大阪地方裁判所 平成17年(行ウ)242号 判決 2006年12月13日
原告
X
原告訴訟代理人弁護士
野口善國
同
福田和美
同
深草徹
被告
国
同代表者法務大臣
長勢甚遠
処分行政庁
大阪西労働基準監督署長A
被告訴訟代理人弁護士
上原理子
被告指定代理人
B
他10名
主文
1 大阪西労働基準監督署長が,原告に対して平成14年3月19日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族給付及び葬祭給付を支給しないとする処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告
主文と同旨
2 被告
(1) 原告の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
第2事案の概要
1 前提事実(証拠を掲記した事実を除くほかは,当事者間に争いがない。)
(1) 被災者とその就業の場所
Dは,平成8年4月にa道路株式会社大阪支店(以下「本件会社」という。)に入社し,主として同社の施工管理業務を担当していた。原告は,Dの妻である。
本件会社は,平成12年3月15日以降,滋賀県甲賀郡甲西町(現在の湖南市)夏見・平松先間の国道1号線の舗装工事(1号甲西地区舗装修繕工事,工事期間平成12年3月15日~同年11月17日,以下「本件工事」という。)の請負施工を担当しており,Dは,本件工事の現場監督として,本件工事の施工管理の業務に従事していた。
(2) 被災者の宿舎と自宅
Dは,本件工事の施工期間中,本件会社が本件工事現場から約200mのところ(<証拠略>)に借り入れた甲西町所在のbマンションの1戸(以下「本件宿舎」という。)を宿舎として使用し,そこから工事現場に出勤しており,月に2,3回の頻度で週末等に原告と二人の子供の住む神戸市灘区所在の自宅(以下「自宅」という。)に帰宅していた(<証拠略>)。
(3) 本件事故
Dは,平成12年7月29日(土曜日),岡山にある原告の実家で,原告らと一晩過ごし,翌30日(日曜日)の午後7時ころ,同所を出発し,その途中,同日午後9時15分ころ,自宅に立ち寄って着替えなどを準備した後(<証拠略>),同日午後9時30分ころ,自宅を出発し,名神高速道路上り車線を普通乗用自動車を運転して走行中,同日午後10時30分ころ,大阪府吹田市山手町4丁目先の道路上において,逆走してきた普通乗用自動車と衝突(以下「本件事故」という。)し,頭部打撲による脳内出血により死亡した(<証拠略>)。
(4) 本件処分及びその前後の経緯
原告は,平成13年7月12日,Dの死亡は通勤によるものであるとして,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)22条の4第1項及び22条の5第1項に基づき,大阪西労働基準監督署長に対し,遺族給付及び葬祭給付の請求をした(<証拠略>)が,同署長は,Dの死因となった交通災害は,労災保険法7条2項に規定されている「通勤」とは認められないとして,平成14年3月19日,これらを支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした(<証拠略>)。
原告は,上記決定を不服として,平成14年4月26日,大阪労働者災害補償保険審査官に対し,審査請求をしたが,同審査官は,平成15年3月31日,上記審査請求を棄却する旨の決定をした。原告は,同年10月9日,労働保険審査会へ再審査請求をしたが,同審査会は,平成17年8月19日,上記再審査請求を棄却する旨の裁決をし,その頃原告に送達された。
2 原告の請求
原告は,本件事故によりDが死亡したのは通勤災害に該当するとして,本件処分の取消しを求めている(平成17年12月21日提訴)。
3 争点
本件事故が,労災保険法7条1項2号(平成17年11月2日成立の平成17年法律第108号による改正前のもの)の通勤災害に該当するか。
第3争点に関する当事者の主張
1 原告の主張
本件処分は,本件事故を通勤災害にはあたらないとしているが,次のとおり,労災保険法7条2項の解釈を誤っており,違法である。
(1) 本件事故当時のDの目的地
本件事故は,Dが住居である自宅から就業の場所である本件工事現場へ向かう途中に発生したものであるから,通勤途上の災害というべきである。
Dが事故当時,本件工事現場に向かっていたことは以下の理由により明らかであり,本件事故は,Dが自宅から就業の場所たる本件工事現場へ移動中に起こったもので,通勤災害にあたるというべきである。
<1> Dは,本件工事において初めて現場監督を任され,責任感を感じていた。
<2> 本件事故当時,Dは,台風が気になり,本件工事現場に行く途中に,本件事故にあったものである。
すなわち,本件現場には,別紙1記載のような看板が約200本もガードレールに取り付けられていたところ,本件事故当時,台風6号が発生し,九州の南海上を北上し,強風が吹いていた。Dは,平成12年7月30日午後7時ころ,新聞の記事やテレビのニュースにより台風情報に接し,強風下で看板が飛散し,事故が発生することを危惧して,現場監督としての自覚と責任感から自発的に勤務場所である本件工事現場に向かったものである。
