大阪地方裁判所 平成19年(わ)6346号 判決 2010年1月28日
主文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中500日を刑に算入する。
大阪地方検察庁で保管中の文書22通(同庁平成14年領第7331号符号1,3から6まで,9,10,第7332号符号1から7まで,第7333号符号1,4,5,7,9,第7462号符号5,9,第7463号符号24)の各偽造部分を没収する。
本件公訴事実中,Aを殺害したとの点については,被告人は無罪。
理由
【犯罪事実】
被告人は,次の各行為をした。
第1 (平成19年11月7日付け起訴状-平成20年10月31日訴因変更)
Bと共謀の上,夫であるCの資産を相続の名目で不正に手に入れるため,重度の糖尿病を患っていたD(当時69歳)をCの身代わりとして病死を装って殺害しようと計画した。そして,厳寒の中,平成14年2月10日,Dを石川県金沢市ab丁目にあるc海岸に連れて行き,c海岸を数時間にわたり歩かせた上,石川県石川郡d町ef番地gにあるEの使用する納屋(以下「Eの納屋」という。)において,麻袋様のもので簀巻きにし,同日から同年2月14日又は15日までの間,簀巻きにしたDを同納屋に放置した。Dは,これらの行為により病状が悪化し,同年2月15日ころ,同納屋又はその周辺において,これによる身体状況の悪化により死亡した。このようにしてDを殺害した。
第2 (平成20年1月30日付け起訴状-平成21年4月17日予備的訴因追加)
平成13年10月29日から同年11月6日までの間に,夫であるC(当時77歳)と一緒に2人で生活していた大阪市h区ib丁目j番k号lm号室において,Cに何らかの暴行を加えて傷害を負わせ,又は傷害の故意をもって何らかの方法で傷害を負わせ,そのころ同じ場所でCをこの傷害により死亡させた。
第3 (平成19年12月4日付け起訴状)
別表1から14までのとおり,B及びF又はBと共謀の上,平成14年3月18日から同年4月10日までの間,14回にわたり,次の各行為をした。
1 大阪市n区oj丁目p番q号y市n区役所等3か所において,使用する目的で,勝手に,別表「用紙」欄記載の住民異動届用紙等19枚の用紙に,別表1,5,6,9,10,13,14については各用紙の「これからの住所」欄,「いままでの住所」欄に別表「これからの住所」欄,「いままでの住所」欄記載の住所を記載した上,別表1から14までについてそれぞれ別表「偽造行為」欄記載のとおりの行為をした。このようにして,別表「名義人」欄記載のG等3名作成名義の住民異動届等19通を偽造した。
2 そして,上記19通の偽造文書について,それぞれ直ちに,別表「提出場所欄」記載の上記n区役所等3か所において,別表「提出先」欄記載の同区役所等3か所の係員に対し,これらが真正に作成されたもののように装って提出した。
3 このようにして,このうち別表1,6,10,13の4回については,G等3名が別表「いままでの住所」欄記載の住所から別表「これからの住所」欄記載の住所に転入したという虚偽の申立てをし,別表5,9,14の3回については,同じく転出したという虚偽の申立てをした。その結果,事情を知らない別表「提出先」欄記載の上記n区役所等3か所の係員は,そのころ,それぞれその場所に備え付けられている住民基本台帳の原本として用いられる電磁的記録にそのとおり真実と異なる記録をし,直ちにその場所にこれらを備え付けた。
第4 (平成20年4月24日付け起訴状第2)
Bと共謀の上,夫であったC所有名義の大阪市n区rg丁目s番jと同所s番tの宅地(公簿面積合計387.09平方メートル。以下,この2筆を併せて「本件土地」という。)につき,被告人の所有名義に移転しようと計画し,次の各行為をした。
1 平成14年3月27日,大阪市u区vb丁目w番x号y法務局z出張所において,事情を知らない司法書士Hを介して,同出張所の登記官に対し,そのような事実がないのに,本件土地につき,Cの死亡により被告人とCの長女Gの両名のみが相続したという虚偽の事実が記載された所有権移転登記申請書等を提出した。その結果,事情を知らない同出張所の登記官は,そのころ同出張所において,不動産登記簿の原本にそのとおり真実と異なる記載をし,直ちに同出張所にこれを備え付けた。
2 同年4月11日,上記z出張所において,事情を知らないHを介して,同出張所の登記官に対し,そのような事実がないのに,本件土地につき,上記Gの持分が被告人に移転したという虚偽の事実が記載された共有者G持分所有権移転登記申請書等を提出した。その結果,事情を知らない同出張所の登記官は,そのころ同出張所において,不動産登記簿の原本にそのとおり真実と異なる記載をし,直ちに同出張所にこれを備え付けた。
第5 (平成19年12月26日付け起訴状第1)
B及びFと共謀の上,夫であったCの自由金利型定期預金等の金融資産について,被告人が単独相続したという嘘をついて利益を得ようと計画し,次の各行為をした。
1 平成14年4月2日ころ,大阪市n区(a)b丁目(b)番(c)号(d)(e)号室の当時のB方において,使用する目的で,勝手に,相続届(名義変更または払戻依頼書)兼委任状の用紙に,次のとおり記載するなどした。このようにして,被告人,G,I,Jの4名の作成名義の相続届(名義変更または払戻依頼書)兼委任状1通(Cの金融資産につき,共同相続人の協議により被告人が単独相続したという内容のもの)を偽造した。
(1) 被相続人氏名欄
「C」と記載
(2) 相続人等関係者の住所・氏名欄
「石川県石川郡d町(f)(g)番地 K」
「大阪市n区(h)g丁目(i)(j) G」
「大阪市u区(k)j丁目(l)(m) I」
「石川県松任市(n)(o) J」
とそれぞれ記載し,それぞれの氏名の横に「K」「C」「I」「J」と刻した丸印を押す。
(3) 相続方法の欄
「(1)共同相続人の協議により下記のとおり相続します。」と印刷されている部分の(1)の文字を丸で囲う。
(4) 預金・信託等の手続き内容欄の承継人のお名前欄
「K」「同上」などと記載
2 同年4月4日,大阪市h区(p)p丁目j番(q)号(r)株式会社(p)支店において,事情を知らない同支店の係員に対し,上記偽造文書が真正に作成されたもののように装って,C名義の自由金利型定期預金通帳等と一緒に提出した。
3 このようにして,Cの金融資産について被告人が単独相続したと嘘をついてCの金融資産の承継等に関する手続を申し込んだ。その結果,上記係員を通じてこれを受けた上記(r)(p)支店の主任調査役はそのように信用し,同年4月12日,次の各行為をした。このようにして,他人をだまして財産上不法の利益を得た。
(1) C名義の額面合計500万円の自由金利型定期預金を被告人の名義に変更した。
(2) C名義の時価1426万7065円の(r)国内投資信託((r)CBオープン)1463万8893口を被告人の名義に変更した。
(3) C名義の普通預金口座から23万8389円を同支店の被告人名義の普通預金口座に振り込んだ。
第6 (平成19年12月26日付け起訴状第2)
Bと共謀の上,夫であったC名義の定額郵便貯金の払戻しの名目で現金をだまし取ろうと計画し,次の各行為をした。
1 平成14年4月7日ころ,前記第5の(d)(e)号室等において,使用する目的で,勝手に,レポート用紙に「私に変り妻Kを代理として郵便局の貯金の事を頼む様お願した」,「C」などと記載し,その氏名の横に「C」と刻した丸印を押し,C作成名義の委任状1通を偽造した。
2 同年4月8日,大阪市n区(s)j丁目p番g号n(t)郵便局において,同局の係員に対し,上記委任状が真正に作成されたもののように装って,C名義の定額郵便貯金証書(通帳式)等と一緒に提出した。
3 このようにして,貯金の払戻しを受ける正当な権限があるように装って,定額郵便貯金の払戻しを請求した。さらに,上記係員が本人確認をしたいと求めると,Bの義兄であるEと共謀し,Eは,同日,石川県石川郡d町e(g)番地の自宅において,同係員からの電話での問い合わせに対し,Cを装い,「金沢の病院に来ているので窓口に行けない。窓口に行っている妻に渡して下さい。」などと嘘をついた。その結果,同係員はそのように信用し,すぐに上記n(t)郵便局において現金652万6000円を被告人に交付した。このようにして現金をだまし取った。
第7 (平成19年12月26日付け起訴状第3)
Bと共謀の上,夫であったC名義の定額郵便貯金の払戻しの名目で現金をだまし取ろうと計画した。そして,平成14年4月14日ころ,前記第5の(d)(e)号室等において,使用する目的で,勝手に,レポート用紙に「私に変り受け取り人を下記妻Kに委任します。」,「C」などと記載し,その氏名の横に「C」と刻した丸印を押し,C作成名義の委任状1通を偽造した。次に,同年4月15日,前記第6のn(t)郵便局において,同局の係員に対し,この委任状が真正に作成されたものであり,貯金の払戻しを受ける正当な権限があるように装って,C名義の定額郵便貯金証書(証書式)等と一緒に提出し,定額郵便貯金の払戻しを請求した。その結果,同係員はそのように信用し,すぐにその場で現金351万0948円を被告人に交付した。このようにして現金をだまし取った。
第8 (平成20年4月18日付け起訴状)
先に死亡させた夫であったC名義の預金通帳等を利用して,預金の払戻しの名目で現金をだまし取ろうと計画した。そして,次のとおり,平成14年1月31日から同年4月19日までの間,5回にわたり,1については大阪市h区(p)p丁目j番(q)号(r)株式会社(p)支店において,2から5までについては同じ場所にある株式会社(u)(p)支店において,それぞれの支店係員に対し,預金の払戻しを受ける正当な権限がないのに,これがあるように装って,C作成名義の預金払戻請求書と上記預金通帳を提出するなどして,それぞれ次の金額の預金の払戻しを請求した。その結果,それぞれの支店係員はそのように信用し,すぐにその場でそれぞれ次の金額の現金(合計238万3663円)を被告人に交付した。このようにして現金をだまし取った。
1 平成14年1月31日 100万円
2 同 日 60万円
3 同 年3月29日 48万0579円
4 同 年4月19日 25万3576円
5 同 日 4万9508円
第9 (平成20年4月24日付け起訴状第1)
被告人は,中華人民共和国の国籍を有する外国人であり,同国政府が発行した旅券を所持して平成10年7月28日に日本に上陸し,その後,在留期間の更新を受けて,在留期間の末日が平成13年7月28日とされていたものである。法務大臣は,被告人が同年7月19日付けでその在留期間の更新を申請したのに対し,平成14年5月21日,これを許可しないと決定し,同日その通知を被告人に発送した。それにもかかわらず,この通知を受領しないまま,同日ころ以降も日本から出国せず,平成19年10月16日まで東京都江東区(v)w丁目b番(w)号等に居住するなどして,日本に残留した。このようにして,在留期間を経過して日本に残留した。
第10 (平成19年12月4日付け起訴状)
平成19年11月29日午後8時2分ころ,大阪市(x)区(x)j丁目j番(q)号(y)(z)号室において,y地方検察庁検察官検事Lが被告人に対する有印私文書偽造等被疑事件について被告人を取り調べて供述調書を作成した際,この供述調書に署名・指印をした後,その署名・指印部分を両手で破って口の中に入れた。このようにして,公務所の用に供する文書を毀棄した。
【証拠】
省略
【第1の事実(D殺害の事実)についての判断】
第1争点
Dが平成14年2月4日に石川県石川郡d町に行き,2月16日までに同町で死亡したこと,Dが糖尿病を患っていたことは,争いのない事実である。
本件の争点は次の5つである。
1 被告人が,夫であるCの資産を手に入れる目的で,DをCの替え玉にして糖尿病を悪化させて殺害する計画を立てていたか。
2 Dの死亡時期
3 実行行為,被告人の共謀,因果関係
4 被告人の殺意
5 Bの殺意と共謀
第2争点1(替え玉殺人計画)について
検察官は,次の2つの事実により,被告人は,夫であるCの資産を手に入れる目的で,DをCの替え玉にして糖尿病を悪化させて殺害する計画を立てていたと推認できると主張する。
① 被告人は,石川県を舞台にして,Cの替え玉にした,しかも,糖尿病を患っていたDを使った何らかの計画を立てていた。
② 石川県に行ってすぐに起きた,Cの替え玉にしたDの死は,被告人がCの資産を手に入れるためのものであった。
証拠によれば,上記の各事実が認められ,これらの事実によれば,被告人は,夫であるCの資産を手に入れる目的で,DをCの替え玉にし,Dを糖尿病の悪化により死亡させる計画を立てていたと推認でき,検察官の主張はほぼ認められる。もっとも,上記の計画は,自然に糖尿病が悪化して病死することも含め,何らかの原因で糖尿病の悪化によりDが死亡することを意図した計画であると考えられ,必ずしも殺害のみを意図した計画とは認められない。
なお,検察官は,このほかにも,上記の替え玉殺人計画の存在を推認させる事実として次の2つの事実を主張しているが,これらの主張について判断するまでもなく上記のとおり替え玉殺人計画は認められる。また,仮に次の2つの事実が認められたとしても,これによって上記の計画が殺害のみを意図した計画であるとまで認めることはできない。
③ 被告人は,Bに入院中の夫を山に連れて行くように頼んだ。
④ 被告人は,石川県に行く当日,Dをy市<a>区役所の福祉担当者らの担当から外れるようにするために,Dに,大阪市n区の簡易宿泊所を借りさせて住民票を移させた。
以下,順次,判断の詳細を示す。
1 検察官の主張①(替え玉計画)について
検察官は,
・ 次の(1)のとおり,被告人が糖尿病を患っていたDをCの替え玉にして大阪市内の病院に入通院させていたこと
・ 次の(2)のとおり,被告人がCの替え玉にしたDを,入院直後に計画的に石川県に連れて行ったこと
・ 次の(4)のとおり,この点に関する被告人の弁解は信用できず,被告人はDをCの替え玉にした理由を合理的に説明していないこと
から,被告人は,石川県を舞台にして,Cの替え玉にした,しかも,糖尿病を患っていたDを使った何らかの計画を立てていたことが推認できると主張する。この主張はそのとおり認めることができる。
(1) DをCの替え玉にして入通院させたこと
証拠によれば,次の事実が認められ,これらの事実によれば,被告人が糖尿病を患っていたDをCの替え玉にして大阪市内の病院に入通院させていたことが認められる。
ア 被告人は,平成13年11月14日,大阪市内の<b>のM医師に,夫が糖尿病で面倒を見られないので,夫を入院させる病院を紹介してもらいたいと頼み,翌15日,DをCになりすまさせて<b>に通院させて受診させた。
イ 被告人は,11月17日と19日,DをCになりすまさせて大阪市内の<c>に通院させて受診させた。
ウ 被告人は,平成14年1月21日から31日まで,DをCになりすまさせて<c>に入院させた。
(2) 替え玉にしたDを入院直後に計画的に石川県に連れて行ったこと
ア 証拠によれば,次の事実が認められる。
(ア) Bは,被告人から夫を静養のためにどこかに連れて行きたいと頼まれ,平成14年1月22日,石川県石川郡d町に住んでいる義兄のEに電話を掛け,DをEの家で生活させてくれるように頼んだ。
(イ) 被告人は,1月23日と24日,<c>のN医師に,Dの一時退院の申し出をした。
(ウ) 被告人は,1月25日,y市h区役所において,Cの住所を大阪市の自宅から石川県のEの家に異動させるという住民異動届(転出届)を提出した。
(エ) Dは,1月31日,<c>を一時退院した。
(オ) 被告人は,2月4日,Bと共に,Dを石川県のEの家に連れて行き,Dは,Cになりすましてそこで生活をし始めた。
イ (ア)の事実からは,被告人は入院の翌日にはDを石川県に連れて行くことを意図していたことが,(イ)の事実からは,入院の直後からDを石川県に連れて行くための積極的な行動を取っていることが,(ウ)から(オ)までの事実からは,Dを石川県に連れて行くのは,石川県でDをCになりすまさせるためであることが認められ,これらの事実によれば,被告人は,Cの替え玉にしたDを,大阪市内の<c>に入院させた直後に,周到な準備を整えて計画的に石川県に連れて行ったことが認められる。
