大阪地方裁判所 平成13年(わ)4941号 判決 2004年3月23日
主文
被告人は無罪。
理由
第1本件公訴事実及びこれに対する各当事者の主張
1 本件公訴事実は,
「被告人は,暴力団○代目Y組若頭補佐兼H会総長であるが
第1 同会幹部兼R会長補佐STと共謀の上,法定の除外事由がないのに,平成9年9月20日午前10時40分ころ,大阪市K区○丁目○番○号HIホテル南側出入口前通路上において,口径0.38インチ回転弾倉式けん銃1丁を,これに適合する実包10発と共に携帯して所持し
第2 同会幹部兼R会長補佐SSと共謀の上,法定の除外事由がないのに,上記日時場所において,口径0.38インチ回転弾倉式けん銃1丁を,これに適合する実包10発と共に携帯して所持し
たものである。」
というものである。
2 当事者の主張
(1) 証拠上認定される争いのない事実等
被告人が,①暴力団○代目Y組若頭補佐兼H会総長の地位にあること,②被告人が総長を務めるH会において若頭補佐の地位にあったT及びSSの両名が,法定の除外事由がないのに,平成9年9月20日午前10時40分ころ(以下,特に断りのない場合は,いずれも平成9年の日付とする。),大阪市K区○丁目○番○号所在のHIホテル南側出入口前通路上において,それぞれ口径0.38インチ回転弾倉式けん銃1丁を,これに適合する実包10発と共に携帯して所持していたこと(以下,単に「本件事件」ということもある。),③本件事件現場には,被告人,ST及びSSのほか,H会総長秘書のKH同会総長付きのMT,暴力団○代目Y組若頭補佐兼K会会長のSK,同会会長秘書の肩書を有する同会幹部のKT,同会会長付きのMK,同会所属のKN及び同会T組組員のMYらが居合わせ,その際,KT及びMYが,それぞれけん銃1丁とこれに適合する実包を携帯所持していたこと,MY及びKNが防弾チョッキを着用しており,STとSSはこれを着用していなかったことについては,当事者間に争いがなく,当公判廷で取り調べられた関係各証拠によっても,これらの事実は明らかに認められる。
(2) 検察官の主張
検察官は,上記(1)の事実を前提に,被告人と同じ○代目Y組若頭補佐の地位にある○代目YK組組長のKKについて,自己のボディーガードらのけん銃等の所持につき直接指示を下さなくても共謀共同正犯の罪責を負うとされた事例(最高裁平成14年(あ)第164号同15年5月1日第一小法廷決定・刑集57巻5号507頁)を引用して,本件においても,被告人とST及びSSとの間のけん銃等所持に関する共謀の事実を立証する直接的証拠はないが,当公判廷で取り調べられた関係各証拠によれば,①ボディーガードとして行動していたST及びSSと被告人との間に,本件けん銃等の所持につき黙示的に意思の連絡があったといえること,②ボディーガードとして行動していた同人らが,被告人の警護のために本件けん銃等を所持しながら終始被告人の近辺にいて被告人と行動を共にしていたことがそれぞれ認められるのであって,これら事実に,ST及びSSを指揮命令する権限を有する被告人の地位や同人らによって警護を受けるという被告人の立場等を併せ考慮すると,被告人とST及びSSとの間に本件けん銃等の携帯所持に関する共謀が存在したことは優に認定される旨主張する。
(3) 弁護人らの主張
他方,上記公訴事実に対して,弁護人らは,被告人のボディーガードの役目をもつ組員などおらず,被告人が,ST及びSSに対して,けん銃等を携帯所持するよう指示したことはない上,同人らが本件けん銃等を携帯所持していることの認容はおろか,そもそもその認識すらなかったのであるから,ST及びSSの各けん銃等所持について,被告人に共謀共同正犯としての罪責を負わせることはできない旨主張する。
3 争点
本件の争点は,被告人がST及びSSとの間でけん銃等所持につき共謀を遂げたといえるか否かであるところ,本件においては,被告人が本件けん銃等所持についての共謀を捜査及び公判を通じて全面的に否認している上,実行行為者であるST及びSSも,捜査及び公判を通じ,一貫して,被告人による指示,謀議の存在を否定しており,共謀状況に関する直接的な目撃証人等もなく,本件共謀に関する直接的な証拠が存在しない事案であるが,ST及びSSは,当公判廷において,被告人との共謀は否認するものの,関係証拠上,両名が本件けん銃等を携帯所持していた目的が,けん銃等による襲撃から被告人を護衛するためであったことは明らかであるから,ST及びSSが属する暴力団組織の組長である被告人が,ST及びSSに対してけん銃等を携行して自己を警護するように具体的な指示を下さなくても,同人らが被告人を警護する役目のボディーガードであって,このようなST及びSSが被告人を警護するために本件けん銃等を所持していることを被告人としても概括的にせよ確定的に認識しながら,それを当然のこととして受け入れて認容し,同人らもこれを承知していたと推認されるのであれば,被告人とST及びSSとの間にけん銃等の所持に関する黙示的な意思の連絡があったものと認められ,さらには,上記の役目を担うST及びSSが被告人の警護のために本件けん銃等を所持しながら終始被告人の近辺にいて被告人と行動を共にしていたというのであれば,ST及びSSを指揮命令する権限を有する被告人の地位や同人らによって警護を受けるという被告人の立場等に照らし,実質的には,被告人がST及びSSに本件けん銃等を所持させていたと評価することができ,被告人には共謀共同正犯が成立するといえるものと考える。以下,順次検討を加える。
第2当裁判所の判断
1 証拠によって認定できる事実等
(1) Y組の組織と被告人の経歴等
ア 被告人の経歴等
被告人は,昭和35,6年ころ,実兄のTHが幹部を務め,静岡県浜松市に本拠を置く暴力団KR一家の組員となり,同組若頭等を経て,昭和59年ころ,○代目KR一家組長となり,そのころ,○代目Y組組長TMの盃を受けて,同組直参若中となり,さらに,平成元年5月には,○代目Y組組長WYの下,同組最高幹部で執行部の一員である同組若頭補佐兼関東ブロック長となり,平成3年7月には,同市内に本拠を置く暴力団KY一家及び暴力団R等と連合して結成したH会の総長に就任した。なお,被告人は,昭和38年ころから昭和41年ころまで同市内の自宅等でけん銃及び実包を所持したという事件で懲役刑の判決を受けたことがあるものの,被告人自身が過去にボディーガードとしての経験を有することは証拠上窺えない。
イ Y組の組織等
被告人が所属する暴力団○代目Y組は,神戸市A区に総本部を置き,WYを頂点とするわが国最大の暴力団組織であるところ,後記TK射殺事件が発生した8月28日当時は,いずれも同組の有力二次団体の組長でもある,若頭・TK,若頭に準ずる総本部長・KS(KS組組長),舎弟頭補佐と同等の副本部長・NT(○代目YK組組長),舎弟頭補佐・NW(NW組組長),同OI(OI組組長),同BT(SY会長),若頭補佐・TR(HD組組長),同KM(KM組組長),同被告人(H会総長),同KK(○代目YK組組長),同SK(K会会長),同NK(N会会長)及び同HM(HM組組長)の13名の最高幹部が「執行部」として,毎月4日又は5日と20日に定例の幹部会を開催してY組の運営方針等を合議により決定し,WYの承認を得てこれを実施する方法により,組織運営を行っていたものである。
(2) H会の組織
ア 組織の概要
H会は,平成3年7月に,静岡県浜松市に本拠を置くKR一家,KY一家及びR等が連合して結成された,Y組若頭補佐の被告人が総長を務めるY組有力二次団体で,本件事件当時,KR一家の構成員は約30名,KY一家の構成員は約30名,Rの構成員は約200名であり,その他の組員も加え,H会の構成員総数は300名弱であった。
H会は,総長である被告人の下,会長・DR(R○代目),若頭・TT(KR),会長代行・IT(R),同NO(KY一家),総本部長・WT(R)の5名で構成する執行部が,H会の規律の徹底やこれに違反した組員の懲罰を行うなどして,その組織運営を行っていた。
イ STとSSの地位・立場
(ア) STとSSの経歴
a STの経歴
STとSSは,中学生のころから付き合いがあり,親しい関係にあったところ,STは,昭和43年ころ,当時静岡県伊東市に本拠を置いていた暴力団IR一家の若衆見習いとなった後,昭和46年ころから昭和48年ころまでの間に,静岡県浜松市に本拠を置く暴力団MMの組員となり,同組幹部等を経て,前記のとおり平成3年7月にH会が結成されると,同会若頭補佐兼R○代目KZ一家会長補佐兼同一家SN組長となって本件に至ったものである。なお,STには,MM組員として活動していた昭和55年に,SSほか1名とともに,同組関係者が経営するクラブ店内で乱暴を働いた被告人の配下であるTT及びKBの両名(当時,いずれもKR一家の組員であった。)に対し,こもごも手拳で殴打するなどの暴行を加えた上,STとSSが意思を相通じ,殺意をもって,SSにおいては所携のハンターナイフで上記両名を突き刺し,STにおいては所携の改造けん銃で上記KBに向けて至近距離から発砲して左胸部を貫通させるなどして,両名に対しそれぞれ加療約4週間を要する傷害を負わせたという殺人未遂等の事件で懲役8年の刑に処せられた前科がある。
b SSの経歴
SSは,前記のとおりSTと親しい関係にあり,昭和43年ころ,上記IR一家の組員となった後,昭和46年ころから昭和48年ころまでの間にMM組員となり,同組幹部等を経て,前記のとおり平成3年7月にH会が結成されると,同会若頭補佐兼R○代目KZ一家会長補佐となって本件に至ったものである。なお,SSには,MM組員として活動していた昭和48年に,けん銃所持等の事実で懲役8月の実刑に処せられた前科や,昭和55年には,STらと共に敢行した上記殺人未遂等の事件で懲役8年の刑に処せられた前科がある。
(イ) 本件当時のST及びSSの地位,役割
a ST及びSSはいずれも,当公判廷で,9月19日から20日にかけて,KHからの指示で偶々荷物持ちとして被告人に同行しただけである旨供述する。
しかしながら,①東京都港区A所在のH会東京事務所に備え付けのテレフォンリストの最初の見開き部分には,ST,SSの氏名及びその各携帯電話の番号が,総長秘書のKH,総長付きのMTの氏名及びその各携帯電話の番号や,被告人の携帯電話の番号,被告人が乗るベンツの車載電話の番号,H会本部事務所用のアリスト及びプレジデントの各車載電話の番号等と共に一括して記載されており,また,9月19日から20日にかけて,被告人乗車車両の運転手を務めていたH会若中兼HN本部長のYT方から押収されたアドレス帳の最初の見開き部分にも,ST,SSの氏名及びその各携帯電話の番号が,KH,MTの氏名及びその各携帯電話の番号等と共に一括して記載されていたこと,②STの自宅から押収された青色プラスチック表紙のアドレス帳には,暴力団IN及び同SUを始めとする関東地域に本拠を置く諸組織や他のY組のブロック別諸組織の各名簿が編綴されていた上,その中の特定の氏名等がそれぞれ黄色,オレンジ色又は青色の各ラインマーカーで塗られていたこと,③ST及びSSは,本件事件の際,適合実包5発を装てんしたけん銃各1丁を右腰のズボンとワイシャツの間に挟み込み携帯していた上,予備として実包5発を所持していたこと,同人らがそれぞれ携帯していた各けん銃は,いずれも同じ口径0.38インチスペシャル型,米国製チャーター・アームズ「オフ・デューティ」回転弾倉式けん銃であって,同一の機会に入手されたものである可能性が高いこと(なお,ST及びSSは,当公判廷において,同じTSという人物から,それぞれ別の機会に本件けん銃等を購入したものである旨供述しているが,これは,STの捜査段階における供述内容や,同人が被告人となった際の公判供述の内容と齟齬しており措信できない。),④同月19日のH駅及びN駅における各ビデオ映像には,SSが,被告人の側にいて,その周囲の様子を窺っている状況が撮影されていること,⑤SSが,当公判廷で,けん銃等を携帯所持していた理由について,「絶縁になったN会の一部の訳の分からない跳ねっ返りが,万が一,T総長を襲うようなことがあったら,これを防ごうと思った。」旨供述していることなどに照らすと,ST及びSSが,同人らが述べるように,本件事件の際,偶々荷物持ちとして被告人に随行していただけとは到底考えられない。このような証拠関係に照らすと,断定はできないものの,同人らは従前から必要に応じて被告人に随行し,被告人の身の回りの世話等を行っていたものと考えるのが自然であり,更にはSS自身が「18日の日に,KHさんから神戸行きを言われた」旨述べていることを併せ考えると,SSらは本件事件に際しては,H会内の上位者の指示等により被告人に随行し,単なる身の回りの世話に止まらず,その警護の役割をも担っていたものとの可能性を否定できない。
