大阪地方裁判所 平成20年(ワ)10242号 判決 2013年3月06日
三重県伊勢市<以下省略>
原告
X1
三重県伊勢市<以下省略>
原告
X2(亡Bの母)
大阪府吹田市<以下省略>
原告
X3(亡Bの配偶者)
上記3名訴訟代理人弁護士
岩城穣
同
中島光孝
同
上出恭子
同
村本純子
東京都千代田区<以下省略>
a公庫訴訟承継人
被告
株式会社Y公庫
同代表者代表取締役
A1
同訴訟代理人弁護士
冨田武夫
同訴訟復代理人弁護士
山畑茂之
主文
1 被告は,原告X1に対し,1959万5050円及びこれに対する平成17年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告X2(亡Bの母)に対し,1959万5050円及びこれに対する平成17年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告X3(亡Bの配偶者)に対し,4960万3145円及びこれに対する平成17年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は,これを2分し,その1を被告の負担とし,その余は原告らの負担とする。
6 この判決は,第1項ないし第3項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告X1に対し,3198万8000円及びこれに対する平成17年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告X2(亡Bの母)に対し,3198万8000円及びこれに対する平成17年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告X3(亡Bの配偶者)に対し,1億1587万1000円及びこれに対する平成17年7月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 仮執行宣言
第2事案の概要
1 本件は,被告被承継人a公庫(以下「公庫」という。)の従業員であった亡B(以下「亡B」という。)が,自殺をした原因は,公庫における過重業務により精神疾患(うつ病)を発症したことにあるとして,亡Bの相続人である原告らが,公庫に対して,安全配慮義務違反(民法415条)又は不法行為(民法709条)に基づき,損害賠償を請求した事案である。
なお,株式会社日本政策金融公庫法附則16条1項により,公庫は,本件訴訟係属中の平成20年10月1日,解散したが,同日成立した株式会社Y公庫に権利義務が承継され,本件訴訟を承継した(民事訴訟法129条)。
2 前提となる事実
(1) 当事者
ア(ア) 亡Bは,昭和41年○月○日生まれの男性で,平成17年7月7日午前3時ころ,うつ病の発症に伴って生じる希死念慮により自殺した(以下「本件自殺」という。)。(争いなし)
亡Bの両親は,原告X1(以下「原告父」という。)及び原告X2(以下「原告母」という。)である。亡Bは,平成15年11月30日,原告X3(以下「原告X3」という。)と婚姻した(なお,原告X3は,婚姻により,原告母と同姓同名になった。)。(甲6の69頁)
亡Bの死亡により,原告X3は3分の2,原告父及び原告母は各6分の1の割合で,亡Bの権利義務を相続した。
(イ) 亡Bは,大学卒業後,平成2年4月1日,公庫に就職し,平成13年7月25日からは公庫の高松支店(高松市所在)で,平成17年4月1日からは公庫の長崎支店(長崎市所在)で勤務した。(争いなし)
イ 公庫は,農林漁業金融公庫公庫法に基づいて昭和28年に設立された政府系金融機関であり,農林漁業者等に対し,農林中央金庫その他一般の金融機関が融通することが困難な,農林漁業生産力の維持増進又は食料の安定供給の確保に必要な長期かつ低利の資金を融通することを目的として設置された。(争いなし)
(2) 労災認定
高松労働基準監督署長は,平成19年12月20日付けで,亡Bの本件自殺を業務災害と認め,遺族補償年金及び葬祭料の支給を決定した。(争いなし)
3 争点
(1) 業務とうつ病の発症との相当因果関係
(2) 公庫の安全配慮義務違反又は注意義務違反
(3) 過失相殺
(4) 損害額
4 争点に関する当事者の主張(以下,公庫の職員につき,姓のみで呼称することがある。)
(原告らの主張)
(1) 争点(1)(業務とうつ病の発症との相当因果関係)
ア 亡Bの従事した業務の過重性について
(ア) 公庫の貸出業務の特徴
公庫は,Y公庫に統合された平成10年4月1日まで,農林漁業を担当する日本で唯一の政策金融機関であった。
農林漁業の特性に配慮し,融資条件は,民間金融機関に比べ,返済期間が長期,利率が低利という特徴がある。また,政策金融であるため,融資に当たっての関係機関は多方面にわたっている。
農業関係の融資は,個別農家に対する資金(個別資金)と基盤整備資金とに分けられる。特に,農業経営基盤強化資金(以下「スーパーL資金」という。)等の個別資金の融資業務は行政機関や系統金融機関などの関係機関との調整が必要となり,審査手続が複雑で慣れるのに時間を要する業務であった。
高松支店では,平成16度は支店全体で80億円の融資を目標としていた。
(イ) 筆頭調査役の業務
公庫においては,課において経験年数の一番長い調査役を筆頭調査役と呼び,筆頭調査役は,担当者としての業務以外に課全体に共通する業務の取りまとめや,担当が決まっていない業務を担当することになっていた。
(ウ) 高松支店業務第一課で亡Bが担当した業務
亡Bは,平成16年4月1日から平成17年3月31日まで,前記の筆頭調査役としての仕事のほか,担当地域である香川県の融資業務を担当した。平成16年度中に実行払出を終えた案件は6件であり,スーパーL資金,維持安定資金,災害復旧資金等の個別資金であった。亡Bが相談から開始した担当案件は7件,融資金額は合計4億4784万円であった。これは,同僚のA2職員(以下「A2職員」という。)の担当案件より少なかったが,A2職員はすでに融資貸付のベテランであった。スーパーL資金を初めて担当する亡Bと既に3年以上担当しているA2職員とを,その件数や金額で単純に比較しても,亡Bの業務が過重であったかどうかを判断することはできず,亡Bの業務が過重であったかどうかは,亡Bが具体的に担当した業務の状況やその経過をみて判断されるべきである。
亡Bは筆頭調査役として,資金需要調査の取りまとめ,監事監査資料作成及び事業再生支援関連の調査を行った。
同年4月から同年10月までの融資業務として,主に融資先からの相談対応や既存貸付の事後対応,また関係機関との連絡調整等を,さらに台風による被害への相談対応等を行った。
同年7月から同年10月までの高松支店の入退室簿に亡Bが最終退出者として記載したのは,同年7月が3回(ただし亡Bの氏名が記載されていなくても亡Bも他の同僚とともに最終退出者であった可能性がある。),同年8月が1回,同年9月が4回,同年10月が4回であった。
平成16年11月から平成17年2月までは,亡Bは筆頭調査役として,デフォルト調査対応等をしたほか,この期間の融資業務においては,台風,鳥インフルエンザによる被害対応,b産業の案件に関する事務の多さ等イレギュラーな対応を余儀なくされる事態が増加した。特に亡Bには,平成17年1月19日に高松支店に送信された匿名の苦情のファックスへの対応として,同月24日,送信者と目された坂出市のみかん農家を訪問して釈明する等,担当者としての少なくない心理的負荷がかかった。融資の起案作業が集中する時期を控えて,同年2月はますます多忙になった。亡Bの支店からの最終退出は,入退出簿によれば,平成16年11月は5回,同年12月は8回,平成17年1月は7回,同年2月は10回であった。亡Bが,同年3月に行った主担当としての貸付起案は5件で,同年3月の亡Bの最終退出は14回であった。
亡Bの業務は,平成16年11月から平成17年3月になるに従い多忙になった。亡Bは,平成16年11月から平成17年2月にかけて,特に,同年3月にかけて,昼食をともにするなどの同僚との付き合いもできないほど業務に追われ,同年3月中旬にその業務の多忙さ,逼迫性がピークに達した。
亡Bは,積極的に,かつ,丁寧に農業融資の仕事に取り組もうとしたが,高松支店の融資目標の有形無形の圧力のもと,農協や信連,また,行政機関との連絡調整や,融資先への対応の機微をつかめず,業務量の多さから,機転のきいた対応ができなくなり,次第に業務の重圧に堪え得ない状態になった。
(エ) 長崎支店業務第一課で亡Bが担当した業務
亡Bは,長崎支店への赴任当初,高松支店での業務により疲労していたが,その疲労を回復させる暇がなかった。
亡Bは,長崎支店でも業務第一課に配属され,筆頭調査役として農業融資を担当した。長崎支店では,労働時間について,午後8時を目処に帰る取組及び水曜日には定時に帰る取組をし,残業は規制されていた。また,公庫として初めての金融庁の検査対応があり,亡Bは,平成17年5月に,金融庁検査のための準備を行った。長崎支店においては出張先が遠方であり,一回の出張で複数の融資先等を訪問しなければならないこと,そのための事前準備をしなければならないこと,訪問後は顧客接触記録の作成をしなければならないこと,同僚の休暇に伴う同人の担当案件の割振りから,業務には時間が多く必要であった。
平成17年6月20日に,公庫の改革に関する意見を求められたとき,亡Bが述べた意見が支店長の不興を買い,亡Bは,支店長から厳しい指摘を受けた。亡Bは,同年6月23日ころ,「農業新規参入を支援するための融資相談体制の整備について」に伴う農業新規参入融資相談窓口を一人で担当するよう指示された。
高松支店時代の疲労が回復しないまま,同年4月は通常の業務を行い,同年5月は金融庁検査対応に時間を割かれ,融資業務にも本格的に取り組み,そして同年6月には遠方の出張をこなし,何とか対応していた。しかし,そこに公庫の改革に関して支店長からの厳しい指摘を受け,改革に関連して新規参入融資相談窓口という新たな業務を付加されることになった。
亡Bは,同年7月に入ってから,特に業務に追い詰められた状態となり,同月6日に西海市に出張して長崎西彼農協であった負債整理資金実績検討会に参加し,帰店後複数の払出伺起案,同質権設定承認請求書調印伺の決裁受領,同抵当権設定証書写しの送付について決裁受領,農業新規参入相談窓口の進行状況等について課長との打合せなどを行った。
亡Bが従事した業務は,疲労した状態で長崎支店に赴任した亡Bにとっては過重なものであった。
イ 亡Bの従事した労働時間
(ア) 高松支店時代
後記のとおり亡Bが精神障害を発症したと推測されるころである平成17年3月10日以前の8か月間の週40時間を超えての時間外労働時間は,以下のとおりである。
発症前1か月
(平成17年3月10日から同年2月9日) 136時間54分
発症前2か月
(平成17年2月8日から同年1月10日) 120時間07分
発症前3か月
(平成17年1月9日から平成16年12月11日) 65時間10分
発症前4か月
(平成16年12月10日から同年11月11日) 124時間06分
発症前5か月
(平成16年11月10日から同年10月12日) 87時間35分
発症前6か月
(平成16年10月11日から同年9月12日) 64時間49分
発症前7か月
(平成16年9月11日から同年8月13日) 95時間40分
発症前8か月
(平成16年8月12日から同年7月14日) 124時間20分
平成17年3月11日以降についても,長崎支店に転勤する同月31日までの3週間の週40時間を超えての時間外労働時間は80時間13分になる。また,亡Bの名前は,この3週間に,入退出簿の入室欄に10回,退室欄に9回ある。
(イ) 長崎支店時代
長崎支店に異動後は,長崎支店における残業規制の下で労働時間そのものは減ったとはいえ,前記のとおり金融庁調査の準備や同僚の休暇に伴う同人の担当案件の割り振りなどによって業務が相当増加したことから,平成17年5月8日から同年6月6日までの所定労働時間を超えての残業時間が66時間48分にのぼった。
ウ うつ病の発症
(ア) 亡Bは,平成17年3月10日ころにはうつ病を発症していた。遅くとも同月末までには,うつ病を発症していた。
(イ) 亡Bのうつ病を裏付けるエピソードとして以下のものがある。
a 将来に対する希望のない悲観的な気持ちや無価値感,抑うつ気分
亡Bは,平成16年末には,会社を爆破したいというような不穏当な発言をしたり,平成17年1月ころには「めぇちゃん,めぇちゃんが御臨終です」とか,「X3に悲しいお知らせがあります」といった変な口癖をするようになった。
b 罪業感や自責感の高まり
平成17年正月に予定していた帰省が天候不良のためにできなかったことやバレンタインデーのころに原告X3に仕事を手伝わせたことに対し,しきりに謝っていた。
c 活動性の減退と易疲労感
亡Bは,①平成17年の正月休みに訪れた原告X3の実家で居眠りをし,②正月明けの三連休に亡Bの実家に帰省をした際,これまでなら必ず亡Bが車を運転をして行っていたのが,長距離運転がしんどいといって電車で帰省し,③平成17年1月22日,同月23日に亡Bが大阪を訪問して以降,大阪に来られなくなり,④原告X3が高松に行くときには最寄りの高速バスのバス停まで出迎えに来ていたのに,同年3月に入るとその出迎えがなくなった。
d 興味と喜びの喪失
平成17年1月以降,それまで必ず買っていたマンガを買わなくなり,バッティングセンターにも行かなくなった。
e 焦燥感
平成17年2月,原告X3に仕事関連の資料作成を依頼した際には,顧客のことを悪く言って,普段の亡Bからは聞いたことのないような悪態をついた。
同年3月の後半に入って,転勤に向けての準備についても,大変焦って要領が悪く段取りがつかない様子であった。
f 自信の低下
平成17年3月の転勤の辞令のころには,「自分は仕事が楽な暖かい地方に行きたい」と言ったり,それまで共働きが良いと言っていたのが「仕事を辞めてついてきておくれ」,「もう一人では耐えられない」といった気弱なことを言った。
g 小括
以上のように,平成17年1月ころ以降,亡Bにはうつ病エピソードを裏付ける各症状が出ており,亡Bは,同年3月10日ころないしは遅くとも同月末までには,うつ病を発症していた。
(ウ) 亡Bの元来の性格は,大らかで穏やかなで,後輩,同僚と仲が良く,原告ら両親や妻を大切にする思いやりのある優しい人物であった。しかし,平成17年1月以降「年度末に向けて忙しくなってきますと,だんだんその会話の受け答えなどが,ちょっと遅くなってくる,反応が鈍くなってくる,常に何かを考えているような雰囲気」,「帰る道中に,非常に苦しそうな表情をしている,何か考え込んでいる,そんな印象」,「顔がげっそりしている」などと亡Bの様子に変化があり,長崎支店で初めて一緒に仕事をすることになった上司や同僚は,亡Bの性格について,「おとなしい性格で口数が少ないという印象」,「比較的おとなしいという感じであるとか,黙々と仕事をするという感じで,存在感は余りなかった,後輩の面倒は余り見ない方だという印象」を持った。また,その印象は平成17年4月から死亡する同年7月上旬まで変わりがなく,同年6月以降に急速に変わったわけではない。
このように,亡Bの印象が高松支店と長崎支店とで全く異なっており,特に,亡Bの印象は転勤直後の未だ職場に馴染むまでの一時的なものではなく,同年4月以降亡Bが死亡するまで一貫していたことから,亡Bの様子は,平成17年1月ころと同年4月以後とでは,著しく変化していたことが明白である。
このことは,亡Bが,平成17年3月末以前に,うつ病に罹患していたことを裏付ける。
エ 業務とうつ病発症との相当因果関係
亡Bは遅くとも平成17年3月末までにはうつ病を発症したのであり,これが高松支店における恒常的な長時間労働,とりわけ平成16年11月から平成17年3月までの著しく長時間の過重労働によって引き起こされたものであることは明らかである。
(2) 争点(2)(公庫の安全配慮義務違反又は注意義務違反)