(3) E証人の供述等の信用性
(2)アの事実のうち,(ア)の事実はE証人とBの各供述により,(イ)の事実はN医師の供述により認められる。弁護人はこれらの各供述の信用性を争っている(弁護人は,Bの供述については証拠能力も争っているが,後記第4の1(2)ウのとおり,証拠能力は認められる。)が,これらの各供述は信用できる。その理由は次のとおりである。
ア E証人とBの各供述について
E証人の供述は,Bから久しぶりに電話が掛かってきて,「大阪の病院に入院している老人を兄貴のうちにしばらく泊めてくれ」などと頼まれたというもの,Bの供述は,被告人から入院中の夫が退院するのでその静養先を探していると頼まれて石川県のEの家に行くことになったというものである。
これらの供述は重要な点で合致しており,E証人やBがこの点について嘘をつく動機も考えられず,1月23日にはDについて退院の申し出がされているという客観的事実とも合っている。E証人の供述は,赤の他人を泊めてほしいという特異な頼みに関するもので,しかも,だれを泊めてほしいのかという通常関心の高い事柄に関するものであって,記憶違いの可能性は乏しい。また,BがEに嘘の依頼をする理由もない。したがって,これらの供述は信用でき,Bの供述に反する被告人の供述は信用できない。
イ N医師の供述について
N医師の供述は,入院中のDに付き添っていた被告人から,1月23日には「月末は仕事の都合があるので退院しなければならない」などと,1月24日には「2月1日から9日まで仕事があるので1月31日にいったん退院したい」などと申し出があったというものである。
この供述は,具体的なもので1月23日と24日に一時退院の申し出があったというカルテの記載とも合致している。N医師は利害関係のない第三者であって嘘をつく動機は考えられない。また,N医師は,この事実を覚えている理由として,Dはほとんどしゃべらないおとなしい患者であり,入院時被告人が毎日付き添っていたのでよく印象に残っていると述べており,この説明は納得することができる。一時退院の申し出をしたのが患者本人ではなく付添人であったということも印象に残りやすい事柄であると考えられる。記憶違いの可能性は乏しいといえる。
したがって,N医師の上記供述は信用でき,これに反する被告人の供述は信用できない。
(4) 被告人の弁解について
ア 弁解の内容
被告人は,次のとおり弁解している。
被告人は,Cが平成13年11月10日ころに失踪したので,このままでは日本人の配偶者という在留資格で日本に在留している被告人の在留期間の更新が許可されなくなってしまうと考え,Dに頼んでCの替え玉として入院してもらった。そうすれば,被告人が在留期間の更新許可申請をしているy入国管理局の係官にCが失踪したことをごまかせると思ったのである。しかし,y入国管理局に申請している在留期間の更新については,許可されない可能性もあるから,別途,<d>入国管理局に対しても投資経営の在留資格で在留許可の申請をしようと考え,そのために石川県で飲食店を経営しようと思い,Bに頼んで石川県のEの家に住まわせてもらうことにした。Dを連れて行くつもりはなかったが,平成14年1月26日にDと会った際,Dがどうしても被告人と一緒に石川県に行きたいというので,仕方なく一緒に連れて行くことにした。Cの住民異動届を提出したのは,被告人が<d>入国管理局に在留許可の申請をするには被告人の外国人登録上の住所を石川県に変更せざるを得ず,そうすると,日本人配偶者としての在留資格で在留期間の更新許可を受けるために,夫の住所も変更せざるを得ないからである。
イ 弁解の信用性
被告人のこの弁解は到底信用することができない。その理由は次のとおりである。
(ア) 内容の不合理性
被告人が日本人配偶者の在留資格で在留期間の更新許可を受けるため,Cの失踪をごまかす目的でDにCの替え玉になってもらったというその核心部分が不合理である。y入国管理局の係官であったO証人は,日本人配偶者の在留資格で日本に在留している外国人について,在留期間の更新を許可するか否かを判断するに当たっては,実際に夫婦として同居しているかどうかを何の前触れもなく抜き打ちで調査することがあると述べている。被告人もこれを認めており,平成13年7月19日に在留期間の更新許可申請をしてから3か月以上も更新が許可されないことに不安を抱き,入国管理局の係官が自宅に調査に来るのではないかと懸念していたと述べている。ところが,被告人は,DにCの替え玉として入院することを頼んでおきながら,自分はCと同居していたlm号室を出て,別の場所に住んでいたというのである。これでは入国管理局の係官がlm号室を訪れるとCと被告人とが同居していないことが分かってしまい,ごまかしたことにはなっていない。
弁護人は,lm号室に住み続けていても被告人がいないときに入国管理局の係官が訪れるかもしれないから,別の場所に住んでいても同じことである,被告人は,lm号室に電話が掛かると自分の携帯電話に転送されるようにしていたから,電話を受けてすぐに同室へ行けば事情聴取に対応できると考えていたと主張し,被告人もそのように供述する。しかし,lm号室に住んでいなければ,係官が何度訪れても不在であることを不審に思うであろうし,仮に係官が連絡を求めるメモを置いて帰っても,それに対応することができないから,同室に住んでいても別の場所に住んでいても同じであるとはいえない。また,入国管理局の係官が夫婦の居住実態を調査するに当たってlm号室に電話を掛けるとは限らないし,仮に電話を掛けて被告人と会話をしたとしても,現にlm号室に住んでいる形跡のない被告人からの説明に係官が納得するはずがない。そのような説明でごまかすことができると考えていたという被告人の弁解は極めて不合理である。
(イ) P医師,N医師の各供述との矛盾
<c>のP医師とN医師の各供述によれば,被告人は,平成13年11月17日と19日の2回,DをCの替え玉として<c>に通院させた際,診療に当たった上記各医師から入院を勧められながら,被告人自身がこれを断ったことが認められ,この事実は被告人の弁解と矛盾している。
この点に関するP医師とN医師の各供述は,いずれも具体的なもので迫真性があり,その一部はカルテの記載によって裏付けられている。P医師とN医師は利害関係のない第三者であって嘘をつく動機も考えられない。これらの供述は信用できる。
弁護人は,8年も前の出来事に関する供述であり,カルテには入院を拒否したのが被告人であるとまで書いてないから,記憶違いの可能性があると主張する。しかし,この事実を覚えている理由として,P医師は,Dに自覚症状を尋ねてもほとんど自分では答えず,付き添っていた被告人が答えていた,患者本人しか分からないはずの自覚症状まで付添人が答えるというのは普通ではないことなので,印象的でよく覚えていると述べており,N医師も,Dはほとんどしゃべらないおとなしい患者であったのでよく印象に残っていると述べている。これらの説明は納得することができる。入院を拒否したのが患者本人ではなく付添人であったという事実も印象に残りやすい事柄であると考えられる。したがって,弁護人が指摘する点を考慮しても,記憶違いの可能性は乏しい。
これに対し,被告人は,入院を拒否したのは自分ではなくDであると供述するが,信用できるP医師とN医師の各供述と矛盾している。しかも,この点に関する被告人の供述は,DにCの替え玉として入院してほしいと頼んで承諾を得たのに,Dは被告人には何の相談もなく医師に対して入院を拒否し,その理由をすぐには説明せず,平成14年1月になってから,初めて,被告人に検査費用の負担を掛けさせたくなかったからであると説明したという極めて不自然なものである。平成13年11月17日の通院の際に意図に反して入院にならなかったというのに,11月19日の通院の際,Dに必ず入院するようにと念押ししたり医師に入院させてくれるように頼んだりしていないという点も不自然である。Dは,平成14年1月には被告人の依頼どおり入院しているのだから,平成13年11月に入院できない事情があったとも思われない。被告人の上記供述は信用できない。
(ウ) その他の証拠との矛盾
被告人の弁解のうち,当初は石川県にDを連れて行くつもりはなかったが,平成14年1月26日にDからどうしても一緒に行きたいと言われて仕方なく連れて行くことにしたという部分は,夫を静養のためにどこかに連れて行きたいと頼まれたというBの供述,1月22日にBからDをEの家で生活させてほしいと頼まれたというE証人の供述,1月23日と24日に被告人が一時退院の申し出をしたというN医師の供述と矛盾している。
2 検察官の主張②(Dの死はCの資産を入手するためのものだったこと)について
検察官は,
・ 次の(1)のとおり,平成13年10月終わりころ以前から,被告人がCの多額の資産を相続することに関心を持っていたこと
・ 証拠によれば,被告人とDが石川県に行ってわずか10日あまりでDが死亡し,Cの死亡届が提出されたと認められること
・ 犯罪事実第3から第7までで認定したとおり,被告人は,CになりすましたDの死亡直後に,相続などの方法でCの資産のほとんどを不正に入手(不動産については登記名義を不正に取得)したこと
から,石川県に行ってすぐに起きたCの替え玉にしたDの死は,Cの資産を手に入れるためのものであったと推認できると主張する。この主張はそのとおり認めることができる。
(1) Cの多額の資産を相続することに対する被告人の関心
証拠によれば,次の事実が認められ,これらの事実によれば,被告人は,平成13年10月終わりころ以前から,Cの多額の資産を相続することに関心を持っていたことが認められる。
ア Cは,土地や預貯金など多額の資産を持っていた。
イ 被告人は,平成13年10月終わりころよりも前から,Cが多額の資産を持っていることを知っていた。
(ア) 被告人は,平成13年10月終わりころよりも前に,知り合いのQやRに,Cが多額の資産を持っていると話していた。
(イ) 被告人は,平成13年7月19日,y入国管理局に被告人の在留期間の更新許可申請をした際,その添付書類としてCの資産に関する書類を提出した。
ウ 被告人は,平成13年夏ころ,Rに対し,Cが死亡したらその資産はどうなるのか尋ね,相続について説明を受けた。
(2) Q証人等の供述の信用性
上記(1)イ(ア)の事実はQ証人,R証人の各供述により,上記(1)ウの事実はR証人の供述により認められる。弁護人はこれらの各供述の信用性を争っているが,これらの各供述は信用できる。その理由は次のとおりである。
ア Q証人の供述の信用性
Q証人の供述は,平成13年10月14日の2,3日前,被告人に300万円の札束を見せられ,「Cから300万もらった。国債も持っている。」と聞いた,被告人は,それ以前にも3,4回くらい,「Cは貯金を2000万から3000万持っている。国債もいっぱい持っている。」と言っていた,というものである。
Q証人の供述は,具体的なものであり,平成13年10月10日にCの銀行口座から300万円が出金されて翌11日に被告人の信用金庫の口座に270万円が入金されているという客観的事実とも合っている。Q証人は被告人と利害関係のない知人に過ぎず,嘘をついて被告人を陥れる動機は考えられない。300万円を見せられた点については,被告人が新たに店舗を開いたので,店の経営は大丈夫なのかと尋ねたところ,大丈夫だと言って300万円を出してきて,「Cにもらった。国債も持っている。」と言ったという印象的で記憶に残りやすい経緯を述べており,記憶違いの可能性は乏しい。Cが多額の貯金等を持っていると言っていたという点については,そのような話題が出た経緯を含めてR証人の供述と合致している。
弁護人は,Q証人は捜査段階においては300万円を見た時期はもっと遅かったと述べていると主張するが,Q証人の供述は上記のとおり明確なものであるから,一時これと若干異なる供述をしていたことがあったとしても,その信用性が損なわれるものではない。
したがって,Q証人の上記供述は信用できる。これに反する被告人の供述は信用できない。
イ R証人の供述の信用性
R証人の供述は,被告人は,平成13年の春ころ,何回か,Cは土地や金銭を持っている年を取った人であると言っていた,また,平成13年の夏ころ,土地を持っている夫が死亡したらその土地の相続はどうなるのかと被告人に尋ねられ,妻と子供が2分の1ずつ相続するという説明をしたところ,その相続分を全部自分のものにする方法はないのかと尋ねられるなどしたというものである。
R証人の供述は,具体的なもので,R証人は,被告人と利害関係のない知人に過ぎず,嘘をついて被告人を陥れる動機は考えられない。土地の相続の相談を受けたことについては,印象的で記憶に残りやすい事柄であって,記憶違いの可能性は乏しい。Cが資産を持っていると言っていたという点については,そのような話題が出た経緯を含めてQ証人の供述と合致している。
弁護人は,R証人は捜査段階においては被告人からCの話を聞いた時期や場所について異なる供述をしていたと主張する。しかし,R証人は,そのような供述をしたときには記憶が断片的だったが,その後,記憶を整理して思い出したと述べており,その説明は納得できる。
したがって,R証人の上記供述は信用できる。これに反する被告人の供述は信用できない。
(3) 被告人の弁解について
ア 弁解の内容
被告人は,次のとおり弁解している。
被告人は,Dが死亡した後までCの資産については知らなかった。在留期間更新許可申請の添付資料は,Cが用意したもので,被告人は見ていない。被告人は,平成14年2月18日,EにCの納税通知書を渡されてこれはCの土地に関する書類であると言われ,Eの勧めにより,2月20日,これを持ってH司法書士の事務所を訪れたところ,これを見たH司法書士にCが大阪市n区に土地を所有していることを教えてもらい,初めてそのことを知った。Cが多額の定期預金,投資信託,定額貯金を持っていることを知ったのは,4月4日に(r)(p)支店のCが契約していた貸金庫を開けたときである。Cが国債を持っていたことは,本件で起訴されるまで知らなかった。
イ 弁解の信用性
被告人のこの弁解は到底信用することができない。その理由は次のとおりである。
(ア) 内容の不合理性
日本人配偶者の在留資格での自分の在留期間更新許可申請を提出するに際し,夫の資産に関する書類を添付しながら,これを全く見ていないというのは不合理である。
(イ) 他の証拠との矛盾
証拠によれば,被告人は,貸金庫を開ける前の3月29日に,Cの相続人全員で相続について協議したという内容の協議書を偽造して(r)(p)支店に提出したことが認められるが,その協議書には,Cの資産として「貯金通帳と株式証券及び国債」と記載されており,被告人の弁解はこの事実と矛盾している。
また,前記(2)のとおり信用できるQ証人,R証人の各供述と矛盾している。
(ウ) 土地の存在を知った経緯に関する供述の信用性
被告人の弁解のうち,Cの納税通知書をEに渡され,Eの勧めによりこれを持って司法書士の事務所を訪れたところ,司法書士にCがn区に土地を所有していることを教えてもらったという部分は,極めて不自然なものであり,他の証拠とも矛盾している。
E証人はこの事実を否定しているところ,その供述は自然なものであって信用できる。また,Cの納税通知書をEが持っているということなど通常考えられないことである。被告人は,この点について,Bがlm号室から被告人の荷物を運び出すのを手伝った際に,被告人の知らないうちにCの納税通知書を見つけて石川県のEの家に持って行ったのであると供述するが,Bがそのようなことをする理由が考えられない上,Bがそのようなことをしたといつだれに聞いたのかと質問されると,被告人は,質問される度に違う答えをしており,全く信用できない。
H司法書士も,被告人とそのような会話をしたことを否定し,かえって,被告人は,「その土地には建物が建っている。賃料があまり入らない。売るかもしれない。」などと言っていたと供述している。その供述は具体的なもので,嘘をつく動機も考えられず,十分信用することができる。
3 弁護人の主張
弁護人は,次の諸点を指摘して,替え玉殺人計画などは存在しないと主張している。
① Cの資産を手に入れるためには,だれかにCを装ってもらえばよいのであって,殺人まで計画する必要はない。