b この点に関して,検察官は,証人OMが,平成7年10月過ぎころ,H会本部事務所内において,WT,ST及びSSの3名が,道具(けん銃)を持って被告人の護衛に付く旨話し合っているのを聞いたことがあり,翌11月ころからは,被告人の外出にST及びSSが付いていくのを4,5回目撃したことがある旨供述していることを前提に,上記H会東京事務所備え付けのテレフォンリストやYT方から押収されたアドレス帳に,ST,SS,KH,MTの氏名及び各携帯電話の番号が一括記載されていたことや,STの自宅から押収されたアドレス帳に,各暴力団組織の名簿が編綴され,その中の特定の氏名等にラインマーカーが塗られていたことなどを総合すると,H会では,平成7年11月ころ以降,外出先で被告人に何らかの危害が加えられる危険が予測される場合には,ST及びSSが,被告人を警護する役目のボディーガードとして被告人に同行する態勢が取られるようになっていたことが認められる旨主張する。
そこで,OMの上記供述の信用性について検討してみると,なるほど,同人は,かつてH会傘下組員として被告人の下で活動していたものであり,あえて虚偽を述べてまで被告人に不利益な事実を供述するとは通常考えにくいこと,供述内容も一応の事実を踏まえて,それなりの臨場感があることなどに照らすと,OMの供述に一定の信用性があるようにも考えられなくはない。しかしながら,OMは,今回証言するに至った経緯について,これからやくざをやめて,堅気の世界で真面目にやっていくという決意の下に,その節目として今回の証言に応じた旨述べていながら,実際には,これと異なり前刑での服役中に知り合った暴力団組員の下で,運転手を務めたり,組事務所の当番に入るなどしていたということが判明するに至っているのであって,このような同人の証言経緯の不自然さだけからでも,その信用性に疑義を差し挟む余地が大きい上,その供述内容をみても,OMは,WT,ST及びSSの3名が,H会本部事務所内で,けん銃等を携帯して被告人の護衛に付く旨話しをしていたのを聞いた旨供述するが,証拠上その当時,けん銃を携帯して被告人を警護しなければならないような緊迫した状況があったとは窺えない上,同人自身このような状況があったようには全く証言しておらず,上記のような話しが出たというのは余りに唐突で不自然との感を逸れないし,上記3名がけん銃を携帯して護衛に付く旨話しをしていた時期についても,「平成8年2月前」と供述したり,「平成7年10月過ぎ」と供述するなど,定かな時期を示すことができないこと,また,OMは,前記のとおり,平成7年11月ころから,ST及びSSが被告人の外出に付いていくのを4,5回目撃した旨供述しているが,一方では,KZの運転手をやめた平成6年6月以降,H会本部事務所で,被告人の外出を見送ったことは3,4回あるが,そのとき,STやSSは被告人に付いて行っていないなどと上記内容と矛盾する供述を行っていること,そのほか,後記TK射殺事件発生後,本件事件までという緊迫した状況下にあった期間内に,被告人は,HIホテルに何度か宿泊している(8月28日から29日までの1泊,同月30日から31日までの1泊,9月3日から5日までの2泊,同月19日から20日までの1泊)ところ,同ホテルの宿泊記録等によると,同月19日から20日にかけての1泊を除き,被告人らH会関係者の同ホテル宿泊人数は4名であったことが認められ,関係証拠を総合すると,その4名とは,被告人のほか,総長秘書のKH,総長付きのMT及び運転手のYTの3名であったと考えるのが自然である。そうだとすると,ST及びSSが被告人と一緒に同ホテルに宿泊したのは,本件事件前日の同月19日から20日にかけての1泊しかなかったと推認されることや,後記のとおり,TKの通夜及び告別式の様子を撮影したビデオ映像には,被告人の随行者としてKHが撮影されているのみで,STやSSの姿は確認されていないこと等の客観的事実とも整合しないことなどを総合すると,前記のOM供述は信用することができない。同供述が信用できず,かつTK射殺事件発生直後の緊迫した状況下においても,本件事件前日からの宿泊を除いて,ST及びSSが被告人に同宿していないとの同供述に矛盾する事実が認められる以上,ST及びSSと被告人につき一定期間の行動確認等の内偵捜査等により,ST及びSSが警護役として被告人に随行している状況を把握するなどの客観的裏付けのない本件において,前記①ないし⑤の間接事実から,H会では外出先で被告人に何らかの危害が加えられる危険が予測される場合にはST及びSSが被告人を警護する役目のボディーガードとして被告人に同行する態勢が取られるようになったとの検察官の上記主張を採用することはできないというべきである。
(3) TK射殺事件の発生とN会を巡るその後の状況
ア TK射殺事件の発生とその後の状況
(ア) 8月28日,神戸市にあるSOホテル内のティーラウンジにおいて,Y組若頭のTKが射殺される事件(以下「TK射殺事件」という。)が発生した。
(イ) 同月30日又は31日,NKを除くY組執行部11名は,臨時の幹部会を開催し,TK射殺事件がN会傘下組員によるものと判断し,NKを同月31日破門処分とし,その後,Y組執行部では,TK射殺事件の犯人がN会傘下組員であることに間違いないと判断して,9月3日,NKを絶縁処分とした。なお,絶縁処分は,破門処分とは異なり,将来,Y組に復帰する可能性を失わせる厳しい処分であって,これによりNK及びN会が,将来,Y組へ復帰することはほぼ絶望的なものとなった。
なお,TK射殺事件が発生した8月28日当時,N会は,神戸市S区内に本部事務所を置き,京阪神を中心として直参組織62団体,傘下組員合計約460名からなる組織であると警察に把握されていた。
(ウ) 同月30日及び31日の両日にわたり,大阪市K区所在のTN会館において,TKの通夜及び告別式が営まれた。その様子を撮影したビデオ映像に関する捜査報告書等によると,SKにはKT及びKNらが随行していたのに対して,被告人にはKHが随行するのみで,STやSSの姿は確認されていない。また,その際,警察官が参加者の身体捜検等を実施しているはずであるが,けん銃等を発見した旨の報告の存在は証拠上窺われない。
(エ) TK射殺事件発生後,9月2日から同月17日までの間に,TK組,H会及びKM組の各傘下組員の犯行と判明している7件を含むY組組員によるN会へのけん銃発砲事件等は,合計で18件にも達していた。
イ TK射殺事件発生後のマスコミ報道の状況
(ア) TK射殺事件発生直後の8月29日付け朝刊から本件事件が発生した9月20日付け朝刊までの新聞報道の状況についてみると,いわゆる五大紙(朝日,読売,毎日,産経及び日経)を始めとする各新聞は,TK射殺事件をきっかけにY組内有力団体とN会との一大抗争事件に発展することが懸念され,これを未然に防止すべく,警察が,Y組総本部,N会,TK組及びKM組等の関係先への大規模な捜索を実施したことや,NKが破門処分を受けた直後から,Y組内有力団体傘下組員によるN会関係先へのけん銃によるカチ込み等の事件が全国的に相次いで発生していることなどを随時報道していた。
(イ) 次に,週刊誌の報道状況についてみると,9月19日発売の週刊ポストには,「直撃インタビュー②N会・大幹部『ハメた奴のタマを奪る』」との見出しの下に,「(Y組)執行部は○代目を棚上げ同然にしており,○代目も執行部のやり方に気付いていたはずだ。親が腹にすえかねている。その気持ちを子であるN会長が斟酌し,その子(N会の組員)が親(N会長)の気持ちを斟酌したということだろう」「いったんは○代目が(組織自体は残る)破門処分としたにもかかわらず,執行部が引っくり返し,(組織解体か,Y組からの完全独立かの)絶縁に持っていった。親が決めたことに子が口出しすることは許されない。ハメた奴のタマは奪る」という内容の記事が掲載されるなど,同月8日から同月20日までの間に,週刊大衆,週刊実話,アサヒ芸能,週刊宝石,週刊ポスト及び週刊現代に,Y組内有力団体とN会との間に一大抗争事件が生じることを懸念する内容等の記事が合計7本掲載された。
ウ N会関係者によるH会関係者への攻撃の可能性
(ア) H会関係者がN会関係先を襲撃した事実
a Y組執行部が9月3日にNKを絶縁処分とした後,①同月4日に,H会M組組長・MAが,TK射殺事件の発生を契機として,H会HNの預かりの立場にあった○代GD会の会長AHの協力を得て,M組若頭・SE,GD会若頭補佐・HT及び同会事務局長・TAら4名に命じて,東京都豊島区HI所在のN会UH組の関係施設の玄関ドアにけん銃弾5発を打ち込ませる事件を敢行し,また,②翌5日には,H会KR一家幹部のMSが,TK射殺事件の発生を契機として,配下のHAほか1名に命じて,東京都千代田区K所在のN会関係企業の事務所が入居しているビルに向け,けん銃弾3発を打ち込ませる事件を敢行した。
b 上記各事件に関するH会幹部の対応
検察官は,当時,GD会の会長代行であったHR及び上記a①事件の実行犯であるHTの各公判供述によれば,同事件の直後,H会本部にいる上位者と思われる相手と電話で話したAHが,HRに対し,「若頭(H会若頭であるTTのこと)からの電話で,今後はN会からの報復に備えて1人では行動せず,何人か固まって行動し,いつでも連絡が取れるようにしておけという指示と,本部事務所の警戒を強化するので,GD会からも2,3名組員を出せという指示が出た。」などと説明し,その後,HTに対しても,「H会本部から本部事務所の警備にGD会から2,3名組員を出すようにという指示が出た。」などと説明していたこと,また,AHが,9月8日に開かれたH会の定例会に出席するため,同会本部事務所に赴いたところ,同会総本部長のWTが,「ご苦労やったな。」などとねぎらいの言葉を掛け,これに対してAHが,とぼけながら笑って,「何のことですかね。」と受け答えするという,前後の状況から判断して,上記a①事件を話題にしたとしか考えようがない会話を交わす一幕があったことなどが認められるのであって,上記a②のMSとTTとの関係,Y組総本部からの通達の報道状況等を併せ考慮すれば,上記aの各事件については,H会が,TK射殺事件の報復のためにN会に対し敢行した組織的犯行であったか,少なくとも,被告人の意向に反しないもので,かつ,これら犯行については被告人も承知していたことを強く推認させるものである旨主張する。
しかしながら,仮に検察官の上記主張の前提となる各間接事実が存在したとしても,関係各証拠によれば,同月3日にNKが絶縁処分を受けてからそれほど日を置かずに,被告人が所属するY組執行部から,同組傘下各組織に対して,N会への報復攻撃を禁止する旨の通達が出されたものと認められる上,上記aの各事件に関与した者らが,その後,H会内で功労者等として特別な取扱いを受けた様子は何ら窺われないこと,同人らが警察に検挙された時期や,上記a①事件がH会関係者による犯行であることが新聞報道された時期がいずれも本件事件の後であること,本件関係証拠を子細に検討しても,上記aの各事件を巡る周辺諸事情は明らかではなく,AHやMS,TTらがこれら事件を敢行した意図やその背景事情等も不明であることなどに照らすと,上記aの各事件が,時機に乗じて勢力拡大等を図った下部団体関係者による独断専行により敢行されたものであり,被告人としては本件事件当時,上記aの各事件を敢行したのがH会関係者であるとの認識を実際には欠いていたとの可能性をぬぐい去ることはできない。
(イ) TK射殺事件後のH会における警戒態勢
a 検察官は,静岡県警の警察官である証人KU及び同OSの各公判供述によれば,①NKを破門処分とした日の翌日である9月1日の午前中に,多数の傘下組員がH会本部事務所に参集していたこと,②同日以降,同月20日ころまでの間,H会本部事務所及び被告人の自宅付近の要所に,H会関係者が乗車した車両が24時間体制で継続的に駐車して警戒に当たるようになったこと,③静岡県警の捜査員が,H会関係者から,当時の当番表の写しを入手したところ,普段のH会本部事務所の当番表であれば,当番責任者1名とその補助者1名(あるいは2名)の氏名がそれぞれ記載されているだけであるのに,その当番表には,同月6日から16日までの間の事務所当番については,8時間ごとに1班3名編成の合計2班が3交代制で24時間警戒に当たる旨記載されていたことがそれぞれ認められるのであって,H会内において,TK射殺事件を契機に,N会関係者による襲撃に備えて厳重な警戒を行っていたことは明らかである旨主張する。
