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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)4017号 判決 1991年6月25日

反訴原告

松宮一男こと崔南鮮

反訴被告

豊里久子

主文

一  反訴被告は、反訴原告に対し、金二〇二万〇四六五円及びこれに対する平成二年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を反訴被告の負担とし、その余を反訴原告の負担とする。

四  この判決の一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

反訴被告は、反訴原告に対し、金二〇六二万二〇二二円及びこれに対する平成二年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動車の追突事故にあつて負傷した者が、民法七〇九条に基づき、損害賠償(反訴)を請求した事件である。

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和六三年三月一三日午後八時五五分頃

(二) 場所 大阪市東成区中道一丁目一番五号先路上(交差点)

(三) 加害車 普通貨物自動車(大阪四〇む七九一四号)

右運転者 反訴被告

(四) 被害車 普通乗用自動車(なにわ五五あ八一一五号)

右運転者 山田広志

右同乗者 反訴原告

(五) 態様 被害車が前記交差点において減速して左折しようとしていたところ、後続してきた加害車に追突された。

2  責任原因(民法七〇九条)

反訴被告は、前方不注視の過失により、本件事故を発生させた。

3  治療の経過等

反訴原告は、頸椎捻挫の傷害を負い、次のとおり治療を受けた。

(一) 明生会明生病院

昭和六三年三月一三日から同月一四日まで入院(二日)

(二) 荒木整形外科

昭和六三年三月一四日通院(一日)

(三) 田中外科医院

(1) 昭和六三年三月一四日から同年五月三一日まで入院(七九日)

(2) 昭和六三年六月一日から平成二年七月三一日まで通院(なお、その後も通院した。)

(四) 守口生野病院

昭和六三年四月二八日通院(一日)

(五) 大野病院

平成元年五月二五日通院(一日)

4  反訴被告による治療費等の支払い〔一部〕

反訴被告は、次のとおり、治療費等合計二四二万四四四〇円の支払いをした。

(一) 治療費 一四二万四四四〇円

(1) 明生病院分 一〇万六四〇〇円

(2) 荒木整形外科分 七二〇〇円

(3) 守口生野病院分 一万〇八四〇円

(4) 田中外科医院分 一三〇万円

ただし、昭和六三年三月一四日から同年一二月三一日までの分

(二) 内金 一〇〇万円

5  前事故による受傷及び後遺障害の認定

反訴原告は、昭和六一年六月五日、追突事故にあつて頸部捻挫の傷害を負い、約一年間の治療を受けたが、後遺障害を残して症状が固定し、これは自賠責保険の関係で自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表の一四級一〇号に該当すると認定された。

二  争点

1  反訴原告の受傷の程度、相当な治療期間

〔反訴被告の主張〕

本件事故による双方車両の損傷の主たるものはバンパーの凹損であり、反訴原告の受けた衝撃は軽微なものであつた。したがつて、反訴原告が前記の如き長期加療を要するような傷害を負う筈はないというべきところ、その症状も、他覚的所見の裏付けのない自覚症状がほとんどであり、長期の入通院が必要とは考えられない。

2  損害額(特に、本件事故による相当な休業期間、本件事故当時の収入について)

3  前事故の既往症による寄与度減額

〔反訴被告の主張〕

仮に、本件事故によつて反訴原告にその主張のような症状が発生したとしても、その症状は前記既往症(前事故による後遺障害)を加重したものに過ぎないというべきであり、五割以上の損害額の減額がなされるべきである。

第三争点に対する判断

一  反訴原告の受傷の程度、相当な治療期間、前事故との関係

1  反訴原告の受傷内容、症状及び治療の経過

前記第二の一の争いのない事実に、証拠(甲一ないし三六号証、三八号証、乙一号証の3ないし8、反訴原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は当該事実の認定に当たり特に用いた証拠である。また、○付き数字は該当ページである。)。

