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大阪地方裁判所 平成15年(わ)8095号 判決 2005年1月20日

主文

被告人B及び被告人Eをそれぞれ禁錮1年6月に、被告人Dを禁錮1年に処する。

被告人B、被告人E及び被告人Dに対し、この裁判が確定した日から3年間それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人A及び被告人Cは無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人B(以下「被告人B」又は単に「B」という。)は、大阪市淀川区(以下省略)所在の西日本旅客鉄道株式会社鉄道本部運輸部新大阪総合指令所(以下「指令所」という。なお、以下で西日本旅客鉄道株式会社を「JR西日本」という。)において、指令所の副総括指令長として、総括指令長である被告人A(以下「被告人A」又は単に「A」という。)を補佐し、所属指令員等が行う列車指令業務等を指揮監督するとともに、人身事故等が発生した場合、自ら率先して事故現場の情報を入手し、自ら、あるいは所属指令員に指示してその処理に当たる業務に従事していたもの、被告人D(以下「被告人D」又は単に「D」という。)は、被告人A及び同Bの指揮の下、指令所の指令員として、人身事故等が発生した場合、運転線路の変更指示及び列車乗務員との無線交信等の列車指令をする業務に従事していたもの、被告人E(以下「被告人E」又は単に「E」という。)は、JR西日本大阪支社尼崎駅(以下「尼崎駅」という。)運輸管理係員として、改札及び駅構内の転てつ機の清掃並びに人身事故等が発生した場合、事故現場に赴き、死者又は負傷者の監視、警察や消防との対応及び事故現場付近における安全確保に当たるなどの業務に従事していたものであるが、平成14年11月6日午後7時11分ころ、指令所が列車の運行を管理する同区加島<番地略>JR西日本塚本駅構内50号鉄柱から西方約5メートルの東海道本線下り外側線(以下「事故現場」という。)において、大阪駅発姫路駅行き下り新快速電車(列車番号3643M。以下単に「新快速電車」という場合には同列車を指す。)が線路敷地内に立ち入ったX(以下「X」という。)に接触し、同人をその場に転倒させて傷害を負わせる人身事故(以下「第1次事故」という。)が発生したため、新快速電車が事故現場の西方約321.9メートルで停車し、その後方を走行中の新大阪駅発豊岡駅行き下り特急電車北近畿17号(列車番号3027M。以下「北近畿」という。)が事故現場の東方約34.9メートルで停車し、さらに、その後続列車である京都駅発鳥取駅行き下り特急列車スーパーはくと11号(列車番号61D。以下「スーパーはくと」という。)が被告人Aの指示により大阪駅に停車して待機し、同日午後7時30分ころ、尼崎駅から被告人E及び同駅運輸管理係員F(以下「F」という。)が事故現場に赴き、同日午後7時35分ころ、新快速電車の運転士が被告人Eらにその後の対応を託して出発し、間もなく事故現場に警察官及び救急隊員らが到着してXの救助活動が行われることとなった際

第1  被告人B及び同Dについては、指令所において、第1次事故の処理を指示していた副総括指令長又は指令員であったところ、Xがまだ事故現場付近に所在しており、間もなく事故現場付近で警察官及び救急隊員らによりXの救助活動が行われる状況にあったことから、同所における安全を確認しないまま後続列車の運転を再開させれば、救助活動中の救急隊員らを走行する列車に接触させて死傷事故を発生させるおそれがあったのであるから、このような場合

1  被告人Bは、前記業務に従事していた副総括指令長として、事故現場付近にいる北近畿の乗務員及び被告人Eと連絡を取り合い、自ら、あるいは所属指令員等を指揮監督して、Xの所在場所及び東海道本線下り外側線路(以下「外側線路」という。)との距離、救急隊員らの到着の有無及び救助活動の現況等を把握し、後続列車が事故現場を走行する際の同所付近の安全を確認した上で後続列車の運転再開を指示するとともに、同所付近における進行速度等について的確な指示を行い、死傷事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、北近畿が事故現場を通過したと知るや、その後続列車も同所を通常速度で走行するのに支障はなく、同所付近の安全は被告人Eらにおいて確保するものと軽信し、その安全を確認することなく、スーパーはくとに運転再開を指示するとともに、同所付近での進行速度等について的確な指示をしなかった過失により

2  被告人Dは、第1次事故の処理に関して指令員の職務を行っていた被告人C(以下「被告人C」又は単に「C」という。)の要請を受け、北近畿の乗務員に対し、その後続列車が事故現場を走行する際の支障の有無を確認するに当たり、同乗務員から、Xの所在場所及び外側線路との距離並びに北近畿の後続列車が同所を走行する際の進行速度等を聞き出し、その支障の有無を的確に確認して指令所内に伝え、死傷事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同乗務員から、北近畿が同所を通過したと聞くや、北近畿が最徐行で事故現場を通過しており、同乗務員が、後続列車も同所を最徐行で走行するよう要請していたにもかかわらず、同要請を聞き漏らし、後続列車が同所を通常速度で走行するのに支障はなく、同所付近の安全は被告人Eらにおいて確保するものと軽信し、後続列車の走行に関する支障の有無を的確に聞き出さず、かつ、同乗務員の前記要請を把握して指令所内に伝えなかった過失により

第2  被告人Eは、事故現場において、同所に警察官3名及び救急隊員ら5名が到着し、同所線路脇の狭隘な場所でXの救助活動を行っている状況を認識する一方、指令所からの連絡により、間もなくスーパーはくとが同所に走行して来ることを知っていたものであるところ、そのまま放置すれば、救助活動中の救急隊員らが同列車に接触して死傷するおそれがあったのであるから、このような場合、救助活動等のため軌道敷内に立ち入る者の安全を確保すべき業務に従事する係員としては、指令所に対し、尼崎駅を通じるなどして同所で現に救助活動が行われている状況を逐次連絡し、救助活動の終了まで、スーパーはくとの停車、あるいは、その事故現場直前での停止又は最徐行等を要請するとともに、同救急隊員らに対し同所に列車が走行して来る可能性がある旨を知らせた上、同行した係員のFと手分けして、接近する列車の監視をし、その接近を確認した場合には、直ちに同救急隊員らに列車の接近を知らせて退避の指示をするなどして、死傷事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、北近畿が同所を最徐行で走行したことから、その後続列車も同様に走行するものと軽信し、何らの措置も講じなかった過失により

同日午後7時46分ころ、前記塚本駅構内50号鉄柱から西方約9.5メートルの東海道本線下り外側線南側軌道敷内において、折からXの救助活動に従事していた大阪市消防局淀川消防署勤務の消防士長Y1(当時28歳)に対し、大阪駅方面から時速約100キロメートルで進行してきたスーパーはくとの先頭車両前部を接触させて同人を跳ね飛ばし、同じく救助活動中の同Y2(当時29歳)と衝突させた後、同所南側に設置された鉄柵に激突させ(以下「第2次事故」という。)、よって、即時同所において、前記Y1を胸部大動脈挫傷による失血により死亡させるとともに、前記Y2に対し、全治までに約70日間を要する右上顎骨骨折、左前額部挫創及び左大腿部打撲の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(争点に対する判断)

第1  検察官及び弁護人の主張等

1  検察官の主張

検察官は、被告人らの過失については、まず、被告人らは輸送業務に従事する者として人命に危害を及ぼすことのないようにするための「万全の安全確保」(JR西日本の規程)を図る義務があることを前提としつつ、個々の被告人について以下のような過失があると主張する。

(1) 被告人A

被告人Aに対する公訴事実の要旨は、「被告人Aは、指令所において、指令所の総括指令長として、副総括指令長以下の所属指令長及び指令員を指揮監督し、指令所が運行を管理する路線における列車の運転状況の監視並びに人身事故等が発生した場合の列車の運転抑止及び運転再開等の列車指令業務等を総括する業務に従事していたものであるが、平成14年11月6日午後7時11分ころ、指令所が列車の運行を管理する事故現場において、第1次事故が発生したため、新快速電車が事故現場の西方約321.9メートルで停車し、その後方を走行中の北近畿が事故現場の東方約34.9メートルで停車し、さらに、その後続列車であるスーパーはくとが被告人Aの指示により大阪駅に停車して待機し、同日午後7時30分ころ、尼崎駅から被告人E及びFが事故現場に赴き、同日午後7時35分ころ、新快速電車の運転士が被告人Eらにその後の対応を託して出発し、間もなく事故現場に警察官及び救急隊員らが到着してXの救助活動が行われることとなった際、被告人Aについては、指令所において、第1次事故の処理を指示していた指令長であったところ、間もなく事故現場で警察官及び救急隊員らによりXの救助活動が行われる状況にあったことから、同人がまだ事故現場付近に所在しており、同所における安全を確認しないまま後続列車の運転を再開させれば、救助活動中の救急隊員らを走行する列車に接触させて死傷事故を発生させるおそれがあったのであるから、このような場合、被告人Aは、前記業務に従事していた総括指令長として、副総括指令長以下の所属指令長及び指令員が、Xの所在場所、外側線路との距離、救急隊員らの到着の有無及び救助活動の現況等を把握し、後続列車が事故現場を走行する際の同所付近の安全を確認した上で後続列車の運転再開を指示するとともに、同列車の同所付近における進行速度等について的確な指示を行うよう指揮監督し、死傷事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、自らスーパーはくとの停車を指示したのみで、同列車の運転再開等に関し所属の副総括指令長及び指令員に対して何らの指示もせず、被告人Bが事故現場の安全を確認しないままスーパーはくとに運転再開を指示したことを看過するなど、副総括指令長及び指令員がなした運転再開の指示状況を何ら把握、確認せず、指揮監督を怠った過失により、同日午後7時46分ころ、前記塚本駅構内50号鉄柱から西方約9.5メートルの東海道本線下り外側線南側軌道敷内において、第2次事故を発生させ、よって即時同所において、前記Y1を胸部大動脈挫傷による失血により死亡させるとともに、前記Y2に対し、全治までに約70日間を要する右上顎骨骨折、左前額部挫創及び左大腿部打撲の傷害を負わせたものである。」というものである。

すなわち、被告人Aには、総括指令長として、副総括指令長及び指令員が事故現場付近の状況を把握した上でスーパーはくとの運転再開(抑止解除)を指示し、さらにスーパーはくとの進行速度についても的確な指示を出すよう、指揮監督する義務があったのに、副総括指令長及び指令員に対し、何らの指示もしなかった点に過失があるとする。

(2) 被告人B

被告人Bには、副総括指令長として、事故現場付近の列車の乗務員や被告人Eと連絡を取り合い、あるいは指令員を指揮監督して、事故現場付近の状況を把握し、同所付近の安全を確認した上でスーパーはくとの運転再開(抑止解除)を指示し、スーパーはくとの進行速度について的確な指示を出す義務があったのに、同所の通過には支障がなく、同所付近の安全は被告人Eらが確保すると軽信して、スーパーはくとの運転再開の指示を出し、同所付近のスーパーはくとの進行速度について的確な指示をしなかった点に過失があるとする。

