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大阪地方裁判所 平成15年(ワ)7611号 判決 2005年7月22日

原告

被告

主文

一  被告は原告に対し、金六九万五八八四円及びこれに対する平成一四年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金七七三万六一九二円及びこれに対する平成一四年一〇月二一日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、赤信号で停車していた原告運転の普通乗用自動車に、被告運転の普通乗用自動車が追突した交通事故について、原告が被告に対し民法七〇九条又は自動車損害賠償保障法三条に基づいて損害の賠償を求めている事案である。

一  争いのない事実等

(1)  本件事故の発生

ア 日時 平成一四年一〇月二一日午後二時八分ころ

イ 場所 大阪市西成区花園北一丁目一七―二六先路上(以下「本件現場」という。)

ウ 原告車両 原告運転の普通乗用自動車

エ 被告車両 被告保有・運転の普通乗用自動車

オ 事故態様 赤信号で停車していた原告運転の普通乗用自動車に、被告運転の普通乗用自動車が追突した。

(2)  被告は、前方不注視の過失により停車中の原告車両に追突したもので、また、被告は被告車両の保有者であったことから民法七〇九条又は自動車損害賠償保障法三条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。

(3)  原告は、本件事故により、頚椎捻挫、胸椎捻挫の傷害を負った。

(4)  入通院経過

ア 平成一四年一〇月二一日から同月二九日まで

山本第三病院に入院した。

イ 平成一四年一〇月二九日から平成一五年二月二日まで

久米田外科整形外科病院に入院した。(入院日数合計一〇五日)

ウ 平成一五年二月七日から平成一五年四月一八日まで

佐野記念病院に通院した。(内実通院日数六六日)

エ 平成一五年二月三日から平成一五年三月二四日まで

泉佐野市立泉佐野病院(以下「泉佐野病院」という。)に通院した。(内実通院日数四日)

(5)  原告は、平成一五年四月一八日、佐野記念病院の医師により症状固定と後遺障害の診断を受けた。(甲二)

(6)  損害保険料率算出機構の調査事務所は、平成一五年七月三〇日、原告の後遺障害について、頸部痛、頭痛、両上肢しびれについて、X―P上、頚椎には外傷性異常所見は見られないものの変性所見が認められ、受傷を契機として訴え症状が発症したことを否定しがたく、頚部及び頚部由来の局部に神経症状を残すものとして、後遺障害等級一四級一〇号に該当するとしたが、右足関節外側側副靭帯断裂後の右足痛ならびしびれ、右足関節可動域制限については、本件事故との相当因果関係は認めがたく、後遺障害として認定することは困難であるとした。(乙一)

(7)  被告は、原告には、本件事故に関し治療費として一八八万一六一九円、交通費として七七万四八九〇円、その他六六万五三〇〇円について支払いを受けた。(乙三六)

二  争点

(1)  後遺障害の程度及び本件事故との因果関係

【原告の主張】

ア 右足関節外側靭帯断裂

(ア) 原告は、本件事故時、ブレーキペダルに足をのせて停止しており、後部から外圧がかかれば、右足に負荷がかかる姿勢であった。

(イ) 原告は、平成一三年七月三日、右足関節外側靭帯断裂の靭帯縫合手術を施行された後、リハビリ等で完治しており、本件事故直前に、原告において、右足首の靭帯が断裂していた事実はない。

(ウ) 原告は、山本第三病院に入院した当初から、右足首関節痛を訴えていた。入院当初、原告は同病院内を歩行していたが、原告の経験からも、医師から受けた説明でも、靭帯を断裂しても、その当日には受傷箇所が腫れ上がったりしないこともあり、また多少痛くても歩行が出来ることもある。したがって、被告が主張するように、右足関節につき、本件事故直後に症状が認められなくとも、靭帯の断裂がないとは断定できない。

(エ) 原告が久米田外科整形外科病院に転院になったのは、山本第三病院において、右足首の疼痛等を訴えたが、同病院においては、整形外科がなかったからである。

被告は、原告が宿無しということで久米田外科整形外科病院を希望したように主張しているが、通常、病院としては、患者に生活本拠がないと言うだけでは、他の病院を紹介したりはしておらず、入院の必要性等があって、紹介するのが通常である。久米田外科整形外科病院で、原告が捻挫をした事実などない。

(オ) 以上の経過からして、原告における右足関節外側靭帯断裂は、他の原因によるものではなく、本件事故によるものと考えるのが社会通念に合致するのであり、本件事故との相当因果関係は十分認められる。

