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大阪地方裁判所 平成21年(ワ)9993号 判決 2012年1月25日

原告

被告

Y株式会社

主文

一  被告は、原告に対し、四五〇〇万円及びこれに対する平成二一年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、四五〇〇万円及びこれに対する平成二〇年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告に雇用されていたA(以下「A」という。)の妻である原告が、Aが被告の業務中に航空機事故(以下「本件事故」という。)によって死亡したことに関し、被告に対し、被告の災害補償規定に基づき、法定外遺族補償金四五〇〇万円及びこれに対する被告が訴外保険会社から本件事故にかかる保険金を受領した日の翌日である平成二〇年三月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  前提事実(証拠を掲記した事実を除くほかは、当事者間に争いがない。)

(1)  当事者等

被告は、航空機使用事業、不定期航空運送事業、写真測量事業及び航空機空輸作業等を主な目的とする株式会社である。

原告は、Aの妻である。

A(昭和一五年○月○日生まれ)は、被告の嘱託社員として勤務していたが、平成一九年一一月一五日、航空測量の業務中に発生した航空機事故(本件事故)により死亡した。

(2)  本件事故の概要

被告に所属する航空機(型式セスナ式四〇四型・航空機登録番号<省略>、以下「本機」という。)は、平成一九年一一月一五日、航空測量のため、名古屋飛行場を離陸し、岐阜県中津川市恵那山付近を飛行中、午前一〇時三六分ころ、恵那山山頂の北西約五〇〇m付近の立木に衝突し、墜落した。本機には、A(機長)、被告の従業員のB(以下「B」という。整備士)、a株式会社(以下「a社」という。)の従業員のC(以下「C」という。航空測量員)の計三名が搭乗していたが、A及びCが死亡し、Bが重傷を負った。本機は、大破した。

(3)  被告の災害補償規定

被告の災害補償規定(以下「本件規定」という。)には、以下のとおりである。(甲一)

ア 第一条(目的)

この規程は従業員が業務上の事由により被った身体の障害(疾病、後遣障害または死亡を含む。以下「身体の障害」という。)に対して、会社が行う補償について定める。

イ 第二条(補償の範囲)

一項 従業員が業務上の事由により身体に障害を被った場合には、当該従業員またはその遺族に対して、次の各号に定める補償を行う。

一) 労働基準法第八章(災害補償)に定める災害補償

二) 法定外災害補償

二項 但し、同一の事由につき労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)または労働基準法(以下「労基法」という。)に定める補償を受けるときは、会社は前項第一条に定める災害補償は行わない。

ウ 第三条(種類)

法定外災害補償の種類は次の通りとする。

一  法定外休業補償

二  法定外障害補償

三  法定外遺族補償

エ 第六条(受給資格者の範囲)

法定外補償の受給資格は労災法の定めによるものとする。

オ 第七条(補償の制限)

従業員本人の故意または重大な過失によって身体の障害を被った場合および正当な理由なく療養の指示に従わず身体の障害の程度を増進させ、もしくはその回復を妨げた時、あるいは従業員本人の過失により会社に重大なる損害を与えたと会社が認めた場合には、法定外補償の全部又は一部を行わない事ができる。

カ 第一一条(法定外遺族補償)

従業員が業務上の事由で死亡した場合は遺族に対して次の額を補償する。

四、五〇〇万円

キ 第一四条(解釈の疑義)

この規定に定める事項につき疑義を生じたときは労使協議の上適用するものとする。

(4) 本件事故及びAの死亡について本件規定第一一条の該当性

Aは、被告の「業務上の事由で死亡し」、原告は、本件規定第一一条に基づく法定外遺族補償金四五〇〇万円の受給資格者である「遺族」にあたる。

(5) 労働災害保険契約

ア  被告は、日本興亜損害保険株式会社(以下「訴外保険会社」という。)との間で、平成一八年一一月二七日、被保険者及び保険金受取人を被告、保険金額を四五〇〇万円として、労働災害総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。本件保険契約の約款の第一章「法定外補償条項」は、以下のとおりである。(甲三、乙一七、調査嘱託の結果)

