大阪地方裁判所 平成13年(ワ)8964号 判決 2002年7月19日
原告
川畑博嗣
上記訴訟代理人弁護士
金谷康夫
被告
アンカー産業株式会社
上記代表者代表取締役
土肥碩哉
上記訴訟代理人弁護士
高村真人
主文
一 被告は、原告に対し、二一五万九七五〇円及びこれに対する平成一三年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、二二五万円及びこれに対する平成一三年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
原告は、被告の元従業員であり、平成一二年九月二〇日に被告を依願退職したが、被告は原告の退職は円満退職でないことを理由として退職金を支払わないため、本件は、原告が被告に対し、退職金の支払を求める事案である。
一 当事者間で争いのない事実等(証拠及び弁論の全趣旨により認定した事実についてはかっこ内に示した)
1 被告は、金属製樹木支持装置の設計、販売、管理を主たる業務とする株式会社である。被告の主たる設計・販売商品はサポート製品と呼ばれるもので、これは樹木の景観向上、風倒防止等を目的とする樹木を支える樹木支持器具である。
原告は、昭和五三年三月に被告に入社し、同年五月二一日に正社員となった。
原告は被告に対し、平成一二年八月二九日、一身上の都合により同年九月二〇日付けで被告を退職したい旨の記載のある退職届を提出し(書証略)、平成一二年九月二〇日に被告を依願退職した。
原告は、被告退職時、環境緑化部課長代理で、主に中国地区、四国地区及び大阪南部の営業を担当していた。
2 被告は原告に対し、平成一一年九月一〇日、弁済期を平成一二年六月三〇日と定めて六〇万円を貸し付けた(以下「本件貸付」という。書証略)。
3 被告会社の社則の給与規定「第四節退職金」(以下給与規定の第四節部分を「退職金規程」という)には以下の規定がある(書証略)。なお、被告の社則は、就業規則として労働基準監督署に届出されている(書証略)。
「第四節 退職金
一、退職金は次の場合に支給し、その他の場合は原則として支給しない。
1 社員の依願退職の場合(但し、一ケ月以前に申し出なければならない)
(以下省略)
二、退職金はすべて円満退職する場合に限り支給し、懲戒その他本人の不都合により退職する場合には支給しない。」
4 退職金規程によれば、依願退職の場合の退職金算出方法は以下のようになっており、退職金は退職後六か月以内に支給されることになっている(退職金規程三条、四条。書証略)。なお、退職金算出にあたっての勤続年数の計算は正社員任命の日を基準とし、また、勤続年数の端数については一〇か月以上は一年とされる(同規程三条。書証略)。
(一) 勤続年数 二年 退職金支給額 基本給の 一か月
三年 一・五か月
四年 二か月
五年 三か月
六年 四か月
七年以上 一年増す毎に一か月増す
(二) 勤続年数が一五年目からは、上記退職金の他、永年勤続付加金として、三五万円を支給し、以後一年増す毎に六万円ずつ加算する。
5 原告の退職時の基本給は一八万九三三五円であった(書証略)。
6 被告は原告に対し、平成一三年七月九日付け「貸付金の返済について」と題する書面を送付し、同書面は同月九日に原告に到達した。同書面には、本件貸付の残金五〇万三六〇〇円の返済を求めるとともに、原告に退職金は支給しない旨の記載があった(書証略)。
これに対し、原告は被告に対し、原告代理人弁護名で平成一三年七月一九日付け内容証明郵便を送付した。同書面には、同書面到達後一週間以内に退職金を支払ってほしい旨の記載があった(書証略)。
二 争点
退職金不支給事由の有無
三 原告の主張
1(一) 退職金規程に基づき原告の退職金を計算すると、退職金額は、退職時基本給一九万八〇〇〇円、在職期間二二年六か月であるから二七五万円(一九万八〇〇〇円×二〇年=三九六万円、三九六万円÷二=一九八万円、永年勤続付加金は、二二-一五年=七年、三五万円+(六万円×七)=七七万円となるから、退職金合計は一九八万円+七七万円=二七五万円)である。
(二) 本件貸付の残額は五〇万円であるが、原告は被告に対し、退職金二七五万円と本件貸付の残額五〇万円を対当額で相殺する旨の意思表示を本件訴状をもってした。
