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大阪地方裁判所 平成2年(モ)50648号 判決 1991年10月22日

当事者の表示

別紙当事者目録記載のとおり

主文

一  申請人らと被申請人との間の大阪地方裁判所昭和六二年(ヨ)第一二八一号地位保全金員支払仮処分申請事件について、同裁判所が平成二年二月二〇日にした仮処分決定主文第一項(申請人らが被申請人の従業員の地位にあることを仮に定めた部分)を認可する。

二1  右決定主文第二項(金員の仮払いを命じた部分)のうち本判決別紙認容債権目録記載の金員の仮払いを命じた部分を認可する。

2  右決定主文第二項のうち右認可した金員を超えて金員の仮払いを命じた部分を取り消す。

3  右2において取り消した部分につき金員の仮払いを求める部分につき申請人らの本件仮処分申請を却下する。

三  訴訟費用は被申請人の負担とする。

四  この判決は、第二項2に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一申立て

申請人らは、主文記載の仮処分決定を認可する旨の判決を求め、被申請人は、右仮処分決定を取り消し、申請人らの本件各仮処分申請をいずれも却下する、との判決を求めた。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  被申請人は、昭和二五年四月に設立された資本金八七二億一七〇〇万円(昭和六二年二月現在)、正社員数三万五九五三名(昭和六一年一二月現在)を擁するわが国有数の総合家電メーカーである。被申請人は、従来よりいわゆる正社員のほか、二か月の契約期間を定めて採用する臨時従業員(いわゆるパートタイマー)を雇用していたが、昭和五五年四月以降、新たに定勤社員制度を設け、これらの臨時従業員のうち、二年以上継続勤務し、出勤状況が良好である(出勤率九二パーセント以上)など成績が一定水準以上の者で選考を経た者については、これを定勤社員として、契約期間を一年とする労働契約を締結するようになった。

2  申請人らは、それぞれ左記入社年月日欄記載の日に臨時従業員として被申請人に入社し、その後被申請人による右の選考を経た上で、定勤社員になった年月日欄記載の日に定勤社員となり、いずれも契約期間の一年を経過するごとに定勤社員としての契約更新を重ね、大阪府大東市住道にある被申請人の後記四事業部において稼働していたものである。

申請人 入社年月日 定勤社員になった年月日

池田富子 昭和五〇年五月一二日 昭和五五年九月二一日

池田良子 昭和五四年一〇月八日 昭和五九年三月二一日

上西眤子 昭和五五年七月七日 昭和五八年三月二一日

岡田久子 昭和五四年一月二九日 昭和五六年三月二一日

黒井静子 昭和五四年八月二七日 昭和五九年三月二一日

高津美佐子 昭和五五年一〇月八日 昭和五八年三月二一日

立石安子 昭和五四年四月二三日 昭和五七年三月二一日

筒井初枝 昭和五五年六月一二日 昭和五八年三月二一日

中川作枝 昭和五一年四月一二日 昭和五五年五月二一日

中本きみ栄 昭和五四年六月四日 昭和五九年三月二一日

福田節子 昭和五四年五月一四日 昭和六〇年三月二一日

真鍋勝子 昭和五五年四月七日 昭和五八年三月二一日

矢野エイ 昭和五四年六月六日 昭和六〇年三月二一日

山本孝江 昭和五〇年一〇月二一日 昭和五七年三月二一日

山本安子 昭和五一年九月二一日 昭和五五年五月二一日

被申請人は、昭和六二年二月頃、前記住道地区に、映像事業本部及び音響事業本部の二事業本部を置き、更に、映像事業本部に属する事業部としてテレビ大阪事業部、ビデオ大阪事業部及び電子部品事業部を、音響事業本部に属する事業部としてオーディオ大阪事業部を置き、右四事業部において正社員約五五〇〇名のほか、合計約一二〇〇名の定勤社員及び約二〇〇名の臨時社員を雇用していた。

被申請人は、昭和六二年二月一八日、右住道の四事業部に勤務する申請人らを含む定勤社員のほぼ全員に対し、経営環境の悪化などを理由として、同年三月二〇日の契約期間満了をもって定勤社員との雇用契約を終了させ、引き続き契約更新をしないこととする旨を告知した(右契約更新をしない旨の被申請人の措置を、以下「本件雇止め」という。)。

本件仮処分申請は、被申請人に雇用される定勤社員であった申請人らが、本件雇止めの効力を争い、被申請人に対し申請人らを従業員として取り扱うこと及び未払賃金相当額の仮払いを求めたものである。

二  当事者の主張の要旨

1  申請人ら

(1)  申請人らと被申請人との間の雇用契約(以下「定勤社員契約」という。)は、雇用期間を一年とするものであるが、定勤社員契約に先立って被申請人が申請人らを雇用期間を二か月とする臨時従業員(パートタイマー)として採用した当時、被申請人においては、若年労働力不足の状況下にあって、二か月といった短期で雇用するつもりはなく、当初から雇用契約を更新することを前提に募集、採用し、一方、申請人らにおいても、「定年」まで働く意思で入社したものである。また、申請人ら定勤社員の仕事が、その性質上臨時的・季節的なものでないことは明らかであり、かかる期間の定めは形式的なものにすぎず、本来期間の定めのないものであるか、または反復更新を重ねたことにより期間の定めのあるものから期間の定めのないものに転化したものである。たとえそうでないとしても、定勤社員契約は、期間の満了ごとに更新を重ね、あたかも期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態で存在していたものである。したがって、本件雇止めは解雇の意思表示にほかならないか、または実質において解雇の意思表示に該当するというべきであって、その効力の判断に当たっては解雇に関する法理を適用または類推適用すべきである。

(2)  本件においては、経営環境の悪化など解雇を必要とする事由がなく、あるいは単に定勤社員であるというだけで一律に解雇し、申請人ら定勤社員と誠実に協議し、かつ説明をする義務を怠るなど解雇権を濫用したものであるから、本件雇止めの意思表示は無効である。

2  被申請人

(1)  定勤社員契約は、本来的に一年間という期間の定めがある契約であり、これが一回ないし数回更新されたからといって期間の定めのない契約に転化するものではない。また、正社員と定勤社員とは、会社における従業員配置や仕事に関する基本的方針・考え方において、それぞれが従事する作業内容は明確に区別され、形式のみならずその実態・実質においても截然たる区別がされていたから、定勤社員契約が期間の定めのない労働契約と実質的に異ならない状態で存在していたともいえない。

(2)  このように、有期契約を前提とするものである以上、本件雇止めの効力を判断すべき基準は、終身雇用の期待の下に期間の定めのない契約を締結している正社員を整理解雇する場合とはおのずから合理的な差異があり、使用者に相当広範囲の自由が認められるべきである。そして、本件雇止め当時、円高の昂進、経済摩擦の激化、アジアNIES(旧称アジアNICS)諸国の急成長などにより輸出環境が急激に悪化する中で、被申請人、とりわけ住道地区の四事業部は、生産する商品のうちに占める輸出商品の比率が高いため、大幅な営業損失を連続して計上するなど高度の経営危機に見舞われており、生産方法の転換や生産調整などを含めて企業構造の根本的な変革を迫られていたのであり、そのような状況下において、被申請人は、休日振替、時間休業、臨時社員の雇止め、全面休業等の諸施策を採った上で本件雇止めに至ったものであるから、本件雇止めは被申請人の経営上のやむを得ない措置であったといえるものであり、かつ手続上の瑕疵もないから、本件雇止めは正当である。なお、被申請人は、本件雇止めに際して定勤社員の中から希望退職者を募集する措置を採っていないが、右各事業部における余剰人員は、当時在籍していた定勤社員の数を超えるものであることが確定されていたから、かかる措置を採ることは全く無意味であり、したがって、被申請人が右措置をとらずに、定勤社員全員の雇止めを行ったことを不当とすることはできない。

三  争点

1  定勤社員契約は、期間の定めのない労働契約か、または形式はともかく実質的には期限の定めのない労働契約であるといえるか。あるいは期限の定めのある労働契約であるか。

2  仮に定勤社員契約が少なくとも実質的に期限の定めのない労働契約であり、本件雇止めの適否が解雇に関する法理に照らして判断されるべきであるとすれば、本件配転雇止めに合理的な理由があるか。また、定勤社員契約が名実ともに期限の定めのある労働契約であることを否定できないとすれば、期間の満了のみをもって右契約が終了することになるのではないか。仮にそういえないとすれば、本件雇止めを正当化しうるだけの相当な理由があるか。

第三判断

(争点1について)

一  当事者間に争いのない事実、疎明(各項目の末尾に掲記したもの。以下同じ。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を一応認めることができる。

1  被申請人におけるパートタイマー制度創設の経緯

被申請人は、昭和四〇年頃における不況を契機として特に国外販売(輸出)に力を注いできた。そのため、昭和五〇年代初頭においては、全売上高の半分以上を輸出に依存するようになった。特に住道地区においては、もともと無線商品を中心に輸出比率が九〇パーセントに達するほどの輸出向け製品の生産を行ってきたため、増大する輸出受注量に対応し、要員の増大を図っていた。ところで、輸出受注量は、その性質上不安定であって、常に一定数量の受注の確保が保障されているわけではない。また、家庭電機製品が一般消費財であって、かつ季節商品としての性格をもつことから、その需要が景気や市況の変動、気候等により左右されやすい。これらのことから、被申請人においては、かかる要因に対応した雇用量の調整が必要であり、これが容易な臨時の労働力を必要とした。また、技術革新に伴う生産工程の大幅な自動化・機械化の実現により誰にでもできる定型的な単純反復作業の範囲が拡大してきたこともあって、昭和四〇年代に入り、当時、余暇の増加、消費意欲の増大、生活意識の変化等により、家事との両立を前提として労働市場に参入してきた家庭婦人を対象として、被申請人の一部の事業部において、単純作業・短時間労働・有期契約を内容とするパートタイマー(臨時従業員)が採用され始めた。

