大阪地方裁判所 平成13年(ワ)1931号 判決 2005年4月22日
原告 X1
他3名
上記四名訴訟代理人弁護士 井上隆彦
同 北嶋紀子
同 松本藤一
同 山本菜穂子
被告 西日本電信電話株式会社
同代表者代表取締役 森下俊三
他1名
上記二名訴訟代理人弁護士 米田file_4.jpg邦
主文
一 被告らは、原告X1に対し、連帯して七七二四万一七三四円及び内七〇二四万一七三四円に対する平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告X2に対し、連帯して二二〇万円及び内二〇〇万円に対する平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告らは、原告X3に対し、連帯して五五万円及び内五〇万円に対する平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告らは、原告X4に対し、連帯して五五万円及び内五〇万円に対する平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
六 訴訟費用は、原告X1に生じたものを五分して、その三を原告X1の負担とし、原告X2に生じたものを五分して、その三を原告X2の負担とし、原告X3に生じたものを六分して、その五を原告X3の負担とし、原告X4に生じたものを六分して、その五を原告X4の負担とし、被告らに生じたものを二〇分して、その一〇を原告X1の、その三を原告X2、同X3及び同X4のそれぞれ負担とし、その余をいずれも被告らの負担とする。
七 本判決は、第一項ないし第四項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、原告X1(以下「原告X1」という。)に対し、連帯して二億〇二七六万八八五七円及び内一億八四七六万八八五七円に対する平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告X2(以下「原告X2」という。)に対し、連帯して五五〇万円及び内五〇〇万円に対する平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告らは、原告X3(以下「原告X3」という。)に対し、連帯して三三〇万円及び内三〇〇万円に対する平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告らは、原告X4(以下「原告X4」という。)に対し、連帯して三三〇万円及び内三〇〇万円に対する平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、原告らが、「医師である被告Y1(以下「被告Y1」という。)は、被告西日本電信電話株式会社(以下「被告会社」という。)の経営するNTT西日本大阪病院(以下「被告病院」という。)に勤務し、発作性心房細動及び急性心不全で被告病院に入院した原告X1の治療に主治医としてあたっていたところ、過失により、原告X1を低酸素、低血糖及びショック状態による循環不全に陥れ、これによって、原告X1に、不可逆的脳障害及び多臓器不全等の後遺障害を負わせ、また、これによって原告X1の他、原告X2、同X3及び同X4(以下「原告X2ら」という。)にも、精神的苦痛を被らせた」旨主張して、被告Y1に対しては不法行為に基づき、被告会社に対しては不法行為(使用者責任)又は債務不履行に基づいて、連帯して合計二億一四八六万八八五七円及び内一億九五七六万八八五七円に対する不法行為日である平成一二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
二 前提となる事実(末尾に証拠の記載のないものは、当事者間で争いがない。)
(1) 原告X1は、昭和二年一月八日生まれの男性であり、平成一二年三月一〇日当時七三歳であった。原告は同日まで、大阪市天王寺区において、内科の開業医として稼働していたが、同月一一日以降、医師として稼働していない。
原告X2は原告X1の妻であり、原告X3は原告X1の二女で、薬剤師として稼働しており、原告X4は原告X1の長女で、内科医として稼働している。
(2) 被告会社は、大阪市天王寺区<以下省略>にて、被告病院を設立経営している。
被告Y1は、被告病院の勤務医である。
(3) 原告X1は、平成一二年三月一〇日、発作性心房細動及び急性心不全により、被告病院において外来診療を受け、同月一一日から平成一三年六月二日まで被告病院に入院して治療を受けた。
(4) 原告X1は、平成一二年六月二七日から平成一四年二月二七日までの間、大阪府医師国民健康保険組合から、国民健康保険法三六条に基づく療養の給付として合計二三六万九七五〇円(ただし、同法四二条四号による一部負担金を控除した金額)を受け取った。
三 争点及び当事者の主張
(1) 被告Y1の過失の有無(争点①)
〔原告らの主張〕
ア ワソラン、インデラル及びラニラピッドの投与について
原告X1は、平成一二年三月一一日、被告病院に入院し、その傷病について、発作性心房細動及び急性心不全と診断されていたのであるから、被告Y1は、医師として、心不全患者に対しては使用禁忌とされ、互いに併用注意薬剤とされているワソラン、インデラル及びラニラピッドの投与を避けるべき注意義務があったのに、これを怠り、原告X1の心拍数に気をとられて徐脈化を試みるため、原告X1の心不全の有無や程度を確認しないまま、同日午前九時一〇分ころから、原告X1に対し、上記ワソラン、インデラル及びラニラピッドを投与し、これにより原告X1の心不全による呼吸困難状態を悪化させた過失がある。
イ 過換気症候群との診断及びこれに対する治療行為について
被告Y1は、原告X1が心不全の悪化による過呼吸で喘いでおり、低酸素状態になっていたのであるから、その状態を適切に診断するべき注意義務があったのに、これを怠り、原告X1の症状を心因的な症状である過換気性症候群と誤って診断し、三月一一日一五時一五分ころから、原告X1に投与していた酸素を止め、口にビニール袋をかぶせて再呼吸を促し、原告X1の心不全による呼吸困難状態を悪化させた過失がある。
ウ セレネース及びセルシンの投与について
被告Y1は、原告X1が心不全による症状に苦しんでいたのであるから、心筋に対する障害作用や血圧降下をもたらすので心不全患者に対しては使用禁忌とされる鎮静剤セレネースや、同じく強い鎮静作用を有し、投与後は呼吸抑制等の副作用に対する厳重な観察が必要とされるセルシンの投与を控えるべきであり、仮に投与するにしても呼吸管理を厳重に行うべき注意義務があったのに、これを怠り、厳重な呼吸管理をしないまま、三月一一日一六時〇五分から二六分までの短時間に、原告X1に対して、上記セレネースを通常の二倍にも達する分量を静注し、さらに上記セルシンを静注して、原告X1の心不全による呼吸困難状態を悪化させた過失がある。
エ 気管内挿管について
原告X1は、上記セルシン等の投与の結果、三月一一日一七時三〇分、舌根沈下を起こし、同日一八時二五分、心拍数が三〇台まで低下して、瞳孔は散大傾向で、対光反射も緩慢となり、気管内挿管(以下「挿管」という。)による人工呼吸がされなければ死に至る状態となったのであるから、被告Y1は、速やかに挿管操作を行うか、これを速やかにできないときには、直ちに麻酔科医の応援を求める注意義務があったにもかかわらずこれを怠り、何度も挿管を失敗し続けながら、また、麻酔科医の応援も求めないまま、約五時間にわたって低酸素状態を持続させ、原告X1の心不全による呼吸困難状態を悪化させた過失がある。
オ 低血糖状態の継続について
被告Y1は、原告X1の血糖値が、三月一一日二三時五〇分に一三mg/dlと極端に低くなっていることを検査結果等によって知り得たのであるから、ただちにこの低血糖状態を認識し、その上で糖分補給等の適切な処置を講じるべき注意義務があったのに、これを怠り、上記低血糖状態であることを看過し、また、この数値を認識していたとしても、その後、二時間一〇分もの間、糖分を全く補給せず、同月一二日二時から八時までの間も、十分な糖分を補給しなかった過失がある。原告X1は、これにより、同日八時〇〇分になっても二六mg/dlと依然として異常に低い数値のままであり、低血糖状態を長時間にわたり持続させられ、その中枢神経系に不可逆的な神経学的障害を与えられた。
〔被告らの主張〕
ア ワソラン、インデラル及びラニラピッドの投与について
