大阪地方裁判所 平成2年(ワ)5664号 判決 1991年7月25日
原告
久保礼子
被告
芝英吉
主文
一 反訴被告は、反訴原告に対し、金三四六万七六九一円及びこれに対する昭和六二年九月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その二を反訴被告の負担とし、その余を反訴原告の負担とする。
四 この判決の一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
反訴被告は、反訴原告に対し、金八二八万〇三〇七円及びこれに対する昭和六二年九月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、自転車に乗つて走行中、交差点において自動車と衝突して負傷した者が、自賠法三条に基づき、損害賠償(反訴)を請求した事件である。
一 争いのない事実
1 交通事故の発生
次の交通事故が発生した。
(一) 日時 昭和六二年九月二七日午後七時頃
(二) 場所 大阪市平野区背戸口一丁目一四番一五号先の信号機による交通整理の行われている交差点
(三) 加害車 普通乗用自動車(なにわ五五ら九七九九号)
右運転者 反訴被告
(四) 被害車 足踏み式自転車
右運転者 反訴原告(昭和四四年七月二一日生、当時一八歳)
(五) 態様 北から南に直進中の被害車と、東から西に直進中の加害車とが衝突し、被害車もろとも反訴原告が路上に転倒した。
2 責任原因(自賠法三条)
反訴被告は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己のために運行の用に供していた。
3 治療の経過等
(一) 反訴原告は、頭部外傷Ⅰ型、全身打撲、頸部捻挫等と診断され、次のとおり治療を受けた。
(1) 東住吉森本病院
昭和六二年九月二七日から平成元年九月一六日まで通院(実通院日数三二五日)
(2) 大阪府立病院
昭和六二年九月二九日通院
(3) 富永脳神経外科病院
昭和六二年一〇月一九日通院
(二) 反訴原告は、平成元年九月一六日、東住吉森本病院の朝倉保医師により、頸部痛等の症状を残して症状が固定した旨診断されたが、本件後遺障害は、自動車保険料率算定会損害調査事務所により、自賠法施行令後遺障害別等級表(以下「後遺障害別等級表」という。)に定める後遺障害には該当しない旨認定された。
二 争点
1 本件事故当時の本件交差点の信号の表示並びに反訴被告の責任
〔反訴被告の主張〕
本件事故は、反訴被告が青色信号の表示に従つて本件交差点に進入したのに対し、反訴原告が赤信号を無視して本件交差点に進入したために発生したものである。そして、加害車には、本件事故当時、構造上の欠陥も機能の障害もなかったから、反訴被告は自賠法三条但書によつて免責される。
2 相当な治療期間(病状固定時期)
〔反訴被告の主張〕
反訴原告の受傷のうち、頸部捻挫以外の受傷については初診時以外に治療を受けた形跡はなく、反訴原告は頸部捻挫の症状について長期間の治療を受けたものであるところ、反訴原告の症状は、医師からそろそろ体操をするように勧められた昭和六二年一二月末頃から変わつていないこと等を考慮すると、その症状は、その頃固定していたものというべきである。
3 後遺障害の有無、程度
反訴原告は、頸部の運動制限、頭痛等の症状が残され、この後遺障害は、後遺障害等級表の一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当すると主張するのに対し、反訴被告は、右後遺障害は、法的保護の対象となるほどの程度に達していないと主張する。
4 寄与度減額
〔反訴被告の主張〕
仮に、反訴原告の症状固定時期が受傷後二年経つた平成元年九月一六日であつたとしても、それは反訴原告が通常人と比べ著しく依存心が強かつたことなどによつて治療が還延化したものであるから、過失相殺の規定の類推適用により、その損害額から二割の減額がなされるべきである。
5 過失相殺
〔反訴被告の主張〕
仮に、反訴被告に本件事故発生について責任があるとしても、本件事故は反訴原告の信号無視によつて生じたのであるから、八割以上の過失相殺がなされるべきである。
第三争点に対する判断
一 本件事故当時の信号の状況、反訴被告の責任
1 本件事故現場付近の状況等
