大阪地方裁判所 平成25年(ワ)7416号 判決 2015年3月19日
原告
合同会社MUGEKO
同訴訟代理人弁護士
谷口典明
被告
株式会社エナシステム
同訴訟代理人弁護士
髙木淳
主文
1 被告は,原告に対し,金1958万6814円及びこれに対する平成25年6月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用はこれを3分し,その1を原告の,その余を被告の負担とする。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,3000万円及びこれに対する平成25年6月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要等
1 事案の概要
本件は,原告が,被告との間で締結した業務委託契約を履行不能等の理由で解除したとして,原状回復請求権として,被告に支払った委託料及び保証預金名目の金員1億5000万円のうち一部である3000万円の支払を求める事案である。
2 前提事実(当事者間に争いのない事実,後掲証拠及び弁論の全趣旨より容易に認められる事実)
(1) 当事者
原告は,電気機器製造,販売及び修理等を目的とし,平成21年4月22日に設立された合同会社であり,当初の商号は合同会社三井澤総研であったが,平成24年7月2日,商号を現在のものに変更した。
被告は,磁力回転動力を利用した自家発電システムの開発,販売及び保守・点検等を目的とし,平成23年7月1日に設立された株式会社である。P1は,立命館大学理工学部教授であった者で,平成25年4月に辞任するまで,被告の執行役員とされていた(甲7,乙16)。
(2) 業務委託契約書の締結(甲1)
原告と被告は,平成24年5月22日,「業務委託契約書」(以下「本件委託契約書」という。)を作成して,以下の業務委託契約(以下「本件契約」という。)を締結した。
ア 委託業務の内容(第2条)
1.被告は,被告の執行役員専務取締役P1の発明名称「磁力回転装置」特願2010-238067・特願2011-188054(以下「本件製品」という。)を使用して次の業務(以下「本件業務」という。)を原告に委託し,原告はこれを受託する。今後,新しく開発される「磁力回転装置」については,原被告協議の上で決定するものとする。インセンティブについては,別途契約書を締結する。
① 実施内容:本件製品の販売業務・保守業務
② 製造制限:本件製品の製造業務は日本国内に限る。
イ 契約期間(第3条)
本件契約の有効期間は,本件契約締結日から3年間とし,原被告のいずれか一方から契約満了の3か月前までに書面にて本件契約を終了させる意思表示をしない限り,自動的に3年間更新するものとし,以後も同様とする。
ウ 対価(第4条)
1.原告は,被告に対して次の業務委託契約金及び保証預金を,被告の指定する銀行口座に振り込む方法により支払うものとする。
2.本件業務の業務委託契約金として原告は,被告に次の金額を支払うものとする。
業務委託契約金:5000万円(以下「業務委託契約金」という。)
3.被告は,既に支払われた業務委託契約金を原告に返還しないものとする。
エ 保証預金(第5条)
1.被告は,本件業務を原告に業務委託させるために保証預金として次の金額を原告から預かるものとする。
保証預金:1億円(以下「保証預金」という。)
2.保証預金は本件契約締結後3年は,被告は原告に返還しないものとする。
4.被告は,本件契約終了後,その翌日から3か月後に保証預金を原告に返還するものとする。保証預金に関して金利は付利しないものとする。
オ 契約解除(第14条)
原告又は被告は,相手方が次の各号の一つに該当したときは,何らの通知催告を要せず,直ちに本件契約を解除することができるものとする。
⑥ 原被告間の連絡が1か月以上とることができなくなったとき
⑦ 相手方に重大な過失又は背信行為があったとき
⑧ 他本件契約を継続しがたい重大な事由が発生したとき
⑨ その他各号に類する不信用な事実があるとき
⑩ 相手方が本件契約の各条項に違反したとき
2.前項の場合,原告または被告は,相手方に対し,本件契約の解除または解除とともに損害賠償請求をすることができる。
カ 違約金(第15条)
2.原告が第14条⑥⑦⑧⑨⑩の一に該当したときは,被告は第5条の保証預金を原告に返還しないものとする。
キ 協議事項(第16条)
本件契約に定めなき事項または解釈上疑義を生じた事項については,法令に従うほか,原被告誠意をもって協議の上解決をはかるものとする。
(3) 「『業務委託契約書』における保証預金覚書」(以下「本件覚書」という。)の締結(甲13)
原告と被告は,平成24年5月23日,保証預金に関し,以下の条項を含む本件覚書を締結した。
ア 保証預金(第2条)
保証預金とは,原被告が締結した「磁力回転装置」についての業務委託契約書の第5条に示す保証預金のことをいう。
イ 費用負担(第3条)
本件業務の平成23年10月1日から平成24年3月31日迄の研究開発に係る費用として被告は保証預金より次の金額を活用するものとする。
研究開発に係る費用:1000万円
ウ 決定方法(第4条)
1.平成24年4月1日以降,原告が被告に本件業務の研究開発を依頼した研究開発に係る費用についても保証預金を活用するものとする。
2.保証預金の活用額の決定方法は,研究開発に係る費用については第3条で掛かった期間と費用(半年で1000万円)に準じて支払額を決定する。
3.条項以外の活用方法について,原被告での活用額の決定は基本的には原被告協議の上誠意を持って決定するものとする。
エ 契約終了時の措置(第6条)
被告は本件契約が終了した場合においては第3条及び4条の研究開発に係る費用については保証預金から相殺して原告に返還するものとする。
(4) 金員の交付及び金銭消費貸借契約(乙10)
ア 原告は,平成24年3月16日に1000万円を,同年4月25日に4000万円を被告に送金し(甲2,3),前記(2)及び(3)のとおり,同年5月22日,原告が業務委託契約金5000万円を被告に支払い,保証預金1億円を被告に預託する旨の本件契約を締結し,同月23日,保証預金のうち1000万円を,研究開発費用に使用する旨の本件覚書を締結した。