頻脈性心房細動に対するレートコントロールを行うためには、ジギタリス製剤(ラニラピッド)が第一選択であり、ワソランも、高度の頻脈に対して使用せざるを得ない場合もある。そして、「循環器病診断と治療に関する日循ガイドライン」では、原告X1のように頻脈性心房細動が原因と考えられる心不全のレートコントロールのためには、ジギタリス製剤(ラニラピッド)、ワソラン、インデラルともに使用適応があるとされている。
本件において、三月一一日一四時二〇分ころから、呼吸状態が再び悪化した原因として、ワソラン等の併用が影響を否定するだけの理由はなく、その限りにおいて、これらの使用が不適切であったとされるのはやむを得ないが、あくまでもこれらの使用時点では予見できない結果論である。
イ 過換気症候群との診断及びこれに対する治療行為について
三月一一日一四時二〇分ころから、原告X1の呼吸状態が急に悪化したのは、心不全の増悪が原因であって、それを過換気症候群と判断したのは間違いであった。短時間であったにせよ、それを前提にして行った紙袋療法が不適切であったとされ、悪影響を与えたとされるのはやむを得ない。
ウ セレネース及びセルシンの投与について
鎮静剤は心不全のある患者では使用に慎重を期すべきではあるが、原告X1が不穏状態となり、暴れることによって、外傷や心不全の増悪が想定された本件においては、呼吸・循環抑制が少ないとされるセレネースやセルシンを使用したのはやむを得なかった。
原告らは二一分間に使用したセレネースの量が過大であると主張しているが、四回に分けて分注しているのは、それだけ原告X1の不穏が激しく治まらないので、追加を必要としたことを意味している。また、セルシンについても、セレネースの効果が不十分であったため、追加して抑制する必要があったからである。
もっとも、これらの薬剤が、結果的に呼吸・循環抑制につながった可能性は否定できない。
エ 気管内挿管について
被告Y1は、セルシン使用後三〇分経過をみて、原告X1の状態が安定していることを確認し、看護師に呼吸抑制の可能性を伝えて、特に注意をするように依頼した。三月一一日一七時〇〇分に病院を離れて、いったん自宅に待機していたが、原告X1は過換気症候群ではなく、心不全の状態であったのだから、病院を離れる前に挿管を考えるのが安全であったことは否定できない。ただし、原告X1が入眠したのは、被告Y1が自宅待機中の一七時三〇分であった。
呼吸障害をみて看護師とともに当直医が酸素吸入を再開し、アンビューバッグによる補助呼吸を施している。
酸素濃度を上げようとアンビューバッグによる補助呼吸は入念に行われたものの、挿管の遅れのために低酸素症の十分な改善はできず、それが原告X1に悪影響を与えたことは否定できない。
オ 低血糖状態の継続について
被告Y1は、三月一一日二三時五〇分、多臓器不全につながった高度の肝機能障害の結果に目を奪われ、原告X1の血糖値一三mg/dlという結果を見落としていた。被告Y1としては、当直医が?マークをつけていた血糖値の重要性に気づくべきであり、その数値が計測ミスでないことを確かめる簡易な方法もあった。同月一二日八時〇〇分の血糖値からも、その後、原告X1の低血糖が遷延していたことは事実である。
血糖降下剤やインシュリンを使用していたものではないので、原告X1の低血糖を予測するのは難しかったが、同月一二日〇時〇〇分前ころからの低血糖値の持続が、大脳皮質や海馬の機能障害の原因になり得ることは否定できない。
もっとも、この機能障害をもたらした部位、その部位の障害の態様を確認する方法はないし、入院時からそれまでの間に高次脳機能障害をもたらしていた可能性も否定できない。
(2) 後遺症の発生と被告Y1の過失との因果関係の有無(争点②)
〔原告らの主張〕
原告X1は、被告Y1の上記(1)の各過失により、低酸素状態、低血糖状態及びショック状態となって循環不全に陥り、その結果、高次脳機能障害、慢性心房細動、慢性心不全及び高尿酸血症という後遺症を負った。
原告X1には、心不全の既往歴があるが、治療により早期に治癒しており、被告病院入院時には、単なる発作性心房細動に過ぎず、何らの慢性疾患を有するものではなかった。
〔被告らの主張〕
原告ら主張の後遺症のうち、慢性心房細動、慢性心不全及び高尿酸血症については、被告Y1の過失と相当因果関係はない。原告X1には、もともと最重症の心不全の既往歴があり、また、被告病院入院時には、慢性気管支炎及び肺気腫等を抱えた状態であったのであるから、上記各後遺症はこれらの原疾患の自然経過として矛盾しない。したがって、被告Y1において、より十分な呼吸管理を行い、低血糖に対する早急な補正をしていれば、これらの後遺症を残さなかったといえるかには疑問がある。
高次脳機能障害については、低血糖状態の持続以外の原因である低酸素脳症による可能性は低い。すなわち、被告Y1らにおいて治療上不手際があったとしても、呼吸障害に対して可能な限りの対応をしており、四肢末梢血管でSAT(動脈血の酸素飽和度)が測定不能なほど低下していたものの、挿管に成功するまではアンビューバッグによる補助呼吸を行って、著明な低酸素血症や全身血圧の低下は認めなかったし、後の頭部MRIで粗大病変を認めていないことからも裏付けられるように、脳循環の自動調節を維持していたから、低酸素脳症発症の可能性は低い。
(3) 原告らに生じた損害額(争点③)
〔原告らの主張〕
原告らが被告Y1の過失により被った損害は、以下のとおりである。
ア 原告X1について
(ア) 医療費 七七万三八三五円
(イ) 理学療法費 八六万二六〇〇円
(ウ) 付添看護諸費用 九三一万七二八〇円
(エ) 交通費 一九〇万三五六八円
(オ) 金魚飼育費 三九万九六〇〇円
(カ) 雑費 三三万三四〇四円
(キ) 休業損害(平成一二年三月一一日~同年一二月三一日) 一三七五万〇〇八八円
原告X1の平成八年から平成一一年までの年平均所得は二四二二万一九三一円であったところ、診療所の必要経費として三〇%を控除すると、原告X1は、年一六九五万五三五二円の実質所得を得ていたことになる。
したがって、一日当たりの実質所得は四万六四五三円となるから、休業損害は、一三七五万〇〇八八円(二九六日相当分)となる。
(ク) 逸失利益 八六〇六万五三六六円
原告X1は七三歳であるので就労可能年数は六年となり、労働能力喪失率は一〇〇%だから、逸失利益は、八六〇六万五三六六円となる。
(ケ) 家政婦費(平成一三年一月一日~) 四八五二万六〇二〇円
原告X1は、今後、看護のために家政婦をつける必要がある。そして、原告X1の平均余命は一二年で、家政婦費としては一日当たり一万五〇〇〇円をもって算出するのが相当であるから、合計で四八五二万六〇二〇円となる。
(コ) 慰謝料 三〇〇〇万円
原告X1は、被告Y1の医療過誤の結果、痴呆状態となり、医者としてはもちろん社会人としての活動も全く不可能な状態であり、常に介護が必要である。その慰謝料は、三〇〇〇万円を下ることはない。
(サ) 弁護士費用 一八〇〇万円
本件訴訟を提起するにあたって必要となった弁護士費用は、一八〇〇万円である。
イ 原告X2らについて
(ア) 慰謝料
原告X2らの受けた精神的損害は、原告X2につき五〇〇万円、原告X3及び同X4につきそれぞれ三〇〇万円を下らない。
(イ) 弁護士費用
本件訴訟を提起するにあたって必要となった弁護士費用は、原告X2につき五〇万円、原告X3及び同X4につきそれぞれ三〇万円である。
〔被告らの主張〕
被告らに損害賠償責任があることは認めるが、以下の点で原告らに生じた損害額につき争う。
ア 原告X1は、もともと心房細動及び心不全を抱えていたが、これらは著しく死亡率を高めるものであり、原告X1の稼働能力を制限するものである。また、原告X1は高齢で、その所得も漸減傾向にあったことに加え、上記原疾患の自然的経過としての慢性心房細動、慢性心不全及び高尿酸血症という原告X1の症状に鑑みれば、年齢相応の所得水準は望むべくもなく、むしろ下回るのが普通である。
イ 原告X1の逸失利益算定にあたっての利益率は、明らかに過大である。
ウ 原告X1が医療費として請求しているもののうち他の病院における循環器科の受診は、慢性心房細動又は慢性心不全に対する治療であり、被告Y1の過失とは無関係であるし、兵庫医科大学で原告X1が遭った注射事故に関係すると思われる同大学神経科の受診や歯科診療、鍼灸院等は、全く別の疾患に基づくものであり、被告らがその賠償責任を負うものではない。
エ 原告X1が請求する金魚飼育費について、原告X1は、植木と金魚が好きで、植木の話を楽しそうにしていたりするが、被告病院に入院中にも、外泊時には植木に水やりをしていたし、金魚は鉢の交換が大変で人に頼んでいたが、時にえさをぱらぱらとやっているに過ぎない。金魚の世話ができないというのは、むしろ経年的な体力低下のためであるといえ、本件の後遺障害とは無関係であり、また、予見不能な特別損害でもある。