イ 本件で原告の後遺障害が一四級一〇号に該当するとされたのは、頚部及び頚部由来の局部に神経症状を残すものと判断されたためである。別件交通事故の外傷性頸部症候群は、別件交通事故に起因するもので、その原因は左上顎内に多量の液体があることによるものであり、本件事故の症状とは全く異なるものである。また、頚椎椎間板ヘルニア及び末梢神経障害については、本件事故のかなり以前に診療は中止されており、その後も症状は出ていないことからすると、原告の頸部痛等は本件事故による受傷を契機として発症したものである。

【被告の主張】

ア 右足関節外側靭帯断裂

(ア) 原告には、本件事故前から、右足関節外側靭帯断裂の既往症があり、平成一一年一月二九日にくわはた整形外科で形成手術を受けているが、この時点で既に右足外側側副靭帯断裂は陳旧性と判断されており、その後、平成一二年五月九日に久米田外科整形外科病院で右足関節外側側靭帯断裂の治療を受けた際も、陳旧性と判断されており、退院にあたっても、主治医から、痛みがつづいたり足関節の不安定性がでてきて、再度靭帯断裂したら次回は手術を考えた方がよくなります、などと説明を受けていた。さらに、平成一三年七月三日にも葛城病院でも、陳旧性と診断されて靭帯再建手術を受けていた。これらの右足外側側副靭帯断裂は、事故等による外傷ではなく、日常生活の中で発生しており、本件事故当時、右足関節靭帯断裂は、既に慢性化、陳旧化していた。

(イ) 本件事故直後に入院した山本第三病院の診療録には右足に関する記載がなく、かえって、主治医は、十分に歩行可能と明確に回答している。その他にも、同病院の診療録からは、同病院の入院期間中、原告が何ら支障なく歩行していたことが認められるし、転院先の久米田外科整形外科病院の入院時の診療録にも、両上肢下肢運動能力正常との記載があり、久米田外科整形外科病院への転院時までは、原告の右足関節には何らの症状も認められなかった。原告が右足関節の症状を訴えるようになったのは、久米田外科整形外科病院での入院中であり、その後、靭帯断裂の手術を受けるに至っているが、上記経緯や本件事故時、原告は自動車の運転席に着席しており、追突されても、右足関節に外力がかかる体勢にはなかったはずであることに鑑みれば、当該靭帯断裂が本件事故の衝突によって発生したとは考えられない。既往症の発生原因の例に鑑みれば、久米田外科整形外科病院に入院中に歩行していて偶々足を捻挫して靭帯を断裂したものと推察される。

イ 後遺障害の発生

過去の診療録により、原告には、頚椎椎間板ヘルニアや末梢神経障害、別件の交通事故による外傷性頚部症候群等、多数の既往症があることからすると、受傷を契機として症状が発症したとはいえず、後遺障害が生じたとは認められない。

(2)  損害

【原告の主張】

ア 入院雑費 一三万六五〇〇円

原告は、入院に関し一三万六五〇〇円の雑費を負担した。

イ 文書代 五一〇〇円

原告は、診断書作成費用として、五一〇〇円を負担した。

ウ 入通院慰謝料 二四〇万〇〇〇〇円

原告の実通院日数の合計が、前記のとおり七〇日であり、そして、入院日数が合計一〇五日であって、その治療経過等も併せ考慮すれば、入通院による精神的苦痛に対する慰謝料は二四〇万円相当である。

エ 後遺障害慰謝料 二六〇万〇〇〇〇円

右足関節外側側副靭帯断裂は本件事故と相当因果関係が認められるのであり、原告の後遺障害の部位、その他諸般の事情を斟酌すると後遺障害に基づく原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は二六〇万円が相当である。

オ 逸失利益

原告は、本件事故当時、失業中であったが、平成一四年一一月から読売中央販売株式会社において稼働することが内定しており、同社から月給二〇万円が支払われる予定であった。したがって、原告においては、労働能力及び労働意欲があり、就労の蓋然性があった。本件事故前の診療録をみても、腰に負担を掛けない仕事ならば就労が可能であることがうかがえ、就労意欲も認められた。

原告の後遺障害の等級は一二級であることから、一四%の労働能力を一〇年にわたり喪失したとして、中間利息年五%をライプニッツ方式により控除すると、逸失利益は、以下の計算式により、二五九万四五九二円となる。

20万円×12か月×14%×7.722=259万4592円

カ 弁護士費用 七五万〇〇〇〇円

原告と、本件事故による損害の賠償を求めるため、弁護士報酬として七五万円の支払いを約束した。

キ 既払い

原告は、被告が加入する東京海上火災保険株式会社から七五万円の支払いを受けた。

ク 損害金残額 七七三万六一九二円

よって、原告は、被告に対し自動車損害賠償保障法三条ないし不法行為に基づいて、七七三万六一九二円及びこれに対する不法行為の日である平成一四年一〇月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

