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大阪地方裁判所 平成16年(わ)3943号 判決 2006年3月20日

主文

被告人両名はいずれも無罪。

理由

《目次》

第1  本件公訴事実の要旨/268

第2  本件争点及び証拠構造/268

第3  前提となる事実関係/268

1  本件事件の発生及び現場付近の状況等/268

(1)  関係する場所の位置関係

(2)  本件被害状況

2  犯人を撮影した防犯ビデオ映像の存在/269

3  本件捜査の経緯と概要/269

4  被告人両名及び事件関係者について/270

第4  共犯者とされた者らの供述/270

1  C野冬夫の供述/270

(1)  公判供述の要旨

(2)  供述経過等

(3)  信用性判断

ア 供述の著しい変遷とその理由

イ 多くの虚偽内容を含む供述経過

ウ 虚偽供述する状況の存在

エ 証言内容の不自然,不合理性

(4)  結論

(5)  C野梅子の供述

2  A山春夫の供述/278

(1)  検察官に対する供述要旨

(2)  春夫本人の審判における陳述の要旨

(3)  当裁判所の所在尋問期日における供述の要旨

(4)  供述経過等

(5)  信用性判断

ア 警察官による暴行等の有無

イ 自白の経過と虚偽供述の可能性

ウ 供述の著しい変遷とその理由

エ 他の共犯者とされた者らの供述との矛盾

オ 供述内容の不自然な詳細さ

カ 被害者に対する謝罪の手紙

(6)  結論

3  A山夏夫の供述/288

(1)  検察官に対する供述要旨

(2)  公判供述の要旨

(3)  供述経過等

(4)  信用性判断

ア 警察官による暴行等の有無

イ 供述の不自然な詳細さ

ウ 供述の著しい変遷とその理由

エ 携帯電話の通信履歴との関係

(5)  結論

4  B川秋夫の供述/295

(1)  検察官に対する供述要旨

(2)  夏夫の審判における証言の要旨

7月21日の秋夫の証言(少年審判調書,甲126)

(3)  公判供述の要旨

(4)  秋夫に対する取調べ状況

(5)  供述経過等

(6)  信用性判断

ア 警察官による脅迫の有無

イ 長期にわたる取調べと特異な供述内容

ウ 供述内容の不自然性

エ 供述の不自然な変遷等

(7)  結論

5  D谷竜巳の供述/301

(1)  公判供述の要旨

(2)  検討

6  総合的考察/302

第5  防犯ビデオ映像について/303

1  総説/303

2  鑑定結果/304

3  実行犯とされる4人の身長と体重/304

4  春夫の人物同定供述,実行犯とされる4人の身長,鑑定結果の関係/304

5  Z1鑑定の概要/304

6  Z2鑑定の概要/305

7  Z4鑑定の概要/305

8  鑑定に対する評価/305

(1)  本件防犯ビデオ映像の画質等について

(2)  Z1鑑定について

(3)  Z2・Z4鑑定について

9  Z4鑑定及び本件防犯ビデオ映像自体から推認できる事実/308

第6  アリバイについて/309

1  秋夫のアリバイについて/309

(1)  総説

(2)  T沢陽子の公判供述

(3)  T沢月子の公判供述

(4)  陽子の携帯電話に残された電子メール

(5)  陽子供述の信用性

(6)  検察官の反論

(7)  結論

2  被告人甲のアリバイについて/313

(1)  S1の公判供述

(2)  S2の公判供述

(3)  被告人甲の公判供述

(4)  評価

3  被告人乙のアリバイについて/314

(1)  Qの公判供述

(2)  被告人乙の公判供述

(3)  評価

4  春夫,夏夫のアリバイについて/314

(1)  春夫の公判供述

(2)  夏夫の公判供述

(3)  A山花子の公判供述

(4)  評価

第7  その他/315

1  被告人両名の犯行動機/315

(1)  検察官の主張

(2)  判断

ア 被告人甲について

イ 被告人乙について

2  被告人両名によるC野の呼出及びC野宅への来訪/316

(1)  □□西公園への呼出について

(2)  C野宅への来訪について

第8  結論/317

[凡例]

以下の説明に当たっては,便宜上,次のような表示をする。

1  「甲」と付された数字は,検察官請求証拠番号を示し,「弁」と付された数字は,弁護人請求証拠番号を示す。また,書証については原本と謄本をあえて区別しない。

2  証人の供述については,当公判廷における供述と,公判調書中の供述部分を区別せず,「公判供述」又は「証言」と表示する。

3  日付で特に年表示のないものは,平成16年を示す。

第1  本件公訴事実の要旨

本件公訴事実の要旨は,「被告人両名は,A山春夫(以下「春夫」という。),A山夏夫(以下「夏夫」という。)及びB川秋夫(以下「秋夫」という。)と共謀の上,通行人を襲って金員を強取しようと企て,平成16年2月16日午後8時35分ころ,大阪市住吉区<以下省略>××B棟南側路上(以下「本件犯行現場」という。)において,徒歩で帰宅途中のX(61歳)に対し,秋夫がXの後方から体当たりして同人を路上に転倒させる暴行を加え,さらに,被告人乙,秋夫,春夫,夏夫がこもごもXの周りを取り囲んで「金出せ。殺すぞ。」などと脅迫してその反抗を抑圧し,同人から現金約6万3000円を強取し,その際,上記暴行により,同人に対し,入院加療51日間,その後通院加療約3か月間を要する骨盤骨折の傷害を負わせた。」というものである。

第2  本件争点及び証拠構造

被告人両名は,本件事件への関与を全面的に否認しており,犯人性が争われている。

本件において,被告人両名が有罪であることを裏付ける主な証拠は,①少年であり共犯者とされた秋夫(犯行当時13歳,平成2年*月*日生),春夫(犯行当時16歳,昭和62年*月*日生),夏夫(犯行当時14歳,平成元年*月*日生)の捜査段階での各供述並びに②少年審判における春夫及び秋夫の各供述,③これを裏付けるC野冬夫(犯行当時14歳,平成元年*月*日生。以下「C野」という。)の捜査段階及び公判での各供述である。

さらに,本件では,④逃走する犯人4人の姿が撮影されている現場付近の防犯カメラによるビデオ映像の解析鑑定結果,⑤秋夫が当時付き合っていた女子中学生の携帯電話に残された電子メールという客観的証拠がある。

したがって,上記①②③の供述証拠が信用性を有するか,これらが④⑤等の証拠と矛盾抵触しないかを中心に検討すべきことになる。

第3  前提となる事実関係

関係各証拠によれば,以下の事実が認定できる。

1  本件事件の発生及び現場付近の状況等

(1)  関係する場所の位置関係

本件犯行現場は,大阪市住吉区の北西端近くに位置し,北西に西成区玉出地区,北東に阿倍野区,西に住之江区が接する場所である。本件犯行現場の北には幹線道路である南港通が東西に走り,同通の南側に××B棟(以下「××」という。)のマンションが建っており,その南側の幅員約3.5メートルの生活道路において本件事件が発生している。そして,本件犯行現場から北西の場所に阪堺電気軌道,阪堺線塚西駅があり,その西側で南港通の北側にファーストフード店「○○店」(以下「○○店」という。)があり,同所から約400メートル西に△△書店があり,その付近に当時の被告人甲方がある。

(2)  本件被害状況

平成16年2月16日,当時の大阪地方裁判所長であったX(以下「被害者」という。)が執務を終えて帰宅のため,前記塚西駅で電車を降り,××の南側路上を東へ歩いていたところ,同日午後8時35分ころ,本件犯行現場において,4人組の男性とすれ違った後,その中の赤色ジャンパーを着た男が後方から突進して体当たりして,被害者を路上に転倒させ,さらに,4人の男が「金持ってるやろ,金出せや。」,「殺すぞ。」などと言って脅したため,被害者は,逆らえば更に暴力を振るわれると思い,黒色長財布から現金6万3000円を取り出して,男に差し出した。その男はこれを受け取ると「もうないか。まだあるやろ。」などと言いながら,財布の中をのぞき込んだので,被害者は財布を広げて中身がないことを示した。これを確認した男性4人組は,東に逃走していった。

そして,この際の暴行による転倒により,被害者は,入院加療51日間,その後の通院加療約3か月間を要する骨盤骨折の重傷を負った。(なお,犯人像について,事件当日の被害者及び翌日付けの被害者の供述調書には,マンションの入り口付近で立ち話をしていた「年齢16,7歳くらいの高校生風の少年4人」が歩いてきて,すれ違った直後に,赤色ジャンパーの男が突進してきた旨の記載がある。しかし,被害者は,公判において,そのたむろしている被害者グループを意識して見ていたわけではなく,暴行を受けた衝撃で転倒した後は,起き上がれず痛みも激しかったことなどから,犯人たちの顔を見ることもできなかったもので,赤色上着の者がいたことや4人くらいだったことは覚えているが,雰囲気で高校生ぐらいの若者かと思った程度であり,身長なども特に印象に残るものはなかったと証言している。結局,被害者供述から明らかになる犯人像は,上記証言の程度のものであり,「年齢16,7歳くらい」「少年4人」との記載は正確とはいえないことになる。)

2  犯人を撮影した防犯ビデオ映像の存在

本件犯行現場から約71メートル東に行った地点に設置された民家の防犯カメラが,同日午後8時35分ころ,4人の人物が一団となって西から東に走り去る様子をビデオ映像として記録していた。その映像(以下「本件防犯ビデオ映像」という。)には,黒色上着を着た者2人,白色上着を着た者1人,赤色上着を着た者1人が写し出されていた。

①被害者は,体当たりしてきた人物が赤色上着を着ており,犯行後に犯人グループは道路を東に向かって小走りに逃走していったと供述していること,②本件犯行現場から上記防犯ビデオが設置された場所までは1本道であり,途中に分かれ道がないこと,③被害者は,何度も立ち上がろうとしたが負傷のため立ち上がれず,結局,被害の数分後である午後8時38分になって携帯電話で自宅に連絡し,午後8時39分に110番通報がされているため,本件犯行は午後8時35分ころであると認められるから,本件防犯ビデオ映像は,犯行直後に逃走中の本件犯人グループを写し出したものと認められる。

3  本件捜査の経緯と概要

本件事件の発生後,大阪府警察本部刑事機動捜査隊と大阪府住吉警察署の合同捜査本部が同署内に設置され,前記防犯ビデオに写った4人が犯人であるという判断の下,本件防犯ビデオ映像の鮮明化や,事件発生前ころ現場付近にいた人物に関する目撃情報の聞込み等の捜査を進めていった。その過程で,警察は,2月16日当日の午後7時50分ころ,本件犯行現場に近い南海電鉄南海高野線帝塚山駅近くの踏切付近において恐喝未遂事件が発生していることを把握し,本件犯人らと同一グループによる事件ではないかと考え,本件犯行の前兆事案として位置付けた上(以下,この恐喝未遂事件を「前兆事案」という。),その被害者の供述に基づいて似顔絵を作成し,これを用いて聞込み捜査を開始した。また,その他にも本件当日午後5時ころ以降に本件犯行現場近くで4件の恐喝未遂事件又はこれに類する事件が発生していたことから,これについても捜査を行った。そして,3月10日ころの時点で収集できた情報に基づく犯人像は,4人組の若者風で,年齢は15歳から20歳くらいというものであった。その後も捜査は続けられたが,有益な情報がなかったことから,捜査範囲を広げ,西成区玉出地区にも聞込み捜査を行った結果,似顔絵に似た男がいる少年グループの存在が報告され,秋夫,同人の兄であるB川太郎(本件当時16歳,以下「太郎」という。),E(本件当時14歳,以下「E」という。),F(本件当時16歳,以下「F」という。)ほか数名が捜査線上に浮かび上がった。そして,その少年グループ中,F,太郎がGという少年と共に万引きをしたことがあり,その万引きで捕まって共犯者の名前を挙げたGに仕返しをしたとの報告を受けた。これにより,前記少年グループと関係のある者2名から事情を聴取したところ,似顔絵に似ている人物として秋夫の名を挙げた。さらに,警察は,G及びその母に対して,似顔絵及び前兆事案の防犯ビデオ映像の写真を見せたところ,そこに写った赤色服の男及び似顔絵の男が秋夫である又は似ているとの答えを得たことから,本件の犯人の1人が秋夫ではないかとの疑いを強めた。さらに,Gに事情聴取した結果,かつての万引き事件について警察に共犯者に関する供述をしたため,その共犯者から呼び出され,暴力を受けた上,現金を要求され,種々の嫌がらせをされるなどしたという恐喝未遂事件(以下,「G事件」ともいう。)を認知した。これを本件事件の捜査本部が並行して捜査することになり,G事件の犯人が太郎,F,秋夫,春夫であることが判明し,4月27日,太郎とFを逮捕した。秋夫は事件当時13歳で刑事未成年であったため,身柄付き通告とし,4月26日,児童相談所による一時保護とされた。春夫については,関与の程度が低かったため,4月28,29日ころから,在宅で任意の取調べを開始した。G事件の共犯者4人は,比較的早い時期から同事件の犯行を認めた。この4月下旬ころには,本件事件に関する取調べは行われていなかった。警察は,前記少年グループの一員やその関係者に対する事情聴取を進め,5月初めころ,関係者の1人としてC野を同行し,G事件,次いで本件事件について取り調べたところ,C野は,本件事件に関与した者として秋夫らの名前を挙げ,自分と被告人甲も近くにいたと述べた。また,秋夫に対しては,G事件以外について話すことはないかと供述を促したところ,黙っていることが多かったが,5月10日にいったん本件事件への関与を窺わせるような供述をした。そして,警察は,5月19日,春夫を任意同行したところ,同日中に本件事件への関与を認めたため,逮捕した。翌20日,夏夫を任意同行して取り調べ,21,22日も引き続いて取り調べたところ,本件事件に見張りとして関与していると供述したため,同日,逮捕した。さらに,春夫が被告人乙を犯人の一人として挙げたため,同被告人が被疑者として捜査線上に浮かんできた。さらに,被告人甲については,それよりも早い段階からC野がその名前を挙げていたことや,その後の取調べで,春夫,夏夫も,被告人甲が見張り役をしていたほか,襲えそうな相手を見つけると携帯電話でワンコールして知らせる役目を果たした者であると供述した。しかし,春夫,夏夫は,その後の取調べの過程で,犯人の一人について,被告人乙ではなく,D谷竜巳(本件当時17歳,昭和61年*月*日生,以下「竜巳」という。)であると供述を変遷させ,一方,C野も5月27,28日の取調べで,被告人両名や春夫,夏夫,秋夫のほか,竜巳らもメンバーにいたと供述した。そこで,竜巳を取り調べたところ,本件犯行を認めるかのような供述をしたため,本件犯行現場へ案内させたが,満足に案内できなかったことなどから,同人の関与は認めがたいと判断された。さらに,秋夫は,児童相談所の面接室において取調べを受け,5月末又は6月初めころから,関与を認めるかのような供述をし始め,6月30日ころには,本件公訴事実に沿う供述をするに至った。被告人両名は,6月14日に逮捕され,一貫して本件犯行を否認したが,7月5日,本件犯行の共犯者として起訴されるに至った。

4  被告人両名及び事件関係者について

被告人甲は,平成11年9月ころから大阪市西成区<以下省略>にある廃棄物処理業者の東西興業において,ごみ収集車の運転手として働いていたが,平成15年3月に解雇された。その後,同年8月ころから同市住之江区にある南北清掃において,同じくごみ収集車の運転手として稼働していたが,平成16年1月13日に解雇された。被告人乙は,22歳ころから,上記東西興業においてごみ収集車の運転手等として働いており,本件当時も同社に勤務していた。被告人両名は,仕事だけでなく,私生活でも付き合いがあった。被告人乙は,平成15年夏ころ,現在の住居地である大阪市住之江区の自宅マンションを購入したことから,それまで居住していた賃貸マンションに借主名義を変えずに入居してはどうかと被告人甲に勧め,当時,生活費に困っていた同被告人は,これを受けて,同年8月ころから,家賃は同被告人が支払うとの約束で同所に住むようになった(本件当時のこの同被告人方マンションを以下「被告人甲方」という。)。被告人甲は,勤めていた東西興業の経営者の子であるH1(本件当時17歳,昭和61年*月*日生),H2(本件当時16歳,昭和62年*月*日生)らとの関係で,太郎,秋夫,Fと知り合った。また,C野,E,I(本件当時15歳)らとも知り合いであった。被告人甲は,これらの少年とは,時間があると一緒に食事をしたり,話をしたりして付き合う仲であった。また,被告人乙は,上記H兄弟と親しいほか,被告人甲を介して秋夫らと面識があった。

また,これら少年の間では,被告人乙や被告人甲が元暴走族の総長ないし関係者であると噂されていた(春夫及び夏夫の公判供述等)。

第4  共犯者とされた者らの供述

このように,被告人両名が犯人として起訴されるに至った経過を見ると,前兆事案の聞込み結果に基づいて,地域の少年グループに対する捜査を進める過程で,C野が本件事件の犯人について供述し,その後に春夫,夏夫らも自白するようになったものである。そこで,まず,端緒となったC野の供述内容と供述経過をたどり,その上で春夫ら共犯者とされた他の少年の供述内容と供述経過を順に検討していく。

1  C野冬夫の供述

C野の公判供述は,被告人甲から本件犯行を打ち明けられた状況及び被告人両名から働きかけを受けた状況などを内容としており,春夫らの共犯者の自白を裏付けるものとして,また,被告人らが本件犯行に及んだことを推認させる多くの間接事実を含むものとして位置付けられている。ただし,C野の供述は,捜査段階において大きく変遷しており,上記公判供述の信用性判断に当たっては,C野の供述経過全体を検討する必要がある。さらに,C野の公判供述を裏付けるものとして,同人の姉であるC野梅子の供述があるので,併せて検討する。

(1)  公判供述の要旨

(被告人らとの関係について)

中学1年生の初めころ,友人の秋夫を介して被告人甲と知り合った。知り合ってからは,被告人甲方へ行ってゲームをしたりして,一緒に遊ぶことがあった。被告人乙と遊ぶことはほとんどなく,被告人甲と遊ぶ際に一緒にいたことがある程度であった。秋夫とは親しく,春夫,夏夫,太郎,Fとは普通の友人といった仲である。

(本件犯行当日の出来事について)

本件犯行当日の約1週間前,被告人甲から,被告人乙に金集めを頼まれているので協力するようにと言われていた。僕が協力を断ると,被告人甲は怒って胸倉をつかんで「言うことがきけんのか。」などと言ってきたが,結局,断った。

本件当日である2月16日夕方,秋夫と一緒に□□西公園近くの道路を歩いていると,被告人乙と出会い,金を集めろという意味のことを言われた。このときも,当初は断ったが,被告人乙は少し怒って,暴走族の話を持ち出してきた。被告人乙がかつて暴走族の総長をしていたと聞いていたので,僕も秋夫も怖くなって「やります。」と答え,金集めを引き受けた。そして,被告人乙が被告人甲へ連絡し,被告人乙の運転するパッカー車(ごみ収集車)に乗って,被告人甲方へ向かった。途中でEとIを見かけ,○○店に来るように声をかけた。被告人甲をパッカー車に乗せて東西興業に行き,そこでH1を,その後にH2を途中で乗せ,○○店に向かった。同店に着いたのは,暗くなりかけるころであった。EとIもほぼ同時刻ころにやってきた。当時,Eと付き合っていたが,同店でEと別れ話をすることになった。この別れ話には,仲裁役としてIが加わった。当時,○○店には,ほかに春夫,夏夫,J(本件当時20歳,昭和58年*月*日生),竜巳もいた。被告人両名とも店内にはいなかったが,別れ話をしている途中で,被告人甲が,一人で店内に入ってきて,「遊びに行くぞ。」と言ってきた。「お金を集めろ。」と言われていたので,おそらくカツアゲなどをするのだろうと思い,Eと話をしていることを理由に,一緒に行くのを断った。それでも,被告人甲は,来るように言ったが,頼み込んだら,「別にええわ。」と言って,店を出て行った。その後1時間余りで再び同店に戻ってきた被告人甲は,「何で来(き)いへんかってん。」などと言って,同店1階にいた僕を2階のトイレに連れて行き,顔を4,5発殴ってきた。その後,その場にいる者たちで被告人甲方へ行こうという話になり,僕,E,I,秋夫,被告人甲のほかに,更に春夫,夏夫,被告人乙も加わった。被告人甲方のあるマンション入り口の集合ポストの所で,被告人甲が2万円多いので返すという意味のことを被告人乙に言った。僕は,門限の時刻が近かったので,そのまま帰宅した。帰宅後,しばらくして,Eから公園に呼び出され,バレンタインデーのチョコレートを渡された。

(本件犯行日以後の出来事について)

翌日である2月17日,被告人甲方で二人きりでいたとき,被告人甲が,「信用しとるんやぞ。」,「言わんか。」などと念押しした上で,「昨日,おやじ狩りをしたんや。」などと言ってきた。おやじ狩りとは,おっさんをどついてお金を取って逃げることだと思った。被告人甲は,聞かれたくないことを聞かれると突然怒り出したりするので,興味はあったが,それ以上は聞かなかった。同年4月終わりころにも,被告人甲から,おやじ狩りのことについて口止めされた。太郎が警察に捕まって少し後ころ,被告人甲と一緒に町をぶらつき,坂を上っていったところで,同被告人が「ここや。」と言ってきた。私が「何ですか。」と言うと,被告人甲は「やったところや。」と言った。そこは,○○店の近くの坂を右に入った裏道で,帝塚山の高級住宅街風の場所であった。僕は,5月初めころから6月ころまでの間,毎日のように警察から取調べを受けた。取調官から「お前らカツアゲとかやっていないか。」と言われて,カツアゲをしたと供述した。初めのころは,太郎とFがGに行った恐喝未遂について聴取を受けたが,被告人甲から教えてもらったおやじ狩りの場所について取調官に説明したら,それからは毎日のようにその件で取調べを受けるようになった。被告人甲からは,隠し通せ,被告人甲と被告人乙の名前は出すなと言われ,それが無理なら違うことを言って警察を混乱させろと言われていた。混乱させたりしないと,被告人甲から暴力を振るわれると思った。また,自分の名前を出したのは,被告人甲から,自分自身も犯人に挙げておけと言われたからである。被告人甲からは,今捕まっているF,太郎,秋夫らに罪を被せろなどと捜査を混乱させる方法について具体的に指示された。さらに,K,L,M,辰巳などの名前を犯人として挙げた。これらの名前を挙げることは,僕だけで考えたのではなく,被告人甲からも挙げておけと言われたことがあった。被告人甲は,僕が取調べを受けた初日,電話をかけてきた。そして,姉梅子が,被告人甲に対し,警察で取調べを受けているので不在である旨を伝えたため,僕が警察から取調べを受けていることを知ったのだと思う。被告人甲からは,取調べで聞かれた内容などについて聞かれたり,混乱させろ等の指示を受けた。被告人甲には,おやじ狩りについては取調べを受けておらず,G事件で取調べを受けていると伝えておいた。結局,被告人甲からの指示にもかかわらず,被告人甲と被告人乙の名前を出したのは,全部指示を聞いていたら悔しいので,「唯一の抵抗」として言ったことである。被告人甲の名前を出しても,家から出なければ報復されないと思った。

被告人乙からも,2回ほど口止めを受けた。1度目は,5月中旬の午後8時ころ,Eから,不審者に追いかけられているとの連絡を受け,□□西公園に行くと,被告人甲,被告人乙,E,Nがいた。被告人乙から「ちくるな。」,「ほんまの男やったらポリなんかにちくらんぞ。」などと言われた。何も言っていないと答えると,被告人乙は「情報が回ってきてるんや。」,「腹割って話せ。こっちも腹割って話してんねんから。」などと言い,被告人甲は,警察で何を聞かれているかと聞いてきた。怖くなり,口実を付けて,その場を離れた。2度目の口止めは,5月中旬の午後9時ころ,Eから呼び出され,自宅マンションの下に行ったら,被告人両名がいた。被告人乙は,すごい剣幕で怒っていて,「もう知ってるんや。」,「言えや。」,「ほんまにしばくぞ。」などと言い,「分かってんねん。」などと言って怒っていた。被告人甲は,特に発言をしなかった。結局,被告人乙から「もう俺たちに近づかんといてくれ。」と言われ,別れた。そして,自宅に戻ると,姉梅子から帰りが遅いことを注意された。その際,姉に被告人乙との先ほどのやり取りについて話をした。その後,同日午後10時半ころ,被告人甲と被告人乙が自宅にやって来て,私の母と姉が応対した。そして,母と姉が被告人両名と一緒に自宅マンションの屋上に行った。3,40分ほどして母と姉が戻ってきて,これ以上関わり合いを持ってほしくないと被告人両名から言われたことなどを聞かされた。

(取調べ状況について)

ゴールデンウィークに取調べを受け始め,5月4日に自供書を書いた。僕が,被告人甲,太郎,秋夫,F,Oと共にカツアゲをしたなどというのはすべて嘘である。被告人甲から指示されたり,私が思いついて述べた分もある。5月5日の取調べで,取調官から嘘だろうと言われ,すごく怒られたり,逮捕するぞと言われたことが何回かあった。また,怒鳴られたり,机を叩かれたりした。5月14日付けの自供書と犯行現場の図面は,体験していない事実を書いた。また,警察官と共に本件犯行現場にも行ったが,これは被告人甲から以前犯行場所として告白を受けていたので,その記憶に基づいて案内した。また,被告人乙の名前を出さないでいたのは,被告人甲から口止めされていたからである。竜巳がいたと5月28日にはっきりと供述したが,これは,この間に,警察官から「この中に誰かおるはずや。」と言われて写真面割台帳を示された際,そこには秋夫など以外に私が知っている人物は竜巳しかいなかったことから,記憶違いかもしれないと断りを入れて,同人の名前を挙げたのである。

(2)  供述経過等

C野については,上記公判供述に先立って,捜査段階で多数の自供書及び供述調書が作成されている。当裁判所は,これらについて,立証趣旨を「供述経過」に限定して取り調べた。概要は次のとおりである(なお,自供書におけるC野と被告人甲に関する表記については原文のとおり。)(冒頭に掲げる日付は供述調書,供述書等の作成日付を示す。以下,同じ。)。

ア 5月4日(自供書3通)

2月16日昼過ぎころ,大正の南恩加島のバス停において,太郎,秋夫,O,甲,Fと僕の6人でカツアゲをした。太郎が蹴った。金は4000円くらいを取った(甲178)。

2件目は,午後2時ころ,住吉でカツアゲをした。太郎,F,O,甲,秋夫,僕でやった。太郎が自転車に乗りながらサラリーマンを足蹴りした。金は取っていない(甲179)。

同日夕方,住吉の踏切の所で,秋夫,甲,F,太郎,僕,Oでカツアゲをした。サラリーマンや女性がいた。多分3人組であった。僕は逃げたので,脅して金を取ったかどうかは分からない(甲180)。

イ 5月5日(自供書2通)

甲は,F,秋夫と,口裏合わせをしたらしい。甲は,Fらに対し,カゴダッシュやおやじ狩りのことなどを言ってはならない,甲がパクられる方向に仕向けるな,などと言ったそうだ(甲181)。

甲は,自慢げに「ピー殺してもうたん最悪やわぁ〜。」と笑いながら言っており,異常だと思った。この時以来,一線を引こうと思った。殺されかけたことがあったため,言うことを聞いていただけである。万引き,カツアゲ,おやじ狩りといろいろやらされた。「ポリにちくったらどうなるか分かってるよな。」と言われたこともある。甲は,非常に怖い人である(甲182)。

ウ 5月13日(自供書2通,地図2枚)

本当のことを言わずに嘘を言った。甲に踊らされていた。

甲から,Fとかに全部なすりつけたらいい,場所などは適当に言えば,ばれない等と言われた。C野冬夫と甲と秋夫と夏夫でカツアゲとおやじ狩りをした。2月16日夕方,場所は,帝塚山の駅近くと○○店の近く,マンションの近くである。合計7万円を取り,その全部を甲に渡した(甲183)。

おやじ狩りを皆でした(白いマンション等と書かれた地図,甲184)。

12月か1月ころ,○○店前でカツアゲをした。メンバーは,C野冬夫と甲,秋夫,夏夫であった。合計5000円か,6000円ほど取った。日本橋で,C野冬夫,秋夫,Fと共にカツアゲをした。時刻は昼ころ,いくら金を取ったかは覚えていない(甲186)。

エ 5月14日(自供書,甲187)

2月16日午後8時30分ころ,5,60歳のおじさんが歩いてきて,友達が追いかけ,後は何をしていたか分からない。金は取った(手書きの地図上には,m,L,K,巽,秋夫,春夫,C,夏夫,岡,iなどの記載がある。)。

オ 5月16日(自供書,甲188)

2月16日午後8時30分ころ,おれ,夏夫,甲さん,秋夫,エム,K,巽,春夫,Lと共におやじ狩りをした。塚西の交差点近くの白いマンションで待ち伏せしていると,5,60歳ころのおじいちゃんが歩いてきて,マンション横の通路を歩いていった。秋夫,春夫,K,巽が先回りしてやった。甲さんがあわてて逃げたので,おれもあわてて逃げた。その後,甲さん方に行き,甲さんから「7万円弱入ってたぞ。」と教えられた。

犯行時刻が8時30分だと思うのは,帰宅したら午後9時だったからである。このすぐ後にEからバレンタインデーのチョコレートをもらったから覚えている。おやじ狩りの場所には,IとEもいた。

カ 5月16日(実況見分調書,甲189)

○○店のある塚西交差点,本件犯行現場近くの××などに行き,被告人甲らの行動を説明する。その際の現場における指示説明は以下のようなものである。

××西側の1階に通じる階段に被告人甲とC野が座っていた。被告人甲が,秋夫に対し,同マンション北側歩道を西方向に行っておくようにと指示した。さらに,春夫に対しても,秋夫の方へ行くように指示した。C野と被告人甲が同マンション西端にいると,Kが両名の前を通り過ぎ,南側の道路に出て行った。C野がKの後を付けたところ,同人が南側道路を東に行き,ライターを落とした。さらに,巽がC野らの前を通って同マンション南側道路へ向かった。マンション周辺にエム,Lがいた。その後,5,60歳のおじいちゃんが歩いてきて,同マンション北西角の進入路に入り,南側道路へと抜けていった。夏夫が「タンコ」(舌打ちのこと)を鳴らした。被告人甲が南港通を西方向に逃げたので,C野は同通りを北側に渡って逃げた。

キ 5月18日(警察官調書,甲190)

2月16日午後8時30分過ぎ,住吉区帝塚山の幽霊屋敷と呼んでいる白いマンション前の道路上で,僕は,被告人甲,秋夫,夏夫,春夫,M,辰巳,L,Kと共におやじ狩りをした。また,帝塚山駅の踏切の前辺りで男女3人グループを被告人甲,秋夫,夏夫及び私の4人でカツアゲをした。

おやじ狩りをする少し前に,被告人甲,秋夫,Iの4人で○○店にいた。被告人甲が,幽霊屋敷に行こうかと言うので,肝試しでもするのかと思い,4人で白いマンションに行くことにした。同所に着くと,秋夫は東の方へ歩いていった。しばらくすると,春夫,夏夫が自転車で来て,被告人甲が秋夫が呼んでいるなどと言って,秋夫の所へ行くように命令した。そして,被告人甲から警察が来たら教えるようにと見張り役を命令してきた。この時点では単車を盗むための見張りと思っていた。その後,M,K,L,辰巳が集まってきたので,カツアゲに行くのだと思った。Mは,原動機付自転車でマンションの周りを走り回って,見張りをしていた。なぜいつもと異なるメンバーでカツアゲをするのかと不思議に思い,マンションの裏通りへ歩いていくKの後を付けたところ,Kは,そこでジッポーのライターを落とし,僕は,その音で驚いて,元の見張りの場所に戻った。この時,マンションの裏側にいたのは,秋夫,春夫,K,辰巳であり,マンション北側で見張りをしていたのは,僕,被告人甲,夏夫,Lであった。Iは,後に来たEと一緒に立ち去った。見張りをしていると,5,60歳くらいの男が歩いてきて,僕たちの前を通っていった。すると,夏夫が上顎と舌を使って音を立てる「タンコ」を鳴らした。僕は,これがその男を襲う合図に聞こえた。すると,しばらくすると,被告人甲がすごい勢いで塚西の交差点に逃げていった。それを見て,僕も自宅に逃げ帰った。そして,バレンタインデーのチョコレートをEからもらった後,一緒に被告人甲方へ行った。秋夫とIは既に来ていた。そこで,「Cちゃん,聞いてくれよ。7万円拾ったぞ。」と行ってきた。僕は,これを聞いて,カツアゲで7万円を取ったと思った。その後,被告人甲と二人きりになった際,「本当に7万円もあったんですか。」と聞いた。被告人甲は「うん,あったよ。7万円ちょっとや。」と言った。