2 よって、原告は被告に対し、退職金二七五万円から本件貸付の残額五〇万円を控除した退職金残額二七〇万円及びこれに対する支払日経過後である平成一三年四月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
四 被告の主張
1 原告は、被告における在職期間を二二年六か月として退職金を計算しているが、昭和五三年三月から同年五月までは試用期間であって、退職金計算にあたっての在職期間は二二年四か月である。また、本件貸付の残額は五〇万三六〇〇円である。
2(一) 退職金規程には、依願退職の場合には一か月前に申し出る旨の規定及び退職金は円満退職する場合に限り支給する旨の規定があるが、原告が被告を退職した状況は後記(1)及び(2)記載のとおり退職予告期間が不足し、また円満退職とはいえないものであり、そのため、被告は原告に対する退職金の支払を拒絶した。
退職金は賃金としての性格の他に功労報償的性格をも合わせ有すると解されるので、労働者に在職中の功労を評価できない事由が存する場合には退職金の支給を制限することも許されるのであり、退職金の不発生事由を就業規則に定めておけば、それが労使間の労働契約の内容となるので、同条項に該当する労働者については退職金請求権がそもそも発生しなかったことになる。よって、被告の退職金規程のように円満退職でない場合に退職金を支給しない旨の規定は、退職金が賃金に該当する場合であっても少なくとも在職中の勤続の功労を抹消してしまう程度の不信行為があった場合には退職金を支給しない限度で有効であると解すべきである。この点原告は、退職の前後において、被告の利益を著しく害する行為をしており、これは原告の長年の功労を抹消する不信行為に該当する。そして、退職金支給の有無については、退職後の事情も考慮しうるものである。被告の退職金規程では退職金の支給時期を退職後六か月以内と規定していたが、これは、当該退職者が円満退職という退職支給条件を満たすか等の判断のために設けられた期間であるから、円満退職か否かの判断にあたっては、退職後に判明した事情を考慮することはもとより、少なくとも退職後六か月内の退職者の行為をも考慮して判断することは差し支えないというべきである。
(1) 退職予告期間不足
原告が被告に対して退職届を提出したのは退職の二二日前であった。しかもその後退職までの間、原告は九日間の有給休暇を取得しており、業務引継にあてる時間はほとんどなかった。
退職金規程に退職予告期間に関する規定を設けたのは、当該従業員は、自己の業務を他の従業員に円滑に引き継ぐ職責を負うことを前提として、これを円滑に行うために一定の期間が必要となるためである。特に、原告はサポート製品を統括する立場にあったのであるから、引継は重要であり、これに支障を来せば被告は甚大な損害を被る。
したがって、原告には、退職金規程一条一号ただし書により退職金請求権は発生しない。
(2) 円満退職でないこと
(ア) 他の従業員との同時期退職
原告の退職と同時期、他に五名の従業員(以下「退職従業員」という)が被告を次々と退職した。これらの者はいずれも環境緑化部あるいは管理部に所属していた。原告は環境緑化部はもとより管理部についても事実上サポート製品についての業務を統括する立場にあったのであり、原告が退職従業員に対して退職を勧誘したことあるいは少なくとも同時期の退職を合意したこと、しかもそれが原告の在職時に行われていたものであることは、その人的関係、時期及び経緯から見て明らかである。
(イ) イケダ産業への就職及び機密情報の流用 原告及び退職従業員は、いずれも被告退職後直ちにイケダ産業株式会社(以下「イケダ産業」という)に就職した。