Dは,平成12年7月30日午後7時に実家を自動車で出発し,同日午後9時15分ころ,自宅に着いたが,わずか15分後に再び自動車を運転して本件現場へ向かう途中本件事故に遭ったものである。Dが,単に本件宿舎に帰って休むだけであれば,2時間余りも自動車を運転して自宅に着いた後,休みもせずにわずか15分で自宅を出発する必要はなかったのであり,本件工事現場が気にかかったために,一刻も早く現場に戻ろうとしたものである。
なお,現場所長C(以下「C所長」という。)は,本件事故の翌日の朝の朝礼の際,「ガードマンの方は,いつもより厳重に誘導を行うこと。風が強いので,土のうを多くして倒れないように設置すること。」と職員に指示しており,C所長も台風の被害を気にしていた。
加えて,本件工事現場は国土交通省が厳しく管理している国道であり,国道工事について事故が発生すれば本件会社は入札を外されて,会社に大きな損害が生じるが,Dもそのことを意識していた。
したがって,Dは,本件工事現場を非常に気にしていたものである。
<3> 本件宿舎と本件工事現場の位置関係は,別紙2のとおりであり,Dの自宅から本件宿舎に向かう場合,本件宿舎から200m離れている国道を西から東へ通行することとなり,必ず本件工事現場を通過することになる。また,本件工事区間は,往復約3.2kmであり,自動車で時速60kmで進行した場合,約3分余りで往復できる。したがって,現場監督として責任感を感じていたDが,すぐ近くにある工事現場を見に行くこともせず,単に本件宿舎に帰るだけということはあり得ない。なお,神戸方面(西方)から,本件宿舎へ自動車で行こうとした場合,本件工事現場を少なくとも約100mは通過することになり,しかも工事現場は一直線であって見通しがきくのであるから,約100m通過するだけでDは本件工事現場を一望することができる。
<4> Dが本件事故当日,本件工事現場を見に行ったのか否かは,事故前に当該労働者が認識していた状況と認識しうべき状況から判断して,現場を見る必要があると考えることが一般社会人の常識から一応合理的で無理からぬことと考えられるか否かで判断すべきであり,事後的に台風の影響が少なかった,あるいは対策が十分とられていたかをもって現場に行く必要性がなかったと判断されるべきではない。なお,Dが本件工事現場の状況を気にしていたからといって,日中に到着できるようもっと早くに出発していたとはいいきれず,いつ出発するかは緊急性の程度によるというべきであり,Dは念のために本件現場を見るべく出発したものである。
(2) 本件宿舎と就業の場所との同視(予備的主張1)
仮に,Dが本件工事現場へ行くのではなく,本件宿舎に戻る途中であったとしても,本件宿舎への異動は「就業の場所」への移動と同視できるから,本件事故は通勤途上の災害というべきである。
すなわち,本件宿舎は,短期間(6か月)の工事期間にあわせて,本件工事現場の責任者であるC所長とDのために,会社が勤務場所たる本件工事現場に接着した所に借り上げたものである。両名は,施工管理,技術管理,工程管理,労務管理及び安全管理その他本件工事現場の業務全般について責任を負い,第一線に立って下請,孫請けを含む工事関係者らを指揮監督しなければならない立場にあった。そのため,両名については,工事現場に接着した場所に宿舎を得る必要があったのであり,会社はあえて本件工事現場の目と鼻の先といっていいほど近接した場所に本件宿舎を借り上げたものである。そうすると,本件会社が本件宿舎を借り上げた目的は,C所長とDが業務に専念できるようにすることにあったことは明らかであり,本件宿舎は,本件工事現場と一体となって業務を遂行するための付帯施設といってよい。
また,被災者の本件事故前3か月間の勤務状況は別紙3記載のとおりであり,これをみると長時間残業と休日労働が常態化していること,工事期間の経過とともにそれは顕著となっていること,本件事故直前1か月間は実に89時間もの残業に加えて65時間にも及ぶ深夜残業がなされており,午後10時もしくはそれ以後までの作業が連日にわたっており,夜中2時から朝7時に至ることが12日間にも及んでいる。かかる勤務状況から考えると本件宿舎は,被災者にとって,本件工事現場からただ寝に帰るだけの場所であり,本件工事現場における被災者の業務は,本件宿舎により支えられていたといっても過言ではない。本件宿舎は,まさしく本件工事現場と一体となって業務を遂行するための付帯施設で,労災保険法7条2項に定める「就業の場所」と同視できるものである。
したがって,本件宿舎は,労災保険法7条2項に定める「就業の場所」と同視できるものである。
そうすると,本件事故が,翌朝からの勤務に備えるために自宅から移動中の午後10時30分ころの事故であること等を考えれば,Dは,翌日の就業の場所に移動する一連の移動の途中に本件事故に遭ったのであって,通勤途上に事故に遭ったと認定することができる。
(3) 法改正の前後における解釈の違いの有無(予備的主張2)
さらに,厚生労働省の審議会である「労災保険制度の在り方に関する研究会」の中間とりまとめ(以下「研究会中間とりまとめ」という。)でも「通勤災害保護制度の見直し等について」と題する項目において,労働者保護の必要性を強調し,「勤務日当日又はその前日に行われる帰省先住居から赴任先住居への移動は,原則として通勤災害保護制度の対象とすることが適当である」と提言されており,労働者保護の必要性からくるこうした見直しの方向性は,労災保険法7条2項の解釈においても,当然斟酌されるべきである。