【被告の主張】

ア 損害については不知ないし争う。

イ 入院雑費

原告は、主治医から見て入院の必要はなかったにもかかわらず、生活拠点が定まっていないという理由で原告自身が懇願して入院を継続したもので入院治療に関する損害は、本件事故と因果関係が認められない。

ウ 文書代

不知。

エ 入通院慰謝料

前記のとおり、入通院慰謝料については、入通院日数において、相当因果関係のない部分が多く含まれるため、非常に大幅な減額がされるべきである。

右足外側側副靭帯損傷は本件事故との因果関係が認められない。当初訴えられていた頚部の症状のみであれば、一〇五日間もの長期間にわたり入院する必要はなく、入通院慰謝料も本来妥当であった程度の入通院日数を前提に算定されるべきである。

オ 後遺障害慰謝料

前記(1)のとおり、後遺障害の発生は認められない。

カ 逸失利益

(ア) 原告は、読売中央販売株式会社に就職の予定があったと主張しているが、同社及び読売新聞北YCは、平成一四年一二月時点で、調査会社の調査に対し原告との雇用契約の成立を否定し、原告を雇用予定であった旨の証明書を発行することは会社として無理であると回答しており、就労して収入を得る蓋然性は非常に乏しかった。

(イ) 原告は、肥満症、高脂血症、脂肪肝、腰部ヘルニア、耐糖能異常、多尿、狭心症疑い、胸痛、めまい、頚椎椎間板ヘルニア、末梢神経障害等、様々な既往症を抱えていたため、本件事故以前から、もともと労働によって収入を得ることは困難な状況にあった。各医療機関の診療録を見ても、無職の状態が続いていたり、就労にあまり前向きでない陳述がなされているなど、稼働によって収入を得ることは非常に困難であったことがうかがえ、将来、収入を得られたであろう蓋然性も認められない。

(ウ) 前記(1)のとおり、原告には後遺障害の発生が認められないから、逸失利益は発生しない。

キ 弁護士費用

争う。

(3)  素因減額

【被告の主張】

ア 仮に、頚部以外の症状(主として右足の症状)について相当因果関係が認められるとしても、既往症等の別原因が大きく閲与していることは明白であり、大幅な素因減額がなされるべきである。

イ また、原告は、本件事故以前から精神科の治療を受けており、大阪大学医学部附属病院(以下「阪大病院」という。)に通院していた。精神疾患の影響によって本件の外傷についての自覚症状・愁訴内容が強度になったことが強く推認されるのであって、この点からも、全損害につき、大幅な素因減額がなされるべきである。

【原告の主張】

いずれの証拠によっても、原告が負っていた精神的疾患によって、本件事故の治療が遷延化したとは認められない。

(4)  損害の填補

【被告の主張】

ア 被告は、原告に対し既に三三二万一八〇九円を支払った。

イ 上記既払い金には、被告が病院に対し直接支払った治療関係費一八八万一六一九円が含まれている。

前記二(1)イのとおり、入院治療に関する損害は、本件事故と因果関係が認められない。

また、治療費等を全損害に対して、前述のとおり素因減額されるべきである。

ウ 前記既払金には、被告がタクシー会社から請求を受けて直接支払ったタクシー費用七七万四八九〇円が含まれている。

被告は、原告の要望により、タクシー会社からの直接請求に応じたものであるが、その後の調査により、受傷直後から歩行に支障がなく、本件事故と相当因果関係のないことが明らかとなった。また、岸和田市所在の久米田外科整形外科病院から吹田市の阪大病院まで私病の精神疾患の通院のためにタクシーで往復した分が含まれているなど、公共交通機関での移動が可能であったものや、本件事故と関係のある通院交通費ではないものが含まれており、本件事故と相当因果関係にある損害とは認めがたい。

エ その他、原告に対して六六万五三〇〇円支払った。

【原告の主張】

久米田外科整形外科病院に原告が転院したのは、山本第三病院には、整形外科がないためである。患者に生活本拠がないと言うだけでは、他の病院を紹介したりはしない。久米田外科整形外科病院では入院の必要性が認められており、入院診療計画書にもその旨記載されている。