b なるほど,TK射殺事件発生後,N会が一方的に攻撃を受けていただけであるとはいえ,N会は,会長であるNK自身が「けんか太郎」の異名を持つことからも分かるように,かねてからY組内部でも屈指の「武闘派」として攻撃的な組織だといわれていたこと,被告人が所属するY組執行部が,9月3日にNKを絶縁処分としたことで,NK及びN会が,将来,Y組に復帰することがほぼ絶望的な状況になったことなどに照らすと,被告人が総長を務めるY組内有力団体であるH会においても,TK射殺事件を契機に,N会関係者がH会関係者に攻撃を仕掛けてくるかもしれないとの認識が存在し,このことに備えて,組織的に,あるいは関係者が自発的に警戒を強めていたとの可能性を否定することはできない。
しかしながら,証人OS及び同KU(以下,両名合わせて「OSら」という。)の各公判供述によると,9月2日以降,H会本部事務所付近(事務所西側の空き地及び事務所東側の駐車場)にH会関係車両が1台ずつ駐車していたことが認められるものの,KUは,上記事務所西側の空き地に駐車していた車両は比較的早い時期にいなくなったように記憶しているとも供述しており,また,同日以降,被告人の自宅付近でH会関係車両が駐車していたとの点についても,OSらの公判供述によれば,H会関係車両が継続的に駐車していたことが窺えるのは,被告人の自宅裏手の造成地に停まっていた1台のみであるし,同車両内にいたH会関係者で,OSらが唯一接触したSHという男については,上着無しの軽装で,半ズボンに草履を履いていたというのであるから,これが,N会からの攻撃に備えて,厳重に警戒している状況とはおよそ考えにくい。さらに,静岡県警の捜査員が入手したとされる警戒体制表についても,入手先,入手時期等その入手経緯が全く明らかではなく,紙面上は表題すら記載されておらず,H会と何らかの関係があるのかさえ全く不明であること,本件事件の翌日(9月21日)に,大阪府曽根崎警察署員が,H会本部事務所内を捜索した際にも,被告人の警護に関する書類や特別な装備等が一切発見されなかったことなどに照らすと,H会内において,TK射殺事件を契機に一般的な警戒を強めていた状況は窺えるものの,警戒に当たる傘下組員に対して,防弾チョッキの着用やけん銃等の所持を督励したり,本部事務所に幹部が出入りする際に特別な対応を取るよう義務付けるなど,特に厳重なものであったとまでは認められない。
(ウ) N会関係者による攻撃の危険性に関する関係者の認識
HIホテルでけん銃等を所持して被告人を護衛していたH会若頭補佐のSSは,当公判廷において,「絶縁になったN会の一部の訳の分からない跳ねっ返りが,万が一,T総長を襲うようなことがあったら,これを防ごうと思った。」などと述べており,同人が,N会関係者による一般的な攻撃の危険性がある旨認識していたことは明らかである。また,STやSSと同じように,同ホテルでけん銃等を所持してSKを護衛していたK会幹部のKTも,SK公判における供述内容等に照らすと,SSと同様の認識を有していたことが窺えるのであって,これにTK射殺事件発生後,Y組傘下団体関係者によるN会へのけん銃発砲事件等が相次いで発生していたことや,当時の新聞や週刊誌等によるこれら事件の報道状況等を併せ考慮すると,被告人らY組の幹部における認識はどうであれ,少なくとも二次団体以下のY組関係者においては,N会関係者がY組内有力団体に対して攻撃を仕掛けてくるかもしれないとの認識をほぼ共通して有していたと考えるのが自然である。
(エ) 被告人に対するN会関係者による攻撃の現実的可能性
被告人は,当公判廷において,「N会から襲撃されるような状況にはなかった。NKは,Y組から絶縁処分を受けたが,同組に復帰する意向を有しており,配下組員に対しては,いかなることがあってもY組の傘下組織に対して攻撃を仕掛けてはならないと命じた旨の情報をN会関係者から入手していたし,Y組の方からも傘下組織に対して,N会への攻撃を禁止し,これに違反したときはその組織の責任者も処罰するとの通達を出していたので,N会から襲撃されることはないと思っていた。」などと供述し,N会関係者による攻撃の可能性を全面的に否定する。
しかしながら,前記のとおり,9月3日に,NKがY組から絶縁処分を受けたことで,NK及びN会がY組に復帰することはほぼ絶望的な状況になったというのであるから,NK自身の意向はともかく,N会の構成員の中にはY組幹部の命を狙う跳ねっ返り者(命令や通達に従わない者等)が存在した可能性は否定できないこと,H会若頭補佐の地位にあったSSも,そのような危険性を認識して,本件事件を敢行していることなどに加え,前記のとおりTK射殺事件発生後,H会でも一般的な警戒を強めていた様子が窺われること,TK射殺事件の発生直後から本件事件に至るまでの間に,新聞や週刊誌等が,Y組傘下組織の組員によるTK射殺事件の発生を契機とするN会関係先へのけん銃によるカチ込み等の事件が相次いで発生している旨報道していたことなどを併せ考えると,当時,被告人らY組の幹部を含む関係者の共通認識として,N会関係者によるY組有力団体に対する攻撃がなされる可能性のあることを多少なりとも危惧していたと考えるのが自然である。
もっとも,後述するとおり,①被告人は,本件事件前日の9月19日,HからKまでの移動手段として公共交通機関である新幹線を利用している上,H駅で新幹線に乗り,N駅でこれを乗り換える際も,被告人が特に厳重な警護を受けていた様子は窺えないこと,②HIホテルに宿泊する際,被告人の実名を用いてチェックインの手続が行われていること,被告人は,客室に入ってからも,部屋の扉を開けたままで約3時間にわたってマッサージを受けており,その間,部屋の扉が閉まらないようにラッチを倒し,外からはいつでも扉を開けられる状態にあったこと,③翌20日の朝も,H会関係者2名が室内にいたとはいえ,同室出入口のドアは全開状態に開け放たれ,廊下から浴衣を着てソファーに座ってくつろぐ被告人の姿が見通せる状態にあり,ルームサービスの注文を受けたホテル従業員がワゴンに載せた朝食を運んできた際も,上記2名がいたにもかかわらず,従業員に対するボディーチェックやワゴンの温蔵庫内の点検等はもちろん,同室出入口まで赴いて従業員から朝食を受け取る等することもなく,従業員をそのまま部屋の奥に入れて,朝食の準備をさせていたこと,④同日午前10時40分ころ,同ホテル1階ロビーを通って南側出入口の方へ向かった際も,被告人は,付き従う10人前後のH会関係者及びK会関係者らの先頭を切って,その最前列の真ん中を歩行していたものであって,H会関係者らが,被告人を密集して取り囲む等の緊迫感のある警護を行っていた形跡は窺われないこと,⑤本件事件当時までN会傘下組織ないしその関係者に対する銃撃こそあれ,これに対するN会関係者からの反撃は一切無かったことなどを総合すると,被告人を取り巻く周辺者の判断はともかく,被告人にしてみれば,N会関係者から,Y組傘下有力団体中,被告人の率いるH会が攻撃を受ける可能性はさほどのことはなく,特段の警護を要するまでのことはないと考えていたとしてもあながち不自然とまではいえない状況も存在したというべきである。
(4) 9月19日(本件事件前日)の被告人らの行動
ア Hを出発してからHIホテルに到着するまでの状況
(ア) 被告人は,同日午前9時20分ころ,KHやSSと共にH駅の新幹線改札口を通って,新幹線(下り)ホームに上がり,その後,遅れて到着したSTとも合流して,午前9時37分発のこだま443号に乗車した。
なお,同駅構内にはビデオカメラが設置されており,そのビデオ映像には,午前9時20分47秒から53秒にかけてKH,SS,被告人の順で新幹線改札口を通過している様子,21分13秒にはそれまで改札口付近に立ち止まっていた被告人が歩き出し,それとともにSSやKHも歩き出した様子,21分20秒から34秒にかけてSS(後方を窺っている様子),被告人の順でエスカレーターに乗っている様子,これと並行した位置取りで上記エスカレーター横に設置された階段をKHが上がっている様子,21分40秒には被告人の左右にSSとKHが並んで駅構内の通路を3人で歩いている様子,26分52秒から27分5秒にかけてSTが右手に持ったハンカチで顔を拭くなどしながら上記エスカレーターに乗っている様子,27分7秒から10秒にかけて,STが上記同様,ハンカチで顔を拭きながら駅構内の通路をホームに向かって早足で歩いている様子がそれぞれ撮影されている。
(イ) 被告人,KH,MT,ST及びSS(以下,被告人及びこれに随行していたH会関係者を合わせて「被告人ら一行」ということもある。)は,上記こだま443号が同日午前10時24分にN駅に到着した後,新幹線を乗り換えるなどの目的で,同駅16・17番線ホームから待合室等のある駅構内の方へ階段を降りて行った。
なお,同ホームにはビデオカメラが設置されており,そのビデオ映像(なお,N駅のビデオ画像に表示されている時刻については,標準時刻に比べて約2分30秒遅れているとの報告もあるが,甲52号証に従い,約2分3秒の遅れと判断した。以下に示す時刻は標準時刻に計算し直したものである。)には,午前10時24分45秒から53秒にかけて,被告人の右前方にSS,左前方にKH,右後方にMT,左後方にSTがおり,まさに被告人を取り囲むような格好で上記階段を降りて行く様子や,階段を降りているKHと被告人の間を一般の乗降客2名が割り込んで行く様子が撮影されている。
(ウ) 被告人ら一行は,同日午前10時57分ころ,同駅午前11時3分発のひかり41号に乗車すべく,同駅16・17番線ホームに上がった。その際に,K会のSK会長が率いる同会関係者の一行も,同ホームに上がっていた。
その際の状況について,同ホームでのビデオ映像には,午前10時57分17秒から24秒にかけて,MT,KH,被告人,STの順で上記階段横に設置されたエスカレーターに乗っている様子,これと並行した位置取りでSS(後方を窺っている様子)が上記階段を上がっている様子,57分27秒から30秒にかけて,ホームに上がったSSが周囲の様子を確認するような動作を行っている様子,57分25秒にMTが,57分27秒にKH(後方を窺っている様子)が,57分31秒に被告人が,57分33秒にSTが,11時0分33秒にMYが,0分40秒にKT(後方を窺っている様子)が,0分42秒にKNが各々ホームに上がっている様子がそれぞれ撮影されている。
以上のとおり,H駅及びN駅での各ビデオ映像からすると,これら駅構内及び新幹線ホーム上においては,H会関係者が常に被告人の近辺にいて,これに随行していたことや,特にSSにあっては,被告人の周囲の様子を確認するような動作を何度も行っていたことが認められるのであるから,検察官主張のとおり,Hを出発して以降,被告人が,ST及びSSら配下組員に厳重に護衛されていたと認める余地もないわけではない。しかしながら,上記各ビデオ映像によると,H駅から被告人に随行したH会関係者の人数がKH,MT,ST及びSSの4名に止まっていること(特に,H駅の改札口を通って新幹線ホームの方へ向かった際,被告人の側にはSSとKHの2人しかいなかった。),被告人は,KHやSSと共にH駅の改札口を通った後,いったんはその付近に立ち止まって遅れていたSTが来るのを待っていた様子が窺えるが,結局,同人と落ち合う前に,新幹線ホームの方へ向かっており,このような両者の行動は,STが被告人の警護役として専ら行動していたものであり,被告人も同人に警護されていると認識していたものとすることについて疑問を生じさせるものであること,ST及びSSが,H駅及びN駅において,少なくとも荷物を手に提げながら被告人に随行していたことは明らかであり,特に,STは,被告人と共にN駅16・17番線ホームに上がった際,荷物を両手に提げていたことが認められるのであって,このように両手が塞がった状態で行動するということは,被告人の警護を主たる役目とする者のそれとは通常考えにくいこと,被告人が,H駅及びN駅の各新幹線ホームに上がる際,万一の場合に機敏な対応が困難と思われるエスカレーターを利用していることなどに加えて,N駅16・17番線ホームから待合室等のある駅構内の方へ向かって階段を降りていたKHと被告人の間に一般の乗降客が割り込んでいる様子が録画されていることなどを併せ考えると,これらビデオ映像からは,被告人が,けん銃等を携行したST及びSSら周囲から特段の警護を受けているものと,概括的にせよ確定的に認識し得るほどの厳重な警護態勢が取られていたとまでは認められない。