イ 原告は,本件契約及び本件覚書締結後の同月28日,1000万円と9000万円を被告に送金した(甲4,5,弁論の全趣旨)。
ウ 原告と被告は,本件製品の事業資金の一部として,被告が原告に金7000万円を貸し付けること,原告は毎月支払後の残金に対する年2.5%の割合による利息を支払うこと,返済期限を平成25年5月28日とすること,本件契約が終了したときに債務の残金がある場合,保証預金と相殺することを内容とする金銭消費貸借契約を締結し,前記イの送金後の同月29日,被告は,原告に対し,7000万円を貸し付けた(乙10)。
(5) 特許登録及び特許権譲渡契約書(乙15)
ア 本件契約記載の特願2010-238067及び特願2011-188054の発明については,いずれもP1教授を発明者及び特許権者として出願がされていたところ,前者については本件契約直後の平成24年5月25日に特許第5001418号として,後者については本件契約直前の同月11日に特許第4988951号として,いずれも特許登録された(甲15,16,以下これらの特許を「甲15特許」,「甲16特許」,あわせて「本件各特許」という。)。
イ P1教授,原告及び被告の三者は,本件契約の日である平成24年5月22日,P1教授が,本件各特許(出願番号のみで特定。)を原告に5000万円で譲渡すること,原告は,原告及び原告の委託先が本件各特許を使用して製造する製品原価の3%をロイヤリティとしてP1教授に支払うことを内容とする特許権譲渡契約を締結した(乙15)。
(6) 解除の意思表示に至る経緯等
ア P1教授外1名は,平成25年4月24日付けで,被告に対し,同日をもって被告の執行役員を辞任すること,及び,P1教授らが発明しようとする特許について,被告に何らの権利も譲る意思のないこと等を通知する書面を送付し,同月27日付け書面により,原告にもその旨を通知した(甲7,8)。
イ 原告は,同年5月9日,被告に対し,P1教授が磁力回転装置の製品化に協力しなくなった以上,本件契約における委託業務を被告が原告に委託することは不可能になったとして,本件契約及び同契約書における保証預金覚書をいずれも解除する旨の意思表示をし,一週間以内に原告が被告から借り入れた7000万円の債権を控除した残金8000万円を支払うよう求めた(甲9)。
(7) 原告の弁済及び被告の相殺の意思表示
ア 原告は,前記(4)の金銭消費貸借契約に基づく利息の弁済として,別紙被告主張計算書記載の日に,同表弁済額欄記載の金額を被告に支払った(弁論の全趣旨)。
イ 被告は,平成26年5月22日の本件弁論準備手続期日において,原告に対し,前記(4)の金銭消費貸借契約に基づく貸金返還請求権である,同月28日までの未払利息41万3186円と元本を合わせた7041万3186円を自働債権として,保証預金返還請求権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。
第3争点及び争点についての当事者の主張
1 争点
(1) 本件契約の解除事由の有無
(2) 被告の原告に対する業務委託契約金返還義務の有無
(3) 被告の原告に対する保証預金返還義務の有無及び返還すべき金額
2 争点についての当事者の主張
(1) 争点(1)(本件契約の解除事由の有無)について
【原告の主張】
ア 本件契約における委託業務
本件契約における委託業務は,P1教授が発明した本件各特許の技術を用いた発電装置である磁力回転装置の製造業務・保守業務・販売業務を委託内容とするものである。本件各特許を用いない磁力回転装置は,本件製品に含まれない。
本件製品の開発には,従前P1教授が発明した高効率モーターを組み込んだ工事用電源を購入していた日本電話施設株式会社(以下「NDS」という。)も関与し,従前のモーターを更に改良して家庭用発電機を開発することを目標としていた。また,本件製品は,バッテリー電圧が3割低下するまで動作すること,市販のインバータと比べ約5倍バッテリーが長持ちすること,逆起電力の再利用,大電流の対応化により,発電効率が継続的に98%を超えること,電力量及び発電コストにおいて,一般商用電力として有効な電力を発生させることをそれぞれ目標としていた。
甲15特許は,コイルやコンデンサーの配置,形状を工夫することにより,銅損や鉄損(電流が銅や鉄を流れる際に生じる電気抵抗)を抑制し,モーター効率を向上させる発明であり,また,甲16特許は,回路に「磁性プレート」「磁性ブロック」を配置することにより,通電量,コイル巻数を変えることなく,電磁石の磁力を大きくしてモーター効率を向上させる発明であり,吸引モーター,反発モーターという分類とは無関係である。被告も,本件製品は本件各特許の技術を用いた高効率モーターによる発電機であって,被告が「吸引モーター」と呼称する新たな技術については本件契約の対象外であり,条件等を再考した新たな業務委託契約が必要であると明言していた。
イ 履行不能
契約当初,平成24年8月には量産開始が予定されていたが何の成果もないままに過ぎ,その後も原告の再三の求めにもかかわらず,被告は,本件製品は未だ開発途上として,試作機,量産図面及び第三者機関による性能データのいずれも提出できない状態であった。そのような中,平成25年4月,本件製品の発明者であり開発の中心的人物であるP1教授が,被告の役員を辞任するとともに被告に一切協力をしないとの意思を明確にした。さらに,被告は,同年5月7日までの間,原告に対して本件製品の製造に必要な上記試作機等を提供せず,遅くとも,そのころまでには,本件製品を完成させ,原告に本件製品の製造業務・保守業務・販売業務を委託することが不可能となった。
被告は,磁力回転装置は完成しているなどとしているが,製品化を予定している2キロワット発電機は未完成であり,目処も立っていないことをわびる文書を被告自ら配布している。
ウ 履行遅滞
本件契約の期間は3年しかなく,契約締結当時本件製品の開発は完了していなかったとはいえ,平成24年の夏ころには開発が完了し,量産の準備期間を鑑みても2年以上の量産,販売期間があり,十分投資資金を回収できるはずであった。投資資金を回収するためには,少なくとも平成24年中には本件製品が完了していなければならず,当事者の合理的意思解釈からすれば,同年12月31日が本件製品の開発完了の履行期限であったと解するのが相当である。