(一) 本件事故現場付近の状況は、別紙図面(一)(以下「図面(一)」という。)記載のとおりである。
本件交差点(背戸口一丁目交差点)は、南北に通ずる道路(以下「南北道路」という。)と、阪神高速道路松原線高架下部分を挟んで東行及び西行のそれぞれ一方通行とされている東西に通ずる道路(以下、西行の一方通行路を「西行道路」という。)が交わる交差点であり、西行道路の最高速度は時速三〇キロメートルに制限されていた。また、高架下には高速道路のコンクリート支柱(ピアー)があるうえ、支柱と支柱との間には植込みが設置されていて、西行道路を進行する車両からの右前方に対する見通し並びに南北道路を南行する車両からの左前方に対する見通しは極めて悪い状態であつた。
本件事故が発生した日は日曜日の午後七時頃で、本件交差点付近の交通量は少なかつた。また、当時の天候は晴れで、アスフアルト舗装された路面は乾燥していた。(甲二号証、検乙一ないし三、八ないし一一号証)
(二) 反訴被告は、西行道路を東から西に向かつて時速約四〇キロメートルの速度で進行して本件交差点に至つたところ、図面(一)<2>付近で本件交差点を北から南に進行してくる被害車<ア>を発見し、危険を感じて急ブレーキを踏むと同時にハンドルを左に切つたが、約一三・三メートル進行した<3>付近で加害車右前角付近と被害車左側面とが衝突し、加害車は約三・二メートル進行した<4>付近で停止し、被害車及び反訴原告は<ウ>付近に転倒した。(甲二号証、反訴被告)
(三) 反訴原告は、友人の玉置美佐子とともに、それぞれ自転車に乗つて南北道路を北から南に向かつて進行し、本件交差点を通過しようとしていたところであつた。反訴原告は、衝突直前まで加害車が接近していることにまつたく気づかず、また、玉置は、反訴原告の約一ないし二メートル後方を走行していたが、反訴原告の背中付近を見ながら進行しており、本件交差点の信号は見ていなかつた。(玉置証言、反訴原告)
2 本件事故当時の本件交差点の信号表示
以上の事実が認められるところ、本件事故当時の信号表示について、反訴原告及び反訴被告は、それぞれ自分が進行していた道路の対面の信号表示が青色であつたと主張し、当法廷でもそれぞれその旨を供述する。
(一) 本件交差点の東側には、別紙図面(二)(以下「図面(二)」という。)記載のとおり、背戸口五丁目交差点(図面(二)(a))、背戸口三丁目北交差点(同(b))、背戸口三丁目西交差点(同(c))、平野学校前交差点(図面(二)(d))があり、反訴被告は、交差点(a)を右折し後、(b)から(d)の各交差点を経て本件交差点に至つたものであるところ(甲四号証)、反訴被告は、当法廷において、「交差点(a)で青色信号に従つて右折し、交差点(b)で赤色信号に従つて停止した。そして、青色信号に従つて発進したが、交差点(d)の信号が赤色であつたので同交差点で停止し、その後青色信号に従つて発進して、本件交差点に青色信号で進入した。」旨供述する(反訴被告平成二年九月四日付本人調書〔以下「反訴被告本人<1>」という。〕4、39項)。ただし、反訴被告は、その後、右折時の交差点(a)の信号は黄色になりかけていたと訂正している(反訴被告同月二一日付本人調書〔以下「反訴被告本人<2>」という。〕29項)。
しかしながら、反訴被告は、本件事故から約四時間後に行われた実況見分の際には、「交差点(a)で青色信号に従つて右折し、交差点(c)で赤色信号に従つて停止した。そして、青色信号に従つて発進したが、そのとき交差点(d)及び本件交差点の信号は青色であつた。」と指示説明していたこと、同日、反訴被告の指示した速度で走行実験を行つたところ、右折後、交差点(b)の信号は青色、交差点(c)の信号は赤色、交差点(d)の信号は青色、本件交差点の信号は赤色となり、反訴被告の説明と一致しなかつたことが認められる(甲四号証、反訴被告本人<1>24項~27項)。
