大阪地方裁判所 平成13年(わ)3165号 判決 2003年10月31日
主文
被告人を懲役3年に処する。
未決勾留日数のうち120日をこの刑に算入する。
この裁判が確定した日から5年間この刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
【有罪と認定した事実】
被告人は,平成10年7月6日から平成12年3月31日までの間,大阪府箕面市<中略>に主たる事務所を置く箕面市農業協同組合(平成12年4月1日他の農協と合併して大阪北部農業協同組合となる。以下,本件当時の呼称に従い,「箕面市農協」という。)の本店営業課長として,箕面市農協における定期貯金・定期積金担保貸付の決定及び貸付債権保全手続等の職務に従事していたものであるが,営業課長の立場で同農協からその資金を定期貯金・定期積金担保貸付として同組合員以外の者に融資を行う(いわゆる員外貸付)に当たっては,関係法令や同農協の定款,貸出業務規程等諸規定を遵守することはもとより,定期貯金又は定期積金を担保として確実に徴求し,貸金債権の保全・回収に万全の措置を講ずるなどして,同農協のため誠実にその事務を行うべき任務を有していた。
しかるに,被告人は,箕面市農協の顧問等と自称し,同農協に大口貯金者を紹介するなどしていたAや,B株式会社(以下「B」という。)等の代表取締役であって,Aとともに同農協に大口貯金者を紹介する一方,同会社の資金繰り等のためA名義で同農協から多額の融資を受けたりしていたCと共謀の上,被告人において,別表(省略)「犯行年月日」欄記載のとおり平成10年11月17日ころから平成11年5月7日ころまでの間,前後13回にわたり,前記箕面市農協本店事務所において,Aから,同表「担保を仮装した定期貯金」欄記載の各名義人の定期貯金を担保として,Aに同表「貸付金額」欄記載の各金額の貸付をされたい旨の申込みを受けるや,その任務に背き,Aが各貯金名義人に無断で同定期貯金の担保提供を申し出ていること,及び,当時同農協はAに対し多額の貸付金残額を有しており,しかも,その多くは,それ以前に貯金者に無断で貸付の担保にされた定期貯金の満期償還金に充てられたり,また,必ずしも成功するとは限らない長崎県所在の土地の開発事業等に費消されていることを了知し,Aにその貸付を実行すれば,その回収が困難な状態に陥り,同農協に損害を加えることになるかも知れないことを認識しながら,A及びCの資金繰りに寄与してその利益を図るとともに,自己が関与した無担保貸付の発覚を免れることにより同農協内での自身の地位・名誉を保全する目的をもって,あえて,上記各名義人の定期貯金を担保に徴求したかのように装うとともに,同貸付金を安全確実に回収するための措置を何ら講じないまま,Aに対し,別表記載の金額合計16億4352万円の定期貯金担保貸付を実行し,もって同農協に同額の財産上の損害を加えた。
【争点に関する判断】
第1弁護人らの主張
弁護人らは,被告人が,箕面市農協の本店営業課長として,Aに対し,別表記載各貸付のうち,2の貸付を除くその余の貸付を実行したことは争わないものの,①これらの貸付は,被告人が上司の命に従って行ったものであるから,任務違背の事実はないし,②その債権回収の関係でも,被告人は,Aらがベンチャー企業への投資や土地開発により巨額の利益を上げ,これにより貸付金の回収が可能であると認識していたから背任の故意もない,③さらに,被告人は,自らの利益やA,Cの利益のため上記貸付を実行したものではなく,箕面市農協の利益のためこれを実行したものであるから,被告人に図利加害目的は認められず,④AやCとの共謀も認められないなどとそれぞれ主張し,いずれにしても被告人は無罪であると主張している。
また,仮に上記各主張が認められないとしても,⑤上記のとおり,別表2の貸付は被告人が担当したものではないし,⑥別表5~7の貸付については,D株式会社(以下「D」という。)からその定期貯金を担保とする旨の有効な担保提供があったか,少なくとも被告人は有効な担保提供があると信じて貸し付けたものであるから,背任の故意を欠く,したがって,上記2,5~7の各貸付けに関しては,被告人は無罪である旨主張している。
第2当裁判所の判断
そこで,以下では,まず本件の事実経過を認定した上,これを前提に上記各争点につき逐一検討を行うこととする。
1 本件の事実経過
(1) 認定事実
前掲の関係各証拠によれば,箕面市農協の組織,Aが同農協から貸付を受けるようになった経緯,被告人が平成10年7月6日に箕面市農協本店営業課長に就任した後,Aに各貸付を行っていた状況等は,以下のとおりであると認められる。
ア 箕面市農協の組織,貸付け業務等
(ア) 箕面市農協の組織等
箕面市農協においては,総代会という最高意思決定機関はあったものの,実質的に組織を動かしているのは組合長と,これに次ぐ専務理事であり,また,その下に一般職員の最高位として参事がいて,各店,各部等を統括していた。
箕面市農協の本店には,総務部,金融部,協同活動推進部の3部が置かれており,他方,本店の各部とは独立した形で,本店営業課,箕面支店,豊川支店,止々呂美支店があった(本店営業課は,実質的には箕面市農協の萱野支店と言うべきものであるが,本店建物の中に置かれていたことから,上記のとおり呼称されていた。)。本店営業課には,課長以下六,七名の職員がおり,営業課長の下には課長代理がいて,本店営業課の内部的事務はこの二人により最終処理されていた。
なお,平成11年度における箕面市農協の貯金受入量は,農協全体で546億円であるが,そのうち250億円前後を本店営業課が保有していた。
(イ) 貸付業務に関する業務分掌等
同農協における業務分掌は,その「職制規程」によって定められているところ,本店営業課の業務として,「貯金・定期積金の受払及び利息計算に関すること」「権限内の貸付金の貸出及び回収に関すること」「貸付金の管理と償還指導に関すること」「証書・手形及び担保物件の保管管理に関すること」が定められている一方,金融部金融課の業務としても,「貸付金の実行と債権保全,担保物件の管理に関すること」「証書,手形の保管管理に関すること」「貸出金の償還指導に関すること」等が定められてもおり,両者重複する部分が見られるが,同農協内部では,貯金等の受払や貸付等の業務に関しては,本店営業課や各支店が対顧客関係の窓口業務や渉外活動業務を担当し,他方,金融部金融課は,これらの業務活動の指針を示したり企画を立案したり,また,重要な案件について決裁を下したりすることなどを通じてこれらの業務を全般的に統括するのが原則とされていた。
ただ,同農協のように,職員が全員でも50~60名程度しかいない小規模な組織では,業務分掌を厳格に運用すると顧客の求めに迅速に対応できないことから,窓口業務についても,実際の取扱いは上述の業務分掌に従って厳密に区分けされていたわけではなく,担当者が席を外していたり,別の客の相手をしているような場合,例えば,本来は職制上その担当とされていない金融部共済係の職員が貯金の預入れ等客の応対をすることも珍しくなく,また,特定の顧客に関しては,所属部署に関係なく,特定の職員が対応するという扱いも行われていた。
(ウ) 貸付業務に関する同農協内の規制
本来農協は組合員の利益を図るために設立される団体であるから,資金の貸付対象者も組合員となるのが原則であるが,農協法10条24項により,組合員以外の者にも貸し付けできるといういわゆる員外貸付もできると定められている。ただ,同項には「当該事業年度における当該組合の貯金及び定期積金の合計額に100分の20以内において政令で定める割合を乗じて得た額を超えないこと」と規定され,単一農協における員外貸付の総額が貯金等総額の一定割合以下であることが要求されていることから,それを受けて,箕面市農協においても,「信用事業規程」の第2の2(6)において,「一事業年度において,員外貸付及び組合員以外の者に対する手形割引の合計額は,当該事業年度における組合員に対する資金の貸し付け及び手形の割引の合計額の5分の1を超えてはならない。」と定められ,員外貸付等の総額が規制されていた。
また,箕面市農協における貸出業務の取扱いについて定めた「貸出業務規程」19条は,「貸出の実行にあたっては,原則として担保を徴求する。但し,大阪府農業信用基金協会保証等の貸出で,組合が担保設定をしない貸出及び個人保証貸出は除くものとする。」と定めており,但書に該当しない場合には,全て担保を徴求すべきこととされていた。
(エ) 貯金担保貸付に関する規程等
箕面市農協が貸付を行う際の事務手続の細則としては,「貸出事務取扱要領」が定められており,その22条の2には,定期貯金を担保とした貸付(以下「貯金担保貸付」という。)に関しては,それを実行する時点で,定期貯金証書等の担保物件の引き渡しを受けなければならない旨が定められていた(なお,定期積金証書等については,担保提供者の代理占有を許す規定が存在したが,定期貯金証書に関してはそのような規定が存在しなかったため,定期貯金証書を担保とする貸付の際には,必ず同証書を箕面市農協が占有せねばならないと考えられていた。)。
そして,前記職制規程中の職務権限表によれば,貯金担保貸付は,本店営業課においては,主任課員や課長代理が立案したものを営業課長が決裁し,金融部次長や部長に対して報告すべきものと定められていた(なお,この報告は,貸付ごとに行うという取り決めであった。)。
(オ) 本店営業課における貯金担保貸付の手順
本店営業課において貯金担保貸付を行う場合には,以下のような手順で行うのが通例であった。
① まず,担当者は,借入申込人に借入申込書の必要事項を記載して提出してもらい,同申込書裏面の貸付稟議書に自ら必要事項を書き込んだ上,決裁に回す。
② 営業課長の決裁が下りれば,担当者は,借入申込人に,担保として差し入れられる定期貯金に関する担保差入証に必要事項を書いてもらい,同時に定期貯金証書を預かるとともに,借入申込人等に対しては担保品預かり証を交付する。
③ その後,担当者は,「貸付限度額登録票」「貸付条件登録票(手形形式)」「手形貸付実行(手形形式)」等の起票や決裁,必要事項の端末入力等の作業を行った後,約束手形用紙を借入申込人に交付し,振出人欄に記名押印をもらった上,その手形を預かる一方,借入申込人が箕面市農協に普通貯金の口座を開設している場合には「当座性貯金入金票」を起票して同口座に入金し,口座がない場合は「振込依頼書」のみで同申込人の指定する先に振込送金を行う。
イ Aが箕面市農協から貯金担保貸付を受けるに至った経緯