以上から,被告は,履行遅滞の状態にある。自動更新条項は,3年以上の契約継続を担保するものではない。
エ 約定解除事由
(ア) 前記イのとおり,被告が原告に対して本件製品の製造・販売・保守業務を行うために必要な技術を提供する義務について履行不能となったというべきである。
(イ) 仮に,被告が本件製品の開発を完了しているとすれば,まず,原告に対して提示されなければならないところ,何一つとして提示されていない。被告は,原告に何の相談もなく,展示会に磁力回転装置を出展するなどして原告に代わる提携相手を募集した。しかも,被告は,磁力回転装置の開発が完了したなどの虚偽の主張を行うなど,原告に対する背信性は著しいというべきである。
(ウ) 以上から,本件契約第14条1項8号「他本契約を継続しがたい重大な事由が発生したとき」または,同項7号「相手方に重大な過失または背信行為があったとき」に該当し,約定に基づく解除は可能であった。
【被告の主張】
ア 本件契約における委託業務
(ア) 本件契約において,原告及び被告は,P1教授が新たに考案した「吸引モーター」を用いて磁力回転装置を開発することを目的としていた。本件各特許を使用しなければならないという条件は存在しない。
また,被告も,発電効率が少しでも高まることを目的としていたが,原告が主張するように継続的に98%を超える発電効率を目標としたことはない。
(イ) 被告は,平成23年ころ,P1教授とともに,P1教授が有していた磁力回転装置の特許を用いて事業化することを計画した。ただ,立命館大学が有する本件各特許の基本特許について通常実施権許諾契約を締結しなければならない旨P1教授から指示されていた。
しかし,P1教授が,平成24年2月29日,「吸引モーター」と題する書面を被告のもとに持参し,本件各特許よりも優れているとして「吸引モーター」を用いて磁力回転装置を開発する提案をした。被告もこれを了承したところ,P1教授は,被告に対し,前記基本特許の許諾を立命館大学に求める必要はない旨述べた。
(ウ) 被告は,P1教授の新たに考案した「吸引モーター」を用いた磁力回転装置を開発することとなったが,同モーターについては特許申請すらしていない状況であったため,契約の形の上で,P1教授は,原告との間で本件各特許につき譲渡契約を締結するよう求め,契約締結の見返りに,「吸引モーター」による磁力回転装置が完成すれば,これを原告に提供することを約束した。契約の形の上では,P1教授が原告に対し特許権を譲渡したことになっているが,真の目的は,P1教授が新たに考案した「吸引モーター」を原告に提供することである。この目的に沿うように,インセンティブやロイヤリティを定めた契約を交わしている。
契約締結後,被告による開発行為は,P1教授が新たに考案した「吸引モーター」を前提に進められ,平成24年6月中旬頃に,P1教授が考案した「吸引モーター」の設計図面の作成を図面製作会社に発注し,同年7月17日に設計図面を完成させた。原告,被告及びP1教授らが,同年8月9日に本件契約に関する打合せを行った際,P1教授から,原告らに対し,「吸引モーター」を用いて磁力回転装置を開発することに関しての説明があった。
イ 履行不能について
被告が,原告に対し,磁力回転装置の製造等を委託する前提として,磁力回転装置を開発する義務があることは認める。
しかし,本件契約の対象は前記アのとおりであるから,被告が本件各特許を使用せずに開発したことが義務違反となるわけではない。被告は,事業化できる磁力回転装置を開発すれば義務を果たしたことになる。
「吸引モーター」はP1教授が特許を取得しているものではなく,P1教授が居なくても実現可能であり,履行不能は認められない。
量産開始につき平成24年8月という期限はない。原告が一方的に提示してきたものである。被告は,平成25年10月24日から26日に開催された展示会において,完成した磁力回転装置を出展した。高出力2kwh変換効率が50%であったところを80%まで高めることに成功しており,いつでも量産体制に入ることができる状態になっている
ウ その他
原告の主張する前記ウ履行遅滞,エ約定解除事由については争う。
(2) 争点(2)(業務委託契約金の返還義務の有無)について
【原告の主張】
本件契約は,債務不履行解除を原因として,全体が遡及的に無効になるのであるから,当然に業務委託契約第4条3項も無効になり,原状回復請求権に基づいて業務委託契約金5000万円についても返還義務が生じる。
同条項の文言は,本件契約が期間満了等により終了した場合に返還を要する金員(保証預金)と返還を要さない金員(業務委託契約金)の2種類があることから,確認した文言に過ぎない。
【被告の主張】
本件委託契約書第4条3項には,「既に支払われた業務委託契約金を返還しないものとする」と定められている。したがって,そもそも原告の主張する解約理由は存在しないが,仮に解約が有効であったとしても,同条項により,業務委託契約金を返還することを要しない。
解除の効力として契約が遡及的に無効になり原状回復義務が生じるのは当然であるところ,同条項をあえて設けたのは,解除にかかわらず金銭の不返還を定めたものと解するのが合理的である。業務委託契約金は,業務の報酬として支払われたものではなく,開発にあたって発生する費用を原告が負担する趣旨のもので,開発行為の完成の有無にかかわらず,実費として負担するものであるといえる。
(3) 被告の原告に対する保証預金の返還義務の有無,返還義務がある場合の額
【被告の主張】
ア 保証預金の返還期限未到来
本件委託契約書には,第5条において,「保証預金は,本件契約締結後3年は,被告は原告に返還しないものとする。」旨定められており,仮に返還義務があったとしても,平成27年5月21日を経過するまでは,保証預金を返還することを要しない。
イ 保証預金の返還を要しない場合
(ア) 本件委託契約書第15条2項の記載によれば,第14条6号から10号の一つに該当したときは,保証預金を返還しないものとするとされているところ,原告には,次のとおり該当する事由が存する。
(イ) 第14条1項6号
平成24年11月下旬頃から平成25年1月中旬頃まで1月以上原告と連絡が取れなかった。
(ウ) 同条項7号から9号まで
