大阪地方裁判所 平成19年(ワ)2088号 判決 2008年8月22日
原告
X
同訴訟代理人弁護士
重村達郎
同
橋本俊和
被告
瀧本株式会社
同代表者代表取締役
B
同訴訟代理人弁護士
村木茂
同
大涯池祥雄
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告が被告に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は、原告に対し、平成18年7月21日から本判決確定の日に至るまで、毎月25日限り、月額30万1500円及びこれらに対する各支払日の翌日から支払済みまで年6%の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告に対し、平成18年7月21日から本判決確定の日に至るまで、毎年8月10日限り、年額30万1500円及びこれらに対する各支払日の翌日から支払済みまで年6%の割合による金員を支払え。
4 被告は、原告に対し、平成18年7月21日から本判決確定の日に至るまで、毎年12月10日限り、年額60万3000円及びこれらに対する各支払日の翌日から支払済みまで年6%の割合による金員を支払え。
5 被告は、原告に対し、500万0000円及びこれに対する平成19年3月7日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
6 訴訟費用は、被告の負担とする。
7 仮執行宣言
第2事案の概要
1 本件は、解雇無効又は自主退職の意思表示の強迫を理由とした取消による無効を主張する原告が、被告に対し、①雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認(請求の趣旨1項)、②月例賃金の支払い(請求の趣旨2項)、③夏季及び冬季の賞与の支払い(請求の趣旨3項、4項)並びに④名誉毀損についての慰謝料(請求の趣旨5項)を請求した事案である。
2 前提となる事実(証拠等の掲記のない事実は当事者間に争いがない)
(1) 当事者
ア 原告
原告は、昭和○年○月○日に出生し(書証省略)、昭和49年3月18日、被告に入社し、以後、同社で就労していたものである。平成18年7月当時、原告は、主任の地位にあった(書証省略)。
イ 被告
被告は、「スクールタイガー」の商標名で学生服の製造・販売を主たる業とする株式会社であり、東京、名古屋、福岡、札幌に支店を有し、資本金10億円、年商約120億円である。
(2) 雇用契約
前記のとおり、原告は、昭和49年3月ころ、被告と雇用契約を締結し、同月18日から被告において勤務を始めた(書証省略)。平成18年7月20日当時の雇用契約の内容は、以下のとおりである。なお、月例賃金額及びその内訳並びに賞与の額又はその定め方については、争いがある。
月例賃金の締め日と支払日 毎月20日締め、当月25日払い
賞与の支払日 毎年8月上旬及び12月上旬
(3) 月例賃金の支給実績(書証省略)
平成18年4月支給分
基本給 30万3200円
役付手当(資格手当) 5000円
住宅手当 1万9000円
合計 32万7200円
5月支給分
基本給 25万0000円
役付手当(資格手当) 3250円
住宅手当 1万9000円
合計 27万2250円
6月支給分
基本給 25万0000円
役付手当(資格手当) 3250円
住宅手当 1万9000円
合計 27万2250円
7月支給分
基本給 25万0000円
役付手当(資格手当) 3250円
住宅手当 1万9000円
合計 27万2250円
(4) 賞与の支給実績(書証省略)
平成15年度夏季賞与 39万8000円
冬季賞与 45万8000円
平成16年度夏季賞与 42万7000円
冬季賞与 46万0000円
平成17年度夏季賞与 42万9000円
冬季賞与 46万2000円
平成18年度夏季賞与 40万1000円
(5) 退社届(書証省略)の提出と承認(原告本人)
原告は、平成18年7月21日、被告に対し、「今般一身上の都合の理由により平成18年7月21日を以て退社致したくここにお願い致します」との記載のある退社届(書証省略)を退出して、自ら退職する旨の意思表示をし、被告は、これを承認した。