(ア) Aは,昭和47年ころから街頭で易者をしていたが,そのうち事業所を回って飛び込みで易者の仕事をするようになり,昭和52年ころ,箕面市農協の前身である萱野農業協同組合でも営業したところを,当時の参事に気に入られて,同農協への出入りを許されたことから,やがて同農協職員の占いをしたり,印鑑を展示販売させてもらうなどして職員たちとも親しく交際するようになった。
その一方で,Aは,同農協に,大口貯金者を紹介したりして,農協幹部等からも信用されるようになり,前記のとおり若いころから親しく交際していた職員達がやがて農協幹部に昇進していくにつれ,農協の業務や人事などにも一定の影響力を与える存在となっていき,自らも勝手に「農協顧問」などと名乗るようになっていった。
(イ) ところで,Aは,平成5年ころCの長女を知人であるEにその息子の嫁として紹介しその仲人も務めことから,その後Cとも親しく付き合うようになっていたところ,平成7年ころ,Cから,同人が経営するBが不渡手形を掴まされてしまったので1500~1600万円を融資してほしい旨依頼されたため,Bが倒産しては,知人のEに対しCの娘を紹介した自己の面子が潰れるなどと考え,Cの申し出に応えて自己資金等を融通した。しかし,Bの資金繰りは好転せず,その後も,Aは,Cから求められるまま,更に約3000万円の自己資金を融通したほか,前記Eの弟や,古くからの友人で保険代理業をしていたFからそれぞれ3000~4000万円を借りたりして,その金をもCに融通していた。
(ウ) その後も,Aは,Bが倒産すれば,これまで自らCに貸し付けてきた自己の金のみならず,Fらに借りて調達した金までもが回収不能になって,Fらの信用を失ってしまうなどと考え,Cからの追加融資の申し出にもその都度応じていたが,やがて自己資金も底をつき,知人からの借金も限界に達していたことから,新たな資金調達の方法を考えるうち,第三者に特定の金融機関へ定期の預貯金をしてもらい,預貯金者に無断で同定期預貯金を担保に入れて金融機関から借入れを受け(以下,借入れ名義人に関わりなく,預貯金の出捐者に無断で定期預貯金を担保として,実質的にAらが借入れを受けることを「無断担保借入」又は「無断担保貸付」という。),その貸付金をCに融資し,併せてその一部を自己の個人的な借金の返済等にも使おうとも考え,その借入先の金融機関としては,箕面市農協なら,以前から親しく出入りしているし農協職員と面識があるので貸付手続等にも便宜を図ってもらえるのではないかと考えた。
(エ) そこで,Aは,Cに対し,「農協に大口で定期貯金をしてくれる人を探して貯金してもらい,その貯金を担保に金を借りようか。わしが借りて,あんたに回してあげる。担保に入れて,それで金借りるなんて言うたら誰も貯金なんかしてくれへんから,担保にするいうのは内緒やで。貯金してくれる人には,『農協には特別の定期貯金枠があり,その特別の定期貯金をしてくれれば,農協が運用して,正規の利息以外に,3~5パーセントくらいの裏利息が出る。』と言って誘ったらええやないか。農協が金を貸してくれるのは,定期貯金を担保にするんやから,貯金者に証書は預からせてもらいますと言わなあかんで。」などと言って無断担保借入を誘い掛け,Cもこれを了承した。
(オ) 他方,Aは,無断担保借入の意図を隠し,Fにも箕面市農協へ定期貯金をしてくれる人の紹介を依頼していたところ,平成7年4月ころ,Fは,G株式会社(以下「G」という。)社長のHから箕面市農協に2000万円の定期貯金をする旨の約束を取り付けた。同年4月中旬ころ,Aは,箕面市農協に赴き,G名義で2000万円の定期貯金をし,H名義で貸付を受けようとしたが,後記のとおり,被告人らから問題点を指摘されて断られたことから,G名義で定期貯金することは断念したものの,今度は自己の名義で定期貯金し同名義で無断担保借入を行おうと考え,Fを介してHに対し,「農協は組合員のための組織で,組合員以外の者は簡単に貯金できない。」等と嘘をついて定期貯金の名義を自己の名義にすることの了承を得,同月25日,再度箕面市農協に赴いて,A名義で定期貯金をし,初めて同名義で800万円を無断担保借入した。
ウ 被告人がAの貯金担保貸付に関与するようになった経緯等
(ア) 被告人は,以前から易者として箕面市農協に出入りするAと顔見知りではあったが,上記のとおり,平成7年4月中旬ころAがG名義で2000万円の定期貯金をしてH名義で借り入れようとした際,当時は金融部金融課長兼共済課長ではあったが,本店営業課長から依頼されて,Aにその問題点を説明し,初めて業務の面でもAと関わりを持つに至った。平成7年6月ころ,被告人は,人事異動により金融課長との兼務を解かれて金融部共済課長専任となったが,同農協1階の事務室では,客と応接する応接セットに最も近い席に被告人が,最も遠い席に本店営業課長が配席されることとなったため,被告人は,後記のとおり同農協を度々訪れるAの応対をすることが多くなり,Aの認識においても,また同農協内部の扱いにおいても,自然に被告人がAの担当者とみなされるようになっていった。
(イ) 一方,Aは,上記のとおり,箕面市農協からA名義で無断担保借入を行うことに成功した後,数億円に上る資金をかき集め,同様にA名義で貯金して同人名義で無断担保借入を行ってはこれをCに融通することを繰り返していた。
しかし,このやり方にも限界があったため,Fからの指摘もあって,Aは,自ら貯金者の代理人であると偽り,貯金者本人名義で箕面市農協に貯金した上,同本人名義で無断担保借入を行うという方法をとれないか検討したが,このような方法では,貯金者本人に代わってAが借入申込書を書くことになり,それを不審に思った農協が貯金者本人に問い合わせて無断担保借入の事実が露見するおそれがあったため,自分が貯金者の代理人であるという理屈が箕面市農協に通用するのか確かめるべく,平成7年の秋ころ,被告人に「代理人として貯金を入れたり貸付を受けたりする際にはどんな書類がいるんや。」などと尋ねたところ,被告人が「農協としては,定期貯金証書の原本と届出印を押した担保差入証がそろっていて,双方の印鑑が同一のものと照合できれば,それで貸付は受けられます。」などと答えたことから,Aは,箕面市農協から貯金者に問い合わせ等はいかないし,貯金者から印鑑さえ預かれば上記無断担保借入は成功すると考えるに至った。
(ウ) そこで,Aは,FやCに対し,今後はA名義で貯金する必要はなく,貯金者本人名義で貯金しても構わない,但し証書は箕面市農協に預けてもらわねばならないなどと告げ,引き続き貯金者を勧誘させたところ,平成7年10月以降,貯金に応じてくれる者が数多く集まり始めた。そして,その際の貯金担保貸付は,大要次のような手順で行われた。すなわち,① Aが箕面市農協に貯金者を連れて来て同農協に紹介し,その場で貯金者は定期貯金の預入手続を行う。その際に作成する定期貯金証書は,同農協に差し入れられ,同農協職員から貯金者に受取書が渡される。② その当日か数日後,Aは,単独で同農協に来て,上記第三者の定期貯金証書を担保にして第三者名義で借入れしたいと申し出,無断担保借入の事実を知らない被告人が1階の応接セットでAに借入申込書の必要部分を記載させ,これを本店営業課長のKに渡し,同課長が借入申込書とその裏面の貸付稟議書に必要事項を記入して係決裁欄に押印した後,金融課長兼金融部次長又は被告人が支店長・課長決裁欄に押印する。③ 定期貯金証書は,①のとおり既に同農協に差し入れられているので,そのままこれを引き継いで担保として預かる。④ その後,Aは貸付が実行された後の現金の振込先と金額を指定し,振込依頼書に必要事項を記入して被告人に交付し,被告人がこれを窓口担当の職員に渡して引き継ぐ(以下,このようにA,Cが紹介した貯金者の箕面市農協への貯金を「A関連の貯金」,その後,Aが同貯金を担保として又は担保とすることを仮装して同農協から行った借入れを「A関連の借入」又は「A関連の貸付」という。)。
(エ) 他方,被告人は,Cとは,平成7年10月に,同人が無断担保借入の対象となった貯金者のうちの一人であるI労働組合(以下「I」という。)の幹部を伴って同農協に赴いた際,初めて面識を持ったが,その後,平成8年ころ,A関連の貸付金を振り込む相手先にBという会社等があるのに気付き,AからこれがCの経営する会社であることを教えられたことから,Cは単に貯金者を紹介するだけでなく,AからA関連の貸付金を受け取り,費消している人物であると認識するに至った。
エ 平成10年6月4日以後に生じたJの定期貯金を巡るトラブル(以下,これを「J問題」という。)の経緯等
(ア) このようにして,平成7年秋以後,第三者名義の定期貯金が行われるようになってからA関連の貯金,借入額は急激に増加していたところ,平成9年6月27日ころ,Aは,貯金者Jを伴って箕面市農協に来訪し,被告人と面談した結果,同日ころ,Jは,同農協に2億円の定期貯金をし,その後も,① 同年10月30日に1億円,② 同年11月13日に3億円,③ 同年12月1日に3億円,④ 同月29日に1億円,⑤ 平成10年2月6日に10億円の合計20億円を定期貯金として預け入れた。そして,Aは,これらJの一連の貯金を担保に無断担保借入を行い,平成9年6月30日から平成10年2月10日までの間に,同農協から前後9回に渡り合計14億円以上の借入れを行った。
(イ) 他方,被告人は,A関連の貯金及び員外貸付の総額が組合員に対する貸付等の総額の5分の1に迫る勢いであったことから,平成10年3月に予定されている大阪府農協中央会の監査で問題視される恐れがあると考え,監査の前に,A関連の貯金の一部を満期前に解約させ,その解約償還金をA関連の貸付金の一部の返済に充てさせる(以下,このような方法でA関連貯金及び貸付額をともに圧縮することを「相殺処理」という。)ことにより,同農協の員外貸付総額を圧縮しようと考えた。被告人は,当時の本店営業課長であったKにその旨相談して賛成を得たので,Aに対し,「農協の監査が近づいており,組合員でない人に対する貸付が多すぎると指摘される可能性があるので,貸付金を一旦返済してもらえませんか。」と申し出,返済する金がないと言うAに相殺処理の承諾を求めたところ,Aがこれを承諾したことから,K課長に平成10年2月ころ相殺処理の手続を採ってもらった。これにより,Jの定期貯金18億円を含めた総額20億円ものA関連貯金が解約され,A関連の貸付も約4億円にまで圧縮された。
(ウ) しかし,Aは,当然のことながら,Jには同人の定期貯金を担保に供することはもちろん,解約してAの借入金の返済に充てることも伝えていなかったことから,相殺処理の事実をカモフラージュするため,その後も,Jの上記①の定期貯金の満期償還日に当たる平成10年4月30日,Iの貯金を担保に1億円を無断担保借入するなどして,1億0020万円をJに振込送金し,また上記②の定期貯金の満期償還日に当たる同年5月13日,Iの貯金を担保に3500万円,Lの貯金を担保に3億円を無断担保借入するなどして,3億0072万円をJに振込送金し,あたかも定期貯金が存在し,満期日に償還されたように取り繕っていたが,そのころにはA関連貯金に借入枠の余裕がなくなり,A関連の借入金によって資金を調達することができなくなったことから,上記③の定期貯金の満期償還日に当たる同年6月1日には,3億円の金をJに振込送金できずに終わった。
