大阪地方裁判所 平成12年(ワ)239号 判決 2001年12月05日
原告
堀江泰典
(他二名)
原告ら訴訟代理人弁護士
上坂明
(他三名)
被告
西日本旅客鉄道株式会社
右代表者代表取締役
南谷昌二郎
右訴訟代理人弁護士
益田哲生
同
種村泰一
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一1 被告が平成一一年七月二日付けでした原告堀江泰典に対する一日平均賃金二分の一の減給の懲戒処分は無効であることを確認する。
2 被告は、原告堀江泰典に対し、金四万九五七九円及びこれに対する平成一二年一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二1 被告が平成一一年五月二八日付けでした原告三浦義夫に対する一日平均賃金二分の一の減給の懲戒処分は無効であることを確認する。
2 被告は、原告三浦義夫に対し、金六万二一七五円及びこれに対する平成一二年一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三1 被告が平成一〇年一〇月一三日付けでした原告藤原喜由に対する七日間の出勤停止の懲戒処分は無効であることを確認する。
2 被告は、原告藤原喜由に対し、金二三万四六七八円及びこれに対する平成一二年一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告らが、被告に対し、被告の各原告に対する懲戒処分は理由がなく、また不当労働行為であるからいずれも無効であるとして、各原告に対する懲戒処分の無効確認及び右各懲戒処分に基づき減額された賃金の支払を求めている事案である。
一 前提事実(争いのない事実等)
1 当事者
(一) 被告は、日本国有鉄道(以下「国鉄」という)が分割民営化された際に、日本国有鉄道改革法、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律に基づき昭和六二年四月一日新設された、西日本地域における旅客鉄道輸送等を業とする会社であり、肩書地に本社を、近畿、中国、九州の各都市に大阪支社のほか九支社を置いている。
(二) 原告堀江、原告三浦及び原告藤原は、いずれも被告の従業員であり、原告堀江は、被告大阪支社奈良電車区に運転士として、原告三浦は被告大阪支社日根野電車区に車両技術係として、原告藤原は、被告福地山支社福崎鉄道部に運転士としてそれぞれ勤務している。原告ら三名は、いずれもジェーアール西日本労働組合(以下「JR西労」という)の組合員である。
2 懲戒処分に関する被告の就業規則の規程
被告就業規則一四六条は被告の従業員の懲戒の基準を定めており、従業員が、「法令、会社の諸規程等に違反した場合」(同条一号)、「懲戒されるべき事実を故意に隠した場合」(同条八号)、「その他著しく不都合な行為を行った場合」(同条一二号)等を懲戒の対象とし、また、同一四七条一項においては懲戒の種類を懲戒解雇(同項一号)、諭旨解雇(同項二号)、出勤停止(同項三号)、減給(同項四号)、戒告(同項五号)とし、出勤停止は三〇日以内の期間を定めて出勤を停止して将来を戒め、減給は賃金の一部を減じて将来を戒めると規定されている(書証略)。
3 被告の職制
被告は、就業規則において、現業機関における業務の能率的かつ円滑な遂行を図ることを目的として職制を設け、併せてその職務内容及び指揮命令系統を定めるとともに、現業機関に配置された者は、その現業機関長の指揮命令を受けると定められている(被告就業規則四七条ないし同五〇条。書証略)。また、右指揮命令系統は、駅長の下に助役を置き、その下に事務主任、営業主任及び輸送主任を置き、さらに事務主任の下に事務係を、営業主任の下に営業指導係、営業係を、輸送主任の下に輸送指導係、輸送係を置くものである(被告就業規則別表第一。書証略)。
4 原告らに対する懲戒処分
(一) 被告は、平成一一年七月二日、原告堀江に対し、被告就業規則に基づき、一日平均賃金二分の一を減給するとの懲戒処分をした(以下「本件堀江の懲戒処分」という)。
右懲戒の理由は、平成一一年六月二日、原告堀江が、被告の古川義昭助役(以下「古川助役」という)の被告の運転士である藤林茂雄(以下「藤林」という)に対する運転操縦審査業務を妨害した行為が被告就業規則一四六条一二号の「その他著しく不都合な行為を行った場合」に該当するというものである。
右処分に伴い、原告堀江の賃金は四五二〇円減給となった。また、原告堀江は、右懲戒処分により、本来被告から支給される平成一一年の年末手当九〇万一一七五円のうち、その五パーセントにあたる四万五〇五九円が減額となった。
(二) 被告は、平成一一年五月二八日、原告三浦に対し、被告就業規則に基づき、一日平均賃金二分の一を減給するとの懲戒処分をした(以下「本件三浦の懲戒処分」という)。
右懲戒の理由は、原告三浦が平成一〇年一二月一七日の担務変更に係る業務命令時に被告の野川尚伸助役(以下「野川助役」という)に対して暴言を吐いたこと及び平成一一年四月八日の勤務中に原告三浦が被告の磯貝太郎助役(以下「磯貝助役」という)の注意指導に対して暴言を吐いたことが被告就業規則一四六条一二号の「その他著しく不都合な行為を行った場合」に該当するというものである。
右処分に伴い、原告三浦の賃金は六九一〇円減給となった。また、原告三浦は、右懲戒処分により、本来被告から支給される平成一一年の年末手当一一〇万五二八七円のうち、その五パーセントにあたる五万五二六五円が減額となった。
(三) 被告は、平成一〇年一〇月一三日、原告藤原に対し、被告就業規則に基づき、七日間の出勤停止の懲戒処分をした(以下「本件藤原の懲戒処分」という)。
右懲戒の理由は、原告藤原が、平成一〇年三月二七日、ワンマン列車に運転士として乗務した際、播但線野里駅あるいは京口駅のホーム停車中のワンマン列車の降車側と反対側のドアを開扉する事故(以下「本件事故」という)を起こし、さらにこの事故を隠蔽したことが、被告就業規則一四六条一号の「法令、会社の諸規程等に違反した場合」及び同八号の「懲戒されるべき事実を故意に隠した場合」にそれぞれ該当するというものである。
原告藤原は、右処分により、同年一一月分の賃金のうち基本給八万四五九一円及び扶養手当三一八二円の合計八万七七七三円、さらには平成一一年六月の夏期手当の一四万六九〇五円の合計二三万四六七八円が減額となった。
二 争点
原告らに対する各懲戒処分は理由があるか。
1 懲戒事由に該当する事実が認められるか。
2 原告らに対する各懲戒処分は不当労働行為か。
三 原告らの主張
1 本件堀江の懲戒処分について(原告堀江の主張)
(一) 原告堀江は、古川助役の運転操縦審査業務を一切妨害しておらず、就業規則一四六条一二号に該当する事由はないから、本件堀江に対する懲戒処分は無効である。
(二) 平成一二年六月二日の経緯は以下のとおりである。
(1) 原告堀江は、本件当時から現在に至るまでJR西労の奈良電車区分会書記長である。
(2) 被告は、奈良電車区に勤務していたJR西労の組合員である藤林に対し、平成一〇年一〇月に天王寺駅における担当列車の出場遅延(約二分)等を理由に乗務停止とし、日勤勤務を命じた。その後、被告は、平成一一年三月から四月にかけて、藤林に対し、出区点検審査や応急処置の審査を実施して再乗務の期待を抱かせ、また、同年四月下旬ころには、被告の管理職が京都電車区で乗務復帰できるがどうかと甘言を弄し、他方ではJR西労を脱退するように迫った。藤林は乗務復帰と引き替えにされた組合脱退勧奨に抗しきれず、JR西労を脱退して別組合である西日本旅客鉄道産業労働組合(以下「西労組」という)に加入する旨の脱退、加入届に署名捺印させられた。JR西労は、同年五月二三日にこのことを知り、同人と話し合ったところ、同人はJR西労を脱退しないことになった。そこで、藤林は被告管理職に対し、脱退、加入届を返還するように申し入れたが、被告の管理職はこれを拒み、被告は、藤林に対し、その翌日である同月二四日から連日にわたって運転操縦審査を命じるという嫌がらせを始めた。しかも、右審査は通常は片道しか実施しない審査を往復で行うという異例のものであった。藤林は、同年六月一日に森ノ宮電車区に異動となる予定であったが、転勤予定日であった六月一日も審査を命じられて乗務復帰を引き延ばされた。
(3) 原告堀江は、特休日であった同年六月二日、奈良駅から大阪駅行きの快速電車に乗り遅れ、次の普通電車に乗車しようとしたところ、その電車はたまたま藤林の運転操縦審査が行われる列車であった。原告堀江は右(2)記載の事情を聞いていたことから、藤林のことが心配となり、審査を行っている先頭車両に乗車した。