② 露見して失敗する可能性の高い計画である。
③ 込み入った計画であり,被告人が1人で計画を立てたものとは思われないが,計画の立案に協力者がいたという証拠はない。
④ Dの死亡が判明した2月16日,被告人がEの家から一時逃走した理由を説明できない。
しかし,①については,Cの顔を知っている銀行員をだましたり,不動産の登記名義を取得するために登記済証を入手したり,これに代わる保証書を用意したりする必要があるから,だれかにCを装ってもらえば簡単に手に入れられるとはいえない。②と③については,替え玉殺人計画の存在を疑わせるほどの事情ではない。④については,確かに事態が計画通りに進行しているのに被告人が一時逃走した理由は明らかでないが,警察官が検視に訪れたのが予想外の事態だったので,動揺して逃走したのではないかとも考えられ,替え玉殺人計画の存在を疑わせるほどの事情ではない。
第3争点2(Dの死亡時期)について
証拠によれば,Dは,平成14年2月15日ころに死亡したものと認められる。
検察官は,次の4つの事実から,Dは遅くとも2月15日の夕方ころには死亡していた,Dがこの日の午後9時ころまで生きていたことはないと主張する。
① 検視のデータからすると,Dの死亡推定時刻は2月15日午前7時ころであると考えられる。
② 被告人は2月15日午後3時過ぎころ,真冬なのにDの部屋の窓を開け,扇風機を出していた。
③ Eは2月15日の夕方,被告人又はBから,Dがビールを取りに来たことにしてほしいと口裏合わせを頼まれた。
④ 2月15日の午後9時ころにはDは生きていたという被告人の供述は信用できない。
しかし,上記①の事実は,次に述べるとおり認めることができない。上記の②と③の事実は,確かに不審な行動ではあるが,必ずしもDが既に死亡していたことを示す事実とはいえない。④についても,被告人の供述が信用できないからといって,そのときにDが既に死亡していたとまではいえない。
上記①の事実について,検察官は,2月16日午後1時前後に行われたDの死体の検視において,その直腸温が摂氏17度,気温が摂氏16度であったこと,死斑は中程度で,指で押しても退色しなかったこと,証人としてS医師が,「死斑は死後24時間から30時間以上経過すると押さえても退色しなくなる。死体の直腸温は,一般的には生前の摂氏約37度から死後最初の10時間は1時間に摂氏1度ずつ低下し,その後は1時間に摂氏0.5度ずつ低下し,外気温と同じになったところで低下が止まる。」と供述していることを根拠に,Dの死体は死後約30時間経過しており,死亡推定時刻は2月15日の午前7時ころになると主張する。しかし,S医師は,同時に,「死斑が退色しなくなる時期は死後約15時間という考え方もあり,直腸温の点を度外視すれば検視時のDの死体は死後約15時間であったということもあり得る。直腸温の低下については,外気温が死亡後ずっと摂氏16度であったことを前提とする推定であり,実際の外気温がこれを相当下回るものであったときには,被害者の死亡推定時刻は相当変化する。」とも述べている。2月という寒い時期の石川県の木造家屋の和室に置かれていたという死体の状況によれば,夜間の気温は相当低くなるものと思われる。そうすると,上記の検視時のデータによっては,Dの死亡推定時刻が2月15日の午前7時ころであるとはいえず,遅くとも同日の夕方であるとか,遅くとも同日の午後9時より以前であるとか断定することもできない。
したがって,検察官の上記主張は理由がない。
第4争点3(実行行為,被告人の共謀,因果関係)について
検察官は,次の5つの事実により,被告人は,Bと共謀の上,平成14年2月10日,Dをc海岸で数時間にわたり歩かせた上,DをEの納屋に連れて行って簀巻きにして監禁し始め,2月14日又は15日まで,簀巻き監禁を継続し,これによってDを死亡させたことが推認できると主張する。この主張は,そのとおり認めることができる。
① 被告人は,2月10日,Dをc海岸で数時間にわたり歩かせた上,Bと一緒に,DをEの納屋に連れて行った。その際,Dは納屋で簀巻きにして監禁され始め,翌11日の午後4時ころ,Tに発見されるまで監禁されていた。
② Tに発見された後も,Dは2月14日又は15日まで納屋で同様に監禁され続けた。
③ Bは,Dを納屋で簀巻きにして監禁したことに関与していた。
④ 被告人は,Dを納屋で簀巻きにして監禁したことに関与していた。
⑤ これらの行為は,Dを死亡させる危険性の高い行為であり,Dはこれによって死亡した。
以下,順次,判断の詳細を示す。
1 検察官の主張①(2月10日と11日の出来事)について
検察官は,次の(1)から(3)までの事実により,被告人は,平成14年2月10日,Dをc海岸で数時間にわたり歩かせた上,Bと一緒にDをEの納屋に連れて行き,その際,Dは納屋で麻袋様のもので簀巻きにして監禁され始め,翌11日の午後4時ころ,Tに発見されるまで監禁されていたことが推認できると主張する。この主張は,そのとおり認めることができる。
(1) Tによる発見
証拠によれば,2月11日の午後4時ころ,TがEの納屋で麻袋様のもので簀巻きにして監禁されているDを発見したことが認められる。
この日が2月11日であることについては,次の各事実により認められる。
ア Tとその内妻であるUが納屋に行く直前に一緒に立ち寄ったファミリーレストラン「<e>」の2月9日から14日までの伝票中には,Uが記憶するそのときの着席場所や注文内容などと矛盾しないものは2月11日午後1時59分のものしかない。
イ Uは,本件当時,日曜日の午後8時から放送されていたNHKの大河ドラマ「利家とまつ」を毎回欠かさず見ていたが,Tと納屋に行った日は,帰宅後寝るまでTと納屋での出来事の話をしており,「利家とまつ」を見なかった。したがって,この日は日曜日である2月10日ではない。
ウ Eの隣家に住むVは,2月12日,青色確定申告のための書類をEに書いてもらうためにEの家に行ったが,その際,Eは,Dを納屋に入れたということをBから聞いたと話した。これが2月12日のことであることは,Vの日記によって裏付けられている。Eがそのような話をしたのは,TがDを発見した日の翌日のことであった。
(2) c海岸,<f>,Eの納屋における一連の出来事
証拠によれば,Bの運転する自動車で被告人とDがc海岸に行き,そこで被告人がDを数時間にわたり歩かせたこと,<f>駐車場に立ち寄ったDが四つんばいになって自力では動けそうにない状態になっていたこと,被告人とBが一緒にDをEの納屋へ連れて行き,Dが納屋に閉じ込められたことがあり,これらは平成14年2月10日の出来事であることが認められる。
ア B供述の内容
この点に関するBの供述は,Bの裁判官調書抄本(A52,53)と検察官に対する弁解録取書謄本(A49)に録取されているものであるが,その内容は,次のとおりである。
自動車に被告人とDを乗せてEの家からスーパーマーケット<g>へ行き,その後,c海岸に連れて行ったことがある。被告人は,そこでDを数時間にわたって歩かせていた。あまりに長いので,被告人に電話を掛けてもう帰ると言った。帰る途中で,Dがものすごく具合が悪い様子になった。<f>に立ち寄ったところ,Dが駐車場で車の外に出てしゃがんでいた。Dが<f>の駐車場でそのような状態になったことは1回しかない。それにも関わらず,被告人に頼まれて,被告人とDをEの納屋の前まで連れて行った。被告人はDを納屋に閉じ込めた。
イ W証人の供述等により認められる事実
(ア) 他方,W証人の供述と捜査報告書(A16)によれば,次の事実が認められる。
a Wは,<f>の駐車場で,Dが,少なくとも約30秒間,自力では動けない様子で地面に両手と両膝をついて四つんばいになっており,そばに被告人が立っている状況を見た。Wは,<f>の店内で,店主であるXに,店外で人が倒れていると告げた。
b WとXが店外に出たところ,Xと面識のあるBと被告人がDを軽トラックの助手席に乗せているのが見えた。
c それは,平成14年2月の日曜日の夕方のことであった。平成14年2月の日曜日で被告人とB,Dが<f>に立ち寄った可能性のある日は2月10日のみである。
(イ) W証人の供述は具体的なものであり,Xの供述とも合致している。強く印象に残る事柄に関するものであって,記憶違いの可能性はない。全く利害関係のない第三者であり,嘘をついている疑いはない。その供述の信用性に疑いの余地はない。
(ウ) W証人が目撃した上記の出来事は,Bが供述するc海岸から帰る途中で<f>に立ち寄ったときの状況に極めてよく似ており,これらは同じ出来事であると考えられる。したがって,仮にBの上記供述が信用できるものとすれば,Bが供述する一連の出来事は,2月10日のことと考えられる。
ウ B供述の証拠能力
弁護人は,Bの裁判官調書抄本(A52,53),弁解録取書謄本(A49)及び検察官調書謄本(A51)は伝聞証拠であり,また,これらの書面についての証拠調べ請求は刑事訴訟法316条の32第1項の要件を満たしていないから,これらの書面は証拠能力がないと主張する。しかし,Bは,証人として尋問を受けながら証言を拒否したのであるから,これらの書面は刑事訴訟法321条1項1号,2号により証拠能力を有するし,刑事訴訟法316条の32第1項の要件を満たすか否かは証拠能力の有無に影響を及ぼさない。したがって,弁護人の主張は理由がない。
弁護人は,Bは体調の良いときには証言をすると述べているから証言拒否には当たらないし,証人尋問の終了後,弁護人が面会したときには,証言する意思を否定していなかった,検察官は証言確保の努力を怠っていると主張する。
しかし,この点に関する証人尋問時の問答は次のとおりである。
(尋問開始)
(検察官)問 検察官のYからお尋ねします。
答 お前らの言うことは一切拒絶する。
(中略)
(裁判長)問 証人,お答えください。
答 拒絶すると言うたやん。
(中略) 問 今日は被告人Kの事件
答 そんなもの,わしに関係ない。一切拒絶します。関係ない。
問 今日は被告人Kの事件の審理をするためにあなたの話を聞きたいんです。
答 (前略)一切言われん。拒絶。調子悪いんや。今日,頭も痛いし,お前ら好きなように言えよ。どっちもこっちも拒絶。調子悪いんや。腹痛いし。遅なって,今来たとこや。薬も飲んだとこや。
(中略) 問 (前略)理由がないのであれば話をしてもらわないといけない。
答 理由はあるよ。体調悪い。今日は朝から下痢して。(以下略)
(中略) 問 今,トイレに行かれたら,質問に答えますか。
答 そんなもん,わしの勝手やろう。
(休廷・中略)
(検察官)問 今,休廷してもらったんだけども,その間にトイレに行きましたか。
答 ・・・
問 (略)
答 頭が痛くて,がんがんしていて,血圧と頭痛と,腹はちょっとましになったけども。(以下略)
このように,Bは,尋問の冒頭において何も理由を言わずに一切の証言を拒否すると述べ,再三証言を求められてもこれに応じず,理由を言うように求められて初めて腹が痛いとか下痢をしているとか言い始め,休廷を挟んで尋問を再開すると,今度は頭が痛いとか血圧が高いとか言って証言を拒否している。確かに体調が悪いから証言を拒否するということも述べているが,このようなBの供述を全体として見れば,体調は口実に過ぎず,実質的には体調のいかんを問わず証言を拒否するという趣旨であることが明らかである。弁護人の主張する尋問終了後の面会時のBの発言というのも,「考え中,気分,体調の問題」などというものであって,実質的には証人尋問時の供述と変わらない。検察官が証言確保の努力を怠っているともいえない。
エ B供述の信用性
Bの上記供述は信用できる。その理由は次のとおりである。
Bの供述は,D殺害事件について,捜査段階において被告人の共犯者として取調べを受けた際,あるいは公判段階において自分の被告事件の公判廷で行われたものである。それなのに,Bの供述は,D殺害事件にB自身が関わっていることを基礎づける極めて不利益なものである。これが嘘であるとは到底考えられない。c海岸でDと一緒に歩いたことは被告人も日付を除いては認めており,これにより裏付けられている。Bがこの点について,これが<f>の駐車場でDが具合が悪い様子になった日やDが納屋に閉じ込められた日と同じ日であるという点だけ嘘をつく動機は考えられない。具体的で迫真性があり,c海岸でDを歩かせている途中で被告人に電話を掛けたという点については,2月10日午後3時28分にBの携帯電話から被告人の携帯電話へ通話した記録があるという客観的事実と合っている。<f>での出来事の部分はW証人の供述により裏付けられている。Dが2月10日にEの納屋に閉じ込められたという部分は,2月11日にTが目撃した状況と合っている。そうすると,弁護人の反対尋問による吟味が行われていないという弁護人主張の問題点を考慮しても,その供述は十分に信用できる。
弁護人は,Bは,自分の被告事件の公判廷においてこれと異なる供述をしていると主張する。確かに,Bは,自分の被告事件の公判廷においては,c海岸に行った日と<f>に行った日とが同じ日かどうかはっきりしない,被告人と一緒にEの納屋に行って被告人がDを納屋に閉じ込めたことがあったかどうかはっきりしないとも述べている(以下,「Bの否認供述」という。)。
しかし,Bの否認供述は信用できない。c海岸での出来事,<f>での出来事,Dが納屋に閉じ込められた出来事は,いずれも非日常的で記憶に残りやすい事柄であるのに,Bの否認供述は,これらが同じ日のことなのか,違う日のことなのかが分からないなどという不自然なものである。また,Eの家から自動車でスーパーマーケットの<g>へ行き,ビールを飲むなどした後,c海岸に行ったことは明確に述べながら,c海岸から帰ってきた後の出来事については途端にあいまいな供述になっており,不自然である。Bは,これらが同じ日の一連の出来事であるということを自発的に捜査官に話したとも供述している。したがって,これらが同じ日の一連の出来事であり,この日にDが納屋に閉じ込められたというBの捜査段階における供述の信用性は高い。Bは,捜査段階においては接見禁止が付かないように嘘をついたと述べるが,当時受刑中で自由が大幅に制限されていたBが,殺人罪で長期間刑務所に入らなければならない危険を冒してまで,接見禁止が付かないように自分に不利益な嘘をついたというのは不自然不合理である。しかも,そのような理由で自分に不利益な嘘をついたと言いながら,DがCの身代わりであることは知らなかった,被告人と事前に殺害の謀議をしたことはなかったなどと弁解して,結局犯罪事実を否認していることとつじつまが合わない。
このようなBの否認供述は,刑事責任を免れるために殊更に嘘をついていると理解できるものであって,これによってBの上記供述の信用性が損なわれるものではない。
弁護人の主張は採用できない。
オ 被告人の弁解について
被告人は,c海岸に行ったのは2月12日のことであり,このとき,Dから,前日,Bに責められて麻袋をかぶせられ,暗い部屋に閉じ込められたと聞いた,2月10日にはD,Bと一緒にレストランに行き,その帰りに<f>に立ち寄ったのであると弁解している。しかし,被告人は捜査段階においてはDからBに監禁されたと聞いたというようなことを全く供述せず,かえって,監禁の事実自体を否定していたものである。被告人は,捜査段階においてそのような供述をしていた理由を合理的に説明していない。また,被告人の供述によれば,2月11日の夜はDと2人きりで過ごしたというのであるから,Dが2月11日の夜にはBに監禁された話をせず,2月12日にc海岸に行ってからその話をしたというのも不自然である。<f>に立ち寄ったときの状況については,W証人の供述と矛盾している。被告人の弁解は信用できない。
弁護人は,W証人の供述は被告人の弁解と矛盾しないと主張するが,この点に関する被告人の供述は,酒に酔ったDが<f>の駐車場で立ち小便をして自分のズボンを濡らし,うつむいてBの自動車に両手を付いて立っていたので,Bと2人で自動車に乗せた,四つんばいになっていたことはないというものであって,これはW証人の供述する目撃状況とは全く異なっている。
(3) 2月10日の夜にDが戻ってこなかったこと
E証人の供述によれば,Dは,2月10日の夜にはEが就寝するまでEの家に戻って来なかったことが認められる。
