大阪地方裁判所 平成20年(行ウ)31号 判決 2009年7月01日
主文
1 大阪市教育委員会が平成19年12月12日付けで原告に対してした平成20年1月12日をもって免職とする旨の懲戒処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文1項同旨
第2事案の概要等
1 事案の概要
本件は,大阪市職員で,管理作業員として大阪市立A高等学校(定時制)(以下「本件高校」という。)で勤務していた原告が,公務外の酒気帯び運転により警察に検挙されたところ,これが信用失墜行為(地方公務員法33条)に当たるとして大阪市教育委員会から平成20年1月12日をもって懲戒免職処分(同法29条1項1号,同項3号)(以下「本件処分」という。)を受けたため,被告に対し,同処分が同委員会に与えられた裁量権を逸脱濫用しているとして,その取消を求める事案である。
2 前提事実(ただし,文章の末尾に証拠等を掲げた部分は証拠等によって認定した事実,その余は当事者間に争いのない事実)
(1) 原告の採用等について
原告は,平成13年11月1日,被告に大阪市立の学校等の「管理作業員」として採用され,大阪市立B高等学校(以下「B高校」という。)(定時制)での勤務を経て平成19年4月から,本件高校の管理作業員として勤務するようになった。
(2) 原告の職務等について
平成19年12月当時も含めて本件高校及びB高校に勤務していた際の原告の管理作業員としての職務は,概ね,以下のとおりであった(証拠略)。
ア 勤務時間 午後零時30分から午後9時15分まで
イ 管理作業員としての原告の標準的な職務内容
(ア) 学校園内外の美化・清掃に関する業務
a) 学校建物内部の清掃
b) 校舎屋上(屋根)平面部の清掃
c) 校舎建物周辺及び屋外運動場の清掃
d) じん芥処理
(イ) 施設・設備の維持管理及び補修等営繕業務
a) 校舎等建物・屋内設備関連
b) 屋外施設・設備関連
(ウ) 園芸業務
a) 樹木等の管理全般
b) 花壇等草花の管理全般
(エ) 幼児・児童・生徒の安全にかかる業務
a) 登校時の校門の開閉並びに施解錠
b) 登下校時の幼児・児童・生徒の安全確保
c) 来校来園者の受付確認
d) 校園内外の巡視
(オ) 休業期間中の合同作業に関する業務
(カ) 校務運営上,必要な連絡,公文書等搬送業務
(キ) 学校園行事の準備及び後片付けに関する業務
(ク) その他校園長が校務管理運営上特に必要と認める業務
(3) 大阪市教育委員会が定めた平成18年11月7日付け「懲戒処分に関する指針」(以下「本件指針」といい,同指針と以下の(4)のア,イの通知等をあわせて「本件指針等」という。)について
大阪市教育委員会は,大阪市(市長部局)が平成18年4月に策定した同市の公務員を対象とする「懲戒処分に関する指針」(甲13)等を踏まえて,同年11月7日,学校園に勤務する教職員を対象とする本件指針(乙20)を策定した。同指針には,以下の定めがある。なお,同指針は,平成19年8月28日改正され,同改正後のものは同年9月1日から施行された(甲7)。なお,以下の4の定めは同改正による変更がない。
1ないし3 省略
4 交通事故・交通法規違反関係
(1) 飲酒運転(酒酔い運転及び酒気帯び運転をいう。以下同じ。)関係
ア 飲酒運転で人身事故,又は物損事故を起こした教職員は,免職とする。
イ 飲酒運転をした教職員は,免職とする。ただし,酒気帯び運転をした教職員について,一定の情状が認められるときは,停職とする場合がある。
(4) 大阪市教育委員会等が定めた教職員の飲酒運転に関連する通達等について
ア 大阪市教育委員会教育長(以下,単に「教育長」という。)は,各校園長に対し,本件指針と同じ日付である平成18年11月7日付けで「教職員による飲酒運転の根絶について(通達)」と題する文書(教委校(全)67号。証拠略)を発出した。同文書には,「最近,公務員の飲酒運転による交通事故等が多発し,大きな問題となっている。飲酒運転は全体の奉仕者たるにふさわしくない非違行為であり,公務員としての職の信用を著しく傷つけるものである。各校園長におかれては,飲酒運転の防止に対する注意喚起はもとより(中略)交通法規の遵守について指導するとともに,より一層の綱紀の厳正な保持に努めていただきたい。懲戒処分に関する指針のとおり,飲酒運転を行った者については,懲戒免職を含めた厳しい処分の対象となる(以下略。)」等の記載がある。
イ 教育長は,同年12月19日,各校園長に対し,「教職員の服務の厳正について(通達)」と題する文書(証拠略)を発出した。同文書には,「公務の内外を問わず,交通法規を遵守し交通事故の防止に努めること。特に飲酒運転は絶対に行わないこと。平成18年11月7日付け教委校(全)(67号)で通達したところであるが,万一,飲酒運転を行った者については,懲戒免職処分を含めた厳しい処分の対象となる(以下略)」等の記載がある。
ウ 教育長は,平成19年7月13日,各校園長に対し,「教職員の服務の厳正について(通達)」と題する文書(証拠略)を発出した。同文書には,「公務の内外を問わず,交通法規を遵守し交通事故の防止に努めること。特に飲酒運転は絶対に行わないこと。万一,飲酒運転を行った者については,懲戒免職処分を含めた厳しい処分の対象となる(以下略)」等の記載がある。
(5) 本件酒気帯び運転について
原告は,酒気を帯び,呼気1リットルにつき0.24ミリグラムのアルコールを身体に保有する状態で,平成19年11月10日(土曜日)午前3時20分ころ,大阪市中央区a付近道路において,自家用普通乗用自動車を運転していた(以下「本件酒気帯び運転」という。)ところ,同場所付近で警察に検挙された。
(6) 原告に対する刑事罰,行政処分について
ア 原告は,平成19年11月27日,大阪簡易裁判所において,本件酒気帯び運転について,罰金30万円の略式命令に処せられた。
イ 原告は,本件酒気帯び運転により,運転免許について,免許停止の処分を受けた。
(7) 本件処分等について
ア 大阪市教育委員会は,平成19年12月12日,原告に対し,下記の理由により,地方公務員法29条1項1号及び同項3号に基づき,懲戒免職処分にする旨決定した(本件処分)(ただし,処分理由について,甲1,2,20)。
記
原告は,平成19年11月10日午前3時20分ころ,大阪市中央区a付近路上において,呼気1リットル中0.24ミリグラムのアルコールを身体に保有する状態で自動車を運転していたことから,大阪府南警察署から酒気帯び運転で告知票の交付を受けた。
原告の行為は,本市学校に勤務する職員としての職の信用を著しく傷つけ,学校教育に寄せる生徒・保護者及び市民の信頼を大きく裏切るものであることから,地方公務員法33条が規定する信用失墜行為の禁止に違反するものであり,全体の奉仕者たるにふさわしくない非行であると言わざるを得ない。
よって,地方公務員法29条1項1号及び同項3号に該当するので,本処分を行う。
イ なお,原告は,本件処分を受けるまで,大阪市教育委員会から懲戒処分を受けたことはない(弁論の全趣旨)。
(8) 本件の訴えの提起