(ア) 第一条(当会社の支払責任―その一)

当会社は、保険証券記載の被保険者の被用者が業務上の事由により被った身体の障害について、次のいずれかの金額を、この法定外補償条項(中略)の規定に従い、保険金として被保険者に支払います。

(1)被保険者が法定外補償規定を定めている場合は、被保険者がその規定に基づき、被用者またはその遺族に支払うべき金額のうち、別表に定める金額(別表及び(2)について省略)

なお、本件保険契約の契約申込書には、「法定外補償規定有無」欄に「あり」と記載されていた。

(イ) 第三条(被用者への支払義務)

被保険者は、第一条により受領した保険金の金額を、被用者またはその遺族に支払わなければなりません。

二 前項の規定に違反した場合には、被保険者は、既に受領した保険金のうち、被用者またはその遺族に支払われなかった部分を当会社に返還しなければなりません。

(ウ) 第五条(保険金を支払わない場合―その二)

当会社は、次の各号のいずれかに該当する身体の障害については保険金を支払いません。

(1)被用者の故意、または被用者の重大な過失のみによって、その被用者本人が被った身体の障害(後略)

イ  被告は、訴外保険会社に対し、平成二〇年三月六日、本件保険契約に基づき、保険金の支払を請求した。

ウ  被告は、訴外保険会社から、平成二〇年三月二五日、本件保険契約に基づき、保険金四五〇〇万円(以下「本件保険金」という。)を受領した。(甲三、四、調査嘱託の結果)

(6) 訴え提起前における原告と被告のやりとり

ア  被告は、原告に対し、平成二一年二月一五日、弔慰金として三五〇万円を支払うことを提示した。(乙二〇)

イ  原告は、被告に対し、平成二一年四月一四日、本件規定に基づく法定外遺族補償金四五〇〇万円の債務の履行を請求した。

二 争点

(1) 本件規定第七条による免責の可否(主位的主張)

(2) 本件規定第七条による相殺の適否(予備的主張)

(3) 信義則違反等

(4) 遅延損害金の起算日

三  争点に対する当事者の主張

(1)  争点一(本件規定第七条による免責の可否〔主位的主張〕)について

(被告の主張)

ア 総論

被告は、本件規定第七条後段により、被用者の過失により被告が重大な損害を被った場合には、その裁量によって、法定外補償金の請求権を制限することができる。そして、次のとおり、本件事故は、Aの過失によって被告に重大な損害を与えたものであるから、本件規定第七条後段に基づき、被告は支払を免れることができる。よって、被告に支払義務はない。

(ア) Aの過失

本件事故当時、恵那山山頂付近で雲が発生し、かつ、山頂付近は、雲で覆われていた。付近に強風、乱気流はなかった。また、本機に機械的トラブルはなく、航測計画コースに問題もなかった。

Aは、①山岳等との衝突の危険を回避するために、飛行計画の段階で、事前に、周辺の山岳等の地形を把握した上で、飛行中においても、山肌近くを飛行しないように、余裕をもって飛行進路をとるべきところ、飛行計画の段階で恵那山山頂の位置に注意を払わず、飛行時も恵那山山頂を十分に目視しなかった、あるいは、雲に覆われて目視できないことを重要視せず、山裾の位置からの、憶測に頼った(山頂への注意不足)。Aは、②衝突の直前の旋回時、北西の風(風速三〇ノット前後)の影響を考慮してより大きなバンク角(一八度くらい)で旋回し、旋回半径を小さくすべきであったのに、漫然と一五度くらいのバンク角で旋回を始め、そのまま旋回を続けたため、風に流されて旋回半径が大きくなりすぎ、山肌に衝突するコースをとってしまった。また、③Aは、有視界飛行方式をとっていたから、飛行中に雲に入らないようにすべき義務があったにもかかわらず、雲への注意を怠って、予定進路に雲があるのに気がつかず、進入してしまったか、あるいは、雲に気付いていたが、すぐに雲から抜けられるものと軽信して、雲に入ったことにより、山の斜面が間際に迫っていることに気づかず衝突してしまった。④Aは、機体と搭乗員の安全を預かる機長として、雲に入ってしまった段階で、直ちに航測のための飛行を中止し、急旋回ないし急上昇して雲から抜けることを優先すべきであったにもかかわらず、これを怠ったという過失がある。

