大阪地方裁判所 平成16年(わ)3696号 判決 2004年12月01日
主文
被告人を懲役3年に処する。
未決勾留日数のうち110日をこの刑に算入する。
この裁判が確定した日から5年間この刑の執行を猶予する。
理由
【犯行に至る経緯】
被告人は,昭和33年に妻Aと婚姻し,2男1女をもうけた。本件被害者B(昭和39年9月5日生。被害当時39歳。以下「B被害者」という。)は,その長男であり,2番目の子供である。
B被害者は,中学3年生のころから不良仲間と交際を始め,中学卒業後,一時期調理師専門学校に通ったものの長続きせず,その後は仕事もせずに飲酒に耽るようになって,家族に金をせびっては暴力を振るい,暴れたり大声で叫んだりして近所にも迷惑をかけるようになった。そのため,被告人夫婦は,環境を変えるために引っ越しをしたが,それでもB被害者の言動に改善の兆しはなく,同じように近所に迷惑をかける行為を繰り返したため,結局何度も転居を余儀なくされた。
そしてこの間の平成12年ころから平成14年1月にかけて,被告人は,医療保護入院の措置により,B被害者を前後5回にわたり精神病院であるC病院に入院させ,同病院では,アルコール依存症・人格障害の診断病名の下に治療が行われたものの,退院するとまたも同じ生活に戻ることの繰り返しであったため,その後平成14年1月からは,ほぼ2週間に1度同病院に通院を続けることとなり,同年5月からは,B被害者の希望により毎回被告人も同伴で通院をするようになって,本件の約10日前である平成16年5月25日までその通院を続けていた。
そして,被告人は,平成14年12月,大阪府高槻市<町番号略>所在の<省略>号室(以下「自宅マンション」という。)を購入し,同マンションに5度目の転居を行うこととなったが,これまでもB被害者がたびたび実母Aに暴行を加えたり,入院中の同女を退院の許可もないのに勝手に退院させて自宅に連れ帰ったりするようなことがあったことから,妻であり70歳の高齢者でもある同女のことをかわいそうに思って次男に引き取ってもらうことにし,以後,被告人が独りB被害者の矢面に立ってその面倒を見ることとして,自宅マンションにて同被害者と二人生活するようになった。
しかし,その後も,B被害者は,近隣の迷惑も顧みず酒に酔って騒ぐなどの迷惑行為を繰り返したり,近所の住民や通行人からも金を借りようとしたりするなど,その行状は以前にも増して酷いものとなっていった。ことに,平成15年9月ころには,B被害者は酒を買ってくるよう被告人に包丁を突き付けるようにまでなり,その折りには,被告人は,包丁を避けようとして手に怪我をしたこともあって,「ここまできたら人様にどんな迷惑を掛けるか分からない。いつか人に怪我させてしまいよる。Bを殺して儂も死のうか。」と思い詰めることとなった。
そして,平成16年3月ころには,B被害者の飲酒量が増え,金銭の要求もエスカレートして,被告人がこれを断ると大声で怒鳴りまくるなど,次第に,被告人にも手が付けられない状態になっていった。同月22日ころには,酒代を要求するB被害者の命令を被告人が拒んだところ,同被害者が灰皿をもって襲いかかる様子を示したことから,頭に血が昇った被告人が部屋にあった脚立で同被害者の頭を殴り,約1か月間の加療を要する頭部,顔面切創の傷害を負わせたこともあった。
ところで,B被害者は,幼いころから異常なまでに神経質な性格であり,例えば,30代後半にもなって自身が夜寝付くまで被告人が姿勢も変えずに自分の手を握っておくよう強く求めるなどしていたため,被告人は,長年にわたり他人には到底理解できないような種々の苦労を味わってきたが,それでもなお,同被害者を見捨てることなく,警察署に相談に行ったり,保健所にも相談に行ったり,また,何とかB被害者に一人前の職に就かせるべく,同被害者を連れて職業安定所に通ったりして,被告人として考えられる種々の方途を講じたものの,結局は,いずれも実を結ぶことなく,B被害者の行状はますます悪化の一途をたどり,幼児化の傾向すら窺われ,被告人との間で上記のような刃傷沙汰・暴力沙汰まで発生することになったため,被告人はこのようなB被害者との生活に疲労困憊する一方,いよいよ生活費も事欠く状態になってきたことから,「自分がいなくなったら誰がBの面倒を見るんや。こいつはどれだけ迷惑をかけるかわからない。」などと深く憂慮の思いに沈むこととなった。