ア 使用者は,その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務を負っており,公庫もこのような義務を負っていた。
イ その具体的内容は,労働者の職種,労務内容,労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるところ,本件においては,①前提として亡Bの労働時間や業務の質的過重性を適切に把握すること,②業務量を調整したり適切な支援を行うことによって,労働時間が著しく長時間にならないようにし,またそれ以外の負荷要因を軽減すること,③既に疲労や心理的負荷等が過度に蓄積するおそれのある業務に従事している場合には,その結果として具体的に心身の健康を損なうことを防止すること(例えば精神疾患についてはメンタルヘルスの維持のための具体的な手当)などがあったと考えられる。
しかし,公庫は,従業員の労働時間の管理についてタイムカードやICカード等の客観的な記録方法を採らず,従業員が明らかに過少な申告をするのに任せていたのであり,使用者としての適正な労働時間把握義務を果たしていなかった(①)。また,亡Bが早朝から出社し,深夜まで居残っていることを認識しながら,それは生活スタイルであると評価して具体的な指示をせず,亡Bの事務処理の進捗が遅れていることを認識しながら,その原因は亡Bのスケジュール管理の不十分さにあり,仕事の分担を見直す必要はないと判断して見直そうともしなかった(②)。そして,平成16年度に公庫が高松支店で行ったメンタルヘルス対策としては,せいぜいクリニックを指定して相談に行くようにという案内の回覧をした程度にすぎなかった(③)。以上から,公庫の安全配慮義務違反,注意義務違反は明らかである。
ウ 公庫は,亡Bが約10年ぶりの農業部門の融資担当であり,以前に担当した年数も限られているため,不慣れであり,資金制度に対する知識が不足していることも認識していた。
そして,亡Bの上司らには,亡Bが早朝から出社し,深夜まで残っていたこと,業務の進捗が遅れていたこと,期限を守らない(守れない)ことは平成16年10月ころにはすでに明らかであり,さらにその後の改善もないことを認識していた。特に,業務第一課全体が年末から年度末に最終退室が増えていること,特に亡Bのそれが増えていることは当然認識し,又は認識し得た。このような長時間かつ過重な労働に従事し続けていれば,亡Bに疲労や心理的負荷が過度に蓄積するおそれがあることは,公庫において充分予見可能であった。
(3) 争点(3)(過失相殺)
ア 継続的な雇用関係下での指揮監督により事業活動で営利を得る過程で生じた本件のような安全配慮義務違反が問題となる事案では,過失相殺による減額は極めて限定的にされるべきである。指揮監督関係の下では,労働者においては長時間労働によるうつ病発症という本質的な損害発生要因を除去することはできない。また,過労による自殺の事案では,損害の発生にも拡大にも労働者の性格は寄与するものの,それが通常想定される範囲を外れない限り,使用者は予測でき,それに応じた措置が可能である。このような使用者の安全配慮義務違反の事案の特徴などからすれば,過重労働が認められる事案における過失相殺の類推適用は認められない。
イ また,被告の主張する過失相殺事由①の点については,亡Bは,長崎支店では,業務量が軽減されたわけではないのに,形式的な残業規制により労働時間だけが減らされたことで亡Bの心理的負荷が高まったのであり,仮に亡Bの几帳面で丁寧だという仕事面での傾向が亡Bの長時間労働に関与しているとしても,最高裁判決(最高裁判所第一小法廷昭和63年4月21日判決・民集42巻4号243頁)のいう「ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない」以上,減額事由とはなり得ない。同②の点については,亡Bがそのような不安感を抱いていたとする裏付けはない。また,そのような不安感はあったとしても,同僚らも抱いていたであろう一般的な受け止めにすぎず,これも,「ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない」ことは明らかであり,公庫の責任を減じる事情とはなり得ない。同③の点については,婚姻をした者が配偶者と同居するという結婚生活において至極当然のことは減額事由となりえない。
(4) 争点(4)(損害)
ア 逸失利益 1億2302万9000円
亡Bの給付基礎日額は2万5513円である。
亡Bの死亡前1年間に支給された賞与の額は229万5718円であるので,2万5513円に365を乗じ,これに229万5718円を加えた1160万7963円が年収となる。
そこで,亡Bの死亡逸失利益は,亡Bの死亡時,原告X3は専業主婦で,亡Bが一家の支柱であったこと,原告X3及び亡Bにおいて早晩子を産み,原告X3が専業主婦として家庭内を支える考えでいたこと,亡Bと原告X3夫婦の当時の年齢や状況を考えると,その蓋然性は高かったといえることから,生活費控除を30パーセントと考え,死亡時38歳で67歳まで29年間就労可能であるとしてライプニッツ係数15.141とし,1億2302万9000円(=1160万7963円×0.7×15.141。ただし,1000円未満切捨て)となる。
イ 死亡慰謝料 5000万円
ウ 葬祭料 150万円
エ 小計 1億7452万9000円
オ 相続
原告X3は,前記エの3分の2である1億1635万2000円(1000円未満切捨て),原告父と原告母は,それぞれ6分の1ずつである2908万8000円(1000円未満切り捨て)を相続した。
カ 損益相殺
原告X3は,遺族補償年金を平成21年3月までに合計1101万0411円受給し,平成21年4月から平成24年11月28日までに合計1052万5473円受給した。
キ 弁護士費用
原告X3につき1053万円,原告父及び原告母につき各290万円が相当である。
ク 原告X3の損額額は1億1587万1000円,原告父及び原告母の損害額は各3198万8000円となる。原告らは,安全配慮義務違反ないし不法行為に基づき,これらの各金額とこれらに対する亡B死亡の日である平成17年7月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
(1) 争点(1)(業務とうつ病発症との相当因果関係)
ア 亡Bの従事した業務の過重性
(ア) 高松支店及び長崎支店の業務量
公庫の事業内容が農林漁業者への政策融資であることから,これに従事する公庫職員の業務の中心は,融資に係る一連の業務を遂行することであるので,職員が処理すべき業務量は,融資実績(融資件数,融資金額)に概ね比例する。
公庫全体の融資実績の推移をみると,昭和28年の発足以来,融資実績は逐年増加していき,昭和40年代,50年代にかけてピークに達したものの,農林漁業従事者の高齢化や減少に伴いその後は急速に減少していった。これに対し,職員数は融資業務の増加に合わせて増強していき,昭和40年代後半から同50年代は940名超の人員体制となっていた。しかし,その後の融資業務の減少期においてはそれほどの減員をしていなかった。
したがって,従前と比較して審査手続の複雑化,関連する業務の増加といった事情が存することを考慮しても,平成16年度,平成17年度当時,職員の1人当たりが担当する業務量は大幅に減少していた。公庫はその融資業務に必要かつ十分な人数の職員を配置していた。
公庫の支店の中にあっても,亡Bが配属された高松支店及び長崎支店の融資実績は,全支店平均を下回っており,両支店は配置された職員数と対比して職員1人当たりの業務量が大幅に少なく人員体制に余裕のある支店であった。
公庫全体における長期的な融資実績の減少傾向と平成16年度,平成17年度当時の高松,長崎両支店における職員の配置,職員1人当たりの融資実績の実態によれば,客観的にみて,両支店における職員1人当たりの業務量は適正かつ余裕があり,過重な要素は全くなかったことが明らかである。
(イ) 亡Bが高松支店で従事した通常の業務について
亡Bは,高松支店で,平成16年4月1日から農業融資の担当である業務第一課の所属となった。亡Bは,鹿児島支店当時に約3年間農業融資を経験しており,入庫後14年を経たベテラン職員であったから,農業融資は,亡Bにとって負担となるような特別な業務ではなかった。業務第一課への異動は,亡Bの農業融資を担当したいという希望にも合致するものであった。
亡Bは,公庫職員として平均的な能力・適性を備えた職員であり,人事考課においても,概ね平均的な評価を受けていた。亡Bは,入庫年次に相応した昇進,昇格をしていた。
高松支店業務第一課は,所管する香川,徳島及び高知の各県別に担当者を分けており,亡Bは,平成16年4月から平成17年3月までの1年間,入庫年次が9年後輩のA2職員らとともに香川県を担当した。亡Bは,融資業務以外に,既往貸付先の管理業務,顧客訪問,資金需要調査,会議への出席,業務総合推進会議,資産査定といった関連業務を担当した。同課では,各課員がそれぞれ分担する業務の進捗状況を毎月定期的にA3課長(以下「A3課長」という。)に報告し,課長が適正に処理されているかどうかを常に把握,管理しており,A4支店長(以下「A4支店長」という。),A5次長(以下「A5次長」という。)が出席する月1回の営業会議でも報告していた。同課長は,こうした管理状況を踏まえて,各課員の業務分担を指示,調整していた。亡Bの同課における中心的な業務は担当する香川県の顧客に係る融資業務であったが,亡Bの融資案件の処理状況は遅れがちであった。そこで,A3課長は,このような処理状況を考慮して亡Bに対する融資案件の割当てを減らして計7件とし,同じく香川県を担当するA2職員には計14件を担当させた。業務第一課のその他の職員が平均12件処理していることと比較しても,亡Bの処理件数は相当少なかった。亡Bは,これらの融資案件を通常の手続に従って処理をしていた。個々の融資案件の処理過程において特段の問題や異常なトラブルが発生したことはなかった。
亡Bは,毎年,自己申告書を作成して公庫に提出していたが,それによると,亡Bは,高松支店における担当職務に対する満足度,能力,適性について概ね問題がない旨記載し,身体的負担やストレスについても特段の問題がない旨記載しており,当時担当していた業務について格別の負担感を抱かずに処理し,心身に強いストレスを受けていなかった。
高松支店の入退室簿によると,亡Bは,同支店に始業時刻の1時間以上前である午前7時30分前後に入室することが少なからずあったが,これは,同支店の管理者の業務指示によるものではない。亡Bは当時のA4支店長に対し,早出出勤を同人の「生活スタイル」である旨説明していた。亡Bの早出出勤は,業務第二課に在籍していた平成15年当時から行われており,平成16年4月1日に業務第一課に異動した後も続いていた。公庫の業務は年度単位で運営されており,各課とも年度後半に次第に繁忙となるが,こうした業務の繁閑にかかわらず,亡Bは,1年を通じて早出出勤をすることが多くあった。亡Bはこの始業時刻前の自主的な早出出勤について残業と申告していなかった。
貸付審査は,公庫所定の審査事項を調査し,それに基づいて融資の可否や担保の徴求を判断するものであり,担当職員の時間の使い方の裁量の余地が大きい業務であるから,非効率な時間の使い方をすれば,処理に要する時間はそれだけ長くなる。亡Bが高松支店業務第一課において担当した融資案件の件数や関連業務の処理内容からすれば,亡Bが早出出勤をしなければ担当した業務を処理できないような状況になかった。亡Bの高松支店における在所時間の長さと業務量とは比例するものではない。亡Bの在所時間の長い勤務態様は,同人の性格からもたらされる生活習慣(本人の言によれば「生活スタイル」)によるものであって,業務の過重性を裏付けるものではない。
以上のとおり,亡Bは,高松支店に在籍していた平成16年度当時,亡Bの処理状況を配慮した業務配分により,同僚職員の半分程度の7件の融資事案しか担当していなかったのであり,それに伴い関連業務も少なかった。亡Bの業務は客観的に軽減されており,亡Bが過重,過大な業務を割り当てられていた事実は存しない。また,亡Bが高松支店において従事した融資業務やその関連業務に関して,著しいストレスを受けるような異常・異例な事態が生じた事実も存しない。
資金需要調査の取りまとめ業務については,亡Bは,筆頭調査役であり,各担当者が作成した資金需要調査の資料の取りまとめを担当していたが,業務第一課の資金需要額の決定については課長が行い,支店全体については支店長が決定していたのであり,筆頭調査役が必ず担当しなければならないような難度の高い業務ではなく,同業務における亡Bの負担が重かったという事実はない。
匿名ファックスへの対応は,A4支店長,A5次長及びA3課長が協議して対応を検討したものであり,亡Bに一人で対処させたものではなく,かつ,亡Bは一度相手方を訪問し説明しただけで相手方は納得し解決した。亡Bが強い精神的負担を感じるような経過ではなかった。また,公庫の落ち度と非難されるべき事情はなく,亡Bが事実上謝罪したわけでもない。
b産業に関する抵当権設定のパソコン登録作業について,平成17年2月にb産業に関する200筆以上の土地の抵当権設定の業務を亡Bが単独で行った事実はなく,平成16年度のb産業の融資に係る抵当権のパソコン登録作業が亡Bにとって大きな負担となるようなものではなかった。
b産業の担保物件売却に伴う繰上償還について,公庫としても繰上償還の額を平成17年3月末までに確定させるべき業務上の必要はなく,亡Bから本件を同年4月に引き継いだA6職員はその後何の問題もなく処理している。亡Bが格別責任を感じるような状況ではなかった。
亡Bが従事した平成16年度当時の高松支店における業務に関して,うつ病を発症させる程の質・量共に過大,過重な要素は何もなかった。
(ウ) 亡Bが長崎支店で従事した通常の業務について
平成17年4月1日以降,亡Bが勤務した長崎支店は長崎県のみを所管し,支店長以下19名の職員が配属された比較的小規模の支店であり,職員1人当たりの業務量は少なかった。亡Bは,農業融資の担当課である業務第一課の所属となった。長崎支店業務第一課には8名の職員が所属しており,A7課長(以下「A7課長」という。)が各課員に定期的に担当業務の進行状況を報告させて把握,管理し,その上で適正に業務を配分,調整していた。
亡Bは,長崎支店業務第一課において主に前任の調査役が担当していた融資案件を引き継いだが,死亡までの3か月間に担当した融資案件で貸付決定に至ったものは前年度に特別融資制度推進会議の認定を受けていた1件のみで,しかもそれは貸付決定の手続を担当しただけで,その他の業務は資金の払出しや融資相談程度にとどまっていた。金融庁受検などの関連業務について亡Bが大きな役割や責任を負担したこともなかった。
平成17年の金融庁検査では,平成16年3月期資産査定が対象となり,長崎支店の検査対象先は全部で38先であったが,亡Bが所属する業務第一課が担当する顧客は9先であり,そのうち6先は融資先として比較的問題のない土地改良区と農協であり,その他は3先であった。長崎支店の受検は平成17年5月19日と20日の2日間であった。受検のための資料として,長崎支店は検査官提出用資料と説明者の携行用資料を整備した。亡Bは,他の職員と分担して補足資料の作成や現地確認に関わった。亡Bが金融庁検査に関する業務に従事したのは合計7日間であり,これらの準備業務は,支店の職員で分担して行ったもので,亡Bの負担が特別に多かったことはない。亡Bは,受験のときは,支店待機組であり,待機組の責任者でもなければ連絡窓口でもなかった。
長崎支店には臨店検査が実施されることはなかった。亡Bは金融庁の臨店検査があったとしても,矢面に立って対応することは全く予定されていなかった。
農業新規参入融資相談窓口の業務については,亡Bが窓口担当に指名されたが,相談窓口対応者の具体的業務は,電話又は来店による相談があった場合の初期対応と本店への定期報告取りまとめ等の軽微なもので,亡Bが同年7月7日に死亡するまでの間に実際に相談者の対応をしたことは1件もなかった。
