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大阪地方裁判所 平成19年(わ)2351号 判決 2007年11月21日

主文

被告人を懲役3年に処する。

未決勾留日数のうち70日をこの刑に算入する。

この裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予する。

理由

【犯行に至る経緯】

本件被害者A(<生年月日略>。本件被害当時32歳。以下「A被害者」という。)は,被告人と妻Bの2番目の子であり,高校卒業後,自動車部品販売会社に就職して,しばらくは真面目に働いていたが,2年ほどでこれを退職した後は,子供のいない隣家の伯母(被告人の姉)夫婦から甘やかされて育ってきたこともあって,ろくに仕事もしないまま,被告人夫婦には内緒で伯母から生活資金や小遣いなどをもらいながら自堕落な生活を続ける日々を送るようになった。

その後,その実態を知った被告人は,A被害者を自立させるため,同被害者の女性関係をめぐる暴力団とのトラブル処理に奔走したり,相変わらず伯母夫婦に生活資金を頼ろうとする同被害者に伯母との縁を切らせるため,伯母夫婦に清算金として100万円を渡す一方,同被害者には自立資金として200万円を与えつつ,どこか遠くで仕事をみつけて暮らすよう,あえて突き放すような態度をとったりもした。しかし,A被害者は,被告人夫婦の期待を裏切って,仕事にも就かず,わずか1か月ほどでこの金を使い果たして帰ってきたため,被告人夫婦は,生活力のない同被害者を見捨てるわけにもいかず,同被害者が他人に迷惑をかけることも恐れて,大阪市内に単身居住する同被害者に対し,やむなく月々25万円くらいずつ生活費の援助をしていたが,同被害者は,これもすぐに浪費して,家賃を滞納しては,Bに対し,「金をくれなかったら死ぬ。」などと電話を掛けて金をせびりにくる有様であった。

そのため,被告人夫婦は,このままではA被害者が一生自立することも職に就くこともできず,両親に金をせびりとるだけの怠惰な生活を送ることになるのではないかと危惧し,平成15年ころ,相談の上,同被害者に何とか働く意欲を持たせるため,実際には潤沢な購入資金はあったものの,あえてローンを組んで自宅を購入し,同被害者にも働いた金でローンの返済に協力する旨約束させて,3人で同宅に同居するようになった。ところが,そのような両親の期待にもかかわらず,A被害者は,同居後も何かと口実を設けて働こうとせず,また,以前と同様,両親に金をせびる生活をするようになってしまった。

ところで,被告人夫婦は,長年にわたり被告人の姉(前記A被害者の伯母)夫婦が経営する額縁会社で働いていたが,平成16年にこれが倒産したため,その後,被告人は,その営業を引き継ぐ形で職人数人と設立した額縁会社で新たに働くようになる一方,妻Bは新会社には勤務せず,もっぱら主婦として生活するようになった。そして,被告人は,これを機会に,A被害者を職人見習いとして同社で働かせようとしたが,同被害者は,あまりに怠惰な勤務態度であって,わずか1か月足らずでそれを辞めてしまった。

そして,そのころから,A被害者は,上記の事情で収入が減ることになったので仕事を見つけるようにとの両親の説得にも何ら耳を貸すことなく,かえって,自宅にいるようになったBに対し,これまで以上に金をせびるようになり,自宅の内線電話を執拗に掛けて金を無心したり,それでも断られると,ついには,母Bに暴力を振るうまでになっていった。そして,その暴力も,当初は,数か月に1回くらい平手でBの胸を強く突く程度のものであったのが,次第に回数も増え暴力の程度も激しいものに変わっていき,平手で強く突き飛ばして馬乗りになったり,座っているBの胸や腰などを蹴ったりするようになり,平成16年12月にはその背中を蹴りつけて肋骨を骨折させたり,平成17年3月には馬乗りになって果物ナイフを突きつけたり,同年12月には再び肋骨にひびが入るほど胸を蹴りつけたりするなど,その内容・頻度は一層エスカレートしていった。平成18年に入ってからも,A被害者のそのような態度は一向に変わらず,Bが近所に逃げ込むのを余儀なくされることも一度ならずあった。