被告は,原告に対し,平成25年5月24日,本件製品の事業資金の一部として用いるものとし,それ以外の用途には使用してはならない旨取り決めを交わして7000万円を貸し付けた。しかしながら,原告の代表社員であるP2氏は,フィリピンにおける金塊発掘事業に投資するなどして事業資金以外に使用しており,「相手方に重大な過失または背信行為があったとき」(7号),本件契約を「継続しがたい重大な事由が発生したとき」(8号),「その他各号に類する不信用な事実があるとき」(9号)に該当する。
したがって,被告は,保証預金の返還を要しない。
(エ) 原告の主張について
仮に解除が有効であったとしても,本件契約15条2項は,有効である。14条2項に解除とともに損害賠償が可能と規定されており,15条2項が違約金すなわち損害賠償について定めたものと解されることからすれば,解除によって当然に効力を失うものではない。
ウ 研究開発費への充当
(ア) 保証預金も,業務委託費と同様,磁力回転装置の開発費用にあてるために交付されたものである。磁力回転装置の開発は短期間で終わるようなものではなく,開発費用の不足により開発が頓挫してしまわないように,業務委託契約金とは別に開発費用に充てるための金銭を原告が被告に交付することにしたものである。本件覚書3条「研究開発に係る費用として保証預金より活用する」と規定されていることからも明らかであり,平成24年4月1日以降の研究費用は,保証預金から充当されることが当然の前提であった。
(イ) 1000万円について
本件覚書3条には,平成23年10月1日から平成24年3月31日までの研究開発に係る費用として被告が保証金より1000万円を活用する旨規定しており,同条項に基づき被告は活用したもので,返還する必要はない。
(ウ) 2000万円について
a 本件覚書4条1項で,平成24年4月1日以降,原告が被告に依頼した研究開発に係る費用についても保証預金を活用するものとすると定められており,保証預金を研究開発費に充当することが当然の前提であった。平成24年4月以降研究開発費に充当した結果,平成25年5月における保証預金の残金は7000万円である。
b 被告による保証預金の支出内容は,次のとおりである。
① 設計図書費 386万9250円
平成24年3月まで 193万7250円
平成24年4月から平成25年3月まで 193万2000円
② 部材費 722万5751円
平成24年3月まで 152万7757円
平成24年4月から平成25年3月まで 569万7994円
③ 部材加工費 806万4379円
平成24年3月まで 439万4219円
平成24年4月から平成25年3月まで 367万0160円
④ モータドライバー費 341万3025円
平成24年4月から平成25年3月まで
⑤ 特許早期審査請求費 35万1170円
⑥ 特許鑑定費 67万2000円
⑦ 技術指導費 126万840円
平成24年4月から平成25年3月まで
⑧ 人件費 471万5975円
平成24年3月まで 24万円
平成24年4月から平成25年3月まで 447万5975円
⑨ 交通費等 105万6393円
平成24年3月まで 39万5120円
平成24年4月から平成25年3月まで 66万1273円
⑩ 会議費 108万1415円
平成24年3月まで 60万6896円
平成24年4月から平成25年3月まで 47万4519円
⑪ 合計 3171万0198円
平成24年3月まで 1012万4412円
平成24年4月から平成25年3月まで 2158万5786円
c 覚書4条1項の規定は,具体的な個々の研究開発に対する依頼を求めているのではなく,本件業務に関しての包括的な研究開発の依頼であれば足りるものと解すべきであり,原告と被告とのやりとりからすれば,原告が被告に対して少なくとも包括的な研究開発依頼をしていたものであり,平成24年4月以降の研究開発を依頼した事実がある。
【原告の主張】
ア 本件覚書は,本件契約の保証預金の帰属を規定したものであり,本件契約に付随する契約であるので,本件契約の効力が解除によって遡及的に消滅する結果,本件覚書もまた効力を失うものである。したがって,保証預金については,全額返還義務が生じる。
イ 保証預金の返還期限未到来について
本件契約は,解除により条項が全て遡及的に無効となるのであるから,本件契約第5条による被告の主張は失当である。
ウ 保証預金の返還を要しない場合について
本件契約第15条第2項の規定があることは認めるが,解除により遡及的に無効となるのであるから被告の主張は失当であり,該当事実についても次のとおりの理由で否認する。
(ア) 第14条1項6号
原告と被告は,平成24年11月下旬から同年12月にかけても試作機制作の進捗状況等についてメールをやりとりしている。
(イ) 同条項7号から9号まで
原告と被告との間の金銭消費貸借契約において,本件製品の事業資金の一部として用いるとの規定があることは認めるが,それ以外の用途には使用してはならない旨の取り決めはない。原告が借入金をフィリピンにおける金塊発掘事業に使用した事実はない。そもそも,7000万円は,原告から被告への振込の翌日に入金され,実質的に保証預金の一部払戻しと同視できるもので,その使途によって残金の保証預金の返還義務を免れうるなどという解釈は成り立たない。
エ 研究開発費への充当について
本件覚書は,本件契約の保証預金の帰属を規定したものであり,本件契約に付随するものであるから,本件契約が解除により遡及的に消滅する結果,本件覚書もまた効力を失うもので,保証預金全額について原状回復義務が生じる。
また,本件契約において,その後の研究開発費用に充てる趣旨で5000万円という高額の業務委託契約金が設定されたもので,本件覚書の規定は,原告から具体的な研究開発に対する依頼があった時のみに適用されると解するのが当然である。いずれにしても,原告から被告に対し具体的な研究開発に対する依頼を行ったことはない。仮に包括的な研究開発の依頼で足りるとしても,被告から原告に対して開発内容や開発費用についての報告が一切ないことからして,包括的な依頼もなかったことが容易に推認され,研究開発費への充当は認められない。
(4) 相殺の抗弁
【被告の主張】
前記(3)によれば,平成25年5月における保証預金の残金は7000万円であるところ,被告は,前記前提となる事実(7)記載のとおり,これと,貸金返還請求権の元本及び利息合計7041万3186円とを対当額で相殺する旨の意思表示をしたから,支払うべき債務はない。
