大阪地方裁判所 平成14年(ワ)9606号 判決 2003年11月11日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は、原告に対し、金720万5000円及びこれに対する平成14年10月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は、平成13年度の大阪医科大学の入学試験に合格した原告が、被告との間に在学契約を締結して入学金及び授業料等の金員(以下、これらの入学手続時に被告に支払を要する費用を総称して「学納金」という。)を納付したものの、その後、学年が開始する前に入学を辞退して在学契約を解除したと主張し、被告に対し、学納金の返還及びこれに対する平成14年10月11日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。これに対し、被告は学納金の授受により原告が被告大学への入学資格を取得しているうえ、不返還の特約があるから返還義務はないなどと主張して争うものである。
1 前提事実(争いのある事実は、認定証拠を該当個所に掲記する。)
(1) 当事者
ア 原告は、大阪医科大学(以下「被告大学」という。)の平成13年度の入学試験を受験して合格し、学納金を納付した者である。
イ 被告は、教育基本法及び学校教育法に従い、被告大学を設置運営する学校法人である。
(2) 事実経過
ア 原告の受験と合格
原告は、被告大学の平成13年度入学試験を受験して、平成13年3月2日(以下、特に断らない限り、日付は平成13年である。)、同試験の合格発表を受けた。
イ 原告による入学手続の完了
被告は、3月2日、原告に対し、被告大学入学試験の合格通知(乙3と同様のもの)、入学手続納付金振込用紙、「入学に関する手続について」と題する書面(乙4と同様のもの)、振込依頼書及び振込金受取書(乙5と同様のもの)を発送し、原告は、3月5日、被告大学への入学手続を完了したが、その際、以下の学納金計714万円(以下「本件学納金」という。)及びPA(保護者会)会費等の委託徴収金計6万5000円の合計720万5000円を納付した(甲2、乙1、3ないし5、弁論の全趣旨)。
(学納金) 714万0000円
<1> 入学金 100万0000円
<2> 授業料(年額182万円のうち、第一期分) 61万0000円
<3> 実習料(年額34万円のうち、第一期分) 12万0000円
<4> 施設拡充費(年額122万円のうち、第一期分) 41万0000円
<5> 教育充実費(初年度分全額。なお、2年次以降は年額90万円) 500万0000円
(委託徴収金) 6万5000円
<6> PA会費(年額10万円のうち、第一期分) 5万0000円
<7> 学友会入学金 5000円
<8> 学友会会費(年会費) 1万0000円
ウ 原告の他大学入学
原告は、3月12日、神戸大学医学部の平成13年度の後期日程入学試験(以下単に「後期入試」という。)を受験し、同月22日午後2時、同入試の合格発表を受け、同月26日、同大学への入学手続を完了した。なお、平成13年度の国立大学の後期入試の合格発表は、全て、同月22日に行われた(甲2、弁論の全趣旨)。
エ 入学手続完了後の学納金の返還に関する被告大学の取扱いと不返還特約について
被告大学の学則には、平成13年当時、「納入した授業料その他の納入金はいかなる理由があっても返還しない」旨の規定が存在したが(36条3項)、被告は、平成13年度の入学手続において、同規定の運用として、入学手続完了者が、3月21日正午までに被告大学所定の書面により入学辞退を申し出た場合には、当該入学手続完了者に対し、入学金以外の納入金を返還するが、3月21日正午以降に入学辞退の申し出があった場合は委託徴収分以外の納入金は返還しない旨の取扱いをするとし、その旨を、原告ほかの受験生に対して配布した被告大学の入学試験要領及び原告ほか合格者に対して送付した上記「入学に関する手続について」と題する書面において明示し、原告も被告の上記取扱いを認識・承認した(以下、このような原・被告間に成立した学納金不返還の取扱いに関する合意を「本件不返還特約」という。)うえで被告大学への入学手続を完了していた(乙1、2、4、弁論の全趣旨)。
オ 原告による被告大学への入学辞退
原告は、3月27日ころ、被告に対し、入学辞退申請書を提出し、被告大学への入学を辞退する旨の意思表示をした(乙7)。