三洋電機労働組合(以下「三洋労組」という。)は、当初はパートタイマーの導入に反対する態度をとっていたが、企業の人手不足によりパートタイマーでなければ働けない人までをも必要とするようになったとの現状認識から、これを承認することに方針を転換し、昭和四二年八月、被申請人に対してパートタイマーの定義及び労働条件の明確化を要求した。このような要求に基づく三洋労組と被申請人との協議を経て、被申請人においては、同年一〇月に、パートタイマーを一日の所定労働時間が正社員より短い臨時の従業員と定義した上、契約期間を二か月、一日の労働時間を六時間とすることなどを内容とするパートタイマー制度を正式に発足させた。なお、三洋労組においては、パートタイマーを非組合員とすることとした。(<証拠略>)

2  定勤社員制度の創設

その後、昭和五五年まで、会社レベルでの被申請人の売上高は、昭和五〇年及び昭和五三年の各期に若干減少したことを除けば、増加の一途をたどり、輸出高も昭和五三年を唯一の例外として順調に伸びた。また、前記のとおり、売上高に占める輸出の比率も昭和五〇年代初頭には全売上高の半分以上に達するなど急上昇し、輸出向け受注量に対応するための臨時従業員の需要も増大した。この間、被申請人の女子正社員数は、全社レベルで昭和四五年、住道地区レベルで昭和四三、四四年をピークに次第に減少したが、これとは逆にパートタイマーの数は増え続けた。

こうした中にあって、昭和五四年八月頃、三洋労組から被申請人に対し、パートタイマーの労働条件改善の申入れがあり、労使間で協議された結果、被申請人において、昭和五五年四月から、従来のパートタイマーを「臨時社員」と「定勤社員」との二つに区分する新しい臨時従業員制度が開始された(以下「臨時社員」と「定勤社員」を総称する呼称として「臨時従業員」または「パートタイマー」という用語を用いる。)。すなわち、従来のパートタイマー(契約期間二か月、労働時間一日六時間)を「臨時社員」とその呼称を変更し、臨時社員として二年以上継続勤務し前年度の出勤率が九二パーセント以上である者は、本人の希望により面接や健康診断等を経た上、「定勤社員」として採用するというものであった。定勤社員に採用された者は、その契約期間が二か月から一年間に伸び、一日の労働時間が六時間から七時間になるほか、臨時社員と比較し、時間給の額、残業割増率、年休、育児時間、慶弔休暇、慶弔見舞金、退職慰労金などの面で有利な取扱いを受けることとなった。

もっとも、新制度開始直後は、労働時間が一時間長くなることから、定勤社員になることを希望する者が少なかったため、第一次年度は、昭和五五年五月にした第一回募集に加え、九月に追加募集がされた。ただし、その契約期間は、昭和五六年以降、被申請人の事務処理上の便宜から、毎年三月二一日から翌年三月二〇日までとすることに統一された。そして、定勤社員になる者は次第に増加したが、その一方で、それぞれの生産量に応じて臨時従業員を増員する必要がなくなった事業部においては、逐次臨時社員の採用が打ち切られていき、臨時従業員数は、昭和五六年度に四一九六人(正社員数は二四・一パーセント)の最高値に達した後は減少に転じた(その間、正社員数は増加を続けた。)。住道地区においては、テレビ大阪事業部が昭和五六年一一月度、電子部品事業部が同年一二月度、オーディオ大阪事業部が昭和五七年三月度、ビデオ大阪事業部が昭和五九年八月度から、それぞれ臨時社員の新規採用を打ち切った。また、昭和五九年一月一日から昭和六一年一二月三一日までの三年間に退職した定勤社員数は三四〇人であり、昭和六一年度における被申請人全社の臨時従業員数(定勤社員と臨時社員との合計)は三一九一人(正社員の一五・〇パーセント)となった。

(<証拠略>)

3  正社員と定勤社員との仕事上の差異

被申請人の製造部門における正社員及び臨時従業員のそれぞれが従事する作業などに関する基本的考え方は、次のように要約される。

すなわち、製造部門の仕事を複雑判断作業(主に後工程作業)と単純反復作業(主に前工程作業)の二つに大別し、前者は終身雇用を前提とし相当期間の教育訓練を加えて指導育成する期間の定めのない正社員に担当させ、後者は生産量の大幅増減に対応して雇用量を調整することができるように期間の定めのある契約を交わして採用する臨時従業員に担当させる。正社員は、被申請人の経営方針に基づき技術革新その他諸々の環境変化に対応できる基幹要員であり、他に代替を求めることのできない仕事を担うが、臨時従業員は正社員の補助作業者として位置付けられ、知識や経験を必要としない誰にでもすぐにできる簡単な仕事に従事し、被申請人としてもその仕事に質的な高まりを期待せず、教育訓練や特別な技術実習はしない。職場配置についても、正社員と臨時従業員とが混在して作業をすることは原則としてなく、作業編成は、定勤社員・臨時社員専属ライン、単純反復作業と複雑判断作業とで編成されているライン、正社員専属ラインの三つの型に分類されるが、右第二の型においても正社員と臨時従業員とはその作業内容を明確に区分されており、一時的、過渡的、教育的または補助的な配置という各例外的な場合を除いては、正社員と臨時従業員とが外見上一緒に作業しているように見える場合はない。以上のように要約される。

被申請人の右基本的な考え方によると、定勤社員も臨時社員と同様、臨時従業員の一つであって、両者の間が従事する作業に質的な差異はなく、ただ、定勤社員の方が臨時社員より勤務時間が一時間長いというだけである。

(<証拠略>)

4  定勤社員契約締結(更新)の手続臨時社員から定勤社員になる際には、前記条件を満たして希望する者に対し、あらかじめ内定通知をして説明会を開催し、そこで定勤社員の心構えを説明し、適性検査を実施した上、契約期間を三月二一日から翌年三月二〇日までと明記してある契約書を作成する。なお、適性検査により不採用とされた者はいない。

定勤社員の契約更新も、当然に更新されるのではなく、更新するか否かは、事業計画、期首計画、月初計画、景気動向、業界動向、販売動向などに基づいて部門長会議で検討され、事業部長が決裁する方法で決定される。契約更新と決せられた場合には、各職場において契約更新の旨を朝礼、夕礼等を実施して説明した上、各事業部ごとにそれぞれの職場を通じて本人に契約書用紙二通を配付し、署名押印を得た後、事業部長印を押捺し、一部を被申請人が保存し、一部を本人に返還するとの方法で、定勤社員の意思確認を行うことになっていた。その際、定勤社員側の事情等により契約書の回収などの更新手続が遅れることはあったが、右手続そのものは必ず行われていた。もっとも、本件雇止めに至るまで住道地区において被申請人が契約更新を拒絶した例はなく、定勤社員が契約更新に応じるかどうかの意思確認も、右契約書用紙に定勤社員が署名押印したものを回収する方法で機械的に行っている程度であり、かつその際用いる契約書用紙も、その定勤社員が当該更新時は満五五歳であってその更新された契約期間中に満五六歳に達することになる場合を除いて、一律に、不動文字による「ただし、会社の業務の都合により契約を更新することがある。」との、定勤社員契約関係の継続をなかば期待させるような記載のあるものを使用しており、更に、被申請人が臨時社員を定勤社員とした際には、定勤社員になると満五六歳に達した時の契約期間の満了まで勤務することができると受け取れるような説明をするのが通例であった。こうしたことから、定勤社員の間では、厳密には正確でなく、漫然とした理解にとどまるが、更新された契約期間中に五六歳に達した時のその契約期間の満了時が定勤社員の定年であって、それまでは勤務を続けられるとの理解が行きわたっていた。

(<証拠略>)

5  処遇面における正社員と定勤社員との区別

(1)  募集・選考・採用

正社員の採用は、将来的な経営見通しや正社員在籍要員動向を確認した上で、毎年五月頃に翌年度採用人員を決定し、採用行政ルールに従い、他企業との競争の中で行う。各職種別に面接や技能能力その他のテストにより厳格に審査して選考するほか、入社後二か月間は試用期間としてその間に適格性を見極めるなど慎重に対処することとなっており、採否の決裁権は本社に留保されている。

定勤社員となるためには、まず臨時社員として採用されなければならない。臨時社員の採用は、各事業部において業務上の必要がある都度募集人員を決め、通勤可能範囲の生計主体者でない主婦層を対象に、新聞広告やチラシなどを通じて募集し、簡単な面接をするほか主に健康診断結果に基づき各事業部長の権限により採否を決する。臨時社員から定勤社員への採用については、前項記載のとおりである。

もっとも、現実には、女子正社員の中途採用を行った時期もあり、その際、一枚のチラシや社内誌等にパートタイマーと並べて女子正社員の募集をしたこともあった。

(2)  社員教育

正社員の場合は、採用内定後入社前に会社の概要や社会人としての心得等につき通信教育を実施するほか、入社後も同様の教育に加え、作業の基本等を習得させるための職場実習を行うが、臨時社員の場合は、そのような研修はなく、即日現場の監督者や指導員が作業上の注意事項や簡単な工具の扱い方、担当作業を実演してみせて教える程度のものにすぎない。