(イ) 重大な損害

以下のとおり、被告は、本件事故によって、少なくとも、二億六六〇九万三六四六円にのぼる損害を被った。被告の加入していた保険により填補されるのは、このうち、一億四〇二五万二〇〇〇円程度にすぎず、残金一億二五八四万一六四六円の損害が残っている。

a 事故対応、事故調査に伴い要した費用

(a) 事故現場調査、渉外、機体回収費用(人件費) 四七九万九〇八八円

(b) 航空局、事故調査委員会、警察等への対応、報告文書の作成(人件費) 一〇九六万〇八八〇円

(c) そのほか人件費以外の交通費、葬儀費用等の諸経費 四七二万五五六八円

b 逸失利益

(a) a社との年間契約の解除にかかる逸失利益 二四〇三万二〇二五円

(b) 営業自粛(停止)期間の逸失利益 五七三万六九五三円

(c) 遊覧飛行キャンセル分 七〇万二〇七〇円

(d) ○○運営に係る電波の中継飛行における代替機の使用 九二三万三五九二円

c 機体購入費等 九五〇〇万円(ただし、機体導入費用保険四〇〇〇万円が填補される予定。)

d 機体保険率上昇損失 九七一万五八六一円

e 事故機体運搬、産廃処理費用 二二万〇五〇〇円

f 第三者に対する損害賠償

(a) Cの遺族、a社、国、b神社等に対するもの約一億円(ただし、全額につき、被告が加入する保険で填補される予定。)

(b) Bに対する治療費 九六万七一〇九円(ただし、二五万二〇〇〇円につき、被告が加入する保険で填補された。)

イ 本件規定第七条後段の「過失」の解釈

(ア) 原告は、本件規定第七条後段を「重過失」に限定すべき旨主張する。

(イ) しかし、法定外補償は、使用者が任意で独自に設ける制度であるから、制度を設けるか否かだけではなく、制度を設ける場合に、補償金の支給要件、支給金額、支給対象者等も各企業が自由に設定できる。

被告においては、本件規定第七条後段は、「従業員本人の過失により」という文言どおり、重過失ではなく、過失が要件となっているとみるべきである。これは、同条前段が「故意又は重大な過失によって」という文言となっており、書き分けられていることからも明らかである。

本件規定第七条後段は、使用者が、重大な損害を負った場合につき過失という帰責性がある被用者に対して、被用者等の福利厚生よりも、会社の損失の填補を優先し、補償の制限をすることができる裁量を有していることを定めたもので、利益衡量上も、不当なものでは全くない。

(ウ) 本件保険契約との関係

企業を契約者とする労働災害保険契約の目的は、被保険者や遺族の福利厚生の一環という側面があるにしても、一義的には、企業の損失を填補するために、企業と保険会社の二者間で締結されるものである。したがって、本件保険契約によって、遺族が企業に対して請求権を直ちに持つものではなく、被用者や遺族は、企業との契約関係ないし労働協約等の法規類似の関係により請求の根拠を持つにすぎない。原告と被告の関係は、本件規定によって規律される。

本件保険契約の約款に「故意または重過失」とされているが、被告と保険会社との契約関係によって、被告と原告との関係が直ちに決せられるわけではない。また、上記約款を考慮するとすれば、そもそも、重過失の場合には、被告には、引き渡すべき補償金が存在しないのであるから、本件規定第七条が「法定外補償の全部または一部を行わないことができる」と定めるように、不支給のみならず、支給額を変えられるとしていることを想定できないし、また、本件規定第七条後段が定めるように「会社が認めた場合」と被告の判断を入れる余地はないのであって、本件規定が意味をなさなくなってしまう。本件規定第七条後段が単に「過失」とのみ定めているのは、「故意・重過失」ではなく、単なる過失の場合のみ会社の判断によって支給額を変えることが想定されるからである。このように、保険会社との約款の存在はむしろ、本件規定第七条が重過失の場合に制限されないことの根拠ともなる。

