大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成2年(ワ)3938号 判決 1992年5月28日

原告

安田火災海上保険株式会社

被告

クラウンタクシー株式会社

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する平成元年一月一七日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金六五〇〇万円及びこれに対する平成元年一月一七日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生(以下「本件事故」という。)

(一) 日時 昭和六二年二月一四日午前一時二五分ころ

(二) 場所 兵庫県西宮市本町八番一二号先「戎前」交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車両一 元佐満雄(以下「元佐」という。)運転の普通貨物自動車(以下「元佐車」という。)

右保有者 岡南運輸株式会社(以下「岡南運輸」という。)

(四) 加害車両二 田中勉(以下「田中」という。)運転の普通乗用自動車(タクシー。以下「田中車」という。)

右保有者 被告

(五) 被害者 加島信一

(六) 態様 西から東へ直進中の元佐車と東から北へ右折しようとした田中車が衝突し、田中車に乗客として同乗していた被害者が死亡した。

2  被害者の相続人らとの和解と加害者間の清算協定

加害者ら(両加害車両の保有者及び運転者ら)は、昭和六三年一二月二二日、被害者の相続人らとの間で、既払金を除き和解金合計一億円を支払うこととする旨の裁判上の和解を成立させたが、加害者間に運転者の過失割合につき争いがあつたので、被告と岡南運輸は、右和解金一億円につき、暫定的な仮分担金として被告が三五〇〇万円を、岡南運輸が六五〇〇万円をそれぞれ支払うこととしたうえ、後日、既に右双方から被害者の相続人らに支払われた自賠責保険金各二五〇〇万円と右和解金一億円の合計一億五〇〇〇万円を、双方運転者の過失割合に応じて岡南運輸及びクラウンタクシーに配分することによつて、右和解金一億円の分担金額につき過不足分を清算することとし、清算金には、清算金受領権者が仮分担金を支払つた日から年六分の割合による利息を付する旨を内容とする協定を締結した。

そして、岡南運輸は、平成元年一月一七日、右の和解及び協定に基づき、被害者の相続人に対し仮分担金六五〇〇万円を支払つた。

3  協定上の権利の取得

原告は、元佐車に付保されていた自動車保険契約に基づき、岡南運輸に対し、前記仮分担金相当額六五〇〇万円を支払い、前記清算協定による被告に対する権利を取得した。

4  事故状況

(一) 田中は、本件交差点を右折するに際し、対向車線を直進してくる元佐車との安全を全く確認しなかつた。

(二) 事故車両が進行していた道路は、本件交差点付近においては高速道路の高架下にあり、その幅員約四メートルの中央分離帯には右高速道路の橋脚があつて、対向車線は相互に見通しが悪く、直進車から見て本件交差点を右折する車両は、交差道路を直進する車両と変わらなかつたのであるから、田中は、右折を開始する前に、一時停止すべきであつたのにこれをせず、しかも道交法に違反して徐行さえしなかつた。

(三) 元佐車の本件交差点における対面信号は、元佐車が停止線の直近に至つた時に青色から黄色に表示が変わつたのであるから、本件交差点に進入した元佐に信号不遵守はない。

(四) (予備的主張―元佐の制限速度超過に関する抗弁事実に対して)

事故車両の進行していた道路は、幅員が広いうえに交通量の減少した深夜の幹線道路であつたことから、タクシー運転手の田中は、本件交差点の右折に際し、対向車線を直進してくる車両の多くが時速七〇ないし八〇キロメートルの速度で走行することを予想すべきであつたのにこれを怠り、右折時期の判断を誤つた。

また、田中車も本件交差点に差し掛かる前には、時速七七キロメートルで走行していた以上、田中車側は元佐車側の制限速度超過を非難できない。

5  結論

よつて、田中の過失割合は九割を下らず、前記一億五〇〇〇万円のうち岡南運輸が負担すべき金額は自賠責保険金額の二五〇〇万円を超えることはないから、原告は被告に対し、和解金清算協定に基づく清算金として金六五〇〇万円及びこれに対する仮分担金支払の日である平成元年一月一七日から支払済みまで年六分の割合による協定利息の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし3は認め、同4は否認する。

三  抗弁(事故状況に関して)