それだけでなく,A被害者は,かねてより被告人と自己の生活態度やBへの暴力をめぐり度々口論やけんかをしていたが,遅くとも平成17年3月ころからは被告人に対しても顔を殴るなどの暴力を振るうようになり,体力に勝る被告人から押さえつけられることも多かったが,逆に被告人を倒してけがを負わせ,あるいは心筋梗塞のため心臓カテーテル治療を受けた手術箇所をあえて狙って小突くなどの暴行も繰り返すようになった。

この間,被告人夫婦は,A被害者を立ち直らせるため多額の金を寄進して易者や祈祷師を頼ったこともあったが,もとより何の効果もなく,その後は同被害者に金を渡す際には,働いてこれを返す旨の誓約書を何度も作成させてみたものの,いずれも空証文で終わっていたことから,上記のように同被害者の暴力がエスカレートするのに伴って,ついに警察にも相談することもやむなしと決し,平成16年7月22日,平成17年5月9日,同月23日,平成18年2月23日,同月24日の5回にわたり,警察署に赴いて,同被害者の行状につき打ち明けて今後の対処法を相談するに至った。しかしながら,ここでも,警察側のアドバイスが一定せず,家庭内のことなので穏便に済ませるように勧められたこともあれば,被害届を出すよう促されたこともあったが,ただその際にも,立件して逮捕してもいずれ比較的短期で戻ってくるなどと言われ,それでは意味がないと考える一方,逆に,被告人自ら服役の辛さが身に染みて分かっており,我が子を前科者にしたくないとの思いもあったことから,被害届を出すには至らず,結局,夫婦とも,警察は当てにならないとの思いを強くするだけに終わり,このほかにも,警察の勧めに従い,同被害者が通院していた精神科の医師や区役所の相談窓口にも相談してはみたが,いずれからも有効な援助は得られずに終わった。またさらに,被告人方近くには娘(A被害者の姉)夫婦が家族と暮らしてはいたが,平成12年ころにA被害者が姉の家族に不行状を働いて両者が絶縁状態であることなどを知っていたことから,被告人夫婦は,娘一家までも同被害者の暴力等に巻き込んでしまうことをおそれ,娘夫婦に頼ることはあえてしなかった。

このような被告人夫婦の苦悩や懸命の努力にもかかわらず,A被害者は,平成18年2月に被告人が前記会社を退職して年金しか収入が無くなった後も,あいかわらず両親に暴力を振るって金をせびりとっては,これをパチスロや女遊びに浪費する生活を続けていたが,平成19年に入ってからも,この暴力や浪費は止むことなく,同年1月15日には,Bが同被害者と絶縁状態にある姉と会ったのを知っただけでこれに激怒し,姉宅に向かうため包丁を携え自宅から出て行ったりもした。このようなA被害者の一連の言動により,Bは,以前から同被害者が2階から階段を下りる音を聞くだけで鼓動が早くなるほどのストレスを感じるようになっていたところ,平成19年からは,ストレスにより生じたと思しき嘔吐や耳鳴り等の症状が現れ,同年2月14日,医師により,めまいを伴う左突発性難聴と診断されるに至った。他方,被告人は,このような状態にあるBを少しでもA被害者から遠ざけるために同被害者をドライブに連れて行くことがあったが,同年1月16日に同被害者とドライブに出かけた際,被告人が転落事故を起こしてしまったため,同被害者は,被告人の思いも解そうとしないまま,一方的に被告人のせいでけがをした,年金が入金される通帳を寄こせなどとして更に金を要求する始末であった。

そして,被告人は,度重なるA被害者の暴力や不行状により,被告人夫婦,特にBが心身とも疲労困憊し,ついには突発性難聴にまで陥ったため,このままではBが精神的に参って死んでしまうのではないかなどと深く苦悩するとともに,同被害者が自己の居室に必要もないのに包丁を所持し,Bが求めてもこれを放棄しようとしないため,同被害者がBに対しこれで危害を加えかねないことも危惧し,ただ被告人自らがBを守ろうにも自己の体力が次第に衰えていくことは覆い難い事実であったため,Bを守るためにはもはや同被害者を殺害するしかないのではないかなどと思い詰めるようになって,同年3月ころには,同被害者にもう金をせびらないよう叱って口論になった際,とっさに同被害者の頸部を両手の平で締め付けたが,たまたま居合わせたBにこれを制止されて事なきを得たことがあった。

