大阪地方裁判所 平成19年(ワ)14075号 判決 2009年7月16日
原告
X
原告訴訟代理人弁護士
岩城穣
同
田中俊
被告
株式会社ピーエムコンサルタント
同代表者代表取締役
B
被告訴訟代理人弁護士
木村一成
主文
1 被告は、原告に対し、259万7000円及びこれに対する平成19年4月30日から支払済みまで年6パーセントの割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを2分し、それぞれを各自の負担とする。
4 この判決の第1項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1原告の請求
被告は、原告に対し、579万7000円及び内259万7000円に対する平成19年4月14日から支払済みまで年6パーセントの割合による、内20万円に対する平成19年4月1日から支払済みまで年6パーセントの割合による、内300万円に対する平成19年3月30日から支払済みまで年5パーセントの割合による各金員を支払え。
第2事案の概要
本件は、被告に雇用されていた原告が、被告に対し、雇用契約上の退職金請求権に基づき退職金259万7000円及びこれに対する約定の弁済期の翌日である平成19年4月14日から支払済みまで商事法定利率年6パーセントの割合による遅延損害金、雇用契約上の住宅手当請求権に基づき未払の住宅手当20万円及びこれに対する弁済期の経過後である平成19年4月1日から支払済みまで商事法定利率年6パーセントの割合による遅延損害金、さらに不法行為に基づき慰謝料300万円及びこれに対する不法行為の後である平成19年3月30日から支払済みまで民法所定の年5パーセントの割合による遅延損害金の各支払を求めている事案である。
原告の請求に対し、被告はこれを全面的に争い、請求棄却の判決を求めている。
1 前提となる事実関係(争いのない事実及び証拠によって容易に認定できる事実である。なお、証拠により認定する場合には末尾に証拠を掲げた)
(1) 当事者
ア 被告は、国や自治体の公共工事を中心に土木工事等のコンサルタント委託業務を行う株式会社である。
イ 原告は、平成3年10月14日、被告(当時の商号は「株式会社プランニングマネージメントサービス」であった)に正社員として入社した。
(2) 就業規則の定め
被告の就業規則(以下「本件就業規則」という)には以下の定めがある(書証省略)。用語はいずれも原文どおりである)。
【制裁】
第48条 従業員が次の各号の1に該当するときは、次条の規程により制裁を行う。
① 重要な経歴を偽る等、その他不正手段によって入社したとき。
② 本規程にしばしば違反したとき。
③ 素行不良にして社内の風紀、秩序を乱したとき。
④ 業務上の怠慢または監督不行届によって、災害事故を引き起こしたとき。
⑤ 故意に業務の能率を妨げたとき。
⑥ 正当な事由なく、しばしば無断欠勤し、業務に不熱心なとき。
⑦ 許可なく会社の物品を持ち出したり、持ち出そうとしたとき。
⑧ 会社の名誉信用を傷つけたとき。
⑨ 会社の機密を洩らしたり、洩らそうとしたとき。
⑩ 在職中に退職の承認(許可)なく他に雇用されたとき、又は雇用を条件とする行為を行った場合。
⑪ 業務上の指揮、命令に違反したとき。
(以下省略)
【制裁の種類、程度】
第49条 制裁はその情状により、次の区分によって行う。
① 訓戒 始末書を取り将来を戒める。
② 減給 最近3ヶ月間の平均手取賃金の100分の1から10分の1の範囲で行う。
③ 出勤停止 7日以内の出勤を停止し、その期間の賃金を支払わない。
④ 懲戒解雇 予告期間を設けることなく即時解雇する。
(以下省略)
(3) 退職金規程の定め
被告には、退職金規程(平成6年11月19日制定、平成18年12月1日一部改定)(以下乙3(省略)を「本件退職金規程」という)が存在するところ、同規程には以下の定めがある(書証(省略)、弁論の全趣旨。なお、この点に関し、原告は、上記の退職金規程の改定の事実について疑問を呈するが、本件全証拠によっても、本件退職金規程の有効性に疑問を生じさせる事情を認めることはできない)。
【退職金計算の基礎額】
第6条 1 退職金計算の基礎として各人毎に算定基礎額(退職基本給)を算出する。
2 算定基準額は60才以上の従業員を除き、別表に基づく基本給とする。
3 中途採用者については勤続年数を基準とする。
【自己都合等による算式】
第7条 次の各号の事由により退職したときは、次の算式により算出した金額を退職金として支給する。
(1) 事由
① 自己の都合で退職する場合。
② 私疾病により、その職に耐えず退職する場合。
(2) 算式 基本給×別表②(自己都合支給率)
【会社都合による算式】
第8条 次の各号の事由により退職したときは、次の算式により算出した金額を退職金として支給する。
(1) 事由
① 会社の都合により退職する場合。
② (以下省略)
(2) 算式 基本給×別表①(会社都合支給率)
【会社都合・定年の場合】
第9条 会社の都合または10年以上勤続した者が定年退職した場合は、前条の規程(原文ママ)によって算出した額の20%以内を増額支給することがある。
【無支給もしくは減額支給】
第10条 従業員の退職が懲戒解雇に該当する場合は、原則として退職金を支給しない。但し情状によって第9条以下に減じて(原文ママ)支給することがある。