なお,検察官は,ST及びSSら被告人に随行していたH会関係者とKT及びMYらSKに随行していたK会関係者は,N駅で待ち合わせて合流して以降,互いに協力し合ってそれぞれの組織の長である被告人とSKを警護していた旨主張するのであるが,そのような事実を直接証する証拠は何ら存しない上,仮にH会関係者とK会関係者が,互いに協力し,連携し合って被告人やSKを警護しようとしていたのであれば,N駅16・17番線ホームに上がる際も行動を共にするのが自然であると考えられるが,上記ビデオ映像によれば,被告人ら一行が同ホームに上がってから約3分後に,SKらK会関係者が同ホームに上がっており,時間的なずれが生じていることや,後述のとおり,HIホテルに宿泊する際も,当初,SKらK会関係者は,被告人らが宿泊する28階ではなく,33階の客室(3部屋)に宿泊する予定だったことなどに照らすと,検察官が主張するように,H会関係者とK会関係者が互いに協力し,連絡し合って被告人やSKを警護しようとしていたとすることには飛躍があるといわざるを得ない。もし仮にH会関係者とK会関係者がN駅で待ち合わせしたのが事実だったとしても,警護以外の目的で待ち合わせたという可能性も一概に否定できないのであって,結局のところ,検察官の上記主張をにわかには採用することができない。
また,検察官は,2階建てグリーン車の場合,一般乗客が1階の通路部分を通行することから,2階に通じる前後の階段部分を警護すれば,不審者が2階部分に侵入するのを未然に防止できるため,被告人ら一行は,N駅に着いてから,2台のひかり号をやり過ごし,あえて警護が容易な2階建てグリーン車のあるひかり41号に乗車した旨主張するが,一般乗客が2階の通路部分を通行することが一般的に禁止されているわけではないし,2階通路を閉鎖して警護したとしても1階通路が存在するから通路閉鎖に不都合はないとはいえるものの,これは単に理屈の上での話に過ぎず,現実に2階通路を閉鎖して警護した状況等が何ら明らかにされていない以上,検察官の上記主張は根拠のない憶測に基づくものといわざるを得ず,採用することはできない。
(エ) 被告人ら一行は,N駅午前11時3分発のひかり41号のグリーン車に乗車し,E駅へ向かったが,その際,被告人とSKは,グリーン車2階部分に乗り合わせ,隣同士の席に座った。この列車には,H会関係者としては,KH,MT,ST及びSSが,K会関係者としては,KT,MY,MK及びKNが,それぞれ乗車していたことは明らかであるが,どこに誰が乗車していたかについては必ずしも明確ではない。
(オ) ところで,SSは,検察官調書(採用部分に限る。)の中で,H駅からE駅に到着するまでの間の警護状況について,概ね以下のとおり供述する。
①被告人らがH駅に来る前に不審者がいないかどうか確かめるために,午前9時20分ころ,H駅に行ったところ,既にKHが同駅に来ていたので,同人と一緒に駅周辺に不審者がいないかどうか見回ってみたが,特に不審者はいなかった,②駅周辺を確認してから,先に新幹線ホームの安全を確認するため,被告人らが来る前にSTと一緒に新幹線ホームに上がって安全を確かめた後,ホームに上がってくる階段を見通せる少し離れた場所で,被告人らが来るのを待っていると,午前9時30分ころ,被告人は,KH,MTの2人と一緒にホームに上がってきた,③間もなくして,午前9時37分発の新幹線こだま号が到着したので,私とSTは,被告人より先にグリーン車内に入り,通路を歩いて不審者がいないかどうかを確認したが,特に不審者は見当たらなかったので,そのまま2人でグリーン車の後部に接続する普通車両に移動した,④グリーン車には,被告人とKHが乗り,MTは携帯電話での連絡などをすることからグリーン車のデッキにいた,⑤午前10時30分ころ,N駅に到着し,同駅でひかり号に乗り換えるため,こだま号から降りた際,自分とSTは,すぐにN駅のホームの警戒をしたが,被告人,KH及びMTの3人は,ホームの下にある待合室で時間を潰した,⑥自分たちは,午前11時ころに来たひかり号に乗り換えたが,同列車内では,被告人は,2階建てグリーン車の2階席に座り,自分とMTは,同車後方のデッキに立ち,STは同車前方に立った。以上のとおり述べる。
そこで,SSの検察官に対する上記供述の信用性について検討すると,なるほど,SSと被告人の従前の関係等に照らすと,SSが,あえて虚偽を述べてまで被告人に不利益な事実を供述するとは通常考えにくい。しかしながら,上記①ないし⑥の各警護状況に関する供述は,SSが被告人を警護する際にとった一連の行動を述べたものであり,事態の推移として互いに関連し合っているといえるところ,上記②の供述内容(H駅で警戒するため先に新幹線ホームに上がり,被告人はKH,MTと一緒に後からホームに上がってきた等)及び⑤の供述内容(N駅でホームの警戒をしたが,被告人,KH及びMTの3人はホームの下にある待合室で時間を潰した等)については,H駅及びN駅で撮影されたビデオの各録画内容(いずれも荷物を手に提げ,被告人の側を離れずに歩行する様子が撮影されており,上記供述調書にあるように,ホームに先乗りし,あるいは残留して警戒していた状況は何ら記録されていない。)と相反することが明らかであって,SSの検察官に対する供述調書は全体として,秘書的役割のKH,MTが被告人に付き従う一方,SSは主として警護の役割を担っていたのではないかとの予断の下に供述録取が行われた疑いを払拭することはできない。SSの検察官に対する供述のうち,H駅からE駅までの警護状況に関する部分は,全体としてその信用性が低いといわざるを得ず,これに副う事実を認定することができない。
(カ) 被告人ら一行は,上記ひかり41号が午後0時21分にE駅に到着した後,迎えに来ていた2台の車に分乗して,SKらK会関係者が乗車する自動車2台と共にY組総本部まで赴き,午後0時32分ころ,同組総本部駐車場に到着した。被告人及びSKらは,同組総本部で,翌日に控えた幹部会の事前打合せを行った。
その後,午後4時28分ころ,H会関係者及びK会関係者が4台の車に分乗して,Y組総本部を出発し,阪神高速道路を利用するなどして,HIホテルへと向かった。この点につき,被告人は,当公判廷において,Y組総本部で上記のとおり打合せを行っていた折,○代目OK一家総長のONが挨拶しに来たことから,SK及びONの2人を食事に誘い,同人らと一緒の車に乗って,同日午後5時ころ,O駅前第○ビル地下2階にあるふぐ料理店「SR」に赴き,同所で食事を摂った後,同日午後6時ころ,地下街及び公道を通って,HIホテルまで行った旨供述し,ONも,SK公判の際に,これに副った内容の供述をしている。しかしながら,①SSは,検察官調書の中で,Y組総本部での用事が済んでから,午後4時半ころ同総本部を出て,午後5時半ころHIホテルに到着したと供述しているところ,これは,被告人が当日使用していた自動車(黒色プレジデント,○○○○号)がY組総本部の駐車場を出たのが午後4時28分と確認されていること,及び同ホテルの宿泊記録等によると,同ホテルにチェックインした時刻が,K会関係者にあっては午後5時37分,H会関係者にあっては午後5時50分であったことと概ね符合しており,SSの上記供述は客観的な裏付けがあるものとして信用性が高いと考えられる。②これに対し,被告人の上記公判供述及び弁護人らが上記ふぐ料理店から取り寄せたという9月19日付け御勘定書の各内容によると,上記ふぐ料理店に入った後,被告人は親しい仲居に挨拶をして,つき出し3人前(1人前2000円),活けふぐ鍋3人前(1人前1万1000円,その後取り消した。),ふぐのぶつ切り3人前(1人前7500円),ふぐの唐揚げ3人前(1人前7500円),焼き松茸(1万6000円),ふぐ雑炊2杯(1杯3000円)を注文し,SKやONとともに,出てきた料理を食べながら,ビール7本(なお,同店の店長と板前にビールが振る舞われた可能性は否定できないが,同店従業員のUMが,当公判廷において,店長は1人で,板前は2人と供述していることなどに照らすと,仮に店長及び板前にビールが振る舞われたとしても,その本数は1,2本程度だったとみるべきである。)及びウーロン茶3杯を飲み,その後,食事を終えて店から立ち去るまでをわずか1時間足らずで済ませたこととなるのであるが,上記UMが,当公判廷において,上記御勘定書に記載された料理の内容やビールの本数等から判断すると,食べ方にもよるが,大体,食べるのに2時間か2時間前後はかかる旨供述していることや,同人は,まず最初にビール等の注文を受け付け,その後更に上記各種ふぐ料理の注文を受け付けたと供述するが,これら注文のための時間のみならず,板前が調理し,盛り付け,配膳する時間をも考慮すると,前記のとおり,午後4時半ころY組総本部を出発した被告人らが乗る車が,阪神高速等を制限速度を超過する高速度で走行した結果,被告人らが午後5時ころに上記ふぐ料理店に到着し得たと仮定しても,食事を終えて午後6時ころにHIホテルに到着することはかなり困難というべきである。そもそも被告人,SK及びONの年齢や健康状態等に照らすと,被告人らが上記ふぐ料理店で上記御勘定書に記載された料理等を注文し,飲食してわずか1時間足らずで同店を出たとすることには疑義があるといわざるを得ない。この点に関し,被告人は,当公判廷において,家族で食事する場合を除き,2時間も3時間もかけて食事するなどということは絶対にあり得ないし,特にその日は,午後7時からマッサージを受ける予定だったなどと供述するのであるが,その程度の予定であれば,マッサージの予約を後にずらすなどの方法をとれば足りるし,被告人が声をかけてSK,ONの両名を夕食に誘いながら,被告人の都合で短時間で食事を切り上げるというのも不自然というほかない。③上記御勘定書には,9月19日に2番テーブルの客3人がビール7本,ウーロン茶3杯及びふぐ料理等を飲食して,その飲食代金が合計8万5000円余りになった旨記載されているにすぎず,それ以上に飲食時間や飲食客を特定するに足りる手がかりは何ら存しないのであって,弁護人らが主張するように,この御勘定書が,被告人ら3名が本件事件前日の9月19日に上記ふぐ料理店に赴いて飲食した際の内容等を記載したものであると認めるに足る確たる証拠ということはできない。④これに加えて,ONは,SK公判において,9月19日の午後4時過ぎころ,Y組総本部からHIホテルに向かう車中で被告人から食事に誘われた,同ホテルの近くで車を降り,歩いて地下街に入り,午後5時をちょっと回ったころに,地下の商店街の中にあるふぐ料理店に入った,料理は唐揚げとか刺身が出たと思う,ビールはSKと自分が飲んだ,食事が終わった後,代金(7,8万円だったと思う。)の支払いは自分がした旨供述するが,この食事をした際の状況について,同人は,SK公判での証言以降に供述録取された平成14年9月29日付けの警察官調書においては,「Y組総本部を出発してHIホテルに向かったが,途中,阪神高速が渋滞しており1時間ほどかかったと思うので,ふぐ屋に入ったのは午後5時ころだったと思う。ビールを注文したところ,女の人が2本ほど持ってきて2本とも栓を抜いたが,被告人はアルコールを全く飲まないし,SKも普段冷酒を小さいグラスで1杯くらいしか飲まないので,『誰が飲むんやね,2本も栓抜かれて。』と3人で言った記憶がある。自分とSKは一応コップにビールを注ぎ,被告人はウーロン茶を飲んでいた。この店には1時間か1時間半くらいいたが,初めに注文したビールは,まるまる1本と初めにコップに注いだ残りのビールがそのまま残った。自分やSKは,水やお茶を飲んだ。」などと供述しており,その内容は御勘定書の記載内容から判断されるビールの飲酒状況とかなり食い違っていることなどに照らすと,ONのSK公判における供述も,上記警察官調書における録取内容も共にたやすく信用できないこと,上記御勘定書には,活けふぐ鍋3人前をいったん注文してその後取り消した旨の記載があるにもかかわらず,被告人は,当公判廷において,料理の注文は自分がしたが,活けふぐ鍋を注文した記憶はない旨供述することなどを併せ考えると,被告人,SK及びONらが,Y組総本部から同ホテルに赴く途中でふぐ料理店に立ち寄ったとすることには多大な疑問が残るというべきであって,そのような事実を認めることはできない。
イ HIホテルでの宿泊状況