【有罪と認定した事実】

被告人は,本件当日の平成19年4月16日午前11時半ころ,外出先でBからの電話を受け,A被害者がまた金を寄こせなどといって暴れかけているのですぐ帰ってきて欲しい旨伝えられたことから,Bの身を案じて直ちに大阪市東住吉区<番地略>の自宅に帰宅したところ,その際,たまたま損害保険会社の代理人弁護士から電話が入り,前記転落事故に関し同被害者が保険会社に対し車に積んでもいなかった300万円が事故でなくなったなどと虚偽の被害事実を告げて保険金請求をしていることが分かり,同被害者が他人にまで詐欺の犯行を働こうとしていることを知るに至った。

そのため,被告人は,これに立腹して,A被害者の居室である2階8畳間に赴き,上記虚偽請求の事実を叱責したが,同被害者は,これを反省するどころか,「おとうが嘘言うとるから,保険が下りひんねん。おとうがみな嘘言うから,おとうが悪いんやから。俺何にも悪ないねん。」などと開き直り,かえって被告人が虚偽請求をしているかのような態度に出るに至ったことから,日ごろ両親に金をせびっては暴力を振るい,挙げ句に母Bを難聴にまで致しておきながら今度は他人にまで迷惑をかけようとする同被害者の態度を誠に許し難く,「お前,弁護士にも嘘ついて。」「おかあちゃんにひどいことをして,耳聞こえんようにならせて。」「お前なんか生きる資格ないわ。」などと怒鳴りつけるとともに,このままでは心筋梗塞の持病もあって体力の衰えていく自分にはBが守れなくなる,これ以上世間に迷惑は掛けられないとの思いにもかられて,もはやA被害者を殺すしかないとにわかに決意するに至り,同日午後零時ころ,「俺が何したって言うんじゃ。」などと言いながらつかみかかってきた同被害者(当時32歳)に対し,その背後に回り込みながら,柔道の絞め技の要領で右腕を同被害者の前頸部に巻き付けるとともに,その耳元で「もう,わしも後から行くからな。そやから勘弁してくれよ。」などと泣きながら語りかけつつ,同被害者の首を執拗に締め続け,よって,そのころ同所において,同被害者を頸部圧迫により窒息死させて殺害するに至った。

【事実認定に供した証拠】

<証拠略>

【自首の事実】

被告人は,前記犯行後,東住吉警察署に出頭し,同署司法警察員Cに自首したものであって,この事実は,前掲関係証拠に<証拠略>を総合して,これを認める。

【法令適用の過程】

(1)  「有罪と認定した事実」に記載の被告人の行為は,刑法199条に該当する。

そこで,当裁判所は,後記犯情により,その法定刑の中から有期懲役刑を選択するとともに,被告人は自首したものであるから,刑法42条1項,68条3号を適用して法律上の減軽を行う。

その結果導き出された刑期の範囲内で,当裁判所は,後記「量刑の理由」により,被告人を主文の刑に処するとともに,刑法25条1項を適用して,主文の期間この刑の執行を猶予することとした。

(2)  被告人には未決勾留の期間があるので,刑法21条を適用して,その日数のうち主文の日数をこの刑に算入する。

【量刑の理由】

本件は,被告人の長男である被害者が長年にわたり職にも就かず,自堕落な生活をしては被告人夫婦に金をせびり,これが容れられないと暴行を繰り返すなどし,しかもそれが次第にエスカレートしてきたことに苦悩していた被告人が,本件犯行当日,再び長男から暴行を振るわれるかもしれない旨妻から電話で知らされたことに加え,長男が保険会社に対してまで詐欺行為に及んでいながら何ら反省のない態度をとり続けていることを知ったことから,これに立腹するとともに,長男の暴行等で心身共に追い詰められていた妻を守り,世間に迷惑をかけさせないようにするためには,長男を殺害するしかないと考え,同人の頸部に腕を巻き付けて絞殺するに至ったという事案である。

以上見たとおり,本件は,確定的殺意に基づいて我が子を絞殺した重大事犯であり,犯行の結果も,また極めて深刻である。既に詳細に認定したように,長男には種々の問題行動があったにせよ,32歳という若さで突然,ほかならぬ実父に生命を断絶させられるという哀れな結末を迎えたもので,やはり哀憐の情を禁じ得ない。