(一) 本件事故の状況

(1) 反訴被告は、加害車を運転し、被害車に追従して時速約四〇キロメートルの速度で進行中、本件交差点に至つたが、被害車がそのまま左折進行するものと軽信し、前方注視を怠つたため、減速中の同車の後方約七・八メートルまで接近したところで危険を感じて急ブレーキをかけた。しかし、約一〇・五メートル進行した地点において、加害車前部を被害車後部に衝突させ、加害車は約二・六メートル進行して停止した。

(乙一の3~5)

(2) 反訴原告(昭和九年九月二〇日生、本件事故当時五三歳)は、山田広志(当時三八歳)運転の被害車(タクシー)の後部座席に同乗中であり、被害車は、時速約一〇キロメートルの速度で左折しようとしていたところ、加害車に追突され、約七メートル前方に押し出されて停止した。

(乙一の3~5、7、8)

(3) 本件事故により、加害車は前部ボンネツト及び左前照灯が破損し、被害車も後部バンパー及びトランクが凹損、破損するといつた損傷を受けた。

(甲三六、乙一の3、4)

(4) 反訴原告(シートベルトは着用していなかつた。)は、本件事故の衝撃により、左半身を前部座席で打撲し、山田は、シートベルトを着用していたが、首が前後に振られるといつた衝撃を受け、明生病院で診察を受けたところ、頸椎捻挫により約七日間の加療を要する旨診断され、その後、千本病院に転院し、外傷性頸部症候群の傷病名で約三八日間の治療を受けた。

(甲三五<3>、乙一の6~8)

(二) 本件事故による症状及び治療の経過

(1) 反訴原告は、本件事故直後、明生病院(大阪市都島区所在)に救急搬送されて診察を受け、左頭部(側頭部)から左上肢外側にかけての知覚過敏症状を訴えたが、頸部痛や運動麻痺は認められず、また、頸椎部及び腰椎部の各レントゲン写真撮影の結果でも特に異常は認められず、頸椎捻挫により約一〇日間の入院加療を要すると診断され、同日、入院した。

そして、反訴原告は、同病院で投薬、点滴、グリソン牽引等の治療を受けたが、転院を希望し、その翌日の昭和六三年三月一四日、荒木整形外科(大阪府八尾市所在)で診察を受けて耳鳴り等を訴えたが、田中外科医院(同市所在)を紹介され、同日から同病院に入院した。

(甲二ないし六、三四、三五)

(2) 同医院では、左顔面、左肩から左上肢にかけての痺れ感、頸部痛や頸部の運動制限、耳鳴り、腰から左下肢の痛みないし痺れ感等を訴え、投薬、点滴、湿布(腰部、頸部、左肩、左上腕)等の治療を受けたが、同月下旬頃(入院の約二週間後)からリハビリ療法(介達牽引、温熱、マツサージ等)をも受けるようになつた。そして、反訴原告の症状は、入院一か月を経過しても顕著な改善を見ないとされていたが、次第にその愁訴は少なくなり(ただし、日によつて波はあつた)、「特訴なし」と看護記録に記載されたり、症状の訴えがあつても自制内あるいは軽度とされる日が多くなり、同年五月三一日に退院するに至つた(同病院の入院日数七九日)。

なお、反訴原告は、同月二〇日、同月二六日に外泊し、同年四月以降は、外出、外泊の回数が増えた。

(甲六ないし八、一八、一九、三三<74>以下)

(3) ところで、反訴原告は、右入院中の昭和六三年四月二八日、田中外科医院からの紹介により守口生野病院で検査及び診察を受けたところ、レントゲン写真上、骨の変化は少なく、腱反射の異常等もないが、第五ないし第六頸椎の領域を中心に知覚鈍麻があり、痺れは神経根症状と考えられ、外傷性頸部症候群(頸部神経根症状)と診断され、その治療は、保存的治療でいくより仕方なく、牽引治療がよいとされた。

(甲一六、一七、三三<84>、<89>)