(エ) これに対し,Jは,上記③の満期償還金が振込送金されなかったことや,Aから箕面市農協の組合長に会わせてやると言われていたのに,その約束が守られていないこと等に不審を抱き,相談にのってもらった銀行職員の知人からもAらの持ち込んできた話は怪しい旨の指摘を受けたことから,同農協に貯金の存否を確認することとし,平成10年6月4日,同農協に電話し,以前に名刺をもらっていた被告人を電話口に呼び出し,自分の貯金の有無を尋ねたところ,困惑した被告人が答えに窮しJの問いに満足に答えられないまま,一旦電話を切ったため,再度同農協に電話をかけ直したところ,それを受けたK課長が電話に出て,十分な善後策も講じないまま,Jに対し貯金は存在する旨答えてしまった。
(オ) その後,被告人は,Aと電話で連絡をとり,Jからの問い合わせの件を伝えるとともに,即日,同農協近くの喫茶店前で会う約束をする一方,AもCに電話して同喫茶店前に呼び出した。同人らが到着すると,被告人は,Cの車に乗り込み,Aらに「いったいどうなっているんですか。Jさんには担保について承諾を得ていなかったんですか。これからどうするんですか。」などと問い質したところ,これに対しAは,「Jさんには,高い利息を払うと約束して定期貯金をしてもらっていたんや。その定期貯金を,Jさんに内緒で担保にして貸付を受けていたんや。そのようにして貸付を受けた金は,Cが自分の会社やQという会社に使ってしまったんや。Jさん以外の貯金者にも,定期貯金を担保にすることを内緒にして貸付を受けていたんや。」などと,無断担保借入の事実を初めて被告人に打ち明けた。さらに,AとCは,被告人に対し,Jへの返済は自分たちで責任を持つから,それまで箕面市農協の方で残高証明を出すなりしてJを納得させてほしいと依頼したが,被告人は,自分の一存ではできないので上司にその事態を説明するよう要請し,A,Cを同農協2階にいたM専務に引き合わせた。
(カ) 被告人は,M専務に対し,「AさんやCさんが,自分たちの紹介したJさんの定期貯金を無断で担保に入れて,貸付を受けていたのです。一応,定期貯金証書は預かっていました。」などと説明した。Aも,M専務に対し,「実は,Jの貯金を担保に入れることについては本人の了解を取っていなかった。だから相殺された後もJには返済を続けていたが,返済資金がなくなってしまった。この金は私とC社長が投資しているQという会社から必ず回収するので,ここは農協名義の残高証明を出してJを説得してもらえないか。」などと懇請した。当初,M専務は,貯金なしで残高証明は出せない,AとCの二人で解決してくれなどと言っていたが,CはQに来ている投資話でJへの返済は可能である旨力説し,AはJの件は被告人ら箕面市農協職員も関与しており,事が公になれば箕面市農協も困るだろうなどと脅したり,「B名義の小切手を切るのでそれで一時的にJさん名義の定期を作り,残高証明を発行してほしい。」などと提案するなどしてM専務を説得した。そのため,M専務も,最後には,Bが振り出した13億円の小切手を差し入れることを条件に,箕面市農協がJに対して残高証明を発行すること,Iの貯金に残っていた1億円の借入枠を用いて,Aらに1億円を貸し付け,同貸付金をJに送金することを了承するに至った。
(キ) その4日後,Jは,知人である銀行職員を伴って箕面市農協を訪れ,被告人から残高証明を受け取ったことから,それ以上定期貯金の解約を求めることなく帰り,他方,AとCはJを訪ね,これまでの経緯を打ち明けて詫び,同年7月に6億円,以降毎月1億円プラス500万円を返済することを約束し,Jの了承を得た。
オ 別表1の貸付に至る経緯,貸付状況,貸付金の使途等
(ア) 被告人は,J問題発生から約1か月後の平成10年7月6日,本店営業課長に就任し,貯金担保貸付の正式の決裁権者となり,同月24日には,AからLの10億円の定期貯金を受け入れ,同証書を差し入れてもらう一方,同月27日,Aが同貯金を担保にL名義で6億1960万円の借入れを申し込んだので,これを決裁してその貸付を実行した。Aらは,この借入金等を用いて,6億円をJへ,1060万円をNへ,900万円をO株式会社(Cが経営する会社の一つ)へ,それぞれ振込送金した。なお,被告人は,この貯金担保貸付の際,Lに対し,その貯金をAへの貸付の担保に供することについて意思確認をしなかった。
(イ) その後,Aは,いずれも被告人の決裁を経て,① 平成10年8月3日,再びLらの貯金を担保にL名義で1億円を同農協から借り受けるなどして,Iへ5000万円,Aの銀行口座へ3200万円を振込送金し,② 同月10日,同様に,Lの貯金を担保にL名義で1億3000万円を借り受けるなどして,1億1000万円をJへ,1950万円をP株式会社(Qの関連会社)へ振込送金し,③ 同年9月16日,Iの貯金を担保にI名義で1億1000万円,Dの貯金を担保にD代理人A名義で3000万円をそれぞれ借り受けるなどして,Bへ500万円,Jへ1億5500万円をそれぞれ振込送金し,④ 同年10月16日,Rらの貯金を担保にA名義で1億3000万円借り受けるなどして,Jへ1億5000万円を振込送金するなどした。しかし,被告人は,Dを除いた上記貯金者らに対し,貯金者が借り入れする際にAを代理人にする意思があるのか,A本人名義で借り入れする際に同貯金を担保に供する意思があるのか等を確認することなく,その決裁をして貸付を実行していたが,これらの貯金担保貸付に際しては,いずれの貯金者も定期貯金証書を箕面市農協に差し入れていた。
なお,被告人は,J問題発生後,A関連の貸付はいずれも貯金担保貸付の形は取り繕っているものの,実際には貯金者に無断の担保提供で,実質的には無担保貸付に等しいものであって,貯金者からの貯金の解約等は拒めないし,貸付金の返済すら求めることの困難な状況にあったことから,せめてAにだけは返済を求め得るような形にしておこうと考え,今後はA自身を借受人にする旨提案し,当初Aはこれに難色を示していたものの,やむなくこれを承諾するに至ったため,上記④の貸付以降,別表記載の各貸付に当たっても,いずれもAを借受人として形式上の貯金担保貸付を実行するに至った。
(ウ) その後,平成10年11月13日,Cが探し当ててきた貯金者Sが箕面市農協に1億円の定期貯金を行った(別表1の定期貯金)。しかし,その際,密かに担保に供することを予定していた定期貯金証書をSが持ち帰ってしまったことから,AはCに対し,「どないなってんね。証書なかったら借りられへんやないか。Sさんに言うて,早う,証書入れさせ。」などと言って,定期貯金証書の返還を求めたが,Cは,Sと連絡が取れないので,後で証書を差し入れるという条件で被告人に貸付を頼んでくれと言うばかりであった。
このころ,A関連の借入は,同貯金額の借入枠の極限に達していたため,新たな貯金がなければ新たな借入れはできない状態であったことに加え,前記のとおり,平成10年8月以後,毎月中旬にはJへ1億円を返済することを余儀なくされており,時間の猶予もなかったことから,Aは,被告人に対し,「この間のSさんの貯金,Sさんが,今出張中で今すぐに証書出せないんや。出張から帰ってきたら証書出してもらうから,Jさんへの返済分,貸し付けてくれへんやろか。」と言い,Sの定期貯金証書を差し入れることなく,それを担保とする借入れを申し込んだ。被告人は,当初これを拒絶していたものの,Aが執拗に頼んだことから,「わかりました。でも,後で証書は入れてくださいよ。」などと言い,Sの上記1億円の定期貯金を担保とすることを取り繕いつつも,定期貯金証書も担保差入証も全く徴求することなく,A名義で1億円を貸し付けることを了承し,同年11月17日,その貸付手続を行った(別表1の貸付)。Aは,同日,同借入金等により,Jへ1億0600万円を振込送金した。
カ 別表2の貸付に至る経緯,貸付状況,貸付金の使途等
その後,Aは,Tという新たな貯金者を見つけ,同人に6億円の定期貯金をさせることに成功したが,Tは定期貯金証書を箕面市農協に差し入れなかったことから,Aは,被告人に対し,「Tさんが6億円の定期貯金をしてくれる。それで,長崎の土地代のための貸付を頼む。後で証書は入れることになっている。
長崎の土地代の決済日は決まっているので,何とか貸付をしてくれ。」等と懇願した。そのため,被告人は,Sに引き続き,担保となるべき定期貯金証書や担保差入証を徴求しないまま,これを担保とすることを仮装し,A名義での5億9200万円の貸付を実行した。なお,その際,被告人は,貸付稟議書,貸付条件登録票,手貸実行伝票を起票したり,その情報を本店営業課課長代理Uに依頼して端末入力させるなどしたものの,同伝票の検印欄,振込依頼書の検印欄に押印せずに離席したため,Uは,V金融部長(以下「V」という。)に依頼して,形式上,手貸実行伝票や,振込依頼書の各検印欄に押印してもらって,貯金担保貸付が実行された。Aは,このような手続によって得た借入金等により,4億3200万円をBに,7500万円をFに振込送金し,8500万円を自己名義の口座に入金した。
キ 別表3以降の貸付の状況,貸付金の使途等
以後,別表3~13に記載のとおり,被告人は,貯金者D関係の別表5~7の貸付を除くと,本来なら担保に供されるべき定期貯金証書や担保差入証を全く徴求することなく,別表記載の定期貯金を担保にすることを取り繕いながら,別表記載の貸付を実行した。
各貸付によるAの貸付金の使途及びこれに関する被告人の認識は,以下のとおりである。
(ア) 別表3の貸付関係
Aは,同借入金等により,Bへ1500万円,Fへ3250万円,A自身へ250万円を振込送金した。
被告人は,Aから,借入申込時にはその借受金の使途は聞かなかったものの,振込段階で使途の説明を受けており,それによると,Bに流れた1500万円は長崎の土地開発関連で議員に配るものであり,Fに流れた3250万円は同人からの借入金の返済であるとのことであったが,Aに流れた250万円の使途は不明であった。
(イ) 別表4の貸付関係
Aは,同借入金等により,1800万円は,平成10年12月24日のA名義での手形貸付の償還金へ,5000万円は,平成9年12月19日のI名義での手形貸付の償還金へ,3億円は,平成10年7月17日のL名義での手形貸付の償還金の一部へ,それぞれ充当し,Fへ1億円,Bへ1160万円,Nへ1030万円,Jへ1億円をそれぞれ振込送金した。