(一)  元佐は、本件交差点手前においてそこに設置された対面信号の赤色表示を認めながら、自車を交差点内に進入させ、田中は右赤色表示に安心して右折を開始した。

(二)  田中の右折開始時における元佐車は、田中がその存在に気付かないか又は制限速度を時速三〇ないし四〇キロメートル超過する時速七三ないし八〇キロメートルで進行してくることを予想できなかつたため安心して右折を開始してもやむを得ない距離にあつた。

四  抗弁に対する認否

否認する。

理由

一  請求原因1ないし3は当事者間に争いがない。

二  過失割合(請求原因4及び抗弁)について

1  事故状況(事故当時の信号及びその確認地点並びに元佐車の速度の点を除く。)

証拠(甲第八二号証、第一一〇号証、第七一号証・四丁裏、第七二号証・一〇枚目裏、第八三号証、第九八号証・四枚目裏、第一〇二号証、第一一四号証、第一二一号証・一〇枚目裏)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  現場付近の状況

本件事故現場は、いずれもアスフアルト舗装された東西に走査する国道四三号線と南北に走査する市道とが交差する信号機のある交差点の国道東行き部分である。なお、本件事故当時、路面は乾燥していた。

本件交差点前後の国道四三号線は、幅三・八メートルの中央分離帯を挟んで東行き、西行きともに四車線の通行区分が設けられた道路であり、その上方には、右中央分離帯に立てられたコンクリート製の支柱を橋脚とする高架上に高速道路が平行して通つていた。

そして、国道の東行き車線及び西行き車線からの本件交差点への入口付近は、右中央分離帯の一部が削られて設けられた右折車線があり、右折車からの右折開始時における対向車線への見通しは良好であつた。

(二)  事故車両の運転態様

(1) 元佐車

元佐は、自車を運転して国道東行き第三車線(左側から数えたもの。以下同じ。)を進行中、本件交差点手前に差し掛かり、右手から進路前方に進入してくる田中車を発見し、衝突回避のために左に転把するとともに急制動をかけたものの、やや左に進路を変えながら交差点内に進入し、自車前部を田中車の左側面にほぼ直角に衝突させ、その後、田中車を引きずりながら約一五・九メートル進行して停止した。

(2) 田中車

田中は、自車を運転して、国道西行き車線を進行中、本件交差点手前に差し掛かり、減速しながら右折車線を経由して本件交差点内に進入したが、一時停止せず、東行き車線を直進してくる元佐車に気づかないまま、右折を開始し、時速約二〇キロメートルの速度で東行き車線を横断中、左側面から元佐車に衝突され、田中車はその衝撃で若干左回りに車体を回転させつつも横滑りするように元佐車の進行方向に約一四メートル引きずられた後、車体前部を西北西の方向に向け、左側面中央部を元佐車の左前角部に接触させて停止した。

(三)  信号表示サイクル

本件交差点には、国道側の車両用信号が、東行きには交差点手前の歩道橋の西側面と交差点先の横断支柱に、西行きには右歩道橋の東側面に、それぞれ設置され、本件事故当時は、七一秒間の青色のあと四秒間の黄色を経て四五秒間の赤色となり、その初めと終わりの各三秒間は南北信号も赤色表示のいわゆる全赤というサイクルで作動していたもので、右折車用の青色矢印信号はなかつた。

2  事故当時の信号状況及びその確認地点について

(一)  原告は、本件事故当時の国道の信号状況について、元佐車が停止線の直近に至つた時点で国道の信号が青から黄に変わつたと主張し、他方、被告は、元佐が対面信号の赤色表示を無視して本件交差点に進入したと主張するものであり、元佐車が国道東行きの停止線を越えて本件交差点内に進入した時点の対面信号が青色を表示していなかつたことは当時者間に争いがない。

そして、証拠(甲第七九号証、第九九号証、第一〇一号証)によれば、元佐は、捜査及び公判を通じて、対面信号が青から黄に変わつたのは、元佐車が衝突地点の約二六メートル手前の地点(甲第八三号証・昭和六二年二月一七日付け実況見分調書現場見取図<イ>地点)であつて、停止線の西側直近に至つた時である旨一貫して供述しており、この供述の信用性を疑わせる証拠は、田中及び真殿の各供述のみであるところ、両供述は、以下のとおりにわかに信用できず、結局この点については、元佐供述を信用するほかない。