(6) 退職金名下の金銭の支払い(書証省略)
被告は、平成18年7月ころ、原告に対し、退職金名下に1543万0000円を支払った。なお、この金銭について、原告は、解雇又は自主退職が無効であることを前提に、その後の賃金及び賞与の一部として受領した旨主張している(訴状5頁)。
(7) 被告の給与規程抜粋(書証省略)
14条(基本給の決定)
基本給は、本人の年齢、学歴、勤務年数、経験、職責、能力、特殊技能、職種、勤務成績等を、総合勘考評価して決定する。
16条(資格手当)
従業員が主任に任じられたとき資格手当を支給する。但し、締切期間中15日以上欠勤の当月は支給しない。
19条(住宅手当)
社外に居住を有し、会社へ通勤する従業員に対し、別表の住宅手当を支給する(ただし書及び別表は略)。
34条(賞与)
賞与は、その期の会社の営業成績の状況に応じて支給する。但し、業績の不振、天災、その他これに類する事情により支給を停止することがある。
35条(賞与の支給)
賞与は、原則として毎年7月、12月の2回支給する。但し、試用期間中の者、又は勤務成績の甚だしく悪い者、長期欠勤者、休職中の者又、懲戒該当者には支給しないことがある。
36条(賞与の算定)
個人の賞与の算定は、その勤務期間、又期間中の仕事の成果、勤怠、能率、能力、勤続年限、勤務態度等を勘案した考課成績により会社が決定する。この計算方式は、その都度定める。
(8) 被告の勤務地限定制度規程抜粋(書証省略)
1条(定義)
勤務地限定制度とは、転居を伴う転勤をすること無く、特定の地域に勤務する従業員に関する人事処遇制度をいう。
4条(処遇)
1項(月例給与)
基本給は、一般職の80%相当額とする。資格手当・役職手当・家族手当・住宅手当は一般職と同額。
2項(賞与、時間外勤務・休日出勤手当)
前項の基本給の算定の基礎とする。
3項以下省略。
第3争点に関する当事者の主張
1 本件の争点は、①解雇権行使及びその濫用の有無、②強迫の有無、③名誉毀損の有無並びに④解雇又は自主退職が無効であった場合に認められるべき賃金額である。
2 解雇権行使及びその濫用の有無について
(1) 原告の主張
原告は、被告が平成18年7月20日、原告に対し、退職強要を行ったことが実質的には解雇の意思表示をしたものであるとの解釈を前提に、解雇を正当とする事由がなく、解雇権の濫用である旨主張している。
(2) 被告の主張
被告は、自らが解雇の意思表示をしたこと自体を否認している。
3 強迫の有無について
(1) 原告の主張
原告の自主退職の意思表示は、①これをしないと、懲戒解雇となって1500万0000円を超える退職金を得られなくなると脅され、パニック状態で行われたこと、②平成18年7月20日に、人事担当責任者であったC取締役管理本部長兼総務部長(以下「C取締役」という)及びD総務部長代理(以下「D総務部長代理」という)の2名により、3時間以上にもわたり会社が真っ暗な状態になるまで、4畳半ほどの広さもない、テーブルが1つあるだけの狭い密室で、不正アクセスや情報漏洩について、机をたたかれたり、立ち上がって怒られたりしながら、トイレに行くことも許されない「事情聴取」の挙げ句、退社届に署名して翌朝提出するよう迫られた果てのものであることからすると、強迫によるものである。原告は、本件訴状をもって、退職の意思表示を取り消す。
(2) 被告の主張
被告は、懲戒解雇になる旨の脅しをしたことはない。懲戒委員会が開催されるので、懲戒処分になることもありうると言ったに留まる。C取締役及びD総務部長代理が平成18年7月20日に、原告に対し、事実確認を行ったことはあるが、時間は、午後4時30分から午後7時30分までである。軟禁状態においたこともない。
4 名誉毀損の有無について
(1) 原告の主張
原告は、被告から、コンピュータ内データに不正アクセスをし、被告の機密情報を不正に入手したなどと名誉を毀損され、多大な精神的損害を被った。これを慰謝する額は、少なくとも500万0000円を下らない。
(2) 被告の主張
被告は、原告が被告の機密情報を不正に入手したと決めつけた発言はしていない。原告の説明を聴き、事実確認を行ったに過ぎない。
5 解雇又は自主退職が無効であった場合に認められるべき賃金額について
(1) 原告の主張
