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大阪地方裁判所 平成25年(ワ)9255号 判決 2014年9月25日

原告

P1

被告

HOYA株式会社

同訴訟代理人弁護士

吉澤敬夫

同補佐人弁理士

紺野昭男

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告に対し,1億円及びこれに対する平成21年10月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,原告が,被告に対し,原告がした職務発明の特許登録及び被告の実施に基づき,被告特許規程に基づく登録報奨金3万6000円及び実績報奨金9996万4000円の合計1億円,並びにこれに対する平成21年10月23日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める事案である。

2  前提事実(証拠及び弁論の全趣旨より前提として認められる事実。証拠の記載のないものは,争いがないか弁論の全趣旨より認められる。)

(1)  当事者

ア 原告は,平成9年4月,被告の子会社であるHOYAレンズ株式会社に入社し,平成10年4月に被告(ビジョンケアカンパニー)五日市工場製品開発部へ配属されるなどし,平成14年3月に被告を退職した。

イ 被告は,光学技術を中心とした半導体関連製品,光学レンズ等を製造する総合光学メーカーである。

(2)  原告による職務発明と被告による特許権の取得

ア 原告は,平成13年6月ころから上司であるP2からの指示を受け,P3とともに耐衝撃性を向上させた眼鏡用プラスティックレンズの開発に取り組んだ(以下3名を「原告ら」という。)。

眼鏡用レンズは,プラスチック基材の表面の傷を防ぐため,表面にハードコート膜と呼ばれる固い膜が成膜されており,その上側に,レンズ表面の反射を抑えるために反射防止膜といわれる無機化合物の膜が成膜されている。反射防止膜は,より多くの光を目の方向に通すため,屈折率の異なる透明な無機化合物を何層も重ねた構造となっている。そのさらに上側には,レンズの汚れを防止するために,撥水性の有機物が塗布されている。

原告らは,平成13年9月ころ,反射防止膜を構成する無機化合物中にイオンアシスト法を用いて有機化合物を添加することで,耐衝撃性のみならず,レンズ表面の耐摩耗性が飛躍的に向上することを見出し,実験を重ねて発明を完成させた。

イ 原告らが行った前記ア記載の発明は,被告の業務の範囲に属し,従業員である原告らの職務に属する行為として行ったものであり,原告らは,そのころ,同発明(以下「本件職務発明」という。)につき特許を受ける権利を,被告に譲渡した。

ウ 被告は,本件職務発明につき,次のとおりの特許出願をした。

(ア) 被告は,平成13年10月25日,発明の名称を「反射防止膜を有する光学部材」とし,発明者を原告らとする別紙1記載の特許出願をした(特願2001-327252,以下,「甲1出願」という。甲1)。

(イ) 被告は,平成14年10月11日,甲1出願に伴う優先権を主張して,発明の名称を「反射防止膜を有する光学部材及びその製造方法」,発明者を原告ら,特許請求の範囲を別紙2記載のとおりとして特許出願をし(特願2002-299316),平成21年8月21日,特許の登録を受け(特許番号第4362032,以下「本件特許」という。),特許権を取得した(以下「本件特許権」という。本件特許の明細書を「本件明細書」という。甲7)

(ウ) 被告は,平成14年10月,甲1出願に伴う優先権を主張して,本件特許に類似する特許について,アメリカ,オーストラリアその他の外国で出願するほか,欧州特許条約に基づく出願を行った(甲3,4,5)。

(3)  被告の特許規程及び特許規程運用基準

被告には,従業員の職務発明に関し,昭和62年10月1日から施行の特許規程と,その社長決定事項に相当する運用基準としての特許規程運用基準の定めがある(特許規程は,施行後数次にわたり改正されており,直近の改正は平成20年8月1日である。以下,同改正前の特許規程を「旧特許規程」,同改正後のものを「新特許規程」という。乙1の1及び2,乙2の1及び2)。

