大阪地方裁判所 平成2年(わ)3360号 判決 1991年4月24日
主文
被告人は無罪。
理由
一 本件公訴事実は、「被告人は、平成二年六月九日午後九時五五分ころ、大阪市住之江区安立一丁目一一番九号飲食店『真喜』において、田沢一郎(当時四五歳)に対し、いきなり胸ぐらをつかまれ、『こら、又、お前いらんこと言うたんか、表に出えや。』と言われたことに立腹し、同店のカウンターの上に置いていた刺身包丁で右肩を切りつけ、よって、同人に、加療約三一日間を要する右肩切創、右肩甲骨筋肉障害の傷害を負わせたものである。」というのである。
二 関係各証拠によれば、公訴事実記載の日時場所において、被告人が刺身包丁で田沢一郎に対し公訴事実記載の傷害を負わせたことは明らかである。弁護人は、被告人の本件行為は、急迫不正の侵害に対し自己の権利を防衛するためにやむを得ず行われたものであり、被告人がその手にした物が包丁であるという認識はなく、正当防衛が成立すると主張するのに対し、検察官は、被告人は、意識的かつ積極的に包丁を手に取って切り付けており、本件行為は、田沢に対する憤激の情を爆発させた喧嘩闘争の過程で行われたもので、防衛の意思に基づくものではないから、正当防衛はもちろん過剰防衛にも当たらないと主張する。
三 以下の事実は関係各証拠により認めることができ、かつ概ね当事者間にも争いがない。
1 被告人は、公訴事実記載の飲食店「真喜」の常連客であったが、平成二年三月ころ、やはり「真喜」の常連客である北浦利祐子の子供が店内で騒いだ際に、被告人が子供の頭を叩くなどしたことから北浦と口論となり、同女がこのことを内縁の夫である田沢一郎(当時四五歳)に告げたため、それに立腹した田沢が、被告人の胸ぐらをつかんで路上に倒すなどの暴行を加えたことがあった。
2 被告人は、同年六月九日午後七時ころから、職場の同僚三名と「真喜」で飲食していたが、子供を連れて来店した北浦が、被告人の同僚に対して告げ口をしたため、気分を害し、午後九時ころ同僚と共に一旦「真喜」を出たが、その際北浦に、「ええ加減にせえよ。」などと怒鳴りつけた。
3 会社の同僚を送った後、被告人は、同日午後九時半過ぎころ、再び「真喜」に戻ったが、午後九時五〇分ころ北浦の訴えを聞きつけて立腹した田沢が「真喜」に来店し、店の奥のカウンター(別紙検証見取図(以下「見取図」という。)の②付近)で飲食をしていた被告人の姿を見かけると直ぐに被告人の方へ歩み寄り、「またお前か、なんで悪口ばかり言うねん。」などと言いながら、両手で被告人の胸ぐらをつかんで締め上げた。
4 この時、被告人は、カウンターに左手をつく格好になり、見取図⑥付近のカウンターのまな板の上に置かれていた刺身包丁(平成二年押第五六号の1)の柄に左手が触れた。田沢が被告人の胸ぐらを締め付ける力を緩めようとしなかったため、被告人は、それを振り放そうとして、「やめんかい。」と怒鳴りながら、田沢の右肩の付近を、左手に持った右刺身包丁で斜め下から上へ一回殴打し、この結果、田沢に加療約三一日間を要する右肩切創等の傷害を負わせた。
5 田沢は、被告人から包丁で殴打されたことに気付かなかったが、「真喜」の経営者である小川輝雄から「血が出ている。」と言われて自分が負傷していることを知った。小川輝雄とその妻キヌヨは、カウンターに背を向けて洗い物をしていたため、被告人が田沢を包丁で殴打したところは見ていなかったが、被告人が包丁を手にし田沢が負傷しているのを見て、被告人の加害行為を知り、被告人の左手を押さえて包丁を手放させた。
四 そこで、まず、本件における急迫不正の侵害の有無並びに防衛の意思の有無について検討する。
前記の認定事実によれば、被告人は、田沢から胸ぐらをつかまれて、のど元を押し上げられ、反撃行為に出たときも、この状態が続いており、田沢からの一方的な攻撃が現に継続中であったのであるから、田沢の行為が被告人の身体等に対する急迫不正の侵害にあたることは明らかである。検察官は、本件は喧嘩闘争であって、被告人の行為は防衛の意思に基づく行為とはいえないと主張するが、関係各証拠上も、被告人が田沢の攻撃を予期していたとは認められず、かつ、田沢が被告人の胸ぐらをつかんでから被告人が包丁で反撃するまでは、ほんの一瞬の間であって、この間に喧嘩闘争の状況はなかったと認められる。被告人は、田沢に対し従前のいきさつにより多少の憤激を抱いていたとしても、もっぱら胸ぐらを締めつける田沢の手を振り払おうとして、とっさに反撃に出たと考えられるから、その手にしたものが包丁であるという認識の有無にかかわらず、被告人の本件行為は防衛の意思に基づくものと認めるべきである。