1 次の事由により退職する者は、原則として退職金を支給しない。
(1) 就業規則第48条により懲戒解雇された時
(2) 所定の手続きを取らずに一方的に退職した時
(3) 不正不都合な所為のあった者
2 自己都合による退職であっても次に該当する場合は、不支給とするか又は情状により減額することがある。
(1) 自殺行為による職務放棄をした者
(2) 業務の引継をなさずに退職した者
(3) 退職前後に会社に反抗するか会社の指示に従わない者、又は著しく社内の秩序を乱した者
【退職金の支給方法】
第13条
1 退職金は、原則として一括払いとする。ただし、退職金を受け取る者の同意を得て分割払いをすることがある。
2 退職金は退職の手続き及び精算事務が完了後30日以内に現金又は銀行振込により支給する。(以下省略)
(4) 住宅手当の支給及び減額
ア 被告の給与規程(給与規定(年俸制部分の章)を含む。以下、両者を併せて「給与規程」という)においては、世帯主である従業員に所定の住宅手当が支給されることとされていた。被告は、これに基づき、平成18年7月分まで1か月5万円を住宅手当として原告に対して支給していた(弁論の全趣旨)。
イ 同年7月25日、被告は、全従業員に宛てて「会社の経営状況は、連続して赤字決算を余儀なくした状況は御承知の事と思います」「さて、突然ではありますが、住宅手当の規程を下記のように来月より変更いたします」「誠意が伝わらないと思えるような行為が見受けられるので残念ながら決断せざるを得ませんでした」「在籍年数3年以上:自宅の場合¥25,000/月」などと記載した文書(以下「本件通知書」という)を配付し、そのころ給与規程中の住宅手当の金額も本件通知書に従った内容に変更した(書証(省略)、弁論の全趣旨)。
ウ 同年8月以降、被告は、原告に対し、1か月2万5000円を住宅手当として支給した。
(5) 原告の退職
平成19年2月6日ころ、原告は、被告に対し、一身上の都合により、同年3月30日をもって退職したい旨の退職願(以下「本件退職願」という)を提出した。ところが、同月30日ころ、被告は、原告に対し、原告には本件就業規則第48条⑤号、⑧号、⑨号、⑩号、⑪号に該当する事実があるとして、原告を同月30日をもって懲戒解雇にする旨の同月7日付け通知書(以下「本件懲戒解雇通知書」という)を交付した(証拠省略)。
原告について、平成19年3月30日付けで自己都合退職したことを前提に本件退職金規程により退職金の額を算定すると、算定基礎額24万5000円に自己都合支給率10.6を乗じた259万7000円となる(弁論の全趣旨)。
2 争点及び当事者の主張
(1) 被告による原告の懲戒解雇の有効性
(被告の主張)
原告には、以下に述べるとおり、本件就業規則第48条⑤号、⑧号、⑨号、⑩号、⑪号に違反する事実が認められたため、被告は、原告を懲戒解雇した。
ア 公共工事等のコンサルタント業務の受注に至るまで
被告の主たる業務内容は、国や地方自治体の公共工事を中心にした土木工事等のコンサルタント委託業務である。
通常、国や地方自治体の公共工事等のコンサルタント業務は1年ごとの契約となるが、原則として、契約を締結するには電子入札システムによることとなる。電子入札システムに応札する者は、一定の資格を有する管理技術者・担当技術者などの予定技術者を定め(業務実施体制)、予定技術者の経歴や過去10年間の実績と業務実施の着眼点や実施方針を明らかにし、参考見積りを付した「技術提案書」を作成して、事前に提出しなければならない。そして、技術提案書を提出した応札者は、予定技術者(管理技術者・担当技術者)を出席させ、予定技術者の経歴・実績や業務への取り組み姿勢(着眼点・実施方針)などにつきヒヤリングを受けさせなければならない。
このような過程を経て当該業務を受注することとなった応札者は、技術提案書に記載した担当技術者を現場技術員として当該業務の実施事業所へ出向させ、受注業務に当たらせるが、一旦受注した業務は、特段の支障のない限り、次年度以降、1年ごとに随意契約を締結して引き続き受注できるのが通例である。
このように、公共工事等のコンサルタント業務を受注するに当たっては、技術提案書に記載された予定技術者の経歴や実績が重要となるし、一旦受注した業務を引き続き受注してゆく場合も、実際に出向して受注業務に当たった現場技術員に対する評価が重要になる。
イ 木津川上流河川事務所工務第一課現場業務を受注するに至る経緯
平成18年3月9日、被告は、近畿地方整備局木津川上流河川事務所(以下「木津川上流河川事務所」という)に対し、履行期間を平成18年4月4日から平成19年3月30日までとする「平成18年度工務第一課現場技術業務」につき技術提案書(以下「本件技術提案書」という)を提出した。
本件技術提案書には、管理技術者をC(以下「C」という)、担当技術者を原告とする業務実施体制、予定管理技術者の経歴等、予定管理技術者の技術士登録証、予定担当技術者の経歴等、予定担当技術者の1級技術検定合格証明書、担当技術者の10年間の同種、又は類似業務実績、過去3年間の現場技術業務委託契約書、業務への取り組み姿勢(管理技術者用・担当技術者用)、予定管理者の社員証が添付されていた。
平成18年3月17日、木津川上流河川事務所長は、被告に対し、「特定通知書」を発し、「技術提案書を特定するための評価基準に従い総合的に評価した結果、『評価項目』全般において他社より比較的優位であった」として、平成18年度工務第一課現場技術業務を受注するはこびとなった。
