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大阪地方裁判所 平成14年(わ)1399号 判決 2002年6月19日

主文

被告人を罰金三〇万円に処する。

その罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

押収してある文化包丁一本(平成一四年押第三三四号の一)を没収する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和五九年二月Tと婚姻し、同年一二月長男K、昭和六一年八月二男Sをそれぞれ出産し、平穏な家庭生活を送っていた。しかし、Kが中学校二年生になってTの浮気が発覚し、被告人との間で、しはしば大声であるいは取っ組み合いの喧嘩が起こるようになり、家庭の空気が重苦しくなった。

Kは、中学二年生の夏休みころから、喫煙、夜遊び、怠学をするようになり、さらに、万引をしたり盗難バイクに友達と一緒に無免許で乗るなどの非行に走り、被告人は警察に繰り返し呼び出された。Kは、平成一二年四月高等学校に進学したものの、ろくに通学もせず、一年生で留年となり、平成一三年七月退学した。その後、Kは、鉄鋼会社に就職し、同年末まで何日か怠業したものの一応仕事を続けていたが、平成一四年に入ると、たった二日しか仕事に行かず、家には寝に帰るくらいで、遊び回るようになった。

被告人は、Kを何とか真面目にさせようと努力したが、保護者として生活態度を改めさせようとする被告人の注意を、Kは口うるさく感じて素直に従わず、かえって被告人を嫌うようになり、被告人との間で、言い争いが絶えず、被告人に対し、「俺はお前の顔を見たら一番いらつくんじゃ。」「死んでしまえ。」「消えろ。」などと親を親とも思わぬような暴言や、腹部を殴打したり、羽交い締めにしたり、髪の毛を掴んで引きずり回すという暴力を振い、これに対し、体格・体力の劣る被告人がKの暴力を制するため、包丁を持ち出して威嚇するようになった。被告人は、このようなKとの険悪な関係が長期化し、精神的に疲弊した状態にあった。

被告人は、平成一四年三月五日午後四時五分ころ帰宅すると、前日無断外泊をしていたKが在宅していたことから「いつになったら仕事に行くの。」「家の横のバイクの部品片付け。」などと注意をしたが、Kが迷惑そうに「うるさいのぉ。」と返事するだけでバイクの部品を片づける気配がなかったことから、Kに対し「片付けへんねんやったら、捨てるで。」と声をかけて自分で片づけていたところ、Kは被告人を「何やってんねん。」と怒鳴りつけてきた。被告人は、Kの身勝手な態度に憤慨し、Kを叱ろうとして家に入り、一階玄関付近でKと口論になった。その口論中、二階のKの部屋の電灯が点いたままになっていることに気づいた被告人はKに「部屋の電気を消せ。」と言ってその電灯を消そうと二階に階段を上り始めたところ、これを阻もうとしたKは、階段途中で被告人を階段下に突き落とした。被告人は、転倒を免れたものの、背中を壁面にぶつけ、さらにKが階段を下りてきたことから、包丁で威嚇しようと考え、台所に行って包丁を手に取り、被告人を追ってきたKに対しこれを示したが、Kは「やれるものならやってみろ。」と挑発しながら、胸を突き出し、被告人の身体を流し台との間に挾むようにして迫ってきた。

(犯罪事実)

被告人は、日頃から、同居中の長男K(当時一七年)の、親を親とも思わない暴言や暴行に、どうしようもない情けなさと怒りを感じていたものであるが、平成一四年三月五日午後四時二〇分ころ、大阪府枚方市○○所在の自宅階段途中において、Kから下方に突き落とされた上、なおも一階台所に追われ、同所において被告人が文化包丁(平成一四年押第三三四号の一)を示して威嚇してもなお「やれるもんならやってみい。」と言われるなどの挑発的態度で身体を接近させて迫られたことに憤慨し、この際、同包丁でKを傷つけ、痛い目にあわせて思い知らせてやろうと決意し、やにわに右手に持っていた文化包丁(刃体の長さ約15.7センチメートル)でまず、Kの左腋窩部を刺突し、Kが直ちに痛がらず、手応えもなかったことから、さらに痛い目にあわせようとKの背後に横から右手を回してその背面から左側胸部を刺突し、よって、同人に加療約二週間を要する左腋窩部刺創及び左胸部(背部)刺創の傷害を負わせたものである。

(証拠)省略

なお、被告人が傷害の犯意を生じた契機について、被告人の検察官調書及び警察官調書にはいずれも、被告人が階段途中から突き落とされたことで激高し、仕返しをするため包丁を取りに行った旨の記載がある。しかし、もしその時点でKを包丁で傷つけようとする犯意が形成されたのであれば、被告人は包丁を手に取るや、直ちに傷害行為に及ぶのが自然であるところ、これら調書によっても明らかなとおり、現実には、被告人は、Kが「やれるもんならやってみい。」と言いながら挑発的態度で身体を接近して追ってきた後に、はじめて傷害行為に着手している。してみれば、Kの挑発行為によって犯意を固めたという被告人の当公判廷における供述は自然なものとして措信できるので、前記のとおり認定した。

(法令の適用)<省略>

(量刑の理由)

本件は、被告人が、同居していた長男を文化包丁で負傷させた事案である。長期間にわたる家庭内の葛藤の末に刃物を用いて体幹部を刺突したという犯行に至る経緯と行為の客観的な危険性に照らすと、検察官が略式手続によらなかったことは相当である。

しかし、前記認定のとおり、被告人は日頃から被害者から親を親とも思わない暴言や暴行を受けながら、なお同居の保護者として未成年者である被害者に対し注意指導を与えなければならない立場から逃れられなかったもので、刃物を持ち出すまでに対応がエスカレートせざるを得なかった点について被告人に対し同情の余地が十分にあり、被害者を痛い目にあわせてやろうと思い至った被告人の犯行動機も、前記の経緯に照らせば、感情として理解が困難なものではない。

また、本件では、被害者がまず被告人を階段途中から突き落とすという暴行を加えた上、被告人を追って台所にやってきて、包丁を持って身構える被告人に対し、体格・体力とも上回り、被告人の手にした包丁を容易に取り上げることができるにもかかわらず、反対に「やれるものならやってみろ。」と挑発しながら、包丁を持つ被告人に向かって胸を突き出して迫っており、結果発生にかかわる被害者の寄与は極めて大きく、自ら危難を招いたも同然である。

さらに、本件犯行は計画的なものでなく、被告人が刺突した部位も、左腋窩部及び左側胸部であって生命に直ちに危険が及ぶおそれの高いところは避けられており、負傷の程度も加療約二週間と比較的軽く、また、犯行後直ちに被告人は救護の措置をとるなどし、被害感情も、被害者において従前の自己の非を認めて反省し、本件は自分に責任があるとして、被告人に対しては寛大な処置がとられることを強く望んでいる。

これら犯行の経緯及び動機、被害の程度・感情に加え、被告人には前科前歴がなく、これまで社会人としてまじめに生活してきたこと、本件犯行を深く反省しており、再犯のおそれも少ないこと、被告人の夫が情状証人として出廷し、今後このようなことが一切ないよう努力することを約束するなどの被告人に有利な情状に照らすと、当公判廷に顕れた被告人に不利な一切の情状を考慮しても、なお懲役刑に処するのは重きに失するといわざるを得ず、主文掲記の量刑とした。

(裁判官・住山真一郎)

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