亡Bが死亡するまでの間に相談窓口の業務に関して亡Bに具体的な負担はなかったのであり,亡Bが格別に負担を感じるような状況でもなかった。
これらの融資業務や関連業務を亡Bが遂行するに当たり,特に問題となるような異常,異例な出来事はなかった。
このように,長崎支店業務第一課において担当した業務は,亡Bにとっては慣れた農業融資であり,年度当初で融資案件も少なく,精神的,身体的に格別の負担となる業務ではなかった。
長崎支店では,当時,職員の労働時間を適正に管理するとの方針に基づき,事前の慎重な検討,対策を経て業務の効率的処理などにより無用な時間外労働を抑制することに努めていた。その一環として,事務所の入退室に必要な警備カードを課長以上の管理職しか持っていなかった。そのため,亡Bは早出出勤をすることはなかった。また,終業後の時間外勤務も原則午後8時までとし,かつ,管理職が最後まで残って職員の退出を確認して施錠しており,亡Bは管理職よりも先に退室していた。同支店は,休日勤務を命じていなかった。
亡Bが従事した法定時間外労働時間は,1か月平均で11時間半程度にとどまっており,長時間労働の実態はなかった。また,その他の関連業務においても,過重な負担を受けた事実はない。
以上の次第で,長崎支店においても,亡Bが従事した業務に過大,過重な要素はなかった。
(エ) 以上のとおり,亡Bが平成16年度の1年間高松支店で従事した融資業務について過大,過重な要素は存せず,亡Bが業務において精神的,身体的に著しい負荷を受けていた事実は認められない。平成17年4月以降3か月間長崎支店で従事した融資業務については年度前半であったことからも業務は少なく,関連業務も含めて過大,過重な要素は何もなかった。
イ 亡Bの従事した労働時間
(ア) 亡Bの勤務日数及び時間外労働時間
平成16年7月1日から平成17年7月6日までの亡Bの勤務日数及び時間外労働時間(ただし,所定労働時間(7時間20分)を基準)は以下のとおりである。
a 平成16年7月から平成17年3月までの亡Bの勤務日数及び時間外労働時間
月間勤務日数
月間時間外労働時間
平成16年7月
21
11時間40分
平成16年8月
20
19時間20分
平成16年9月
20
14時間20分
平成16年10月
19
19時間20分
平成16年11月
20
15時間20分
平成16年12月
20
14時間
平成17年1月
14
13時間20分
平成17年2月
19
18時間
平成17年3月
22
14時間20分
平均
19.4
15時間31分
b 平成17年4月1日から死亡前日の同年7月6日までの亡Bの勤務日数及び時間外労働時間
月間勤務日数
月間時間外労働時間
平成17年4月
19
15時間40分
平成17年5月
18
33時間20分
平成17年6月
22
22時間35分
平成17年7月(~7/6)
4
8時間30分
平均(7月を除く)
19.7
23時間51分
c 以上のとおり,亡Bが高松支店及び長崎支店に所属していた平成16年度及び平成17年度の亡Bの月間勤務日数はいずれも20日を下回り,また,月間の時間外労働時間についても高松支店業務第一課に所属していた当時は平均15時間強に過ぎず,長崎支店業務第一課に異動した後も平均で月間24時間弱に止まっていた。
(イ) 亡Bの推定労働時間
セコムの警備システムの時刻等を参考にすると,亡Bが超過勤務命令票の記載とは異なる時間帯に時間外勤務をしていた可能性があるとしても,その労働時間は,終業時刻を特に記載のない場合を午後5時20分とすると,以下の程度である。
期間
労働時間
法定労働時間数
時間外労働時間数
平成16年7月分(H16.7.12~H16.8.10)
198時間
171時間25分
26時間35分
平成16年8月分(H16.8.11~H16.9.9)
173時間36分
171時間25分
2時間11分
平成16年9月分(H16.9.10~H16.10.9)
154時間27分
171時間25分
0分
平成16年10月分(H16.10.10~H16.11.8)
156時間51分
171時間25分
0分
平成16年11月分(H16.11.9~H16.12.8)
199時間
171時間25分
27時間35分
平成16年12月分(H16.12.9~H17.1.7)
175時間22分
171時間25分
3時間57分
平成17年1月分(H17.1.8~H17.2.6)
175時間58分
171時間25分
4時間33分
平成17年2月分(H17.2.7~H17.3.8)
212時間07分
171時間25分
40時間42分
平成17年3月分(H17.3.9~H17.4.7)
186時間16分
171時間25分
14時間51分
平成17年4月分(H17.4.8~H17.5.7)
136時間50分
171時間25分
0分
平成17年5月分(H17.5.8~H17.6.6)
192時間30分
171時間25分
21時間05分
平成17年6月分(H17.6.7~H17.7.6)
184時間35分
171時間25分
13時間10分
平均
178時間47分
-
12時間53分
セコムの解除時刻またはセット時刻をもとに亡Bの労働時間を推計すると,亡Bの時間外労働時間は一番長かった平成17年2月分でも40時間強にとどまっており,上記期間の平均でみれば月間13時間を下回っている。したがって,労働時間の面でも亡Bの業務に過重性が認められない。
また,高松支店勤務当時の亡Bの終業時刻を10時とすると,亡Bの労働時間の推計は,以下のとおりである。
期間
労働時間
法定労働時間数
時間外労働時間数
平成16年7月分(H16.7.12~H16.8.10)
238時間02分
171時間25分
66時間37分
平成16年8月分(H16.8.11~H16.9.9)
214時間52分
171時間25分
43時間27分
平成16年9月分(H16.9.10~H16.10.9)
177時間46分
171時間25分
6時間21分
平成16年10月分(H16.10.10~H16.11.8)
186時間20分
171時間25分
14時間55分
平成16年11月分(H16.11.9~H16.12.8)
228時間04分
171時間25分
56時間39分
平成16年12月分(H16.12.9~H17.1.7)
187時間57分
171時間25分
16時間32分
平成17年1月分(H17.1.8~H17.2.6)
179時間26分
171時間25分
8時間01分
平成17年2月分(H17.2.7~H17.3.8)
234時間27分
171時間25分
63時間02分
平成17年3月分(H17.3.9~H17.4.7)
197時間16分
171時間25分
25時間51分
平成17年4月分(H17.4.8~H17.5.7)
136時間50分
171時間25分
0分
平成17年5月分(H17.5.8~H17.6.6)
192時間30分
171時間25分
21時間05分
平成17年6月分(H17.6.7~H17.7.6)
184時間35分
171時間25分
13時間10分
平均
196時間30分
-
27時間58分
上記のとおり,亡Bが金曜日を除き,原則として高松支店において原則午後10時まで就業していたとの前提に立って亡Bの時間外労働時間を推計しても上記期間の平均は,月間の時間外労働時間は27時間58分にとどまっている。
念のため,高松支店勤務当時,亡Bが金曜日にも原則午後10時まで就業していたとすると,労働時間の推計は以下のとおりである。
期間
労働時間
法定労働時間数
時間外労働時間数
平成16年7月分(H16.7.12~H16.8.10)
242時間23分
171時間25分
70時間58分
平成16年8月分(H16.8.11~H16.9.9)
219時間02分
171時間25分
47時間37分
平成16年9月分(H16.9.10~H16.10.9)
180時間45分
171時間25分
9時間20分
平成16年10月分(H16.10.10~H16.11.8)
190時間36分
171時間25分
19時間11分
平成16年11月分(H16.11.9~H16.12.8)
233時間31分
171時間25分
62時間06分
平成16年12月分(H16.12.9~H17.1.7)
189時間22分
171時間25分
17時間57分
平成17年1月分(H17.1.8~H17.2.6)
180時間43分
171時間25分
9時間18分
平成17年2月分(H17.2.7~H17.3.8)
235時間57分
171時間25分
64時間32分
平成17年3月分(H17.3.9~H17.4.7)
198時間33分
171時間25分
27時間08分
平成17年4月分(H17.4.8~H17.5.7)
136時間50分
171時間25分
0分
平成17年5月分(H17.5.8~H17.6.6)
192時間30分
171時間25分
21時間05分
平成17年6月分(H17.6.7~H17.7.6)
184時間35分
171時間25分
13時間10分
平均
198時間43分
-
30時間11分
この場合でも,月間の時間外労働時間は30時間11分にとどまっており,平成16年10月から同17年3月までの6か月間の平均をみても33時間22分にとどまっている。また,平成16年7月から同17年3月までの9か月間の平均をみても36時間27分にとどまっている。
ウ うつ病の発症等
(ア) 亡Bのうつ病発症の時期について
高松支店勤務当時,亡Bには心身の異常を示す徴候は全く認められていなかった。これを裏付ける諸事情は以下のとおりである。
a 亡Bは,高松支店勤務当時,健康診断の受診等の機会に嘱託医に心身の不調を相談したり,訴えたことはなく,また,当時メンタルヘルスについて専門医や専門カウンセラーに相談できる体制になっていたが,それらにも相談することはなかった。亡Bは,健康診断で特段の異常を指摘されたことはなく,うつ病発症を示す重要な徴候の一つとされている体重の減少も認められなかった。
また,当時の亡Bの周りの上司,同僚らも,亡Bの心身に異常があるとの認識を全く持っていなかった。
b 平成17年3月当時,業務面においても日常生活においても,亡Bにうつ病を発症していたことを窺わせるような異常な言動はなく,亡Bは,むしろ高松支店での勤務や生活を楽しんでいた。
c 亡Bは,平成17年3月の異動直前も活動的で,原告X3においても,当時,亡Bの心身に異常があると思っていなかった。
以上の状況から,平成17年3月末まで在籍していた高松支店当時,亡Bがうつ病を発症していたことを窺わせる徴候は一切存在せず,当時,亡Bがうつ病を発症していたとは認められない。
長崎支店赴任後についても,平成17年4月から同年5月にかけては心身の異常を示す徴候は一切認められなかった。
しかし,同年6月中旬以降に亡Bに生じた事象についてみると,同月14日や同月30日の亡Bの送信メールは将来に対する極めて悲観的な内容で,亡Bの抑うつ気分を客観的かつ顕著に示すものである。また,亡Bが旅行を突然キャンセルしたいと言い出したことは,うつ病の思考制止(抑制)の症状によるものと解される。亡Bは6月下旬以降,顕著な睡眠障害に陥っており,特に早朝覚醒といううつ病に典型的な身体症状も出現している。自殺直前の同年7月上旬には食欲不振及び体重減少といううつ病に特徴的な身体症状が生じている。
これら亡Bに出現した精神症状及び身体症状はいずれも同年6月中旬以前には認められなかったものであり,亡Bのうつ病発症の時期を判断する上で重要なエピソードである。特に,睡眠障害や体重減少はうつ病に生じる典型的症状の一つであり,かつ,うつ病相の最初の症状として出現することが多いものである。同年6月下旬に睡眠障害(特に早朝覚醒)が生じ,急激に体重が減少したという事実は,亡Bのうつ病発症時期を判断する上で極めて重要な事実である。
よって,亡Bが高松支店に勤務していた平成17年3月までの間に亡Bがうつ病を発症していたとは認められない。上述のような亡Bの言動や心身の変化からすれば,亡Bがうつ病を発症したのは同年6月中旬と解すべきであり,その後,急速に症状が増悪して,同年7月7日の自殺に至ったものというべきである。
(イ) 亡Bのうつ病発症の原因について
前記のとおり,亡Bがうつ病を発症したのは長崎支店に勤務していた平成17年6月中旬であるが,その時点では高松支店を転出して既に2か月半を経過しており,就業環境も異なっていたから,亡Bのうつ病発症と高松支店での業務とは関係がない。亡Bが平成17年3月まで在籍した高松支店の業務第一課における担当業務が過大,過重であったとも認められず,その業務がうつ病発症の原因になったとは考えられない。
平成17年4月以降在籍した長崎支店における業務は,高松支店におけるよりもさらに業務量が少なく,個別の案件についても,特に問題となったようなものはない。したがって,亡Bは,長崎支店における業務の過重性からうつ病を発症したともいえない。
亡Bが長崎支店に赴任した平成17年4月以降,亡Bの就業環境や私生活に大きな変化が生じた。
① 平成17年4月に赴任した長崎支店は,職員の勤務時間を適正に管理する方針を取っていたため,亡Bは,高松支店と同じような生活スタイルで漫然と時間をかけて仕事をすることはできなくなった。亡Bにおいて,自分の思うように時間を使って仕事ができなくなったことからもたらされる焦燥感,ベテラン調査役としてのプライドの喪失感が次第に将来に対する悲観的感情を強くしていったものと解される。非効率に時間を掛けて仕事をする生活スタイルが身についてしまった亡Bにとって,長崎支店での勤務は「やりにくい」,「合わない」と強く感じられ,それが亡Bにとって,徐々に強い精神的ストレスになっていったものと解される。
② 公庫自体が行う改革,さらには政策金融改革が議論に上るなど,将来の公庫を取り巻く環境が大きく変化することが予想されたことから,亡Bの中で,公庫において窮屈で過ごしにくい未来が待っているような不安感が徐々に増大していった可能性がある。
③ 長崎支店赴任後,亡Bは,原告X3との同居を開始したことにより,生活のペースを自分自身だけで決めることが難しくなっていたと思われ,また,同居に伴う原告X3の退職により,一家の大黒柱としての責任の重圧を感じていたものと推察される。
これらによって,亡Bは精神的な強いストレスを受けるようになり,その精神状態は次第に疲弊していったものと解され,同年6月中旬のうつ病発症に至ったものと考えるのが妥当である。うつ病の発症に伴って生じる希死念慮は発症直後や回復期に多く認められるもので,亡Bの上記発症時期と自殺の時期とは,そうした希死念慮の現れ方と正に符合している。
(2) 争点(2)(公庫の安全配慮義務違反又は注意義務違反)
ア 安全配慮義務違反による損害賠償の前提としての過失の前提となる予見可能性の対象について,通説的見解は「損害発生の危険」と捉え「結果」に対する予見可能性が必要である。
そして,その予見可能性の程度については,抽象的な危惧感では足りず,具体的客観的な予見可能性が必要というべきである。
イ 本件における予見可能性の対象は,「亡Bのうつ病発症及びそれに伴う自殺」である。
本件では,亡Bの勤務状況は,結果に対する予見可能性の有無を判断する上での要素の一つに過ぎない。特に,本件においては,亡Bが自ら認めていたように「生活スタイル」としての始業時刻前の早出出勤があった。こうした公私の区別のつかない時間帯を含めて長時間労働と看做し,公庫の管理者がそのような出勤態様を認識,容認していたことをもって予見可能性があったということはできない。
ウ 亡Bが高松支店に在籍していた平成17年3月末までにうつ病を発症したことを否認する。公庫において,亡Bがうつ病を発症することを具体的,客観的に予見することは不可能であった。