被告人は,LやIに流れた金は同人ら名義の手貸実行の償還金に充てられたものと認識したが,BやNに流れた金は「事業資金」という程度の説明を受けたのみであった。
(ウ) 別表5の貸付関係
Aは,同借入金等のうち,Fに3400万円を振込送金し,その余は現金出金等により自己の手中に収めた。
被告人は,貸付実行前にはAに対して使途を確認せず,同人が申し出た借入額をそのまま了承して貸付を実行したが,結局,Aから事業資金に使うとの説明を受けたのみであった。
(エ) 別表6の貸付関係
Aは,平成10年7月8日,Wから5000万円預かってA名義で貯金し,それを担保に借入れを受けていたところ,上記金額を上記Wに返還すべく,上記Wに振込送金した。
本貸付を含め,以降の貸付についてはいずれも,被告人は,貸付金の使途もAから詳しく聞こうとせず,事業資金に使うという程度の説明を受けただけで,長崎関連の地質調査や議員に渡すものだと推測したり,FやNへの借入金の返済であるなどと考えていた。
(オ) 別表7の貸付関係
Aは,同借入金等により,Bに1100万円,Fに230万円を振込送金した。
(カ) 別表8の貸付関係
Aは,同借入金等により,Bに600万円を振込送金するなどした。
(キ) 別表9の貸付関係
Aは,同借入金等により,Bに1100万円を,Fに1090万円を振込送金した。
(ク) 別表10の貸付関係
Aは,同借入金等により,Nへ1040万円を振込送金した。
(ケ) 別表11の貸付関係
Aは,同借入金等により,Bへ650万円を振込送金するなどした。
(コ) 別表12の貸付関係
Aは,同借入金等により,Fへ850万円,Bへ540万円,A本人に32万円を振込送金するなどした。
(サ) 別表13の貸付関係
Aは,同借入金等により,Dへ9700万円を振込送金するなどした。
(2) 事実認定に関する若干の補足説明
ア 弁護人らの主張
以上の認定事実については,後記「2 背任罪の成否」の項で適宜補足的な説明を行うが,同所で検討する弁護人ら・被告人の主張以外にも,弁護人らからは,① 被告人は,本店営業課長に就任する以前は,当時の役職や権限分掌に照らしても,貯金担保貸付の決裁権限を有していなかったから,被告人がAに対する貸付につき実質的な判断を行ったことはなく,本店営業課への書類の橋渡しなどの機械的な作業や,Aの雑談の相手をしていたに過ぎない,② Aは,J問題が発生した平成10年6月4日当日,被告人に対し,Jに無断で定期貯金担保貸付を受けていたことや,J以外の貯金者についても担保提供の承諾を取っていないことなどは打ち明けていないなどと主張しているので,これらの点につき,まずここで若干の補足的説明を行っておく。
イ 弁護人らの主張①について
なるほど,J問題発生以前の段階においては,被告人には,形式的な職制規定上は貯金担保貸付の決裁権限がなかったことは事実である。しかし,前記認定のとおり,箕面市農協のように,職員が全員でも50~60名程度しかいない小規模な組織では,業務分掌を厳格に運用すると顧客の求めに迅速に対応できないことから,窓口業務についても,実際の取扱いは正式な業務分掌に従って厳密に区分けされていたわけではなく,担当者が席を外していたり,別の客の相手をしているなどの場合,例えば本来は職制上その担当とされていない金融部共済係の職員が貯金の預入れ等客の応対をすることも珍しくなく,特定の顧客に関しては,所属部署に関係なく,特定の職員が対応するという扱いも行われていたことが認められる。
このような当時の一般的扱いを前提として,(1) 当時本店営業課長であったKは,A関連の貯金及び貸付に関し,(ア)Aに対する応接は,専ら被告人が行っていた,(イ)被告人は箕面市農協の前に信用金庫に勤務した経歴を有するし,金融業務検定の資格を持っていたので,金融業務に明るい被告人の判断を尊重し,自分は端末入力等の事務処理的な手続をしていた旨供述していること(なお,同供述は,当時の箕面市農協内での上記取扱いや争いない被告人の経歴等に符合し,格別不自然・不合理な点もないこと等から,信用性は高い。),(2) 当のAも,J問題発生以前から,自分の貯金や貸付の担当者は被告人と認識していた旨供述していること(なお,同供述は,J問題の際,Jが被告人を電話口に呼び出して貯金の有無を尋ねたこと,J問題発生以前のA関連の複数の貯金者においても,箕面市農協の担当者が被告人であると認識していたこと,AらからJ問題の真相を聞くために出向いたのは被告人一人であったこと,被告人は,A関連の貸付総額が大きいことを了知し,監査で指摘されないか懸念し,相殺処理の可否につきAと交渉していること,被告人はJ問題発生以前のA関連貸付等につき,数多くの押印をしていること等の客観的事実とよく整合し,特段その信用性を疑わせる事情もない。),(3) さらに,被告人も,捜査段階において,このように自分が実質的な担当者としてA関連の貯金及び貸付をしていた理由は,応接セットから席が近かったからであると供述していること(なお,同供述は上記各供述と矛盾しないし,被告人はAと特別親しいわけでもないのに数多くAを応対していた事実を自然に説明するものであり,その信用性は高い。)などの諸事情を総合すると,前記認定のとおり,被告人は,J問題発生以前,貯金担保貸付の決裁権限を有しなかったものの,実質的な担当者としてAに応対し,A関連の貯金及び貸付に関与していたことは明らかであると認められる。
ウ 弁護人らの主張②について
まず,平成10年6月4日箕面市農協付近の車中で,Aが被告人に対し,Jに無断でその貯金を担保に供していた事実を初めて打ち明けた点については,A自身が検察官調書中及び本公判での証言中において一貫してこれを認めているほか,被告人も検察官調書中において自認しているところである。J問題はAにとっても被告人にとっても衝撃的な事実であったはずであり,この点につき両者とも虚偽供述をすべき利益はないと認められるから,その一致した供述によって容易にこれを認めることができる。
また,その際,その余の貯金者の貯金についても無断で担保に供していた旨被告人に打ち明けたという点についても,Aが上記検察官調書中で明言しているほか,本公判での証言中において概ねこれを認めており(この点,弁護人らは,Aは第9回公判において,平成10年6月4日に打ち明けたのはJに限っての話であると供述していると指摘し,これは同公判調書中の証人Aの供述部分37頁の,「そのほかの貯金者の関係,これについても話が及んだんですか。」との問いに対する「いや,その時点では及んでませんね。」という答えを指すものと考えられるが,Aは,その直後,「Jさん以外の貯金者の関係でも,こういう無承諾で担保に入れてたと,こういうことを被告人に言ってないんですか。」という問いに対し,「いや,言ってますよ。だから,その時点では,もう僕のほうから言っていますね。」と相反した答えをし,さらにその趣旨を質されると,「Jさん以外にというんじゃなくて,それは,こういうことじゃないですか。いわゆる貯金者の承諾を得ずに,Jさんと同じケースで,金額を運用してるということでしょう。」等と問い返して質問の趣旨を明確化した上で,「それは,そのとおりですよ。」と明確に答えている〔同調書38頁〕。),被告人も,検察官調書中でこれを認めているのであるから,この点も,Aの検察官調書中の供述に従って認定してよいと思われる。
弁護人らは,この段階でAがJ以外の貯金者について無承諾であることを言明する必要はないなどと主張しているが,Aは従前からJと同様の態様で複数の貯金担保貸付を受けていたことから,Jだけ承諾を取っていなかった旨糊塗することは不可能と観念し,自ら他の貯金者についても無承諾であった旨白状することは十分考えられるし,被告人においても,当然に,その余の貯金者についても同様のことはないか強い関心を持つはずであろうから,むしろその場で他の貯金者についても話が及んでいることのほうがはるかに自然であって,弁護人らの主張には賛同することができない。
2 背任罪の成否
そこで,以上認定した本件の事実経過を踏まえ,以下,弁護人らの主張に鑑み,被告人に背任罪が成立するか否かについて,各構成要件要素ごとに順次検討を行う。
(1) 任務違背行為について
ア 貸付行為の存在
被告人が,本店営業課長として,別表2の貸付以外の貸付行為を行ったことについては当事者間に争いがなく,かつ,証拠上も明らかである。
別表2の貸付について,弁護人らは,被告人はAから同表2記載の定期貯金を担保とした貸付を依頼され,貸付関係書類をまとめて起案したものの,Aが同貯金証書を持ってきていないことに気付き,Aと言い争いになった後,参事の指示を仰ぐため,箕面市農協2階に上がるなどしていたところ,その間AはVと話をして,被告人が1階に降りてきたときには,V金融部長の独自の判断で手貸実行伝票や振込依頼書の検印欄に同人の押印がされ,貸付実行は終了していた,したがって,被告人はやむをえず貸付稟議書に決裁印を押したにすぎず,被告人自身が同表2の貸付を実行したものではない旨主張している。
しかしながら,(1) まず,Vは,本公判における証言において,第21回公判では上記手貸実行伝票等に検印したいきさつを十分供述できなかったものの,第22回公判では記憶を十分に喚起した上,自分が本来押印する書類ではないが,被告人が来客か何かで検印できない事情があったため,Vのところに検印が回ってきただけと想像でき,被告人が検印を拒んでいるのに,Aと話し合い,独自の判断で検印を押したということは絶対にない旨供述している。Vのこのような供述は,①当時の箕面市農協において,決裁権限を有しない管理職が便宜的に決裁者欄に検印することにより,担当者欄と決裁者欄の印が同一になることを防ぎ,形式的に牽制しあう外観を作出する相互牽制のシステムが採られていたという事実(これは,多数の貸付手続書類の印影において明らかであるし,供述書〔弁護人請求証拠番号18〕において被告人自身認めるところである。)とも符合するし,②何より,前記認定のとおり,箕面市農協内では専ら被告人がAの貸付を担当していたのであり,ことにJ問題を契機に被告人に無断担保借入の事実を打ち明けたAが,それまで取引を担当してもらったことがほとんどないVに,突如この場合にだけ貸付の実質的決裁を乞うということ自体極めて不自然であること,③さらに,この点に関しては,Aも,Vと直談判して手貸実行伝票に押印してもらった記憶がない旨供述していること(なお,Aは,弁護人らからの「そこで思い出していただきたいんですけれども,Vさんとの間で,この長崎の開発土地の買収について話をしたことがあったでしょう。」という問いに対し,「うん,あったと思いますね。」と答え,続いて,「その長崎の土地を買収するんで資金が要るんだと,だからVさんのほうに話をして借り受けたと,長崎の土地の件をですね,いういきさつだということでよろしいんでしょうか。」という問いに対し,「うん,大筋でええと思います。」と答えており(第14回公判),これは一見すると,弁護人らの主張を裏付ける供述とも考えられるが,この答えを導いた問いの趣旨は不明確で,Aがどのような趣旨で答えたか不明確であること,Aは「で,すぐに取引を決裁するために,証書はないけれども貸付を実行してもらわなきゃいけないという話を,Vさんにあなたのほうからされたことはありませんか。」という趣旨の明確な問いに対し,「いや,私がそれした覚え,ないと思うんですけどね,Vさんには。」と明確に否定している(第13回公判)こと,このような出来事があれば,いつもの被告人との取引形態とは異なる形態なのであるから鮮明に記憶しているのが自然と解されるところ,Aは捜査段階でこのような出来事の存在を供述していないこと等からすると,第14回公判での問答は,弁護人らの主張を補強するものではないというべきである。)などの事情に照らすと,前記V証言は十分に信用することができる。