ク 5月27日(警察官調書,甲191)

(供述変遷の経緯)

前回供述した内容には嘘が含まれている。おやじ狩りをしたとき○○店にいたメンバーは,被告人両名,秋夫,春夫,夏夫,H1,H2,竜巳であり,Jもいたように思う。E,Iも○○店にいた。L,Kも同店の駐車場にいた。僕は,本当は,直前にメンバーから抜けて,○○店でメンバーが帰ってくるのを待っていた。これまで嘘をついていた理由は,被告人甲から被告人乙の名前を出すなと口止めをされていたことや,もし話すのであれば,自分も仲間であるとして話すように脅されていたからである。被告人両名からは,公園に呼び出され,「お前警察に全部しゃベってるらしいな。」などと脅された。また,5月17日夜にも,被告人両名が僕の自宅に来て「お前いらんこと言うたら分かってるやろな。」などと脅された。警察の取調べを受けるようになってからは,毎日,被告人甲から取調べの内容を報告させられ,その中で,被告人両名の名前を出さないように口止めされていた。さらに,太郎とFになすりつけること,場所は適当に言っておくことなどを命令された。被告人甲からは「いらんことしゃべってないやろな。」と確認されたが,何も話していないと答えていた。しかし,取調べが長く続くようになり,被告人甲との連絡を取らなくなったことから,被告人甲は,僕が警察ですべてを話しているのではと疑い始めた。秋夫が補導された4月26日後,被告人甲からおやじ狩りをした場所を案内され,「もし警察に話をするんやったら,お前見張りをしていたことにしとけ。」,「警察で取調べを受け,しんどくなってしゃべるときは自分を入れとけ。」などと脅された。5月14日,Eを通じて,□□西公園に誘い出され,被告人両名,Nに取り囲まれて,脅された。その後,関係のないF,太郎の名前を出していることで悩んだ。被告人甲の名前を出したのは,自分なりの仕返しである。これは,かつて仲の良かったPが被告人甲にひき殺されたことで同被告人を恨んでいたからで,ずっと仕返ししてやると思っていたからである。また,被告人甲が警察に逮捕されれば,関係が切れるとも思ったからである。仮に正直に話したことが発覚しても,そのときは警察が守ってくれると思った。また,被告人乙からも「しんどくなったらLやKの名前を出せ。」と言われた。M,辰巳については,被告人甲から名前を出すように言われていた。また,H1,H2についても怖くて話せなかったが,この機会に縁を切ることで,悪い仲間から縁を切ろうと思ったので話した。

(犯行経緯,犯行状況)

2月9日ころ,被告人甲から電話があり,僕と秋夫が呼び出された。被告人甲は,南北清掃のごみ収集車で迎えに来てくれ,僕と秋夫は,被告人甲から,被告人乙の彼女のQが妊娠して中絶費用が10万円くらい必要らしい,金を集めろなどと言ってきた。僕は,これまでにも被告人甲に命令されて,食料品,洗剤,たばこ等をよく万引きさせられていたが,今回は,要求された金額が高額だったので,いったんは勇気を出して断った。すると,急に顔色を変えてにらみ付け,僕の胸倉をつかんだ上で「お前何で言うこと聞かれへんねん。」,「お前,ほんまにしばかな分からんのか。」などと脅してきた。しかし,必死で断り続けると,このときは許してくれた。

2月11,12日ころ,被告人甲から,被告人乙が東西興業の社長から金を借りに行くと伝えられた。それを聞いて,もう金を集める必要がなくなると思い,安心した。しかし,その翌日,被告人甲から,被告人乙が東西興業社長から借金を断られたと聞かされ,更に「断られたからな,遠回しに金集めろと言うてんのん分からんのんか。」等と金を集める話を再度持ち出してきた。このときも,必死で頼み込んで,金を集める話を断った。

2月16日,□□西公園前に東西興業のごみ収集車が止まっており,被告人乙から言われ,秋夫と2人で同車に乗ると,「この前の話やけどどないや。」などと金を集める話を持ち出してきた。僕が断ると,被告人乙は,肩付近をつかみ,大声で「大正連合のOB付いてるんやぞ。」,「お前ら,行くんか行かんのかはっきりせえ。」と言って脅してきた。そのため,秋夫と僕は,ついて行くことに応じた。

ケ 5月28日(検察官調書,甲192)

被告人甲から,本件犯行の約1週間ほど前に金を集めるように要求されたこと,2月16日,被告人乙からお金を集めろと脅され,秋夫と2人でこれに応じたことは5月27日付けとほぼ同旨である。

その後,被告人乙が,被告人甲に連絡し,被告人乙が運転する車で甲の住むマンションまで行き,被告人甲を乗せ,更に東西興業に行って,H1,Rの2人を乗せ,○○店に向かう途中のパチンコ店でH2も乗せた。また,□□西公園近くを通った際,自転車に乗ったEとIを見かけたので,被告人乙が○○店に集合するように伝えた。

車の中で,被告人乙は,被告人甲に対し,夏夫にゲームソフトを万引きさせて,金に換えてはどうかと言っていた。被告人甲は,自販機荒らしがいいのではないかと持ちかけたりした。この話を聞いていた秋夫が「そんなら,カツアゲ行きますか。その方が簡単ですよね。」と提案した。被告人乙は,「すぐに獲物が見つかるわけじゃないしなあ。」と答えた。

その後,○○店に,春夫,夏夫,竜巳がやってきた。そのころ,E,Iもやってきた。当時,Eとの関係がうまく行っていなかったので,○○店で話合いをすることにした。仲間が集められて5分ほどしてから,被告人甲が「おい,遊びに行くぞ。」と声をかけた。カツアゲに行く号令であることが理解できたので,僕は,被告人両名に,頭を下げて「ほんまに勘弁してください。」と言って,カツアゲの仲間になることを断り続けた。すると,被告人甲は,「そんならええわ。」と言った。このとき店から出て行ったメンバーは,被告人両名のほか,秋夫,春夫,夏夫,H1,H2,R,竜巳であった。1時間近く経って,被告人甲や秋夫が店に戻ってきた。僕は,被告人甲に,カツアゲの仲間に加わるのを断ったことを謝罪し,Eともうしばらく付き合うことを伝えると,被告人甲は,「別れたら良かったのに。」と言い,その後,同店2階のトイレに連れて行かれ,被告人甲から手拳で4,5発殴られた。

それから,被告人甲のマンションへ集まることになり,僕とEは自転車で行き,他の仲間は歩いたり,被告人乙の運転するごみ収集車に乗せてもらうなどして,マンションに向かった。同マンションの1階で,被告人乙が被告人甲にお札ほどの大きさの物を渡していた。その後,被告人甲の部屋に入った。被告人甲は僕に「7万円拾った。」と言い,被告人乙に「4万円は多いから,返しますわ。」と言って,一万円札2枚を被告人乙に渡した。

翌日,被告人甲方で遊んでいると,絶対に他言しないようと念押しされた上で,「昨日な,俺らでおやじ狩りしたんや。」と告白された。

コ 7月22日(検察官調書,甲114)

上記5月28日付け検察官調書(甲192)とほぼ同旨

(3)  信用性判断

本件の実質証拠である上記(1)の公判供述は,被告人両名から金集めのため行動を共にするように強く求められた状況,○○店に戻ってきた被告人甲から殴られた状況,翌日に犯行を打ち明けられ,その後に犯行現場に案内された状況,口止めや指示を受けた状況などについて,非常に具体的かつ詳細な内容であり,弁護人からの長時間にわたる反対尋問によってもほとんど揺らいでいない。しかし,子細に見れば種々の重大な疑問点がある。

ア  供述の著しい変遷とその理由

C野の供述は,捜査段階から公判までの全体を見ると,印象に残るはずの部分や枢要部分についても著しい変遷が認められる上,以下に述べるように,これらの変遷には合理性がないというべきであって,捜査官からの誘導,暗示と,これに対する迎合が認められるといってよい。

すなわち,C野は,取調べを受け始めた当初である5月4日には,被告人甲らと共に,本件当日,大正区及び住吉区での3件のカツアゲをしたと供述し,被告人甲が非常に怖い人であることを具体的に述べ,その後,5月13日には,被告人甲から口止めや他の少年へのなすりつけなどを指示されて,嘘をついていたとした上で,本件犯行を具体的に供述しているが,その後,前記のように共犯者について供述を二転三転させ,遂に5月27日には,自分が犯行現場に当時行っておらず,○○店で待っていたと供述するに至っているが,このような著しい変遷をした理由について,被告人甲から嘘をつき通せ,被告人両名の名前は出すなと言われ,また,警察を混乱させろとも言われていたので,そのとおりにしなければ暴力を振るわれると思い,そのような供述をしたというものである。しかしながら,C野は,取調べを受け始めて間もない5月4日から,被告人甲がカツアゲやおやじ狩りに関与していたという点についてだけは一貫して述べており,終始,同被告人が主導的役割を果たしたかのような供述を繰り返している。もし前記のように,怖い被告人甲からの指示や口止めに従って連日にわたって虚偽の供述をしたのであれば,被告人甲の関与は最も秘匿すべき事項であったはずであるのに,これについて真っ先に供述するというのは,著しく不合理である。この点,C野は,被告人甲の命令をすべて聞くのが悔しかったし,同被告人に不満も持っていたことから,「唯一の抵抗」として被告人甲の名前を挙げたと言うが,命令に反してまで犯人として同被告人の名前を挙げた以上,他の点で命令を守って嘘を並べて捜査の混乱を図ってみても意味はなく,何ら合理的な説明になっていない。また,被告人甲から,しんどくなったら違うことを言え,F,太郎,秋夫の名前を出せなどと言われたというが,問い詰められた結果,数人の名前を挙げるのならともかく,5月18日の警察官に対する取調べでは,秋夫,春夫,夏夫,被告人甲のほか,C野,K,辰巳,L,M,I,Eも犯行現場に行ったと供述して,11人もの名前を事件関係者として挙げている。多数名が現場付近に集まると秘密が洩れやすくなることを考えれば,このような人数はあまりに多すぎると思われ,不必要なまでに氏名を挙げて供述を重ねている点で,やはり指示に基づいての供述としては説明が付きにくい。

また,被告人乙については5月27日まで供述しなかったというのも不自然である。すなわち,C野は,被告人乙も怖かったし,被告人甲から口止めされていたから述べなかったというが,被告人乙と同様かそれ以上に怖い存在であったと思われる被告人甲については,早々とその関与を供述していながら,被告人乙については隠し続けるというのは理由が不明である。被告人乙の存在がC野供述に現れてくるのは,5月27日からであるが,被告人乙が共犯者として捜査線上に現れてくるのは,5月19日の春夫の供述からであり,捜査官から被告人乙の存在について尋ねられたC野がこれに迎合した結果であると見るのが相当である。

また,5月18日までは共犯者の一人として挙げていた辰巳についても,5月27日には,竜巳に変更している。これについて,C野は,その変遷理由について,被告人甲から辰巳やMの名前を出すように言われていたので,わざと□□中学校出身の辰巳と竜巳を入れ替えて供述した,被告人乙も「こいつらやったら無職やし,名前出してもええ。」などと言っていたからであるという。しかし,先に述べたように,被告人甲について主要な共犯者として供述しながら,竜巳の名前を伏せて,名が同音である辰巳の名前を出したというのはあまりに不自然である。そもそも竜巳の事件への関与が疑われ始めたのは,夏夫が5月21日に取調べにおいて,竜巳が○○店にいたと供述したからと考えられ,なお,竜巳の名前を出した経緯については,警察官から写真面割台帳を見せられ,その中に秋夫など以外に知っている顔写真は竜巳しかなかったので,「見間違いやったらだめですけど」と断りを入れて竜巳の名前を挙げたと証言していることからすると,夏夫の供述を契機として,竜巳についても供述し始めたと見るのが相当である(また,夏夫が竜巳の名前を出したのも,先にC野供述に出ている辰巳の関与について聞かれた際,知っていた竜巳の名前を出したと考えられる。)。C野の捜査官からの誘導,暗示に対する迎合しやすい態度は,5月4日の取調べにおいて,2月16日だけで3回もカツアゲをしたと供述していること,その後,事件関係者として,M,K,辰巳など次々と知り合いの名前を出していることからも窺われる。

検察官は,これらの供述の変遷理由について,被告人甲による口止め,捜査攪乱の指示を受けて嘘の話を取り混ぜたこと及び思慮の浅い少年ならではの「唯一の抵抗」という屈折した心理を指摘する。しかし,悔しさや不満から被告人甲の悪口を言ったり,同被告人に多少の不利な事実を述べるというのであればともかく,同被告人が主な犯人であると名指しするという,決定的に不利であって,報復を受けるような供述を続けながら,その後も指示は無視せずに嘘の供述を取り混ぜるというのは,年少で自己の発言の意味などを十分に理解せずに供述することがあり得ることを考慮したとしても,なお不自然に過ぎるというべきである。

イ  多くの虚偽内容を含む供述経過

次に特筆されなければならないのは,C野の証言が前記のように具体的かつ詳細であったとしても,それが信用性を高める事情にならないといわざるを得ない点である。

確かに,同人の証言は,極めて詳細で,細部についても具体的に述べられている。すなわち,被告人乙のごみ収集車に乗せられ,脅された状況,メンバーが集まった経過,○○店に着き,Eと別れ話をしていた状況,カツアゲの仲間に加わることを拒否したために被告人甲に同店2階のトイレに連れて行かれ,殴られた状況,翌日に被告人甲から犯行を打ち明けられた状況,4月末ころ被告人甲から本件犯行現場を見せられた状況などについて,体験した者でなければ供述し得ないと思われるほどの迫真性,臨場感が認められるかのようである。

しかしながら,C野は,捜査段階で,当初は本件現場に行って仲間とおやじ狩りをしたと供述し,これを否定するまでの間に,犯行当時の状況を極めて詳細に供述していることは,上記(2)から明らかである。例えば,5月18日の警察官に対する供述では,全く体験していないはずの現場の状況について,「○○店にいると,被告人甲が,幽霊屋敷に行こうかと言ったので,肝試しでもするのかと思った。」「白いマンションに着くと,秋夫は,東の方へ歩いていった。春夫,夏夫が自転車で来て,被告人甲が秋夫の所へ行くように命令した。」「被告人甲は『パッツン来たら教えてくれ。』と言って,パトカーが来たら教えるようにと命令してきた。」「その後,M,K,L,辰巳が集まってきた。Mは,原動機付自転車でマンションの周りを走り回って,見張りをした。私は,なぜいつもと異なるメンバーでカツアゲをするのかと不思議に思った。」「Kは,そこでジッポーのライターを落とし,その音で驚いて,元の見張りの場所に戻った。」「現場には,秋夫,春夫,K,辰巳,僕,被告人甲,夏夫,Lのほか,IやEもいた。」「夏夫が上顎と舌を用いて音を立てる『タンコ』を鳴らした。僕は,これがその男を襲う合図に聞こえた。」「被告人甲がすごい勢いで塚西の交差点に逃げていった。それを見て,僕も自宅に逃げ帰った。」などと供述している。

以上のような供述は,いずれも迫真性と臨場感があふれるというほかない内容であるが,前記のとおり,5月27日以降の供述によって覆され,本当は自分は犯行当時は現場に行っておらず,○○店にいたと供述し,これが公判証言に至るまで続いているのである。前記のように嘘を取り混ぜて捜査を混乱させたいという動機があったと仮定しても,犯行現場での見張りの状況について,およそ体験していない,また,他の者が供述しておらず,聞かされたとも思われないような細部の事実にまでわたって,例えば「Kがマンションの裏通りでジッポーライターを落とし,その音で驚いた。」あるいは「夏夫がタンコで合図をした。」などの事実をなぜ真に迫るように描写し,供述できたのか説明が付かない。これらは,C野が取調べを受ける過程で思いつき,創作したと認めるほかなく,C野の空想によるものか,別の体験を本件当時に引き写して供述したものかは不明であるが,いずれにしてもそのようなC野の供述のうちどの部分が本件体験に基づくものかを判別することは困難である。C野は,前記のとおり自分が現場に行き,犯行後逃げ帰ったという供述を撤回して,犯行に参加しなかったために被告人甲から暴行されたり,犯行告白を受けたなどの迫真的事実を代わりに供述するに至るのであるが,変更後の事実は信用できると考えるべき根拠がないといわざるを得ない。そうである以上,C野の上記変遷後の供述及び公判証言がこれも微に入り,細に入って臨場感あふれるものであったとしても,これをもって信用性を高める事情と考えるべきではない。

また,C野は,被告人乙の彼女の中絶費用を捻出するために本件犯行が行われたことを証言でも維持しているが(92頁,170頁),同被告人がそのために東西興業に借金しに行ったものの社長から断られたという捜査段階での詳細な供述(甲191,192)については,東西興業代表者の供述(甲120)によれば,同被告人から,本件当時,借金したいと申出があったことは一切なかったことが認められる。また,他の関係者の供述にも現れていない。そうすると,C野の供述中,この部分も虚偽である可能性が高い。

C野は,姉の梅子の供述によれば,平生からよく嘘をつくこと,C野自身,周囲からよく嘘つきと呼ばれ,自分でも嘘をつくのを止めようと心がけていると供述していること,被告人甲の供述でも,C野が嘘をついても仕方がないような嘘をつくことを具体例を挙げて述べている(母親が倒れて危篤状態で入院しているとか,実の父親が通り魔に刺されて緊急入院したとか言ったが,調べてみたら嘘だったなど)こと,何より捜査段階において前述のような非体験供述に関する明らかな虚偽供述をしていることなどを総合すると,C野の供述の信用性判断には,特段の注意を払う必要があるというべきである。

ウ  虚偽供述する状況の存在

さらに,C野は,捜査官に対する供述当時は14歳であり,このような社会経験の乏しい年少者は,捜査官からの示唆,暗示や誘導などの影響を受けやすく,迎合的傾向があることも指摘されているところである。C野は,G事件の少年グループの仲間として,恐喝等に関与していると疑われていたが,実際にもC野の生活態度は良好でなく,単車盗や万引きをすることもしばしばあったと認められるのであり,取調べの過程で,取調官から逮捕するぞなどと言われ,机を叩かれたり,怒鳴られたりして取調べを受けたというのであるから,捜査官の誘導に乗ったり,迎合しやすい立場にあったことは否定できない。

エ  証言内容の不自然,不合理性

次に,その証言における供述内容も,子細に見ると不自然,不合理な点が見受けられる。C野の証言によれば,被告人甲らとその共犯者とされた者を含むグループが○○店に集合したのは,暗くなりかけるころであり,それからしばらくして被告人甲らが出て行き,その後約1時間で再び被告人甲らが戻ってきたというのであり,犯行はこの間に行われたことになる。これは,犯行当時の大阪市の日没時刻(午後5時41分ころ)からすると,本件犯行時刻(午後8時35分ころ)と明らかに矛盾する。この点,C野は,当時の集合した時刻について,「暗くなりかけるころ」というように周囲の明るさなどを根拠にして供述しているのであるから,真っ暗になっていたであろう時間と混同しているとは思われない。また,被告人甲らが戻ってくるまでの時間についても,1時間程度と供述しているのであり,数時間後と混同しているとは考えがたい。

さらに,犯行後に被告人甲の部屋に入ったかどうかという点について,捜査段階では「同マンションの1階で被告人乙が被告人甲に紙幣ほどの大きさの物を渡していた。その後,被告人甲の部屋に入ってから,僕に7万円拾ったと言い,被告人乙に『4万円は多いから,返しますわ。』と言って,一万円札2枚を被告人乙に渡した。」と詳しく明確に供述しているのに対し,公判廷では被告人甲宅には入っていないと供述する。このような印象に残る出来事であり,かつ,捜査段階ではそのやり取りについても生々しく供述していたにもかかわらず,この点について,C野が供述を変遷させた理由については,特に合理的な説明がなされていない。さらに,○○店に着いた後被告人甲から「遊びに行くぞ。」と言われるまでの時間について,公判では当初は30分と言いながら,反対尋問において,5月28日付けの検察官調書では5分となっていることを指摘されると,5分と変更している。これについても,記憶の減退や勘違いとして片付けてよいか疑問である。

また,翌日に「昨日おやじ狩りをしたんや。」と告白されたとする点について,そのような告白がされた理由など前後の状況は曖昧であり,唐突な印象を受けるし,被告人甲が口止めを考えたとしても,わざわざ犯行をしたことを打ち明ける必要があったとは思われない。さらに,その後,太郎,Fが逮捕され,その仲間のC野に対する事情聴取も予想され,被告人甲自身にも嫌疑がかかるかもしれない状況であったのに,一方ではそのころも口止めを続けながら,本件犯行現場をC野に告白したというのは非常に不自然であり,その後にC野に執拗な口止め工作をしたということと矛盾する行動というべきである。なお,これについて,検察官は,C野は,南港通からマンション西側の通路を通って,本件犯行現場に至る経路を被告人甲から教えられており(91頁),そのためこれを警察官に案内できたものであって,しかもこれは被害者が本件当日通った経路と一致するから,C野の上記証言の信用性は明白であると主張する。しかし,既に事件翌日の2月17日付け調書において,被害者が上記の通行経路について詳しく供述しており(甲5),警察官はC野に案内される前から上記通路について知悉していた以上,秘密の暴露に当たらないというべきであって,C野が被告人甲から現場を教えられていた事実の裏付けはないといえる。

(4) 結論

以上のように,C野供述を全体を通じて見ると,自身の関与の有無や共犯者など供述の枢要部分を含めて変遷が著しく,それらの変遷について,被告人甲からの口止めや捜査攪乱の指示に従ったという理由では合理的な説明が付かないのであり,むしろ捜査官からの示唆や誘導に迎合して虚偽供述を重ねたものと見るべきである。供述された内容についても,迫真性があるように見えるが秘密の暴露に当たるものはなく,むしろ体験したはずのない事実まで過度に迫真的供述がされており,全体の信用性を著しく損なうものである。そのような虚偽供述や著しい変遷の末に作成された検察官調書とほぼ同内容といえる公判供述の信用性は非常に疑わしいというべきである。

(5)  C野梅子の供述

C野の姉の梅子は,公判で次のように述べている。

ア 供述要旨

(ア) 2月16日の行動に関する告白

平成16年5月5,6日ころ,弟の冬夫が警察に何度も呼ばれて取調べを受けたので,殴りつけて問い訊したところ,おやじ狩りに自分は関与していないことを話し出した。

それによると,冬夫は,大勢の友人と共に○○店にいた。その際,行くぞと言われたが,Eと別れ話をしていたので,一緒に行けないと断ったところ,来なくてもよいという話になり,被告人甲らは行って,その後,戻って来た同被告人から,来なかったことについて怒られたということであった。自分はEと一緒に○○店にいたと述べていた。この最初の告白の際,秋夫,春夫,夏夫が関与していると言っていた。また,後日,Eに真偽を確認したところ,当時はよく別れ話をしていたので,この日もそのような話をしていたと思うと言っていた。

(イ) 被告人両名の来訪に関して

平成16年5月17日ころの午後11時ころ,被告人両名が自宅を訪ねてきた。当時,自宅には,私,母,冬夫,私の友人がいた。被告人両名が来たので,母が玄関で対応した。そこで,被告人乙が「すみません。お宅の息子さんがね。」などと言って話を切り出してきた。これに対し,母は,近所の目もあるので屋上で話そうという話になり,私も付いていくことになった。私は,被告人乙が冬夫の件で話があるというので,おやじ狩りのことについて口止めに来たのだと思った。そのように思ったのは,この日より前に冬夫が被告人両名から階下に呼び出されたり,□□西公園に呼び出されたりしたことがあり,被告人乙から「大人,なめとんのか。」と怒られたと言っていた。また,冬夫から,前記のような内容の2月16日の出来事について告白を受けていたからである。そして,自宅マンションの屋上で被告人両名と私,母の4人で話をすることになった。被告人乙は,母に対し,冬夫が警察で,被告人甲のことが怖くて一緒にいた,同被告人が殺人者であるなどと言っているという趣旨のことを言ってきた。私は,冬夫が言ったとは限らず,春夫,夏夫が言ったかもしれないではないかと言った。このとき,春夫,夏夫の名前を出したのは,冬夫から春夫,夏夫も事情聴取を受けていると聞いていたからである。これに対し,被告人乙は,被告人甲の名前を出しているのは冬夫である,警察からそう聞かされたので,それを注意しに来たと言った。更に続けて,被告人乙は,お互いに関わりたくないし,警察でも知らんと言うように伝えてくれと言われた。この話合いの際,被告人乙が,「僕らも,この年なんで,殴ったりとかしないんで,それは安心してください。」と言った。話合いが終わった後,母は,「本当に気分を悪くさしてすみませんでした。」と言った。被告人乙は,これに対し,「お母さん,謝ってほしくて来たわけじゃありません。お母さん,立ってください。ほんまに,もう,いいんで,それが言いたかっただけなんで。」などと言って,土下座しようとした母の腕を軽々と持ち上げて立たせようとした。

イ 信用性ないし関連性の評価

C野からの告白を受けた時期とその内容について,おやじ狩りには,秋夫,春夫,夏夫が関与していたが,自分は関わっていないと聞いたと証言する一方で,一緒に警察に行った際,C野から,また,母を通じて警察官から,上記3名の少年のほか被告人甲も関与していると知らされたなどと証言しており,他方,7月2日の警察官の取調べに際しては,最初にC野から告白された際に,秋夫,春夫,夏夫,被告人甲がやったと供述していることが窺われ,結局,いつどの段階でどのような供述をC野から受けたかについては非常に曖昧である。

以上からすれば,5月5日か6日ころ,梅子がC野から最初におやじ狩りについて告白を受け,その際,○○店でC野がEと一緒にいたので,犯行には関与していないと述べたこと,その後,5月17日までに被告人甲も本件犯行に関与していることを告白されたことは窺えるものの,具体的にどのような供述を受けていたのかについては,疑問が残るのであり,前記C野証言を補強するに足りない。

次に,5月17日に被告人両名が来た際の状況については,被告人両名の供述とも概ね一致している。また,その際,おやじ狩りの件で来たと思ったというのも,それ以前からC野が取調べを受けていることを知っていたと言うのであるから,信用できる。

しかし,その際に被告人両名は,おやじ狩りの件に触れたわけではないのであって,C野が警察の取調べで又仲間に対しても被告人甲らの悪口を言っていると知り,C野の母や姉に直接苦情を言いに行っただけであるとする被告人両名の弁解を排斥することはできない。

以上からすれば,梅子供述は,特にC野の供述の信用性を高めるものとはいえず,その信用性に関する前記判断を覆すものではない。

2  A山春夫の供述

春夫の供述のうち,被告人両名と本件犯行を結びつける証拠として,検察官調書2通(甲39,40),自己の少年審判における陳述(甲43)があり,他方,当裁判所の所在尋問においては,これと対立する内容の証言をしている。これらと捜査段階の供述経過を併せて検討することにより,上記検察官調書等の信用性を判断する。

(1)  検察官に対する供述要旨

ア 6月4日(検察官調書,甲39)

(供述変遷の理由,経緯に関して)

これまで,本件事件の共犯者を,初めは秋夫,夏夫,被告人乙と供述し,その後,被告人乙でなく,竜巳であると供述していたが,本当の共犯者は,竜巳ではなく,被告人乙である。

被告人乙を竜巳にすり替えたのは,被告人両名が怖かったからである。当初,G事件について取調べを受けた。この際,本件についても聞かれたか,一切知らないと言い続けていた。被告人甲は,僕が取り調べられていることを気にして,僕に対し「強盗のことは聞かれているのか。」と尋ねてきた。警察が僕を疑っていること,僕が何も話していないことを伝えたら,被告人甲は「どんだけ言われても,知らん,知らんで言い通せ。」,「どうしても無理なときは,お前と秋夫と夏夫,竜巳の4人でやったことにしろ。お前らでうまく話を合わせ,警察には他がばれないようにしろ。」と指示してきた。この「他」とは,被告人両名のことである。さらに,被告人両名の名前を絶対に出さず,被告人乙の代わりに竜巳の名前を出せばよいこと,被告人両名の名前を出したらただでは済まないこと,また,被告人乙が勤める東西興業の経営の息子で,被告人乙の弟分のようなH1,H2の名前も出さないようにすることなどを言われた。また,夏夫にもこれを伝えた。しかし,取調官から説教されて一度は考え直し,正直に話したが,留置場に戻り,被告人甲の脅しを思い出し,怖くなった。被告人両名は,いずれも元暴走族の総長であり,体も大きく,怒らせると何をするか分からないところがあり,とても怖い人物である。それで,被告人乙の代わりに竜巳が共犯者であると供述を変えた。しかし,なぜ供述を変えたのかと追及され,被告人乙が怖く,早く逮捕してほしかったからと虚偽の説明をした。その後,取調べの刑事が代わり,本当に竜巳で間違いないのかといろいろと尋ねられ,嘘が見抜かれたのではないかと思ったこと,竜巳が逮捕されるようなことになれば,申し訳ないとの思いや夏夫も逮捕されており,いつかは本当のことを言うので嘘はつき切れないと思ったことから,真実は竜巳ではなく,被告人乙が共犯者であると供述した。また,夏夫は見張りをしていただけと答えたが,本当は,夏夫も本件犯行現場にいて,被害者を一緒に取り囲んだ。これまで様々な嘘をついて捜査を混乱させてきたが,これからは隠し立てせずに正直に話すことにした。

イ 6月4日(検察官調書,甲40)

(犯行状況等について)

平成16年2月ころの夕方,弟の夏夫と共に自宅にいると,秋夫から夏夫の携帯電話にワンコールが入った。僕が秋夫に電話をかけると,「何してる,遊ぼうや」などと言ってきたので,夏夫と自転車に乗って□□西公園に行った。秋夫のほか,被告人甲,C野,E,Iがいた。僕と夏夫がそこに着いてから,5分ほどで被告人甲宅のあるマンション前に歩いていった。しかし,寒いので,近くの△△書店に場所を変えた。そのころ,僕の携帯電話にH1からワンコールが入り,その後,H1が,H2と共に,被告人乙の運転する軽トラックに乗ってきた。H1とH2が車を降りると,被告人甲が軽トラックに乗り込み,被告人乙と何か話していた。その後,被告人乙が,その場の仲間に聞こえるように「今からカツアゲに行くぞ。」と声をかけた。被告人乙は,カツアゲのメンバーにH1,H2,秋夫を選んだ。被告人乙らは,軽トラックに乗り,カツアゲに出発したが,その前に,被告人乙が,被告人甲や僕らに対し,「帝塚山の方に行っているから。お前らも後でそこに来いや。」と指示した。その後,僕らは,午後7時30分ころ,○○店の自転車置き場付近に移動した。同所に着いてから約40分から50分後,被告人乙ら4人が戻ってきた。被告人乙らが着くと,被告人甲が被告人乙に対し「どうやった。」と尋ね,同被告人は「カツアゲしたけど,失敗した。」と答えた。その後,被告人両名は話し合っていたが,被告人乙が,僕たちに対し「おやじいわしに行くぞ。」と言って,「春夫,秋夫,夏夫,一緒に来い。」と命令した。逃げたかったが,そのようなことをすれば被告人両名からひどい目に遭わされると思い,従うことにした。そして,僕や被告人乙らがおやじ狩りに行こうとすると,被告人甲が「今度は,俺も見張りをするから。」,「適当なおやじが来たら,ワンコするから。それをやってくれ。」と指示してきた。「ワンコ」とは,携帯電話の呼出音を鳴らすことである。被告人乙がどこに行くかなどを指示した。そして,××の出入口や向かい側の駐車場辺りをうろうろした。約5分ほど待っていると,夏夫の携帯電話に被告人甲からのワンコールが入った。すると,コートを着てかばんを持った男性が僕たちの方へ向かってきた。被告人乙は,僕と秋夫に小声で「秋夫と春夫,行け。」と命令した。僕と秋夫は被害者を右にしてすれ違った。夏夫と被告人乙もその後ろを付いてきたと思う。被害者とすれ違ってから,僕はすぐに襲おうと思ったが,先に秋夫がその後ろに回って,タックルをするようにして被害者の腰辺りにぶつかった。僕はすぐに被害者に蹴りを入れるつもりで近寄ったが,被害者は倒れ込んだまま動かなかった。夏夫,被告人乙も被害者に近寄り,4人で取り囲む状態になった。秋夫は被害者に「金出せ。」と言い,被告人乙,僕,夏夫も口々に「金出さへんかったら,殺すぞ。」などと言って脅した。すると,被害者は,財布を取り出し,紙幣を秋夫に渡した。4人のうちの誰かが「もうないのか。」と尋ねると,被害者は,財布の中を開けて,金がそれ以上はないことを示していた。僕たち4人は,被害者が来たのと反対方向に逃げていった。それから,○○店に戻り,被告人甲と合流した。被告人甲以外に,H1,H2,C野,E,Iがいた。それから,僕たちは,被告人甲方のあるマンションに移動した。僕は被告人甲にあいさつして帰った。おやじ狩りで奪った現金の額がいくらかは,仲間から聞いていないので分からない。分け前はもらっていない。