(ア) MTは,9月19日午後5時50分ころ,自分の名前で予約しておいたHIホテルの客室(3部屋)のチェックイン手続を行った(なお,HIホテル人事部保安担当課長をしていたIKは,当公判廷において,同日午後5時半ころ,同ホテル1階のベルカウンターあるいはビジネスセンター付近で,H会関係者に対する一斉職務質問の件で大阪府曽根崎警察署刑事課暴力犯係のIH総括係長らと打合せを行っていたが,そのとき,H会,K会関係者が集団でチェックインした旨供述するが,この点については,証人IKに対する弁護人らの反対尋問において,同証人と上記打合せを行った警察官やH会関係者のチェックインに応対したホテル従業員らの各供述内容と齟齬することが明らかとなっており,上記供述の信用性は乏しいというべきである。)。その際,同ホテル側は,28階の2801号室,2811号室,2822号室の3部屋を用意していたが,チェックイン時にMTが2801号室の部屋替えを申し出たことから,最終的には,被告人が2811号室(QB・クイーンビジネス)に,KH,MT及びYTが2814号室(TB・ツインビジネス)に,ST及びSSほか1名が2822号室(TB)にそれぞれ宿泊することとなった。この部屋替えの理由について,検察官は,被告人の宿泊する2811号室を2814号室及び2822号室で挟み込み,同ホテル建物の両サイドにある客室エレベーターあるいは業務用エレベーターから2811号室に近づく人物を警戒するためである旨主張するが,2801号室と比べて部屋替え後の2814号室の方が被告人が宿泊する2811号室に近く,部屋替え後の2814号室にはKH,MT及びYTの3名が宿泊していることからすると,被告人の秘書的な立場にあったKHやMTが被告人の部屋に行き易いように上記部屋替えを申し出た可能性の方がむしろ高いというべきであって,MTとホテル従業員との間で,上記部屋替えに関し,どのようなやり取りがなされたのかという点をはじめとして,他にこの部屋替え要求の理由を窺い知るに足る証拠がない以上,検察官の上記主張は単なる憶測の域を出ないものというほかない。
なお,MTは,上記チェックイン時に,2811号室の宿泊台帳の「ご芳名」欄に「T」と被告人の実名を記載した。
(イ) SKらK会関係者においても,KNの名前でHIホテルの客室(3部屋)を予約していたところ,SKらが同ホテルに到着した後,被告人からの薦めで,33階に予約してあった部屋を,被告人らと同じ28階の3室(2801号室〔TB〕,2806号室〔KB・キングビジネス〕,2823号室〔TB〕)に部屋替えすることとなり,その中でSKは2806号室に宿泊することとなった。この部屋替えの理由についても,検察官は,H会関係者とK会関係者が協力し合って被告人及びSKを警護するためである旨主張する。しかしながら,前記ア(ウ)で判断したとおり,H会関係者とK会関係者がN駅から協力し合って被告人及びSKを警護していたとまでは認めるに足りないのであって,その後,上記部屋替えまでの間に,警護の強化を迫られるような突発的な出来事があったようには関係証拠上窺えないことからすると,この点の主張も結局は確たる根拠のない推測の域を出ないものというほかない。従前から被告人とSKが親しい関係にあったことが窺えることからすると,被告人が,当公判廷で供述するように,同じフロアの方がいいと思ったなどという漠然とした理由で部屋替えを行った可能性も一概に否定することはできないのであって,検察官の上記主張は採用することができない。
(ウ) 被告人は,同ホテルの2811号室に入った後,午後7時ころから約3時間にわたりマッサージ師(2名)によるマッサージを受けた。マッサージ中は,部屋の扉が閉まらないようにラッチを倒し,外からはいつでも扉を開けられる状態にあった。また,被告人は,翌20日午前7時ころ,ルームサービスを注文して同ホテルの従業員NYに朝食(朝がゆ,納豆)を届けさせているが,その際,同室出入口のドアは全開状態になっており,廊下にいるNYから部屋の奥のソファーに浴衣姿で座ってくつろぐ被告人とその横に後記のとおりスーツ姿の暴力団員風の男2人が立っているのが認められたが,NYがドアをノックして「朝食をお持ちしました。」と声をかけても,その2人の男は応対に出てくることはなく,入ってくるようにとの仕草をするだけであり,NYがワゴンを押して同室内に入っても,2人の男が温蔵庫の中を確認する等の警戒行動をとることなく,NYに朝食の準備をさせた。
なお,上記NYは,当公判廷において,①ルームサービスを2811号室に届けるために,同ホテル28階のバックサイドから廊下に出たところ,廊下の左右の部屋から3人くらいの男が顔をのぞかせていた,②その後,2811号室に到着すると,同室内には,被告人とそのボディーガードらしきネクタイを締めたスーツ姿の一見暴力団員風の男2人(A及びB)がいた,そのうちの1人(Aの男)は年齢が40歳から50歳くらい,身長は自分より少し低い160センチメートルくらい,がっちりとした体格で眼鏡を着用していた,平成9年10月に警察官から事情聴取を受けた際,Aの男が写った写真を「この人です。」などと言って指し示したところ,警察官からは,「ああ,SSやな。」と言われた旨供述する。
そこで,NYの上記供述の信用性について検討すると,同人と被告人との間にそれまで面識がなかったこと,また,被告人がY組最高幹部の地位にあることなどに照らすと,NYが,あえて虚偽を述べてまで被告人に不利益な事実を供述するとは通常考えにくいところ,まず,①の点については,同人の10月8日付け警察官調書の中では全く触れられていないところであるが,その供述内容は,印象に残りやすい非日常的な体験であったことを前提とするものであるから,同人の上記状況に関する認知とその記憶には他の経験と混同の余地のない明確なものがあると考えられる上,後記MRの公判供述(「自分が2820号室へ出入りする度に,2806号室や2822号室のドアが開閉し」たと供述する部分)とその内容が符合していることなどに照らすと,この点に関するNY供述は信用できるというべきである。これに対し,②の点についてみると,NYは,Aの男が出入口ドアに一番近い場所に立っていたことや,ルームサービスの伝票にサインしてもらったことなどを理由に,Aの男のことはよく覚えている旨供述するが,NYからみて,ルームサービスを注文した被告人は格別,残りの2人の男(A及びB)については,単に被告人の部屋に居合わせただけにすぎないのであるから,NYが2811号室で被告人らに応対した時間のうち,Aの男の方に意識を向けていたのはごくわずかの時間しかなかったことが窺えるほか,ルームサービスの伝票にサインしてもらったとしても,それは日常業務を遂行する場面での出来事にすぎず,Aの男の容姿を記憶に留める意思をもって注意深く観察したというような状況にはないこと,Aの男の容貌に関するNYの供述をみても,年齢が40歳から50歳くらい,身長が160センチメートルくらい,体格はがっちりとしていて,眼鏡を着用していたというもので,同供述の中には人物特定のために重要な要素である顔の特徴に関する供述が含まれていないこと,警察段階の写真識別においても,上記ボディーガードらしきスーツ姿の男としてSTの写真を選別した旨供述調書に記載されていることなどに照らすと,NYの上記識別供述をにわかに信用することはできないというべきである。
(エ) HIホテル内での警戒状況について
a 検察官は,証人MR(9月18日から20日にかけて,同ホテル28階の2820号室を利用していた宿泊客)及び同IO(本件事件当時,同ホテルの客室係として働いていた者)の各公判供述をもとに,H会関係者及びK会関係者が,同ホテル内28階で,N会関係者からの襲撃に備え,異常といえるほどの厳重さで被告人及びSKを警護していた旨主張する。
b MRの公判供述の信用性について
(a) MRの供述要旨
①9月19日午後5時ころから同日午後6時ころまでの間だったと思うが,前日から宿泊していたHIホテル28階の2820号室に戻ろうとしてドアが閉まりかけのエレベーターに飛び乗ったところ,同エレベーター内には3人の男性(A,B及びC)がおり,そのうちの1人(Aの男)は,黒っぽいジャケットかスーツを着ていて,身長はさほど高くなく,ひげを生やし,高級そうな金の腕時計を身に付け,金ぶちの眼鏡を掛けていた,もう1人(Bの男)は,グレーっぽいスーツを着ていて,Aの男より背が高く(170センチメートルくらい),金ぶちの眼鏡を掛けていた,残りの1人(Cの男)は視界に入ってこなかったので,余りよく覚えていない,Aの男は被告人で,Bの男はSSだったと思う,②同日夜から翌20日未明にかけて,28階のエレベーターホールと自分の部屋(2820号室)との間を行き来することが何度かあったが,その度に同エレベーターホールないしその付近で2,3人の男を目撃したし,2822号室と2823号室との間で人が行き来しているのを見たこともある,また,自分が部屋に出入りする度に,2806号室や2822号室のドアが開閉し,2806号室にいた男とは目を合わせることもあった,上記エレベーターホールないしその付近にいた男たちは,KN,MY及びMTで,2806号室にいた男で自分と目が合ったのはKTだったと思う。
(b) 信用性の検討
なるほど,MRと被告人との間にそれまで面識がなかったこと,また,被告人がY組最高幹部の地位にあること等に照らすと,同女が,あえて虚偽を述べてまで被告人に不利益な事実を供述するとは通常考えにくい。しかしながら,MRが,本件事件に関して,警察官から初めて事情聴取を受けたのは,同事件が発生してから約4年も経過した後のことである上,MR自身,警察官から事情聴取されるまでの間,一度も記憶を喚起する機会がなかった旨供述していること,上記①②の各目撃状況は,MRが,HIホテル滞在中に,事件とは全く関係なしに目撃したものであって,被目撃者の容姿等を正確に記憶するほどの意識性はなかったと認められる上,被目撃者の容貌等に記銘しやすい特徴があったようにも窺えないことなどに加え,MRが,当公判廷において,9月19日の夕方に,被告人及びSSとホテルのエレベーターに乗り合わせた旨供述する点については,MRの検察官調書及び警察官調書のいずれにも全く触れられていないこと,2820号室のドア扉前から,2806号室のドア扉の奥にいるKTの顔を目撃したと供述する点についても,2820号室及び2806号室の位置関係や,2806号室のドア扉が客室エレベーター側に設置されており,内側に開くような構造になっていることなどからして,MRが供述するような目撃状況は通常考えにくいことなどを併せ考えると,警察官の示唆,誘導等により被目撃者や客室の特定がなされた疑いが残るといわざるを得ず,MRの上記①②の各公判供述のうち,被目撃者や客室を具体的に特定した部分の信用性は低いといわざるを得ない。
もっとも,前記のとおり,MRが,あえて虚偽を述べてまで被告人に不利益な事実を供述するとは通常考えにくいところ,同女が,HIホテル28階のエレベーターホールを往来する度,同エレベーターホールないしその付近に2,3人の男がいたと供述する点については,同所にいた全く面識のない人物と目が合うと,すぐに同人から背を向けられたという印象的な出来事があったことが認められる上,MR自身,同所に2,3人の男がいた状況については複数回目撃した旨供述していること,また,自室への出入りのため28階の廊下を通る度に,その途中にある客室のドア扉が開閉したと供述する点についても,その内容自体,印象に残りやすい非日常的な体験であったことを前提とするものであり,また,MRはその状況を複数回目撃したと供述するのであるから,同女の上記状況に関する認知とその記憶には他の経験と混同の余地のない明確なものがあると考えられる上,前記NYの公判供述(「9月20日午前7時ころ,ルームサービスを2811号室に届けるために,同ホテル28階のバックサイドから廊下に出たところ,廊下の左右の部屋から3人くらいの男が顔をのぞかせていた」と供述する部分)ともその内容が符合していることなどに照らすと,MRの上記公判供述のうち,同女が,HIホテル28階のエレベーターホールを往来する度に,同エレベーターホールないしその付近に2,3人の男がいたと供述する部分,及び自室への出入りのため,同ホテル28階の廊下を通る度に,その途中にある客室(2部屋くらい)のドア扉が開閉したと供述する部分については,その信用性が肯定されるというべきである。
c IOの公判供述の信用性について
(a) IOの供述要旨
①9月19日午後6時ころ,2814号室の宿泊客からランドリーサービスの注文を受けたので,業務用エレベーターに乗って28階に赴き,バックサイドのドアを開けて,客室部分の廊下に出たところ,廊下に2,3人の男(30代から40代くらいの男性で,中にはジャケットやスーツ姿の者もいた。)がぽつぽつとおり,2814号室のドア扉は大きく内側に開いていた,②同日午後8時30分ころ,仕上がったジャケット等を2814号室へ届けに行こうとして,業務用エレベーターに乗って28階まで行き,バックサイドのドアを開けて,客室部分の廊下に出たところ,廊下には5,6人の男がぽつりぽつりと立っており,茶色のスーツを着用した角刈りの男から従業員かどうか確認を受けた。