(4) 反訴原告は、田中外科医院を退院後も、左頸部から肩の硬直感、痺れ感、左指の知覚鈍麻、握力低下、視力低下等を訴え、頻繁に通院して(昭和六三年六月は二二日、同年七月は一九日、それ以後は一か月当たり一四ないし一六日)、リハビリ(マツサージを含む。)、湿布、注射、投薬等の治療を受けていたが、頸部痛、左腕の脱力感、知覚鈍麻等の症状は残存し(ただし、反訴原告の症状の経過については、同医院の通院カルテ中の医師所見欄の記載が乏しく、必ずしも明確でない。)、同年一二月三一日の段階で余り好転は見られないとされていた。

なお、反訴原告の同年一二月までの通院状況は次のとおりである。六月(二二日)、七月(一九日)、八月(一六日)、九月(一五日)、一〇月(一四日)、一一月(一四日)、一二月(一二日)

(甲九ないし一六、三三<3>~<69>)

(5) 反訴原告は、昭和六四年(平成元年)一月からも、引き続き田中外科医院に通院して、ほぼ同内容の治療を受けていたが、同年二月末頃からはほぼリハビリと静脈注射の併用の治療となり、同年七月末頃からはほとんどの日がリハビリのみの治療となつた。そして、反訴原告は、同年中に一か月当たり一一ないし一五日通院し、平成二年になつても通院を継続してリハビリ治療を受けていたが、同年一〇月頃、通院を中止するに至つた。

なお、反訴原告は、田中外科医院の指示により、平成元年一月に大野病院で頸部のMRI検査を受けたが、途中で気分が悪くなつたため中止され、同年五月二五日に再度検査を受けたが、頸椎部に特に強い圧迫は認められないとされた。

(甲三三<69>~<73>、反訴原告)

(三) 前事故による受傷内容及び症状の経過、後遺障害等

(1) 反訴原告は、昭和六一年六月五日、タクシーに同乗中に追突事故にあい、頸部捻挫、腰部捻挫、背部痛の傷害を負つたと診断されて早石病院及び荒木整形外科に通院して治療を受けたが、昭和六二年五月三〇日、荒木整形外科の荒木修身医師により、「両肩から頭にかけて重苦しい感じになる(左肩が痺れる状態)。就寝時、腰から左脚にかけて痙攣が起き、そのため夜の寝つきが極めて悪い。現在車を利用する業務だが、今の状態では車の運転は不能。曇天(雨天)の日は頭部(頭、目)がはつきりしない。」といつた症状を残して症状が固定し、これらの障害は回復の見込みがないと診断された。なお、その際、他覚症状等として、頸椎レントゲン写真上、骨軟骨症の所見があり、頸部後屈両スパーリングテスト陽性、両肩部に神経痛様放散痛を認めるなどとされた。

(甲二〇~二四、二九、三八)

(2) 右後遺障害については、自動車保険料率算定会調査事務所により、同年七月二二日、腰部の症状は、レ線上外傷性の病変はないものの、第五腰椎の分離症による加重が認められるとして、後遺障害別等級表の一四級一〇号に該当すると認定されたが、頸部の症状は、その所見内容から非該当とされた。

反訴原告は、同年八月一八日、その等級が不満であるとして右認定に対して異議の申立てをし、反訴原告の当時の症状として「頸部後屈両スパーリングテスト陽性、両肩部に神経痛様放散痛を認める。」等の内容の荒木医師による意見書を提出したが、同年一〇月一二日、既認定等級以上の等級の適用は困難であると判断された。

(甲二五~二八、三〇、三八)

2  反訴原告の受傷の程度、相当な治療期間

前記認定の事実によれば、本件事故により反訴原告が受けた衝撃の程度は軽微なものであつたとはいえず、その症状及び治療の経過を併せ考えると、反訴原告は、神経根症状を呈するような頸椎捻挫(外傷性頸部症候群)の傷害を負つたものと推認するのが相当である。

