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大阪地方裁判所 平成17年(ワ)9128号 判決 2008年5月02日

主文

1  被告津市は,原告に対し,金170万円及びこれに対する平成14年12月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告津市に対するその余の請求及び被告A,被告B並びに被告Cに対する請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,被告津市に生じた費用の20分の3と原告に生じた費用の80分の3を被告津市の負担とし,その余を全部原告の負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求の趣旨

被告らは,原告に対し,連帯して金1100万円及びこれに対する平成14年12月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,津市立の小学校に在籍していた原告が,被告津市(以下「被告市」という。),被告A(校長。),被告B(担任。),被告C(音楽担当。)に対し(以下,被告A,被告B及び被告Cを総称する時は,「被告Aら」という。),被告Cが音楽の授業中に大音量で音楽を流したことを抗議した原告を,被告Aらが,物置部屋に閉じこめたり,クラスから孤立させようとしたこと及びその結果心的外傷後ストレス障害(以下「PTSD」という。)及びデスノス(DESNOS。Disorder of Extreme Stress Not Otherwise Specified:その他に特定しようのない極端なストレス性障害。以下「DESNOS」という。)に罹患させたことにつき,被告市については国家賠償として,被告Aらについては共同不法行為に基づく損害賠償として,慰謝料及び弁護士費用合計1100万円の損害賠償及びこれに対する不法行為後の平成14年12月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を請求した事案である。

1  争いのない事実

(1)  原告は,平成3年▲月▲日生まれで,平成10年4月,三重県津市立甲小学校(以下「本件小学校」という。)に入学し,平成14年当時は,本件小学校5年1組(以下「本件クラス」という。)に在籍していた。

被告市は,本件小学校を設置,管理する地方公共団体であり,被告Aは,平成14年9月当時,本件小学校の校長であり,被告Bは,当時,本件クラスの担任教諭であり,被告Cは,当時,本件小学校の音楽教諭であり,本件クラスの音楽の授業を担当していた。

(2)  平成14年9月13日(以下,特に断らないかぎり年は平成14年であり,年号を省略する。),被告Cは,本件クラスの音楽の授業において,教科書に掲載されている曲のCDを大きな音量で3回繰り返しかけた(以下「本件授業」という。)。その際,原告ら2名の女子児童が「頭が痛い」と訴えて,保健室に行き,しばらく休養をとった。

同日昼休み,児童らが被告Bに対し,音楽の授業について,音がうるさかったと申し立てたので,被告Bは,その理由を聞くことを約束した。

(3)  同月15日午後7時20分ころ,被告B,被告A及び被告Cは,原告宅を訪問し,本件授業の状況を説明して,謝罪したが,授業の意図は説明しなかった。

(4)  同月17日朝,被告Cは,被告Bが同席するところで,児童に対し,本件授業について話をした。

同日夜,本件小学校において,本件授業に関する臨時保護者会が開かれた。

(5)  11月27日以降,原告は,1日を除き,卒業するまで本件小学校に登校しなかった。

2  争点

(1)  被告Aらは,原告を監禁したり,本件クラスで孤立させようとしたりするなどの不法行為を行ったか。

(2)  原告は,上記不法行為により,PTSD及びDESNOSに罹患したのか。

(3)  被告Aらは,個人として不法行為責任を負うのか。

3  争点についての当事者の主張

(1)  争点(1)被告Aらの行為について

【原告の主張】

ア 9月24日の件

被告Bは,12時30分ころ,「30分だけだから」といって,原告をゆとり教室に連れていった。ゆとり教室には,被告Cがいた。原告は,被告Cに対し,なぜ大きな音量でCDをかける本件授業をしたのか問いただしたが,被告Cから明確な回答はなかった。

被告B及び被告Cは,原告を職員室の斜め向かいにある物置部屋に連れていった。後に,被告Aも物置部屋に入ってきた。原告は,奥においてあったソファーに座らされ,被告Aらに取り囲まれるような状態であった。原告は,被告Cに何度も本件授業の理由について聞いたが,被告Cは「いいかなあと思って。」「聞こえやすいかなあと思って。」などと曖昧な答えに終始し,やがて,原告の質問に無言で答えなくなった。被告Bも,黙って見ているだけであった。原告は,腹が立ち,泣きながら「謝って済む問題ではない。」などと被告Cに抗議をした。原告が何度かトイレに行きたいと申し出ても,被告Bは,「もうすぐ終わるで,我慢しな。」と言って原告の肩を押さえて無理矢理座らせたり,「泣くな。」と言って顔を近づけてくるなどした。

原告は,薄暗く不気味でカビ臭い物置部屋に閉じこめられ,被告Aらに取り囲まれて座らされたことに恐怖感を感じ,物置部屋から出ようと,泣きながら「話すことはない。」と言って逃げ出そうとした。しかし,被告Bが無理矢理原告の肩をつかんで座らせた。被告Aは,原告に対し「原告は親に頼りすぎ。自分一人でできる。」などと説教をし,本件授業について,これ以上親に言わないよう口止めをされた。結局,原告は,午後4時30分過ぎまで,物置部屋に監禁状態にされた。

イ 9月25日の件

授業が午前中のみであったので,原告が帰ろうとしていると,被告Bは,「ちょっと話をしたいことがあるからおいで。」と言って,原告の手首を掴み,物置部屋に連れていこうとした。原告が「離して。」と言うと,被告Bは,物置部屋へ連れていく途中の階段の踊り場辺りで,急に原告の手首を掴んでいた手を離し,原告のランドセルを後ろから押したため,原告は,階段から落ちそうになった。被告Bは,物置部屋に行く途中に職員室に立ち寄り,そこにいた被告C及び廊下にいた被告Aに対し,原告がその旨述べていないにもかかわらず,「原告が話があるというので来てください。」と声をかけ,物置部屋に呼んだ。物置部屋は,前日と同様に,カーテンが閉められて薄暗く,カビのにおいがしていた。

被告Aらは,前日と同様,恐い顔をして原告を囲みながら,原告に対し「幼稚である。」と説教をし,「音楽の授業のことを親に言うな。」「言いたいことがあれば,先生に言え。」と話をしたり,逆に何を言うでもなく,長い間沈黙をしていたりするなどした。被告A及び被告Bは,原告の方をちらちら見ながらひそひそ話をしたりもした。被告Bは,原告が薄暗い不気味な物置部屋に閉じこめられ,被告Aらに囲まれた恐怖で泣いていた様子を見て,原告の横に座って肩を抱いたり,顔をすれすれに近づけながら顔をのぞき込み,「泣くな。」と言ったりした。原告が恐怖感から「帰る。」と言っても,被告Bらは,原告を解放しようとせず,原告がトイレに行きたいと言っても,許さなかった。被告Aらは,原告を午後4時ころまで監禁した。

ウ 10月11日の件

本件授業以降,初めて,本件クラスの音楽の授業が行われた。音楽の授業は4限目であったが,被告Bは,2限目の授業後の休み時間に,原告を,物置部屋に連れていった。物置部屋には,被告Cもいた。被告B及び被告Cは,原告に対し,その日に予定されていた音楽の授業に出るかどうかを尋ねた。原告は,母のDから,「音楽の授業には,出ても出なくてもよいと学校から連絡があった。」と聞いていたこと及び音楽室には入ることにさえ嫌悪感を感じていたことから,「出ない。」と答えた。原告は,被告B及び被告Cによって,薄暗い物置部屋に入れられて監禁され,帰りたいと言っても帰らせてもらえなかったことなどから,その時も恐怖感で涙を抑えるだけで精一杯の状態であった。被告B及び被告Cは,原告に対し,「これからの音楽の授業はどうするの。」と何度も尋ね,音楽の授業に出るよう求めてきた。

音楽の授業が始まるころ,被告Cは,物置部屋を出ていったが,被告Bは,なお,原告を解放せず,原告に近づき,顔を近づけては,「どうすんの,これから。」と言い,原告の肩を抱いたりした。原告は,二人きりで狭く暗い相談室に入れられていたことに恐怖感を感じていたとともに,被告Bが執拗に原告に近づいてくることに不快感を感じながらも,「授業にはいかない。」と涙を流しながら答え続けた。被告Bは,4限目の授業後,原告を解放した。

エ 10月25日の件

4限目の授業が音楽から道徳に変更された。被告Bは,原告を黒板の前に立たせ,本件クラスの児童に向かって本件授業のことを許すようにと話し始め,「原告みたいに人に食ってかかることは良くない。そんなことをしていると人から嫌がられる。」と言って,原告に対し,本件クラス全員の前で「謝れ。」と言った。原告は,被告Bから,全員の前に立たされて,原告が悪いと話をされ,さらに「謝れ。」と怒られることが理解できず,恥ずかしさとなぜ自分だけが悪者のように言われなければならないのかという腹立たしさで一杯になった。

4限終了後,原告は,家に帰ろうと,ランドセルを持って階段を降りていったところ,途中で,原告は,被告Bに偶然に会った。原告が,そのまま行き過ぎようとしたところ,被告Bは,原告の肩を掴むなどして原告が帰るのを止めようとした。原告は振り払って帰宅しようとしたところ,被告Bは,原告の後を追ってきた。靴箱付近で,被告Bは,後ろから原告の両手首を掴んで内側に縛り上げ,痛さと恐怖感で暴れる原告をさらに両方の脇の下から手を突っ込んで腕を上に上げ,羽交い絞めにするなどした。原告は,何とかして学校を飛び出し帰宅したが,原告の腕には,被告Bから掴まれた跡が残っていた。

オ 10月28日の件

同日より前の授業中に原告が無駄話をしている男子児童を小声で注意したところ,被告Bが「うるさいよ。静かにしなさい。何をしゃべっているのですか。」と有無を言わせず原告を叱責したため,原告は,その理不尽さに泣きながら帰宅した。