(3)  異動

正社員の場合は、業務の都合、人材育成または人事交流上必要のある場合は、住道地区以外への転勤、出向、派遣、駐在等を命ぜられることがあるが、定勤社員の場合は、そのようなものはなく、たかだか作業の移管等による勤務場所の変更(ただし、住道地区内に限る。)があるにすぎない。

(4)  昇進・昇格

正社員の場合は、人事考課に基づく昇進・昇格制度があるが、定勤社員には昇進・昇格制度はない。なお、定勤社員から正社員への登用の途はない。

(5)  会社都合による解雇についての協議義務

被申請人が、事業縮小、閉鎖、設備更新などの会社の都合により従業員を解雇するについては、正社員の場合は、労働協約上三洋労組との協議を経た上ですることが義務付けられているが、定勤社員の場合は、定勤社員側との協議が義務付けられていない。

(6)  定年制

正社員の場合は満六〇歳が定年であるが、定勤社員の場合は定年制がない。もっとも、前記のように満五五歳に達した定勤社員は、その年齢における更新が最後の更新であって、その最後に更新された契約期間の満了時に満五六歳に達していた者、すなわち、その時に仮に、更に契約を更新したとすれば、その一年間の契約期間内に満五七歳に達する者についてはもはや更新をしないという契約更新時の年齢制限があり、各職場においては、定勤社員についても、右年齢制限に基づく最終の契約の期間満了のことを、「定年」と俗称しており、満五七歳に達する期間(その年の三月二一日から翌年三月二〇日まで)の始まる時が右俗称する定年による退職時であるという趣旨で、五七歳を定勤社員の定年年齢であると理解していた。

(7)  賃金制度

正社員の場合は、作業内容や熟練度に対応し、勤続年数(年功)による序列的な賃金体系が組まれており、完全月給制であるが、定勤社員の場合にはかかる賃金制度はなく、時間給を基礎とする日給制である。

(8)  退職金

正社員の場合は、退職金額は勤続年数による序列的な基本給に退職事由別(自己都合、一般退職、会社都合及び定年退職)による一定の率を乗じて計算されるが、定勤社員の場合は、一般退職か自己都合退職による別と、結果としての雇用期間の長さにより、あらかじめ定められている額が退職慰労金の名目で支払われるにすぎない。

(9)  退職年金

正社員の場合は、退職年金制度があり、定年退職後一〇年間年金の給付を受けることができるが、定勤社員にはこの制度がない。

(<証拠略>)

6  申請人らの担当業務

池田富子は、昭和五〇年五月一二日に臨時社員となり、昭和五五年九月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて本件雇止め当時は、テレビ大阪事業部基板製造二課に所属し、Mライン(プリント基板組立工程)につき、プリント基板に部品を差し込む「植込み」といわれる作業に従事していた。

池田良子は、昭和五四年一〇月八日に臨時社員となり、昭和五九年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、テレビ大阪事業部製造一課に所属し、コントロール・ブロック組立ラインにつき、コントロール・ブロックにビス・ナット類で部品を取り付けることを主体とする作業に従事していた。

上西眤子は、昭和五五年七月七日に臨時社員となり、昭和五八年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、テレビ大阪事業部製造三課に所属し、メイン・フライバックトランス取付準備作業に従事していた。この作業は、指定された箇所にハウジング二本を挿入し、前工程で採り付けられていたフライバックトランスがしっかり固定されているかどうかを確認して通函に入れる作業である。

岡田久子は、昭和五四年一月二九日に臨時社員となり、昭和五六年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、テレビ大阪事業部基板製造二課に所属し、Lライン(プリント基板組立工程)につき、池田富子と同様「植込み」といわれる作業に従事していた。

黒井静子は、昭和五四年八月二七日に臨時社員となり、昭和五九年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、テレビ大阪事業部製造一課に所属し、池田良子と同様の作業に従事していた。

高津美佐子は、昭和五五年一〇月八日に臨時社員となり、昭和五八年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、ビデオ大阪事業部ビデオ第二部製造四課に所属し、八ミリビデオカメラ基板組立工程につき、手挿入されたプリント基板の植込み状態を肉眼で検査する作業に従事していた。

立石安子は、昭和五四年四月二三日に臨時社員となり、昭和五七年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、テレビ大阪事業部基板製造二課に所属し、前記Mラインにつき、「箱詰め」等の作業に従事していた。

筒井初枝は、昭和五五年六月一二日に臨時社員になり、昭和五八年三月二一に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、電子部品事業部ビデオ部品製造三課に所属し、下シリンダー組立工程につき、前の作業者により整形されたリード線に測定子を当て、測定器に表れる数値によって良品と不良品とを選り分ける作業に従事していた。

中川作枝は、昭和五一年四月一二日に臨時社員となり、昭和五五年五月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、テレビ大阪事業部基板製造二課に所属し、前記Lラインにつき、主にプリント基板に部品を手挿入する「植込み」作業に従事していた。

中本きみ栄は、昭和五四年六月四日に臨時社員となり、昭和五九年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、テレビ大阪事業部製造一課に所属し、コントロール・ブロック組立ラインにつき、主としてコントロール・ブロック組立完了後の外観検査に従事していた。

福田節子は、昭和五四年五月一四日に臨時社員となり、昭和六〇年三月二一日に定勤社員となり、その後一回更新して、本件雇止め当時は、ビデオ大阪事業部ビデオ第二部製造四課に所属し、八ミリビデオカメラ基板組立工程につき、組立ての完了した基板を分割する作業に従事していた。

真鍋勝子は、昭和五五年四月七日臨時社員となり、昭和五八年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、電子部品事業部ビデオ部品部製造三課に所属し、ビデオシリンダー完成工程(Aライン)につき、ビデオシリンダーをシリンダーベースと呼ばれる部品にネジで取り付けて固定する作業に従事していた。

矢野エイは、昭和五四年六月六日に臨時社員となり、昭和六〇年三月二一日に定勤社員となり、その後一回更新して、本件雇止め当時は、電子部品事業部ビデオ部品部製造三課に所属し、下シリンダー組立工程につき、自動式バランス修正機の所定の位置に、シリンダー内で高速回転する部品であるFWDを置く作業に従事していた。

山本孝江は、昭和五〇年一〇月二一日に臨時社員となり、昭和五七年三月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、電子部品事業部ビデオ部品部製造二課に所属し、ビデオヘッド組立工程につき、ヘッドチップのテープに接触する部分等の外観検査に従事していた。

山本安子は、昭和五一年九月二一日に臨時社員となり、昭和五五年五月二一日に定勤社員となり、その後更新を重ねて、本件雇止め当時は、電子部品事業部ビデオ部品部品質管理課に所属し、ビデオヘッドの品質保証のための六項目程度の検査作業に従事していた。

これら申請人らの従事していた作業は、いずれも特別な専門知識あるいは教育訓練を施すまでもなく、誰にでもできる定型的な単純・反復作業の範疇に入るものである。

(<証拠略>)

二  右事実によれば、次のようにいうことができる。

被申請人がパートタイマー制度を導入した主要な理由の一つは、被申請人がその売上げのかなりの部分を輸出に依存しており、その性質上不安定な輸出受注量の増減に対応する必要から、雇用調整が比較的容易な臨時従業員を確保する必要があった、ということである。もっとも、臨時従業員のうちでも、定勤社員は、臨時社員よりは契約期間が長く、一日当たりの勤務時間が長いなどの特色を有するものであるが、担当する業務は臨時社員と異なるところがなく、主要な労働条件も異なるところがなく、その一方で、正社員とは処遇の面で差異があり、定勤社員から正社員への登用の道もなく、また、定勤社員を含む臨時従業員の担当する職務は、単純反復作業であって、正社員の担当する職務とはその性質が異なるものである。そして、定勤社員の契約期間が満了する毎年三月二〇日頃までには、必ずその都度部門長会議により検討された上事業部長の決裁により契約の更新が決定され、この決定に基づき各事業部において契約書を作成して、新たに雇用期間を一年とする雇用契約を締結するという手続が履践され、本人の意思確認がなされているのである。

以上のような事情をみると、定勤社員契約は、一年という期間の定めのある労働契約にほかならないというべきであって、これが当初から期間の定めのない労働契約であったということができないことは明らかであるし、反復更新を繰り返したとはいえ、そのことのみによって、期間の定めのある労働契約が期間の定めのない労働契約に転化したということもできない。更に、右の諸事情とりわけ定勤社員契約の更新が必ず部門長会議による検討を経て事業部長により決定され、かつ定勤社員の個別の意思表示により右契約を締結するという手続が一応履践されていたことに照らせば、定勤社員契約が、その実質において期間の定めのない労働契約と異ならない状態で存在していたということもできないというべきである。