また、保険会社が保険金を被用者に引き渡すように約款を設けているのは、企業が事故によって損失以上の補償金を保険会社から不当に得ることがないようにする趣旨であり、企業に必ず遺族に保険金を引き渡す義務ないし引き渡さなかった保険金を返還する義務を生じさせるものではない。

(原告の主張)

被告は、本件規定第七条によって支払を免れる旨主張するが、以下のとおり、理由がない。

ア 自白の成立

被告は、答弁書において、本件規定第七条後段の解釈について、補償請求権と従業員に対する損害賠償請求権との相殺を認めた規定であると主張し、また、その後、準備書面において、原告に、本件規定に基づいて四五〇〇万円の遺族補償金請求権がいったん発生していることを前提とした上で、同請求権は、被告が原告に対して有する損害賠償請求権と相殺により消滅した旨主張した。このとおり、被告は、本件規定に基づき、原告の被告に対する法定外遺族補償金請求権が発生していることを認めた。

したがって、本件規定に基づいて遺族補償金四五〇〇万円の支払義務が発生したことについて自白が成立しており、これを撤回することは許されない。

イ 本件規定第七条後段の「過失」の解釈

災害補償規定が定める法定外災害補償は、危険業務に従事する従業員には、業務上の事由により身体に障害を被る危険があるため、このような危険が顕在化した場合に備えて定められているものである。にもかかわらず、従業員の単なる過失による場合にも、被告の裁量により、法定外補償金の制限が可能となるのは不当である。

また、本件保険契約の約款においても、支給を制限する場合として、被用者の故意又は重大な過失が要件となっている。さらに、災害補償金として支払われる保険金は、約款上、必ずその全額を被用者に受け渡すことが要請されており、使用者が保険金を受領した後、被用者への支払を拒むことは許されない。このことからしても、法定外災害補償金の制限が被告の裁量により可能となるのは、被用者の故意又は重大な過失がある場合に限られるというべきである。

本件において、Aに故意又は重大な過失は認められない。したがって、本件規定第七条後段を適用することはできない。

ウ 本件規定第七条の要件に該当しないこと

(ア) Aに過失がないこと

本件規定第七条後段の「過失」が文言どおり軽過失も含むものと解釈されたとしても、本件事故について、Aに軽過失も認められない。

航空事故調査報告書によっても、本件事故発生時に、恵那山山頂付近に雲が発生していたかは不明である。

(イ) 損害が発生していないこと

本件事故による被告の損害は、これが発生したとの客観的証拠はなく、仮に何らかの損害が生じていたとしても、被告の加入する航空保険等の保険金でまかなわれているから、実損害は発生していない。

(2)  争点(2)(本件規定第七条による相殺の適否〔予備的主張〕)について

(被告の主張)

仮に、前記(1)の主張が認められなかったとしても、本件規定第七条は、遺族の法定外遺族補償金請求権と会社の従業員に対する損害賠償請求権との相殺を認めた規定であると解される。

本件において、被告に法定外遺族補償金の支払義務自体が発生していたとしても、Aの過失によって被告には少なくとも一億五〇〇〇万円程度の損害が発生している。したがって、被告は、Aの損害賠償債務を相続した原告に対し、同損害賠償請求権をもって、原告の法定外遺族補償金請求権とその対当額において相殺するとの意思表示をする。

よって、相殺により、原告の被告に対する法定外災害補償金の請求権は消滅した。なお、仮に、被告の使用者たる地位に鑑み、被告の損害賠償請求権が一定の限度で制限されるとしても、少なくとも四五〇〇万円以上の損害賠償請求権は有しているから、原告の法定外遺族補償請求権は全て消滅する。

(原告の主張)

ア 相殺禁止

災害補償金は、被用者が業務上の事由により身体の障害を被った場合に、被用者や遺族の生活を経済的に脅かすことのないようにして、その保護を図る趣旨で定めているものである。