(二) その後、反訴被告は、警察官に対し、前記各信号表示について、当法廷における供述と同内容(交差点(a)で青色信号に従つて右折し、交差点(b)で赤色信号に従つて停止した。そして、青色信号に従つて発進したが、交差点(d)の信号が赤色であつたので同交差点で停止し、その後青色信号に従つて発進して、本件交差点に青色信号で進入した。)の説明をし、昭和六三年三月一三日に加害車を使用して走行実験が行われたところ、交差点(a)を青色信号の最初の時点及び最後の時点で右折した場合、(b)ないし本件交差点の信号表示は前記指示説明のとおりであり、本件交差点を青色表示に従つて通過することが十分可能であるという結果が出た(甲四号証、反訴被告<1>31~33項)。その際、変更前の指示説明に従つた走行実験が五回行われたが、このときは青色の最後もしくは黄色の最初くらいのときに本件交差点を通過することができるという結果が得られた。
(三) 右のとおり、反訴被告の指示説明ないし供述は、本件交差点進入時の対面信号は青色であつたする点は終始一貫しているが、本件交差点に至るまでの信号の表示及び加害車の走行状況については、右折後最初に停止した交差点が変わつたのみならず、当初は、右折後本件交差点に至るまでに一回停止したに過ぎないのに、その後二回停止したと変更していることは軽視しえない供述の変遷であり、しかも本件交差点進入時の信号が青色であつたことが認められやすい方向に供述が変わつていることに照らすと、これらのことは反訴被告の供述の信用性を損なう事情と評価するのが相当である。
これに対し、反訴原告は、本件事故直後、病院で父親に青色信号に従つて本件交差点に進入したと説明したのみならず、当日行われた実況見分の際にもその旨を指示説明し、昭和六二年一二月に行われた警察の取り調べに際しても同様の供述をしていたことが認められる(乙三号証、反訴原告本人平成二年三月二〇日付本人調書〔以下「反訴原告本人<1>」という。〕<1>19~23項、反訴被告本人<1>16、63項)
(四) 以上の点を比較、対照すると、本件において、青色信号を確認して本件交差点に進入したとの反訴原告の供述は信用することができるというべきであり、反訴被告が対面の信号表示が赤色であつたにもかかわらず、本件交差点に進入した可能性が大きいと認められる。
3 反訴被告の責任
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、反訴被告の免責の主張は理由がないというべきであり、反訴被告は、自賠法三条に基づき、反訴原告に生じた損害を賠償する責任がある。
二 相当な治療期間(症状固定時期)並びに後遺障害の有無、程度
1 反訴原告の受傷内容、症状及び治療の経過
前記第二の一3の争いのない事実に、証拠(甲三号証、乙一ないし二五号証、証人朝倉保、反訴原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 反訴原告は、本件事故後直ちに東住吉森本病院で診察を受けたところ、右肩、右肘、右足関節、右第一趾、両手関節、左足関節等に打撲、擦過傷が認められ(ただし、右の各部位に骨折や運動制限は認められなかつた。)、湿布、消毒の手当てがなされた。そして、反訴原告は、本件事故で後頭部を打撲し、頭痛のほか、首を屈曲するとふらふらする、軽度の嘔気があるなどと訴え、大後頭神経の圧痛やレントゲン所見で頸椎の第二番から第五番にかけて軽度のずれ等が認められたが、意識消失はなく、神経学的な異常も認められなかつた。
(二) 反訴原告は、その翌日も頸部痛や嘔気を訴え、同病院の朝倉医師により、できるだけベツド上で安静にしているよう指示されたうえ、頸部の湿布、消炎鎮痛剤の投与等の治療を受けた。そして、同月三〇日には頭痛が増強したと訴え、頸部の圧痛も強かつたが、頭部のCT検査では異常はなく、同年一〇月七日の診察では、反訴原告は前頭、両側頭等に強い痛みがあると訴えたものの、頸部の圧痛は好転し、頸部の運動制限もほとんどないと診断された。なお、この日の診察の際、反訴原告は、左足の痛みも徐々にとれてきたと述べていた。
その後、同月一四日の診察で、反訴原告に対してそろそろ体操開始という指示もされたが、反訴原告の頭痛は持続し、高校(当時三年生)も休むようになつていた。しかし、朝倉医師は、同月二一日の診察の際、授業に一時間でも出て徐々に体を慣らすように指示し、同日から頸椎の牽引治療が開始されたが、反訴原告は、授業は一時間受けるのがやつとであると訴え、しばしば学校を休んでいた。
反訴原告は、その後も、頸部痛、頭痛等を訴えて通院を重ねていたが、その治療は、内服薬の投与、湿布、頸椎の牽引が主なものであり、その後、理学療法として牽引治療に加えてホツトパツク治療が始められたが、後記症状固定の診断がなされるまで治療内容に大きな変化はなかつた。