(b) 信用性の検討
なるほど,IOと被告人との間にはそれまで面識がなかったこと,また,被告人がY組最高幹部の地位にあること等に照らすと,同人が,あえて虚偽を述べてまで被告人に不利益な事実を供述するとは通常考えにくい。しかしながら,IOが,当公判廷において,午後6時ころ,同ホテルの28階廊下に2,3人の男がいたと供述する点や,午後8時30分ころ,茶色のスーツを着用した角刈りの男から従業員かどうか確認を受けたと供述する点については,IOの警察官調書2通のいずれにも全く触れられていないこと,午後8時30分ころ,同ホテル28階の廊下で5,6人の男を目撃したと供述する点についても,本件事件があった平成9年9月に警察官から事情聴取を受けた際は,5,6人の男が(廊下ではなく)2814号室の室内にいたなどと供述し,さらに,平成13年に同ホテルで実施された実況見分に立ち会った際は,廊下にいた男は3人である旨述べていたことなどに照らすと,そもそもIOの上記公判供述に信用性が認められるかどうか疑問が残る上,仮にIOが供述するとおり,上記①②の各状況が認められたとしても,同人が,当公判廷で,同日午後9時過ぎころから午後9時40分ころまでの間に,28階に赴く用事が合計4回(午後9時過ぎころ,午後9時15分ころ,午後9時30分ころ,午後9時40分ころ)ほどあったが,その際は,いずれも28階の廊下に人がいるのを見た記憶はない旨供述していることなどを併せ考えると,いずれとも特定できないがH会あるいはK会の関係者が,同ホテル28階の廊下に佇立するなどして警戒を行っていた様子は窺えるものの,これが一時的なものであった可能性を否定することができない。
d 以上によれば,H会あるいはK会関係者のいずれかは特定できないものの,これらの関係者がHIホテル28階の客室内から廊下を通行する者の行動を監視していた様子や,時折,数名が28階の廊下に立って不審者がいないかどうか警戒していた様子が窺えるところ,①前記のとおり,9月20日午前7時ころ,被告人からルームサービスの注文を受けたホテル従業員がワゴンに載せた朝食を運んできた際,被告人の宿泊する2811号室内にいたH会関係者2名は,その従業員に対するボディーチェックやワゴンの温蔵庫内の点検等はもちろん,同部屋出入口まで赴いて従業員から朝食を受け取ることもなく,従業員をそのまま部屋の奥まで招き入れて朝食の準備をさせるなど警戒行動をとっていないこと,②本件事件当時,同ホテルでルームサービス係として稼働していたOYは,SK公判において,(K会関係者が宿泊する)2823号室からルームサービス(朝食)の注文があったので,同日午前9時ころ,ワゴンに朝食を載せて,業務用エレベーターで28階に赴き,廊下の扉を開けるとすぐに,客室エレベーター付近並びに2802号室,2803号室及び2806号室前の廊下に立っていた5,6人の男たち(暴力団員風)の視線が自分の方に向けられた,その後,上記ワゴンを2823号室の近くまで運んだところ,上記男たちの中の1人に「私らが運びますから。」と言われたので,伝票にサインを貰い,その場で上記ワゴンを同人に手渡した旨供述するが,上記ワゴンを2823号室まで運ぶ途中,当然,被告人が宿泊していた2811号室の前も通ったはずであるのに,同室付近の状況については全く言及していないことなどからすると,上記警戒を行っていたのはK会関係者のみであり,H会関係者においては警戒行動をとっていなかったという可能性も否定することができない。なお,MRの前記②の公判供述中,被目撃者や客室を具体的に特定した部分については信を措けないことは既に指摘したとおりである。
(5) 本件事件直前の状況
本件事件前日の9月19日午後7時30分ころ,高松市内の路上で,N会SI会IM組相談役SBが射殺される事件が発生し,翌20日の上記五大紙の朝刊いずれにも,上記殺人事件につき,警察はTK射殺事件と関係があるとみているなどと報道する記事が掲載されていたところ,HIホテルの宿泊記録等によれば,上記五大紙のうち4紙が,被告人の宿泊する2811号室に届けられていたことが認められるのであるから,Y組の幹部として,Y組やH会の世上の評判等をいつも気に掛けているという被告人が,本件事件前に,上記殺人事件を報道する記事に目を通していないとは考えにくいというべきである。
(6) 9月20日(本件事件当日)の被告人らの行動
ア 一斉職務質問に至る経緯(本件の端緒)
大阪府曽根崎警察署刑事課暴力犯係のIHは,同月19日,HIホテルのIK人事部保安担当課長から,H会のT総長を始めとする一行が宿泊する旨の情報を入手したことから,けん銃等の発見押収及び発砲事件の防止を目的として,被告人らを対象(対象者7名程度)とする一斉職務質問(所持品検査)の実施を計画し,私服の捜査員28名,制服警察官6名の合計34名による捜査体制を編成した(職務質問班6班に合計24名,採証班〔写真撮影等〕に2名,情報収集及び人定確認班に2名並びに制服の警備担当者として6名)。
そして,遅くとも翌20日午前10時ころまでには,UK刑事課長を総責任者,IHを現場指揮者として,HIホテル内において上記警察官らがそれぞれの持ち場につき(職務質問を担当する捜査員を6班に分けた上で1階ロビー等に配置した。なお,1階ロビーの状況は,別紙図面2〔第4回公判・証人TO供述調書112頁〕のとおりである。〔同図面は省略〕),被告人らが同ホテル1階ロビーに降りて来るのを待ち構えていた。
イ 被告人に対する警護状況
(ア) 客室エレベーターを降りてから一斉職務質問を受けるまでの被告人らの行動
a MYが,KTの指示を受け,HIホテルのロビーの様子を窺うとともに,SKを警護するため,防弾チョッキを着用し,適合実包5発を装てんした口径約0.25インチの自動装てん式けん銃1丁をズボン左ポケット内に忍ばせて,SKらに先立ち,9月20日午前10時35分ころ,同ホテル1階のロビーに降り,同ロビー中央部南東に置かれたソファーに座って,周囲の様子を窺うなどしていた。
b 被告人は,同日午前10時40分ころ,2811号室を出て,客室エレベーターに乗り込んだ。そのエレベーターには少なくとも,被告人及びその秘書であるKH,SK及びその付き人であるMK,並びにON及びその秘書であるOHが乗っており,被告人は,これらの者と一緒に同ホテル1階に降り立った(この点,検察官は,証人IKが,当公判廷において,ONの一行は,一斉職務質問が開始される前に,HIホテルを立ち去っていた旨供述している上,同ホテルの宿泊記録及び同ホテルフロント副支配人のMNの公判供述等によると,ONの一行は,同日午前9時31分ころ,宿泊していた同ホテル2709号室と2803号室の宿泊料金等の精算を済ませ,2709号室のルームキーをフロントに返却して同室のチェックアウト手続を完了し,その後は,2803号室のみ利用を継続していたが,同室についても,同日午前9時56分ころ,そのルームキーを返却したことが認められるのであるから,ONの一行については,同日午前10時前後ころ,同ホテルを立ち去ったことが認定できる旨主張するが,上記一斉職務質問に携わった警察官が,本件事件当日に,同ホテルアシスタントマネージャーのIAから,職務質問を受けた利用客の中にONの一行が含まれていた旨の確認を得ていること,MNが,当公判廷において,ルームキーを返却した後であっても,午後0時までであれば部屋の利用は継続できる旨供述していることなどに照らすと,検察官の上記主張は採用することができない。)。
また,ST及びSSも,そのころ,適合実包5発を装てんした口径0.38インチの回転弾倉式けん銃1丁をそれぞれズボンの右腰に差し込み携帯して,同ホテル1階に降り立った。この点につき,被告人,ST及びSSの3名は,当公判廷において,いずれも,ST及びSSが,被告人と同じエレベーターには乗っていなかった旨供述する。しかしながら,前記のとおり,ST及びSSにおいては,被告人を警護するために本件けん銃等を携帯所持して被告人に同行していたものであり,ST及びSSの供述によると,本件事件当日も,被告人に随行する予定となっており,このことについては被告人の秘書的な立場にあったKHやMTも当然認識していたはずであるから,被告人が出発する際には,KH又はMTが,STやSSに対してもその旨連絡していたはずであると考えられる。そうすると,SSが,STとともに,同ホテル28階の客室(2822号室)を出てから客室エレベーターで1階に降りた際の状況につき,10月5日付けの検察官調書において,「午前10時35分ころ,開いているドアの外から総長の話し声が聞こえたので,私たちは,総長が出発すると思い,総長らの話し声がしている間に,部屋を出て,先にエレベーターホールに行って,先にエレベーターに乗って,下に降りて警戒することにしました。私たちは,エレベーターから出るときに襲撃されやすいこともあるので,私とSTは,1階に着くと直ぐに1階の通路などを警戒しながら,車の停めてある方向に向かって歩いて行きました。」と供述するところや,当公判廷において,「被告人の声が自分たちの部屋の前で聞こえ,出発することが分かったので,窓際に置いてある携帯とか,テーブルにあるたばことかを持って,STと2人で廊下に出たところ,既に被告人らの乗ったエレベーターが出た後だったので,次に来たエレベーターで1階まで降りた。」旨供述するところは,いずれも,被告人が出発するに際し,STやSSに対し,KHやMTからその旨の連絡がなかったことを前提とするものであるから,信用するに足りないというべきである。この点に関し,SSが,本件事件から10日後の9月30日に録取された警察官調書において,「5台位あるエレベーターが28階に止まり,総長やKHが乗り込みましたので,私たちは後をガードする様な形で一緒にエレベーターに乗り1階で降りたのです。」と供述しているところも,被告人と同じエレベーターに乗っていなかった旨のSSの上記各供述と相矛盾するものとして,これら供述を弾劾し,その信用性のなさを裏付けるものといえる。本件一斉職務質問の総責任者であったUKが,SK公判において,自分がエレベーターホール付近で,被告人らの様子を窺っていた際,他の4基のエレベーターから人が出てくることはなかったように思う旨供述していること等に加え,前記のとおりST及びSSが警護するために被告人に同行していたものであることを併せ考えると,ST及びSSも,被告人と同じエレベーターに乗っていたものと認められる。
なお,MTについては,同ホテルの宿泊記録等に照らすと,被告人が2811号室から出るのに先立ち,同ホテル1階に降りて,午前10時39分ころ,チェックアウトの手続を行っていたものであると推認される。
c その後,被告人らは,Y組総本部に向かうため,被告人が最前列の真ん中に位置し,これに10人前後のH会関係者及びK会関係者が付いて,送迎車両が待っているHIホテル南側出入口(車寄せのある方向)に向かって歩いていたところ,上記警察官らがTOが略帽をかぶるのを合図に一斉に職務質問に着手した。
(イ) 被告人の警護状況について
a 一斉職務質問に当たった警察官らは,概ね,被告人に対する警護状況に関し,十数名程度(10ないし14,5名程度)の集団が被告人を厳重に警護していた旨供述する。
警察官らの具体的な供述内容は,次のとおりである。
まず,現場指揮者のIHは,「10時半前後にエレベーターから十数名が降りてきて,対象者(被告人)を中心に,ガードしながら,南側出入口の方に向かって歩いていた。」などと述べ,また,一斉職務質問の合図を出し,自身も被告人に対して職務質問を実施することになっていたTOは,「10名ないし13名くらいの者が,一固まりでエレベーターホールから出てきた。最前列に3人,2列目には4人いて,人同士の横の間隔は10センチメートルも空いておらず,大体,握り拳1個分くらいだった,前後の間隔も60ないし70センチメートルくらいだったように思う。被告人は最前列の真ん中にいたが,STやSSがどこにいたかは分からない。集団は,いわゆる魚鱗の隊形をとっていた。」などと供述する。さらに,SSに対し職務質問を実施したSAは,「集団の人数は,3,3,3,3くらいの12人くらい,10人そこらやったと思います。細長い隊形みたいな感じで,前後の人の間隔は40センチメートルくらいだったように思う。被告人やSKがその集団のどこにいたかは分からない。」などと供述している。