各規程には,争点に関係あるものとして,以下の趣旨の定めがある。

ア 旧特許規程(乙1の1)

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イ 新特許規程(乙2の1)

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(4)  原告の職務発明に基づく被告の特許権取得

ア 被告は,前記(2)ウの特許出願に基づき,下記表Aのとおり,特許権を取得した(第1段は本件特許権)。

【表A】

file_2.jpgB8a5 ys. eb Hees SaaS S88 EAR m2 02P32023 Bx SRE % 2002-299316 4362032 8218 A-ARD RATE o1paz008Au | 1) aane |B 2002901541 | 2002901841) Be RTE 01P32008CA | AFH SGRE | 2H 2408113 2408113} on ag E18 01P32008CN | hE Bee | SE | 200210471819 | 200210471819 | oe on RIE 01P32008KR | $36] SRE | 2H 2002-0063798 511837 8A25H O1P32008TW | ae SaHE | 3H 91124443 neioagog | B16 SAS5A O1P32008US | 7AUA | SRE | SH 10/279931 corgiga | PRI7 7A198イ 被告は,平成14年10月24日にした欧州特許条約出願に基づき,最終的に,後記表Bのとおり,ドイツ,フランス,イタリア及びスペインにおいて特許を取得した(乙13の1ないし3)。また,被告は,平成25年10月7日,後記表Bのとおり,タイにおいて特許権を取得した。

【表B】

file_3.jpgi B8as a RHE rae HS SRES S88 01P32008DE Fry | BeRee EPC 02023756.6 60237951.2 aise OIP32008ES_) | AN4Y | BERET EPC 02023756.6 1306695 mE O1P32008FR | J5YA | BER EPC 02023756.6 1306695 mE 01P32008IT ABNF | SEE EPC 02023756.6 1306695 mE 01P32008TH a4 SaRE se 077499 | 10A78(5)  被告の原告に対する登録補償金・登録報奨金の支払

被告は,原告に対し,表A記載の特許権の登録補償金として,平成21年10月23日に4000円,表B記載の特許権の登録報奨金として,平成22年12月7日に1万6000円,平成25年12月10日に4000円の合計2万4000円を支払った(甲6,乙7)。

3  被告製品

被告は,「SFTコート」というレンズ表面の耐摩耗性を向上させた反射防止膜を施した眼鏡用プラスチックレンズ(以下「SFT製品」という。)を販売している。

4  争点

(1)  登録補償金または登録報奨金の未払いの存在

(2)  SFT製品が本件職務発明の実施品と認められるか

第3争点に対する当事者の主張

1  争点(1)(登録補償金ないし登録報奨金の未払いの存在)について

(1)  原告の主張

ア 表A記載の特許権

原告に一度も開示されていない旧特許規程に基づき,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●信義則に反し,これを認めることはできず,新特許規程同様,●●●●●●●●●●●●●●べきである。

共同発明者間の寄与率については,平成14年3月に原告が被告を退社する際,被告知財担当者からの要請で,実際に実験にかかわった原告及びP3と,上司であったP2の3者で配分する寄与率を決めることとなり,原告の持分を40%と回答した経緯がある。しかし,単なる指揮監督者は発明者から除外されることを考慮すると,実際の発明者は2名であり,原告の寄与率は50%が適切である。

そうすると,表A記載の7件の特許権のうち,新特許規程施行前に登録された6件については,登録補償金●●●●●●●×6件×50%)が支払われるべきである。また,新特許規程施行後に登録された本件特許権については,登録報奨金●●●●●●●●●×50%)が発生すると考えるべきである。

イ 表B記載の特許権

表B記載の特許権5件については,新特許規程に基づき●●●●●●●●●●●●●●●●●上記のとおり,原告の寄与度は少なくとも50%であるから,5件分で●●●●●●●となる。