オ 付添費及び家政婦付添費については、現在の基準看護体制では、私的付添は賠償請求の対象となるものではないし、家庭付添費の請求も過大である。原告X1は、妻と同居しており、家族が面倒をみていることも多いし、その障害の程度からすれば、必要があって外出する際の付添以上の介護は不要であるといえる。
カ 原告X1の慰謝料について、原告X1が被告病院に入院するまで心房細動及び心不全の治療を中断していたこと、平成一二年三月一〇日の被告病院における初診時に、原告X1は被告病院への入院を拒否したこと、原告X1自身が医師であることは、いずれも減額事由に該当する。
原告X2らに対する慰謝料については、独自の慰謝料請求が認められるものではない。
(4) 原告X1と原告ら訴訟代理人らとの間でされた本件訴訟委任契約の有効性(争点④)
〔被告らの主張〕
原告X1は、本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人らに委任しているが、原告X1の症状からすると、訴訟委任の趣旨を理解できていたとは考えられず、原告ら訴訟代理人らには、有効な訴訟代理権が授与されていない。したがって、本件訴訟は却下されるべきである。
〔原告らの主張〕
原告X1は、本件訴訟を提起するに際して、原告ら訴訟代理人らと直接面談し、被告病院に対して医療過誤による損害賠償請求訴訟を提起することの意味を理解した上で、原告ら訴訟代理人らに本件訴訟の追行を委任したものであり、有効な訴訟代理権の授与はされている。
第三当裁判所の判断
一 <証拠省略>によれば、原告X1の治療経過及びその後の症状について、以下の事実を認めることができる。
(1) 原告X1は、平成九年一二月中旬、上気道炎を患った後、労作時の呼吸困難や動悸を訴えるようになり、下肢に浮腫が出現するようになった。そして、平成一〇年初めからは、しばしば起坐呼吸をしなければならなくなり、同年一月七日、ツツミ内科循環器科を訪れた。
同医院の担当医である塘二郎医師(以下「塘医師」という。)は、原告X1を非弁膜性心房細動及びうっ血性心不全(NYHAⅣ)と診断し、原告X1に対して、直ちにジギタリス剤、ACE阻害剤、利尿剤及び抗凝血薬(ワーファリン)を投与した。すると、同月九日には、原告X1の呼吸困難はかなり改善され、心拍数も減少し、下肢浮腫も消失した。そして、原告X1が同月一六日に来院した際には、さらに心拍数は減少して正常値に向かい、ほとんど自覚症状がみられないようになり、その後も、原告X1は、順調に回復に向かっていった。
同年三月一三日、原告X1の心電図は正常洞調律に復帰し、心胸郭比も五〇%と正常になった(NYHAⅠ)。
(2) 原告X1は、平成一二年二月初めころ(以下、特に断るまで同年の表示を省略する。)から、息切れや動悸を感じるようになったため、三月一〇日、被告病院において外来診察を受けた。
原告X1を担当することとなった被告Y1は、原告X1を発作性心房細動と診断し、ワソラン、トリノシンS及びリスモダンを注射したが特に効果がなかった。被告Y1は、原告X1に入院を勧めたが断られたため、ラニラピッド及びリスモダンを投薬処方して帰宅させた。
(3) 原告X1は、同日から同月一一日にかけて、心拍数(HR)が約一五〇回/分(以下、各数値は初出以外はすべて回/分等の単位を省略して表示する。)程度となり、同月一一日午前三時ころ(以下、特に断るまで同日の表示を省略し、二四時表示による時刻のみを記載する。)から、息が吸えない状態となって我慢ができないほどになったため、八時二〇分、被告病院に赴いて診察を受けた。
原告X1は、当直医による診察を受けた際、意識は清明であったが、心房細動及び末梢冷感が認められた。そこで、同当直医は、八時三〇分ころ、四リットル/分の酸素をマスク投与したところ、原告X1は、呼吸苦を訴えなくなった。
その後、原告X1を診察した被告Y1は、その症状を発作性心房細動及び心不全と診断するとともに入院指示を行い、原告X1はそのまま被告病院に入院した。
(4) 被告Y1は、九時一〇分、原告X1に対し、ワソラン一/二アンプルを二回静注したところ、心拍数はやや低下した。そして、被告Y1は、内服薬による徐脈化を図るべく、引き続いてラニラピッド一錠及びインデラル一錠を原告X1に投与した。
(5) 九時三〇分、原告X1は呼吸苦が治まっていたことから、投与していた酸素の量が二リットルに下げられた。
(6) 一〇時一五分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・四四七
PO2(酸素分圧)
八三・四(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
三三・七(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 九六・五(%)
ABE(塩基過剰) 〇・一
被告Y1は、このころ、原告X1に投与していた酸素の量を一リットルに下げた。
(7) 一二時ころ、被告Y1は、原告X1に対し、さらにラニラピッド一錠及びインデラル一錠を投与した。また、このころ、原告X1はベッドの上で端坐位となり、家人とともに着替えをし、必ずしも安静にはしていなかった。
(8) 一四時二〇分、原告X1の顔面及び四肢末梢にチアノーゼがみられ、原告X1は、激しい呼吸苦を訴えたが、このときの原告X1の心拍数は八〇~九〇で、SATは測定不能であった。
このような原告X1の症状を踏まえて、看護師が酸素投与量を三リットルに増量したところ、SATは九七~九九を示すようになった。
(9) 原告X1は、一五時〇〇分、再び息苦しさを訴えるようになったところ、SATは八〇台、心拍数は七〇~八〇台、呼吸数(R)は四〇回/分台で、依然としてチアノーゼ及び末梢冷感が認められた。看護師は、酸素投与量を徐々に一〇リットルまで増量したが、SATはなかなか上がらなかったことから、通常の酸素マスクからリザーバーマスクに変更し、主治医である被告Y1及び当直医を呼び出した。
(10) 一五時一〇分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・三七八
PO2(酸素分圧)
一五六・七(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
三一・四(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 九九・一(%)
ABE(塩基過剰) -五・三
当直医は、この検査結果のPO2、PCO2の数値等をみて、原告X1の症状を過換気症候群と判断した。
当直医から引継ぎを受けた被告Y1は、同じく原告X1の症状を過換気症候群と診断し、酸素の投与を中止した上で、原告X1の口にビニール袋をかぶせ、再呼吸をさせるようにした。しかし、一五時三〇分、原告X1は、「もうやめてくれ。死んでしまうわ。もうようならんでもいい。死んでもいいから。しんどい、しんどい。」などと強く呼吸苦を訴え、口にかぶせられたビニール袋を自ら取り外した。
原告X1は、一五時五〇分に、再びビニール袋がかぶせられたが、やはり息苦しさのあまり、自らこれを外した。また、一六時一〇分にはSATが六五ないし七三に低下していた。
(11) 原告X1が依然として苦しいと訴えることから、被告Y1は、原告X1に対し、一六時〇五分、一六時一五分、一六時二〇分及び一六時二六分の四回にわたり、セレネースを一/二アンプルずつ静注した(一アンプルは五mg。投与量は合計一〇mg)。
一六時二〇分、原告X1の心拍数は八〇、呼吸数は四二で、チアノーゼにもやや改善がみられた。
(12) 一六時四〇分、原告X1が「もうモルヒネいってくれ。」と述べ、非常に苦しんでいたことから、被告Y1は、原告X1に対し、セルシンを一/二アンプル(一アンプルは一〇mg)静注した。
一六時五〇分、原告X1の症状は小し落ち着きをみせ、呼吸も安定し、原告X1は傾眠した。このころの原告X1の心拍数は八〇、呼吸数は三六であった。
(13) 被告Y1は、一七時〇〇分ころ、一時帰宅した。
一七時〇〇分、原告X1は入眠していたが、SATが七八、呼吸数が三〇で、四肢冷感があり、上肢、下肢、耳介及び口唇にチアノーゼがみられ、排尿もなくなった。そして、一七時三〇分、原告X1に舌根沈下が起こり、上気道を閉塞したため、看護師が下顎挙上した。