しかしながら、定勤社員契約にかかる契約書には一年間の契約期間の明示とともに、「この契約は、会社の都合により更新されることがある」との、定勤社員契約の継続をなかば期待させるような記載がされているところ、住道地区において定勤社員制度が創設されてからは勿論、臨時従業員制度が創設されてからも、被申請人の一方的な都合により臨時従業員の雇止めが行われたこともなく、右制度創設当時は、被申請人の全社的な売上高その他の事業規模が膨らんでいる頃で、かかる単純反復作業を行う臨時従業員の需要が極めて旺盛であったことが窺えるし、とくに定勤社員については、その定年と俗称される年齢まで勤務を続けられると受け取れるような説明を被申請人がしたことも前記のとおりであるから、被申請人としても、定勤社員につき文字どおり一年限りで雇用関係を終了させようと考えていなかったことは明らかであり、また、申請人ら定勤社員の側としても、かなり継続的な雇用関係が維持されることを期待していたものということができる。また、定勤社員は、臨時社員として二か月の期間の定めのある労働契約を連続して少なくとも一一回更新し、二年以上継続勤務してはじめてその資格を得られるものであること、定勤社員になる際には簡易とはいえ適性検査を受けなければならないのに、その後の契約更新の際には右のような検査を受けることなく、単に被申請人から交付を受けた書面に署名押印して契約継続の意思を明らかにするだけで契約更新を繰り返すことができたこと(前記のとおり、住道地区の事業部において、従来定勤社員が契約更新されなかった事例はない。)、申請人らはいずれも臨時社員として二年以上継続勤務した上、決して短いとはいえない期間の契約を一回以上更新した経験を有すること(申請人らが臨時従業員として採用されてから本件雇止めに至るまで最長で一一年一〇か月、最短で六年五か月も雇用を継続しており、更に、定勤社員になってからでも二年ないし六年を経ている。)、申請人らの従事していた作業が単純反復作業であるとしても、商品製造という事業部本来の目的のために直接に必要不可欠のものであったこと(定勤社員が、前記定勤社員・臨時社員専属ライン、単純反復作業と複雑判断作業とで編成されているラインのいずれで稼働していたにせよ、その二つのラインのいずれの操業を欠いても商品製造の目的が達せられないから、右目的達成のために定勤社員の従事する作業が必要不可欠であったといわなければならない。)を考えると、当事者双方の雇用契約の継続への期待は、決して小さなものではなかったということができる。

これらの事情にかんがみると、定勤社員契約において合意された契約更新の定めは、被申請人が経営内容の悪化により操業停止に追いやられるなど従業員数の削減を行うほかないやむを得ない特段の事情のない限り、契約期間満了後も継続して定勤社員として雇用することを予定しているものというべきであり、定勤社員を雇止めするについては、いわゆる終身雇用の期待の下に期間の定めのない労働契約を締結している正社員を解雇する場合とはおのずから合理的な差異があることは否定できないものの、解雇に関する法理が類推され、右の趣旨の特段の事情のある場合に限って雇止めができるものというべきである。したがって、右のような特段の事情が存在しないのにかかわらず、被申請人が定勤社員の雇止めをすることは、定勤社員の信頼に著しく反することであって許されないというべきであり、本件雇止めが右特段の事情がないのに行われたとすれば、申請人らは、仮の地位を定める仮処分命令により、被申請人との間に労働契約が締結されたのと同様の権利関係を仮に設定することを求めることができるというべきである。

(争点2について)

三  そこで、次に本件雇止めを正当化しうる右の趣旨の特段の事情があるか否かについて判断する。

当事者間に争いのない事実、疎明及び審尋の全趣旨によれば、次の事実が一応認められる。

1  昭和五〇年代後半の国際通貨情勢は、ドル高を基調として推移してきたが、昭和六〇年九月に開催された主要先進五か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)を契機にアメリカで本格的なドル高是正策が実施されるなどした結果、円高が急速に進展した。すなわち、円の月間平均レートは、昭和六〇年九月には一ドル二三六円(円未満切捨て、以下同じ。)であったものが、昭和六一年一月に二〇〇円、五月に一六六円、八月、九月に一五四円となり、その後昭和六二年一月までに一六二円から一五四円の間を上下した。

また、昭和六〇年のわが国の経常収支の黒字幅は前年の三五〇億ドルを大幅に上回る四九二億ドルを記録した。このため、特に日米間では、拡大した対米貿易黒字等を理由に米議会を中心に対日批判が高まり、アメリカは、保護主義的な立場から巨額の日米貿易不均衡の是正等を要求し、一方、EC諸国も、わが国に対し、市場開放、貿易不均衡是正等の要請を強めてきた。これらの貿易摩擦への対策として、わが国通商産業省は、電機メーカーに対し、各種電子機器の海外での生産を急ぐよう要請を始め、被申請人を含めたわが国輸出関連企業は、部品調達を含めた海外事業地での生産に移行せざるを得なくなった。

更に、韓国、台湾、香港、シンガポール等のいわゆるアジアNIES諸国は、それぞれの通貨が米ドルとほとんどリンクしているため昭和六〇年秋以降の円高により日本製品に対して相対的に価格競争力が向上したこと、人件費等の生産コストがわが国の数分の一であることなどにより、電子機器分野のわが国の牙城を急速に脅かすようになった。昭和六一年上半期のアジアNIESの生産量をみると、白黒テレビ、ラジオ、テープレコーダーはわが国を既に追い抜き、カラーテレビはわが国の八五・六パーセントにまで迫っている。このため、韓国との競合が激化したビデオについては、競争力低下を懸念する余り、対米輸出価格の大幅な値上げができないなど、わが国の輸出商品の円高による価格転嫁は一向に進まず、貿易摩擦を解消することができないままであった。

このような情勢の下において、わが国の製造業は、輸出型業種を中心に大幅に売上高を低下させ、収益率の改善を図るため人件費等の削減などの努力を重ねた。昭和六二年一月時点で通商産業省が実施したアンケート調査によると、何らかの雇用調整策を実施したと回答した企業数は、製造業全体で七五・六パーセントに達し、特に輸出型業種では九〇・三パーセントに上った。

(証拠略)

2  前記のとおり、被申請人は輸出主体の企業であり、昭和六〇年度(昭和五九年一二月一日から昭和六〇年一一月三〇日まで。以下、その他の年度もこれに準ずる。)には会社の輸出比率が六〇・六パーセントにも達していた。

被申請人の売上高は、昭和五八年度は八一九七億六六〇〇万円、昭和五九年度は九九一七億〇八〇〇万円、昭和六〇年度は一兆〇四七六億三三〇〇万円と順次増加してきたが、昭和六一年度に入って、月次売上高は軒並み前年同月を下回り、上半期の売上高は四二九四億六八〇〇万円(対前年同期比八二・八パーセント)、減収額は八九三億七八〇〇万円になった。この傾向は下半期になっても継続し、売上高は四〇九三億六九〇〇万円(対前年同期比七七・四パーセント)、減収額は一一九四億一九〇〇万円となり、結局、通期の売上高は、八三八八億三七〇〇万円にとどまり、対前年比で二〇八七億九六〇〇万円(一九・九パーセント)減となり、昭和五八年度のレベルにまで落ち込んだ。

昭和六一年度の輸出高も急減し、対前年比で六四・七パーセント(二二三六億三四〇〇万円減の四一〇七億三八〇〇万円)にまで落ち込んだ(昭和五六年のレベルを下回る。)。

また、生産高も、昭和六〇年度上期五三〇四億九五〇〇万円、下期五一九九億一一〇〇万円、昭和六一年度上期四三五五億六七〇〇万円、下期四〇七四億三七〇〇万円と急激に減少した。

その結果、昭和六一年度は、創業以来初めて営業利益段階で二八億〇七〇〇万円の赤字となり、前年と比較して二九〇億円もの減益となった。営業外損益では、手持ち有価証券の売却やいわゆる財テクなどの金融収支等により営業利益の赤字を埋めたものの、金融収支も、資金の減少と市場金利の低下によって黒字幅が減少し、経常利益は対前年比で四三三億三六〇〇万円(七四・一パーセント)減の一五一億五八〇〇万円となった。

被申請人は、こうした経営環境の激変に対応すべく、昭和六一年一二月一日をもって東京三洋電機株式会社と合併し、製造・販売の一体化、重複投資の回避による経営の効率化を目指すこととした。

(<証拠略>)

昭和六一年度までに被申請人の行った収支改善対策は次のとおりである。

(1)  経費の大幅削減

昭和六〇年一一月、翌昭和六一年度の事業計画策定に当たり、本社管理部門は、間接経費の大幅な削減を行い、前年同期を下回る水準での予算編成を行った。

具体的には、人件費の関係で時間外労働を原則としてしないこと、消耗品費の関係ですべての用紙の使用を従来の三分の一程度に節減すること、旅費の関係で出張の回数や手段に検討を加え、極力節減すること、通信費の関係で電話の使用回数・時間を極力節減することなどであった。

更に、昭和六一年三月、経費の追加削減をした。

昭和六一年度下期には、すべての経費を前年同期の実績金額以下に削減することとした。

昭和六一年一一月、翌昭和六二年度の予算編成にあたり、当初計画を、時間外手当の一律一〇〇パーセント削減、教育訓練費など六項目の二〇パーセント削減、厚生費など五項目の一〇パーセント削減、宣伝広告費など七項目の五パーセント削減などを織り込んだものに改定した。

(証拠略)

(2)  設備投資の削減

設備投資の実績は、昭和六〇年度に一〇八七億一九〇〇万円であったものが、昭和六一年度は六五四億七六〇〇万円に落ち込み、昭和六二年度の計画では五一〇億円となった(証拠略)。