弁護人は,E証人の供述の信用性を争っているが,後で2(2)で述べるのとほぼ同じ理由で,E証人の供述は信用できる。
2 検察官の主張②(2月14日又は15日までの監禁の継続)について
検察官は,次の(1),(2)の事実により,Dは,Tに発見された後も,平成14年2月14日又は15日までEの納屋で簀巻きにして監禁され続けていたと推認できると主張する。この主張は,そのとおり認めることができる。
(1) BはTの前ではDを助けなかったこと
証拠によれば,Tは,Dを発見した後,直ちにEとBにこれを伝え,Bと一緒に納屋に行ったが,BはTのいる前ではDを助けなかったことが認められる。
(2) Dが2月14日又は15日まで,Eの家に戻ってこなかったこと
E証人の供述によれば,Dは,2月14日又は15日まで,Eの家に戻ってこなかったことが認められる。
弁護人は,E証人の供述の信用性を争っているが,この供述は信用できる。その理由は次のとおりである。
ア 供述の内容
E証人の供述は,2月11日の夜,Eが就寝するまでDは戻ってこなかった,Eは,毎日朝晩,Dの部屋に隣接する仏間でお参りをしていたところ,2月12日の朝から14日の晩まで,お参りの都度,ふすまを開けてDの部屋をのぞいたが,Dの布団は平らになっていてだれもいなかった,この間,Dの姿は全く見ておらず,被告人がDの部屋に食事を持って行く様子もなかった,というものである。
イ 供述の信用性
この供述は,非常に具体的なもので迫真性があるし,極めて異常で印象的な出来事に関するものであって,見間違えや記憶違いの可能性はない。E証人の供述は,Dが納屋で監禁されていることを知りながら,自らDを助け出し,あるいは警察に通報することもなく放置していたというもので,Dの死に対して責任を問われたり,殺人の共犯者ではないかと疑われたりしかねない極めて不利益なものである。これが嘘であるとは考えられない。また,T証人は,7月ころ,Eから,実は2月11日の後も4,5日間,Dは戻ってこなかったと聞いたと述べており,これによって裏付けられている。
弁護人は,E証人は被告人と関わりを持ったために殺人の嫌疑を掛けられ,逮捕・勾留されて厳しい取調べを受け,最終的には詐欺の事実で有罪判決を受けたので,被告人を恨んでいるから,被告人に不利益な嘘をつく動機があるし,実際にもよく嘘をつく人物であり,その供述内容もDが監禁されていることを知りながら自ら助け出そうとしなかったという不自然なものであると主張する。しかし,そうであるとしても,偽証罪に問われる危険を冒してまで被告人を罪に陥れる嘘をつくとは思われない上,その供述は前記のとおりE証人自身にとって極めて不利益なものであるから,これが嘘であるとは考えられない。弁護人は,E証人が供述したときにはこれによって共犯の嫌疑を掛けられるおそれはなくなっていたと主張するが,E証人が平成14年7月の段階で既にTに同様の話をしているところからも,弁護人の主張は採用できない。
また,弁護人は,E証人の供述には,捜査段階の供述と矛盾するところが多々あり,E証人が高齢であること,本件から供述までに7年以上もたっていること,前記のとおり逮捕・勾留されて警察官の誘導や誤導を受けたことなどから,記憶が減退したり変容したりしていると主張する。しかし,E証人は,捜査段階において異なる供述をしていた理由について,保身のために嘘の供述をしていたなどと説明しており,供述の変遷のうち多くのものはこの説明により納得できる。もっとも,そのような説明では納得できない供述の変遷もあるが,それらはどれも細かい事柄に関するもので,記憶が減退したり変容したりしていても不自然ではないものである。これに対し,Dが2月11日の後も2月14日の夜まで戻ってこなかったという事実は,極めて異常な出来事であって,記憶が減退したり変容したりしているとは考えられない。
したがって,E証人の上記供述は信用できる。被告人は,Dはこの間Eの家にいたと述べるが,信用できるEの上記供述に反しており,信用できない。
3 検察官の主張③(Bの関与)について
証拠によれば,次の事実が認められる。これらの事実によれば,Dを納屋で簀巻きにして監禁したことについて,Bが関与していることは明らかである。
(1) Tは,Dを発見して直ちにEの家を訪れ,車庫の前にいたEとBに大声でDが納屋で監禁されているということを言った。それを聞いたEはBに「おめえか,そんなことをしたのは。」などと言って問い詰めた。するとBは「わしや。わしがしたんや。小便を垂れるもので懲らしめのためにやった。」などと言った。
(2) Tは,その後すぐにBと一緒に納屋に行き,一緒に納屋の中に入ったが,Bは,TにDの居場所を尋ねることも,納屋の中を見渡すなどしてDの居場所を探すこともなく,直ちにDが閉じ込められていた小部屋の前まで行ってその引き戸を開けた。
4 検察官の主張④(被告人の関与)について
証拠によれば,Dを納屋で簀巻きにして監禁したことについて,被告人が関与していることも認められる。その理由は次のとおりである。
(1) 前記第2で認定したとおり,被告人は,Cの資産を手に入れる目的で,DをCの替え玉にして糖尿病の悪化により死亡させる計画を立てていた。Dは,石川県に行ってから10日あまりで死亡し,その直後,被告人は,相続などの方法でCの資産のほとんどを不正に入手(不動産については登記名義を不正に取得)した。
(2) 前記1及び2で認定したとおり,Dは平成14年2月10日にEの納屋で簀巻きにして監禁され始め,2月14日又は15日まで監禁され続けていた。
(3) 後記5で認定するとおり,納屋で簀巻きにして監禁する行為は,Dの糖尿病を悪化させて死亡させる危険性の高い行為であり,実際に,Dはこれらによって糖尿病を悪化させて死亡した。
(4) 上記(1)の事実によれば,被告人は,糖尿病の悪化によりCの替え玉にしたDを死亡させ,それによりCの資産を手に入れることを計画していたところ,実際にDは死亡して被告人はCの資産を手に入れている。そして,上記(3)のとおり,Dが死亡したのは,納屋で簀巻きにして監禁されるという糖尿病を悪化させる危険性の高い行為により,糖尿病が悪化したためである。そうすると,この簀巻き監禁行為は被告人の立てていた計画の遂行に適した行為であり,実際に計画の遂行に役立っているのであるから,これが被告人の意思に基づくものである疑いは極めて強い。
加えて,上記(2)の事実によれば,Dは,2月10日から4日か5日も納屋で監禁され続け,この間,Eの家に戻らなかったわけであるが,被告人は,Dと夫婦関係を装ってEの家で同居していたのだから,当然そのことを知っていたものと認められる。仮にDの簀巻き監禁が被告人の意思に基づかないものであるとすれば,被告人にとってはDが突然いなくなったことになり,上記の替え玉殺人計画の遂行に支障が生じるから,直ちにDを探すはずであるが,被告人がDを探した形跡はない。したがって,Dが納屋で簀巻きにして監禁されたことは,被告人の意思に基づくものであり,被告人がこれに関与していることは明らかである。
(5) 検察官は,被告人がDの簀巻き監禁に関与していることを示す事実として,ほかにもいくつかの事実を主張するが,それらの主張について判断するまでもなく上記のとおり被告人の関与は認められる。
5 検察官の主張⑤(行為の危険性と因果関係)について
証拠によれば,次の事実が認められ,これらの事実によれば,被告人がBと共謀の上でした行為は,Dの糖尿病を悪化させて死亡させる危険性の高い行為であり,Dはこれによって糖尿病が悪化し,これによる身体状況の悪化により死亡したと認められる。
(1) Dの死因は,糖尿病の合併症である糖尿病性昏睡,心筋梗塞,肺炎,脳梗塞のいずれかである。
(2) Dは,適切にインスリンの投与を受け,通常の生活を送っていれば,<c>退院時から約2週間で死亡するような状況にはなかった。
(3) Dを,c海岸で数時間にわたり歩かせ,納屋で簀巻きにして監禁したことは,糖尿病を悪化させて合併症により死亡させる危険性の高い行為である。
第5争点4(被告人の殺意)について
既に第2で述べたとおり,被告人は,Cの資産を手に入れる目的で,DをCの替え玉にして糖尿病の悪化により死亡させる計画を立てていたことが認められ,第4で述べたとおり,被告人は,Bと共謀の上,Dの糖尿病を悪化させ,死亡させる危険性の高い行為をしたこと,Dはこれによって糖尿病が悪化し,これによる身体状況の悪化により死亡したことが認められる。そして,被告人は,被告人自身が公判廷で認めているとおり,Dが糖尿病を患っていてインスリンの投与が必要な状態であることを知っており,平成14年1月に<c>に入院していたころには,N医師から糖尿病は合併症が起きれば急に死んでしまうことがある病気だと聞かされ,2月8日には,医師からいつ倒れてもおかしくない状態だと言われていたことが認められる。
以上の事実によれば,被告人は,Dを殺害するつもりでBと共謀の上,上記の行為をしたものと認められる。
第6争点5(Bの殺意と共謀)について
証拠によれば,次の事実が認められ,これらの事実によれば,Bには殺意があり,被告人との共謀に基づいて前記の行為をしたのであって,Bは殺人の共同正犯に当たると認められる。
1 Bは,被告人の替え玉殺人計画を知っていた。
(1) Bは,被告人がDをc海岸で疲れ果てるまで歩かせたのを目の当たりにした上で,被告人と一緒にDを納屋に連れて行った。
(2) Bは,DがCの替え玉であることに気づいていた。
ア Bは,平成14年1月ころ,被告人から,Cの替え玉として入院させる病気の老人を探してほしいと頼まれて,被告人と一緒に探した。
イ Bは,5月ころ,Tらに,DがCの替え玉であったことを白状し,そのことを知っている理由として,Cの写真を見たことがあるなどと言った。
(3) Bは,Dの死亡直後に,被告人と一緒に,Cの資産を手に入れるなどの犯罪行為をした。
(4) Bは,Dが死亡する数日前,Eの知人であるZに,Dはもうすぐ死ぬという意味のことを言った。
2 Bは,その上で犯行に加わり,Dを死亡させる危険性の高い行為をした。
(1) Bは,石川県に行く直前ころ,Dが糖尿病で入院していることを知っていた。
(2) Bは,被告人と一緒に,Dを死亡させる危険性の高い行為である納屋での簀巻き監禁行為をした。
(3) Bは,被告人からの報酬などを目当てにしていた。
ア Bは,当時被告人の言うことを聞いていれば食事に困らないなどと考えていた。
イ Bは平成14年1月ころ,被告人から夫の替え玉探しを頼まれた際,被告人から報酬をもらえることを期待して替え玉探しをした。
ウ Bは,Dの死亡直後,Cの資産を手に入れる犯罪に積極的に関与した上,その後,被告人から400万円を奪った。
3 Bは,自己の犯罪を犯したといえる程度に重要な役割を果たした。
(1) Bがいなければ替え玉殺人計画の舞台である石川県のEの家にDを連れて行くことはできなかった。
(2) Dをc海岸や納屋に連れて行った際,Bが自動車を運転していた。
(3) Bは,被告人と一緒にDを納屋に連れて行って簀巻きにして監禁した。
(4) Tらに発覚した後も,簀巻き監禁を継続した。
(5) 替え玉殺人の目的であるCの資産を手に入れるため,Bが積極的に犯罪をした。
(6) 被告人からの報酬などを目当てにしていた。
【第2の事実(Cを死亡させた事実)についての判断】
第1争点
本件の争点は次の4つである。
1 Cは,平成13年10月29日から11月6日までの間にlm号室で死亡したか。
2 被告人は,Cを死亡させた犯人であるか。
3 被告人の殺意
4 (3が認められない場合に)被告人はCに対し何らかの暴行を加えたか,又は傷害の故意をもって死亡させたか。
第2争点1(Cの死亡)について
検察官は,次の3つの事実により,Cは,平成13年10月29日から11月6日までの間にlm号室で死亡したと主張する。この主張は,そのとおり認めることができる。
① lのm号室6畳間の押入にCの骨格筋や多数の血痕が付いていた。その状況から考えると,Cの死体が解体されたか,あるいは,Cが病院での治療を必要とする程度の重い傷害を負ったことが推認できる。
② その骨格筋や血痕は,10月29日から11月6日までの間に付いたものである。
③ Cは,②と近接する時期に行方不明になり,その後長期間経過したが生きている形跡がない。
以下,順次,判断の詳細を示す。
1 検察官の主張①(死体の解体又は重い傷害)について
(1) 骨格筋や血痕の付着状況
証拠によれば,平成14年5月18日と19日に行われた検証の際,lm号室6畳間の押入(以下,単に「押入」という。)のふすま戸内側にヒトの骨格筋の一部が付いており,その押入下段の内部や押入の敷居側面に相当数のヒトの血痕が付いていたことが認められる。
(2) これらが同一の機会に付いた同一人物のものであること
S証人の供述によれば,骨格筋はその両端が骨に固く付いているので,包丁のような刃物で刺したり切ったりしても簡単には体外に出ることはないことが認められる。そうすると,骨格筋が切断されて体外に出るような場合には相当量の血液が体外に流れ出すものと推認できる。
他方,証拠によれば,押入下段内部は,奥行が約90センチメートル,幅が約81センチメートル,高さが大人が座った状態になるなどしなければ入ることができないほどの狭い空間であることが認められる。
通常の日常生活の中では,このように狭い押入の中で出血をすること自体めったにないことである。まして,このような押入の中で骨格筋が体外に出るようなけがをすることはほとんど考えられない。その狭い空間の中に近接して骨格筋と多数の血痕が付いており,これに近接する敷居側面にも血痕が付いていた状況を考えれば,そのような出来事が2回以上あったとは考えられない。
加えて,証拠によれば,上記骨格筋と上記血痕のうちの1つのDNA型について,MCT118型検査,HLADQα型検査,TH01型検査,PM検査を実施したところ,いずれも一致したことが認められる。
そうすると,これらの骨格筋と血痕は同一の機会に付いたもので,いずれも同一人物のものであると推認できる。
(3) これらがCのものであること
ア 証拠によれば,次の事実が認められ,これらの事実によれば,上記骨格筋や血痕はCのものであると推認できる。
(ア) 上記骨格筋と鑑定書(A27)の鑑定資料であるへその緒のDNA型を検査したところ,アメロゲニン型が一致し,STR型検査の15座位のうち9座位においてDNA型が一致した。そのDNA型の出現頻度は約4兆人に1人である。
また,上記血痕のうちの1つと上記のへその緒のDNA型について,HLADQα型検査,TH01型検査,PM検査を実施したところ,いずれも一致した。
(イ) 鑑定書(A27)の鑑定資料であるへその緒は,木箱に入っている。その木箱には「母 (A)」「命名 C」「大正十三年十月十九日・・・生」と書かれており,この日付はCの生年月日と一致するから,この木箱はCのへその緒を入れるために使用されていたものと推認できる。
イ 弁護人は,鑑定書(A27)の鑑定資料であるへその緒がCのものであるとは断定できないと主張する。しかし,上記のとおりCのへその緒を入れるために使用されていた木箱に入っているへその緒は,中身がすり替わる可能性のある機会があったなどの特段の事情がない限り,Cのへその緒であると推認できる。そして,証拠上,上記の木箱の中身がすり替わる可能性のある機会があったことなど,全くうかがわれない。
(4) これらがCの死体が解体されたかCが重い傷害を負った際に付いたものであること
ア S証人の供述によれば,次の事実が認められる。
(ア) 押入壁面には下から上方向への飛沫血痕があるが,これらが床から30から40センチメートルの高さに止まっていることなどから考えると,血痕が付いた時点ではCが既に死亡していた可能性がある。
(イ) 骨格筋や血痕が付いたのがCの生前であるとすれば,身体が数回以上にわたって損傷され,自然治癒する程度の傷害ではなく,病院での治療を必要とする程度の傷害を負ったと考えられる。
イ 骨格筋や血痕が付いた時点で既にCが死亡していたとすれば,死体に対し骨格筋が体外に出るほどの損傷を加えるのは,死体を解体する目的以外に考えられない。
そうすると,押入内部の骨格筋や血痕は,Cの死体が解体された際に付いたものか,あるいは,Cの身体が数回以上にわたって損傷され,Cが病院での治療を必要とする程度の重い傷害を負った際に付いたものと推認できる。