(3) 被告人C

被告人Cに対する公訴事実の要旨は、「被告人Cは、指令所の波動計画団臨担当として臨時列車の運用調整の業務に従事するほか、指令所から人身事故等の処理につき応援要請があれば、被告人A及び同Bの指揮の下、指令員として、列車乗務員との無線交信等の列車指令をする業務に従事していたものであるが、平成14年11月6日午後7時11分ころ、指令所が列車の運行を管理する事故現場において、第1次事故が発生したため、新快速電車が事故現場の西方約321.9メートルで停車し、その後方を走行中の北近畿が事故現場の東方約34.9メートルで停車し、さらに、その後続列車であるスーパーはくとが被告人Aの指示により大阪駅に停車して待機し、同日午後7時30分ころ、尼崎駅から被告人E及びFが事故現場に赴き、同日午後7時35分ころ、新快速電車の運転士が被告人Eらにその後の対応を託して出発し、間もなく事故現場に警察官及び救急隊員らが到着してXの救助活動が行われることとなった際、被告人Cについては、指令所において、第1次事故の処理を指示していた指令員であったところ、間もなく事故現場で警察官及び救急隊員らによりXの救助活動が行われる状況にあったことから、同人がまだ事故現場付近に所在しており、同所における安全を確認しないまま後続列車の運転を再開させれば、救助活動中の救急隊員らを走行する列車に接触させて死傷事故を発生させるおそれがあったのであるから、このような場合、被告人Cは、被告人Dを介して、北近畿の乗務員に対し、その後続列車が事故現場を走行するに際しての支障の有無を確認するに当たり、同乗務員から、Xの所在場所、外側線路との距離及び北近畿が同所を走行する際の進行速度等を聞き出すなど、前記支障の有無を的確に確認した上、指令所内に伝え、死傷事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、被告人Dから、同乗務員が運転に支障ない旨返答したと聞くや、北近畿が最徐行で事故現場を通過しており、同乗務員が、後続列車も同所を最徐行で走行するよう要請していたにもかかわらず、後続列車も同所を通常速度で走行するのに支障はなく、同所付近の安全は被告人Eらにおいて確保するものと軽信し、後続列車の走行に関する支障の有無を的確に聞き出さず、かつ、同乗務員の前記要請を把握して指令所内に伝えなかった過失により、同日午後7時46分ころ、前記塚本駅構内50号鉄柱から西方約9.5メートルの東海道本線下り外側線南側軌道敷内において、第2次事故を発生させ、よって即時同所において、前記Y1を胸部大動脈挫傷による失血により死亡させるとともに、前記Y2に対し、全治までに約70日間を要する右上顎骨骨折、左前額部挫創及び左大腿部打撲の傷害を負わせたものである。」というものである。

すなわち、被告人Cには、被告人Dを介して、北近畿の乗務員に対してその後続列車が事故現場を走行する際の支障の有無を確認するに当たって、同所付近の状況を把握して、その支障の有無を的確に確認してそれを指令所内に伝える義務があったのに、北近畿の乗務員が最徐行要請をしていたにもかかわらず、被告人Dが運転に支障がない旨を同乗務員が返答したと伝えたことを軽信し、後続列車の同所の通過には支障がなく、同所付近の安全は被告人Eらが確保すると軽信して、後続列車の走行に関する支障の有無を的確に聞き出さず、北近畿の乗務員の最徐行要請を指令所内に伝えなかった点に過失があるとする。

(4) 被告人D

被告人Dには、北近畿の乗務員に対してその後続列車が事故現場を走行する際に支障の有無を確認するに当たって、同現場の状況を把握して、その支障の有無を的確に確認してそれを指令所に伝える義務があったが、北近畿の乗務員から最徐行要請があったにもかかわらず、北近畿が同所付近を通過したと聞くや、後続列車の同所付近の通過にも支障がないと軽信し、同所付近の状況等を的確に聞き出さず、最徐行要請も指令所内に伝えなかった点に過失があるとする。

(5) 被告人E

被告人Eには、事故現場において、スーパーはくとが間もなく同所を通過することを知っていたにもかかわらず、同所におけるXの救助活動の状況等について指令所に逐次連絡し、救助活動が終わるまでスーパーはくとの停車等を依頼するとともに、救急隊員らに対し列車が走行してくる可能性を知らせた上、接近する列車の監視をして、列車の接近を確認したら、救急隊員らに列車の接近を知らせて退避の指示をするなどの義務があったのに、それらを怠った点に過失があるとする。

2  弁護人の主張

(1) 被告人A

被告人Aは、本件当時、指令所内において、総括指令長として勤務をしていたが、第1次事故の発生を聞くや、後続列車のうち新快速電車については、下り内側線を走行させるよう指示し、スーパーはくとについては大阪駅での待機を命じた。したがって、被告人Aは、第1次事故発生直後には、安全確保のための措置を講じている。そして、被告人Aは、その後の措置については被告人Bらに委ねて、自身は琵琶湖線(東海道本線。以下、JR西日本の各路線については、指令所内における呼称を用いることがある。)の安土駅と近江八幡駅間の踏切において重機車両が送電用架線を切断したという架線事故(以下「架線事故」という。)の処理に専念していたが、指令所においては、いったん抑止された列車の抑止解除については、特段上司に報告し指示を仰ぐことは要求されておらず、そのような運用もなされていなかったのであるから、被告人Aが、被告人Bらが適切な抑止解除を行うと信頼した点は刑法上の保護に値するのであって、被告人Aには過失はない。

また、検察官の主張する被告人Aの過失行為と第2次事故発生の間には、因果関係もなく、被告人Aには第2次事故の発生についての予見可能性もなかった。

(2) 被告人B

被告人Bについては、第1次事故について、後続列車である北近畿などが現場を通過した以上、事故現場付近を後続列車が通常走行することについて支障がないと判断したことには明白な誤りがあったとはいえない。しかしながら、被告人Bが携帯電話機を利用して被告人Eに対し、現場の状況を再確認した上で抑止解除の指示を出さなかった点は、これを過失と評価されてもやむを得ない。

(3) 被告人C

被告人Cは、被告人Dに対し、北近畿の乗務員から後続列車の運行に関して支障の有無を聞き出させ、その回答を得て、これを信じて次の行動に出ているのであって、被告人Cには、さらに被告人Dの報告を疑い、再確認をする義務はなかったのであるから、過失はない。

(4) 被告人D

被告人Dについては、北近畿の乗務員による後続列車に関する最徐行要請を聞き落とした点について過失があることは否定し得ない。

(5) 被告人E

被告人Eについては、指令所に対し、事故現場の状況等を連絡すべきであり、その点についての過失は否定し得ないが、従来からの慣行によれば、指令所が主導的に情報収集や情報提供を行ってきたのであって、被告人Eの過失責任は副次的かつ軽微なものである。

3  そこで、以下、当裁判所が被告人B、同D及び同Eにつき業務上の注意義務の懈怠を認めて過失犯の成立を肯定し、被告人A及び同Cについて過失犯の成立を否定した理由について補足して説明する。

第2  当裁判所の認定した事実

関係各証拠から認められる過失犯の成否に関する前提事実は以下のようなものである。

1  新大阪総合指令所の構成及び業務体制

指令所は、JR西日本の京都支社、神戸支社及び大阪支社の管理する線区を運行する列車について指令業務等を行っている。平成14年7月以降、指令所にJR京都・神戸線システムと称する新しい運行管理システムが導入されたことにより、指令所では、東海道本線草津駅から山陽本線西明石駅の間を走行する列車については、運行状況を指令室の壁面に設置された大画面(JR京都・神戸線大画面描写装置)やモニターで確認して、運転整理や信号機の操作等を指令所で一括して行うことができるようになった。

平成14年11月6日当時の指令所の指令業務を行う人的構成は次のとおりである。

まず、管理職である指定職として、所長(JR西日本内での役職名は鉄道本部運輸部担当部長)であるG1を頂点に、所長を補佐するとともに担当マネジャーを統括する副所長(同社内の役職名はマネジャー)のG2(以下「G2」という。)、4人の担当マネジャー(うち3人は3人の総括指令長に対応)があり、その下に3名の総括指令長とその下でそれぞれ実際の指令業務を行う約44名からなる3つのグループがある。

この3つのグループは、総括指令長(西日本指令業務の統括等を行う。)を頂点に、その補佐等をする副総括指令長、列車指令長(列車運行管理業務の統括及び輸送計画の調整等を行う。)等の各指令長、JR京都・神戸線システム指令長(北陸、東海道、山陽及び赤穂の各線の指令業務の統括、輸送計画及び輸送手配等を行う。)等の各線区指令長、各副線区指令長及び各指令員(神戸線外側(A・B)、神戸線内側など各線の一部を担当)によって構成されている。

各総括指令長の率いる3つのグループは、いずれも24時間勤務に就き、3交替で順次指令業務を行っている。なお、指令所にはその他にも列車運行の輸送計画の立案等を行う輸送波動担当の職員が配置されているが、これらの職員も基本的には指令員経験者であり、輸送指令業務が繁忙な場合には、応援として輸送指令業務を行うことがある。

2  指令員の職務内容等

(1) 指令員の具体的職務内容

各指令員の職務内容は列車の運行状況の把握及び運転整理である。

JR京都・神戸線システム導入区間については、各指令員は、大画面のほか、担当する区間に対応した卓と呼ばれる机の上にある制御CRT画面を通じて、同区間を運行中の列車のおおよその位置(在線位置)等の運行状況を随時把握し、監視することができる。また、各指令員は、制御CRT画面を通じて、担当区間の出発信号機等の操作ができる。

そして、各指令員は、必要が生じれば、整理GD画面を通じて、列車の順序変更、着発線変更、順序保留、運転線路変更、時刻変更、運転休止等の変更入力を行う。その際、各指令員は、まず、前記のような変更内容をシステムに入力するとともに、関連する各列車に対し、無線で直接又は駅を介して電話で通告し、その通告後、実際に信号機や転てつ機が変更され、列車の運行が整理されることとなる。なお、各指令員の卓上には、卓台無線と呼ばれる、どの区間の列車の乗務員と話しているのかが一覧されるモニター及びそれに対応する無線の送受器(送受器の形状は電話機のような形であり、受話器で相手と交信するが、その受話内容が周囲に聞こえる構造ではない。)、並びに、同様にどこの駅と話をしているのかが一覧される卓台電話のモニター及びそれに対応する送受器が設置されており、各指令員が随時、各列車乗務員あるいは各駅と連絡を取れるようになっている。

(2) 指令員の職務権限

次に、事故等が発生した場合の処理につき、指令員が具体的にどの範囲の事項について、指令長等の指示なくしてできるのかについて検討する。

まず、列車の運転を抑止することは、指令員の判断でできる。次に、列車の運転抑止を解除(運転を再開)するについて、指令員の判断で行えるかであるが、関係各証拠を検討すると、指令員は、その固有の権限として、運転抑止のみならず、抑止の解除まで独自の判断で行うことが可能であるとされていた。しかしながら、各指令員は、抑止解除については、慎重を期する趣旨から先輩指令員や指令長等の上司に助言等を求めることもあり、特に経験の浅い指令員は、先輩指令員や指令長等の上司の助言を求める傾向が強い実情にあった。もっとも、助言を求めることにより実質的な裁定を上司等に委ねるかどうかは、あくまでも担当指令員の判断によるものであり、各指令員も必要に応じて助言等を求めるにとどまっており、他方、指令長等も、事故等が発生した場合には自ら指示等を出すこともあるが、助言を求められてはじめて自分の判断を伝えることも多かった。ただし、人身事故や列車事故の場合の抑止解除については、総括指令長や副総括指令長が助言することが多い実情にはあった。

以上からすると、指令員は、原則として各自の判断で列車の抑止とその解除をすることができるものの、その実態としては、必要に応じて各指令員が先輩・上司等に助言を求めていたことがうかがえ、事故等の規模や重大性等により必要性があれば、指令長あるいは総括指令長や副総括指令長が自ら判断し、各指令員がそれに従って行動することも十分あり得たということができる。