なお,労災保険法7条2項の改正(平成17年法律第108号)は,改正前は「通勤」に該当しなかった上記態様による移動を新たに「通勤」に該当することを創設的に定めたものではない。法令を具体的事案に適用し,解釈をする司法にあっては,従来の規定が実情にそぐわなくなっている場合に法令の欠を補い,実情に即した解釈をすべきである。
上記労災保険法7条2項の改正は,改正前,行政機関の取扱いが誤っていたことを明らかにするために,解釈上当然のことを明文化したものであって,改正前の労災保険法7条2項の解釈が「前日に」「宿舎」へ赴くことを含まないとするものではない。
よって,勤務日当日又はその前日に行われる帰省先住居から赴任先住居への移動は,原則として改正前の労災保険法7条2項の解釈においても「通勤」に該当するものとされるべきである。
2 被告の主張
(1) 本件事故が通勤災害に該当しないことについて
Dは,就業日前日である平成12年7月30日午後10時30分ころ,本件事故に遭遇し,死亡したものであるところ,これが通勤災害と認められるためには,自宅から滋賀県に向かっていたDの行為が,就業関連性をもったものであると認められることが必要である。
Dの勤務は,本件事故の翌日の午前8時の朝礼から始まる予定であった(<証拠略>)ところ,本件事故現場から本件工事現場までの走行距離は約67km,所要時間は約50分であって,本件事故がなければ,平成12年7月30日午後11時30分ころには工事現場に到着することになる。そうすると,明らかに始業時刻とかけ離れた時刻に「就業の場所」に行くこととなる。本件会社は,Dにこのような業務を行うべき指示は行っておらず(<証拠略>),本件において,Dがかかる時刻に出勤を必要とする特段の事情は認められない。
したがって,Dが滋賀県に向かった行為は,就業との密接な関係,すなわち業務関連性をもったものとは認められず,労災保険法上の「就業に関し」に該当するものではないことは明らかである。
よって,Dの死亡が通勤災害に該当しないとして,原告に対する遺族給付及び葬祭給付を不支給とした大阪西労働基準監督署長の本件処分は適正かつ適法なものというべきである。
(2) 原告の主張(1)に対する反論
ア 本件事故当時,接近していた台風6号は,平成12年7月30日午後の時点で最大風速毎秒20mであり,暴風圏はなく,強風圏は最大で南東側310kmであったところ,台風の中心は最も接近した距離で岡山から約420km,神戸からは約530km,滋賀県甲西町からは約600kmであった。Dが実家を出発した午後7時には風は収まりつつある状況で,風速もさほど強いものではなく,Dが自宅に到着し,滋賀に向けて出発した午後9時ころは更に風は収まりつつあった。すなわち,平成12年7月30日における岡山気象台・観測所による風速は,毎秒3.4mないし9.7mであり,同じく神戸気象台・観測所における同日の風速は,毎秒0.9mないし6.5mであった。平均風速10m毎秒ないし15m毎秒で,取付けの不完全な看板やトタン板が飛び始めるところ,Dが出発した当時台風の勢力は弱まっており,工事現場の看板の飛散が問題となるような状況ではなかった。また,本件事故の前日には,台風に基づく強風で看板が飛散しないように現地において適切な措置がとられており,Dもその報告を受けていたのであるから,これらを危惧して工事現場に赴く必要はなかった。
なお,新聞記事(<証拠略>)中に「30日中には九州の西の海上に達する見込み。気象庁では『四国と九州では大雨の恐れがある』としている。中心気圧は985ヘクトパスカル,中心付近の最大風速は25m。」とあるが,近畿地方への影響については全く触れておらず,工事現場での経験が4年もあるDにとって,台風に備えて締めつけ直した看板を飛散させるような強い勢力の台風ではないことは容易に理解できたはずである。
本件事故当日,本件工事現場に設置された看板は約20枚であり,同看板は,工事内容・工事期間・請負業者等を表示するために半年という工期の全期間にわたって設置するために番線等で縛りつけたり,しっかりと固定されているものである。
イ Dは,本件事故前日,C所長の指示を受け,下請業者に台風に備えて看板の取付け等の点検をするように電話で指示をした上,本件事故前日の午後6時過ぎ,点検結果について,看板等の取付け等の対策を確実にしたので心配はいらないとの現地からの報告を受けた。その後,C所長は,Dに対して特に指示もせず,Dから報告や相談も受けていないし,Dも下請業者に対してそれ以上の指示や連絡はしていない。
したがって,看板の固定状況・点検結果,台風の進路・大きさ等の諸般の事情に鑑みると,Dが,本件事故当日,前日と大差のない風が吹いていた状況において,風による看板の飛散を危惧して工事現場に様子を見に行ったということは到底考えられない。
ウ 神戸の自宅から本件宿舎までは,走行距離にして約100km,所要時間約1時間半の距離にあり,午前6時半前ころ自宅を出発すれば午前8時の始業時刻に間に合うものである。Dは,就業予定時刻のおよそ8時間も前に就業の場所である本件工事現場に赴く必要性は全く認められないのであって,本件事故当日,家族全員が岡山の実家に滞在しており,神戸の自宅には誰もいなかったので,就業予定日の前夜に本件宿舎に戻ろうとしたと推測するのが自然である。