(3)  新規採用の停止

昭和六一年七月、翌年度の正社員の採用計画の見直しを行い、当初七〇名と予定していた大卒事務系の採用をゼロとすることに決めた(証拠略)。

(4)  給与カット

昭和六一年九月分給与から、二七名の役員につき報酬の一〇ないし一五パーセント、約二〇〇〇名の管理職につき給与の四・八五パーセントを削減することとした(証拠略)。

(5)  賞与の現物支給

昭和六一年一二月に支給された下期賞与において、管理職以上に対し、賞与の一割を自社製品の購入に充てるよう指示し、現金に代えて金券を支給した(<証拠略>)。

3  ところで、被申請人は、昭和三六年度頃から、従来の工場制を改め、事業部制を導入したが、その導入の当初からいわゆる独立採算制を採用し、各製造事業部は、それぞれが製造した商品を会社内の販売部門に引き渡せば、その引渡価格を売上げとして計上し、これを当該事業部の生産高として、各事業部ごとに決算書を作成し、利益確保を図るとともにその責任を負担する形をとっていた。

被申請人は、昭和六一年一二月一日に東京三洋電機株式会社と合併し、製造・販売を一体とする商品別八事業本部制を導入した。これによって、製造・販売にわたり利益責任を事業部が負い、商品も会社内の販売部門ではなく販売代理店に引き渡されて初めて売上げが計上され決済されることとされたが、各事業部ごとに決算を行い、担当する商品の利益の責任を負う、との従来からの各製造事業部ごとの独立採算制はそのまま引き継がれた。

(<証拠略>)

4  住道地区にあるテレビ大阪事業部、ビデオ大阪事業部、電子部品事業部及びオーディオ大阪事業部の四事業部は、その商品のうちに占める輸出商品の割合が特に高く、昭和六一年一一月期の金額ベースによる輸出比率は、テレビ大阪事業部が九八・二パーセント、ビデオ大阪事業部が八五・八パーセント、オーディオ大阪事業部が八〇・九パーセントに上っていた。このように極端に輸出比率の高い体質であったため、昭和六〇年後半以降は、前記円高の昂進、貿易摩擦、アジアNIESの低価格攻勢などにより、生産量は急減するに至った。昭和六一年度純利益においては、四事業部とも巨額の赤字となり、その合計は被申請人全社の最終赤字額の五倍を超えるに至り、製造段階としては極めて異常な状態となった。

(<証拠略>)

これを各事業部ごとにみると、次のとおりである。

(1)  テレビ大阪事業部

昭和六〇年度は、中国向け輸出が増大したため、生産高は七一一億円とピークに達したが、他方、北米や欧州向け輸出は前年より減少していており、昭和六一年度は、中国向け生産も激減し、北米や欧州向け輸出も大幅に落ち込んだ。このことにより、生産高は四四九億円(前年度に比べ二六二億円、率にして三六・九パーセントの減)となり、利益も前年より五五億円減少し、一三億円を超える損失を計上した。

本件雇止め後の昭和六二年度は、生産高は多少増えたものの、定着的な円高のため利益面では更に九億円の赤字が増え、約二三億円の損失を計上した。そこで、テレビ大阪事業部は、かかる深刻な業績悪化を受け、海外シフトと国内生産の再編成ということを大きな柱とする基本計画を策定した。この基本計画は、昭和六二年末までを目途に実施するものとされた。その具体的内容は次のとおりである。

ア 円高による輸出採算の悪化に対応するためテレビ大阪事業部における輸出用カラーテレビの生産を海外(具体的にはシンガポール、メキシコ)に移管する。

イ 右海外シフトによりテレビ大阪事業部におけるテレビ生産の空洞化を防ぐため、国内向けカラーテレビの生産を一元化し、具体的にはテレビ岐阜事業部における国内用カラーテレビの生産をテレビ大阪事業部に移管することとする。

ウ テレビ岐阜事業部から移管を受ける国内向けカラーテレビの生産については、大幅に自動化し、無人化を図る。

同計画の実施に伴い、従前テレビ大阪事業部でのパソコン、フロッピーディスクドライブの生産がテレビ岐阜事業部に移管することとされ、従前テレビ大阪事業部でこれらの生産に携わってきた人員(一四六名)をテレビ生産部門に受け入れることとした。

(<証拠・人証略>)

(2)  ビデオ大阪事業部

昭和五九年度は、アメリカでロサンゼルスオリンピックや大統領選挙が行われたため、北米市場が活況を呈し、世界的にも需要が拡大したことから、生産高は九四〇億円のピークに達した。ところが、昭和六〇年度に入って落ち込みを始め、北米市場の悪化、欧州向けの輸出規制強化、韓国メーカーの本格的輸出開始、G5以降の急激な円高などにより、前年度に比べ一四二億円、率にして一五・二パーセントの減で、利益は前年より七億円減少して前年の半分以下の六億円にとどまった。昭和六一年度になると、円高の昂進は一段と激しく、欧州向け輸出規制もますます強化され、他方では、アジアNIESの欧州進出などが広く行われるようになったため、生産高は、前年度に比べ更に七八億円、率にして九・八パーセントも落ち込み、昭和五八年度以前の水準に低下するとともに、七〇億円という一事業部としては最大の損失を計上するに至った。

本件雇止め後の昭和六二年度も状況は一段と厳しく、円高の定着、欧州向けの輸出規制の強化、北米市場における価格下落と在庫の急増などの影響から、ほぼ前年同額の六九億円の大幅な損失を計上した。

なお、ビデオカメラについては、昭和六〇年度は三億円、昭和六一年度は八億円の生産をしたにすぎず、同事業部の七一九億円の生産高から見ると、一パーセント前後のまことに微々たるものである。また八ミリビデオについては、昭和六一年度に参入したばかりであり、この年九億円の生産をしているにすぎず、この両部門では一九億円の損失を計上した。本件雇止め後の昭和六二年度は、ビデオカメラは一四億円、八ミリビデオは七七億円の生産高で、前年に比べて伸びたものの、利益面では両部門合わせて前年より更に赤字幅が増え、二一億円の損失を計上した。こうした一体型ビデオの分野は、ハイテク技術の集積商品ともいえる分野で、各社が凌ぎを削って競争を展開しており、需要見通しが不透明で、まだまだ利益が出る段階ではなく、本格的事業に育つには時間を要すると考えられた。そして、新しい商品であるため、設計の合理化や工程の改善等が急速に進んだ関係で、生産に要する人員は逆に漸減しているのが実情である。

(<証拠略>)

(3)  電子部品事業部

電子部品事業部は、三洋電機グループ向けの依存度が高く、特にテレビ、ビデオ、オーディオ関連の住道地区で製造される製品に大半が組み込まれている関係で(昭和六〇年度で約七四パーセント)、この三つの事業部の業績に連動している。

昭和六〇年度は、受注増と中国向けプラントの寄与により五〇三億円の生産高を上げたが、G5以降の円高により価格引き下げ要請が相次いだ結果、利益が前年に比べ二億円、率にして三二・二パーセント減少し、わずか四億円の利益を上げるにとどまった。昭和六一年度に入ると、円高が定着し、納入先の生産減の影響を受け、生産高は五八億円、率にして一一・六パーセント減少して四四四億円にとどまり、昭和五九年度レベルをも割り込んだ上、利益は前年より一五億円減少して、一転して一一億円もの損失を計上した。

本件雇止め後の昭和六二年度も、円高の加速によるセットメーカーの海外進出の拡大と合理化による商品点数の減少に加え、アジアNIES製の安価な部品が入ってくるなどの影響で、受注は減少を続け、更に急激な販売価格の下落が重なったため、生産高は前年度に比べ更に六八億円、率にして一五・二パーセント減少して三七七億円にとどまり、利益も更に四億円の減益となって一五億円の損失を計上した。

(<証拠略>)

(4)  オーディオ大阪事業部

オーディオ商品は、昭和五〇年代後半には既に成熟商品分野となり、国際的にも厳しい価格競争時代に入ったことから、経営環境は極めて厳しい状況にあった。その中でオーディオ大阪事業部はCDプレーヤー、ハイファイ商品等の新規商品に力を注ぐことで昭和五九年度まではわずかながら利益を確保してきたものである。ところが、昭和六〇年度に入り、急激な円高とアジアNIESの追い上げ等により受注確保は困難を極めたため、生産高においては前年を四〇億円も下回り、利益は五億七五〇〇万円の減益となり、五一〇〇万円の赤字に転落した。昭和六一年度は、同年三月に通商産業省からオーディオ業界が構造不況業種に指定されるほど経営環境が悪化したため、生産高は更に激減し、前年度に比べ、二一九億円、率にして四〇・一パーセント減少して三二七億円にとどまり、利益面では五五億円を超える巨額の損失を計上するに至った。

このため、オーディオ大阪事業部においては、本件雇止め後である昭和六二年三月以降生産を全面的に停止したほか、間接部門、技術部門についても昭和六二年六月より八月にかけて大阪市西淀川区に所在する歌島工場に移管・統合し、住道地区におけるオーディオ事業は完全に閉鎖され、オーディオ大阪事業部は大幅な縮小を余儀なくされた。その結果、昭和六二年度も経営環境は好転するどころかますます悪化し、生産高は巨額の赤字を出した前年より更に三〇億円、率にして九・二パーセントも落ち込むことになり、利益面でも四二億円と再び大幅な損失を計上した。

(<証拠略>)

(5)  住道四事業部合計

昭和六〇年度から生産高は既に減少を始め、前年度に比べ四〇億円、率にして一・六パーセントの減少、利益も一一億円、率にして一七・六パーセントの減益であった。昭和六一年度に入り、生産高は、前年度に比べ六一八億円、率にして二四・二パーセントの減少で、一九四一億円と大きく落ち込み、六年前の昭和五五年度レベルに低下した。これは、全社レベルで売上高が一九・九パーセント減少したのを超えるものである。利益も、二〇一億円もの減益となり一五〇億円もの巨額な損失を計上した。この一五〇億円という損失額は、製造段階としては極めて異常であって、会社全体の最終営業損失二八億円の五倍以上に達する。