原告堀江が奈良駅で先頭車両に乗ったところ、運転席背面の客室側に運転操縦審査を担当する古川助役が立っていたので、原告堀江は古川助役に挨拶をした。原告堀江は座席に座り、本務運転士とも挨拶を交わした。
(4) その後列車が王寺駅に停車した際、原告堀江は、客室内の運転席背面に立っている古川助役に対し、藤林のどこがいけないかを尋ねたところ、古川助役は、「おれは運転のことはわからないので、時間と速度を見ている」、「おれも藤林とは年は一緒や、悪いようにはせん」等と話し、これを聞いて原告堀江は座席に戻った。
列車が王寺駅を出て車内が次第に混み始めたため、柏原駅の手前で本務運転士が座席を離れて運転室助士側の背面に立った。そこで、原告堀江も志紀駅手前で席を立ち、古川助役と本務運転士との間の運転室背面の中央の窓の前に立って、窓から前方を見た。なお、列車の運転室と客室との間の間仕切り壁には三つ窓が並んでおり、古川助役は最初からずっと客室内の運転席真後ろの窓(客室側から見て、運転室背面の三つ窓のうち一番左側の窓)から運転室をのぞいていた。
列車が志紀駅を出発すると、古川助役は、原告堀江に対し、「じゃまや。後ろに座ってろ」「審査妨害や。現認する」と二言三言挑発するような発言をしてきた。しかし、原告堀江は、古川助役の業務をじゃましてはいなかったし、客席が満席だったため、天王寺駅までその場にずっと立って中央の窓から前を見ていた。その間は古川助役からは何の発言もなかった。
(5) このように、古川助役は、奈良駅から天王寺駅までの間、客室内の運転席の真後ろの窓から時間と速度のチェックをしていたものであるが、原告堀江は中央の窓の前に立っており、また、古川助役は、一方的に二言三言挑発的な発言をしただけであとは黙って審査を継続しており、審査に支障が生じることはなかった。
(三) 以上のように、原告堀江が本件列車に乗車したのは、たまたま藤林に対する運転操縦審査が行われており、同人が被告から嫌がらせを受けていることを聞いていたことから心配になって同乗していたにすぎない。また、原告堀江の行為も右のとおり古川助役の審査を妨害するようなものではなかった。そもそも原告堀江が藤林に対する運転操縦審査を妨害すれば、藤林の乗務復帰が遅れることになるのであるから、原告堀江が故意に審査の妨害を行うはずがない。
よって、原告堀江の右行為は「著しく不都合な行為を行った場合」には該当しない。
2 本件三浦の懲戒処分について(原告三浦の主張)
(一) 原告三浦が被告の指摘する日に暴言を吐いたとの事実はなく、就業規則一四六条一二号に該当する事由はないから、本件三浦に対する懲戒処分は無効である。
また、そもそも、被告が本件三浦の懲戒処分時にその処分理由として挙げていたのは平成一一年四月八日の非違行為のみであった。
(二) 原告三浦は、現在JR西労阪和支部執行委員長であり、本件当時は、JR西労日根野電車区分会長であった。
(三) 平成一〇年一二月一七日の経緯は以下のとおりである。
(1) 原告三浦は、右当日始業時刻前に詰所にいたところ、被告従業員の池田幸次(以下「池田」という)から担務を替わって欲しいと頼まれた。池田によれば、池田は当日制御を担当することになっているが、制御を長く担当していないために自分はできないと野川助役に申し出たが聞き入れてくれないとのことであった。
原告三浦も制御は長らくしていないために、他の従業員に教えてもらわないとできないと思ったが、池田の頼みに応じ、池田と担務を交替することにした。そこへ、野川助役が来て、原告三浦に対し、池田と担務を替わってくれと指示したので、原告三浦は、池田さんから言われましたと担務変更を了解した。そのとき、池田は、なぜ自分が頼んだときには認めなかったのかと野川助役に対して不満をぶちまけた。そのやりとりを見て、原告三浦は、野川助役に対し、慣れない作業をすると時間がかかり、特に制御の点検は非常に重要で一つ間違うと車両故障を起こす危険があることから長く担当していない人が制御をするような担務変更は避けて欲しい旨の意見を述べた。
結局、当日の制御は池田が担当した。
(2) 右のような原告三浦の発言が暴言にあたらないこと、野川助役の指揮命令に違反したり、それに対して反発したものでないことは明らかである。
(四) 平成一一年四月八日の経緯は以下のとおりである。
(1) 原告三浦は、当日勤務中、交検庫において磯貝助役に呼び止められ、同助役から、朝の点呼時のKYT(危険予知トレーニング)の際に声を出していないのではないかと聞かれたので、出していますと答えたところ、磯貝助役は、いや、出していないなどと一方的に決めつけてきた。原告三浦は、当日も朝の点呼時にははっきりした言葉で声を出していたので、朝の点呼時には磯貝助役が離れたところにいたために聞こえなかったのだと思い、本人が声を出しているのにあんたにそういうことを言われることはないのではないですかと答えたところ、同助役は、あんたとは何だと言ってきた。原告三浦があんたという言葉は悪い言葉ですかと聞くと、同助役は、悪いと言ってきたので、原告三浦がそれなら磯貝助役といえばよいですかと聞くと、同助役はそうだと答えてきた。原告三浦が点呼の時に声を出しているかどうか横にきて聞いて下さいと提案したところ、磯貝助役はそうしましょうと答えた。
(2) 原告の右発言は暴言に該当しないし、また磯貝助役の業務上の指示命令に反発したものではないことは明らかである。
また、磯貝助役の注意指導なるものはそもそも業務上の指示ではないし、原告三浦が朝の点呼時に声を出していたにもかかわらず、出していないと決めつけた磯貝助役の勘違いによるものである。確かに原告三浦は磯貝助役に対してあんたという言葉を用いたが、これは現場の顔見知りの助役に対する発言であり、原告の出身地方では目上に対しても使われる言葉であるから何ら暴言といえるものではない。
仮に原告三浦の発言に磯貝助役が反発を感じたとしても、それは同助役が原告三浦及び同原告が所属するJR西労に対して悪感情をもっていることを意味するに過ぎない。
(五) よって、原告三浦の右行為は、いずれも「著しく不都合な行為を行った場合」に該当しない。
3 本件藤原の懲戒処分について(原告藤原の主張)
(一) 原告藤原が、本件事故に関して、これを故意に隠蔽したことはなく、原告藤原には就業規則一四六条一号及び同条八号に該当する事由はない。また、本件事故についてはその発生日時の特定もない上、そもそも原告藤原が乗車していたワンマン列車のドア開閉ボタンはかねてよりその構造上の欠陥が指摘されていたものである。
また、仮に原告藤原に就業規則一四六条一号に該当する事実があったとしても、七日間の出勤停止を内容とする本件藤原の懲戒処分は著しく重く、相当性の原則に反し無効である。
(二) 原告藤原は、現在JR西労の福知山地本執行委員であり、本件当時は和田山支部書記長であった。
(三) 本件事故の内容及びその後の経緯は以下のとおりである。
(1) 被告では平成一〇年三月一四日のダイヤ改正の際、播但線の姫路・寺前間の電化開業に伴い、無人化の駅が増える一方、電車ワンマン車両が導入されてワンマンスイッチの配置及び扱いも変更となった。ワンマン列車では運転士がドアの開閉を行い、かつ乗客からの運賃収受も運転士が運転席斜め後ろの運賃箱に投入されるのを確認しなければならなかった(なお、列車に車掌がいる場合には、ドアの開閉や運賃の収受(車内検札)は車掌が行うこととなっていた)。
ワンマン列車のドア扱いは、<1>運転士は二両編成のうち一両目の一番前のドアを開とし、背後の客室に向かって運賃を収受して降車客を降ろす、<2>運転席に戻って一両目の一番後ろのドアを開として乗車客の乗車を待ち、<3>乗車を確認したら、前後のドアを閉めて発進するというものである。なお、一つの車両には左右に四つずつドアがある。ワンマン列車に慣れない乗客を誘導するために、同月一四日から約一か月間は、ワンマン列車に車掌が同乗していた。
(2) 原告藤原は、同年三月下旬の午後九時ないし一〇時ころ、播但線のワンマン列車(二両編成)を運転し、寺前から姫路に向かった。同列車には乗客指導係の車掌が同乗しており、同車掌は運転席後ろの運賃箱のそばに立っていた。車内の乗客は十数名であった。
原告藤原は、野里駅もしくは京口駅辺りで停車した際、一両目のホーム側一番前のドアを開けて降車客を降ろし、その後ホーム側一番後ろのドアを明けるべきところ、客室側に向いた体を運転席に戻したため、左右を勘違いしてしまい、誤って反対側の一番前のドアを開けるスイッチを押してしまった。そのため、反対側の一番前のドアが一つ開いたため、車掌から反対側が開いたと指摘されたので、原告藤原は直ちにドアを閉めた。その間の時間はほんの一瞬であり乗客には全く影響はなかった。
