上によれば,原告の損害は,合計254万3418円となる。
(5) 次に,被告会社の使用者責任についてみるに,前述のとおり,被告乙原の原告に対する暴行は,原告が,その印刷機のカートリッジの注文を命じたことを端緒とするもので,被告会社の行う業務を誰が行うかという被告会社における備品の管理に密接に関わるもので,被告乙原が以前から原告に抱いていた不満も1つの原因となってはいるものの,これも原告の被告乙原に対する業務指示のあり方という業務に起因したものであるから,これらによれば,被告乙原の原告に対する暴行は被告会社の業務の執行につき加えられたものということができる。そうであれば,被告会社は,被告乙原と連帯して,原告に対する損害賠償の責任を負うといわなければならない。
3 賃金支払約束について
<証拠略>によれば,被告会社は,原告又はその両親に対し,当分の間は,出勤扱いにするから,十分に治療をするようにとの意向を示して,原告の負傷後概ね3か月の平成9年6月末までは,出勤として扱い,賃金を支払ってきたことを認めることができる。原告は,被告会社が,原告の傷害が完治するまで出勤扱いにする旨約束をしたと主張し,原告本人は,これに沿う供述をするが,被告会社のAやDが,当初,原告の病状を気遣い,十分に治療するように告げ,また,出勤扱いにする旨を述べていたことは,これを認めることができるものの,被告会社は,当初は,原告の治療が長期化するとの意識を持っていなかったもので,その中で期限を特に告げずに,出勤扱いにすると述べたとしても,それが治療が予想を超えて長期化した場合にも全期間について賃金を支払うとの趣旨を含むものではない。原告の症状が,著しい外傷のあるものではなく,他覚症状もないものであったことからすると,出勤扱いにする期間としては,1,2か月を想定したものというのを相当とする。そして,<証拠略>によれば,同年4月16日には,Dが「完治するまで当面出勤扱いにさせて頂きます」と述べていることが認められるが,「完治」という表現を使用しているものの,一方で「当面」とも述べており,従業員が病気休業する場合の一般的処理方法としては出勤扱いという方法をとることは異例であることを考慮すれば,このDの供述をもって,完治するまで出勤扱いにして賃金を支払うという約束をしたものと認めることはできない。
以上によれば,原告の平成9年7月1日以降の賃金支払請求は理由がない。
4 解雇権濫用について
被告会社は,原告が,平成9年3月14日以降,正当理由なく職場離脱をし,以後長期欠勤を続けた旨主張するので,検討するに,弁論の全趣旨からも,原告は,平成9年3月6日から,欠勤し,同月8日,同月13日及び同月21日に短時間出社したほか,その後は欠勤し,欠勤届などの書面は提出していないと認めることができる。ところで,前述のように,被告会社は,原告又はその両親に対し,当分の間は,出勤扱いにするから,十分に治療をするようにとの意向を示して,平成9年6月末までは,出勤として扱ってきた。そうすると,この期間を無断欠勤ということはできない。また,原告はその後も欠勤を続けたが,原告が上記治療のために欠勤し,これについて被告会社が治療のための欠勤を認めた旨主張していたこと,そして,診断書等を被告会社に送付していたことは,被告会社に明らかで,(証拠略)によれば,被告会社が,平成9年12月4日,原告を休職処分とし,これを原告に通知したことが認められるが,そうであれば,同日以降の原告の欠勤は,休職処分によるものであって,これも無断欠勤ということはできない。
そして,原告には,前述のとおり,現実に,頭痛や頸部痛が存在したことを認めることができ,これに被告会社も被告乙原の使用者としての責任があるから,これを原告が訴えたことをもって,原告を責めることはできず,原告が被告会社に多数の診断書を送付したことも,むしろ当然のことであって,これを被告会社の業務を混乱させたということはできず,また,原告が依頼したTが面会を求めたことも,強要とか強談威迫に当たるとまではいえないし,原告やその代理人が,治療費の支払やそのための手続に関して被告会社と連絡を取ることは何ら違法なことではない。また,原告が,労災申請手続に協力するように求めたり,これを申請したことも違法なことではないし,被告会社が労働基準監督署の事情聴取に応じることも,当然の義務といってよい。そして,原告が,被告乙原を刑事告訴したことも,同被告が原告に傷害をを与えた以上は,原告の告訴を非難することはできない。そうすると,原告に,就業規則第85条第1号「職務を著しく怠った者」及び同条第4号前段「その他不都合な行為があったとき」に該当するとはいえないし,第19条第2号の「著しく職務怠慢か又は職務成績劣悪でその他会社又は同僚の迷惑となる時」に当たるともいえない。
原告の欠勤は,被告会社の従業員が行った暴行に原因するもので,純粋に私的な病気による欠勤ではなく,その治療費については,被告会社にも支払の責任があったことは,前述のとおりであり,治癒をまって,復職させるのが原則であって,治癒の見込みや復職の可能性等を検討せず,直ちに解雇することは,信義に反するというべきである。
以上によれば,原告に解雇事由はないというべきであって,本件解雇は権利の濫用として無効である。
ただし,<証拠略>並びに弁論の全趣旨によれば,原告は,平成11年8月27日に被告会社大阪支店に出社した際,途中から,体がぶるぶる震え出し,応接室でA部長の顔を見た途端に悲鳴をあげて呼吸困難になり,救急車でK病院へ搬送されるという症状を呈したこと,現時点においても,なお,頸部腰部痛,手のしびれ,右顎関節痛,頸のこむらがえり,めまい等の症状があると主張しており,精神的に不安定な面もあり,原職に復帰できる状況にあるか疑問であって,未だ,債務の本旨に従った労務の提供があるとはいえないから,その賃金請求はこれを認めることができない。
5 結論
以上によれば,原告の本訴請求は,被告会社との雇用契約上の地位があることの確認と被告らに対し連帯して254万3418円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は失当であるからこれを棄却することとし,訴訟質用の負担について民事訴訟法61条,64条,仮執行の宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判官 松本哲泓)