そして、被用者又は遺族に対する災害補償金の支払を確実に行うため、企業は、労働災害総合保険契約に加入しており、被告も、本件保険契約に加入していた。また、本件保険契約約款には、受領した保険金を遺族に支払わなければならない旨明確に規定している。本件保険契約の趣旨及び約款の規定からすれば、被保険者である被告が受領した保険金は、その全額を、現実に被用者又は遺族に支払わなければならないことは明らかである。

災害補償金の上記趣旨及び本件保険契約約款等を考慮すると、企業は、被用者又は遺族に対し、災害補償金の全額を現実に支払わなければならないというべきであり、企業の被用者又は遺族に対する債権をもって相殺することは許されない。

よって、被用者又は遺族に対して、被保険者が損害賠償請求権を有していたとしても、同請求権と補償金支払債務を相殺することは許されないから、被告の主張は認められない。

イ Aに本件事故について損害賠償債務が発生していないこと

本件事故に関し、Aに過失が認められないし、被告に実損害は発生していない。

使用者は、被用者を使用することによって利益を得ていることに鑑み、被用者の行為によって使用者が損害を被ったとしても、使用者の被用者に対する損害賠償請求については、信義則上、一定の制限がされるべきである。

(3)  争点(3)(信義則違反等)について

(原告の主張)

ア 本件規定第七条は、被告に対し、一定の場合に災害補償金の支給を制限する裁量権を委ねたもの、ないし、被告に補償するか否かの選択権を与えたものと解される。

イ 本件保険金の受領

しかし、被告は、すでに本件保険金を受領している。本件保険契約は、被用者や遺族に対する法定外災害補償金の支払に充てるために締結された契約であり、本件保険契約約款は、使用者が被用者等に対して災害補償金の支払義務を負うことを保険金の支給要件と定め、保険金全額を被用者や遺族に支払わなければならないと定めている。被告の原告に対する法定外補償金の支払義務がない場合にまで保険金の給付がされる契約ではない。

被告が原告に対して支払義務がないのに、本件保険金を受領する理由はなく、被告が受領していることは、原告に対する法定外遺族補償金の支払義務があることを自認していたからであり、被告は、本件規定第七条後段の適用をしないという選択をしたことが明らかである。

被告は、本件規定第七条を適用しないことを選択して、本件保険金を受領し、原告の被告に対する法定外遺族補償金請求権が確定したのであるから、被告の一存で従前の意思決定を撤回し、本件規定第七条を適用することは、信義則上許されない。

ウ 原告に対する説明

また、被告のD専務(以下「D専務」という。)は、原告ら遺族に対し、保険金が入れば直ちに原告に支払う旨発言し、書類手続への協力を要請していた。被告は、原告に対し、本件規定第七条後段を適用することなく、災害補償金を支給する旨の意思表示をしていたというべきである。

エ 以上のとおり、被告が本件保険契約に基づき本件保険金を受領して法定外遺族補償金を支給することを選択したこと、原告に対しても本件規定第七条は適用しない旨の意思を表示していたことに照らすと、被告が本件規定第七条による補償の制限を主張することは、信義則上、許されない。また、被告は、補償制限をなし得るという選択権を放棄し、選択権を失ったというべきである。

(被告の主張)

ア 原告の主張する選択権の放棄という制限の根拠が不明である。

イ 被告が本件保険金を受領したことは、本件規定第七条と何ら関係がない。

ウ 被告のD専務が原告ら遺族に補償金等の本件事故に関する処理の内容を確約したことはない。仮に、原告の主張するような何らかの発言があったとしても、原告の主張は単に言葉尻を捉えたものであり、信義則違反と評価されるような事情はない。

(4)  争点四(遅延損害金の起算日)について

(原告の主張)