その根拠は,(ア)農業融資に関する職員1人当たりの融資件数・金額は全支店平均を下回っており,余裕のある配置状況であったこと,(イ)亡Bの業務量は相当に軽減されていたこと,(ウ)業務第一課の職員間の均衡上,A3課長が亡Bに対する割当てをこれ以上軽減することは不可能であり,亡Bの平成16年度当時の業務量に関し,亡Bの負担が著しく過重であったという要素は全くないこと,(エ)亡Bが担当した融資案件やその他の関連業務において特別な事態や異常と認められる出来事が生じたこともなかったこと,(オ)亡Bの早出出勤による労働時間の形式的な長さと業務量とは当然には関連性を有しないこと,(カ)定期的な健康診断等で異常な徴候が認められたことはなく,その他,亡Bが体調不良を訴えて医師に受診したり,精神障害との診断を受けたり,治療を受けたりしたことはなかったこと,医師に何らかの相談をしたこともなかったこと,(キ)亡Bに勤怠はなく,問題行動もなかったこと,(ク)亡Bの自己申告内容にも問題とすべき記載はなかったこと,(ケ)日常生活を楽しんでいたこと,(コ)高松支店の管理者,同僚職員も,亡Bの様子が変わったといった認識が全くなかったこと,(サ)原告X3も,亡Bの心身の不調を認識していなかったことである。
すなわち,亡Bが高松支店業務第一課に勤務していた当時,その業務負担がうつ病を発症させる程に著しく過重であった事実は認められず,時間外勤務も著しく長かったとはいえず,また,上述したその他の諸事情に照らして亡Bに精神疾患の発症を窺わせる徴候は何も認められなかった。したがって,公庫において,亡Bが担当する業務によってうつ病その他の精神疾患を発症するおそれがあると予見することは不可能であった。
エ 亡Bが高松支店に在籍していた当時において担当していた融資業務やその関連業務によって亡Bが精神疾患(うつ症状)を発症することを予見することは不可能で,この点は,その後異動した長崎支店においても,当然のことながら同様であった。
よって,公庫の安全配慮義務ないし注意義務の前提となるべき予見可能性を欠いており,公庫が同義務違反の責任を負うべき理由はない。
(3) 争点(3)(過失相殺)
精神障害の発病には単一の病因ではなく,素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因が関与すると一般的に解されている。
したがって,労働者の精神障害発症につき,使用者に何らかの安全配慮義務違反や注意義務違反が認められる場合であっても,精神障害発症の成因の一つである個人側要因について何ら勘案することなく,全損害を使用者に負担させるのは公平を欠き,過失相殺法理を適用又は類推適用して,負担させる額を減じるべきである。
前記のとおり,亡Bは,長崎支店に異動した後の平成17年6月中旬にうつ病を発症したと解されるが,発症を誘引した可能性のある事情として,前記(1)ウ(イ)の①ないし③が考えられる。
以上のような適正な労働時間管理に対する不適合,将来の公庫に対する漠然とした不安感,原告X3との本格的な同居生活の開始といった事情は,業務と直接関係のない個人的要因というべきものであり,損害額算定に当たり斟酌すべき事情である。
したがって,公庫に何らかの安全配慮義務違反や注意義務違反が肯定される余地があったとしても,これらの諸事情を勘案の上,過失相殺の類推適用により相応の損害額の減額が認められるべきである。
(4) 争点(4)(損害)
ア 亡Bの死亡前1年間の賞与の支給額は認める。
その余の損害費目については否認又は争う。
イ 損益相殺
原告X3に対して,労働者災害補償保険給付金である遺族補償年金として2041万1655円,葬祭料として153万0780円がそれぞれ支給されており,これらは,損益相殺の対象となる。
また,原告X3に対して,遺族厚生年金として平成17年8月から平成24年10月まで計496万5400円が支給されている。これらは損益相殺の対象となる。
第3争点に対する判断
1 前提事実並びに後掲証拠(枝番のあるもので,特に断らないものは枝番すべてを含む。証人A8,同A9,同A4,同A3,同A2及び同A7につき,以下各姓のみで「証人A8」などとという。)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,これを覆すに足りる証拠はない。
(1) 公庫職員の勤務条件(乙2,3,54,86,証人A4)
ア 勤務時間,休憩,休日
勤務時間は午前9時から午後5時20分で,昼に60分の休憩があるので1日の就業時間は7時間20分であった。休日は日曜日及び土曜日,国民の祝日に関する法律に規定する休日並びに公庫が指定する1月2日,3日及び12月31日であった(乙2,3,証人A4)。
イ 時間外勤務
公庫は,業務上の必要に応じて時間外勤務,休日勤務を命じることができるとされていた(乙2)。
時間外勤務及び休日勤務については労働組合と次の内容で「時間外勤務及び休日勤務に関する協定(36協定)」を締結していた。その内容は,以下のとおりである。
(ア) 時間外勤務の上限
1日5時間,1月45時間,1年360時間とする。
特例として,1日15時間,1月100時間(年間適用回数限度6回),1年870時間とする。
(イ) 休日勤務の上限
月1回とする。
ウ 年次有給休暇など
年次有給休暇は,毎年1月1日から12月31日までの間に20日で,特別休暇として6月から9月までの間に7日間の夏季休暇が付与されていた(乙2,証人A4)。
(2) 公庫職員の労働時間管理
平成16年及び平成17年当時の公庫における職員の労働時間管理は,制度上,下記の方法によることとされていた。
ア 出勤
(ア) 「出勤簿」により,午前9時の始業開始時刻までに本人が記名又は押印して出勤を記録する。
(イ) 遅参の場合,連記式の「遅参簿」に本人が必要事項を記載し,上司が事後確認をして,総務課が出勤簿に記載する。
(ウ) 早退,外勤又は休暇の場合は,1回ごとの「服務届」に本人が必要事項を記載し,上司が承認ないし確認して,総務課が出勤簿に記載する。
イ 時間外勤務
(ア) 各職員ごとに「超過勤務命令票」により,上司がその必要性を見定めて命令する(乙54の1~12)。
(イ) 月間の実績時間は,超過勤務命令票の月間累計欄で確認するほか,人事部から送付される職員別超過勤務時間一覧表により確認する。
ウ 休日勤務
1回ごとの「休日勤務命令票」により,上司が事前に勤務時間や代休措置を定めて命令し,実績を総務課が出勤簿に記載する。
エ 出張
出張の場合,1回ごとの「出張伺」により上司が命令し,総務課が出勤簿に記載する。
(3) 公庫職員の健康管理体制
ア 定期健康診断
公庫は,年2回(上期と下期)の健康診断を実施していた。うち下期の健康診断おいて,30歳以上40歳未満の職員は「生活習慣病予防普通健診」を実施していた(乙56の1~7)。
イ メンタルヘルス対策
公庫には,勤務地ごとに専門病院と契約して職員が面接相談できる体制があり,また,平成16年1月5日からはメンタルヘルスについて専門カウンセラーと電話で相談できる体制ができ,これらの案内は職員にされていた(乙69,71~73)。
(4) 公庫の規模及び業務の内容
公庫は東京に本店,全国に22の支店があり,平成17年4月1日当時,雇用されている職員数は927人であった(乙1,86)。
公庫の融資資金としては,大別して農業融資,林業融資,漁業融資及び食品産業融資の4分野があり,農林漁業及び食品産業を営む事業者の経営改善,規模拡大,新たな事業分野の拡大など種々の投資ニーズに応じた比較的長期間の資金がある。農業融資に関する主要資金はスーパーL資金,経営体育成強化資金,農業基盤整備資金,農林漁業施設資金,振興山村・過疎地域経営改善資金があった(甲41~43,乙1,86,証人A4)。スーパーL資金は,認定農業者を対象に農業経営改善計画の達成に必要な長期資金(返済に1年以上を要する資金)として,地域農業の将来を担う認定農業者の経営改善を支援する資金であり,公庫の代表的な資金であり,担当者にとって業務の負担が大きい。
この融資制度は,平成4年6月に公表された「新しい食料・農業・農村政策の方向」で提起された「経営感覚に優れた効率的かつ安定的な農業経営体を育成し,足腰の強い農業構造を確立する」ことを目的に,認定農業者(農業経営基盤強化促進法で定める農業経営改善計画等の認定を受けた農業者)が計画に即して行う経営改善を資金面で支援するため,平成6年に取り扱いが始まった。したがって,後記(5)のとおり亡Bが鹿児島支店で農業融資を担当していたときには,まだこの制度はなかった。
資金の融資を受けるためには,農業経営改善計画を達成するために必要な設備投資等を盛り込んだ経営改善資金計画を作成し,市町村が事務局となっている特別融資制度推進会議の認定を受ける必要がある(甲41,弁論の全趣旨)。
(5) 亡Bの経歴(乙86)
ア 亡Bは,平成2年3月,早稲田大学法学部を卒業し,同年4月,公庫に採用された。
亡Bの入庫後,本件自殺までの業務歴は,以下のとおりである(乙61,86)。
①平成2年4月1日 入庫
②平成2年4月1日~同月19日 人事部付
③平成2年4月20日~平成5年4月30日 鹿児島支店業務第一課
④平成5年5月1日~平成6年7月24日 鹿児島支店業務第二課
⑤平成6年7月25日~平成8年3月31日 近畿支店業務第五課
⑥平成8年4月1日~平成10年3月31日 人事部付(日本開発銀行(現株式会社日本政策投資銀行)産業技術部出向)
⑦平成10年4月1日~平成11年7月24日 東海支店業務第四課
⑧平成11年7月25日~平成13年7月24日 東海支店業務第三課
⑨平成13年7月25日~平成16年3月31日 高松支店業務第二課
⑩平成16年4月1日~平成17年3月31日 高松支店業務第一課
⑪平成17年4月1日~同年7月7日 長崎支店業務第一課
このうち,農業融資を担当したのは,③,⑩,⑪であった。
イ 亡Bの入庫後の等級・職位の推移は以下のとおりで公庫職員の中で平均的な昇給・昇進であった(乙86)。
①平成2年4月1日 2等級(職位なし)
②平成6年10月1日 3等級(副調査役)
③平成10年10月1日 4等級(調査役)
④平成14年10月1日 5等級(調査役)
(6) 高松支店について
ア 亡Bが勤務していた当時の高松支店の組織,概要等
(ア) 高松支店は,香川県高松市に設置され,四国4県のうち香川県,徳島県及び高知県の3県を管轄し,支店の業務を分掌する課として,総務課,業務第一課,業務第二課及び業務第三課の4課が置かれており,平成16年7月当時の高松支店には24名の職員が配置されていた。同支店には,A4支店長の下にA5次長1名,課長4名がおり,業務第一課10名,業務第二課5名(いずれも,課長を含めて)であった。平成16年度当時,高松支店は公庫の全支店の中で中規模に属する支店であった。所掌業務は,業務第一課が農業部門の資金の貸付け及び管理回収等,業務第二課が林業・漁業・加工流通部門の資金の貸付け及び管理回収等,であった(甲56の1,乙87,証人A4)。
(イ) 高松支店の平成16年度の融資実績は,全体で347件,71億5000万円であり,そのうち,業務第一課が担当していた農業部門は243件,31億1700万円,業務第二課が担当していた林業・漁業・加工流通部門は104件,40億3300万円であった。同支店の同17年3月末の融資残高は,全体で8891件,766億9900万円であった(乙33,87,93)。
融資実績と職員数とを比較すると,高松支店は,公庫の全国の支店のなかで,職員数あたりの融資実績は低かった(乙30~32,34,93,94)。
(ウ) 業務第一課の職員の事務分担(平成16年7月25日現在)は以下のとおりであった(乙34,証人A4)。
課長 A3 農業資金担当
調査役 亡B 総括,貸付審査・管理(香川県担当)
調査役 A10 貸付審査・管理(高知県担当)
副調査役 A11 貸付審査・管理,文書,保険,基金
副調査役 A12 貸付審査・管理(徳島県担当)
副調査役 A2 貸付審査・管理(香川県担当)
職員 A13 貸付審査・管理(徳島県,香川県担当)
職員 A14 貸付審査・管理(徳島県担当)
職員 A8 貸付審査・管理(香川県,徳島県担当)
職員 A9 貸付審査・管理(高知県担当),文書
(以下,公庫の職員は,原則として姓のみで呼称する。)
亡Bは,前記のとおり,平成13年7月25日に高松支店に赴任し,当初業務第二課に在籍し,林業・漁業・加工流通部門の業務に従事した。その後,平成16年4月1日に農業部門の貸付けを行う業務第一課に異動したが,これは,一応亡Bの希望に沿う異動であった(乙58の3,87,証人A4)。
イ 業務第一課の業務内容
平成16年度当時,高松支店業務第一課で融資していた主な農業資金はスーパーL資金,経営体育成強化資金,農業経営維持安定資金(償還円滑化),農業経営維持安定資金(災害等),農業基盤整備資金,農林漁業施設資金(主務大臣指定・災害),農林漁業施設資金(主務大臣指定・特別振興)であった(甲26,乙86,87,証人A4)。
公庫の融資は政策金融という性格から,都道府県,市町村等の行政機関や地元関係金融機関との連携が必要であり,農業部門の場合,これを所掌する業務第一課において,農業政策を担う県市町村等の行政機関や農協等の関係機関との協議,打合せ,連絡・調整を行っていた。これは公庫の一般的ないし関連業務に位置付けられる。また,同課は本店からの指示に基づき,対外通知,調査の実施を行う業務があり,さらに既往貸付債権の資産査定を行うため,融資先の経営状況の把握,資料収集・分析の上,債務者区分の付与と貸付金の分類といった業務もあった(乙87,証人A4)。
ウ 高松支店における融資目標額について
高松支店においては,公庫の運営方針に則って,年間融資目標額を設定し,業務を進め,平成16年度の融資目標額として,支店全体で80億円,農業融資で40億円,林業融資で15億円,漁業融資で6億円,食品産業で19億円という融資目標額を設定した(甲24,乙87,証人A4)。
エ 業務分担
(ア) 業務第一課における所属職員の業務分担については,同課の年間活動計画に基づいて,A3課長が各課員に担当業務を指示していた。その際,融資案件の審査,管理については,県別に主担当者を割り当て,その上で,同課長が個々の事案の難易度,業務量や既に担当している業務の進捗状況等を勘案してその都度担当者を決めていた。A3課長は,亡Bの農業融資担当が不慣れだったことを把握しており(乙57の5),その点も考慮して,担当者を決めていた(乙87,88,証人A4,証人A3)。亡Bは,A2職員とともに,香川県の主担当者であった(乙34,87,88,証人A4,証人A2)。
(イ) A3課長は,進行管理表や月間活動計画を作成,提出させて各職員の業務の進捗状況を把握していた。また,毎月1回支店長,次長が出席して行う支店の営業会議で報告を行うほか,課内ミーティングで必要な指示を行ったり,課員相互の業務分担の調整を行っていた(乙40~45,88,98,証人A2,証人A3)。
(ウ) 高松支店業務第一課の各担当者の平成16年度に担当した融資案件の件数及び融資金額の合計は以下のとおりである(甲23,83,乙6,36,37,42,78,87,91,95,96,102,証人A4,証人A2)。
役職(入庫年次)
氏名
担当案件数
融資金額
調査役(平成2)
亡B
7件
447,840千円
調査役(平成7)
A10(16年8月から)
12件
505,972千円
副調査役(平成8)
A12
13件
258,536千円
副調査役(平成11)
A2
14件
824,460千円
職員(平成12)
A13(16年8月から)
51件
167,940千円
職員(平成13)
A14
13件
249,762千円
職員(平成14)
A8
11件
74,300千円
職員(平成15)
A9
14件
152,805千円
調査役(平成4)
A15(16年7月まで)
1件
26,820千円
亡Bが平成16年度に担当した融資案件は7件,融資金額は4億4784万円であり,担当した融資案件数は最も少なく業務第一課の平均(12件)を下回っていた。