平成18年4月3日、被告は、木津川上流河川事務所長との間で現場技術業務委託契約(以下「本件業務委託契約」という)を締結し、現場技術員通知書をもって、本件業務委託契約に基づく現場技術業務の現場技術員を原告とする旨通知した。
ウ 原告による被告の信用失墜行為(無断退社発言)
平成19年2月1日、木津川上流河川事務所の調査職員と被告の管理技術者との間で月1回行われる定例の打合せが行われた。この席には原告も同席していたが、その席上、調査職員のD係長から「来年度も引き続いて原告に現場技術業務をお願いしたい」「随意契約と決まりました」という趣旨のコメントがあった。つまり、木津川上流河川事務所の工務第一課現場技術業務については、翌年も引き続き随意契約にて受注できることとなった。
ところが、翌同月2日、原告は、被告に無断で、木津川上流河川事務所のE工務課長(以下「E課長」という)に対し、同年3月いっぱいで被告を退職する意向であることを伝えた。
原告は、同月4日に本件退職願を被告代表者宛てに提出し、同月6日ににCにも退職の意向を伝えたが、それ以前に、被告は、原告から退職する意向を伝えられていなかった。
同月7日、E課長からCに電話があり、「原告が退職すると言っているが、管理技術者としてどのように考えているのか」「社内体制はどうなっているのか」などの指摘を受け、結局、翌年の随意契約の話は取り消されてしまった。
この点、原告は、近畿地方整備局大和川河川事務所亀の瀬出張所に出向していた被告従業員が退職したケースを引き合いに出し、随意契約が取消しになったのは、被告が必要な対応を怠ったことが原因であると主張する。しかしながら、上記のケースにおいては、予め当該従業員が被告に対して3月末をもって退職する意向であることを報告しており、被告も降任として出向させるものを選定することができたのであり、原告の場合とは事情が異なる。
エ 原告による在職期間中の競業行為
平成19年2月21日、被告は、近畿地方整備局姫路河川国道事務所(以下「姫路河川国道事務所」という)の平成19年度山崎維持出張所現場技術業務を受注するため、予定技術者(管理技術者・担当技術者)を出席させ、ヒヤリングを受けさせた。
当日、原告は、「私事のため休暇いたします」との理由で年次有給休暇を取得していたが、このヒヤリングに出席していたF(以下「F」という)がヒヤリングを終えて姫路河川国道事務所4階会議室から出てきたところ、原告が他の男性1名といるところへ出くわした。
Fが、原告に対し、どうして原告がここにいるのか尋ねたところ、原告は、「3月末で退職するので、今日はサンテックの従業員として、同じ業務のヒヤリングに来た」と述べた。なお、サンテックとは、株式会社サンテックインターナショナルのことであり、建設コンサルタント・補償コンサルタントを主たる業務内容とする、被告と競業関係に立つ同業他社である。原告は、被告に籍を置く身でありながら、被告と競業関係に立つ同業他社の予定担当技術者としてヒヤリングに出席し、被告在籍中に、同じ姫路河川国道事務所の山崎維持出張所現場業務に従事して得た経験や実績に言及したことは容易に推測される。
オ 原告の各行為の懲戒処分該当性
原告の上記ウの行為は、いったん随意契約により翌年度の契約延長を認められながら、その翌日に、原告が、被告に無断で木津川上流河川事務所に対して被告を退職する意向を示したことで、翌年度の随意契約が取り消されただけでなく、被告の管理体制を厳しく問われることとなったものである。
いったん受注した業務を引き続き受注する場合、実際に出向して受注業務に当たった現場技術員に対する評価が重要となることは前述したとおりであるところ、その現場技術員が退職することとなれば翌年度以降の随意契約が取り消される可能性があることは原告も十分に承知していたはずである。したがって、仮に原告が退職する場合でも、事前に被告に相談し、被告において現場技術員を手配して翌年度以降の随意契約に対応できる態勢を取った後に退職の意向を示すべきであった。それにもかかわらず、原告は、被告に無断で退職の意向を伝えたため、翌年度以降の随意契約が取り消されることとなったものである。原告のかかる行為は、就業規則第48条⑤号、⑧号、⑨号、⑪号に該当する。
また、原告の上記エの行為は、被告に無断で、被告が応札した案件に同じく応札していた同業他社の従業員としてヒヤリングに参加したというものである。
前に述べたとおり、応札するためには、一定の資格を有する管理技術者・担当技術者などの予定技術者を定め(業務実施体制)、予定技術者の経歴や過去10年間の実績と業務実施の着眼点や実施方針を明らかにし、参考見積りを付した「技術提案書」を作成して事前に提出しなければならない。この過程で、原告は自己の経歴や実績を申告することになるが、その際に被告の機密事項に言及した可能性は十分にある。原告が、被告の従業員として、姫路河川国道事務所の山崎維持出張所現場業務に従事して得た経験や実績は、まさしく被告に在籍していたからこそ得られたもので、一般的知識・技能の域を超える被告の客観的財産であり、営業上の秘密として保護されるべきものである。したがって、原告が、被告に在籍中に得た経験や実績を競業関係にある同業他社の予定技術者としてヒヤリングにおいて述べることは、「会社の機密を洩らしたり、洩らそうとしたとき」に該当する。以上のとおり、原告のかかる行為は、就業規則第48条⑨号、⑩号に該当する。