【原告の主張】
相殺の主張は争う。
第4当裁判所の判断
1 証拠及び弁論の全趣旨(前記前提事実を含む。)によれば,以下の事実を認定することができる。
(1) 事業化に向けての動き
ア 被告は,平成23年ころから,P1教授の有する特許(磁力回転装置等)の事業化を検討し,P1教授,原告,NDS等とともに協議を行っていた。P1教授は,同年10月8日及び9日,被告代表者に対し,立命館大学が出願人の「第3のモーター」に関する特許権(特願2010-058235,発明の名称「磁力回転装置」)につき,被告と立命館大学との間で通常実施権の契約を結ぶように指示し,他に立命館大学が出願人となっている第2のモーターに関する特許もあること,自身の他の特許(E形モーター:特願2010-238067)等についても提示していた(乙12,13,14)。
イ 被告とP1教授は,平成24年3月16日,P1教授が保有する各特許(磁力回転装置等)を使用して小型高出力高効率永久磁石同期発電機等を用いた高性能電動発電機システムの事業化に向けて推進することを被告に対し一任すること,事業化推進の一切の窓口を被告とすること,研究開発にかかる費用及びP1教授の被告執行役員としてかかる費用については別途日当を被告が負担すること等を内容とする事業化推進覚書を締結した(乙16)。
(2) 本件契約に関わる各種契約の締結等
ア 原告は,被告に対し,平成24年3月16日に1000万円,同年4月25日に4000万円の合計5000万円を送金し,本件契約後,業務委託契約金に充当した(前提事実(4),甲2,3)。
イ 原告と被告は,同年5月22日,被告が本件製品の研究開発及び改良の一切の窓口となること,被告が原告に本件製品の販売,保守業務を委託すること,原告が被告に業務委託契約金5000万円を支払い,保証預金1億円を預託すること等を内容とする本件契約を締結した(前提事実(2),甲1)。
原告,被告及びP1教授は,同日,P1教授が本件各特許を原告に対して5000万円で譲渡し,今後原告がP1教授に対し,生産のために使用した際のロイヤリティとして製品原価の3%を支払う旨の特許譲渡契約を締結した(乙15)。
原告と被告は,同日,本件契約に基づくインセンティブ契約として,原告が被告に対し,原告又は原告の委託先が販売した商品の販売価格の6.5%(税別)を支払う旨の契約を締結した(乙31)。
ウ 原告と被告は,同月23日,保証預金のうち1000万円を,本件製品の研究開発費用に充当し得る旨の,本件覚書を締結した(前提事実(3),甲13)。
エ 原告は,被告に対し,本件契約の保証預金として,同月28日,9000万円及び1000万円(合計1億円)を送金した(前提事実(4),甲4,5)。
オ 被告は,同月29日,原告に対し,磁力回転装置の事業資金の一部として用いることとして,7000万円を,返済期限を平成25年5月28日などと定めて貸し付けた(前提事実(4),乙10)。
(3) 本件契約後の進捗
ア 原告と被告が,平成24年8月9日に打ち合わせた際,スケジュールと製造進捗について,現状ある図面は工作図面であり,金型設計図用図面は,原告側でどの開発段階のモーターで良いか判断し,その段階で被告,原告,金型設計会社(外部)の3社で金型図面を作成するが,金型作成には2か月半はかかること,全てのコストを考えると,6~7000万円くらいかかると予想されること,試作品を同年11月初旬のつくば展示会に持って行き,同年内には本件製品の完成スケジュールを作成すること,「吸引モーター」は新規性があるので,基本特許にて出願をかけることなどが確認されたが,「反発モーター」の基本特許は立命館大学が持っているとして,P1教授及び原告が実施権を有するのか,本件契約に吸引モーターまたは今後開発されるモーターにまで効力があるかについて,疑問が呈されていた(乙1)。
イ 同年8月17日に行われた被告と原告の打合せの際には,今後,反発・吸引モーターにつきP1教授等が基本特許を申請し,今後の開発には協議の上契約を締結する方向性が確認され,本件委託契約書上には,「今後,新しく開発される『磁力回転装置』については甲乙協議の上」と記載されているので問題ないとされた(甲19)。
ウ 同年9月3日に,原告が,NDS,金型加工等の関係企業関係者とともに被告と打ち合わせた際,被告は,今後の課題として,「テスト結果を踏まえて,高電圧,それに適した抵抗値の組み合わせを探る。ジェネレータ及び回転子の磁石数を変えてテストを行う。」などと報告した(乙2,3,4の1及び2)。
エ 原告従業員P3は,同年11月29日,被告代表者らに対し,試作品の完成日はいつになるか,平成25年1月中旬には最終完成とみて大丈夫か,などと問い合わせた(甲17の1)。
P3は,平成24年12月6日,被告側からの返信を受け,同年11月16日の打合せでは,同年12月24日ドライバー完成,平成25年1月中旬すべて完成,同月下旬公的機関によるデータ提出とされたが,ドライバーの開発行程が1月末と遅れており,試作品の完成時期はいつになるのかを再度問い合わせた(甲17の2)。
P3は,平成24年12月11日,被告代表者に対し,原告としても業務の委託候補を数社選定している旨伝え,進捗状況を問い合わせた(甲17の3)。
オ 被告は,平成25年1月24日,原告及びNDS等関係者との打合せの際,現在の開発状況について,今後のスケジュールとしてモーター,ドライバーを合わせた試験,調整,検証を実施し,同年2月末には完成させる予定である旨を説明した。また,原告と被告との間の契約の見直しについても検討され,今後定期的な打合せを持つこととなった(乙5)。
カ 被告は,同年2月7日の打合せの際,高効率発電モーターの動作確認については,同月12日の週で3パターンあるモーター構成で性能比較を行い最も効率の良いパターンを見極めること,同月18日の週からドライバー接続による動作確認を行う予定である旨を述べた。原告からは,1億円の預け金を,初期投資という意味での開発資金として変更したいことなどが提案され,スキーム変更に伴うこれまでの契約の内容の変更を調整することなどが今後の検討課題とされた。また,被告は,同月20日をめどに製造体制を固め,製造業者を決定した後,図面業者との調整作業に入ること,製造業者を決定するにあたり,被告が製造メーカーとして責任をもって調整,決定するためには,資金的な裏付けを持っていないと業者への話ができないことを述べ,原告に貸し付けた7000万円を至急被告に戻し,合わせて未納の利息も振り込むよう求めた(乙6)。