亡Bが平成16年度に担当した全7件の融資案件の借入相談の開始時期は,同年5月に1件(農業経営維持安定),同年6月に1件(同),同年7月に1件(スーパーL資金)の計3件であり,同年度後半には,同年11月に3件(農業経営維持安定2件,農林漁業施設1件),平成17年1月に1件(農林漁業施設)の計4件であった。亡BはA3課長が同課の課長になる前の案件を引き継いだので,引き継いだ案件については相談をしやすい環境にあったうえ,負担の大きいスーパーL資金について相談開始からの担当はわずか1件であった。亡Bと同じ香川県主担当者で,9年後輩の副調査役であるA2職員は,スーパーL資金を8件,経営体育成強化を2件,農業基盤維持安定を3件,その他を1件担当しており,その件数も内容も,亡Bの担当した業務量の2倍以上あった。
(エ) 関連業務の処理状況
亡Bは,高松支店業務第一課における関連業務として,顧客訪問や資金需要調査,資産査定,認定農業者の情報収集をしたが,これらの業務は他の職員と同等の業務であった(乙87,証人A4)。
(オ) 筆頭調査役としての業務
亡Bは,高松支店業務第一課において筆頭調査役の立場にあった。筆頭調査役とは課に所属する複数の調査役の中で入庫歴が一番長い者の通称であり,課長を補佐し資料の取りまとめ役を果たすなど一定の役割を担当することになっていた(乙88,証人A4)。
オ 亡Bの業務状況
亡Bは,まじめで丁寧に仕事を進めており,業務意欲がないなどということはなかったが,計画的,効率的な事務処理が不得手で,そのことを亡B自身も自覚していた。業務第二課に所属していた平成14年当時から,業務処理は遅れる傾向にあり,平成14年の自己申告書でも,事務処理のスピードアップが課題であるとしていた(乙58の1)。平成15年度のチャレンジシートでは,亡Bの上司は,亡Bに対し「営業活動が遅れ気味」との評価を下していた(乙57の3)。A4支店長も,亡Bの仕事は早い方ではないとの評価を下していた(乙80の9の2項)。亡Bは,平成16年度の1年間も通年,スケジュール管理が不十分であり,期限を区切って業務を処理することができず,業務処理が遅れていた(乙58の1,80の9,88,証人A4,証人A3,証人A2,証人A8)。
カ 高松支店における勤務時間管理
高松支店では,セコムの警報装置を設置していたが,全職員が,入退室に必要なカードを所持しており,各自警報装置を解除して,いつでも入退室できた。平成16年7月以降は,同支店の通用口に入退室簿を置き,最初の入室者と最後の退室者が記入することになった(乙8,10,15,87,証人A4)。
(7) 長崎支店について
ア 亡Bが勤務していた当時の長崎支店の組織,概要等
(ア) 長崎支店は,長崎県を所管し,同支店には,総務課,業務第一課,業務第二課及び主任調査役(管理担当)が置かれており,所掌業務は,業務第一課は農業部門の資金の融資及び管理回収等であった。
平成17年4月1日当時の長崎支店には20名の職員が配置され,A16支店長の下にA17次長,課長3名がおり,業務第一課は8名(他に総務課と兼務者2名・課長も含めて)であった(乙59,89)。
(イ) 長崎支店の平成16年度の融資実績は,274件,71億3600万円であり,平成17年3月末の融資残高は,5202件,550億9600万円であった。
融資実績と職員数を比較すると,公庫の全国の支店の中で,職員数あたりの融資実績は低い方であった(乙30~32,35,93,94)。
(ウ) 業務第一課の事務分担は以下のとおりであった(乙35)。
課長 A7
調査役 亡B 課総括,農業経営改善関係資金総括,貸付審査・管理
調査役 A18 農業負債整理関係資金総括,貸付審査・管理
調査役 A19 農業施設資金総括,貸付審査・管理
副調査役 A20 貸付審査・管理
副調査役 A21 貸付審査・管理
職員 A22 貸付審査・管理
職員 A23 農業基盤整備資金総括,貸付審査・管理,文書,保険
長崎支店は,長崎県の農林漁業者を対象に融資業務を行っており,同支店が取扱っていた融資資金には,農業融資,林業融資,漁業融資,食品産業融資があった。農業融資としては,スーパーL資金,経営体育成強化資金,農業経営維持安定資金,農業基盤整備資金などがあった(乙89)。
イ 業務第一課の業務内容(乙89)
(ア) 業務第一課は,農業部門の融資業務を所管する課であり,同課の主要な業務は,農業者に対する新規融資,既往貸付金の管理等の事務であった。同課で取扱う主な融資資金は前記のとおり,スーパーL資金,経営体育成強化資金,農業経営維持安定資金(償還円滑化),農業基盤整備資金であった。
(イ) 上記融資業務以外の関連業務として,①行政庁の認定等を要する場合の県・市町村等や,融資業務の一部を委託する銀行等との連絡調整を図る業務,②農業情勢や資金ニーズに関する情報収集,借入希望案件の調査・推進のための農業者訪問や,③既往貸付債権に係る資産査定や金融庁,会計検査院による検査の受検等のための事務があった。
ウ 業務分担(乙89,証人A7)
(ア) 業務第一課に所属する各職員の業務分担は,A7課長が指示しており,その際,融資案件については地域割りを原則としつつ,事案の内容や難易度,既に担当している業務の進捗状況等を勘案して担当を決めていた。平成17年4月に定めた地域割りでは亡Bは島原地区の担当であり,高松支店のときのA2職員のような同一地域をともに担当する者はいなかった。A7課長は,異動してくる亡Bの性格や勤務状況に関して,何も引継ぎを受けていなかった。
(イ) 業務第一課では,各課員の担当業務全般の進捗業況を業務進行管理表(乙47の1~4)に記録して提出させ,管理職が把握できるようにしていた。各課員の担当業務の状況に動きがあるたびに,A7課長は業務進行管理表の内容を更新して,業務の進行状況を把握していた。
長崎支店においては,課毎に毎月1回支店長,次長も参加しての月例検討会が実施されており,業務第一課でもA7課長及び課員全員が出席して,月次の計画と実績が検討されていた。また,毎週課内ミーティングが実施され,役付会議(週1回開催)の結果に基づいて,支店全体に関する事項や業務第一課に関係する事項についてA7課長の説明があり,打合せが行われていた。(乙47の1~4,89,証人A7)
(ウ) 亡Bは,A24職員の業務を引き継いだが,長崎支店に在籍中の約3か月間において,亡くなるまでに担当した融資案件で貸付決定に至ったのは1件のみで,すでに,特別融資制度推進会議の認定を受けて前任者から引き継いだ案件であり,亡Bが担当した部分は貸付決定の手続だけであった(甲48,乙38,39,78の8,90)。
エ 事務分担
業務第一課では,年度初めに各課員の事務分担を定めており,亡Bも事務を割り振られたが,他の者に比してほぼ平等な割り振りであった(乙46の1,90,証人A7)。
これ以外に,亡Bの場合は,さらに筆頭調査役として適当と思われる事務として,貸付審査のうち「農業経営改善資金」,「営業活動」,「関係機関・外部団体」,「事業再生」,「資産査定」,「検査・監査」の各取りまとめ役を担当したが,他の職員もその他の事務についての取りまとめ役をいくつか割り振られていた(乙46の1,90,証人A7)。委嘱農協は一人1農協を原則に割り振られ,亡Bも1農協(島原雲仙農協)を割り振られた(乙46の1,90,証人A7)。
オ A21職員の休暇に伴う分担
(ア) 業務第一課に在籍していたA21職員は,亡Bと同じ平成17年4月1日に長崎支店に異動してきた職員であったが,うつ病による体調不良により,平成17年5月24日から1か月間余り休暇を取得し,同年7月4日に復帰した。A21職員は,長崎支店に異動する前からうつ病の既往があったが,その事実は,異動後に上司となるA7課長には知らされていなかった(乙90,証人A7)。
(イ) A7課長は,A21職員の上記休暇期間中,同職員が取りまとめ役となっていた業務や同職員が担当していた個別の取引先等に関する34件の案件を,他の職員に振り分けて分担させた。亡Bが割り振られたのは,そのうちの2件であったが,亡Bはこれについて実際の業務はしていない(乙46の2,47の3,乙79の4,証人A7)。
カ 長崎支店における勤務時間管理
平成17年当時の長崎支店では,セコムの警報装置を設置しており(乙11),入室に必要なカードを課長以上の管理職だけが所持していた。管理職ではない亡Bにはカードが貸与されず,亡Bは,鍵を解錠あるいは施錠することはできなかった。また,同支店の通用口には入退室簿が置かれ,最初の入室者と最後の退室者が名前を記入することになっていた(乙9,11,89)。
(8) 亡Bの家庭生活,性格,健康状態等
ア 亡Bは,入庫後,独身で勤務を続けていたが,高松支店業務第二課勤務当時の平成15年11月30日に原告X3と婚姻した。亡Bの死亡当時,二人の間に子供はまだいなかった。
亡Bは原告X3と結婚した当時高松市内の職員住宅(c住宅)に居住し,原告X3は大阪のd株式会社に勤務して大阪市内に居住していた。二人は結婚後も合意のうえで同居せず,週末に,亡Bが大阪市内の原告X3宅を訪れたり,原告X3が高松市内の職員住宅を訪れたりしていた。亡Bが大阪に赴くときは,金曜の夕方に高松市内から大阪市内までの高速バスを利用することが多く,週末を原告X3宅で過ごして,日曜の夕方,高速バスを利用して高松市に戻った(甲81,原告X3本人)。
イ 亡Bは,平日の通勤は,職員住宅から高松支店まで概ね自転車を利用しており,通勤時間は40分程度だった。平成15年の業務第二課に所属していたときから,朝は始業時間よりもかなり早く職員住宅を出て,高松支店付近の飲食店で朝食をとるかコンビニ等で購入したものを支店内で食べて朝食とするかしており,業務第一課に所属するようになってからも,通年朝早く出勤していた。亡Bは,始業時刻前の朝に在所した時間については,残業時間とは申告していなかった(甲81,乙86~88,91,92,97,証人A4,証人A3)。
ウ 原告X3は,亡Bの長崎支店への異動を機に,d株式会社を退職することを決意し,平成17年4月1日以降,長崎市内の職員住宅(e住宅)(乙81の11,89)で亡Bと同居生活を開始することとした。しかし,原告X3が会社の仕事を終えたのは同年6月17日であり,それまでは原告X3が長崎と大阪を行き来した。結果的に,長崎支店異動後二人が一緒に生活したのは,同年4月1日から6日,同月30日から同年5月9日,同月20日から同年6月12日及び同月18日以降であった(甲81,原告X3本人)。
エ 亡Bと原告X3は,別居生活をしている際,頻繁にメールや電話のやりとりをしていた(甲30,31,33,81,原告X3本人)。
オ 亡Bの性格はまじめで責任感があり,温厚で穏やかであった。高松支店在籍中は,若手職員から先輩として慕われていた。同僚職員らとの関係も良好で,仕事が終わった後,近くの居酒屋で飲食することがあり,仕事のときも,雰囲気によっては,かなり会話が弾むほうであった(証人A9,証人A2)。亡Bは,高松支店の職員で編成された野球チームに参加し,ピッチャーで4番を務める中心的な選手の一人だった(甲76,77,82,乙79の3,81の13,87,88,91,92,97,証人A9,証人A3,証人A2)。
しかし,長崎支店に異動してからは,亡Bは,おとなしい性格で,寡黙で,黙々と仕事をする感じで,存在感は余りなく,後輩の面倒は余り見ないとの印象を周囲に与えていた(乙79の1・2・4,証人A7)。
カ 亡Bは,毎年,公庫が実施する年2回の定期健康診断を受診していた。亡Bが高松支店に赴任して以降の各健康診断の結果では,尿検査で再検査を指示され,大腸の精密検査を要するとされたことがあるほかは,異常を指摘されたことはなかった。亡Bが高松,長崎両支店のメンタル嘱託医へ相談等をしたことはなく,定期健康診断の問診において医師に不眠,食欲減少,体重減少,身体的違和感などを訴えたことはなく,体重はわずかではあるが増加傾向にあった。最後に受けた健康診断は,死亡する約2週間前である平成17年6月23日に実施されたものであったが,所見は異常なしで総合判定は正常であり,その時点では体重の減少もなかった(乙56の1~7)。
亡Bは,精神科への受診歴はなく,平成15年当時から指摘されていた大腸ポリープについて,平成16年に切除した以外は,ほとんど医療機関を受診したことがなかった(甲7の59頁,55,乙86)。
(9) 平成16年半ばから本件自殺までの亡Bの言動等について(甲30~34,81,原告X3本人)
平成16年9月ころ
亡Bは,A2職員やA4支店長等から早出出勤の理由を聞かれ,「朝出るのが好きだから」(証人A2)とか,「生活スタイルである」(乙87,証人A4)との返答した。
平成17年1月15日
このころまで,亡Bは高松支店の職員で編成した野球チームで野球をしていた(乙91,乙103,104,証人A2)。
同年1月22日,23日
亡Bは,大阪の原告X3宅に週末に来たが,大阪に来た最後となった。以降は,専ら原告X3が高松に行くことになった。亡Bは,原告X3が高松まで来るときには,平成16年の年末までは原告X3を高速のバス停まで車で迎えに行ったが,3月ごろからは,出迎えに行かなくなった。
同年1月の下旬以降
亡Bは,それまでは,時折行っていたバッティングセンターに行かなくなり,それまで買っていた週刊誌や時代劇の漫画なども買わなくなった。
原告X3宛のメールに悲観的な表現が目立つようになった。
だんだん会話の受け答えなどが,遅くなって,反応が鈍くなってくる様子があった(証人A9)。
同月23日
亡Bは原告X3に,「仕事アホみたいに忙しい」とメールをした(甲30)。
同年3月11日ころ
亡Bは,原告X3に「温かい地方でのんびり仕事したい。X3,d社辞めてついてきておくれ,とにかく一人ではもう耐えられなくなってきた。」と述べ,原告X3は,自らが13年勤務した仕事を退職する決意をした。
異動前1か月間
亡Bが平成16年度に担当した7件の融資案件について,平成17年3月16日に有限会社fにつき貸付決定が,同月17日に有限会社b産業,有限会社g及び農事組合法人h組合につき貸付決定が,同月25日にb産業及びh組合につき貸付実行が,並びに,同月30日に有限会社gにつき貸付実行がされており,亡Bは,同月17日に3件の貸付決定についての起案作業をした(乙78の4,78の5,78の6,102)。有限会社gについては,当初貸付実行日が,同月25日であったのが,同月30日に変更となっている(乙4,78の5)。出張(日帰り)は,同月中に6件あり,同月中の最後の出張は同月29日であった。
同年3月18日 業務第一課の送別会出席
同月24日 高松支店全体の送別会出席
同年4月23日
亡Bは原告X3に以下のメールをした。「めぇ~(亡Bが,原告X3に対し,自分のことを呼称するときに,「めぇ~」や「めぇちゃん」といった表現を用いている。)は淋しいの…(T_T)」(甲30)
同月24日
亡Bは原告X3に以下のメールをした。「隣家の子供はいつも一日中泣きじゃくっていますよ!これって,虐待なの?!まるで子猿でも飼っているようですよ!」
同年4月後半から同年5月前半
亡Bは,原告X3を励ますメールを送信したり,夏の旅行の計画を立て,同年5月1日から同月2日にかけて原告X3と旅行に出かけた。
同年5月14日
午後6時38分亡Bは原告X3に以下のメールをした。「めぇ~ちゃんが淋しくて泣いてますよッ!(;_;)(T_T)/~」(甲30),同日午後10時22分には,以下のメールをした。「淋しいめぇ~(>_<)淋しいめぇ~(T_T)/~」(甲30)
同月15日
亡Bは以下のメールをした。「一人淋しんぼのめぇ~(;_;)ですけど…」(甲30)
同月23日
亡Bは以下のメールをした。「あ~明日出勤するのがユーウツです」(甲30)
同月24日
A21職員がうつ病により休暇を取り始める。
このころから,遅れがちな業務進行を管理するため,業務第一課で進捗管理を目的とした「進行管理表」を作るようになったが,この更新も遅れ,課長から各課員が叱責されるようになった。またこのころ,亡Bは,業務の打合せ時に必ず携える大学ノートに「どうやって営業に出る時間を捻出するか」と走り書きした(甲54)。
同月28日
亡Bは,同僚と釣りに行った。
同月29日
亡Bは以下のメールをした「相変わらず毎朝会社に行くのが憂鬱な日々です…」(甲30)