本件では,被告人の親族・知人・近隣住民らから多数の嘆願書が寄せられているとのことであり,日頃の被告人の人柄の良さと長男の素行の悪さを知るに十分なものがあるとはいえ,それでもなお,父が子を殺すという罪は重大でもあるし,また,あってはならないことであり,本件の全過程を念頭に置いても,なお,長男を殺害する以外に他に採るべき途はなかったかという思いを拭い去ることができない。そのことは,当公判廷における被告人自身の供述にも現れているところでもあり,このような極めて重大犯罪に対しては,実刑によって被告人にその罪業の大きさを改めて思い知らせるという選択が,本来,望ましいものであるのかも知れない。

ただ,その一方で,当裁判所としては,以下に述べるような事情を総合的に考察すると,直ちにその選択に踏み切れないのも事実である。

まず,本件犯行に至る経緯を,長男の生育過程から振り返ってみると,確かに,被告人夫婦は,たとえ仕事の関係はあったにしても,長男を溺愛する姉夫婦に長男の世話を委ねすぎたのではないか,その後,長男が被告人夫婦の下で暮らすようになった後も,既に浪費癖のついてしまっている長男に対し安易に大金を与えすぎたのではないか,それがますます長男の自立を困難にしてしまった一面はないのかという種々の疑問が生じ得ないでもない。しかし,もとより,既に成人して久しい長男の素行不良をもっぱら被告人夫婦に帰責することは相当でない上,被告人夫婦も,長男と絶縁状態にある娘夫婦の協力を得難い状況の中で,金をせびり暴力を振るって甚大な精神的,身体的,経済的負担を与え続ける長男を何とか更生させようと,懸命の努力を続けていたことも直視する必要がある。被告人夫婦は,長男と同居して指導監督を試み,就職先を世話し,警察等の関係諸機関に相談し,果ては易者等にまですがるなど,自分たちで考え得る諸々の手段を尽くし,それでもなお長男の行状は改まらないばかりか悪化の一途をたどった末に本件犯行が引き起こされたものである。被告人の妻の日記からも,被告人夫婦の切迫した心情はよくうかがわれるところである。なるほど,本件犯行の直接の引き金となったのは,長男の無反省な言動に対する憤激であって,それが短慮であるとの一面は存するにしても,先に述べた長年の経緯に照らすと,被告人がそのような感情を抱いたことには誠に無理からぬものがあり,さらには,体力の低下を感じていた被告人が,前記の経緯により心身共に追いつめられた妻を長男から守りきれなくなることを恐れるとともに,金を手に入れるため手段を選ばなくなった長男が更に社会に害を及ぼすことを憂慮したこととも相俟って殺意を形成するに至ったことには,理解できる点が少なからず存するのである。

そして,このような経緯から,被告人は,長男を殺害した後,自殺の地を求めてさまよったものの,妻や親しい知人の強い勧めもあって,自首するに至ったものであって,もとより捜査・公判を通じ何ら事実を争っていないばかりか,本件犯行の重大性を深く認識し,心より自己の軽挙を悔いていることが窺われる。長男の遺族でもある被告人の妻や娘は,被告人の寛刑を切に希望し,ことに老齢で病身の妻が被告人の支えを必要としていることも軽視できない事実である。被告人は,前科7犯を有し服役経験もあるものの,昭和50年11月26日に刑の執行を終えた後は30年以上にわたり市井の一社会人として真面目で実直な人生を送ってきたものであることも考慮される必要があろう。

「もう,わしも後から行くからな。そやから勘弁してくれよ。」などと涙ながらに長男に語りかけながら,その首を絞め続けたという凄絶なる情景は,今後,被告人が,この世に生を受け続ける限り,その瞼の裏から消え去ることはなかろうし,また,我が手で長男を死に至らしめたという罪過の大きさは,他の誰よりも父である被告人自身が痛切に感じていることであろう。既に述べた諸情状や被告人の年齢・健康状態に照らして考えても,このような被告人に対しては,改めて刑務所に収容して型どおりの応報刑に服させるよりは,むしろ,この社会の中にあって,生涯にわたり,夫婦共々静かに長男の冥福を祈らせるということの方が刑政の本義にかなうのではないかと思われる。

よって,以上により,当裁判所は,被告人を主文の刑に処するとともに,その刑の執行を猶予して,社会の中でその罪を償わせることが最も適切であると判断するに至った次第である(検察官求刑-懲役6年)

前記判決宣告日同日

(裁判長裁判官 杉田宗久 裁判官 坂本好司 裁判官 大伴慎吾)

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