キ 被告は,同月19日の打合せの際,量産確定日は現時点で約束はできないとしつつ,現状の進捗としては,ドライバーもほぼできており,近日中に公的機関への測定に持ち込めるはずであるなどと述べた。原告は,新しい事業推進体制になったことにより新たな契約を進めた方が良いが,現行契約を無視するつもりはなく,原契約の資金についても,研究開発資金として整理したいと考えているが,量産化が前提であり,資金提供の裏付けとして量産化の見込みが欲しいとしていた(乙7)。
ク 原告と被告は,同月22日にも打合せをし,テスト結果の報告などがされた(乙8,9)。
ケ P3は,同年3月14日,被告に対し,製造計画書を作成するにあたって,まず,被告に量産用図面(モーター,ジェネレーター,ドライバー等今回の製造委託に基づく量産製品に必要な物全ての図面),量産用実機,公的データ及び手順書(以下「量産図面等」という。)を同月15日までに用意して欲しい旨,同日までに用意できない場合は,いつまでに用意できるのか,また,今後のスキームは変更しないのか等について問い合わせた。被告は,同日,原告に対し,初期の業務委託契約書どおり行うこと,ドライバー関係,公的データは構造とは関係なく,金型製作等には相当な日数を要するため計画が必要であるなどとした(甲17の4及び5)。
P3は,被告に対し,同月22日,30日及び同年4月8日にも,量産図面等をいつまでに用意できるのか問い合わせた(甲17の6ないし8)。
被告代表者は,P3に対し,同月11日,本件製品は,磁力回転装置と定義されており,「本件委託契約書に定義されているのは,2種類の周辺特許についてです。新たな技術については,協議のうえ決定すると業務委託契約書に定義されています。」などと返信し,原告への7000万円の貸付けに関連して,原告の銀行口座の残高等を示すよう求める旨返信した(甲17の9)。
(4) 解除の意思表示に至る経緯等
ア P1教授は,平成25年4月24日付け通知書により,P4と連名で,被告に対し,被告の執行役員というのは肩書きだけで,給与を受け取っておらず,実体を伴わないこと,被告代表者は,P1教授らが発明しようとする特許について,被告名義で出願することを企て,P1教授らに関係書類に押印するよう求めたことを理由として,被告の執行役員を辞任すること,この件に関し,被告と交渉することはないこと,上記発明について,被告に何らの権利も譲る意思はないことを通知した(甲7)。さらに,同月27日付け書面により,原告に対し,同月24日で被告の執行役員を辞任する旨被告に通知した旨の連絡をした(甲8)。
P3は,同月30日,被告に対し,本件製品についての確認,量産図面等がない状態では委託先に依頼できないこと,今後の公的データ取得の具体的な日程の問合わせ等をした。これに対し,被告代表者は,同年5月1日,本件製品は本件各特許を使用した磁力回転装置であり,新たな技術についての取扱いは原告との間で一切協議されていないとし,P1教授に関しては立命館大学を窓口として調整すること,公的データについては,装置がこれを取得する仕様になっておらず,調整しているところであり日程は現在のところ判断できないこと,再度7000万円の貸付金に関し,返済と原告の金融機関における残高証明書の提示を求める旨の返信をした(甲17の10,11)。
イ 原告は,同年5月9日,被告に対し,本件契約の履行が不能になったとして,本件契約及び本件覚書をいずれも解除する旨の意思表示をし,一週間以内に業務委託契約金及び保証預金合計1億5000万円から借入金7000万円を控除した残金8000万円を支払うよう求めた(甲9)。
(5) 解除の意思表示後の状況
被告は,平成25年10月24日ころ,展示会においてモータ発電機を展示し,その際「高効率モータ発電機の近況報告とお詫び」と題する書面を配布し,本来製品となる2キロワット発電機と実際の展示品とが異なり,テスト品は,製品となるべきものに比して,銅線の巻数が少なく,磁石構造も異なり,出力量及び効率については未だ目標に至っていないとしていた(甲20,弁論の全趣旨)。
2 争点(1)(本件契約の解除事由の存否)について
(1) 本件契約における委託業務
ア 本件委託契約書第2条の記載によれば,原告が委託される本件製品の製造・販売・保守業務の対象となる本件製品は,P1教授の発明名称「磁力回転装置」とする本件各特許の実施品と解される。
イ(ア) この点,被告は,本件契約の対象は,本件委託契約書の記載とは異なり,本件各特許とは関係なく,P1教授が別途発明した「吸引モーター」を開発,製品化することである旨主張する。その理由として,本件契約当時,P1教授が「吸引モーター」についての特許も取得していない状況であったため,本件各特許を譲渡する形の契約とし,「吸引モーター」による磁力回転装置が完成すればそれを原告に提供することになっており,原告が本件製品に際してさらにP1教授にロイヤルティを支払い,被告に対しインセンティブとして金員を支払う旨の契約を締結しているのもそのためである旨主張し,これに沿う被告代表者の陳述書を提出している。
(イ) しかし,前記認定事実によれば,遅くとも平成23年以降,被告は,P1教授から,様々なモーターに関する特許を提示され,原告及びP1教授とともに磁力回転装置等の開発について協議を行ったうえで,平成24年3月16日に被告とP1教授とが同人の有する各特許を使用する高性能電動発電機システムの事業化に向けて覚書を締結したもので,それ以前の2月に「吸引モーター」のやりとりがあったのであれば,当該覚書や,その後に締結された本件契約の対象として反映されて然るべきであるところ,いずれの契約にもそのような記載はない。むしろ,本件委託契約書には,第2条で「今後新しく開発される『磁力回転装置』」については原告及び被告協議の上で決定する旨記載されている。前記認定のとおり,原告及び被告が行った本件契約後の打合せにおいても,「吸引モーター」については新たに特許を取得した上で今後の開発については協議して新たな契約を締結するとされていたもので,「吸引モーター」の開発が本件契約の対象であると認識していた様子は原告及び被告双方に見受けられない。