原告が退職を強要された平成18年7月20日当時、原告は、直近3か月平均で月額30万1500円の給与(通勤費を除く)を支給されており、特段の事情のない限り、60歳の定年に達するまで、少なくとも月額30万1500円の割合の賃金債権を有する。
原告は、毎年、基準額(基本給、資格手当及び住宅手当の合計額)の合計3か月分の賞与(夏季1か月分、冬季2か月分)の支給を受けており、毎年、賞与として、少なくとも夏季30万1500円、冬季60万3000円の賃金債権を有する。
(2) 被告の主張
原告の平成18年7月20日を基準とした直近3か月の給与の平均は27万2250円である。
賞与の基準額は、基本給及び資格手当の合計であり、夏季に1.5か月分であり、冬季に1.5か月分であるが、夏季の支給金額は、業績査定、人事考課があり、確定ではない。原告については、人事考課により減額されることのほうが多かった。
原告の直近3年間の夏季賞与の支給実績は、以下のとおりである。
平成16年 1.4か月分
平成17年 1.4か月分
平成18年 1.3か月分
平均 1.37か月分(37万3000円)
冬季の支給額は、1.5か月分(40万8000円)であった。
第4当裁判所の判断
1 認定事案
争いのない事実、かっこ内に摘示した証拠及び弁論の全趣旨から以下の事実が認定できる。
(1) ビュルガー病の罹患
原告は、平成元年ころ、ビュルガー病(別名「バージャー病」)を発症した(書証省略)。ビュルガー病は、四肢の末梢血管に閉塞を来す病気であり、その結果、四肢や指趾の虚血症状(血液が十分供給されないために起こる組織の低酸素症状)が起こる病気である。指趾の冷感やしびれ感、蒼白化に始まり、間欠性跛行(長距離を歩くと足が痛くなり歩行困難となり、一休みすると再び痛みが治まり歩行ができるようになる)、激しい痛み(安静時疼痛)、さらには潰瘍を形成して、壊死に陥ることもある。壊死が進行すると、指趾や四肢の切断に至ることもある(書証省略)。原告については、下肢痛が持続する症状等があったが、薬物治療が行われており、手術歴はない(書証省略)。
(2) 原告の身体障害
原告は、平成2年6月6日、両下肢軽度機能障害(6級)の認定を受けて、身体障害者手帳の交付を受けた(書証省略)。
(3) 勤務地限定社員への変更
原告は、平成11年7月1日、勤務地限定社員となった(書証省略)。
(4) 原告の勤務場所
原告は、平成18年7月当時、被告の本社4階の見本室に勤務していた(原告本人)。同見本室に勤務するのは、原告1人だけであった。
(5) 「a」フォルダ等の発見
C取締役及びD総務部長代理は、平成18年7月8日(土曜日)、利用状況を確認するため、7階へ移動予定であった4階見本室に設置のパーソナルコンピュータ(以下「本件コンピュータ」という)を起動して業務内容を確認したところ、「a」という名前の付されたフォルダを発見した。同フォルダの中には、総務部以外には存在し得ない人事総務関係のデータが多数存在していた。すなわち、給与のマスターとなるデータ、各個人の住所や基本給等のデータ、退職金一覧表、人事異動等に使われる組織図等があった。さらに、C取締役及びD総務部長代理が4階見本室内を調べたところ、総務関係のデータが入ったフロッピーディスク1枚、財務関係のデータが入ったフロッピーディスク2枚、インターネットのアダルトサイトのアドレスが入ったフロッピーディスク1枚(以下これらをまとめて「本件フロッピーディスク」という)が発見された。しかし、同日中に、本件コンピュータや、本件フロッピーディスクを回収する等の措置はとられなかった(証拠省略)。
(6) 平成18年7月11日の状況
本件コンピュータは、平成18年7月11日(火曜日)までに7階に移動された(書証省略)。C取締役及びD総務部長代理は、移動された本件コンピュータを起動し、再度内部に保存されたフォルダを確認したところ、「a」のフォルダは削除されていた。C取締役及びD総務部長代理は、4階に赴き、本件フロッピーディスクの所在を確認し、回収して総務部において保管することとした(書証省略)。原告は、同日、通院のため、振替休日を取得していた(書証省略)。
(7) 本件コンピュータの利用状況