カ 被告による委託徴収金の返還
被告は、4月6日、原告に対し、入学辞退に基づき、上記イの委託徴収金相当額6万5000円を返還した。
キ 被告大学における入学時期と学年の定め
被告大学の学則によれば、入学等の時期は学年の始めとする(11条)ものとされ、学年は4月1日に始まり、翌年3月31日に終る(8条)とされている(乙1)。
2 主要な争点及び当事者の主張
(1) 在学契約の解除により学納金の返還を求めうるか。
(原告の主張)
ア 在学契約の法的性質とその成立時期
在学契約とは、学校法人が、学年に対して教育役務を提供し、学生が学校法人に対して対価を支払うことを約することにより成立する準委任契約であり、学納金は教育役務提供の対価としての報酬ないし費用の前払とみるべきところ、原告と被告間に締結された在学契約(以下「本件在学契約」という。)は、被告が原告に合格発表(通知)をした3月2日ころ又は遅くとも原告が本件学納金を納付した3月5日までには成立していた。
イ 入学辞退による本件学納金返還請求権の取得
ところで、在学契約は、その契約の性質上、委任者から将来に向かって解除することが可能である(民法651条1項、652条)ところ、原告は、被告との本件在学契約をその教育役務の提供開始前の3月27日には、書面により入学辞退の意思表示をして解除したから、被告が本件学納金の給付保持権原を失っており、被告に対し、本件学納金相当額の不当利得返還請求権を取得している。
(被告の主張)
ア 在学契約の法的性質とその成立時期
在学契約は、教育基本法及び学校教育法に従って学則に則った教育を行うことを内容とする公法上の規制を受ける無名契約(附合契約)であって、準委任契約ではない。在学契約は合格通知(契約の申込資格の授与)・学納金納付等の入学手続の履践(学則に則った附合契約の申込)・入学許可(契約の承諾。承諾日は契約の申込手続の完了日)を経て成立し、その効力は学年度の始めの4月1日より生じる。
イ 入学辞退による本件学納金返還請求権の不発生
学納金は、入学試験の合格者による在学契約の申込みにおける構成要素であると同時に、同人が大学に入学する資格とその資格を保持し得る権利を取得することの対価であって、在学期間中の教育役務提供の対価ではないというべきであるから、原告は本件学納金の納付により被告大学に入学する資格とその資格を保持し得る権利を取得したのである。したがって、その後、原告が被告大学への入学を辞退したとしても、自ら取得した権利を放棄したにすぎず、不当利得の問題は生じない。
(2) 本件不返還特約は無効ないし原告を拘束しないものといえるか。
(原告の主張)
本件不返還特約は、以下の理由により、その全部又は一部が無効であり、原告を拘束しない。
ア 暴利行為による無効
本件不返還特約は、以下のとおり、被告が、受験浪人となることを回避したいという原告の窮状に乗じて、高額の学納金を取得するために規定されたものであるから、暴利行為に該当し、民法90条により無効である。
(ア) 本件不返還特約は、被告が、入学辞退者に対して教育役務という対価を提供しないで済むにもかかわらず、当該入学辞退者に700万円もの高額の納付済みの学納金返還請求権を放棄させることを内容とするものであるから、被告が、原告に対し、対価性を欠く甚だしく不相当な財産的給付をなすことを約束させた場合に該当する。
この点、被告は、学納金は入学資格取得の対価であると主張するが、本件学納金の費目(授業料、施設拡充費等)をみればこれが入学資格取得の対価でないことは明らかであるし、実質的にも、入学試験の合格者が、入学資格取得のためだけの対価として700万円を超える高額の学納金を支払う理由は存在しない。
また、被告は、本件不返還特約は被告大学の定員を確保するために必要不可欠である旨主張するが、定員確保と学納金不返還とは無関係である。さらに、被告大学には、平成13年度を始めとして現実には定員割れが発生していないことから明らかなように、定員割れの現実的リスクはなく、仮にリスクがあるとしても、被告自身の欠員補充等の努力によって定員割れを回避できるのであるから、その損害を原告に転嫁する合理的な理由はない。
(イ) 本件不返還特約は、被告が、受験浪人となることを何としても回避したい原告ほかの受験生の窮状に乗じて、一方的に本件在学契約の内容となる学則に組み込んだものであって、被告が、入学金以外の学納金を返還するための入学辞退期限を敢えて国立大学後期入試の合格発表日の前日である3月21日に設けたことは、被告が原告ほかの受験生の窮状に乗じて本件不返還特約を規定したことの証左である。