(3) 原告藤原は、乗客に何の被害もなかったことから、当日の勤務終了後に右のドア扱い不良事故については被告に報告しなかった。当時は、乗客の安全や列車の運行に影響のない軽微な事故については、被告に報告すべき義務はなかった。同乗していた車掌も、被告に本件事故を報告しなかった。
(4) その後、原告藤原は、本件事故については完全に忘れていた。
原告藤原は、姫路駅でのドア扱い不良事故の調査に関連して被告から最初の事情聴取を受けた同年九月二五日にも、右事故を思い出すことができず、何も隠していることはないと回答した。
しかし、原告は、再度の事情聴取が行われた際、被告から右車掌が本件事故について述べたことを聞き、ようやく本件事故を思い出すに至ったが、その事故を起こした列車や駅がどこであるかまでは思い出すことができなかった。
(5) 以上のように、原告藤原が本件事故を事故当日報告しなかったのは、その当時そのような指導が必ずしもなかったからであり、事故を故意に隠蔽したのではない。また、その後の事情聴取においても当初事故を申告しなかったのは、記憶に蘇らなかったからであり意図的に事実を隠そうとしたものではない。
(6) また、そもそもワンマン列車においては、運転士が乗客の運賃投入を確認するために後ろ向きになることがあるため、再度運転席に向かったときに左と右とを混乱してドアのスイッチを押してしまい、誤ってホームとは反対側のドアを開くおそれがある。そのため、本件事故後である平成一〇年六月ころ、被告は、右のような事故を防止するため、スイッチにプラスチック製のカバーができるようにし、運転士が反対側ドアのスイッチを押さないようカバーをさせるようになった。しかし、このような措置をとっても、運転士がカバーをし忘れたり、カバーをする側を間違えば、結局反対側ドアを開く危険は残るものであり、そのような危険をなくし、真に乗客の安全を確保しようとすれば、列車にセンサーを設置して反対側ドアが開かないシステムにすればよいのであるが、被告はこのような安全対策をとろうとしていない。
(四) したがって、原告藤原は、本件事故を起こしてはいるが、この事故は当時報告を求められていたような重大事故ではなく、原告藤原がこれを故意に隠蔽したこともないから、被告主張のような懲戒事由はない。
また、仮に、右ドア扱い不良事故が何らかの懲戒事由に該当しうる余地があったとしても、それは被告による安全対策の手抜きにも起因していることは明らかであるから、原告藤原を七日間の出勤停止にした本件藤原の懲戒処分は重きに失する。
4 被告による不当労働行為及び人事権の濫用(原告らの主張)
(一) 被告は、JR西労結成後、JR西労を嫌悪敵視し、所属組合員に対する脱退慫慂、転勤、処分、昇格における差別的不利益取扱等、数々の不当労働行為を一貫して行っている。本件各原告らに対する懲戒処分は、右のようにいずれも就業規則に該当する事実がないか、もしくは相当性の原則に明らかに反するものであり、被告は、原告ら三名がいずれもJR西労に所属し、組合の中心的な役員、活動家であることから、原告らを差別し不利益に取り扱ったものである。
(二) そもそも被告は、JR西労の破壊を基本的な労務政策とし、これまでも同組合所属組員に対する脱退慫慂などの様々な組合破壊策動をとった。
(1) 国鉄時代には、旧国鉄に国鉄動力車労働組合(以下「動労」という)、鉄道労働組合(以下「鉄労」という)、国労などの労働組合が存していたが、分割民営化の過程で動労、鉄労などは国鉄改革に全面的に協力しつつ、一企業一組合を目指して国鉄改革労働組合協議会(以下「改革協」という)の結成を経由し、全日本鉄道労働組合総連合会(のち、現在のJR総連に改称した)を結成した。
これにつれて、現在の被告エリアでも西日本国鉄改革労働組合協議会を経て、昭和六二年三月一四日、西労組が結成された。
(2) 被告は、分割民営化後、しばらくは西労組と共同歩調をとっていたものの、業績が向上するにつれ、自主性、自立性を強調するようになり、JR西労組内で労使対等、労使協力を旨とし、JR総連及びJR総連傘下の単組との連携を強めながら結束を図ろうとするJR総連派組合員を嫌悪するようになり、被告のいうがままになる組合員らと結託して西労組をJR総連から脱退させるための様々な画策を進めるようになった。
まず、平成二年六月一九日、JR総連第五回定期大会で加盟各単組においてスト権について論議されることが提起されると、被告はこれに介入した。また、同年一〇月JR総連が国際鉄道安全労組会議を主催するとともに国際鉄道安全会議を支援してきたところ、被告は安全問題は労使でやるべきことではないなどとしてこれらの会議に参加せず、西労組委員長大松益生にも不参加を慫慂して参加を拒否させた。そして、被告は、平成三年二月一九日、西労組第九回中央委員会において、委員長大松をして「JR総連との断絶」などを提起させ、現場管理者らを通じて同組合員に対し、JR総連からの脱退指示を慫慂させるなどの支配介入をした。
(3) このような被告の画策に対し、西労組内の動力車乗務員を中心としたJR総連派組合員は西労組を脱退して同年五月二三日JR西労を結成した。
JR総連派組合員が脱退した西労組はJR総連から脱退した。
(4) JR西労は、組合結成後、第一に会社の御用組合にならず現場で働く組合員の労働条件の改善・維持のために闘うこと、第二に争議権、ストライキ権を確立しながら組合としての力をつけ高めていくこと、第三に安全問題などを中心に被告による乗務員個人の責任追及型の姿勢を正し原因究明を柱にして取り組む、との主として三点を基本方針として組合の取組みを進めた。そしてJR西労は多数の職場において運転士の過半数を占め、運転士の多数組合としての地位を維持し多大な影響力を有してきた。
(5) すべての従業員を意のままに従わせようともくろむ被告は、JR西労の破壊を基本的な労務政策とし、同組合所属の組合員に対する脱退慫慂等様々な組合破壊策動を行った。特にJR西労が、平成四年三月の春季生活闘争において二六時間のストライキをうち、その後同年暮れには乗務員勤務制度の改悪に反対する九六時間のストライキを実行し、翌平成五年三月一八日からはJR西労広島地方本部を拠点としてブルートレインの一人乗務に反対する一四七日間にわたる指名ストライキを実行するなど被告の労働条件の改悪反対の闘いに取り組むにつれて、その組合破壊策動はますます激しくなった。そのため、結成後最大時四七〇〇名の所属組合員を数えたJR西労は被告による様々な不当労働行為によって半数以上の組合員を脱退させられるに至っている。
(6) このような中で、JR西労とその所属組合員らは、被告や被告の管理職職員を相手として脱退慫慂等の団体権侵害を理由とする損害賠償請求訴訟等の訴訟の提起や不当労働行為救済の申立を行う等して、これと対抗してきた。
(三) 各原告に対する懲戒処分はいずれも被告のJR西労破壊を意図する不当労働行為であり、また、人事権の濫用でもあって無効である。
5 よって、各原告は、被告に対し、各原告に対する懲戒処分の無効確認を求めるとともに、各懲戒処分により減額された賃金及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一二年一月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
四 被告の主張
1 本件堀江の懲戒処分についての反論
(一) 本件堀江の懲戒処分は、同人が平成一一年六月二日に古川助役が行っていた運転操縦審査業務を妨害した行為が被告就業規則一四六条一二号に該当することを理由とする。
(二)(1) 被告における運転操縦審査は、従業員が列車の運転操縦を行う適性を有しているか否かを見極めることを目的とする審査である。運転操縦審査は厳正かつ的確に実施される必要があり、その円滑な実施を妨げるような行為は許されない。
(2) 平成一一年六月二日に実施された運転操縦審査は、長期間乗務から離れ、日勤教育を受けていた藤林を対象とするものであった。その内容は、奈良駅発JR難波行各駅停車の列車を藤林に運転させ、制限速度の遵守、ブレーキ操作が的確か、運転動作・機器の取扱いに誤りがないか等の観点からその運転操縦を審査するものであり、被告の辻本副助役が運転室から、古川助役が客室からそれぞれ分担して藤林の運転操縦を審査するものであった。古川助役の担当する審査は、藤林の運転状態の注視、停車の際のブレーキ取扱時における速度計測及び駅間における運転時分の計測であった。そこで、古川助役は、藤林の運転状態を注視し、ブレーキ操作と速度計の両方を見るために運転室背面中央の窓の客室側から審査を行うこととした。
(3) 藤林は奈良駅発JR難波駅行きの各駅停車列車に奈良駅から乗務したが、運転操縦審査は王寺駅から実施された。