本件コンピュータは、他の者も利用することはあったものの、原告も業務で使用するコンピュータであったが、4階の見本室に常駐して勤務していたのは原告1人だけであった。そのため、原告は、本件コンピュータを事実上管理する担当者と目されていた(原告本人)。
(8) 平成18年7月12日の事情聴取
C取締役及びD総務部長代理は、平成18年7月12日の午前10時ころから午前11時ころまでの間、8階第2応接室において、原告から事情聴取をした。その際、C取締役及びD総務部長代理は、原告に対し、「a」のフォルダの存在や、その中に人事総務関係のデータが存在したことや、本件フロッピーディスクの存在について知っていたのか確認したが、原告は、当初いずれについても否定していた。特に、本件フロッピーディスクについては、原告が仕事でフロッピーディスクを使用することがないのに、なぜ4階にあるのかが分からない、原告には関係ない旨述べた。
事情聴取が進むうち、原告は、本件コンピュータ内に「a」のフォルダが存在し、中に人事総務関係のデータがあることについては、以前から知っていたが、7階に本件コンピュータが移動される際、「a」のフォルダを削除した旨供述するに至った。しかしながら、どのような経緯で「a」のフォルダが作成され、内部に人事総務関係のデータが置かれるに至ったのか、本件フロッピーディスクがなぜ4階見本室にあったのかについては分からない旨答えていた(証拠省略)。
この際の事情聴取は、軽い感じで、詳細を知りたいという内容であった(原告本人)。
なお、原告は、①同日の事情聴取や、これ以後の事情聴取、面談において、「a」のフォルダについて尋ねられたが、そのフォルダの存在については知らなかった、②「Aさんのフォルダ」について尋ねられていたものと勘違いしていた、③本件コンピュータのデスクトップ上に「クエッション」というフォルダがあり、退職者の生年月日表のファイルが入っていたようで、これを削除したことがあるに留まる旨供述する(証拠省略)。「a」という名前のフォルダが存在したというC取締役及びD総務部長代理の各供述は、具体的で創作とは考えにくい一方、「クエッション」という不審な名称のフォルダがあったことを同人らが看過したとは容易に考えにくく、原告の供述を直ちに信用することはできない。しかし、いずれにせよ、この点がC取締役及びD総務部長代理の調査の対象についての認定を左右するものではないし、原告においても、本件コンピュータの中に存在した人事総務関係のデータが話題に上っていたことについての認識は有していたのであるから(原告本人)、この点についての認識の違いが平成18年7月12日の事情聴取の内容につついての認定を左右するものではない。
(9) 平成18年7月12日のその他の調査
被告の担当者らの調査により、平成18年7月12日午後、以下の事実が判明した。すなわち、①データ復元ソフトにより復元された「a」のフォルダ内のデータは、平成18年7月8日時点では存在しており、最終の更新日は平成18年5月26日であったこと、②「a」のフォルダ内の人事総務データは、総務部の者の使用するコンピュータ内のデータとほぼ同一であったが、同人の使用するコンピュータの共有フォルダに保存されており、パスワードが設定されていなかったこと、③本件フロッピーディスクには、「9/14 No1」、「9/14 No3」と記載されているものもあり、内部に保存それたファイルの更新日付を確認したところ、財務関係のデータの入ったフロッピーディスクについては平成16年9月14日、人事総務関係のデータの入ったフロッピーディスクについては平成17年6月20日から平成18年5月29日までの間であったこと等が判明した(証拠省略)。
(10) 平成18年7月13日の事情聴取
C取締役及びD総務部長代理は、平成18年7月13日午前11時ころ、8階第2応接室において、原告に対し、再度、事情聴取を行った。この際、C取締役及びD総務部長代理は、フロッピーディスクに記載された日付と思われる「9/14」の筆跡が原告のものと似ていることを指摘したところ、原告は、自ら記載したものである旨述べ、財務関係のデータの入ったフロッピーディスクについては、退職した某人からもらった後、失念していたものであったと供述した。