3  本件当日の事実経過

(1) 平成14年11月6日、指令所は、Aが総括指令長を務めるグループ(以下「Aグループ」という。)が指令業務を担当した。

同日、Bは午前8時ころ、Cは午前8時40分ころ、Aは午前8時50分ころ、Dは午前9時30分ころに指令所に出勤した。Aは前日の勤務員であるH総括指令長より引き継ぎを受け、B、C及びDはいずれも通常の業務に就いた。なお、Cは、自身が所属する輸送波動担当の部署で勤務し、Dは、同日は、通常担当していた京都外側線Aではなく、内側線機動を担当することとなっていたので、内側線機動の指令員として職務に就いていた。

(2) 同日は、昼過ぎまでは、特段何もなかったが、午後2時過ぎころ、琵琶湖線の安土駅と近江八幡駅の間に所在する高川踏切において、アーム付きの自動車(ユニック車)が、アームを上げたまま踏切内に侵入した際に、架線にアームがひっかかり、架線を切断するという架線事故が発生した。架線事故の発生は、同日午後2時25分、指令所内の電力指令に架線が停電した旨の表示が出て、停電事故発生との一報が指令所に入り、所内にその旨の一斉放送が流れた。そして、同線等を担当していたI指令員が、停電事故の原因が架線の切断であることをAに報告した。この架線事故により、琵琶湖線は上下線とも電車が止まり、上り線は約135分、下り線は約285分停車したため、合計34本の列車が運休し(上り16本、下り18本、いずれも部分運休)、13本の列車が5分から289分遅延し、約2万人の乗客に影響を与えた。なお、JR西日本は、架線事故を受けて、同日午後2時50分から午後7時30分まで近江鉄道による振替輸送を行うとともに、午後3時23分から午後7時50分までの間、彦根駅と野洲駅の間で、合計28台のバスによる代行輸送を行った。

架線事故の発生後、指令所では、J列車指令長らが、列車ダイヤの乱れに対応するため、列車の運行計画(以下「輸送計画」という。)を立て始め、Aも自分の机で情報収集を行う傍ら、応援のために指令室内に入ってきていた波動担当の職員に応援に入る部署を指示するなどしていた。Bは、架線事故が相当に大きな事故に発展すると考え、滋賀県下に住んでいる総括指令長のK(以下「K」という。)と携帯電話機で連絡を取り、Kに架線事故の現場に赴き情報収集をするよう依頼して、定期的にKと携帯電話機で連絡を取り合い、架線事故についての情報収集を行った。Cは、前記のように波動担当として勤務していたが、指令室からの応援要請に応じて指令室に入り、J列車指令長らが行っていた輸送計画を、関連する指令員の卓に連絡する作業を第1次事故の発生まで行っていた。Dは、Aが指示した新快速電車の草津駅での折り返し運転についての入力等を手伝うために、京都線外側Aを担当していた指令員のL(以下「L」という。)の隣で、入力作業等を行っていた。

架線事故の復旧には相当な時間を要し、まず、上り線のみが同日午後5時ころに復旧し、下り線は同日午後7時ころに復旧したが、上下線ともに長期間にわたり列車が止まったため、琵琶湖線を中心に列車ダイヤには大幅な混乱が生じていた。

(3) 同日午後7時ころ、Xは、友人らと東海道本線の地下を通っているJR東西線の加島駅の近くにおいて、探偵ごっこという、鬼ごっこのような遊びをしていた。Xは、線路の脇から友人らのいる方へ行くと面白いと考え、事故現場近くの同駅竹島西出入口付近の東海道本線の線路脇に入り、その線路脇を走るなどしていたところ、午後7時11分ころ、同所を通過していたN1(以下「N1」という。)運転の新快速電車に接触し、全治約3週間を要する頭蓋骨骨折、脳挫傷及び全治約2か月間を要する左肩甲骨骨折、腰部打撲の傷害を負うという、第1次事故が発生した。新快速電車は事故現場の西方約321.9メートルの地点に停車し、その後続の北近畿も事故現場の東方約34.9メートルの地点に停車した。

(4) 同日午後7時12分、N1は、指令所に無線で連絡をし、無線を受けた指令員のM(以下「M」という。)に対し、「3643M運転士、塚本尼崎間、人身事故。」と伝えた。Mは、指令所内において、大声で、「3643M、人身事故発生。」と言い、第1次事故の発生を指令所内に伝えた。これを聞いたBが、それを指令所内に一斉放送するように指示し、Dが「3643M塚本尼崎間で人身事故です。詳細は確認中です。」と一斉放送し、第1次事故の発生が指令所内に伝わった。Cは、人身事故発生の報を聞き、神戸線外側A塚本神戸間の指令員の卓が空いていたので、その卓に向かい、隣にいたMが入力作業に専念していたことから、同卓の無線機で、乗務員等との交信を行うこととした。

Mは、N1に新快速電車の停車位置を確認したところ、第2閉そく信号機手前との回答があった(ただし、実際には新快速電車は第2閉そく信号機を過ぎて停車していた。)ので、隣にいたCと相談して、新快速電車の車掌に事故現場を確認に行くよう指示を出した。新快速電車の車掌を務めていたN2(以下「N2」という。)は、事故現場に赴き、倒れているXとその傍らにいた友人を見付け、動かないように指示をした上、新快速電車に戻り、同日午後7時17分、無線で指令所のCに「宮原からの貨物線との合流地点、少し淀川寄りのところ。」と報告した上、さらに「貨物線との合流地点の塚本より、まだ子供、少年で、まだ息があります。救急車の手配をお願いします。」と述べた。そこで、Cは、「怪我人がいるので、救急車手配して下さい。」と指令所内に向けて言った。

このころ、Aは、モニターで新快速電車の後続にも2本の新快速電車(列車番号は3645Mと3647Mである。)が大阪駅に到着することを把握したので、これらの後続列車を抑止するため、Bに「列車止めてくるわ。」と述べて、指令員の卓の方へ移動した。その間、Bは架線事故の処理のため、Kとの連絡を引き続き行っていた。

Aは、LとDに、この2本の後続列車について、第1次事故の現場付近を、負傷者らが近くにいる外側線ではなく、内側線を走行するよう運転線路の変更をするように指示し、併せて、「新快だけでええやろ。61Dは夕通(注:夕通勤時間帯の意)やし、止めといたらええやろ。」と述べ、スーパーはくとについては大阪駅において抑止するよう指示をした。そこで、Dは、新快速電車(3645M)の線路変更を入力するとともに、同日午後7時15分及び19分に、同列車の運転士と交信をするなど、同列車の線路変更の処理を行い、Lがもう1本の新快速電車(3647M)の乗務員への連絡を大阪駅の駅員に指示するなどした。また、指令員のO(以下「O」という。)は、スーパーはくとの抑止の手配をした(なお、Oの供述調書では同人に対してこの指示をしたのはBとなっているが、関係証拠に照らせば、Aであることは明らかである。)。

Aは、引き続き、架線事故の処理をするため、I指令員らの卓の方へ行き、その後は、策定された輸送計画を具体的に実行するための指示を行っていた。

(5) 旅客担当指令員であったP(以下「P」という。)は、第1次事故の発生を受けて、尼崎駅に電話をして、駅員が携帯電話機を持って事故現場に赴くよう指示した。Eは、尼崎駅で勤務をしていたが、Pの要請を受け、同駅で勤務をしていたFを伴って、尼崎駅に備え付けてあった携帯電話機(以下「本件携帯電話機」という。)を持って、同日午後7時22分尼崎駅発の普通列車で事故現場へ向かった。

Pは、尼崎駅に連絡を入れた後、塚本駅にも連絡をして、同駅の係長であったQ(以下「Q」という。)に第1次事故の発生を伝え、現場に行くよう指示するとともに、救急車の手配を依頼した。また、Pは、同日は非番であったが架線事故の処理を手伝うために指令所にいた、副総括指令長のR(以下「R」という。)の指示で、救急隊が事故現場の場所が分からない場合に備えて、案内するようにQに指示し、同駅に備え付けてある携帯電話機の番号を聞きメモした。さらに、Pは、加島駅にも電話をかけ、事故現場に駅員を赴かせるよう指示をした上、尼崎駅に再度電話をして、本件携帯電話機の電話番号を聞いてそのメモをBに渡し、塚本駅の駅員の携帯電話番号のメモはRに渡した。

(6) その後、同日午後7時22分、Cは、塚本駅第2閉そく信号機の手前で停車していた北近畿の運転士S(以下「S」という。)と無線で交信し、加島駅から駆け付けた同駅の駅員T(以下「T」という。)の姿が見えた旨の報告を受けた。また、Cは、それに引き続き、丹波路快速電車(列車番号は2765M)にも線路変更を指示し、Mがその入力作業を行った。

Bは、Kとの連絡もしばらくなかったことから、第1次事故についての情報を集めるべく、Kと連絡を取り合っていたのとは別の列車指令長用の携帯電話機を用いて、Eに架電した。Eは、本件携帯電話機でこの電話を受けたが、まだ事故現場に到着していなかったので、特段の情報交換はなかった。そして、Eは、そのまま、事故現場近くまで前記普通電車に乗って行き、線路を横断して、N1に「運転士さん、どこや。」などと尋ねた。なお、Eが線路を横断していた同日午後7時30分ころにも、再度本件携帯電話機にBから連絡が入ったが、Eは、事故現場に向かっている途中であることを述べたのみであった。

同日午後7時26分、N2からCへ無線で、出発していいのかとの問い合わせがあったが、Cは、Sに、来ていたはずのTの姿が見えないことを確認し、現場に到着した駅員に引き継ぎをした上で運転を再開するよう指示をした。Sは、この指示を受けて、北近畿から降り、事故現場へ向かったところ、Tに会い、ともに北近畿に戻り、Tから指令所に事故現場の状況について報告させようとしたが、無線の状況が悪く、うまくつながらなかった。そうしたところ、Sは、走ってくるEの姿を見かけたため、Tとともに事故現場へ赴いた。

Eは、事故現場に到着し、Xが負傷しており、その側にXの友人がいること、Xは出血がひどく移動できないこと、事故現場が非常に狭い犬走りであることなどを知り、これらを指令所に連絡しようとしたが、うまく本件携帯電話機を操作することができなかった。Eは、そのまま待っていれば指令所の方から連絡があるであろうと考え、自分から指令所に連絡を入れることはあきらめた。そして、Eは、Tがいることに気が付いたが、同人が制服は着ていたものの、制帽をかぶっていなかったことから、制帽をかぶるように注意し、Tは帽子を取りに加島駅まで戻った。

そのころ、N2が事故現場に到着し、Eに対し、第1次事故の概要を説明するとともに、「それじゃ、後はお願いします。」と事故処理を引き継いだので、Eも、「そうですか、尼崎のEです。」と述べてそれに応じた。

(7) 同日午後7時29分、Cは、N2に、駅係員が到着するまで現場にいてくれるように依頼したところ、N2は、係員が2名既に現場に行っている旨を答えた。そこで、Cは、N2に、現場の係員に引き継ぎを行った上で、運転を再開するように指示した。

同日午後7時31分、指令所の指令員U(以下「U」という。)は、N1と無線で交信し、事故現場の状況を尋ねようとしたが、N1が運転再開できると述べたので、新快速電車の運転再開を指示した。なお、Uは、Cから「後続列車に支障があるか聞いてくれ。」と指示されたので、後続列車への支障の有無をN1に尋ねるも、N1は現場には駅係員がおり、自分ではわからないと述べた。Uは、指令所内に向けて、「3643M運転再開。」と叫んだ。