(ウ) 学校法人の公的性格、学校法人はその設置する学校に在学する学生に係る修学上の経済的負担の適正化を図るように努めなければならない旨定める私立学校振興助成法(以下「私学助成法」という。)3条の趣旨、英会話学校等の継続的役務提供契約が役務提供前に解約された場合にその対価の不返還特約を厳しく制限している特定商取引に関する法律(以下「特定商取引法」という。)49条2項2号の趣旨、比較法的視点等に照らしても、本件不返還特約の暴利性は明らかである。
イ 消費者公序違反による無効
一般に、消費者契約においては、事業者が、その圧倒的な交渉力を利用して、一方的に、消費者の利益を犠牲にして事業者に不当に有利な条項が規定されやすいため、このような不公正条項を是正するために消費者契約法が制定されたところ、同法の契約規範の内容は、その制定直前である本件在学契約締結当時、既に社会の公序良俗(消費者公序)の内容をなしていたというべきである。そして、本件不返還特約は、消費者契約法9条1号及び10項に具体化された消費者公序に抵触するものであるから、公序良俗に反し、民法90条により無効である。
ウ 信義則による援用制限
上記アに主張したような本件の個別具体的事情の下では、被告に本件不返還特約の援用を許せば、被告に合理的根拠のない利益を与え、原告に著しく不合理な不利益を与えることになるから、信義則上、被告による本件不返還特約の援用は許されない。
エ 当事者の合理的意思解釈による適用制限
上記の事実によれば、本件不返還特約は、せいぜい、被告大学が入学辞退者の発生によって定員割れが生じた場合の損害を填補することを目的とするものに過ぎない。そうすると、本件不返還特約は、これを上記目的に照らして合理的に解釈する限り、被告大学に現実に定員割れが生じて被告に損害が生じた場合でなければ適用されないというべきである。しかし、被告大学は、平成13年度入学者の定員を確保しており、原告の入学辞退によっても定員割れによる損害を被っていない。したがって、本件不返還特約は、本件に適用されない。
オ 一部無効
仮に上記アないしエの主張が認められないとしても、被告が入学申込者の入学辞退により被る損害は多くとも事務処理費用相当額にとどまるから、本件不返還特約のうち上記損害額を超える部分については少なくとも無効というべきである。したがって、被告の損害は、被告の役務提供が開始される前に解約された本件においては、特定商取引法49条2項、同法施行令16条の各規定に鑑み、1万5000円を超えることはないから、本件学納金から同金額を控除した残額が原告に返還されるべきである。
(被告の主張)
本件不返還特約は、以下にみるとおり合理性があり、その全部又は一部が公序良俗又は信義則に反するものとはいえず、また、制限的に解釈されるべきものでもないから、原告の主張にはいずれも理由がない。
ア 本件不返還特約は、<1>被告が被告大学の定員を満たす優秀な学生を早期に確保するために必要不可欠であり、<2>被告大学への入学意思のない者を早期に確定することにより、繰上合格を早期に実施し、他の受験生が被告大学に進学する機会を保障することにもなるうえ、<3>結果的に、在学生の学費の軽減にも役立っている。
イ 特に、定員確保については、私立大学として一般に定員遵守義務があるだけでなく、被告大学(医学部)においては、他学部と異なって、社団法人日本私立医科大学協会による定員に関する申合せ事項により、入学定員を上回ることも下回ることも許されないため、合格発表後極めて短期間のうちに定員を正確に確定しなければならないところ、被告にとって合格者の被告大学への入学意思の有無は、学納金を納付するかどうかで判断せざるを得ない。したがって、早期に入学意思の固い者を判別して入学定員を確保するため、学納金の納付を含む入学手続を早期に実施することが必須なのである。
なお、原告は、被告が欠員補充等により定員割れを回避できるというが、これが常に可能であるとは限らないし、補欠合格は優秀な学生を確保するためには極力避けるべきことであるから、原告の上記主張は失当である。