原告は,平成20年2月22日,本件の訴えを提起した。
(顕著な事実)
(9) 飲酒運転に対する厳罰化等について
平成19年法律第54号により自動車運転過失致死傷罪(刑法)の厳罰化が図られ,平成19年6月20日法律第90号(同年9月19日施行)により酒気帯び運転の罪等(道路交通法)について厳罰化が図られた。
同改正法による改正後の道路交通法には以下のとおりの規定がある。
65条(酒気帯び運転等の禁止)
1項 何人も,酒気を帯びて車両等を運転してはならない。
2項 省略
103条(免許の取消し,停止等)
1項 免許(仮免許を除く。以下106条までにおいて同じ。)を受けた者が次の各号のいずれかに該当することとなつたときは,その者が当該各号のいずれかに該当することとなつた時におけるその者の住所地を管轄する公安委員会は,政令で定める基準に従い,その者の免許を取り消し,又は6月を越えない範囲内で期間を定めて免許の効力を停止することができる。ただし,第5号に該当する者が前条の規定の適用を受ける者であるときは,当該処分は,その者が同条に規定する講習を受けないで同条の期間を経過した後でなければ,することができない。
1号ないし4号 省略
5号 自動車等の運転に関しこの法律若しくはこの法律に基づく命令の規定又はこの法律の規定に基づく処分に違反したとき。
117条の2の2
次の各号のいずれかに該当する者は,3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
1号 第65条(酒気帯び運転等の禁止)第1項の規定に違反して車両等(軽車両を除く。次号において同じ。)を運転した者で,その運転をした場合において身体に政令で定める程度以上にアルコールを保有する状態にあつた者
(10) 平成19年8月20日政令266号(同年9月19日施行)による改正後の道路交通法施行令について
38条(免許の取消し又は停止及び免許の欠格期間の指定の基準)
1項ないし4項 省略
5項 免許を受けた者が法103条第1項5号から8号までのいずれかに該当することとなつた場合についての同項の政令で定める基準は,次に掲げるとおりとする。
1号 次のいずれかに該当するときは,免許を取り消すものとする。
イ 違反行為をした場合において,当該違反行為に係る累積点数が,別表第三の第一欄に掲げる区分に応じそれぞれ同表の第二欄,第三欄,第四欄又は第五欄に掲げる点数に該当したとき。
ロ 別表第四第1号から3号までに掲げる行為をしたとき。
2号 次のいずれかに該当するときは,免許の効力を停止するものとする。
イ 違反行為をした場合において,当該違反行為に係る累積点数が,別表第三の第一欄に掲げる区分に応じそれぞれ同表の第六欄に掲げる点数に該当したとき。
ロ 別表第四第4号に掲げる行為をしたとき。
ハ 法103条1項8号に該当することとなつたとき。
44条の3(アルコールの程度)
法第117条の2の2第1号の政令で定める身体に保有するアルコールの程度は,血液1ミリリットルにつき0.3ミリグラム又は呼気1リットルにつき0.15ミリグラムとする。
別表第二(関係部分のみ抜粋)
1号 違反行為に対する基礎点数
酒気帯び運転(0.25以上) 13点
酒気帯び運転(0.25未満) 6点
備考(関係部分のみ抜粋)
2号 1の表の上段に掲げる用語の意味は,それぞれ次に定めるところによる。
4 「酒気帯び(0.25以上)無免許運転」とは,身体に血液1ミリリットルにつき0.5ミリグラム以上又は呼気1リットルにつき0.25ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態で運転している場合における6に規定する行為をいう。
5 「酒気帯び運転(0.25未満)無免許運転」とは,身体に44条の3に定める程度以上のアルコールを保有する状態(4に規定する状態を除く。)で運転している場合における6に規定する行為をいう。
11 「酒気帯び運転(0.25以上)」とは,法65条1項の規定に違反する行為のうち4に規定する状態で運転する行為(1,4及び7から10までに規定する行為を除く。)をいう。
22 「酒気帯び運転(0.25未満)」とは,法65条1項の規定に違反する行為のうち5に規定する状態で運転する行為(1,5,13及び17から19までに規定する行為を除く。)をいう。
別表第三(関係部分のみ抜粋)
第一欄
第二欄
第五欄
第六欄
前歴がない者
45点以上
15点から24点まで
6点から14点まで
3 争点及び争点に対する当事者の主張
(1) 本件の争点は,a)原告に対して本件指針が周知されていたか(争点1),b)本件処分に際して適正手続が履践されたか(争点2),c)本件処分について裁量権の逸脱濫用があったか(争点3)である。
(2) 原告に対して本件指針が周知されていたか(争点1)
(被告)
飲酒運転が社会的に許されないものであることは社会人として当然に認識しておくべきことであり,本件指針を知っているか否かにかかわらず,公務員という身分を有している以上,飲酒運転は厳に慎むべきである。
被告は,平成18年11月7日付けで本件指針を策定し,これを平成19年8月28日に一部改正し,同年9月1日に施行した(甲7)。
ところで,原告は,平成18年度,B高校に勤務していたところ,同高校の教頭は,本件指針とともに通知文である平成18年11月7日付け「教職員による飲酒運転の根絶について(通達)」(証拠略)を併せて大職員室右奥の掲示板に掲示した。
また,教頭は,同校で毎日行われる職員集会(連絡会とも呼ばれる。以下,特に区別せず「職員集会」という。)においても,本件指針が策定されたことを口頭で教職員に周知している。なお,職員集会での伝達事項については,出席していない教職員についても,事務長や各職員室の代表から伝達することとされていたので,原告が仮に職員集会に出席していなくとも,伝達がなされていた。
また,教頭は,本件指針と通知文である平成18年11月7日付け「教職員による飲酒運転の根絶について(通達)」(証拠略)を全教職員分印刷し,各教職員宛ての文書を入れることとされていた各自のレターケースに入れ,原告を含む全職員に配布していた。
さらに,教育長は,平成18年12月19日付け「教職員の服務の厳正について(通達)」(証拠略)及び平成19年7月13日付け「教職員の服務の厳正について(通達)」(証拠略)も発出しているが,これらも,飲酒運転が懲戒免職を含めた厳しい処分の対象となる旨が明記されていた。これらも掲示板に掲示したり,職員集会で周知していたほか,原告を含む全教職員分印刷して各自のレターケースに入れて配布されていた。
以上の事情からすると,本件指針が原告にも周知されていたことは明らかである。
(原告)
教頭が教職員に情報を伝達した手段の一つとして職員集会等を挙げるが,職員集会に関して,法令やB高校の内部規定に定めがなく,原告がこれに参加しなければならないという義務規定は存在しなかった。また,職員集会等やレターケースにより管理作業員が連絡事項の周知を受ける義務規定もなかったので,これらによって本件指針等が周知されていたとする被告の主張は,前提を欠いており,失当である。