本件雇止め後の昭和六二年度も、前年とほぼ同額の一五〇億円もの巨額の損失額を計上するに至った。

(<証拠略>)

五 以上のような生産量の急減により住道四事業部においては大幅な余剰人員が発生した。

もっとも、正社員については、全社的に事業の再編成と成長分野への積極的投入を目指して再教育と異動が検討されたが、臨時従業員約一六〇〇名については、勤務先変更が困難であり高度技術職への転換が不可能であるため、完全な余剰人員となることが予想された。しかし、被申請人としては、当面の生産調整のために次のような種々の施策をとることとなった。

(1)  正社員の他部署への異動

昭和五八年から昭和六〇年までの間に住道地区から他部署へ異動した正社員の数は一年につき約五〇名程度であったが、昭和六一年度においては約七割増しの合計八四名(テレビ大阪事業部から三二名、ビデオ大阪事業部から一九名、電子部品事業部から八名、オーディオ大阪事業部から二五名)、昭和六二年度上期においては合計一九一名(テレビ大阪事業部から三六名、ビデオ大阪事業部から一九名、電子部品事業部から三七名、オーディオ大阪事業部から九九名)の正社員が住道地区から他部署へ異動した。

(<証拠略>)

(2)  休日振替と年次有給休暇の一斉取得

各事業部では、毎期半年の生産カレンダー(各事業部ごとに半年間の稼働日数、休暇日等を定めたもの)を向こう半年分の受注動向、販売動向、生産の効率化などを予測した上、三洋労組と協議を行い、上期分(当年一二月から翌年五月まで)は当年一〇月に、下期分(当年六月から一一月まで)は四月に、それぞれ決定する。決定した生産カレンダーは原則として変更しないが、昭和六一年下期においては、生産量の急減によりカレンダーどおりの稼働日による生産が不可能となったことから、休日を先取りする休日振替や年次有給休暇の一斉取得によって労働日数の減少を図り、生産調整を行った。具体的には、テレビ大阪事業部及び電子部品事業部において一日の休日振替と二日の有給休暇の一斉取得、ビデオ大阪事業部において一日の有給休暇の一斉取得、オーディオ大阪事業部において三日の有給休暇の一斉取得がそれぞれ行われた。更に、昭和六二年上期のカレンダーを決定するに当たっては、当初から休日振替を多用して長期間の連休を組み込むなどの異例の設定をした。

(<証拠略>)

(3)  時間休業の実施

オーディオ大阪事業部では昭和六一年一〇月一日から、テレビ大阪事業部及び電子部品事業部では同年一一月四日から、ビデオ大阪事業部では同年一二月一日から、いずれも臨時従業員を対象として毎日二時間の時間休業が実施された。これは全体で約一〇パーセントの生産調整に相当する。実施期間については、受注活動に全力を挙げることとするものの終期の目途は立たないとされた。実施に当たっては、各事業部において総合朝礼などで趣旨説明が行われた。

時間休業の実施の条件としては、時間給につき、労働時間分は一〇〇パーセント、休業時間分は就業規則所定を上回る八〇パーセントの保障をし、また皆勤手当も保障することとしたので、実質上は通常勤務時の収入の約九四パーセントが保障されたことになった。

(<証拠略>)

(4)  臨時社員の雇止め

右のように生産調整を実施したものの受注量回復の見通しは暗く、昭和六一年一一月に最終決定された昭和六二年度上期の事業計画は、生産高において、対前期比が、テレビ大阪事業部は八五パーセント、ビデオ大阪事業部は六七パーセント、電子部品事業部は八四パーセント、オーディオ大阪事業部は八五パーセントとされた。こうした中にあって、昭和六二年一月二〇日で契約期間が満了する臨時社員について、昭和六一年一二月一九日、各事業部の総合朝礼において、前回の更新を最終として右期間満了日限り雇止めとする旨が告知された。対象とされたのは、住道地区四事業部で、身体障害者一五名を除く二二七名全員である。この処理とその理由については、定勤社員に対しても同日各職場で通知説明がされた。

臨時社員の場合は、定勤社員の場合とは異なり、退職慰労金その他の退職金制度は一切ないが、右雇止めに際して、被申請人は、月収の約五ないし六倍の金額相当の特別退職金を加算金を付加して支給した。

昭和六二年一月二〇日、住道地区の臨時社員全員は、格別の混乱もなく退職した。

(<証拠略>)

(5)  定勤社員に対する全面休業の実施

臨時社員の雇止め後も定勤社員の時間休業は継続して実施されていたが、昭和六二年一月には円高の進行が日ごとに顕著となり、新聞紙上等でも一四〇円台に突入するのは必至であるとの予測が伝えられるようになった。

被申請人は昭和六二年二月三日、定勤社員の総合朝礼において、現下の経営状況を説明した上、二月一二日から当分の間全面休業に入ることを通知した。実施日が一二日からとされたのは、既に七日から一一日まで休日振替により五連休を設定していたからである。こうして実質的に全面休業に入る前日である二月六日にも、再度、各事業部において全面休業に至った状況につき説明し、なお、今後の被申請人の方針を発表するため、二月一八日を出勤日とした。

この全面休業の条件としては、就業規則所定を上回る八〇パーセントの時間給を保障することとした。

(<証拠略>)

(6)  定勤社員の雇止め

被申請人は、二月一四日、住道地区の四事業部とも、各事業部において、昭和六二年三月二〇日限り定勤社員の雇止めをする旨正式に決定した。この際、定勤社員の中で希望退職者を募集することは検討しなかった。雇止めの対象としたのは、四事業部全体で、本人が身体障害者の者一三名、配偶者が身体障害者の者五名、母子家庭の者四三名を除く定勤社員一一八〇名全員である。大量の雇止めとなるため、事前の二月一六日に所管の門真職業安定所にその旨を報告した。雇止めの条件として、規定上の退職慰労金のほか、特別退職金、特別加算金などを付加して支給することとした。この措置により、一人当たりの平均支給額は、月収の約八倍に相当する八四万円程度となる。

本件雇止めの意思表示は、二月一八日の前期出勤日に、各事業部において総合朝礼を行い、各事業部長より、引き続き三月二〇日まで全面休業せざるを得ない旨及び契約期間が満了する三月二〇日以降の契約更新はできず雇止めとすることを通知する方法で行った。右事業部長からの通知の後、各事業部の管理部長あるいは人事担当者が退職条件や社内の事務手続などについて、門真職業安定所の職員が雇用保険受給手続や再就職の見通しなどについて、それぞれ説明し、更に、朝礼の後、各事業部において個人面接を行い、雇止めに至った事情とその旨を記載した文書を手渡して、雇止めに対する理解と納得を求め、退職慰労金等の説明をするなどした。

(<証拠略>)

6  ところで、住道地区の四事業部においては、臨時社員の雇止め及び本件雇止めに先立ち、次のような余剰人員の確定作業を行った。

テレビ大阪事業部においては、前記の海外シフト、国内事業の再編成及び生産設備の自動化に伴い、大幅な余剰人員の発生が見込まれたため、昭和六一年一二月頃、労務課長が各製造部長にヒアリングを行い、右海外シフトや国内テレビ事業の再編成等により発生する余剰人員及び完成工程における必要人員を総生産工数等を基礎に検討した。ただし、その際、各製造部門の外注計画についてはヒアリングを行わなかった。また、生産ラインの海外シフト及び生産設備の自動化は、昭和六二年五月末(上期末)をその完了の目標とする計画であった(実際に右海外シフト及び生産ラインの自動化が一応の完了を見たのは同年末以降であった)。これらの事情を総合して要員を検討した結果、直接部門で正社員を含めて四三一名の余剰人員(八時間換算で算定したもの・正社員と臨時従業員の労働時間は異なるが、これらすべての労働時間が八時間であるとした仮定した場合の余剰人員数である。)が発生するものと割り出された。これは、同年一二月一日現在の臨時従業員数三六九名を上回るものであった。加えて、オーディオ大阪事業部を前記のとおり歌島工場に集約することに伴う同事業部の余剰人員のうち約六〇名をテレビ大阪事業部で受け入れることとされたため、同人数分の余剰人員が更に増加することとなった。

また、テレビ大阪事業部においては、昭和六二年五月末(上期末)を目途にテレビ大阪事業部の生産ラインをメキシコに移管することを計画したが、本件雇止め以降移管完了までの間は、過渡的に輸出用カラーテレビの生産を数社の関連会社である杉谷電機株式会社、山野電機株式会社及び貝塚三洋株式会社に外注に回し、右各社においては従来被申請人の定勤社員が従事していたと同様の作業により右外注に応じていた。このような性質の外注は現実に移管が一応完了した昭和六二年末頃までの期間にわたり継続した。そして、右移管完了後においても、たとえば多機能・高品質な輸出用カラーテレビのプリント基板製造でメキシコにおける新工場で対応することが困難なものや、外為相場が円安に振れ、国内生産をしても採算が合うような完成品の生産などについては、散発的にスポットで注文を受けることがあり、これも前同様、右各社の外注に回すことがあった。しかし、このような形態の受注は、不定期かつ断続的で、しかもごく少量であった。これらの関連会社に対する外注もメキシコへの移管の完了に伴い漸次減少し、貝塚三洋株式会社については昭和六二年末をもって、山野電機株式会社については平成元年中をもっていずれも取引を終了させ、ただ杉谷電機株式会社との間でわずかに取引を続けている。