イケダ産業は、昭和六三年の創業以降代表取締役のみがサポート製品の製造に携わってきた会社であり、被告は、イケダ産業に対してその販売するサポート製品の全ての製造を依頼していたが、イケダ産業は、原告と退職従業員の入社後、被告と同様に販売業務を展開するようになった。すなわち、従来のイケダ産業の業務は、被告がファックスで送った図面をもとに部品を製造するだけであったが、原告と退職従業員の入社後は、直ちに被告の売れ筋のサポート製品と同一あるいはほぼ同一(部品の一部を変更したのみ)の製品を作製、販売するようになった。しかもイケダ産業は、被告の商品と混同を生じさせるような価格表を作成して被告の顧客を奪って営業活動をするようになった。イケダ産業のこうした営業活動は、原告と退職従業員が被告在籍中に勤務に関して知り得た顧客情報、販売原価等の情報を利用すること、すなわち、被告のコンピューターに蓄積されていたデータを持ち出してイケダ産業で利用することによってのみなし得ることである。被告では、サポート製品に関するデータについては、CADデータをSTCファイルとしてコンピューターに蓄積していたが、平成一二年七月ころ、被告管理部課長代理の仲宗根孝彦(退職従業員)及び環境緑化部設計係係長代理南昭彦は、管理部の斎藤嘉男にCADデータをSTCファイルからDXFファイルに変換させた上で、上記南昭彦が被告に持ち込んだMOにコピーさせた。上記南らは、ファイル変換の方法を知らない斎藤にその方法を教えてまでこれを実施させたのである。また、イケダ産業は、平成一二年一一月二四日までに商品カタログを作製しているが、これにはサポート製品の図面等が挿入されており、その作製のために原告や退職従業員が持ち出したCADデータが用いられたものと考えられる。
このように、原告と退職従業員がイケダ産業に就職したことによってイケダ産業の業容が拡大され、そのため、原告と退職従業員のかかる行動がなければ被告が受注することがほぼ確定していた契約は、イケダ産業が受注する結果となった。
従業員が退職後、同業他社に転職し、在職中に培ったノウハウを活かして仕事をすること自体は差し支えないが、従前の会社において蓄積された販売先、販売原価等という個々の機密を持ち出し、同業他社において流用することは許されるものではないことは当然である。
(二) 以上のとおり、原告と退職従業員の行為により被告が被った被害は甚大である。平成一二年一二月以降平成一三年四月まで、被告の毎月のサポート製品の売上げは概ね一〇〇〇万円前後低下した。
また、被告の環境緑化部は六名中三名が、管理部は四名中三名がほぼ同時に被告を退職したため、被告は特にサポート製品に関する業務全般について重大な支障を来し、甚大な損失を被った。しかも、原告は自己の担当業務の大半を退職従業員に引き継いだが、同時期に退職する者に引き継ぎを行っても無意味であるし、退職金規程の退職予告期間の規定は、従業員が退職する際にその業務を円滑に引き継ぐ職責を負うことを含意しているところ、その遂行を怠っているものである。
3 以上のことからすれば、原告の退職は、退職予告期間が不足しており、また原告の退職時における行動は、原告の長年の功労を抹消する不信行為に該当し、その退職は到底「円満退職」といえるものではない。
五 原告の反論
被告は、原告に退職金請求権が発生しないと主張する。しかし、以下のとおり被告の主張は理由がない。
1 退職金の賃金の後払的性格からすれば、就業規則において退職金の定めがあるにもかかわらず、特定の場合にこれを不支給とするには、その不支給について明確かつ客観的具体的な規定を定めることが必要である。また、たとえ懲戒解雇に伴う退職金の不支給の場合であっても労働者の永年勤続の功を抹消してしまうほどの不信があったかどうかを検討して不支給とすべきか否かを判断すべきところ、被告が不支給事由として主張する退職予告期間の不足及び円満退職ではないことは、退職金不支給の事由とはならないものである。また、退職後の事後行為をもって会社が不支給をなすことは上記のような特約、特別の規定があり、かつそれが具体的合理性を有する例外的な場合に限られる。
2 原告が被告に退職届を提出したのは平成一二年八月二九日である。原告は、退職金規程の存在を知っていたので、被告代表者及び被告の小川明常務に対して退職日は同年九月三〇日にしてもよい旨述べたが、これに対して同人らは同月二〇日付けの退職を了承した。したがって、同月二〇日付けで原告が被告を退職することは原告と被告との間で合意された事項であり、被告が主張する予告期間不足なるものは問題にならない。
仮に、原告と被告との間に上記合意が認められなかったとしても、予告期間の不足は法律上退職金請求権の発生を妨げるものではない。