原告は,職員集会等に参加するよう指示されたことはなかったし,これらの会議に参加したことがなかった。また,原告は,開催されていた連絡会についても,管理作業員としての業務との関係で出席することがなかった。
原告のレターケースに本件指針等が入れられていたことはなかった。仮に本件指針等が原告のレターケースに入れられていたとしても,原告は,自らの職務に関係する内容を記載した資料以外に目を通したことはなく,したがって,これらに目を通したことがない。
また,原告は,事務長等から本件指針について,直接説明を受けたことがない。
被告は,本件指針等について議論する機会を持つこともしていない。
以上の事情からすると,本件指針が原告に周知されたことはない。
(3) 本件処分に際して適正手続が履践されたか(争点2)
(被告)
本件処分は,以下の事情からして,手続において違法とはいえず,適法である。
ア 行政処分の相手方に事前の告知,弁明,防御の機会を与えるかどうかは,行政処分により制限を受ける権利利益の内容,性質,制限の程度,行政処分により達成しようとする公益の内容,程度,緊急性等を総合較量して決定されるべきであって,常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではない。ところで,地方公務員法上,職員に対する懲戒処分をなすにあたって,告知と聴聞の手続を要する旨の規定はなく,したがって,被処分者に対し,告知と聴聞の手続が常に権利として保障されているとまで解することはできず,被処分者に告知と聴聞の手続を採るか否かは,処分権者の合理的裁量に委ねられている。
イ 大阪市教育委員会の担当者は,本件処分をなすにあたって,原告に対し,事前に事情聴取を行っているところ,原告は,その際,平成18年11月7日付け「教職員による飲酒運転の根絶について(通達)」(証拠略)によってどのような処分が下されるか知っているかを問われて,停職か懲戒免職処分である旨答えている。
同事情聴取は,事実の確認について,一つ一つ項目を確認しながら,そのときにどう思っていたか,どう感じていたかも尋ねて原告の心情等も確認しながら行っていった。
また,同事情聴取の最後にも,同担当者は,原告に対し,何か補足したり申し置きたいことはないかと確認し,また,「懲戒免職でも仕方ないという気持ちですか。」と確認した際も,原告は,「はい,はい。」と返事をしていた。
以上のとおり本件処分に当たって,原告には弁明する機会が十分与えられていた。
ウ ところで,処分事由説明書の交付は,懲戒権者の判断の慎重,合理性を担保してその恣意を抑制するとともに,処分の理由を相手方に知らせて不服申立の便宜を与える趣旨である。処分事由説明書の記載の程度については,自己のいかなる行為を理由として本件処分がなされたかを知り,かつ,これに対する不服申立をすべきかどうかの判断をすることができることで処分事由説明書交付制度の目的を達するものというべきである。
そこで,本件処分の際の処分事由説明書の記載内容であるが,十分であるが,適正であった。
(原告)
本件処分は,以下の事情からして,手続において違法である。
ア 行政処分であっても,行政処分により制限を受ける権利利益の内容,性質,制限の程度,行政処分により達成しようとする公益の内容,程度,緊急性等を総合較量し,憲法31条所定の法定手続の保障が及ぶと解すべき場合がある。
懲戒免職処分は,職員としての身分を失わせるものであり,職業選択の自由(憲法22条)や,職業を通じた自己実現としての個人の尊厳(同法13条)といった憲法上の人権を直接奪うものである。また,同処分によって達成しようとする公益の内容,程度は,教育行政に対する市民の信頼であり,重要なものではあるが,緊急性はないし,むしろ告知,聴聞の機会を設けることが教育行政に対する市民の信頼に資する。したがって,適正手続の保障に十分意を用いるべき場合であり,中でもその中核である弁明の機会については例外なく保障すべきである。
懲戒免職のような厳しい処分を下す場合に処分者に求められる適正手続とは,弁明は何かあるか等の発問で足りず,被処分者に対し,少なくとも重要な情状等の重要な事実については積極的に質問を行って本人に確認したり,弁明させたりするのはもちろん,十分にその反論や弁明が行い得るよう処分者の側から処分の基準や運用における考慮事項に関する規程や過去の処分例を明示して,それに対する反論を十分に行わせる機会を与えることが必要である。
イ 原告は,顛末書を作成して提出しているが,同顛末書の内容は,原告を懲戒免職するために有効な内容のものを提出させようとした当時の本件高校の校長及び同校の事務長の意見がほとんどそのまま反映されており,その内容は事情聴取とはいえず,原告の弁明を確認するというものではなかった。
また,大阪市教育委員会関係者による事情聴取についても,a)原告が校長に事実申告をしてから翌々日に行われていること,b)当該事情聴取に先立って原告に対し,弁明の機会があるとの話はなかったこと,c)当該事情聴取においては,事実経過,動機,当時考えていたことといった本件酒気帯び運転に関連する事情のみ聴取され,その後,原告に対し処分内容を知っているか尋ねたに過ぎないし,「特に何か補足したり申し置きたいことはないか。」,「懲戒免職でも仕方ないという気持ちか。」という聴取程度で形式的に弁解を聴いたに留まり,積極的に原告の弁解を聴取しようという態度ではなかったこと,d)原告は,極度の緊張の中で質問の意味を十分に理解しないままであったことからすると,弁明の機会があったと評価することはできない。
ウ そして,処分事由説明書には,考慮事項の記載は一切なく,ただ単に本件酒気帯び運転の事実と処分内容を記載しているに過ぎず,不十分である。
(4) 本件処分について,裁量権の逸脱濫用があったか(争点3)
(被告)
大阪市教育委員会が原告に対して行った本件処分は,以下の事情からして,裁量権の逸脱,濫用はなく,適法な行為といわざるを得ない。
ア 公務員に対する懲戒処分は,懲戒権者たる任命権者の合理的な裁量に委ねられているところ,被告は,酒気帯び運転を行った者に対する処分としては,原則として懲戒免職処分とする旨の基準を定めている。被告は,それに則って原告に対する本件処分を行った。
イ ところで,酒気帯び運転は事故発生の危険性が高く,仮に事故を発生させなくとも,それ自体重大な犯罪行為であって,全体の奉仕者たる公務員に相応しくない非違行為であり,公務員としての職の信用性を著しく傷付けるものである。それが勤務時間外で行われたとしても同様である。
ウ 本件処分の対象となった原告の行為は呼気1リットル中0.24ミリグラムのアルコールが検出されたという酒気帯び運転で,原告自身もこれを認めているところ,その際,原告には車を運転しなければならない緊急性や特段の事情は存在しなかった。原告には教育現場で働く公務員としての倫理意識が著しく欠如している。