そのような暗然たる状況のなか,本件犯行前日である同年6月5日を迎えた。B被害者は,同日未明から被告人にビールを買いに行かせて,朝から断続的に酒を飲み続け,午後9時ころには就寝したが,翌6日午前3時ころには,就寝している被告人の枕元に来て,「酒買いに行け。」などと言って起こしてきた。しかし,被告人には,もはや金がなかったことから,金を借りるにしてももう少し待つように言ってB被害者を我慢させようとしたが,同被害者はこれに納得せず,次第に大声を出して暴れる様子を見せ始めたため,被告人は,近所迷惑にならぬよう同被害者を外に連れ出し,何とか我慢させるか,また,金を借りることを装うことにした。そして,被告人は,ゆっくり身支度して時間稼ぎをした後,「グズグズすんなー。」などと怒鳴りつけてくるB被害者を連れて自宅マンションを出,被告人の軽四輪自動車に一緒に乗り込むと,とりあえず朝まで何とか時間稼ぎをしようとして行く宛もなく運転を始め,「金いつなったら借りられんねん。」などと何度も同被害者から文句を言われながらも,国道D号線を行ったり来たりしたり,同被害者が居眠りをしている間は新幹線の高架橋下で同車を停車するなどして,ともかく時間が過ぎるのを待っていたものの,やがて同被害者が目を覚まし,「早う行け。」などとせっついてきたため,仕方なく車を発進させ,再び時間潰しのためののろのろ走行を始めた。
【有罪と認定した事実】
かくして,被告人は,B被害者を助手席に乗せ,宛もなく車を走らせながら,警察や保健所に行っても同被害者をどうすることもできなかったことを思い起こし,この先,いったいどうすればよいのか,同被害者を1人にさせたら家族や近所に迷惑がかかるなどとつらつら思い悩んでいたが,前同日午前8時ころ,高槻市<町番号略>淀川右岸堤防上まで至ったところ,うとうとしていたB被害者が目を覚まして「どっち向いて走ってるねん。」などとまたも文句を言いながら,いきなりハンドルをつかんできたため,「危ないやないか。」などと注意したものの,同被害者は「何やと,殺したろか。」と怒り出し,助手席の足下に置かれていた電気コードを取り出して,これを両手で引っ張った状態で,被告人の左耳辺りに当てて来たため,そのコードを左手でつかんで奪い返したものの,同被害者は更に被告人の左脇腹を2回拳で殴って来,「こんなところうろうろせんと,はよ金借りに行け。」などと言って怒鳴ってきたことから,ここに,被告人は,上記のような同被害者の言動や暴行に対し,これまで一生懸命同被害者の面倒を見てきたにもかかわらず,同被害者が何らこれに報いることなく,理不尽な言動ばかり繰り返していることに怒りがこみ上げてきて押さえきれなくなり,さらに自分が死んだ後の同被害者の行く末を案じるとともに,家族らに迷惑をかけるわけにはいかないとの思いから,もはや自分の手で同被害者を殺害するしかないなどと思い詰めるに至り,同被害者から奪った前記電気コードを両手に持つや,助手席でうとうとしていた同被害者の頚部にこれを巻き付けて,これを強く締め付け,よって,その場で,同被害者を頸部圧迫により窒息させて殺害するに至った。
【事実認定に供した証拠】
<省略>
【法令適用の過程】
(1) 「有罪と認定した事実」に記載の被告人の行為は,刑法199条に該当する。
そこで,当裁判所は,後記「量刑の理由」により,その法定刑の中から有期懲役刑を選択した上,その法定刑期の範囲内で被告人を主文の刑に処するとともに,刑法25条1項を適用して,この裁判が確定した日から主文の期間この刑の執行を猶予することとした。