同時刻ころ、Bは、Qに電話をかけ、Eも現場に向かっていることを告げ、協力して第1次事故に対応するよう要請した。Bは、その後は、架線事故の現場からの連絡を受け、それに関連してI指令員の卓へ行き、野洲駅と打ち合わせをすることを指示した。Bがその指示を終えたころ、Rが、Eと連絡を取りたいから電話番号を教えるようBに依頼したため、Bは、所持していた本件携帯電話機への発信記録の残っている携帯電話機をRに手渡した。

(8) 同日午後7時33分、Cは、Sに対し、無線で先行列車である新快速電車が運転再開することを伝えた上、北近畿にも運転再開を指示し、「現場十分注意して運転し、支障が有る無しをまた指令まで報告願います。」と述べた。引き続き、Uは、N1と無線で交信し、同人からXが10代の少年であること、引き継ぎをしたのが尼崎駅のEであることを聞き、発車を許可した。

同日午後7時35分ころ、新快速電車が運転を再開したが、それを見たEは、新快速電車が運転を再開したことを、指令所に連絡する必要があると考え、再び指令所へ電話をかけようとしたが、本件携帯電話機をうまく操作することができず、指令所に電話をすることができなかった。

Sは、北近畿の運転再開をEに伝えるために、再び事故現場に赴き、北近畿が間もなく出発すること及び接触等がないようにとの注意を伝えた。この時、Eは、最徐行であれば事故現場を通過できると述べた。そこで、Sは、同日午後7時36分ころ、北近畿の運転を再開し、時速7キロメートルから8キロメートル程度の速度で、事故現場の側を通過した。

(9) Eは、北近畿の通過を指令所に伝えようと、本件携帯電話機を操作したが、やはり指令所にはつながらなかった。同日午後7時37分、Rが、第1次事故に関してマスコミに発表する情報を収集するために、前記のようにBの携帯電話機を借りて、Eの本件携帯電話機に電話を入れた。Eは、Rに、北近畿が事故現場を通過したことを述べるとともに、「次は何が来るんや。」と尋ねた。Rは、「次は61Dになるでしょう。大阪駅に止まっているので、あと5分くらいはないでしょう。」と述べ、次に通過するのはスーパーはくとであることをEに伝えた。これに対し、Eは、「それじゃあ、下り外側は1本運転するんやなあ。それで、新快速は。」とRに尋ね、Rは「内側に振っています。」などと答えた。その後、Rは、EからXの状況や年齢等を聞き出し、電話での通話を終えた。

(10) 同日午後7時37分、Sは、無線でDに北近畿の運転再開を報告するとともに、「第2閉そく50メートル手前に駅係員の方がおられますので、最徐行でお願いします。」と述べた。それに対し、Dは、「下りの第2閉そく信号機の50メーター手前に監視係員がおるということですね。」と復唱し、「最徐行でお願いします。」という部分(以下「最徐行要請」という。)については、復唱しなかった。Cは、Dが無線で北近畿と交信しているのを耳にしたので、Dの近くまで行き、同人に「運転支障のあるなしを聞いてくれ。」と述べた。そこで、Dは、Sに対し、「なお、運転の方ですが、特に支障はないですか。」と尋ねたところ、Sは「特に支障ありません。」と回答した。Dは、注意喚起をすることをSに伝え、交信を終了した。Dは、Cに、「支障なしと言ってます。注意喚起をして下さい。」などと述べたので、Cは、自ら注意喚起を行っておくとDに伝え、さらに、「3027M運転再開。運転に支障なし。」と指令所内に向けて述べた。

このころ、事故現場に、警察官であるZ1(以下「Z1」という。)及びZ2(以下「Z2」という。)が到着し、Z2は、Eに「ここ電車大丈夫ですか。」と尋ねたところ、Eは、大丈夫である旨を答えた。

(11) 同日午後7時38分、Cは、立花高槻間の無線一斉放送で、情報連絡として、「こちら大阪輸送指令、大阪輸送指令から情報連絡です。塚本尼崎間、塚本尼崎間、塚本尼崎間、下り第2閉そく付近、先程人身事故によりけがした方がまだ線路脇におられます。現場充分注意して運転願います。塚本尼崎間下り第2閉そく、下り列車線、下り第2閉そく信号機付近、先程人身事故によって、けがをされた方が、まだ線路脇におられますので、充分注意して運転の方願います。輸送指令シーです、情報連絡終わります。」と述べた。また、Cは、同日午後7時40分にも、再び無線の一斉放送で同様の情報連絡を行った。

(12) 同日午後7時42分ころ、消防本部指令情報センターからの出場指令を受けた大阪市消防局淀川消防署加島出張所より、Y3(以下「Y3」という。)を隊長とし、機関員Y4、隊員Y5(以下「Y5」という。)及び同消防署からの出向隊員であり本件被害者の1人であるY1(以下「被害者Y1」という。)を構成員とする通称加島ST隊が事故現場に到着し、また、隊長であるY6、隊員であるY7(以下「Y7」という。)及び隊員であり本件被害者の1人であるY2(以下「被害者Y2」という。)からなる同消防署の救急隊も同時刻ころに事故現場に到着した。

救急隊員のうち、Y3、Y5、Y7、被害者Y1及び被害者Y2は、すぐにXの救助を開始し、Y5がXの足下に、Y7がXの右手で同人からすると線路の逆側に、被害者Y1はXの左手で同人からすると線路側に、そして被害者Y2がその傍らに位置して、Xの救助を行っていた。なお、事故現場には、Z2、Z1及び後から到着した警察官のZ3もおり、また、EとFは同所からやや大阪寄りの線路の脇にいた。Eは、救助活動の開始を指令所に伝えようとしたが、この時もうまく本件携帯電話機を操作することができず、通話をあきらめた。

(13) このころ、Bは、Kからの依頼を受けて、Iから琵琶湖線の運行状況などを聞き、Kへと伝えるなどしていた。そうしたところ、Bは、G2が、いまだ大阪駅に抑止されていたスーパーはくとについて、「61D出せへんのか。」と言ったのを聞き、大画面で、既に北近畿が運転を再開し、尼崎駅手前まで走行していたことなどを確認した。そこで、Bは、「61D誰や。」と尋ねたところ、Oが「私です。」と答えたので、BはOに「61D出せ。」と指示をするとともに、指令所内に向けて、「61D出すぞ。」と述べた。Bの指示に従って、Oがスーパーはくとの抑止解除を行い、同日午後7時42分、スーパーはくとは大阪駅を出発した。Bは、その後は、再びKからの電話を受け、IのところでKと話をしていた。

同日午後7時45分、Cは、スーパーはくとの乗務員を呼び出そうとして、「こちら指令、61Dの運転士応答願います、どうぞ。」と何度も無線で呼びかけたが、応答はなかった。

(14) 同日午後7時46分、事故現場の下り外側線をスーパーはくとが時速約100キロメートルで通過し、そのセンタースカーフの左側を、前屈みになって作業をしていた被害者Y1の左臀部に衝突させ、その衝撃で被害者Y1を進行方向前方に跳ね飛ばした。被害者Y1は、その前方にいた被害者Y2に衝突し、被害者Y2がその前方に、被害者Y2との衝突の衝撃で被害者Y1が更にその後方に跳ね飛ばされ、被害者Y1は線路脇の鉄製の柵に激突し、被害者Y2は地面にたたき付けられ、第2次事故が発生した。その結果、判示のように被害者Y1は即死し、被害者Y2は重傷を負った。

(15) 同じころ、Cが再度スーパーはくとに対し、「こちら大阪輸送指令、61Dの運転士応答願います、どうぞ。」と呼びかけたところ、スーパーはくとの運転士V1(以下「V1」という。)が呼びかけに応じ、「61D運転士です、どうぞ。」と述べた。そこで、Cは、V1に対し、「塚本尼崎間下りの第2閉そく付近、けが人がおられるかもしれません、充分注意して運転願いします、どうぞ。」と述べたが、V1はその時にスーパーはくとが何かに衝突したような衝撃を感じ、「今、なんか、第2閉そく信号機付近を通る時、衝撃がありました。どうぞ。」と述べたが、そのころから、無線の状況が悪くなって、交信ができなくなったため、CはV1からの通話内容を把握できなかった。

同日午後7時48分には、Dも、何度もV1を呼び出そうとしたが、無線はつながらなかった。このころ、Tは、加島駅からPに電話をして、救急隊が線路に入っているので、列車を止める手配をするよう述べ、PはこのことをBに報告した。また、Qも、同時刻ころ、第2次事故の発生音を聞き、所携の携帯電話でUに電話をして、すぐに列車を止めるよう依頼した。Uは、Bにそのことを報告し、その後、周囲にいたAにも同様の報告をした。Bは、その報告を受けて、W指令員に対し、「線路閉鎖てこを入れよ。」と指示し、事故現場付近の区間に列車が進入できないようにする措置をとった。

(16) 同日午後7時55分、Dがスーパーはくとの車掌であったV2からの無線で、「先程の尼崎塚本間で人身事故の影響により、その箇所で3人の人身事故が発生いたしました、同時事故が発生しました。」との報告を受け、指令所に第2次事故発生の第一報が入った。

第3  各被告人の過失について

そこで、以上の事実関係を前提として、以下、各被告人の過失について検討を加える。

1  被告人Dについて

(1) Sの最徐行要請を聞き落とし、これを指令所内に伝達しなかったDに過失があることは、弁護人も特段に争わないところであるが、Dの過失の態様等はCの過失と密接に関連することから、まずDの過失について、当裁判所の判断を補足して説明する。

(2) Dは、本件当時、指令所において列車指令の業務に従事していたのであるが、前記のように、列車指令の業務は、列車の運行状況の把握及び運転整理であるところ、その目的は安全な輸送の実現であり、そのためには、事故等が発生した場合は、人命に対して最も安全と認められる方法で、すみやかに対処を行う必要がある。列車事故の多くが人命に関わるものであることからすると、列車の運行を管理する指令業務においては、列車事故等に際しては、その処理に当たって続発事故が発生しないよう、死傷結果の発生防止に向けた高度の注意義務が課されていると解される。具体的には、Dには、列車事故等においては、無線を通じて関係列車の乗務員と連絡を取るなどして、後続列車に適切な運行指示を出すために必要な現場の状況把握を行った上、これを他の指令員に正確に伝達する職務上の義務があったというべきである。

(3) なお、この点に関連して、弁護人は、検察官の設定した訴因によれば、Dの注意義務は、事故現場におけるXの状況を確認し、同人が触車限界にいないことを確認の上、後続列車の走行を指示する点にあるのであって、検察官が主張する二次的触車事故を予見して防止する義務は、訴因変更が行われていない以上は、訴因に含まれていないと指摘している。

しかしながら、検察官の設定した訴因では、Dは、「Xの所在場所、外側線路との距離及び北近畿の後続列車が同所を走行する際の進行速度等を聞き出し」て、後続列車が事故現場を走行する際の支障の有無を的確に確認してこれを指令所内に伝えるなどの注意義務を負うものとされているが、Xの状況等についての情報を収集する義務がDに認められる理由は、負傷者であるXの状況を把握しておくことが、その後予想される事故現場の状況変化等を判断し、ひいては後続列車の運行に際して事故現場の安全を確保するための基礎となる情報を得るために必要不可欠であるからである。そうであるとすると、検察官の主張する二次的触車事故を予見しそれを防止すべき注意義務は、Xの状況の把握に付随して発生する予見可能な結果の回避のための注意義務であり、検察官の設定した訴因の一部分であると考えられる。また、本件公訴事実の文言から見ても、「事故現場における安全を確認しないまま後続列車の運転を再開すれば、救助活動中の救急隊員らを走行する列車に接触させて死傷事故を発生させるおそれがあった」ことを前提に、Dには、Xの所在場所等を聞き出すなどしてこれを指令所内に伝え、「死傷事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務」があったとしているのであり、二次的触車事故を予見して防止する義務が検察官の設定した訴因の一部を構成していないとは到底いえない。よって、弁護人の主張は採用できない。