ところで,原告は,本件酒気帯び運転をした当時,上記したとおり本件指針等により飲酒運転が厳禁され,それに違反した場合免職という厳しい処分を受けることを了知していた。仮に原告がそれを了知してなかったとしても,それは原告が配布された文書に目を通さなかったという原告の非常識さ,無責任さに起因するものである。また,原告は,本件酒気帯び運転の事実について,勤務開始から約6時間経過した後の平成19年11月12日(月曜日)午後6時45分ころに至ってはじめて校長に報告しているところ,この間,同運転で検挙された事実を隠し通そうとの思いを抱いていたもので,この点においても公務員としての倫理意識や自覚が欠けていた。
エ 原告は,本件酒気帯び運転をした当時,本件高校の管理作業員として勤務していたところ,原告のような管理作業員も児童,生徒及び保護者,さらに市民から見れば,教員と同様,同じ学校園現場で働く公務員であって,児童,生徒と直接接する機会も多く,決して裏方的な仕事ばかりではなく,教育に携わる公務員であることに違いがない。
学校園に勤務する教職員は,管理作業員も含めてその行動が児童,生徒に与える影響が非常に大きく,児童,生徒及び保護者との信頼関係が重要であることもあって,公務員の中でも一段と高いモラルが求められている。
オ 原告が本件酒気帯び運転をした当時,平成18年8月の福岡市職員の飲酒運転による幼児3名の死亡事故の発生を始めとして飲酒運転等の悪質,危険な運転行為による悲惨な交通事故が続発し,飲酒運転が深刻な社会問題となり,飲酒運転根絶に対する社会的要請が非常に強く,平成19年9月には道路交通法の改正により飲酒運転の厳罰化が進んだ。そのような状況に応じて地方公共団体においても飲酒運転に対する処分基準の見直しが行われ,事故の有無にかかわらず,酒気帯び運転のみで原則懲戒免職とする地方公共団体も多くなった。
カ 原告が努力しながら行ってきたと主張する業務は,全て学校園に勤務する管理作業員の標準的な職務内容であり,その勤務態度も高く評価されていたともいえない。仮に原告がその職務において有能であったとしても,原告が行った本件酒気帯び運転が許されるものではない。
キ 公務員に対する懲戒処分は,懲戒権者たる任命権者の合理的な裁量に委ねられているので,同一の自治体であっても任命権者の違いによりなされる懲戒処分に差違が生じても不合理なことではない。
(原告)
ア 地方公務員の懲戒処分について,法は画一的に定めておらず,そのため,処分権者に一定の範囲で裁量が認められるとしても,その裁量権行使に当たっては,具体的事案に即して懲戒事由とされる非違行為の原因,動機,性質,態様,結果,影響等のほか,被懲戒者の非違行為の前後における態度,懲戒処分等の処分歴,選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等の諸般の事情を総合考慮することが必要である。また,懲戒免職という職員たる地位自体を失わしめる処分を選択する場合には,他の処分に比して特に慎重に裁量権を行使することが要請される。
イ 本件処分の対象となった原告の行為は,酒気帯び運転であって,酒酔い運転ではなく,その際,第三者の権利を侵害するような人身事故はおろか物損事故も起こしていない。また,本件酒気帯び運転は,勤務終了後の夜に個人的に飲食店で飲酒した後の行為であって,児童,生徒に直接関係する非違行為ではないし,公務遂行にかかる非違行為でもない。
なお,原告は,本件酒気帯び運転の際,当初から酒気帯び運転をするつもりはなく,いったんは代行運転業者に依頼をしたものの,四,五十分待ちと言われたため,同席していた友人に気兼ねして運転したものである。
ところで,原告は,平成19年11月12日(月曜日)の夕方に至って管理職に報告をしたのは,まず,日常業務を行い,同僚のWに相談した上で行ったからであり,そのことをもって何ら責められるべきではない。そもそも,原告が非違行為を報告したのは「逃げ得は許さない」という気持ちがあったからであり,検挙された事実を隠しておきたいとか,警察から情報がいくのではないかという不安な気持ちから報告したものではない。
ウ 原告は,本件酒気帯び運転当時,本件高校の管理作業員であって,教員ではなかった。原告の職責は,児童や生徒に対して教育を施すのではなく,専ら学校園施設の清掃及び修理,植木の剪定作業等学校園の裏方的なものであって,児童や生徒と直接関わる機会もほとんどなく,児童や生徒との関わりに関する研修も受けていない。原告の同職務と本件酒気帯び運転とは関係がない。
エ 原告は,平成18年10月1日から平成19年9月30日までの期間における勤務評定において,当初,校長から5段階評価のうち上から2番目であるa評価を受けていた。同僚管理作業員や教員らの評価も高い。
オ 社会一般に飲酒運転に対する厳しい見方,特に公務員のそれには厳しい風が吹いていることは否定しないが,社会一般の風潮に無批判に影響され,若しくは盲従し,諸事情を考慮して適正な処分を行わないことは許されない。人事院職員福祉局審査課が平成20年3月17日に発出した「懲戒処分の指針の改正について」(甲15)においても,「福岡での飲酒運転事故後,飲酒運転に対する懲戒処分の見直しが各地方自治体において行われたが,酒気帯び運転に対してした懲戒免職処分が重すぎるとして人事委員会により修正され又は裁判所により取り消された事例が発生しており,これは従来の例や他県における例に比して重すぎるとの判断がなされている点が共通点として見受けられる。」としており,「人身事故や措置義務違反のない酒気帯び運転については,免職,停職又は減給を標準例とする。」見直しが要請されている。
カ 本件処分は,他の官公署における類似事例の処分と比較しても重きに失する。
第3当裁判所の判断
1 前提事実及び証拠(略)並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 本件指針の策定と改定
ア 飲酒運転に関して,国は,以下のような文書を普通地方公共団体の担当部局等に発出している。
(ア) 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長は,平成17年12月28日,各都道府県及び指定都市の教職員人事主管課長らに宛て,各教育委員会において平成18年末までに懲戒処分に関する基準を策定し公表するよう求める文書を発出した(17初初企第29号「平成16年度教育職員に係る懲戒処分等の状況並びに教職員の服務規律の確保及び教職員のメンタルヘルスの保持等について」乙2)。
(イ) 内閣総理大臣を会長とする(交通安全対策基本法15条2項)中央交通安全対策会議は,平成18年9月15日,「国及び地方公共団体は,飲酒運転の根絶に向けた活動を一層強化し,酒気を帯びては絶対に車両等を運転してはならないこと等について国民への周知徹底を図る。飲酒運転に対する指導取締りを強化する。飲酒運転に対する制裁のさらなる強化について検討する。」旨の内容記載を含む「飲酒運転の根絶について」と題する文書(証拠略)を発出した。