同日,授業中に男子児童がふざけていた際,被告Bが他の女子児童に対し「なぜ,注意をしないのか。」と叱責した。原告は,被告Bの一貫しない対応に納得できず抗議した。

カ 11月8日の図工の時間での件

1,2限に図工の授業があった。授業では画用紙に液体紙粘土でティッシュをつけ,立体的な絵を作る作業をすることとなっていた。同日ころ,原告は,ストレスから,両手のつめを無意識に噛むようになっていたため,原告のつめは全て深爪のようになり,指の皮も第1関節のあたりまでめくれて赤く爛れ,血が出ている状態であり,手を洗うことも,箸を持つこともできない状態であった。母Dは,保健室の養護教諭を介し,被告Bに対し,その旨伝え,給食の時に,特別にスプーンとフォークを使わせてもらえるよう申し出ていた。

原告は,指が痛くて図工の作業ができないことから,被告Bに対し,「手が痛いし指がぐじゅぐじゅやで今日はやれやん。」と言って,見学をしたい旨申し出た。被告Bは,原告の手が赤く爛れ,箸も持てない状態であることを認識しており,また,液体紙粘土は指に付くと傷が大変しみるものであり,短時間で固まり容易には取り除くことができないことも認識していた。しかし,被告Bは,嫌がる原告に対し,「はよ,つくりなさい。」と怒りながら,無理矢理作業をさせた。原告は手指の酷い痛みに耐えながら長時間,作業を行わざるを得なかった。

キ 11月15日の件

音楽の授業があったが,原告は,まだ音楽の授業に出たくなかったので,友人に連れられ一旦音楽室に入ったものの,チャイムが鳴るとすぐに音楽教室を出た。原告が音楽教室を出てクラスの教室に戻ったところ,教室の前に被告Bが立っており,原告に音楽教室に戻るように命じた。原告は,被告Bを無視し,ランドセルに荷物を入れて帰ろうとすると,被告Bは,原告を帰らせまいと,ランドセルの蓋の部分を掴んで引っ張り回した。原告は,ランドセルを取られないように必死に掴んだので,両者の間で,約30分間ランドセルを引っ張り合う状態が続いた。これにより,原告のランドセルの革がめくれてしまった。しかし,被告Bは,謝罪することなく,めくれたランドセルの革を窓から捨てた。

原告は,帰宅前に友人に給食袋を渡そうと,一旦,音楽教室に戻った。音楽教室から何人かの児童が出てくるのを見た原告は,音楽の授業が終わっているものと思い,入り口のドアから友人に声を掛けた。それを見た被告Cは,「まだ,挨拶をしていない。」と言って怒り出し,「いい加減にしなさい。」と言いながら原告を叩いた。

ク 11月22日の件

被告Bは,本件授業以後,本件クラスの児童らに対し,「原告ってどんな子?」など聞いてまわり,「原告と遊んだらあかん。」などと言って,原告を本件クラスから孤立させようとしていた。

同日の道徳の時間,被告Bは,原告も受けている授業であるにもかかわらず,本件クラスの児童全員に対し,「原告一人だけが悪い。」と言い,「原告について行ってはいけません。」「原告の言うことを聞いてはいけません。」と話した。原告は,被告Bに,本件クラスの児童全員の前で,原告が悪いと責め立てられ,「原告と遊んではいけない。」などと言われた。その間,原告は,じっと我慢して座っていた。

夕方,被告Bから母Dに電話があった。被告Bは,「何でも原告の言うことを聞いたり,ついていってはいけない,ということ言いました。」と話した。母Dは,他の大勢の児童の前でそのような発言をする被告Bに不信感を抱いた。

ケ 11月25日の件

原告は,3限目の授業中,気分が悪くなり吐き気がしてきた。原告は,被告Bに対し,「気分が悪いから家に連絡してほしい。」と何度も懇願した。しかし,被告Bは,原告を無視し続け,5限目が終了するまで,親に連絡を取らず放置していた。原告は,母Dから「しんどくなったら帰してください,と先生に言ってある。」と聞いていたことから,「お母さんに聞いとらんの。」と尋ねたところ,被告Bは,ようやく母Dに連絡する旨答えた。結局,被告Bが母Dに連絡し,母Dが原告を迎えにきたのは,他の児童が授業を終えて帰宅するわずか約10分前であった。原告は数時間も吐き気に耐えながら自分の席に座っていた。原告が帰宅したときには,約38度の熱が出ていた。

コ 小括

原告は,以上の経緯により,10月ころから寝るとうなされたりおねしょをしたりするようになり,さらに手の爪や皮をただれるまで噛むようになった。11月26日を最後に,原告は,本件小学校に登校できなくなり,12月2日には,血尿を出した。それ以降,原告は,毎日のように,「先生が出てくる!追いかけてくる!」などと怯えた様子で泣き叫んでは暴れだし,時折嘔吐するといった発作を起こし,「死にたい。」と叫んだり,実際,階段の踊り場から飛び降りたこともあった。12月24日,原告は,PTSDに罹患していると診断された。原告は,被告Bや被告Aに似た男性を見たり,似た声を聞くと,突然発作を起こすようになった。

以上のように,被告Aらは,原告を不当に監禁したり,クラスの中で孤立するようにしたりするなどして,原告を身体的にも精神的にも追いつめて,原告をPTSDやDESNOSに罹患させたもので,かかる行為は不法行為に該当する。被告A,被告B及び被告Cは,互いに意思を通じて,かかる不法行為に及んだものであるから,意思及び行為が共通しており,共同不法行為となる。

【被告Aらの主張】

ア 被告Cが本件授業において,CDを普段より大きな音量でかけたのは,学習指導要領の記載事項や夏の音楽研修の経験から,音量を上げて音楽を体全体で音楽を体感することが重要であると考えたことによる。本件授業以前に他のクラスで同じような大音量で音楽をかける授業をしたが,児童はもちろん保護者からも苦情は出なかった。

イ 9月24日の件について

原告は,被告Bに対し,同月20日の話合いでは納得できず,もっと被告Cと話し合いたいと申し出たことから,同月24日の昼から「ゆとり教室2」にて,原告と被告Cとが話合いをすることになった。被告Bは,同席したが,話合いに入らず両者のやりとりを見守っていた。このとき,被告Aは同席しなかった。職員室の斜め向かいにあるのは相談室であるが,相談室はこの日は使っていない。

原告は,持ってきた手紙を基に質問し,被告Cが答える形で話合いが始まった。原告は,強い口調で質問をしているうちに感情が高ぶり,次第に興奮してきて大声で泣きしゃべりの状態になり,怒り出して椅子に座ったまま机を足で前に押し出したり,立ち上がって動き回ったり,椅子を投げつけんばかりの気配を示したりという精神不安定な状態となった。原告は,被告Cに対し,「気が付かんだで,ごめんなさいで済むのか!」「あんた,そんなんで,よう教師やっとるなあ。」「もう,あかんわ,こんな先生いや!」などと怒って立ち歩き回ったり,「私は力強いんやぞ。おまえの腕の1本や2本折ったれるんやー。」と人差し指を突き立てて詰問したりした。被告Cは原告をなだめ,被告Bも何度も原告を落ち着かせるようとした。被告Cは,原告が落ち着くと,音量のことの説明と謝罪をした上で,原告が一生懸命やる気持ちがあるのなら一緒に楽しい音楽になるようにがんばっていこうなどという意味のことを言ったが,また,原告が怒鳴りだして中断するということが何度も続いた。他の児童もこのときの状況を目撃しており,被告Bも被告Cも何とか原告の興奮状態を鎮めようと必死だった。原告が,話合いの間,トイレに行かせてほしいと言ったことはない。午後4時ころ原告が落ち着いた状態になったので,被告Cが昇降口まで見送った。

ウ 9月25日の件について

原告が自分の気持ちを被告Aに伝えたいというので,被告Bは,20分休みに被告Aと原告が話をできるようにして,午前10時25分ころから約30分間,相談室で被告Aと被告Bが原告の話を聞いた。原告は,「C先生がわざと大きな音を立てて,びっくりさせようとした。」など今までいっていることを繰り返し,「嘘をついている者の味方をするのか!」「校長も嘘つきや!」と怒鳴り散らし,泣きわめいて座ったままで足でテーブルを蹴ったり,押し出したりするなど感情的になった。被告Bは,原告の左隣に行き肩にそっと手をあて「校長先生は聞いてくれるから落ち着いて。」となだめたり,「ちょっと待って。深呼吸をして泣き止んだら話してごらん。」と声をかけたりした。この間,原告にトイレに行くことを許さなかったなどということはなかった。

被告Aは,午前中に公務で出張する必要があり,話合いの途中で退席をした。また,被告Aと被告Bは,午後2時05分から講師を迎えての校内研修会に参加しており,原告を午後4時まで監禁したなどということはあり得ない。この日は,被告Cは体調が思わしくなく,午後から年次有給休暇を取得しており,原告と話したことはない。

エ 10月11日の件について

原告は,10月11日の音楽の授業に出席せず,その間,教室でドリル学習をし,その様子を被告Bが見守っていた。被告Cは,あらかじめ,被告Bから原告は音楽の授業に出たくないといっていると言われており,その日の3限目は,3年生の音楽の授業をしていたのであるから,3限目の時間帯に原告と話をする時間などなく,実際に話をしたことはない。被告Bは,原告から母Dが「音楽の授業には出たくなかったら出なくてもよい。」と言っていると聞いて,教育上問題であるから,昼休みに被告Aから原告に話をしてもらおうと考えた。その旨を原告に話し,校長室で被告Bが同席して被告Aから原告に「音楽の授業には出なければいけない。」と話をしてもらった。しかし,原告は「C先生と音楽のことで話し合ったがどうしても納得できない。」と不満を言うので,被告Aは,「繰り返し自分の思いを言っていかなければいけない。がんばれ。」と話した。原告も「子どもが努力しているのに先生が努力してくれて当たり前や。C先生も『あなたが努力するなら私も努力する』と言っていた。」などと言って教室に戻っていった。

オ 10月25日の件について

原告は,4限目の音楽の授業が道徳に変更されたと主張するが,音楽の授業はそのまま実施されており,道徳の時間は,6限目であった。道徳の時間を設けたのは,同月24日午後7時に被告Bが原告の自宅に家庭訪問をし,原告も同席するところで,午後9時まで原告の両親と話をし,道徳の時間をクラスで設定することを約束したからである。被告Bは,一刻も早く本件クラスを正常化する方がいいと考え,同月25日の6限目を道徳の時間に充てた。被告Bは,児童らに自ら失敗した経験を語らせながら,「人間は失敗することもある。」ということや「話し合うことの大切さ」について話をしたのであり,原告個人を取り上げて話したことはないし,原告に「謝れ。」などと言ったことはない。当日は,6限目が最後の授業であり,原告は,6限目の終わりと同時に帰宅しており,原告が家に帰ることを阻止する理由も必要もなかった。