古川助役が運転操縦審査を行っていたところ、奈良駅から乗車し客席に座っていた原告堀江が志紀駅発車後突然運転操縦審査を行っている古川助役の右側に立ち、運転室背面の中央の窓から前方をのぞき込むような行動をとったため、古川助役は、藤林のブレーキ操作と速度計の確認及び駅間における運転時分の計測等に支障を来す状態となった。そのため、古川助役は、原告堀江に対し、審査のじゃまだから客席に戻れと注意したが、原告堀江は、なぜ前を見たらだめなのかなどと述べて古川助役の注意に従わなかったばかりか、古川助役が繰り返し業務妨害であり、審査のじゃまであるから客席に戻るように注意したにもかかわらず、これに従うことなく、ことさら中央の窓から前方をのぞき込むような行動をとり続け、天王寺駅まで乗車した。
そのため、古川助役の運転操縦審査実施に支障が生じ、古川助役は、藤林の運転操縦を十分見極めることができなかった。
(三) このように、原告堀江は、古川助役の再三の注意指導を無視して運転操縦審査を意図的に妨害しており、運転操縦審査という被告の重要な業務が円滑かつ適正に実施されることを妨害した点において被告の従業員として著しく不都合な行為を行ったといえる。原告堀江は、運転室背面の客室側の中央の窓から前方を見ていただけであったと主張しているが、そうであるならそもそも古川助役が原告堀江を注意することはないし、再三にわたる注意指導にもかかわらず、原告堀江が頑に立っている場所を移動しなかったこと自体原告堀江に運転操縦審査の円滑かつ適正な実施を妨害する意思が存したことの現れである。
2 本件三浦の懲戒処分に対する反論
(一) 原告三浦に対する本件懲戒処分は、原告三浦が平成一〇年一二月一七日と平成一一年四月八日の二度にわたって業務指示を行った助役に対して暴言を発したことを理由とする。
(二) 平成一〇年一二月一七日の件について
(1) 被告は、池田の平成一〇年一二月一七日の担務を制御と指定し、その前日である同月一六日に池田にこれを伝え、池田はこれを了承した。ところが、当日(一七日)になって、池田は、突然機械の担務に指定されていた原告三浦と担務を変更してほしい旨を申し出てきた。
そこで、被告は、同日検修業務において機械の担当であった原告三浦に対し、業務上の都合を理由に制御担当に担務を変更することとして、野川助役はその旨を原告三浦に対して伝えた。すると、原告三浦は担務変更には応じたものの、野川助役に対し、お前ら誰がどこの担務こなせるか、ちゃんと整理しているのかと暴言を吐き、野川助役の業務上の指示に反発した。
(2) 原告三浦は、原告三浦は野川助役に対し長くやっていない人が制御をするような担務変更は避けてほしいとの意見を述べたと主張するが、事実は被告主張のとおりである。
(三) 平成一一年四月八日の件について
(1) 被告の日根野電車区においては、かねてより業務及び安全に対する意識の高揚を目的として朝の点呼時に被告の経営理念及び労働災害防止スローガンの唱和を行い、また、交番検査における打ち合わせ時には、KYT等の唱和を行うこととしていた。唱和しない者や唱和する声が小さな者に対しては大きな声で唱和するようにと指導していた。
ところが同日の朝の点呼時、原告三浦が小さな声で唱和していたので、磯貝助役は、検修庫の巡回の際に、原告三浦に対し、今朝の点呼時における経営理念の唱和、交番検査のKYT等の唱和の声が小さかったのでもう少し大きな声を出すように注意指導したところ、原告三浦はあんたに言われることはないと注意指導に反発したので、磯貝助役は、さらに原告三浦に対し、あんたとは何だ、助役に対する暴言である旨重ねて注意指導したが、原告三浦は、あんたに言われなくともやるときはやるとさらに反発し、磯貝助役が今後唱和は今ぐらいの大きな声でやるように、わかりましたねと述べたことに対しても自分なりにやると反発を繰り返した。
(2) 被告においては、個々の職場において、個別の業務を遂行する従業員に対して上司である担当助役から必要に応じて業務上の指示・命令等が出されている。そして業務上の指示・命令を受けた従業員は、その指示・命令されたところに従って誠実に業務を遂行することを要する。そうしなければ、職場の秩序は維持できず、また、当該業務の適正かつ円滑な遂行にも困難が生じるものであり、ひいては安全かつ正確な輸送の提供という被告の使命が達成できないからである。それにもかかわらず、原告三浦は、上司である担当助役の指示に対し、反発する言動をとり続けたものであり、被告従業員として著しく不都合な行為を行った。
原告三浦は、「あんた」という言葉は作業指示の際日常的に用いられており、「あんた」という言葉自体暴言には該当しない旨を主張するが、被告の原告三浦に対する本件懲戒処分は、原告三浦の「あんた」という言葉のみとらえて問題としたものではなく、右一連の言動から原告三浦に業務上の指示に反発する姿勢が明確に認められたことによるものである。
3 本件藤原に対する懲戒処分に対する反論
(一) 原告藤原に対する本件懲戒処分は、原告藤原が、平成一〇年三月二七日、降車側と反対側のドアを開扉させるドア扱い不良事故を発生させ、かつその点について報告を欠いて事実隠蔽を行ったことが理由である。
(二) 停車中の列車の降車側と反対側のドアを開扉するというドア扱い不良は、反対側のドアは開かないと信じてドアにもたれている乗客が車外に転落したり、あるいはドアが開いたことに誘導されて乗客が車外に出ようとして転落する等の事故が発生する極めて危険なものである。また、ドア扱い不良により列車の遅延などの事態が生じることもあり得る。このようにドア扱い不良は乗客を安全かつ正確に輸送することを使命とする被告にとっては看過できない重大事故である。安全な輸送の提供のためには事故発生前に事故発生を予見し、その対策を講じることが必要であるから、被告ではいかに小さな事故であっても事故が発生した場合はその内容を正確に把握し、その点に関する情報を関係者間で共有し、より重大な事故が発生しないように対策を講じることとしている。このような観点から、被告では、動力車乗務員作業標準において、行路を終了した時に乗務中における異常の有無及び内容を動力車乗務員乗務表により報告するものと定めるとともに、再々にわたって、通達により、従業員に対し、列車などに遅延があるなしに関わらず事故又は事故らしいことに遭遇した場合は直ちにかかる事態が発生したことについて報告するように求め、また、虚偽の報告をしたとき、あるいは事故の発生したことが後日第三者から指摘されてその事実があると認められたときには、事故を隠蔽したものとして激しくその責任を問うこととしている。ドア扱い不良のような危険な取扱いは、直ちに被告に対して報告することが必要であり、そのことは従業員において共通の認識となっていた。
(三)(1) 原告藤原は、本件事故を発生させたが、事故発生当日の終了点呼の際その旨の報告を行わなかった。そのため、被告は当時右事故を知らなかった。
(2) 平成一〇年九月ころ、被告に対し、姫路駅においてドア扱い不良事故が発生しているとの匿名の投書があったが、被告は投書で指摘された事故の発生を把握していなかったので、事実関係の調査を開始したところ、調査の結果合計四件のドア扱い不良事故が発生していることが明らかとなり、そのうちの一件が本件事故であった。右調査は、ドア扱い不良事故が発生したと指摘された福崎鉄道部の従業員から事情聴取する方法で行われたが、その際被告は、姫路駅等におけるドア扱い不良事故について噂を聞いたことがあれば申告するように求めるとともに、自身がドア扱い不良事故を起こしたか否かについても申告するように求めた。原告藤原は、福崎鉄道部に属しており、平成一〇年九月二五日に事情聴取を受けたが、その際、姫路駅などにおけるドア扱い不良事故は知らない、また自らドア扱い不良事故を起こしたことはないと一貫して述べていた。
(3) しかし、平成一〇年九月二九日、他の従業員の事情聴取の結果、原告藤原が平成一〇年三月末ころ、野里駅ないし京口駅にてドア扱い不良事故を発生させていたとの事実が判明した。
そこで、平成一〇年一〇月二日、被告は、再び原告藤原に対し、事情聴取を行ったところ、原告藤原はドア扱い不良事故を発生させたことを認めた。
そのため、被告はさらに必要な調査を行った上で、原告藤原に対し、本件藤原の懲戒処分を行った。
この点原告藤原は、事故を隠蔽したことはない、本件事故の発生日時が特定されてない、本件事故が発生したのはドア開閉ボタンの構造上の欠陥によると主張する。