一八時〇〇分、原告X1は、下顎呼吸気味の弱々しい呼吸となり、呼吸数は二四、心拍数は六二、SATは三五に低下し、チアノーゼに変化はなく、呼びかけに対して少し反応を見せたが再び傾眠したことから、看護師は、当直医を呼び出した。
(14) 一八時一五分、当直医が原告X1を診察したところ、瞳孔散大及び対光反射緩慢が認められ、心拍数が四八~五〇、呼吸数が二〇~二八、SATは測定不能の状態だったため、酸素を五リットル投与するようにした。しかし、SATが依然として測定不能であったため、一八時二〇分、酸素投与量は一〇リットルに増量された。
一八時二五分、原告X1の心拍数は五八から三〇台まで低下し、四肢チアノーゼがみられ、脈拍は微弱、血圧は低下していたため、当直医は、強心剤であるカコージンの点滴を開始した。また、自発呼吸がほとんどできないような状態になったため、アンビューバッグによる補助呼吸を開始した。
当直医は、一八時三〇分、原告X1に対し、呼吸を確保するために気管への挿管を試みたが、原告X1は口を固く閉じ、それを払いのけようとしたこと等から、結局、失敗に終わった。このときのSATは八八であった。
(15) 被告Y1は、一八時三五分、被告病院に戻ってきた。
(16) 一八時四〇分、SATが八〇台、心拍数が七〇台に戻り、自発呼吸もみられるようになったことから(呼吸数は二六)、被告Y1は、アンビューバッグによる補助呼吸を中止し、通常の酸素マスクによる酸素投与(一〇リットル)を行うようにした。
一八時五〇分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・二三七
PO2(酸素分圧)
六四・四(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
三七・九(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 八七・五(%)
ABE(塩基過剰) ―一一・四
(17) 一九時三〇分、原告X1のSATが再び測定不能となり(呼吸数は二六)、橈骨動脈の拍動を触知できなくなった。二〇時〇〇分、原告X1の呼吸数は二〇、心拍数六〇台で、SATは依然として測定不能な状態で、チアノーゼが顔面及び上肢から大腿部にまで拡大してきた。
二〇時三〇分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・一九五
PO2(酸素分圧)
九三・一(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
四六・八(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 九四・六(%)
ABE(塩基過剰) ―一一・二
(18) 被告Y1は、二〇時四〇分、再度、挿管を試みたがやはりうまくいかなかったので、被告Y1は、アンビューバッグによる補助呼吸を再開するとともに、このころ外科当直の医師も応援にかけつけた。
(19) 二一時一〇分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・〇九六
PO2(酸素分圧)
八〇・八(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
六四・五(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 八九・六(%)
ABE(塩基過剰) ―一三・三
被告Y1は、上記検査結果を踏まえ、二一時二〇分、代謝性アシドーシスを改善するために、メイロンの点滴を開始した。
(20) 原告X1に対しては数回にわたって挿管が試みられたがうまくいかず、二一時四五分ころ、ようやく挿管が成功したので、酸素一〇〇%で加圧呼吸することを開始した。
二一時五〇分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・一六〇
PO2(酸素分圧)
六八・二(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
五七・八(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 八六・六(%)
ABE(塩基過剰) ―一〇・四
(21) その後、SATには改善がみられた。二二時二五分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・一六七
PO2(酸素分圧)
一一四・一(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
六三・九(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 九六・六(%)
ABE(塩基過剰) ―八・五
(22) 二二時五〇分、挿管チューブが、被告病院第二内科の他の医師により、気管支ファイバー下で再度挿入され、人工呼吸器エビタが装着された。
その後、SATは、九四~九六%と落ち着きをみせた。
(23) 二三時〇〇分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・二四三
PO2(酸素分圧)
一四〇・七(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
五三・四(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 九八・四(%)
ABE(塩基過剰) ―六・〇
(24) 二三時三〇分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・三三四
PO2(酸素分圧)
一〇二・九(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
四四・四(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 九七・二(%)
ABE(塩基過剰) ―二・八
(25) 二三時五〇分、原告X1の静脈血の血液検査を実施した結果、血糖値は一三mg/dlであった。最初にこの検査結果を知った当直医は、上記検査にかかる検査報告書の血糖値(グルコース)「13」の記載の横に「?」を記載して、被告Y1に引き継いだ。
被告Y1は、上記検査報告書に高度の肝機能障害の結果が記載されていたことから、これに目を奪われ、血糖値についての記載を見落としていた。
(26) 同月一二日(以下、特に断るまで同日の表示を省略し、二四時表示による時刻のみを記載する。)一時〇〇分、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・三九四
PO2(酸素分圧)
九四・九(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
四一・五(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 九七・一(%)
ABE(塩基過剰) 〇・二
(27) 二時〇〇分、原告X1に対して、ソリタTI・一〇〇〇mlに五〇%ブドウ糖二〇mlを三アンプルを加えた輸液を投与し始めた。
(28) 八時四〇分ころ、原告X1の動脈血血液ガスデータは、以下のとおりである。
pH 七・四五一
PO2(酸素分圧)
九九・二(mmHg)
PCO2(炭酸ガス分圧)
三七・一(mmHg)
SAT(酸素飽和度) 九七・八(%)
ABE(塩基過剰) 二・三
(29) 一三時三〇分ころ、八時〇〇分に実施した原告X1の血液検査結果が判明し、血糖値が二六mg/dlであったことがわかった。
(30) 原告X1の意識レベルは、気管への挿管が試みられ始めた同月一一日の一八時ころから低下し始め、同月一二日になっても回復しなかった。被告Y1は、同日、その回復のために血漿交換を試みたが、これによっても効果は現れず、同月一三日に施行された二回目の血漿交換により若干の意識レベルの上昇があり、意識レベルⅡ―二〇程度になった。そして、同日の一八時三〇分ころには、右手、両下肢の自発運動はあったが、左手には認められず、「右手を握って、聞こえますか。」の呼びかけに、右手を握る、頷くといった反応が認められた。しかし、その後も、意識レベルは上昇、下降を繰り返し、同月一四日一五時四〇分には意識レベルⅠ台に上昇したものの、その回復は遷延した。