b また,IKも,当公判廷において,本件事件前は要所要所に見張り役を配置し,親分そのものは2,3人を連れて,エレベーターから降りて来て,それとなく同ホテルから立ち去っていたのだが,本件事件当日は,10人以上の暴力団関係者が一団に固まって南側出入口の方に向かっていた,被告人は,集団の前の方にいたが,先頭ではなかったと思う旨供述している。
c なるほど,これら警察官及びIKの各供述は,いずれも具体的で,それなりの臨場感もあり,個々的に見れば,際立った不自然さもなく,被告人に対する厳重な警護態勢をとっていたという点では相互に一致しており,一見すると,被告人がHIホテルを出発する際,被告人に対しては厳重な警護態勢が取られていたように考えられなくもない。
しかしながら,本件一斉職務質問の総責任者であったUKは,SK公判において,被告人らがエレベーターから降りてきたとき,その集団と思われる人の固まりは12ないし15名程度であったところ,立ち止まってそこで話し込んだとか,隊列を組んだとかいうことは感じられず,エレベーターから出てきた人は順次ロビーの方へ向かって歩いていくという状況だったと述べていること,被告人のいた位置関係については,TOが当公判廷で供述したように,集団の最前列中央にいたと認められるが,これは,N会関係者から襲撃されて生命を狙われる危険性が高いことを被告人及びその周辺者が強く警戒していたのであれば,通常とるはずのない位置関係であること(なお,被告人の位置関係につき,TO以外の関係者は概ね,集団の中心付近にいた旨供述するが,前記のとおり,TOが,本件一斉職務質問の合図を出し,自身も被告人に対する職務質問を行う予定だったことなどに照らすと,一斉職務質問に当たった多数の警察官らのうち,被告人の位置関係を最もよく把握していたのはTOだったとみるべきである。),本件職務質問に当たり,TOが,いきなり被告人の前面に進み出ても,H会関係者及びK会関係者の誰一人として,TOと被告人との間を遮るような動作をした形跡がないことなどに照らすと,被告人に対する警護状況については,上記警察官及びIKらが供述するほどの厳重さはなかったとみるべきである。
ウ 一斉職務質問(所持品検査)の状況等
前記のとおり,警察官らは,9月20日午前10時40分ころ,TOが略帽をかぶるのを合図に一斉職務質問を開始し,これにより,H会関係者であるST及びSSのほか,SKが率いるK会関係者であるKT及びMYが,それぞれけん銃1丁とこれに適合する実包を携帯所持しているのを発見し,これらを押収するとともに,同人らを現行犯逮捕するに至った。
なお,ST及びSSはいずれも,9月19日にH駅を出発して以降,HIホテルの客室内にいたときを除いて,ダブルの背広を着用していたものであるが,背広のゆったりとした前身頃の隙間がボタンで閉じられていることから,ズボンの右側腰部分に挟み込んでいたけん銃については,背広の外側からはその存在を容易に窺い知ることのできない状況にあったことが認められる。
(ア) STからけん銃等を押収した状況
TY警察官ほか1名が,HIホテルの車寄せに面した南側出入口前通路で,STに対し所持品の提示を求めたところ,ズボン右脇腹に差し込んでいた回転弾倉式けん銃1丁(実包5発装てん)を示したことから,同人に対し逮捕する旨告げたところ,「分かりました。もうジタバタしません。」などと申し立ててこれに応じた。
(イ) SSからけん銃等を押収した状況
TY警察官が,被告人らの方に近づいていくと,SSがこれに気づき,フロントの方(東方向)に移動したことから,上記TY及びMH警察官(以下,両名合わせて「TYら」という。)がこれを追い,同ホテルロビー内の南側出入口付近で,上記TYが,SSに対し,「警察や。」「けん銃持っておるんと違うか。」「上から触るぞ。」などと言って,衣服の上から所持品検査を実施したところ,SSのズボン右腰にけん銃らしき硬い物があったので,「チャカやな。」と同人に尋ねると,「はい。」と答えたことから,TYらは,SSを伴いながら,同ホテル建物を出て,車寄せに面した南側出入口前通路まで赴き,同所において,SSのズボン右腰に挟み込んであった回転弾倉式けん銃1丁(実包5発装てん),さらに,ズボン左前ポケットから黒色ケースに入った実包5発をそれぞれ発見押収するとともに,同人に対し逮捕する旨告げたところ,同人はこれに素直に応じた。
(ウ) KTからけん銃等を押収した状況
UD警察官ほか2名が,HIホテル1階ロビーを足早に歩いていたKTに対して職務質問を実施したところ,同人は,「なんや。放せ。」と怒鳴りながら,手に持っていた黒いかばんを振り回すなどして攻撃の素振りを示した。上記UDら3名は,KTを伴いながら,同ホテル建物を出て,車寄せに面した南側出入口前通路まで赴き,同所において,同人に対し所持品検査を実施したところ,ズボン右脇腹に差し込んであった回転弾倉式けん銃1丁(実包6発装てん)を発見したことから,同人に対し逮捕する旨告げたところ,同人は,「何するんや。やばい。来てくれ。」などと大声で叫びながら,両腕を振り回して身体を左右に振るなどして暴れたことから,その場で制圧して逮捕した。
(エ) MYからけん銃等を押収した状況
MYは,前記ソファーに座って以降,一斉職務質問の前からズボン左ポケットをしきりに触りながら,付近を見渡すなどの態度をとっていた。TOの合図により,一斉に職務質問が開始されたとき,MYの隣りに座っていたMA警察官ほか1名が,MYに対して,「警察の者や。ちょっと触らせてくれ。」などと言って,衣服の上から所持品検査を実施したところ,MYのズボン左ポケットにけん銃らしき硬い物があったので,「けん銃やな。」と同人に尋ねると,「勝手にせえ。」と言ったことから,上記ズボン左ポケット内に手を差し入れたところ,同人が隠匿所持していた自動装てん式けん銃1丁(実包5発装てん)を発見したことから,同人に対し逮捕する旨告げたところ,同人は「分かった,分かった。何もしとらんがな。」などと申し立てて反抗的な態度を示しながらも逮捕に応じた。
なお,前記イ(ア)aのとおり,MYは,防弾チョッキを着用していたものである。
エ 一斉職務質問開始後の被告人の行動
(ア) TOが,被告人の前に進み出て,「曽根崎署の暴力班です。」「H会のTさんですね。」「職務質問させていただきます。」などと申し出たところ,被告人が,「どうぞ。」と言って,これを承諾したことから,TOは,被告人を伴い,同ホテル建物を出て,車寄せに面した南側出入口前通路まで赴き,同所において,被告人の衣服の上から所持品検査を実施したが,けん銃等を発見するには至らなかった。
(イ) その後,被告人は,上記車寄せに停車していた黒色プレジデントの後部座席に乗り込んだ(なお,被告人は,当公判廷において,同車内の自分の隣にはSKが,助手席にはONがそれぞれ座っていた旨供述している。)。そして,いったんはY組総本部に向かって車が発進したものの(なお,TOの公判供述の中には,警察官の「チャカや。」という声を聞いて,上記車両が急発進したかのように述べているところもあるが,TO自身,「そのこと〔『チャカや。』という声〕を知ってか,分かったか分からないか,そのときに,誰かが乗り込んで,ドアは閉められたと思います。」などと非常に曖昧な供述をしている上,もし仮に,警察官の「チャカや。」という声を聞いて,被告人の乗車する車両が急発進したのだとしても,後述するように,被告人が,その直後に本件現場に引き返していることなどに照らすと,被告人ではなく,運転手ら配下組員の独断で,上記車両を急発進させたとみるのが自然である。),被告人の指示で引き返し,車を降りて同ホテルの南側出入口付近に戻ったところ,KHが,警察官とかばんの引っ張り合いをしていたので,被告人は,同人の頭を叩くとともに,近くにいたSSに対しても,「あんまりお上に逆らうんじゃないぞ。」などと言って,上記車両に再び乗り込んだ。この点につき,被告人は,当公判廷において,KHに持たせていたかばんの中にその日の幹部会で使う資料が入っていたのを思い出し,これを取ってくるために,車を引き返させて,同ホテル正面玄関の近くまで戻ったところ,KHがかばんの中身を見せまいとして,警察官とかばんの引っ張り合いをしていたので,KHに対してかばんの中身を見せるように命じたところ,同人が,見せる必要はないなどと反抗的な態度をとったことから,腹が立ち,「見せろと言ったら見せりゃいいんだ。」などと言って,KHの頭をこつんと叩いたところ,同人が持っていたかばんを開けたので,そのポケット内からメモを取り出した,その後,上記車両に戻ろうとしたところ,SSが,警察官2,3名ともめているように見えたので,SSに対しても,「あんまりお上に逆らうんじゃないぞ。」などと言って,上記車両の後部座席に再び乗り込んだ旨供述するが,これを虚偽のものとして排斥することはできない。
(7) その後の状況
ア その後,被告人及びSKは,Y組総本部に赴き,予定どおり幹部会に出席した。
イ ST及びSSは,本件事件で現行犯逮捕された後,引き続き勾留され,けん銃等加重所持罪の単独犯として大阪地方裁判所に起訴された。SSは平成9年12月に,STは平成10年1月に,それぞれ懲役5年の判決を受け,いずれの判決も1審限りで確定した。また,同人らは,H会内においても規律違反を理由に破門処分に付された。
ウ 被告人については,平成9年11月27日に本件事件の犯人として逮捕状が発付されたことから,逃走に及んだものの,平成13年7月31日,潜伏先の栃木県那須郡NS町内で逮捕されるに至った。
2 共謀の有無についての検討
前記1で認定した具体的事実をもとに,前記第1の3で検討した視点に立ち,被告人とST及びSSとの間にけん銃等の所持に関する共謀が存在したか否かについて検討する。
なるほど,前記1で認定した,被告人,ST,SSの暴力団構成員としての地位,経歴,相互の関係,Y組及びH会における被告人の地位,TK射殺事件発生後の状況等の事実を踏まえて,①TK射殺事件発生後,被告人らY組幹部における認識はどうあれ,少なくとも二次団体以下のY組関係者においては,N会関係者がY組内有力団体に対して攻撃を仕掛けてくるかもしれないとの認識を共通して有していたものと考えられ,②H会においても,厳重なものとまでは認められないものの,TK射殺事件を契機に一般的な警戒を強めていた状況が窺え,③本件事件においても,被告人に同行したST及びSSが被告人を警護する目的でけん銃等を所持していたものであり,④H会においては,一朝事あるときには,けん銃等を携帯所持して被告人の警護等に当たるボディーガードの態勢を取ることが制度化されていたとまでは認められないものの,ST及びSSは,以前から,必要に応じて被告人に随行し,その身の回りの世話等を行っていたものであって,本件事件に際しては,H会内の上位者の指示等により被告人に随行し,その警護の役割をも担っていたものとの可能性を否定できないこと,⑤被告人らH会関係者とSKらK会関係者とは,9月19日にN駅でひかり41号のグリーン車2階部分に乗り合わせて以降,翌20日に宿泊先のHIホテル1階で警察官から職務質問を受けるまでの間行動を共にしていたのであり,⑥本件事件において,SKの配下であるKT及びMYも,ST及びSSと同じく,SKを警護するためにけん銃等を所持していたことなどの前記各認定事実を総合し,これに加えて,被告人が本件事件の犯人として逮捕状が発付されてから約3年8か月もの間逃走に及んでいることや,被告人をはじめとするH会関係者らが本件共謀に関し,被告人に罪責が及ばないように虚偽を述べていると窺える部分が散見されることなどを併せ考えると,被告人においては,ST及びSSがけん銃等を所持して自分を警護しているのを承知の上で,同人らを同行させていたと認める余地もないわけではなく,その意味で,被告人がST及びSSと共謀して本件けん銃等を所持していたという嫌疑も相応に存在するということができる。
しかしながら,以下のとおり,本件事件において,被告人が,ST及びSSが被告人を警護するためけん銃等を携行していることを,概括的であっても確定的に認識し,これを認容していたとすることについては,なお合理的な疑いが残るといわざるをえない。