カ 10月28日の件について

原告は,4限目の社会科の授業中,原告のすぐ後ろの座席の男子児童が隣の児童と私語をしていたので,後ろを振り向いて「うるさいなあ。ええかげんにせえ!」と男子児童の机をたたいて怒鳴った。あまり声が大きかったので,被告Bは,「▲▲さんもうわかった。もういい,やめときな。」と注意した。原告がキッと睨みかえしたので驚き,被告Bはうっかり後ろの男子児童に注意しないまま授業を進めた。

授業が終わり,被告Bが給食の用意をしていると,女子児童らが原告が帰ろうとしていることを知らせてきた。被告Bはびっくりして昇降口に向かって,原告を引き留めようとした。しかし,原告は飛び出していこうとするので,被告Bは,原告の後ろにいた男子児童らを呼び,原告に謝らせたが,原告は納得せず,強引に帰ろうとした。被告Bと女子児童らは,はじめ原告の腕を持っていたが,あまりにも力が強いので,被告Bがお腹のところを抱きとめるようにした。しかし,原告は被告Bを蹴り出し,養護教諭が駆けつけて被告Bに代わろうとしたが,原告は被告Bと女子児童らの制止を振り切って自宅へ帰った。被告Bは,残った児童に落ち着いているように言ってから,原告が無事に家に着いているかを確認するためにすぐに原告の自宅に行った。原告は帰宅しており,被告Bは,原告の両親に経過を説明しお詫びをした。原告は,ランドセルを学校まで取りに戻った。原告は,ランドセルを持ったらすぐに家に向かうので,被告Bが同行しようとした。原告は,被告Bの同行をいやがり,学校の校門から30メートルほどで地面に座り込んでしまった。被告Bは,母Dに原告を迎えに行ってくださいと頼み,母Dが原告を迎えに行った。

キ 図工の時間について

原告は,図工の時間を11月8日と主張するが,11月22日のことである。被告Bは,原告が右手指先に包帯を巻いていることは知っていたが,原告の手指が深爪になっていたり,指先の皮がめくれた状態になっていたりしたことは知らなかった。図工の授業は,画用紙にティッシュを一面に接着してから,そこへ絵を描くという活動であった。原告は,前回の授業を休んでいたので,初めから作業を始めることになった。原告は,右手指先に包帯を巻いていて,作業ができないというので,被告Bは,「それなら,▲▲ちゃんは,ティッシュを使わずに絵を描いてもいいよ。」と言ったが,原告は,「左手ならできるでするわ。」と言った。原告は,雲のようなティッシュの固まりを4か所ほど作った。被告Bが「もう少し作ったら?」と言うと「これで,もうええの。」と言って,ブラッシングの作業のところへ来た。こうした状況は,他の児童も見ていた。

原告は,何か気に入らないことがあれば,授業中であっても即座に「帰る。」と言って教室を出ていくのが常であって,その都度,被告Bらは,その対応に追われており,断じて原告を手指の酷い痛みに耐えながら長時間作業を行わざるを得なかったという状況にしたことはない。

ク 11月15日の件について

原告は,始業のチャイムが鳴って友人に連れられて音楽室に入室してきた。「はよ座りな。」と被告Cが言うも,2人は笑いながら教室を歩き回る始末であった。被告Cは,原告を音楽室にとどまらせようと手を引っ張っていた児童に向かって「(手を)離しなさい。」と言うと,原告は音楽室から出ていった。被告Cが原告を追って廊下に出たら,原告の様子を見に来ていた被告Bがいて,被告Bが原告と話し合うからというので,被告Cは音楽室に戻り授業を再開した。

被告Bは,廊下で帰宅すると言って暴れている原告に対し「音楽室に入れ。」と言っても「嫌だ。」と言うので,「そしたら教室で自習するか。」と聞いても返事がなく,「一体どうしたいのか。」などと問いかけていた。そのような原告と被告Bのやりとりの声が廊下からは聞こえてきて,被告Cが様子を見るため廊下に出て,被告Cが原告に声をかけた。原告は,被告Cに対し「うるさい!」などと言って暴れるので,被告Cは,「いい加減にしなさい!」と大声で叱って,音楽室に戻った。被告Cは,児童を叩いたことは今まで一度もなく,原告は,極めて興奮しやすい子だとの強い印象があり,気持ちを人に伝えるのは得意ではないとも感じていたので,そんな原告を叩くのはありえず,原告の体に触れてもいない。被告Bの説得に対して,原告は喚き立てるばかりあったので,被告Bは「それなら帰るか。」と言うと,原告はおとなしくなった。

音楽の授業が終わりかけのころ,手洗い場付近に被告Bと原告がおり,廊下を覗く児童も出てきた。被告Cは,別の女子児童もトイレへ行こうとしたので,「まだ授業中ですよ!」と叱責した。授業が終わってから,原告は他の児童に連れられて教室に戻った。

ケ 11月22日の件について

この日は,特別な出来事はなかった。原告の主張する道徳の時間とは,11月21日の学級会のことである。同月20日の放課後,臨時の学級会が開かれたが,原告は,同月13日の学級会の時に司会をした児童が原告の話を一方的に終わらせたことや被告Aに対する不満を言うことに終始し,学級会が長引くことを嫌がった男子児童に対し,激しく怒りをぶつけ,「もう帰る。」と言い出した。その剣幕に驚き,児童らは何とか原告を引き留めようとする中,長引くのは嫌だと意見を漏らした児童が泣きながら原告に謝り,再び続行することとなった。しかし,途中で話が切れたところで,別の男子児童が「もう終わろ。」とぼそっとつぶやいたところ,原告は,「このクラスは許せない。」と泣き喚き「もう帰る。」を連発するので,他の児童も困り果てて,司会をした学級委員が「▲▲さんに対して気づかなかった。」と釈明してその場はおさまった。原告は,終始一方的に非難して興奮するのを,他の児童がなだめる状況で,話合いにならなかった。被告Bは,原告の家に電話して,その日の状況を伝え,同時に,原告が「お母さんがつらいときは帰っていいと言ったんや。」といつも言うことを伝え,その点での配慮を求めた。

改めて,同月21日の5限目に学級会が開かれた。原告は,「11月13日の学級会の司会をしていた学級委員が悪い。私は言いたいことが言えなかった。校長は,○○さんのことは褒めたのに私のことを1人だけ子ども扱いした。私は他の子と同じように言ったのに,私だけを悪い子だと思っている。」「B先生は,私が友達と校長室へ(被告Aへの不満を)言いに行こうとしたら,他の子を行かさないようにした。私だけをひとりぼっちにしようとした。」などと被告Aや被告Bに対する批判に終始した。5限目の終わるチャイムが鳴ったので,ある児童が「もう終わろ。」とつぶやいたところ,それを聞きとがめた原告は,「このクラスは悪い。昨日はごめんしたったのにみんな何にも変わってない。」と興奮した。被告Bは,「昨日は▲▲さんが,興奮してものすごい言葉遣いで校長先生の批判をしていた。もし,▲▲さんが興奮したままで校長室へ行って,思っている以上のことを言ってしまったら,ひっこみがつかなくなってしまう。そして,周りのみんなが一緒になって騒いで,▲▲さんを煽りたてるようなことになったらどうなるか。そうなったら結局,▲▲さんがもっとつらいことになってしまう。だから,昨日は,『この状態では一緒になってついていってはいけない。よく考えなさい。』ということを言ったのだ。」と説明したが,原告は納得せず,騒ぎ立てる一方であった。被告Bは,「原告1人だけが悪い。」「原告と遊んではいけない。」などという発言をしたことはない。原告が,落ち着いたところで,被告Bは,原告に話しかけようとしたが受け付けず,様子を見守るしかなかった。クラブが終わって教室に戻ってきた友達の女子児童に,被告Bの方から,原告と被告Aのところへ行くよう言ったが,女子児童は,都合がつかないとして,原告と一緒に帰った。

被告Bは,夕方,母Dに電話してその日の様子を伝えるとともに,「これからも細かく話し合っていった方がよいかどうか・・・却って心配をかけてはいけないので・・・」という意味のことを相談した。その夜,被告Bの自宅に母Dから電話があり,「父親が激怒している。もう甲小には行かせることはできない。学校をやめさせる。」「先生は▲▲を孤立させようとしている。」「『これからも細かく話した方がよいか。』と尋ねたことも許せない。」とのことであった。その電話の後,被告Bは被告Aに電話し,原告の母親とのやりとりを報告し,原告の自宅への家庭訪問を提案したが,被告Aは少し落ち着いてから対応した方がよいと判断し,しばらく様子を見ることにした。

被告Bは,原告に関し「前からこんなに怒ることがあったのか。」と同じクラスの児童に何人か尋ねたことはあったが,原告をクラスの他の児童から孤立させようなどということは一切なかった。

コ 11月25日の件について

原告は,11月25日は登校していない。同月26日の1限目の授業の後,原告が保健室へやってきた。体温を測ると36.6℃であったから,養護教諭は,「もう少し様子を見よう。」と2限目の授業に行かせた。2限目の授業の終了後,原告は,保健室にやってきて,「もう帰る,帰る。」と繰り返すので,養護教諭は3限目の体育の授業は見学にすることにした。3限目の体育の授業が始まったので,被告Bは授業に戻り,養護教諭が「この時間だけ保健室にいて3限目が終わったら帰ろう。」と原告に声をかけ様子を見ていた。このとき,原告の仲のいい女子児童が足の怪我のため見学していたのを見て,原告は外に出て女子児童と2人で話をしながら体育の授業を見学したり,保健室を出たり入ったりしていた。