(4) そして、Dは、事故現場に負傷者がいること及び周辺に駅員がいることを認識し、Aの指示に従って、後続の新快速電車については運転線路を内側線に変更する手配を行っているのであるから、事故現場に人がいることは充分明確に認識していたといえる。よって、そのような状況下で、Sからの最徐行要請を指令所内に伝えなかった場合、北近畿の後続列車が通常の速度で走行し、事故現場の負傷者及び駅員や救助のために駆け付けた救急隊員等に危険が発生することは容易に予見できたというべきである。

しかるに、Dは、前記のとおり、北近畿が事故現場付近を通過した際に、Sから最徐行要請を受けながら、それを聞き落として復唱せず、その結果最徐行要請が指令所内に伝わらなかったのである。Dは、第1次事故の処理において、事故現場の状況及び後続列車の走行について、Sから情報を収集していたところ、後続列車に関する最徐行要請という極めて重要な事項を漫然と聞き落としたというのであるから、この点について、注意義務を尽くさなかったことは明らかである。

(5) そして、Dが最徐行要請を聞き落とさずに指令所内に伝達していたとすれば、少なくともスーパーはくとの運転再開においても、事故現場付近での最徐行を指示することができたものと認められ、スーパーはくとが最徐行していれば、被害者らはスーパーはくとから退避することができたと考えられるので、Dの注意義務違反と第2次事故の発生の間には因果関係も認められる。

よって、Dについては、判示のとおりの過失が認められると判断した。

2  被告人Cについて

(1) 検察官の主張

検察官は、Cについて、前記のような公訴事実で訴追しており、Cには、Dを介して、北近畿の乗務員に対してその後続列車が事故現場を走行する際の支障の有無を確認するに当たって、同所の状況を把握し、その支障の有無を的確に確認してそれを指令所に伝える義務があったのに、北近畿の乗務員が最徐行要請をしていたにもかかわらず、Dが運転に支障がない旨を同乗務員が返答したと伝えたことを軽信し、後続列車の同所の通過には支障がなく、同所付近の安全はEらが確保すると軽信して、後続列車の走行に関する支障の有無を的確に聞き出さず、北近畿の乗務員の最徐行要請を指令所内に伝えなかった点に過失があると主張する。

そこで、当裁判所が、Cについて、注意義務違反を認定しなかった理由について以下に説明する。

(2) Cは、本件当時、指令所において輸送波動担当の業務に従事しており、通常は団臨担当として、団体からの要望に合わせて、臨時列車を設定するという仕事を行っていた。しかしながら、指令所では、指令業務が繁忙である場合については、波動担当に応援を要請することがあり、その場合には、波動担当に従事する者も指令業務を行っていた。なお、Cには、9か月間の運転士としての経験及び3年以上の各種指令業務の経験(うち2年は列車指令業務)がある。

以上からすると、Cが応援として列車指令業務を行っていた場合には、Dと同様に、前記1(2)記載の通常の列車指令員としての業務上の注意義務を負っていたと認められる。

(3) そこで、Cに第2次事故に関連して検察官が主張するような注意義務違反行為があったのかについて検討する。

まず、Cは、第1次事故発生後、早期から無線で新快速電車や北近畿の乗務員と連絡を取るなどして第1次事故の処理の一部を担っていたのであり、N2から、Xが犬走りに倒れていること、その友人が横に付いていること、E及びFが事故現場に到着したことなど、事故現場の場所や状況についてある程度具体的な報告を受けていたことが認められる。しかし、北近畿が運転を再開し、最徐行で事故現場を通過して以降は、事故現場付近には列車がいなかったので、指令員としては事故現場の状況を列車の乗務員に聞くことは不可能であった。

そこで、Cの果たすべき注意義務に関しては、Sから現場の状況についてどの程度まで詳細に聞く必要があったのかが問題となる。この点について、Cは、新快速電車が運転を再開した後、後続の北近畿の運転再開に当たって、Sに対し、支障の有無を報告するよう要請したが、実際に北近畿が事故現場を通過した際の状況をSから直接無線で聞いたのはDであり、前記のように、DはSからの最徐行要請を聞き落としている。そうすると、Cが把握できたのはDが、最徐行要請の部分を落としてSからの交信内容を復唱した、「下りの第2閉そく信号機の50メーター手前に監視係員がおるということですね。」というのがその内容のすべてということになる。その上で、Cは、Dに対し、さらにSに列車の運行についての支障の有無を確認するように求めたところ、SからはDに対して「特に支障はありません。」との返答があり、Dは、そのことを、「支障なしと言っています。注意喚起をして下さい。」とCに伝えている。

そうであるとすると、Cとしては、Dに対し、現場の安全を確認するように要請し、後続列車の運行について支障がないという答えをSから受け取っていたことになる。

(4) 検察官は、一般に指令員は、後続列車の運転再開に当たり、その速度を正確に把握し、乗務員から、できるだけ詳細に、負傷者や遺体の状況、線路との位置関係や、救急隊等の現着の有無等の状況を確認する注意義務があるとした上で、本件においては、Cは、前記のとおり事故現場の状況をある程度報告を受けて把握していたことから、いずれ救急隊員や警察官が事故現場に到着し、救助活動をするであろうことや、北近畿の運転再開後はスーパーはくとが抑止解除になり、外側線を走行するであろうことを認識しており、二次的触車事故発生に対する予見可能性があったのであるから、Dにそれまでの状況把握内容を周知した上でSに確認をさせるか、自らSと連絡を取って現場の詳細な状況を確認し、事故現場の現状を詳細に把握して、これを指令所内に伝えるべき注意義務があったと主張する。

この点、前記のとおりCは事故現場の状況をそれなりに把握しており、このことからすれば、Cには検察官の主張するような二次的触車事故発生に対する予見可能性があったことは否定できない。しかしながら、Cは、前記のとおり、Dを介してであれ、事故現場における列車の運転について、Sから支障がない旨の回答を得ているところ、事故現場においてその状況を直接見聞して把握している者から支障なしの回答を得ているのであって、その回答内容を前提として状況判断をすることにはそれなりの合理性がある。しかも、Cが直接事故現場の乗務員からその状況を聞いたのは午後7時26分から同28分までの無線交信が最後であり、その後Dから支障なしとのSからの回答内容を聞くまで約10分が経過していて、事故現場の状況に変化があり得るだけの時間の経過もあることからすると、Cがそれまで把握していた事故現場の状況とSからの支障なしの回答との間に仮に齟齬があったとしても、後者が最新の事故現場の状況を反映した内容であるとしてこれを特に疑わなかったとしても不合理とはいえない。さらに、Dの復唱した、下りの第2閉そく信号機の50メートル手前に監視係員がいるという内容も、そのこと自体は後続列車の通常走行の妨げになるものではない。以上からすれば、Cが、Sから支障なしの回答を受け取ったことをもって最新の事故現場の状況を把握し得たとして満足し、後続列車の通常走行が可能であると判断して、その後重ねて自ら又はDを介して事故現場の状況に関する詳細な情報を収集しようとしなかったからといって、直ちに、Cにおいて、二次的触車事故の防止を図るべく、後続列車の運行指示を出すに当たって必要な事故現場の状況を把握しなければならないという指令員としての注意義務を怠ったとまではいい難い。

(5) なお、CがSからの支障なしの回答によって把握し得たのはあくまで北近畿が運転を再開した時点における事故現場の状況であることから、Cがその後の状況の変化についても把握すべきであったかどうかも問題となり得る。そこで、この点について検討する。

列車事故等の処理において、指令所が後続列車の運転を再開するかどうかの判断の基礎となるべき事故現場の状況を把握するについては、事故現場付近に停車した列車の乗務員から列車無線で聞き取るか、現場に赴いた近隣駅の駅員から携帯電話等を通じて聞き取るか、近隣の駅を通じてその駅員から電話等で聞き取るかの三つの経路がある。そのうち、乗務員からの無線連絡及び駅を通じた電話連絡については、各指令員の卓上にある無線や電話機で対応できるものであり、これら二つの経路からの情報収集は各指令員が行うこととなる。これに対し、携帯電話を利用して行う情報収集は、副総括指令長などの指令長が、指令所に備え付けられた携帯電話機を用いて行うものとされていた。

そして、乗務員を通じた無線での連絡は、乗務員が無線機の近くにいる場合で、かつ、その乗務する列車が発車するまでの現場の状況については聞き取ることができるが、列車がいなくなった以降の現場の変化に対応できるものではない。また、駅を通じた連絡方法も、現場の駅員が、駅まで赴き、あるいは、駅に携帯電話機等で連絡を取って、駅から指令所に連絡を入れることになるので、事故現場の状況を即時的に反映したものとはならない。それに対して、携帯電話を用いて副総括指令長等が直接事故現場の駅員等と連絡を取る方法は、最も同時性が強い連絡方法である。そうすると、事故現場付近に停車していた列車が運転を再開した後の状況の変化については、原則として、現場の駅員が携帯電話機等を通じて指令所との連絡を取るところに委ねられると考えるのが相当といえる。

以上からすれば、本件において、北近畿が運転を再開した後の状況変化については、現場の駅員であるEからの本件携帯電話機による連絡や、指令所の副総括指令長であるBらからの携帯電話を用いた聞き取りにより把握せざるを得ず、その連絡の内容によっては、Bらが指令員であるCらに指示を与え、あるいは、自ら現場に退避要請をするしか方法がなかったものといえる。Cにあっては、自らが事故現場の状況の変化を把握する直接的な手段はなく、したがってこれをすべき注意義務もなかったといわざるを得ない。

なお、この点に関連して、無線を使用した指令員による情報収集の結果と携帯電話を使用した副総括指令長等による情報収集の結果を一元化し、指令員間でその情報を共有化する機能的な態勢が本件当時指令所において構築されていたことは証拠上うかがわれないところであるが、そのことについては、Cに帰責されるものではなく、Cについては、あくまで、当時の指令所における指令業務の運用実態を踏まえつつ、指令員としての業務を遂行するについて十分な注意義務を果たしたか否かを検討すべきである。

(6) そこで、さらに検討を進めるに、Sと無線の交信をしていたのがDであることからすると、Dが確認をした事項について、CがDの情報を信用せずに、自らも直接Sに重ねて確認することを要求するのは、Dも指令員として業務に従事していたことからすると相当ではない。なぜならば、指令員は、前記のように、相互に独立性を保ち、一定程度の裁量をもって業務を行っているのであり、少なくとも当時の指令所の業務態勢においては、各指令員とも事故現場等から無線が入れば、手が空いていた者が無線をとることがあり、その情報を前提として、他の指令員が必要な指令を発するなどしていたものである。実際、第1次事故の処理に関連して乗務員と無線で会話をしたのは、D、C及びUの3名であり、新快速電車や北近畿への運転再開の指示はUが出すなどしている。したがって、指令員としては、必要な交信等を行い、その結果に基づいて適切な指示等を行っていれば原則としてその職責を果たしたといえるのであって、その結果を、大声で指令所内に向かって叫ぶなどして情報の共有化を図ることはあったとしても、それは当該指令員が指令所において共有した方がいいと判断した情報であり、それ以上に、特定の指令員や指令長が一つの事故を担当して情報を一元化して管理するような態勢では必ずしもなかった。そして、Cは、Dに対して、Sに支障の有無を確認するように要請し、それに応じて、DがSから「支障なし。」と回答を得たことを聞いていることからすると、Cとしては、Dが収集した情報を前提とし、さらに必要な情報を得るべく、合理的と考えられる指令業務を遂行していたというべきである。