ウ また、原告が本件不返還特約の存在を知りながら敢えて本件学納金を納付したのは、受験浪人とならなくて済むという利益を得るためであって、被告大学への入学を辞退したのも、国立大学の後期入試に合格後、被告大学に対する入学を辞退して国立大学に進学する方が、本件学納金が返還されないことを考慮してもなお利益であるという、専ら原告の個人的な事情による利益衡量に基づくものである。したがって、原告には何らの不利益も存在しない。
エ なお、原告は本件学納金の金額が高額に失すると主張するが、医学部の学生1人当たりにつき1年間に要する平均的な費用が1500万円に上ることなどを考慮すれば、原告の上記主張は当たらない。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(在学契約の解除により学納金の返還を求めうるか)について
(1) 在学契約の法的性質及びその成立時期について
ア まず、在学契約の法的性質及びその成立時期について検討する。
大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的として設立されている(学校教育法52条参照)。したがって、大学を設置する学校法人と所定の入学手続を経て当該大学の学生となった者との間に締結される在学契約は、学校法人が、上記目的を達するため、自己の大学に入学した学生に対して教育役務を提供する義務(なお、同義務には、教育の実を上げる機会を実質的に保障するため、大学の施設を利用させることその他の付随義務が包括的に含まれると解される。)を負い、他方、学生が学校法人に対して授業料等の対価を支払う義務を負う有償双務の契約関係であるから、準委任契約を中核とした無名契約と解するのが相当である。また、学則中の大学と学生との関係に関する部分は、約款として、当該在学契約の内容をなしているものとみるのが相当である。
イ そして、大学への入学手続は、一般には、学生募集、願書提出、入学試験、合格発表通知、学納金の納付、入学許可、入学式の挙行の手順で行われるところ、在学契約においては、合格者による学納金の納付を主体とする入学手続の履践がその申込み、学校法人がこれに異議を留めずに受領することが黙示の承諾にそれぞれ該当し、合格者の入学手続の完了により在学契約が成立すると解すべきである(なお、被告大学の学則上は、学長による入学許可が要求されているが〔16条〕、被告において異議を留めることなく原告の入学手続が完了したときは、現実の入学許可を待たずに学長による黙示の入学許可を認めるべきである。)。これに反する原告の主張は、当事者意思に必ずしも合致せず、採用できない。
ウ これを本件についてみるに、前記前提事実によれば、原告は、3月5日に被告大学に対する学納金の納付を含む入学手続を履践し、被告がこれに異議を留めることもしなかったのであるから、同手続が完了した時点である3月5日ころに原告と被告間の本件在学契約が成立したものと認められる(なお、被告大学の学年は4月1日に始まることとされているから、本件在学契約の始期は4月1日と解される。)。
(2) 在学契約の解除により学納金の返還を求めうるか。
ア 上記(1)アのとおり、在学契約は学校法人と学生(入学手続を完了した合格者を含む。)との間の有償の準委任契約を中核とする無名契約と解されるから、学生が学校法人に支払う金銭は、特段の事情のない限り、大学が提供する教育役務に対する費用ないし報酬と解される。
ところで、本件在学契約における本件学納金は、前記前提事実のとおり、<1>入学金、<2>授業料、<3>実習料、<4>施設拡充費及び<5>教育充実費の5種類の費目に区分されているところ、<2>授業料以下の4種類の費用は、個別的には、<2>授業料は授業の受講費用、<3>実習料は実習への参加費用、<4>施設拡充費は施設拡充のための費用、<5>教育充実費は被告の提供する教育役務を充実させる費用であるものの、いずれも、教育役務に対する費用ないし報酬として入学後も出捐が予定されている費用であると認められる。
しかしながら、入学金は、入学時にのみ必要な費用であって、入学手続の完了に伴う大学に入学しうる資格ないし地位を得ることの対価としての性質を持つものであると認められる。これを教育役務に対する費用ないし報酬とみることは、従前、入学金が他の費用と区別して取り扱われてきたという経緯に照らして認め難い。なお、受領された費用の現実の使途から、教育役務に対する費用ないし報酬とみるべき見解は採用できない。