(2)  春夫本人の審判における陳述の要旨

7月2日の春夫の陳述(少年審判調書,甲43)

(犯行状況について)

夏夫と自宅にいて,被告人甲の携帯電話から夏夫の携帯電話にワンコールがあり,被告人甲宅前に行くことになった。まだ寒い時期であったため,△△書店に行くことになり,途中でH1から電話があり,被告人乙とH兄弟がやってきた。その後,被告人両名が金の話をしていたが,被告人乙が恐喝に行くと言い出し,被告人乙,秋夫,H兄弟の4人が軽トラックに乗って出かけた。それから,△△書店に残った僕,被告人甲,夏夫,E,Iは,○○店に行き,被告人乙と待ち合わせをした。同所で,被告人両名が再び話合いをして,おやじ狩りをすることになった。被告人乙は,僕,秋夫,夏夫に対し,おやじ狩りに行くように言ってきた。行きたくなかったが,被告人乙が怖くて断れなかった。被害者を狙うことになったのは,被告人甲から携帯電話にワンコールがあったからである。これを合図に狙うことは,事前に話し合っていた。被害者を襲う際,僕と秋夫が先を歩き,被告人乙と夏夫は,僕たちの後を付けて近くにいたが,被害者が秋夫にタックルされて倒れたときは,4人で被害者を囲む状態になった。「金を出せ。殺すぞ。」とは,4人で言った。被害者から金を受け取ったのは,秋夫である。金を取った後,逃げて,みんなで被告人甲宅の前に集まり,被告人両名と秋夫がそこでお金のやり取りをしていると思う。防犯ビデオ映像に写っている赤色の服を着ているのが秋夫であり,白色の服を着ているのが被告人乙である。秋夫の横にいる黒色の服が僕である。秋夫の右前を走っている黒色の服を着ているのが夏夫である。

(取調べにおいて供述した状況について)

捜査機関や家裁調査官からの取調べに際し,供述内容を変更させて話をしたのは,年上の人が怖かったからである。被告人甲が一番怖かった。被告人甲が怖かったのは,同被告人から口止めされ,以前から5,6回くらい脅されたことがあり,殴られるような目にも何回も遭い,約束を守らないと絶対にやばいことになると思ったからである。被告人甲からは,同被告人の名前を出さないようにという趣旨で「俺を悪い方向に持っていくな。」と言われていた。被告人甲は,自分さえ捕まらなければよいといった感じであった。被告人甲に悪い方向に話がいったので,話を変えなければと思い,供述を変遷させた。被告人乙が関与していることは,取調べの初めに話したが,夏夫が捕まってからは,話がごちゃごちゃし始めた。夏夫が違う話をするので,被告人乙は犯人ではないことになった。そこで,僕は,留置場で竜巳の名前を思い出し,同人であれば秋夫も知っているので,何とか嘘がつき通せるのではないかと思い,被告人乙の代わりに竜巳の名前を出した。結局,供述を変遷させたのは,他の供述に合わせるためである。家裁調査官による調査に際し,被告人乙から被告人甲に供述が変わったのは,このころ警察官が来て,「本当に乙がいたのか。」と脅すように言われ,「乙は取調べのときに泣きながら『やっていない』と言っているぞ。」,「乙でない証明をしろ。」と言われたことから,取調べの時に被告人乙を被告人甲に変えて供述をした。その後,更に警察官が来て,警察署で取調べを受けた結果,再び被告人乙が共犯者である旨の供述に変わった。年上の者から言われ,殴られても断ろうと思っていたが,怖かったことや痛い思いをするのが嫌だったことから断れなかった。当初,夏夫は見張りをしていただけだと供述したのは,少しでも夏夫を庇いたかったからである。しかし,被害者がマンション前に4人いたと話しているというのを聞いて,嘘はつけないと思い,本当の事を述べることにした。夏夫が本件犯行を否認していることは知っている。被告人甲から口止めされたのは,5月3日である。強盗致傷事件では,被害者にけがを負わせたことも申し訳なく思う。被害者に対しては,自分で働いて被害弁償をしていきたい。

(3)  当裁判所の所在尋問期日における供述の要旨

(本件犯行との関係について)

僕は,本件犯行に全く関与していない。平成16年7月,大阪家庭裁判所において本件犯行について少年審判があり,そこでは犯行を認めた。その結果,少年院送致となった。

被告人甲と知り合ったのは,平成15年ころである。秋夫が東西興業で仕事を手伝っていて,同人から仕事をしないかと誘われたのがきっかけである。被告人乙と知り合ったのは,被告人甲と知り合って間もなくである。被告人乙については,かつて大正連合という暴走族の総長をしていたと聞いた。被告人乙が体が大きいことから,けんかを売られると怖いという思いは持っていたが,怖い思いをさせられたことはない。Fと2人でカゴダッシュと呼んでいる窃盗を数え切れないほどしたが,カツアゲやおやじ狩りしたことは一度もない。

(取調べ状況について)

Gに対する恐喝未遂事件について,平成16年4月終わりころから取調べを受け始めた。本件犯行については,5月19日から取調べが始まった。同日午前8時ころ,警察官が自宅に来て,住吉警察署に来るように言われ,当初,Gに対する恐喝未遂事件について取調べを受けたが,この件についての取調べを終えると,取調官から「何か隠していないか。」と尋ねられ,僕は何もないと答えた。これに対し,取調官は,僕が5月初めころにポリグラフ検査を受けた話を持ち出してきて,「出てるぞ。」などと言ってきた。それでも何もしていないと言うと,「嘘つけ。」などと言って問い詰められた。さらに,取調官は,「秋夫がお前の名前を出してるぞ。」と言ってきた。この段階で取調官がどの事件について言っているのか分からなかったが,僕はやったと答えた。ポリグラフ検査の際,G事件の関係で強盗の話が出ていたので,強盗の話ではないかと推測した。強盗を認めたとしても,帰宅できると思っていたし,少年院に送られることになるとはあまり思っていなかった。結局,僕が強盗を認めた理由としてはポリグラフ検査に出ていると言われたことが一番大きい。反論したが,取調官から「機械は嘘つけへん。」と言われた。約30分後には,強盗を認めた。当日,午後7時30分ころ,強盗を秋夫,夏夫,被告人乙か被告人甲と一緒にした旨を紙に書いた。秋夫,夏夫,被告人乙の名前を共犯者として挙げたのは,初めは秋夫の名前を出したが,警察官から3人か4人と言われたので,弟の夏夫と被告人甲か被告人乙の名前を出した。夏夫,被告人乙又は被告人甲の名前を出したのは,身近な人の名前をたまたま挙げただけである。被告人乙か被告人甲という大人の名前を出したことで,やばいとは思った。動機についても,被告人甲が金に困っているからおやじ狩りに行こうと言われ,僕も被告人甲に世話になっているので,一緒に行くと言ったということが書かれているが,僕が思いつきで書いたものである。また,強盗の内容として,秋夫がタックルして倒し,秋夫が財布から金を取って4人で逃げたというのも自分で考えて書いた。当時の服装については,4人が走っている写真(本件防犯ビデオ映像を写真化したもの)を見せられて,それに基づいて書いた。現場の図面についても現場の地図をコピーし,これに事件現場にバツ印を付けたものを見せられて,これを参考にして書いた。現場に案内したのは,地図を何度も見せられたので,それを覚えて案内した。本件前に犯行現場に行ったことはない。

5月19日に逮捕されてからの取調べで,Gに対する恐喝未遂事件について僕を取り調べた警察官が怖かったから,本件犯行を認めた。6月1日に取調官が変わったが,その取調官は暴力団関係者の取調べをしている人であることをY1警察官から聞かされ,怒らせると怖いと言われたことがあり,言いづらかった。

5月20日に検察官から勾留質問前の弁解録取を受けた。ここでも本件犯行について間違いないと答えた。後ろに警察官が控えていたので,本当のことが言えなかった。また,勾留質問に際して,裁判官に本当のことが言えなかったのは,言ったことが警察に伝わり,警察署に戻って取調官から「どういうことやねん」などと詰問されることを思い浮かべたからである。

検察官からは,5月27日,6月4日,同月22日の3回取調べを受けた。どの調書にも自分の意思で署名,指印した。

5月27日の検察官の取調べに際し,共犯者として挙げていた被告人乙を竜巳に変更した。その前に警察官に対しても竜巳に変更していたからである。竜巳に変更した理由は,警察官から本当に被告人乙がいたのかと聞かれたからである。警察官は,写真では被告人乙のような背の高い人物はいなかったというようなことを言っていた。僕は困って,被告人乙はやっていないと答え,しばらく時間をかけて代わりに竜巳の名前を出した。竜巳の名前を出した理由は,秋夫,夏夫,被告人甲が共通して知っている人物であったので,話が合うと思ったためである。被告人乙は竜巳を知らないと思う。

6月4日の検察官の取調べにおいて,ワンコールの話と見張りの話をした。警察官から,夏夫が携帯電話でワンコールで合図を受けたと言っていると言われたためである。僕が話した内容は,警察での取調べの際に供述したことをそのまま言っただけである。警察でした供述は,本当のことではない。被告人両名から言われたとする内容については,警察官から大人がいるのだから,何か言われただろうと言われ,自分で話を作って供述した。竜巳の名前を挙げた後,担当の取調官が替わって,本当に竜巳かと聞かれたので,H1の名前を出したことがあったが,取調官は,僕がH1や竜巳の名前を共犯者として挙げたことでとても怒り,机を持ち上げて,床に叩き付けたりした。それで,当初共犯者として挙げていた被告人乙の名前を出したところ,本当の共犯者が被告人乙である旨を供述した書面を作ることになった。また,当初は見張りをしていたと供述していたが,一緒にいたと説明を変えた。これは,警察官から,夏夫がどこにいたかと尋ねられ,怒鳴られたので,答えようがなくて,一緒にいたと答えたためである。

6月22日の取調べについては,これまで話したことは間違いないと答えた。また,被害者にお詫びの手紙を書きたいと検察官に僕の方から申し出た。やってもいないのに,お詫びの手紙を書きたいと言い出したのは,自分がやったと言っている以上,何もしないわけには行かないと思ったからである。当時,僕は自分がやったと思い込んでいたから書いた。また,少年鑑別所にいた少年たちが書いた方がいいと言っていたからである。また,僕が検察官に対し被告人両名が逮捕されたか否かについて尋ねたところ,逮捕していると教えられた。僕は,これに対してうれしいという感想を言った。これは,本心ではうれしいと思わなかったが,供述内容からすれば,僕は命令されてやっていることになる以上,うれしいと言わなければいけない状況だったので,検察官から水を向けられてはいないが,自発的に言ったものである。

被告人両名の名前を出したのは,大人から命令されてやったと言い訳すればよいと思ったからである。被告人両名から恨まれることは少しだけ心配したが,警察が助けてくれると言っていたので安心していた。

被告人甲から本件犯行について口止めをされたことはない。口止めされたと供述をしたのは,警察官から口止めをされていないかと言われ,当初はされていないと言ったが,信用してもらえず,留置されている間に作り話を考えて話した。

○○店にいたメンバーについては,知り合いの名前を次々と思いつきで出しただけである。

6月半ばころ,少年鑑別所に収容されていた際,母が依頼した弁護士と会った。弁護士から本件犯行について尋ねられた際,間違いないと答えた。正直に言わなかったのは,正直に言うと,再び警察から取調べを受けて,怒鳴られたり暴行を受けたりするのが嫌だったからである。少年鑑別所に入っているときも,警察官から取調べを受けたことがあり,本当のことが言えなかった。弁護士からは,少年院に行くことは確実であろうと言われた。少年院には入りたくなかったが,無実の罪で少年院に入ることについては,Gに対する恐喝未遂の件で共犯者が少年院に入っていたので,仕方がないと思った。少年院に入る方が,警察から再度取調べを受けるよりましだとも思った。少年鑑別所の友人は,少年院に入れば警察からの取調べは受けないと言っていた。

7月2日に開かれた自分の少年審判に際しても,本件犯行を認めた。本当のことを言おうと思わなかったのは,警察からの取調べが終わったこともあり,やっていないと言えばややこしいことになると思ったからである。審判では,付添人から,夏夫が本件犯行に関与していないと述べていることについて質問されたが,弟は捕まってどこかへ行くのが嫌だからごまかしているのだろうと答えた。僕が共犯者の名前を挙げることで被告人両名が刑務所に入るかもしれないことは分かっていた。また,夏夫に不利に影響することも分かっていた。しかし,本当の事が言えなかったのは,警察の取調べが怖かったからである。

少年審判を終えた後,少年鑑別所の中で相談に乗ってくれる先生がいたため,その人に相談したいと日記に書いた。その先生に相談する前の7月5日,少年鑑別所に母が面会に来たので,母に,本当は本件犯行をやっていないと言った。少年院送致決定に対して,抗告を申し立てた。

(4)  供述経過等

ア 5月19日(本件犯行に関する事情聴取初日)(自供書8通,地図,引当り捜査報告書)

(警察官調書,甲22)

僕は,被告人乙,秋夫,夏夫と共に,2月16,17,18日のいずれかの日の午後8時ころから午後9時ころまでの間に,○○店近くのマンション裏で,秋夫が,60歳くらいの男性を後ろからタックルして倒し,その男性を4人で取り囲み,財布から金を取って逃げた。この日,友人と遊んでいたが,午後8時ころに被告人甲からワンコールの着信が入り,秋夫が電話に出て,秋夫が,僕に対し,被告人甲が呼んでいるので○○店に来るように言ってきた。友人と別れ,一人で自転車で同店に行くと,被告人両名,秋夫,夏夫,走り屋のVがいた。走り屋のVは,白色のbBという車で来ていた。秋夫に呼ばれて,店の横のマンション駐車場に行くと,秋夫が,「甲さんが金に困っているねん。甲さんにはいろいろ世話になっているからおやじ狩りをやろう。」と言ってきた。僕も被告人甲の世話になっていたので,これを承知した。秋夫が,被告人甲に対し,「じゃあ,行ってきます。」と言って,マンションの近くに向かった。この時,僕は,夏夫に見張りで付いてくるように言った。また,被告人乙も一緒に付いてきた。そして,マンション前に着くと,夏夫が見張りをし,僕,被告人乙,秋夫の3人が夏夫から離れた駐車場で金を奪う相手が来るのを待った。僕と秋夫が,被害者の方へ歩いていき,いったんすれ違ってから,秋夫が被害者にタックルして前方に倒した。それを見ていた被告人乙と夏夫が来て,秋夫が被害者の財布から金を取った。その後,4人で逃げ,○○店に戻ったが,そこに被告人甲がいなかったので,僕が被告人甲に携帯電話でおやじ狩りが終わったことを連絡した。秋夫と自転車を2人乗りし,夏夫は自転車で,被告人乙は走り屋のVの車で,被告人甲方へ向かった。このころには,パトロールカーのサイレンが聞こえていた。被告人甲方前には,被告人甲とC野がいた。そして,秋夫が被告人甲に,奪った金を渡したように思う。このときの服装は,僕が紺色のジーンズ,黒色フード付きのパーカー,白色スニーカーであり,夏夫は,黒色ニット帽,茶色のダウンジャケット,青色ジーンズであり,秋夫は,赤色ジャンパー,つばが黄色の白色キャップ帽,紺色のジーンズであり,被告人乙は,黒色ライン入りの白色ビニール製シャカシャカ服(注,衣擦れでシャカシャカという音がする服という意味)であった。

(自供書,地図,甲13から21)

概ね警察官調書(甲22)と同様である。甲13の手書き地図では,マンション前で被害者を示す「おっちゃん」と記載された場所に駐車場から被告人乙,秋夫,春夫が近づいていったことを示す矢印が書かれており,夏夫は少し離れた場所から被害者に近づいた様子が矢印で示されている。4人が被害者が来たのと反対方向に逃げていったことが矢印で示されている。

(引当り捜査報告書,甲44)

「秋夫たちとマンションの裏の道でおやじ狩りをし,逃げた」場所として,本件現場付近の道路を案内した。

イ 5月20日(検察官による弁解録取,裁判官による勾留質問)

(検察官に対する弁解録取書,甲172)

秋夫,夏夫,被告人乙と4名でおやじ狩りをやった。○○店に仲間が集まったときに,おやじ狩りをすることが決まり,その時に被告人甲と被告人乙も加わっていた。被告人甲から秋夫に指示があったのだと思う。

(勾留質問調書,甲173)

被疑事実はそのとおり間違いない。

ウ 5月22日(自供書2通,警察官調書1通)

(自供書2通,甲23,24)

おやじ狩りの後,○○店に戻ると,H1,H2,I,E,bBに乗っているV,C野がいた。○○店に着くと,サイレンが聞こえたので,僕がみんなに「早く逃げよや。」と言った。逃げながら,被告人甲に連絡した。

(警察官調書,甲25)

本件犯行を実行したのは,僕,秋夫,夏夫,被告人乙と述べていたが,本当は被告人乙とではなく,「たつみ」と一緒にした。また,○○店には,僕,秋夫,夏夫,被告人両名,走り屋のVのほか,H1,H2,たつみ,C野,E,Iもおり,全部で12人がいた。たつみの名前を出さなかった理由は,悪いことをして警察に捕まっても絶対に仲間の名前を話さないという決まりがあるからである。被告人甲については,秋夫から話を持ちかけられた際の話として名前を出してしまった。同被告人は,元暴走族の総長でものすごく怖い人である。切れたら何をするか分からない人である。思わず名前を出してしまい,被告人乙から何かされると思った。同被告人も元暴走族の総長をしており,身長も180センチメートル以上あり,とても怖い人であった。そのため,被告人乙も名前を出せば,同被告人も捕まるので僕は殺されずに済むと思い,同被告人の名前を出した。当時は,被告人甲の名前を出したことでパニックに陥り,冷静に判断できなかった。

エ 5月23日(警察官調書,甲26)

一緒におやじ狩りをした「たつみ」は,平成15年夏ころ,ゲームセンターで知り合った。同人と一緒におやじ狩りをしたことに間違いない。

オ 5月26日(警察官調書,甲27)

本件犯行をしたのは,被告人甲のためという以上に,おやじ狩りを断れば同被告人から痛い目に遭わされるので,それが怖かったからである。今回もおやじ狩りをするように言われ,断れなかった。被告人乙も途中まで付いてきて,「どこ行くねん。」などと言った。同被告人が近くまで付いてきたので見張りをしてくれていると思った。奪った金は秋夫が被告人甲に全額を渡した。おやじ狩りをやったのは僕たちで,やらせたのは被告人両名である。

カ 5月27日(検察官調書,甲38)

これまでの供述とほぼ同旨であり,被告人乙と竜巳をすり替えて供述していたことや,被告人乙が○○店から本件犯行現場までの間にあるラーメン店「※※」辺りまで付いてきて,「早う,戻って来いよ。」と言っていた旨を供述。

キ 6月2日(自供書2通)

僕は,被告人乙,秋夫,夏夫と4人でおやじ狩りをした。マンションの玄関前で待ち伏せしていたところ,夏夫の携帯電話に被告人甲からワンコールがあり,これは襲う相手である被害者が来たという合図である。すれ違ってから,秋夫がタックルした。被害者の周りを4人で取り囲んで,秋夫が金を出せと脅し,僕は,「金出さへんかったら,殺すぞ。」と言って脅した。被告人乙,夏夫も一緒に脅した。そして,4人で走って逃げて,○○店に行った(甲28)。

おやじ狩りに行く前に,僕,被告人乙,H1,H2,秋夫で30歳くらいの男にカツアゲをしたが,金は取れなかった(甲29)。

ク 6月3日(自供書,現場の図,警察官調書,甲30から32)

(警察官調書,甲32)

僕と夏夫は,秋夫がいた□□西公園近くへ自転車で向かった。そこには,秋夫,被告人甲,C野,E,Iがいた。被告人甲方のあるマンション前に移動し,更にその近くの△△書店に場所を変えた。H1から連絡があり,その後,H1は,被告人乙が運転する白の軽トラックでH2と共に来た。その後,秋夫が被告人甲から呼ばれて話をした後,被告人乙がH1,H2を呼び,カツアゲに行くと言って出かけた。午後7時半ころ,僕たちは○○店に移動した。約30分すると,被告人乙らが来て,僕,被告人両名,秋夫,夏夫,H1,H2,C野,E,Iの10人がいる状態になった。そこで,被告人乙が被告人甲に,カツアゲが失敗したことを告げた。被告人甲が「おやじいわしに行くぞ。」と言って,おやじ狩りに行くと言い出した。被告人乙は,「今からおやじ行くことになったから,作戦言うからよう聞いとけよ。」と言って,被告人乙,僕,秋夫,夏夫でおやじ狩りに行くことになった。被告人両名の命令なので渋々応じた。この時,被告人甲は,「今度は俺も見張りするから。おやじ見つけたら,俺から誰かに適当にワンコするから。」と言っていた。僕たちは,ラーメン店「※※」の横を通って裏通りに入り,裏通りのマンションの玄関付近で待っていると,被告人甲から夏夫の携帯電話にワンコが入った。僕と秋夫が先頭を歩き,被害者の右横をすれ違うと,すぐ秋夫は被害者の後ろからその腰辺りに肩から体当たりした。被害者は倒れ,僕は,その傍に駆け寄って,被害者が起き上がれば,蹴りか何かを入れるつもりであったが,被害者は起き上がれなかった。被害者を取り囲み,秋夫が金を取った後,被害者が来た方向とは反対方向に逃げ,○○店まで行った。僕はおやじ狩りが成功したのでうれしくなり,夏夫か秋夫と手を挙げてタッチをした。実際にやってみると,スリルがあり,金が手に入ると,小躍りしたくなる楽しい気持ちになれた。その後,奪った金は,被告人甲宅のあるマンション前で,秋夫が被告人甲に渡していた。奪った金は,被告人両名で山分けしたようであり,僕は受け取っていない。

ケ 6月4日(警察官調書,検察官調書2通,実況見分調書2通)

(警察官調書,甲33)

竜巳が共犯者であると虚偽の供述をしたのは,被告人甲から被告人乙の代わりに竜巳の名前を出せと指示されたからである。被告人甲は,元暴走族の総長であり,とても怖い人であり,僕たちに万引きをさせたりし,その命令に逆らうことはできない。しかし,取調官から追及され,説明できなくなったことから,H1を代わりに出したが,これもすぐに嘘と発覚し,被告人乙の名前を出した。

(検察官調書2通,甲39,40)

春夫の前記(1)の供述要旨ア,イのとおり

(実況見分調書2通,甲45,46)

本件犯行現場へ案内し,甲39,40に沿う指示説明及び犯行再現を行う。

コ 6月7日(警察官調書4通,甲34から37)

(警察官調書,甲35)

万引きや単車盗ならともかくおやじ狩りは怖いので,被告人甲のためでもしたくなかったが,被告人両名に逆らえなかった。

(警察官調書,甲36)

押収された背中に赤色の炎のような模様の入った黒色フードが自分の物であり,犯行当時,着用していた。

(警察官調書,甲37)

僕,被告人乙,秋夫,夏夫の4人で被害者を襲った。○○店駐車場に戻ると,被告人甲は既に○○店の駐車場に戻っていた。皆で被告人甲方に行った。秋夫は奪った金をまだ持っているようであった。被告人甲と秋夫が軽トラックに乗り込み,その中で秋夫が奪った金を渡したのだと思う。僕たちは,E,Iと話をし,おやじ狩りをした気分について尋ねられたので,どきどきしたが成功してうれしかった旨を話した。

サ 6月22日(検察官調書,甲41)

被告人両名が本件犯行に関与していることは,これまで話してきたとおりであり,間違いない。

シ 6月30日ころ(被害者宛の手紙,甲42)

便せん3葉にわたって,自分のしたことを正直に認め,逮捕されたこと,被害者に大けがをさせてしまったことを後悔し,反省していること,本件犯行は,年上の人物に命令されてやらされたこと,これまでにもその年上の人物から脅されて悪事をはたらいていたことなどが記載されている。

ス 7月2日(春夫の少年審判調書中の同人陳述部分,甲43)

春夫の前記(2)審判における陳述要旨のとおり

(5)  信用性判断

春夫は,本件犯行に関する取調べ当初から自己の少年審判の決定が出るまでの間,自己が本件犯行に関与していることについては,終始一貫して供述をしているだけでなく,被害者に対しても自らの意思で自発的に謝罪の手紙を出していること,供述内容は具体的かつ詳細であるのみならず,犯行状況については被害者供述ともよく一致していることなどからすれば,極めて信用性が高い自白であるかに見える。

しかしながら,他の共犯者とされた者やC野の供述経過等と対比して検討すると,春夫の上記自白には,以下のように,その信用性を失わせるに足りる重大な問題点が数多く見られる。

ア  警察官による暴行等の有無

取調べの警察官からは胸倉をつかまれたり,いすを蹴られたことがあり,それは5日間に1度か3日間に1度程度というもので,具体性は十分といえない。しかし,春夫の供述が変転していたこと,他の共犯者とされた者や取調べを受けたH1,H2もいすを蹴られた,机を叩くなどされていたなどと述べていることからすれば,いすを蹴ったりする程度の取調べがなされたと考えられ,その限りで同供述は信用できるものである。また,机を5センチメートルほど持ち上げて,床に叩き付けるという動作をされたとも具体的に供述しており,取調べを担当したY2警察官の否定にもかかわらず,多少の厳しい取調べがあったことは否定しがたい。

さらに,春夫は,本件取調べの初日である5月19日に取調官が秋夫が春夫の名前を共犯者として挙げていると言ったことから虚偽の供述をしたと証言するところ,一般的にはこの段階でそのような取調べ方法を取るとは考えにくいが,春夫は本件に先立ってG事件について取調べを受けており,秋夫との関係などについても取調べを受けていたと思われ,また,秋夫は5月10日にいったん本件への関与を認める供述をしていることに照らすと,19日の取調べで秋夫の名前を出されて追及されたことから自白したことは十分に考えられるところである。

もっとも,春夫は,5月19日,本件犯行に関して任意で事情を聴取されて約30分ほどで,強盗をしたこと自体については認めたが,取調官から,ポリグラフ検査で嘘をついていることが分かったと言われたことが主な理由であると述べている。

春夫が少年であることなどからすれば,以上のような取調べは不当というべきであるが,同人が強盗をしたこと自体を認めたのは,その日のうちであり,自己の犯行への関与自体はその後も一貫していること等の事情を考えると,任意性や特信性を失わせるほどの事情ではないとしても,信用性を減殺させる大きな事情である。

イ  自白の経過と虚偽供述の可能性

春夫は,本件についての取調べの初日から被告人甲らを共犯者として挙げて犯行を自白し,犯行現場の案内もしており,この点は一般的には,その信用性を肯定する事情といってよい。しかし,上記のように,友人の秋夫が自分の名前を出していると取調官から告げられ,あるいはポリグラフ検査で結果が出ているから嘘をついても駄目だと追及された場合,少年の春夫が取調官にそれ以上抵抗せずに自白することは十分あり得る。また,捜査官が本件犯行現場や犯人の逃走方向について被害者供述や本件防犯ビデオ映像から知悉していたことは明らかであり,地図を見せるなどして誘導した可能性が否定できないから,この点も自白の信用性を高めるものとはいえない。しかも当時,G事件について共犯者が既に逮捕されており,春夫もG事件に関して取調べを受けていたこと,また,平素から万引きなどを繰り返すなど素行不良であったことも考えれば,この点で否認を続けたとしてもいずれにせよ少年院に行かざるを得ないと春夫が思ったとしても不思議ではなく,捜査官からの取調べに安易に迎合する動機はあったと思われる。また,少年院に送致される方が警察官から取調べを受けるよりましであると思ったとも述べており,年少者である春夫が,そのような目先だけの判断をした可能性が認められる。

もっとも,春夫は,少年審判で中等少年院送致の決定を受けてから,突如として事実を否認し始め,決定に対して付添人が抗告を申し立てるなどしており,前記のように少年院に行かざるを得ないと思っていたのか疑問があり得るところである。しかしながら,春夫は,審判前に付添人から,非行事実が強盗致傷であるため少年院送致は確実であると教えられていたというのであり,通常,付添人であれば,そのような助言をすると思われるから,この証言は信用できる。そうであれば,決定後に事実を否認し始めたとしても,その理由は少年院送致処分になったためとはいえず,前記のような動機が否定されるものではないといえる。また,警察官とは会うのも嫌で怖い,少年院に行けば取調べを受けることもないと思ったと供述しており,そのような心境からすれば,この時期から否認し始めたというのは,むしろ前記の動機を裏付けるものともいえる。

以上に対して,検察官は,自白の信用性を肯定すべき経過事情として,(1)春夫が初めて自白した時点で捜査官は共犯者全員を確定できておらず,特に被告人乙については春夫が初めて供述したこと,(2)竜巳については,警察官が犯行現場を案内し押し付けていないことが明らかであるから,春夫についても同様であり,自発的に案内したと見るべきことを挙げる。しかし,(1)春夫の5月19日の自白に先行してC野が春夫兄弟や被告人甲の名を供述していたことは明らかであり,被告人乙については,被告人甲の身近な人物として名前を挙げたもので,成人の名前を出すことに不安はあったが,大人から命令されたことにすればよいと思った春夫の証言は了解可能である。(2)竜巳の現場引当りについては,後にも触れるが,警察官から地図による誘導などをされたが,春夫と違って現場付近に土地勘がないなどの事情のため満足に案内できなかったことが窺われる。

よって,検察官の指摘する点は,いずれも春夫の初期自白の信用性を裏付けるに至らない。

ウ  供述の著しい変遷とその理由

上記のとおり,春夫は,本件についての取調べの初日である5月19日に,被告人甲の指示で,被告人乙,春夫,夏夫,秋夫の4人が犯行に及んだと自白したが,5月22日には,実行犯のうち被告人乙と述べていたのは,実は竜巳が正しいと供述を変え,被告人乙と述べていた理由として,被告人甲の名前を出してしまったので,被告人乙から報復されないように同被告人が捕まるようにその名前を出したと説明していたが,6月2日以降は,竜巳ではなく被告人乙が正しく,竜巳の名前を挙げていたのは被告人甲からそのように指示をされていたからであると供述するに至っている。このように春夫供述は二転三転しているが,その変遷の理由について更に検討する。

春夫は,共犯者を被告人乙から竜巳に変更した理由などについて,捜査段階において,被告人甲から「知らん,知らんで言い通せ。」,「どうしても無理なときは,お前と秋夫と夏夫,竜巳の4人でやったことにしろ。お前らでうまく話を合わせ,警察には他がばれないようにしろ。」などと口止めされ,虚偽の供述をすることを指示されたからであり,同被告人は元暴走族の総長で,怒らせると何をするか分からないからであると説明し,自分の少年審判でも被告人甲の方が怖かったと述べている。

しかしながら,春夫は,供述の当初から終始一貫して,被告人甲が関与し,しかも首謀者であるかのように供述している。この点については,被告人甲の名前をうっかり出してしまったと説明されている(5月22日付け警察官調書)。しかし,被告人乙の名前については,被告人甲の脅しを思い出して怖くなったとして,一度出してから,いったん引っ込めて,竜巳であったと変更しているのに,被告人乙より怖かったという肝心の被告人甲については変更していない説明がなされていないのであり,この点は理解しがたいというべきである。また,口止めに際しては,H1,H2の名前を出さないように指示を受けたと変遷理由中で説明しておきながら,実際には,6月4日,共犯者について,竜巳ではなく,被告人乙ではないかと追及された際,いったんH1の名前を挙げており,この点からもこの変遷理由は疑わしい。