ウ 請求額

したがって,原告は,特許権の登録補償金及び登録報奨金として,ア及びイの合計額●●●から既払金2万4000円を控除した●●●●●●●及びこれに対する平成21年10月23日(原告が登録補償金●●●●●を受領した日)からの民法所定の遅延損害金の支払を求める。

(2)  被告の主張

ア 表A記載の特許権

旧特許規程によれば,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●ところ,本件特許権のファミリーにおいて特許登録となった分について,登録補償金●●●●●●に原告の寄与度40%を乗じた●●●●●を平成21年10月23日に支払った。

新特許規程第6条2項は,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●ところ,本件特許権は,旧特許規程施行当時の出願であるから,旧特許規程第6条2項の規定に服する。新特許規程の登録報奨金制度が過去分の発明に遡及しないことは,社内で開催された改定特許規程説明会で説明済みの事項であり,意見聴取会でも不満がでなかった事項である。新特許規程は,発明者保護をより厚くするための改正であるが,旧特許規程において,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●ことが,特に不合理というわけではない。

イ 表B記載の特許権

表B記載の特許権も,旧特許規程施行当時の出願であるから,●●●●●●●●●を支払えば足りるところ,ビジョンケア事業部が独自に,新特許権施行後に登録された特許に新特許規程を適用し,ドイツ,スペイン,フランス及びイタリアの4件分について,原告の寄与度40%を前提に,平成22年12月7日に●●●●●●(4件×●●●×40%)を支払い,さらに,タイにおける1件分についても,平成25年12月10日に●●●●●●●●●の×40%)を支払ったものである。旧特許規程からは本来支払不要のものであり,未払分は存在しない。

2  争点(2)(本件職務発明の実施による実績報奨金)について

(1)  原告の主張

ア 職務発明の内容

本件において,実績報奨金として対価を求める職務発明は,別紙1記載の発明であって,国内外において特許されたものに加えて,イオンアシスト法には広くプラズマ源が使用できること及び反射防止膜中の高屈折率層としての金属酸化物に加えてケイ素系有機物及び/又は非ケイ素系有機物からなるハイブリッド層とする技術をノウハウとして含むものである。

イ 被告による実施

被告のSFT製品は,以下のとおり,本件職務発明を実施している。

(ア) 変性シリコーンオイルの使用

a SFT製品(NL16VT− H)について,二次イオン質量分析(SIMS分析)を行った結果,最表層には撥水処理コーティングに由来すると考えられる炭素原子が存在するが,炭素原子は表層から30nm付近で最小となり,表層から60nm付近の深さから急激に増加し,表層から240nm付近まで検出された後,再び表層から300nm付近の深さからハードコート層に至るまで増加すること,特にハードコート層に移行する手前の第5層目に多くの炭素原子が存在することが確認された。

b 反射防止膜中で,炭素原子の濃度が増減を繰り返しているということは,反射膜形成過程において,人為的に炭素含有物を混入しなければ起こりえない現象である。

c また,上記SFT製品について,レンズの切断面を作成して顕微レーザーラマン光分析を行ったところ,アルキル基の特徴的なピークが現れた。

d 以上によれば,SFT製品の反射防止膜中には炭素原子が存在し,その炭素原子は有機物に由来するといえる。また,前記ラマン光分析の結果と異物のライブラリー検索結果とを比較すると,ポリジメチルシロキサンのスペクトルチャートのピーク位置が近似していることから,上記有機物は,変性シリコーンオイルである可能性が高い。

e したがって,SFT製品は,無機物質と,変性シリコーンオイルを使用した有機物質からなるハイブリッド層である反射防止膜を有しており,本件職務発明を実施したものといえる。