2 検察官の主張②(その時期)について
(1) 骨格筋や血痕が平成13年10月29日より前に付いたものではないこと
ア 証拠によれば,次の事実が認められ,これらの事実によれば,骨格筋や血痕は,10月29日より前に付いたものではないと推認できる。
(ア) Cは,10月22日まで定期的に<h>と<i>に通院していたが,これらの病院にはCが骨格筋の一部が切断されて体外に出るような傷害を負ったことに関する治療記録はない。
(イ) <h>の(B)医師は,Cから骨格筋の一部が切断されて体外に出るような傷害を負ったと聞いたことがないし,Cがそのような傷害を負っているのを見たことがない。
(ウ) Cは,大阪市内の救急指定病院に救急搬送されたことがない。
(エ) Cは,10月29日午前10時20分ころ,y入国管理局に行ったが,その際,けがをしている様子はなかった。
イ 弁護人は,押入内の骨格筋や血痕が10月29日よりはるか以前に付いた可能性を指摘する。しかし,証拠によれば,Cがlm号室に住み始めたのは平成12年12月であること,Cは,<h>には平成4年から,<i>には平成5年からそれぞれ定期的に通院していたことが認められる。前に述べたとおり,この間,Cが骨格筋の一部が切断されて体外に出るような傷害を負ったことに関する治療記録はないから,Cの骨格筋や血痕が平成13年10月29日より前に付いていた可能性はない。
(2) これらが11月6日までに付いたものであること
ア 証拠によれば,次の事実が認められる。これらの事実に11月6日の畳替えの後に,押入前の畳が再度替えられたことをうかがわせる証拠がないことも合わせると,押入の敷居側面の血痕は,11月6日の畳替えよりも前に付いたものと推認できる。
(ア) 平成14年5月18日と19日に実施された検証の際には,押入の敷居側面に上から下に流れるように乾燥した血痕が付いていたが,その部分と接する押入前の畳の側面には,目で見える血痕は付いていなかった。
(イ) <j>の(C)は,平成13年11月6日,被告人に押入前の畳の畳替えを依頼されてこれを搬出し,翌7日に新しい畳を搬入した。
イ 上記ア(イ)の事実は(C)証人の供述により認められる。弁護人はその信用性を争うが,この供述は信用できる。その理由は次のとおりである。
(ア) (C)証人は利害関係のない第三者であって,嘘をつく動機は考えられない。また,(C)証人は畳替えの際に見たシミの状況など非常に具体的な供述をしており,その内容には迫真性がある。被告人が待ち合わせの時間に来ずに何度か被告人に電話をかけた,被告人から夫として紹介された男性が被告人とは年齢が離れていて釣り合いが取れない夫婦だと思ったなどと非常に印象的な出来事を述べており,ほかの畳替えの際の出来事と混同している可能性もない。また,(C)証人は,畳は6枚とも搬出したが,押入前の畳1枚だけを交換し,他の5枚の畳は畳表の張り替えだけをしたと述べているところ,この点は,検証の際に押入前の畳1枚だけ他の畳と畳の本体が異なっていた事実と合っている。
(イ) これに対し,被告人は,確かに11月6日に(C)に畳替えを依頼し,(C)はlm号室に来たが,結局畳は替えなかったと供述している。しかし,これは信用できる(C)供述に反しており信用できない。また,被告人自身が(C)に対しlm号室6畳間の畳替えを依頼し,(C)がこの依頼に応じて畳を交換したという出来事は,1日間6畳間に畳がない状態になっていたことも考慮すると非常に印象的な出来事であり,この点について被告人が勘違いや記憶違いをする可能性はない。そうすると,被告人の上記供述は,意図的な嘘であると認められる。
3 検察官の主張③(Cが生きている形跡がないこと)について
証拠によれば,次の事実が認められ,これらの事実によれば,Cは,平成13年10月末ころから11月までの間に行方不明になり,その後,現在までの長期間,生きている形跡がないことが認められる。
(1) Cは,10月25日まではlm号室のガスの検針に立ち会うことが多かったものの,それ以降の検針には立ち会っていない。
(2) 10月1日から10月29日までは被告人の携帯電話機とlm号室に設置された電話機との間で18回の通話記録があるが,10月30日以降は一切通話記録がない。
(3) Cは,<i>に11月16日に診療予約していたが,何の連絡もないまま同日に<i>に来ず,その後も<i>には通院していない。
(4) Cは,<h>に10月22日に通院した際,尿検査と血液検査を受けた。これまで<h>で検査を受けた際には,検査結果が出た1週間から10日後に必ず検査結果を聞きに来ていたにもかかわらず,10月22日の検査の後は,その検査結果を聞かないまま全く通院していない。
(5) Cは,10月22日の<h>への通院を最後に,自分の国民健康保険被保険者証を使用していない。
(6) 大阪市内で行路病人などとして保護された者の記録の中には,Cに当たるものは存在しない。
(7) 10月4日までは,C名義の普通預金口座から定期的に生活費とうかがわれる出金があったのに,11月以降その出金がなくなった。
(8) 平成13年秋以降,Cから親族への連絡は一切ない。
4 検討
(1) 検察官主張①,②の事実によれば,10月29日から11月6日までの間に,lm号室において,Cの死体が解体され,あるいは,Cの身体が数回以上にわたって損傷され,Cが病院での治療を必要とする程度の重い傷害を負ったことが認められる。
(2) 仮に,Cの死体が解体されたのであれば,Cが10月29日から11月6日までの間に死亡したことは明らかである。そして,他の場所で死亡したCの死体を何者かがlm号室に運び込んで解体することは通常考えられないから,Cはlm号室で死亡したと認められる。
(3) 次に,Cが病院での治療を必要とする程度の重い傷害を負った場合について考える。
10月22日まで定期的に2つの病院に通院していたCであれば,そのような重い傷害を負った場合,病院での治療を受けるはずであると考えられる。しかし,10月29日以降には<h>や<i>で診療を受けていない上,大阪市内の救急指定病院にも救急搬送されていないし,その他,どこかの病院で国民健康保険被保険者証を使用して診療を受けたこともない。行路病人などとして保護された形跡もない。このような事実からは,Cが負った傷害がlm号室から自力で出ることができないほど重篤なものであったか,あるいは,他の者による妨害などのためlm号室から出ることができなかったか,いずれかであることが推認できる。そして,そのいずれの場合であっても,その後まもなくCが死亡する可能性は高い。Cが10月末ころから11月までの間に行方不明になり,その後長期間経過したが生きている形跡がないことや(C)が11月6日に畳替えのためにlm号室に立ち入った際,そのような重い傷害を負った人物がいた様子がうかがわれないことも考えると,Cが生前に病院での治療を必要とする程度の重い傷害を負った場合でも,Cは11月6日までに死亡したと推認できる。
(4) 弁護人の主張について
ア 弁護人は,何者かがCの死体を解体したのであれば解体時に使用した刃物の痕跡などがあるはずだが,押入内にはそのような痕跡はなく,(C)が替えた畳にもそのような痕跡はなかったと主張する。しかし,押入内や畳に刃物などの痕跡を残すことなくCの死体を解体することも全く不可能なわけではないから,弁護人の主張は前記の認定を妨げるものとはいえない。
イ 弁護人は,lm号室の壁は薄く,隣室の音もよく聞こえるから,lm号室内で何らかの異変が起きれば,近隣に居住している人たちが気づくはずであるのに,そのような証拠は全くないと主張する。しかし,Cが死亡した際の状況が分からない以上,Cが声を上げたり物音を立てたりするまでもなく死亡した可能性もあるから,近隣住民がCが死亡した事実に気づかないことがあっても不合理ではない。また,死体を解体した際に大きな物音がすることは考えられるが,解体方法によっては,特異な物音が発生するわけではなく,日常生活において発生する大きめの物音とさほど変わらない場合も十分に考えられる。そのような場合には,それを聞いた近隣住民がlm号室内での異変に気づかなかったとしても特に不合理とはいえない。
ウ 弁護人は,凶器,死体を解体した道具,死体を解体した際に血液が付いた敷物などが発見されていないと主張するが,Cが死亡した後,あるいは,Cの死体が解体された後にこれらの品物が別の場所に捨てられた可能性は十分に考えられる。
(5) 被告人の供述について
被告人は,「Cは,11月10日,自分がlm号室から外出している間にいなくなった。この日までは,lm号室でCと暮らしていたが,Cがけがをしている様子はなかった。」と供述している。
この供述は,11月6日までにCの骨格筋や血痕がlm号室6畳間の押入内に付いたという事実に反している。また,Cが11月6日までにlm号室において死亡した事実が認められることからすれば,当時lm号室で生活をしていた被告人は当然そのことを知っていると推認できる。さらに,被告人の供述は,Cが失踪した時期,失踪した状況など核心部分において大きく変わっており,被告人は公判廷でこの点について尋ねられると不合理な説明をしている。このような事情に照らすと被告人の上記供述は,意図的な嘘であると認められる。
弁護人は,(C)証人は11月7日にlm号室に畳を搬入した際,同室3畳間で被告人から男性を夫として紹介されたと述べているところ,この男性はCであり,被告人の上記供述はこの(C)証人の供述によって裏付けられていると主張する。しかし,(C)証人の見た男性がCであるという証拠はない。むしろ,(C)証人は,Cの写真を見せられ,自分が見たのはこの人物ではないと思うと述べている。したがって,(C)証人の供述が被告人の供述の裏付けになるとは到底いえない。
第3争点2(被告人の犯人性)について
検察官は,次の5つの事実により,被告人こそがCを死亡させた犯人であると推認できると主張している。
① Cの死亡は他人の行為によるものである(事件性)。
② 犯行場所が,被告人とCの2人の自宅であるlm号室である。
③ 押入の床面のクロスについて,証拠隠滅行為がされている。
④ 被告人は,次のとおり証拠隠滅行為をしている。
・ <k>橋から解体されたCの死体又はCの血が付いた物を捨てた。
・ lm号室6畳間の畳替えをした。
⑤ Cの死亡について,被告人は意図的に嘘をついている。
証拠によれば,上記の事実はすべて認められる。
そして,Cが何者かの行為により死亡させられた場所が被告人の自宅であるlm号室であることからすれば,被告人以外の者が被告人の気づかないうちにCを死亡させ,押入の床面のクロスについて証拠隠滅行為をすることは不可能である。被告人は,Cが死亡したことを知っているし,押入の床面のクロスについて証拠隠滅行為がされていることも知っていると認められる。ところが,被告人は,Cの死亡について意図的に嘘をつき,Cの死亡に関して証拠隠滅行為をしている。
そうすると,被告人こそがCを死亡させた犯人であると推認できる。また,被告人が1人で証拠隠滅行為をしており,一連の経過において共犯者の存在がうかがわれないことからすれば,共犯者もいないものと推認できる。
検察官は,被告人が犯人であることを示すものとしてほかにもいくつかの事実を主張するが,それらの主張について判断するまでもなく,被告人が犯人であることが認められる。
以下,順次,判断の詳細を示す。
1 検察官の主張①(事件性)について
第2で述べたとおり,Cはlm号室において,死亡して死体が解体されたか,あるいは,病院での治療を要するほどの重い傷害を負い,死亡したことが認められる。
そして,Cの死体は,前記検証時にも発見されず,現在においても発見されていない。そうすると,Cが死亡した後,何者かがCの死体をlm号室から運び出し,捨てたものと推認できる。
仮に,死体が解体されて捨てられたのであるとすれば,そのようなことをしたのは,死体を解体した者が死亡の結果に対して重い責任を負うことを理解していたためであるとしか考えられない。Cの死亡が何者かの行為によるものであることは明らかである。
また,仮に,Cは重い傷害を負って死亡したのであって,死体は解体されていないとしても,死体は捨てられたものと推認できるのであって,そのようなことをした者には,死体遺棄罪に問われる危険などを冒しても死体を捨てなければならない理由があったはずである。Cが事故や自傷行為で傷害を負い,死亡したのであれば,あえてその死体を捨てなければならない合理的な理由は考えられない。そうすると,この場合においても,Cの死亡は何者かの行為によって生じたものと推認できる。
2 検察官の主張②(犯行場所が被告人とCの自宅であること)について
証拠によれば,被告人は,Cが死亡した当時,lm号室でCと一緒に生活していたことが認められる。
3 検察官の主張③(押入床面のクロスに関する証拠隠滅行為)について
(1) 証拠によれば,次の事実が認められ,これらの事実によれば,押入内にCの骨格筋や血痕が付いた時期から前記検証までの間に,何者かが,押入床面の白色クロスの手前側半分を切り取り,その部分に木目調クロスを張ったことが認められる。
ア 検証が行われた際,押入床面の奥側半分には白色のクロスが張られていたが,その白色クロスは手前側半分が切り取られ,一部これと重なるようにその上から木目調のクロスが張られていた。
イ 押入の床面奥側の白色クロス部分や押入壁面と押入の敷居側面にはCの血痕が付いていたのに,木目調クロスの上には血痕がなかった。
ウ この木目調クロスをはがしてみると,その下の床板にヒトの血痕が付いており,これとCの骨格筋のDNA型を検査した結果,アメロゲニン型が一致し,STR型検査の15座位すべてにおいてDNA型が一致した。また,この血痕とCのへその緒のDNA型を検査した結果,アメロゲニン型が一致し,STR型検査の15座位のうち9座位においてDNA型が一致した。
(2) 弁護人は,床板に血痕が付いた時期は不明であり,木目調クロスが張られた時期は押入内にCの骨格筋や血痕が付いた時期よりも前である可能性があると主張する。しかし,前にも述べたとおり,押入下段内部の狭い空間に近接して骨格筋や多くの血痕が付いていた状況,日常生活の中では押入の中で出血をすること自体考えにくく,押入の下段内部で血痕が付く可能性がある出来事が2回以上あったとは考えられないことなどからすると,床板の血痕が押入内の骨格筋やその他の血痕と異なる機会に付いたと考えることはできない。
(3) 押入床面のクロスを張り替えるときは,その全面を張り替えるのが通常である。また,仮に一部だけを張り替えるのであれば,残りのクロスとの色の調和を考えるのが通常である。ところが,上記のとおり押入床面の手前側半分だけ奥側とは全く色合いの違う木目調クロスが張り付けられている。この事実によれば,このクロスの張り替えが,日常生活の中で行われるようなものではなく,何らかの緊急の必要があって行われたものであることが推認できる。
そして,Cの血痕などが付いたこと以外に,緊急に押入内のクロスの張り替えをしなければならない事情は想定できない。上記クロスの張り替えは,切り取られている白色クロスの部分にCの血痕などが付着したため,これを除去する目的で行われたと推認できる。
また,Cの死亡に関する事情を全く知らない者がそのようなことをすることは考えられない。そうすると,上記クロスの張り替えは,Cが何者かの行為によって死亡させられたことにつき何らかの事情を知っている者が,その証拠を隠滅するために行ったものであると推認できる。
4 検察官の主張④(被告人の証拠隠滅行為)について
(1) <k>橋での物の投棄について
ア 証拠によれば,次の事実が認められる。これらの事実に,Cと(D)との間に被告人以外に共通の知人がいたことをうかがわせる証拠がないことを合わせると,被告人は,平成13年10月25日から11月8日までの間に,(D)の自動車で奈良県の<k>橋に連れて行ってもらい,Cの血液が外側に付いた手提げバッグとビニール袋2個を川に捨てたことが認められる。
(ア) 被告人は,10月25日から11月8日までの間に,知人である(D)に頼んで自動車プレジデントで奈良県の<k>に連れて行ってもらい,<k>橋の上から川に手提げバッグ1個とビニール袋2個を捨てた。被告人は,<k>橋に着くまでの間,これらの品物をプレジデントのトランクに入れていた。