(2) 被告人には未決勾留の期間があるので,刑法21条を適用して,その日数のうち主文の日数をこの刑に算入する。
【量刑の理由】
本件は,かねてからアルコール依存症等に苛まれていた長男の素行不良に苦慮し,自ら長男を引き取って独りその矢面に立って面倒を見ていた被告人が,本件当日も,真夜中に長男から酒代を無心され,やむを得ず,長男と共にその金を借りるとの口実で宛もなく車を走らせていたものの,車中,長男から電気コードを顔に当てられたり,罵声を浴びせられたり,暴行を加えられたりしたことから,これに憤激するとともに,長男や家族の行く末を案じる余り,その電気コードで長男を絞殺して殺害するに至ったという事案である。
今見たように,本件は確定的殺意に基づいて人を絞殺した重大事犯であり,犯行の結果も,また極めて深刻である。既に種々認定したとおり,長男には種々の問題行動があったものの,その背景には,長男自身には如何ともし難い生来的な神経症的性質や人格的な偏りが存していたのであって,上記のような問題行動の全てを長男の責めに帰せしめることはできないように思われる。実の父の手にかかってその人生に幕を下ろしたことは,長男自身にとっても誠に哀れな結末であったというほかなく,あまりにも幸せの少ないその人生も含め,深い哀憐の情を禁じ得ないのである。
ただ,その一方,被告人の本件犯行に至る経緯・動機にも酌むべき点が少なくないように思われる。前述のとおり,被告人は,長年にわたり,問題の多い長男の面倒を見てきただけでなく,特にこの1年半は,妻の身体的・精神的負担も考えて,自ら独りその矢面に立つ形で,ますます行状悪化の一途をたどる長男と同居し,独り身を挺して長男のために尽くしてきたものである。そのような生活の中で,被告人は,何とか事態を良い方向に導こうと関係諸機関に種々相談に赴き,病院にも長男を入通院させたりしたものの,いずれもはかばかしい結果も得られず,いわば万策尽きた末に,本件犯行が引き起こされるに至ったものである。しかも,その犯行動機たるや,自分自身がその苦労から解放されたいといったような利己的なものではなく,むしろ自分亡き後に残されるであろう長男や家族の行く末を案じ,家族に同じような苦労を味わわせたくないとの一途な思いに発したものであって,この点は十分に評価せねばならない。もちろん,本件犯行が一面被告人の憤激にも由来していることは否定すべからざる事実であるが,被告人の長年にわたる多大の努力にもかかわらず,長男が一向に生活態度を改めなかったばかりか,実の親に罵倒や暴力まで加えてきたことに対し,このような感情を抱いて本件犯行に及んだことには,同情すべき余地がある。
そして,このような経緯から,被告人は長男殺害後,我に返り,様々な葛藤があったものの,そのまま警察に自首し,以後一貫して事実を認めて自己の行為を深く反省しているのである。被害者の遺族でもあるとともに被告人の家族でもある妻や長女・次男らが被告人に対する処罰を全く望んでおらず,妻に至っては本件犯行に対する一半の責任まで感じていることが窺われる。被告人は,これまで優しく真面目な夫・父として実直かつ誠実に人生を送ってきたものであり,当然のことながら前科前歴もない。
我が子を自らの手で死に致してしまった責任の大きさは,他の誰よりも被告人自らが痛切に感じているところと思われる。既に述べたような各種情状に照らしても,もはや司法機関が被告人に重大な応報刑を科して罪を償わせる必要はないと思われるし,一般予防や特別予防の観点からしても,また同様であると考えられる。
そこで,当裁判所は,以上の諸事情を総合考慮し,被告人を主文の刑に処するとともに,主文の期間その刑の執行を猶予して,被告人には,社会の中にあって,我が子の冥福を静かに祈らせつつ,その罪を償わせることが最も適切であると判断するに至った次第である(検察官求刑-懲役7年)。
(裁判長裁判官 杉田宗久 裁判官 鈴嶋晋一 裁判官 菅野昌彦)