次に、ビデオ事業部においては、昭和六一年一二月時点の期首計画による要員検討をしたところ、直接人員について上期では合計二〇六名(うち定勤社員五六名)、下期では合計二〇三名(うち定勤社員五五名)が必要人員として割り出された。ところが、受注見込が期首計画を下回る見通しとなり、半期一〇〇万台生産体制に対し三〇パーセントの減産体制をとらざるを得なかったことと、それに加えて技術革新により工数が低減したことにより、定勤社員数に換算して(全従業員の労働時間が定勤社員所定の七時間であると仮定して換算することをいう。以下同じ。)臨時従業員の在籍人員二三九名(定勤社員換算で二二九名)を超える合計三二三名の余剰人員の発生が見込まれた。

次に電子部品事業部においても、不採算部門の整理、海外シフト、生産減少及び自動化による余剰人員が当時在籍していた臨時従業員数(定勤社員換算で五一六名)を上回る五九七名(定勤社員換算)と見込まれた。

更に、オーディオ大阪事業部においても、増大する余剰人員への対策として他事業部への余剰人員への受入れ、新規採用の停止、事業部外への異動の推進、一部休業等を実施していたが、昭和六一年八月に至り、前記のとおり、住道地区と歌島地区に分散していたオーディオ事業を集約一元化することとする旨の「管理・生産機能一元化計画」を策定した。同計画による余剰人員は、受注見込み、海外シフト等を勘案した結果、男女正社員二一八名のほか、定勤社員四〇六名、臨時社員八三名の計四八九名が余剰人員とされた。この臨時従業員の余剰人員は、在籍臨時従業員数を大幅に上回るものであった。

(<証拠・人証略>)

7  ところが、一方、被申請人の昭和六一年度から昭和六三年度までの経常利益はそれぞれ一五一億五八〇〇万円、一六〇億五九〇〇万円、二九二億一六〇〇万円であって順調に業績を回復しており、この間一株八円の配当を維持し、昭和六二年一〇月には、合計一〇〇〇億円の無担保転換社債を発行している。また、被申請人の営業損益は、昭和六二年度こそ五四億九〇〇〇万円の損失を計上したものの、昭和六三年度には逆に五六億八一〇〇万円の利益に転じている。また、日本経済新聞社が昭和六二年八月に発表した優良企業ランキングでは、六一位と評価された。なお、住道地区においては、昭和六三年八月三日付で、高卒女子八八名の採用を募集し、平成元年一月九日付では一七二名に増員している。

(<証拠略>)

四  右事実によれば、次のとおりいうことができる。

被申請人は、昭和六一年の機構改革により八事業本部制を採用し、その傘下の事業部を含め独立採算制をとっていたところ、映像事業本部あるいは音響事業本部に属する住道地区の四事業部の個々の業績をみると、これらの各事業部は、いずれも極端に輸出比率が高かったため、G5以降の円高の昂進、貿易摩擦、アジアNIESの攻勢などの事由により、前記のとおり、昭和六一年以降は極端な業績不振が顕在化し、容易に回復の見通しが得られなかった。そこで、輸出主体の企業である被申請人としては、右原因となる事情に対抗し、将来の収益を確保するためには、生産の海外シフトの推進など生産方法の転換を含む企業構造の根本的な変革が必要であると考え、住道四事業部における生産の効率化を計画したものである。ところが、これらの業績不振や生産方法の転換等により、右各事業部においては、在籍する定勤社員及び臨時社員数をかなり上回る余剰人員を発生させるに至ったところから、被申請人において雇用量の調整弁として位置付けていた右臨時従業員につき、今こそその雇用調節機能が消極的方向で果たされるべきであるとして、申請人らを含む定勤社員のほぼ全員に対する本件雇止めをするに至ったものである。

これら被申請人の住道四事業部の業績悪化の状況、その原因となった外的内的要因を考えると、被申請人には事業部門の縮小あるいはこれに伴う人員の削減をすべきやむを得ない経営上の必要があったものと一応いうことができる。そして、人員整理を行う場合、前記のように採用形態や処遇に差異のあることに照らし、正社員に対する整理解雇ないし希望退職者の募集をするに先立ち、まず臨時社員や申請人らを含む定勤社員を第一に何らかの方法で人員整理の対象とすることも、あながち不合理ではないといえる。しかしながら、定勤社員契約は期間の定めのある労働契約であるとはいえ、当事者双方において相当程度の雇用契約関係の継続が期待されていたものであって、本件雇止めの適否を判断するに当たり解雇に関する法理を類推すべきであることは前記説示のとおりであるから、本件のように、事業部門の縮小あるいはこれに伴う人員の削減をすべきやむを得ない経営上の必要があると一応いえる場合であっても、使用者としては人員整理の方法及び程度につき慎重な考慮をすべきであり、雇止めを回避すべき相当の努力を尽くさず、ただ定勤社員であるというだけの理由で、直ちに定勤社員全員の雇止めをするようなことは許されないというべきである。

ところが、被申請人は、本件雇止めに先立ち、休日振替、時間休業等の手段を講じた上、各事業部ごとに余剰人員の確定作業を一応行い、その結果に基づき、まず定勤社員の中で希望退職者を募集したり、定勤社員の個別的事情を考慮して一部の定勤社員を雇止めの対象とすることなどの考慮を全くせずに、ほとんど抜き打ち的に一挙に、前記の特別の事情のある者(三5(6)に掲げる本件雇止めの対象から除外された者)以外の定勤社員全員の雇止めを行ったものである。この点につき、被申請人は、各事業部において確定された余剰人員数は、当時在籍していた臨時従業員数を上回るものであったから、定勤社員の中で希望退職者を募集するなどの措置をとる余地はなかった旨主張する。しかし、定勤社員を含む臨時従業員数を上回る余剰人員が存在したとの一事をもって、前記のような労働契約の実質を有する定勤社員につき、直ちにその全員の雇止めを行うことが当然に正当化されるとは解されない。その上、例えば、テレビ大阪事業部における余剰人員の確定作業は、きわめて短期間のうちに、労務課長が各製造部長からヒアリングを行った結果のみに基づきなされたものであり(その際、各製造部の外注計画の存否及びその規模等についてはほとんど考慮していない。)、しかも、その際余剰人員発生の根拠の一つとされた生産ラインの海外シフト及び国内に残す生産ラインの自動化も即時に行うものではなく、その後半年ほどの比較的長期間をかけて完了する見込みのものであって、それまでの間は、正社員でまかなうほか、とくに杉谷電機株式会社など被申請人の関連会社への外注にも相当程度依存することを前提としていたものであるが、本件雇止めの根拠とされる余剰人員は、これらの生産ラインの海外シフト及び国内に残す生産ラインの自動化が直ちになされることを前提に確定したものであり、実際にも、前記の海外シフト等がほぼ完了したのは、右計画よりかなり遅れており、その間外注に依存して操業を続けていたことを考えると、右のような方法で確定された余剰人員数のみを根拠に、直ちに定勤社員全員を雇止めにする必要があったとするのは根拠に乏しいというべきである。そして、住道地区のその余の事業部において確定された余剰人員も、テレビ大阪事業部におけるそれと同様の疑問を払拭することはできない。

更に、前記事実によれば、被申請人は、独立採算制を採っていた住道四事業部全体を通じて、その業績悪化あるいは本件雇止め当時の営業赤字の発生にもかかわらず、同四事業部(ただし、オーディオ大阪事業部は、歌島工場に集約されたもの)の操業ラインについていた正社員は、その一部が前記のように配置転換されただけで、他は残されたままであり、かつ定勤社員の雇止め後も、その従事していた作業の部分は前記のように正社員や外注で補うなどして継続していたものであり、定勤社員のほぼ全員が本件雇止めによっていなくなっていながら、ラインの操業自体が全体として停止するようなことはなく、したがって各事業部とも操業停止に追いやられる事態にはならなかったのであり、企業全体としての収益力は確かに前記のように落ち込んではいたが、右各事業部の右のような操業をなお許すほどのものであったのである。更に各事業部の各操業ラインにおける正社員と定勤社員の従事する作業は、ほぼすべて、性質を異にするものであって、定勤社員のそれは、単純反復作業に属するものではあるが、その一方で、定勤社員は、契約期間二か月の臨時社員から一定水準に達した者が選ばれたものであって、その契約期間も一年と長い上、その更新が反復されることが前記のように期待されており、結果としては、正社員の平均勤続期間より長く勤務していた者も多いことが推認されるのであって、各事業部の操業ラインに従事する正社員とともに、各事業部における商品生産の目的のために直接に必要不可決な構成要員として、定勤社員に劣らない雇用継続を期待していたものであり、その期待は客観的にみてももっともなものであるといえる。これらの事情を総合して考慮すれば、各事業部における操業が、規模を縮小するものがあるとしてもなお継続する状況の下において、被申請人が、定勤社員だけについて、そのほぼ全員を対象として同時かつ一挙に定勤社員契約を解消させるような本件雇止めを行わなければならないほどの真にやむを得ない理由があったとはいいがたい。そうすると、被申請人としては当時まず定勤社員の中で希望退職者を募り、または各定勤社員の個別的事情を考慮するなどして、雇止めの対象を定勤社員の一部にとどめる措置を講じるのが相当であったといえるところ、本件においては、申請人らをこのように限定された態様での雇止めの対象とすることを相当とするような事情があったかどうかがなお問題として残されることとなる。しかし、疎明を総合しても、申請人らと本件雇止めの対象となった他の定勤社員との比較において、申請人らをとくに雇止めの対象とすることを相当とするような事情を認めることはできないから、少なくとも現段階においてその判断をすることはできない。