さらに,前記認定のとおり,被告代表者本人も,本件訴訟に至るまでの原告とのやりとりにおいて,本件製品とは,本件委託契約書に定義されているとおり2種類の周辺特許(本件各特許)についてであり,新たな技術については協議のうえ決定すると記載されており,新たな技術についての取扱いは一切協議されていない旨を原告代表者らに表明していた。被告は,本件訴訟において本件契約が「吸引モーター」を開発して事業にするということを目的としていたとの主張に沿う被告代表者の陳述書(乙43)を提出するが,被告代表者自身が従前原告代表者らに対して表明していた内容と矛盾することにつき何らの理由も述べられておらず,その信用性については欠けるといわざるをえない。
(ウ) また,本件各特許が本件業務に全く必要ないものとすれば,原告が本件契約と同時に本件各特許を5000万円もの対価を支払って取得する合理性は全くない。被告は,この点,本件各特許の譲渡,本件契約の見返りに「吸引モーター」を提供することを約束したなどと主張するが,前記(イ)のとおり本件委託契約書の文言と齟齬する。被告の指摘するロイヤルティやインセンティブ契約は,原告が本件各特許を取得しながらP1教授や被告に対してさらに金員を支払うものとされる点で一般的でないといえる面もあるが,被告のいう本件各特許と関係のない「吸引モーター」のためという理由に合理性は認められず,このような合意があることだけで,本件契約の対象が「吸引モーター」による磁力回転装置であったと解することはできない。
(エ) したがって,被告の主張は採用できない。
ウ よって,本件契約において,被告は,本件各特許の実施品である本件製品の販売・保守を受託した原告において,これが製造可能となるよう製品の開発を行い,製造用図面等を作成する義務を負っていたものと認められる。
(2) 履行不能について
被告は,平成24年6月ころから平成25年4月ころまでP1教授の指導のもと,モーターを用いた装置を開発していた事実は窺われるが(乙37各号,38の1ないし3,39,40の1及び2),被告自身,本件契約における責務は,契約当初より「吸引モーター」を製品として開発することであり,本件各特許を使用した製品の開発ではなかった旨主張し,本件各特許を用いた磁力回転装置の開発研究の進捗状況について何ら主張立証しておらず,原告と被告との交渉,打合せの経緯等も前記1の(3)及び(4)認定のとおりであることを総合すると,本件契約の対象たる本件各特許を用いた磁力回転装置が量産可能なものとして開発され,原告に提供された事実はなかったものと認められる。
そして,遅くとも,原告が主張する,本件各特許発明の発明者であるP1教授が被告執行役員を辞任し,開発に協力する体制になくなった後の平成25年5月7日までには,本件契約において,本件製品の製造が可能なものとなるよう開発するという被告の債務については,事実上履行が不能になり,これは,本件契約が解除事由と定める「他本契約を継続しがたい重大な事由が発生したとき」にあたるというべきである。
(3) 結論
よって,その余の点について判断するまでもなく,原告の解除の意思表示により,本件契約は解除されたと認められる。
2 争点(2) (被告の原告に対する業務委託契約金返還義務の有無)について
(1) 本件契約
ア 本件契約は,前記1のとおり,契約が定める解除事由があるものとして解除されたのであるから,当事者は,相手方を原状に復させる義務を負う(民法545条1項)。
この点,本件契約における業務委託契約金については,本件委託契約書第4条3項において,既に支払われた業務委託契約金を返還しないものとする旨定められていることから,本件契約が遡及的に無効となることによる被告の原状回復義務として,原告に対して同金員を返還する義務を含むかについて検討する。
イ 本件契約は,前記認定のとおり,被告が本件各特許を実施する本件製品を量産できるよう開発し,原告が本件製品の量産を請け負うというもので,一回的な給付を目的とするものではない。業務委託契約金は,本件契約締結より前に被告に支払われており,本件契約において原告の受託業務が被告による本件製品の開発を前提としていることからすれば,業務委託契約金は,被告が量産可能なものとして本件製品を原告に対して提供するための開発費として支払われたものといえる。そうすると,本件契約後,本件業務の委託に先行して被告が本件製品の開発を行い,業務委託契約金を開発費として費消することは当然予定されていたといえる。
このような本件契約の性質,内容等からすれば,業務委託契約金を返還しないものとする本件委託契約書第4条3項の定めは,被告の原状回復義務を免除し,業務委託契約金を本件製品の開発費として返還することを要しないとする趣旨のものと解するのが相当であり,単に本件契約が期間満了により終了した場合についてのみ規定するものではなく,本件契約の解除によって遡及的に効力を失うことを予定した条項でもないと解される。
ウ よって,被告は,本件契約の解除による原状回復義務として,受領した業務委託契約金5000万円を原告に返還する義務はない。
3 争点(3)(被告の原告に対する保証預金返還義務の有無及び返還すべき金額)について
(1) 保証預金返還期限未到来について
ア 本件委託契約書第5条において,保証預金は,被告が本件業務を原告に業務委託させるために預かるとされているもので,本件契約が解除により無効となる以上,被告は,原告に対し,原状回復義務として,預かり金である保証預金を返還する義務を負うのが原則である。
イ この点,被告は,本件契約第5条2項に本件契約締結後3年は返還しないものとする旨の定めがあることから,返還期限が未到来である旨主張する。
しかし,前記争いのない事実等のとおり,本件契約は,本件業務を原告に業務委託させるために保証預金を規定しており,本件覚書第6条においては,本件覚書が終了した場合,研究開発に係る費用について保証預金から相殺して返還するものと定められていることからすれば,本件契約第5条2項は,本件業務が履行できない状況になった場合にまでその返還を制限するものではなく,本件業務に関する研究開発が継続している状況において,委託させるための開発費等に充てるために3年間返還しなくてもよい旨を定めたものと解される。