しかし、原告藤原は、ドア扱い不良事故を起こした事実を認識していながら、その申告を行わなかったのであるから、事故を故意に隠蔽したものというべきであるし、本件事故発生日時の特定という点についても原告藤原が直ちに事故報告を行わなかったためにその日時の特定には困難が存したが、被告は、調査の結果、原告藤原が平成一〇年三月二七日に本件ドア扱い事故を発生させたと特定して本件藤原に対する懲戒処分を行ったのであるから、日時が特定されていないとの批判はあたらない。また、ドア開閉ボタンは車両右側を開閉するボタンと車両左側ドアを開閉するボタンと離れて設置されており、ドア開閉ボタンについて構造上の欠陥なるものは存在しない。このような原告藤原の主張は責任を転嫁しようとするものにすぎない。
4 被告による不当労働行為に至る経緯に対する反論
(一) 昭和六二年四月の被告の発足当時、被告には西労組(当時の略称は西鉄労であった)、西日本鉄道産業労働組合(以下「鉄産労」という)、国労、全動労の四労組があった。また、同年五月には新たに組合員資格を付与された助役らによってJR西日本鉄輪会(以下「鉄輪会」という)が結成されたが、同年七月、鉄輪会は西労組に加盟した。
西労組は、国鉄時代の鉄労、動労が中心となって右四労組が組織統一したものであるが、もともと動労は対立的な労使関係を指向し、当初は国鉄分割民営化にも反対していたものであり、他方鉄労は協調的な労使関係を指向し、当初から国鉄の分割民営化を積極的に受け入れる方針を示すなどしていたものであって、異質の組合同士が分割民営化の流れの中で一つに集ったというのが実態であった。そして、西労組は、JR総連に加入していたものの、旧鉄労出身者が主導していたのに対し、JR総連は旧動労出身者が役員の大半を占めるなどして主導していたことから、その後次第に組織内に軋みが生じるようになった。
国鉄時代、国鉄と動労、鉄労等は、国鉄改革が成し遂げられるまで争議行為を行わないこと等を内容とするいわゆる第一次(昭和六一年一月)及び第二次(同年八月)労使共同宣言をするなどしており、被告も発足後の昭和六二年六月、被告、西労組及び鉄輪会との三者間で争議行為自粛等を含むいわゆるJR西日本労使共同宣言に調印するなどした。
(二) ところで、政府は国鉄清算事業団に引き継がれた旧国鉄職員の再雇用を各承継会社に求めるなどしてきたが、JR総連は、分割民営化に反対していた者のゴネ得を許すことになるなどしてこれに猛反対し、この再雇用問題が契機となって、スト権論議(スト権確立と交渉、集約及び指令三権のJR総連への委譲)が生じ、平成二年六月三〇日開催の第五回定期中央本部大会において、「スト権に関する職場討議」を行うことが提起された。西労組では各職場段階での討議を経て、同年一一月二〇日開催の西労組第八回中央委員会で、スト権確立は時期尚早、三権委譲には反対、西労組の主体性を堅持すべきである等の意見を集約した。さらに、平成三年二月一九日開催の第九回中央委員会で委員長大松はJR総連との関係断絶を提起するに至り、これをめぐって西労組内は旧動労出身者を中心とするJR総連派と旧鉄労出身者等を中心とする大松支持派とに分裂して対立抗争したが、結局、JR総連派は西労組から脱退し、同年五月二三日にJR西労を結成してJR総連に加入した。他方、西労組は、その後、鉄産労と組織統一し、JR総連から脱退した。
(三) 以後、JR西労と西労組は相互に組織拡大方針を掲げ、相手方組合員の取り込みをはかるなどの活動を展開し、きわめて厳しい対立、緊張関係に立っている。
JR西労結成後の組合員獲得、拡大を巡る紛争は、両労組の組織拡大方針の衝突の結果であり、被告がこれに介入したことはない。JR西労の主張は、こうした組織争いに敗れたため、その組織方針の誤りを糊塗し、組合員らの目を欺こうとして、被告に矛先を向け、不当労働行為と述べたてているにすぎない。
5 以上のとおりであるから、原告らの主張はいずれも理由がない。
第三争点に対する判断
一 被告とJR西労との関係について
まず、本件の前提問題として、被告とJR西労その他の労働組合の関係について検討する。
1 証拠(略)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 被告は、国鉄の分割民営化に伴い、日本国有鉄道改革法、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律に基づき、国鉄の承継法人の一つとして、昭和六二年四月一日に設立されたが、設立当時、被告には、西労組、鉄産労、国労、全動労があり、同年五月に鉄輪会が結成され五労組となった。なお、鉄輪会は、被告の発足に伴い、新たに組合員資格を付与された助役等が同年五月に結成したものであったが、同年七月西労組に加盟し解散した。
右組合のうち西労組は、国鉄時代の鉄労、動労、日本鉄道労働組合(全国鉄施設労働組合と真国鉄労働組合が組織統一したもの。以下、前者を「全施労」と、後者を「真国労」という)、鉄道社員労働組合の四組合が一企業一労働組合の体制を目指して結集して結成されたものであり、全日本鉄道労働組合総連合会(後にJR総連と改称)に加盟していた。
もともと動労は、昭和二六年に国労を脱退した運転関係組合員らが中心となって結成された組合で、国鉄時代には様々な争議行為を行うなどして対立的な労使関係を指向してきた労働組合であったが、国鉄民営化を受け入れるとの方針で西労組と組織統一した。しかしながら、旧鉄労と旧動労とは、対立的な労使関係を指向してきた動労と協調的労使関係を指向してきた鉄労とはもともと活動面において相違があった。
昭和六一年一月一三日、国鉄分割民営化にむけて、国鉄と動労、鉄労、全施労の三組合は、「国鉄改革が成し遂げられるまでの間」は、安定輸送の確保、諸法規の遵守、新しい事業運営体制を確立するための合理化の推進、余剰人員対策の積極的な推進などについて、労使が一致協力して取り組むことを内容とした労使共同宣言(第一次労使共同宣言)を行い、組合としても争議行為は行わない旨を国鉄に対して約し、その後同年八月二七日には動労、鉄労、全施労及び真国労は改革協を結成し、国鉄と改めて鉄道事業の健全な経営が定着するまでは、争議権の行使を自粛することを内容に含む「今後の鉄道事業のあり方についての合意事項」(第二次労使共同宣言)を調印した。
そして、被告設立後である昭和六二年六月六日、被告と西労組、鉄輪会は、「組合は争議権の行使を必要とするような労使争議は発生しないと認識し、鉄道事業の健全な経営を定着させるため、列車等の安全運行に関して全てを優先させ、万難を排して取り組む」との内容を含む「西日本旅客鉄道株式会社発足にあたっての合意事項」(JR西日本労使共同宣言)を調印した。
(二) 国鉄改革の過程において、被告などのいわゆる承継法人に採用されなかった国鉄職員については、国鉄清算事業団に引き継がれたが、政府は数回にわたって承継法人に対し右職員の採用を求めてきた。
この点に関して、JR総連は、国鉄の分割・民営化に反対し全く協力しなかった者の「ゴネ得」を許すことになるとして猛反発した。
そして、この清算事業団職員の雇用問題を契機にスト権に関する論議が生じ、平成二年六月に開催されたJR総連第五回定期大会において、旧動労系組合員が委員長以下役員となって主導する執行部から、加盟各単組において「スト権に関する職場討議」を行うことが提起された。
西労組においても、これを受けて、各職場段階でスト権に関する論議が行われたが、スト権確立については反対する意見が大勢を占め、平成二年一一月二〇日に開催された西労組第八回中央委員会では、スト権確立等のJR総連論の提起に反対し、西労組の今後の主体性維持を確認し、その旨意見集約がされ、同年一一月末開催のJR総連第九回中央委員会において、西労組から右集約結果が報告され、翌平成三年二月一九日開催の西労組第九回中央委員会において、当時の執行委員長だった大松益生は、JR総連の姿勢は、JR総連が全国単一組織の中央本部であり、西労組はあくまでJR総連の下部組織であって、単組の自主性や独立は認めないとの立場に立っているとしか思えない、西労組の主体性を侵害している旨を述べて、JR総連との断絶を提起した。
(三) この大松発言後、西労組内では、大松委員長を支持してJR総連から脱退すべきであるとするグループ(大松派。旧鉄労・旧社員労・旧鉄輪会等に所属していた組合員らを中心に構成された)と、大松発言に反対し、JR総連内にとどまるべきであるとするグループ(JR総連派)との間で対立が生じ、結局、JR総連派に所属する旧動労系の動力車乗務員を中心とする組合員らは西労組から脱退し、平成三年五月二三日JR西労を結成し、JR総連に加盟した。
その後、西労組は、同年一二月六日に西日本鉄産労と組織統一して西日本旅客鉄道産業労働組合(略称、西労組)を結成し、JR総連から脱退して新たに平成四年七月JR西日本連合を組織した。