(ウ) 人事院事務総局職員福祉局長は,同月25日,各府省人事担当部局長等に宛て,「近時,飲酒運転による死亡・重大事故が続発する中で,公務員の飲酒運転も目立っている,万一,職員が飲酒運転をした場合には,「懲戒処分の指針について」を踏まえて,厳正に対応されたい。」旨の内容を含む「職員の飲酒運転に対する厳正な対応について(通知)」と題する文書(職審-372。証拠略)を発出した。なお,同文書は,後記 記載の文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長の文書と共に指定都市の教職員人事主管課長らにも送付された。
(エ) 総務省自治行政局公務員部公務員課長は,同年10月5日,各政令指定都市総務局長(人事担当課扱い)等に宛て,「最近,地方公務員の飲酒運転による交通事故等が多発し,公務員全体に対する信用を損ないかねない事態が生じている,職員による飲酒運転が根絶されるよう一層の努力をお願いする,国においては,人事院事務総局職員福祉局長から職員の飲酒運転に対する厳正な対応について通知がなされている。」旨の内容を含む「職員による飲酒運転の根絶について(通知)」と題する文書(総行公第67号。証拠略)を発出した。なお,同文書は,後記(オ)記載の文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長の文書と共に指定都市の教職員人事主管課長らにも送付された。
(オ) 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長は,同月18日,各都道府県及び指定都市の教職員人事主管課長らに宛て,「最近,公務員の飲酒運転が大きな問題となっている,飲酒運転は全体の奉仕者たるに相応しくない非違行為であり,公務員としての職の信用を著しく傷付けるものである,各教育委員会において,飲酒運転の防止に対する注意喚起等交通法規の遵守について指導をし,一層の綱紀の厳正な保持に努めるよう依頼する。」旨の内容を含む「職員の飲酒運転の根絶について(通知)」と題する文書(18初初企第27号。証拠略)を発出した。
イ 大阪市(市長部局)は,平成18年4月5日,「懲戒処分に関する指針」を策定し,同年10月13日,その内容を改定した。同改定後の内容には以下の内容が含まれている(甲13)。
第2 標準例
1ないし3 省略
4 交通事故・交通法規違反関係
(1) 飲酒運転関係
ア,イ 省略
ウ 飲酒運転をした職員は,免職又は停職とする。
以下省略
※ 飲酒運転とは,酒酔い運転及び酒気帯び運転をいう。
ウ 平成18年8月25日,福岡市職員が飲酒運転の上,交通事故を惹起し,3人の幼児の命が奪われる事故が発生し,同事件等が契機となり飲酒運転に対する厳しい世論,厳罰化への世論が形成されてゆき,前提事実(9)(10)記載のとおり刑法の他,道路交通法等の改正にいたった。(甲17,乙17,弁論の全趣旨)。
エ 大阪市教育委員会は,上記ア記載の文書内容,ウで記載した福岡の事件等を背景とする飲酒運転に対する厳罰化の世論の形成,上記イで記載した大阪市(市長部局)での「懲戒処分に関する指針」策定等を踏まえて,前提事実(3)(4)で記載したとおりの本件指針等を発出している。
(2) B高校における通達等の周知状況
B高校において,本件指針等を含む各種通達等に係る各教職員への伝達は,a)職員集会での連絡,b)職員室内の掲示板への掲示,c)教職員各自のレターケースへの配付,d)事務長等による直接交付の4つの方法によりなされていた。
B高校では,各教職員が大職員室,生徒指導課職員室,進路指導課職員室,事務室及び管理作業員室の各職員室に分かれて執務していたこともあって1日の行事や翌日の業務を確認するため,原則として全職員が大職員室に集合するということで,平日に毎日,教頭の司会により行われていた(職員集会)。しかし,90パーセントの教職員が参加する程度で,原告を含む管理作業員は余り参加していなかった。それでも,各職員室の代表は参加し,内容を所属職員室の他の教職員に伝達したり,配布物を各教職員のレターケースを介して配布したりしていたことが多かった。管理作業員については,事務長が大事な事項を連絡することもあった。同集会の通常の所要時間は,二,三分程度であった。
掲示物を掲示する掲示板(縦60センチメートル,横90センチメートルの長方形の白板)は,平成16年4月以降,職員室内に設置されており,教育センターからの研修の一覧や人権教育研修の案内等を定期的に変更する態様で掲示していた。ところで,原告は,毎日,始業前に同職員室の掃除を行っていたことから,これらを目にする機会があった。
透明な素材でできていたレターケースは,B4版の書類が収容できる大きさで,事務室に設置されていたところ,書類の有無は外部から視認できた。原告を含む各教職員(ただし,校長,教頭,事務長,事務室内にいる事務職員を除く。)それぞれにケースが与えられており,配布物は,特に文書の重要性等に関する識別方法がとられることもなく,これへ入れる方法で配布されていた。同ケースには毎月月初に発行される学校行事予定や給与明細の外,職員組合関係,保険関係,互助会関係等の書類も配布されていた。各教職員に対し,一斉に配布されるものがある時は,職員集会において,伝達がされたりしていた。
また,配置転換希望届,自己の職務に関する指示通達等,何らかの対応を要する書類や,特に目を通すべき書類については,事務長等から管理作業員に対し,直接交付し,口頭で説明をする方法がとられることもあった。
(証拠略)
(3) 原告の通達等の把握状況
原告は,自己の業務に関係することもあって,月初にレターケースに入れられた学校行事予定表を必ず確認するようにしていた。また,自己のレターケースに書類がたまっていると視認できた際も適宜書類を取り出すようにしていた。
取り出した書類のうち,学校行事予定は,与えられていた自分の机に保管し,手元に置いておくようにしていたが,それ以外はぱらぱらと見て捨てることが通常であった。
(原告)
(4) 本件酒気帯び運転に関する経緯
原告は,平成19年11月9日(金曜日)午後9時15分ころ,本件高校を定時に退出して午後10時ころ,自宅に到着した。
同月10日午前零時ころ,友人から連絡があり,大阪市中央区aに向かうこととした。帰りには電車がなくなることを考え,父親の自動車を借りて運転して向かった。
原告は,友人と会食したが,その際,飲酒もした。
原告は,同日午前3時ころ,代行運転業者に自車の運転代行を依頼したところ,三,四十分ないし50分程度待つことになる旨言われた。原告は,同席していた友人が仕事の関係で帰りを急いでいたことから,友人を同乗させ,自車を運転して友人を送って帰宅することとして本件酒気帯び運転を行った。
原告は,同日午前3時20分ころ,大阪府南警察署警察官による検問を受け,本件酒気帯び運転で検挙された。その際,原告は,警察官に対し,職業を「自営業」と偽った。
原告は,その後,自車を駐車場に入れ,タクシーで帰宅した。
(証拠略)
(5) 原告の申告状況
原告は,本件酒気帯び運転後最初の勤務日である平成19年11月12日(月曜日)に出勤した後,同僚の管理作業員(業務主任)であるWに対し,本件酒気帯び運転による検挙の事実を明かし,どうしたらよいか相談した。Wは,停職か免職処分になる可能性があるとした上,自分から申し出れば停職処分で済むだろうから,早く報告するよう促した。