(原告の主張)
原告に懲戒処分に相当する事由が存在するという被告の主張は争う。
ア 「原告による被告の信用失墜行為」について
(ア) 事実関係の誤認
被告は、平成19年2月1日、原告も同席していた定例の打合せの際に、木津川上流河川事務所のD係長から「随意契約と決まりました」とのコメントがあったと主張する。この点、同日、同係長から、来年度も引き続き原告に現場技術業務を依頼したいという趣旨の発言があったことは認めるが、同係長が「随意契約と決まりました」と言ったことについては否認する。なぜならば、随意契約が正式に決まるのは、発注者側である木津川上流河川事務所から受注者側である被告に対し、随意契約見積依頼書が送付されて初めて決まることだからである。実際に、この打合せの場で同係長が言ったのは、「随意契約と考えている」という趣旨のことであった。
また、被告は、同月2日、原告が被告に無断で、木津川上流河川事務所のE課長に対し、3月いっぱいで退職することを伝えた旨主張する。しかし、そのような事実はなかった。原告が出向先に対し、3月末で退職する意向を伝えたのは、同年2月2日ではなく、同月5日のことである。同日、原告は、D係長が同席した席上で、E課長に伝えたのである。
原告が一番先に退職の意向を伝えたのは、同月4日、被告代表者に対してである。原告は、同日、被告代表者宅を訪れ、直接口頭でその旨を伝えた。席上、原告が、被告代表者に対して退職したい旨伝えたところ、「裏切り者|」「会社をバカにして、法的措置をとる|」と言って、原告をなじった。その際、原告は、被告代表者に対し、退職願を手渡そうとしたが、被告代表者から会社に対して提出するように指示されたので手渡せなかった。この席上、原告は、被告代表者に対し、同月5日に、発注者サイド(出向先)に対し、退職する旨を伝えるつもりであると言った。というのは、この1年前、発注者である木津川上流河川事務所が、被告と契約を締結したのは、入札金額だけでなく、担当技術者としての原告の経歴や実績を検討してのことであったので、自分が退職することが決まっているのに、いつまでも秘匿しておくことは木津川上流河川事務所に対して迷惑をかけることになるので、早く連絡をしておきたかったからである。
(イ) 随意契約がなされなかったのは、会社が必要な対応を怠ったことが原因である。
原告が、退職の意思を表明した後、原告は、被告が新たに自分の代わりの担当技術者を選定して木津川上流河川事務所に紹介するのだろうと思っていた。というのは、通常、このような場合、現場技術員がいなくなってしまうと随意契約は取り消されてしまい被告にとって不利益となるし、また、発注先にも迷惑がかかることになるので、別の者を出向させるなどして対応するのが通常であったからである。実際、同時期に別の事業所(近畿地方整備局大和川河川事務所亀の瀬出張所)において、原告同様、出向途中で被告を退職することになっていた者がいたが、被告は、その事業所には代わりの者を出向させて対応していた。また、被告は、原告に対して翻意するように説得するとか、慰留のための交渉の場を設けるといったことはなかった。
原告は、被告が速やかに自分に代わる現場技術員を手配することを期待していたのであり、それ故、被告の発注先への窓口であるCに、木津川上流河川事務所に来てもらって、E課長らと今後の段取りについて詰めて欲しかった。それをしなかったのは、まさに被告なのであり、原告が懲戒責任を問われるような事由はない。
原告が、15年以上勤めてきた被告に対し、退職の意思を強くしたのは、それまでの従業員を使い捨てライターのごとく扱ってきた被告の姿勢に我慢しきれなかったことにある。すなわち、毎年経営者から営業不振の報告があり将来への不安を常に持っていたこと、毎年の基本給を中心とした年俸の減額、年俸契約更新後間もない平成18年7月に突如、後述する住宅手当を一方的に減額されたこと、住宅手当の減額について被告代表者に対して問い合わせたところ、「来月から給料を止めてやる」と脅されショックを受けたこと、会社の先輩が退職に追いやられた経緯などから、原告は、従前から不満が蓄積し、会社に対して不信感を持っていた。本来ならもっと早く辞めたかったが、契約期間が3月末日であったので、それまで我慢していたのである。
イ 「在職中の競業行為」について
(ア) 事実関係の誤認
原告が、平成19年2月21日に、姫路河川国道事務所4階会議室から出てきたところ、Fと出会ったことは認める。その際、原告は、Fに対し、3月末で退職すること、同じヒヤリングを受けることは話したが、「サンテックの従業員として来た」などとは断じて言っていない。
確かに、この時、原告はサンテックに入社することは内定していたが、まだ入社していなかった。サンテックは、被告同様、平成19年度山崎維持出張所現場技術業務の入札に参加していたところ、原告は、サンテックの予定担当管理技術者としてヒヤリングを受けに来ていたのである。この点、サンテックが事前に、国土交通省近畿地方整備局に対し、ヒヤリング時に他社の従業員であっても、業務実施時にその会社の従業員であれば問題ないかと問い合わせたところ、同局からは問題がないということであった。念のため、原告は、ヒヤリングの際にも、現在は被告の従業員であるが、4月からはサンテックの従業員になることになっていると説明したところ、問題はないとされた。