イ 前記(1)に判示したとおり、在学契約は準委任契約を中核とする無名契約と解されるから、委任者たる学生は、大学に対して在学契約を将来に向かって解約する旨の一方的な意思表示(解約告知)をすることにより、いつでも同契約関係を解消することができると解される(民法656条、651条)。
そして、学生は、在学契約を解約した場合において、既に同契約の費用又は報酬たる学納金を前払していたときは、原則として、学校法人に対し、在学契約の解約に基づき、既払学納金のうち、入学金を除く残額の返還を請求することができることになる。
ウ 以上を本件についてみるに、前記前提事実記載のとおり、原告は、3月27日ころ、被告に対して本件在学契約を解約するとの意思表示をしたのであるから、同契約は、同日ころ、解約により終了したことになり、原告は、被告に対し、反対の特約が有効に存在しない限り、入学金を除く本件学納金の返還を請求することができる。
2 争点(2)(本件不返還特約は無効ないし原告を拘束しないものといえるか。)について
(1) 本件不返還特約が暴利行為により無効か否かについて
ア 認定事実
前記前提事実、証拠(甲26、41、乙1、8、9の1、2)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。
(ア) 被告大学の定員は、入学定員が100名、収容定員が600名(各学年100名)である(学則3条2項)。
ところで、私立大学には、一般に定員があり、これに著しく反することは許されないが、被告大学のような医学部ないし医科大学においては、特に入学定員を遵守することが強く要請され、その学生募集については、学則定員100名の大学は定員を厳守するとともに、100名以内にとどめる旨の社団法人日本私立医科大学協会の昭和63年6月9日付理事会申合せ事項が存在し、平成13年度入学試験当時も同申合せ事項の遵守が求められていた。
(イ) 被告大学は、原被告間で本件在学契約が締結された平成13年を始めとして、平成10年度から平成14年度までの間、正規合格者と補欠合格者の繰り上げ合格等により、入学辞退者があっても、結果的には、全て入学定員(いずれの年度も100名)を現実に確保することができ、少なくともこの期間において被告大学に定員割れが生ずることはなかった。
(ウ) 医学部において学生1人につき1年間に要する経費は、本件在学契約当時、私立大学の平均で約1500万円であった。
(エ) 被告大学の運営費は、学生の学納金と国庫補助金及び医療収入などにより賄われてきており、定員超過や定員の割り込みにより文部科学省からの国庫補助金が減額される可能性がある。
(オ) 文部省(当時の名称による。以下同じ。)は、昭和50年9月1日付で、被告を含む文部大臣所轄各大学学校法人に対し、「私立大学の入学手続における学生納付金の取扱について」と題する通知を発し、同通知には、「当該大学の授業を受けない者から授業料を徴収し、また当該大学の施設設備を利用しない者から施設設備費等を徴収する結果となることは、容易に国民の納得を得られないところであり」、「今後少なくとも入学金以外の学生納付金については、合格発表後、短期間内に納付させるような取扱いは避けることとし、例えば、入学式の日から逆算しておおむね2週間前の日以降に徴収することとする等の配慮をすることが適当と考え」る旨記載されている。
イ 判断
上記アに認定した各事実によれば、以下のとおりいうことができる。
(ア) 暴利行為による無効の主張について
a 私立大学には、入学定員があって、これを遵守する義務があり、定員に基づいて財政計画が立てられている。したがって、大学側としては、定員割れが生ずると、大学運営の財政計画に重大な支障をきたすこととなる。特に、私立大学の医学部では、学生1人当たりに年間1500万円以上もの多額の経費を要すること、入学定員も比較的少人数で、被告大学の場合には100名であること、一旦欠員が生じると中途補充ができないため、以後6年間欠員のままになってしまうことから、1人の欠員でも大学に与える財政的影響は多大である。ところが、医学部の場合、上記理事会申合せ事項により、入学者数が入学定員を超えないことが厳格に要求されるため、他学部のように多数の合格者を出して多めに定員を確保することが困難である。したがって、私立大学のうちでも、医学部には、特に、早期に確実に入学定員を確保することが要請されるというべきである。