同年6月14日
亡Bは,高松支店の後輩が退職する情報を聞いた高松支店の元同僚に宛てて,「ホントにここだけの話ですが,かく言う私自身も最近つくづく,仕事が辞められるものなら今すぐにでも・・と毎日のように思ってしまいます」というメールを送った。
同月18日
亡Bは,夏の旅行をキャンセルしたいと言い出した。
同年6月下旬ころから
亡Bは不眠を訴えるようになった。原告X3が仕事中にメールをしてもほとんど返信しなくなった。
同月20日
亡Bは,高松支店の元同僚に宛てて,「どうでもいいんですけど,今日送られてきた『△△便り』について会議室に集められ,職員一人一人の意見を発表させられたんですが,苦し紛れに適当なことを言ったら,支店長の不興をかったみたいで,ずいぶん突っ込まれました」というメールを送った。これは,亡Bが「総裁が言っている経営支援は今までやっていることの延長であり,特に新しいことをしようとしている訳ではない,今までの業務をさらに向上させていきたい」と意見を述べたことに対し,支店長が「それは違う」「意識が甘い」と言ったことを指す(甲30,乙28)。
同月22日
亡Bは融資対象の堆肥舎の完成確認のため,A25を訪問した。翌日,A25に対する融資の担保について登記した。
このころ 亡Bは,支店長の得意先であり,重要な優良融資先の一つであるf生産組合への対応について,課長が支店長に説明する必要から,課長から何度も督促され,「早くしてくれ。君は何か言い訳できるのか」と言われた(乙7,証人A7)。
同月23日ころ
亡Bは,眠れないことを気にして,いつも見ていた夜のニュースを見ないで午後11時ごろには就寝するようになった。同月23日の健康診断で,亡Bは自分の健康状態について特に相談はしなかった。
同月30日
高松支店の元同僚から「なんかまた融資相談窓口みたいなのが設置されましたね」「農業課の調査役って書いてたのでまたBさんの業務が増えてるんでしょうね」というメールがあったのに対して,同日深夜,亡Bは同僚に宛てて,「なんか,どんどん会社に行くのが苦痛になって来てます」「何でこんなに居るのが嫌な会社にドンドンなって行くのでしょうか」「高松に帰りたい」というメールを送った。これが,亡Bの発信した最後のメールである(甲30)。
同月末
亡Bは,微熱が続き,食事は一応はしているものの下痢が治まらず,平成16年12月に63kgあった体重が59kgに減った。
同年7月5日
亡Bは長崎支店の農業新規相談窓口の担当と予定されていたところ,長崎新聞が「農業新規参入融資相談窓口を開設」「a公庫長崎支店(A16支店長)がこのほど,長崎市万才町の同支店内に開設。窓口には専任の担当者を配置。新規就農者や異業種からの農業参入を目指す企業などが対象。資金借り入れ相談を受け付けるほか,事業計画を助言する。米や茶などの栽培農家が,過去に作付面積の規模を拡大したモデルケースの紹介などもしている」と報道した(乙26,27)。
亡Bは,午後8時過ぎいったん帰宅したが,原告X3とともに顧客宅に赴いて融資のための手続をした。
同月6日
亡Bは転貸先の経営実績検討会の出席のためJA長崎西彼営農経済本店を訪問した。
同日午前,亡Bが上記出張中に,亡Bが5月半ばに出た本店通知を上司に回さず放置していたことが判明した。また,前日に訪問した顧客の手続についても資料が未完成であったことが判明した。
同日は水曜日でノー残業デーであったが,前日はA7課長出張のため残業ができず,課員の仕事が滞っており,このため亡BとA19職員,A22職員,A18職員は残業をした。同日午後7時ころ,A7課長が亡Bに対し,業務一課員の前で,「もっと仕事回してくれよ」「君も調査役なんだから自分で考えて,どんどん仕事進めてくれよ」「残業してもいいから」などと15分程度叱責した。
亡Bは,上記顧客の書類作成に取りかかり,A19職員とA22職員が職員住宅まで一緒に帰宅しようと誘っても断り,残業を続けた。亡Bは午後9時ころに退出して帰宅した(乙7,79の2,証人A7)。
同月7日
亡Bは,原告X3と就寝しているところを起きて,職員住宅から抜け出し,午前3時ころ,近くのアパートの駐輪場で縊死した。原告X3は,同日午前6時半ころ目を覚まして亡Bがいないことに気づき,付近を探したが見つからず,同日午前8時ころ,警察署署員が原告X3を訪ねて同行を求め,原告X3は,警察署で死亡した亡Bを確認した。
(10) 亡Bの従事した労働時間について
ア 亡Bの具体的な労働時間は以下のとおりと認められる(乙8~11,14,54,76)。
(ア) 高松支店
a 始業時刻について
(a) 入退室簿に亡Bの氏名が記載されている場合
亡Bが最も早く入室したと認められるので,出勤時刻は,セコムの解除時刻を基本とし,同解除時刻の5分後を出勤時刻と認める。ただし,亡Bは,朝食を支店内で取ることがあったから,その食事時間を考慮して,午前7時54分までに出勤した場合には,出勤時刻の15分後を始業時刻とする(すなわち,セコム解除時刻の20分後を始業時刻とする。)。午前7時55分以降にセコムが解除された場合には,朝食を出勤前に済ませていたと考えられるから。解除時刻の5分後を始業時刻と認める。
(b) 入退室簿に亡Bの氏名が記載されていない場合
平成16年7月14日から平成17年3月10日までの間に,亡Bが最初にセコムの解除をしたと認められる日のうち,午前7時30分を経過した日は計10日であること,その10日間のうち,午前7時45分までに入室した日は,6日であって,また,その10日間のうち1日のみが午前8時をまわっていること,亡Bの元同僚であった証人A8は,同人が午前7時ころ起床すると,出勤してゆく亡Bを見かけたことがしばしばあり(亡Bの自宅から職場までは,前記のとおり約40分である。),亡Bの社内のパソコンフォルダの最終更新日時が午前7時台になっていた旨供述(甲83,乙79の3,証人A8)していること,亡B以外の者が最初に入室した時刻にも,午前7時台のものが複数あることを総合すると,亡Bは,平均すれば,日常的に午前8時前には出勤していたとみることができる。
そこで,セコムの解除時刻が午前7時55分以降の場合は,セコムの解除時刻から5分後,セコムの解除時刻が午前7時54分以前の場合は,午前8時を始業時刻と認める。
(c) 入室欄に氏名も入室時刻も記載されていない場合
セコムのシステムご利用状況報告書に基づき,入室時刻は特定できる。この場合,前記(b)と同様に考え,セコムの解除時刻が午前7時55分以降の場合は,セコムの解除時刻から5分後を亡Bの始業時刻とする。そして,セコムの解除時刻が午前7時54分以前の場合は,午前8時を始業時刻と認める。
(d) しかし,以下の日については,特別の事情があるので,以下のとおり認定をする。
ⅰ 平成16年8月20日
亡Bは,同日に手術を受けるため,休暇を取得し,午前8時から入院する予定となっていた(甲55の1)ところ,亡Bは,早朝職場へ行ってから入院すると原告X3に述べていたこと(甲81の6頁),セコムの解除時刻は特に早く午前5時27分となっていることから,これは,亡Bが解錠したものと認められ,そのセコム解除時刻の5分後である午前5時32分を亡Bの始業時刻とする。
ⅱ 平成16年9月13日ないし同月17日
亡Bは,福島へ宿泊を伴う出張をしているので,移動時間を除いた時間を労働時間とする(乙55)。
原告らは,亡Bが同月13日に,出張の準備のために早朝に出社したと主張するが,亡Bがセコムを解除したか明らかではなく,これを認めるに足りる証拠はない。
ⅲ 平成17年4月1日
亡Bの長崎支店への異動日であるところ,前日の同年3月31日も午後10時ころまで業務に従事するなど,特に多忙であったことから,午前5時53分の20分後の午前6時13分を始業時刻と認める(ただし,同日については,後記b(c)ⅲのとおりの労働時間とする。)。
ⅳ 出張日
宿泊を伴わない出張の場合にも,他の日と同様に午前8時には労働を開始していたと認める。
(e) 亡Bの早出出勤は,遅くとも高松支店業務第二課のときからなされていたものであり,亡Bは,早出出勤については,時間外労働としては申告していないことは前記のとおりであり,管理者が業務指示を出したとも認められない。
しかし,亡Bの業務処理は,すでに高松支店の業務第二課のときから遅れがちであったのであるから,責任感がありまじめな性格の亡Bが,早朝に出勤したうえで所定始業時刻である午前9時まで,朝食をとったり,新聞を読んだり,雑談をするだけで,業務をしていなかったということは不自然である。亡Bの具体的な業務の進捗状況からみれば,その切迫感の程度や業務の密度は時期によって異なったとしても,早出出勤は亡Bにとって業務上必要であったといえる。
さらに,亡BがA2職員やA4支店長等から早出出勤の理由を聞かれ,「朝出るのが好きだから」とか,「生活スタイルである」とか返答をしていたとしても,亡Bは,早出出勤をしなければ業務が処理できないことに負い目を感じていたはずであるから,表面的に取り繕ったにすぎないといえ,このことをもって業務をしていなかったとはいえない。
b 終業時刻について
(a) 退室簿に亡Bの氏名が記載されている場合は,セコムセット時刻の5分前を終業時刻とする。
(b) 退室簿に亡Bの氏名が記載されていない場合
ⅰ 「一課,二課」,「A8」又は「A9」の署名がある場合
亡Bは一課の職員であり,A8職員やA9職員と一緒に残業していた(甲83,乙79の3,79の6,証人A8,証人A9)から,セコムセット時刻の5分前を終業時刻と認める。
ⅱ その他の場合
亡Bの業務は遅れがちであったから,原則として,亡Bは残業をしていたと考えるのが相当であり,業務と関係のないことをして,支店にとどまっていたと認めることのできる証拠はない。よって,一般的な終業時刻を午後10時と認める(セコムセット時刻が午後10時よりも前の場合は同時刻の5分前とする。)。
ただし,金曜日については,原告X3に会いに大阪へ行ったと認められる場合には,高速バスの利用等をしていたことから,午後8時30分と認める。ただし,平成16年12月17日(金)については原告らが亡Bが終業後に大阪へ移動し,午後6時に終業したと主張していることなどから,午後6時を終業時刻と認める。
また,平成16年12月1日に野球部納会,同月9日に課忘年会,同月15日に支店忘年会,平成17年3月18日に課送別会,同月24日に支店送別会が開催され,亡Bはいずれにも参加しているため,また,同年2月23日は,同僚との食事会のため,各日の終業時刻につき,所定終業時刻の午後5時20分と認める(乙103の1・4,104,原告X3本人)。
(c) しかし,以下の日については,特別の事情があるので,以下のとおり認定をする。
ⅰ 平成16年8月20日
前記のとおり手術日であり,午前7時30分にセコムがセットされていることから,同時刻の5分前を終業時刻とする。
ⅱ 平成17年3月30日
午前中に引越作業があったと認められるので(弁論の全趣旨)午後1時を始業時刻とする。
ⅲ 平成17年4月1日
亡Bは長崎支店に午後4時ころ到着したと認められる(甲6の20頁)。そして,高松から長崎への移動時間があることから,同日の労働時間を4時間とする。
(ただし,転勤のための引越し準備のためには休暇をとることができるから,時間外労働賃金の前提となる労働時間には含めることができないとしても,業務の過重性を検討するうえでの労働時間としては,引越作業や移動の時間は,労働時間に加算してもよいとも思われる。)
ⅳ 出張日について
亡Bの他の勤務状況からすると,日帰出張の場合は,職場に戻り,業務を続けたと認められる。
c 休憩時間
亡Bが昼の休憩時間は例外的なことはあったとしても,原則として取っていなかったと認めるに足りる証拠はない。また,亡Bは残業をしたときには途中で夕食などをとることもあったと考えられ,それらの休憩時間を含め,休憩時間は平均1日60分と認めるのが相当である。
d 休日出勤
平成17年1月25日及び同月31日には,亡Bの署名が入退室簿にあることから出勤していたと認める。
その他の休日については,休日に勤務をしていたことを認めるに足りる証拠はない。
(イ) 長崎支店
a 始業時刻
長崎支店においては,課長以上の管理職だけが,入室に必要なカードを所持しており,亡Bはカードを貸与されておらず,亡Bが事務所の鍵を解錠あるいは施錠することはできなかった。
亡Bは,概ね午前7時ころには起床していたと認められる(甲33)こと,長崎支店でのセコムの解除時間を見ると,A7課長やA26職員は概ね午前8時ころには出勤していたと見ることができることなどからすれば,亡Bは,遅くとも午前8時30分ころには出勤していたと見ることができ,始業時刻は午前8時30分とする。
b 終業時刻
平成17年当時,長崎支店では職員の時間外労働を削減するという方針の下,課員が残業を行う場合には課長が残って課員の業務終了を見届け,その時間を超過勤務時間として記録することを徹底し,業務第一課のA7課長も亡Bが残業を行う場合には同課長が最後まで残って亡Bの業務終了を確認していたと認められる(証人A7)。したがって,亡Bの超過勤務命令票(乙54の10~12)の「実績時刻」欄に記載されている時間は亡Bが実際に実施した残業時間がそのまま記録されていると考えられ,その時間を超えて亡Bが残業を行った事実を認めることはできない。したがって,前記命令票記載の時間を参考に終業時刻を認めることとする。
c 休憩時間
勤務条件どおり60分とする。
イ 以上から,亡Bの労働時間は,以下のとおりであった(詳細は別紙のとおり。)と認めることができる。
本件自殺の何か月前か
時間外労働時間
1か月前
平成17年6月7日ないし同年7月7日
24時間10分
2か月前
平成17年5月8日ないし同年6月6日
31時間35分
3か月前
平成17年4月8日ないし同年5月7日
0分
4か月前
平成17年3月9日ないし同年4月7日
64時間03分
5か月前
平成17年2月7日ないし同年3月8日
99時間38分
6か月前
平成17年1月8日ないし同年2月6日
37時間22分
7か月前
平成16年12月9日ないし平成17年1月7日
49時間43分
8か月前
平成16年11月9日ないし同年12月8日
109時間15分
(11) うつ病等について
ア うつ病とは,気分障害の一種であり,抑うつ気分や不安・焦燥,精神活動の低下,食欲低下,不眠症などの症状を特徴とする精神疾患である(乙82)。
イ うつ病の症状について
うつ病の主な症状は,以下のとおりである(乙82~84)。
(ア) 精神症状
a 抑うつ気分
b 制止(抑制)
c 不安,焦燥
d うつ病性妄想
(イ) 身体症状及び自律神経障害
うつ病は,精神症状のみではなく身体症状(睡眠,食欲,性欲などの障害や自律神経症状)も生じる。
ウ うつ病の成因について
うつ病を含む精神障害は,単一の病因ではなく素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因によって発症するものである。
2 上記認定事実及び前提となる事実に基づき,争点につき検討する。
(1) 争点(1)(業務とうつ病の発症との相当因果関係)について
ア 亡Bの従事した業務の客観的過重性
公庫の融資業務は,一般の民間金融機関が融資を行う場合よりも融資において関わる機関が多く,一般的に平易・単純な業務ではなく,心理的負荷の大きい業務といえる。しかし,これは,公庫の融資担当職員全員に当てはまることである。
さらに,高松支店や長崎支店の融資実績(融資件数及び融資金額)や職員数からみれば,支店全体としては当時過重な負担があったとは認められない。数字上の融資実績では,亡Bの担当していた業務が公庫の職員の業務として,過重であったとは認められない。