(イ) 平成19年11月30日に実施されたプレジデントの実況見分において,トランクの床マットにヒトの血痕が付いているのが発見された。この血痕とCの骨格筋のDNA型を検査した結果,アメロゲニン型が一致し,STR型検査の15座位すべてにおいてDNA型が一致した。また,その血痕とCのへその緒のDNA型を検査した結果,アメロゲニン型が一致し,STR型検査の15座位のうち9座位においてDNA型が一致した。
(ウ) (D)は,<k>橋に行った時以外に被告人から預かった荷物をプレジデントのトランクに載せたことがなく,(D)やその家族はCと面識がない。
イ 上記の(ア)の事実は(D)証人の供述により認められる。被告人は,自動車の色や捨てたビニール袋の数の点で(D)証人と異なる供述をするが,(D)証人がこれらの点について嘘をつくことは考えられないし,自分の自動車の色を間違うことも考えられない。遠方まで出かけて橋の上から川に手提げバッグなどを捨てるという行動は印象的な出来事である上,(D)証人が述べる<k>橋の上からビニール袋などを捨てた状況は非常に具体的である。そうすると,ビニール袋の数について(D)証人が記憶違いをしているとは考えられない。(D)証人の供述は信用できる。
ウ 弁護人は,(D)は平成14年に警察官の取調べを受けているのに,プレジデントの実況見分が平成19年11月30日になって初めて行われていることは不可解であると主張する。確かにその事実自体は不可解であるが,実況見分時には(D)も立ち会っており,捜査官がプレジデントのトランク床マットに何らかの工作をしたことを疑わせる事情も認められない。実況見分の結果の信用性に疑問をはさむ余地はない。
また,弁護人は,トランク床マットに付いていた血痕の位置について,実況見分調書抄本(A24)の10番の写真と鑑定書(A29)の写真とで異なっていると主張する。しかし,双方の写真を詳しく見比べると,一見すると違う場所のように見えるのは実況見分調書抄本の写真がプレジデントのトランクに対して斜め上の角度から撮影しているためであり,写っている血痕の位置は同じであると認められる。
エ 上記の事実によれば,被告人が捨てた手提げバッグなどの中身は,Cが死亡させられた事実に関連する物であり,被告人はこの事実に関する証拠を隠滅するためにこれらを捨てたと推認できる。
すなわち,被告人が自宅から遠く離れた<k>橋まで行き,その橋の上から川に捨てていることからすれば,その中身は,あえてそのような場所に行ってまで捨てなければならないほど不都合な物であり,これは何らかの証拠隠滅行為であると推認できる。そして,Cは,平成13年10月29日から11月6日までの間にlm号室内で何者かによって死亡させられており,被告人はそのことを知っており,被告人が<k>橋に行った時期はこれと近接している。したがって,手提げバッグなどに付いていたCの血液はCが何者かによって死亡させられた際に体外に出たものと推認でき,手提げバッグなどの中身はCが死亡させられた事実に関連する物であると推認できる。後で述べるとおりこの点に関する被告人の弁解は信用できず,ほかに自宅から遠く離れた場所に行って捨てなければならないほど不都合な物は想定できない。
もっとも,検察官は,さらに進んで,この手提げバッグなどの中身は解体されたCの死体であったと主張するが,その可能性は否定できないものの,そのように断定することはできない。
オ 被告人の弁解について
被告人は,<k>橋から捨てた手提げバッグやビニール袋の中身は,被告人が関係していた日本人と中国人との偽装結婚の犯罪に関する書類であると弁解している。しかし,(D)証人は,このビニール袋を持ったときの感触について「書類が入っているようには感じなかった。袋越しに書類の端などが出ているようなことはなかった。ガサガサ動く音も聞こえなかった。」と述べており,この供述は信用できる。被告人の弁解は信用できる(D)証人の供述に反しており,信用できない。
(2) lm号室6畳間の畳替えについて
ア 証拠によれば,次の事実が認められる。
(ア) 被告人は,11月6日,(C)に対し,lm号室6畳間の押入前の畳とその東隣の畳(北マクラの畳)の畳替えを依頼した。(C)が同室の畳を見て,押入前の畳は新しいものと交換し,他の5枚は畳表の張替えだけをすることになり,同室の6枚の畳は搬出された。(C)は,11月7日,新しい畳1枚を押入前に敷き,畳表が張り替えられた他の5枚の畳をそれぞれ元どおりの場所に敷いた。
(イ) (C)が11月6日に上記6畳間の畳を見た際,被告人が畳替えを依頼した押入前の畳と北マクラの畳には黒っぽいシミが点々と付いていた。そのシミは,何かを散らしたような形状をしており,押入を片方の端とする細長いだ円形の範囲に広がっていた。また,押入前の畳には,押入と接する側面に何かをこぼした時にできる垂れたような痕があった。
イ 以上の事実によれば,被告人は,Cが死亡する原因となった傷害を負った際,又はCの死体が解体された際に畳に付いた血痕を隠滅するためにlm号室6畳間の畳替えを行ったと認められる。
すなわち,被告人は,押入前の畳と北マクラの畳に一見して分かる黒っぽいシミがあるため,(C)に畳替えを依頼したと認められるが,被告人は,公判廷においてこの黒っぽいシミが付いた原因を合理的に説明しない上,畳は替えられていないと意図的に嘘をついている。このような被告人の供述態度からは,被告人は上記のシミの原因について何らかの事情を知っており,その事情が自己にとって不都合なものであるため,これを隠すために意図的に嘘をついていると推認できる。他方,押入内の血痕には前記第2の1(4)のとおり下から上方向への飛沫血痕があり,これらの血痕が付いた際には相当量の血液が飛び散ったものと推認できる。押入前と北マクラの畳に付いていた黒っぽいシミの状況は,これらが押入内の血痕と同じ機会に付いた血痕であると考えても矛盾のないものであり,このシミは押入内の血痕と同じ機会に付いた血痕であると推認できる。そうすると,押入前と北マクラの畳に付いていた黒っぽいシミは,10月29日から11月6日までの間にCが死亡した際に,その原因となる傷害を負い,又はCの死体が解体されたときに付いたCの血痕であると推認することができる。被告人は,Cが何者かによって死亡させられたことを知りながら,Cの血痕が付いた畳を替えたのであるから,これは証拠隠滅のための行為であると推認できる。
5 検察官の主張⑤(被告人の嘘の供述)について
前記第2の4(5)のとおり,被告人はCが平成13年10月29日から11月6日までの間にlm号室で死亡した事実を知っているのに,これを知らないなどと意図的に嘘をついていることが認められる。
6 弁護人の主張について
(1) 弁護人は,Cと被告人との体格差を考えると,被告人が短時間でCの死体を解体し,あるいはCの死体を誰にも知られることなくlm号室から運び出すことは考えられないと主張するが,そのようなことが全く不可能であるとはいえない。
(2) 弁護人は,(D)証人,(C)証人など,検察官が犯行時期と主張するころに被告人と会った証人は,当時被告人に特異な様子があったとは述べていないと主張するが,そのような事情によっても前に述べた認定は妨げられない。
(3) 弁護人は,被告人が外出している間に被告人と関係がない第三者がlm号室に来てCを死亡させた可能性もあると主張する。
しかし,被告人と関係がない者が犯人なのであれば,被告人がいつ帰宅するかも分からない状況の下で,死体をlm号室から運び出し,押入のクロスの張り替えをするなどの危険な行為をするよりも,少しでも早くその場から逃げ出すはずである。また,被告人と関係がない者が犯人なのであれば,被告人が前記4のとおり証拠隠滅行為をした理由も説明できない。弁護人の主張は採用できない。
(4) 弁護人は,被告人は,Cがいなくなった後もlm号室の家賃を払い続けており,これは夫の帰りを待つ妻の行動として合理的であると主張する。しかし,既にD事件について述べたとおり,被告人は相続を装ってCの資産を手に入れるために替え玉殺人計画を立て,11月14日にはその計画の実行を開始している。その計画の実行のためにはCが生きていると装うことは不可欠であり,その一環としてlm号室の家賃を払い続けていたと推認できる。弁護人の主張は採用できない。
第4争点3(被告人の殺意)について
検察官は,次の6つの事実から,被告人にはCに対する殺意があったことが推認できると主張する。
① 被告人は,Cの資産を手に入れるために,Cを殺す計画を立てていた。
② 被告人は,Cの命を助けるために救急車を呼ぶなどの救命措置を採らなかった。
③ 被告人は,lm号室でCの死体を解体し,その死体を捨てた。
④ 仮に,Cの生前に押入内に骨格筋や血痕が付いたのであれば,Cに対して骨格筋が切断されて体外に出るほどの強度の暴行があったといえる。
⑤ 被告人は,DをCの替え玉として殺害し,Cが病死したように装った。
⑥ 被告人の弁解は信用できない。
しかし,次に述べるとおり,証拠によっても①の事実は認められず,②から⑥までの事実を総合しても,被告人にCに対する殺意があったとまでは推認できない。
1 検察官の主張①(C殺害計画)について
(1) 検察官は,被告人がCの死亡直後に,Cの資産目当ての替え玉殺人計画を実行し始めたのであるから,Cの死亡自体が替え玉殺人計画の一部だったことがうかがわれると主張する。
ア 証拠によれば,Dが<b>や<c>を受診した際に使った国民健康保険被保険者証は,世帯主をC,被保険者をCと被告人とするもので,その交付年月日は平成13年11月8日であることが認められる。Cが11月6日までに死亡していることからすれば,この被保険者証の交付を受けたのは被告人であると推認できる。
また,既にD事件について述べたとおり,被告人は11月14日に<b>の医師に糖尿病の夫を入院させる病院を紹介してほしいと頼み,替え玉殺人計画を実行に移している。
そうすると,被告人は,11月8日に上記被保険者証を手に入れたわずか6日後から替え玉殺人計画を実行に移していることになる。この被保険者証が被告人が立てた替え玉殺人計画の実行には必要不可欠なものであることなども考え合わせると,被告人が11月8日に上記被保険者証の交付を受けたことも,替え玉殺人計画の一部として行われたものであると推認できる。
イ 検察官は,被告人はCを死亡させた直後である11月8日には替え玉殺人計画を実行し始めたのであるから,被告人がCを死亡させた行為も替え玉殺人計画の一部だったことがうかがわれると主張している。
しかし,被告人がCを死亡させた時期は10月29日から11月6日までの間である。仮に被告人がCを死亡させた日が10月29日であるとすれば,被告人がCを死亡させてから替え玉殺人計画の実行に着手するまでには10日間もあることになり,被告人がCを死亡させた後に替え玉殺人計画を考え出した可能性は否定できない。
他方,証拠を検討しても,11月8日より前には被告人が替え玉殺人計画の実行に向けて何らかの行為をした形跡は認められない。また,押入内のクロスの張り替え方は,一見して不自然であり,証拠隠滅行為としては不十分である。(D)の運転で<k>橋まで行き手提げバッグなどを捨てた点についても,
① 一見して何らかの証拠隠滅行為と分かる行為の手伝いをさほど親しくもない(D)に頼んでいること
② 破れる危険があるビニール袋に入れていること
③ n警察署の前で(D)と待ち合わせていること
④ (D)と待ち合わせた際,タクシーの運転手に手提げバッグなどを積み替えさせていること
など,およそ周到な準備の下に行った証拠隠滅行為とは見られない。これらの点は,被告人が計画的にCを殺害したものではないことをうかがわせる事情といえる(なお,弁護人は,(D)の運転で<k>橋まで行き手提げバッグなどを捨てた点につき,①から④までの事情を挙げ,これが証拠隠滅行為であると考えるのは不合理であると主張するが,被告人がCの死亡を想定していなかったため,慌てて証拠隠滅行為をした結果,このようなことになってしまったと考えれば,合理的な行動と理解できる。)。
そうすると,被告人が11月8日には替え玉殺人計画を実行し始めたからといって,被告人がCを死亡させた行為も替え玉殺人計画の一部であったことがうかがわれるとはいえない。
(2) 検察官は,このほかにも,次の各事実を主張し,これらによりC殺害計画が認められると主張する。
ア 被告人は,お金を稼ぐために中国から日本に来ていた上,Cが死亡する前から,娘の学費などのために多額のお金が欲しいと考えていた。
イ 被告人は,Cが死亡する前から,Cの多額の資産を相続することに関心を持っていた。
ウ Cの健康状態に特段問題はなく,Cがすぐ病死する状況にはなかった。
エ 被告人は,平成13年10月末ころ,在留期間の更新が許可されず,中国に強制送還されるのではないかと考えていた。
オ 被告人の弁解は信用できず,Cが多額の資産を持っていることさえ知らなかったなどと殊更に嘘をついている。
しかし,アからエまでは,いずれも被告人がCを殺害しようと考える動機となり得る事情に過ぎない。仮にこれらの事実が認められたとしても,被告人が実際にCを殺す計画を立てるとは限らないのであって,これを推認することはできない。また,被告人がCを死亡させている以上,その事実を隠すために嘘をつくことは不自然なことではなく,オの事実もC殺害計画を推認させる事情とはいえない。
(3) したがって,被告人がCの資産を手に入れるためにCを殺す計画を立てていたとは認められない。
2 検察官の主張②から⑥までについて
(1) 証拠によれば,被告人が救急車を呼んでいない事実こそ認められるものの,その他の救命措置を全く採っていないと認められる証拠はない。また,仮に被告人がCに対する救命措置を採っていなかったとしても,被告人がCを死亡させた状況が全く分からない以上,Cの身体に何らかの異常が生じた際に被告人が救命措置を採ることができる状況にあったかどうかも分からない。
(2) 検察官は,短期間のうちに手際よく死体を解体して捨てたことは犯行が計画的なものであることをうかがわせると主張する。
しかし,Cが死亡してから(C)が畳替えのためにlm号室に入った11月6日までには最大で8日間もあった可能性があり,これはCが死亡してから死体を解体して捨てることを思い立ち,実行したと考えても不自然ではない期間である。そうすると,被告人がCの死体を解体し,その死体を捨てたとしても,それにより犯行が計画的なものであることがうかがわれるとはいえない。
(3) 検察官は,仮にCの生前に骨格筋等が付着したとすれば,骨格筋が切断されて体外に出るほどの強度の暴行があったといえると主張するが,被告人がCを死亡させた状況が全く分からず,押入ふすま戸に付着していた骨格筋がCの身体のどの部分のものであるかも分からない以上,暴行態様が殺意が認められるほど強いものであったと断定することはできない。
(4) 被告人がCを死亡させている以上,その事実を隠すために,証拠隠滅行為をしたり嘘をついたりすることは不自然なことではない。これらの被告人の行為から,直ちに被告人のCに対する殺意がうかがわれるわけではない。
(5) そうすると,検察官の主張②から⑥までは,いずれも被告人のCに対する殺意を推認させる事情とはいえない。
第5争点4(傷害致死の成否)について
1 骨格筋等の付着がCの生前のものである場合
被告人がCの生前に骨格筋が切断されて体外に出るほどの傷害を負わせ,これによってCを死亡させたのである場合には,被告人に傷害致死罪が成立することは明らかである。
2 骨格筋等の付着が死体の解体による場合
死体を捨てる行為は決して軽くない犯罪行為であり,死者に対する畏敬の念を害する行為である。死体を捨てる行為が発覚した場合には,死亡の原因が殺人ではないかという強い嫌疑をかけられる危険もある。さらに,普通の人ならば死体を解体することに対し非常に大きな嫌悪を感じると考えられるにもかかわらず,被告人はCの死体を捨てるためにあえて死体の解体までしている。被告人がこのように死体を捨てることにより危険を負うことや死体の解体に対する嫌悪感を受け入れてまで死体を捨てていることを考えると,被告人は,Cの死体を捨てようと決意した際,Cの死亡の結果に対して自分が相当に重い責任を負うことを理解していたと推認できる。そして,そのような重い責任を感じる場合とは,自らの故意の行為によって人を死亡させ,しかも,死亡の結果が発生する直接的な原因を自ら積極的に与えた場合であるとしか考えられない。そうすると,被告人が,Cに対し何らかの暴行を加えたことによりCが死亡したか,あるいは,Cの身体に傷害を負わせる意図でした行為によりCが死亡したかのいずれかであると推認できる。