また、大学側は、入学辞退者が出た場合、定員を確保するためには、年度の当初までに補欠合格により欠員を補充する必要がある。しかし、欠員補充の可能な期間はごく限られているため、欠員補充によって常に定員を確保し得るとの保証はない。また、特に医学部の場合、その教授内容が相当専門的かつ高度であるから、これに適応する学力水準の学生を確保するためには、できるだけ補欠合格による補充を避けた方が望ましい。さらに、入学辞退者が多数に上れば、辞退者が出る度に欠員補充のために、極めて煩瑣な事務手続を要することになると考えられる。以上のように、大学側は、入学辞退者の発生により、定員割れ、欠員補充した学生の学力不足、事務手続の煩雑化等種々の困難な問題に直面し、これにより有形無形の損害を被ることが容易に考えられる。
したがって、大学側が、入学辞退者を極力出さずに早期に入学定員を確保するため、各大学のそれぞれの事情に応じて、一定の期限を設けて学納金を納付させ、これを返還しないこととすることは、合格者につき入学意思のない者を入学手続から排除し、入学手続完了者につき入学辞退を思い止まる動機付けを与え、かつ、入学辞退により発生すべき損害を填補しようとするための手段として、一定の合理性を有するというべきである。
また、在学契約は、学校法人と学生との間の高度の信頼関係に基礎を置くものであるにもかかわらず、入学手続完了者の進路変更という一方的な事情で在学契約が解約される事態が例年現実に生じている以上、そのような事態に備えて、あらかじめ、大学側が相当の違約金を定めたとしても、これを単純に反社会的であるとして非難することはできない事情もあるといえる。
b 他方、原告は、本件不返還特約により、入学を辞退した場合、被告大学における教育役務の提供を受けられないにもかかわらず、既に納付した700万円の学納金が返還されないという不利益を受けることになる。
しかし、原告は、本件不返還特約の存在を知悉しながら、本件学納金を納付し、入学辞退期限までに被告に対する入学辞退の意思表示をしなかったことが認められるのであるから、その判断は、国立大学の後期入試に不合格となることによる不利益を回避するためには、上記700万円程度の出捐はやむを得ないとの利益衡量に基づくものであると解される。殊に、被告大学は医科大学であり、医学部卒業者の大多数が一般に高い社会的地位や安定した収入等を得られる医師になることに照らせば、原告の上記利益衡量は、単に受験浪人を回避したいという消極的な観点からなされたというにとどまらず、被告大学に入学して医師となる資格をとりあえず確保したいという観点からなされた可能性も否定し難い。したがって、原告は、結果的に、上位志望校である国立大学の後期入試に合格したため被告大学への入学を辞退することとなり、上記学納金の返還を受けられなくなったとしても、それ相応の利益(原告自身の判断で本件学納金返還請求権以上の価値を与えた利益)を受けたというべきである。
そして、原告は、専ら原告が上位志望大学に入学するためという一方的な事情に基づいて被告大学への入学を辞退したのであるから、自ら進んで被告大学における教育役務の提供を受ける権利を放棄したものというほかない。
なお、後期入試の合否にかかわらず被告大学で医学教育を受ける資格を得たという原告側の利益状況に加え、医学教育では学生1人当たりに年間約1500万円もの高額の費用を要することなど被告側の事情も考慮すれば、本件学納金が入学金を除いて612万円に上ることをもって高額に過ぎるとまではいえない。
また、原告は、学納金の早期納付とその不返還特約の制度により、受験生の大学選択の自由、学問の自由等が侵害されると主張する。しかし、仮に上記制度がなくとも、受験生は最終的には1つの入学先を決めなければならないのであるから、上記制度の存在により受験生が入学先の決定を迫られる時期が多少早まったからといって、直ちに受験生の大学選択の自由、学問の自由等が侵害されるものとはいい難い。
c 以上を要するに、本件不返還特約は、確かに原告の700万円以上もの学納金返還請求権を放棄させる点で原告に不利益であるが、原告は、自ら最も適当と考える利益衡量の結果、上記不利益を甘受することを決断し、同条項を内容とする本件在学契約を締結してこれに拘束される意思を表示したものであり、かつ、原告は、学納金を納付する対価として相応の利益を受けているものであるから、本件不返還特約が、原告の窮迫に乗じて甚だしく不相当な財産的給付を約束させるものであったとまで認めることはできず、同特約を暴利行為として全部又は一部を無効とすべき根拠は見出し難いというべきである。