エ なお,Dは,本件事故当日,岡山を出発した後,途中神戸の自宅に15分程度立ち寄っているが,これは,Dが自宅を午後9時30分ころ出発したとしても,本件宿舎への到着予定時刻は午後11時30分ころとなるのであるから,翌日の勤務に備えて十分な睡眠時間を確保するためには,単に本件宿舎に帰って休むだけであったとしても,速やかに自宅を出発しなければならないことによるのである。このように考えることは,家族不在の自宅で宿泊するよりも,着替え等の用事を終え次第,直ちに単身赴任先の本件宿舎に帰る点でむしろ自然であるし,Dが本件工事現場に関して台風による看板等の飛散等を危惧して現場の様子を見に行くつもりであれば,現場の状況がよくわかる日中に到着すべく,岡山からの出発時刻を早めていたはずであるが,Dはそのように行動していないこと,また,深夜に不具合を認めたとしても,下請業者の応援を求めることが極めて困難であることからしても,Dが本件工事現場を見に行ったのではないことが窺える。
オ 本件宿舎と本件工事現場とは約200mの距離にあり,Dの支度(ママ)から本件宿舎に移動する途中,工事現場を通過する位置関係にあるが,単に通りすがりに工事現場を一部通過することをもってDが台風の被害を危惧して工事現場に向かったと認めることはできないし,工事現場の一部を通過して見る程度の行為を業務の遂行ということはできない。
(3) 原告の主張(2)(予備的主張1)に対する反論
本件宿舎は,本件会社が本件工事現場近くにある賃貸集合住宅のうち1戸(3LDK)を借り上げ,C所長と現場監督であるD両名の宿舎として供されていたものである。Dら両名は,本件宿舎の各1部屋を個人の専用部分とし,残りを共用部分として生活の拠点としていた。本件宿舎については,特に利用に関する規則は定められておらず,各人が鍵を所持して自由に出入りしていた。
Dは,現場監督であり,その業務の内容は,現場の安全,作業工程,品質管理などの監督業務であって,特に危険を伴う作業等を行うものではなく,現場管理は,残業も含め,工事を現実に行っている時間帯に限って実施されていたものである。本件宿舎は,Dが単に寝に帰るだけの場所でもなければ,現場管理を行う場所でもなく,Dらにおいて,平日や休日の自由な時間を思いのままに過ごしていた。Dらが,休日に宿舎を離れる場合,就業日の前日に宿舎に戻らなければならないという規則もなく,また,業務内容からしてその必要性もなかった。また,Dがこのような指導を受けたこともなかった。
そうすると,本件宿舎は,本件会社が本件工事のために借り上げて工事従事者に貸与しているものではあるが,その使用は入居者の自主性に任されており,本件会社は本件宿舎での生活について何らの関与もしていない。
また,本件宿舎には,食事の提供もなく,1部屋に1名づ(ママ)つ入居して個室は確保されており,本件宿舎の使用は入居者の自由に任され,何の規則も制定されていなかった。Dは,本件宿舎への入居を事実上も強制されていたわけではなく,通常の勤務の拠点となる家屋を選択する自由があり,家族を同伴して本件宿舎とは異なる家屋を借りることも可能であった(その場合,本件会社から所定の住宅手当が支給される。)のだから,本件宿舎に入居すること自体をもって職務の一環であったともいえない。本件工事現場には現場事務所が設置されており,本件宿舎は,賃料や通勤の便宜等の諸事情からたまたま工事現場の近くに本件宿舎を借り上げたに過ぎない。
したがって,本件宿舎は,就業の場所である本件工事現場と一体となって業務を遂行するための付帯施設といえるものではなく,労災保険法7条2項の「就業の場所」と同視できるものではない。
以上より,Dが,就労日前日に本件宿舎へ戻る途中に起きた本件事故は,住居から就業の場所に移動する途中に生じたものと認めることができず,「就業に関し」の要件を欠き,通勤災害と認定することはできない。
(4) 原告の主張(3)(予備的主張2)に対する反論
研究会中間とりまとめは,行政の政策判断に際して参考とされるものであるが,行政に対して法的拘束力を持つものではなく,この提言をもって,法で規定する「通勤」の解釈を変更できるものではない。労災保険法の改正前の裁判例は,一般的に「赴任先宿舎」が「就業の場所」と同一視できる場合に限って,「赴任先住居」と「帰省先住居」との間の移動が「通勤」と解されていたのであって,労災保険制度のあり方に関する研究会も同様の見解ないし問題意識に立った上で,勤務当日又はその翌日に行われる赴任先住居から帰省先住居への移動,及び,勤務当日又はその前日に行われる帰省先住居から赴任先住居への移動は原則として通勤災害保護制度の対象とすることが適当であるとの見直しの方向性を提言したものである。その後,一定の要件の下に赴任先住居と帰省先住居間の移動を通勤災害の保護の対象とする法改正がなされたのであり,かかる改正経緯に鑑みると,当該規定が創設的に定められたものであることは明らかである。
また,労働安全衛生法等の一部を改正する法律(平成17年法律第108号)2条により,労災保険法の一部が改正され,平成18年4月1日から施行されているところ,同法7条2項3号は,住居と就業の場所との間の往復に先行し,又は後続する住居間の異動(厚生労働省令で定める要件に該当するものに限る。)をも「通勤」とする旨規定しているが,同条項について,改正法施行前の事例について改正法を適用する旨の特段の規定は定められていないのであるから,改正法を遡及的に適用することも許されない。