(三) なお、反訴原告は、昭和六二年九月二九日、大阪府立病院で診察を受けて頭部外傷Ⅱ型、外傷性頸部症候群と診断され、(乙二四号証)、また、同年一〇月九日には、富永脳神経外科病院で診察を受け、頭部、頸椎、腰椎等のレントゲン検査、CTスキヤン等を含む諸検査のほか、静脈注射、内服薬の投与、湿布、理学療法、ホツトパツク等の治療を受けている。
(四) 反訴原告の症状は、昭和六三年一月六日には一進一退とされたが、その後も東住吉森本病院に通院して頸部痛、頭痛、眩暈、吐き気、目の霞み等を訴え、その訴えは日によつて異なることが多かつたが、全体としてみれば、その不定愁訴ともいうべき訴えは次第に少なくなり、平成元年九月一六日、朝倉医師により、頭痛、頸部運動痛、霧視(ときどき)等の自覚症状を残して症状が固定した旨診断された。
2 相当な治療期間
(一) 前記のとおり、反訴原告は、身体各部に傷害を負つたが、頸部捻挫以外の症状はほどなく軽快治癒し、その後は頸部捻挫に起因すると考えられる頭痛、頸部痛等の症状を訴え、長期の治療を継続したものと認められる。そして、反訴原告の訴える頸部に関する症状は、他覚的諸検査や神経学的な異常の認められない自覚症状主体のものであること(なお、前記のとおり、受傷直後のレントゲン検査で頸椎のずれがあるとされたが、その後、朝倉証言によれば、朝倉医師は反訴原告には頸椎に異常を認めておらず、前記の頸椎のずれはごく僅かなものであつたか、受傷後ほどなく消失したものと推認される。また、乙一号証によれば、大阪赤十字病院におけるレントゲン検査の結果、頸椎第一番から第二番に左方偏位ありとされているが、その検査の時期や東森本住吉病院におけるレントゲン検査の結果に照らすと、本件事故との関係は不明というべきであり、本件事故による他覚的所見とすることはできないと認められる。)、その他、前記症状及び治療の経過並びに朝倉医師の所見(朝倉証言11丁)を併せ考えると、反訴原告の受けた頸部捻挫は、頸部軟部組織の損傷型の比較的軽度のものであつたと認められる。
そして、このような傷害を受けた場合、一般的には、日常生活に復帰させて適切な治療を施せば、比較的短期間の治療により、多少の自覚症状が残されても、通常の生活が可能となるものと考えられるところ、反訴原告は、昭和六二年一〇月下旬以降、消炎鎮痛剤の投与のほか、ほぼ同内容の理学療法を継続して受けたにもかかわらず、その訴える症状に大きな改善は見られず、右治療は反訴原告の愁訴に応じた対症療法の域を超えないものと評価することも可能である。
(二) しかしながら、頸部捻挫によつて発生する症状は、右の身体的原因によつて起きるのみでなく、外傷を受けたという体験によりさまざまな精神症状を示したり、患者の性格、家庭環境等の社会的条件等によつても影響を受け、治療が遷延化する例も稀ではないところ(当裁判所に顕著な事実である。)、前記症状及び治療の経過に、反訴原告は訴えの多い痛がりの患者であるうえ、通常の鞭打ち患者と比較しても反訴原告は依頼心が強く、自分で頑張ろうという気の少ない積極性に欠ける患者であること(朝倉証言7丁等)、また、前記のとおり、反訴原告の訴える症状は、一進一退を繰り返していたものであるが、全体としてみれば、その症状に改善が見られたものであることを考慮すると、反訴原告のような患者に対する前記治療がまつたく不必要、不相当であつたとも認めがたく、以上の諸点を考慮すると、反訴原告の症状は、前記症状固定と診断された平成元年九月一六日頃に固定したものと認めるのが相当であり、それまでの期間が本件事故と相当因果関係に立つ治療期間というべきである。
3 後遺障害の有無、程度
前記のとおり、症状固定の診断がされた当時、頭痛、頸部の運動痛等の症状が残されたところ、これらの症状は、神経学的異常等の認められない他覚的所見の乏しい自覚症状中心のものであり、当時、頸部の運動制限があるとされているが、それは自動についての検査結果で、正確には頸部の運動痛ともいうべきものであること、その後、大阪赤十字病院で後遺障害の診断を受けた際にも、特段の他覚的な異常所見は認められておらず、頸部の運動制限は相当程度改善していること(乙二号証、朝倉証言33丁)を併せ考えると、本件後遺障害は、後遺障害別等級表一二級一二号にいう「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当すると認めることはできないというべきである。