なお、検察官は、Dが、「下りの第2閉そく信号機の50メーター手前に監視係員がおるということですね。」等と復唱しているのを聞いたCが、Sの支障なしとの返答に疑問を覚えなかったことを論難している。しかしながら、第2閉そく信号機の近くに係員がいるとしても、触車限界外にいるものと理解するのがむしろ通常であって、CがSの支障なしとの報告に疑いを感じなければならない根拠とすることはできない。

(7) また、検察官は、指令業務における「支障なし」という言葉の使用について、安全が確保されていることを意味するものではない、不十分であいまいかつ不適切な言葉使いであると指摘している。

この点、「支障なし」という言葉の意味について、新快速電車を運転していたN1は、支障の有無を問われた場合には自己の運転する列車の運行についての支障の有無を問われていると理解し、後続列車の走行についての支障の有無は分からないと供述している。これに対し、北近畿を運転していたSは、指令所からの「運転に支障はないか。」という問いは、自己の運転する列車のみならず後続列車の走行についての支障の有無も問われているものであると理解したと供述しており、N1とSの間に、支障の有無の問いの理解について齟齬が見受けられる。ただし、両者とも、速度については度外視した上での支障の有無である趣旨の供述をしている。

しかしながら、そもそも乗務員が判断できる支障の有無は、当該列車が通過する時点における事故現場の状況及びそれを前提として予測し得る支障についてのものである。すなわち、N1にしてもSにしても無線で伝えることができるのは、両者が通過時の現場の状況を前提とした支障の有無に限られる。また、Cは、Dから、Sからの支障なしの回答を聞くとともに、注意喚起をするよう求められているところ、注意喚起とは、後続列車等の運転士に対して、速度を規制するのではなく、あくまで各自の判断において減速や警笛吹鳴を行うことを促すにすぎないものである。そうであるとすると、Cとしては、この支障なしの回答は後続列車について速度規制を伴わない通常速度による走行を前提とするものであると考え、その回答等に基づいて通常速度による後続列車の走行が可能であると判断したとしても必ずしも不合理とはいえない。

もとより、CがDに対してSに再度の最徐行要請を述べるような質問をするよう依頼しておれば、第2次事故を回避できた可能性があったことは確かであり、また、Cが支障なしの回答に満足せず、Dを介するなどして事故現場の状況の更なる把握に努めることが不可能ではなかったとしても、刑法の観点から見た場合、かかる行為まで要求することは、これまで述べてきたような理由から、Cに過度の義務を課すことになるというべきである。

(8) また、検察官は、スーパーはくとの抑止解除後に、Cが何度もスーパーはくとの運転士に無線で個別に注意喚起をしようとしていた点を指摘して、Cが第2次事故のような二次的触車事故の発生の危険性を認識していたと主張している。

しかしながら、事故現場を通過する列車の運転士に対し、指令員が列車の運行についての情報を提供することは通常行われているところであるし、実際にスーパーはくとと無線がつながった後のCの注意喚起も、「塚本尼崎間下りの第2閉そく付近、けが人がおるかもしれません、充分注意して運転願います。」という一般的な注意を呼びかけているものにすぎず、最徐行を要請するなど、具体的な危険性の認識を前提とした指示を出しているわけではない。よって、Cが第2次事故のような二次的触車事故の発生の危険性を認識していたとはにわかには認められない。

(9)  以上からすると、Cについては、北近畿が事故現場を通過した際の情報をDから伝え聞いた時点以前の職務態度には特に問題はなく、Dから伝達されたSからの情報は、最徐行要請を欠落させたものであったものの、伝えられた情報の内容それ自体の信憑性に疑義を差しはさまなければならないような事情がうかがえなかったことから、その情報を前提として、さらにDに支障のあるなしについての確認を求めた上、Sからの支障なしとの回答をもって後続列車運転のために必要な事故現場の状況把握ができたものと判断し、引き続き事故現場付近を走行する列車の運転士らに注意喚起のための情報連絡をしたことにはそれなりの合理性があるのであって、職務上の注意義務を懈怠したものとは認められない。

以上のとおりであって、結局、Cに対する本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法336条によりCに対し無罪の言渡しをする。

3  被告人Bについて

(1) 弁護人は、Bが、スーパーはくとの抑止を解除する際、携帯電話を利用してEと連絡を取って、事故現場の状況を再確認しなかった点に過失があることについては争っていないところではあるが、Bの過失の内容は他の被告人らの過失とも密接に関連することから、当裁判所がBについて過失を認定した理由につき、以下に説明する。

(2) Bは、指令所の副総括指令長として、総括指令長を補佐する業務、すなわち、大きな輸送阻害が発生した際の情報収集、報告等の業務の補助及び総括指令長の代務のほか、各指令長、指令員の指令業務に関し、安全、適正に運行管理が実行されているか監督し、指示・助言を与える業務等に従事していたものである。そして、かかる業務の具体的内容として、事故等が発生した場合には、副総括指令長は、各指令員の執務場所である前卓からの情報や、自ら現地の駅員らと連絡して得た情報に基づき、運転再開までの時間の見込み等を分析して輸送計画の方針を指示するなどし、場合によっては、自ら運転再開の指示を行うなどとされていた。

(3) ところで、Bは、第1次事故が人身事故であって負傷者が事故現場にいることを認識していたのであるから、スーパーはくとを外側線で通常走行させた場合、事故現場の負傷者や救急隊員等に危険が発生することの予見可能性があったといえる。そうすると、第2次事故に関して、Bについては、事故現場にいるEと携帯電話による情報の交換を十分に行うこと及び指令所において前卓から十分に情報を収集することのいずれもせずにスーパーはくとの抑止解除をしている点で注意義務違反が問題となる。

この点、前卓からの情報収集については、Bが前卓の指令員に聞いたとしても、DもCも、後続列車の走行については支障なしとの答えをすることが予期されるのみである。そうであるとすると、Bが仮に前卓から十分に事故現場についての情報を集めようとしたとしても、Bにスーパーはくとの抑止解除を思いとどまらせ、あるいは最徐行指示の契機となるような情報を得ることはできなかったと評価される。

これに対し、Bが携帯電話でEと直接連絡を取れば、その時点における事故現場の状況を自らが的確に把握して、スーパーはくとに対して事故現場付近における最徐行の指示を行う、あるいは、Eに対してスーパーはくとの通過を通告することによって現場の救急隊員らに注意を促すことが可能であったと考えられる。そして、Bは、指令所で唯一事故現場のEと連絡を取り得る手段である携帯電話機を所持していたのであり、自ら積極的に事故現場の情報の収集をすべき立場であったにもかかわらず、Eが現場に到着する前に2回連絡を取ったにすぎない。その後は、一度もEに連絡を入れておらず、スーパーはくとの抑止解除前に事故現場の状況を確認することを怠っており、さらに、抑止解除後に、Eにスーパーはくとの事故現場への接近を伝えることもできたにもかかわらず、それも行っていない。この点、抑止解除後に事故現場の状況をBが確認したとしても、スーパーはくとの無線の状況からすると、最徐行の指示を運転士に伝えられたかについては疑わしいが、少なくとも、事故現場において救急隊員らが触車限界内に入らないよう、Eに指示することはできたはずである。

なお、Bがスーパーはくとの抑止解除を行った時点では、事故現場には救急隊は到着していなかったのであるが、BがEと連絡を取れば、近い時間内に予想される救急隊の到着や現場の状況についてEから聞き取りを行うことができるのであり、そのような聞き取りを行えば、仮にスーパーはくとの抑止解除を行ったとしても、事故現場の走行について最徐行を指示することが考えられるのであるし、また、Eに事故現場に到着した救急隊員らに対して退避するよう要請することもできたのであるから、この点は、Bの過失を否定する要素とはならない。

(4) 以上からすると、Bにおいては、スーパーはくとの抑止解除をする前後において、携帯電話でEと連絡を取ることで、現場の状況を把握し、抑止解除の判断を留保するか、スーパーはくとに事故現場を最徐行で走行するように指示を出し、あるいは、事故現場をスーパーはくとが走行したとしても触車事故が発生しないよう、Eに必要な措置を講じるよう指示した上で、スーパーはくとの抑止解除をすることによって第2次事故の発生を防止する義務があり、またそれが容易に可能であったにもかかわらず、Eと適切な連絡を取ることをしないまま、スーパーはくとの抑止解除をして、第2次事故を発生させたものといわざるを得ない。

よって、Bについて、判示のとおりの過失が認められると判断した。

4  被告人Aについて

(1) 検察官の主張

検察官は、Aについて、前記のような公訴事実で訴追しており、Aには、総括指令長として、副総括指令長及び指令員が、事故現場付近の状況を把握した上でスーパーはくとの抑止解除を行い、さらにスーパーはくとの進行速度について的確な指示を出すよう、指揮監督する義務があったのに、副総括指令長及び指令員に対し、何らの指示もしなかった点に過失があると主張する。

そこで、当裁判所が、Aについて、注意義務違反を認定しなかった理由について以下に説明する。

(2) Aは、指令所の総括指令長の地位にあったもので、その職務内容は、指令業務の統括、指令長・指令員の指導・教育、各指令の業務計画の立案及び推進並びに社員管理等であるとされており、かかる総括指令長の職務内容からすると、Aが総括指令長としてAグループを統括していた第2次事故の当日において、副総括指令長以下の各指令長及び指令員を指揮監督すべき職務上の義務を有していたことは明らかである。

しかしながら、Aが一般的にそのような地位にあったとしても、第2次事故の発生につき、BやDの過失について常にAが責任を負うわけではないのは当然であり、Aに具体的にいかなる注意義務の懈怠があったかが検討されなくてはならない。

(3) 検察官は、まず、Aの業務内容には、個別の列車事故処理等に際して指令員を指揮監督することが含まれており、人身事故処理時における列車の抑止とその解除等の業務については、部下指令員の指揮監督をAが本来的に行うべきであったと主張している。

しかしながら、Aが指令所の行う指令業務の全体を統括する者として、一般的にこれを指揮監督する職務に従事していたとしても、具体的なあらゆる事故の処理について、すべての指令業務を直接的に指揮すべきであったとは証拠上認められないし、それは当時の指令所における指令業務の職務慣行と大きく違うのみならず、総括指令長に過度の負担を求めるものである。すなわち、指令所における指令業務は、原則として、各指令員がその判断で行うものとされており、それについて先輩や上司に助言等を求めることがあるにしても、常に、総括指令長まで状況を報告し、その決裁を受ける必要があるという態勢ではなかった。また、即決即断が求められる場合も少なくない列車の指令業務において、多数の列車の抑止やその解除について、逐一総括指令長まで報告し、その決裁を受けるというのは、かえって円滑な指令業務の遂行を妨げるものといわざるを得ない。さらに、指令所は、JR西日本の京都、大阪及び神戸の各支社が所管する広大な地域における膨大な数の列車の運行を管理しているのであり、これらのすべてについてAがその状況を具体的に把握し、指揮を執ることは実際上も不可能である。もちろん、列車事故等が1件だけ発生したような場合であれば、総括指令長が指揮を執ることも可能であろうが、その場合でも個々の列車の抑止やその解除について逐一指示を与え得るとは限らないし、ましてや複数の事故等が発生した場合に、Aがそのすべてを把握するよう求めることは現実的ではない。