(四) その後、西労組は一企業一組合を目指して組織の強化、拡大に積極的に取り組み、前記経緯からJR西労に対しては強硬な方針で臨み、西労組の運動方針でも、組織の強化、拡大をスローガンとして掲げ、JR西労の組織率が高い運転職場におけるJR西労対策に重点を置くことが打ち出されている。
2 この点について、原告らは、被告がJR総連が提起したスト権論議に介入し、当時の西労組執行委員長大松を慫慂してJR総連が主催した国際鉄道安全労組会議や支援していた国際鉄道安全会議への参加を拒否させ、大松をして西労組のJR総連からの断絶などを提起させ、現場管理者らを通じて同組合員に対し、JR総連からの脱退指示を慫慂させるなどの支配介入をした等主張しているが、これを認めるに足りる証拠はなく、右認定を覆すに足りる証拠はない。
また、右認定事実によれば、西労組が労使協調を掲げ、また、西労組とJR西労との分裂がスト権論議を契機とするものであったことからすれば、西労組と被告が親和的ないし協調的であると認められるが、一方で、そのため、被告がJR西労を嫌悪していると推認はできず、これを認めるに足りる証拠もない。
二 本件堀江に対する懲戒処分について
1 証拠(略)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 平成一一年六月二日に、長期間乗務から離れていた被告の従業員である藤林の運転業務復帰にあたって、同人を対象とする運転操縦審査が行われた。右審査は、従業員が列車の運転操縦を行う適性を有しているか否かを見極めることを目的とする審査であった。同日の審査内容は、奈良駅発JR難波行各駅停車の列車(七七一系)を藤林に運転させ、制限速度の遵守、ブレーキ操作が的確か、運転動作・機器の取扱いに誤りがないか等の観点からその運転操縦を審査するものであり、被告の辻本副助役が運転室内で、古川助役が客室側からそれぞれ分担して藤林の運転操縦を審査するものであった。古川助役の担当する審査は、運転操縦審査のうちブレーキ取扱時における初速の測定、駅間の運転時分の測定及び運転状態の注視であった。
(二) 藤林は右列車に奈良駅から乗務したが、運転操縦審査は王寺駅から実施された。
同日の審査が行われた列車は、運転室背面に三つの窓があったが、審査時における古川助役の立ち位置は、ブレーキ初速の測定にはブレーキハンドルと速度計の両方を常に見る必要が存することから、運転席背面の客席側の中央の窓の左側付近あたりあるいは藤林の右肩越しにのぞき込める左側の窓の右側付近であった。
(三) 古川助役が運転操縦審査を行っていたところ、奈良駅から乗車し客席に座っていた原告堀江が志紀駅発車後突然古川助役の右横側に立ち、運転室背面中央の窓の位置から前方をのぞき込み、左肘を古川助役の方に張り出すなどの行動をとったため、堀江の肘で古川助役は左方向に押される形となった。
しかし、古川助役は、左方向に動いてしまうと、藤林のブレーキ操作を見ることができなくなり運転操縦審査に支障が生じるため、原告堀江に対し、「審査にじゃまだから客室に戻れ」「審査中に話をしたり、その横柄な態度はなんや、改めて言う、じゃまや早く客室へ戻れ、運転操縦審査中であり、その行為は業務妨害である。一〇時四二分注意しておく、社員の不祥事としてあげる」と注意をした。
しかし、原告堀江は、なぜ、前を見たらだめですか、前を見ているだけですやんかと発言し、古川助役の再三の注意に従わず、その位置も変えなかった。そのときの車両内の状況は、乗客もそれほどおらず、原告堀江が立ち位置を変えることができないような状態ではなかった。
こうした状況であったため、古川助役は、志紀駅から八尾駅間においてブレーキ取扱時の初速の測定、駅間における運転時分の測定及び藤林の運転状態の注視ができなかった。
(四) その後ようやく堀江が中央の窓のやや右寄りに離れたので、古川助役は八尾駅以降は原告堀江に妨害されることなく、審査を継続することができた。
しかし、古川助役が運転操縦審査を完全に遂行できなかったために、結局藤林の運転操縦審査は再審査を要することとなった。
2(一) 右認定事実に対し、原告堀江本人は、平成一一年六月二日の経緯について、まず、客室が混んできたことから席を立ち、前方を見るため及び藤林の運転が気になったという理由で運転席背面の中央の窓の右側付近に移動した、また、古川助役は、運転席背面の左側の窓から運転台を見ていたと供述する。
しかし、原告堀江は藤林の運転を気にして藤林の操作を見ようとしていたのであるから、同原告が藤林の操作が十分見えない運転席背面中央の窓の右側付近に移動したというのは不自然であり、むしろ、(証拠略)によれば、藤林の状況を見るのであれば、原告堀江はより藤林に近い中央窓の左側に立つのが自然であると言えるから、原告堀江本人の右供述は直ちに信用できない。
また、原告堀江本人は、古川助役が左窓の左側から審査を行っていた旨供述するが、(証拠略)によれば、原告堀江の主張する位置からでは、古川助役は、運転士の頭部がじゃまになってブレーキハンドルが見えないのであり(原告堀江も本人尋問において、運転席背面の窓の左側からブレーキハンドルが見づらい旨を供述している)、古川助役が運転操縦審査においてブレーキ取扱時における初速の測定等を行っていたことからすれば、ブレーキ取扱時におけるブレーキの初速の測定を行うにはブレーキハンドルと速度計の両方が常に見える位置に立つことが必要であるが、このような位置は運転室背面の左の窓の右側付近をおいて他にないのであって、したがって、同人は、運転室背面の左の窓の右端付近に立っていたと認められるのであり、この点においても原告堀江の供述は採用し難い。
(二) さらに原告堀江は、運転室背面の客室側の中央の窓から前方を見ていただけで何ら古川助役の業務は妨害していないと主張している。
確かに、原告堀江は中央の窓の左側付近からのぞいており、古川助役は左の窓の右側付近からのぞいており、のぞいている窓は異なるものであったといえるが、中央の窓と左側の窓との間にはわずかな幅しかなく、原告堀江の立っていた位置とその姿勢が古川助役の業務に支障を与えるものであることは容易に推認できる。そして、古川助役が原告堀江に対し、じゃまだ、審査妨害であるなど言ったりあるいは大声で怒鳴ったことが認められ、原告堀江も単に前方を見ているだけであるなら、被告の従業員として被告の業務が円滑に遂行されるように古川助役の指示に従えば済むにもかかわらず、あえて自分の立つ位置を変えなかったことからすれば、原告堀江は、自己の行為が業務妨害となっていると認識しながら右行為をとり続けていたものといわざるを得ない。
(三) また、(書証略)によれば、原告堀江は、本件業務妨害の経緯が記載された書面に押印しており、原告堀江は当時も本件業務妨害の事実を大筋で認めていたと認められる。この点、原告堀江は、押印を強要されたと弁解するが、原告堀江は、右書面への押印まで二〇分くらいの時間はあったと供述しており(原告堀江本人)、妨害の事実がなければ拒絶する等したはずであるしまたそれも可能だったと認められる一方、押印を強要されたと認めるに足りる証拠はない。
3 以上によれば、古川助役が繰り返し原告堀江に対し、原告堀江の行為は業務妨害であり、審査のじゃまであるから客席に戻るように注意したにもかかわらず、原告堀江は中央の窓から前方をのぞき込むような行動をとり続けて古川助役が藤林のブレーキ操作や速度計を見ることを困難としたため、古川助役の運転操縦審査実施に支障が生じ、古川助役は藤林の運転操縦を十分見極めることができなかった上、これにより藤林について再審査を要する事態を招来させたのであるから、運転操縦審査という被告の業務の適正な実施を妨害したとして、右原告堀江の行為が、被告就業規則一四六条一二号(著しく不都合な行為を行った場合)に該当するとしてされた本件堀江の懲戒処分は理由があるし、その処分内容も、事案の内容から不当とはいえない。
なお、本件堀江の懲戒処分は、原告堀江の右業務妨害という非違行為に対する処分であるから、これが不当労働行為であるとはいえず、また、これを不当労働行為であると認めるに足りる証拠もない。
三 本件原告三浦に対する懲戒処分について
1 証拠(略)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 平成一〇年一二月一七日の件について
(1) 平成一〇年一二月一七日、被告の日根野電車区において、始業点呼開始前、当日制御の担当に指定されていた被告従業員の池田が野川助役に対し担務変更を申し出た。その理由は、池田は長らく制御を担当していないからできないというものであった。被告では従業員がどのような担務に就くことが可能かを各従業員別の車種別ライセンス一覧表で把握しており、野川助役は、池田は最近制御を担当していないことは知っていたので、前日の一六日の担務指定の際に池田の了解をとった上で池田を制御に指定したものであった。