本件コンピュータ内の「a」のフォルダ内のデータについて、原告は、平成18年5月26日に更新したことはないと述べたが、興味本位でファイルの中身を閲覧した旨新たな供述をした(書証省略)。この際の事情聴取も、軽い感じで、詳細を知りたいという内容であった(原告本人)。
(11) 平成18年7月14日のその他の調査
C取締役及びD総務部長代理は、平成18年7月14日、某部長に対して事情聴取を行ったところ、約2年前、原告からコンピュータ内の人事関係のデータを見せられたことがあった旨告げられた(書証省略)。
(12) 乙11(省略)の提出
原告は、平成18年7月18日、本件フロッピーディスクが4階見本室に持ち込まれた経緯について思い出せたことや、本件コンピュータが多数の者によって使用されていたこと等を記載した書面(書証省略)を提出した(書証省略)
(13) 平成18年7月18日及び同月19日のその他の調査
C取締役及びD総務部長代理は、平成18年7月18日から同月19日までの間、某部長や企画開発部の従業員に対し、事実確認を行い、原告が平成18年5月26日午前10時30分ころから同日午前11時ころ、腰痛のために通院したいとして外出した旨の供述を得た(書証省略)。
他方、再度、本件コンピュータ内のデータの復元を行ったところ、人事総務データの更新時間は、平成18年5月26日午前11時11分であることが確認された(書証省略)。
(14) 平成18年7月20日の原告との面談
C取締役及びD総務部長代理は、平成18年7月20日、8階第2応接室において、原告と面談を行った。この際の状況については、後述のとおり争いがあるが、書証(省略)の原告の署名が行われたこと、最終的に、C取締役らが原告に対して退社届の書式を渡したことは、少なくとも認められる(証拠省略)。
2 解雇権行使及びその濫用の有無について
各供述間に食い違いはあるが、少なくとも、平成18年7月20日の段階では、原告につき、懲戒解雇をするには、懲戒委員会(就業規則(書証省略)77条)を開催する手続が必要であるとの認識を原告も含む関係者が有していたことは一致していることからすると(証拠省略)、同日の段階で、被告が原告を解雇する旨の意思表示をしたことは認められない。また、その濫用の有無については、検討する必要がない。
3 強迫の有無について
平成18年7月20日の原告との面談の内容について、原告、C取締役、D総務部長代理の各供述の間には、同月21日に懲戒委員会が開かれる旨原告へ告げられたかどうかについて、食い違いがある。
この点について、C取締役は、懲戒委員会の構成員等が未だ決定されておらず、同月21日に開催されると決まっていたわけではないから、そのようなことは言っていない(人証省略)、懲戒委員会を開催するかどうかは、同月21日に開催される予定だった(実際に開催された)経営会議で決定されるものであった旨供述しており(人証省略)、一応、合理的な説明を行っている。
しかしながら、既に、同月20日の段階で、被告の当時の社長が懲戒委員会の開催をするよう指示を出しており、懲戒委員会の開催はほぼ確実であったこと(人証省略)、かねて調査状況を報告していた取締役は懲戒解雇に値するという意見を述べていたことからすると(人証省略)、当時のC取締役及びD総務部長代理においても、早晩(経営会議に引き続き、直ちに懲戒委員会を開催することすら考えられなくはない)、懲戒委員会が開催され、懲戒解雇となる可能性も十分あるものとの認識を有していたものと考えられる(証拠省略)。そうすると、C取締役及びD総務部長代理が同月20日の段階で、原告に対し、同月21日に懲戒委員会が開催されることは確実で、懲戒解雇等の懲戒処分となる可能性もあると述べたとしても不思議ではなく、その旨のD総務部長代理の供述(書証省略)及び原告の供述(原告本人)の方が信用できる。