したがって,上記改正経緯及び従来の裁判例に照らし,改正法施行前の事案について,改正法を遡及的に適用したのと同視し得る解釈をすることは許されないというべきである。
第4当裁判所の判断
1 はじめに
(1) 通勤災害保護制度について
労災保険法は,当初,労働者の「業務上の事由による災害」のみを対象としていたことから,通勤途上の災害は,特別な事情がある場合を除けば,一般的に使用者の支配下にあるものではなく,業務遂行性も業務起因性も認められないとして,救済の対象としていなかった。その後,昭和40年代の高度経済成長政策の展開,発展に伴うモータリゼーションと交通災害の多発化という社会的背景のもとで,業務災害との関連で通勤災害の取扱いについて問題意識がもたれるようになり,昭和48年9月,通勤災害を救済の対象とする労災保険法の一部改正がされ,同年12月1日から施行されるに至った。
通勤災害に対する保護制度のもとにおいて,労働者に発生した災害が通勤災害と認定されるためには,同法に定める「通勤」の定義に該当する事実が存在し,かつ,労働者に生じた負傷,疾病,障害又は死亡が「通勤」によって生じたと判断されること,すなわち,通勤と傷病等との間に相当因果関係が存在するという事実が認められなければならない。
(2) 通勤の概念
労災保険法7条1項2号において,保険給付を行う「通勤災害」とは,「労働者の通勤による負傷,疾病,障害又は死亡」であると定められている。
そして,同法7条2項において,「通勤」とは,「労働者が,就業に関し,住居と就業の場所との間を,合理的な経路及び方法により往復することをいい,業務の性質を有するものを除くものとする。」と定められ,同条3項において,通勤経路の逸脱中断に関する事項が定められている。すなわち,「通勤」と認められるためには以下の要件を満たす必要がある。
<1> 労働者であること
<2> 往復行為が就業関連性をもったものであること
すなわち,それが業務に就くため又は業務が終了したことにより行われるものであることを必要とする。つまり,「通勤」と認められるには,当該往復行為が業務と密接な関連をもって行われた往復行為であることが必要とされる。
<3> 住居と就業の場所を往復行為の始点又は終点とするものであること
「就業の場所」とは,業務を開始し,又は,終了する場所であり,「住居」とは,労働者が居住して日常生活の用に供している家屋等の場所で,本人の就業のための拠点となるところを指すものである。
なお,単身赴任者等の「住居」については,単身赴任者等の増加傾向に加えて,交通機関等の発達により,単身赴任者等の家族の居住する家屋(自宅)と就業の場所とを定期的に直行直帰する形態が一般的になってきたことを踏まえ,単身赴任者等が労災保険法7条2項に規定する就業の場所と家族の居住する自宅との間を往復する場合において,当該往復行為に反復・継続性が認められるときは,当該自宅を同項に規定する「住居」として取り扱うこととされた(平成7年2月1日付け基発第39号,以下「39号通達」という。)。なお,ここでいう「反復・継続性が認められる」とは,概ね月1回以上の往復行為がある場合をいい,就業の場所と自宅との間の所要時間及び距離については問題とされていない。
<4> 社会通念上,合理的とされる経路及び手段によること
<5> 経路の逸脱又は往復の中断の場合,その間及びその後の往復行為は含まないこと
ただし,日常生活上必要な行為であって,厚生労働省令で定めるやむを得ない事由により行うための最小限度の逸脱又は中断の場合は,当該逸脱又は中断の間を除き,その後の往復は通勤に含まれる。
<6> <1>ないし<5>の要件を満たす往復行為が,業務の性質を有していないこと
(3) 通勤と災害との間の相当因果関係について
通勤災害についても,業務災害と同様に,通勤と災害との間に相当因果関係が認められなければならない。すなわち,通勤に通常伴う危険が具体化して生じた災害であることが必要である。
2 本件事故に至る経緯及びこれに関連する事実
前提となる事実並びに証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 本件工事現場の状況等
本件工事の現場事務所に派遣されている元請けの社員は,C所長のほかは現場監督であるDだけであった。本件工事現場では,実際の作業の有無を問わず,工事の全期間を通じて設置する看板が20枚程度あった。また,工事作業中に設置する看板は,別に20枚程度あった。これらの看板は,風雨からのさしたる遮蔽物のほぼないところに設置されていた。
なお,普段,休みの日には本件工事現場には誰も居らず,保安管理をする者は残っていない(<証拠略>)。
(2) Dの業務内容及び本件事故前3か月間の就労状況等
Dの業務は,本件工事現場における,安全面,作業工程,品質の管理監督などのいわゆる現場監督であり,具体的には作業員が作業する上での安全面及び作業工程の監督や生コンの強度などを確認管理する品質管理業務である。
Dの本件事故前3か月間の就労状況は別紙3記載のとおりである。
(3) 自宅と本件工事現場の距離等
Dの平成12年7月31日の始業時刻は午前8時である。Dの自宅から就業の場所たる本件工事現場までの移動距離は約100kmあるが,高速道路を利用した場合の所要時間は約2時間である。
(4) 本件宿舎の利用状況等
