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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)3839号 判決 1994年8月26日

原告

宮平政士

被告

坂東正尚

ほか一名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告坂東正尚は、原告に対し、金二三四六万一六八六円及び内金二一三六万一六八六円に対する昭和六三年三月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告三井海上火災保険株式会社は、被告坂東正尚に対する本判決が確定したときは、原告に対し、金二三四六万一六八六円及び内金二一三六万一六八六円に対する右判決確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動車運転中に追突事故にあつた者が、その事故により受傷したとして、追突車両運転者に対し、自賠法三条に基づき、損害賠償請求するとともに、保険会社に対し、約款に基づき、追突車両に付保された任意保険金の支払を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

(1) 発生日時 昭和六三年三月二四日午後四時ころ

(2) 発生場所 大阪市西区西本町三丁目一番七号先路上

(3) 加害車両 被告坂東正尚(以下「被告坂東」という。)運転の普通貨物自動車(泉四五ね九二九二、以下「被告車」という。)

(4) 被害車両 原告運転の普通乗用自動車(大阪五四つ一五三四、以下「原告車」という。)

(5) 事故態様 原告車が交差点手前で対面信号に従つて停止していたところ、被告車が原告車に追突したもの

2  責任原因

(1) 被告坂東

被告坂東は、本件事故当時、被告車を保有し、これを自己のために運行の用に供していた。

(2) 被告三井海上火災保険株式会社(以下「被告保険会社」という。)

被告保険会社は、本件事故当時、被告車を被保険自動車として、自家用自動車保険契約を締結していたところ、同契約約款によれば、被告坂東の対人事故による損害賠償責任が判決により確定した場合は、被告保険会社は、損害賠償請求権者に対して、保険金限度額の範囲内において損害保険金を支払う義務を負担することになつている。

3  原告の治療経過

(1) 原告は、昭和六三年三月二五日(本件事故の翌日)、みと中央病院で受診し、頸部打撲と診断されたが、それ以降、同病院には通院しなかつた。

(2) 原告は、昭和六三年四月五日、大阪赤十字病院眼科に通院を開始し、同科の浜川誠三(改名前の氏名洪硯諶)医師により、左眼黄斑出血、眼底出血と診断されて治療を続けたが、平成元年七月、左眼視力の低下等の後遺障害を残して症状が固定した旨診断された。

4  後遺障害の認定

原告の右後遺障害は、労災保険の関係では障害等級一〇級の一(一眼の視力が〇・一以下になったもの)に該当すると認定されたが、自賠責保険の関係では、原告の症状と本件事故との因果関係が認められないとして、非該当とされた。

5  損害の填補

(1) 原告は、労災保険から、療養補償給付(昭和六三年三月二四日から平成元年一〇月三一日まで)として七〇万九五〇六円、休業補償給付として一三九万六四四〇円、障害補償給付として一七三万五五九四円の給付を受けた。

(2) 原告は、被告坂東から二〇万円受領した。

二  争点

1  原告の受傷、後遺障害の存否

(1) 原告

原告は、本件事故により、頸部打撲、左眼黄斑出血及び眼底出血の傷害を負い、事故前は一・二であつた左眼の視力が〇・一まで低下するという後遺障害(自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一〇級一号に該当する。)が残された。

(2) 被告ら

本件事故は極めて軽微な接触事故であり、本件事故によつて、原告に外傷が生じたとは考えがたい。

2  示談の成否

(1) 被告ら

仮に、原告が本件事故で受傷していたとしても、原告と被告坂東は、昭和六三年四月一二日、原告の眼の症状に基づく損害を含む本件交通事故による損害について、被告坂東が原告に二五万円を支払うことで今後一切の賠償関係はないとする示談書を取り交わし、被告坂東は原告に対し、同日、前記二〇万円を支払つた。

(2) 原告

<1> 示談の不成立

原告は、被告坂東と、被告保険会社代理店をしている訴外西村良雄から、当面の治療費等の費用として二五万円を支払うが、保険金請求手続のために必要な書類であると騙され、これを信じて前記示談書に署名、指印したものである。