(イ) 懲戒事由該当性
この点、被告は、同業他社の従業員として上記ヒヤリングに原告が参加したことが、競業行為の禁止(本件就業規則第48条⑩号)に当たるということ、応札に必要な「技術提案書」の作成提出の過程で、原告は自己の経歴や実績を申告することになるところ、その際に被告の機密事項に言及することは十分あり得るのであり、会社の機密漏洩(本件就業規則第48条⑨号)として懲戒事由に当たると主張している。
しかしながら、原告は、ヒヤリングの時点では、サンテックの従業員ではなく、同社とは雇用関係になかった。したがって、本件就業規則第48条⑩号前段には当たらない。同号後段の該当性について、そもそも、原告のように現場技術者資格(1級土木施工管理技士)を持つ者は、その資格を生かした職業に就こうとすれば、国土交通省や都道府県レベルの河川土木業務を行わざるを得ない。そして、現在の入札システムが、現場担当技術者の経歴・実績等を示した「技術提案書」(いわゆるプロポーザル)の作成提出が必要であり、4月1日から事業年度が開始することを考え合わせれば、4月から正社員として業務に従事するために3月の時点で行政からのヒヤリングを受けることは必要不可欠なことである。にもかかわらず、退職後の準備行為をすべて懲戒事由として禁止するのであれば、同号後段の規定は、労働者の職業選択の自由を奪う、過度に広汎な行き過ぎた規制というほかない。したがって、原告の行ったような退職後の生活に向けた準備行為は、同規定によって禁止されるものではないというべきである。
(2) 退職金の一部支払又は損益相殺
(被告の主張)
ア 被告は、同意があった従業員について、従業員個人を被保険者とする生命保険に加入し、月々の保険料を実質的に負担する形で退職金の一部前払いを行い、業務における不慮の事故や、災害・病気等による不測の損害に対処し、個々の従業員が定年に達する時期に満期が到来するように契約を設定し、満期返戻金を退職金の一部に充てる運用を行っていた。そして、被告は、保険契約に基づく原告分の保険料として、総額111万8174円の支払をした。
この被告による生命保険料の支払は、上記のスキームに同意する従業員について、当該同意に基づいて、退職金の一部を前払いしたものである。このことは、被告が、各従業員の給与支給の際に、保険料相当額を特段の裏付けがないにもかかわらず支給項目に挙げ、同額を控除項目に挙げていたこと、保険契約締結に際して従業員から申込書を取り付けていたこと等によっても裏付けられるものである。したがって、被告が支払った生命保険料である上記111万8174円は、実質的に退職金の前払としての性格を有するものであるから、原告の退職金から控除されるべきである。
イ 原告は、AIGスター生命保険株式会社から3万4752円、第一生命保険相互会社から7万2145円の解約返戻金を受領した。原告が受領した上記各金員(合計10万6897円)は、被告が原告に代わって納付してきた保険料の対価として受領したものであるから、損益相殺として退職金額から控除されるべきである。
(原告の主張)
被告の主張は争う。
被告が、一方において「保険料を会社が実質的に負担」していると主張しながら、退職金の算定に当たってこれを控除すると主張するのは、それ自体矛盾している。被告が締結した保険契約の目的が、被告が主張するとおり「従業員の業務における不慮の事故や災害・病気等による不測の事態に対処するため」であるとか、「満期到来時に発生する解約返戻金を退職金の一部に充てるため」というのであれば、なおさら保険契約は被告自身のために締結されたものであることは明らかというべきである。
(3) 住宅手当を減額する給与規程変更の有効性
(被告の主張)
被告は、平成18年7月25日、全従業員に対し、住宅手当を減額することとする旨の通知を行い、そのころ給与規程の該当箇所を変更した。その結果、原告に対して支給される住宅手当は5万円から2万5000円に変更になったものであるが、この給与規程の変更は、以下に述べるとおり、高度の必要性に基いた合理性のあるものというべきであり、有効である。
ア 使用者側の変更の必要性の内容・程度
住宅手当の引き下げが行われた平成18年7月当時、被告は、2期連続の赤字となり、当期も業況は芳しくなく、3期連続の赤字が危ぶまれる状況にあり、人件費を削減する必要性があった。
イ 変更により労働者が被る不利益の程度
上記アのような状況のもと、被告が削減の対象とした住宅手当は、所有資産の状況によって金額が定まるものであり、労働の対価としての性質の比較的小さいものである。また、住宅手当の減額は、所有資産の状況に応じて削減幅に差が生じるものであり、従業員にとっては、より経済的打撃の少ない部分についての減額ということができる。
ウ 変更後の規定の内容自体の相当性
変更前の給与規程によれば、勤続3年以上の従業員には、持家の場合で月額5万円の住宅手当が支給されてきたが、この金額は他社と比較しても高額であった。変更後の給与規程によっても、勤続3年以上の従業員には持家の場合で月額2万5000円の住宅手当が支給されるが、この金額は、他社と比較しても決して低いものではなく、相当なものというべきである。
エ 代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況