【Aを殺害したとの公訴事実についての無罪の理由】
第1公訴事実
本件公訴事実の要旨は,被告人が夫であるCの資産を相続の名目で不正に手に入れるとともに,先にCを殺害した事実を隠すため,糖尿病を患っていたA(当時71歳)をCの身代わりとして病死を装って殺害しようと計画し,AをCになりすまさせて入通院させるなどしたが,事態が思惑どおりに進展せず,Aの存在が計画実現の邪魔になるに至ったことなどから,Aを殺害しようと決意し,平成13年12月18日から平成14年1月ころまでの間に,大阪府又はその周辺において,Aを何らかの方法で殺害した,というものである。
第2争点
本件の争点は次の2つである。
1 Aは,平成13年12月18日から平成14年1月ころまでの間に,何者かの行為によって死亡したか(事件性)。
2 被告人がAを死亡させた犯人で,Aを殺害するつもりがあったか(被告人の犯人性と殺意)。
第3争点1(事件性)について
検察官は,次の1,2の事実により,Aは平成13年12月18日から平成14年1月ころまでの間に何者かの行為によって死亡したと認められると主張する。この主張は,そのとおり認めることができる。
1 事件性
証拠によれば,平成14年4月20日,大阪府内の山林でAの頭部が発見され,7月4日,大阪府内の海上で,リュックサックに入れられたAの両脚部が発見されたことが認められる。
死体を解体して山や海に投棄するという行為は,通常はその死者の死亡につき重大な責任がある者が証拠を隠滅してその責任を免れる目的でなされる行為であるといえる。そうすると,このようにAの死体が解体されて山や海に投棄された状態で発見されていることから,Aが何者かの行為によって死亡したことが推認できる。
2 死亡時期
証拠によれば,Aは平成13年12月18日に<l>に通院していること,Aの死亡推定時期は平成14年1月ころであることが認められる。したがって,Aが死亡したのは平成13年12月18日から平成14年1月ころまでの間であると認められる。
第4争点2(被告人の犯人性と殺意)について
検察官は,次の4つの事実により,被告人がAを死亡させた犯人であり,Aを殺すつもりで殺害したことが推認できると主張する。
① C殺害事件,D殺害事件やAの客観的な情況からすると,Aは,被告人によって殺害された可能性が高い。
② Aの両足が入っていたリュックサックの内側(背部の生地)に被告人と一致する非常にまれなDNA型の毛が付着していた。その毛は犯人がAの両足をリュックサックに入れたとき以外の機会に付着したとは考えられない。
③ 被告人は,Cの資産を手に入れる目的でAをCの替え玉として殺害する計画を立てて,その計画を実行していた。
④ この点に関する被告人の弁解は信用できない。
証拠によれば,これらのうち,③のとおり被告人が替え玉殺人計画を実行していたことは認められる。すなわち,既にD事件について述べたとおり,被告人はDをCの替え玉として糖尿病の悪化により死亡させる計画を立て,実行していたが,その途中で一時替え玉役をAに変更したことが認められる。
しかし,Aがその計画とは明らかに異なる態様で殺害されていることなども考慮すると,上記①のようにAは被告人によって殺害された可能性が高いとはいえない。また,上記②の事実は認められない。そして,④のとおり被告人の弁解が信用できないとしても,それが被告人がAを死亡させた犯人であることの積極的な根拠になるものではない。
したがって,被告人がAを殺害した犯人であると推認することはできない。
以下,判断の詳細を示す。
1 Aは被告人によって殺害された可能性が高いことについて
(1) 検察官は,次の5つの事実により,Aは被告人によって殺害された可能性が高いと主張する。
ア 被告人は,平成13年10月29日から11月6日までの間にCを死亡させ,そのころ,その死体を解体して捨てた。
イ 被告人は,平成14年2月10日から15日ころまで,DをCの替え玉として殺害した。
ウ 被告人は,平成13年11月20日から12月18日までの間,AをCになりすまさせて,<l>に入通院させた。
エ Aは,平成13年12月18日から平成14年1月ころまでの間に何者かの行為によって死亡し,その後,その死体が解体されて捨てられた。
オ Aは,病院に入院して生活保護を受けるという生活を繰り返していたが,入院先の<m>や<l>で,他人といざこざを起こした形跡はない。
(2) 証拠によれば,上記の5つの事実は概ね認められる(もっとも,アについては,被告人がCの死体を捨てたことまでは認められるが,解体したとまでは断定できない。)。わずか3か月半という短い期間に,被告人の夫であるC,被告人によってCの替え玉に仕立てられていたDとAという,被告人と関係のある3人の命が奪われ,そのうち,CとDは被告人の行為によって命を奪われていること,しかもDについては計画的に殺害されていることからは,被告人がAの命を奪った犯人ではないかとの疑いが生じるといえる。
また,死体が捨てられるという出来事はそう多くは発生しないのに,CとAという,被告人と関係のある2人の死体が短期間のうちに捨てられ,そのうち,Cの死体を捨てたのは被告人であることからも,被告人がAの命を奪うなどした犯人ではないかとの疑いが生じるといえる。
さらに,犯人が死体を捨てることまでして証拠隠滅を図る目的は,通常,死体が発見されてその身元が判明すると自己に嫌疑がかかる立場の人物が,これを避けるためであることが多いといえる。しかし,Aが他人といざこざを起こした形跡は見当たらず,被告人以外にAの死亡につき嫌疑がかかるような者は見当たらない。この点からも,被告人がAの命を奪った犯人であるとの疑いは決して小さいものではない。
しかし,Aが<m>や<l>に入院していたのは平成13年8月29日から12月4日までの3か月あまりに過ぎず,それ以外の期間におけるAの生活状況は証拠上全く分からない。このような短い期間に入院先の病院という日常生活とは異なる場面で他人といざこざを起こした形跡がなかったからといって,Aが被告人以外の人間から危害を加えられる原因を抱えていた可能性がないとはいえず,Aを殺害してその死体を解体して投棄したのが被告人以外に考えられないということはできない。
加えて,弁護人も主張するとおり,AはCの替え玉として殺害されたものではない。被告人はAをCの替え玉として糖尿病の悪化により死亡させる計画を実行していたのであるから,仮に被告人がAを殺害した犯人であるとすれば,Cの替え玉として,糖尿病を悪化させ,あるいは糖尿病の悪化を装って殺害するはずである。しかし,現実にはAはそのような態様では殺害されていない。
検察官は,被告人は,Aの存在が替え玉殺人計画実現の邪魔になったからAを殺害したと主張するが,そのような事情をうかがわせる証拠は全くない。
そうすると,検察官の主張する5つの事実を総合しても,Aが替え玉殺人計画とは明らかに異なる態様で殺害されていること,Aの生活状況は明らかでなく被告人以外の人物から危害を加えられる原因を抱えていた可能性が否定できないことに照らすと,Aは被告人によって殺害された可能性が高いとはいえない。
2 リュックサックの内側に付着していた毛について
検察官は,
・ リュックサックの内側には毛が付着しており,その毛は,警察官によって採取され,鑑定に付された
・ その毛のDNA型は被告人のDNA型と一致し,そのDNA型は非常にまれな型であった
・ その毛は,犯人がAの両足をリュックサックに入れたとき以外の機会に付着したものとは考えられない
と主張する。
しかし,証拠によれば,1つ目の事実(毛の付着,採取,鑑定依頼)は認められるが,2つ目の事実(DNA型の一致と出現頻度の低さ),3つ目の事実(毛の付着の機会がほかにないこと)は認められない。
(1) 毛の付着,採取,鑑定依頼について
平成14年7月4日に発見されたAの両足に関する捜査に従事していた(E)警察官は,7月7日か8日ころ,Aの両足の入っていたリュックサックを見ていたところ,内側に毛1本が付着しているのを見つけたので,これを採取しビニール袋に入れて保管し,その後,これを本件に関する他の証拠物と一緒に被告人の事件を担当していた捜査班に引き継いだと供述している。また,被告人の事件を担当していた(F)警察官及び(G)警察官は,平成19年10月,y府警察本部<n>において,上記のとおり引き継いだ証拠物の確認作業をしていたところ,本件の毛を発見したので,その鑑定を(H)教授に依頼したと供述する。
そして,この毛を鑑定した(H)教授は,「この毛は表面を超音波洗浄機で1時間洗浄した後,滅菌エタノールで洗浄したにもかかわらず,毛本体に別の人物の成分が付着していた。その付着成分はAの爪とDNA型が一致した。毛本体にAの成分が付着していた理由は,浸透力の強い海水の中に毛とAの両足が一緒に浸かっていたため,死体の体液が毛の比較的深層まで浸透したからであると考えられる」と述べている。(H)教授は公正中立な専門家証人であり,特にその供述を疑うべき理由はなく,信用できる。
そうすると,(E)警察官が述べる毛の発見状況は(H)教授の供述から想定される本件の毛の遺留状況と非常によく合っている。上記3名の警察官の供述はいずれも信用できる。
弁護人は,証拠のねつ造が行われた可能性を指摘して,(E)警察官らの供述の信用性を争っているが,Aの体液が比較的深層まで浸透していたという本件の毛の状況からすると,そのような証拠をねつ造することは不可能に近い。したがって,(E)警察官やその他の警察官が証拠をねつ造し,リュックサック内側に付着していなかった毛を鑑定に付した可能性は皆無であり,(E)警察官らから被告人の事件を担当していた捜査班に毛が引き継がれた際やその後にその毛が別のものとすり替わった可能性も皆無である。
(2) DNA型の一致と出現頻度について
検察官は,(H)教授の供述により,本件の毛のDNA型は被告人の血液のDNA型と一致し,そのDNA型は非常にまれなものであったことが認められると主張する。しかし,そのようには認められない。その理由は次に述べるとおりである。
ア (H)教授は鑑定書(A45)及び証人尋問において,次のとおり述べる。
本件の毛,被告人の血液及びAの爪についてミトコンドリアDNAの検査を行った。具体的には,ミトコンドリアDNAのうち塩基配列番号61から316までの塩基配列を読み取り,相互に,あるいは(H)教授の保有するデータと対照するなどの検査をした。その結果,本件の毛と被告人の血液の塩基配列はすべて一致した。また,この塩基配列は(H)教授の保有するデータには存在しないまれな組み合わせであった。その出現頻度は約3億人に1人である。
イ (H)教授は公正中立な法医学者であり,約20年間にわたりDNAの研究に従事し,裁判所や捜査機関の依頼に基づいて多数のDNA鑑定を行ってきた専門家である。(H)教授の行った鑑定の手法は,理論的正確性を有する科学的原理に基づいており,その検査方法も概ね正確なものである。したがって,(H)教授の供述の大部分は信用できる。
ウ しかし,(H)教授の供述には,次に述べるとおりいくつかの問題点がある。したがって,本件の毛と被告人の血液の塩基配列はすべて一致し,その塩基配列の出現頻度は約3億人に1人であるというその結論部分は採用できない。
(ア) 本件の毛と被告人の血液の塩基配列番号303から315まで(以下「Cストレッチ部分」という。)の塩基配列がすべて一致するとする点について
a (H)教授は,Cストレッチ部分の塩基配列について,本件の毛はC8T/CC6,被告人の血液はC8CTC6,Aの爪はC8TC6と判定されたとしている。したがって,そもそも,本件の毛の塩基配列と被告人の血液の塩基配列とが一致するとは判定されていない。(H)教授は,被告人の血液と同じ塩基配列を持つ本件の毛の本体にAの爪と同じ塩基配列を持つ体液が付着していたため,本件の毛の塩基配列がC8T/CC6と判定されたと考えられると述べており,その説明自体は納得できる。しかし,そうであるとしても,本件の毛のCストレッチ部分の塩基配列は「Aの体液が付着するとC8T/CC6と判定されるような塩基配列」であるとしか認められない。そして,(H)教授は,そのような塩基配列がC8CTC6に限定される訳ではないと述べている。そうすると,本件の毛のCストレッチ部分の塩基配列は,被告人の血液と同じC8CTC6であるとは断定できず,そのように考えても矛盾しないということしかできないことになる。
ところが,約3億人に1人という前記の出現頻度は,本件の毛のCストレッチ部分の塩基配列と被告人の血液のそれとが完全に一致することを前提として計算されている。このような出現頻度の計算方法は不合理なものであって,採用することができない。
b 加えて,被告人の血液の上記塩基配列C8CTC6のうち,Tの部分については,鑑定書に添付されたチャートを見るとT(チミン)を示す赤線にC(シトシン)を示す青線が重なっているように見える。そうであるとすれば,チャートの読み方に関する(H)教授の説明によれば,この部分はTとは判定できず,T/Cと判定されるべきではないかと思われる。(H)教授は,Tを示す線とCを示す線とが重なっているとは到底考えられず,かすかに見える青い色はスキャナーで読み取った際にコンピュータの変換ミスなどにより生じたものではないかと述べるが,納得できる説明ではない(仮にそのとおりであるとすれば,チャートの表示全体に疑問が生じることになりかねない。)。そうすると,被告人の血液のCストレッチ部分の塩基配列は,C8CTC6ではなく,C8CT/CC6なのではないかという疑いが生じる。仮にそうであるとすれば,これと本件の毛の塩基配列の同一性の検討はされていないから,本件の毛のCストレッチ部分の塩基配列は被告人の血液のそれと同じであると考えても矛盾しないという認定すらできないことになる。しかも,C8CT/CC6という塩基配列の出現頻度は,証拠上明らかではない。
(イ) 出現頻度について
(H)教授は,出現頻度の計算根拠となったデータは国際学会等でのサンプルの交換,解剖,留学生からの提供等によって入手したものであり,その数は塩基配列番号150から152までにつき約1万件,そのうち日本人のものは約2000から3000件,Cストレッチ部分につき約2万件であると述べている。そして,被告人の血液の塩基配列のうち,番号150から152までの部分及びCストレッチ部分は,上記のデータに1件も存在しないものであったと述べている。そうすると,(H)教授の計算した出現頻度は,サンプルの数としては相当多数のものに基づいているということができる。
しかし,他方,(H)教授は,ミトコンドリアDNAは原則として母親から子供へしか遺伝しないと述べているから,ミトコンドリアDNAの塩基配列の出現頻度は地域的・民族的偏りが大きいものと考えられる。(H)教授自身も出現頻度は国,地域,民族によって差が生じる部分があると述べている。また,(H)教授は,上記のデータのうち中国人のものは北京周辺のものだけで,その数も200から300と少ないものであるとも述べている。そうすると,(H)教授の保有しているデータが人類のミトコンドリアDNAの塩基配列の出現頻度をありのままに反映したものとは認められず,中国人である被告人の塩基配列の出現頻度を計算するには不十分なものといわざるを得ない。
加えて,(H)教授自身,ミトコンドリアDNAは非常に不規則な塩基変異を持っており,遺伝子頻度計算が非常に難しいため,鑑定に耐えうる精度としては未完成のところがあるとも述べている。
そうすると,仮に,被告人の血液と本件の毛の塩基配列が完全に一致したとしても,その出現頻度を計算することは困難である。
(3) 毛の付着の機会がほかにないことについて
検察官は,本件の毛は,犯人がAの両足をリュックサックに入れたとき以外の機会に付着したとは考えられないと主張するが,採用できない。