(イ) ハイブリッド層の形成

a 被告は,SFT製品の反射防止膜を製造する際に,変性シリコーンオイルや蒸着原料としての有機化合物は使用していない旨を主張するが,有機化合物の供給方法は本質的な争点ではなく,本件職務発明の実施の有無は,反射防止膜の成膜過程において,「無機化合物と有機化合物に起因したハイブリッド膜が,反射防止膜中に存在するか否か」により決せられるものである(本件明細書【0004】)。

b 本件職務発明におけるハイブリッド層とは,イオンアシスト法によって供給される高エネルギーのプラズマ由来のイオン化ガスにより,無機酸化物と有機化合物との間で化学反応が生じ,その生成物が取り込まれた形で反射防止膜が成膜されることを意味する(本件明細書【0007】参照)。

イオンアシスト法は,イオン銃により生じたイオン化ガスを蒸発させた成膜原料や,レンズ基材表面へ供給する手法である。イオン化ガスが蒸発した成膜原料と衝突することで,成膜原料の中に存在する結合エネルギーより大きなエネルギーが外部から与えられることとなり,簡単に化学結合が切断され,分子等に解離,イオン化する。これらの活性種がレンズの基材表面に集まり,互いに密に接触できる状況になると,原子や官能基などと化学反応を起こすことでハイブリッド膜が形成される。つまり,ハイブリッド層は,レンズ表面で無機化合物と有機化合物の化学反応により,形成される。

c SFT製品のハードコート層に有機化合物由来の炭素が存在することは被告提出の書証からも明らかであるところ,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

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d SFTコートの技術標準書によれば,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●「ハイブリッド層は,反射防止膜中の任意の層に形成されるが・・・特に,耐衝撃性をよく得るために,プラスチック基材側に最も近い層と,プラスチック基材に最も遠い層に形成されるのが特に好ましく・・・」とする本件職務発明(本件明細書【0006】)と一致しており,本件職務発明を実施しているといえる。

ウ 実績報奨金の額

SFT製品と競合し,被告の同業他社が被告に実施許諾を求めるべき製品の売上高は,国内において年間5億1187万円,国外において7億8000万円と推定され,特許権の存続期間20年,相当な実施料率5%,原告の寄与度50%,被告の貢献度50%とすると,本件職務発明について特許を受ける権利を譲渡したことの相当な対価は3億2296万円と算出されるから,原告は,本件職務発明の実施報奨金として,9996万4000円及びこれに対する平成21年10月23日から民法所定の遅延損害金の支払を求める。

(2)  被告の主張

ア 本件職務発明

甲1出願の特許請求の範囲の記載は認めるが,甲1出願はそのままでは特許性が認められていない。甲1出願,本件特許にも,「全てのハイブリッド層がイオンアシスト法で形成され」と記載されるとおり,原告が主張するイオンアシスト法は,公知技術である。

イ SFT製品が本件職務発明の実施ではないこと

(ア) ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●いずれもその従属項であるから,SFT製品は,成膜条件でも本件特許権の請求の範囲に記載されているすべての発明の技術的範囲に属さないことが明らかである。

原告は,SFT製品の膜構成中に炭素が存在しているとしているが,被告が採用する真空蒸着法において,成膜時に装置中に残留するガスなどにCO,CO2が存在することがあり,極めて微量の炭素が検出されることがあることは常識であって,仮に甲22の測定結果が正しいとしてもそのような不純物の炭素が検出されたものでしかない。甲22の結果によっても,炭素の量は,極めて微量なものであり,特定の変性シリコーンオイルの有機化合物に起因するハイブリッド層の存在などを立証するものではない。

(イ) 本件明細書にも記載されているとおり,特定の膜の構成は,特定の成膜方法から導かれるものであり,少なくとも成膜方法において膜の成分として有機化合物が導入されることによってハイブリッド層が形成されていなければ,本件職務発明の実施ということはできない。本件明細書には,原告が主張するようなイオンアシスト法によってハードコート層や反射防止膜の炭素からハイブリッド層が形成されることは記載されていない(本件明細書【0020】ないし【0023】,【0035】ないし【0037】参照)。