よって、本件において、検察官の主張するように、第1次事故の処理についてAがそれを逐一指揮監督すべきであったということはできない。

(4) なお、これに関連して、検察官は、他の総括指令長や指令員の供述を援用した上、特に事故後の抑止解除は現場の安全確保に直結する重要な行為であること、その際には様々な状況が想定され、総括指令長は指令員から指示を求められることも多いことなどから、事故後の抑止解除について、総括指令長の監督義務が免除されることはあり得ないと主張する。

なるほど、事故後の抑止解除は、安全確保のために様々な状況を想定しつつ判断をしなくてはならない場合もあり、実際に、指令員が先輩や指令長などに助言を求め、指示を仰ぐことは少なくなかったようである。しかしながら、そうであるからといって、指令員から相談がない場合にまで、総括指令長が個別の指令業務について直接的かつ具体的に指揮をすることまでも要求されていたとは考えられない。

この点につき、検察官が援用する、Dの公判供述やM及びLの捜査段階の供述は、いずれも、上司や指令長クラスの人間に問いかけ、あるいは伺いを立てていたという内容である。しかしながら、このことは直ちに総括指令長であるAの側から列車の抑止解除の前提となる情報の確認等をする必要があったとするものではない。指令所には、総括指令長以外にも、副総括指令長、列車指令長及び線区指令長など、第一線の指令員より経験豊かな指令長クラスの幹部が多数勤務しているのであり、それらの指令長に助言等を求めることもできるのであって、Aに対して直接助言等を求めることは制度上も予定されていない。また、これらの供述は、いずれも自らの指令員としての経験が浅いことを前提とした供述であり、すべての指令員についてあてはまるものとも考えられない。むろん、指令長クラスの幹部に相談をすることが望ましい状況も当然考えられるが、その場合であっても、その相談の相手は必ずしも総括指令長であるということにはならない。

また、同様に検察官の援用する、総括指令長であるKの供述は、「当然、人身事故、列車事故が発生すれば、指令長として判断して各指令員に対して、指示、助言します。私や、副総括指令長がおりますが、私の立場としては、副総括指令長かどちらかが基本方針を立て、それに関して、その方針で対応できる様に指令員に指示し助言等をしています。各担当指令員は、事故が発生した場合、自分で判断して運転士車掌等に対して指示する権限はあるものの、ほとんど、人身事故や列車事故の場合は、私や副総括指令長が助言しています。」などというものである。しかしながら、この供述も、人身事故等が生じた時に、総括指令長が副総括指令長と協力して基本方針を定めるとともに、各指令員に助言等を行うという内容であり、総括指令長や副総括指令長が助言するとしても、それは総括指令長又は副総括指令長が行うものであり、総括指令長のみが行うものとはされていない。そして、その内容も、あくまでも列車事故等の処理について、総括指令長又は副総括指令長が策定した基本方針を周知徹底させ、それを実現するために指令員に指示・助言する権能を行使しているというものである。

そうであるとすると、現場の状況に応じて慎重な判断を要する事故後の抑止解除の際に、総括指令長が必要に応じて相談等を受けて助言をしたり、基本方針を周知・実現するために指示や助言をすることがあり、かつ、それが望ましい列車事故等の処理であるとは認められるが、Aが個々の列車事故等について指令員の指令行為をすべて把握し、常に具体的な指揮監督を行うことが要請されているとまでは認められない。

(5) もっとも、発生した事故等の規模や重大性等にかんがみて、必要性があれば総括指令長や副総括指令長が自ら指示を出し、判断を行うことも考え得るところである。そこで、第1次事故が具体的にかかる規模や重大性を有したものであったかについて検討する。

この点、第1次事故は、Xが重傷を負った人身事故であり、東海道本線の塚本駅と尼崎駅間で、午後7時過ぎという各線とも繁忙な時間帯に生じたものであることからすると、第1次事故は相当に重大な事故といえる。

しかしながら、前記のように、同日には、架線事故が先行して発生しており、そのために、上下線合わせて34本の列車が運休し、13本の列車が遅延し、鉄道他社による振替輸送やバスによる代行輸送などを行わざるをえず、琵琶湖線を中心に大幅な列車の運行ダイヤの乱れがあったのであり、それに対応する輸送計画の策定も指令所としては重大な事務であった。また、第1次事故自体は重大な人身事故ではあるが、その処理は、いったん後続列車の運転を抑止し、運転可能な列車については内側線を運転するよう線路の変更をし、事故現場の安全を確認した上で、順次運転抑止の解除を行うというものであり、それ自体は日常的に発生する運転の抑止及び解除と特段異なる性質を有するものではない。そうであるとすると、第1次事故について、総括指令長が自ら個別具体的な処理を指揮すべき必要性があったとまでは認められない。

この点、検察官は、第1次事故が発生した時点では、架線事故は既に一応の処理を終えていたことからすれば、Aとしては、スーパーはくとの運転再開の判断も含めて、第1次事故の処理を優先すべきであったと主張している。確かに、第1次事故発生の時点では、琵琶湖線は上下線とも運行を再開しており、その限りにおいて、架線事故の処理は一つの山場を越えていたと評価することもできる。しかしながら、前記のように、架線事故は、下り線の復旧時間がずれ込んだこともあって、大幅なダイヤの乱れを生み出しており、しかも臨時列車を運転するなど、その後の輸送計画の策定について、膨大な量の事務処理が残されていたのであり、Aがその処理に携わっていたことは必ずしも不当とはいえない。検察官は、人命が関係している第1次事故を優先すべきであったとの主張をしていると解されるが、架線事故によるダイヤの乱れについても、その処理を誤れば、人的損害を伴う二次的な列車事故等を引き起こす危険があることなどに照らすと、架線事故に比して第1次事故の処理が当然に優先されるべきであったとまで断ずることはできない。

さらに、検察官は、架線事故に関してAが行っていたのは、輸送計画を確認し、指令員に対してその卓の近くで指示をしただけであり、臨時列車を運転することについても列車指令長に一言指示をするだけであったなどとして、Aが架線事故から手が離せない状況ではなかったとも主張している。しかしながら、立てられた輸送計画を実行するため、的確な指示を各指令員に伝えていくことは、相当に重要かつ大変な作業であり、しかも、Aは架線事故で乱れたダイヤの合間をぬって臨時列車を走らせる指揮もしていたのであるから、Aの行っていた作業が到底片手間にでき、しばらく手を離しても差し支えない作業であったということもできない。

(6) 次に、Aが、架線事故と第1次事故の処理について、Bと役割を分担して臨んでいたと述べている点について検討する。

Aは、第1次事故の発生の報を聞くや、後続する新快速電車について内側線を走行させるよう指示するとともに、スーパーはくとの抑止も指示している。このように、最初の段階で、Aは第1次事故の処理の一部には携わっているが、その後は架線事故の処理に専念しており、Bがスーパーはくとの抑止解除を指示したことも認識していない状況にあった。そして、Aは、公判廷において、架線事故の処理と第1次事故の処理については、架線事故をAが、第1次事故をBが担当するという暗黙の役割分担があったと述べており、Bも同趣旨の供述をしている(この点、検察官は、Bは公判廷において明確な分担はしなかったと述べたと主張しているが、Bは、弁護人の質問に対して、役割分担をしたことを明確に認めているのであり、検察官の質問に対しても、その点は否定していないのであるから、この主張は採用できない。)。そして、Bは、副総括指令長として総括指令長を補佐する地位にあり、しかも自ら携帯電話機を所持し、事故現場のEと常に連絡を取り合ってその状況を把握できる立場にいたのであるから、Aが架線事故に専念している以上、Bが第1次事故の処理を担当したことには合理性があるというべきである。この点、Bは、2つの携帯電話機を所持し、一方の携帯電話機は架線事故の現場との連絡に用いており、架線事故発生直後からその連絡を担当していたのであるが、第1次事故発生以降もそれを継続していたことは、Bが第1次事故の処理を分担するようになったことと相容れないものではない。なるほど、Bは、架線事故用の携帯電話機をAに渡すようなことまではしていないが、第1次事故の処理に求められる業務内容からすると、Bが引き続き架線事故処理の一部を担当し、携帯電話機による連絡をそのまま続けることは何ら不合理ではなく、このことから、検察官の主張するように、BとAが役割分担をしていなかったとまでいうことはできない。

また、検察官は、AとBの役割分担については、指令員の間では認識されていなかったとし、各指令員がAに指示を仰ぐことも十分にあり得たと主張する。しかしながら、第1次事故に関する事故現場との連絡や指令員に対する指示は、最初の段階で行われた後続の新快速電車の線路変更とスーパーはくとの運転抑止を除き、すべてBが行っており、指令員がAに何らかの指示を仰いだという事実も認められない。そうであるとすると、各指令員も、その役割分担を前提として業務に従事していたと見ておかしくない状況にあったということができる。

(7) さらに、検察官は、Bが第1次事故の処理を分担していたとしても、AとBの関係は、並列的な役割分担ではなく、あくまでもBがAを補助する立場で業務を行うのであるから、これをもってAが注意義務を免れるものではないと主張する。

しかしながら、前記のように、指令所における指令業務は基本的には各指令員が独立に行うものであることに加え、副総括指令長は、総括指令長に次ぐ重要ポストであり、その権限も大きく、指令員としての経験を有するベテランがその任に就いていることからすると、副総括指令長が担当している個別の事故処理の指揮内容を細部にわたって監督し、必要な指示を行う関係に立つとまではいえない。しかも、AとBが前記のように役割分担をしたこと自体は、それなりに合理的であったのであるから、そのような場合にまでAがBを具体的に指揮監督しなくてはならないとなると、かえってAの注意が拡散し、事故の処理方針等を誤る危険が生じるように思われる。

(8)  以上からすると、Aは、第1次事故の処理の関係においても、副総括指令長以下の指令長及び指令員を指揮監督する職務上の義務を有していたのであるが、第2次事故当時の指令所における指令業務の態勢及び指令員の職務内容等からすると、総括指令長に次ぐ地位にある副総括指令長が各指令員を指揮するなどして、的確に第1次事故の処理をすることを期待し得る状況にあったものと考えられる。そして、架線事故と第1次事故の重大性の程度、特に架線事故による列車運行ダイヤの速やかな回復も指令所にとって重要課題であったこと等にかんがみれば、Aが架線事故の処理を他の指令員等に委ねてまで、第1次事故の処理を直接に指揮監督すべきであったということはできず、Aには検察官の主張するような注意義務違反は認められない。

以上のとおりであって、結局、Aに対する本件公訴事実についても犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法336条によりAに対し無罪の言渡しをする。

5  被告人Eについて

(1) 前記のように、弁護人は、Eについて、過失の存在は争わない旨主張するものの、従来からの慣行に従えば、事故等が発生した場合には、指令所が主導的に情報の収集や提供を行ってきたのであって、Eの過失責任は副次的かつ軽微なものであると主張している。この点、Eも、公判廷において、本件携帯電話機は指令所からの電話を受けるために持って行ったものであると理解していたこと、EがSに対し、北近畿が最徐行で通過したことを指令所に伝えるように依頼したため、後続列車は当然に最徐行で運転されるものであると信じていたことなどを述べて、過失を争うかのような供述をしている。