しかしながら、前記のとおり、反訴原告には長期間の治療にもかかわらず、頭痛、頸部の運動痛の自覚症状が残され、また、頸部、肩筋群に圧痛が認められ(乙一、二号証)、しかも、これらの症状が単なる故意、誇張ではないと認められるので、本件後遺障害は同表一四級一〇号にいう「局部に神経症状を残すもの」に該当すると認めるのが相当である。
二 損害額
1 治療費〔請求額一六三万四四三五円〕 一六四万六四三五円
(一) 東住吉森本病院分〔請求額一五四万五一二〇円〕 一五五万五一二〇円
乙四ないし二三号証によれば、東住吉森本病院における昭和六二年九月二七日から平成元年九月一六日までの治療費として合計一五五万五一二〇円を要したことが認められる(なお、前掲各証拠と甲六号証によれば、反訴原告は、右治療費のうち、反訴被告から支払いを受けた一万円を控除して請求していると認められるが、本件においては、同病院における治療費の全部を反訴原告の損害に計上し、後記のとおり寄与度減額をするのが相当である。)。
(二) 大阪府立病院分〔請求額六〇一五円〕 六〇一五円
乙二四号証によれば、大阪府立病院における治療に右費用を要したことが認められる。
(三) 富永脳神経外科病院分〔請求各八万三三〇〇円〕 八万五三〇〇円
乙二五号証によれば、富永脳神経外科病院における治療のために八万五三〇〇円を要したことが認められる(なお、前掲証拠と甲一一三号証によれば、反訴原告は、右治療費のうち、反訴被告から支払いを受けた文書料二〇〇〇円を控除して請求していると認められるが、前記(一)と同様の理由により、本件事故による損害として計上することとする。)。
2 交通費〔請求額九万四九九〇円〕 八万四二八〇円
証拠(乙二六号証の一ないし一四七、反訴原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、反訴原告は、昭和六二年九月二九日から昭和六三年二月二六日までの間、前記通院及び通学にタクシーを利用し、右合計金を要したことが認められるところ(なお、乙二六号証の二四、九一、九二、一四四、一四五によつて認められるタクシー利用は、その金額に照らし、通院又は通学のために要した費用であるか疑問が存するので計上せず、また、同七三、一〇六、同一三二、一三三については、利用日及び利用区間が不明であるので計上していない。)、前記症状の経過、特に反訴原告の訴えていた症状の程度、タクシーを利用した期間等に照らすと、反訴原告が右のとおり通院又は通学にタクシーを利用したことをもつて直ちに不相当とも認めがたく、本件事故による相当損害に含めることとする。
3 休業損害〔請求額二四三万六二五六円〕 一二一万五八一二円
(一) 証拠(甲三号証、反訴原告本人)によれば、反訴原告は、昭和六三年三月に高校を卒業したが、就職はせず、また、自宅で母が美容室を経営していることから、美容学校に入学する希望を有していたが、これも断念し、自宅にいて治療を継続していたこと、右卒業後ほどなくして家事を手伝い始めたことが認められる。この点について、反訴原告は、平成元年九月まで炊事等の家事はできなかつたと供述するが(反訴原告本人<1>35項)、一方で、医師に対して、昭和六三年六月八日に家事手伝い中であると述べたり、平成元年二月八日には掃除、食事の片付け、洗濯等の家事をしていると述べ、また、同年五月二四日には家事は大分できると述べていること(甲三号証<14>、<17>、<19>)が認められ、右供述部分は信用することができず、前記症状の内容、程度に照らすと、反訴原告の症状が現実にそれほど重いものであつたとは考えられない。
(二) 前記の事実によれば、反訴原告は、前記症状及び通院治療によつて就労を制限され、昭和六三年四月以降、症状固定とされた平成元年九月一六日までの約一七・五か月間、そのことによる休業損害を被つたと認められるところ、前記症状の内容、経過及び通院状況、治療内容(ときどきの投薬と理学療法のみである。)等を考慮すると、反訴原告については、右期間中平均して五〇パーセント程度その就労を制限されていたものとして休業損害を算定するのが相当であり、それが本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。