本件宿舎は,本件会社が本件工事現場から約200mの所にあるマンションのうち1戸(3LDK)を借り上げ,本件工事の現場事務所長であるCと現場監督であるD両名の宿舎として供されていたものである。Dら両名は,本件宿舎の各1部屋を個人の専用部分とし,残りを共用部分として生活の拠点としていた。本件宿舎については,特に利用に関する規則は定められておらず,各人が鍵を所持して自由に出入りしており,就労日の前日に本件宿舎へ戻らないといけないというようなことはなかった(<証拠略>)。
(5) 台風の接近等
台風6号は,別紙4のとおり,九州の西海上を北上し,平成12年7月30日午後9時に九州北部に接近した後,更に北上して朝鮮半島方面に進んでおり,平成12年7月29日午後2時40分,滋賀県全域に強風注意報が発令され,同月31日午後9時10分に同注意報が解除された。
本件事故当時,台風は依然として,対馬付近に位置していた(<証拠略>)。また,本件事故当日及びその前後の日において,滋賀県下では普段よりも強い風が吹いており,本件事故現場に近い蒲生観測所の観測結果から同所付近では最大瞬間風速で秒速約17mないし約20m程度の風が吹いていたと解することもできる(<証拠略>)。
平成12年7月29日付け神戸新聞の夕刊には「台風6号は29日午前,九州の南海上をゆっくり北上中で,今後東よりの進路を進むと31日朝にも九州にかなり接近するほか,南から湿った空気が流れ込む九州や四国では大雨の恐れがあり,気象庁は警戒を呼びかけている。」旨の記事が載せられ,翌30日付けの読売新聞には「台風6号は30日午前0時現在,鹿児島県の屋久島の西約190キロの海上を時速約20キロで北へ進んでおり,今日30日中には九州の西の海上に達する見込み。気象庁では四国と九州では大雨の恐れがあるとしている。中心気圧は985ヘクトパスカル,中心付近の最大風速は25m。」との記事(<証拠略>)が載せられていた。
(6) 本件事故当日前後のDの行動等
Dは,平成12年7月28日,夜勤のため午後9時にC所長と共に本件現場に入り,翌29日午前7時まで作業を行った(なお,C所長は,同日午前4時まで作業していた。)。Dは,同日午前7時以降,夜勤明けの休みに入り,翌30日の日曜日も一日休みで,同月31日月曜日の午前8時の朝礼時が就業開始予定時刻であった。Dは,平成12年7月29日午後7時過ぎころ,自宅へ戻り,同所で休んだ後,自動車で実家へ向かって出発し,同日午後11時ころ,自動車で岡山の実家に到着し,翌30日午後7時ころ,実家を出発した(<証拠略>)。
(7) 本件事故当日前後の業務命令ないし指示内容等
Dは,就業日の前日である平成12年7月30日中に本件工事現場ないし本件宿舎に戻るよう上司から指示されていない。
しかし,C所長は,平成12年7月29日,台風が接近しており,風が強いことから現場のことが気になり,同日午後5時ころ,Dの携帯電話に電話したところ,夜勤明けで本件宿舎に居ると思っていたDが自宅に居たので,下請業者のc興業に電話して現場の巡回を依頼するよう指示した。さらに,C所長は,本件工事現場の立て看板等が気になったので,Dに対し,何かあれば連絡を入れるよう指示した(<証拠略>)。
これを受けて,Dは,下請の従業員に指示の連絡をし,Dから指示を受けたc興業の従業員は,同日午後6時から7時ころ,Dに「看板類は心配なし,ゆるんでいたのは,締め付け直して大事はない」旨報告したが,同報告がなされたのは台風が去る前であった。
(8) 本件事故
本件事故の発生については,前提事実(3)のとおりである。
3 本件事故中の移動が,自宅から就業の場所への移動といえること
以上の事実に基づいて,Dの本件事故当日における自宅から本件事故現場への移動が通勤上のものに該当するか否かについて検討する。
(1) 「住居」及び「就業の場所」について
ア 就業の場所
Dは,平成12年3月以降,本件工事現場において,現場監督として本件工事の施工管理等の業務に従事していたのであるから,Dの「就業の場所」は,本件工事現場である。
イ 本件宿舎
Dは,工事期間中,本件宿舎に居住し,通常,同所から本件工事現場に通勤していたのであるから,本件宿舎は,Dが居住して日常生活の用に供していた家屋であり,Dの就業のための拠点としていたものであって,「住居」に該当する。
ウ 神戸の自宅
また,Dは,工事期間中,家族を神戸の自宅に残して単身赴任しており,月に2,3回程度,勤務終了後,自動車を運転して約1時間半ないし2時間の距離にある自宅に帰っていた。したがって,単身赴任者であるDは,労災保険法7条2項に規定する就業の場所と家族の住む自宅との間を概ね月1回以上往復しているといえ,当該往復行為に反復・継続性が認められるから,当該自宅も「住居」に該当する(<証拠略>)。
(2) 住居と就業の場所との間の移動であることについて
ア 通勤災害と認められるためには,住居と就業の場所との間の移動の途中に災害に遭うことを要する。
Dが住居たる自宅から,就業の場所たる本件工事現場に向かっていた場合は,住居と就業の場所との間の移動途中ということができ,原告もその旨主張するので,以下検討する。
Dは,前述したとおり,平成12年7月30日午後7時ころ,岡山の実家を出発した後,同日午後9時15分ころ,神戸の自宅に立ち寄って着替えなどを準備し,同日午後9時30分ころ,自宅を出発して,本件工事現場及び本件宿舎のある滋賀県へ向かう途上,名神高速道路上り車線にて本件事故に遭遇したものである。Dが,滋賀県へ向かった具体的な理由については,これを直接証する証拠がないところ,以下の事情を総合勘案すると,Dは,就業先たる本件工事現場に向かったと推認することができる。