第三争点に対する判断

一  後遺障害の有無及び程度

(1)  証拠(乙一〇ないし二七、二九ないし三五)によれば以下の事実が認められる。

ア(ア) 原告は、平成七年ころから腰痛と頭痛が生じ、診察を受けたところ、腰椎椎間板ヘルニアと診断され、同年一〇月ころ、手術を受けた。

(イ) 平成八年春ころから腰痛を再発し、二〇歳のころから勤めていた鉄工所を退職し、不動産業に転職したが、生活リズムの乱れから、体重が増加し、頭痛や不眠を訴えるようになった。また、腰痛続き、仕事に支障がでるようになったため、平成九年三月に退職した。

イ(ア) 原告は、腰痛解消のため、平成一〇年一月一六日から同年三月一日まで、減量目的で大阪市立大学医学部付属病院(以下「市大病院」という。)に入院し食事療法、運動療法を受けた。

(イ) 平成一〇年一月二〇日、整形外科で腰椎のレントゲン撮影を行ったが異常はないと診断された。

(ウ) 平成一〇年二月一〇日、運動療法を開始するにあたり、腰痛で通常の運動ができなかったため、整形外科を受診して腰部の検査を行ったところ、椎間板ヘルニアの術後変化がみられたが、腰痛への影響は少なく、運動療法を制限する必要はないと診断され、腰痛体操を行うこととなった。

ウ(ア) 平成一〇年三月二〇日、頭痛、不眠、失禁などを訴えて市大病院の外来で診察を受けたが、改善しなかったため、同年五月一日に入院し、精神療法と薬物療法を受けることとなった。

(イ) 平成一〇年六月ころからは、悪心、嘔吐、食欲不振などの症状が出現し、内科で診察を受けたところ、胃びらんと診断された。

(ウ) 同年六月三〇日、一応の検査が終了したことと、投薬を変更するなどした結果、頭痛や不眠が軽快したため退院となった。

エ(ア) 市大病院退院後、間食や大食で体重が増加したため、平成一〇年九月二九日、阪大病院の精神神経科で診察を受けたところ、肥満症の精査の必要や、摂食行動の異常が疑われたため、平成一〇年一〇月二七日、同病院に入院し、肥満症の精査と食事療法を受けた。

(イ) 腰椎椎間板ヘルニアのため、運動療法の実施が不十分であったが、食事療法の効果か体重が減少していった。また、うつの状態がみられたが、投薬により、軽快の傾向がみられた。

(ウ) 平成一〇年一一月二九日、阪大病院を退院した。退院時、原告は、今後の就労について、腰が痛い状態で仕事しても、休んだらいやがられるので、まずは、痩せて、腰を治してその次に仕事を探す。あと一年くらいは仕事しないと医師に対して語った。

オ 平成一〇年一一月三〇日、肥満症・高脂血症・うつ状態の症状があったため、原告は減量目的で市大病院に入院し、食事療法と運動療法を受け、同年一二月一七日退院した。

カ(ア) 平成一一年一月八日、原告は歩行中に右足関節を捻って捻挫した。

(イ) 平成一一年一月二五日、くわはた整形外科で診察を受けたところ、陳旧性右足関節外側側副靭帯断裂と診断され、入院を勧められて入院した。

職業は無職と申告していた。

入院中、原告は足の痛みのほか、腰痛を訴え、日によっては痛みがないこともあったが、退院まで痛みは継続していた。

(ウ) 平成一一年一月二九日、原告は靭帯断裂形成手術を受けた。手術後、原告は平成一一年二月二六日まで右足をギプスで固定し、ギプスの取れた同日からリハビリを開始した。このころから、度々外泊するようになった。

(エ) 平成一一年四月一二日、外泊中、新幹線で荷物につまずき右足首を捻ったとして痛みを訴えたので、レントゲン写真を撮影して検査したが異常は認められなかった。

(オ) 平成一一年五月二八日、くわはた整形外科を退院した。

キ 平成一一年六月二日、原告は歩行中、エスカレーターを降りる際、右足関節を捻挫した。原告が、近隣の医師の診察をうけたところ、スクリューが少し緩んでいると言われたため、同月一三日くわはた整形外科を訪れて診察を受けたが、レントゲン写真では特別な変化は認められなかった。

ク(ア) 平成一一年一月から五月に掛けての入院生活で食生活が乱れ、体重が増加してしまい、退院後も食生活が改まらず、体重の増減を繰り返した。このころから、頭痛や腰痛が強くみられるようになった。