そこで、Eの過失も、他の被告人ら、特にBの過失と密接に関連しているので、Eの過失の内容及びその程度について当裁判所が判示のとおり認定した理由について、以下に補足して説明する。

(2) Eは、尼崎駅の駅員としての職務に就いていたのであるが、列車が事故を起こした場合、駅員には、指令所からの現場派遣要請に従って現場に赴き、事故現場の状況を把握し、指令所に報告すること、併発事故を防止するために負傷者等を安全な場所に移動すること、運転再開後の後続列車が事故現場に走行してくることを想定して、現場付近にいる負傷者、警察官及び救急隊員等が触車事故を起こさないよう列車の走行を監視し、必要に応じて線路上からの退避要請をすることが求められている。

(3) ところで、Eは、指令所からの係員の現場派遣要請に従って、本件携帯電話機を持って尼崎駅から事故現場に赴き、事故現場において救急隊員等によるXの救助活動が行われていることを認識していたのであるから、スーパーはくと等の後続列車が外側線を通常走行した場合には、第2次事故のような二次的触車事故が発生することは十分予見し得たというべきである。また、Eが、事故現場の状況を十分指令所に伝達していれば、指令所においてスーパーはくとの抑止を継続することにより、又はこれを最徐行で運転させた上、Eが列車を監視し、救急隊員らに対する退避指示を行うことにより、あるいはスーパーはくとが通常走行で事故現場に接近した場合であっても、Eが救急隊員らに直ちに退避するよう指示することにより、第2次事故の発生を回避し得たものと考えられる。しかるに、Eは、現場到着前にBから本件携帯電話機に2度の連絡があったにもかかわらず、事故現場到着後、事故現場の状況を把握してそれを本件携帯電話機で指令所に連絡しようとしたものの、その操作方法が分からないまま、うまく指令所を呼び出すことができず、結局事故現場の状況を指令所に伝えることができなかったのである。

この点について、Eは、指令所から電話がかかってくると考えて、そのまま何もしなかったと述べている。しかしながら、Eは、本件携帯電話機を使って何度も指令所に架電しようとしたが、最後までその操作方法がわからなかったとも供述しているのであり、そうであれば、周囲にいたFらに携帯電話機の操作方法をたずねることも容易にできたにもかかわらず、操作方法を把握するための行動を何ら起こしていない。しかも、Eは、Rからの電話を受けた機会にも、本件携帯電話機の使用方法が分からないことを告げた上で、指令所の方から定期的にEに連絡をするよう依頼することができたにもかかわらず、そのような方途も一切講じていない。

そうであるとすると、Eは、自身は本件携帯電話機を操作して指令所に連絡する方法を知らなかったとしても、事故現場の状況を指令所に知らせるという、現場に所在する駅員としての重要な職務を遂行する手段を他に有していたにもかかわらず、これをしなかったのであるから、Eについては注意義務の懈怠が認められる。

(4) さらに、Eが、本件携帯電話機は指令所からの電話を受信するためだけに所持するものと思っていたと述べている点についてであるが、前記のように、駅員の役割として、事故現場の状況を指令所に伝達し、指令所が後続列車の運行についての判断をする前提となる情報を提供することがあるが、指令所からの問い合わせに対応することはもちろん、事故現場の状況に変化が生じれば、その都度指令所にそのことを連絡する必要があるのであり、そのためにこそ携帯電話機が各駅に備え付けられているといえる。しかも、Eは、本件以前に別の人身事故を取り扱った際、指令所からの情報が十分でなかったため、列車が通過する合間をぬって作業をすることを強いられた経験をしたというのであり、駅員の側から指令所へ情報を伝達することの必要性は十分認識していたはずである。

したがって、Eの供述には合理性がなく、仮にその述べるような認識であったとすれば、そのこと自体任務懈怠の非難を免れない。

(5) また、Eは、Sに、北近畿が最徐行で通過したことを指令所に伝えるように依頼し、その旨が指令所に伝われば、後続列車についても最徐行の指示が出されるであろうと信じていたと述べている。

この点、Sは、Eからこのような要請を受けたことについては供述していないが、Eは、捜査段階から、Sに対し、事故現場を「最徐行なら通れるわ。」と述べたことや、Eが、Sと指令所の間で、最徐行で事故現場を通過する点について交信があったものと思っていたことなどを供述している。検察官は、Eがかかる依頼をしたとの供述は虚偽であると主張しているが、EがSに指令所への連絡を明示的に要請したかどうかはともかくとしても、Sとの間でEの供述するような会話が交わされたとしても必ずしも不自然ではなく、Eの供述するところも、一概に虚偽であると断ずることはできない。

しかしながら、Eの供述を前提としても、Eとしては、事故現場の安全を確保し、その状況を指令所に伝達するために派遣された駅員として、Sが事故現場の状況等について指令所にどのように伝えたのかなどを、自らも指令所との間で情報交換し、後続列車に最徐行要請等が行われているかなどを確認して、事故現場にいる者の安全を図る義務があったというべきである。ところが、Eはそのような行動を一切行っておらず、Rからの電話を受けた時にも、そのような情報の伝達は一切行っていない。そうであるとすると、Eは、事故現場の安全を確保するための情報伝達を怠ったと評価せざるを得ない。

(6) 加えて、Eは、Rから間もなくスーパーはくとが走行してくることを聞き、そのことを認識しながら、その事実を臨場した警察官等に伝えることもなく、事故現場の安全確保のための措置を何ら講じなかったものである。この認識を基にすれば、事故現場の外側線をスーパーはくとが必ず最徐行で通過するとは限らず、そうなれば警察官や救急隊員が触車事故に遭う危険があることは容易に想像できるところであり、Eが、事故現場の関係者に列車が外側線を走行してくることを告げるなど適切な措置を講じていれば、第2次事故は防止できたのであるから、この点についてもEには注意義務違反が認められる。

よって、Eについて、判示のとおりの過失が認められると判断した。

(法令の適用)

被告人B、同D及び同Eの判示各所為は、各被告人につき各被害者ごとに、いずれも刑法211条1項前段に該当するが、これらは各被告人につき、それぞれ1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから、いずれも同法54条1項前段、10条により、各被告人ごとに1罪として、いずれも犯情の重い業務上過失致死罪の刑でそれぞれ処断し、いずれも所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で、被告人B及び同Eをいずれも禁錮1年6月に、被告人Dを禁錮1年に処し、情状により、いずれも同法25条1項を適用して、前記被告人3名に対し、この裁判が確定した日から3年間それぞれその刑の執行を猶予することとする。

(量刑の理由)

本件は、JR西日本東海道本線塚本駅近くで発生した新快速電車と線路敷地内に立ち入っていた少年との接触人身事故について、事故現場において少年の救助活動を行っていた救急隊員らがいまだ軌道敷内にいたにもかかわらず、指令所で指令業務に当っていた被告人B及び被告人D並びに事故現場に派遣された駅員である被告人Eの業務上の過失が競合して、後続列車をして事故現場を時速約100キロメートルの高速で通過させ、現場にいた救急隊員の1人を跳ね飛ばしてもう1人の救急隊員に激突させ、その結果、救急隊員のうち1名を死亡させ、もう1名に重傷を負わせたという業務上過失致死傷の事案である。

被害者両名は、消防士として、線路敷地内において少年を病院に搬送するための救助活動に従事していたところ、被告人3名の過失により引き起こされた本件事故に遭ったのであり、人命救助という社会的意義の大きい職務に従事していた被害者の1名を死亡させ、1名に全治まで2か月以上を要する重傷を負わせた本件の結果は極めて重大である。特に、消防士として将来を嘱望され、結婚したばかりの妻と当時生後8か月の娘と3人で幸せな家庭生活を送っていたところ、若くして突然その前途を断たれた被害者Y1の無念さには計り知れないものがある。幼い娘とともに残された妻や立派に育った息子の将来を楽しみにしていた両親らの悲嘆の情は激しく、その処罰感情は峻烈である。また、重傷を負った被害者Y2も、いまだ身体に違和感を残すなどしているのであって、その被った身体的・精神的苦痛も甚大であり、厳しい処罰感情を有しているのももっともなところである。また、本件事故が、線路脇等の危険な場所での救命活動に携わっている消防士その他の関係者に与えた衝撃にも大きなものがあると推察され、その社会的影響にも看過し得ないものがある。

被告人3名の過失を個別にみると、被告人Dについては、指令員として、人身事故である第1次事故の処理という重大な職務を遂行していながら、北近畿運転士からの最徐行要請を聞き落とし、これを指令所内に伝えなかったのであって、その過失の程度には甚だしいものがある。また、被告人Bについては、副総括指令長として、第1次事故の処理を統括する職責を担っていたのであるが、所携の携帯電話機で容易に事故現場の状況等を把握し、あるいは、現場にいる被告人Eらに列車の運行状況を伝えることができたにもかかわらず、事故現場に到着する前の被告人Eに2回電話をかけた後は自ら電話連絡をして事故現場の状況確認をすることがないまま、スーパーはくとの抑止解除を指示したのであり、その職務懈怠の程度は甚だしく、厳しい非難を免れない。そして、被告人Eについては、事故現場に派遣された駅員として、本件携帯電話機を用いるなどして、事故現場の状況等を指令所に伝えるとともに、列車の運行状況についての情報を指令所から収集するなどすれば、事故現場の安全を確保し得たにもかかわらず、その義務を怠って事故回避のための措置を講じなかったものであって、その落ち度は大きく、厳しい非難が妥当する。

以上からすれば、被告人3名の刑事責任にはそれぞれ重いものがある。

しかしながら、他方において、JR西日本と被害者Y1の遺族との間で(一部略)示談が成立していること、被告人Dについては、自己の過失を含めて事実関係を素直に認め、真摯な反省の態度を示していること、被告人Bについては、自己の過失について一部不合理ともとれる弁解をしている部分もあるが、全体として事実関係を認め、反省の態度を示していること、被告人Eについては、不合理な弁解をしつつも客観的な事実関係はおおむね認め、それなりに反省の態度を示していること、被告人B及び同Dには前科前歴がなく、被告人Eには昭和56年の罰金前科があるのみであることなど、これら被告人3名のために酌むべき事情も認められる。

そして、本件事故発生の背景には、指令所において情報収集手段をより機能的なものとし、収集した情報を一元的に管理して指令員間での共有化を図るといった事故発生時の情報管理体制が確立されないまま、ややもすると列車ダイヤの早期正常化に関心を傾け過ぎて運用されていたJR西日本の指令業務体制や、事故発生時に現場に派遣される駅員に対する教育の不十分さが介在している点が指摘できる。もとより、これらの体制の不備は被告人3名の過失責任を直ちに消滅させ、あるいは軽減するものではなく、被告人3名がそれぞれの注意義務を尽くしさえすれば本件事故は容易に回避し得たところではあるが、そのような体制下での職務遂行を余儀なくされていた被告人3名のみを一方的に責めるのは酷な側面があることも否定できない。

なお、JR西日本は、本件事故の後、事故処理マニュアルを作成するなど、本件類似の事故発生を防止するための措置を講じており、事故処理時の安全性の確保について真摯に取り組むようになっているところであり、今後の同種事故の再発防止が強く望まれる。

そこで、当裁判所は、これらの事情を総合考慮して、被告人ら3名に対しては、主文の各刑を量定し、いずれも相当期間その刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・中川博之、裁判官・増田啓祐、裁判官・渡邉達之輔)

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