(31) 原告X1は、同年四月一日ころには、看護師が促すと自ら洗面、ひげそり、歯みがきなどをするようになり、食事も自ら摂取でき、看護師とも会話を交わせるようになっていたが、ときに発言が支離滅裂であったり、その日にあったことを覚えていないなどの状態を継続したまま入院治療を受けていた。
(32) 大阪大学附属病院神経科精神科A医師は、平成一二年六月から八月にかけて原告X1と面談して診察し、原告X1について、「意識は清明で、礼容は保たれ、会話は円滑であり、知能も正常域にあるものの、記憶については全般的に、とりわけ言語性の近時記憶について低下しており、これにより時間的失見当識も目立っている。幻想や妄想等の病的体験を疑わせるような言動はないものの、自己の生活歴について、数十年に及ぶようなまだら状の逆行性健忘や作話が目立っている。また、この時点で発症後約五か月を経過しており、原告X1の年齢をも考慮すると、著明な回復は期待できないが、症状固定の判断にあたってはなお数か月の経過をみる必要がある」旨の診断をした。
(33) 原告X1は、平成一三年六月二日、被告病院を退院した。
(34) 被告病院B医師は、平成一三年六月五日、原告X1の症状及び治療の経過として「同年三月一一日、頻脈性心房細動を伴う心不全によって入院することとなり、ジギタリス製剤及びインデラルを経口投与した。その日の午後から不穏状態が強くなり、鎮静剤を投与したが、呼吸抑制及び血圧低下が起こり、その後、重症の心不全、肝不全等を引き起こした。治療により心不全、肝不全は軽快したが、記憶障害が残った。リハビリを続け、外泊や外出をするなどして日常生活に戻る準備を続け、平成一三年六月二日退院となった」旨の診断をした。
(35) 前記A医師は、平成一三年五月二五日に原告X1を診察した結果に基づき、「数十年に及んでいたまだら状逆向性健忘は回復して、作話傾向も目立たなくなり、知能も正常範囲内で若干の改善しているが、ところどころに記憶錯誤がみられ、全般的な記憶障害は軽度の改善はみられるものの、なお明らかに認められる。特に言語性の近時記憶の障害が目立ち、それによる時間的失見当識も残存している」旨の診断をした。
(36) 昭和病院C医師は、平成一三年九月一九日、原告X1を診察し、「健忘及び記銘力障害が高度であり、日常会話ができない上、意欲、集中力、根気等が乏しく、自発的な行為がみられず、痴呆の程度としても高度と認められ、発症から一年六か月を経過していることからすると、今後、回復することは難しいと考えられる」旨の診断をした。
(37) 原告X1は、現在、妻である原告X2と二人で生活をし、週に五回、一日五時間ヘルパーの手伝いを受けて生活している。日常生活は、指示をされれば、衣服の着脱、食事等、通常の所作は独立してできるが、指示されなければ、これらの所作を始められず、また次の所作に移れないといった状態である。
また、記銘力障害のために外出に際しては介護が不可欠な状態である。
(38) 原告X1は、現在の上記精神神経的症状につき、高次脳機能障害と診断されているほか、内科的には、慢性心房細動、慢性心不全及び高尿酸血症と診断されている。
二 争点①について
(1) 証拠(鑑定結果)によれば、被告Y1の過失に関して、以下の事実を認めることができる。
ア 原告X1は、平成一二年三月一一日の被告病院への入院時、心不全症状が前面に出ており、その原因として、頻脈性心房細動又は心不全に対する反応としての心拍数の増加がみられた。原告X1の場合、発症後二四時間以上経過しているので、徐細動を行うことは適当でなく、レートコントロールを行うことが普通である。原告X1に対し、薬剤によるレートコントロールを行う場合、ジギタリス製剤(ラニラピッド)が第一選択である。ワソランは陰性変力作用があるため、急性心不全においては原則として避けるべきであるが、高度の頻脈に対しては使用せざるを得ない場合もある。インデラルも同じく陰性変力作用が強く、急性心不全の患者に対しては、原則として禁忌である。
したがって、原告X1に対するワソランとインデラルの併用は、不適切であった。
イ 原告X1は、急性心不全で被告病院に入院して呼吸困難を訴えており、四肢チアノーゼが認められた。そして、同日一五時一〇分に行われた動脈血血液ガスデータによれば、ABE(塩基過剰)は―五・三であり、過換気症候群の特徴であるアルカローシス(塩基性)は見られない上、一五時三五分に実施された胸部X線写真では、心不全の増悪を示唆する所見がある。
これらのことからすると、この時点での原告X1の症状を過換気症候群と診断したことに全く合理性はなく、むしろ心不全の治療のために酸素投与が必要な状況であったのであるから、原告X1の口にビニール袋をかぶせて再呼吸をするようにさせたこと(紙袋療法)は全く不適切であった。
ウ 原告X1には心不全があり、血圧降下作用及び中枢神経抑制作用のあるセレネースの投与は慎重を期すべきであって、仮に投与するとしても、呼吸管理を厳重に行った上で必要最小限度の量の投与に止めるべきである。
しかし、被告Y1が投与したのは二一分間に二アンプル(合計一〇mg)であり、原告X1に対しては過量であり、不適当であった。
また、被告Y1は、セレネースを投与した四〇分後にセルシンを一〇mgを投与しているが、この量は、単独でも呼吸抑制の原因となる可能性があり、セレネースと併用されることで重大な呼吸抑制を引き起こすものといえる。
エ 原告X1のような心不全の患者に対して、セレネースやセルシンといった呼吸抑制を来す可能性のある薬剤を使用する場合、呼吸管理の準備が必須であるといえる。そして、同日一七時〇〇分、SATが七八で、チアノーゼがみられるにもかかわらず原告X1が入眠しているのは、明らかな呼吸抑制であり、この時点で挿管による呼吸補助が必要であった。
挿管の遅れ等不適切な呼吸管理は、原告X1の低酸素血症の重要な原因となったと考えられる。
オ 原告X1の同日二三時五〇分の血糖値は一三mg/dlで、翌日八時〇〇分の血糖値も二六mg/dlと、高度な低血糖状態が少なくとも八時間にわたって持続しているが、これは、大脳皮質及び海馬の神経細胞障害を惹起するのに十分な可能性をもつものである。低血糖状態を放置すれば、脳機能障害を引き起こすことは、被告Y1において、十分予測可能であったと考えられる。
上記血糖値一三mg/dlの報告は、疑問符付きでされてはいるが、血糖値のみの検査であれば簡易血糖測定装置で容易に測定することが可能であるのだから、少なくともこの報告がされた時点で、即時に血糖値の再検査を行うべきであった。
また、上記低血糖状況が持続している間の糖質の補給は十分されていなかった。
(2) ワソラン、インデラル及びラニラピッドの投与について
ア 証拠(鑑定結果)によれば、原告X1は、三月一一日の被告病院への入院当時、頻脈性心房細動による急性心不全であったと認められる〔被告Y1も、原告X1を(急性か慢性かは明らかでないにせよ)心不全及び発作性心房細動と診断していた(前記一(3))。〕。
そして、<証拠省略>によれば、①ワソランは、陰性変力作用があり、心不全症状をさらに悪化させることがあることから、うつ血性心不全のある患者に対しては使用禁忌とされ、または慎重に投与することが要求されていること、②インデラルも、心機能を抑制し、症状を悪化させるおそれがあることから、同じくうつ血性心不全のある患者に対して禁忌であるか、慎重投与を要するとされていること、③ワソラン、インデラル及びラニラピッドは、併用された場合、心抑制作用が増強されたり、徐脈が誘発されるなどの相互作用を生じ、特にこれら三剤の併用は注意を要するとされていることがそれぞれ認められる。
イ 以上の事実及び前記一で認定した事実並びに前記(1)アの鑑定結果からすると、原告X1は急性心不全による容態の急速な変化によって被告病院に緊急入院することとなったのであるから、被告病院の担当医師であった被告Y1は、原告X1の心房細動又は心不全に対する反応としての心拍数の増加に対してレートコントロールを行う場合、ワソラン及びインデラルを投与してはならず、または投与するにしても慎重に投与すべき注意義務を負っていたというべきである。そうであるにもかかわらず、被告Y1は三月一一日九時ころから一二時ころにかけて、これらの薬剤を投与したのである(前記一(4)、(7))。この際、被告Y1が原告X1の症状を踏まえて慎重な投与を行ったことを認めるに足りる証拠はなく、上記認定事実からすれば、被告Y1は上記注意義務を怠った過失があるというべきである。
ウ これに対して、被告らは、頻脈性心房細動に対するレートコントロールを行うに際してはラニラピッドが第一選択であるとしても、重度の頻脈に対してはワソランも使用せざるを得ない場合もあるし、頻脈性心房細動が原因と考えられる心不全のレートコントロールのためには、ラニラピッドやワソラン、インデラルのいずれも使用適応があるとする文献もあると主張する。