そして、田中外科医院における症状及び治療の経過、特に、反訴原告の症状は入院中から顕著な改善が見られないとされ、その後の長期間にわたる治療(しかも、ほぼ同内容の治療である。)が継続されたにもかかわらず、その症状にさしたる改善が見られず、昭和六三年一二月三一日の段階でも余り好転は見られないとされていたことに照らすと、反訴原告の症状は、遅くとも昭和六三年一二月末には頸部痛、左腕の脱力感、知覚鈍麻等の自覚症状を残して固定していたものと推認され、それまでの期間が本件事故と相当因果関係に立つ治療期間というべきである。

3  前事故との関係

前記のとおり、反訴原告は、前事故により頸部捻挫、腰部捻挫等の傷害を負い、長期間の治療にもかかわらず、腰部の症状のほか、左肩が痺れるといつた症状が残り、また、骨軟骨症の所見や、両肩部の神経痛様放散痛が見られたものであり、その症状固定とされた時から本件事故発生に至るまでの期間等を考えると、本件症状の発症との関係が問題となりうるといえる(この点について、反訴原告は、本件事故当時は前事故による症状は直つていたうえ、その症状も異なると供述するが、前記認定の事実に照らすと右供述部分は信用しがたい。)。

しかしながら、本件事故による症状の内容、程度(特に、肩部のみならず手指の痺れ感を訴えたり、頸部痛や頸部の運動制限も訴えていること)やその症状の経過、前記守口生野病院医師の所見(なお、明生病院においても、頸椎に特に異常はないとされている。)、本件事故による衝撃の程度等を併せ考えると、本件症状の拡大ないしは治療の遷延化に前事故による障害が影響している可能性をまつたく否定できないにしても、その影響を斟酌して後記損害額を減額するまでの必要はないものというべきである。したがつて、この点についての反訴被告の主張は採用しない。

二  損害額

1  治療費 一五万〇六〇二円

(一) 明生病院分〔請求額一〇万六四〇〇円〕 一〇万六四〇〇円

明生病院における前記治療に右費用を要したことは当事者間に争いがないところ、前記の症状及び治療の経過に照らし、本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることができる。

(二) 荒木整形外科分〔請求額七二〇〇円〕 七二〇〇円

荒木整形外科における前記治療につき右費用を要したことは当事者間に争いがないところ、前記の症状及び治療の経過に照らし、本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることができる。

(三) 守口生野病院分〔請求額一万〇八四〇円〕 一万〇八四〇円

守口生野病院における検査のために右費用を要したことは当事者間に争いがないところ、前記の症状及び治療の経過に照らし、本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることができる。

(四) 田中外科医院分〔請求額五九万五八六〇円〕 〇円

(1) 反訴原告は、田中外科医院における昭和六四年一月六日から平成二年七月三一日までの治療費を本件事故による損害として請求するところ、右治療は、症状固定とすべき日以降になされた対症療法的な治療であり、特段の症状の改善等の効果は認められなかつたというべきであるから、本件事故と相当因果関係に立つ損害とは認められないというべきである。

(2) ところで、前記の症状及び治療の経過、特に、反訴原告に対しては入院の約二週間後にはリハビリ療法が開始されて安静加療の必要性が乏しくなつていたことや反訴原告の外泊、外出状況等に照らすと、田中外科医院における入院については、当初は安静、経過観察のために入院の必要性を肯定することができるが、本件のように長期間入院させる必要性は窺うことはできず、同医院は、その必要性が乏しくなつたにもかかわらず、漫然と反訴原告を入院させていたのみならず、連日のように点滴を行うなど、その治療内容にも疑問があつたものといわざるを得ない。また、反訴原告は、自ら希望して個室(その差額料金一日当たり七〇〇〇円)に入つたところ、その症状の程度等に照らし、個室での入院加療の必要性は窺えず、これらの点を考慮すると、昭和六三年一二月三一日までの同医院における治療費については、これを精査し、相当損害として認められる損害の算定をする必要があるとも考えられる。