思うに,春夫供述の変転を合理的に説明するには,他の者の供述に合わせ捜査官に迎合したと考えるのが自然である。すなわち,C野の項でも検討したとおり,C野が○○店に辰巳なる人物がいたと供述したことから,夏夫が共犯者として,同音の竜巳の名前を挙げ,当時,捜査機関においては,少年4人による犯行との見方が有力であったため,被告人乙より竜巳の方が犯人ではないかとの見込みから,春夫に竜巳でないかと水を向けたところ,竜巳に供述が変更されたと見るのが自然である(やはり,この時点で,捜査機関は,本件犯行が少年4人によるものとの見込みがあったものとの推測ができる。この点は,春夫が,写真には被告人乙のような背の高い人物は写っていなかったと捜査官から告げられたと述べており,このような誘導があったことを裏付けるものである。)。そして,その後,竜巳でないことが捜査の結果判明し,そこで再び被告人乙への変更がなされたと見るのが相当である。

もっとも,春夫は,竜巳の名前を出した理由について,取調官から写真では被告人乙のような身長の高い人物はいなかった,本当に被告人乙がいたのかと聞かれたことから,困ってしまい,被告人乙はいないと答えたもので,その後,竜巳の名前を出したのは,秋夫,夏夫,被告人甲が共通して知っている名前だから,考えて話したと証言して,誘導があったことを否定している。しかしながら,被告人乙から竜巳に供述を変遷した5月22日の前日には,夏夫が竜巳の名前を共犯者として挙げており,この点,共犯者とされた者の間で食違いがあったのであるから,捜査官として,春夫に対して被告人乙が本当に共犯者なのか,竜巳はどうなのか真偽を確かめる必要があったのであり,取調べで多数の少年の名前を挙げる中で竜巳の名前を出すなどした結果,春夫が竜巳の名前などについて暗示を受け,これに基づいて供述が形成されたとも考えられる(この点,春夫は,○○店にいたメンバーについては次々と知っている名前を挙げたと供述しており,そのようなやり取りがあったと思われる状況であった。)。よって,前記の春夫証言によっても,供述の変遷過程に捜査官の誘導,暗示があったことは否定されない。

このように,春夫の供述は,共犯者の顔触れという重要な事柄について,大きく変転しており,その都度説明されている理由も納得できるものではない。自らの記憶というよりも他の関係者の供述に合わせ,更には防犯ビデオの犯人像に合わせて,捜査官の示唆,誘導に従ったと見ないと説明が付きにくい。また,他の部分でも変遷が目立つ。5月26日付けの調書(甲27)では,「被告人乙も行くのかと尋ね,途中まで付いてきて,『どこ行くねん。』などと言って,どこでおやじ狩りをするのか尋ねてきた。被告人乙は,僕たちに『早く帰ってこいよ。』とも言っていた。僕は,被告人乙が近くまで付いてきたので見張りをしてくれていると思った。」と供述しているが,このような供述は,それ以前にはなく,前日の5月26日の夏夫の調書に同様の記載があることからすると,捜査官から夏夫のこのような供述を示され,そのとおり認めたことから生じたものと見るべきである。そして,同供述は,5月27日にも,被告人乙が本件犯行現場近くのラーメン店付近まで付いてきて「早う,戻って来いよ。」と述べたとして維持されていたのに,6月2日には,被告人乙も実行犯であるとの供述に変更されているが,同日,夏夫の供述も同趣旨の内容に変更されている(同人は,5月31日まで,被告人乙は本件犯行現場近くまで付いてきたとの供述を維持していた。)。このように供述を同時に変更したことは単なる偶然とは考えられず,相互にすり合わせがなされた結果と見るべきである。これだけでなく,本件犯行当時被告人乙が乗っていたとされる軽トラックについても,前兆事案と思われる点も含めて犯行を認めているのに,春夫の6月3日付け警察官調書(甲32)で初めて登場し,その後,6月8日には,夏夫も検察官調書(甲65)において供述しており,ここでも供述を合わせた形跡がある。

また,春夫の供述は,記憶違いなどの合理的な理由の付かない変遷が随所に見られる。例えば,6月7日の供述では,○○店駐車場から被告人甲を含めて皆で同被告人宅へ行ったと言うが,その前の供述では,同店に戻ると,被告人甲がおらず,携帯電話で連絡を取り合って,同被告人宅へみんなで向かったというのであり,このような犯行後に首謀者がどこにいたかという事柄について記憶違いするとは考えにくい。また,このような供述をしても,被告人甲を庇うことにもならないのであり,同被告人のために殊更に虚偽供述をしたとも思えない。また,6月2日には,おやじ狩りに行く前に,帝塚山駅の踏切の所でカツアゲをしたと供述しており(甲29),その後の自分はカツアゲには行っていないとの供述と大きく食い違うが,この点について特に合理的な説明はされていない。さらに,春夫が少年鑑別所に送致されてから,家裁調査官に対し,被告人乙と被告人甲の名前をすり替えて供述し始める場面もあり,これも春夫が証言で述べるような警察官からの追及に応じて変遷させたというような理由以外には説明が付かない。

エ  他の共犯者とされた者らの供述との矛盾

春夫の本件犯行を認める供述は,上記のような変遷を遂げた後ではあるが,他の共犯者とされた夏夫,秋夫の最終的な供述と概ね一致しているようにも見える。しかしながら,子細に見ると,春夫ら3名の単なる記憶違いとしては説明できないような矛盾点が少なからず存する。

(ア)  前兆事案について

春夫は,本件犯行前に被告人乙がカツアゲすると言い出し,秋夫,H2,H1を連れて,軽トラックに同乗して出発しているが,後記の夏夫供述によれば,秋夫からカツアゲに付いてきてくれと言われ,H1,H2と一緒に行ったことになり,夏夫の関与については明らかな食違いがある。この点,春夫にしてみれば,弟である夏夫がカツアゲに行ったかどうかは,重要な関心事であったと思われるし,△△書店からカツアゲに向かう際の様子について,被告人乙が軽トラックを運転し,H1,H2が乗り込み,秋夫が荷台に乗ったと生々しく供述しているとのであり(6月3日付け警察官調書,甲32),夏夫がその場に留まったのかどうかについて記憶違いをしているとは考えにくい。なお,春夫は,本件犯行については夏夫の関与を認めているのであり,前兆事案のみ弟を庇って関与を隠したとは思われない。

また,夏夫は,カツアゲに行く際,被告人両名がいたか分からないと供述しているが,春夫供述によれば,被告人乙がカツアゲを提案し,軽トラックを運転してカツアゲに行っているのであり,夏夫がこれを分からない又は覚えていないということは考えにくい。

さらに,夏夫は,△△書店からカツアゲに行く際,軽トラックを見たかどうかについて,見たかもしれないと言うが,春夫供述によれば,同トラックに同乗してカツアゲに行ったというのであって,この点も記憶違いといえるか疑問である。

(イ)  本件犯行直前の秋夫の言動

秋夫は,本件犯行直前に,春夫に対し「春ちゃん,俺いくわ。」と,夏夫に対し「夏夫はせんでいいからな。」と言った旨明確に供述している。しかしながら,春夫,夏夫の供述にはこのような供述は一切現れていない。夏夫については,本件犯行に関与するのが嫌であったのに,断り切れずに関与したというのであるから,秋夫の前記発言が,記憶に残らなかったり,あえて供述しなかったというのも考えにくい。春夫についても,検察官調書(甲40)では,被告人乙から「秋夫と春夫,行け。」と命令されて2人が襲うことになったとの供述はあるものの,犯行実行の上で同様に重要なやり取りである秋夫の前記発言は一切供述に出ていない。さらに,春夫は,審判においては,被害者を襲う際,どうするのか分からず,いったんすれ違ったが,秋夫がいきなり後ろからタックルしたと供述しており,実質的に矛盾するといってよい。

以上のように,各共犯者とされた者の供述には,単なる記憶違いでは片付けられないと思われる供述の食違いがある。そして,前記(イ)の秋夫による犯行直前の言動については,その供述がなされ始めた時期が,6月29日(甲91),同月30日(甲123)ころからであること,先に検討した変遷状況などを勘案すると,春夫,夏夫の供述が固まった後に出てきた供述であることから,春夫,夏夫の供述に影響を及ぼさなかったためと考えられる。

オ  供述内容の不自然な詳細さ

春夫の供述は,その内容自体についても,あまりに詳細に過ぎ,かえって信用できない部分もある。具体的には,犯行当時の服装について,春夫は,任意の取調べを受けた初日である5月19日には,春夫が紺色のジーンズ,黒色フード付きのパーカー,白色スニーカーであり,夏夫は,黒色ニット帽,茶色のダウンジャケット,青色ジーンズであり,秋夫は,赤色ジャンパー,つばが黄色の白色キャップ帽,紺色のジーンズであり,被告人乙は,黒色ライン入りの白色ビニール製シャカシャカ服であったと詳細な自供書を作成しており,この供述は自己の審判(7月2日)においても概ね維持されている。このように,既に3か月余り経ってから,当時の自分の服装のみならず,それほど親しくもなかった被告人乙の服装も含めて3人の服装を詳細に供述するのは極めて不自然であって,本件防犯ビデオ映像を見せられて,それに合わせた供述をしたものと見るほかはない。

また,6月3日の警察官調書(甲32)において,被害者の特徴について,「年齢60歳くらい,身長165センチメートルから170センチメートルくらい,普通の体格で黒っぽいロングコートを着て,縦約30センチメートル,横約50センチメートル,厚さ約5センチメートルの黒の手提げかばんを持ったおっちゃん」との記載があるが,春夫が被害者を見たのは長くとも数分程度であり,3か月余り後にこれほど克明に記憶しているとは考えにくく,やはりこれも取調官から被害者像を誘導ないし暗示されて,これに合わせたことを窺わせる。

カ  被害者に対する謝罪の手紙

春夫は,6月22日の検察官からの取調べに際して,被害者に謝罪の手紙を書きたいと自発的に希望した上,その送り方などについて教えを受けており,その後,春夫は,6月30日ころに被害者に対し,便せんで3葉にわたって本件犯行を認めるだけでなく,年上の人物から命令されたこと等を綴った謝罪の手紙(甲42)を送付している。これは真に本件犯行を行ったのでなければ説明が付かないようにも思われる。

しかしながら,春夫は当時一貫して本件犯行への関与を認めており,春夫自身,自分が本件犯行をしたと述べている以上,何もしないわけには行かなかったと証言しており,謝罪などをすべき立場に置かれていると意識していたといえる。同人は,少年鑑別所に収容されていた他の少年から謝罪の手紙を書いた方が良いと言われた,謝罪の手紙を書いた方が罪が軽くなると思ったと証言していることなどからすれば,被害者に対し謝罪の手紙を書き送ったことが,それまで自白の信用性を高める事情には必ずしもならないと考えるのが相当である。

(6) 結論

以上のとおり,春夫の供述を見ると,本件での取調べの早い段階で自白しているが,既にC野や秋夫が取調べを受け,春夫自身も他事件での取調べを先行して受けており,また重要な点で供述が不自然,不可解な変遷を重ねるなどしており,一連の供述過程に捜査官からの示唆,誘導と,共犯者とされた者相互間の供述の影響,伝播の関係が認められる。結局,春夫供述は,そのような過程から作出されていった虚偽のものと認められるのであって,春夫の本件犯行に関する供述は,被告人両名の関与の点及びそれ以外の点を含めて信用できない。

3  A山夏夫の供述

夏夫の供述のうち,被告人両名の犯人性を立証する証拠として,検察官調書2通(甲64,65)があり,これに対して,公判においては反対の内容の証言をしているので,捜査段階の供述過程を踏まえて,上記検察官調書の信用性を判断する。

(1)  検察官に対する供述要旨

ア 6月8日(検察官調書,甲64)

本件犯行を一緒に行った仲間について,秋夫,春夫,竜巳であると供述していたが,真実は,竜巳ではなく,被告人乙である。このような嘘の供述をしたのは,僕が別の恐喝未遂事件で警察に何度も呼ばれて,取調べを受けていた際,兄の春夫から口止めや指示があったからである。春夫は,僕に対し「おやじ狩りのことは警察に聞かれても絶対に言うなよ。」と口止めするとともに,「もし話すことになっても,乙君のことは絶対に黙っとけよ。後が怖いからな。代わりに,竜巳にしとったらいいから。」などと言ってきた。被告人乙は,元暴走族の総長であり,体も大きく,とても怖かったので,春夫の指示に従って,嘘の供述をすることにした。また,僕は,本件犯行の時,「兄から指示されて犯行現場近くで見張りをしており,犯行を見ていない。」と供述していたが,本当は,仲間と一緒になって被害者を取り囲み,「殺すぞ。」などと言って脅した。これまで嘘をついてきたが,いずれ警察で調べられれば分かってしまうことなので,正直に話すことにした。被告人甲は,本件犯行の時,おやじ狩りができそうな年配の男性が来た際に,携帯電話で合図を送る役目を担っていた。

イ 6月8日(検察官調書,甲65)

2月16日夕方ころ,兄春夫と共に自宅にいると,秋夫から電話があり,「ちょっと用があるから来てや。」と呼ばれたので,兄と2人で,自転車で△△書店まで行った。途中の□□西公園に寄った可能性はある。△△書店には,被告人両名と秋夫のほかに,H1,H2,C野,E,Iが集まっていた。僕は,秋夫から「ちょっと付いて来てや。」と言われ,カツアゲに一緒に行くことになった。秋夫からは,以前から被告人甲が金に困っていると聞かされており,被告人甲から仲間が万引きさせられていたから,今回も被告人甲の命令でカツアゲをするのだと思った。この時,僕,秋夫,H1,H2でカツアゲに行ったが,その際,被告人両名が一緒に来たかどうかははっきりしない。帝塚山学園近くの踏切のところで,サラリーマン風の男性に近寄ってカツアゲをしようとした。僕は少し離れた所にいた。相手の人が走って逃げたため,失敗した。他にもカツアゲをしようとしたが,ほとんど失敗し,約1時間くらいで再び他の仲間と○○店で落ち合った。同店には入らずに,同店の自転車置き場近くで集まった。メンバーは,僕,春夫,秋夫,被告人両名,C野,H1,H2,E,Iらであった。しばらく話していると,秋夫が,僕に「今度は,おやじ狩りに行く。金パクるんや。」,「付いてきてや。」と言った。おやじ狩りに加わるのは嫌だったが,その命令を出しているに違いない被告人両名が怖くて,断る勇気がなかった。実際におやじ狩りに向かうメンバーは,僕,春夫,秋夫,被告人乙であった。途中で,秋夫が僕に「甲さんから夏夫の携帯にワンコがあったら,それが相手が通る合図だから,言うてな。」と指示した。ワンコとは携帯電話の呼出音だけを鳴らす合図である。4人で××の出入口付近で待機し,被告人甲からの合図を待った。10分くらいして,被告人甲から僕の携帯電話にワンコールの合図があり,すぐに皆に知らせた。そうして道路を見ていると,被害者が歩いてきた。僕らは,マンション出入口付近から道路へと出て,秋夫を先頭に,その右後ろ辺りに春夫,その後ろから被告人乙,僕の順番で歩いていった。そして,被害者とすれ違ってから,先頭の秋夫がユーターンして,被害者の後ろの腰辺りに右肩と右肘をぶち当てて,路上に押し倒した。そして,4人で被害者を取り囲み,秋夫が「金出せや,殺すぞ。」と言い,僕,春夫,被告人乙も同じように脅した。そうすると,被害者は,財布を取り出し,その中から一万円札と千円札何枚かを差し出したので,それを秋夫が奪い取った。さらに,秋夫は,「もうないんか。」と尋ね,ないことが分かると,僕たちは逃げた。そして,僕たちは,○○店に行って,被告人甲らと合流した。その後,被告人甲方のあるマンションへ行った。僕と春夫は,自転車に乗って,他の何人かは被告人乙が乗っていた軽トラックに乗って,同所に向かった。この軽トラックは,△△書店に集まった際に見たような気がする。被告人甲のマンションの所まで来ると,門限が午後9時であることが気になり,みんなと別れて,春夫と一緒に自宅に帰った。帰宅したのは,午後9時過ぎころだったと思う。僕も春夫も分け前は受け取っていない。

(2)  公判供述の要旨

(被告人らとの関係及び本件への関与について)

被告人甲とは,中学1年生の初めころ,秋夫を通じて知り合い,一緒に話したり,食事を御馳走してもらったりする仲であったが,本件当時は付き合いはなく,秋夫と遊んでいてたまに一緒になる程度だった。被告人乙とは,知り合いではなく,中学2年生の中ころ,一度話したことがあるだけであるが,道端や東西興業で見かけることはあった。秋夫とは,小学校6年生の夏ころ知り合い,中学校は別々だが,一緒に遊んだり,食事に行く友達で,本件当時も付き合いがあった。

僕は,本件事件はやっていない。被告人甲のことを怖いという印象は持っていないし,被告人乙については,普通に会話したこともないので,怖いとも思っていない。捜査段階の調書に,被告人両名とも暴走族の元総長であり,怖いと書かれているのは,警察官から被告人両名が元総長であるという話をされ,僕も秋夫かC野からその話を聞いていたし,「怖いのと違うんか」などと言われたので,怖いと述べたためである。

(取調べ状況)

本件に関連して初めての取調べは,5月20日,住吉警察署においてである。午前9時ころ,警察官が自宅に来て,聞きたいことがあるから警察署に来てくれと言われた。母は,警察官に,一緒に行きたいと言ったが,来ても待つだけだからと言われて諦めた。そして,昼に1時間休憩を取り,午後の取調べ中,気分が悪くなって,嘔吐したが,午後7時ころまで取調べを受け,本件について事情を聴かれた。当初,本件犯行とは全く関係がないと述べた。これに対し,取調官は,やっていない証拠を出せ,兄の春夫がお前の名前を出しているなどと言ってきた。この日は2枚の自供書を書いた。その内容は,秋夫から,おやじ狩りに一緒に行こうと○○店に呼び出され,春夫と秋夫とIと甲さんとC野がいて,その後,マンションの方へ行き,僕は自転車にまたがって待っていたが,C野が急に走って逃げたので,僕も逃げ,秋夫に聞くと,強盗したと言っていた,というものである。この内容は,僕と警察官とのやり取りの中で出てきた話を基に,警察官がしゃべって,僕がそれを書き取った。警察官に書けと言われて書いた。僕が,春夫や秋夫の名前を出したのは,取調官が春夫本人がやったと認めていると言うし,秋夫は違うかと尋ねてきたから認めたのである。しかし,内容は間違っている。事実と違うのに自分に不利益な内容を書いたが,そのときは,そのようなことを書いたとしても罰を受けることはないと思い,書いた。とりあえず書けと言われて,言われるままに書いた。同日の取調べ後,帰宅し,母から,本件事件について聞かれたが,自分が全然関わっていないことを伝えた。首を絞められた痕が赤く筋になっているのを母に見られた。

5月21日も,住吉警察署で,午前10時ころから午後7時ころまで取調べを受けた。取調官からは,僕が何も分からないので,黙っていたりすると,「兄貴が名前出しているのに」などと言われ,机を叩いて怒鳴られたりした。この日も,本件犯行に関与したことを認める書面,本件犯行現場に関する手書きの地図や犯行当時の服装について説明した文書を作った。これも警察官から書けと言われて,自分の記憶とは違うが,書いた。これらの文書の内容は,警察官が言ったとおり全部そのまま僕が書いていったが,自分で考えて書いた部分もあった。どこが自分の書いた部分かは,分からない。竜巳の名前を挙げたのは,取調官から9枚ほどの顔写真が貼付された写真台帳を見せられ,その中に兄の同級生の竜巳の写真があったためである。地図については,始めに警察官が地図を書いた。○○店とラーメン店※※については,知っていたが,マンションなどは知らなかった。犯行当時の服装も冬場に来ていた服装を思い出して書いただけである。同日の取調べ後,母に明日逮捕されると言われたことなどを伝えた。

5月22日も朝に警察官がやってきて,住吉警察署に行って,取調べを受けた。この日は昼過ぎころ,警察官から見張りをしていた場所を案内してくれと言われ,その場所まで警察官と一緒に行った。案内できた理由は,僕が前日作成した地図を見せられ,その地図の内容を覚えていたからである。見張りの場所は自分で考えた。また,同日,本当は,被害者が倒れていて,その少し先に,春夫,秋夫,竜巳がいるのを見た旨の文書を作った。これも警察官からおっちゃんが倒れるところを見たやろうと怒鳴られ,否定すると首を絞められたりされると思い,書くしかないと思って,書いた。22日の取調べでは,特に暴力はなかったが,机をばんばん叩きながら,怒鳴られたりはした。夕方逮捕された。

5月23日の勾留質問前の弁解録取の際,検察官から被疑事実について尋ねられた際も,そのとおり間違いない旨の供述をし,その内容を調書に作られ,署名指印をした。検察官は,警察官より上の人という認識であった。このように虚偽の供述をしたのは,本当のことを言ったとしても信じてもらえないと思ったし,後ろに警察官がいたからである。また,このとき,被告人乙の名前を共犯者の一人として挙げたが,これは,検察官から被告人乙がいただろうと聞かれ,僕が当てずっぽうでいたと答えたため,そのような調書になった。被告人乙がいたかどうかについては,それ以前から警察官から尋ねられていたが,何と答えたか分からない。被告人乙が本件犯行に関与していると述べたのは,何も分からないので,適当に言っただけである。

裁判官からの勾留質問に対し,自分が本件犯行に関与していることを認める供述をした。裁判官にやっていないと言ったら,そのことを警察官が知り,またやられると思ったからである。

検察官からの取調べで,5月31日と6月8日には,被告人両名らとともに本件犯行をしたことを認める供述をした。読み聞けもしてもらい,署名指印もした。また,調書に添付された地図にも署名指印をした。6月8日の調書で,それまで竜巳の名前を出していたが,嘘だと書かれているのは,捜査の責任者が来て,本当に竜巳で合っているのかと尋ねられ,それでH1の名前を出したが,これで合っているのか,被告人乙がいたのではないかと言われたので,そうですと答え,自供書を書いたからである。また,検察官調書中に,春夫から被告人乙の代わりに竜巳の名前を出せと言われたのでそのような供述をしたという部分は,僕が作った話である。見張りをしていたのではなく,被害者を取り囲んだとある点も,警察官から,お前本当はやったんとちゃうかと何度も言われ,怒鳴られたので,再び暴力を振るわれると思ったからである。

その間の6月2日の取調べでは,Y3とY4という警察官から取調べを受けていたところ,責任者の警察官がやってきて,「お前,何で嘘ばっかりついてんねん。」などと言って怒鳴ってきた。そして,「ほんまに竜巳でええんか。」と尋ねてきた。竜巳であると言ったが,怒るのをやめないので,H1だと答えたが,なおも「乙がおったん違うか。」と大声で怒鳴り,机を叩いていた。これに対し,最初は黙っていたが,「ずっといたんとちゃうんか。」などと問い詰められたので,そのとおりであると答えた。6月7日,事件現場で犯行再現をしたが,このとき,「秋夫君が被害者の人の腰辺りに右肩をタックルするように体当たりした。」旨の説明がされているが,これは,警察官から体当たりしたと聞いていたからである。右肩からというのは,僕が推測で述べたものである。さらに,6月7日の調書に,「本当は獲物であるおっちゃんから目を離すはずがないです。」という記載があるが,これは取調官から「ほんまは見とったやろう。」などと言われたためである。

警察署で留置されていた際,母親と面会したが,その際,やっていないとは言わなかった。それは,面会に際しては,警察官が隣にいるので,そう言えば,警察官から再びやられると思ったからである。6月11日に少年鑑別所に移された。その後,弁護士と面会することがあった。初めは,弁護士が味方とは思わなかったが,その後,弁護士が,自分は味方であり,僕が話す内容について絶対に口外しないと言ったので,6月17日,弁護士に対し,自分が本件をやっていないことを伝えた。

僕は,罪を認めたとしても少年院には行かず,少年鑑別所に送られるだけで出られると思っていた。そのように思ったのは,逮捕されて留置所に入った日,同房の少年から,初めて捕まったのであれば,鑑別所だけで出られると聞かされたからである。その後,少年鑑別所で家裁調査官から,強盗致傷罪は,大人であれば8年くらいは服役しなければならないほどの重い罪で,子供でも大変重いと聞かされて,自分が軽く考えていたことに気付いた。

(3)  供述経過等

ア 5月20日(自供書2通)

2月16,17,18日に秋夫から帝塚山の○○店に来るように呼び出されたとき,秋夫におやじ狩りに行くから一緒に行こうと言われた。その後,マンションに行った際,近くでおやじ狩りをするためと分かっていた(甲47)。

2月16,17,18日,僕が秋夫に電話をして,午後7時か8時ころ,帝塚山の○○店に呼ばれていった。同店には,春夫,秋夫,E,I,被告人甲,C野がいた。みんなは駐車場にいた。その後,みんなが○○店の向かいにあるマンションの方へ行った。僕は,自転車にまたがって,マンションの近くで待っていた。その後,C野が急に走って逃げたので,誰かが何かしたのだと思い,怖くなって,家まで逃げた。家に帰ってから秋夫に電話をすると,強盗をしたと言い,被告人甲の家の前に来るように言われた。その後,秋夫になぜ逃げたのかと尋ねると,「おっさんしばいた。」と言っていた(甲48)。

イ 5月21日(自供書2通,地図)

(自供書,甲49)

秋夫,春夫,その同級生のたつみ,E,I,C野,被告人甲と○○店に行ったとき,誰かがカツアゲに行こうかと言い出した。その後,マンションの裏道に行った。そこに行ったのは,僕,春夫,秋夫,たつみ,その他に誰かいたと思う。春夫に「ここで待っとけ。」と言われた。暗い道であったため,ここで春夫,秋夫が金を取るのだと分かった。僕は見張り役をした。しばらくすると,春夫が逃げろと言うので,逃げて,○○店に行った。春夫と秋夫がカツアゲするか誰かをしばいて金を取ったと思った。

(地図,甲50)

「○○」,「※※」などと書かれ,マンションと書かれた横の道路上に「春夫,あきお,たつみ」と書かれ,そこからやや離れた地点に「ぼくはここにいました。」と書かれている。

ウ 5月22日(自供書2通,警察官調書,引当り捜査報告書)

(自供書,甲52)

僕は見張りをしていただけと供述していたが,本当は,おっちゃんが倒れていて,そのちょっと先に,春夫,秋夫,たつみがいたのを見ていた。僕は,おっちゃんが倒れていたので,春夫らがおやじ狩りをしたことを分かっていた。

(警察官調書,甲53)

2月終わりころ,秋夫,C野,I,E,春夫の同級生で通称たつみ,被告人甲と○○店に集まったとき,カツアゲに行こうという話になった。そして,○○店を出て,交差点を渡って,みんなで一緒に裏通り方向に行った。僕は,春夫,秋夫,たつみと共にマンションの裏通りに入った。そこは暗く,人気がなかったので,この辺りでカツアゲか何かをして金を取るのだと思った。そこで,春夫は,僕に,「ここで待っとけ。」と,見張りをするように言ってきた。春夫は,僕から離れ,歩いていき,しばらくすると姿が見えなくなった。その後,「逃げろ」と言う声が聞こえ,声が聞こえた方向に走っていくと,おっちゃんが倒れていて,その傍らに春夫,秋夫,たつみがいた。春夫らが走って逃げていくので,その跡を追いかけて,走って逃げた。どのような方法でおやじ狩りをしたのか分からない。○○店に集まった際,被告人甲がいたので,その指示があったのだと思う。被告人甲が怖くて,事件のことを全部話せば仕返しされると思ったので,話せなかった。

(引当り捜査報告書,甲67)

「春夫か秋夫がカツアゲし,僕が見張りをした」とする場所を夏夫に案内させたところ,夏夫が案内した「おっさんが倒れていた場所」が本件犯行現場と一致した。

エ 5月23日

(検察官に対する弁解録取書,甲137)

近くの○○店で,春夫,秋夫,被告人甲,C野,被告人乙,たつみ等と共に,おやじ狩りをしようという話になった。実際におやじ狩りをするときには,春夫から言われて見張りをした。おやじ狩りをしたのは,春夫,秋夫,たつみ,被告人乙であった。奪った金が誰の手に渡ったかは知らない。

(勾留質問調書,甲139)

上記弁解録取調書のとおりである。

オ 5月26日(警察官調書,甲55)

2月16日午後7時30分ころから午後8時ころまでの間に,○○店に集まったのは,おやじ狩りをしたメンバーである春夫,秋夫,たつみであり,その他にC野,E,Iと年上の被告人両名がいた。どのような経緯でおやじ狩りをすることになったのかは分からないが,同店において「カツ,行こう。金,行こう。」という話は聞いていた。恐喝をする,どんな方法を使っても金を奪う,ということである。その後,春夫から「ちょっと付いて来いや。」と言われた。これを聞いて,春夫がやるのなら,僕もやらなければいけないと思い,少し怖くなった。しかし,兄から言われたことなので嫌と言えず,付いていった。マンションの裏道に行くと,春夫からここで「待っとけ。」と言われた。暗い裏道に来たので,ここで金を奪うのだと分かり,見張り役をすることになった。今回の事件を誰が言い出したか,奪った金がどうなったか知らない。しかし,本件前の○○店に年上の被告人両名がいたので,命令したかどうかは分からないが,関与しているはずである。被告人甲からは,カゴダッシュを何度もさせられているが,年下の者に何でも命令する人である。暴走族の総長をしていたと聞いたことがあり,怖い人で,切れると何をするか分からない人と思っている。また,被告人乙は,僕が春夫から見張りをするように言われた場所近くまで来ていた。当初,被告人乙の名前を出せなかった理由は,同被告人はがっちりした体格で,怖い顔をしており,絶対に怖ろしい人であると思っており,警察に話せば,仕返しをされると思ったからである。しかし,嘘はつき通せないし,すべてを話してまじめになろうと思い,話すことにした。被告人乙も元暴走族の総長と聞いている。事件の前,○○店には被告人両名がおり,被告人乙はマンションの裏道まで来ていたので,本件犯行に関わっているはずである。本日,母と面会したが,母からはH1から僕の妹の携帯電話に何回か電話がかかって来ていると聞かされた。H1からは滅多に電話がかかってこないので,H1も○○店にいたか,被告人らがH1を使って口止めを試みているのかもしれない。

カ 5月31日(検察官調書,甲63)

本件事件は,春夫,秋夫,竜巳と共に行った。これには,被告人両名が関わっているはずである。これまでは,被告人両名が関わっていることは隠していた。理由は,被告人両名が暴走族「淀川連合」や「大正連合」の元総長であったり,体が大きかったりして,後で仕返しをされるのが怖かったからである。しかし,取調べを受ける中で,事実をありのままに語ることの大事さを知ったことや母を悲しませないようにしたいと決心したことから,勇気を持って話すことにした。

当日午後7時ころから午後8時ころまでの間に,秋夫から僕の携帯電話に連絡が入り,○○店に来るように言われた。自転車で同店に行くと,被告人両名,秋夫,春夫,竜巳,C野,E,Iらが自転車置き場近くに集まっていた。秋夫から「金パクりに行くんや。」「一緒に付いて来てや。」と言われた。それを聞いて,おやじ狩りをしに行くのだと思った。また,秋夫,太郎,Fは,被告人甲の命令でゲームソフトの万引きや,カゴダッシュと呼ばれるスーパーでの万引きをさせられていたので,被告人両名から指示されていると思った。秋夫からは,被告人甲が仕事をしておらず,金に困っていると聞かされていたこともある。僕はおやじ狩りを手伝いたくなかったが,断れなかった。秋夫,春夫,竜巳と4人で○○店を出て,おやじ狩りに向かった。被告人乙も途中まで付いてきていた。秋夫から,被告人甲から僕の携帯電話にワンコールがあり,誰かが通る合図だから知らせるようにと言われた。秋夫は,目当ての場所を打ち合わせていたのか,先頭を歩いていた。××の南側路地の方へ行ったが,少し前辺りで,春夫から「お前はここで待っとけ。」と言われた。見張りをしながら,被告人甲からの合図を待った。しばらくすると,ワンコールが入ったので,秋夫らがいるところまで走り「今,甲さんからワンコが入ったよ。」と伝えた。それから,僕は,再び元の待機場所に戻り,秋夫,春夫,竜巳がおやじ狩りをした。

キ 6月2日(自供書2通)