また,(2) この点に関しては,被告人も,検察官調書中において,Aから「Tの証書やけど,最初は差し入れてもらうことになっていたが,実はあれはT個人の金ではなく,会社の金やから証書を常時会社の金庫に入れておかないかんそうや。だから済まんけど証書無しで貸付をしてくれんか。明日長崎の関係で売買代金を払わんとあかんねん。」等と聞き,証書を提出させるよりも,Aらに長崎の土地を取得させる方を優先しようと考え,別表2の貸付を行った旨供述し,本件の手貸実行伝票を示された際,「お示しの一連の書類が,平成10年12月1日に実行した貸付に関するものであり,私が処理したものに間違いありません。」と供述しているところである。ここで,被告人の捜査段階での供述の基本的信用性を検討しておくと,①被告人に対する取調べにおいては,警察官調書の多くにおいて,読み聞かせだけでなく閲読させるなどした上,訂正申し立てに応じ,かつ,検察官調書においても,調書を作成した後日に申し立てられた訂正のため,わざわざ独立の調書を作成するなど,慎重な取調べや供述録取が行われていることが窺われること,②被告人は,最初の逮捕の日の翌日から弁護人を選任しており,捜査官の誘導等によって供述が歪められた可能性は小さいと考えられること,③その供述内容を見ても,必ずしも共犯者の供述と一致しない部分もあり,自己弁護的な供述も多々録取されているなど,捜査官による誘導,押し付けの形跡は窺われないこと等から,その信用性は基本的に高度であると認められ,ことに上記供述部分は,信用性の高い前記V,Aの各供述と整合しており,その内容も自然である。
他方,(3) 前記弁護人らの主張に沿う被告人の公判供述は,①貸付を行うことが前提であるかのように手続関係書類を全て起票した後になって,初めて定期貯金証書の不存在に気付いたという点で不自然の感を否めない上,②その貸付実行に激しく抵抗していたという被告人において,あまり事情を把握していないと思われるVが押印したからといって,その後はあっさりと諦め,貸付稟議書へ事後的に押印を行い,また,それ以降の別表3~13の各貸付については,基本的に定期貯金証書を徴求しないまま貸付の手続を進めたなどというのは,いかにも不自然であると言わざるを得ない。
以上の各証拠を総合すれば,Vの押印は,同人や被告人(前記検察官調書)が供述するように,当時の箕面市農協において行われていた前述の相互牽制システムにより,本来の決裁権者である被告人が不在であったため,便宜上,決裁権限を有しない他の部署の管理職であるVが押印してその後の手続を進めたに過ぎないものであって,形式的に相互牽制の形を整える代印に過ぎないと解されるから,あくまでも別表2の貸付を実行したのは被告人であり,貸付稟議書に押印した時点で,貸付実行は終了していると認められる。よって,弁護人らの主張は採用できない。
イ 担保提供に関する貯金名義人の承諾の不存在
別表1~4及び8~13の各貸付に関し,別表記載の各貯金名義人が自己の定期貯金をAの借入れの担保に供されることにつき承諾していなかったことについては,当事者間で争いがなく,かつ,証拠上も明らかな事実である。
他方,弁護人らは,別表5~7の各貸付については,Dが平成10年8月21日付の議事録等を提供し,借入れについて限度1億円の担保提供を容認していたから,担保提供の承諾があった旨主張している。しかし,上記議事録は,Dが平成10年8月21日に定期貯金した1億円に関するものであることは明らかであるところ,本件で問題となっているのは,平成10年12月30日付でなされた1億5000万円の定期貯金であり,これに関する議事録等は何ら提供されていないこと,D社長のXの供述によっても,同社が別表5~7の定期貯金を担保に供することを容認していなかったことは明白であるから,弁護人らの主張は採用できない。
ウ 上司の命令や箕面市農協内部の取引慣行と任務違背性
さらに,弁護人らは,① 被告人には,上司であるM専務の命により,Aを助勢するとともに独自の資金調達をさせて穴埋めするように督促する課題が課せられていたところ,この課題は,本店営業課の任務に組み入れられていると理解され,それが最終的には箕面市農協の安泰を図るという目標を達成するための手段と位置づけられる以上,多少のリスクは容認されるし,② 箕面市農協においては,いわゆる事実上の代理形式により,Aが,貯金者の証書と届出印を持参し,その印を押捺した担保差入証を提出した場合に,貯金者の意思確認を経ないでAに貸付を実行することは,定着した慣行として公認されていた手続であるから,いずれにしても被告人に任務違背はないなどと主張している。
しかしながら,まず,上記①の主張に関しては,仮にM専務が弁護人ら主張のような事柄を明確に指示し,被告人がこれに従って貸付を実行したと認められる場合であったとしても,背任罪成立が左右されることはないと解されるところ(最決昭和60年4月3日刑集39巻3号131頁参照),関係各証拠によれば,そもそもM専務が明示的に容認したのは,(ア) Cの差し入れた小切手を根拠にJに対して13億円の残高証明を発行すること,(イ) Iの貯金を担保にAに貸付をし,それによってJに1億円返済すること,(ウ) その後の返済はAら独自の資金源で行うことにとどまり,更に進んで,無断担保貸付を容認するかのような言動をしたことはなかったと認められるのであるから,この点の弁護人らの主張は当を得ない。
また,上記②の主張についても,確かに,関係者の供述によれば,J問題発生以前の箕面市農協においては,第三者の貯金を担保に貸付する場合,貯金者本人に対して担保提供意思を確認することは必ずしも徹底されていなかったようであるが,本件の場合,(ア) 被告人は,別表記載の各貸付の時点までに,このような悪弊からJ問題という極めて困難な問題が生じたことを十分に認識していたことに加え,(イ) 被告人に別表記載の各貯金担保貸付を申し込んできたのは,J問題の元凶であったほかならぬAであったのであるから,被告人の立場においては,貯金者自身の保護のみならず,同農協の資産保護のためにも,他の場合よりも一層強く貯金名義人に担保提供意思を確認すべき義務が存していたのに,被告人は,このような義務を全く怠り,貯金名義人本人に対する意思確認をしないまま,漫然と貯金担保貸付を続けていたのであるから,従前の悪習を考慮に入れても,被告人の行った本件各貸付が任務違背行為に該当しないなどという評価は到底することができない。この点でも弁護人らの主張は失当である。
エ 小括
よって,被告人が行った別表1~13記載の各貸付は,当該貯金者に担保提供意思がなく,実質的に無担保状態でなされたものであり,しかも,前記認定のような各貸付に至るまでの経緯からして,Aが当該貯金者に無断で担保に提供しようとしていることが強く疑われる状況であったにもかかわらず,被告人において,当該貯金者に意思確認を全く行うことなく貸付を行っているのであるから,被告人の貸付行為は,客観的に任務違背行為に該当することは明らかである。
(2) 背任罪の故意について
背任罪が成立するためには,自己の行為が任務に背くものであり,かつ,その結果本人に財産上の損害を生じさせることについて認識・認容していることが必要であるので,以下,これを検討する。
ア 任務違背の認識・認容の存在-貯金名義人の担保提供意思の不存在について認識・認容があったか
(ア) 情況証拠からの推認
前記認定事実に前掲関係証拠を総合すると,① 被告人は,J問題発生直後,Aから,Jの承諾を得ずに貯金を担保に供したのみならず,他の貯金者についても担保提供の承諾をとっていないことを打ち明けられていたこと,② それにもかかわらず,被告人は,J問題発生後の別表記載の各貸付に際しても,J問題発生前と同態様で担保提供がなされているのに,貯金者に担保提供意思が存することを裏付ける客観的な資料(委任状,貯金者本人の言明等)を徴求しなかったばかりか,自ら確認しようとする努力すらも全くしていないこと,③ それどころか,被告人は,(ア)別表5~7を除く各貸付においては,担保物たる定期貯金証書や担保差入証すらも全く徴求せず,かつ,(イ)借受人をA本人に変えることを求めるなど,J問題発生前の貸付方法以上に,担保の存在を重視せず,かつ,担保提供者と借受人とが相違するという極めて危険な貸付方法をあえて採っていること,④ 同農協の内規では,貯金担保貸付を行った場合,貸付実行報告書を作成して金融部長らに報告しなければならないのに,被告人は同報告書を全く作成していない(なお,被告人は,Vから貸付実行報告書はUに起案させればよいと言われた旨供述するが,Vは公判証言でこのような指示を出したことを否定し,Uが同報告書を起案した形跡もないことからすると,たやすく措信できない。)こと,以上のような諸事情が窺われるのであって,これらの情況証拠を総合すれば,別表の各貸付時点において,貯金者が担保提供意思を有しておらず,したがって自らの行為が任務違背行為に当たることを被告人は十分に認識・認容していたものと容易に推認することができる。
(イ) 被告人の捜査段階での供述
他方,被告人は,捜査段階で,別表記載の各貯金者についても,担保提供の意思がないことは分かっており,本人に問い合わせるなどしたらA関連貯金及び貸付手続が挫折してしまうと考え,あえて本人に担保提供意思を問い合わせようとしなかったなどと供述しているところ,この供述内容は,前記各情況証拠ともよく符合し,その事実を合理的・自然に説明するものであって,十分に信用することができる。
(ウ) Dの担保提供意思に関する認識・認容