3 また、被告は、「円満退職」でないことを不支給事由の一つとしてあげるが、そもそも「円満退職」とは具体的に何を指すのか就業規則上明確ではない。
被告は、円満退職ではないこととして、他の従業員との同時期退職、イケダ産業への就職、被告会社の機密情報の流用をあげる。
しかし、被告を退職するにあたって、原告は、退職従業員のうち一名が被告を退職後イケダ産業に転職する意思を有していたことは知っていたものの、退職従業員と合意して行動したことはない。
もっとも、結果的に原告及び退職従業員五名は被告退職後イケダ産業に就職したが、被告は、原告及び退職従業員からの退職届を受理している。
なお、原告は平成一二年一〇月一日にイケダ産業に入社したが、その後同社を退職した。
4 また、被告にはそもそも機密情報は存在しないし、被告が主張する被告のCADデータの持ち出し等については原告の知るところではない。
第三当裁判所の判断
一 証拠(略)、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 原告は、昭和五三年三月に被告に入社し、試用期間を経て同年五月二一日に正社員となった。原告の退職時の役職は、環境緑化部課長代理で、環境緑化部の業務、営業を統括する立場にあった。同部には原告の直属の上司にあたる者がいなかったため、原告は被告役員会にも出席していた。
2 原告は、被告では賞与も支給されず、将来に不安を感じたため被告を退職する決意をし、同年八月二九日、被告に同年九月二〇日付けで一身上の都合により退職する旨の記載のある退職届を提出した。
3 原告の退職一か月前の被告の従業員数は二九名で、そのうちサポート製品等の営業、設計を担当する環境緑化部は八名、サポート製品等を含む全製品の製品、出荷を管理する管理部は四名であった。
原告の退職届提出後、五名の従業員が被告に退職届を提出して退職し、その後、被告がそれまで部品等の製作を依頼していたイケダ産業に入社した。原告は、同月一五日ころにはイケダ産業への就職が内定していた。退職従業員の退職日は、サポート部の南昭彦が同年九月二七日、管理部仲宗根孝彦が同年一〇月二六日、管理部中桐謙二が同年一〇月三一日、管理部森下明彦が同年一〇月三一日、大谷明が同年一一月四日であった。
4 原告は、イケダ産業に入社後の平成一二年一一月及び同年一二月、被告をイケダ産業の社長と共に訪問した。訪問の目的は、イケダ産業の商品カタログ及び価格表を被告に見せ、イケダ産業で扱う商品の中に被告で意匠登録したものがあれば被告にチェックしてほしいためであった。原告が持参した商品カタログ等のうち、価格表については原告がイケダ産業において作成したものであった。なお、二度目の訪問のときは、被告代表者である土肥(以下「土肥社長」という)は、イケダ産業の社長のみに面会した。
5 原告は、イケダ産業を平成一三年三月三一日に退職した。
その後平成一三年六月ころ、原告は、被告の顧客である北勢工業株式会社(以下「北勢」という)に就職した。
6 原告は、平成一三年六月ころ、被告に電話をし、イケダ産業を退職して北勢に就職することを報告するとともに、退職金を早く支払って欲しい旨を伝えた。
二 被告は、原告の退職は円満退職ではないから退職金請求権は発生しないと主張するので、その点について検討する。
1 上記認定によれば、被告は退職金規程を含む社則を就業規則として労働基準監督署に届け出ており、被告は、退職金規程において退職金の支給条件を明確に定め、これに基づいて退職金を退職者に対して支給しているのであって、退職金規程に基づく退職金は、被告と従業員との労働契約の内容として労働の対価として被告が支払義務を負担する賃金に該当するものである。そして、退職金規程では「円満退職」の場合に限って退職金を支給し、懲戒その他本人の不都合により退職する場合には支給しないとの規定を設けているが、退職金規程に基づく退職金が上記のような性質を有するものである以上、これは労働基準法所定の賃金に該当するというべきで、いわゆる賃金の後払いとしての性質を有することになるし、さらに退職金規程が一条二項に「懲戒その他本人の不都合により退職の場合」には退職金を支給しないと規定して退職金不支給事由として懲戒の場合を挙げ、退職金不支給事由を限定していることからすれば、退職金規程一条二項の「円満退職」とは、退職者に懲戒解雇事由があるなど当該退職者の長年の勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為がある場合以外をいうと解すべきである。