春夫,秋夫,被告人乙と4人でおやじ狩りをした。僕が見張りをしていたら,自転車置き場の通路近くにいた被告人甲から僕の携帯電話にワンコールが入った。これは獲物が来た合図である。僕は,秋夫,春夫,被告人乙のいるところに知らせに行った。そして,4人で,並んで歩き,被害者の横をすれ違い,秋夫が被害者の後ろからタックルをした。そして,倒れた被害者を4人で取り囲んだ。秋夫が金を出せと言うと,被害者は財布から金を出した。秋夫がその金を取った。僕は,「もうないんか,殺すぞ。」と言って脅した。春夫,被告人乙も,「もうないんか,殺すぞ。」と言って脅した(甲56)。

春夫,秋夫,H1,H2,被告人両名と共に,おやじ狩りをする前に帝塚山の駅の所や学校近くなどでカツアゲをした。秋夫,春夫,H1,H2は,踏切の所でカツアゲをしたが,金は取れなかったようである(甲57)。

ク 6月4日(警察官調書,甲58)

竜巳と一緒に事件を起こしたというのは,嘘であり,本当は,竜巳は関係なく,被告人乙である。春夫が警察に呼ばれていたころ,「警察に聞かれても絶対に言うな,乙君のことは黙っとけよ。竜巳にしとったらいける。」と指示されていた。ところが,取調べ中,被告人乙のことを話してしまい,被告人乙が途中まで一緒だったとごまかした。しかし,本件犯行前にカツアゲをしていたことについて,取調べを受け,竜巳がいたかどうかについて何度も聞かれるうちに説明できなくなってしまった。カツアゲについてこれまで話さなかったのは,おやじ狩りだけでなく,カツアゲもしていると言えば,罪が重くなり,長い間家に帰れないと思ったからである。

2月16日夕方,秋夫から携帯で呼び出され,春夫と共に自転車で△△書店に行った。秋夫,C野,H1,H2,E,I,被告人両名がいた。○○店に行った後,誘われるまま秋夫,H1,H2とカツアゲに行ったが,成功しなかった。その後,○○店に戻り,駐車場で,おやじ狩りに行く話になり,春夫からも「行くぞ」と言われた。嫌であったが,断れなかった。おやじ狩りには,僕,春夫,秋夫,被告人乙が行くことになった。秋夫からは「甲さんからワンコ入るから教えてや。」と言われていた。マンションの裏道に行き,途中で,春夫から「ここで待っとけ。」と言われ,少し待ったが,すぐに他の3人と一緒になった。その後,被告人甲からワンコールが入り,それを皆に伝え,被害者に近づいて,すれ違った。突然,「うわっ」という声がして,被害者を襲ったことが分かり,道路に倒れた被害者の周りに秋夫,春夫,被告人乙が立っていた。秋夫は「金,出せや。しばくぞ。」と言った。僕も「おっさん,殺すぞ。」と言った。他の仲間も脅していた。被害者が差し出した金を秋夫が受け取ると,僕たちは全速力で走って逃げた。その後,○○店に戻り,みんなで一緒に被告人甲方のあるマンションに行った。その後,すぐに自転車で家に帰ったので,そこでどういうやり取りがあったかは知らない。

ケ 6月7日(警察官調書,実況見分調書2通)

(警察官調書,甲59)

以前は,おやじ狩りをしていたところは見ていないと供述していたが,実際は見ている。被害者とすれ違った状況を現場で説明するうち,説明できなくなり,嘘をつくのは無理だと思い,本当のことを話した。

(実況見分調書2通,甲68,69)

踏切の近くでカツアゲをした。マンション前道路では,見張りとして被告人甲とH1とH2が近くにいた。被害者とすれ違うと秋夫が体当たりした(現場を説明し,犯行状況を再現)。

コ 6月8日(検察官調書2通,甲64,65)

夏夫の前記(1)の供述要旨ア,イのとおり

サ 6月9日(警察官調書,甲61)

おやじ狩りの前に,僕,秋夫,H1,H2,それから被告人両名のどちらかが一緒になって,カツアゲに行った。

シ 6月10日(警察官調書,甲62)

共犯者である春夫,秋夫,被告人両名との関係について供述する。

(4)  信用性判断

夏夫の捜査段階における供述は,具体的かつ詳細であって,C野の公判供述などとも一致するところであり,信用性があるかのように思われるが,以下に見るような看過しがたい問題点がある。

ア  警察官による暴行等の有無

まず,夏夫は,任意同行初日から本件犯行に関与したことを大筋で認めているが,その理由について,警察官から暴力を振るわれたためと述べる。具体的には,取調べの初日に髪の毛をつかまれて振り回されたり,首を絞められて壁に押し付けられたと供述し,2日目の暴力については,いすを蹴られたと供述し,再度問われると,その日は首を絞められた,いすを蹴られたのは,別の日であるなどと供述を何度も変遷させており,かなり曖昧である。夏夫の母,A山花子は,5月20日に夏夫が取調べから帰ってくると,警察官から首を絞められた,髪を引っ張られ,蹴られたと述べて,泣いていた。首には紫色の内出血痕が残っていた,大変なことなので知人に相談してメモに残した等とこれに沿う供述をするが,夏夫がそのような暴行を加えられたにもかかわらず,警察に抗議もせず,次の日も任意同行に応じさせたというのであり,信用しがたい。また,20日は取調べの初日であり,これから説得を尽くして自白させる余地もあったのであるから,その時点でそのような暴行を加える必要があったとも思われない。

ただし,夏夫は,取調べに際して,黙り込むと机を叩いて怒られたとも供述しているが,この点については,Y3警察官も取調べに際して,夏夫が黙り込むことが多かったと供述していること,後述するような供述の変遷があったことなどからすれば,机を叩いて怒る程度の取調べが行われたと認められる。夏夫が取調べ当時いまだ15歳であったことなどからすれば,そのような取調べ方法は,供述の信用性を減殺する事情というべきである。

イ  供述の不自然な詳細さ

6月8日の検察官に対する供述(甲65)では,被害者について年齢が65歳前後で身長が僕より少し低いくらいなどと具体的に挙げられているが,現場での目撃状況や既に犯行から3か月以上経っていたことなどを考えると,そのような具体的供述が記憶に基づくものであったか疑わしい。

さらに,夏夫は,5月21日には,「ぼくのふくそう」と題された書面(甲51)を作成し,黒のニット帽子,こげ茶色のジャンパー,黒色のトレーナー,ジーパンなどと詳細に当時の服装を書いているが,春夫がその2日前に供述していた本件犯行当時の服装と同一である。この点も,約3か月前の服装を正確に覚えていたのか疑問があり,やはり捜査官から言われるままに自供書を作成した可能性があり,信用性を低める事情である。

ウ  供述の著しい変遷とその理由

夏夫供述は重要な点で変遷しているが,その供述の変遷について検討すると,その変遷に合理性がなく,むしろ捜査官からの誘導に迎合して供述を変遷させていることが認められる。

まず,夏夫は,その供述を変遷させた理由について,春夫から,被告人乙の名前は,絶対に出すなと言われ,代わりに竜巳の名前を出すように言われたためであると供述していた。そして,被告人乙が体が大きく,元暴走族の総長であることなどを挙げ,仕返しなどが怖かったので隠していたなどと述べる(5月31日付け,6月4日付け各調書)。

しかしながら,夏夫は,5月23日,勾留請求前の検察官による弁解録取において,実行犯の一人として被告人乙の名前を出している。警察官からの厳しい取調べにおいて供述するのであればともかく,比較的短時間で事実関係の確認をする手続である弁解録取で簡単に名前を出していることを考えると,被告人乙が怖く,口止めされていたという動機は,説得力に欠け,信用性が低い。竜巳の名前を出していたのは,被告人乙の代わりに出すように言われていたとも説明するが,それまでの供述では,春夫,秋夫,竜巳の3人が実行犯で夏夫が見張りでは人数が足りないことが明らかであり,これについて追及されて,被告人乙の名前を出したと見るのが合理的である。さらに,夏夫は,被告人乙の代わりに竜巳の名前を出したと言いながら,被告人乙の名前を出した後も竜巳も共犯者として名前を出し続けているのであり,変遷理由と供述態度には矛盾が見られる。

この点,取調べを担当した検事は,5月23日の夏夫に対する勾留請求前の弁解録取において,検察官は被告人乙はいたかという質問はしなかったと証言するが,当時の夏夫の供述は,「見張りをしていたので,現場には直接行っていない」というものであり,検察官が実行メンバーについて関係者の名前を挙げて確認した可能性がある。そもそも,5月19日には,春夫が,被告人両名らとおやじ狩りをしたとの供述をしているのであり,さらに,5月22日には竜巳に代える供述をしていたのであるから,このころに,取調官が夏夫に対しても,被告人乙がいなかったかと尋ねていると考えるのが自然である。

更に注目すべき供述経過として,最初の任意での事情聴取の際に作成された自供書(甲48)では,秋夫に○○店へ呼び出され,そこには,春夫,秋夫,E,I,被告人甲,C野がいたこと,おやじ狩りに誘われて,マンション近くまで行ったが,C野が走って逃げたので怖くなって逃げたと供述している。このうち,○○店にいた者については,この段階でなされているC野及び春夫の各供述とほぼ符合する。しかも,「C野が急に走って逃げた」とする夏夫の自供書は,その2日前のC野の警察官調書(甲190)における「僕も自宅に逃げ帰った」という内容と同一であり,C野は現場付近に行って見張り役をしたと供述する点で極めて整合的である。しかしながら,C野供述のうち当該部分は虚偽であることがC野自身によって明らかにされていることは既に論じたとおりであり,夏夫が同じ虚偽供述をした理由は,C野供述の無批判な受容と見るほかない。

次に,夏夫は,5月21日に竜巳の名前を関係者として出しているが,これは既にC野が同音で姓が辰巳という名前の人物を出しているところ,これに合わせようとして竜巳を出したと思われる。また,翌22日には,マンションの裏通りに行った人物として,夏夫,春夫,秋夫,竜巳の4人の名前を挙げているところ,同日,春夫も,被告人乙に代えて,竜巳を共犯者として挙げ,供述を変更している(この時点で,捜査機関は,本件犯行が少年4人によるものとの見込みがあったものとの推測ができることは,春夫の供述の検討の点で述べたとおりである。)。さらに,翌23日,夏夫は,検察官に対する弁解録取に対し,自分が見張りをしていたと供述し,共犯者を4人しか挙げていなかったことため,実行メンバーが1人足りなくなることから,以前から共犯者ではないかとして取調べで出てきた被告人乙の名前を出したものと認められる。その後の捜査で竜巳の関与の可能性が低いと判断し,6月2日には,竜巳を外した供述に変更されている(同日付で春夫も同様の供述を始めていることは前述のとおりであり,これも誘導を裏付けるものである。)。夏夫が見張りでなく,実行メンバーと供述することになり,6月4日には,その変遷理由について説明されているが,これは春夫が同様の供述をした日になされている。さらに,犯行を見ていないと供述していた点も,6月7日には,秋夫による被害者へのタックルを見たと供述しているが,これも夏夫が,実況見分に立ち会った結果として,そのような変遷供述がされたものといえる。夏夫の供述が更に春夫,C野供述にも伝播していることは,前述のとおりである。

また,それ以外の供述についても,記憶違いや自己の刑責を免れるためといった合理的な説明が付きにくい多くの変遷が見られる。まず,5月22日付け調書(甲53)では,カツアゲに行こうという話になり,秋夫,春夫,たつみの他に,I,E,C野も裏通り方向に向かったとされており,その後の供述と明らかに食い違っている。また,当初は,秋夫から○○店に直接呼び出されたとしているところ,その後に,△△書店に呼び出されたと供述を変えている。さらに,5月26日付け調書では,被告人乙について虚偽の供述をしたが,嘘をつき通せないと観念して真実を述べると言いつつ,被告人乙はマンションの裏道まで来ていたと供述するにとどまり,その後の検察官に対する供述と齟齬している。また,6月4日付け調書(甲58)では,△△書店から○○店に移動した後でカツアゲに行き,その後同店に戻ったとなっているが,そのような記憶違いをするとは考えにくい。さらに,5月26日付け調書では,おやじ狩りに付いてくるように言ってきたのは春夫となっているが,5月31日付け調書では秋夫となっており,この点も記憶違い等では説明が付きにくい。

以上のように,夏夫の供述の変遷は,捜査機関の見込みや他の共犯者とされた者及びC野の供述に合わせて行われていると見れば,整合的に説明できるのであり,夏夫の自白は,捜査官に迎合した結果生じたものと見るのが相当である。

エ  携帯電話の通信履歴との関係

夏夫の使用していた携帯電話の通信履歴(甲128)によれば,本件当日,秋夫宛に,午後3時1分から午後5時56分までの間に4回の通話があり,午後7時13分から本件直前の午後8時29分までの間に3回の通話と3回のメールがあり,本件後の午後8時56分にもメールがある。これについて,検察官は,夕方,秋夫から呼び出され(甲58,65)連絡を取り合ったものであって,夏夫の供述を裏付けており,また,本件犯行の時間帯を含む午後8時30分から午後8時52分まで誰とも通話やメールをしていない点も,夏夫が実行や逃走の途中であったことを示す証拠であると主張する。

しかし,夏夫は,秋夫と友人で,本件当時も一緒に遊ぶ仲であり,当日午後3時1分から午後11時2分までの間に両名間で合計12回の通話やメールが交わされたとしても不自然でない。また,午後8時29分という時刻には,実行グループが犯行現場に到着して待機していたことになるところ,若者らが近くにいる仲間とメールでやり取りすることは普通の光景であるが,マンションの出入口付近でたむろしていたグループ(被害者証言)のメンバー間で,しかも犯行を控えて待機中の状況でメール以外に通話をしたというのは,自然とは思われず,そのように電話で話し合ったなどという事実は,供述にも登場しないのであって,結局,上記通信履歴によって夏夫が本件の実行犯であることが裏付け又は補強されているとは認めがたい。

なお,検察官は,犯行直前の被告人甲から実行犯へのワンコール合図については,夏夫が5月31日の取調べで初めて明かした事実であり,夏夫の自白の信用性を高める事情として指摘する。しかし,被告人甲がワンコール呼出を使うこと自体は,当日同被告人や秋夫から呼び出された際の方法として,春夫が5月19日当初から供述しており,むしろ被告人甲から実行犯への連絡という重要な事実について5月31日まで供述されず,6月2日にワンコールによる連絡の事実が春夫の供述にも登場するというのは不自然の感を免れない。なお,これらの通信については,携帯電話の履歴による裏付けがなく,自白の信用性を肯定する事情にはならない。

(5) 結論

以上のような供述の内容と経過の検討結果によれば,夏夫の供述は,本件を実行したとの供述部分についても被告人両名の関与の部分についても,全く信用できないといわざるを得ない。

4  B川秋夫の供述

秋夫の供述については,本件公訴事実を直接立証するための証拠として,秋夫の各検察官調書(甲96,123,124)及び夏夫の少年審判における秋夫の証人尋問調書(甲126)があるが,公判においては反対の内容の証言をしている。以下,これらと捜査段階の供述経過を全体的に検討して,上記検察官調書等の信用性を判断する。

(1)  検察官に対する供述要旨

ア 6月25日(検察官調書,甲96)

1月か2月ころ,○○店近くのマンション前の薄暗い通りで,仲間と一緒におやじ狩りをした。5月28日付けの「僕はこの場所でおやじ狩りをしたかもしれない。していないとはいえない。一人ではしていないが,一緒にいた人は思い出せない。1月か2月だと思う。」という内容の自供書は,本件犯行現場に警察官を案内する前に書いたものである。おやじ狩りをした場所について,当初は,駐車場から電柱の所までの間だと話したが,よく思い出すと,明るい電柱の付近ではそのような悪いことはできるはずもなく,駐車場前付近であるとはっきり思い出した。おやじ狩りは,3人から5人でやった。このような人数になったのは,2人だと1人が反対すると結局できず,3人から5人だと1人反対する者が出てもみんなでやりやすいからである。夏夫は僕が誘ってメンバーに入れた。他のメンバーが誰かは思い出せない。相手のおじさんとすれ違い,僕が肩をぶち当てて倒し,金を奪ってみんなで逃げた。今回のおやじ狩りは,被告人甲と,その友達の被告人乙のためにやった。

イ 6月30日(検察官調書,甲123)

これまで,現場には,僕,春夫,夏夫の他にもう1人いたと供述していたが,それは,被告人乙である。これまで覚えていないと述べていたのは,被告人両名が怖かったからである。被告人乙は,体も大きく,顔もいかついので,被告人甲より怖い存在であった。被告人甲は,おやじ狩りの相手を見つけて,携帯でワンコールして知らせたり,見張りをした。僕は,現場に行く途中で,夏夫に「ちょっと付いて来てや。」と言って,無理に誘い,犯行現場で待っていたとき,春夫に「春ちゃん,俺いくわ。」と言ったり,夏夫には「夏夫は,せんでいいから。」と言った。奪った現金は,そのままポケットに入れたので正確な金額は分からないが,紙幣だけで5万円くらいあったと思う。

ウ 7月17日(検察官調書,甲124)

本件事件は,僕と,春夫,夏夫,被告人両名の5人でやった。僕が被害者を襲ったが,被告人乙,春夫,夏夫も,倒れ込んだ被害者を取り囲んで一緒に脅した。被告人甲は,本件犯行現場近くにいて,見張りと携帯電話で合図する役目をした。

この日の夕方ころ,被告人甲が金に困っているので,カツアゲをして金を手に入れようという話になった。よく集まる場所である□□西公園,被告人甲宅のマンション前,△△書店などのどこかでこのような話になったと思う。このとき,夏夫は一緒にいて,春夫を電話で呼んだ。被告人乙も軽四トラックに乗ってやって来ていた。帝塚山付近でカツアゲをするためにうろうろしたが,うまくいかなかった。メンバーは思い出せない。それから,○○店の自転車置き場に集合して,おやじ狩りをしようという話になった。被告人甲が「おっさん,いこうか。」と言った。カツアゲをしようと動き出したが,カツアゲではそれほどの金も取れないから,おやじ狩りが手っ取り早いということになったと思う。被告人甲は,「俺は見張りをするから。おっさん見つけたらワンコする。」と言ってきた。おやじ狩りをする場所も,被告人甲が決めたように思う。夏夫はこういうことは嫌がるし,被告人両名も,自分たちは直接手を出さないと思い,春夫は僕が呼び出したので,春夫に悪いと思い,僕は,春夫に,「春ちゃん,俺いくわ。」と言って,自分が先に手を出すことを伝えた。現場マンションの出入口付近で待っているとき,夏夫に「夏夫はせんでいいからな。」と言ってやった。被告人甲から僕か夏夫の携帯電話にワンコが入り,被害者が1人で歩いてきた。このとき,被告人乙が「行け」と言ったかどうかは覚えていない。僕と春夫が先頭になって,すれ違ってから,僕が被害者の後ろ側に回り込み,その体に右肩をぶち当てて倒した。僕が「金を出せ。」と言った。「殺すぞ。」と言ったかもしれない。「これで全部か」と聞くと,被害者は「そうだ,もうない。」と答えた。少し先の方に移動していた被告人乙や夏夫の方に春夫と2人で走っていき,4人で逃げた。○○店まで逃げて,被告人甲と合流した。その後,被告人甲方にみんなで行った。春夫と夏夫は自転車を2人乗りして行き,僕と被告人甲も自転車を2人乗りして行った。被告人乙は,乗って来ていた軽トラックで行った。被告人甲方のあるマンション前に行くと,僕は,奪い取った金を被告人甲に渡した。春夫,夏夫も僕も,被告人甲方へは入らずに帰った。その金の分け前はもらっていない。

(2)  夏夫の審判における証言の要旨

7月21日の秋夫の証言(少年審判調書,甲126)

(犯行に至る経緯,犯行状況について)

おやじ狩りは,被告人両名,春夫,夏夫と5人でやった。僕は被告人両名に呼ばれ,夏夫と春夫は僕が呼んだ。まず,被告人両名から僕だけが呼び出された。被告人甲方へ行くと,被告人甲だけがいた。被告人乙といつ,どこで会ったかは覚えていない。それから,被告人甲の携帯電話でワンコールし,春夫から電話をかけさせて,遊ぼうやと言って呼んだ。僕と被告人両名と夏夫が○○店に行き,その後,春夫が来た。被告人乙は白色軽トラックに乗って,僕と夏夫は自転車を2人乗りして同店に向かったと思う。被告人甲がどうやって行ったかは,分からない。C野はいなかったと思うが,はっきり覚えていない。おやじ狩りをすると言い出したのは,被告人甲だと思う。おやじ狩りの現場を決めたのは,被告人甲であるが,一緒には来ていないし,どこにいたかは分からない。被告人甲が一緒に来なかったのに,自分たちがどうして犯行場所に行けたのかは分からない。途中で夏夫に対し,やらんでいいからと言った。被害者を襲うことに決めたときの被告人甲のワンコール合図は,僕の携帯電話にかかったと思う。被害者とすれ違ってから,僕が被害者に体を当てて倒し,金を出すように言った。僕の周りには,夏夫,春夫,被告人乙がいた。金を受け取るころ,被告人乙と夏夫が2メートルくらい離れた所にいた。3人が何を言っていたかは覚えていない。被害者からは5万円くらいを受け取り,ポケットにしまって,すぐに逃げた。○○店に戻ったが,初めから戻るという取決めをしていたかは覚えていない。当時の5人の服装は覚えていないが,夏夫が普段から被っている黒色のつばのない帽子を被っていたことは覚えている。被告人甲方へは,被告人甲と自転車で2人乗りして行ったが,どちらが運転したかは覚えていない。被告人乙は,車で被告人甲方まで行った。僕は,被告人甲に金を渡して帰った。おやじ狩りをした後,○○店に戻った際も,被告人甲の家の前でも,自分たち5人以外にはいなかったと思う。

○○店に集合する前に,僕たちは,カツアゲに行ったが,誰と行ったかは覚えていない。

(本件での取調べの状況,供述経緯について)

4月26日に逮捕された。その2日後から6月30日まで児童相談所にいた。当初,Gに対する恐喝の件で話を聞かれた。その後,5月中ころから,おやじ狩りの件について聞かれた。警察署に行って事情を聞かれたこともあったが,ほとんどは児童相談所で聞かれた。おやじ狩りについては,2月ころ,おっさんに声をかけていないかと聞かれ,かけていないと答えた。5月終わりころ,本件犯行現場に案内したことがあったが,これは,Gに対する恐喝の現場検証の後,おやじ狩りをした場所はどこかと警察官から言われて,分かりませんと答えたが,警察官に怒鳴られたり,早く案内しろと言われた。

5月28日付け自供書(甲73)にある「この場所でおやじ狩りをしたかもしれません。けどしてないとはいえません。」などと書いたのは,本当に思い出せなかったからである。この図を書いたのは,本件犯行現場で実況見分をする前である。連れて行ってもらえれば,何か思い出すのではないかと思い,連れて行ってもらう際,どこに行きたいかと聞かれ,書いた。警察官に,この道に見覚えないかと言われた。

6月1日に,「おやじ狩りの件は甲さんと乙くんのためにやりました。」という自供書(甲75)を書いた。これは,何でやったのかと問われた際,警察官が被告人甲らの名前を出してきて,被告人甲は当時金に困っていたので,被告人甲のためにしたと供述した。被告人両名が怖かったから名前を出せなかったのも少しはある。やはり名前を出したことで呼び出されて,何をされるか分からないという怖さがあった。被告人両名からおやじ狩りの件で話をされたことはない。6月24日,「僕がおやじ狩りをしたときに夏夫が一緒におるのを思い出しました。」(甲85)と書いたのは,2月は,毎日,夏夫と仲良く一緒遊んでいたことを思い出し,おやじ狩りのときも一緒にいたことを思い出したからである。それまでは,夏夫のことを全く忘れていた。検察官からの取調べは,3回あった。1度目は検察庁,2度目は児童相談所,3度目は児童自立支援施設である阿武山学園である。1度目の取調べがあった6月25日,検察官から諭され,僕が黙っていたことで,全く関係のないFや兄の太郎が逮捕されるなどの迷惑を受けたことを思い,涙を流した。2度目の取調べのあった6月30日,誰がおやじ狩りのメンバーかについて取調べを受けている際,検察官から,被告人両名を逮捕しており,これから起訴して裁判にかけると伝えられた。そして,検察官から,もしそうなったら,私が誤りを犯すことになるのかどうなのかと尋ねられた。それに対して,僕は,誤りを犯さないと答えた。その後,僕は,被告人乙の名前を共犯者として出した。

(3)  公判供述の要旨

(被告人両名及び事件関係者との関係,本件犯行について)

被告人甲とは,中学1年生ころに知り合い,被告人甲方や公園などで毎日のように遊んでいた。被告人乙とは,被告人甲と一緒にいたり,被告人甲のところに来た時などに話すようになった。夏夫とは小学6年生ころに知り合い,春夫とは中学1年生のころ夏夫に紹介されて知り合い,2人とはよく一緒に遊んだ。

僕は,本件事件に関係していない。2月14日には,被告人甲,夏夫,C野,Eと一緒に焼肉店とカラオケ店に行った。16日夜に自分が何をしていたのかは覚えていない。

(取調べ経緯等について)

捜査段階で,被告人両名,春夫,夏夫と共に本件事件をやったと言ったほか,夏夫の少年審判に出廷し,その場でも同様の証言をした。警察による取調べは,5月初めころから,児童相談所内の部屋で行われることが多く,平日は大体毎日取り調べられた。最初は,今回の事件をやっていないと供述していたが,6月初めから犯行を認めた。初めは,兄の太郎,F,C野,夏夫,被告人甲と一緒にやったと供述していたが,6月半ばころに,共犯者として春夫,夏夫の名前を挙げた。この2名の名前を挙げたのは,取調官から両名が既に自白していると伝えられ,春夫,夏夫が頑張って話しているのに,僕が邪魔をしているみたいに言われたからである。次にH1の名前を挙げたが,次の日には嘘ですと言って,代わりに被告人甲の名前を挙げた。被告人甲の名前を挙げたのは,警察官から,被告人甲にやらされていたのではないかとずっと言われていて,取調べも長かったので,一度,被告人甲の名前を出し,嘘でしたと言えばよいとの軽い気持ちからである。その後,僕も被告人甲も事件には全く関係がないと供述したが,警察官から,やっていないならやっていないでよいが,証拠がなければ無理と言われ,結局,元の供述に戻った。

実際に犯行をやっていないのに自白し,虚偽の共犯者の名前を挙げたのは,警察の取調べで脅されたり,信じてもらえず,嫌になったからである。当時,母が面会に来て,やっていないけどやったと言ってしまったと伝えた。母は,やっていないなら正直に話すようにと言った。その後の取調べで,やっていないと述べたが,証拠を出せと言われた。検察官からの取調べは,6月25日,30日,7月17日の3回であったと思う。1回目の取調べで,自分が本件犯行に関与していることを認めた。検察官に対して真実を述べなかったのは,警察の取調べで信じてもらえなかったので,言っても信じてもらえないと思ったからである。検察官から春夫,夏夫と一緒にしなかったかと尋ねられたが,分からないと答えた。夏夫の名前を出したが,犯人は僕を含めて3名から5名としか答えなかった。また,検察官からの取調べの際,犯行現場の写真を見せられ,それまでの取調べでは,電柱付近から駐車場までの間で犯行をやったと供述していたが,電柱が光っていたのを覚えているような気がしますと言って,明るいところでは悪いことはできるはずもないから,犯行現場は駐車場前付近であると思い出したと供述した。2回目の取調べで,被告人乙も現場にいたという供述をした。検察官から,春夫たちが,おやじ狩りをした後,被告人乙の車で逃げたと供述しているが覚えているかと尋ねられたが,分からないと答えた。また,検察官から,この話は本当かと聞かれ,本当ですと答えた。検察官は,この話が嘘なら,とんでもないことをしてしまう,被告人両名を起訴して裁判にかけることになったら,僕は誤りを犯してしまうことになるのかということを言ってきた。しかし,僕はその意味をあまり理解していなかったので,嘘ですとは言わなかった。3回目の検察官からの取調べは,阿武山学園内で行われた。被告人両名,春夫,夏夫と共に本件事件をやったこと,その日の夕方ころ,被告人甲と一緒にいた際,同被告人が金に困っているので,カツアゲでもして金を手に入れなければならないという話になったことなどを供述した。

夏夫の少年審判においても,被告人両名や春夫らと一緒に,本件を行ったと供述した。弁護士,検察官,裁判官に対しても,このような嘘の供述をしたのは,警察でやっていないと言っても信じてもらえなくて,どうでもよくなったからである。夏夫が少年審判で事実を争っていることは,警察から聞かされて知っていたし,自分の証言が仲のよい夏夫の不利益になるとは分かっていたが,深く考えなかった。

現在,本件犯行をやっていないとして,真実を話そうと思ったのは,これまではもうどうでもよいという気持ちからやりましたと言っていたが,実際にやっていないのに嘘をつくことで,被告人両名らに迷惑をかけたので,本当のことを言おうと決意したからである。被告人両名は,優しくて,とてもよいお兄ちゃんだと思っている。捜査段階や夏夫の少年審判において被告人甲が怖いと述べたのは,平成15年に被告人甲が怒っている場面と,被告人両名が人を呼び出して怒っているところを見たことがあり,その印象を述べただけである。

(4)  秋夫に対する取調べ状況

秋夫に対する取調べは,4月26日からG事件について開始され,児童相談所に一時保護となった後,5月6日ころから同所の面談室において,余罪の取調べとして本件事件について行われた。その後,6月30日までの間,5月18日から20日まで,6月11日,14日から16日までを除く平日には本件に関する取調べを受けた。取調べ(引当り捜査を含む。)がなされた日数は,4月26日から6月30日までの66日間中,37日である。6月30日,秋夫は児童自立支援施設の大阪市立阿武山学園に送られたが,その後も8月6日までに6回取調べを受けており,7月21日の夏夫の審判における証言の直前である7月15日から17日まで及び20日にも取調べを受けている。

(5)  供述経過等

ア 5月6,7,10日(警察官Y5の証言による。)

6日から本件についての取調べを行い,10日には「太郎とFと自分とC野と被告人甲で,歩いていた人から金を取った。太郎が被害者を後ろから蹴って金を取った。」旨の自供書が作成された。

イ 5月26日(地図の書かれた自供書,甲70)

この地図(○○店,マンションなどが記載されている。)に書いた場所を通ったことがある。通った時は暗かった。

ウ 5月27日(自供書2通)

この地図の場所で何かあると思う。今は思い出せない。しかし,この場所に行ってみたら何か思い出すかもしれないので,一度行ってみたい。多分悪いことだと思う(手書きの地図には,本件現場のマンションが書かれ,その前のかぎ状の道路が黒く塗られ,そこに矢印で「この場所」と書かれている。)(甲71)。

被告人甲らの話を聞き,「カッチャン」という言葉がカツアゲのことと知った(甲72)。

エ 5月28日(自供書2通)

この場所でおやじ狩りをしたかもしれない。1人ではしていないが,一緒にいた者は思い出せない。この場所に行けば何か思い出すかもしれないので,この場所を案内する(手書きの地図は,甲71とほぼ同様)(甲73)。

今日刑事を案内した場所でおやじ狩りをした。1人ではやっていないが,一緒にいた者はまだ思い出せない。今年の1,2月ころ,暗かったので夜であったと思う(甲74)。

オ 6月1日(自供書,甲75)

おやじ狩りの件は,被告人両名のためにやった。

カ 6月7日(自供書,甲76)

被告人甲は仕事を辞めて,金がなくなり,困っていた。被告人甲は,食べる物も買えないぐらい困り,太郎とFにカゴダッシュをしてきてと言った。太郎らがカゴダッシュをしたのは,被告人甲が怖く,断れないでしたと思う。

キ 6月10日(警察官調書,甲77)

おやじ狩りは,被告人両名のためにやった。しかし,これ以上は思い出せないし,話すことができない。

ク 6月18日(自供書,甲78)

いつも遊んでいる所や行ったりする場所で悪いことをしたら捕まると思うので,あまり行ったりしない場所でおやじ狩りをしたと思う。

ケ 6月21日(自供書3通,甲79から81)

僕はおっさんを後ろからやった。どのようにやったかは思い出せません(甲79)。

おやじ狩りを1人ではしていない。理由は,僕は金に困っていないからである。2人でもしていない。1人が行かないと言えば,話が合わないからである。3人以上でやったと思う。理由は,1人が行かないと言っても2人が行くことになれば,残りの1人も行くからである。3人以上であれば,負ける可能性がないからである。僕が思う3人以上とは,3人から5人である。一緒にやった仲間は思い出せない(甲80)。