a 弁護人らは,Dは,平成10年8月21日付の議事録等を提供し,借入れについて限度1億円の担保提供を容認していたという経緯があるから,被告人は,別表5~7の合計1億5000万円の貸付についても本人の担保提供意思があったと信じていた旨主張している。
b そこで検討するに,まず,前掲関係証拠によれば,Dが箕面市農協に貯金した経緯等は,以下のとおりである。
(a) 平成10年8月21日,Dの代表取締役のXは,箕面市農協に同社名義の1億円の定期貯金をするため,法人が貯金するために必要となる取締役会議事録(同月に同社が1億円貯金すること,その1億円を担保に借り入れする代理権限をAに与える旨の記載があるもの。)を同農協に持参し,その際,被告人はAを代理人とする旨の委任状をXに書かせた。
(b) 上記のとおり,Xが同日付の貯金を担保にAが借り入れることを許可したのは,被告人から「農協は,原則として組合員相手の貯金しか受けないのです。Dさんも組合員ではないので,取引がないと貯金は受けられないのです。ですから,貯金と同時にいくらか貸付を受けてくれませんか。」と言われたので,箕面市農協に1億円を受け入れてもらうために便宜的に2000万円の貸付を受けることとし,この借入についてAを代理人にしたからであった。
(c) その後,被告人は,平成10年12月30日,(a)の1億円の定期貯金とは別個に,Aが同社名義の1億5000万円の定期貯金を紹介したため,Dの事務所を訪れ,Xから同額の金を預かり,箕面市農協に現金を持ち帰ってから定期貯金証書を作成した。その結果,箕面市農協に同定期貯金証書は残ったものの,その際,被告人は,Xに対し,上記1億5000万円の貯金等に関する取締役会議事録を求めてもいないし,Aに1億5000万円を担保として貸付を受ける代理人とする旨の委任状の差し入れも求めなかった。
c 以上の認定事実によれば,被告人は,Dの議事録の記載が真の担保提供意思によってなされたものではないことを十分認識していたはずであり,しかも上記議事録に基づくAへの代理権付与が平成10年8月21日付の定期貯金関連に限ってのものであったことを認識していたのは明らかである。被告人が,平成10年12月30日付の定期貯金の受け入れ,それを担保に別表5~7の貸付を行うに際し,Xに新たな議事録等の提出を求めなかった理由は,被告人において,DにAの借入れの担保として貯金を提供する意思が全くないことを既に了知していたため,平成10年12月30日付の貯金についても,事が露見することを防ぐため,担保提供意思の有無を確認しなかったと考えるほかないのである。これは,基本的に信用性が高い被告人の捜査段階での供述にも沿うものであるし,別表記載のその余の貸付に際し,被告人が何ら本人確認を行わなかった事実とも整合的である。
d よって,被告人は,別表5~7の貸付に関しても,実質的には貯金者の承諾のない無担保貸付であることを了知していたものと考えられるから,弁護人らの主張は採用できない。
(エ) 小括
以上によれば,被告人は,別表記載の各貸付に際し,貯金者に担保提供意思がないことを認識・認容しながら,同貸付を実行したものと認められる。
イ 財産上の損害発生に関する認識・認容の存在
(ア) 情況証拠からの推認
前記認定のとおり,Aは,J問題発生以前から,新たな貯金者に貯金させ,それを担保に借入れを行っては,Bへの事業資金等に費消し,また,従前担保に入れた貯金者への満期償還金を捻出していたが,平成9年末からは,自転車操業の度合いが増し,平成10年2月に相殺処理がなされたこと,新たな貯金者の獲得に行き詰まり,無断担保借入金で貯金者への満期償還金を捻出できなくなったこと等から,J問題が発生し,その後,別表記載の各貸付時において,ますます資金繰りに窮していたことが認められる。本件各貸付当時,Aが自転車操業に陥っていたことは,以下のように,その仮装された担保の設定・取消しがめまぐるしく繰り返され,また担保が全く存在しない時期すらあったことからも窺うことができる。すなわち,前掲関係証拠によれば,以下の事実が認められる。
a 別表2の貸付については,当初,T名義の定期貯金を担保としていたが,平成11年1月26日にこれが取り消されて翌日満期解約出金され,その代わり,同月25日付のY名義の6億円の定期貯金が新たな担保として設定された。
b 別表3の貸付については,当初,Z名義の定期貯金を担保としていたが,平成11年3月26日にこれが取り消されてその日に満期解約出金され,その代わり,同年2月10日付でなされたT名義の定期貯金が同年3月31日付で担保として設定された。
c 別表4の貸付については,当初,a名義の定期貯金を担保としていたが,平成11年3月23日これが取り消されてその日に満期解約出金され,その代わり,同年2月10日付でなされたT名義の定期貯金が同年3月31日付で担保として設定された。
d 別表5,6の各貸付については,それぞれ,当初,Dの1億5000万円の定期貯金を担保としていたが,平成11年2月2日付これが取り消されて,同月4日付で定期貯金は満期解約出金され,その代わり,同月10日になされたT名義の8億8000万円の定期貯金が同年3月31日に担保として設定された。
以上見たように,担保にした定期貯金が満期を迎え,満期解約出金する度に,新たな定期貯金を担保に差し替え,これにより,端末上,A関連の貸付に何らかの担保が徴求されている外観を保とうとしていたことが顕著である。このように,Aらは,借入金を満足に返済できなかったため,その償還には新たな貯金者の定期貯金を担保にした借入金を充てざるを得ず,所詮は現状を糊塗し,破綻の先延ばしを行うことに汲々としていたのであって,Aらが負担していた高額の裏金利,貸付総額の急激な増加等に照らしても,このような自転車操業が近い将来破綻することは必至であり,被告人が行った別表記載の各貸付は,最終的に焦げ付く可能性が極めて高かったものと言わざるを得ない。
そして,被告人が,本店営業課長に就任し貯金担保貸付の責任者となる以前から,Aに対する貸付担当者として,同人がかなりの自転車操業状態にあることを認識していたことは,信用性の高い被告人の捜査段階での各供述調書からも十分窺われるが,さらに,本店営業課長就任後も,別表1の貸付を行う以前の段階で,前認定のとおりLらの貯金を担保にAらに貸付を行っており,既に貸付総額の急増,返済が滞っている状況等をつぶさに観察していたことから,別表記載の各貸付当時,Aらが借金で首が回らない状態にあることを知悉していたものと認められる。加えて,被告人は,前述のとおり,端末処理上,担保の設定・削除を繰り返し,外観上,A関連の貸付が無担保ではないことを取り繕おうとし,Aらの自転車操業状態を糊塗しているのであるから,被告人においても,Aらに貸付を行えば,その回収が困難になり,箕面市農協に財産上の損害が発生する可能性が高いことは十分に認識・認容していたものと認められる。
(イ) Aらの投資先からの回収可能性に関する認識
これに対し,弁護人らは,被告人がQへの投資や長崎関連事業への投資によって得た利益により,貸付金の返済は可能であると信じていた旨主張するので,以下検討する。
a Qへの投資について
(a) 前掲関係証拠によれば,Q関連の事実経過は,以下のとおりである。
Qは,cがガラス製ハードディスクの製造方法について特許を取得し,その製造販売を目的として設立した,いわゆるベンチャー企業であって,当初b商事の資金援助を受けていたが,平成9年夏ころ,b商事がそのスポンサーから撤退することとなり,その際,Cはb商事の関係者からQを紹介された。
Cは,同年9月ころ,cと会ってその事業計画等につき説明を受け,同社がb商事から約11億円,銀行から計6億円の借金をしており,さらに必要な資金として約37億円程度が見込まれていること,事業の本格稼働まで数年かかること等を聞かされた。平成9年末ころには,Bの業績が急速に悪化しつつあり,Aはそれまでに連鎖倒産を回避するため,多額の資金をCに貸し付けていたが,その支払も覚束ない状態であったことから,Cらは,Qを舞台に一攫千金を目論み,箕面市農協からの借入金を同社に投資することにし,平成9年11月14日1億円を貸し付けたのを初めとして,その後,平成10年11月までの間に合計約6億円の金をQに貸し付けるに至った。この間,Cはcと並んでQの代表取締役に,Aは監査役に就任した。
CらがQに融資を始めたころは,アメリカの投資会社がQに37~38億円を投資する話があり,これを利用して工場を本格稼働させ,株式上場を果たす計画であったため,Cらはそのつなぎ融資をして,アメリカの投資会社から資金が入った時点で,貸付金を全額返済してもらう意図であった。そして,Cは,Qに関連する利益として,株式の配当,役員報酬,株式上場後の株譲渡益の3つを考えており,なかでも株譲渡益で40億円くらいの利益を見込んでいたが,そのために必要な増資等について,cとの間で明確な合意もなかったため,40億円の利益を上げ得る具体的見通しは立っていなかった。
加えて,平成10年の秋ころまでに,Qがアメリカの投資会社から投資を受ける話は頓挫し,Cらは,投入した貸金回収も覚束なくなったため,平成10年11月30日を最後にQへの融資を打ち切った。その後,平成11年夏,Qにカナダで株式を上場して資金を集める計画が持ち上がり,資金回収の目途が立ったため,Cはcに貸付金の一部返済を求め,平成12年以後,合計1億0700万円が返済された。他方,平成11年の秋ころにはカナダでの上場話がまとまり,Qに24億円余りの入金があったものの,cは工場の本格稼働のための資金にすると主張し,その資金でAらへ返済されることはなかった。
結局,別表記載の各貸付が行われた平成10年11月から平成11年5月という時期は,アメリカの投資会社の話が頓挫し,カナダでの上場話が出る前のことであったから,客観的に見れば,CらはQへの資金協力によって利益を得るどころか,融資していた約6億円の回収さえままならない状態であった。
以上の客観的事実関係に照らすと,別表記載の各貸付時において,Qが近い将来に多額の資金を調達できる目処は立っておらず,仮に多額の資金を調達できたとしても,そこから回収できるのは約6億円どまりであった。
(b) そこで,これを前提に,被告人の認識について検討する。
cの供述によれば,同人は,平成9年11月から平成10年11月にかけて,Aらから合計6億円以上の貸付を受けていたところ,平成10年9月ころ,Aの紹介で会った被告人から「どういうスキームで返済するのですか。」と尋ねられたので,まだ事業が立ち上がっておらず,今後もまだ資金を投入しないと収益を上げられない状況を説明したこと,これに対し,被告人は,分割でもいいから貸付金を返済してほしいと述べたこと,その後,平成12年になってから,ようやくAらに合計1億円余りの返済をしたこと,以上の事実が認められる(なお,上記cの供述は,当時のQの入出金状況と合致する自然な内容であって,その信用性を疑わせる事情は窺われない。)。