(イ) 平成一一年六月二八日、原告は、減量目的で市大病院に入院となったが、治療方針について主治医らと意見が合わず、同年七月二日退院となった。

(ウ) 平成一一年七月六日、原告は減量目的で阪大病院で診察を受け、同年八月六日に入院した。入院中、食事療法と運動療法を受け、同年九月五日に退院した。

ケ(ア) 平成一一年九月二八日、原告は、くわはた整形外科を訪れ、同年一〇月一日から減量目的で再入院を希望している旨述べた。

(イ) 原告は平成一一年一〇月一日に入院し、食事療法と運動療法を受けた。

原告は、入院直後から腰痛を訴えるようになり、その後、下肢の痺れも訴えるようになった。

(ウ) 平成一一年一〇月二九日、原告は散歩中に足をくじいたが、外傷はなく、テーピングをしたのみで、数日後には痛みも訴えなくなっていた。

(エ) 入院中の運動で、胸部痛と両上肢の痺れ、吐き気を感じたことから、平成一一年一一月九日、阪大病院で診察を受けた。

(オ) 平成一一年一一月三〇日くわはた整形外科を退院した。

コ(ア) 平成一一年一二月二日、原告は胸部発作の精査目的で、阪大病院に入院した。

(イ) 精査の結果、胸部痛の原因は食事制限と運動療法にあると推測されたが、それまで過食と減量を繰り返していたことから、精神的な安定を図ることが今後の治療に重要であるとして、精神科での経過観察が指示された。

(ウ) 平成一一年一二月二三日、原告は阪大病院を退院した。

サ(ア) 平成一二年二月二一日、原告は、右足靱帯断裂形成手術の抜釘手術のためくわはた整形外科を訪れ、同日から平成一二年三月三一日まで入院し、抜釘手術を受けた。

(イ) 原告は、入院当初から腰痛を訴えていた。右足関節の抜釘手術後、右足の痛みは入院途中でなくなったが、腰痛は退院時まで続いていた。平成一二年三月八日、神経学的検査が実施されたが異常はなく、MRI検査も実施されたが、保存的治療で十分と診断された。

(ウ) 平成一二年三月三一日、原告はくわはた整形外科を退院した。

シ(ア) 平成一二年四月二六日、歩行時に右足に痛みが現れるようになり、その後も痛みが持続したため、同年五月八日、久米田病院で診察を受けたところ、右足関節のぐらつきと肥満傾向が認められたため、陳旧性右足関節外側側副靱帯断裂と高脂血症と診断された。

(イ) 原告は、入院当初から腰痛を訴えていた。

(ウ) 原告は、平成一二年六月二六日、退院した。退院にあたり、主治医は、足首に負担のかかる時はサポーターをすること、痛みが続いたり、足関節の不安定性が出たり、再度靱帯断裂したら次回は手術を考えた方が良いことを原告に説明した。

ス(ア) 平成一二年八月一日、原告は両上肢の痺れを訴えて府中病院で診察を受けた。病院に対して職業は会社社長と説明していた。

(イ) 原告がMRI検査を受けたところ、第五第六椎間板にヘルニアの所見が認められ、頸椎椎間板ヘルニア、末梢神経障害、椎痛症と診断された。

セ(ア) 平成一三年三月一九日、原告は乗用車に乗車し停車していたところ後方からトラックに追突された。

原告は、同日大野記念病院で診察を受けたところ、異常は発見されず、投薬指示を受けただけだった。

原告が不安に感じて弁護士に相談したところ、入院精査を勧められた。

(イ) 平成一三年三月二〇日、原告は葛城病院で診察を受けた。原告は、動作時に頭部から額に掛けて痛みを訴えた。レントゲン検査を行ったところ、第六頸椎体の前方への圧迫が疑われ、MRI検査が行われたが、正常範囲内と診断された。原告は、頸部捻挫、右前額部打撲と診断され、投薬治療で様子を見ることとなった。

原告は、その後の診察でも、頸部の痛みや痺れ、頭痛、めまい、吐き気などを訴えていた。

(ウ) 平成一三年四月二三日、原告は葛城病院を訪れ、同月一四日と一五日に足を捻挫し、左膝にも痛みを感じている旨を訴えた。医師はレントゲン検査や触診などを行ったが、レントゲン写真上骨折が認められなかったことから、サポーターと投薬治療で足りると説明した。

(エ) 平成一三年五月二一日、原告は葛城病院を訪れ、右足関節の痛みを訴えたところ、同年六月四日に再度診察を行い、手術を行うかどうか決めることとなった。

(オ) 平成一三年六月四日、原告は葛城病院で診察を受け、足関節が不安定であること、歩行後痛みがあること、同年七月二日に手術を希望していることを伝えたところ、同年六月二五日に手術前の検査を行い、同年七月二日に入院し、翌日三日に手術を実施することとなった。同日、頚部痛がなくなったことから治癒したとされた。