2(一) そうすると、上記認定によれば、原告は、将来の不安を感じて被告を退職し、その後イケダ産業に入社して同社の営業活動を行っていたものであって、特に原告に退職金不支給を相当とするような不信行為があったということはできない。
(二)(ア) これに対し、被告は、原告が退職従業員と同時期に退職したこと、原告と退職従業員が被告退職後同業他社に就職し被告の機密情報を流用して同業他社の営業活動に用い被告に損失を被らせたこと、さらには、十分な引き継ぎを行わずに被告を退職したことは円満退職と評価することができない旨主張する。
しかしながら、原告退職後わずかな期間に五名の従業員が退職しているものの、退職従業員の退職に原告が関係していると認めるに足りる証拠は全くないし、原告や退職従業員がことさら被告の繁忙時に退職したと認めるに足りる証拠もない。被告は、原告が環境緑化部課長代理の地位にあり、営業の責任者という立場にあったことから、原告や他の従業員が結託して退職したというが、これは被告の推測の域を出るものではなく、これに沿う(書証略)の記載及び被告代表者の供述は信用できない。
(イ) また、被告は、原告や退職従業員が被告退職後に被告の機密情報を流用してこれをイケダ産業の営業活動に用いたとも主張する。しかし、原告が被告の機密情報を流用したと認めるに足りる証拠はない。確かに、イケダ産業の商品カタログ及び価格表(書証略)と被告の商品カタログ及び価格表(書証略)は、その体裁が類似してるともいえるが、原告はイケダ産業の価格表は自分が作成したが、商品カタログについては関与していないこと(原告本人)、上記商品カタログ及び価格表をイケダ産業で使用することについてわざわざ被告を訪れてその内容を土肥社長に見せていること(原告本人、被告代表者)、被告で受注予定であった案件をイケダ産業が受注したことがあった(被告代表者)が、これがいわゆる自由競争の範囲を超えてあるいは原告の行動に起因して行われたものであると認めるに足りる証拠もないことからすれば、原告が被告の機密情報を流用し、これをイケダ産業の営業活動に用いて被告に損失を与えたと認めることはできない。もっとも、被告の営業内容をよく知る原告が同業者に就職することによって原告が被告で取得した営業ノウハウ等が全くイケダ産業で活用されなかったとまでは言いがたいが、原告が積極的に被告の営業データを流用したとまでいうことはできない。
(ウ) さらに、原告は退職予定日の二二日前に退職届を出しているが、被告は退職予告期間が不足しており、これにより引継に影響が生じた旨主張するが、被告は原告からの退職届を受領して原告の退職を承認しており、仮に原告が退職したことによって被告に混乱等が生じたとしても、被告自ら原告の退職を承認している以上、その責任がすべて原告にあるとは言いがたく、これを理由に原告に対して退職金の支給を拒むことはできないというべきである。
3(一) 以上によれば、被告は原告に対して退職金規程に基づいて算出した退職金を支払う義務がある。
原告の退職時における基本給は一八万九三三五円であり、被告の正社員となった後の原告の勤続年数は二二年四か月である。したがって、退職金規程に基づいて原告の退職金を算出すると、退職金額は二六六万三三五〇円(一八万九三三五円×(二二-二)÷二+(三五万円+六万円×七)=二六六万三三五〇円)となる。
(二) ところで、原告は、本件貸付の残金と退職金とを相殺する旨主張する。賃金全額払の原則によれば、本来賃金との相殺は認められないが、労働者側からの相殺についてはこれを認めても特段問題はない。
そうすると、(書証略)及び被告代表者によれば、本件貸付の残金は五〇万三六〇〇円と認められ、原告の意思を合理的に解釈すれば、原告は認容された本件貸付の残金と退職金を相殺する意思であるといえるから、被告は、原告に対し、本件貸付の残金控除後の退職金残金二一五万九七五〇円を支払う義務がある。
4 よって、原告の請求は上記の範囲で理由があるからその範囲でこれを認容し、主文のとおり判決する。
(裁判官 大島道代)