被告Bは,原告が早退するというので,養護教諭と相談し,原告の家に連絡したところ,母Dが迎えに来るということになっていた。被告Bは,原告には帰る用意をするように伝え,4限目の教科担任に原告が帰宅することを連絡してから,母Dが迎えに来ると言った場所に行ってみると,既に原告は帰った後であった。

原告が同月27日から連絡なく休んでいたので,同月29日の夕方に被告Bが心配して電話を入れたところ,母Dが「今はとても学校へ出せる状態ではない。」「帰りたいと訴えていたのに担任はどうして無視するのか。帰った後,高い熱が出た。もう信用できない。」と被告Bを難詰した。被告Bは,同月26日の原告の様子を言ったが,聞く耳を持たないという感じであった。

サ 以後の事情

12月12日,被告Aと被告Bが原告の自宅に家庭訪問をしたときに,原告の父親から平成14年12月12日付「乙内科」の医師E作成の診断書を示された。被告Aらや津市教育委員会としては,原告の回復のために主治医との連携・協力を再三にわたり申し入れてきたが,原告の父親には拒否され続けた。

以上の事実経過からすれば,被告Aらが,原告を監禁したことや原告をクラスの中で孤立させるようにしたこと,帰ろうとする原告を無理に引き留めて暴行を振るったというような違法行為をしたことがないのは,明らかである。

(2) 争点(2)PTSDに罹患したかについて

【原告の主張】

ア 原告がPTSDに罹患しているかは,アメリカ精神医学会が研究成果をまとめて定義づけたDSM-Ⅳ(精神科診断統計マニュアル第4版)の基準に該当するかで判断すべきである。医学的にPTSDと診断されるためには,同基準を全て満たしていなければならない。

イ DESNOSとは,虐待や長期にわたる家庭内暴力(DV)の被害体験といった慢性的・反復的なトラウマ性体験に起因するトラウマ性症状を1つの疾患単位として概念化したもので,Bessel van derKolk(以下「Kolk」という。)を中心とした,精神医学の領域でトラウマの問題に取り組んできた臨床家や研究者によって提唱されている疾患概念である。

PTSDとDESNOSの違いは,障害を生じる可能性があるとされる体験の質の違いであり,単回性・時間限局性の体験はPTSD症状を,長期にわたる監禁,拷問,家庭における虐待,家庭内暴力(いわゆるDV)等,慢性的・反復的な体験はDESNOS症状を表す可能性がある。また,低年齢の子供が長期に及んでトラウマ性の体験をした場合,PTSD症状にあわせてDESNOS症状も多くみられる。

DESNOSは,現在はまだ公式に採用された疾患ではなく,公式な診断基準も存在しないが,Kolkの診断基準の試案がある。

ウ 原告の症状は,DSM-Ⅳの基準を満たしており,PTSDに罹患した事が明らかであるほか,DESNOSの症状も併せ持っている。

(ア) PTSDについて

原告は,被告Aらの一連の不法行為により,生命や身体への損傷を自ら経験し又はその脅威にさらされ,これにより強い恐怖を感じたことから,診断基準Aを満たす。

原告は,「教師の事が頭から離れず思い出すと急に泣き叫び」,「夢に出てくる先生が怖い沙也佳を先生が真っ暗なところに連れて行くと怯える」,「急に泣き出したり怖がったり」,「あることを思い出すと泣き出す。うなされて」,「学校の事,校長の事を思い出す。10月に1人で小部屋に閉じ込められて担任,校長から詰問された」,「夢。こわい夢をよく見る。人がたくさん出てくる。黒いカゲのような人ばかり」といった症状を表しており,これらの症状は,侵入性症状,なかでも最も深刻なフラッシュバック症状である可能性がある。また,悪夢は,睡眠時の侵入性症状と考えられる。よって,診断基準Bを満たす。

原告は,「学校の問題を避けようとしている」,「全てをリセットしたい」,「早く三重を離れたい」といった,本件事件が起こった場所や関連した話題等事件の想起につながるような刺激に対する回避性症状を表している。原告が,本件後登校困難や不登校になったのも,このような回避性症状の表れである。よって,診断基準Cも満たす。

原告は,「眠れない。目がさめてしまう」,「イライラしている」といった,入眠困難及び途中覚醒等の睡眠障害,慢性的いらいら感や易怒性,些細な刺激への過敏な反応等の症状を示している。よって,診断基準Dを満たす。

本件の発生から1か月以上が経過しており,診断基準Eを満たす。

被告Aらの不法行為により,原告は,不登校や転校,転居等,社会的,学業的な機能の障害を起こしており,診断基準Fを満たす。

以上により,原告は,被告Aらの不法行為により,PTSDに罹患したことは明らかである。

(イ) DESNOSについて

原告は,「時に暴れ出す。『死なせて』」,「暴れる」,「時に興奮等出現とのこと」の各症状を表しているが,これは,本人が怒りや攻撃性を制御できなくなっていることをしめしており,また,自己破壊活動に当たる可能性が否定できず,クラスタAに該当する。記憶の欠落という解離性健忘様の症状を伴った可能性もあり,クラスタBにも該当する。

原告は,「幻覚出る。あとで記憶なし」,「黒ずくめの男がいろんな所に立っている」,「目まいする。立っていて,暗くなって,フワーとなった。意識は完全には消失していない。」の各症状を表しているが,これは,解離性の幻視様症状として解離性障害の症状や意識喪失発作又はそれに近い状態であるとして,解離性症状であると考えられる。よって,これらの症状は,クラスタBに該当する。

原告は,「不定愁訴が多い」との症状を表しており,クラスタCに該当する。また,原告は,診療録全体を通して,その他の身体症状も認められる。

以上のとおり,原告は,被告Aらの不法行為により,DESNOSの症状をも示している。

【被告Aらの主張】

原告は,被告Aらが話合いと称して監禁したり,クラスメートから孤立させようとしたり,抱きかかえたり,手首をねじ上げるなどの暴力的行為などが原因で,PTSDに罹患したと主張するが,そもそも,原告が主張するような事実は存在しないのであるから,初めからDSM-Ⅳの診断基準Aの要素を欠いている。

よって,原告は,トラウマとなりうる体験をしたことがないことになるから,その余の基準を検討するまでもなく,PTSDには罹患していない。

(3) 争点(3)被告Aらの個人の責任について

【原告の主張】

国家賠償法上,公務員個人の責任が問われないのは,公務が私的業務とは別途特殊性を有し,公務員個人の公務を萎縮させることを回避するためであるから,そもそも公務として保護を必要としない明白な違法行為であり,かつ,行為時に行為者自身がその違法性を認識している場合又は重大な過失によって認識しなかった場合は,かかる公務員個人に対する保護の理由は見あたらず,個人に対する賠償責任も認められるべきである。判例(最三判昭和30年4月19日民集9巻5号534頁)も,一切,公務員個人に対する請求を否定するものではない。

被告Aらの行為は,被告Cの行った不適切な音楽の授業の事実をうやむやにして責任の所在を不明瞭にするために,原告の行動を封じ込めることを意図して行われたもので,明白な違法行為であり,かつ故意行為であるから,被告Aらは,個人としても損害賠償責任を負う。

【被告Aらの主張】

国家賠償法第1条の請求とは別に,直接公務員個人に損害賠償を請求することはできない。

第3争点に対する判断

1  認定事実

上記前提事実に加えて,証拠(括弧内に記載したもののほか,甲17,18の2,25ないし39,乙16,22,26,原告法定代理人親権者母D,被告A本人,被告B本人,被告C本人,証人G)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。本件においては,原告の病状から原告本人尋問をすることについて原告代理人が反対であったことから,原告本人尋問は実施しなかったし,原告本人の陳述書は提出されていない。甲18号証の2や甲25ないし28と30ないし38号証は,これらに代わるものということはできるが,いずれも伝聞であるうえに,原告の発言をそのまま書き取ったものともいえない。また,甲25ないし28と30ないし38号証は,その都度記載された部分もあるが,後日書き加えられた部分,原告の説明を聞いて母Dがその理解のもとに訂正を加えた部分もあることが認められる(甲17,原告法定代理人親権者母D)。したがって,これらの記載内容は,正確さを欠き,証明力が高いとはいえないが,証拠価値がないとはいえない。

(1)  原告は,平成10年4月に本件小学校に入学し,通学していたが,風邪を引きやすく,熱を出しやすい体質でもあったことから,遅刻や欠席が多かった。

原告は,間違いはちゃんと指摘し,嫌なことは嫌といい,納得がいかないことはせず,物事を納得できるまで追及するという思いが強い性格であり,興奮しやすく,興奮の度合いが大きくなると,大声を出したり,暴れたりすることもあった(甲6,甲12)。ただ,本件授業が行われる前までは,原告は,学級会を開くよう要求するとか,勝手に早退しようとすることはなかった。

原告が小学3年生であった平成12年ころ,原告の自宅で落雷による火災が起き,ペットの犬や猫が焼死するという事件があったが,母Dは,原告にペットが死んだということを伝えなかった。原告にとっては,この火災は悲しい出来事であり,中学生になっても変わらなかった(甲6)。

小学4年生のころ,原告は,お楽しみ会で嫌な出し物しか残っていなかった際,当時のクラス担任の言動をめぐってトラブルになったことがあった。しかし,このトラブルは,当時のクラス担任が配慮が足らなかったと謝罪したので,無事に解決し,原告も特に影響なく,通学を続けた。

原告は,平成14年4月,小学5年生に進級してクラスは5年1組となり,担任は被告B,音楽担当の教師は被告Cであった。被告Bは,本件クラスを担当するに当たり,原告の4年生の時の上記トラブルの話を聞いてはいたが,特に気にかけていなかった。母Dも,本件授業の前までは,被告Bに対して,原告の心身の健康について,特別な配慮を求めたことはなかった。

原告は,同年6月11日,乙内科のE医師からIgA腎症と診断され,治療を受けたことはあったが(乙36),これが原因で長期間本件小学校に登校できなくなったことはなかった。