池田からの申し出により、野川助役は、池田が行うとされていた制御の業務は誰にでも遂行できるものであったものの、始業時間が迫っており、業務に支障が生じてはならないことから、当日機械を担当することになっていた原告三浦に対し、検修社員詰所において担務変更の指示をした。
これに対し、原告三浦は、担務変更には応じたが、ああ俺はかめへんけど、誰が何をできるかキチッと押さえてへんからこんなことが起こるねん。お前ら、誰がどこの担務をこなせるか、ちゃんと整理してんのかなどと大きな声で述べたため、野川助役は驚いた。
(2) 同日、原告三浦の右行為については直ちに被告大阪支社に報告がされた。
しかし、原告三浦は、野川助役に対して右のような発言をしたものの、最終的には野川助役の業務上の指示に対し担務変更に応じたので、被告大阪支社としては懲戒処分を留保し、現場の長である区長から原告三浦に対して注意指導を行い、反省を促すともに日々の業務態度について観察することとなった。
(二) 平成一一年四月八日の件について
(1) 被告大阪支社は平成一一年度においてゼロ災害を目指す労働災害防止の取組みを行うこととしており、被告日根野電車区においてもこうした方針を受けて従業員の労働災害防止に対する意識の向上を目的として点呼時において労働災害防止スローガン「一人ひとりの熱意で築くゼロ災 ヨシ!」を全員で唱和するなどしており、検修担当の磯貝助役は以前から唱和しない者、唱和しても声が小さい者に対し大きな声で唱和するよう指導を行っていた。
(2) 平成一一年四月八日、朝の点呼時におけるKYT(危険予知トレーニング)の唱和の際、原告三浦の声が小さかったために、磯貝助役は、午前一〇時ころ、検修庫の巡回の際に原告三浦に対して注意指導を行った。磯貝助役の原告三浦に対する注意指導は、今朝の点呼時における経営理念の唱和、交番検査のKYTの唱和の声が小さかったので、もう少し大きな声を出すようにというものであった。
これに対し、三浦は、「あんたに言われることはない、私なりの声を出している」「あんたにいわれなくてもやる」、「私なりに声は出している。このままやっていく」「自分なりの声を出すだけでじゅうぶんだ、自分自身でやるだけでいいじゃないか」などと大きな声を出した。
(3) このように、原告三浦は平成一〇年一二月一七日の件で区長から注意を受けていたにもかかわらず、平成一一年四月八日に再度磯貝助役の指導注意に対し反発して暴言を発するという行為を行ったため、被告大阪支社においては、二件の非違行為をあわせて懲戒処分の対象とすることとし、賞罰審査委員会の審査を経て、最終的に本件懲戒処分を行うこととなった。
2 右認定事実に対し、原告三浦は、両日の発言についていずれもこれを否認し、また、本人尋問においてはこれに沿う供述をし、(書証略)にもこれに沿う記載がある。
(一) しかし、平成一〇年一二月一七日の経緯についての原告三浦の陳述及び供述には曖昧な点が多い。すなわち、原告三浦は当日一六五系車両の検修を行うことになっていたと供述するが(証拠略)、実際担当したのは一〇三系であった(書証略)し、また、原告三浦は当日野川助役の担務変更の指示にかかわらず結局原告三浦も池田もともに当初予定されていた担務に就いたとしているが(書証略)、(書証略)によれば、原告三浦が制御を、池田が機械をそれぞれ担当したことが認められるのであり、原告三浦の供述は客観的事実に反しており、不確かな記憶に基づくものといわざるを得ず、直ちに信用することはできない。
また、原告三浦は、池田が、野川助役が原告三浦に対して担務変更を指示したことに対して怒っていた旨を供述するが、野川助役は、池田の申し出に従った措置を講じて原告三浦に対して担務の変更を指示したのであるから、池田が野川助役に対して怒るような事情はなく、また、原告三浦の主張のようにそもそも池田が野川助役に担務の変更を拒絶されたのであれば、何ら担務を指定する権限を有しない原告三浦に対して池田が担務変更を申し出ることは不自然であり、そのような従業員間における担務変更が被告において認められていると認めるに足りる証拠もない。
以上のことからすれば、平成一〇年一二月一七日の経緯についての原告三浦の供述は採用できない。
(二) また、平成一一年四月八日の経緯について、原告三浦は、磯貝助役とのやりとりで「あんた」という言葉を用いたことは認めているが、顔見知りの助役に対し、原告三浦の出身地である大分県では目上の者にも使われる言葉であるから顔見知りの磯貝助役に対して「あんた」という言葉を用いることは何ら不当ではないと弁解する。
しかし、原告三浦は、平素から点呼時等に指差し声出しを行っていないことを自ら認めているところ(書証略)、右当日の朝の点呼時は磯貝助役は原告三浦と対面する形で四メートルくらいの距離に立っており、原告三浦の声を十分認知できる状況にあったことが認められ(人証略)、ことさら磯貝助役が原告三浦が声を出していたにもかかわらず、声を出すようにと注意指示をしなくてはならない事情も認められないし、原告三浦も、(書証略)によれば、「あんた」という言葉を暴言ととられたことに対して不満をもっているものの、磯貝助役の指導が不当である、あるいは事実誤認であると認識していたとは認められないから、これらのことからすれば、磯貝助役の原告三浦に対する注意指導が不当なものであったと認めることはできない。そして、原告三浦本人尋問の結果によれば、原告三浦は平素磯貝助役のことを「助役」ないし「磯貝助役」と呼んでおり、右経緯において、ことさら「あんた」という言葉を発し、大声を出したのであるから、「あんた」という言葉が原告三浦の出身地において目上の者に対して用いる言葉だとしても、通常の教育を受けている同原告がこれを謙譲の趣旨で用いたというのは牽強付会もはなはだしいもので、その経緯からすれば、磯貝助役の注意指導に反発した暴言といわざるを得ない。
3 したがって、右1で認定した事実によれば、原告三浦には、平成一〇年一二月一七日の行為に対する注意後も平成一一年四月八日に上司に対して正当な理由なく暴言を吐き、その指導に反発したのであるから、右二件の行為が被告就業規則一四六条一二号(著しく不都合な行為を行った場合)に該当するとしてされた本件三浦の懲戒処分は理由があるし、また被告が被告大阪支社における同種の事案(書証略)を勘案して行った処分内容は、本件の内容、過去の事例と比較しても不当ということもできない。
なお、本件三浦の懲戒処分は原告三浦の右行為に対する処分であるから、これが不当労働行為であるとはいえず、また、これを不当労働行為であると認めるに足りる証拠もない。
四 本件藤原の懲戒処分について
1 証拠(略)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 被告の動力車乗務員作業標準において、ワンマン運転の際運転士は降車側を確認の上、ドア取扱いをすることが義務として定められている。具体的には駅に到着した際、ホームが左右いずれかにあるか指差し喚呼して確認し、その上でドア開閉ボタンの左右を指差確認してドア開閉ボタンを押してドア取扱いを行うことを要するとされている。
(二) 原告藤原は、平成一〇年三月二七日の午後九時ないし一〇時ころ、播但線のワンマン列車(二両編成)を運転し、寺前から姫路に向かった。同列車には乗客指導係の車掌が同乗していた。原告藤原は、野里駅もしくは京口駅で停車した際、本来ならば一両目のホーム側一番前のドアを開けて降車客を降ろし、その後ホーム側一番後ろのドアを開けるべきところ、ドアスイッチを確認せずに誤ってホームと反対側(ホームのない側)のドアを開扉してしまい(本件事故)、車掌から反対側を開いたと指摘されたために原告藤原は開いたドアを閉めた。幸い、線路に落下した乗客はおらず、乗客に支障はなかった。
本来であれば、本件事故のようなドア扱い不良事故は、被告に対して報告を要する事故であったが、原告藤原は、同日の勤務終了時にこれを被告に報告しなかった。
(三) 平成一〇年九月ころ、被告に対し、匿名の投書があった。その投書の内容は、姫路駅でホームのない方のドアが開くという事故があったが、運転士はそのことを被告に報告せずに事故を隠蔽しているという内容であった。被告は投書で指摘された事故の発生を把握していなかったため、事実関係の調査を開始し、被告の福崎鉄道部所属の従業員に事情聴取したところ、調査の結果合計四件のドア扱い不良事故が発生していることが明らかとなり、そのうちの一件が原告藤原が惹起した本件事故であった。右調査は、ドア扱い不良事故が発生したと指摘された福崎鉄道部の従業員から事情聴取する方法で行われたが、その際被告は、従業員に対し、姫路駅等におけるドア扱い不良事故について噂を聞いたことがあれば申告するように求めるとともに、自身がドア扱い不良事故を起こしたか否かについても申告するように求めた。原告藤原は、福崎鉄道部に属しており、平成一〇年九月二五日に事情聴取を受けたが、その際、姫路駅などにおけるドア扱い不良事故は知らない、また自らドア扱い不良事故を起こしたことはないと述べた。