(ア) 台風の接近
台風6号は,別紙4のとおり,平成12年7月29日ころから同月31日にかけて,九州の西海上を北上し,朝鮮半島方面に進んだものであるところ,同月29日午後2時40分から,同月31日午後9時10分までの間,滋賀県全域に強風注意報が発令されていた。
(イ) 本件工事現場の状況及び本件事故翌日の本件工事現場での対応状況
本件工事現場には,実際の作業がなされない場合にも20枚程度の看板が風雨からの遮蔽物がほぼない所に設置されていた。休日中は,本件工事現場には,保安管理をする者は誰もいなかった。
C所長は,平成12年7月31日,神戸から本件現場に出勤する際,沿道の稲穂が倒れていたことや,本件現場に出勤した際,まだ思いのほか強い風が吹いていたことから,看板等が倒れないよう土のうを多くするよう指示した(<証拠略>)。
(ウ) 業務命令ないし指示等
Dは,就業日の前日である平成12年7月30日中に本件工事現場ないし本件宿舎に戻るよう上司から指示されていない。しかしながら,当時,本件工事現場の保安管理をする者は誰もいなかったのであり,かかる状況の下,C所長は,平成12年7月29日,台風が接近しており,風が強いことから,本件工事現場の立て看板等が気になり,同日午後5時ころ,Dに電話し,下請業者に現場の巡回を依頼するよう指示し,更に,Dが本件工事現場を離れていることを知った上で,何かあれば連絡を入れるようDに指示していた(<証拠略>)。そして,C所長は平成12年7月30日には台風のピークが過ぎたと考えていたことのほか,Dからの連絡がないことで何事もなかったと考えていた(<証拠略>)というのであるから,C所長は(同日中に本件工事現場に向かうよう具体的な指示こそ出していなかったものの),Dが台風接近に伴う本件工事現場の保安等の対応をしていることを前提にして行動していたというべきであり,Dはこのような認識ないし期待の下にいたと解される。
さらに,Dは,下請けの従業員から本件工事現場の確認の報告を受けた際「ゆるんでいた」もののあることを聞き,これについて「締め付けなおして大事はない。」旨の報告を受けても何回も「本当に大丈夫か。」と聞き直して案じていた(<証拠略>)。そして,この報告を受けた段階では依然として台風は去った状態ではなく,工事現場担当者には「台風は過ぎた後が怖い。」(<証拠略>)とも認識され,かつ,国道工事において事故が発生した場合,1年間入札を外されて道路工事会社である本件会社が大きな損害を受けることになる(その場合,Dの責任が問われることとなる。)こと,C所長は,Dに何かあれば連絡を入れてくるように指示していたので,Dが現場に対してより配慮すべき立場にいた,あるいは現場の状況について責任を感じる立場にいたと解されることを考慮すると,下請け従業員からの連絡があったからといって現場監督たるDが本件工事現場に問題が生じるはずはないと考えて安閑としていたとは推認できない。
(エ) Dの人柄,立場等
Dは,誠実で責任感が強く,時間を厳守し,仕事に対して几帳面かつ勤勉であった。Dは,今回,初めて現場監督という役職を担当し,意気揚々としてやる気満々で,普段以上に責任を感じている様子であった(<証拠略>)。しかも,本件工事現場は,国道工事であり,事故が発生しないよう格別の配慮が必要とされていた。
(オ) Dの就労状況
Dは,休日にもしばしば就労したほか,午後9時以降に本件工事現場で作業を始め,C所長が作業を終えた後も,翌朝7時ころまで作業を行うことがあった。
Dの本件事故前3か月の就労状況は,別紙3記載のとおりであり(前記2(2)),極めて多くの時間外労働をしており,特に,本件事故直前1か月間は実に89時間もの残業に加えて65時間にも及ぶ深夜残業がなされていた。
Dは,平成12年7月28日,夜勤のため午後9時にC所長と共に本件現場に入った後,C所長が翌日午前4時に作業を終えた後も3時間にわたって,作業を続けていた。
(カ) 本件宿舎と本件工事現場との関係
本件宿舎は,本件会社が,本件工事の期間中,現場に近接したマンション1戸(3LDK)を借り,D及びCが各1部屋を個人の専用部分として使用しており(<証拠略>),その使用期間は,本件工事現場における工事期間に限定され,一時的なものであった。
また,本件宿舎は,本件工事現場から200mの距離にあり,神戸の自宅から本件宿舎に戻るには,本件工事現場の一部を通過することとなっていた(<証拠略>)。
前記(ア)ないし(オ)で述べた状況に照らすと,Dが,本件工事現場を通過するに際し,本件工事現場を確認し,看板の取り付け状況や離散の有無等を点検するであろうこと,異常を発見した場合は,何らかの措置を講じるであろうこと,異常を発見しなかったとしても,本件宿舎において,非常事態に備え待機していたであろうことは強く推認できる(単に,就労日の前日,就寝するためだけに本件宿舎へ戻ったとは評価できない。)。