しかしながら、右期間中の治療費(乙三号証によれば、その請求額合計二五九万九二四〇円)については、本件訴訟の継続後に同医院と反訴被告との間で協定ができ(弁論の全趣旨)、反訴被告において同医院に対して一三〇万円を支払つたうえ(当事者間に争いがない。)、前記治療内容等を勘案すると、右の一三〇万円が前記期間中の治療費として直ちに不相当とも言いがたいので、右金額を本件事故による相当損害と認めることとする(ただし、支払済みとして損害額に含めない。)。

(五) 大野病院分〔請求額二万六一六二円〕 二万六一六二円

前記のとおり、反訴原告は、大野病院においてMRIによる頸部の診断を受けたところ、乙二号証によれば、その検査費用として二万六一六二円を要したことが認められる。

これは前記症状固定とすべき日より後に生じた検査費用であるが、反訴原告の症状の原因等を探るために必要な検査であつたと認められるので、右費用は本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めるのが相当である。

2  休業損害〔請求額一八〇〇万円〕 二〇九万四三〇三円

(一) 反訴原告は、本件事故当時、株式会社丸宮建設において、自動車の運転手や、債権回収の仕事をしたりして、毎月手取りで五〇万円の収入を得ていたほか、年二回の賞与(各一〇〇万円)を受領していたと供述し、これに副う甲三七号証(同社作成の休業損害証明書)及び乙九号証(同社代表者作成の証明書)も存する。

しかしながら、同社は反訴原告の兄が代表者となつている会社であり、反訴原告が同社から右の収入を得ていたことについては、納税証明書等の裏付けとなる資料はまつたく存しないうえ、反訴原告本人の供述によつても、現実具体的にどの程度その収入に見合うだけの仕事をしていたかは明らかにならず、前記各証拠によつて、反訴原告がその主張のような収入を得ていたことを認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

ただ、前記各証拠によれば、反訴原告は同社の仕事の手伝いをして相当程度の収入を得ていたことは窺えるうえ、その生活状況並びに反訴被告において反訴原告の休業損害は年齢別平均賃金月額の三九万六六〇〇円を基準として算定すべきであると主張していることを併せ考慮すると、本件事故当時の反訴原告の収入は右金額を限度として認めるのが相当である。

(二) ところで、前記症状の経過、通院状況、治療内容に、反訴原告が従事していたとする仕事の内容等を考慮すると、反訴原告の本件事故と相当因果関係に立つ休業損害については、昭和六三年三月一四日(本件事故発生の翌日)から同年五月三一日までの二か月一八日間は就労能力を一〇〇パーセント制限されていたものとして算定するが、その後の三か月間(同年六月から同年八月まで)は五〇パーセントの、その後の四か月間(同年九月から症状固定とすべき同年一二月末日まで)は三〇パーセントのそれぞれ制限があつたものとして算定するのが相当である。

(三) したがつて、反訴原告が請求しうる休業損害は、次のとおり二〇九万四三〇三円(一円未満切捨て)となる。

(算式)

396,600÷31×18+396,600×2=1,023,483 <1>

396,600×3×0.5=594,900 <2>

396,600×4×0.3=475,920 <3>

<1>+<2>+<3>=2,094,303

3  慰謝料〔請求額三〇〇万円〕 九〇万円

以上認定の受傷の内容及び程度、症状及び治療の経過、その他諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて反訴原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、九〇万円とするのが相当である。

(以上1ないし3の合計 三一四万四九〇五円)

三  損害の填補

前記のとおり、反訴被告は、治療費等合計二四二万四四四〇円の支払いをしているところ、田中外科医院の治療費分一三〇万円を除いた一一二万四四四〇円が前記損害合計額の填補に充てられる金員というべきであるから、これを控除すると、反訴被告が反訴原告に賠償すべき残損害額は、二〇二万〇四六五円となる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

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