給与規程の変更に伴う代償措置は講じられていないが、これは、住宅手当というものが、本来、労働の対償としての賃金そのものではなく、福利厚生的な要素が強いこと、変更後の内容自体もなお相当な水準といえること等から、代償措置が特段必要とされるものではないというべきである。
オ その他
平成18年7月25日、被告は、従業員に対し、被告の置かれた経済的状況と住宅手当減額の必要性を説いた本件通知書を配布したが、この内容に対して異を唱える従業員はいなかった。
(原告の主張)
被告の主張は争う。就業規則の変更によって労働者の既得の権利を奪うことは原則として許されないところ、住宅手当を一方的に減額する経営上の必要性は認められない一方で、上記減額によって従業員の被る不利益は大きく、上記減額に代わる措置も講じられていない以上、被告による住宅手当を減額する給与規程の変更は合理性を欠き、無効であるというべきである。
(4) 原告の慰謝料請求の可否
(原告の主張)
原告は、被告から、いわれのない懲戒解雇処分を受けた上、社内外に虚偽事実を公表されたために多大な精神的苦痛を受けた。これを慰謝するための慰謝料としては、300万円が相当である。
(被告の主張)
原告の主張は争う。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(被告による原告の懲戒解雇の有効性)について
(1) 争点判断の前提事実
前記前提となる事実関係(第2の1)に証拠(省略)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる(認定に供した主要な証拠は、各認定事実の末尾に再掲した)。
ア 被告は、国や地方自治体の公共工事を中心にした土木工事等のコンサルタント業務を主要な事業とする会社である。原告は、平成3年10月14日に被告に入社し、平成19年3月30日に退職するまで技術管理部主任として勤務した。原告は、平成8年3月には1級土木施工管理技士の検定に合格したものであるところ、原告の業務としては、被告が受注した公共工事等のコンサルタント業務(現場技術業務)において、現場の事務所に担当技術者として出向して業務に従事することが多かった(書証(省略)、弁論の全趣旨)。
イ 国や地方自治体の公共工事等のコンサルタント業務は1年ごとの契約となるのが通常である。契約を締結しようとする者は、原則として、電子入札システムによって手続を行うことになる。入札の手続においては、応札者は、一定の資格を有する管理技術者・担当技術者などの予定技術者を定め(業務実施体制)、予定技術者の経歴や過去10年間の実績と業務実施の着眼点や実施方針を明らかにし、参考見積りを付した「技術提案書」を作成して、事前に提出しなければならず、技術提案書を提出した応札者は、予定技術者(管理技術者・担当技術者)をヒヤリングに出席させ、予定技術者の経歴・実績や業務への取り組み姿勢(着眼点・実施方針)などにつきヒヤリングを受けさせなければならないものとされている(書証(省略)、弁論の全趣旨)。
ウ 平成18年4月3日、被告は、木津川上流河川事務所長との間で本件業務委託契約を締結した。同契約に基づく業務の委託期間は、同年4月4日から平成19年3月30日までの1年間であったところ、被告においては、管理技術者をC、技術担当員を原告とする委託業務の実施体制を定め、原告を木津川上流河川事務所に出向させて業務に当たらせた(証拠省略)。
エ 平成19年2月1日、木津川上流河川事務所のD係長と被告の管理技術者であるCとの間で月1回行われる定例の打合せが行われた。この打ち合わせには原告も同席した。その席上、D係長は、翌年度も、引き続き原告に技術担当員としての業務を続けてもらいたい旨を述べた。(証拠省略)。
オ 上記エのようにD係長との打合せの席において翌年度の業務の話が出るなどしたところ、原告は、そのころ既に、被告を退職してサンテックに転職することを考えていたことから、同月2日、原告は、D係長に対し、3月いっぱいで被告を退職することを考えているがどうしたらよいかと相談を持ちかけた。これに対し、D係長は、「相談されても、辞めるなとも辞めるとも、役所の立場なので言えないが、決めるのであれば早く決めて欲しい」旨を述べた(原告本人、弁論の全趣旨)。
カ 同月4日、原告は、被告代表者宅を訪れ、会社を同年3月30日をもっ退職したい旨を告げ、持参した本件退職願を渡そうとした。この話を聞いた被告代表者は驚くとともに、原告退職願は会社に提出するように指示したことから、同年2月6日、原告は、本件退職願を配達証明郵便にて会社宛てに送付した(証拠省略)。
キ 同月7日、木津川上流河川事務所のE課長からCに対して電話があり、「原告が退職すると言っているが、管理技術者としてどのように考えているのか」「被告の社内体制はどうなっているのか」といった厳しい指摘がされた(証拠省略)。
ク 原告は、同月21日、「私事のため」との理由で有給休暇を取得し、姫路河川国道事務所において行われた平成19年度山崎維持出張所現場技術業務に関するヒヤリングに被告の同業者であるサンテックの予定担当技術者として出席した。なお、この案件には、被告も応札しており、被告の担当者であったFと同事務所内で出くわした(証拠省略)。