しかし、<証拠省略>によれば、被告らの指摘する文献においても、β―遮断薬(インデラル)は心不全治療薬として有効であるも、過度になると心不全を増悪させることになるとし、ベラパミル(ワソラン)は陰性変力作用が強く、低心機能例には使用しないとされていることが認められるのであり、このことからすると、被告らの主張や被告らの引用する文献をもってしても、上記イの認定を覆すことはできない。
(3) 過換気症候群との診断及びこれに対する治療行為について
前記一(8)ないし(10)認定の事実及び鑑定結果からすると、原告X1は再三呼吸苦を訴え、SATが測定不能となったり、測定できても八〇台〔通常値は九四~九八〕と不安定かつ著しく低かった上、遅くとも三月一一日一四時二〇分ころからはチアノーゼが認められ、同日一五時一〇分の原告X1の動脈血血液ガスデータはpHが七・三七八、ABEが―五・三となっていて過換気症候群の特徴である数値を示していなかったのであるから、被告Y1はこの状態を適切に診断し、少なくとも全く合理性のない過換気症候群と誤って診断すべきでない注意義務を負っていたというべきである。
しかるに、被告Y1は、PO2、PCO2の数値等のみから、原告X1の症状につき過換気症候群と診断した上で、同日一五時一五分ころから、原告X1に対する酸素投与を止め、紙袋療法として、口にビニール袋をかぶせて再呼吸をしている(前記一(10))のであり、このことからすれば、被告Y1には上記注意義務違反の過失があったといわざるを得ない。
(4) セレネース及びセルシンの投与及び気管内挿管の遅れについて
ア <証拠省略>によれば、①(a)セレネースは、高齢の患者に対しては状態を観察しながら慎重に投与する必要があるとされ、重症心不全患者に対しては、心筋に対する障害作用や血液降下があるため使用は禁忌とされており、過量に投与した場合、呼吸抑制及び低血圧を伴う昏睡状態を引き起こすことがあること、(b)セレネースの使用量は、通常成人に静脈注射する場合、一回五mgを一日一、二回とされていること、②(a)セルシンについても、心障害者や高齢者、中等度以上の呼吸不全者に対しては、慎重に投与することが要求されること、(b)セルシンの使用量は、静脈注射をする場合、疾患の種類、症状の程度、年齢等を考慮して、初回一〇mgを二分以上かけて注射し、以後、必要に応じて三、四時間ごとに注射するものとされていることがそれぞれ認められる。
ところで、本件において、原告X1は、被告病院入院時、七三歳と高齢で(第二・二(1))、急性心不全及び発作性(頻脈性)心房細動により被告病院に緊急入院しており(前記一(3)、鑑定結果)、長時間にわたり呼吸苦を訴え続けていた(前記一(3)、(8)ないし(11))。そして、そのような状態にある原告X1に対し、被告Y1は、三月一一日一六時〇五分から一六時二六分までのわずか二一分間に合計一〇mgのセレネースを、それから間もない一六時四〇分に五mgのセルシンをそれぞれ静注している。
以上に加え、前記(1)ウ、エの鑑定結果を踏まえると、被告Y1は、心不全でかつ呼吸障害を引き起こしている患者に対して、セレネース及びセルシンは投与してはならないか、投与するのであれば、呼吸抑制に対処できるように速やかに気管内挿管をするなどの準備をした上、患者の年齢や病態に応じて慎重に投与する注意義務を負っていたというべきである。そうであるのに、被告Y1は、上記のとおり、高齢で容態の著しく悪かった原告X1に対して、短時間のうちに不相応に多量のセレネースを投与し、また、セルシンについては、それ自体が過量であったとはいえないが、同じく呼吸抑制作用を有するセレネースの上記のとおりの投与から短時間のうちに投与しているのであるから、いずれの投与についても上記義務を怠ったものと評価せざるを得ず、被告Y1には過失があったというべきである。
イ これに対して、被告らは、原告X1の不穏状態が著しく、暴れることによる外傷や心不全の増悪が想定され、追加的に投与する必要があった旨主張している。
しかし、被告らの主張を裏付けるに足りる証拠はなく、また、仮に原告X1に著しい不穏状態があったとしても、そうであるならば一層のこと、これらの薬剤を投与するに際して、原告X1に対し、特に事前に気管内挿管を施し、呼吸管理を厳重に行うなど、その副作用を踏まえた上で慎重に投与しなければならないのに、このような趣旨で厳重な呼吸管理を行った上で慎重に投与したことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、上記薬剤の投与による呼吸抑制が生じてから気管内挿管を試みたが、失敗を繰り返し、呼吸抑制による症状を増悪させたというべきであるから、上記注意義務違反があったとの認定を左右するものということはできず、被告らの主張は採用することができない(なお、原告は、呼吸抑制が生じた後の気管内挿管の失敗を過失として主張するが、この時点に至って挿管の失敗については、操作の不適切さを指摘できるものの、前記各薬剤を投与するにあたって、厳重な呼吸管理を行うべき注意義務に違反したことに包摂されるべきものであり、独立の過失として位置づけるのは相当ではない。)。
(5) 低血糖状態の継続について
ア 前記一(25)、(27)、(29)によると、三月一一日二三時五〇分の原告X1の血糖値は一三mg/dlであり、被告Y1は血液検査結果を確認はしていたが、この血糖値を見落とし、特に糖分の補給をするなどの措置を講じず、同月一二日二時〇〇分になって初めて若干の糖分を投与したものの、同日八時〇〇分になっても二六mg/dlと低血糖状態が持続していた。
そして、<証拠省略>によれば、①一般健常者の空腹時の血糖値は八〇mg/dlで、三〇mg/dl以下になると、神経細胞の糖の取り込み速度が消費速度を下回り、神経細胞はエネルギー欠乏状態となり、重症の場合、昏睡状態に陥ること、②二、三時間程度の昏睡であれば糖の補給により完全に回復すると考えられるが、それ以上の昏睡が続くと中枢神経に不可逆的変化が起こり得ること、③低血糖による昏睡に陥った患者に対しては、直ちに五〇%ブドウ糖四〇mlを静注し、それでも昏睡状態を脱しないような場合であれば、さらにブドウ糖の静注を追加すべきであること、④現在、血糖値は簡易測定法により一~二分で測定することができることがそれぞれ認められる。
イ そこで、以上の事実に前記(1)オの鑑定結果を考え合わせると、被告Y1は、原告X1の血糖値が一三mg/dlであるとの血液検査結果を知らされた際に、原告X1が低血糖状態にあることを認識し、直ちに十分な糖分の補給して、原告X1の血糖値の推移を観察すべき注意義務を負っていたというべきである。それにもかかわらず、被告Y1は、血糖値の結果を見落として糖分の補給を怠り、また、途中糖分の補給を行ったものの、点滴投与という早急な投与ではない方法を選択し、さらに、その後、翌日の午前八時まで血糖値の経過の観察も怠っているのであるから、被告Y1には過失があったといわなければならない。
ウ この点、被告らは、被告Y1において低血糖は予見できなかったと主張するが、少なくとも一一日二三時五〇分ころには、疑問符が付せられた記載ではあったものの、低血糖値を示す検査結果についての報告書を見ることができたのであるから、その主張するところは採用することができない。
三 争点②について
(1) 被告Y1の上記過失行為と原告X1の諸症状(高次脳機能障害、慢性心房細動、慢性心不全及び高尿酸血症)との間に因果関係が認められるかについて、証拠(鑑定結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア ワソラン、インデラル及びラニラピッドの投与、過換気症候群との診断及びこれに対する治療行為、セレネース及びセルシンの投与並びに気管内挿管の遅れのそれぞれが、慢性心房細動、慢性心不全及び高尿酸血症に対して、悪影響を与えた可能性は低い。
イ 原告X1の高次脳機能障害の原因については、低血糖及び低酸素脳症が考えられるところ、確かに挿管の遅れはあったものの、挿管されるまでの間はアンビューバッグによる補助呼吸が行われていたし、低酸素血症や全身血圧の低下、頭部MRIにおける粗大病変が認められないことからすると、四肢末梢血管においてSATが測定不能なほど低下していたとしても、脳循環の自動調節は維持されていたと考えられ、低酸素脳症の可能性は低い。