まず,被告人がN会関係者から攻撃を受ける可能性をどの程度のものと判断していたのかについてみると,①TK射殺事件が発生してから本件事件までの間に,Y組関係者(少なくともTK組,YK組及びH会の各関係者)からN会関係者又は関係施設への襲撃が存在したにもかかわらず,N会関係者からの反撃は一切無かったこと,②本件事件前日の9月19日にHからY組総本部に向かう際,H駅からE駅までの移動には多数の一般人が利用する交通機関である新幹線を利用していること,③HIホテルにチェックインした際,宿泊台帳には被告人の実名が記載され,客室に入った後は,部屋の扉を開けたままで約3時間にわたってマッサージを受けており,この間外からはいつでも扉を開けられる状態にあったこと,④翌20日の朝も,H会関係者2名が室内にいたとはいえ,同室出入口のドアは全開状態に開け放たれ,廊下から同室奥の様子が見通せる状態であるのに,被告人は浴衣姿でソファーに座ってくつろぎ,ルームサービスの注文を受けたホテル従業員がワゴンに載せた朝食を運んできた際も,上記2名の者は,その従業員に対するボディーチェックやワゴンの温蔵庫内の点検等はもちろん,同部屋出入口まで赴いて従業員から朝食を受け取ることもなく,従業員をそのまま部屋の奥まで招き入れて朝食の準備をさせていることなどの事実が認められるのであって,これら①ないし④の事実は,被告人が,N会からの襲撃の可能性を想定し,これに強い不安を抱いていたのであれば通常とるはずのない行動といえると同時に,被告人に対して厳重な警護態勢が取られていたとすること,ないしは,被告人において,自分がそのような厳重な警護を受けていると認識していたとすることについて,疑問を抱かざるを得ない事実ともいえる。このことからすると,被告人を取り巻く周辺者の判断はともかく,被告人としては,N会関係者から襲撃を受ける可能性はさほど高くなく,周囲の者から自分がけん銃等で警護してもらうほどのことではないと考えていたものであり,実際にはけん銃等を所持したST及びSSが身辺にいて,被告人を警護していたにもかかわらず,それが厳重なものではなかったことから,周囲の者が自発的にけん銃等を所持して厳重に警護していると概括的にせよ確定的に認識することはなかったとしてもあながち不自然とまではいえない。
次に,TK射殺事件発生後の被告人に対する警護態勢をみると,同事件が発生したことを契機として,H会本部事務所や被告人の自宅付近において,H会関係車両が継続的に駐車して警戒に当たるようになった様子は窺えるが,前記1(3)ウ(イ)で認定した警戒の状況や警戒に当たった車両の台数等に照らすと,警戒に当たる傘下組員に対し,防弾チョッキの着用やけん銃等の所持を督励したり,本部事務所に幹部が出入りする際に特別な対応を取るよう義務付けるなど,特に厳重なものであったようには認められない。また,被告人らが,本件事件前日の9月19日にHからY組総本部に向かう際も,H駅から被告人に随行したH会関係者の人数が4名に止まっていること(特にH駅の改札口を通って新幹線ホームへ向かった際,被告人の側にはSSとKHの2人しかいなかった。),被告人は,KHやSSと共にH駅の改札口を通った後,いったんはその付近に立ち止まって遅れていたSTが来るのを待っていた様子が窺えるが,結局,同人と落ち合う前に,新幹線ホームの方へ向かっており,このような両者の行動は,STが被告人の警護役として専ら行動していたものであり,被告人も同人に警護されていると認識していたものとすることについて疑問を生じさせるものであること,ST及びSSは,H駅及びN駅において,荷物を手に提げながら被告人に随行していたことは明らかであり,特に,STは,被告人と共にN駅16・17番線ホームに上がった際,荷物を両手に提げていたことが認められるのであって,このような両手が塞がった状態で行動することは,被告人の警護を主たる役目とする者のそれとは通常考えにくいこと,被告人がH駅及びN駅の各新幹線ホームに上がる際,万一の場合に機敏な対応が困難と思われるエスカレーターを利用していること,被告人とKHがN駅16・17番線ホームから待合室等のある駅構内の方に向かって階段を降りていた際,被告人とKHの間に一般の乗降客が割り込んでいる様子がビデオカメラで撮影録画されていることなどを併せ考えると,被告人に対し厳重な警護態勢が取られていたとまでは認められないというべきであり,さらには,既に述べたように,HIホテル宿泊に当たって被告人の実名が用いられていることや,被告人が同ホテル客室においてマッサージを受ける際や,朝食のルームサービスを受ける際の状況等は,厳重な警戒態勢が取られていたというにはほど遠いものというほかない。N駅でK会一行と合流した経緯についても,互いに連携,協力し合って警護していたとまで認めるに足る証拠はなく,当日夜,HIホテルで同じ階に宿泊することとなった経緯についても,同様である。そして,同ホテルにおいては,K会関係者が警戒行動を取っていた状況が窺われるのであるが,H会においては,警戒行動がなされていなかったという可能性も否定することができない。また,翌20日の朝に,被告人はじめST及びSSらH会関係者が,前日夜,高松で発生したN会関係者に対するTK射殺事件後初のけん銃による射殺事件の報道を目にし,被告人らにおいてN会関係者からの襲撃の危険性が高まったことを認識していた可能性が高いにもかかわらず,被告人らがHIホテル1階ロビーを通って南側出入口の方へ向かった際も,被告人の位置は最前列の真ん中であって,これに10人前後のH会関係者及びK会関係者が付き従って歩くなどしていたのであり,被告人を密集して取り囲む等の緊迫感のある警護を行っていた状況は窺えない。これら各状況を総合するとともに,K会における防弾チョッキの存在や,本部事務所当番者のための「申し送り帳」の存在等と比較して,これらに対応する証拠物がH会関係者からは一切発見押収されなかったことなどを併せ検討すると,TK射殺事件が発生する前と比較して,被告人の周辺において一般的な警戒が強化された様子は窺えるものの,被告人において,自分が率いるH会がN会関係者からの襲撃を受けるような緊迫した状況にあり,そのために周囲の者がけん銃等を所持して厳重に警護していると概括的にせよ確定的に認識できるほどの態勢が取られていたとまでは認められないというべきである。
これらに加え,8月30日から31日にかけて大阪市内で行われたTKの通夜及び告別式の際,ST及びSSが,被告人に随行した様子は窺えないこと,TK射殺事件発生後,本件事件までの間に,被告人は,HIホテルに何度か宿泊している(8月28日から29日までの1泊,同月30日から31日までの1泊,9月3日から5日までの2泊,同月19日から20日までの1泊)が,そのうちST及びSSが被告人と一緒に同ホテルに宿泊した事実は,本件事件と結び付く同月19日から20日にかけての1泊しか存在しないこと,同人らが,本件事件前日の9月19日,H駅,N駅の各駅構内及び新幹線ホーム上において,荷物を手に提げながら被告人に随行していた様子などに照らすと,被告人に何らかの危害が加えられる危険が予測される場合に,ST及びSSが被告人のボディーガードとして随行するような取り決めがH会内で交わされていたとは考えにくいこと,その他,H会内において,被告人を警護する体制や組織があったことを窺わせる証拠はないこと,本件事件発覚後,立ち去ったはずの被告人が,すぐに事件現場に引き返していることなどを併せ考えると,その余の検察官の指摘するところを十分に考慮してもなお,本件事件の際,H会内の上位者の指示等により,ST及びSSが本件けん銃等を携帯所持していたことが窺われるとしても,被告人がそのことを全く知らなかった可能性も否定できないのであって,被告人において,ST及びSSがけん銃等を携行して被告人を警護していることを概括的であっても確定的に認識しながら,これを当然のこととして受け入れて認容していたとするには,なお合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
なお,以上検討してきたとおりの本件事案の特殊性にかんがみると,被告人が約3年8か月にわたって逃走していたことや,ふぐ料理店での会食の有無,その他の争点に関し,被告人や関係者らが意図的に虚偽を述べたところがあるとしても,そのことを本件共謀認定のための積極的な間接事実として評価することは許されないというべきである。
第3結論
本件は,TK射殺事件発生後,HIホテルに宿泊していたY組若頭補佐兼H会総長の地位にあった被告人らに対して実施された警察官による一斉職務質問(所持品検査)の際,けん銃等を携帯所持していたとしてその場にいた関係者4名が現行犯逮捕され,そのうちの2名がH会若頭補佐の地位にあった者で,他の2名がK会のSKの関係者であったことから,H会総長である被告人も,現実にけん銃等を所持していた上記2名の同会関係者と共謀してこれを所持していたのではないかとの疑いが持たれ,その後の捜査を踏まえて公訴提起されるに至ったものであり,その嫌疑の程度も決して低いものではなく,相応のものであることは否定できない。
しかしながら,これまで検討してきたとおり,被告人とST及びSSがけん銃等の所持に関して共謀したことを立証する直接的証拠はなく,被告人の警護に関する計画書や指示書等の謀議を間接的に裏付けるような証拠も存在していない。また,本件は,前記KKの事案と異なり,捜査機関による事前の関係者に対する尾行や監視活動等によって客観的証拠が積み上げられているとか,捜索差押許可状が用意され,配下組員多数が現行犯逮捕されるなどして,警護活動の実態等に関する多数の者の供述が得られていたり,客観的証拠が収集されているなどの事情も存しない。被告人らが宿泊していたHIホテル内において,ST及びSSがけん銃等を所持していたことが職務質問に伴う所持品検査で明らかとなり,ST及びSSをけん銃等所持の単独犯として逮捕・勾留し起訴する一方で,被告人及びSKについても突き上げ捜査を実施して一定の情況証拠の収集がなされた。しかしながら,如何せんそれらの多くは客観的な裏付けに乏しいものに止まった。ST及びSSが,必要に応じて被告人に随行するなどして被告人の身の回りの世話等を行っていたものであり,特に本件事件に際しては,H会内の上位者の指示等により,被告人を警護するためにこれに随行していた可能性までは窺えるものの,H会内で,従前,被告人を警護する態勢が整えられ,そのための組織や取り決めが存在し,これに基づき被告人が現実に身辺警護を受けていたなどの事実は立証されるには至っていない。TK射殺事件発生以後の緊迫した状況下においても,H会において,特に厳重な警戒ないし警護の態勢が取られていたとまでは認められず,本件前日のH駅到着以降の被告人に対する警護態勢についても,また然りであって,被告人において,身辺にいるST及びSSがけん銃等を携行して警護していることを概括的にせよ確定的に認識し得るほどに厳重な警戒態勢が取られていたとまでは認めるに足りない。そればかりか,被告人が同ホテルに宿泊するに際して実名を用い,本件前日にはホテル客室において,出入口ドアに施錠しないまま長時間にわたってマッサージを受け,本件直前である当日の朝には,ホテル従業員に客室まで朝食を届けさせる際,H会関係者2名が同席していたとはいえ,被告人においては,同室出入口ドアを開け放ち,廊下から部屋の奥が見通せる状態下で浴衣姿でソファーに座ってくつろぎ,上記2名の者においては,その従業員に対するボディーチェックやワゴンの温蔵庫内の点検はもちろん,出入口まで赴いて従業員から朝食を受け取ることもなく,従業員をそのまま部屋の奥まで招き入れて朝食の準備をさせていることなど,厳重な警護態勢が取られていたというにはほど遠く,また,被告人においても,全く警戒感を抱いていなかったのではないかとさえ思わせる事実が認められるに至っている。さらには,同ホテル従業員や宿泊客の証言によって認められる同ホテル28階における警戒態勢が,被告人と同じ28階に宿泊していたSKに対するK会関係者らのみによるものとの可能性も完全には否定できない状況も認められる。以上のとおりであって,当公判廷で取り調べられた全証拠を総合しても,被告人において,ST及びSSがけん銃等を携行して警護しているものと概括的にせよ確定的に認識しながら,それを受け入れて容認していたとするには未だ合理的な疑いが残るものというほかない。被告人がST及びSSと共謀してけん銃等を所持したとの公訴事実の立証はない。
よって,被告人がST及びSSと共謀して本件けん銃等を所持したとの公訴事実について,その犯罪の証明がないのであるから,その余の弁護人らの主張について判断を示すまでもなく,刑事訴訟法336条により,被告人に対し無罪を言い渡すこととし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 水島和男 裁判官 樋上慎二 裁判官 鈴木和孝)