(田中供述について)

まず、証拠により認められるところによると、田中は、右信号の表示に関し、本件事故による受傷の治療のため入院していた病院を退院したのち、業務上過失致死被疑事件の被疑者としての捜査機関による取調や元佐の右被告事件の公判において、西行き右折車線を進行中、本件交差点の東側停止線上(甲第八九号証・昭和六二年三月一〇日付け実況見分調書現場見取図<3>地点)に至つたときに対面信号が青から黄に変わり、右地点から約一三メートル西の地点(同<4>地点)に至つたときに対面信号が黄から赤に変わり、その後に右折のため東行き車線の横断を開始した旨供述する(甲第七二号証・七枚目、第一二一号証・八枚目裏、第一二二号証・三枚目)。

しかし、他方で、右折を開始する際の対向車線の見通しは良好であつたにもかかわらず、元佐車の存在には全く気付かなかつたとし(甲第七二号証・八枚目裏及び一〇枚目裏)、また信号が赤になるまで国道西行き車線には前記のとおり右折用の矢印信号が設置されていないことに気付かなかつたとする(同・七枚目)うえに、先行する右折車両の動静を信号表示と自車の位置関係とともに克明に述べようとするものの一定しない部分がある(同・八枚目表及び一一枚目表)など、本件事故当時における田中の前方に対する注意の程度及びそれに基づく記憶の正確さには疑問が残るし、同人が事故の当事者であるとともに本件事故当時は被告の従業員であつたことなどを考慮すると、本件事故当時の信号に関する田中の右供述はにわかに信用できないというべきである。

(真殿供述について)

証拠により認められるところによると、真殿忠雄は、タクシー(「真殿車」)を運転して、国道東行き第一車線を時速約四〇キロメートルで進行中、たまたま現場付近を通りかかり、目前で本件事故を目撃したとして、昭和六二年三月一三日及び同年五月三日の司法警察員に対する各供述では、本件交差点の停止線から西へ約四一メートルの地点(甲第八五号証・昭和六二年二月二六日付け実況見分調書添付現場見取図地点)に至つたときに本件交差点の対面信号が青から黄に変わり、その後、普通のブレーキ操作で右停止線(同・地点)で停止後、自動車の通過音を聞き、右前方を見たところ、東行き第三車線の停止線手前直近(同・<ア>地点)を行くトラツクとその右前方(同・<1>地点)に右折しようとしていたタクシーが見えたと思つた瞬間に両車が衝突し、そのとき対面信号は赤であつたとする(甲第八六号証、甲第八七号証)が、同年七月四日の検察官に対する供述及び元佐に対する刑事被告事件の第五回公判における供述では、車線変更禁止の黄線部分に入る以前の交差点手前五、六〇メートルの地点において対面信号を見ると、既に黄色に変わつていたので、速度を落としながら本件交差点に向かつていたとき、元佐車が第三車線を後方から東進して自車を追い抜いて行き、その間、対面信号が黄から赤に変わつたところは見ていないが、元佐車と田中車の衝突直後に対面信号を見ると、赤であつたとし(甲第七五号証、第八八号証)、さらに、本件第六回口頭弁論期日における証人としての証言でも、国道東行き第一車線の本件交差点の停止線から西へ約四一メートル西の地点(前掲現場見取図地点)に至つて初めて対面信号を見ると既に黄色になつていたと供述する。

しかし、甲第一〇三号証によれば、走行状態を記録するタコグラフチヤート紙上、真殿車は、本件事故現場において約一〇秒から二〇秒間停止したことになつており、この点につき、甲第七四号証により認められる右チヤート紙の鑑定者の供述によれば、記録線の太さからくる誤差により右の真殿車の停止時間は最大四〇秒間であつた可能性はなくはないものの、記録線に太さがあつてもその中央線を基準とすれば読み取りも可能であり、一〇秒から二〇秒間をもつて真殿車の本件交差点における停止時間とするのが最も一般的であつて可能性としては高いことが認められるところ、このことと真殿の前記供述(これを前提とすると、真殿車は本件交差点において国道側信号が赤になつた前後から青に変わるまでの約四五秒間停止していたことになる。)とは矛盾が生じることは否定できないから、元佐に対する刑事判決(甲第六号証)が指摘するように、元佐車は本件事故当時、事故現場の直近には存在しなかつたのではないかとの疑念が払拭できない。