ウ ビタミンB1の欠乏によるウェルニッケ・コルサコフ症候群については、ビタミン補給が行われなかったのは五日間のみであるし、眼球運動障害や腱反射の低下、喪失は認められないこと、MRI所見で乳頭体や中脳水道周囲、視床下部等に病変は認められないこと、意識障害がごく短時間のうちに出現し、高度であったことからすると、その可能性は非常に低い。
エ 原告X1は、長時間にわたり、高度の低血糖発作が持続しており、現在の症状である高次脳機能障害は、これから説明することができる。
(2) 上記鑑定結果を踏まえると、被告Y1の前記二(2)ないし(4)で示した過失と慢性心房細動、慢性心不全及び高尿酸血症との間に因果関係を認めることは困難であり、そのほかに本件訴訟に現れた全証拠によってもこれを認めるには足りない。また、被告Y1の前記二(2)ないし(4)で示した過失と高次脳機能障害との間に因果関係が存在することを認めるに足りる証拠もない。もっとも、上記各過失により、原告X1は、一時期、重篤な心不全状態に陥ったのであるから、このことは後記慰謝料額を算定する上で考慮するべき事情となる。
他方、被告Y1の前記二(5)で示した過失と高次脳機能障害との間には、上記鑑定結果及び前記二(5)アの事実からすると、因果関係があると認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
この点、被告らは、高次脳機能障害は原告X1が低血糖状態に陥る前から発症していた可能性がある旨主張するが、これを裏付ける証拠はなく、むしろ低血糖以外に高次脳機能障害の原因となり得るものは見当たらないのであるから、被告らの主張は採用することができない。
したがって、被告Y1は、原告X1の低血糖状態を放置した過失により、原告X1を高次脳機能障害に至らせたという不法行為に基づく責任を負うというべきであり(以下、この不法行為を「本件不法行為」という。)、この不法行為によって原告らに生じた損害を賠償する義務がある。また、被告会社は、被告Y1の使用者として、被告Y1と同一の損害賠償義務を負うというべきである。
四 争点③について
(1) 医療費について 二八二〇円
ア まず、原告X1の高次脳機能障害の症状が固定した日を検討するに、前記一(30)ないし(37)の事実によれば、原告X1は、平成一二年三月一一日ころ、高次脳機能障害を受け、その後、それに対する治療行為及びリハビリが行われ、退院を許可された平成一三年六月二日をもってその症状が固定したと認めるのが相当である〔なお、前記一(36)にかかるC医師は、その障害診断書において、原告X1の症状固定日を平成一三年九月一九日としているが、同医師が発症後継続的に治療に当たってきたことを認めるに足りる証拠はなく、上記記載は、同医師が原告X1を診察した日をそのまま記載したに過ぎないとも考えられ、また、「発症から一年六か月を経過していることからすると、今後、回復することは難しいと考えられる」との記載内容に照らしても、同日以前に症状が固定していたこと以上の意味を持っているとは認め難いというべきであるから、上記認定を覆すに足りるものではない。〕。
イ したがって、原告X1の主張する医療費のうち、本件不法行為と相当因果関係にあると認められるのは、原告X1の後遺症である高次脳機能障害に関連して症状固定日までに治療を受けた分に限られるというべきである。
ウ そして、上記の範囲の治療にかかる医療費は、<証拠省略>によれば、合計二八二〇円であると認められる。
エ なお、原告X1は、歯科治療費についても損害であると主張し、<証拠省略>によれば、自力による歯磨きができなくなったことから歯周病の進行及び多発性カリエスが発生したことが認められるが、前記のとおり、原告X1は指示されれば独力で歯磨きをすることができるのであるから、本件不法行為により通常生ずべき損害であるとまでは認められない。
他方、上記症状固定日以降に実施された治療行為に対する医療費については、原告X1の上記後遺症からすると通常必要となることを認めるに足りる証拠はなく、本件不法行為と相当因果関係に立つとは認められない。
(2) 理学療法費について 〇円
<証拠省略>によれば、鍼灸師Dは、平成一二年五月から平成一六年四月三〇日まで、原告X1に対し、その身体機能回復のための訓練を実施したこと、原告X1は、この治療行為のために、八六万二六〇〇円を支払ったことがそれぞれ認められる。
しかし、前記三のとおり、本件不法行為により原告X1が受けた障害は高次脳機能障害であり、それと鍼灸師による身体機能回復のための治療との間に一般的には相当因果関係があるとは認め難いところ、本件において、原告X1において鍼灸師による理学療法が高次脳機能障害の治療や増悪の防止等のために必要不可欠であったという特別の事情があったことを認めるに足りる証拠もない。
したがって、原告X1が支払った上記理学療法費が、本件不法行為による損害であるとは認められない。
(3) 交通費について 〇円
ア 前記のとおり、原告X1は、被告病院を退院した平成一三年六月二日をもって症状固定したと認められるので、その後、通院のための交通費は、相当因果関係にある損害とは認められない。
イ 原告らの主張する交通費というのは、原告X2らが原告X1の見舞い又は介護のために被告病院へ行くために支払われたものも含む趣旨であるとも解されるが、そのような費用が本件不法行為と相当因果関係のある損害であるとは直ちには認め難い上、原告らの提出する領収書にかかるタクシーの利用が、誰の、どこからどこまでのタクシー利用であるのかを示す証拠もなく、原告ら主張の交通費を本件不法行為と相当因果関係のある損害であると認めることができない。
(4) 金魚飼育費について 〇円
<証拠省略>によれば、原告X1は、金魚飼育費として三九万九六〇〇円を支出したことが認められるが、金魚飼育費は、本件不法行為に伴って通常生ずべき損害であるとは認められず、特別事情に基づく損害といえるところ、原告X1が金魚を飼育していたことを被告Y1において予見できたことを裏付ける証拠は何もない。
したがって、金魚飼育費は、本件不法行為による損害とは認められない。
(5) 雑費について 三二万九二五四円
<証拠省略>によれば、原告X1が被告病院に入院した平成一二年三月一一日から退院した平成一三年六月二日までの間、原告X1は、入院雑費として三二万九二五四円を支払ったことが認められ、これについては、本件不法行為と相当因果関係にある損害と認められる。
他方、原告X1は、雑費として上記のほかに四一五〇円を支払った旨主張し、<証拠省略>からすると、原告X1が被告病院を退院した後に四一五〇円を支払ったことが認められるが、本件不法行為と相当因果関係にある損害と認めるに足りる証拠はない。
(6) 休業損害及び逸失利益について
休業損害 一〇八九万八六三〇円
後遺障害による逸失利益 二七〇一万六〇〇〇円
ア まず、本件不法行為と相当因果関係のある休業期間について見ると、原告X1は、平成一二年三月一〇日から同月一一日にかけて、発作性心房細動及び心不全により、心拍数が約一五〇程度となり、息が吸えない状態となって我慢ができないほどになったため、同月一一日に入院したことからすれば、本件不法行為がなくとも、入院に要する一定期間は稼働できなかったと考えられるが、他方、原告X1は入院直後、酸素の投与等により軽快していたのであるから、それほど重篤な症状であったとはいえず、原告X1の発作性心房細動及び心不全の入院治療のために稼働できなかったと考えられる期間はせいぜい一週間であると認めるのが相当である。そして、症状固定日までの入院期間中は一切の稼働ができなかったのであるから、本件不法行為と相当因果関係のある休業期間は、平成一二年三月一八日から症状の固定した平成一三年六月二日までであると認めるのが相当である。
イ 次に、原告X1の後遺障害の程度及び労働能力喪失期間について検討する。
(ア) 前記のとおり、原告X1は、平成一二年三月当時、内科の開業医として稼働していた七三歳の男性であるが、前記認定事実(一(32)、(34)ないし(37))からすれば、症状固定後も、高次脳機能障害による記銘力や言語性近時記憶の障害、逆行性健忘等のため、医師としての仕事はもとより、その他の仕事にも一切就くことができなかったし、今後も何らかの仕事に就ける見込はない。
そうすると、原告X1は、本件不法行為により、労働能力を一〇〇%喪失したものと認めるのが相当である。