もっとも、これが直ちに強迫と認められるかは疑問である。就業規則上(書証省略)、懲戒解雇するかどうかを審議するのは懲戒委員会であり(77条)、少なくとも形式上、C取締役やD総務部長代理は、懲戒解雇するかどうかを直ちに決定しうる立場にはないから、確実に懲戒解雇となる旨を告げたとは考えにくい。原告自身、確実に懲戒解雇になるということを何回も何回も繰り返し言われたと供述する一方で、これは「ニュアンス」、「彼らは、そういうつもりで言ったかどうか分かりませんけども、私はそういうふうに取りました」という趣旨の供述であるとする(原告本人)。また、原告は、解雇の裁定が下される可能性もあると言われた(原告本人)、懲戒解雇になるかもしれんという恐怖みたいなものがあった(原告本人)という趣旨の供述もしている。これに加え、D総務部長代理が「事案から見ても解雇の裁定が下される可能性もあるだろうとの総務としての見解」を述べたと供述していること(書証省略)、C取締役も「最悪は懲戒解雇はあり得るという話をした」と供述していること(人証省略)を併せ考慮すると、平成18年7月20日に原告に告げられたのは、懲戒解雇の可能性がある旨の内容であったに留まるものと認められる。
このほか、原告は、C取締役が机を叩き、青筋を立てて立ち上がって怒る場面があった旨供述するが(原告本人)、これを裏付けるに足りる証拠はない上、仮にこのような事実があったとしても、結局、原告は、その場で退職届を作成するまでには至っていないのであり、これのみで強迫したと評価し得るか疑問である。
また、原告は、平成18年7月20日の面談の時間について、5時間かもしれないとも述べるが、これも「定かじゃない」のであり(原告本人)、不確かな供述である。他方、C取締役及びD総務部長代理は、いずれも、時刻が不確かな場合はそのままにしながら、分かる範囲で時刻を特定して供述をしていることからすると(書証省略)、同人らの供述、すなわち平成18年7月20日の原告との面談は、同日午後4時30分ころから午後7時30分ころまでであったとの供述は(証拠省略)、信用できる。
そして、約3時間程度の面談であったことを前提とすると、原告からトイレに行きたいとの申し出がなかったとの供述(証拠省略)も不自然とはいえない一方、トイレに行きたいと申し出たのに、もうちょっとで終わるから待つようにと言われ、その後30分から1時間くらい面談が続けられたとの原告の供述(原告本人)を裏付け証拠なしに直ちに信用することはできない。もとより、原告の時間に関する供述は、感覚的なものである上、誇張された記憶である可能性もある。また、仮にトイレに行かせなかったという事実があったとしても、社会通念から逸脱した強迫ともいうべき状況があったかどうかは、疑わしいといわざるを得ない。
以上の検討に加え、面談が実施された8階第2応接室が4畳半もないくらいの部屋であること(人証省略)等原告の主張する点を併せ各事情を総合考慮するに、嫌疑が掛けられ懲戒解雇の可能性、すなわち退職金が支払われなくなる危険があるという原告の意思決定に影響を及ぼす状況があったことは認められるが、これを超え、原告に対し強迫が加えられた事実までを認めることはできない。
ところで、原告は、被告が「ビュルガー病に罹患している身体障害者であって職種、職務内容も限定される原告」を会社から排除し、折からの売り上げ不振の中、人件費を節約すべく整理解雇的な意図の下、原告に因縁をつけて退社に追い込んだ旨主張するが、迂遠な手法であるとの感が否めない。また、その後の原告の調査で嫌疑は概ね晴れたにせよ、当時、被告が原告について人事関係の情報等を不正入手したと疑う端緒となる事情があったのも事実であり、専ら言いがかりであったということもできない。この点についての原告の主張を裏付けるに足りる証拠はなく、憶測の域を出ないものと言わざるを得ない。
4 名誉毀損の有無について
原告の供述によっても、平成18年7月20日の面談の際、C取締役及びD総務部長代理から告げられた内容は、「犯人である疑いは強い」(原告本人)、「100%君が無実を証明することもできないだろう」(原告本人)というもので、文理上も、またその実質においても、原告を犯人と断定した内容ではない。これからすると、被告が原告について、コンピュータ内のデータに不正アクセスをし、被告の機密情報を不正に入手したと名誉を毀損した事実は認められない。
第5結論
以上の検討によれば、その余の点を検討するまでもなく、原告の請求にはいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用については、民事訴訟法61条を適用して原告に負担させることとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 足立堅太)