また、右の点を置くとしても、真殿は、警察の取調においては、停止線からせいぜい四〇数メートル西の地点において対面信号が青から黄に変わつたところを見たとし、その後停止線のところに停止した後に元佐車に抜かれた旨明確に供述しながら、検察の取調や元佐の公判においては、停止線から五、六〇メートル西の未だ車線変更禁止を示す路上黄線部分に入る前に信号が既に黄を表示しているのを見たとし、その後停止線のところに停止する前に元佐車に追い抜かれたとか、その点ははつきりしないなどと重要な部分で供述を変え、これについて合理的な説明をしていないうえに、供述の変遷自体も否認しており、この点において、信号表示と元佐車の位置との関係に対する真殿の供述は、認識の正確さ、記憶の明瞭さ及び供述の誠実さのいずれの点においても疑問を差し挟まざるをえない。

よつて、真殿の供述も、にわかた信用することができない。

(二)  なお、右に見たとおり、元佐車が本件交差点の国道東行き車線の停止線を通過した時の東西信号は黄色表示であつたとせざるをえないが、他方、田中車が右折を開始した時の対面信号すなわち西行き車線の信号の表示については、甲第八三号証及び第八九号証の各現場見取図の記載を総合すると、田中車が右折を開始してから衝突するまでに進行した距離は、おおよそ一〇メートル前後であることが窺われるところ、前記のとおり田中車の右折時の速度は時速約二〇キロメートル(秒速約五・五メートル)であるから、その間に二秒近く要したのに対し、前記認定のとおり、元佐は衝突地点の手前約二六メートルの停止線の西側において対面信号が黄色表示に変わるのを発見しており、これに後記認定の元佐車の衝突速度である時速約五四キロメートル(秒速約一五メートル)を勘案すると、その間に要した時間は約一・七秒程度であつたことになり、結局、田中車が右折を開始した時の対面信号は黄又は青ということになるが、そのどちらかは不明というほかない。

3  元佐車の制動直前の速度について

(一)  元佐は、制動直前の自車の速度について、刑事事件の捜査段階においては、時速六〇キロメートルと(甲第九八号証・三枚目表)、また、その公判廷においては、時速五五キロメートルと(同第七九号証・六枚目表)、それぞれ供述する一方、本件事故現場付近の制限速度を時速五〇キロメートルであると勘違いしていたとするとともに、通常、制限速度のおよそ時速一〇キロメートル程度オーバーした速度で運転する旨を供述する。

(二)  また、真殿は、元佐の刑事事件の公判廷において、自車を追い抜いて行つた際の元佐車の速度につき、自車の速度との比較やエンジン音を理由に、時速六〇キロメートル以上はあつたと思う旨の自己の憶測を供述する(甲第七五号証・一九枚目)。

(三)  甲第八〇号証、第一〇八号証によれば、本多幸博が元佐に対する業務上過失致死傷被告事件において元佐車の制動直前の速度について鑑定(以下「本多鑑定」という。)した際の判断の過程は概略次のとおりであることが認められる。

(1) 元佐車の制動直前の速度Usは、急制動によりスキツドマークがつき始めた地点における速度とほぼ同じであるとし、右速度Usは、元佐車が田中車に衝突した速度をUa、スキツドマークが付き始めた地点から衝突するまでの距離をLso、この間の平均減速度をβとすると、次式から求めることができる。

Us=Ua2+2・β・Lso………<1>

(2) 元佐が制動時に左方に転把していたことから、元佐車の右側車輪が過加重となつてロツクせず、制動効果もやや低下し、その結果、緩やかな左カーブを描くような軌跡を辿つたことから、乾燥したアスフアルト路面において、一〇〇パーセント積載の四トントラツクの急制動時の減速度をもつて元佐車の衝突前の減速度βの上限値とし、右側車輪の過加重から二〇〇パーセント積載の四トントラツクの急制動時の減速度下限値をもつて、元佐車の衝突前の減速度βの下限値であるとし、