(2)  同年9月13日,被告Cは,夏休みに受けたリコーダーの研修を応用して,音量を上げて体全体で音楽を体感しようという試みから「雲のきょうりゅう」という曲のCDを大音量で続けて3回,聴かせるという本件授業を行った。本件クラスは,音楽の授業中は常に騒がしく,被告Cが注意しても聞かないことが多かった。被告Cは,本件授業の意図について,十分な説明をせずに,騒がしい状態のままで音楽をかけた。原告は,あまりの大音量に,途中で「頭が痛い」と言って,音楽室を出て,ほかの1名の女子児童とともに保健室に行った。本件クラスの他の児童らも,本件授業に違和感を感じ,被告Cに止めてほしいと訴えたり,耳をふさいだりしたが,被告Cは,中断したり音量を変えたりせず,3回くり返して大音量で流した。原告は,授業の終わる10分くらい前に教室に戻り,午後0時20分に授業は終了した。本件授業終了直後,別の女子児童も気分が悪くなって,保健室に行った。大半の児童らは,音楽の授業中に自分たちが騒がしくしていたことに対し,被告Cが立腹して,黙らせるためにわざと音を大きくしたのではないかと思った。児童らは,本件授業終了後,給食の時間に被告Bに対して,本件授業の音量がうるさかったと申し立てた。被告Bは,本件クラスの児童らに対し,被告Cに音を大きくした理由を聞くと約束した。被告Cは,被告Bに対して,本件授業を夏休みに受けた研修からヒントを得た授業であると説明した。被告Cは,別の学年の授業においても,同様にCDを大音量で聴かせるという授業を行ったが,その際は,保健室に行く児童はおらず,苦情も出なかった。原告は,当日,帰宅してすぐに,気分が悪くなって寝込んだ。

被告Aは,同月14日,本件授業についての報告を受けた。児童から本件授業のことを聞いた保護者から本件授業に対する苦情が寄せられたことから,同月15日,被告Aらは,原告を含めて本件授業により保健室に行った児童に電話をかけ,自宅を訪問して謝罪をした。このとき,被告Aは,被告Cに対し,保健室に行くなどして体調を崩した児童がいるという事実が起きてしまったのであるから,本件授業の意図について言い訳したりせず,とにかく謝罪するよう伝えた。被告Aらは,原告宅も訪れ,本件授業の状況等について説明し,被告Cは謝罪をしたが,そのときには,被告Aの指示どおり,本件授業の意図は説明しなかった。

同月17日の1限目,被告Cは,本件クラスで本件授業について謝罪した。本件クラスの児童の大半は,被告Cの謝罪に納得して,その後本件授業を問題視することはなかったが,一部の児童からの納得できないという声も残った。同日夕刻,本件小学校において,本件授業についての臨時保護者会が開かれた。その席でも,被告Cは,本件授業の謝罪に終始して,本件授業の意図について楽しくしようと思ったと述べるのみで,具体的な説明をしなかった。保護者からは,「子供たちは納得したのか。」「深刻に受け止めてほしい。」「子供たちの様子を見ていたのか。」「スピーカーの位置でも音は変わる。」「教師が謝ったことで,今後萎縮しないでほしい。」「あまりしゃべらない先生だと聞く,コミュニケーションを大切に。」等の意見が出されたが,母Dは特段発言しなかった。

(3)  原告は,自分が納得できるまで,物事を追及し続けるという性格であったため,本件授業についての被告Cの説明には,納得できなかった。同年9月20日,原告は,友人のFとともに,被告Bに対して,被告Cと本件授業のことについて,話をしたいと申し出た。そこで,2限目と3限目の間の午前10時25分からの20分の休み時間(乙1)を利用して,原告とFは,相談室において,被告Cと話し合うことにした。相談室は,指導室とも呼ばれ,1階の職員室の横にある教材等を保管している部屋の奥にあり(乙1,32の1ないし3),児童の相談や指導のために使われていたことから,プライバシーを考慮し,ドアから中が見えないよう衝立が立てられ,外からは見えないよう窓にはカーテンが引かれていた。そのため,相談室の内部は,通常の教室に比べて薄暗かった。相談室の奥には,3人がけのソファーが1つとテーブル,さらに2脚の1人用ソファーが向かい合うように置かれていた(乙32の2)。

相談室では,Fが主に被告Cに対して話をし,原告は,余り発言をしなかった。被告Cが本件授業の意図について説明したところ,Fは,騒がしくしていて,被告Cの説明が聞こえていなかったので,自分たちも悪かったと言って納得したが,原告は,納得できなかった。しかし,原告は,同日の4限目の音楽の授業には出席し,鑑賞ノートを提出した。

(4)  同年9月24日,原告は,あらかじめ作成した手紙(乙20)を用意して,同月20日の話合いでは,なぜ被告Cが大音量に対していやがっている児童に気づかなかったのか納得できなかったとして,被告Cと話がしたいと申し出た。また,原告は,この手紙を被告Aにも渡した。被告Cは,午後の授業を別の教師に任せて,午後1時ころから,被告Bの立会いの下,4年2組と5年1組の教室の間にある(乙1)ゆとり教室2において,原告と話合いをした。被告Bも,午後の5,6限の運動会の合同練習を他の教師に任せて,話合いの立会いをした。ゆとり教室は,空き教室であり,室内の明るさや机や椅子などが並べられている状態は,通常の教室と同じであった。原告は,手紙(乙20)に基づいて被告Cに質問をし,被告Cは,それに答える形で話合いが進んだ。被告Cは,気づかなかった点についても謝罪したが,原告は気づかなかったということ自体に納得できず,被告Cは嘘をついていると思った。原告の発言の意味もわかりにくく,被告Cは,何とか理解して返答しても,原告は納得しないので,次第に無言になった。他方,原告は,本件授業について,いくら自分の疑問をぶつけても被告Cが納得のいく回答をしないため,被告Cが無言になってきたことから,よけいに興奮し,声が大きくなったり,泣きしゃべりの状態になったり,立ち上がって教室内を歩き回ったりするようになった。被告Bは,話合いの初めのころは,原告の発言についてメモを取りながら(乙23),被告Cと原告の話合いに口を挟まず様子を見ていたが,原告が興奮しだしたので,原告を落ち着かせようと,顔を近づけて声をかけたり,肩をたたいて深呼吸をするよう促したりした。しかし,原告は,一度は落ち着いても,被告Cの回答に納得がいかないとすぐに興奮するということを繰り返した。

被告Bは,本件クラスの他の児童に先に帰りの会をさせて帰宅させ,原告を相談室に移動させて,被告Aも加わり,話合いを続けた。被告Aらの回答や注意に対し,原告は,興奮して,相談室から出ようとして,被告Bが肩を押さえるなどして,制止させるということがあった。原告は,興奮し相談室から退出できない心理状態となり,トイレに行くこともできなかった。結果的に,話合いは,午後4時30分ころまで続けられた。原告は,興奮した状態で帰宅した。被告Bは,母Dに電話をし,原告が帰宅することを伝えた。

同月25日,被告Aは,午前9時30分から津市立●●小学校で行われた市校長会の人事財務部会に出張して出席する予定であったが(乙2,3),原告の興奮状態から,事態を重く見て,本件授業に関する原告のこだわりを解くことが先であると考え,出張の予定を遅らせることにした。そして,同日の1,2限目は,運動会の全体練習であったことから,これが終わった後の20分休みを利用して,被告Aは,原告と話をすることにし,被告Bに原告を呼ぶよう伝えた。原告は,被告Bに求められて,1限目及び2限目の運動会の練習が終わった20分休みの時間に被告B及び被告Aと相談室で話合いをした。相談室では,原告が奥のソファーに座り,正面に被告Bと被告Aが座る形であったが,途中から被告Bが原告のすぐ隣に座った。この時も,原告は,被告Aや被告Bに対し,本件授業について被告Cから納得できる話がないこと,被告Aらが被告Cの嘘をかばっているとして,激しく非難した。原告は,本件授業や被告Cの話になると興奮して話をし始め,ソファーの前の机を蹴ったりするので,被告Bは,原告の隣に座って,声をかけてなだめたり,肩をたたいて落ち着かせようとした。被告Aは,原告に対し,本件授業のことをこれ以上親に言ったり,本件クラスで話題にしたりしないよう説得しようとした。原告は,この日も自分の意見を聞き入れてもらえず,興奮し,被告Bや被告Aに囲まれて,相談室から退出できない心理状態となった。被告Aは,いくら原告に話しても埒があかず,予定されていた人事財務部会に出席するために,後を被告Bに任せて,途中で退席した。被告Bは,なおも泣きじゃくる原告をしばらく相談室の中でなだめるなどしたのち,原告と室外に出た。被告Cは,前日の話合いの影響で体調を崩し,午後から年休をとっていた(乙6)。原告は,当日も,泣きながら帰宅した。

原告は,同月28日に行われた運動会には参加した。

(5)  同年10月11日,原告は,母Dから音楽の授業に出たくなければ出なくてよいといわれていたので,4限目の音楽の授業には出席せず,教室で自習していた。被告Cは,同日は2限目から4限目まで授業をしていたため,原告と話はせず,被告Bから音楽の授業には出席しないということだけを聞いていた。被告Bは,原告が音楽の授業に出席しないことは教育上問題があると判断し,原告に音楽の授業に出席するよう指導したが,原告は応じなかった。被告Bは,被告Aから説得してもらった方がよいと思い,原告を昼休みに被告Aのいる校長室に連れていった。被告Aは,音楽の授業に出るよう原告を説得した。原告は,被告Bや被告Aから,音楽の授業に出るよう強く要求されたため,不満を感じた。

同月24日,被告Bは,原告宅を家庭訪問し,本件授業のことについて,道徳の時間を設けて話し合うことを伝えた。被告Bは,翌25日の6限目に道徳の時間を設けることにした。

同月25日,道徳の時間が設けられ,本件授業について,本件クラス全体で話し合った。被告Bは,本件クラスの児童らに失敗談などを話させて,人間は失敗することもあるなどといって,本件授業や被告Cのことを許すよう諭し,原告のようにいつまでも本件授業のことにこだわっていてはいけないという趣旨の話をした。原告は,本件授業や被告Cのことについて,他の児童も原告と同様に不満を持っているのに,自分だけが非難されているように聞こえ,被告Bに対し,不信感を抱いた。