まず,検察官は,犯人がAの両足をリュックサックに入れるとき以外に被告人の毛がリュックサックに付着する機会があったのであれば,被告人はそれを説明するはずであると主張する。しかし,人間の毛は,一日に数本ないし数十本も持ち主の知らない間に抜け落ちるものであるし,抜け落ちた毛が持ち主の知らない間に他人の着衣や所持品等に付着して持ち運ばれ,さらにこれらを介して別の人や物に付着することもあり得るものである。したがって,被告人が自分の知らない間に抜け落ちた毛について説明できなくても不自然なことではない。
次に,検察官は,実際にも犯人がAの両足を入れるとき以外に被告人の毛がリュックサックの内側に付着する機会はなかったと主張する。しかし,被告人の供述によれば,Aは被告人の自宅に泊まったことがあるほか,被告人は,Aが入通院する際に同行し,入院中も1日を除いて毎日見舞いに行っていた上,Aに酒をあげたり手帳を貸したりしたこともあったと認められる。このように被告人とAとの間に一定の人間関係があることに照らせば,例えば,Aが被告人方に宿泊した際に被告人方の室内に落ちていた被告人の毛がAの着衣や所持品に付着し,それがAのかばんにしまわれるなどして持ち出され,その後Aの殺害時までその身辺に存在していた可能性は決して低いものではない。また,Aが殺害された状況やその死体が解体され,両足がリュックサックに入れられた状況が判明していない以上,そのようにしてAの身辺にあった被告人の毛が,何らかの原因でリュックサックの内側に付着した可能性も否定できない。
第5結論
以上のとおり,本件公訴事実については犯罪の証明がないので,刑事訴訟法336条により被告人に対して無罪の言渡しをする。
【その他の争点に対する判断】
第1犯罪事実第8の1から5までの各詐欺の事実について
1 弁護人は,これらの預金の払戻しについて,被告人はCから払戻しの権限を与えられていたから,正当な払戻権限があったと主張し,被告人もそのように供述する。
2 しかし,既に述べたとおり,被告人は,平成13年10月29日から11月6日までの間に,Cを死亡させたことが認められるから,仮に被告人がCから預金払戻しの権限を与えられていたとしても,その権限は消滅するし,証拠によれば被告人もそのことを分かっていたものと認められる。弁護人の主張は理由がない。
第2犯罪事実第9のオーバーステイの事実について
1 弁護人は,被告人はCの日本人配偶者として在留期間更新許可の申請をしていたから,在留期間を経過して日本に在留しても違法ではないし,同申請が不許可となったことは知らなかったから犯罪の故意がないと主張する。
2 しかし,既に述べたとおり,被告人は,平成13年10月29日から11月6日までの間に,Cを死亡させ,日本人配偶者としての地位を自ら失ったことが認められる。そうすると,仮に在留期間更新許可の申請当時はCとの夫婦関係の実態があり,在留期間を経過して日本に在留すること自体は違法でなかったとしても,Cを死亡させたことにより申請が許可される余地はなくなったのであるから,それ以後の在留は違法なものになったと解される。同申請が不許可となったことは知らなかったとしても,Cの死亡の事実を知っていた以上,犯罪の故意も認められる。弁護人の主張は理由がない。
第3公訴棄却の主張について
1 弁護人は,C事件,A事件の各訴因は日時,場所,方法等がいずれも不特定であり,刑事訴訟法256条3項に違反するから,同法338条4号に基づき公訴棄却されるべきであると主張する。
2 しかし,これらの各訴因は,いずれも,検察官において起訴当時の証拠に基づきできる限り特定したものであり,いずれも訴因の特定に欠けるところがないと認められる。弁護人の主張は理由がない。
【法令の適用】
1 被告人の各行為は,次の各刑罰法令に当たる。
第1 刑法60条,平成16年法律第156号による改正前の刑法199条(裁判時においてはその改正後の刑法199条に当たるが,刑法6条,10条により軽い行為時法の刑による。)
第2 平成16年法律第156号による改正前の刑法205条(前同様,刑法6条,10条により軽い行為時法の刑による。)
第3 別表1から14までの各有印私文書偽造の点について,それぞれ(別表2,3,8,11については文書ごとにそれぞれ)刑法60条,159条1項
別表1から14までの各偽造有印私文書行使の点について,それぞれ(別表2,3,8,11については文書ごとにそれぞれ)刑法60条,161条1項,159条1項
別表1,5,6,9,10,13,14の各電磁的公正証書原本不実記録の点について,それぞれ刑法60条,157条1項
別表1,5,6,9,10,13,14の各不実記録電磁的公正証書原本供用の点について,それぞれ刑法60条,158条1項,157条1項
第4 1,2の各公正証書原本不実記載の点について,それぞれ刑法60条,157条1項
1,2の各不実記載公正証書原本行使の点について,それぞれ刑法60条,158条1項,157条1項
第5 有印私文書偽造の点について刑法60条,159条1項
同行使の点について刑法60条,161条1項,159条1項
詐欺の点について包括して刑法60条,246条2項
第6 有印私文書偽造の点について刑法60条,159条1項
同行使の点について刑法60条,161条1項,159条1項
詐欺の点について刑法60条,246条1項
第7 有印私文書偽造の点について刑法60条,159条1項
同行使の点について刑法60条,161条1項,159条1項
詐欺の点について刑法60条,246条1項
第8 1から5までの各行為について,それぞれ刑法246条1項
第9 出入国管理及び難民認定法70条1項5号
第10 刑法258条
2 第3の別表1,5,6,9,10,13,14の各有印私文書偽造とその行使と電磁的公正証書原本不実記録とその供用との間には,それぞれ順次手段結果の関係があるので,刑法54条1項後段,10条により,それぞれ以上を1罪として刑及び犯情の最も重い偽造有印私文書行使罪の刑で処断する。
第3の別表2,3,8,11の各有印私文書偽造とその行使との間にはそれぞれ手段結果の関係があり,各偽造有印私文書の一括行使は1個の行為が複数の罪名に触れる場合であるから,刑法54条1項前段,後段,10条により,それぞれ以上を1罪として刑及び犯情の最も重い偽造有印私文書行使(複数の私文書のうち,別表の最も下段に記載したものの行使)罪の刑で処断する。
第3の別表4,7,12の各有印私文書偽造とその行使との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので,刑法54条1項後段,10条により,それぞれ1罪として犯情の重い偽造有印私文書行使罪の刑で処断する。
第4の1,2の各公正証書原本不実記載とその行使との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので,刑法54条1項後段,10条により,それぞれ1罪として犯情の重い不実記載公正証書原本行使罪の刑で処断する。
第5から第7までの各有印私文書偽造とその行使と詐欺との間にはそれぞれ順次手段結果の関係があるので,刑法54条1項後段,10条により,それぞれ以上を1罪として最も重い詐欺罪の刑(ただし,短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる。)で処断する。
3 第1の罪について,定められた刑のうち無期懲役刑を選択する。
第4の1,2,第9の各罪について,定められた刑のうちそれぞれ懲役刑を選択する。
4 以上は刑法45条前段の併合罪であるから,刑法46条2項により第1の罪の無期懲役刑で処断し,他の刑を科さない。
5 刑法21条を適用して主文のとおり未決勾留日数の一部を刑に算入する。
6 主文記載の文書22通の各偽造部分は,第3の別表1から14まで,第5から第7までの各偽造有印私文書行使の犯罪行為を組成した物で,何人の所有をも許さないものであるから,刑法19条1項1号,2項本文を適用してこれらを没収する。
7 この裁判には費用がかかっているが,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させない。
【量刑の理由】
1 本件は,
(1) 相続を装ってCの資産を手に入れようと考え,共犯者と共謀の上,
ア 重い糖尿病にかかっているDをCになりすまさせた上,Dの糖尿病を悪化させて殺害し,
イ Cの3人の娘の作成名義で多数の文書を偽造し,住民票を無断で異動させるなどした上,手に入れた印鑑登録証明書などを使って,不正に土地の所有権移転登記手続をし,C名義の投資信託,定期預金,定額郵便貯金などをだまし取った事案
(2) 自己の夫であったCを死亡させた傷害致死事案
(3) その他,C名義の普通預金をだまし取り,取調中に供述調書を破り,オーバーステイをした事案
である。
2 量刑判断の上で最も重視すべき事件は,Cの替え玉にしたDを殺害し,相続を装ってCの資産を不正に手に入れるなどした1(1)の事件(以下,「替え玉殺人・資産不正取得事件」という。)である。
(1) この事件について量刑上特に考慮した事情は次の諸点である。
・ Dは,Cが糖尿病で病死したかのように装うのに適しているという理不尽な理由により命を奪われており,その無念さは察するに余りある。また,糖尿病の悪化に伴う肉体的苦痛,簀巻きにされて納屋に放置されていた間の絶望感など,死亡するまでの間非常に大きな苦痛を受けている。遺族も厳しい処罰感情を述べている。
・ 自分が立てた計画どおりに相続を装って投資信託や定期預金など総額2900万円余りをだまし取り,土地の所有権移転登記を得ている。登記名義は一応回復されているが,財産被害については被害弁償の見込みもない。
・ 自分の欲望を満足させるために他人の生命を奪う計画を平然と立てており,被告人の態度は非常に自己中心的である。
・ 相続を装ってCの資産を得るため,非常に巧妙な計画を立てており,その計画の実行のために非常に周到な準備もしている。また,Aを替え玉にすることができなくなった後も替え玉として殺害する相手を探し続け(この点に関するF証人の供述は信用できる。),適当な人物が見つからなかったため,当初替え玉にしていたDを再び殺害相手に決めている。被告人が,計画に従ってCの資産を手に入れることに執着していたことがうかがわれる。
・ 重い糖尿病を患った老人であるDに対し,真冬に北陸の海岸を数時間にわたって歩かせた上,簀巻きにして数日間にわたり寒い納屋に放置するなどし,糖尿病を悪化させて殺している。殺害態様は,被害者に対し長時間にわたり苦痛を与える冷酷で非情なものである。
・ 被告人は,犯行計画を立案して,これを約3か月にわたって着々と実行し,その間に共犯者を誘い込み,その計画通りに得た財産の大部分を自分のものにしている。被告人は本件犯行の首謀者であり,その責任は報酬欲しさに加担した共犯者とは比べものにならないほど重い。このような共犯者との責任の重さの違いを踏まえて,共犯者の刑との均衡を図る必要もある。
・ 被告人は,Dを殺害した点については全面的に否認して非常に不合理な弁解をし,遺族に謝罪すらしていない。資産不正取得の点についてもその動機などについて非常に不合理な弁解をしている。全く反省の色が見られない。
・ 相続財産目当ての替え玉殺人事件として報道されることにより,社会の関心を大きく集めており,社会に与えた影響は非常に大きい。
(2) そこで,まず,替え玉殺人・資産不正取得事件のみを前提として量刑を検討する。
ア 検察官は死刑を求刑している。しかし,起訴された3件の殺人事件のうち殺人罪を認定したのはD事件のみである。殺害された被害者が1人の事案であっても,罪質,動機,態様(特に殺害の手段方法の執よう性,残虐性)等を考慮して,死刑がやむを得ないと判断される場合もないわけではない。しかし,そのためには,特に犯行の罪質,動機,態様などの点において非常に強い悪質性が認められる必要がある。
イ 本件犯行は,相続を装ってCの資産を手に入れようと考え,重度の糖尿病であったDをCになりすまさせて殺害し,Cの資産を手に入れたというもので,罪質は悪質であり,動機も非常に身勝手なものである。巧妙な計画を立ててこれを約3か月にわたって実行しており,計画性が高い。殺害態様は,被害者に対し長時間にわたり苦痛を与える冷酷で非情なものである。被告人は,犯行計画を立案,実行し,その間に共犯者を誘い込み,その計画通りに得た財産の大部分を自分のものにするなど,本件犯行の首謀者である。被告人は,公判廷で非常に不合理な弁解をしており反省が認められない上,遺族に謝罪すらしていない。これらの事情のほか,一般予防の観点も考えると,本件犯行について被告人を死刑に処するという選択も全く考えられないわけではない。
ウ しかし,本件では,殺害態様の点において非常に強い悪質性が認められるとまではいえない。
本件犯行の殺害態様が,被害者に対し長時間にわたり苦痛を与える冷酷で非情なものであることは既に述べたとおりである。しかし,他方で,犯行計画を実行するためには,CになりすまさせたDが病死したかのように装う必要があり,長時間にわたってDの糖尿病を悪化させ,衰弱させていくという殺害方法を採らざるを得なかったという側面もあって,被告人らがDに対し殊更に苦痛を与えるために本件の殺害方法を採ったということはできない。また,被告人らが殺害行為以外にDに対して殊更に苦痛を与えるような行為をしたという事情もない。本件の殺害態様は残虐極まりないものとまではいえず,非常に強い悪質性があるとはいえない。
エ そうすると,本件犯行は,殺害された被害者が1人である上,殺害態様は冷酷で非情なものではあるが非常に強い悪質性があるとまではいえないのであって,罪質の悪質性や動機の身勝手さ,計画性の高さなどを考慮しても,死刑を選択すべき事案ではない。
オ 他方,(1)の諸事情,特に,本件犯行の首謀者が被告人であり,共犯者との刑の均衡を図る必要があることなどを考えると,被告人にこれまで日本における前科がないこと,一部の犯行については事実を認めていることなどの被告人にとって有利な情状事実を考慮しても,被告人に対する刑として有期懲役刑を選択するのは軽すぎる。
カ よって,替え玉殺人・資産不正取得事件のみを前提とすれば,被告人に対しては,無期懲役刑を科するのが相当である。
3 その他の事件について量刑上特に考慮した事情は次のとおりである。
・ Cは,犯行当時77歳と高齢ではあったものの,特に健康に問題はなかった。それにもかかわらず,自己の妻であった被告人により理不尽に命を奪われたのであり,その無念さは察するに余りある。
・ Cの遺体は,犯行から8年以上経過するのに未だに発見されていない。被告人は,犯行後も,Cの娘に対し嘘の内容の手紙を書いてCが病死をしたかのように装うなどしており悪質である。遺族であるCの娘は,Cを供養することすらできない無念さを述べた上,「極刑をお願いしたいと思います。」と非常に厳しい処罰感情を述べている。
・ それなのに,被告人は犯行を否認しており,全く反省の色を見せない。
・ 取調中に供述調書を破った事件については,取調べを担当していた検事から挑発されたと弁解しているが,その弁解内容は非常に不合理であり信用できない。
・ また,5年以上にわたり逃亡していたことも犯情が悪い。
4 以上の検討を踏まえ,被告人に対する最終的な量刑について判断する。
既に述べたとおり,本件は,替え玉殺人・資産不正取得事件のみによっても無期懲役刑に相当し,同時に,この事件だけでは死刑に相当しない事案である。
そこで,これにその他の事件の量刑を加えることにより,被告人を死刑に処するべきことになるかどうかを検討する。
その他の事件の中でも,Cに対する傷害致死は重大な事案であり,被告人の刑事責任は非常に重い。
しかし,傷害致死の犯行態様は全く分からず,被告人が特に残虐な態様で被害者を死亡させたとか,特に悪質な目的で被害者を死亡させたとかいった事情は認められない。また,傷害致死罪の法定刑には死刑も無期懲役刑もない。これらの諸点を考慮すると,替え玉殺人・資産不正取得事件に傷害致死事件を加えて量刑を考えても,死刑を選択するのは相当でない。このことはその他の事件を加えて考慮しても同様である。
そこで,被告人に対しては主文のとおりの刑を科すのが相当と判断した。
(求刑 死刑・文書22通の偽造部分の没収)
(裁判長裁判官 長井秀典 裁判官 小松本卓 裁判官 岡本康博)
file_2.jpg別表