イ 被告は,Dが,平成12年7月30日中に本件工事現場に行くよう業務命令ないし指示を受けていなかったこと,本件工事現場の様子を見に行くのであれば,現場の状況がよくわかる日中に到着すべく行動していたはずであるところ,本件事故に遭遇していなければ,Dは,本件工事現場に午後11時30分ころに着くと想定されるのであって,そのような時間帯に,下請業者の応援を求めることは極めて困難であるし,翌日の業務開始時刻とかけ離れた時刻に本件工事現場に向かうことをもって就業との関連性は認められない旨主張している。
しかし,前記アのとおり,Dの本件工事の性質やDの立場,仕事に対する姿勢からすれば,本件事故当時Dが,本件現場の様子をみるべく,同所へ向かっていたことを推認することができるし,また,上司であるC所長からも,そのような行動を期待されていたということができる。また,Dは,平成12年7月29日の午後11時ころ,自動車で岡山の実家に到着したのであるから翌30日に起床してさほど休む間もなく岡山の実家を出発することなく,同日の午後7時になって実家を出発したからといって,本件工事現場の様子を見に行った可能性を否定することは相当ではない。さらに,Dが,休日で工事作業の行われていない平成12年7月29日に下請の従業員に見回りの指示をした後,さらに休日である翌30日に再度下請従業員に見回りの指示をすることなく,本来予定された就業開始時刻よりも相当時間前の段階で直接自分で本件工事現場を検分しに行くことは,前日の下請業者の報告内容と台風の存在・接近という特殊な状況,本件事故前ころのDの就労状況(深夜に稼働し,C所長が終業した後も作業を継続していたこと)等に照らして不自然なものとは解されない。
ウ さらに,被告は,本件台風の風力圏の範囲や風力がさほど強くないこと,本件事故当時,台風の風力はピークを過ぎていたこと,本件事故当日ころの本件工事現場における風力の弱かったこと等を主張して,Dは台風を気にして本件現場に向かったものではない旨主張している。
しかし,気象台の発表する最大風速を超える激しい風力の風が,その風力圏外においても局地的,瞬間的に生じたり,局地的集中的な豪雨が降るなどして風水害をもたらすことは経験上しばしば見られるのであり,本件事故当時,台風が依然として,対馬付近にあったこと(<証拠略>),本件事故当日及びその前後の日において,滋賀県下では普段よりも強い風が吹いており,滋賀県全域に強風注意報が発令されていたこと,本件事故現場に近い蒲生観測所の観測結果から同所付近では最大瞬間風速で秒速約17mないし約20m程度の風が吹いていたと解することもできること(<証拠略>)を合わせ考慮すると,客観的な状況が被告の主張するようなものであっても,Dが台風の影響により本件工事現場に何らの支障も生じることはないと考えていたと推認することはできず,Dが,本件現場に異常がないかについて顧慮することなく,就業日前日に本件宿舎で睡眠し,翌日の仕事に備えるためだけに本件宿舎へ向かったと解することは,当時の客観的状況に照らし,考えにくい。
むしろ,台風が本件工事現場を直撃したものではないものの,本件事故当日,本件工事現場の安全を確信し,安穏としていられるような客観的状況にはなく,前記アのとおり,Dは,本件工事現場の状況を気にし,工事責任者としてその安全状況等を確認しに行ったものと推認するのが相当である。なお,結果的に本件工事現場に問題がなかった場合,翌日の就業前に本件宿舎で就寝することになるとしてもかかる事情が存することによって,Dが本件工事現場に向かっていたことを否定するものではない。
エ まとめ
したがって,Dが,就業の前日に本件宿舎に戻り,就寝するためだけに同所へ向かう途上に本件事故に遭遇したと推認ないし評価することは相当ではなく,Dは,本件事故当日,本件工事現場の状況を確認するため,すなわち,業務目的で本件工事現場に向かっていたと推認するのが相当である。したがって,Dは,「就業に関し」て,「住居」たる自宅から,就業の場所たる本件工事現場に向かっていたこととなる。
よって,Dの死亡は,労災保険法7条2項による通勤によるものと解される。
(3) 「就業に関し」について
前記(2)を総合すると,Dの本件事故当日における自宅から本件事故現場への移動は,就業の場所たる本件工事現場へ移動するものであって,本件事故はその途中に生じたものと認められるのであるから,「就業に関して」行われたものと認めるのが相当である。Dが,結果的に本件事故に遭わずに本件工事現場に到着し,特に問題も発見せずに本件宿舎に帰ったと想定した場合,就業開始時刻まで6,7時間程度の自由時間が生じ本件宿舎において睡眠・休息をとりうることは,上記判断を左右するものではない。
(4) その他の要件
Dの本件事故中の移動は,前提事実1(3)に記載したとおりであって,自宅から本件工事現場に赴くにあたり「合理的な経路及び方法により」行われたというべきである。
また,Dの本件事故中の移動自体が業務の性質を有するものではない。
(5) まとめ
以上のとおり,本件事故は,Dが就業に関して週末帰宅型通勤を行っていた途上に発生したものというべきであり,通勤災害に該当するから,これを通勤災害に該当しないと判断した本件処分は違法であり,取り消されるべきである。
よって,その余の点について判断するまでもなく,本件処分の取消しを求める原告の請求は理由がある。
4 結論
以上によると,原告の請求は理由があるので,これを認容することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山田陽三 裁判官 中山誠一 裁判官 上田賀代)