ケ 同月24日、被告の経営重要事項審議委員会が開催され、原告が被告に無断で客先である国土交通省の職員に退職の意思を伝えたこと、被告の競合会社であるサンテックの社員として姫路河川国道事務所のプロポーザルを受験したことが問題とされ、原告に対して懲戒解雇などの厳しい処分を科すように社長に対して要求する旨の意見がとりまとめられた(証拠省略)。
コ 被告は、同年3月30日ころ、原告に対し、本件懲戒解雇通知書を交付した。
(2) 「原告による信用失墜行為」について
被告は、平成19年2月1日の段階で、木津川上流河川事務所工務第一課に関する現場技術業務については、翌年度も随意契約により受注できることが内定していたものであるところ、同月2日、原告が、被告に無断で、E課長に対し、同年3月いっぱいで被告を退職する意向であることを伝えたため、被告社内の体制に疑問を抱かれることとなり、随意契約を締結することができなくなった旨を主張する。
まず、たしかに、上記(1)のエに認定のとおり、平成19年2月1日に行われた打ち合わせの席上、木津川上流河川事務所のD係長からCに対し、翌年度も、引き続き原告に技術担当員としての業務を続けてもらいたい旨述べられたのであるが、同日以降随意契約に向けた具体的手続がとられたことは本件全証拠によっても認めることはできないのであって、このことに照らすならば、上記のD係長の発言は、あくまで担当官としての意向ないし希望が述べられた程度のものに過ぎず、この段階で被告に対する随意契約での発注が内定していた事実を認めることはできない。
そうすると、上記(1)のオに認定のとおり、同月2日に原告がD係長に対し、被告を退職することを前提とした相談を持ちかけたことは認められるものの、このことが会社の機密に当たるものとは解されない上、そもそも随意契約の内定があった事実が認められない以上、被告が主張する原告の言動によって随意契約の締結が困難となったり、被告の信用が低下した事実があったと認めることもできない。したがって、原告が退職を前提とする相談をした行為が、就業規則第48条⑤号、⑧号、⑨号、⑪号に該当するということはできない。
したがってこの点に関する被告の主張を採用することはできない。
(3) 「在職期間中の競業行為」について
上記(1)認定の事実によれば、原告は、被告に在職中であった平成19年2月21日、被告に無断で、有給休暇を取得して、被告が応札した案件と同一の案件のヒヤリングについて、同業他社の予定担当技術者として出席したことが認められる。被告は、原告の上記の行為が、就業規則第48条⑨項「会社の機密を洩らしたり、洩らそうとしたとき」及び同条⑩項「在職中に退職の承認(許可)なく他に雇用されたとき、又は雇用を条件とする行為を行った場合」に該当するものであると主張する。
この点、上記同条⑩項後段は、被告の従業員に対し、被告の許可なく、転職を前提とし、転職先の利益になる行為を行うことを禁ずる規定と解されるところ、この規定自体は就業規則として合理性を有するものということができる。そして、原告が、被告に無断で、転職予定の同業他社の予定担当技術者としてヒヤリングに参加した行為は、上記の規定に違反するものであるから、原告が上記規定に違反した旨の被告の主張は理由がある。
一方、本件全証拠によっても、原告が被告の機密事項を洩らした事実を認めることはできないから、原告が就業規則第48条⑨項に違反したとの被告の主張を採用することはできない。
(4) 被告による懲戒解雇について
以上のとおり、原告には、被告に無断で、転職予定の同業他社の予定担当技術者としてヒヤリングに参加したという就業規則第48条⑩項違反の事実が認められるものである。一般に公共工事等のコンサルタント業務を受注するに当たっては、技術提案書に記載された予定担当技術者の経歴や実績が重要と考えられていること(原告本人、弁論の全趣旨)からすると、上記の原告のとった行動は相当に問題があるというべきであるが、他方において、ヒヤリングにおいて聴取されるのは、あくまで予定担当技術者の経歴・実績や業務への取り組み姿勢(着眼点・実施方針)といった予定技術者自身の経験ないし知識に基づいて回答することが可能な事柄であって、原告が他社の予定担当技術者としてヒヤリングに出席したとしても、そのことだけによって被告の業務上の秘密が洩れたり、被告が競争上不利益を受けることになるわけではない。このような諸事情を勘案すると、原告に上記の就業規則違反行為があるからといって、これをもって直ちに就業規則に定められた最も重い制裁である懲戒解雇を行うことはできないというべきである。
したがって、被告が原告に対して行った本件懲戒解雇通知書による懲戒解雇については、これを適法なものと認めることができない。したがって、懲戒解雇事由があることを理由として、被告が原告に対する退職金の支払を拒むことは許されないというべきである。
2 争点(2)(退職金の一部支払又は損益相殺)