=0.39~0.57G

とする。

(3) 元佐車の重量をma、田中車の重量をmb、元佐車の衝突速度をUa、衝突後の元佐車・田中車の速度をそれぞれ、Va・Vb、元佐車の進行方向と衝突後の田中車の移動方向との角度をθとすると、運動量保存の法則から、

ma・Ua=ma・Va+mb・Vb・cosθ………<2>

の式が成り立つ。

次に、衝突後の速度Vは、衝突後停止までの平均減速度をα、その間の移動距離をLとすると、

………<3>

となるから、元佐車及び田中車につき、衝突後の速度をそれぞれVa及びVb、減速度をそれぞれαa及びαb移動距離をそれぞれLa及びLbとすると、

αa=β=0.39~0.57G

La=15.9m

αb=0.6~0.7G

Lb=15.0m

であるから、

Va=11.0~13.3m/s

Vb=13.3~14.3m/s

を得る。

そして、このVa、Vbの数値及び

ma=796kg・s2/s

mb=149kg・s2/s

を<2>式に代入して

Ua=13.5~16.0m/s

=48.6~57.6km/h

を得る。

(4) 右(1)、(2)で得たβ及びUaの数値及び

Lso≒18m

を<1>式に代入して、

Us=17.9~21.4m/s

=64.4~77.0km/h

を得る。

(四)  右に対し、乙第五号証によれば、塚谷恒雄が被告の委嘱により元佐車の制動直前の速度Usについて、本多鑑定を利用、批判しつつ鑑定した際の判断の過程は、概略次のとおりであることが認められる。

(1) 四トントラツクの一〇〇パーセント積載時、一五〇パーセント積載時及び二〇〇パーセント積載時の急制動時の減速度のうちの最高値を元佐車の減速度の上限値とし、最小値を元佐車の減速度の下限値としつつ、制動特性分布の平均的傾向に関する資料をもとに、一般に初速度Uの四トントラツクの急制動時の減速度βにつき、

β=0.00164u+0.651 (一〇〇%積載時)

β=0.00140u+0.652 (一五〇%積載時)

β=0.00283u+0.661 (二〇〇%積載時)

とする。

(2) 次に、衝突時の元佐車の速度を求めるべく、本多鑑定と同様に、前記(三)(3)の<2><3>式を用いるとしたうえで、衝突後の元佐車の減速度の定量的評価を不可能として前記(1)の減速度βを、衝突後においても適用し、これと衝突後の元佐車の移動距離一五・九メートルより、同車の衝突後の速度Vaにつき、

Va=12.8~13.7m/s

=46.1~49.3km/h

を得る。

そしてさらに、元佐車と田中車は衝突後一体となつて滑走したことから、VaとVbを同値とし、本多鑑定と同様の車両質量を用いつつ計算することにより、元佐車の衝突速度Uaにつき、

Ua=15.2~16.3m/s

=54.7~58.6km/h

を得る。

(3) 次に、制動効果が現れた地点から衝突地点までの距離は、スキツドマークの印象起点から衝突地点までの距離より大きいとして、本多鑑定におけるLsoの値を修正し、

Lso=20.26m

としたうえで、本多鑑定にある(三)(1)の<1>の式

及び前記βを用いて、

Us=20.2~22.3m/s

=72.7~80.1km/h

を得る。

(五)  右(一)ないし(四)の事実を前提として、元佐車の制動直前の速度について検討するに、本多鑑定は、最低で時速六四・四キロメートルであつた可能性もあるとするのに対して、塚谷鑑定では、最低でも時速七二・七キロメートルとされる。

ところで、両鑑定とも、衝突直後の各車両の速度(Va、Vb)を移動距離(La、Lb)と減速度(αa=β、αb)から割り出し、次に、これらと各車両質量(ma、mb)及び衝突角度(θ)から運動量保存の法則を用いて元佐車の衝突速度(Ua)を計算したうえ、元佐車の衝突までの制動距離(Lso)と減速度(β)から、元佐車の制動直前の速度(Us)を算出するという手法を採つているところ、その他の前提についても若干の差はあるものの、前記のとおり元佐車の考え得る最低速度の算定において両鑑定間に決定的に格差を生じさせているのは、元佐車の減速度の下限値の設定であることは明らかである。