(イ) この点について、独立行政法人国立病院機構循環器科医師是恒之宏作成の平成一六年五月一四日付診療情報提供書には「以前行なっておられた一日一〇人程度の軽症患者を診察する外来については、心機能の面からは可能であろうと思われる。」との記載があるが、同書面は循環器専門医が原告X1の心房細動及び慢性心不全の現在の病状について記載されたものであり、原告X1の脳機能に関する考察は加えられていないものとみるのが相当であることからすると、この点が上記労働能力喪失率の認定に影響を及ぼすことはない。
また、前記一(31)、(37)のとおり、原告X1は一人で歯磨きをし、ひげをそったり、食事をとることができるが、自発的にできるものではなく、周囲の者の指示によりはじめてできるものであるから、これらのことが辛うじてできるからといって、言語性近時記憶障害を主たる症状とする症状固定時七四歳の原告X1において、何らかの労働に就くことが可能であると認めることはできず、このことが上記認定を左右するものではない。
(ウ) そして、原告X1の年齢、医師という職種、後遺障害の内容等本件に現れた諸事情を総合すれば、労働能力喪失期間(就労可能期間)は、症状固定日から四年と認めるのが相当である。
ウ 休業損害及び逸失利益算定の基礎収入について検討する。
<証拠省略>によれば、原告X1の所得税確定申告にかかる収入は、平成八年に三三〇九万四二一九円(事業収入三〇九六万三二一九円、給与収入二一三万一〇〇〇円、これにかかる経費等控除後の申告所得一〇三一万一三九四円)、平成九年に二二四二万四三〇八円(事業収入二〇三八万九九〇八円、給与収入二〇三万四四〇〇円、これらにかかる経費等控除後の申告所得七一二万七二四〇円)、平成一〇年に二〇三七万九〇四八円(事業収入一八四一万八二四八円、給与収入一九六万〇八〇〇円、これらにかかる経費等控除後の申告所得六五六万四五八六円)、平成一一年に二〇九九万〇一五〇円(事業収入一八一九万二三五〇円、給与収入二七九万七八〇〇円これらにかかる経費等控除後の申告所得七〇〇万〇七七七円)であったことが認められ、原告X1に上記確定申告以上の収入があったことを認めるに足りる証拠はないから、上記各年における原告X1の収入額は、所得税確定申告にかかる収入と同額であると認めるのが相当である。そして、これらの過去四年間の収入の推移に加え、前記のとおり、原告X1は、不法行為のあった平成一二年三月一一日時点で七三歳と職業人としては相当高齢であった上、原告X1は内科の開業医であり、一般的には高度の身体的、頭脳的能力を要する職業であるといえることを考え合わせると、平成一二年以降は、収入額の漸減傾向が続くものと考えられるので、平成一二年三月から症状固定日までの間は、平均して一年あたり一八〇〇万円、それ以降は平均して一年あたり一六〇〇万円の収入が見込まれると認めるのが相当である。
そして、この基礎となる収入に経費等を控除した利益率を乗ずることになるが、この点、原告の主張する利益率七割を裏付ける的確な証拠はなく、租税特別措置法二六条において、医業を営む個人が、各年において、社会保険診療につき支払を受けるべき金額を有する場合において当該支払を受けるべき金額が五〇〇〇万円以下であるときは、その年分の事業所得の金額の計算上、当該社会保険診療に係る費用として心要経費に算入する金額は、五七~七二%とされていることに加え、平成八年ないし一一年の所得税確定申告の内容(各確定申告にかかる経費額以下の経費に止まったことを認めるに足りる証拠はない。)、原告X1には開業医としての事業所得の他、給与所得もあること等を総合すれば、原告X1の利益率は、五〇%と認めるのが相当である。
したがって、平成一二年三月一八日から平成一三年六月二日までの休業損害及びその後の逸失利益については、以下のとおりの計算となる(なお、逸失利益は原告X1が本件の障害を負ってから一年後からのものなので、一年分の中間利息を控除する。)。
<休業損害>
(一八〇〇万円×〇・五)×(四四二日÷三六五日)=一〇八九万八六三〇円
<逸失利益>
(一六〇〇万円×〇・五)×(四・三二九-〇・九五二)=二七〇一万六〇〇〇円
エ これに対して、被告らは、原告X1が被告病院に入院していた時点で、原告X1は心房細動及び心不全が認められたのであるから、仮に本件不法行為がなかったとしても相当限度稼働能力が制限されると主張している。
しかし、一般的に心房細動及び心不全が余命を少なくさせる疾病であるとはいえても、具体的に原告X1の余命が通常より短くなることを裏付けるものとはいい難いし、前記のとおり、原告X1が被告病院に入院した直後の時点で心不全は相当軽快していたのであるから、原告X1が有していたこれらの疾病が原告X1の余命や稼働能力に影響を及ぼしたとまでは認めることはできない。
したがって、この点に関する被告らの主張は、採用することができない。
(7) 付添看護費用及び家政婦費について 一一三六万四七八〇円
前記(1)ア、(6)イのとおり、原告X1は、高次脳機能障害により介護を要する状態となり、職業付添人を付ける必要があると認められるので、これに要する費用は、本件不法行為に基づく損害であると認められる。
そして、<証拠省略>によれば、原告X1は、平成一二年三月一一日から平成一六年九月三〇日まで、職業付添人を付けるのに九三一万七二八〇円を支払ったことが認められ、同金額は本件不法行為に基づく損害と認められる。
また、平成一六年一〇月一日以降の家政婦費については、<証拠省略>によれば、平成一六年五月からは年間三五万円の割合の費用がかかっていることが認められ、今後、具体的にこの金額以上の費用がかかることを窺わせる事情はないことからすると、同金額をもって将来の家政婦費算定の基準とすべきである。
したがって、この金額を基準に平成一六年(原告X1は七七歳)から平均余命までの九年分までの家政婦費を計算すると以下のとおりとなる(なお、原告が本件の障害を負ってから四年後からのものなので、四年分の中間利息を控除する。)。
三五万円×(九・三九六-三・五四六)=二〇四万七五〇〇円
九三一万七二八〇円+二〇四万七五〇〇円=一一三六万四七八〇円
(8) 慰謝料について
原告X1 二三〇〇万円
原告X2 二〇〇万円
原告X3及び同X4 各五〇万円
これまで認定した被告Y1の過失内容、原告X1に対する治療経過、原告X1の後遺障害の程度、内容、原告X1のこれまでの経歴、特に医師として長年医療に携わり、やっと老後の生活を送れるようになる目前で、本件医療事故に遭い、精神神経面で著しい障害を残し、この状態で余生を過ごさざるを得なくなったこと、そして、そのような原告X1を介護しながら余生を過ごさざるを得なくなった原告X2ら家族の状況等、本件訴訟において現れた一切の事情からすると、原告らの精神的苦痛に対する慰謝料として、原告X1については二三〇〇万円、原告X2については二〇〇万円、原告X3及び同X4については各五〇万円をもって相当と認める。
五 争点④について
被告らは、原告ら主張の原告X1の症状からすると、訴訟委任の趣旨を理解できていたとは考えられず、原告ら訴訟代理人らには、有効な訴訟代理権が授与されていない旨主張する。確かに、前記のとおり、原告X1の労働能力は一〇〇%喪失したものであるが、原告X1の症状の中心は記憶障害を中心とするものであり、知能は正常範囲にあること等からすると、原告X1に意思能力がなかったとまでは認められず、被告らの主張を採用することはできない。
六 以上からすると、本件不法行為と相当因果関係のある損害額は、原告X1については七二六一万一四八四円であることになるが、前記第二・二(4)のとおり、大阪府医師国民健康保険組合からの療養の給付(二三六万九七五〇円)をこれから控除すべきであることは当事者間に争いはなく、結局、七〇二四万一七三四円が原告X1について生じた損害額となる。
七 弁護士費用について
以上の各原告について生じた損害額の約一割をもって、本件訴訟追行に当たっての弁護士費用とするのが相当である。したがって、原告X1について七〇〇万円、原告X2について二〇万円、原告X3及び同X4について各五万円が損害額となる。
八 よって、原告らの請求については、被告らに対し、連帯して、原告X1につき七七二四万一七三四円、原告X2につき二二〇万円、原告X3及び同X4につき各五五万円並びにこれらの内弁護士費用相当額を除いた各金員(原告X1につき七〇二四万一七三四円、原告X2につき二〇〇万円、原告X3及び同X4につき各五〇万円)に対する不法行為の日である平成一二年三月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれらをそれぞれ認容し、その余は理由がないのでいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 本多俊雄 裁判官 木太伸広 小川暁)