僕の性格は,すぐ調子に乗って,悪いことでも俺がやると言って,一番最初にやる。このおやじ狩りの件も,仲間は思い出せないが,僕が一番最初にやると言ってやっていると思う。どのようにやったかは思い出せない(甲81)。

コ 6月22日(警察官調書,甲82)

おやじ狩りをしたが,1人ではしていない。理由は,僕は金に困っていないからである。2人でもしていない。理由は,1人が嫌だと言い出すと話が合わないし,おやじ狩りの被害者が暴れたりすれば,2人では勝てないからである。だから,3人でやれば,1人が嫌だと言い出しても,2人が行くのなら自分も行こうという話になるし,3人以上であれば,負ける可能性がないからである。僕が言う3人以上とは,3人から5人である。6人以上であの現場にいると,不審がられて通報されるからである。また,僕は調子乗りの性格なので,いつも一番にやる。また,失敗しないように,被害者を後ろから襲った。

サ 6月23日(自供書,警察官調書)

(自供書,甲83)

被告人甲は,金に困っていた。仕事をしていなかったし,家賃も払えずに延ばしてもらっていると聞いたことがある。被告人甲は,被告人乙の家に住んでいたが,金に困っていたので,家賃を払っていなかった。また,C野からは,被告人甲は食事もあまりしていないと聞いた。

(警察官調書,甲84)

僕を含め3人か4人か5人でおやじ狩りをした。僕は,おっさんを後ろから襲った。被告人両名のためにやった。

シ 6月24日(自供書,地図,警察官調書)

(自供書,甲85)(警察官調書,甲87)

僕がおやじ狩りをしたときに夏夫が一緒におるのを思い出した。

(地図,甲86)

手書きの地図で,マンションと駐車場の間の道路に×印を記載し,オヤジガリをした所と書かれている。

ス 6月25日(検察官調書,甲96)

秋夫の前記(1)ア記載のとおり

セ 6月28日(自供書2通)

おやじ狩りは,近くに被告人甲がいたからできたと思う。同被告人が家にいて「おやじ狩りしてきてや」と言われていたらできないと思う(甲88)。

今年の1月か2月ころに,被告人甲と誰かと僕で帝塚山に行った(甲89)。

ソ 6月29日(自供書3通,警察官調書)

(自供書,甲91)

おやじ狩りをした仲間に春夫がいた。おやじ狩りをしたとき,僕が「春ちゃん俺いくわ。」と言ったことを思い出した。

(自供書,甲92)

僕は被告人甲が怖い。その理由は,怒ったら怖いのもあるが,今回のおやじ狩りの件で被告人甲がいたことを言えば,呼び出されたり殴られるなど,何をされるか分からないからである。

(警察官調書,甲93)

2月の夜におやじ狩りをした。おやじ狩りをした仲間は,春夫,夏夫,被告人甲ともう1人である。被告人甲は,どこにいたか分からないが,見張りをし,ワンコによる合図を送ってきた。その合図で被害者に後ろからタックルして襲った。倒れた被害者に「金出せや」と言った。

タ 6月30日(検察官調書,甲123)

秋夫の前記(1)イ記載のとおり

チ 7月16日(自供書,甲94)

今回の事件で多くの人に迷惑をかけ,家族に心配をかけた。あこがれていた被告人甲には本当に迷惑をかけた。同被告人のためにやったことで,その人生をめちゃくちゃにしてしまった。なぜ,あの時,殴られてもいいから断らなかったのかと後悔している。今まで一緒に遊んでいた仲間の人生もめちゃくちゃにしてしまった。僕は自分が憎くてたまらない。今回の件で捕まった人たちには本当に悪いと思っているし,反省もしている。なぜ自分にストップをかけなかったのかと後悔している。もう二度と同じ失敗はせず,今後は,まじめになって,新しい自分になりたいと思う。

ツ 7月17日(検察官調書,甲124)

秋夫の前記(1)ウ記載のとおり

テ 7月20日(警察官調書,甲95)

これまで被告人両名を,あこがれの人とか悪いことなどしない人と話していたが,本当は怖くて,怒ると何をするか分からない人であり,名前を出すのに勇気がいった。怖かった理由は,春夫に対して被告人甲が女性のことで怒って,ごみ収集車の座席に春夫や僕が座らされ,被告人乙から怒鳴られ,被告人甲がそれを黙って見ていたことがあり,それが怖かったからである。また,被告人甲が付き合っていたS1が△△書店で知らない男から声をかけられたことで怒って,その男を平手で2,3回叩いたりしているのを見たり,その場にいた僕らも腹を殴られたことがあった。今回の事件で被告人両名の話をすれば,後で何をされるか分からないと思っていた。

ト 7月21日(夏夫の審判調書,甲126)

秋夫の前記(2)記載のとおり

(6)  信用性判断

ア  警察官による脅迫の有無

まず,秋夫は,公判廷において,取調べ時に警察官から脅されたと証言するが,脅された内容については具体的に述べていない。また,一連の自供書などについては,長期間にわたって徐々に認める内容に変遷している上,被告人両名のためにやったと思うが思い出せないといった不合理な内容についても調書として残されていることなどの点に照らせば,供述の強制にわたる脅迫的取調べがあったとまでは認められない。

イ  長期にわたる取調べと特異な供述内容

秋夫の供述の信用性を判断する上で重要な要素は,秋夫の本件犯行についての取調べが5月6日から本件犯行を明確に認めた6月30日までの56日間にわたっていることである(その後,審判での証言の前日である7月20日までの取調べを通算すると,76日間になる。)。これは,被疑者に対する逮捕,勾留を通じた取調べが23日間以内であることからすれば,明らかに長期間といえる。確かに,秋夫は,関与を認めるかのような曖昧な供述をしており,明確に本件犯行を否認していなかったのであるから,その供述を明らかにする必要を捜査官が感じたという事情があったことは否定できないが,客観的には非常に長期にわたる取調べであったといわざるを得ない。

その取調べ状況を見ると,主に児童相談所の一室を使用し,5月6日には余罪として本件に関する取調べがなされるようになり,5月10日に本件犯行に関与したかのような自供書が作成されたものの,その後,明確な供述が得られず,おやじ狩りをしたかもしれないが思い出せない旨の供述が5月28日にされ,最終的に,被告人両名,春夫,夏夫と共におやじ狩りをしたと明確に供述するに至る6月30日までの間,取調べや引当り捜査は,34日もなされている。取調べは,平日のみであり,時間については,午後1時ころから午後4,5時ころまでの取調べが多かったものの,午前,午後にまたがって取調べが行われた場合も5月6日から6月30日までに7回あり,月曜日から金曜日まで連日にわたるときも4週あった。また,この間に児童相談所の職員が立ち会った取調べは,判明している限りで4回だけであり,これについて,秋夫が立会は不要であると述べたとしても,同人が当時いまだ14歳であり,強く要求できなかったと考えるべきであるから,年少者を多数回取り調べる場合の方法として配慮に欠けていたことは否定できない。また,同人は勾留されていたわけではないが,一時保護として児童相談所に身柄を保護され,事実上その取調べを受忍せざるを得ない状況にあったもので,いつ終わるか分からない長期間の取調べを受け,その結果として,秋夫が虚偽の自白をしたとしてもおかしくない状態にあったと認められる。

実際,秋夫の6月30日に至るまで作成された調書等には,以下のような記述が多く見受けられる。

「この場所でおやじ狩りをしたかもしれないが,思い出せない。思い出すかもしれない。」(5月28日,甲73)

「いつも行く場所で悪いことをしたら捕まると思うので,あまり行かない場所でやったと思う。」(6月18日,甲78)

「おやじ狩りを1人でしていない。理由は金に困っていなかったからである。2人でもしていない。理由は1人が行かないと言えば,話が合わないからである。3人以上でやったと思う。理由は,1人が行かないと言っても2人が行くことになれば,残りの1人も行くからである。3人以上であれば,負ける可能性がないからである。僕が思う3人以上とは,3人から5人である。6人以上であの現場にいると,不審がられるからである。一緒にやった仲間は思い出せない。」(6月21日,甲80)(6月22日,甲82)(6月25日,甲96も同旨)。

「僕がおやじ狩りをしたときに夏夫が一緒におるのを思い出した。」(6月24日,甲85)。

このように,やったかもしれないが内容は思い出せないといったものや,なぜ共犯者が3人なのかを合理的に説明しようとするといったものなど,否認ではないが自白ともいえず体験した事実を欠く理詰めのかなり特異な供述が多く認められるところであり,これは,上記のようにいつまでも繰り返される取調べ,しかも自白を求める取調官との堂々巡りの感を呈したと見るべき際限のないやり取りから免れるために何かを供述するしかないという心境が綴られていると推認すべきである(なお,被告人両名に対する恐怖心又は庇う目的からこのような曖昧な供述をしたと考えられないことは,後述の変遷の合理性の検討で触れる。)。

以上からすれば,秋夫の検察官に対する供述(上記(1),甲96,123,124)は,身柄を拘束されていたわけではないにしても,虚偽供述を誘引しやすい状況の下でなされたものであって,その信用性は著しく減殺されるというべきである。

次に,秋夫の春夫の少年審判における供述(上記(2),甲126)については,裁判所における供述であり,一般的には任意性が十分に確保される環境にあるといえる。しかしながら,先行する自白が前記のように長い取調べの後に行われている上,秋夫が当時収容されていた児童自立支援施設に取調官が出向き,7月21日の審判期日の直前というべき7月15日から17日にわたって更なる取調べが行われ,更に前日の20日にも取調べを受けて,あらためて警察官調書及び検察官調書が作成されていたものである。この状況の下,仮に審判で供述を翻せば,再び多くの取調べを受けると秋夫が考えた可能性が十分にあり,そのような事態を避けるために既にした虚偽の自白を審判廷でも維持したというのは,むしろ自然な行動というべきである。すなわち,審判における証言は,前記(1)の検察官に対する供述の延長線上にある反復供述と評価すべきであり,特に本件の場合は,審判において,終始本件事件の取調べを担当した検察官が立ち会い,尋問をしていることも考慮する必要がある。結局,審判における秋夫の証言も,それに先行する不当に長期間の,かつ直前の時期を含む取調べの影響を強く受けていると考えられ,信用性が大きく減殺されるというべきである。

ウ  供述内容の不自然性

さらに,前記(1)の検察官調書3通を子細に見れば,同供述は不自然な点もある。まず,本件おやじ狩りは成り行きで実行したわけでなく,ワンコールで合図することも決めてあったのに,実行方法や役割分担については,何も決めておらず,秋夫が進んで実行行為の主要部分を担うことになったというのは,やや不自然である。さらに,被告人甲とは別行動になったにもかかわらず,犯行後に集まる場所について事前に決めていなかったというのも同様に不自然である。さらに,被告人甲のためにカツアゲをしようという話になり,春夫や被告人乙も来たことを供述した上,その後におやじ狩りをする話になったことや本件犯行状況については極めて詳細に供述されているのに,その間のカツアゲ行動については,帝塚山付近をうろうろした,メンバーは思い出せないなどと非常に曖昧に供述するのみであり,不自然の感を免れない。また,審判の証言でも,被告人甲が一緒に来なかったのに自分たちが犯行現場にどうして行けたのかについて,その理由は分からないと述べるなど,体験した出来事を供述しているにしては不自然な点も多く見受けられる。

エ  供述の不自然な変遷等

そして,その供述の経過も信用性に重大な疑問を生じさせるものである。秋夫は,6月30日ころに至るまで共犯者全員についての供述をしていなかったところ,その理由については,被告人両名が怖い存在であり,被告人両名の話をすれば,後で何をされるか分からないと供述している。しかしながら,秋夫は,既に5月10日までの時期に,被告人甲らと本件を実行したような供述をいったん行い,その後,6月1日の段階で,おやじ狩りは被告人両名のためにやったと供述しているのであり,同月10日にも同様の供述をしている。真に被告人両名が怖かったのであれば,本件犯行の内容や自分の関わり方については供述しても,被告人両名の関与については隠すというのが普通といえる。しかし,それとは逆に,被告人両名の関与のみを供述しながら,「これ以上は思い出せないし,話すことができない」(甲77)として,犯行の具体的内容については一向に供述しないことについての理由も不明である。怖い被告人両名が本件に関与したと認めた以上,その後は供述を拒む事由がないと思われる。また,当初,やっていないと事実を否定するのではなく,思い出せないと供述し,更に何人で本件犯行をしたかについても,前記のとおり,秋夫が自分なりに理由を付けて,「3人以上」などと共犯者の数を述べている点で,自ら体験していない事実を供述したものと見ることができ,その後になされた5人共犯についての自白の信用性を大きく減殺している。なお,秋夫は,自分が被害者に体当たりをしたかどうかについても,「自分が調子に乗りやすい性格であることから,自分が何でも一番最初にやる」などと説明するが(甲81),これも自分なりに理由を付けて説明しているように見受けられる。これは,秋夫が当時,いまだ14歳であり,取調べに迎合しやすい面があることからも首肯できる。

以上からすると,その供述の変遷過程には,長期間繰り返された取調べにおける捜査官の誘導とこれに対する迎合の跡が見受けられる。さらに,春夫や夏夫の供述過程について検討したところから明らかなように,先行する春夫や夏夫の供述によって,被告人甲による合図や,秋夫を実行の中心とする犯行態様など,各人の役割分担が既に決められており,秋夫の供述はその影響によって作出された可能性が高いというべきである。

なお,検察官は,秋夫の自白について,(1)被告人甲からのワンコール合図を含めて,具体的かつ詳細であり,(2)実行した際の状況について共犯者の供述と異なる部分があり,(3)自ら現場を案内したと認められることなどを挙げて,信用性を肯定すべき根拠とする。しかし,これまで検討したところから明らかなように,(1)犯行の内容については既に春夫や夏夫の供述調書が多数作成されており,その内容に合わせて秋夫の自白調書が作成された可能性が高いのであり,(2)相違部分が生じるに至ったのは,犯行直前の実行をめぐる打合せ,体当たりや金品強取の状況などについては,その実行を担当した秋夫が具体的に供述することを求められる一方,その時点では春夫や夏夫の取調べは既にほぼ終わっていたため,彼らの供述にこれら秋夫の供述が影響することがなかっただけに過ぎないと考えられ,信用性を高める事情とはならないというべきであり,(3)事件現場については捜査官が早くから知悉していたことは前記のとおりであり,秋夫に対しても誘導したことが十分推認できる。秋夫の取調べを担当したY5警察官は誘導の点を否定するが,「この道に見覚えはないか。」などと警察官に言われた旨の審判における秋夫の証言は信用できるというべきである。よって,以上の点は,自白の信用性を肯定すべき事情に当たらない。

(7) 結論

以上の検討から明らかなとおり,秋夫の自白は,不当に長期にわたる取調べの結果生み出されたものというべきであり,被告人両名の関与を含め本件犯行について供述したすべての部分について,信用ができないといわざるを得ない。

5  D谷竜巳の供述

さらに,共犯者とされた3名及びC野のほか,D谷竜巳においても,捜査過程で本件犯行をいったんは認めるという特異な供述経過をたどっており,これについても検討しておく。

(1)  公判供述の要旨

(事件関係者との関係について)

被告人両名とは,面識がない。春夫,夏夫は知っている。友人がIと知り合いで,その関係で知り合った。春夫,夏夫とは,平成15年9月ころに少年鑑別所を出てから会ったことはない。会わなかったのは,西成の子と付き合わないようにしたからである。秋夫については名前を聞いたことはあるが,誰かは分からない。C野とは1,2度会ったことがあるだけである。太郎については知っており,西成の子の中で一番接しやすい人物である。僕は,西成区に住んだことはなく,土地勘は全くない。

(取調べ状況と供述経過について)

5月25日,警察から言われて,住吉警察署へついて行った。取調べを受け,何か心当たりはないかと尋ねられたが,ないと答えた。住吉でのおやじ狩り事件について尋ねられたが,知らないと答えた。しかし,周りの子を一人ずつ逮捕していくなどと脅され,取調室の隅に追い込まれて,髪をつかまれるという暴行を受けたため,耐え切れず,犯行を認める供述をした。また,住吉の○○の横の駐車場にいただろうと言われ,隠しカメラに写っているとも言われた。さらに,25日か26日の取調べ中に,春夫が取調室に入ってきて,「俺もしんどい思いしてるから,早く言ってくれ。」と言ってきた。春夫が共犯者とされていることは,このときに分かった。説明しても全然分かってくれず,何を言っても無理だという心境になり,認めた。翌日の5月26日,占有離脱物横領罪で逮捕され,少年鑑別所に送られた。

認めた内容については,警察官が話の流れを言ったので,そのとおりに書いた。5月25日には,自供書2枚を作成した。1枚目は,「今年の2月ころ,どこかの駐車場で,春夫らと会い,春夫に誘われた。断ったが,何回も誘われたし,周りの人たちが行かなかったので,僕が行った。春夫と夏夫と,名前は知らないが,僕より年下の人と4人で行った。」というような内容である(弁18)。2枚目は「4人で行ったところは暗くて,道の細い場所であり,おっさんが来るのを隠れて待ち,誰が叩いたりしたのか分からないけど,おっさんは倒れており,お金が取れたかどうかは覚えていない。その後4人で逃げた。」というような内容である(弁19)。自供書の中に出てくる「春夫,夏夫,H1,太っている女,I,あと3人」について,名前のうち,I,春夫,夏夫については,警察官がヒントを与えてくれ,他の名前や道が細いというのは,思いつきで適当に書いたりした。被害者の年齢については,初め,30歳くらいと書いたところ,警察官からもう少し年配だと言われ,40歳と書いたり,更には余裕で40歳を超えているなどと話を変えていって,書いた。お金が取れたかどうかは,分からず,金額も全然言えなかったので,書けなかった。

6月2日にも,「2月の中ころ,夏夫,春夫,Iらと一緒に,おやじ狩りをしたと思う。」というような内容の自供書(弁25)を作成した。その後,僕が世話になった養護施設の先生が面会に来てくれて,弁護士を付けてくれることになり,その弁護士が,やっていないことは認めてはいけないとアドバイスしてくれたことから,その後は,やっていないと言い通した。最後には,警察官から追及を受けなくなった。

(2)  検討

D谷竜巳が捜査線上に浮上したのは,C野供述に「巽」,「辰巳」が登場し,夏夫が5月21日に,春夫が翌22日に竜巳を共犯者として供述したころからであり,その結果,5月25日から竜巳も本件で取り調べられることになったが,漠然として具体的な供述にならず,現場の案内もできないことから(Y6証言85頁),容疑者から外れていくことになり,春夫や夏夫の供述においても,竜巳の名前を出したのは嘘だったとされた。以上により,竜巳が本件犯行に関与していないことは明らかというべきである。

そうすると,本件犯行に関与しておらず,本件犯行場所に関する土地勘もない竜巳が,任意同行に基づく取調べ初日に,早々と本件犯行を認める虚偽供述をしたことになるが,その理由を考える必要がある。検察官は,平成16年2月ころにおやじ狩りをしたことを認める供述をしたにとどまり,場所も西成か住吉との辺りとしか特定されておらず,本件のことについて自白したのか定かでないと主張する。しかし,5月25日付け自供書は,駐車場でH1,夏夫,春夫らと会い,おやじ狩りに春夫から誘われたこと,4人で被害者が来るのを隠れて待ったことなどが記載されているのであり,これは正に本件犯行状況やC野らが当時供述していた内容に符合しているのであって,本件についての自白というほかない。取調官から,隠しカメラに写っていると偽計に基づく取調べが行われたほか,周囲の少年を逮捕するなどと脅されたり,暴行を加えられたというのであり,これらは,上記春夫,夏夫らの取調べにおける供述と軌を一にする面も多いということができ,少年らに対する取調べが厳しかったことを推認させるものである。また,竜巳は,自供書を作成した際,警察官から共犯者についてヒントを与えられたほか,被害者の年齢については,当初30歳くらいと言ったが,警察官とのやり取りの中で,40歳と書き,結局,40歳は余裕で超えているとの記載になったなどと,誘導された事情を具体的に証言しているが(16頁,56頁),かなり強引な誘導によって供述が変えられていったことが窺われるのであり,この点も,C野,春夫,夏夫,秋夫ら少年に対する誘導があったことを推認させる。また,地図の作成に際しても,警察官が横で「近くにちんちん電車が走ってるやろう。」などと言い,交差点の角であること,○○横の駐車場であることなどを示唆されたが,竜巳は本件犯行場所付近の土地勘が全くなかったため,完成させることができなかったものと認めてよい。このことも,春夫らが地図を作成させられる際に,警察官による誘導ないし示唆があったことを推認させるに足りる。

以上のように,本件とは無関係であったと認めるべき竜巳が,任意の取調べの初日に本件犯行に関する虚偽自白をしたという事実は,少年らに対する不相当な取調べがなされたことを窺わせるに十分であり,前述したC野,春夫,夏夫,秋夫の捜査段階における自白が信用しがたいという判断を強めるものといえる。

6  総合的考察

以上のとおり,共犯者らとされる少年の供述を詳細に検討してきたところであるが,最後に各供述の関係を要約した上,総合的に考察する。

まず,5月4日から18日までは,C野に対する取調べがなされ,5日に被告人甲とおやじ狩りの関係についてC野が言及し,10日に秋夫が本件犯行への関与を認めるような供述をした後,C野が13日から18日に,被告人甲,春夫,夏夫らを共犯者とする詳細な虚偽の供述をしたことが認められる(自分も現場で犯行の見張り役をしたなどとする同供述が虚偽であることは,C野自身認めるところである。)。そして,この詳細な供述を前提に,19日に春夫を取り調べたところ,共犯者として,被告人両名,春夫,夏夫,秋夫の名前が出されることになる。これを受けて,20日から夏夫の取調べが開始され,21日には,本件犯行現場に行った者として,春夫,夏夫,秋夫のほか,竜巳の名前が挙げられる。ここで竜巳の名前が登場する理由は,C野の初期供述中に,辰巳の名前があり,これについて取調官から確認されたことから,夏夫が名前が同音の竜巳を挙げたと推認できる。そして,翌22日,春夫が実行犯として被告人乙に代えて竜巳の名前を出すが,これは前日に夏夫が竜巳の名前を出しており,竜巳の方が本件防犯ビデオ映像の背格好に沿うため,そのように変遷したと思われる。そして,23日,夏夫は,検察官による弁解録取の際,被告人乙の名前を新たに供述するが,これは,夏夫の供述では犯行現場に行ったのが4人で,そのうち自分は見張り役であったことから,実行行為者が4人であることと食い違うため,被告人乙の名前を挙げたと考えるのが合理的である(被告人乙の名前は,春夫が19日に挙げていた。)。そして,春夫,夏夫の供述変更を受け,27日,C野がその初期供述を虚偽であると説明し,更に夏夫が名前を挙げた竜巳を関係者として挙げる。さらに,その後の6月2日には,春夫,夏夫が一斉に実行犯から竜巳の名前を撤回して,被告人乙であるとし,6月4日には,春夫,夏夫が被告人乙でなく竜巳の名前を挙げていた理由について似たような説明をしている。

以上のように,C野,春夫,夏夫の供述の著しい変遷は,相互に影響,伝播し合って生じたものと考えるのが最も合理的であり,本件虚偽自白は,C野の初期供述を土台としながら,取調官による圧迫的取調べ及び意識的又は無意識的な誘導,暗示又は示唆を受け,その強い影響により,少年らが他の者の供述内容や防犯ビデオ映像の犯人の数,背格好,面割台帳中の友人の写真,現場付近の地図などを参考にして,これに迎合した結果,形成されていったと見るべきである。

さらに,秋夫については,不当に長期にわたる取調べにより,同様の迎合が行われたと見るべきであり,このことは,自白に至るまでの供述内容が不自然なまでに説明的な供述から徐々に具体的な供述となっていくという変遷過程からも明らかである。

また,少年らの供述変遷の理由として挙げられていた,成人の被告人両名に対する畏怖や両名からの口止めないし捜査攪乱の命令については,実際には早くから共犯者として成人被告人の1人又は2人の氏名を挙げながら,その後もこれを維持しつつ,変更供述をしたり,明らかな虚偽供述をするなど,説明が付きにくい変遷が目立つのであって,合理的な理由とは思われない。

上記の関係者は取調べを受けた当時14歳から17歳までの少年であって,成人や不良仲間と行動を共にすることも多いなどの生活状況が認められるとはいえ,一人一人の社会的経験や法律知識は乏しく,警察で犯罪捜査を受けるという場面では,成人と比べて圧迫や暗示等の影響を受けやすく迎合しやすい傾向にあることは否定できないところであるが,このような少年らを取り調べるに当たって,供述の信用性を確保するための配慮がされていないことは明らかである。このことはC野だけでなく竜巳までもが取調べを受ける過程で本件犯行に関与したと虚偽の自白をしたことがあったという事実からも十分窺われるところである。さらに,検察官による取調べについても,それまでの不当な取調べの影響を遮断する特別の配慮がされたとは認められない。結局,本件共犯者とされる者の自白は,信用性を肯定することが到底できないといわざるを得ない。

第5  防犯ビデオ映像について

(この章では,鑑定データに関する長さ,重量の単位について,cm,kg等の記号を用いる。)

1  総説

前記第3の2のとおり,本件現場付近に設置された防犯ビデオには,本件犯行後に逃走中の犯人グループ4人が写し出されていた。具体的には,同ビデオ映像には,一団となって犯行現場の70メートル余り東方を西から東に向かって走り去る人物が記録されており,映像に写り込む順番に,黒色上着の人物(以下「人物A」という。),白色上着の人物(以下「人物B」という。),赤色上着の人物(以下「人物C」という。),黒色上着の人物(以下「人物D」という。)の4人である。この防犯ビデオは,本件事件発生の3日後である2月19日に警察が領置し,画像処理により鮮明化した写真10枚を添付した精査結果報告書(甲11)が3月1日付けで作成されている。これによれば,人物Bについては「上衣 白色の長袖,背中から袖にかけて黒っぽい1本ライン様のものあり」「下衣 黒っぽいズボン」「靴 白っぽい履き物」,人物Cについては「上衣 赤色の長袖で腰付近までの丈 正面の右胸部付近に白っぽく見えるものあり」「下衣 黒っぽいズボン」「帽子形状は特定できないが白っぽい帽子」「靴 黒っぽい履き物」,他の2名については「上衣 黒っぽい色」「下衣 黒っぽいズボン」「靴 白っぽい履き物」及び「上衣 黒っぽい色」「下衣 黒っぽいズボン」という各人の着衣の特徴が記載され,さらに,4名全員について「体格 細身から中肉」という共通の記載がある。

そして,春夫は,取調べ当初である5月19日付けの供述調書において,犯行当日の服装は,夏夫が黒色のニット帽,茶色のダウンジャケット,青色Gパン,被告人乙が黒色ライン入りの白色ビニール製シャカシャカ服,秋夫が赤色ジャンパー,つばが黄色の白色キャップ帽,紺色のGパン,春夫が黒色のフード付きパーカー,紺色のGパン,白色スニーカーであったと供述し,その後の自己の審判においても,上記精査結果報告書を示された上で,以下のような人物同定供述をしている(甲43,5頁)。

人物A A山夏夫

人物B 被告人乙

人物C B川秋夫

人物D A山春夫

その結果,本件防犯ビデオ映像の解析によって,人物AからDまでの身長が判明した場合,それが本件犯行の実行犯とされた夏夫ら上記4人の身長と矛盾しないかどうかが問題となる。

2  鑑定結果

本件防犯ビデオ映像に写し出されている4人の犯人の身長について,(1)奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科教授である鑑定人Z1による鑑定(以下「Z1鑑定」という。)が行われ,(2)その後に科学警察研究所所属の警察庁技官Z2及び同Z3による鑑定(甲155,以下「Z2鑑定」という。)及び警視庁科学捜査研究所の物理研究員Z4による鑑定(甲157,以下「Z4鑑定」という。)が行われたが,両者は以下のように異なる鑑定結果を出している。

(1)  Z1鑑定(かっこ内の数字は推定値の幅の範囲)

人物A 170cm(165〜170cm)

人物B 166cm(162〜166cm)

人物C 168cm(160〜168cm)

人物D 172cm(165〜174cm)

(2)  Z4鑑定

人物A 170〜183cm

人物B 169〜182cm

人物C 165〜180cm

人物D 166〜181cm

(なお,後記6及び7のように,人物Dについては,画像の不鮮明部分の判定次第で,172〜186cmになる。)

3  実行犯とされる4人の身長と体重

捜査報告書(甲143)によれば,実行犯とされる4人の身長と体重は以下のとおりである(なお,これらは,平成16年5,6月に計測又は調査されたものであり,本件事件当時16歳,14歳,13歳の成長期であった春夫,夏夫,秋夫については,身長がこれより若干低かった可能性があるが,その点は措く。)。

A山夏夫 167cm 67kg

被告人乙 183cm 86kg

B川秋夫 171cm 50kg

A山春夫 180cm 74kg

4  春夫の人物同定供述,実行犯とされる4人の身長,鑑定結果の関係

以上をまとめると,以下のような関係になる。(単位cm)

その身長 Z1鑑定     Z4鑑定

人物A(夏夫)

167    170(165〜170) 170〜183

人物B(被告人乙)

183    166(162〜166) 169〜182

人物C(秋夫)

171    168(160〜168) 165〜180

人物D(春夫)

180    172(165〜174) 166〜181

(172〜186)

そうすると,Z1鑑定によれば,被告人乙の身長は本件防犯ビデオ映像と明確に矛盾することになる(人物Bと異なるばかりか,人物A,C,Dとも異なる。)。また,人物C,Dについても,秋夫及び春夫の身長とは食い違うことになる。他方,Z4鑑定によれば,被告人乙と人物Bの身長が必ずしも矛盾しないと見る余地がある(なお,夏夫については,人物Aの身長を更に下回ることになる。)。そこで,両鑑定の信用性について検討する。

5 Z1鑑定の概要

(1) 尺度となる映像の作成

本件犯行現場付近の道路上に,市松模様(50cm四方)のシート状のメジャーを敷き,更に路面に対し垂直に同様の市松模様(10cm四方)のボード状のメジャーを設置し,これを本件防犯カメラを用いて撮影し,コンピューター内に画像を取り込んで,画面上に,水平面,垂直面の格子模様を形成し,道路進行方向をX軸,道路横断方向をY軸,道路垂直方向をZ軸とする三次元の直行座標を設定する(以下,この映像を「鑑定尺度映像」という。)。

(2) 映像の重ね合わせ作業による身長推定

ア 本件防犯ビデオ映像(「鑑定対象映像」)をコンピューター内に取り込んで,その画像比,画像サイズ等を調節,変換した上で,鑑定尺度映像に重ね合わせる。

イ 本件防犯ビデオ映像に写し出された人物の頭頂部及び足元位置を手作業で決定して,画面上に指定し,この点(頭頂部の点及び足元位置の点)を通る上辺及び下辺を持つ長方形を画面上に作成する。

ウ 足元位置のX座標に最も近いY―Z尺度の対から線形補間(Y―Z尺度のない点においても直近2本のY―Z座標から比例関係にある直線を引いてY―Z尺度を割り出す手法)して,対応するY―Z平面尺度に重ね合わせ,上記の上辺Z座標から下辺Z座標を引いた数字を推定身長の値としてグラフのX及びZ軸上に提示(プロット)していく。その結果,得られた数値を表にしたのが,別紙図1である(凡例中,「A_W1」とあるのは,人物Aの身長の推定値を補助者のW1がプロットしたことを意味する。)。

(3) 推定身長の確度の検証

上記推定身長が正確かどうかを検討するため,身長の異なる5人の人物(被験者)に上記市松模様メジャーを設置した状態の道路上を走行させた上で,本件防犯カメラでその様子を撮影する(以下,この映像を「鑑定参照映像」という。)。その5人の被験者(便宜上,イ,ロ,ハ,ニ,ホとする。)の身長は,順に,189.3cm,185.9cm,176.9cm,175.9cm,169.3cmであった。

この際,被験者は,犯人である4人の人物が通過したと推定されるルートを走行する。そのコースを決定する方法として,鑑定対象映像から犯人の足が着地したと思われる位置を足元位置とし,これを撮影現場の防犯カメラに写し出される映像に重ね合わせ,足元位置を道路上に足跡としてマークする。被験者は,その足跡マーク上に着地するようにして走行する。さらに,走行速度を一定にするため,ペースメーカーとなる断続音(メトロノーム)を被験者に聞かせて,毎秒3歩の速度を目安として走行速度を調節する。