そこで、この点を中心にどちらがより信用に値するかにつき検討を加えるに、塚谷鑑定が元佐車の減速度を制動初速度をも考慮している点はしばらく置くとしても、同鑑定が、本多鑑定と共通の資料を使用しつつも、本多鑑定の採用する元佐車の減速度の下限値〇・三九Gは、ペダル踏圧が四五kgfや六〇kgfの場合もある中では比較的低い二六kgfの場合のものであり、過積載車両の制動特性分布の平均的傾向からは乖離した値でもあることを理由に異常値であるとして排斥する点は十分説得力を有し、また、田中車の衝突後の移動速度についても、本多鑑定が両車両は衝突後分離して移動したとして、前記認定の事故状況に照らしにわかに賛同しえない前提をとるのに対して、塚谷鑑定は、両車両は衝突後一体となつて移動したとしつつ、田中車の正確な減速度が不明であることから、これを元佐車と同等とするのを適当とし、結果的に田中車の衝突直後の移動速度を低めに見積もつているなど慎重さが窺われる。

右のような点からすると、塚谷鑑定の方により高い信用が置かれるべきであつて、その結果として算定された最低速度である時速七二・七キロメートルをもつて、元佐車の制動直前の速度と認定するのが相当であり、元佐の供述はこの認定を左右するに足りない。

(なお、前述の元佐車の衝突速度は、塚谷鑑定によれば、時速五四・七キロメートルとなる。)

4  元佐車の速度に対する田中の予測可能性について

前記認定のとおり、元佐車は、時速七二・四キロメートルの速度で、本件国道の東行き第三車線を進行して本件交差点に向かつていたものであるが、本件事故現場が片側四車線の主要幹線道路であるうえに、事故当時が深夜であつたことからすると、制限速度が時速四〇キロメートルに規制されていたとはいえ、時速七〇ないし八〇キロメートルで進行する車両の存在は容易に予測できたものと推認することができる。

5  判断

前記認定事実に甲第八三号証を総合すれば、本件事故は、対面信号が黄色表示の際に交差点に直進進入した元佐車と対面信号が黄色又は青色表示の際に同交差点において右折を開始した田中車との衝突事故であるが、元佐車は制限速度(時速四〇キロメートル)を時速約三二キロメートル超過した時速約七二キロメートルで進行中、本件交差点付近にさしかかり、停止線手前一五メートル足らずの地点で対面信号が黄色表示に変わつたのと右折を開始した田中車を発見したということになる(右発見位置と停止線との距離は、甲第八三号証の現場見取図上、右発見地点と衝突地点との間の距離が二六・一メートルとされ、停止線は、おおよそその中間点にあることが窺われることから、一五メートルに満たないものと認めた。)から、元佐車が仮に制限速度である時速四〇キロメートルで進行していたとしても、停止線では、安全に停止することができなかつたことになる。また、田中にとつて、本件事故現場において時速七〇キロメートルを超える速度で直進してくる車両の存在が予測できないものではないこと、田中は対向直進車の確認を怠つていたことも前認定のとおりであるから、本件事故の発生については、右折車の運転者である田中に主たる原因があるというべきである。

しかしながら、元佐車が制限速度を時速三〇キロメートル以上も超過する速度ではなく、制限速度程度の速度で進行していれば、田中車の同乗者の死亡というような重大な結果を防止し得た可能性は高く、右制限速度の超過は相当に損害の拡大に寄与したと考えざるをえない。

以上の事故状況に関する認定事実及び判断を総合考慮すると、元佐車側と田中車側との過失割合は、元佐車側四に対し、田中車側六とするのが相当である。

三  結論

以上によれば、元佐車側(岡南運輸)及び田中車側(被告)から被害者に支払われた損害賠償金等合計一億五〇〇〇万円のうちの四割に相当する六〇〇〇万円が岡南運輸の負担となるべきところ、岡南運輸は、自賠責保険金二五〇〇万円に和解仮分担金六五〇〇万円を加えた合計九〇〇〇万円を既に負担していることから、協定上の権利を取得した原告に対し、被告は、清算金として三〇〇〇万円及びこれに対する仮分担金支払の日である平成元年一月一七日から支払済みまで約定による年六分の割合による利息を支払う義務があることになる。

よつて、原告の請求は、右の限度では理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、被告の仮執行免脱宣言の申立ては不相当として却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 林泰民 松井英隆 佐茂剛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例