このように、前記二〇万円は当面の治療費等として受領したもので、原告と被告坂東との間で、本件事故に基づく損害一切について示談をしたことはない。

<2> 示談の錯誤無効、詐欺による取消

<3> 示談の効力の及ぶ範囲

仮に、本件示談が有効であるとしても、それは鞭打症に起因する損害のみについてなされたものであり、眼の症状による損害部分については効力が及ばない。

3  損害額

第三争点に対する判断

一  原告の受傷、後遺障害の存否

1  前記争いのない事実に加え、証拠(乙三の2ないし7、乙四、八、原告本人)によれば、対面赤信号で信号待ちのため停止中の被告車(二トントラツク)が、被告坂東が伝票を見て、ブレーキペダルから足を離したため発進し、一・四メートル前方で同様に信号待ち停止していた原告車に追突し、衝突地点に停止したこと、本件事故現場にはスリツプ痕はなかつたこと、本件事故後、被告車には、前部バンパー取付部のビスの先端、ナンバープレートの取付部のビスの先端にいずれも擦過痕が、原告車には、後部バンパーに軽微な擦過痕が残つたことが認められる。

なお、後部ランプについては、実況見分調書(乙三の2、3)にも何ら記載がなく、前記損傷の程度に照らしても、後部ランプの脱落が生じたとは認められない。

2  本件事故後の原告の治療経過、後遺障害の認定については、前記争いのない事実に記載のとおりであるところ、さらに、証拠(乙四、証人浜川誠三)によれば、昭和六三年四月五日大阪赤十字病院眼科での大草医師の診察で、視力が右一・五、左〇・五(矯正視力〇・五)、左眼底の黄斑部に出血、黄斑孔があるとの診断をされたこと、平成三年五月六日には左眼の視力が裸眼で〇・一となつたことが認められ、浜川医師はその証人尋問において、右所見等に基づき、左黄斑部出血は、本件事故により黄斑部近くのブルツフ膜が断裂して、そこから脈絡膜の新生血管が発生して網膜側に出てきて出血を起こしたとして、本件事故と原告の症状が因果関係があると証言するものである。

3  しかしながら、右の事故状況に照らすと、原告への衝撃は軽微といわざるを得ず、従つて眼球への衝撃がブルツフ膜の断裂を来す程度であつたか疑問であるうえ、鑑定の結果によれば、原告の病名は左眼傍中心窩毛細血管拡張症による黄斑浮腫及び網膜出血であり、右の発症と本件事故とは相当因果関係を認めることはできない。右鑑定結果は、同鑑定、証人宇山昌延の証言によると、鑑定人宇山昌延は、大阪赤十字病院のカルテを検討し、<1>左眼蛍光眼底造影写真(昭和六三年四月八日、同年七月二七日、平成元年三月一五日撮影)で、造影早期では、いずれも中心窩周囲の網膜毛細血管が瘤状に拡張して毛細血管を形成しており、造影後記の写真では、右の血管からにじむような血管外漏出が見られたこと、<2>右の蛍光写真の所見に基づいて、通常の眼底検査による眼底所見のカルテ記載及び眼底カメラによるポラロイドカラー写真をみると、どの日付の眼底所見も前記疾患の所見に一致していること、<3>右カルテ中の昭和六三年四月五日の「黄斑部の浮腫と小点状出血及び中心窩に黄斑円孔様所見」の記載は、毛細血管瘤が小さい赤い点として見え、しばしば小点状出血様の外観を示すので、小点状出血と誤つて表現されることが多く、また、血管外漏出によつて黄斑部網膜は浮腫状になり、かつ、それが続くと黄斑円孔様の外観を示すことが通例であり、カルテの記載は、結果的には、毛細血管瘤、黄斑部網膜の浮腫の症状を裏付けるものとなつていること、<4>黄斑部の網膜浮腫は、患者の中心暗点、変視症とともに、中心視力の低下を来すもので、原告の視機能異常の訴え、その後の経過と一致していること、<5>原告は二回のレーザー光凝固により、毛細血管瘤及び血管外漏出を示す異常な小血管に対して光凝固が行われ、網膜浮腫は軽快しているが、網膜浮腫が長期間続いたので、その後の黄斑部に網膜の変性を残し、その結果、視機能は回復せず、中心暗点と視力低下が続いていること、<5>原告の眼底病変を新生血管黄斑症ないしブルツフ膜断裂による脈絡膜新生血管の発生と診断することについて、脈絡膜新生血管の発生による新生血管黄斑症であれば、網膜の出血は常に網膜の下に現れ、本症状のように点状に現れることはなく、黄斑部に漿液性網膜剥離をみるが、本症状のように網膜浮腫を見ることは少なく、蛍光造影写真では、脈絡膜新生血管が証明されるのに、本症状ではそれを見ないといつた点から、原告の眼底所見を老人性円板状黄斑変性症、中心性滲出性脈絡膜網膜症、外傷による黄斑部障害を含めて、脈絡膜新生血管の発生、新生血管黄斑症と診断する根拠は何ら認められないことの、以上の諸点を総合勘案して、原告の病名は左眼傍中心窩毛細血管拡張症による黄斑浮腫及び網膜出血であり、右の傍中心窩毛細血管拡張症は、先天的に網膜血管の脆弱な基盤があるところに、高年齢になり、高血圧や動脈硬化など、後天的な血管変化が加わつて発病するが、血管の病変は徐々に進行し、症状も徐々に発生するもので、外傷など直接的原因や間接的誘因となるものは今まで知られていないことから、本件事故と因果関係は認められないと鑑定しているものであつて、右鑑定の諸点の検討に疑問を挟む余地はなく、これに、原告が平成五年六月二九日、右眼が見にくくなつたとして、鑑定人の診察を受け、高血圧及び動脈硬化を原因とする網膜分枝静脈閉塞症と診断され、その際、左眼を診たところ、大阪赤十字病院での治療中止後に同一の症状が現れ、傍中心窩毛細血管拡張症の症状を覆い隠したとの証言に照らすと、高血圧、動脈硬化によつて発病し、外傷とは関係なく発症するとする右鑑定は採用することができる。