この点,弁護人らは,Aらがcに被告人を会わせたのは,将来有望なQへの貸付金の回収が可能であることを知ってもらいたいためであり,cがわざわざ出資者の意向に反して事業の見込みの薄いことを説明する道理はないから,cが,被告人に対し,まだ事業が立ち上がっておらず,資金を投入しないと収益を上げられない状況であることを説明したことはなかった旨主張するが,cの上記供述は,従前からの借入金について,被告人からその返済計画を聞かれた際の答えであって,すぐには返せないから待ってほしいという支払猶予の懇請と解され,事業の見込みが薄いことを意味するわけではないから,弁護人らの主張はその前提からして採用できない。
以上によれば,被告人が,Q関連事業で近い将来貸付金の返済を受けられると信じられる状況になかったことは明らかであり,被告人がその旨信じたとの弁護人らの主張は採用できない。
b 長崎の土地開発への投資について
(a) 前掲関係証拠によれば,長崎の土地開発関連の事実経過は,以下のとおりである。
Cは,平成10年5月ころ,長崎市と長崎県x郡d町にまたがる地域の宅地開発事業の話を聞き,e工業株式会社(以下「e」という。)のf土木部長(以下「f」という。)から詳しく話を聞いたところ,「このエリアは市街化調整区域となっていて,そのままでは開発許可が下りません。これについてはd町の土地を長崎市に編入すれば開発が可能になると思われますが,それにはまだまだ時間がかかりそうです。ただ,有望な話だとは思います。」等と説明を受け,長崎でこの事業に関与しているgを紹介された。Cがgから話を聞くと,とりあえず土地を取得すれば,その後,hという会社が17億円を提供してくれるので,共同で開発許可を得た上で造成を行い,それを第三者に転売することによって巨額の利益を得られるという説明を受けた(以下,長崎の土地開発に関連する事業を「長崎関連事業」,長崎関連事業を進めるためには,d町の土地を長崎市に編入することが必要不可欠であるという問題を「編入問題」という。)。
Aは,平成10年7月ころ,Cから長崎関連事業の話を聞き,Qからの資金回収が思うにまかせないことから,長崎関連事業に期待を掛けることにし,別表2の貸付で得た金の大半を用いるなどして長崎関連事業の土地を購入した。しかし,hが資金を提供するなどして開発に参入してこないため不審に思って調査したところ,平成11年初めころ,hが長崎関連事業に参画するという話は虚偽であったことが判明した。
一方,gは,平成10年後半ころ,株式会社i等を造成業者として確保し,平成11年に入ってから造成に必要な設計等を任せる設計事務所も確保した。上記iらの協力で,長崎関連事業の宅地造成は30億円近い費用がかかるとの試算が出たが,造成後の土地を約70億円で買ってくれるという株式会社j,株式会社kという会社を見つけたことから,平成11年3月ころ,上記j,kとCが経営するl商事株式会社との間で,eを立会人として,上記lが土地取得,宅地造成開発許可取得及び宅地造成工事まで行い,jらに坪単価10万円程度で売り渡す旨の協定書が作成された。
ところで,gは,編入問題を解決すべく思案し,平成8年ころ,d町の懸案事項である水不足を解決すれば,同町は,その土地が長崎市に編入されることを承諾するだろうと考え,貯水池を建設する計画を立てていた。その後,gは,平成11年12月ころ,編入の陳情書を長崎市とd町に提出し,平成12年3月にはd町議会に編入の請願書を提出するなどする一方,同年2月ころには,長崎市に長崎関連事業に関連した道路整備の相談をしたり,同年8月ころ,土取り工事を行うことの相談をするなどして,開発許可が下りるまでに,事実上の開発を行うことを画策した。また,gらは,d町議会議員に働き掛けるなどして,議会で編入の請願が採択されることを画策したが,平成12年11月ころから12月ころにかけて,総務委員会では採択されたものの,本会議では不採択の結果となり,編入問題の解決は暗礁に乗り上げた。また,gは,同編入が実現したとして,それから開発許可申請を行い,開発許可が下りるまでには最低でも8か月くらい要すると考えていた。
以上によれば,別表記載の各貸付時には,市や町に対する編入の陳情書も提出されておらず,開発の前提となる編入問題を解決する目途は全く立っていないのであって,また,それに向けての具体的な行動もほとんどなされていない状態であった。
(b) 以上を前提に,被告人の認識について検討する。
関係各証拠によれば,① 被告人は,平成10年6月ころ,長崎関連事業の話を初めて聞いたが,その内容は,土地を買って転売するだけで18億円,土捨て場を宅地造成すれば更に10億円になるという話であって,Aらは,このプロジェクトが成功すれば,A関連の貸付金は必ず全額返済できると話していたこと,② しかし他方,被告人は,Cから,長崎関連事業にe工業株式会社のfが関与していると聞いたが,平成11年1月に実際に会うまでは,事業の内容を具体的に確認したこともなく,単にAらから漠然たる話を聞くだけで,長崎の現地に赴いて実現の可能性を調査することもなかったこと,③ その後,被告人は,平成11年1月ころ,eのfを訪ね,同人から,開発の対象である土地は地形が急で開発に費用がかかる,開発許可を取るためには土地が編入されることが先決であるが,それには議会の議決を得なければならないなど告げられたこと,④ 被告人はその後,Cからいろいろな資料を渡されたが,事業計画が客観的にどのような段階にあるのかを自らほとんど調査しないままその後の貸付を行っていたこと,以上の各事実が認められる。
ところで,弁護人らは,③の点に疑義を差し挟み,被告人は,平成11年1月ころ,fに説明を求めた際,編入問題の存在は聞いていなかった旨主張する。この点に関し,fは,Cから長崎関連事業に必要な資金の裏付けとなる人物としてAや被告人を紹介され,長崎関連事業の概要等の説明を求められたが,両名から名刺をもらえなかったことに立腹し,長崎関連事業の難しさについて必要以上に誇張し,編入問題についても説明した旨供述するが,事業の困難さを強調したとの部分は,それまでにCが土地を購入するなどしてある程度の資金力を見せ,その資金提供者としてAらを紹介しているのであって,未だCらが長崎関連事業を行うに足る人物か否かの見極めがついていない段階で,名刺を出さなかったという些細な出来事を原因にCらの事業参画を積極的に妨げるような言動をするのか,やや疑問は残る。しかし,f,C,gらの供述は,e等の協力を得ながらではあるが,Cら自らが宅地造成の開発を申請し,その許可を得なければならないという点で一致しており,このような供述の信用性を疑わせる事情は存しない。そうすると,fが被告人らに長崎関連事業を説明する際,開発許可の前提となる編入問題への言及は避けて通ることはできなかったはずであり,g,Cの供述も,fが編入問題を説明したことを裏付けている。加えて,被告人も,検察官調書中で,fは,「この土地開発については,d町の土地を長崎に編入してもらうことが必要であり,そうでないと開発許可がおりません。」などと話していたので,Cらはそんなことを話していなかったのにおかしいなと思ったなどと供述しているのであって,被告人の捜査段階での供述には基本的に信用性が認められることは前述のとおりであり,関係者の供述と一致することからしても,この部分の信用性は高い。
以上によると,被告人が,長崎関連事業で近い将来貸付金の返済を受けられると信じられる状況になかったことは明らかであり,被告人がその旨信じたとの弁護人らの主張も採用できない。
(3) 図利加害目的について
ア 第三者図利目的及び本人加害目的の存在
以上検討したところによれば,被告人は,本件各貸付によりA,Cがその資金繰り等のために融資を得る利益を受けること,その反面,箕面市農協において回収困難な巨額の不良債権が増える危険性が高いこと等を認識・認容していたものと認められ,第三者図利及び本人加害目的は優に認められる(なお,この点に関連して,弁護人らは,A及びCが被告人を利用したのは間違いないが,被告人はAらの意図に呼応して担保貸付を行ったのではなく,あくまでもそれを手段とするのでなければ農協のAに対する貸付を最終的に回収できないと考えたため,次善の策としてやむを得ず貸付を行ったもので,現にこれにより自身は何らの利益の供与も受けていないことから,Aらと意思の共通性はなく,Aらとの間に共謀がなかったかのごとく主張している。確かに,Aらは純粋に自己の経済的利益を得る動機で犯行に関与している一方,被告人は,後にも述べるとおり,Aらの資金繰りが好転するまでその破綻を回避し,それによって自己が関与した無担保貸付の責任追及を逃れるなどの動機で犯行に関与しているが,これは飽くまで動機の違いにすぎず,被告人とAらが,被告人がその任務に違背してAに対し本件各貸付を行うという背任行為を共同して行おうという意思を相通じて,その犯罪実行に及んだことについては何ら疑う余地がないから,本件における共謀の存在に疑問を差し挟む余地はない。)。
イ 自己図利目的の存在
前記認定事実に前掲の関係証拠を総合すれば,被告人は,J問題発生以前においても,事実上,A関連貯金及び貸付や,その相殺処理に深く関与し,貯金者の承諾を確認することなく,貸付や相殺処理に手を貸していたが,J問題の発生により,他の貯金担保貸付も,実質的には無担保融資であると認識し,これが発覚すれば,自分も責任を問われるという強い危惧を感じたであろうこと,その後も,被告人は,無担保借入であって箕面市農協に多額の損害が発生する危険性を包含していることを知悉していながら,そしてまた,それにより自己には何ら具体的な金銭的利益ももたらされないことを認識していながら,Aの融資希望額に従い,言わば唯々諾々とその言い値のままに本件各貸付を続けていったこと,平成11年7月に上司に相談するまで,被告人は,表だった告発行動を採らず,事態を一人で抱え込み,隠蔽するかのような挙に出ていたことなどの事実が認められるのであって,これらの事情を総合すれば,被告人としては,これまでの無担保融資の実態が白日の下にさらされ,自己の責任を追及されてその地位・名誉を失うことをも危惧して本件各貸付を続けていたことが推認できるのであって,これに沿う被告人の捜査段階での供述も極めて自然なものと理解することができる(これに対し,被告人は,公判廷において,ただ箕面市農協のためを思って貸付を行ったなどとるる供述するが,その内容は極めて抽象的で,信用性の高い上記捜査段階での供述を覆した合理的な説明もないから,到底措信できない。)。
したがって,被告人には自己図利目的も認められる。
ウ 本人図利目的