Aは、被告の航空測量の業務中に本件事故により死亡したから、被告は、本件規定第一一条に基づき、受給資格者である原告に対して法定外遺族補償金四五〇〇万円を支払う義務があるところ、被告は、法定外災害補償金の履行のために、訴外保険会社との間で、本件保険契約を締結し、原告に支払う法定外遺族補償金に充てるべき本件保険金を受領した。本件保険金は、本件保険契約約款第一章第三条によれば、被用者又は遺族に支払われなければならないとされているから、被告は、本件保険金を受領した場合には、直ちに、原告に法定外遺族補償金を支払う義務がある。

よって、原告は、被告に対し、本件規定に基づき、法定外遺族補償金四五〇〇万円及びこれに対する被告が保険金を受領した翌日である平成二〇年三月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の主張)

争う。

第三当裁判所の判断

一  争点一(本件規定第七条による免責の可否〔主位的主張〕)について

(1)  前記前提事実のとおり、Aは、被告の航空測量の業務中に本件事故により死亡したから、被告は、本件規定第一一条に基づき、受給資格者である原告に対して法定外遺族補償金四五〇〇万円を支払う義務があるところ、被告は、本件規定第七条によって、上記支払義務が免れる旨主張するので以下検討する。

なお、原告は、自白が成立する旨主張するが、被告が本件規定第七条後段の解釈について相殺を認めた規定である旨述べたことをもって、裁判上の自白をしたことにはならない。

(2)  本件規定の趣旨

本件規定により、法定外災害補償の制度が設けられているが、その制度趣旨は、業務上の災害にあった被用者側に対し、労災保険金を超えてそれ以上の手厚い補償を与えるところにある。一方で、会社は、本件保険に加入し、当該補償に当てる保険金を受け取れることで補償を負担すべきリスクを回避しているという面がある。

本件規定と本件保険契約は、死亡の場合、本件規定の法定外遺族補償は四五〇〇万円(本件規定一一条)、本件保険の死亡保険金も四五〇〇万円(甲三)と一致させてあることや、本件保険契約の約款によると、被保険者が訴外保険会社から受領した保険金は、すべて被用者又はその遺族に交付しなければならないとされており、被保険者が被用者又はその遺族に交付しなかった場合には、訴外保険会社に保険金を返還しなければならないとされている(本件保険約款第一章三条)ことからも、明らかに、法定外災害補償と本件保険とは、密接に関係する仕組みとなっており、連動する制度として設計されていることがわかる。

ところが、免責事由については、本件保険の免責事由は、被用者の故意又は重過失により被用者本人が被った損害(本件保険約款第一章五条)とされているが、本件規定の免責事由は「従業員本人の過失により会社に重大なる損害を与えたと会社が認めた場合」(本件規定七条後段)とされており、一致していない。

しかし、法定外災害補償における被用者側保護の趣旨及び上記の仕組み上の密接な関係に照らせば、会社側が本件保険金を受領しながら、これを法定外災害補償として被用者側に交付せず、これを会社が取得してしまう事態は、全く想定されていないというべきである。

したがって、本件規定の免責事由の解釈においても、本件保険の免責事由の解釈も踏まえて、「過失」及び「重大なる損害」の各要件について通常以上に厳格に解すべきといえる。

また、本件規定の免責事由は、文言上は、従業員本人の過失により会社に重大な損害を与えたと「会社が認める」場合とされているが、会社が恣意的に従業員本人の過失の存在や損害の重大さを判断できるとの趣旨ではないことは明らかである。会社に一定の裁量を認めるものであるとしても、その裁量を行使した場合には、被用者側が得られるはずの補償金を得られなくなり、大きな経済的影響を与えることからは、その被告の事業の性格、規模、用いている機器の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、労災事故の態様、労災事故の予防若しくは損失の分担についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、信義則上相当と認められる限度において、裁量権を行使することができるものと解すべきである。

(3)  Aの過失の有無及び程度

証拠(乙一、二九)によれば、Aには、本件事故時、有視界気象状態を維持するために雲を回避して飛行するべき注意義務、及び有視界気象状態を維持できなくなった場合には、安全を最優先すべく、直ちに航測業務を中止し、上昇や急旋回をするなど、恵那山山頂を回避する操作をするべき注意義務があったと認められる。