なお、原告は、右鑑定で、原告が昭和六三年二月一九日運転免許更新の際の視力検査で両眼とも視力は一・二であると測定され、同年四月五日に左眼が〇・五とすれば、通常の経過からすると理解しがたい早い進行であると疑問を呈していることから、本件事故との因果関係を肯定すべきであるとするが、証拠(甲八、原告本人)によれば、原告が昭和六三年二月一九日運転免許の更新をしたこと、更新手続の際、視力検査をしたうえで、眼鏡使用等の条件は課せられなかつたことは認められるが、右視力検査時に左眼視力が一・二であるとの客観的証拠は認められず(単に、原告本人が本人尋問で一・二あると思つていたと供述するのみである。)、道路交通法施行規則二三条によれば、視力の合格基準について、普通免許にかかる適性試験にあつては、視力が両眼で〇・七以上、かつ、一眼でそれぞれ〇・一以上であること又は一眼の視力が〇・三に満たない者若しくは一眼が見えないものについては、他眼の視野が左右一五〇度以上で、視力が〇・七以上であることと規定されているものであつて、原告が無条件で免許更新されたことは、右眼の視力が本件事故後一・五であつたものであるから、左眼視力が〇・三以上であつたことが推認されるのみであつて、右鑑定人の疑問は前提事実を欠くものというべきで、右鑑定の結果を覆すことはできない。

そうすると、本件事故と原告の左眼の視力低下とは相当因果関係が認められないことになる。

4  右によると、原告の本件事故による受傷は、頸部打撲に限られ、右を原因とする通院治療は、みと中央病院への一日に止まり、休業した事実も認められないから、原告が請求する損害のうち、検討すべきは、文書料、通院慰謝料のみであるところ、文書料(診断書、明細書)は五〇〇〇円であり(甲三)、通院慰謝料は、その受傷程度、通院状況からすると高々二万円程度となり、原告の損害は二万五〇〇〇円に止まるところ、前記のとおり二〇万円が被告坂東から支払われているので、損害は既に填補されていることになる。

五 まとめ

以上によると、その余の争点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。

(裁判官 髙野裕)

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