(ア) 弁護人らは,被告人はあくまでも箕面市農協の利益を最優先におき,それに寄与すると信じてA関連貯金の受入れ及び貸付を行ったと主張する。
要するに,① Jへの返済が遅れると,J問題が公になり,箕面市農協のずさんな融資手続が白日の下にさらされて信用不安を起こすことになるし,② 長崎関連事業に投入する資金を惜しむと同事業が挫折し,その後の回収可能性がなくなることになる,更には,③ J以外の貯金者への満期償還金が遅れると,J問題類似の問題が発生し,①と同様の事態となるから,これらを箕面市農協のために慮って本件各貸付を行ったというのである。
(イ) 確かに,被告人は,Aらが破綻して巨額の不良債権を生み出すことを懸念し,不良貸付によってAらの破綻を先延ばしするうち,長崎関連事業等の成功によって貸付金が全額返済されることに対する期待を抱いていたことは事実であり,一面で,箕面市農協の利益を考えていたことは否定できない。しかし,このような本人図利目的を有しているからといって,直ちに背任罪の成立が否定されると解するのは早計であり,本件のように,前記認定のような第三者及び自己図利目的や本人加害目的と併せて本人図利目的も有しているような事案においては,本人図利目的が本件各貸付の決定的動機になっていたと認められる場合にはじめて,背任罪の成立が否定されると解されるのが相当である(最決平成10年11月25日刑集52巻8号570頁参照)。
そこで,以下,このような観点から,本件における本人図利目的の持つ意義・軽重について,検討を加える。
前記認定事実に前掲関係証拠を総合すると,① 被告人は,AからJへの返済資金にすると言われ,別表1の貸付を行い,更に,長崎関連事業の土地の残代金にすると言われ,別表2の貸付を行ったが,前述のとおり,重要な担保物であるべき定期貯金証書を結局徴求しなかったばかりか,本来なら設定してしかるべき当該土地への担保権設定をも怠っていること,② 被告人は,別表3の貸付を行う際,借入申込時にその使途を聞かず,振込段階に至って初めてAから使途の説明を受けているが,それによると,Bに流れた1500万円は,長崎の土地開発関連で議員に配る金で,Fに流れた3250万円は,同人からの借入金の返済であり,Aに流れた250万円の使途についてははっきり聞いていないこと,③ 被告人は,別表4の貸付金は,それ以前に担保に供していたLに2億7000万円,Iに5000万円,Jに1億円,Fに1億円,Bに1160万円,Nに1030万円が流れたと認識し,前三者は以前に担保にして貸付を受けた貯金者であって,その償還に充てられていると認識したが,後三者に流れた金は「事業資金」という程度の説明を受けただけで,その具体的な使途も尋ねていないこと,④被告人は,別表5の貸付に際しては,その実行前に使途を確認せず,Aが申し出た借入額をそのまま了承して貸付を実行し,結果的に,Fに3400万円,Aに6300万円が流れたが,Aから事業資金に使うとだけ説明を受け,それ以上にその使途を尋ねたりしていないこと,⑤ 被告人は,別表6~13の各貸付に関しても,その使途もAから詳しく聞こうとせず,事業資金に使うという程度の説明を受けたり,長崎関連の地質調査や議員に渡す金だと推測したり,FやNへの借入れの返済であるなどと考えていただけであること,⑥ 被告人は,前認定のとおり,Qや長崎関連事業が成功し,貸付金が回収できることを期待してはいたが,Aらの話を鵜呑みにするだけで,自らその回収可能性について,十分な調査を尽くそうとはしなかったこと等の事実が認められる。
(ウ) 以上によれば,被告人において,真に箕面市農協の利益を図る目的でAに貸付を行うのであれば,当然のことながら,長崎関連事業等の成功見込み,資金回収可能性,資金回収の時期等について十分な調査を尽くし,真に必要な限度で貸付を行うことは当然として,更に確保しうる担保,例えば別表2の融資に際し,その資金で購入した長崎の土地に担保権を設定するなど,できるだけ確実な担保を徴求した上で,箕面市農協に損害を与える可能性を極小化し,その損害を最小限に食い止める方策を尽くしてしかるべきであったと考えられるのに,現実には,被告人は,実質的に無担保融資を行い,その使途についてもさほどの関心を払わず,NやFへの返済といった緊急性を要しないと思われる資金まで融通するなど,当該貸付が真に必要で,かつ,緊急を要するものかといった吟味を怠り,その回収可能性を見極めることもなく,ただAらの求めるとおりに漫然と貸付を継続していたにすぎないのであって,これらの事情に照らすと,本人図利目的が本件各貸付における決定的動機であったとは到底考えられない。よって,この点でも,弁護人らの主張は採用できない。
3 結論
以上により,被告人の別表記載の各貸付行為については,背任罪が成立すると解される。
【法令適用の過程】
(1) 「有罪と認定した事実」別表記載の被告人の行為は,包括して刑法60条,247条に該当する。
そこで,当裁判所は,後記本件の犯情に照らし,その法定刑の中から懲役刑を選択した上,その法定刑期の範囲内で,後記「量刑の理由」により,被告人を主文の刑に処するとともに,刑法25条1項を適用して,この裁判の確定した日から主文の期間この刑の執行を猶予することとした。
(2) 被告人には未決勾留の期間があるので,刑法21条を適用して,その日数のうち主文の日数をこの刑に算入する。
(3) 訴訟費用(証人費用)が生じているので,刑事訴訟法181条1項本文により,被告人に全部これを負担させる。
【量刑の理由】
本件は,農協の営業課長であった被告人が,共犯者らと共謀の上,共犯者Aらの利益を図るなどの目的で,前後13回にわたり,実質的に無担保で合計16億4352万円を融資し,農協に同額の損害を与えたという事案である。
縷説したとおり,被告人は,従前のAに対する不当貸付等に自己が関与していたことから,その責任を追及されることを恐れ,Aらの事業等が成功するまで無担保融資を容認することとして本件各犯行に及んだものであるが,そもそも貯金者に無断で貯金担保貸付をしたことにより重大な問題が発生したというのに,その根本の問題を省みることなく,問題を先送りしたまま回収見込み等についての調査も尽くすことなく,このような犯罪行為を重ねてしまったものである。農協幹部として,誠に安易であったと言わざるを得ない。また,犯行は約6か月間にわたって13回もの多数回に及び,その損害額は16億円超と正に莫大なものであって,その填補も十分になされていないことから,生じた結果は誠に重大であると言わざるを得ない。さらに,被告人の関与なくしては本件犯罪の成立はあり得なかったのであり,その犯行に果たした役割もまた重要である。加えて,被告人は,公判廷において,自己弁護に終始し,他の農協幹部に対して責任転嫁するような発言を行っていることも,また看過することができない。
以上のような諸事情に鑑みると,被告人の刑事責任は重いと言わざるを得ないのであって,これに加え,共犯者Aに関しては懲役4年の判決が,また,共犯者Cに関しても懲役5年の判決がそれぞれ言い渡されて,いずれも既に確定していることを併せ考えると,この際,被告人に対しても実刑をもって臨むことも十分考えられるところである。
しかしながら,翻って被告人のために酌むべき事情にも目を転ずると,以下のような事情を認めることができる。確かに,Aに対しては,J問題発生前から,被告人が主な担当者となって不当貸付が行われたことは事実であるが,振り返って考えてみれば,J問題は,多少の痛みを伴ってでもこの関係を正常化する絶好の機会であったといえよう。しかるに,J問題発生に至るや,当時の本店営業課長は,Jに対し,ありもしない貯金をあるなどと答えてしまうという,まことに拙劣極まりない対応をしてしまったことから,この問題をこじらせてしまい,Aらが同農協専務理事にJの残高証明を発行することを強要する切っ掛けを作ってしまったのである。また,同専務理事においても,AらからJ問題の発生を告げられ,残高証明の発行等を求められた際にも,事案を積極的に究明し,抜本的で適切な対処法を何ら講ずることなく,農協がつぶれてしまうなどという漠然たる不安感から,J問題を極秘裏に処理しようと企て,また,組合長らに諮ることもなく,存在しない10数億円の貯金の残高証明の発行を被告人らに指示してしまったばかりか,Jが来訪した折りには早々に早退してその対応を部下である被告人に一方的に押し付け,自己がJ問題の矢面に立つことを回避して自己保身にのみ汲々としていたものであり,更に,J問題発生直後の人事異動においても,J問題を招来した被告人を,あろうことか貯金担保貸付の責任者である本店営業課長に据えるという極めて問題の大きい人事異動をそのまま容認し,結果的に,被告人が本件各犯行に及ぶことを余儀なくするようなお膳立てを整えてしまったものである。Jへの多額の債務の返済等がその後の貸付の重要な動機を構成しているだけに,J問題の不相当な処理に,上記のとおり農協の理事者や被告人の前任者が重要な寄与をしていることは,本件各犯行に至る経緯において,被告人のために相当程度酌むべき事情として考慮されてしかるべきである。また,本件の各無断担保貸付の多くにおいては,定期貯金証書等が農協に差し入れられなかったのであるから,通常であれば,上司や内部監査等において容易にその問題性を発見できたはずであったのに,結果的に被告人自らが上司にその事実を打ち明けるまで,誰一人これを正す者がいなかったのであって,このような管理体制の著しい不備が本件犯行を誘発し,助長した側面も,また否定することができない。以上に加え,被告人は,前述のとおり,必ずしも主たるものではなかったにせよ,箕面市農協の利益をも目的として本件各犯行に及んでいること,被告人自身は,何ら金銭的な利得を得ておらず,共犯者らによって犯行に引きずり込まれた側面もあること,被告人と同農協との間では,被告人が被害弁償の内金として3000万円を支払うことを約束し,2000万円をまずは支払うとともに,残金1000万円については保釈保証金還付後にこれをもって支払う旨の確認書が取り交わされており,上記2000万円は既に支払い済みであること,本件により被告人は農協を懲戒解雇され,保釈されるまで長期間の身柄拘束を受けるなどしており,既に一定の社会的制裁を受けているものと解されること,被告人には前科前歴がなく,犯行前まで勤勉に働き,一市民として平穏に暮らしていたものであり,現在でも養育すべき家族があること,被告人は,農協に損害を与えたこと自体は反省していること,などの事情も認められる。
そこで,当裁判所は,これらの事情も総合的に考慮した結果,今回は社会の中で更生する機会を与えることが相当であると判断し,主文のとおり量刑した次第である(検察官求刑―懲役4年6か月)。
(裁判長裁判官 杉田宗久 裁判官 飯島健太郎 裁判官 髙橋孝治)