同月28日,原告は,4限目の授業中,自席の後ろの男子児童が私語をしていたので注意したが,注意した声の方が大きかったため,被告Bは,大声を出した原告のみを咎め,私語をしていた男子児童は注意しなかった。原告は,被告Bが私語を注意するよう指導しているのに,原告だけを注意した被告Bの対応に不満を抱き,早退して帰宅しようとした。被告Bは,これを止めさせようとして,男子児童を謝らせたり,原告の腕を掴んだり,原告の胴を羽交い締めにするようにして押さえ込んだ。しかし,原告は,被告Bの制止を振り切り,帰宅した。帰宅後,原告は,ランドセルを取りに一旦本件小学校に戻ったが,授業には出ないで帰宅した。

同月31日,被告Aは,原告及びFほか2人の原告の友人と,被告Cの音楽の授業の内容について話をした。原告らは,被告Cを変えてほしいとか音楽の授業を楽しくしてほしいといった要望を出したが,原告は,余り発言をせず,友人の発言に相づちを打っていただけであった。被告Aは,原告の友人の話を聞き,被告Cに伝えておくと述べた。そして,被告Aは,Fのことを話が筋道立っていてわかりやすいとほめた上で,原告に対しては,「周りの人に頼り過ぎず,自分の考えで行動できるように。」等と注意をした。

(6)  原告は,同年11月ころから,寝ているとうなされたり,おねしょをしたり,両手の爪を噛むようになった。原告の爪は,深爪のようになり,手の指の皮はむけて,赤く爛れて血が出たことから,指を包帯で巻いていた。そのため,原告は,給食では,箸が使えず,特別にスプーンとフォークを使っていた。11月に入って以降の図工の授業では,原告は,指を包帯で巻いていた上に,紙粘土が指先に固まって痛いことから,紙粘土を使った作業が,痛くてうまくできないことがあった。しかし,被告Bは,原告に授業を見学させるとか作業をしなくてよいとはいわず,原告は痛みに耐えて作業をした。

同月1日,原告は,被告Bとともに,校長室に訪れ,被告Aと被告Cとの学級会のやり方について話をした。そこでは,被告Bを同席させずに,被告Cと本件クラスの児童とだけで話し合うということを確認した。被告Aは,原告に対し,原告はすぐに興奮するので,冷静にみんなで話をするよう注意した。

同月6日,原告の要望により,被告Cと本件クラスとの児童との間で,本件授業に関しての学級会が開かれる予定であった。しかし,当日,原告が遅刻をしたため(乙8),学級会の開催を申し出た原告がいないのでは意味がないとして,学級会は延期となった。原告は,被告Cに不満を持っているのは自分だけではないのに,原告が遅刻したという理由のみで学級会を延期したことに激怒した。同月8日,被告Bは,被告Cとの学級会の準備として,被告Cに対する願いや意見などを紙に書くよう指導をした。原告は,被告Bが意見を書かせた紙を預かることに不信感を抱き,被告Bを批判して,帰宅しようとした。そして,これを止めようとした他の児童との間で,原告はトラブルとなり,本件クラス内は一時騒然となった。

同月11日,被告Aは,原告の両親を呼び出し,被告Bとともに,原告が本件授業について,被告Bの対応に納得していないという話をして,本件授業や被告Cとの問題を解決するために,原告の両親の協力を求めた。そして,同月15日に被告Cと原告及びその両親との間で,話合いを行うことになった。その席で被告Aは,母Dに対し,あまり原告に関わりすぎないようにという趣旨の発言をした。

同月13日の音楽の授業時間に,被告Bを立ち会わせず,被告Cに意見を述べる学級会が開かれた。6名ほどの児童が,被告Cに対し,音楽の授業のやり方についての意見を述べた。原告は,被告Cへの意見を述べていたが,時間が来たため,学級委員に発言を途中で遮られたことから,不満を持った。同日の20分休みの時間に,原告は,友人たちをつれて,校長室を訪れ,被告Aに対し,発言を途中で遮られたことに対して不満を述べ,やはり被告Bがいた方がよかったと不満を述べた。被告Aは,同月1日の話と違うことを言う原告に対し,勝手なことを言うなと注意した。

同月15日,音楽の授業があったが,原告は,友人に連れられ,音楽室に一度は入ったが,席に着こうとしなかった。チャイムが鳴ったので,被告Cが原告を席に着かせるために手を引いていた友人に対して,「(手を)離しなさい。」と注意すると,原告は,帰ろうとして音楽室を出た。被告Bが様子を見に来ており,原告と帰る帰らないで,言い争いのような状態となった。被告Bは,原告を帰らせまいと両手で原告の両肩を押し止めた。被告Cは,音楽室の外が騒がしいので,様子を見に来て,原告を叱責した。音楽の授業が終わるころ,原告は,友人に会おうと音楽室に戻ったが,たまたま友人が音楽室を出ようしたところであって,被告Cにまだ授業中であると叱責された。同日の夕刻,原告は,両親と友人らを連れて,被告Cと話し合った。原告らと友人らは,本件授業や音楽の授業全般についての苦情や意見を述べた。これに対して,被告Cはその日の音楽の授業の様子を話した以外はあまり話をしなかった。そして,原告の両親は,本件授業のことは,これで終わりにすると宣言し,その日の話し合いは終わった。原告は,同月22日の音楽の授業には出席した。

同月20日,原告は,ドッジボール大会の審判の判断に納得いかず,被告Aに抗議をしようとしたが止められたため,その後の授業中に大声で被告Aに対する不満を述べていた。被告Bは,原告の要望を受けて,同日の放課後,学級会を開くことにした。原告は,学級委員や被告Aに対する不満を述べ,被告Aに文句を言いにいこうと他の児童に呼びかけた。被告Bは,原告が友人を引き連れて被告Aに苦情を言えば,ますます事態が悪化すると考えて,原告について行ってはいけないと言って,児童を止めた。原告は,この被告Bの言動により,自分が孤立させられたと思い,さらに立腹し,被告Bは,これをなだめた。

同月21日,前日の学級会が話にならなかったので,再度の学級会が開かれたが,この日も原告が興奮して,大声で学級委員や被告Bを批判するという事態になった。被告Bは,発言の真意を伝えた上で,原告を落ち着かせようとしたが,他の男子児童が早く終わってほしい旨つぶやいたことから,原告がさらに興奮する結果になった。被告Bは,同日夕方ころ,母Dに電話をし,学級会の内容について報告をした。母Dは,被告Aらの対応に不信感を抱き,原告をこれ以上本件小学校に通わせるわけにはいかないと被告Bに電話をした。

(7)  同月26日,原告は,体調不良を訴え,3限目を終了した後に母Dが迎えに来て早退した(乙8)。同日以降,原告は,後記の平成15年12月16日を除いて,本件小学校に卒業するまで登校しなかった。被告Bは,原告が登校してこないので,心配になって,母Dに電話をして,原告の容態についてきいてみたが,母Dからは「登校できる状態ではない。」と言われ,具体的な容態については聞き出せなかった。

被告A及び被告Bは,同年12月12日,原告を登校させようと原告宅に家庭訪問をしたが,原告の両親から原告が不安神経症であるとの診断書(甲1)を見せられ,原告に会うことも拒絶された。原告の両親は,本件小学校に責任を問う意向を示した。同月25日,原告の両親,被告A,被告B及び被告Cは,被告市の教育委員会の担当者を交えて,原告の問題について協議が行われたが,物別れに終わった。原告は,同月30日,津警察署に対し,被告Aらの行為によりPTSDに罹患させられたとして告訴し,平成15年1月6日に告訴状を再提出をした(甲22)。

被告Bは,平成15年1月7日,被告Aとともに,原告の父に対して,謝罪をした。被告Bは,同月15日,抑うつ神経症と診断され(乙24),同月16日,本件小学校を休職し(乙25),同年4月から津市立○○小学校に転勤した。被告Cは,同年4月から,産休を取った。被告Aは,翌平成16年3月31日をもって,本件小学校を定年退職した。

原告は,平成15年2月10日,同年3月4日,同月5日及び同月11日,本件授業や被告Aらの行為について,津警察署の警察官から事情聴取を受け,調書が作成された(甲18の1・2)。

原告は,同年4月1日,6年生に進級した。原告は,同年12月16日,6年生として初めて本件小学校に登校し,30分ほど教室で過ごした以外は,修学旅行にも参加せず,本件小学校に登校しなかった。

被告Aと原告の両親は,原告が卒業式に参加できるよう,話合いを重ねた。原告の両親からは被告Aが卒業式に出ると原告がパニックを起こすので,出ないようにとの要請があったが,被告Aは,卒業式に校長が出席することは責務であると回答した。原告は,平成16年3月19日の本件小学校の卒業式にも出席しなかった。

(8)  原告は,平成14年11月26日以降,体調はさらに悪化し,発熱,食欲不振,嘔吐,血尿が出るなどの症状があり,体重も減った。また,夜寝ている時にうなされるようになり,「先生が出てくる」「追いかけてくる」と悲鳴のような声を上げるようになった。

母Dは,同年12月2日,原告を乙内科に連れていき診察を受けさせた結果,同月12日,傷病名は不安神経症で「心的外傷による心因反応」と診断された(甲1)。同月24日,丙医院に連れていき,小児科一般や循環器系の専門医であるG医師の診察を受けさせた。G医師は,原告の母親に問診した上で,原告がPTSDに罹患していると診断し,G医師の父親であるH医師が診断書を作成した(甲2)。G医師は,原告のPTSDの診断に当たり,IES-R検査やTSCCといったPTSDの診断のためのテストは行わなかった。

原告は,平成15年1月7日,パニック状態となって,丙医院で暴れ出し,鎮静剤を打たれた。原告は,同月9日から14日まで,丁病院に入院した。入院中,原告は,尿が出ない状態が続いたほか,血便や血尿があり,立つこともできず車いすに乗せられていた。原告は,退院後の同年2月13日,乙内科において,パニック状態となった。原告の症状は,同年2月から3月ころにかけて,落ち着きを見せていたが,しばしば嘔吐,発熱,血尿,腹痛,下痢,腎炎,腸炎またはIgA腎症などにより体調を崩した。また,原告は,本件授業のことを思い出してパニック状態になったり,被告Aや被告Bに似た男性をみると,極端におびえ,暗い場所を恐れるといった症状も見せるようになった。