ソ(ア) 平成一三年五月一日、市大病院で診察を受け、頭痛や抑うつ気分、不眠を訴えたところ、薬剤調整、精査、休養目的で入院することとなった。仕事については自営業をしていると説明した。

(イ) 入院中、CT検査を受けたものの頭蓋内には異常は認められなかった。抑うつ症状については薬物療法を実施した。

(ウ) 平成一三年六月三〇日、原告は葛城病院で手術を受けるため、退院した。

タ(ア) 平成一三年七月二日、原告は葛城病院に入院し、同月三日手術を受けた。手術後、時折足のしびれが認められたが、同月二五日、ギプスを外し、歩行訓練が開始された。

(イ) 歩行訓練での荷重も徐々に増えて行き、軽度の疼痛、しびれが認められたものの我慢できる程度に収まるようになって行き、可動域も良好になっていき、平成一三年八月一五日退院となった。

チ 平成一四年五月一三日、原告は、腰痛と右臀部から下腿にかけての痛みを訴え、大阪労災病院で診察を受けたところ、腰椎椎間板ヘルニアと診断された。

ツ(ア) 原告は市大病院の精神科や内分泌内科に外来通院していたが、平成一四年五月一五日、肥満症、高脂血症、脂肪肝、腰痛、心身症、耐糖能異常、多尿の診断のもと、減量目的で阪大病院に入院した。

(イ) 平成一四年五月二〇日、整形外科を受診したところ、腰椎椎間板ヘルニアの疑いがあると診断された。

(ウ) 心身症については、症状が安定していたため、投薬されている抗精神病薬の種類や量は変更されなかった。

テ(ア) 平成一四年一〇月二一日、原告は、本件事故で負傷し、山本第三病院に搬送された。原告は頭痛、頸部痛及び右上肢のしびれ感を訴えた。頚椎のMRI検査を実施したところ、第四第五、第五第六、第六第七頸椎椎間板にヘルニアが認められ、第五第六頚椎で頚髄の圧迫が認められたが外傷に起因するような異常は発見されず、明らかな頚髄損傷の所見は認められなかったため、頸椎捻挫と診断された。

(イ) 平成一四年一〇月二二日、原告は、右後頭部から右上肢、右手指にかけて痺れ感を訴え、神経根障害の疑いと診断された。また、原告は、右外踝部に軽度の痛みがあることや歩行時に軽度のふらつきがあると訴えた。患部を確認したが外観は正常であったため、湿布を貼用することとした。

(ウ) 平成一四年一〇月二三日、原告は繰り返し安静を指示されたが、精神状態が不安定なためか病院内を歩き回っていた。

(エ) 平成一四年一〇月二四日、山本第三病院の医師は外来で経過観察が可能と判断した。

(オ) 平成一四年一〇月二八日、山本第三病院の医師は、入院を希望する原告を久米田整形外科病院に転院させることに決め、同病院の医師に宛てて診療情報提供書を作成し、受傷当初から、強い頸部痛と右上肢に強い感覚過敏、右足関節痛、左第一仙椎領域の痺れを訴えていたこと、頚部のMRI検査で軽度の頚椎症性変化が認められるが、頚髄損傷の所見はなく、上記の症状は神経根障害と考えていること、現在は明らかな運動性弱化もなく、カラー固定で症状が軽快し病院外への外出も行える程度であることを記載した。

(カ) 平成一四年一〇月二九日、原告は久米田整形外科病院に転院した。

診療録のサマリーには、症状が安定し外来での経過観察が可能であるが、本人宿無しとのことで、久米田整形外科病院に転院希望で一〇月二九日に転院したと記載された。

(キ) 平成一五年七月一日、本件事故について保険会社から原告の右足関節の症状についての問い合わせに対し、入院時の歩行については十分に歩行可能だった、入院時の右足関節の腫脹については、少なくとも著しい腫脹は認めなかったと回答した。

ト(ア) 平成一四年一〇月二九日、原告は久米田整形外科病院で診察を受けた。原告は、右上肢の肩から指先の痺れ、左環小指の痺れと右足関節の疼痛を訴えたが、右足関節に腫脹は認められなかった。

(イ) 平成一四年一〇月三〇日、リハビリが開始された。

(ウ) 平成一四年一一月二日、原告は右足の手術について説明を受けた。

(エ) 平成一四年一一月五日、右足関節外側側副靱帯断裂の再腱術を受け、ギプス固定がされた。

(オ) 平成一四年一一月七日、同日一一日からギプスのまま理学療法が行われることになった。

(カ) 平成一四年一二月四日、リハビリで全荷重歩行が開始された。

(キ) 平成一五年二月二日、原告は久米田整形外科を退院した。

(ク) 原告は入院中、頭痛、頸部痛、右足痛を訴えていた。

(ケ) 平成一五年二月三日、久米田整形外科病院の医師は、泉佐野市立泉佐野病院の医師に宛てて診療情報提供書を作成し、第四第五腰椎、第五頚椎第一仙椎椎間板変性が認められること、両上肢の神経学的所見は現在認めていないこと、右足関節は不安定性が認められ、過去何度も再建術を受けていること、平成一四年一一月五日再腱術を実施していることを記載した。