したがって,本件契約の解除後の原状回復については,3年間の不返還を定めた第5条2項ではなく,本件契約終了後,その翌日から3か月後に返還する旨を定めた同条4項が適用されるというべきである。
ウ よって,被告の主張は理由がない。
(2) 保証預金の返還を要しない場合について
ア 本件契約15条2項
本件契約15条は違約金についての定めであるが,同条に定める第14条第6号ないし10号は,契約解除条項として合意されているものであるから,同各号に基づく解除により保証預金返還義務が生じる場合を念頭において規定されたものであり,第15条2項の定めは,当然第14条の解除事由による解除後の保証預金返還義務についても適用されると解するのが相当である。
イ 本件委託契約書第14条1項6号
前記認定のとおり,平成24年11月29日から同年12月11日ころまで,原告従業員と被告代表者らとの間で電子メールのやりとりがされており,同日の原告側からのメールには,平成25年の年明けに原告側が被告を訪問できればと考えている旨の連絡がされ(甲17の3),同年1月24日には原告が関係業者とともに被告を訪れて打合せがされていることからすれば,被告が主張する同年11月下旬頃から平成25年1月中旬頃まで1月以上原告と連絡が取れなかった事実を認めることはできない。
ウ 同条項7号から9号まで
原告と被告との間の金銭消費貸借契約には,本件各特許の事業資金の一部として用いるものとする旨の定めがある(前提事実(4))。被告は,原告が発掘事業へ投資した旨主張し「発掘事業投資契約書」(乙11)を提出するが,同契約書は当該金銭消費貸借契約よりも前の平成24年3月の日付で,署名押印もないことからすれば,これにより直ちに契約内容を事実として認めることはできず,他に本件において借り入れた金員を原告が被告の信に反するような用途に用いたと認めるに足りる証拠はなく,同条項7号から9号までに該当するような事実は認められない。
エ 結論
よって,保証預金の返還を要しないことについて,被告が主張する上記いずれの理由も採用できない。
(3) 研究開発費への充当について
ア 本件覚書第6条には,本件覚書が終了した場合には,同第3条及び4条の研究開発に係る費用について,保証預金から相殺して被告が原告に返還する旨規定され,同第3条には,平成23年10月1日から平成24年3月31日までの研究開発に係る費用として被告が保証預金から1000万円を活用するものとするとの費用負担が定められている(前提事実(3)イ)。
この点,原告は,本件覚書の規定は,原告の具体的な研究開発の依頼を前提としており,そのような依頼はないとして,同条項による精算は認められない旨主張する。
本件覚書は平成24年5月22日に締結されたものであるところ,第3条では,それ以前に行われた研究開発の費用として活用することが,第4条とは別途合意されており,金額も1000万円と具体的に記載されていること,送金の際に,1000万円を9000万円と区別して送金していること(甲4,5)からすれば,当事者としては,本件覚書第3条に記載した1000万円については,本件契約前の研究開発費用に直ちに充当するものとして別途定めをおいたものと推認される。
したがって,第3条の1000万円については,研究開発費用に充当されたものとして,保証預金の原状回復義務より控除されるべきものである。
イ 2000万円について
他方,本件製品の開発費用としては,前記1000万円のほか業務委託契約金5000万円が本件締結前に支払われているところ,仮に被告が主張する平成24年3月までの研究開発費1012万円余,同年4月から平成25年3月までの2158万円余が全て本件業務に関する研究開発費であったとしても,上記1000万円及び業務委託契約金5000万円を上回るものでは全くない。また,被告は,本件契約の対象が,本件各特許の実施品ではなく,「吸引モーター」を使用した製品の開発である旨主張するものであるから,被告が支出した費用は,「本件業務の研究開発」に係る費用とはいえず,第4条において保証預金を活用するものとして定められたものであるとは認められない。
そうすると,平成24年4月以降被告が支出したと主張する費用の中に,本件契約にかかる研究開発費用に相当するものが存するとは認められない。
ウ よって,保証預金の原状回復義務より,さらに2000万円を控除すべきとは認められない。
4 被告の原状回復義務
(1) 以上からすれば,被告は,原告に対し,業務委託契約金5000万円については原状回復義務を負わないが,保証預金1億円から,本件覚書第3条の1000万円を控除した9000万円については,本件契約の解除に伴う原状回復として,これを返還する義務を負う。
(2) 被告による相殺
ア 被告は,(1)の原状回復請求に対し,金銭消費貸借契約(前提事実(4))に基づく原告に対する貸金返還請求権を自働債権として相殺の抗弁を主張している。
イ 自働債権である金銭消費貸借契約に基づく被告の原告に対する貸金返還請求権については,利息の返済期限が毎月末日,元金7000万円の返還期限が平成25年5月28日とされていることから,未払利息返済請求権の一部については原告の解除の意思表示(前提事実(7))により原状回復義務が発生する同月9日に,残利息及び元金については同月28日の経過をもって相殺適状となり,同日までに発生する未払利息は,被告主張の41万3186円を下るものではない。
ウ 原告は,原状回復請求権に対する訴状送達の日の翌日からの利息を求めているので,被告の相殺により,受働債権たる(1)の9000万円に,自働債権であるイの金員7000万円及び同日までの未払利息41万3186円を充当すると,1958万6814円となる。
第5結論
以上の次第で,原告の請求は,1958万6814円及びこれに対する相殺適状後の平成25年6月21日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余については理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について民訴法64条本文,61条を,仮執行宣言について同法259条1項をそれぞれ適用し,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷有恒 裁判官 田原美奈子 裁判官 松阿彌隆)
file_2.jpg別紙