五 次に防衛行為の相当性について判断する。
1 被告人が包丁を手にしたことを認識したうえで田沢を殴りつけたかどうかについて、事実関係を検討する。
この点について、被告人は、当公判廷において、田沢に胸ぐらをつかまれ、突き上げられるような感じで腰が浮いた状態となり、その後カウンターに押しつけられた状態となったが、体のバランスを失ったので、体を支えるためにカウンター上に左手を突いたところ、たまたまその左手がカウンター上においてあった刺身包丁の柄に触れたのであり、棒のような物という程度の認識しかなく、とっさに田沢の右腕を振り払うことを目的として、左手に触れた棒のような物を振り回して殴りつけたと供述する。これに対して、検察官は、(一)田沢に、胸ぐらをつかまれた時の被告人の位置(見取図②付近)と包丁の置かれていた位置(見取図⑥付近)との距離は、普段カウンターのまな板上で調理をしていた小川キヌヨが右利きであることから、包丁の柄は店の奥の方を向いていたと考えられることを考え合わせると、少なくとも六五ないし七〇センチメートルはあったと推測される、(二)右の現場の状況で身長一七一センチメートルの被告人が六五ないし七〇センチメートル離れた場所に手を突いたとすれば、腕をほぼ一杯に伸ばした状態となるが、このような姿勢では、腕に力が入らず、上体を支えることが困難である、(三)結局、被告人は、上体を支えるためでなく、包丁の柄をつかむため、意識的かつ積極的に手を伸ばしたと見るのが自然である、(四)被告人の弁解によれば、手を突いた場所に偶然包丁の柄があり、それで田沢を殴りつけた際に偶然包丁の刃が田沢の身体に当たったというのであるが、このような偶然が二度も重なることは、経験則上考えにくく、不自然である、と主張する。
確かに、被告人は「真喜」の常連客であって、来店したときには見取図②付近のカウンター席に座ることが多かったことからすれば、普段小川キヌヨが見取図⑥付近のまな板上で包丁を用いて調理しているのを目にする機会もあったと推測できるし、検証における被告人の指示説明等からも明らかなように、被告人が左手を伸ばした状態で包丁の柄に触ったと認められることを考え合わせると、被告人が田沢からの攻撃を受けた際に、包丁の位置を認識したうえ、その方向に意識的に左手を伸ばし、その柄をつかんだという可能性も否定しえないところである。
しかしながら、本件においては、事件直後に実況見聞等の現場保存が行われていないこともあって、本件当時、包丁の柄が店の奥を向いていたかどうかを含めて、その正確な位置は不明というほかはない。被告人は、捜査段階以来、棒のような物を手にした時点でそれが包丁であることを認識したかどうかの点(この点については後に検討する。)を除いては、一貫して前記の供述をしており、その内容も自己に不利益な事柄を率直に認めるなど、自然なものであって、信用性が高いと認められる。そして、右供述に検証の際の指示説明を合わせて検討すると、被告人が供述するような体勢で左手をカウンターに突いた場合その左手が包丁の柄に触れたという可能性も否定できないところである。しかも、被告人の捜査官に対する供述調書には、被告人が田沢から攻撃を受ける前にあらかじめ包丁の位置を認識していたとか、田沢から攻撃を受けながら、振り向いたりあるいは手で探ったりするなどして、包丁を手にしようとしてその位置を確かめたといった供述はなく、他にこうした事実を窺わせる証拠はない。
したがって、検察官の前記主張は、一つの推測としては成り立つとしても、これを裏付けるに足りる証拠はないといわざるをえない。
2 ところで、被告人の捜査段階における供述調書中には、被告人が左手につかんだものが包丁であったことを認識していたかのような記載がある。すなわち、「私としては、その時、掴んだものを何であるか見ることなど出来ませんでしたが、掴んだ棒のようなものの太さや重さで庖丁のようなものかなとは思いましたが、あの時は必死であり、とにかく私の胸倉を掴んで力一杯締め付けている北浦さんのご主人の手を振り離そうと、必死で殴り付けてしまったのです。」(司法巡査に対する供述調書)、「私はマスターが手にしたものを見て、それが思った通り包丁で、刺身包丁一本であることが分かったのです。」(右同)、「左手に何か柄のようなものが触れました。私は、これは柄の感触から包丁のようなものではないかと思い、これで切り付けてやれば田沢もそれ以上は、かかってこないだろうと思い、包丁のようなものの柄を左手に握って、『やめんかい』と怒鳴りつけるなり、下から上に振り上げるような形で田沢の右肩あたりを殴りつけるような形で一発殴り付けた」(検察官に対する供述調書)といった供述である。