そこで,原告は,同日午後6時ころ,事務長に対し,本件酒気帯び運転による検挙の事実を申告した。
同事務長は,同日午後6時45分ころ,原告の本件酒気帯び運転による検挙の事実を本件高校の校長に報告した。
校長は,その直後,原告から直接,本件酒気帯び運転に関する報告を受けた。
その後,校長は,大阪市教育委員会に連絡を試みたが果たせず,翌13日(火曜日)に連絡をとることができたところ,その際,大阪市教育委員会から翌14日に事情聴取のため,原告と2人で大阪市教育委員会に来るよう指示を受けた。
(証拠略)
(6) 大阪市教育委員会関係者による事情聴取
大阪市教育委員会は,担当係長外2名の係官が担当して平成19年11月14日午後3時30分ころから校長同席の下,原告に対する事情聴取を行った。
同事情聴取は,予め校長が原告からの事情聴取に基づいて作成して提出していた事情調査メモの記載事項を基に,事実を時系列に沿って確認し,その際の原告の心境や判断を問うという方法で行われた。
原告は,処分の内容について知っているかと問われた際,停職か免職である旨答えたが,これに対し,大阪市教育委員会担当者は,公務員の飲酒運転が世間で大きく騒がれており,大阪市でも厳しい処分がある,懲戒免職もある旨の説明をしたことがあった。また,原告は,最後に何か補足したり申し置きたいことはないかと問われたが,その際,特に何もないという趣旨で「はい。」と答えることがあった。さらに,大阪市教育委員会担当者から原告に対し,懲戒免職になっても仕方がないということかとの問いかけがあったが,原告は,「はい,はい。」と答え,特に何かを付け加えて申し述べることもなかった。
大阪市教育委員会担当者は,同事情聴取の終了後,校長に対し,原告作成に係る顛末書を校長を通して同月15日までに提出するよう促し,その参考のため顛末書の書式を渡した。
(証拠略)
(7) 顛末書の作成経緯
原告は,上記事情聴取から本件高校に戻った後,校長から顛末書の作成の指示を受けたが,文章等を作成するのが苦手であったため,Wに下書きを依頼した。Wが作成した下書きは,事務長によって手直しが施され,これに基づいて原告がさらに下書きを作成した。
原告が作成した同下書きに対し,校長及び事務長が手直しを施した。その際,別紙顛末書(省略)のとおり校長は,赤色のペンで,事務長は,青色のペンで加筆修正を行った(証拠略)。
原告は,加筆修正された同下書きに基づいてさらに下書きを作成し,これを校長及び事務長に提出した。原告は,「反省と今後の対応」の欄に,「近年,特に公務員のあり方について,市民からの厳しい目で見られている現状と懲戒処分に関する指針が示される中で今回の私の行動は,大阪市職員として非常に軽率な行動であったと深く反省しております。今後は,自分自身を厳しく律していくつもりでおりますが,今回のことについては,いかなる処分もお受けします。」と記載している。校長又は事務長は,記載の枠や行末揃え等の体裁に関する修正や,日時等を確認を行った(証拠略)。
原告は,校長又は事務長が修正を行った下書きに基づき顛末書を清書し,同月15日,これを校長に提出した(証拠略)。その際,原告は,「よろしくお願いします。」と述べるのみで,特に内容について付言することはなかった。原告の清書した顛末書(証拠略)の「反省と今後の対応」は,その直前の下書き(証拠略)と同じ記載であった。
校長は,同日,原告の清書した顛末書(証拠略)を大阪市教育委員会の担当者に提出した。
(証拠略)
(8) 他の処分の状況
大阪市及びその他の自治体や国における処分等の状況は,別紙処分一覧表記載のとおりである。なお,これらは,報道機関による報道に基づくものもあり,判断主体,判断日,年齢又は勤続年数等について,必ずしも正確とはいえない可能性があるが,少なくとも処分結果等については,信用できる。
別紙処分一覧表に記載した各事案合計64件のうち,懲戒免職処分とされたり,懲戒免職処分の取消請求が棄却されたものや,懲戒免職処分の違法性が否定されたものは,番号5,15ないし27,29,33,35,37,42,50,53,59,60,63の24件である。これらは,いずれも上記福岡市における平成18年8月25日の交通事故以降のものである。
なお,人事院は,平成17年及び平成18年の各省に対する調査により飲酒運転に係る懲戒処分の件数を把握しているが,2年間を通じて懲戒免職となった事案は1件のみである(甲17)。
人身への危害や物損が生じたことがうかがわれる事案は,番号3ないし6,22,24,28,43,45の9件である。このうち,懲戒免職となった事案は,番号5,22,24の3件であり,必ずしも人身への危害や物損が発生すれば懲戒免職処分となるとはいえないし,逆に人身への危害や物損がなくても,懲戒免職処分となることがあることがうかがわれる。
呼気1リットル中のアルコール量が判明している事案で,アルコール量の順で上位13位までを並べると,番号4(0.4ミリグラム),同順位で3,14,15,27,29(0.35ミリグラム),また同順位で2,21,56(0.3ミリグラム),また同順位で6,8,9,28(0.25ミリグラム)となるが,これらのうち,懲戒免職となったものは,番号15,21,29のみであり,アルコール量と処分の軽重との有意な相関関係は見いだせない。
従前,酒気帯び運転により懲戒処分を受けたことがあった事案は,番号27,53の2件であるが,いずれも懲戒免職処分とされている。
(証拠略)
(9) 人事院の処分例の改定
人事院職員福祉局審査課は,平成20年3月17日,「懲戒処分の指針の改正について」と題する文書(甲15)を発出した。
同文書では,標準例に掲げる量定以外の量定とすることが考えられる場合の例示が下記のように追加された。
記
【標準的な処分量定より重い量定とすることが考えられる場合】
・ 職員が行った動機,行為の態様が極めて悪質であるとき
・ 職員が管理又は監督の地位にある等その職責が特に高いとき
・ 職員が行った行為の公務内外に及ぼす影響が特に大きいとき
・ 職員が過去に類似の非違行為を行ったことを理由として懲戒処分を受けたことがあるとき
・ 職員が処分の対象となり得る複数の異なる非違行為を行っていたとき
【標準的な処分量定より軽い量定とすることが考えられる場合】
・ 職員が自らの行為が発覚する前に自主的に申し出たとき
・ 職員が非違行為を行うに至った経緯等の情状に特に酌量すべきものがあると認められるとき
また,飲酒運転等に係る標準例及びその処分量定について,実際の処分量定が予め各都道府県等で定めた懲戒処分の基準どおりに行われる一方で,酒気帯び運転で懲戒免職とした処分が重すぎるとして職員が不服を申し立て,処分が人事委員会により修正され又は裁判所により取り消された事例もある,その詳細な理由は事案により様々であるが,従来の例や他県における例に比して重すぎるとの判断がなされている点が共通点として見受けられるとして,下記のように例示が改正された。
記