そして、前記事実に照らすと、反訴原告の休業損害を算定するに当たつては、昭和六三年賃金センサス産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の一八歳から一九歳の平均年収額一六六万七四〇〇円を基礎とするのが相当である(この点についての反訴被告の主張は採用しない。)。
したがつて、反訴原告が請求しうる休業損害は、次のとおり一二一万五八一二円(一円未満切捨て。以下、同じ)となる。
(算式)
1,667,400÷12×17.5×0.5=1,215,812
4 後遺障害による逸失利益〔請求額一一一万九六一六円〕 二一万六三三一円
前記の反訴原告の後遺障害の内容、程度に照らすと、反訴原告は、本件後遺障害により、症状固定とされた日から二年間にわたり、その労働能力を五パーセント程度喪失したものと認めるのが相当である。
そこで、平成元年賃金センサス産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の二〇歳から二四歳の平均年収額二三二万四四〇〇円を基礎とし、ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故当時の逸失利益の現価を算出すると、次のとおり二一万六三三一円となる。
(算式)
2,324,400×0.05×1.8614=216,331
5 慰謝料〔入通院分一二一万円、後遺障害分一八八万円〕 一五〇万円
以上認定の受傷の内容及び程度、症状及び治療の経過、その他諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて反訴原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、入通院分及び後遺障害分を合わせて一五〇万円とするのが相当である。
(以上1ないし5の合計 四六六万二八五八円)
三 寄与度減額
前記のとおり、本件事故による受傷及びこれに起因して反訴原告に生じた損害は、本件事故のみによつて通常発生する程度、範囲を超えているものというべきところ、本件においては、依頼心が強く、自分で頑張ろうという気の少ない積極性に欠けるといつた反訴原告の性格等の心因的要因によつて治療が遷延化したこと、また、反訴原告又は両親の希望により、不必要ともいえる検査等がなされていること(朝倉証言)等の事情があり、これらの事情のもとでは、反訴原告に生じた損害の全部を反訴被告に負担させることは公平の理念に照らし相当ではないと考えられる。
したがつて、本件の損害賠償額を定めるに当たつては、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した分を控除するのが相当であるところ、前記諸事情を考慮すると、本件においては、その損害額の二割を控除するのが相当である。
右によれば、反訴原告が請求しうべき損害額は、三七三万〇二八六円となる。
四 過失相殺
前記一で認定したとおり、本件証拠上、反訴原告において対面信号が赤色であるにもかかわらず本件交差点に進入したとまでは認められず、その他、前記認定の事実に照らすと、反訴原告に本件事故発生について落ち度があるとして過失相殺をすべき事情は認められないというべきである。
五 損害の填補
1 証拠(甲五ないし一一三号証)によれば、本件交通事故による損害賠償として、反訴被告が次のとおり支払つたことが認められる。
(一) 治療費 九万八二二五円
(1) 東住吉森本病院分 一万円
(2) 大阪府立病院分 二九二五円
(3) 富永脳神経外科病院分 八万五三〇〇円
(二) 通院交通費等 一六万四三七〇円
2 したがつて、右合計金二六万二五九五円を前記損害額から控除すると、反訴被告が反訴原告に賠償すべき残損害額は、三四六万七六九一円となる。
六 結論
以上のとおりであるから、反訴原告の請求は、反訴被告に対し三四六万七六九一円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年九月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当であるから、主文のとおり判決する。
(裁判官 二本松利忠)
別紙図面(1)
<省略>
別紙図面(2)
<省略>