被告は、原告を被保険者とする生命保険契約を締結し、保険料を納付したものであるところ、被告が支払った保険料は退職金の前払としての性格を有するものであるから、上記保険料合計額を原告に支払うべき退職金から控除すべきであると主張する。しかしながら、被告も認めるとおり、上記の生命保険契約は、業務における不慮の事故や、災害・病気等による不測の損害に対処するためという被告自身のリスク回避の目的で締結されているものである。そうとすれば、この保険料の支払が、賃金の後払又は功労報償金としての性質を有する退職金の前払であると解することはおよそ困難であるといわざるを得ない。加えて、上記の生命保険契約の保険金の扱いに関しては、就業規則及び退職金規程に特段の定めがないばかりか、証拠(省略)によれば、被告は、年俸制の従業員に支給されるべき年俸から退職金引当として年額12万円を控除していることも認められるのであって、これらの点からしても、被告が支払った保険料が退職金の前払いであると評価することは困難である。したがって、被告が支払った保険料を原告に支払うべき退職金から控除することは許されない(被告が、生命保険契約締結に際して各従業員に交付した平成14年1月10日付け文書(書証省略)には、被告が支払った保険料を退職金から控除する旨の記載があるが、上記のような生命保険契約の趣旨及び上記文書に記載された取扱いが退職金規程に明示されているものではないことからすると、個別の明示的な合意なく上記文書に記載されたような取扱いが許されるものではない)。
また、被告は、原告が受領した生命保険金の解約返戻金について原告の退職金請求権から損益相殺として控除すべきである旨の主張をするが、一般に損益相殺とは、不法行為の被害者が損害を被ったとの同一の原因によって利益を受けた場合に、公平の見地からその利益の額を賠償額から控除する法理であるところ、上記の退職金請求権と生命保険金の解約返戻金との間にそれと同一ないし類似の関係があるとは解されず、被告の主張を採用することはできない。
3 争点(3)(住宅手当を減額する給与規程変更の有効性)について
前記前提となる事実関係(第2の1)に証拠(省略)及び弁論の全趣旨を総合すると、被告は、平成18年7月27日、全従業員に対し、住宅手当を減額することとする旨の通知を行ったこと、そのころ給与規程の住宅手当の箇所についても変更されたこと、変更前の給与規程においては、原告を含む在籍年数3年以上の従業員については、自宅の場合1か月5万円が支給されることとされていたが、変更後の給与規程においては1か月2万5000円と変更されたこと、上記の通知がなされた当時、被告の業績は悪化しており、2期連続の赤字決算となっており、人件費削減の必要性があったこと、原告の平成18年度(平成18年4月1日から平成19年3月31日まで)における年俸総額561万4000円のうち住宅手当は60万円であり、その占める割合が高いとはいえず、上記の給与規程の改定によって住宅手当が合計22万5000円の減収となるものの、基本年俸や住宅手当以外の手当は減額されるものではなかったことが認められる。
諸手当を含む賃金に関する就業規則の不利益変更については、変更後の規定が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基いた合理的な内容のものである場合に限り、効力を有するものと解されるところ、上記認定の各事実によれば、被告における給与規程の変更は、被告の2期連続赤字決算という事態を受けて行われたものであり、高度の必要性があったと考えられること、さまざまな手当の内の1つである住宅手当のみを一定額減額するに過ぎないものであり、その程度も在籍年数3年以上の自宅を所有している従業員について、1か月5万円が支給されることとされていた規定を1か月2万5000円を支給するとの規定に変更するという限度にとどまるものである。そうだとすると、変更後の規定には合理性があり、上記変更後の給与規程は有効であるというべきである。したがって、上記の変更後の給与規程が無効であることを前提とする原告の主張には理由がない。
したがって、雇用契約上の住宅手当請求権に基づき、被告に対し、未払の住宅手当20万円及びこれに対する弁済期の経過後である平成19年4月1日から支払済みまで商事法定利率年6パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
4 争点(4)(原告の慰謝料請求の可否)について
本件において、被告の原告に対する懲戒解雇の意思表示が適法なものであったといえないことは前記第3の1において認定説示のとおりであるが、他方において、原告に就業規則に反する行為があったことも同認定のとおりである。これらのことに加え、原告が既に被告を退職する意思表示をしていることからすれば、所定の退職金の支払を受けることが可能となれば原告の精神的苦痛は相当程度慰謝されることとなると解するのが相当である。そうだとすると、本件全証拠を総合しても、原告について、慰謝料を認めるべき事情が存在するとは認めることができない。
したがって、原告の慰謝料請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。
5 まとめ
以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告に対し、雇用契約に基づく退職金請求権に基づき退職金259万7000円及びこれに対する弁論の全趣旨によって本件退職金規程第13条2項に定める支払期限である退職の手続及び清算事務完了後30日と認められる平成19年4月29日の翌日である同月30日から支払済みまで商事法定利率年6パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求はいずれも理由がない。よって、訴訟費用の負担につき民訴法64条本文、61条を、仮執行宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 大須賀寛之)