亡Bの本件自殺前の高松支店業務第一課及び長崎支店業務第一課での主な職務は農業融資であったところ,亡Bは,農業融資は入庫まもなくの平成2年から平成5年の鹿児島支店業務第一課以来,担当したことがなかったのであって,その業務には不慣れであったといえる。また,業務負担の大きいスーパーL資金は,亡Bが鹿児島支店業務第一課にいたころにはなく,古い農業融資の経験は役に立たなかったともいえる。しかし,高松支店の上司であったA3課長は,亡Bが農業融資に不慣れだったことを把握しており,高松支店で亡BがスーパーL資金を相談開始から割り当てられたのは1件だけであった。亡Bが,高松支店で農業融資部門の担当の業務量として,その経験に照らしても過重負担を負わされていたということは困難である。
亡Bの業務につき,具体的な業務内容で,心理的負荷がかかったのではないかと思われる出来事や業務に関連して,証拠上以下(ア)ないし(エ)の事実が認められる。
これらの事実は,一定の心理的負荷がかかる事実といえなくはないが,以下のとおり過大な負荷とはいい難い。融資業務に関連して予定どおりに業務が進行しないことは特異なこととはいえないし,他の職員の担当案件においても,同様のことが起きていた可能性もある。むしろ亡Bは担当案件が少なかったからそれに付随して発生する出来事も少なかった可能性が高い。
(ア) 匿名ファックスへの対応について
a 平成17年1月19日,匿名のファックスが高松支店に送付され,そこには,「おまえら公庫は俺たち農家のことをばかにしてんじゃないのか」「全部うそでしょう」「俺はおこっているんだ」などの記載があった。ファックスの内容から,公庫の融資が実現できなかった融資申込者の可能性が考えられるとして,最近融資ができなかった案件の資料の筆跡との照合作業が実施されたところ,借換資金の提案を行ったあと融資がまとまらなかった坂出市のA27の筆跡と似ていることが分かった。A27は,香川県坂出市で主にハウスみかん経営を行う個人経営農家で,亡Bは,平成16年度にA27の担当となり,平成16年4月ころから,返済を約定どおり行うのが困難になったことの対策の検討をいろいろ検討して,農業経営維持安定資金による借換えのための手続を進めていた。しかし,平成16年11月ころ,後順位抵当権者である香川県農協から,担保の順位変更を断られたので,農業経営維持安定資金による借換は実現することができなくなった融資先であった。ファックスは匿名であるので,A27によると断定はできず,A4支店長らが対応を協議して,担当者である亡Bが顧客訪問の一環としてA27を訪問し,融資ができなかった事情を改めて説明しながら様子を見るのが適当であろうということになった。そこで,同月24日,亡BがA27とその妻であるA28を訪問し,借換資金の融資が進まなかった事情を改めて説明したところ,今回の借換えは諦めた旨の話があったが,A27からは「公庫は全く気にする必要はない。農協は合併により融通が利かなくなった」との話があった(乙6)。
b 担当していた融資先からと思われる,公庫を非難する内容の匿名のファックスが来たことや,公庫を非難をしていると考えられる相手方を実際に訪問し,説明を行うことは,一定の心理的負荷のかかる事実とはいえる。
しかし,亡Bは一人で対応したわけではなく,A4支店長らが協議して対応を検討したのであるし,直接非難を浴びせられることなく,融資先の納得を得られて解決できたといえるから,結果的には,それほど心理的負荷のかかった出来事とはいえない。
(イ) b産業について
a b産業に関する抵当権設定のパソコン登録作業について
(a) 証拠(甲83の16頁,乙6,17,18,51の1・2,78の3・4,79の8,88,証人A3)によれば,以下の事実が認められる。
b産業は,亡Bが平成16年4月に高松支店業務第一課に異動になった際に引き継いだ融資先であり,同社に対する融資に係る担保物件は合計233物件であった(乙17,51の1)。同社には,平成17年3月25日に,農林漁業施設資金(1700万円)及び農業経営維持安定資金(300万円)の計2000万円の追加貸付を実行したが,この追加貸付に係る抵当権設定のパソコン登録作業は,A8職員が行い,それを亡Bが照査した。追加物件は12件であった。
(b) 抵当権の種類や順位の調査,謄本と抵当権設定証書の確認や司法書士とのやり取り等の作業が必要であるほか,さらに担保物件のうち,平成15年に登録された内容(乙17)と平成17年に追加された内容(乙18)が異なっていることからすれば,平成15年に登録された内容の確認作業が平成17年に行われたことも窺われ,一定程度負担のかかる作業であった可能性はあるが,12件の担保物件の入力作業を実際に行ったのはA8職員で,亡Bはそれを照査するという役割であったから,亡Bにとって大きな負担とはならなかったと思われる。
b b産業の担保物件売却に伴う繰上償還について
(a) 証拠(甲25,乙6,87,91,証人A3,証人A2)によれば,以下の事実が認められる。
b産業のA29社長が,平成17年2月4日,高松支店に来店し,ブロイラー農場で鶏舎10棟のうち3棟が台風で倒壊したが,多額の費用を要することから倒壊した鶏舎の建て直しは行わずに有限会社iに農場の敷地を概ね8000万円で売却することになった,同農場には公庫の根抵当権及び普通抵当権が設定されていることから相応額の繰上償還を条件に(根)抵当権を解除して欲しいとの要望が出され,これに対して,支店側は,担保の設定状況を確認の上,対応を検討すると回答した。
亡Bは,同年2月14日,b産業からの担保物件売却に係る繰上償還の申出に対する対応についてのメモを作成して提出し方針を記した。しかし,A29社長は,同月17日,高松支店に来店して亡Bと面談し,実際の売却は当初予定の同年3月中から,同年4月ないし同年5月にずれ込む見通しであり,担保物件売却に伴う繰上償還についてはできるだけ公庫資金の残高を維持する方向で対応を検討して欲しいことなどの要望を伝えた。
亡Bは,同年3月31日,後任の担当者であるA6職員に引継ぎを行うに当たり,ブロイラー農場売却に伴う担保解除に係る公庫の立場を明確にしておくため,A29社長に電話をした。
その後,本件を亡Bから引き継いだA6職員は,A29社長と担保解除に伴い追加設定となる担保物件と入金額に関する合意を得た後,b産業から公庫に入金がされ,同年5月23日には,担保解除が承認された。
(b) 以上の経緯のとおり,予定では同年3月末までに繰上償還額を確定すべきであったので一時負担感はあったと認められるが,それまでに確定させる必要はなくなり,その作業は後任者に引き継げることになった。それに関する電話を異動日である同年3月31日にまだ行っていることからb産業に対する対応が遅れていたことは窺えるが,この件が,亡Bにとってさほどの心理的負荷がかかったとはいえない。
(ウ) 金融庁受検の業務
a 証拠(乙21~25,79の4,89,99~101,証人A7)によれば,以下の事実が認められる。
(a) 公庫は,主務大臣(財務大臣および農林水産大臣)の検査を受けることとなっており(農林漁業金融公庫公庫法30条1項),そのうち「業務に係る損失の危険の管理に係るもの」は金融庁長官に委任されている(同法第30条の2,同法施行令16条)ため,金融庁から資産査定にかかる検査を受けることとなっている。第1回目の金融庁検査については,平成17年4月18日に公庫に対し通知があり,同年5月9日から同検査が開始された。
金融庁検査では,同庁の検査官が金融検査マニュアルに沿って,貸付先個々の債務者区分の判定や資産の分類が適切に行われているかを検査する。支店は,支店長ら管理者が検査会場である本店(東京)まで出向き,検査官に査定に関する資料を示した上で査定の内容を説明する(これは「資産査定検査」と呼ばれている。)。資産査定検査の窓口は,支店は主任調査役であった(乙21)。
(b) 平成17年の検査では,平成16年3月期資産査定が対象となり,長崎支店の業務第一課が担当する顧客は9先であり,そのうち6先は融資先として比較的問題のない土地改良区と農協であり,その他は3先であった(乙24)。
長崎支店の受検は平成17年5月19日と同月20日の2日間であった(乙22)。長崎支店は,受検のための資料として検査官提出用資料と説明者の携行用資料を整備した。検査官提出用資料は,支店の資産査定ファイルから,本店が指示した該当箇所をコピーし,番号を付すことにより作成された。携行用資料は,支店に保管している貸付稟議書や決算書であった。長崎支店では,検査官提出用資料と携行用資料を平成17年5月12日に段ボール箱に梱包し,受検場所の本店あてに発送した(乙23)。
亡Bは,他の職員と分担して補足資料の作成や現地確認に関わったが,具体的には,亡Bが金融庁検査に関する業務に従事したのは,平成17年4月26日(打合せ参加),同月28日(打合せ参加),同年5月6日(準備),同月9日(準備),同月10日(準備),同月11日(準備),同月12日(現地確認)の7日間であった(乙79の4)。
長崎支店の受検体制は,説明責任者がA16支店長,説明補助者がA7業務第一課長とA30業務第二課長,記録係兼後方支援係が業務第一課のA18調査役と業務第二課のA7調査役であった(乙23)。
それ以外の支店職員は,本店に説明に赴いた職員からの資料確認等の指示に備えて支店に待機することになるが,長崎支店の待機組の責任者はA17次長であり,連絡窓口は管理担当のA31主任調査役に統一された(乙99)。
本店での一連の資産査定検査が終了したのち,平成17年5月23日から各支店に対する臨店検査が開始される旨通告がされた(乙100,101)が,長崎支店の臨店検査が実施されることはなかった。
b 同検査は初めてであり,公庫内には緊張があったと推測され,そうした緊張感は,職員にも心理的負荷を与えたと考えられ,さらに,通常業務に加えてその準備作業が付加されたから,亡Bにとっても多少の心理的負荷となったといえる。しかし,亡Bが,特に本店に赴いての説明をすることや臨店検査の矢面に立って対応することは全く予定されておらず,また,実際にも対応する場面はなかった。平成17年5月から同年6月にかけて筆頭調査役として,また,貸付担当者として金融庁検査に対応するため資産査定の業務や資料作成といった作業をしたことにはなるが,合計7日間作業をしただけで,長期に及ぶものではなく,他の職員と比較して大きい心理的負荷があったとはいえない。
(エ) 筆頭調査役の業務
亡Bは,高松支店業務第一課で筆頭調査役であり,長崎支店でも引き続き筆頭調査役であった。
筆頭調査役は,課長を補佐し,資料の取りまとめ役を果たすなど一定の役割は担当することとなっており,文字どおり調査役の筆頭として,総括的な立場が期待されていたと認められる(甲46の3,乙57の4,57の5)のであって,単に調査役の中で一番上の者という立場のみであるとはいえない。さらに,筆頭調査役には,一般の業務のほかに,資金需要調査の事務があり,これについては,資金需要そのものが流動的であり,かつ,各担当者がそれぞれもっている個別の案件に追われ,その数字がすぐに出てこないといった苦労があることが窺える(証人A9)。資金需要調査業務をしているときには,他の業務ができなくなることもあったと認められる(乙4)。したがって,筆頭調査役としての立場が,亡Bの業務において負荷となっていた側面は否定できない。しかし,全国の各支店の各課に筆頭調査役はいるうえ,筆頭調査役でなくても各事務の取りまとめ役は割り振られているのであり,その業務が過大,過重であったといえるような証拠はない。
イ うつ病の発症時期
(ア) 前記1(8)(9)によれば,亡Bは,年度末に向けてだんだんその会話の受け答えなどが,遅くなり,反応が鈍くなっていたこと,長崎支店に異動後は,おとなしい性格で寡黙で,後輩の面倒もあまりみないという,元来,亡Bの性格とは異なる印象を持たれていることが明らかである。それ以前から亡Bとともに業務をしてきた高松支店の同僚は少し元気がないと感じていたとしても,異常を感じたことは認められず,亡Bは多忙ではあっても高松支店の業務に対する意欲をなくしたような事実は何ら認められない。平成17年4月1日に長崎支店に異動してから,前記1(9)で認定したように,亡Bの言動に変化が生じ始めているといえる。
(イ) 長崎支店異動後,同年4月後半からの亡Bの送信したメールには寂しさを現す記載はあるが,同年4月後半から同年5月前半にかけて,亡Bは,原告X3を励ますメールを送信したり,夏の旅行の計画を立て,同年5月1日から同月2日にかけては原告X3と旅行に出かけるなどして元気を取り戻しているかに見える。しかし,同月14日から同月15日にかけては,1日に2回も「淋しい」旨のメールを送るなど,亡Bにおいて,抑うつ気分の内容の一つである寂しさが募っていることが窺える。そして,同月23日や同月29日のメールには,業務に対する退避的感情及び憂うつ感を示す表現が見られ,同月後半には,抑うつ気分が明確に現われていることからすると,休日に釣りに行くなど,一直線に症状が悪化したわけではないとしても,同月下旬ころには,亡Bのうつ症状は明らかであり,うつ病を発症していたといえる。
(ウ) 家族や職場の同僚も気がつかないようなうつ病が存在し,そのようなうつ病で自殺に至る例もあり(甲71),不安・焦燥優位のうつ病では,家族を含め周囲の人が異常に気付きにくいだけでなく,本人自身病気との自覚を持ちにくいことがあるといわれている(甲72,73)。亡Bが原告X3と完全に同居を開始したといえるのは,平成17年6月18日からであり,それまでは,まだ実質は別居状態といえるのであって,原告X3であっても,必ずしも亡Bの状態を十分に把握できていなかったと考えられる。原告X3が,亡Bの状態の変化につき,同年5月下旬ころはまだ深刻に受け止めなかったとしても,そのことは,そのころに,亡Bがうつ病を発症していたといえることを左右する事実ではない。
ウ 業務と本件自殺との相当因果関係
(ア) うつ病の発症原因の判断には,医学的に環境由来のストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が決まり,環境由来のストレスが強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に個体側の脆弱性が大きければ環境由来のストレスが小さくても破綻が生じるという「ストレス―脆弱性」理論が用いられていることから,業務と当該精神障害との間の相当因果関係の有無の判断に当たっては,業務による心理的負荷,業務以外の心理的負荷及び個体側要因を総合考慮して判断するのが相当である(乙12)。
(イ) そこで,まず業務による心理的負荷が過重であったかについて検討する。
a 労働時間の観点からみると,長崎支店に異動してからの時間外労働時間は多くない。
しかし,本件自殺前5か月目(平成17年2月7日ないし同年3月8日)の時間外労働時間は月約100時間に近く,さらに亡B自身の平成17年2月23日のメールにあるように,忙しさを感じていたことは明らかである。また,同4か月目(平成17年3月9日ないし同年4月7日)の時間外労働時間は,約64時間と前月に比して減少しているものの,同年3月9日ないし同月31日における労働時間は,1日ほぼ14時間ないし15時間であり,その中には極めて労働時間が長い日もあったといえ,しかも,引っ越しのための休暇もとらず,同年4月1日まで高松支店に出勤し,同日には長崎支店にも出勤している。このように,同年2月から同年3月末までの業務は,労働時間という観点から見て,心理的負荷は大きかったといえる。
さらに,異動前1か月間の業務の内容は,上記1(9)で認定したとおりであり,自らの引っ越し等の準備もしなければならないときに貸付決定といった融資業務の中心的な業務を複数こなしたこと,さらに異動のために業務の引継ぎや区切りをつけることが必要であったことを考慮にいれると,ことさら多忙となっていたといえ,相当程度の心理的負荷がかかったと考えられる。
以上によれば,亡Bの業務による心理的負荷は,すでに平成17年3月末の段階で相当重なっていたといえる。