原告は,同年4月25日,登校拒否症(心身症)や慢性腎炎の疑いにより,G医師の紹介で戊大学附属病院において,I医師や同年5月30日から小児の心身症を専門としているJ医師の診察も受けることになった。原告は,平成16年1月17日,慢性腎炎により戊大学附属病院に入院し,IgA腎症と診断され,同年3月31日,症状が軽快したので退院した。平成18年3月ころにも,慢性腎炎の急性憎悪のため入院した。原告は,その後,地元の中学校に入学して,登校を開始し,中学2年時に大阪の中学校に転校した。その後,原告は,時折,精神的に不安定になることもあるものの,現在,高校に進学し,症状は落ち着きを見せている(甲11,12,15,39)。

2  平成14年9月24日,同月25日の事実の認定に関する補足説明

被告Aらは,同月24日の話合いにおいて,相談室を使った事実はないと主張する。しかし,ゆとり教室2は,5年1組と4年2組の教室の間に存在するのであり,原告が興奮して大きな声を出したりすれば,運動会の合同練習をしている5年生の教室は人がいないとしても,4年2組の方からは何事だろうかと確認に来ると行ったことがあるのが自然であるのに,そのような事実はうかがえない。被告B及び被告Cの各供述及び陳述書(乙16,22)のその部分は,不自然で採用できず,証拠(甲18の2,29)によれば,同日は,途中で相談室に移動した事実を認めることができる。

被告Aらは,同日の話合いでは,被告Aが同席していないと主張しており,被告Aら3名の各供述及び陳述書(乙16,22,26)はこれに沿うものである。しかし,原告が2人の先生と校長に相談室で囲まれたとの事実は,原告が一貫して述べているものと認められ(甲25,29,39),当日,原告が手紙(乙20)を被告Aにまで渡していたこと,母Dが被告Bから「(原告が)校長先生やC先生と話をして興奮されまして。今から帰ってもらいますから。」との電話を受けていること(甲17)からすると,同日は,被告Aも相談室に同席したと認めることができ,これに反する各被告の供述や陳述書の部分は採用できない。

原告は,同月25日の話合いは午後に行われたと主張する。しかし,当日の午後は被告Aらが出席すべき人事財務部会や校内研修が行われており(乙2ないし5),被告Aや被告Bは,これらに出席したと認められるから,話合いが午後に行われたと認めることは困難である。母Dには,原告が2日続けて泣いて帰宅したとの記憶がある(甲17)ことは認められるが,それだけでは原告主張の事実は認められない。同日の事実については,後日,原告から徐々に聞き出したことをもとに主張しているもの(甲17)であり,その内容は同月24日の事実と混同している可能性がある。

3  争点(1)被告Aらの不法行為について

(1)  被告Cは,本件訴訟では,陳述書(乙16)や供述においては,本件授業の意図,すなわち,CDを大音量でかけた児童に聞かせることの目的や根拠について,音楽を体全体で感じ取り体の動きを伴って表現することの重要性を考えてしたことである旨を述べ,またその根拠として,学習指導要領にもその点の重要性は指摘されているし,平成14年の夏休みの音楽研修(夏期リコーダー指導法セミナー)において,音量を上げて体全体で音楽を体感する場面があった等と説明している。したがって,音量の程度はともかく,本件授業でCDを大音量でかけたこと自体は,ただちに不相当とはいえない。

しかし,前記認定事実のとおり,被告Cの音楽の本件クラスでの授業は以前から騒がしく,楽しい授業はできていなかったのであるから,当日も騒がしく,教師の十分な説明が聞こえない状態のままで,CDを大音量でかけることが適切であったとは認められない。また,被告Cは,本件授業で保健室に行く児童が出た結果については,口頭で謝罪はしたものの,本件授業の最中に,音量の大きさの余りに,被告Cに対して,やめてほしいといったり,耳をふさいだ児童がいたにもかかわらず,これを無視して,3回も繰り返し,児童のいやがっている様子には気がつかなかったとの説明してきたことが認められる。さらに,被告Cは「楽しくしようとした。」との説明すらしている。

被告Cの目の前にいる本件授業中の児童の多くが,音量の大きさに驚き,耳をふさぎ,保健室に行く者まで出たのに,いやがっているとは気づかなかった旨の弁明や,これが楽しくしようするための行為であるとの弁明は,相手が小学5年生の児童であるとしても,これをにわかに信じることができないのは無理からぬことと言わざるを得ない。また,原告のような言動を取らなくても,本件授業については,疑問を持っている児童もほかにいたことは明らかである。

しかるに,被告Aらの対応は,その点については,曖昧なまま,被告Cが謝ることで,一旦は保護者会を開くことまでになった事態を納めようとしたものと言わざるとを得ない。

(2)  上記認定事実から,原告の当初の態度は,自分の疑問を素直に表しているものであったのに,被告Aらのその事態を納めようとした方針にそぐわないものであったことから,被告Aらは,原告がこれ以上騒ぎ立てることのないようにしようとし,原告の言動を,あたかも,誤ったものあるいは不穏なものであるというように注意・説得することとなったと認めることができる。

被告Aらは,結果的には,原告がいつまでも納得しないことから,本件授業をめぐる原告との話合いにおいて,狭い相談室の中で長時間に渡り原告を留め置き,原告が興奮し泣きわめいたりしているにもかかわらず,話合いを中断せず相談室の外に出さず,原告を始終興奮させることになり,原告を音楽の授業への出席させようとして言い争いのようになったこと,原告が早退しようとするところを止めようとして,原告の体を押さえるなどしたことどが認められる。さらに,平成14年11月に度々開かれた学級会において,本件クラスの児童に対して,原告について行ってはいけないと言ったり,原告の発言を遮るような行動を是認するなど,本件クラスの大多数の意見を代弁しているつもりであった原告を孤立させる結果となったことが認められる。

確かに,原告の言動は,自分が納得できる回答が得られるまでは際限なく追及をやめないという未熟なものであり,気にいらなければ,泣いたり暴れたり,授業に出なかったり,無断で早退しようとするものであって,集団の学校生活の中では,対応の容易でない面もあったことは窺える。しかし,友人の女子児童と被告Cや被告Aに会いに行った時は,原告からは,余り発言をしていなかったことも認められ,原告の,原告一人だけが音楽の授業に疑問を持っているわけではないとの思いは誤っていたとはいえず,原告の言動だけを問題し,ついには,原告をクラスの児童らから孤立させるような発言をしたことは,不適切であったいえる。

被告Aらが,原告に本件授業のことを両親に告げないよう説得したことも,原告の不信感を増大させるものであった。

原告は,4年生のときにも,担任とトラブルになったという事実があったのであるから,被告Aらとしても,原告との対応は,十分に配慮すべきであった。

(3)  以上の事情を総合すると,被告Aらの行為は一連のものであって,お互いに意を通じているものであり,教師の児童に対する指導という域を超えて,不適切な行為であり,被告Aらには,小学校の教師としての職務執行上の過失が認められるから,被告市は,原告に生じた損害について,国家賠償法上の損害賠償責任を負う。

(4)  前記認定事実によれば,原告は,教師に対する不信感等が強いストレス,精神的苦痛となって,精神的に不安定になり,身体的な症状にも悪影響を与えたことが認められる。他に原告においてこのような症状が生じる原因を認めることはできない。原告は,平成14年11月26日を最後に,本件小学校に登校できなくなり,6年生になってもわずか1日,それも数時間しかいられなかったことが認められる。そして,原告は,小学校の修学旅行や卒業式など小学校生活の中でも最も大きな行事にも参加できず,小学校時代の楽しい思い出を作ることができなくなった。一方,原告は,本件授業の問題に端を発して,自ら被告Aらを追及し,自ら,自分自身を追いつめていった面も否定できないし,もともと腎臓が弱く,腎炎に罹患していたから,本件授業後の一連の身体症状には,腎炎が影響している可能性があることは,その損害を考える上で考慮すべき事情であるとはいえる。

本件授業までは,外に現れた大きな心身の不安定はなかったから,本件授業をめぐる問題について,多大なストレスを抱えたことが腎炎も悪化させた一因となっていると考えるべきであり,偶然この時期に従来からのIgA腎症が悪化し,精神的に不安定な状態になったとはいえない。

また,原告は,中学入学後も心身とも不調があったことが認められるが,一応登校することができており,本件の被告Aらの一連の行為と相当因果関係があるとまではいえない。

4  争点(2)PTSDに罹患したかについて

(1)  原告は,被告Aらの行為によりPTSD及びDESNOSに罹患したと主張し,G医師もこれに沿う証言をする。

原告がPTSDに罹患したかの診断基準は,アメリカの精神医学会におけるDSM-Ⅳに定められた基準によるのが一般的であり,その診断基準は,以下のとおりであると認められる(甲15)。

ア 以下の2つが共に認められる外傷的な出来事に暴露されたことがあること(診断基準A)。

(ア) 実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を,1度または数度,または自分または他人の身体の保全に迫る危険を,その人が体験し,目撃し,または直面したこと。

(イ) その人の反応は強い恐怖,無力感または戦慄に関するものであること。

イ 以下の5つの「侵入性症状群」(外傷的な出来事が再体験され続けること。)のうち少なくとも1つの症状に該当すること(診断基準B)。

(ア) 出来事の反復的で侵入的で苦痛な想起で,それは心像,思考,または知覚を含む。

(イ) 出来事についての反復的で苦痛な夢。

(ウ) 外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり,感じたりする(その体験を再体験する感覚,錯覚,幻覚,および解離性フラッシュバックのエピソードを含む,また,覚醒時または中毒時に起こるものを含む。)。

(エ) 外傷的出来事の1つの側面を象徴し,または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合に生じる,強い心理的苦痛。

(オ) 外傷的出来事の1つの側面を象徴し,または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合の生理学的反応。

ウ 7つの「回避・麻痺性症状群」(外傷以前には存在しなかった外傷と関連した刺激の持続的回避と全般的反応性の麻痺のこと。)のうち少なくとも3つの症状に該当すること(診断基準C)。