ナ(ア) 平成一五年二月七日、原告は市立泉佐野病院への通院を開始した。原告は診察の際、右足の痛み、頭痛、めまい、頚部から腰部の痛み・しびれ、頚部から両手尖のしびれを訴え、入院を希望したが、通院治療となった。

(イ) 平成一五年二月七日、原告は市立泉佐野病院の医師から佐野記念病院を紹介され、同日、佐野記念病院を受診した。原告は、長距離歩行で痛みが出て、長時間同一の姿勢でいると痛みが出る状態であった。原告はリハビリ治療を受けることとなった。

(ウ) 平成一五年四月一八日、佐野記念病院の医師は原告の症状が固定しているとして、以下のような内容の後遺障害診断書を作成した。

<1> 傷病名

頸椎捻挫、胸椎捻挫、右足関節外側靱帯断裂

<2> 自覚症状

右足痛ならびにしびれ、頚部痛、頭痛、両上肢しびれ

<3> 他覚症状

常時右足、頭痛、頚部痛が存在し、疼痛コントロールに鎮痛剤の服用が欠かせない、右足背より第四、五趾にかけてしびれや疼痛が存在する、内反による疼痛が存在し、ゆるみが残存している、頚部痛が残存し、両上肢の第七頸椎の領域に感覚障害が残存している。

(2)  後遺障害の有無、程度

ア 前記(1)によれば、本件事故後、搬送された山本第三病院で、原告は右足痛と不安定性を訴えていたこと、久米田整形外科病院に転院後、右足外側側副靱帯断裂の診断がなされ、再腱術が施行されたことが認められ、久米田整形外科において右足を捻挫したことを裏付けるような診療経過が診療録に記載されていないことに鑑みれば、本件事故後に山本第三病院を受診した時点で既に右足の靱帯が断裂していたと認められる。そして、平成一三年八月一五日以降、本件事故に至るまで、右足について治療を受けたり痛みや不安定性を訴えた様子がないこと、原告は本件事故当時、オートマである原告車両のブレーキを踏んで停車中であったところ、被告車両に追突されたと認められること(甲一、原告)に照らせば、本件事故以前に右足の靱帯を断裂していたと認めることはできない。したがって、右足の靱帯断裂は本件事故によって発症したものと認められる。

前記(1)によれば、原告は、本件事故以前に右足靱帯の傷害で三回病院で治療を受け、その内二回は手術を受けていることが認められ、それぞれの発症の経緯や退院時の医師の指導に鑑みれば、原告の右足靱帯は健常者に比較して弱く、より断裂を起こしやすい状態であったと認められるが、断裂を起こしたことがない健常者であっても、追突による交通事故で足関節や膝関節の靱帯を損傷することはありうるのであるから、事故を契機として発症している以上、因果関係は認められるのであって、原告の靱帯が健常者と比べて脆弱であったことは、素因減額の対象の問題として捉えることが相当である。前記(1)によれば、原告が、本件事故以前に陳旧性の右足関節外側側副靱帯損傷と診断された経験があること、本件事故後、原告の右足に腫脹がみられず、歩行も可能であったことが認められるが、かかる事実は前記認定を翻すに足りるものではない。

イ 後遺障害診断書によれば、原告には右足背より第四、五趾にかけてのしびれや疼痛、及び、内反による疼痛の後遺障害が残存していると認められるところ、前記(1)トの治療経過及び前記(2)アによれば、これらの後遺障害は本件事故によって発症した右足靱帯断裂に基づくものと認められるのであり、他覚的所見を伴っていることに鑑みれば、後遺障害等級一二級相当の後遺障害と認めるのが相当である。

二  損害

(1)  治療費

前記一(2)で認定したとおり、右足外側側副靱帯断裂が本件事故との因果関係が認められることからすれば、入院治療は原告の生活状況とは関係なく治療に必要なものと認められるのであって、入院治療に関する費用も本件事故と相当因果関係にある損害と認められる。