したがって、本件雇止めは、十分な回避努力を欠く点において合理的理由のない労使間の信義則に反する措置というべきであって、雇止めを正当化しうる前記趣旨での特段の事情があったとは認めがたいから、後記保全の必要性が肯定される限り、仮処分命令により、申請人らと被申請人との間に雇用関係があることを仮に定め、かつ、同日以降の未払賃金相当額の金員を仮に支払うよう命ずるのが相当であるというべきである。

(保全の必要性と仮払いを命ずべき金員の額について)

五  以上によれば、申請人らは、いずれも未だ被申請人の従業員たる地位にあるというべきであるところ、被申請人は、本件雇止めによりその地位が消滅したとしてこれを争っている。また、疎明(<証拠略>)によれば、申請人らは、いずれも被申請人から支給される賃金を主要な収入として生計を営んできたものであることを一応認めることができ、本件雇止めに伴い右賃金収入を断たれたことによってその生活は困窮し、本案判決の確定を待っていては回復しがたい著しい損害を被るおそれがあることを一応推認することができる。したがって、本件においては、仮処分命令により、申請人らの従業員としての地位を保全し、かつ賃金相当の金員の仮払いを命ずべき必要性がある。

六  ところで、申請人らは、申請の当初、本件雇止め当時の各自の時間給(池田富子、岡田久子、立石安子、山本孝江及び山本安子は七六〇円、上西眤子、高津美佐子、筒井初江及び中川作枝は七三五円、池田良子、黒井静子、中本きみ栄、福田節子、真鍋勝子及び矢野エイは七一五円)に七を乗じて一日当たりの賃金額を算出し、更に、月当たりの出勤日数は二三日であるとして、右日額賃金に二三を乗じた金額を月額賃金相当額であるとし、その仮払いを求めていたが、途中これを変更し、一方では月当たりの出勤日数を二一日であると改め、他方では勤務を継続することにより、昭和六二年三月二一日からは上西眤子、高津美佐子、筒井初江、中川作枝、池田良子、黒井静子、中本きみ栄及び真鍋勝子が、昭和六三年三月二一日以降は最も勤続年数の短い福田節子と矢野エイをも含め申請人ら全員が最高ランクの時間給を得ることになるとの前提の下に、更に本件雇止め後の一般的な時間給の増加分(昭和六二年四月以降一五円、昭和六三年四月以降二〇円、同年一〇月以降二〇円、平成元年四月以降六〇円)をも加味し、更に五季にわたる一時金の支給分をも加算した上、その合計額から申請人ら各自が退職金等の名目で被申請人より受領した金額を控除した差額の仮払いを求めた。

これに対し、被申請人は、右変更の根拠となる申請人らの主張を全面的に争うものの、月間所定労働日数は平均二〇・三日であること、定勤社員の時間給が昭和六二年四月には標準者で一五円、昭和六三年四月には標準者で二〇円それぞれ上昇したことは認め、昭和六二年夏・冬、昭和六三年夏・冬及び平成元年夏の各季における賞与の支給基準を明らかにし、なお、賞与の支給額は成績格差により支給基準から一〇パーセントの範囲内で上下すること、定勤社員の時間給の上昇は昭和六三年四月から後はなく、申請人らの主張する同年一〇月及び平成元年四月の一般的な時間給の増加は新設された「準社員」のみについて実施されたにすぎないことを指摘する。

そこで検討すると、時間給のランクが勤続年数により自動的に決定され、申請人らがその主張のとおりに確実にランクの上昇を得られることを一応認めるに足りる疎明はないから、本件雇止め後の時間給のランクの上昇を前提とした主張は理由がない。また、一時金の支給は使用者たる被申請人の査定にかかると解され、申請人らが当然にこれを請求する権利があるというものではないばかりか、右査定の内容を推認するに足りる的確な疎明もないから、この部分に関する申請人らの主張は、被保全権利の存在及び金額の点で疑問がある上、後記のとおり、保全の必要性を認めることができないので、失当というべきである。しかし、昭和六二年四月及び昭和六三年四月の時間給の上昇に関しては、標準的な定勤社員につき一律に増額されたものと解されるところ、申請人らのいずれかがその勤務成績等に照らし右増額から排除されることが確実であるとの主張も疎明もないから、申請人ら全員につき右金額相当額の金員の仮払いを求めうる被保全権利の存在を認めることができる。これに対し、昭和六三年一〇月及び平成元年四月の上昇については、本件全疎明によっても申請人らが当然準社員になるとまでは認めがたいから、同金額の仮払いを求めうる被保全権利を肯認することはできない。

七  次に、保全の必要性の観点から仮払いを命ずべき金員の額について判断する。

一般に、賃金相当額の金員の仮払いを命ずる仮処分は、賃金の支払が受けられないことにより労働者及びその家族の生活が危機に瀕し、本案判決の確定を待てないほどの緊迫した事態に立ち至り又は立ち至る具体的現実的なおそれがある場合に、その窮迫状態を暫定的に救済することを目的として発せられるものであって、保全すべき権利の終局的実現を目的とするものでも、他の従業員と同等の生活水準を保障することを目的とするものでもないから、仮払いを命ずべき金員の額も、各人の原状の生活様式をそのまま維持するに要する額ではなく、各人の生活状況に応じて前記窮迫状態を回避するに必要な最少限度の額で足りると解すべきである。この立場に立ち、疎明により一応認められる申請人らの各自の生活の実状、家族構成、生計を一にする家族の収入の状況並びに借金及び生活費の概要、賃金額の計算に関する申請人らと被申請人それぞれの主張、本件事案の実体と審理に要した時間等諸般の事情を考慮すると、本件雇止め当時申請人らがそれぞれ得ていたランクの時間給を基準とし、これに昭和六二年四月及び昭和六三年四月の一般的な増額分を加算し、これに一日の就労時間数七と月間の予想出勤日数二〇を乗じた金額から既払退職金支給額(申請人池田富子につき一〇九万二二〇〇円、同池田良子につき七三万九一〇〇円、同上西眤子につき六八万〇五〇〇円、同岡田久子につき八七万二二〇〇円、同黒井静子につき七三万九一〇〇円、同高津美佐子につき六七万六四〇〇円、同立石安子につき七七万七二〇〇円、同筒井初枝につき六八万〇五〇〇円、同中川作枝につき一〇三万〇二〇〇円、同中本きみ江につき七三万九一〇〇円、同福田節子につき七三万〇一〇〇円、同真鍋勝子につき六六万四一〇〇円、同矢野エイにつき七一万九一〇〇円、同山本孝江につき一〇六万二八〇〇円、同山本安子につき一〇四万二二〇〇円)を控除した金額につき、昭和六二年四月から本案の第一審判決の言渡しがあるまでの間に限り、別紙認容債権目録(略)記載の金額の限度で保全の必要性を認めることができるが、一時金の支給分をはじめ申請人らのその余の申請にかかる部分については、保全の必要性を肯定することはできないというべきである(なお、本件仮処分決定は、右仮払金の算定に当たり、既払いの退職金相当額を控除していないが、(証拠略)によると、申請人らは、被申請人が退職金として支給した右金員を、退職金としては受領しないものの、申請人らと被申請人との雇用契約関係がいまだ継続していることを前提に、今後の賃金に順次充当するものとして受領していることが一応認められるから、右退職金相当額については仮払いを命ずべき必要性が存在しないといわなければならない。したがって、右決定が仮払いを命じた金員のうち、右退職金相当額の仮払いを命じた部分は失当である。)。

(まとめ)

八  よって、申請人らの本件仮処分申請は、それぞれ被申請人の従業員たる地位にあることに仮に定め、別紙認容債権目録記載の各金員の仮払いを求める限度で理由があるから、申請人らに保証を立てさせないでこれを認容し、その余の申請は、被保全権利及び保全の必要性を認めることができず、かつ保証を立てさせて疎明に代えることも相当でないからこれをいずれも却下すべきところ、これと同旨の本件仮処分決定主文第一項(申請人らが被申請人の従業員の地位にあることを仮に定めた部分)及び第二項(金員の仮払いを命じた部分)のうち本判決主文第二項の限度で金員の仮払いを命じた部分は相当であるから、いずれも認可することとし、右決定主文第二項のうち右認可した金員を超えて金員の仮払いを命じた部分は相当でないから、これを取り消して同部分につき金員の仮払いを求める申請人らの本件仮処分申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岨野俤介 裁判官 田中俊次 裁判官 一谷好文)

当事者目録

申請人 池田富子

申請人 池田良子

申請人 上西眤子

申請人 岡田久子

申請人 黒井静子

申請人 高津美佐子

申請人 立石安子

申請人 筒井初枝

申請人 中川作枝

申請人 中本きみ栄

申請人 福田節子

申請人 真鍋勝子

申請人 矢野エイ

申請人 山本孝江

申請人 山本安子

右申請人一四名代理人弁護士 出田健一

同 寺沢勝子

同 永岡昇司

同 國本敏子

同 田窪五朗

同 鎌田幸夫

同 東垣内清

同 戸谷茂樹

同 田島義久

同 梅田章二

被申請人 三洋電機株式会社

右代表者代表取締役 井植敏

右代理人弁護士 竹林節治

同 畑守人

同 中川克巳

同 福島正

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