酒酔い運転をした場合には免職又は停職(人身事故を起こした場合には免職),酒気帯び運転をした場合には免職,停職又は減給(人身事故を起こした場合には免職又は停職(措置義務違反があった場合は免職)とすることとする。
(10) 大阪市の例規
地方公務員法は,「職員の懲戒の手続及び効果は,法律に特別の定がある場合を除く外,条例で定めなければならない。」旨定めるところ(同法29条4項),大阪市は,「職員の懲戒に関する条例」(大阪市昭和26年条例89号)の中で,職員の懲戒手続について,以下のように定めている。
3条(懲戒の手続等)
1項 法第29条第1項の規定により職員に対し懲戒処分として戒告,減給,停職又は免職の処分をするには,その職員が同項各号の1に該当すると認められる客観的事実の明らかな場合でなければならない。
2項 戒告,減給,停職又は懲戒処分としての免職の処分は,その旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない。
なお,地方教育行政の組織及び運営に関する法律は,「教育委員会及び学校その他の教育機関の職員の任免その他の人事に関すること。」を教育委員会が管理及び執行をすべき事務として定めるが(同法23条3号),その任免に関する手続については,何ら定めていない。
2 争点1(原告に対する本件指針の周知の成否)について
上記前提事実及び1で認定した事実を踏まえ,原告に対して本件指針が周知されていたか(争点1),まず,検討する。
(1) 被告の主張等
被告は,本件指針が原告にも周知されていた旨主張し,教頭は,それに沿う証言をする。確かに,上記1(2)で認定した事実によれば,大阪市教育委員会からB高校校長宛に配布された本件指針等について,少なくともa)職員集会で説明がなされたこと,b)職員室内に設置された掲示板に掲示されていたこと,c)原告のレターケースに配布されていたことが窺われる。
(2) 同争点に対する検討
ア ところで,本件指針は,個々の教職員にとって如何なる場合に懲戒処分を受けるか,また,どの程度の処分を受けるか,その基準を定めたものであって,特に,免職事由は,個々の教職員の身分関係に直接関係する重要な事項であって,その身分に大きな影響を与えるものである。また,飲酒運転についてはそれまでの取扱に比して,原則免職と厳罰化方向で定められたものであった。このような内容をもつ本件指針が,日常の職務の中で文書に親しむことが比較的少ない原告のような管理作業員を含む現業の職員に対して周知されたと言えるためには,文書を直接交付し,口頭で直接,懲戒処分,特に免職に至るまでの懲戒事由に関する指針が記載された重要な文書であることを告げる等,個々の職員の注意を引くような方法でその周知がなされなければならず,単に文書を配布すればそれでもって足りるといえるかは疑問である。
イ そこで,教頭がとった上記各周知方法について検討する。
まず,職員集会を通じた方法であるが,本件全証拠によれば,原告が職員集会に出ていたことが認められず,また,事務長から本件指針の内容が原告を含む管理作業員に伝えられていたことまでは認められず,かえって,証拠(証拠略)によれば,職員集会は大半の教職員が出席していたものの必ずしも全教職員が参加していたわけではないこと,それが開かれる時間帯は生徒が登校する時間帯であって,原告は,その時間帯には管理作業員室のモニター等で人の出入りを監視することが多かったことが窺われる上,上記1(2)で認定したとおり,職員集会での連絡事項の全てが原告を含む管理作業員まで伝えられていたとまでいえないところ,以上の事情からすると,仮に教頭等から職員集会で簡単な説明があったとしてもそれを聞いていない可能性も高く,したがって,職員集会を通じた方法により原告に対してその周知がなされていたとまでは認めがたい。また,本件全証拠によるも本件指針等,上記各文書について,注意を喚起するような方法で職員集会において具体的に説明されたようなことまで窺うこともできない。
また,本件指針等の掲示板への掲示であるが,確かに,原告は,掲示板が設置されている職員室内に掃除のために立ち入ることがあり,そこで目にする機会もあったことが窺われる。しかし,掲示板には上記1(2)で認定したとおり掲示板が設置されていた場所は教員の職員室であって,教員の研修に関する掲示物等,原告の業務と関わりのないものも掲示されていたこと,原告が同部屋に立ち入るのは掃除等のためであって,殊更,掲示板に着目してその掲示物を見ることまでは想定されていなかったことが窺われる。以上の事情を踏まえると,掲示板への同各文書の掲示の方法も原告に対してその周知がなされていたとまでは認めがたい。
そして,レターケースへの配布の方法であるが,確かに,原告は,同方法により本件指針等の配布物を目にする機会があったことが窺われる。しかし,同方法は,特に文書の重要性等に関する識別方法がとられることもないまま,レターケースの中に入れておくものであったため,周知の徹底が必要な文書であっても,それぞれの文書に特に読むように印を付けたり,具体的に読むよう指示するなり,注意喚起がなされていない限り,読まれない可能性も高かった。本件全証拠によるも,原告に対して,注意を喚起させるような方法で本件指針等の文書を配布したことまでは認めがたい。以上の事実に上記1(3)で認定した事実を総合すると,本件指針等についてレターケースへの配布という方法がとられたとしても,原告に対してその周知がなされていたとまでは認めがたい。なお,同説示は,あくまで懲戒免職処分との関係でそれの前提として本件指針等の周知がなされたか否かを述べるものであって,いかなる場合であっても,配布された文書を読まないことが正当化されるわけではないことはいうまでもない。
(3) 小括
そうすると,被告の本件指針が原告にも周知されていた旨の主張は理由がない。
3 争点3(本件処分について裁量権の逸脱濫用があったか)について
(1) 判断の基礎的事項について
公務員に対する懲戒処分は,当該公務員に職務上の義務違反,その他,単なる労使関係の見地においてではなく,国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする勤務関係の見地において,公務員としてふさわしくない非行がある場合に,その責任を確認し,公務員関係の秩序を維持するため,科される制裁である。ところで,国家公務員法(以下「国公法」という。)は,同法所定の懲戒事由がある場合に,懲戒権者が,懲戒処分をすべきかどうか,また,懲戒処分をするときにいかなる処分を選択すべきかを決するについては,具体的な基準を設けていない。したがつて,懲戒権者は,懲戒事由に該当すると認められる行為の原因,動機,性質,態様,結果,影響等のほか,当該公務員の前記行為の前後における態度,懲戒処分等の処分歴,選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等,諸般の事情を考慮して,懲戒処分をすべきかどうか,また,懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきか,を決定することができるものと考えられるのであるが,その判断は,前記のような広範な事情を総合的に考慮してされるものである以上,平素から庁内の事情に通暁し,部下職員の指揮監督の衝にあたる者の裁量に任せるのでなければ,とうてい適切な結果を期待することができないものといわなければならない。