航空事故調査報告書(乙一)によれば、登山者の供述では、事故現場でガスが発生しており、視界は一〇mくらいであったこと、衛星画像により恵那山周辺に一一時に雲が発生していたこと、当時の風の強さや本機の軌跡に大きな乱れがないため、気流の乱れはなかったと推定されること、雲で覆われた峯に向かい、回避操作をせずに飛行を継続したために立木に衝突したと解されるが、Aが雲のある方向に向かって飛行した理由は明らかにできなかったことが認められる。

以上によれば、Aは、恵那山山頂を雲が覆っており、有視界気象状態を維持できなくなる可能性を認識でき、かつ、雲を回避して飛行すること及び、航測業務を中止し、上昇や急旋回をするなど、恵那山山頂に対する回避操作をすることが可能であったにもかかわらず、何らかの理由(雲底飛行をしていたところ、恵那山の山裾は見えていたため、普通に旋回したならば、恵那山山頂と十分に距離をとって飛行でき、旋回空域は確保できると判断し、恵那山山頂を覆った雲に接近したか、あるいは、雲の直下を飛行していたところ、雲底が徐々に低くなっていたため、前方の見通しが効かなくなった結果、雲に入ってしまったかなど)により、雲がある方向に向かって飛行をしてしまったことが推測される。

したがって、Aは、上記義務があるにもかかわらず、これを怠り、雲で覆われた恵那山山頂に連なる峰に回避操作をすることなく向かい、飛行を継続した過失により、峰の立木に衝突し、墜落、大破するという本件事故を起こしたことになる。

原告はAに過失がない旨主張する。社団法人c理事Eが作成した意見書(甲九)にも、本件事故直前の飛行経路をみると、Aが雲を避けるような航跡をしていないところ、通常、有視界飛行方式による飛行中、雲に入ることは絶対にしないから、恵那山山頂には雲はなかったと推測され、本件事故は、下降気流に押されて本機の高度を上げることができなかったこと等によって発生した可能性がある旨の記載がある。しかし、本件事故当時に雲が存在したことが認められることは前記のとおりである。予期せぬ突然の下降気流に巻き込まれたことは、下降気流の発生について、上記意見書において可能性が言及されているにとどまり、気流の乱れがあったことを推認させる証拠がないので、認められない。有視界飛行方式による飛行中において、山間部に発生しやすい雲や霧との距離差や高度差の誤認等により、数秒から数十秒の間、雲の中に突入しうることは十分に考えられること(乙二九)が認められ、Aに過失があるといわざるを得ない。

もっとも、Aに通常では考え難いような明らかな落ち度があることまでは認めることはできず(乙一、二九)、その過失の程度が重かったとはいえない。

(4)  重大なる損害について

航空機が墜落する事故が起きた場合、乗務員の人命が失われ、航空機が大破するほか、墜落先の地上でも人命に関わる被害が生じ、建物が大破する可能性が高く、事故後の機体処理、遺族への対応・報道対応にかかる人件費等も含めて、一般的にはかなり大きな損害を生じる高度の蓋然性があることは明らかである。

被告は、航空機使用事業、不定期航空運送事業及び写真測量事業及び航空機空輸作業を主な目的とする会社であるから、航空機を飛行させることが日常的な業務であるのに、文言を形式的に解すると航空機事故がひとたび起きると、常に本件規定の免責事由に該当することになりかねない。それでは、そもそも法定外災害補償の制度を没却することになりかねず、「重大なる損害」について、通常の航空機事故により生じる損害を超える大きな損害が生じた場合に限り、これに該当するというべきである。

本件では、被告は、少なくとも二億六六〇九万三六四六円にのぼる損害を被ったと主張するが、人件費については、通常の従業員の給与以外にどのような手当を被告が支払ったかについて、証拠上明らかではない。逸失利益についても、a社との契約は年間のものであり、本件事故後の契約期間内にどの程度の利益が見込めたのかにつき明らかといえない。営業の自粛は本件事故と相当因果関係があるといえるか不明である。また、被告は本機の代替機体を購入したとは認められず、機体導入費用保険も取得できる予定であるとすると、実際の損害は不明である。さらに、同乗者であった者に対する損害賠償については、ほぼ保険で填補されている。したがって、本件事故によって、被告に重大なる損害が発生したといえるかは不明であるといわざるを得ない。