証拠(乙二の一、二、三の一、二、四の一ないし六、七の一ないし四、八の一ないし四、三六)及び弁論の全趣旨によれば、治療費の額は一八八万一六一九円と認められる。

(2)  文書代

証拠(甲六、七)によれば、原告は、山本第三病院及び久米田整形外科病院に対し、診断書作成費用として五一〇〇円支払ったことが認められるが、かかる支出は本件事故と相当因果関係にある損害と認められる。

(3)  入院雑費

前記一(1)及び二(1)によれば、合計一〇五日間の入院治療は、本件事故と相当因果関係にあると認められるから、一日一三〇〇円として一三万六五〇〇円の入院雑費は本件事故と相当因果関係にある損害と認められる。

(4)  交通費

証拠(原告本人)によれば、原告は、入院期間中は阪大病院や歯医者に通うためタクシーを使用し、退院後は佐野記念病院への通院にタクシーを使用したことが認められるところ、本件事故により入院治療を受けることになり、公共交通機関を利用して通うことが困難となったのであるから、入院期間中のタクシー利用については本件交通事故と相当因果関係にある損害と認められるが、久米田整形外科病院を退院後、市立泉佐野病院では、入院を希望したものの通院治療を受けることとなっていることや、長期歩行して初めて痛みがでるような程度まで回復していることに鑑みれば、この時点では公共交通機関を利用しての通院が可能であったものと推認されるのであって、退院後のタクシー代については本件事故と相当因果関係にある損害とは認められない。

証拠(乙七の一ないし四、八の一ないし四)によれば、タクシー代の総額は七七万四八九〇円であるが、このうち入院期間中のものは四八万七四九〇円であることが認められるから、かかる金額が、本件事故と相当因果関係にある交通費と認められる。

(5)  入通院慰謝料

入院日数一〇五日、通院期間が約二か月であることであることに鑑みれば、入通院慰謝料は一三五万円と認めるのが相当である。

(6)  後遺障害慰謝料

本件事故により、原告は一二級の後遺障害を負ったものであるから、後遺障害慰謝料は二六〇万円と認めるのが相当である。

(7)  逸失利益

ア 証拠(甲八、原告)によれば、原告は、本件事故当時新聞販売店への就職が内定していたものと認められることから、本件事故当時は無職であったものの、将来少なくとも一年あたり二四〇万円の収入を得る蓋然性があったと認められる。

被告は、原告が種々の既往症を抱えていたこと、無職の状態が続いていたこと、治療中、就労に前向きでない発言がなされていることから、就労することが困難であったと主張する。しかしながら、原告の既往症は、精神神経症状を含めて、いずれも就労が困難なほど重篤なものとは認められず、就労意欲は認められることに鑑みれば、就労の蓋然性はなかったとは言い難い。

イ 労働能力喪失期間については、平成一三年七月三日から右足靱帯断裂の治療を受け始め、本件事故当時には既に回復していたことに鑑みれば、五年程度と認めるのが相当である。

ウ 原告は、前記のとおり、前記一(2)イのような一二級の後遺障害を負ったものであるから、労働能力を一四%喪失したものと認められ、基礎収入を二四〇万円、労働能力喪失期間を五年とし、中間利息年五%をライプニッツ方式により控除すると、逸失利益の額は一四五万四六七八円となる。

(8)  合計

以上合計すると、損害額は七九一万五三八七円となる。

三  素因減額

ア  前記一(1)によれば、原告は、本件事故以前に右足靱帯の傷害で三回病院で治療を受け、その内二回は手術を受けていることが認められ、それぞれの発症の経緯や退院時の医師の指導に鑑みれば、原告の右足靱帯は健常者に比較して弱く、より断裂を起こしやすい状態であった。原告は平成七年ころから腰痛を患い、それがもとで離職する経験をしたため、腰痛を抱えて就労できないことが重荷になって、過食と入院を繰返し、精神神経科で治療を受けたり、心身症と診断されて抗精神病薬の投与を受けており、痛みを受容する能力が低く、一般的な場合と比較して、自覚症状が強く表れる傾向があった。

イ  これらの事情に鑑みれば、原告の身体的心因的素因を、五割と認め、これを損害額から控除するのが相当である。

ウ  減額の結果、損害額は三九五万七六九三円となる。

四  填補

争いのない事実等によれば、被告に原告に対し合計三三二万一八〇九円の既払が認められるから、これを損害額から控除すると、残額は六三万五八八四円となる。

五  弁護士費用

本件訴訟における認容額等、諸般の事情を考慮すれば、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用は六万円と認めるのが相当である。

六  以上より、原告の請求は、被告に対し六九万五八八四円及びこれに対する平成一四年一〇月二一日から支払い済みまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度において理由がある。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 平井健一郎)

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