d なお、前記認定事実のとおり、文部省が、昭和50年の時点で、当該大学において教育役務の提供を受けない者から学納金を徴収する結果となることは国民の納得を得られない旨の認識を示していた事実が認められるが、学納金不返還特約は、本件在学契約当時である平成13年度の大学入学試験当時においても、大多数の私立大学がこれを設けていたのであるから(公知の事実)、文部省が昭和50年の時点で上記のような認識を有していたことをもって、本件不返還特約について、その当否の問題を超えて、公序良俗に反するものとの認識が社会一般に浸透していたものとまでは直ちに断ずることができないというべきである。
(イ) 消費者公序違反による無効の主張について
法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは、法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきであるところ、原告は、消費者契約における公序良俗の内容は、消費者契約法が立法されるに至った社会的背景の中で変容し、本件在学契約締結の時には、既に、本件不返還特約のような、入学辞退者の犠牲において学校法人が何ら対価を支払うことなく学納金を保持することが消費者契約における公序良俗に反するに至った旨主張する。
しかし、<1>消費者契約法が同法施行後(平成13年4月1日以降)に締結された消費者契約について適用する旨明定していること(同法附則)、<2>同法の適用範囲が事業者と消費者との間で締結される契約(労働契約を除く。)全般という、極めて広範囲に及ぶこと、<3>同法は、その定める契約規範に抵触する契約を全部又は一部無効ないし取り消し得るものとしており、極めて強い効力を持つため、これを遡及的に適用すれば法的安定性を著しく害するおそれがあること、<4>本件全証拠によっても、同法の契約規範が、本件在学契約当時、社会的に広く認知され、同規範に反する契約が反社会的なものとして無効とされるべきであるとの社会的認識が形成されていたというような事情は認められないことなど諸般の事情に鑑みれば、同法の定める契約規範は、消費者保護のために政策的に創設されたものと認めるのが相当であって、同法施行以前の消費者契約における公序良俗の内容を確認したものと解することはできず、原告の上記主張は採用できない。
(ウ) 信義則違反による援用制限の主張について
原告は、被告による本件不返還特約の援用が信義則に反する旨主張するが、前記(ア)に判示したところに照らし、上記原告の主張は採用できない。
(エ) 当事者の合理的意思解釈の主張について
原告は、本件在学契約当事者間の合理的意思解釈によれば、本件不返還特約は原告の入学辞退によって現実に被告に損害が発生した場合に限って適用されるべきである旨主張する。しかし、同特約は、損害賠償額の予定条項であるから、その趣旨は、被告が、原告ほか入学手続完了者に対し、個別的に損害の発生及びその額を立証するという困難を回避することにあるというべきであって、これを、被告に具体的な損害が発生した場合にしか適用されないとすることは、上記趣旨を完全に没却することになり、相当でなく、原告の上記主張は採用できない。
(オ) 一部無効の主張について
また、原告は、被告が入学辞退によって被る損害は事務処理費用相当額にとどまるとして、役務提供事業者が特定継続的役務提供契約が解除された場合に取得し得る損害賠償額の予定又は違約金の定めについて制限を加える特定商取引法49条2項2号との均衡上も、本件不返還特約を少なくとも一部無効とすべき旨主張するが、在学契約は、年度ごとに限られた期間内に入学定員に即した人数の入学希望者を募る必要があり、その継続期間も医学部の場合6年と長いため、上記法条が予定する随時募集が可能な特定継続的役務提供契約とは、解除された場合に役務提供者の受ける不利益の程度が相当異なると考えられ、上記両者を単純に比較することはできない上、本件不返還特約が具体的な損害を前提とした合意ではないことから、原告の上記主張は採用できない。
(2) 小括
以上によれば、原告の主張はいずれも採用できない。
第4 結論
よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法61条を適用して、主文のとおり判決する。