この点についての客観的状況を検討すると、関係各証拠によれば、本件の包丁の柄が、単なる木の棒に比して、明らかに重さや形状の点で異なるものではないと認められるから、これで何回も殴打したのであればともかく、被告人が殴打したのは一回だけであり、しかも、被告人がこれを手にしてから田沢を殴るまでは、ほんの一瞬の間の出来事であったから、被告人がこれが包丁だと気付かなかったとしても、不自然ではないというべきである。また、被告人が手にした包丁で田沢に対して行った反撃行為は、その肩の辺りを後方から一回殴ったというものであり、正面から突き刺したり切り付けるといった包丁の典型的な用法に従った行為ではないし、被告人が右反撃行為の前後に包丁を構えて田沢を威嚇するといった行動に出ていないことも、証拠上明らかである。このように、被告人の行動は、手にしたものが棒のような物であるという認識しかなかったとしても、充分説明のつくものであり、むしろその方が、包丁であるという認識を有していたとした場合よりも、無理なく説明しうるというべきである。
この点について、被告人は、当公判廷において、警察での取調べでは、当初警察官に対して、「棒のような物」だと思ったと供述し、その旨書いてもらったが、途中で調室に入って来た別の偉い警察官から「店に棒みたいな物が置いてるか。包丁とわかっていたはずや。」、「重さとか太さで分かっていただろう。」、「調理師をしていただろう。そうしたら握った物が包丁だということはわかっていただろう。」、「こんなんでは検察庁に送れない。」などと言われて、自分の弁解を聞き入れてもらえず、最終的に根負けしてしまい、検察庁でも、検察官に自分の言い分を聞いてもらえなかったが、取調べを長引かせたくなかったので、前記の内容の調書の署名に応じたと供述する。
そこで、左手につかんだものが包丁であったという認識があったことを認める被告人の前記供述調書の記載の信用性を検討すると、田沢からの攻撃を受けて切羽詰まった状況の下での一瞬の間の出来事であるにしては、その部分のみあたかもスローモーションを見るような不自然な内容となっているうえ、ことさらに分析的な内容となっており、それまでの部分の自然な供述内容と著しい対照をなしている。また、被告人の司法巡査に対する供述調書では、当初、単に「棒のような物」で殴りつけたと供述しながら、後にそれを修正するなど、一通の調書の中で供述の変遷が見られるのである。供述調書の内容が右のようになっている理由について、被告人が当公判廷において供述するところは、具体的でありかつ迫真性に富むものであって、信用性を否定しがたいものである。したがって、結果的に他人を傷つけてしまったという負い目を感じている被告人が、早く取調べを終えたいという気持ちも加わって、捜査官の理詰めの尋問に迎合し、不本意な供述をしたという可能性も充分ありうるといわねばならない。
このように、被告人の供述調書中、包丁であることの認識を認める部分には、信用性を認めることができない。したがって、被告人が手にした物が包丁であることに気付いたのは、被告人が当公判廷で供述するように、小川輝雄に包丁を取り上げられ「何でやったのか分かっとんのか、包丁やで。」と言われた後である(これに対応する小川輝雄の供述はないが、被告人の右供述は、具体的であるうえ、捜査段階以来同旨の供述をしており、ことさらに将来の弁解を見越して虚偽の供述をしたと認めるべき事情もないから、信用することができる。)と認めるのが相当である。
3 以上の認定事実を前提として、防衛行為の相当性について判断する。
被告人の行った行為それ自体は、刺身包丁で一回殴打し、加療約三一日間を要する傷害を負わせたというものであり、田沢の被告人に対する攻撃が素手によるものであることを考慮すれば、相当性の範囲を超えたものと評価されてもやむをえないものである。しかし、前記のとおり、被告人には反撃の手段が棒のような物という認識しかなかったのであり、本件のように、防衛行為の手段について客観的事実と行為者の認識との間に食い違いがある場合には、行為者の認識を基準として防衛行為の相当性を判断すべきである。そうすると、被告人が認識したような棒のような物で田沢の右肩付近を一回殴打する行為は、被告人の胸ぐらを両手で締めつける田沢の攻撃に対する反撃として、社会通念上相当な範囲にあると評価することができる。
六 以上のとおり、被告人の本件行為は、正当防衛として罪にならないものであるから、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。
よって、主文のとおり判決をする。
(裁判官朝山芳史)
別紙検証見取図<省略>