このようにして被験者5人が各コースを5回ずつ走行する実験を行い,これを本件防犯カメラで撮影し,得られた映像について上記(2)と同様の手法で身長推定値を出し,同様にグラフ上に点で提示していき,その結果を図にしたものが,別紙図2から5である(同図中,ひし形の点で示されたのが,走行コースに対応する防犯ビデオ映像中の人物AからDの身長推定値である。これと実際の被験者の身長を比較する(以下,その得られた被験者の身長推定値データを「Z1検証データ」という。)。その結果,被験者5人の推定値のうち最大推定値がその実身長とほぼ一致すると判定した上,人物AからDのグラフと被験者5人のグラフを比較することを通じて,前者(人物AからD)の実身長を推定する。

6 Z2鑑定の概要

鑑定対象映像に上記Z1鑑定人が作成した鑑定尺度映像を重ね合わせた上,Z1鑑定と同様の方法で,画面上における路面から頭頂部の高さを決定する(以下,算出された路面から頭頂部までの高さを「見かけの身長」という。)。この際,人物については,人物が大きく写っている方が計測誤差が小さくなるため,なるべく画面手前側に写っている映像を選び,また,画面上の頭頂点と足元点の座標は,不鮮明であるため,着地した足元が比較的明瞭に写っている場面を3点から4点選び,数ピクセルの幅で座標を読み取る。

さらに,走行速度については,走行姿勢が同じで,足元が路面に着地しており,頭部が見えていて,かつ,最も深く沈み込んだ体勢のものを選び,そのうち距離が離れた2点間の距離を求め,その間の時間を(映像のコマの間隔時間が1/30秒であることから),算出する。その結果,人物Aと人物Dについて,走行速度を算出した。

これによって得られた結果は以下のとおりである。

(1) 足元位置から頭頂部までの高さ(見かけの身長)

人物A 164〜168cm

人物B 164〜167cm

人物C 160〜165cm

人物D 161〜166cm

(人物Dについては,頭頂部付近に不鮮明な部分があり,これを頭髪と仮定した場合は,167〜171cmになる。)

(2) 走行速度

人物A 15.5〜16.7Km毎時

人物C 13.5〜15.1Km毎時

7 Z4鑑定の概要

(1) 総説(見かけの身長と実身長)

人物の身長とは,靴などを履かず,足をそろえて直立した際の床面から頭頂部までの垂直最大距離(以下,これを「実身長」という。)である。上記のZ2鑑定によって得られた「見かけの身長」には,頭髪,帽子及び靴底の厚み,走行時の沈み込み,頭部のうつむき加減による増減分が含まれているので,走行時の沈み込み,頭部のうつむき加減による減少分を足し込み,頭髪や靴の厚みによる増加分を引くことにより,「実身長」が算出される。

(2) 沈み込み値の最大変位の算出

Z2鑑定による「見かけの身長」は,走行中で片足立脚中の最も沈み込んだ姿勢の値であるから,その沈み込み値は最大変位となる。沈み込み値の最大変位と走行速度の関係については,別紙図6のようなデータがある。この図に記載された点は,成人男子で身長156〜178cmの人物13人を走行させた実験によるデータであり,図中の実線及び破線は,同データを基にして出した近似曲線である。そこで,この表を基に,人物A及び人物Cの走行速度時(Z2鑑定)の沈み込み値を求めると,その最大変位は以下のとおりとなる。

人物A 8.7〜15.3cm

人物C 7.7〜14.5cm

そして,人物B,Dの走行速度は推定されていないが,人物Cとほぼ同速度で走行していると観察されるので,その最大変位は人物Cと同様と考える。

(3) 実身長の算定

一般的に,革靴,運動靴の厚みは2cm,うつむき具合が1〜3cm,頭髪の厚みが1〜2cm程度であることから,これらの増減値及び前記沈み込み値の最大変位を「見かけの身長」に加えると,各人物の身長は以下のように推定できる。

人物A 170〜183cm

人物B 169〜182cm

人物C 165〜180cm

人物D 166〜181cm(又は172〜186cm)

8 鑑定に対する評価

(1) 本件防犯ビデオ映像の画質等について

両者の鑑定を検討するに当たって,まず考えなければならないのは,本件防犯ビデオ映像自体の画質及び撮影された人物の様子である。本件防犯ビデオ映像は,一般家庭の軒先(高さ約2.8m)に設置された防犯カメラによって撮影され,撮影された時刻は午後8時35分ころであり,場所は生活道路で,走行中の人物の近くに街路灯はなく,画面は全体に暗い。特に頭頂部付近は暗いため,白色帽子様の物を被っている人物Cのほかは,黒く写っているだけであって,不鮮明である。さらに,同映像は,ディスプレーを4分割したうちの1つとして録画され,画像自体が小さく,これも画質不鮮明の理由である。Z1鑑定人は,①その画素について「(X座標)50〜100cm付近で1画素約2cmになり,(X座標)6m,8mになると1画素5cmになる」と述べており,②足元位置と頭頂位置のポイント決定を手作業でした理由についても「画質が非常に悪くて,足元位置はともかく,頭頂部位置が非常に見にくいので,コンピューターでなく,人間の目で判別した」旨を述べ,また,③画面上から足元位置と頭頂位置を決定する作業を2人の補助者にさせているが,同じ映像でも一人は多数の位置を決定し,もう一人は少数しか決定できていないのであって,明確に判別することが容易でなかったことを窺わせる(Z1鑑定人も「足元位置が見にくくてトレースしなかったと思われる。」旨説明している。)。これについては,被写体の4人が撮影された時間がわずか約3秒であり,画面左上を集団で固まって走り去っているため,人物が重なり合っていて,頭頂部及び足元位置が判明しにくかったことも原因と考えられる。以上に関しては,Z2技官も,本件防犯ビデオ映像に関して最初に鑑定依頼を受けた際に断った理由として,同映像が不鮮明であること,4分の1サイズで小さかったことを挙げており,その後,Z1鑑定人が鑑定尺度となる映像を作ったことから鑑定を引き受けることにしたと述べているところである。このように,本件防犯ビデオ映像については,正確な解析を行うための資料としては画質等の条件が十分でないといってよく,このことはその鑑定結果の証明力判断において無視することができない。

(2) Z1鑑定について

まず,Z1鑑定を検討すると,前述5のZ1鑑定の概要(1),(2)については,妥当な手法ということができ,Z2技官もこれについて「非常に基本的な手法」と述べ,同様の方法を用いて近似の数値を出しているところである。

このようにして算出された人物AからDの身長の数値は,走行中の見かけの人物の身長であって,実際の身長とは一致しない。そこでZ1鑑定は,Z1鑑定の概要(3)に示した「推定身長の確度の検証」の方法によっている。しかし,この方法には以下のように種々の問題点がある。

ア  検証データについて平均値を採用している点まず,Z1鑑定人は,(3)の被験者5人を走行させた鑑定参照映像について,(2)と同一の手法で推計身長を割り出し,その結果の数値をグラフ化したZ1検証データに基づき,その最大推定値が被験者の実身長と一致すると判定し,このような身長推定値に正確性があるものとしている。

その際,被験者の身長推定値について,多くの数値が得られた場合,数値が集中しているところを平均値とし,それに合致しない値を外れ値として除外しており,外れ値として10cm程度高いものは外すという。しかし,現実にそのような数値も実測されている以上,明らかな誤差値といえない限り,統計学的処理であれば別として,身長をできる限り厳密に特定すべき刑事事件の鑑定の資料としては,これを考慮すべきであると思われ,除外すべき根拠は明らかでない。しかも,前記のとおり,本件防犯ビデオ映像は夜間撮影されたもので画質が悪い上,人物の写り込み状況も短いなどの制約があるため,同映像から取り出せた身長推定値が少ない場合もあり,それが多数の推定値が取れたと仮定した場合の平均値と同様に扱ってよいか,外れ値というべきかは不明のはずである。例えば,人物Bについて推定値が取れたのは,X座標3m地点付近の1か所だけであるのに(図1及び図3を参照),Z1鑑定人は,そこで得られた162〜166cmという数値から,鑑定結果として人物Bの身長を162〜166cmと結論づけているが,あまりに乏しいデータから推定値を出しても正確さの保障がないというべきである。

イ  検証実験の方法に問題があること

また,検証用の走行実験については,被験者5人を走行させたのみであり,その中には身長180cm程度の者が欠けているため,5人といっても実質的には4種類の被験者といえる。さらに,被験者ハと被験者ニは身長が1cmしか変わらず,ほぼ似た身長であるのに,人物Aの走行コースのデータ(図2)については,概ね被験者ハの方が5cm程度も高い推定値を示していることが見て取れるのであり,個人差があることを示している。

さらに,データの採取方法についても,被験者の着地場所を人物A〜Dの着地位置と指定した上,メトロノームに合わせて着地することで走行速度を調節しているが,被験者間の身長差は最大で20cmもあり,歩幅差があるのに,同一の歩幅で着地地点を意識しながらでは,不自然な走行姿勢になり,頭頂部の高さに影響を与えた可能性も否定できない。

ウ  弁護人の主張について

弁護人は,Z1鑑定等の分析から,ある人物の「実身長」は,「画面上の見かけの高さ」の「最小値」と「最大値」の間にほぼおさまり,かつ,その「最大値」とほぼ一致するとのテーゼが導き出されると結論して,その信用性が高い根拠として挙げている。

しかしながら,例えば,人物Aの走行コースの実験を見ても,被験者イ(身長189.3cm)は最大194cm,被験者ホ(身長169.3cm)は最大173cmを記録したものもあるのであり,しかもこれらのデータは鑑定対象映像よりは良好な条件下の実験で得られた数値である上,グラフにおいて異常に突出したものともいえないのであって,誤差などではなく実測値として扱うべきであり,これを外れ値として無視するというのは相当でない。結局,上記の「テーゼ」は実験データと合致していないというべきである。なお,Z1鑑定は,検証データからテーゼと称されるような一般的な法則を導いたり,正確性を検証したというよりは,むしろ本件防犯ビデオ映像から得られた推計値と検証データ中の類似する身長の人物の走行データが同様の傾向を示したことをもって,推計の妥当性を導いている,と考えられる。例えば,同鑑定人は,人物Aの身長推計について,具体的にどのようなことでこの数値になったのかとの問いに対し,「被験者ホの走行データと同じ傾向をとったので,こういう形で書いた。ただ,全体的に少し身長値が低い値に出てまいりますので,これくらいの範囲に存在しますよということで書いた。」などと説明しているにとどまる。

エ  結論

以上に基づいて判断すると,Z1鑑定は,走行実験を重ねて得られたデータと本件鑑定対象映像の解析データとを比較し,グラフ上における点の分布状況から,そのような平均値の幅の中におさまる蓋然性が高いとして身長値の概略を推定する限りでは合理性が認められるが,正確な身長の幅を決めるものとしては厳密さを欠くといわざるを得ない。とりわけ,本件においては対象となる本件防犯ビデオ映像が不鮮明で,その計測値も豊富には取りにくいため,その点の分布状況による平均値を出すことも容易ではないのであるから,その鑑定結果のような幅の中に人物AからDの身長値があると推定することは困難というべきである。

(3)  Z2・Z4鑑定について

Z4らの鑑定は,見かけの身長を推計するのについては,Z1鑑定とほぼ同様の手法を用いており,妥当である。Z2は,その推計に当たり最も沈み込んだ地点を選んだとしており,画像からは最も沈み込んでいるところが明確に分からないため,前後数ピクセル幅の映像から,頭頂部の高さまでの測定を行っている。本件画像がかなり不鮮明であることに配慮し,最も沈み込んでいる可能性のある幅を持たせて選んだことは,適切な手法であるといえる。

Z4鑑定は,上記測定値に靴底の厚み,うつむき加減による誤差を修正し,更にかつてZ4が日本鑑識科学技術学会(平成12年)に発表した際の資料として用いた走行実験結果に基づき,頭頂高度が沈み込むことにより生じる最大変位を加えて実身長を推計するというものであり,その手法自体は合理的といってよい。

問題は,その最大変位の算出方法であるが,最大変位と走行速度の関係について検討するのに用いた実験データに基づいているところ,そのデータは,男性13人を4回走行させたものであるが,そのうち2回は普通に走らせ,更にもう2回については少し早めに走行させたというのであり,その基礎データは自然かつ客観的なものといえる。そして,その上で,データから図6の実線で示される近似曲線を取り,その上下にこれに平行に最大値と最小値をそれぞれ通る外挿線を破線で示し,これによって最大変位を推定したというものであり,合理的なものといい得る。

これについて,弁護人は,以下のような批判をする。

ア  平成12年の学会発表と異なる手法を用いていること

弁護人は,Z4が平成12年学会発表で採用しなかった手法を用いており,今回の事件限りで採用された「ためにする」手法であるというべきで,信頼性がないと主張する。

まず,Z4の平成12年における研究結果の発表は,「被疑者特定のための身長推計方法」と題され,以下のような内容であった(弁13)。

(ア) 「見かけの身長,歩行・走行速度を計測し,得られた結果から頭頂部の垂直方向変位を計測し,その変位パターンと被疑者の変位パターンを比較検討することにより,被疑者の身長を推定する。

(イ) その結果,歩行・走行時における垂直方向変位は,歩行時の垂直方向変位(4〜6cm)に比べ,走行時の変位(7〜10cm)は大きく,人物の見かけの身長は,歩行時においては,最大垂直方向変位より0〜2cm高くなり,走行時においては,逆に最大垂直方向変位より1〜2cm程度低くなる。

(ウ) 被疑者データと数人の人物の変位パターンを比較し,先の方法により明らかになった見かけの身長と垂直方向変位の関係から被疑者の見かけの身長を推定すると,ほぼ確実に被疑者の実身長が推定できる。」

このような鑑定手法は,今回の鑑定とは異なるが,Z4の平成12年の研究は,走行時だけでなく歩行時も対象にし,被験者には計測用のために豆電球を付けた帽子を被らせて実験しており,コントロールされた実験下で,最大値が非常に分かりやすかったので,最大垂直方向変位で比較したというのであり(第18回Z4証言14頁等),垂直最大変位から垂直最小変位までが読み取れる程度の連続的な変位パターンが判明する場合を予定していたものといえる。今回,平成12年の鑑定手法を用いなかった理由としては,今回は画質が悪すぎ,両足が浮いている地点の最大値を採るのは困難であり,かろうじて足が路面に着地している地点が分かる程度であるため,一番沈み込んだときの値を採ったというのであって,前回と手法を異にしていることには合理的理由があるといえる。

イ  沈み込みの二重評価

また,弁護人は,Z4鑑定は,見かけの身長のうち最小値でなく,最大値に対して補正値を足し込んでおり,二重評価している誤りがあると批判する。

しかし,Z2は,一番沈み込んだ地点を選んだが,画像が不鮮明であることから,数点(ピクセル)分の可能性のある幅を持って頭頂点と足元点を選んだと明確に供述している(第17回Z2証人5頁)。弁護人がいう最大値とは,画像が不鮮明であるため最小値に幅を持たせた結果生じたものであり,この点も最小値の範囲内であることに変わりがない以上,弁護人の主張は失当である。

ウ  走行速度と沈み込み値について

弁護人は,Z4が科学的検証を経ずに,走行速度と沈み込みに関して,形式的に飽和曲線を採用していると主張し,実際,Z4鑑定が上記図の基礎データの中で最も高い沈み込み値を取った被験者は,高速であるべきところ,被験者中でも中程度の速度で走行していること,同じ被験者でも走行速度を上げた場合の方に沈み込み値が低かったことなどを挙げ,その科学的根拠がないと反論する。

しかしながら,走行する者の個人差があることは否定できないとしても,走行速度が上がれば,沈み込み値が大きくなることは,Z1鑑定人も一般論としては是認しているところであるし,実際に上記のように図表にすれば,一定の関係をもった曲線を引くことができるようなデータ分布をしているのであり(図6),科学的根拠はあるといえる。

ただし,Z4鑑定は,Z4も認めるように上記図を作成する基礎データが少なく,特に本件で問題となっている速度帯である13.5〜15.1Km毎時,15.5〜16.7Km毎時については特に基礎データが少ないのであり,その速度帯における最大変位については信用性が十分でないといわざるを得ない。この点,Z1鑑定人は,上記図の外挿線と呼ばれる破線の上部分は,飽和点に近づくため,中央の実線で示された近似曲線よりも水平に近いカーブを描くと述べており,これも考慮すると,図6においては,人物A〜Dの走行速度における最大変位が出現する範囲は相当に広く取られているものと思われ,実際にも見かけの身長に最大変位14.5cm〜15.3cmを加えているのであるから,その結果として,少なくともここで推定された身長を超える可能性は相当に低いという限度では,その信用性を認めることができる(この点,Z4は,比較実験の数を増やせば身長推定の範囲が広がる可能性もあると供述するが,前記のように相当に広い幅で外挿線を取っていると思われるし,当該外挿線は,少なくとも13人に4回走行させて検証した結果の外縁なのであるから,これを超える可能性は相当に低いというべきである。)。

9  Z4鑑定及び本件防犯ビデオ映像自体から推認できる事実

以上によれば,Z4鑑定は,基礎となったサンプルデータにばらつきがあり,やや信用性に欠けるものの,これによる推定身長を超える可能性は相当に低いという限りでは一定の証明力を有する。そして,前記の春夫供述によれば,白服を着た人物Bは被告人乙であるところ,同被告人の身長は183cmであり,その推定身長の上限が182cmとするZ4鑑定結果と整合しないことになる。これについて,検察官は,1cm程度は誤差の範囲と主張するようであるが,上記のとおり,①前提となるZ2鑑定が沈み込み時の境界の不鮮明さを考慮してある程度ピクセル間の幅を取っており,②Z4鑑定でも最大変位値にかなり幅を持たせていると認められる上,③外挿線が飽和曲線を描くため,その外縁に近づくほど実身長がその値を取る確率は低くなると思われることなどからすれば,誤差を考慮してもなお,人物Bの身長が182cmを超える可能性は低いといわざるを得ず,やはり春夫供述を前提としたところと整合しないというべきである。なお,人物Aについても,Z4鑑定では最小値が170cmとされ,身長167cmの夏夫はそれを下回っているため,人物Aでない可能性があることになる。

また,本件防犯ビデオ映像に写し出された人物は,不鮮明であるものの,一見して4人の身長や体格には大きな差,すなわち身長で16cmの差(被告人乙と夏夫),体重で36kgもの差(被告人乙と秋夫)があるようには認めがたい。なお,前記のとおり,本件防犯ビデオ映像の精査結果報告書でも,人物AからDの全員について「体格は細身から中肉」と記載されている。被告人乙のように身長183cm,体重86kgという明らかに大柄の人物はその中に見当たらないといってよい。また,春夫は,公判において,実行犯メンバーの一人について,被告人乙から竜巳へ変更した理由として,捜査官から写真を見た限り被告人乙のような背の高い者はいなかった旨言われたと供述しているのであり,捜査官も本件防犯ビデオ映像に写し出された人物中に被告人乙のような高身長の者がいないとの認識を有していたと思われる。なお,被害者も公判で「どの程度の人がいたか,いなかったかということは自信を持って申し上げることはできない。」と証言するものの,自分の身長が169から170センチメートル程度であると述べた上で,「自分より非常に大きな犯人がいたという印象もない。」旨を述べており,上記の認定と少なくとも矛盾するものではない。

以上を総合すると,本件防犯ビデオ映像に写っている犯人の中に,被告人乙のような高身長で大柄な体格の人物は存在しない可能性があり,このことは,同映像に被告人乙が写っているとする春夫の供述の信用性を疑わせるばかりでなく,被告人乙が実行犯であるとする夏夫や秋夫の供述の信用性にも疑問を抱かせ,被告人乙の犯人性を否定する事情というべきである。

なお,警察は,本件事件発生後間もなくの早い段階で,犯人4名が写し出された防犯ビデオ映像を入手し,これを写真化して検討を進めたが,更にこの映像から身長等を割り出すには画質が鮮明でないとして,これを行わなかった。しかし,公判段階での鑑定結果及びこれについて既に示した当裁判所の判断のとおり,厳密な身長の特定は無理としても,一定の幅のある推定身長を割り出すことは可能であり,これに基づいて犯人像を絞り込むことにより犯人特定の参考にすることができたというべきである。結局,物的証拠についての科学的捜査を徹底する努力が十分でなかったものと評せざるを得ない。

第6  アリバイについて

1  秋夫のアリバイについて

(1)  総説

T沢陽子(証言時15歳)は,当公判において,本件犯行当日午後8時ころから午後10時ころまでの間,同じマンションに住んでいた秋夫と共に,同マンションの秋夫方前の通路で雑談をしていたと供述し,さらに,これを裏付けるものとして,陽子の母であるT沢月子の供述及び犯行当日に陽子が秋夫とやり取りした際の携帯電話による電子メールがある。携帯電話に残された電子メールが真正なものであり,陽子らの供述が信用できるものであれば,秋夫のアリバイを立証する重要な証拠となるので,以下,検討する。

(2)  T沢陽子の公判供述

秋夫と同じ中学校の同学年であり,本件事件当時は,2年生であった。家も秋夫と同じマンションの同じフロアである9階に住んでいた。秋夫とは,平成16年1月ころから時々話すようになったが,4月前ころに会わなくなった。S1とは同じ中学校であり,友人である。被告人甲のことは知っているが,被告人乙のことは知らない。

本件事件のあった2月16日午後7時38分ころ,携帯電話に秋夫から「呼びに来てくれ。」というメールがあった。メールを受信してから5分くらいで秋夫の自宅に行き,同人宅前のマンションの廊下の階段近くで,2時間くらい2人だけで話した。途中で,秋夫の父が通りかかり,話しかけられたが,どういった内容かは覚えていない。このとき,秋夫と会うことについては,「B川君に会ってくる。」と言って,母に了解を取った。秋夫と会って手作りのチョコレートを渡した。この2時間に話した内容については覚えていない。

平成16年5月ころ,S1から,秋夫が警察で取調べを受けていることを聞かされ,2月16日に会っていたかを尋ねられたので,上記のようなメールが残っていることを話した。その結果,電子メールを残しておいた方がよいという話になり,上記のメールを消えないようにして保存しておいた。

この公判(第14回,平成17年2月9日)の2週間くらい前,秋夫の母親が,何か知らないかと尋ねてきた。秋夫の母親は,秋夫が「ようこ」という名前を出していたところ,これが同じフロアに住む私であると分かったと言っていた。そこで,上記メールがあることを伝えたところ,証言することになった。

(3)  T沢月子の公判供述

娘の陽子の携帯電話の受信履歴を見たことで,2月16日の行動を思い出した。陽子は,この日の晩,1軒置いて隣の家の秋夫と外で話してきていいかと聞いてきた。玄関の外の廊下で話すだけだからと言うので承諾した。夜に秋夫と外で話をすることについて承諾を与えたのは,この時が初めてであり,その後もなかったので,よく覚えている。陽子は,午後8時ころから午後10時ころまでの間,廊下で秋夫と話をしていたようである。午後9時ころになっても陽子が帰って来ないので,風邪を引かないかと心配したこと,陽子が帰宅した際に時計を見て午後10時くらいだったことなどから覚えている。また,このとき,陽子が秋夫に渡したのは,チョコレートではなく,クッキーが上手に焼けたので,これをあげるという話だったように思う。その日が2月16日であると思うのは,陽子の携帯電話に残された電子メールの履歴からである。

月子は,以上のとおり供述しているところ,同人は被告人両名とは特に人的関係はないと思われ,秋夫の家族が同じフロアに住んでいるというだけであり,特に虚偽供述をする動機は見出しがたく,信用できるところである。

(4)  陽子の携帯電話に残された電子メール

ア 電子メールの内容

陽子の携帯電話は,その証言の直後である平成17年2月18日に差し押さえられ,その後,同携帯電話の製造元の協力によって,削除された電子メールデータを含めてデータの読み出しが行われた。そして,その携帯電話及び電子メールデータの解析結果は,以下のとおりである(甲163)。

同携帯電話は,電子メールとしてスカイメール及びEメールが使用できる。そのうち,スカイメールについては,350件のデータが残されており,その内訳は,300件が受信データ,50件は送信データである。送信データについては,本件犯行当日のデータは残っていない。受信データのうち,本件犯行当日2月16日の日付があるデータは次のようなものである。

午後5時57分

ごめんなさいx朝起きられへんかってんjj明日こそは行くわ〜B

午後6時18分

了解.なんしか,ごめんやけど,後でまたメール送るわ〜B

午後7時35分

ちょうど,今帰って来たところ〜(^o^)

午後7時38分

呼びに来てくれw

午後7時42分

そうw

午後7時48分

悪いA1分待って

午後7時50分

下か〜@上か〜@

午後7時55分

了解Aもういけるわwおばはんおらんから,インタ〜ホンならしてなA

午後9時59分

今日はどうもありがとう〜Bしかもこんな遅くまで〜☆★☆★また,会おなB二人っきりでB

午後10時18分

わかった.二人っきりな〜B今週いけたら,一緒に学校いけへん@いけるんやったらやけどぉ〜w

午後10時26分

まかしといてぇ〜wwじゃあ,今日はゆっくり寝て!明日,また学校で喋ろぉ〜BwwB

午後10時32分

じゃあねBおやすみぃ〜B

(上記の電子メールデータのうち,午後7時50分のものについては,削除されていたが,復元された。)

イ 上記電子メールデータの信憑性

陽子供述によれば,陽子は5月ころ,S1から2月16日当時の電子メールがないかと問われて,秋夫とやり取りした上記のような電子メールデータが残っていたことから,上記メールのうち午後7時50分のメール以外を保護をかけるなどして残しておいた。その他の電子メールは5月ころに要らないと思い,消去したという。この点,月子供述によれば,陽子からは,秋夫からの2月16日付けの電子メールデータ以外を消去したのは,裁判の時に携帯電話を持ってくるように言われ,見られるのが嫌だから消した旨聞かされたというのであり,消去されるに至る過程については,いずれともいいがたい。

解析の結果現れた削除済みであった受信電子メールデータは,平成15年2月4日から11月23日までであり,2月16日より前の電子メールデータについても,2月12日から秋夫の携帯電話の番号からの電子メールが受信されており,2月16日より後のデータについても,翌17日午後4時50分に同携帯電話から「ごめんAまた寝坊しちゃったぁ〜wjjw今,どこで何してるん」とのメールデータを含め,2月21日まで同携帯電話から送信された電子メールのデータが残っている。削除された2月16日付けの電子メールは午後7時50分の「下か〜@上か〜@」だけであり,これは上記陽子が残しておいたとする電子メールの内容と矛盾するものではない。以上のようなデータとの関係からしても,故意にアリバイ作りのために作出されたような不自然な形跡は見出されない。

よって,同メールデータは,ねつ造等されたものでなく,極めて信憑性の高いものと認められる。そして,同メールデータは当時秋夫が使用していた携帯電話から発信されたものと認められ(このことは,B川桜子の供述,その他関係各証拠から明らかである。),上記日時ころ,秋夫の携帯電話から陽子の携帯電話に上記の日時に上記のような内容の電子メールが送信されたことは明らかである。

(5)  陽子供述の信用性

陽子の供述内容は,上記電子メールデータと符合している。すなわち,午後8時ころから午後10時ころまでの2時間ほどの間,二人きりで話をしていたという点は,午後7時55分の秋夫の携帯電話からの「了解,もういけるわ。おばはんおらんから,インターホンならしてな。」というメールの内容と一致する。さらに,その後,陽子の携帯電話は,約2時間にわたり秋夫の携帯電話から電子メールを受信しておらず,午後9時59分に「今日はどうもありがとう。しかもこんな遅くまで。また,会おな,二人っきりで」とのメールを受信しており,陽子供述と符合するものである。また,同人の供述は,その母である月子供述とも一致している。月子は,陽子が秋夫とは玄関の外の廊下で話すだけだからと言っていたので承諾したと明確に供述している。また,月子は,同日午後8時ころから午後10時ころまでの間,陽子が廊下で秋夫と話をしていたようであり,当時午後9時ころになっても陽子が帰ってこないために風邪を引かないかと心配したこと,陽子が帰宅した際に時計を見たことなどから,話し込んでいた時間を記憶していたと具体的に供述している。また,本件供述当時,陽子は秋夫と付き合うなどの関係にはなかったのであり,特に虚偽の供述をする動機も見出せない。

以上からすれば,T沢陽子の供述は十分信用できる。ただし,同人は,16日に秋夫にチョコレートを渡したと供述しているが,その理由としては,手作りのチョコレートをバレンタインデーである2月14日より後に作ったことから,そう思う旨の供述をしていること,陽子の携帯電話の解析結果によれば,2月15日午後9時35分に秋夫から「もしからしたら,ごみ箱に捨てるかもしらんけど(笑'')嘘×2☆★日本一うまいチョコやからおいしそうに食べるわぁ〜BBBBBB」とのメールを受信していること,母月子の供述によれば,2月16日,陽子が秋夫に渡したのは,チョコレートではなく,クッキーが上手に焼けたので,これを渡すという話だったと供述していることなどからすれば,同日,チョコレートを贈ったかどうかは明らかでなく,陽子の供述はこの限りでは,記憶違いの可能性があるが,上記信用性の判断に影響しない。

(6)  検察官の反論

以上の証拠に関して,検察官は,上記の電子メールのやり取り自体は認めるとしても,午後7時55分から午後9時59分までの間,電子メールは途切れているから,その間の陽子と秋夫の行動を裏付けるものではなく,また,月子供述によっても,当時の陽子と秋夫が会話する状況を見ていたわけではないとして,以下のような点を挙げて,陽子供述を弾劾し,何ら秋夫のアリバイの裏付けにはならないと主張する。

ア 行動の不自然性について

検察官は,まず,2月16日午後8時から午後10時までの大阪市内の気温は,摂氏約5度であり,風速1.6から3.7メートルの北東の風が吹いており(観測地点,大阪市中央区大阪城1―1),マンション9階で廊下が北向きで吹きさらしの状態であり,そのような厳冬期に2時間もの間,屋外で会話をしていたのは不自然であるという。

しかしながら,陽子も秋夫も当時中学生であり,若者が冬場に屋外で2時間ほどの間会話をすることが不自然とはいえない。また,吹きさらしといっても,建物の壁沿いに設けられた廊下である上,秋夫宅は,同マンションの形状の凹んだ場所に位置しており,風当たりの比較的弱い場所と思われ,特に会話をするのに不自然な場所とはいえない。

イ 陽子供述が具体性に欠けることについて

陽子の供述内容について,話し込んだ内容を覚えていないという点は前記のとおりであるが,友人と2時間ほど雑談した内容を約1年経った公判において定かに記憶していないことはむしろ当然といえ,話している途中で秋夫の父親が通りかかったと供述するなど,廊下での雑談に関して一定の具体性はある。また,検察官は,秋夫にチョコレートを贈ったとする点については,前記のような削除されていたメールの存在と月子供述からすれば,チョコレートを渡したのは前日の15日である可能性があると指摘する。しかし,前記の2月15日付け「日本一うまいチョコやからおいしそうに食べるわぁ」というメールは,この時受け取った趣旨か,贈ることを予告した趣旨か,判然としない。また,月子供述は,陽子が秋夫と外の廊下で話し込んだ日の特定について,電子メールの履歴以外には根拠を挙げていないが,そのような外出を許可したのは1回だけと証言しており,上記のようなメールのある2月16日とは別の日にも同様な出来事があったとはいえないから,日にちを混同しているとは認められない。

ウ 「下か〜@上か〜@」のメールについて

午後7時50分の「下か〜上か〜」のメールの意味について,検察官は,陽子が外出先から自宅マンションに到着したばかりであったので,秋夫がその所在を尋ねているものと推測でき,そうであれば,その点について何の説明もなかった陽子供述は信用できないとしている。しかしながら,むしろ2人で話をする場所について,9階の玄関前廊下で話すのか,それともマンションの1階まで降りて,そこで話すのかというように尋ねたとも考えられるのであり,検察官の上記解釈は相当でない。