(ア) 外傷と関連した思考,感情,または会話を回避しようとする努力。

(イ) 外傷を想起させる活動,場所または人物を避けようとする努力。

(ウ) 外傷の重要な側面の想起不能。

(エ) 重要な活動への関心または参加の著しい減退。

(オ) 他の人から孤立している,または疎遠になっているという感覚。

(カ) 感情の範囲の縮小。

(キ) 未来が短縮した感覚。

エ 5つの「過覚醒症状群」(外傷以前には存在していなかった持続的な覚醒亢進症状のこと。)のうち少なくとも2つの症状に該当すること(診断基準D)

(ア) 入眠,または睡眠維持の困難。

(イ) 易刺激性または怒りの爆発。

(ウ) 集中困難。

(エ) 過度の警戒心。

(オ) 過剰な驚愕反応。

オ 障害(基準B,C及びDの症状)の持続期間が1か月以上であること(診断基準E)。

カ 障害は,臨床上著しい苦痛または社会的,職業的または他の重篤な領域における機能の障害を引き起こしていること(診断基準F)。

原告がPTSDに罹患しているか判断するためには,まず,そのきっかけとなる診断基準Aに該当する体験をしていなければならない。しかし,上記認定事実によれば,原告は,被告Aらによって相談室から長時間退出できないような状態に置かれたことは認められるが,身体に直接的な危害を加えられたというようなことは認められない。原告は,本件授業に対する自分の正当と思う意見が被告Aらに受け容れられず,逆に本件授業のことを話題にしないよう強く注意されたことで,強い反発を感じたことは否定できないが,その基礎となる事実において,少なくとも直接的な身体への加害行為はない以上,「生命や身体への損傷を自ら経験し若しくはその脅威にさらされた」ということはできない。したがって,DSM-Ⅳの診断基準Aを満たさないことから,原告がPTSDに罹患したとは認められない。K助教授作成の意見書(甲6)の中において,被告Aらの行為が診断基準Aに該当するかは,議論の余地があるとし(甲6),本件授業に関わる出来事と原告が小学3年生時に体験した自宅の火災との関連性も無視できないとされていることから(甲6),原告がPTSDにかかったという原因が本件に全て起因すると断定しているものではないといえる。よって,原告がPTSDに罹患していないと判断することも,K助教授の意見書と矛盾するものではない。

確かに,原告は,平成14年11月26日以降,本件授業や被告Aらのことを思い出してパニックになったり(診断基準B),被告Aらに似た人物と会うことを避けたり,暗い場所を恐れるようになったり,本件授業のことを思い出さないようにしたり(診断基準C),寝付きが悪くなったり,急に興奮するようになったりするなど(診断基準D),PTSDに罹患したかのような症状を見せていることが認められるが,これらの症状の原因を即座にPTSDと関連づけることは,適切ではない。原告は,精神分裂病(乙9),てんかん(乙10),心身症としての不登校ないし登校拒否症(乙11の1・5・16),不安神経症(乙14)といった診断も受けたことが認められ,原告の精神的な症状について確定的な病名がつけられているとはいえない。

G医師は,小児科,中でも循環器系の専門医であって,精神科の専門医ではない上に,原告に直接問診せず,PTSDの診断に必要なテストを行わず,母Dに対する問診のみでPTSDであると診断を下したところから,その診断結果を全面的に信用することはできない。G医師自身,過去にPTSDと判断した事例は2例あると供述するが,その事例は自動車事故によるものと家庭内での虐待によるものであり,事例が異なるし,その事実が上記判断を左右するものではない。

J医師も,G医師の診断結果を受けて,原告がPTSDに罹患しているという前提で意見書(甲15)を作成したものといえることから,その診断結果を全面的に採用することはできない。

原告は,様々な体験がPTSDを引き起こす可能性があるとされ,特に年少者の場合,患者の主観的体験が重視されると主張する。

しかし,患者の主観的体験を客観的に評価して,PTSDに罹患しているか否かを判断するのが,DSM-Ⅳの基準なのであるから,年少者であるからという理由のみで,基準を緩和し,主観的体験のみを重視するのは不合理である。確かに,年少者の方が感受性が強く,大人が大したことはないと思うような事象でも,大げさにとらえる可能性があることは否定できないが,本件の客観的事実においては,原告は,生命身体の危機にはさらされておらず,被告Aらの詰問により恐怖感や無力感を抱いたという程度に留まることから,やはり,PTSDのきっかけにとなる体験があったとまでは認められない。

よって,原告のPTSDに罹患したとの主張を認めるに足りる十分な証拠があるとはいえない。

(2)  DESNOSとは,Kolkによって提唱されている疾患概念で,PTSDにトラウマ性の質の問題を考慮に入れて,慢性的・反復的なトラウマ性体験に起因するトラウマ性症状を一つの疾患単位として概念化したものである(甲16)。しかし,DESNOSという症状は,公式の診断名ではなく(甲16),確立した判定基準を有しているわけではないから,一般的に認知された症状であるとはいえない。

仮に,DESNOSを症状として認めたとしても,DESNOSは,公式に採用された症例ではないため,確立した判断基準はなく,暫定的な基準が定められているのみと認められる。そして,DESNOSの研究の第一人者であるKolkが提唱する診断基準は,以下のとおりであると認められる(甲8)。したがって,DESNOSに罹患しているかどうかは,患者の症状が以下の診断基準に該当するかによって,判断することになる。

ア 「感情覚醒の制御における変化」(クラスタA)のうち5項目に該当すること。「感情覚醒の制御における変化」とは,慢性的な感情の調整障害や怒りの調節困難,自己破壊行動や自殺行動からなり,いわゆる感情や衝動性,行動の制御困難等,自己調節機能の障害である。

(ア) 慢性的な感情の制御障害

(イ) 怒りの調整困難

(ウ) 自己破壊行動及び自殺行動

(エ) 性的な関係の制御困難

(オ) 衝動的で危険を求める行為

イ 「注意や意識における変化」(クラスタB)のうち2項目に該当すること。「注意や意識における変化」とは,心因性健忘と解離性障害である。

(ア) 健忘

(イ) 解離

ウ 身体症状(クラスタC)のうち1項目に該当すること。

慢性的なトラウマ性体験の被害を受けた者には,器質的な原因によらない身体症状,例えば消化器系,循環系,免疫系等多彩な身体疾患がみられることがある。

エ 「慢性的な人格変化」(クラスタD)のうち3項目及び3下位項目に該当すること。「慢性的な人格変化」とは,罪悪感や恥辱感を伴う自己像のゆがみ,加害者の価値観の取り込みや加害者の理想化に伴う他者像のゆがみ,自己・他者関係のゆがみ(信頼感の喪失,再被害化傾向,他者に加害行為を行う傾向)が表れることである。

(ア) 自己認識における変化:慢性的な罪悪感と恥辱感,自責感,自分は役に立たない人間だという感覚,とりかえしのつかないダメージを受けているという感覚

(イ) 加害者に対する認識の変化:加害者から取り込んだ歪んだ信念,加害者の理想化

(ウ) 他者との関係の変化

① 他者を信頼して人間関係を維持することができないこと

② 再び被害者となる傾向

③ 他者に被害を及ぼす傾向

オ 「意味体系における変化」(クラスタE)のうち2項目の症状及び状態に該当すること。「意味体系における変化」とは,慢性的な絶望感やその体験以前にその人を支えていた価値観や希望,信念の喪失が表れることである。

(ア) 絶望感と希望の喪失

(イ) 以前の自分を支えていた信念の喪失

しかし,上記のDESNOSの診断基準に照らしても,原告がDESNOSに罹患したとは認められない。すなわち,DESNOSと診断されるには,上記の判断基準のクラスタAないしEに該当する症状がなければならないところ,原告には,クラスタD及びEに該当するとみられる症状を認めるに足りる証拠がないから,DESNOSに罹患したと断定することはできない。K助教授の意見書(甲16)も,原告のカルテや診断書等の記載の中から,クラスタD及びEに該当すると見られる症状が見あたらないことを認めている。

よって,原告のDESNOSに罹患したとの主張を認めるに足りる十分な証拠があるとはいえない。

5  原告の損害額について

上記1,3の事情を考慮した上で,原告の精神的苦痛を金銭的に評価すれば,150万円を相当とすべきである。

なお,原告は,被告Aらの責任を追及するために,弁護士の協力を得る必要があったことから,弁護士費用も相当因果関係のある損害となる。その金額は,本件に顕れた諸事情に鑑み,20万円が相当である。

以上より,原告の損害は,170万円となる。

6  争点(3)被告Aらの個人責任について

原告は,公務員である被告Aらの個人の不法行為責任も認められるべきであると主張する。

しかし,公権力の行使に当たる公務員の職務執行について,故意又は過失により違法に他人に損害を与えた場合,当該公務員が属する国又は公共団体が賠償責任を負うとするのが国家賠償法の趣旨であって,当該公務員個人はその責任を負わないと解するべきである(最三小判昭和30年4月19日民集9巻5号534頁参照)。

原告は,公務員個人が行った行為が明白な違法性がある故意行為の場合は,公務員個人の責任を認めても,公務を萎縮させることにはならないと主張する。しかし,国家賠償法1条2項は,公務員に故意ないし重過失がある場合,国又は自治体が当該公務員に対して求償することができる旨を規定し,国による求償の範囲を限定している。この規定の趣旨からすれば,国家賠償法は,代位責任のみを規定し,公務員及び国ないし自治体が不真正連帯債務を負うものではないと解するべきである。したがって,国家賠償法上,公務員個人に対する損害賠償請求はなしえないことから,原告の主張に理由はない。

よって,原告の被告Aらに対する請求に理由はない。

7  結論

以上より,本訴請求のうち被告市に対して170万円及びこれに対する平成14年12月1日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金を請求する限度で理由があるからこれを認容するが,その余の被告市に対する請求及び被告Aらに対する請求については理由がないのでこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき,民訴法64条本文,61条を,仮執行宣言につき,同法259条1項を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 稻葉重子 裁判官 鳥飼晃嗣 裁判官 島崎卓二)

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