b さらに続いて,亡Bは,この平成17年3月末までの心理的負荷による疲労を解消しないまま,長崎支店での業務を始めたといえる。そして,長崎支店での業務では,異動したことに伴う生活や勤務環境の変化,経験のない金融庁の検査のための準備や新しい案件への対応だけでなく,高松支店では比較的自由にできた早朝出勤や残業などが,長崎支店では,業務時間の管理が厳しくてできなくなり,限られた時間の中で業務をこなさなければならないこととなった。これまでは遅れがちの業務を残業等で補っていたところ,それができなくなったのであり,亡Bにとっては問題点である計画的効率的事務処理ができないことによる業務の遅れが顕在化する状況におかれたといえる。加えて,平成17年5月24日,同僚のA21職員がうつ病により休暇を取り,A21職員の案件が亡Bにも割り当てられた。ただでさえ業務を時間内にこなすことに苦労していた亡Bにおいては,当面実際の業務にかかる必要性のない案件であったとしても,担当案件が増えたこと自体で心理的負荷がかかったと推測できる。こうした状況が重なり,亡Bは徐々にうつ症状となり,うつ病を発症したと解することができる。
c 前記のとおり,亡Bの従事していた業務自体は,他の職員と比較して特段過重なものではなかったとしても,業務の遅れがちであった亡Bにとっては,特に,異動直前の業務が滞留して相当過重であったと認められるし,長崎支店に異動してからも,事実上自由に残業できなくなったことによって業務の遅れが顕在化し,うつ病発症後もそれに対する上司の注意や叱責が特に本件自殺前に何回かあったと認められることは前記1(9)のとおりである。これらは平成17年5月下旬以降も業務による心理的負荷がさらに重なっていった出来事と評価できる。被告は亡Bの労働時間管理に対する不適合は,業務と直接関係のない個人的要因であると主張するが,業務が心理的負荷となったこと自体否定する理由といえず,採用できない。また,被告の主張するように,亡Bは将来に対する不安感を抱いていたとしても,これも業務に関わることであって,かつ,亡Bの個人的な特異な受け止め方とはいい難い。
(ウ) 一方,業務以外の心理的負荷及び個体側要因についての心理的負荷は,特段見当たらない。
亡Bは,原告X3と同居するまで長年一人で暮らしていたことからすれば,原告X3との同居を開始したことで,単に転居した以上の生活環境の変化があったとはいえるが,現実に原告X3が継続して長崎で居住したのは平成17年6月18日以降であって,それまでは,原告X3は大阪と長崎を行き来しており,それ以前の週末だけに会う生活と大きく変わったとはいえない。一人暮らしではなくなったことは,一般的には心理的負荷ではないとはいえないが,本件においては,亡Bは同居を希望していたのであり,原告X3において亡Bが負荷を感じるような言動をとったような事実は全く見当たらない。むしろ,平成17年7月5日には,夜間に顧客のもとに赴くのに原告X3も同行するなど,原告X3は亡Bに合わせ,亡Bを支えようと努力していたというべきであり,同居の開始がうつ症状の原因となる負荷であるとは認められない。
(エ) 亡Bは,前記1(8)認定事実及び前記(ウ)のとおり,精神障害の既往歴等は認められず,亡Bの家庭生活や健康状態においては,特段の問題はなく,精神障害の発症に寄与する個体側要因は証拠上見あたらず,業務以外の心理的負荷及び個体側要因はほとんどないといえる。そして,前記(イ)のように,業務による心理的負荷が相当大きいことからすれば,亡Bのうつ病は,業務により発症したと認められる。また,亡Bがうつ病の発症により本件自殺をしたことには争いがなく,公庫における業務と本件自殺との間には相当因果関係が認められる。
(2) 争点(2)(公庫の安全配慮義務違反又は注意義務違反)について
ア 労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして,疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると,心身の健康を損なう危険があることは広く知られている。したがって,使用者は,その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,労働者の労働時間,勤務状況等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないよう配慮するのみならず,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当である(最高裁判所平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)。長時間労働の継続などにより疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると労働者の心身の健康を損なうおそれがあり,うつ病の発症及びこれによる自殺はその一態様である。そうすると,使用者としては,前記のような結果を生む原因となる危険な状態の発生自体を回避する必要があるというべきであり,当該労働者の健康状態の悪化を現に認識していたか,あるいは,それを現に認識していなかったとしても,就労環境に照らして労働者の健康状態が悪化するおそれがあることを認識し得た場合には,結果の予見可能性が認められるものと解するのが相当である。
イ 亡Bは,公庫の職員として勤務してすでに14年も経過していたのであるから,公庫は,性格や勤務状況を十分把握できていたことは明らかである。個々人にとっての業務の負担は,数字に顕れた業務量に単純に比例して決まるものではなく,その個々人によって異なるものである。亡B自身,平成14年の自己申告書ですでに事務処理のスピードアップが課題であると認識し,平成15年度のチャレンジシートでは,亡Bの上司は,亡Bに対し「営業活動が遅れ気味」との評価を下していたことや,A4支店長は,亡Bの仕事は早い方ではなかった旨陳述していることなどからすれば,公庫は,遅くとも平成15年ころには,亡Bは,時間をかけてまじめにやっているのに業務に遅れる傾向にあること,亡Bがそのことを自覚していたことを十分認識していたといえる。
亡Bには,高松支店においては,亡Bの性格や業務の遅れがちな勤務状況が原因で,特に年度末には,月100時間近い時間外労働時間をしたり,異動直前には1日の労働時間が14時間から15時間に及ぶ日があったこと,よって,その段階で蓄積された心理的負荷があったこと,これを解消することもないまま長崎支店に異動になったこと,長崎支店においては,慣れない環境の中で,高松支店では事実上自由であった時間外の勤務ができなくなったことなどから,平成17年5月下旬の時点ですでに亡Bに相当の心理的負荷がかかっていたことは,当然公庫において認識できたことである。さらに,その状況下で,亡Bに,休暇をとった職員の担当案件を引き受けさせたり,新規農業参入窓口を担当させたりして,担当する業務の増加が見込まれる状況に置き,他の職員のいるところで,筆頭調査役である亡Bの仕事の遅れを指摘して,それを叱責することなどが積み重なれば,亡Bに過大な心理的負荷となることも十分予見できたといえる。
ウ 公庫は,高松支店と長崎支店とで,別々の法人であるわけではないから,それぞれの支店ごとに1つ1つの出来事を分断して,安全配慮義務違反や注意義務違反があったかを判断するのではなく,本件自殺に至るまでの出来事は一連のものとして評価すべきである。
公庫では,健康につき要注意・要治療事項,仕事のさせ方につき人事管理上通常以上のリスクがある者についての情報は,異動先の支店長に送付されるシステムがあったから(乙67),職員の勤務状況について,各職員の資質や適正に応じて情報を提供し,異動の前後を通じて各職員に応じた対応をとれなかった理由はない。現実には,A7課長には,異動してくる亡Bに関して,具体的に何も引継ぎがされておらず,A21職員が長崎支店に異動する前にうつ病を発症していたことすら知らなかったと認められるが,異動先の長崎支店の上司であるA7課長が,亡Bの性格や勤務状況を知らされることがなく現に認識していなかったとしても,これらの情報は,公庫の組織全体としては認識できていたといえる。
公庫は,亡Bがまじめで穏やかな性格で,時間外労働を相当しても業務がなお遅れがちであったことを前記のとおり認識していたのであるから,その亡Bの性格や勤務状況について配慮することが可能であった。しかし,亡Bに対して,形式的な入庫以後の年数から筆頭調査役としての役割を期待し,亡B自身が十分自覚している業務の遅れを叱責して,心理的負荷を蓄積させるばかりであったといえる。公庫は,亡Bの健康状態を悪化させることのないように配慮ないし注意し,亡Bに合った業務や対応をするについて十分な考慮もなく,適切な措置等を採らなかったといえ,このような公庫の行為は安全配慮義務や注意義務に反するものである。
なお,仮に可能な限りの配慮や注意をした場合でも,業務成績が上がらず,例えば給与や賞与といった面で業務の評価は低くなることもあり得るが,これは,当該労働者の問題としてやむを得ないものであり,このことは使用者の労働者の健康等に対する安全配慮義務や注意義務とは別の問題である。
エ 被告は,公庫職員の業務量及び亡Bの業務量並びに亡Bの担当していた個々の具体的業務内容からすれば,亡Bのうつ病発症等を予見することは不可能であった,あるいは,亡Bの労働時間についても,特に早出出勤については,亡Bの生活スタイルであって労働時間と見ることはできず,これを前提とすると,時間外労働時間は短いことからうつ病発症を予見することは不可能であったなどと主張する。
しかし,上記のとおり,亡Bは,客観的に多くはない業務量であっても,時間をかけてこなしてきたと認められ,その状況を公庫は認識できたことは前記のとおりであるから,数字の上での形式的な業務量だけからみて予見できなかったとする被告の主張は,採用できない。
(3) 争点(3)(過失相殺)について
労働者の業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において,裁判所は,加害者の賠償すべき額を決定するに当たり,損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし,民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して,損害の発生又は拡大に寄与した被害者の性格等の心因的要因を一定の限度でしんしゃくすることができるが,ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない場合には,業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり,その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を,心因的要因としてしんしゃくすることはできないというべきである(最高裁判所昭和63年4月21日第一小法廷判決・民集42巻4号243頁,最高裁判所平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)。
これを本件についてみると,損害の発生又は拡大に寄与した亡Bの性格や勤務態度は,責任感がありまじめであったが,計画的効率的事務処理が不得手であったことが認められる。しかし,このような性格等は,公庫に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲外とはいえない。したがって,亡Bの上記性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を,心因的要因としてしんしゃくすることはできない。
もっとも,前記のとおり,亡Bは,公庫における勤務経験も14年と比較的長く,管理職ではないもののそれに準じる地位にあり,新人とは異なることなどからすれば,何らかの健康上の問題があれば,亡Bからの申出や相談があることも期待できる状況といえ,公庫として,亡Bの健康状態の悪化に気付きにくかったことは否定できない。また,労働者は,一般の社会人として,自己の健康の維持に配慮すべきことが期待されているのは当然であるが,亡Bは,高松支店に勤務当時は,朝食を公庫において取るなどして公庫に滞在する時間を自ら長くし,休息の時間を適切に確保して自己の健康の維持に配慮すべき義務を怠った面があるというべきである。
そして,亡Bの上記行為は,うつ病罹患による自殺という損害の発生及び拡大に寄与しているというべきであるから,被告の賠償すべき額を決定するに当たり,民法722条2項の規定を類推適用し,これらをしんしゃくし,損害額を3割減じることとする。
(4) 争点(4)(損害等)について
ア 逸失利益 1億2302万9000円
(ア) 亡Bの給付基礎日額は2万5513円と認める(甲1,3)。
亡Bの死亡前1年間に支給された賞与の額は229万5718円である(争いがない。)ので,上記2万5513円に365を乗じ,これに229万5718円を加えた1160万7963円を基礎収入と認める。
(イ) 亡Bの死亡時,原告X3は退職を決めており,亡Bが一家の支柱といえることなどから,生活費控除を30パーセントと考える。
(ウ) 亡Bは,死亡時38歳であり,67歳までの29年間就労可能であったと考えられ,そのライプニッツ係数は15.141であるから,少なくとも,1億2302万9000円(<1160万7963円×0.7×15.141)が逸失利益となる。
イ 死亡慰謝料 2800万円
本件に現われた一切の事情を考慮し,上記額が相当と考える。
ウ 葬祭料 150万円
150万円を相当と認める。
エ 小計 1億5252万9000円
前記アないしウの合計は1億5252万9000円である。
オ 過失相殺
前記(3)の過失相殺率を考慮すると,1億0677万0300円(=1億5252万9000円×0.7)となる。
カ 相続
原告X3は,前記オの3分の2である7118万0200円,原告父と原告母は,それぞれ6分の1ずつである1779万5050円を相続した。
キ 損益相殺
原告X3は,平成17年8月から,本件口頭弁論終結時前である平成24年10月までに,葬祭料153万0780円,遺族補償年金の合計2041万1655円及び遺族特別支給金300万円を受給した(甲1,2の2,4の1,5,84の7・9・11・13)。原告X3は,平成17年8月から,本件口頭弁論終結時前である平成24年10月まで,遺族厚生年金計496万5400円を受給した(甲6の76頁)。遺族補償年金と遺族厚生年金の合計は,2537万7055円である。遺族特別支給金及び遺族補償特別年金は,福祉の増進をはかるための給付で,代位規定もないから,その金額は損害から控除すべきではなく,原告X3の損害につき,上記各給付の対象となる損害と同一の事由に当たる死亡逸失利益及び葬祭料について損害の填補がされたと認められ,原告X3の請求に関しては,それらの価額の限度で被告は賠償責任を免れる。これを考慮をすると,以下のとおり,4510万3145円となる。
原告X3の相続分(過失相殺後)
損益相殺
損益相殺考慮後
逸失利益
5741万3533円
2537万7055円
3203万6478円
死亡慰謝料
1306万6667円
1306万6667円
葬祭料
70万円
153万0780円
0円
計
7118万0200円
4510万3145円
ク 弁護士費用
本件事案に鑑み,弁護士費用としては原告X3につき450万円,原告父及び原告母につき各180万円が相当である。
ケ よって,原告X3につき4960万3145円,原告父及び原告母は各1959万5050円となる。
遅延損害金については,不法行為(注意義務違反)を理由として,各損害額に対して亡B死亡の日である平成17年7月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
3 以上によれば,原告らの被告に対する請求は,主文第1項ないし第3項の限度でいずれも理由があるからそれらの限度で認容し,その余の請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 稻葉重子 裁判官 矢澤雅規 裁判官 三嶋志織)
<以下省略>