それ故,公務員につき,国公法に定められた懲戒事由がある場合に,懲戒処分を行うかどうか,懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは,懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。もとより,前記の裁量は,懇意にわたることを得ないものであることは当然であるが,懲戒権者が前記の裁量権の行使としてした懲戒処分は,それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し,これを濫用したと認められる場合でない限り,その裁量権の範囲内にあるものとして,違法とならないものというべきである。したがって,裁判所が前記の処分の適否を審査するにあたっては,懲戒権者と同一の立場に立つて懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し,その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく,懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き,裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである(参照・最高裁判所昭和52年12月20日第三小法廷判決民集31巻7号1001頁)。これら判断手法は,地方公務員にも妥当するものである。
(2) 具体的検討
ア 被告は,大阪市教育委員会が原告に対して行った本件処分は,事前に定めていた本件指針にしたがったものであり,その処分対象の態様,同処分対象行為をするに至った経緯,原告の地位,本件指針の周知状況等の事情を総合的に考慮したもので,そこには裁量権の逸脱,濫用はなく,適法な行為といわざるを得ない旨主張する。
確かに,原告は,生徒等の教育を主眼とする本件高校に勤務する地方公務員で,日常の職務活動の中で生徒らと一定の関わりを持つことがあることも想定されていた。また,本件処分の対象となった本件酒気帯び運転は,確定的故意に基づく行為であったところ,これは,アルコールの影響により的確な運転操作ができないような状況下で自動車を運転したという事故の危険があるものであって,危険が顕在化して事故に至れば,人の生命や身体,財産等に多大な損害を生じさせるおそれのある行為であった。そして,同運転の際の原告の体内のアルコール量も,呼気1リットル中0.24ミリグラムと刑事罰が科される呼気1リットル中0.15ミリグラムを優に超える分量であって,運転免許取消の行政処分が科される呼気1リットル中0.25ミリグラムの寸前であった。しかも,本件酒気帯び運転をした当時,飲酒運転に対して厳罰化を求める世論も形成され,現にこれに呼応する形で刑法及び道路交通法改正が行われる等していた状況であった。
ところで,原告が同運転をするに至った動機であるが,深夜まで酒食をした上,運転代行業者を待っていては同席した友人が翌日の仕事に差し支えるとして,タクシーを利用する余地もあったのに,敢えて自車で友人を送って帰宅しようとしたものである。
イ しかし,原告は,本件酒気帯び運転により人の生命,身体及び財産に対して損害を与えたことはない。原告は,本件高校に勤務していたものの教員ではなく,「管理作業員」という現業職の職員であって,生徒に対する教育指導を主たる職務内容とする教員とは地位及び職責が異なり,求められる資質も自ずと異なっていた。また,本件酒気帯び運転によって直接原告の業務や本件高校の業務に支障が出たり,学校園の管理作業員としての適格性に直ちに疑義が生じたものでもない。そして,同運転は公務上のものでもなく,職場の同僚との会合等公務に関係するものでもなく,私的行為としてなされたものである。さらに,原告には本件処分までに非違行為を理由に懲戒処分を受けた処分歴がなく,平素の勤務態度も目覚ましい成果を出していたとか,特別な能力を発揮していたという事情までは見あたらないが,真摯に職務を遂行していたことが窺われる。
なお,原告の本件酒気帯び運転に関する申告状況は,上記1(5)で認定したとおりであるが,同認定事実を踏まえると,やや校長に対する報告が遅くなっている感があるが,原告が週明けの最初の勤務日である月曜日のうちに自己申告をしていることからして,殊更に隠蔽工作を行ったことまで認めることができない。また,原告は,同運転で検挙された際,警察官に対しても職業を自営業と偽ったことがあるが,これとて,上記のとおり校長らに同運転について自主申告をしていることからすると,同虚偽事実の申告をもって不利益に扱うことは相当でない。
ウ ところで,懲戒免職処分は,職員としての身分を奪うものであって,停職以下の懲戒処分とは質的に相違する処分であって,その特質からすると,その選択は慎重になされなければならない。
そこで,原告に対する本件処分であるが,確かに,重大な非違行為で懲戒処分に値する行為であることはいうまでもなく,本件指針に沿ったもので,その選択に当たって上記アで記載したような事実があったが,同イで記載した事実を踏まえると,原告に対して職員の身分を失わしめるという本件処分を科すことは過酷というべきであって,重きに失し,社会的相当性を逸脱しているというべきである。
また,前記のような飲酒運転を取り巻く状況に照らすと,原告の本件酒気帯び運転は,保護者や市民に対する関係において少なからぬ信用失墜を招いたものではあるが,それは懲戒免職処分によってしか回復できないとまでいうことはできず,それ以下の停職処分によっても回復することができるというべきである。
エ 以上のことを踏まえると,大阪市教育委員会の原告に対する本件処分は同委員会に委ねられた裁量権の範囲を逸脱濫用した違法があり,取消を免れない。
オ なお,本件処分に対する適正手続の履践の成否であるが,上記1(6)及び(7)で認定した事実を踏まえると,大阪市教育委員会ないし校長が本件処分に当たって原告から事情聴取した際の手続きの中で原告に一定の言動を強制したりしたことまでは認められず,かえって,原告は,同委員会の担当者らからの質問に対して殊更不自然と思われるような態様でない対応,言動をしていることが窺われる。顛末書の作成及びその内容についても上記1(7)で認定した事実を踏まえると,殊更違法とまで認めるに足る事情まではない。そうすると,同委員会の原告に対する本件処分は,地方自治法及び大阪市条例に則って適法に行われ,憲法31条の要請にも叶うものというべきである。
4 以上の次第で,原告の本件処分の取消を求める本件請求は理由があるから,これを認容することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中村哲 裁判官 大須賀寛之 裁判官 足立堅太)