(5)  裁量権の行使について

被告が本件事故につき本件規定七条後段所定の免責事由に該当するとの判断をするには、上記(2)のとおり、無限定な裁量権の行使をすることはできない。本件においては、被告の事業は航空機使用事業であり、事業に用いている機器は航空機であり、Aは機長として、勤務態度において問題があったとは認められない。

さらに、本件では、証拠(乙三三)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事情が認められる。D専務は、被告の会合等において、被告の業務によって従業員が死亡した場合、労災保険給付等の政府による補償が四五〇〇万円ほど支給されると誤信した上で、総額一億円が遺族に支給されるなどと発言したことがある。このことからすれば、D専務は、従業員が航空機事故等で死亡した場合に、過失の有無や被告に発生した損害の有無等にかかわらず、被告の法定外遺族補償金あるいは本件保険金等から、少なくとも四五〇〇万円程度が遺族に支給されると認識していたと認められる。

本件保険契約の約款によると、被保険者が訴外保険会社から受領した保険金は、すべて被用者又はその遺族に交付しなければならないとされており、被保険者が被用者又はその遺族に交付しなかった場合には、訴外保険会社に保険金を返還しなければならないとされていることは前記のとおりであり、被告が、とりあえず本件保険金を受領しながら、本件規定第七条の文言どおりに遺族に法定外遺族補償金を支払わないという判断をしたときには、保険会社に対して保険金を返還することを予定していたという事情は見いだせない。さらに、本件保険金が、制度の仕組みからも被告の損害の補填に使用されることは予定されていないことが明らかであることにも照らせば、本件においては、被告が裁量権を行使して免責事由に該当すると判断することは信義則上相当とは認められず、その裁量権の範囲とはいえない。

(6)  よって、本件においては、本件規定第七条後段に該当するとはいえない。

二  争点(2)(本件規定第七条による相殺の適否(予備的主張))について

被告は、本件規定第七条によって、原告の法定外遺族補償金請求権と被告の損害賠償請求権とを相殺することができる旨主張する。しかし、本件規定と本件保険契約の約款の趣旨からすると、本件において、原告に対する法定外遺族補償金は現実に支払われることを要するというべきであるから、同規定によって相殺をすることができると解することはできない。

三  以上によれば、争点(3)について判断するまでもなく、原告の被告に対する本件法定外遺族補償金請求権は認められる。

四  争点(4)(遅延損害金の起算日)について

原告は、本件保険契約の約款第一章第三条により、保険金が被用者又は遺族に支払わなければならないとされていることを根拠として、被告が本件保険金を受領した場合には直ちに原告に対する法定外遺族補償金を支払うべき義務が生じると主張して、被告が本件保険金を受領した日の翌日からの遅延損害金を求めている。

しかし、被告の原告に対する法定外災害補償金の支払義務は、被告の災害補償規定である本件規定によって生じるものであって、本件保険契約の約款が被告の同義務に直接には影響を与えるものではない。そして、本件規定には、災害補償金の支払時期に関する規定はない。原告の主張する事実によって、法定外遺族補償金請求権の支払につき、被告の責めに帰すべき事由によって履行期が徒過したと認めるには足りない。

したがって、被告の法定外遺族補償金支払債務は、期限の定めのない債務として、民法の規定により、履行の請求のときから遅滞に陥ると解すべきである。

よって、前記前提事実によれば、原告が被告に対し本件規定に基づく法定外遺族補償金四五〇〇万円の債務の履行を請求した平成二一年四月一四日の翌日である同月一五日から遅滞に陥ったと認められるから、この限度において、原告の遅延損害金の請求は認容され、その余の請求は理由がない。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、被告に対し、四五〇〇万円及びこれに対する債務の履行を請求した日の翌日である平成二一年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条ただし書、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用する。

(裁判官 稻葉重子 宮﨑朋紀 川崎志織)

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