エ 陽子供述の経過が不自然であるとの主張について

検察官は,平成16年5月ころ,被告人甲の交際相手であるS1から電話で2月16日の電子メールを探すように言われ,発見して,わざわざ残しておいたのであるから,S1にも上記の秋夫との会話について話したはずであるところ,S1は,検察官からの取調べにおいても公判(平成17年1月17日,第11回公判)でもそのような供述をしていないから,不自然であり,陽子供述は,いわば後付け的にアリバイ証拠として提出されたものと考えられると主張する。さらに,検察官は,被告人甲がS1を通じて陽子の携帯電話メールを探らせたが,メールが有利不利のいずれに働くか分からないから検察官立証が終わるまで明らかにしなかった可能性があるとも主張する。

しかし,上記電子メールデータ及び陽子供述は,有利不利に働くか不明な証拠などではなく,関係者のアリバイを立証する上で決定的証拠となると誰もが考えるはずの内容といえる。そのような重要証拠について,S1の問合せにより陽子が保存していたにもかかわらず,陽子もS1も提出や供述をしていなかった理由を考えると,両名は当時いまだ中学生であったため,成人よりは判断力が未熟であり,また,メールを保存したものの,そのころにはS1は被告人甲と以前より疎遠になっており,陽子は秋夫と別れていたという事情もあったもので,「誰に話したらいいか分からなかった」ため,秋夫の母親が尋ねてくるまでそのままにしていたという陽子供述は信用するに足りる。そもそも,同電子メールデータが犯行後にねつ造されたものであればともかく,真実,当時に送受信されたものであることは動かしがたい事実である以上,この客観的証拠の価値は変わらない。

オ 秋夫がアリバイについて供述していないことについて

秋夫は公判廷において2月16日の行動については覚えていないと供述していることは,検察官の指摘のとおりである。しかし,母親であるB川桜子の供述によれば,秋夫が児童相談所に収容されているころに,面会した際,陽子と会っていたかもしれないが,日にちが分からないと述べていたというのであり,一切供述をしていなかったとは認めがたい。さらに,検察官は,バレンタインデーの2日後であると質問されても秋夫が思い出せなかったことを指摘するが,2月14日のバレンタインデー当日であればともかく,その2日後の出来事についてあまり印象に残っていなくとも不自然とはいえない。

カ 本件犯行との両立の可能性(共犯者とされた者の供述との整合性)について

検察官は,メールのとおりに秋夫と陽子が会ったとしても,秋夫らが犯行に及んだとする関係者の自白と矛盾することはないと主張する。そして,春夫供述によれば,午後7時半よりも前に,被告人甲の自宅近くの△△書店から,被告人乙が,秋夫,H1,H2を連れて「カツアゲに行くぞ。」と言って出発し,その40分から50分後,本件犯行前に○○店で集合するときまで秋夫と会っていないから,その間に秋夫が一時帰宅して陽子と会ったことがあったとしても,春夫の供述と矛盾するものではないという。確かに,証拠によれば,秋夫宅から犯行現場までは,測定距離856メートル,徒歩で約13分程度,自転車で約3分程度という近距離の行動圏内であるから,午後7時55分ころ,陽子と会い,その後に○○店や本件犯行現場に行って,犯行に及ぶことも十分可能ということになる。

しかし,秋夫が現場に向かう途中で共犯者グループから外れたことは春夫を始め誰も供述していないのであり,本件犯行において被害者に体当たりをするという主要な役割を担うことになった秋夫が犯行の約40分前ころにいなかったという印象に残りやすい事実について,自身及びその他の共犯者が記憶せず又は供述しなかったということは考えにくい。また,上記春夫供述によれば,被告人乙は,適当なメンバーを選んでカツアゲに行こうとしているのに,秋夫だけ一人でいったん家に帰るとは考えにくく,この間も被告人乙らと行動を共にしていたと考えるのが普通であり,やはり同供述とも齟齬するというべきである。夏夫供述についても,16日夕方,秋夫から電話で呼び出され,△△書店に行き,そこで秋夫から「ちょっと付いて来てや。」と言われて,H1,H2,秋夫と夏夫でカツアゲに一緒に行くことになったが,何か所かで失敗し,その他でもカツアゲしようとしたが失敗し,約1時間後,○○店に集合し,そこで,秋夫が「今度,おやじ狩りに行くんや。金パクるんや。」などと言って,秋夫,春夫,夏夫,被告人乙の4人で犯行現場に行ったというのである。このような夏夫の供述は,書店で集合してから犯行に至るまで常に秋夫と一緒にいたものと解される。

なお,秋夫自身の供述についても,帝塚山付近でカツアゲをしようとしたが,うまくいかず,その後○○店に集合して本件おやじ狩りをする話になったというものであるが(その間の経緯に関する供述が曖昧で不自然な点を含むことは前述した。),これを前提としても,携帯電話の電子メール受信履歴によれば,午後7時35分に自宅に着き,その後午後7時55分過ぎに陽子と会ったというのであり,その間は20分余りであるところ,これに共犯者の下から離れて自宅へ戻る時間,陽子と会って話した時間,○○店に行き共犯者と集合するまでの時間などを考えると,相当に印象に残るエピソードになるはずであり,これを忘れたり,話す必要がないとして供述がされなかったと理解するのはあまりに不自然である。

また,検察官は,夏夫の通話記録(甲128)中に,午後8時5分ころに秋夫に対する通話があることを捉えて,呼び戻した可能性があると主張するが,そのようなエピソードを秋夫も夏夫も一切供述していないことは前記のとおりであるから,これも検察官の推測の域を出ない。

検察官は,そもそも前兆事案に秋夫が関係しているとは限らないと主張し,前兆事案との関係では,陽子の携帯電話の電子メールデータは矛盾しないという。

しかし,仮に,検察官の述べるように前兆事案に秋夫が関係していなかったとすると,秋夫が本件前にカツアゲに行っていたとする春夫,夏夫の供述と矛盾することになる。

なお,検察官がいうように,午後7時55分ころに陽子と会い,しばらくして,再び共犯者グループの中に戻ったと解するのであれば,電子メールデータ中,午後9時59分に着信した「今日はどうもありがとう。しかもこんな遅くまで。また,会おな,二人っきりで。」という文面の説明が付きにくいことになる。

さらに,検察官は,陽子が,秋夫について犯行現場近くまで行ったり,別の場所で待っていた可能性もあるというが,仮に,そのようなことをしたのであれば,いつごろ戻るのかなどについてメールで尋ねるのが自然というべきである。検察官は,陽子と秋夫が会った後,「また,会おな,二人っきりで」,「分かった。二人っきりな」とメールのやり取りをしているのは,2人だけで会えなかったから,今度こそ2人で会おうという趣旨であると主張するが,「今日と同じように,また2人で会おう。」という趣旨のメールと見るのが素直であろうと思われる。

以上を総合すると,メールに記録された時間帯に秋夫が自宅前で陽子と会っていたという事実を前提にした場合,前兆事案又は本件犯行前の秋夫の行動に関する関係者の各自白の内容は,上記事実と整合せず,実質的に矛盾するというべきである。

(7)  結論

以上より,検察官の主張はいずれも相当でなく,陽子供述は,同人の携帯電話に残された電子メールデータの内容及び月子供述と符合し,信用性が高いと認められ,ここから以下の事実が認められる。

秋夫は,2月16日午後7時35分ころ,自宅に戻り,携帯電話を使ってメールで陽子とやり取りをした。そして,秋夫は,陽子と秋夫宅前で雑談することになり,陽子に呼びに来てもらうことになった。そして,午後7時55分ころに呼びに来てほしい旨のメールを陽子に送信し,その約5分後ころに陽子は秋夫を呼びに行き,それから午後9時59分ころまで秋夫宅前のマンション通路で雑談した。同時刻ころ,秋夫は陽子と別れ,その後,秋夫は,また2人で会いたい,一緒に学校に行って,また話そうなどといったメールを数回,陽子に送信した。

このように,秋夫は,午後7時35分ころから午後9時59分ころまでの間,自宅又は自宅前マンション廊下にいたというべきであり,本件犯行のアリバイが認められることになる。そして,この事実は,本件犯行で被害者に暴行を加えるという主要な役割を担ったとされ,C野,春夫が自白当初からその関与を供述していた秋夫が犯人でなかったことを意味するから,C野,春夫,夏夫,そして秋夫の各自白による本件犯行の構図を大きく覆し,各自白の信用性を失わせるものであり,被告人両名の無罪を大きく推認させる事実である。

2  被告人甲のアリバイについて

弁護人は,本件犯行当時の被告人甲のアリバイとして,被告人甲は,自宅でS1と共に,テレビを見たり,携帯電話の画像を送信して交換するなどしていたと主張するので,以下,検討する。

(1)  S1の公判供述

被告人甲とは,平成15年8月から平成16年3月ころまでの間,週に約1回程度,同被告人方で会う仲であった。同年2月16日は,午後8時30分ころ,被告人甲方に着いた。当日,母が友人と飲みに行くことになり,午後8時過ぎころ,自転車に乗り母と一緒に出かけた。約15分で被告人甲方に着き,しばらくは被告人甲としゃべったりしていた。その後,午後9時ころ,たまたまテレビを付けると,ドラマ番組「プライド」が放送されていたので,2人で見た。同番組が午後10時前に終わり,午後10時20分ころに画像や着信メロディのやり取りなどをした。被告人甲は,2日前のバレンタインデーに私が贈ったチョコレートを食べたことを話していた。午後10時20分から22分にかけて,「プー&ドラえもん」の表題のメールを被告人甲の携帯電話に送信したり,着信メロディを送受信し,その履歴が携帯電話に残されている。これらの画像や着信メロディを被告人甲と一緒にいる際にやり取りしたといえるのは,お互いの携帯電話の画面を見ながら画像を送った記憶があるからである。午後11時ころには,母が飲んでいる店に被告人甲と共に行ったと思う。途中,△△書店の自転車置き場に秋夫,F,C野らがいたと思う。

(2)  S2の公判供述

2月16日,友人と飲みに行くことになり,娘のS1と共に店に行った。同店には午後7時から午後8時の間には既に入っていたと思う。しばらくするとS1は退屈してきたのかテレビドラマ「プライド」を見たいと言い出した。その時間は午後9時前だと思う。同ドラマを見るために被告人甲方に行くことを許した。店から被告人甲方までは歩いて約5分以内の距離である。S1は,午後10時30分ころ,私が飲んでいた店に戻ってきた。被告人甲が一緒に来たかどうかは分からない。この出来事が2月16日のことであるのは,自分の携帯電話のスケジュール帳に残された記録やS1の携帯電話に残された画像などから思い出せた。

(3)  被告人甲の公判供述

2月16日は,S1と共に自宅でテレビを見たり,携帯電話で画像を送受信して交換したりしていた。S1の母は,私の自宅近くの居酒屋にたまに飲みに行くことがあり,その際はS1も一緒に行くが,母親が飲んでいる間,私の家に遊びに来ることがあった。この日もそのような日の一つであり,2枚くらいの画像を交換したと思う。画像は,シャネルのロゴマークとくまのプーさんのものであった。この出来事を思い出したのは,拘置所に移監されてから,S1の母が携帯電話のスケジュール帳に2月16日夜に外出したとの記録があると教えられてからである。また,2月14日バレンタインデーに,S1からチョコレートをもらった。その後,S1が遊びに来るついでに,チョコレートを食べたかどうかを確認してきたのが,2月16日であった。同日であるといえるのは,その前日が日曜日であり,S1は日曜日には友人と遊ぶのを優先するからである。

(4)  評価

上記のS1,その母S2及び被告人甲の供述は一致する部分も多く,被告人甲が,本件犯行時間である2月16日午後8時35分前後には,自宅でS1と共にいたことを裏付けているように見える。

しかしながら,S1は,7月2日付け検察官調書においては,被告人甲方に到着したのは午後9時を少し回ったころと供述し,その根拠として,同被告人方に着いてすぐに何気なくテレビをつけたら当時,フジテレビ系列で毎週月曜日午後9時から放映していた「プライド」というドラマがちょうど始まったところであったと供述しており,公判で供述する午後8時30分ころとは食い違っている。さらに,被告人甲方に赴く経緯についても,母S2の供述によれば,S1は一緒に居酒屋に行き,午後9時前に,「プライド」が見たくなったと言い出したというのであり,S1が供述する経緯とは大きく異なっている。したがって,S1が被告人甲方に到着した時刻は,午後9時ころであったと認められるのであり,被告人甲のアリバイを証明するものではない。

3  被告人乙のアリバイについて

弁護人は,被告人乙のついても,本件犯行時刻ころには,自宅にいて午後8時00分から午後8時54分の時間帯で放映されている番組「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」を見ていたから,アリバイがある旨を主張するので,以下検討する。

(1)  Qの公判供述

本件当時,被告人と付き合っており,被告人乙方で寝泊まりするなど半同棲関係にあり,現在も交際を続けている。

2月15日夜,被告人乙やその母親らと一緒に焼肉店に出かけ,母親から2月16日がその誕生日であると聞かされた。食事後,被告人乙方に行って,泊まった。

翌16日は,仕事に行き,午後7時ころ,当時私が住んでいた叔母宅に帰った。被告人乙に電話をするように言われていたので,電話をかけたところ,迎えに来た。被告人乙が迎えに来た時間は,午後9時から午後10時ころまでの間であったと思う。迎えの時間が午後10時を過ぎると,よくけんかになるが,この日にそのような記憶はない。軽トラックに一緒に乗り,被告人乙方へ向かった。私の叔母宅から被告人乙宅まで車で約20分程度の距離である。被告人乙方に着いてから,同被告人は,母親の誕生日であると知りながら,何もしないのかと言って非難してきて,口論になった。その後,仲直りし,午後11時ころに寝た。

この一連の経緯は,被告人乙が逮捕されてから少しずつ思い出した。まず,2月16日が被告人の母の誕生日であることを思い出し,2月15日に遊びに行って,焼肉店で同人の誕生日の話が出たことなどを遡って思い出した。

(2)  被告人乙の公判供述

2月16日,仕事を終えて午後6時ころに帰宅し,入浴するなどし,その後,自宅にいて午後8時00分からの番組「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」を見ていた。それから午後9時30分ころに自宅を出て,Qを迎えに行った。言い争いになったが,仲直りしてから,Qが先に寝た。むしゃくしゃしていたので,1人でテレビを見た。「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」の番組内容については,本件で逮捕された後,弁護人との接見で,2月16日のテレビ欄を見せられ,同欄に「パフィー結婚後初登場」,「アルフィー」との記載を見て思い出した。

2月15日,16日のQとのやり取りなどの経緯については,その供述とほぼ同旨である。

(3)  評価

Q供述は,具体的かつ詳細であり,被告人乙の母親の生年月日などから順繰りに思い出していった経緯も自然であり,同内容の6月18日付け(公証人による同22日付け確定日付あり)の被告人乙の弁護人に対するQの供述調書が作成されており,信用できるといえる。しかし,同人の供述によれば,被告人乙が当時Qの住んでいた叔母方へ来たのは,午後9時より後というものであり,被告人乙のアリバイを証明するに至らない。

また,被告人乙の,午後8時台に自宅でテレビ番組「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」を見ていたとの供述については,これを裏付けるものは,同番組内容を詳しく供述できたというだけであり,その内容は録画やインターネットなどで容易に調査可能であって,その信用性を高めるものとはいえず,他に裏付けがない。

4  春夫,夏夫のアリバイについて

さらに,弁護人は,春夫,夏夫が家族らと共に本件当日自宅におり,食事をしたり,午後8時からのテレビ番組を見ていたから,アリバイが成立すると主張,春夫らの母のA山花子も同旨の証言をしている。以下,検討する。

(1)  春夫の公判供述

2月15日夕方,Uと会って公園に行き,チョコレートを渡された。そこから翌16日午前8時半か9時ころまで公園で話していた。Uと一緒に私の家に戻り,寝た。午後6時30分ころ,母が帰宅した。この日は,自宅で母,僕,夏夫,妹,Uの5人で鍋料理を食べた。食事の間,「世界まる見え」というテレビ番組を見ていたが,内容は覚えていない。その後,順番に風呂に入り,買い物に出かけた。その日も,Uは泊まっていった。Uとは,16日の約2,3日後に別れた。現在では連絡も取れない。7月5日に真実を告白してから記憶がよみがえってきた。

(2)  夏夫の公判供述

2月16日は,春夫とその彼女,母,妹の5人で自宅で鍋料理を食べたり,コンビニエンスストアに行ったりした。犯行時間の午後8時35分ころは,「世界まる見え」というテレビ番組を見ていた記憶があるので,当時は,自宅で家族と一緒にいたと思う。このことは,捜査段階では覚えていなかったため,この話はしなかった。少年鑑別所に入ってから,母と話しているなかで少しずつ思い出し始めた。

(3)  A山花子の公判供述

2月16日朝,私は仕事に出かけるとき,春夫は自宅にはいなかった。夕方,買い物をして午後6時30分までには帰宅した。帰宅すると,春夫,夏夫がおり,Uが来ていたため,Uらと共に買い物に行った。夕食の献立について春夫が焼肉と言うと,夏夫が「重なるから嫌や」と言ったことから,鍋料理にすることにした。私が仕事に行った日なので,日曜日の15日ではない。鍋料理を食べながら,春夫が1日遅れの15日夜にバレンタインデーチョコレートをもらったことなどが話題に出た。春夫は,夜中は公園に行っていたと言っていた。この日は,食事をしている間,午後7時からアニメ番組を見た。食べ終わって,午後8時から「世界まる見え」というテレビ番組を見るなどしていた。食事の後,各人が順次,風呂に入った。少しお腹が空いたということで近くの店に春夫,夏夫,Uで買い物に行った。その時刻は,午前零時ころ前だと思う。その夜,Uは自宅に泊まった。

7月5日,春夫と面会したとき,同人から本件犯行に関係していないとの話を聞かされた際,本件犯行当日,Uと一緒にいたと聞かされ,Uに連絡を取ってほしいと言われた。そこで,当時転居していたUを探し出して,連絡し,春夫の付添人の弁護士と共にUと会った。弁護士からから,2月15日から17日の行動について教えてほしいと言われたUは,15日夜,チョコレートを渡したこと,朝方帰ってきて寝たこと,その後,鍋料理を食べたこと,スーパーマーケットに行ったことなどを話してくれた。私は,これを聞いて当日の出来事を思い出していった。当時見ていたテレビ番組については,Uから話は出なかった。テレビ番組の点は,その後,私がUから聞いた話を夏夫に話した際,夏夫が思い出したことである。

(4)  評価

以上の供述は,春夫,夏夫,母の花子が一致して,本件犯行当夜は妹やUと共に自宅にいて,夕食に鍋料理を食べたり,テレビを見ていたと供述している上,花子は,前日からの行動や16日に話し合ったことなどを詳しく具体的に述べている

しかしながら,春夫らの供述は,いずれも客観的な証拠による裏付けがない上,春夫,夏夫は,犯人でないとして本件犯行を否認した後,刑責を免れるために虚偽供述をする動機があり,その母親についても同じく動機があるといえる。また,同日に関する供述が前記のように具体的であったとしても,別の日に体験したことを織り交ぜながら供述すれば,そのような供述も十分可能であり,さらに,Uや春夫,夏夫と面会するなかで一致する供述がされるようになった可能性もあり,信用性については疑問が残るといわざるを得ない。

以上からすれば,春夫,夏夫にアリバイが成立するとまでは認められない。

第7  その他

1  被告人両名の犯行動機

(1)  検察官の主張

検察官は,被告人両名の犯行動機が認められる理由として,(ア)被告人甲については,平成15年3月に東西興業から解雇され,その後,同年8月から平成16年1月ころまで,南北清掃でごみ収集車の運転手として稼働していたが,ここも解雇されたことから,本件犯行当時は無職であったこと,消費者金融業者に対する約100万円の借金があったこと,当時住んでいた住居は,被告人乙が同被告人名義で借りたものであり,被告人甲が家賃を支払うとの約束で居住していたが,その家賃について平成16年1月以降滞納していたこと,本件犯行前後ころ,太郎,F,C野,秋夫ら少年に命じて日用品を万引きさせ,その盗品を自分の物にしていたことなどから,本件犯行当時,金銭に窮していたといえ,春夫,夏夫,秋夫らに命じて本件犯行に及ぶ十分な動機があり,(イ)被告人乙についても,定職に就いているものの,自宅購入のためにした借金を月5万円ずつ返済をする必要があったこと,インターネット上のいわゆる出会い系サイトを頻繁に利用し,女性との交際が絶えなかったこと,女子中学生と交際し,同女が援助交際で得た金を受け取るなどしていたことなどから,遊興費欲しさに犯行に及ぶ動機があった。また,被告人乙は,被告人甲と親しく交際していたこと,同被告人の住居が被告人乙名義で借りられていたことから,家賃すら払えない被告人甲の手助けの意味もあって本件犯行に及んだと推認できると主張する。

(2)  判断

ア 被告人甲について

まず,被告人甲であるが,勤務態度不良により南北清掃を解雇されたのは,1月13日であり,この際,給料等として,現金15万円を受け取っており,更に同月19日,被告人甲の要求により,同社より同月13日から2月13日までの給料として,現金14万円を受け取っていたことが認められ,少なくとも1月中に29万円ほどの収入を得ていたのであり,被告人甲が,本件当時において,それほど金に窮していたかやや疑問が残る。また,秋夫は,公判において,被告人甲のために万引きをしたと供述するが,それは3,4月ころからのことであり(秋夫は,このころから同被告人が金に困り出したと供述しており,このことは被告人甲の家賃の最後の支払が3月3日であることなどとも符合している。),この点をもって動機の裏付けとすることはできない。また,被告人甲は,本件犯行日において約3か月分の家賃を滞納していたものの,平成15年12月から平成16年3月までの間,遅れながらも支払をしており,初めての家賃支払の督促がなされたのが本件後の2月19日から24日ころであったことなどが認められるのであり,本件当時,被告人甲がそれほど強く家賃支払の必要性を感じていたとは認めがたい。

確かに,既に会社を解雇され無職であったこと,東西興業も南北清掃も勤務態度不良による解雇であり,任意の退職ではなかったこと,本件当時,転居して督促が途絶えていたとはいえ,消費者金融業者に対し借金が元金だけで少なくとも約88万円あったことなどからすれば,一定の犯行動機があったことまでは否定し得ない。しかしながら,上記のような経済状況に置かれていたという事実が,被告人甲の強い犯行動機を推認させるとまではいえない。

イ 被告人乙について

次に,被告人乙の犯行動機について検討すると,同被告人は,本件犯行当時,東西興業で稼働し,手取りで毎月25万円程度の収入を得ていたことが認められる。また,借金についても消費者金融からの借入れは認められず,住居であるマンションの返済として,毎月10万円の支払を姉と折半することで5万円支払っていたというのであるから,生活にそれほど困窮していたとは認められない。また,被告人乙が出会い系サイトを頻繁に利用し,女性との交際が多かったという点も,同被告人の供述によれば,確かに出会い系サイトを頻繁に利用していたことは認められるものの,出会い系サイトを介した女性との交際に費やす金額が多額であったとまでは認めがたい。また,被告人乙が援助交際をしている女子中学生から金銭を受け取ったことは認められるが,事故を起こし,弁償のために金に困っているなどと言ったところ,同女が現金をくれたというのであり,これをもって金銭的に困窮していることの裏付けとまではいいがたい。さらに,被告人甲の居住する住居が被告人乙名義で賃借されていることについても,前記のとおり,家賃滞納についての督促は本件後になされたのであり,被告人乙が本件当時家賃支払を手助けする必要があったと認識していたとは考えにくい。

結局,被告人乙は,特に生活に困窮していたとは認められず,犯行動機が強く認められるわけではない。

2  被告人両名によるC野の呼出及びC野宅への来訪

検察官は,被告人両名が,5月中ころ,C野を□□西公園に呼び出し,口止め工作をしたこと,更に同月17日,C野宅を訪れ,C野の母や姉梅子と話し合い,C野に対する口止め工作をしたと主張する。

(1)  □□西公園への呼出について

被告人両名がC野を□□西公園に呼び出した状況については,C野の公判供述によれば,午後8時ころ,Eから電話がかかってきて,不審者から追いかけられていると言うので,同公園に行くと,被告人両名,E,Nがおり,被告人乙から「ちくるな。」,「ほんまの男やったらポリなんかにちくらんぞ。」などと言われ,僕は何も言っていないなどと答えると,被告人乙は「情報が回ってきてるんや。」,「腹割って話せ。こっちも腹割って話してんねんから。」などと言い,その場にいたNも「火のないところに煙は立たない。」,「お前には煙がある。」などと言い,被告人甲は,警察で何を聞かれているかと聞いてきたが,「別にどうもない。」などと答えはしたものの,怖くなり,口実を付けて,その場を離れたというものである。

これに対し,被告人両名は,5月14日,C野が被告人甲から500円玉を盗んだことを自慢していること,H1,H2との付き合いは金目当てであるなどと言っているのを聞いたので,呼び出して,そのことを注意したと弁解する。被告人甲の供述によれば,同月17日にC野宅に行くよりも前に,被告人甲が人を殺したとC野が言い触らしていると噂になっており,立腹していたことも認められる。そして,Nの証言によれば,被告人甲が人殺しであるといった内容を友人や警察に言っていることが話題に出たので,C野を呼んで「悪口を言うな」と注意したなどと言う。

以上を総合すると,被告人らがC野に対し,警察で被告人甲のことを話さないように注意したことは認められるが,その内容は明確ではない。

被告人両名の供述する内容は,成人男性3名を含む4人が夜の公園に中学生を呼び出してまで注意するような内容ではないといえなくもない。しかし,単なる悪口や自慢にとどまらず,被告人甲が人殺しであるなどと言い触らし,それもNの証言するように,友人や警察にも話していたというのであれば,上記のような呼出や叱責をしたとしても了解可能である(なお,被告人乙は,この呼出の際,C野が警察で事情聴取されていたことを知らなかったとも述べている点は,当時の状況や人間関係を考えれば,直ちに信用できない。)。結局,被告人甲がかつて犯した業務上過失致死事件について触れられるのを嫌がっていたことなどから,被告人甲のことを警察で人殺しと言わないように注意するやり取りがなされた可能性があり,C野に対する本件犯行に関する口止めとは言い切れない。

(2)  C野宅への来訪について

この来訪時のやり取りについては,前述の梅子供述のとおり認定でき,被告人らも争うところではない。5月17日,被告人両名が,突然,C野宅を訪ね,C野の母親と梅子と共にC野宅のあるマンションの屋上で話し合ったが,その際,被告人乙は,C野が警察で,被告人甲のことが怖い,同被告人が殺人者であるなどと言っているので注意しに来たこと,他人の振りをするので,C野にも知らない人の振りをするように伝えてほしいなどと言い,さらに,被告人甲が,C野の母親に対し,「お母さんも警察の方から俺と関わるなというふうに言われてるでしょう。」と言い,被告人乙が,「僕らも,この年なんで,殴ったりとかしないんで,それは安心してください。」とも言ったが,話合いが終わった後,母親は,「本当に気分を悪くさしてすみませんでした。」と言って,涙を流して土下座しようとした,というものである。

以上のように,被告人両名は,被告人甲が「殺人者」だと言われることを注意しに来ているが,特に警察に対して話すことを止めるように要求しているのであり,梅子もそのような会話の内容から口止めではないかと思ったというのである。さらに,C野に見知らぬ者同士の振りをしてほしい旨を頼んでいることなどからすると,被告人甲に関して一切の不利益な内容を警察で言わないようにしてほしいという趣旨も含まれていると思われる。

しかしながら,被告人両名は,本件犯行について特に言及して口止めをしたわけでなく,C野に取調べに応じるなと言ったわけでもないのであり,また,あえて嫌疑を受けていると知りながら,少年の母親に対して口止め工作をすること自体にどれほどの実効性があるのか疑問が残るところである。また,仮に犯行に関与していない場合であっても,警察で人殺しなどの中傷や不利益な話をされることは一般的に避けたいと思うのが通常であろうから,このようなやり取りがなされたことをもって,被告人両名が本件事件の犯人であることを推認させる事情と見ることは困難である。

第8 結論

1 関係証拠の検討結果は以上のとおりである。すなわち,検察官が有罪立証の中軸とした共犯者らの供述やC野の供述は,捜査の最終段階では詳細で具体性に富む内容になっていったが,その内容及び各人の供述過程を総合的に検討すると,到底信用性を肯定できないことが明らかになった。被告人両名の犯人性はここで既に否定されるべきことになるが,次に防犯ビデオの解析結果の検討を通じて,共犯者らの供述はビデオの犯人映像と符合しない可能性が認められ,その供述の虚偽性が一層強まったといえる。更には共犯者の一人とされる秋夫について,本件事件発生直前の時間帯を含む行動が電子メールによって解明され,近隣の者の証言と相まって,秋夫が事件当時に現場で犯行に加わっていない可能性が濃厚になり,その結果,秋夫と被告人両名を含む5名によって本件が行われたという本件公訴事実は明らかに成り立たなくなったというべきである。

2 本件事件について振り返ると,前兆事案などの捜査を行う過程で,周辺地域の少年グループの一員であるC野が,捜査機関に対して迎合的な虚偽供述を重ねた結果,被告人甲,春夫,夏夫らが本件事件の犯人として捜査線上に本格的に浮上し,春夫が取調べの初期段階から自己の本件犯行への関与を認め,更に夏夫も本件犯行を認めるに至り,このC野,春夫,夏夫の供述を捜査官が相互に突き合わせていった結果,本件公訴事実に沿う構図が作り上げられ,併行して,秋夫に対する長期にわたる取調べをした結果,これと同様の虚偽供述が作出されたというのが,本件事案の実情といえる。

C野の供述は著しく変遷しているが,被告人甲から犯行の告白や現場案内をされたという点など,迫真性があって一見して創作等とは思えない程の供述が得られ,また,被告人甲から口止め等を指示されたとする供述もされ,春夫ら他の少年も,被告人甲らと共犯で実行したとする供述を行うことになり,実際に被告人両名が罪証隠滅工作と受け取られかねない言動をしたことと相まって,供述の重要な点に関する度重なる変遷にも説明がつくかのように見えたことから,捜査機関に被告人両名が犯人であるとの強い確信を持たせてしまったといえる。

また,犯行当時いまだ13歳から16歳で,取調べ当時14歳から17歳の年少者を含む少年の供述については,取調べ方法に十分な配慮をしつつ,信用性の吟味を慎重に行うべきであったにもかかわらず,捜査機関が少年らからの自白獲得を急ぎ,供述に依存する一方で,防犯ビデオ映像の犯人像を率直に受け止めることなく,その映像解析を実施して参考にするなど客観的証拠による裏付けを取る作業の必要性を軽視したことが,結果として本件のような事実を見誤る捜査処理につながったといえる。

自白の信用性判断に当たっては,その具体・詳細性,迫真・臨場性などは重要な要素であるとしても,直感的評価の関わる割合が高く,これに大きく依拠することは危うさを伴うため,自白の過程における不当な影響の有無,変遷の理由等について,供述者の年齢や特性も考慮しつつ,分析評価を加えることが必要であり,更に客観的証拠との整合性を検討し,必要に応じて科学鑑定を実施すること等が求められることは周知というべきであるが,本件は改めてその重要さを痛感させる事例と思われる。

3 以上の次第であって,被告人両名が本件事件の犯人であるとする春夫,夏夫,秋夫の各供述及びこれを裏付けるC野の供述は,いずれもおよそ信用できるものではなく,他に被告人両名の犯人性を認めるに足りる証拠もないので,結局,本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから,刑訴法336条により被告人両名に対しいずれも無罪の言渡しをすることとする。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・米山正明,裁判官・森嶌正彦裁判官・丸山徹は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官・米山正明)

別紙

図1 鑑定対象映像に撮影された4人の身長の推定用データ

file_5.jpgABCDOME RE

図2 参照DV映像の5名を対象に処理した身長の推定結果(人物Aの走行コースの場合)

file_6.jpg175 96mD AM — — 1858emDA 10 emDAM ——- 17090mDAM — — 180.30mDAM

図3 参照DV映像の5名を対象に処理した身長の推定結果(人物Bの走行コースの場合)

file_7.jpg

図4 参照DV映像の5名を対象に処理した身長の推定結果(人物Cの走行コースの場合)

file_8.jpg—STT82emD AM — — 185.8emDAM — 1802mDAts — 17890mmA

図5 参照DV映像の5名を対象に処理した身長の推定結果(人物Dの走行コースの場合)

file_9.jpgATS 80mD Atty — — 185.80mDA 8 — 100emD\M9 —— 170.8em>Ats = — 189.30m0AH

図6 最大変位と走行速度の関係

file_10.jpg18.0 16.0 4.0 12.0 10.0 8.0 3A (kev/b)

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