しかし、平成一〇年九月二九日、他の従業員の事情聴取の際に、原告藤原が野里駅ないし京口駅にて本件事故を発生させていたとの事実が判明した。
そこで、平成一〇年一〇月二日、被告は、再び原告藤原に対し、事情聴取を行ったところ、原告藤原はドア扱い不良事故を発生させたことを認めた。
(四) そのため、被告はさらに必要な調査を行った上で、原告藤原に対し、本件藤原に対する懲戒処分を行った。また、本件事故については、関係者の記憶が曖昧だったりしたために、当初、平成一〇年四月に惹起されたものと被告は把握していたが、調査の結果、平成一〇年三月二七日に起こったものであることが判明した。
2(一) 右認定事実によれば、本件事故の経緯は、原告藤原が駅に到着した後に本来なら降車側の前方ドアを開扉しなければならないところ反対側の前方ドアを誤って開閉したというものであり、原告藤原は、ドア扱い不良事故を惹起したこと自体は認めているし、その態様については、原告藤原も本件右認定事実と同様の主張をしている。
しかし、原告藤原本人尋問においては、原告藤原は、駅到着後、降車側の前方ドアを開扉と降車乗客の取扱いをした後、降車側の後方ドアを開扉しその後降車側の前後のドアを閉めなければならないところ、誤って反対側のドアを開扉したと供述し、さらには、原告藤原は降車側と反対側のドアを閉める際の状況について、反対側のドアを開けたところ、車掌から「反対側が開いた」と言われてドアを閉めたと主張し、(書証略)の原告藤原の陳述書にもこれに沿う記載があるのに、本人尋問においては、ドアが開く音で誤りに気づき、車掌の指摘を待つまでもなく自らドアを閉めたと供述しており、その供述に一貫性がないだけではなく、その一連の経緯は不自然であるといわざるを得ない。被告は、本件事故の態様を他の事情聴取から把握しており、その経緯に特段不合理な点はなく、また、原告藤原が本件事故の存在を認めるに至った以上、被告がことさら本件事故の態様についての調査結果を偽る必要性は認められないのであって、本件事故の経緯に関する原告藤原の供述は不合理かつ信用性に欠け、採用できない。
(二) また、原告藤原は、そもそも本件事故は、ドア開閉ボタンの構造上の欠陥あるいは被告の安全対策の手抜きに起因すると弁解する。
しかし、被告のドア扱い不良事故の発生件数は、過去四年間で約一〇件である(人証略)が、もし開閉装置に欠陥があればこの程度の事故件数では収まらないと考えられる。また、原告藤原が本件事故を起こした一〇三系車両の運転席部の構造は左側のボタンと右側のボタンの間隔は相当離れており(証拠略、二〇センチくらい離れていると証言している)、原告藤原は、一〇三系のドア操作部について、左右の間隔が狭く、左右を誤りやすいと主張しているが、運転士は降車側が左右いずれかであるかを指差喚呼して確認し、さらに手元を確認して再度喚呼の上ボタンを押してドア取扱いを行うことになっていること、ドア扱い不良事故のまず第一の原因はそれを取り扱う者の意識ないし行動に存すること(人証略)、結局のところ原告藤原も本件事故は自分の確認ミスに起因するものであることを認めている(人証略)ことからすれば、本件事故の原因はドア開閉ボタンの構造に起因するものとはいえず、原告藤原のドアボタンの押し間違いによるものというべきである。
(三)(1) さらに、事故隠蔽について、原告藤原は、従来列車遅延ないし乗客の負傷といった事態が生じていない限り報告義務は課されていないから、本件事故についても被告に報告しなかったと主張する。
しかし、動力車乗務員作業標準(書証略)は、列車の安全、正確な運行を図るために乗務員の作業方法について具体的に定め、終了点呼時の際に乗務中における異常の有無及び内容について報告することを求めており、事故または事故らしい事象が発生した場合にはその軽重ないし具体的な結果発生の有無に関係なく乗務中における異常としてその内容を当然報告することを要するとされている。また動力車乗務員作業標準では、関係達示類、伝達簿、掲示を熟読する旨を定めているところ、事故隠蔽行為について全員が正しい事故防止に取り組むことを求める内容の記載のある掲示(書証略)、事故隠蔽の問題点の指摘がされるとともに、あった事実はすべて報告すること、勝手な判断をしないこととの記載のある掲示(書証略)、列車の遅延があるなしに関わらず、事故または事故らしいことに遭遇した場合は、躊躇することなく運輸指令または安全対策室長に報告することとの記載のある掲示(書証略)が、いずれも原告藤原の就労先に掲示されており、さらには平成九年四月に行われた指導訓練の際、「列車等に遅延がある無しにかかわらず、事故または事故らしいことに遭遇した場合は、躊躇することなく運輸指令または安全対策室長に報告すること」との記載のある「温故知新(No.5)」と題する書面(書証略)を題材として、報告義務の意義と内容について被告から出席者に説明があったが、原告藤原はこの指導訓練に出席していた(書証略)。これらのことからすれば、原告藤原は、当然に事故報告の意義とその具体的内容を認識していたというべきである。また、(書証略)によれば、本件事故に関する反省文において、原告藤原は、本件事故は重大事故であり報告義務があることは認識していたことが認められる。
したがって、原告藤原は、本件事故は被告に報告すべき義務があることを認識していながら、これを報告しなかったものであり、原告藤原の実害が発生しなければ報告しなくてもよいとの弁解は、原告藤原の勝手な判断に基づくものといわざるを得ない。
(2) それにもかかわらず、原告藤原は本件事故を被告に報告しなかったのであるが、被告は、本件事故については完全に忘れていたから事情聴取の際にも申告しなかったのであり、意図的に事実を隠そうとしたものではないと主張する。
しかし、原告藤原の主張によれば、原告が所属するJR西労では、一〇三系列車についてはドア扱い不良事故が発生することが懸念されており、そのことを組合が再々にわたって問題提起していたというのであるから、実際に本件事故を起こした藤原が事故のことを簡単に忘れてしまっていたとは言い難く、これに沿う原告藤原の供述は採用できない。
(3) また、本件事故の発生日について、原告藤原は、その特定がなかった旨を主張する。
確かに、右1で認定した事実によれば、被告は本件事故の発生日を平成一〇年四月一〇日としていたが、その後の調査により平成一〇年三月二七日であることが判明したものであるが、これは、(人証略)によれば、関係者が事故隠蔽を図ったこと及び関係者の記憶が曖昧であったことから事故発生日時と事故発生場所の判明に困難を来したためであって、原告藤原が本件事故を起こしたこと自体は原告藤原も認めており、この点は原告藤原に対する本件懲戒処分の有効無効の判断を左右する事由とはならないというべきである。
3 以上のように、右1で認定したとおり、原告藤原は、漫然と降車側と反対側のドアを開扉して本件事故を惹起し、かつそれについて報告義務があるにもかかわらず、これを怠り、本件事故を報告しなかったのであるから、右行為が、会社の諸規程に違反したとして被告就業規則一四六条一号に、また、懲戒されるべき事実を故意に隠したものとして同条八号に該当するとしてなされた本件藤原の懲戒処分は理由がある。
また、本件では幸いにも乗客に危険は生じなかったが、ドア扱い不良事故は乗客への生命、身体への危険を発生しかねず、このような観点から、被告が、平成八年三月二〇日に発生した舞鶴線西舞鶴駅信号取扱事故に関する事故隠蔽に際し当該助役が出勤停止一四日間の懲戒処分に賦されていたことを勘案して(証拠略)、原告藤原に対し、出勤停止七日間の懲戒処分をしたことは、その処分内容の点においても、重きに失するとはいえない。
さらに、原告藤原は、本件藤原に対する懲戒処分は、被告の不当労働行為意思に基づくものであるとも主張するが、本件藤原に対する懲戒処分は本件事故を惹起させたこと及びこれを故意に隠蔽したことを理由としてされたものであることは前述のとおりであり、これを不当労働行為であるということはできず、またこれを不当労働行為であると認めるに足りる証拠はない。
第四結論
以上のとおり、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 大島道代 裁判官 西森みゆき)