原告の主張は,原告の職務発明の内容ではなく,SFT製品の層中にある不純物レベルの炭素について無理やりそれをハイブリッド膜と主張しようとしているにすぎない。

(ウ) 原告は,本件明細書の請求項6に,「有機物質の膜内含有率が0.02重量%~70重量%である」との記載から,含有率が0.02質量%であってもハイブリッド層があれば,耐摩耗性が向上することは確認済みである,と主張している。

しかし,請求の範囲のそのような広い範囲における0.02重量%程度の有機物質によって,どのようにすればハイブリッド層が製造可能であるのか,また実施例とはかけ離れた数値である含有率が0.02質量%という有機物質によって,その発明が効果を奏するとする裏付けは,明細書にはどこにも記載がない。

したがって,含有率が0.02質量%程度とする発明については明細書に裏付けのない発明であり,無効理由を含むものとして第三者に権利行使をすることは不可能であり,独占的価値があるものとは言い難い。

しかも,請求項6は,請求項1で特定された変性シリコーンオイルの含有量をいうのであるが,被告のSFT製品に含まれる微量の炭素が,変性シリコーンオイルであることなどは,全く証明されていない。

(エ) イオンアシスト法は公知であり,眼鏡レンズにおいて,有機ケイ素化合物を基質成分とするハードコート膜に,無機の金属酸化物層からなる多層反射防止膜をイオンアシスト法で成膜することも公知である。

したがって,原告が主張するような原因によって,ハイブリッド層が形成されるとしたら,これらの公知の発明や,イオンアシスト法を用いて反射防止膜を形成している多くのレンズについてすらも,本件職務発明を実施していることになり,原告の主張は明らかな暴論である。

ウ まとめ

被告は本件職務発明を実施しておらず,本件特許権による独占の利益も得ていないから,実施報奨金は発生しない。

第4当裁判所の判断

1  争点(1)(登録補償金,登録報奨金の未払)について

(1)  原告は,前記表A記載の特許権,前記表B記載の特許権の双方について,新特許規程が適用されるべきであること,原告の寄与度はいずれも50%であることを主張する。これに対し被告は,表A記載の特許権及び寄与度については原告の主張を争うが,表B記載の特許権については,新特許規程及びその改正付則の文言に関わりなく,新特許権に基づき登録報奨金を支払ったことを認めている。

登録された特許の件数及び被告が原告に既に支払った金額については争いがないので,以下,表A記載の特許権への新旧特許規程の適用と,原告の寄与度について検討する。

(2)  表A記載の特許権への旧特許規程の適用

ア 前記前提となる事実及び証拠(甲3,5,7)によれば,表A記載の本件特許,アメリカ及びオーストラリアにおける特許権は,甲1出願の優先権を主張して出願されたものであることが認められ,原告も,表A記載のその他の特許権が同様の関連特許であることを争っていない。

前記前提となる事実のとおり,新特許規程6条の改定は,平成20年8月1日から施行するとされており,証拠(乙2の1,21)によれば,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●被告社内で説明のあったことが認められる。

イ 前記前提となる事実によれば,表A記載の特許権のうち,本件特許以外の6件は,平成18年までに登録がなされており,本件特許の登録は,新特許規程施行後の平成21年8月になされてはいるものの,被告内部における発明届出書の提出や特許出願は,平成14年10月11日までになされているのであり,前記アで述べたところによれば,表A記載の特許権の登録補償金については,すべて旧特許規程が適用されるべきことになる。

そして,旧特許規程によれば,表A記載の7件の特許権は,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●(同6条2項①)。

ウ 原告は,旧特許規程が提示されていないことを理由に,その条項を適用することは信義則に反する旨主張する。

しかし,前記前提となる事実によれば,原告が,本件職務発明について,旧特許規程に基づき発明届出書の提出等を行ったからこそ,被告において特許出願を行い,原告に登録補償金を支払ったものと認められるし,さらに,弁論の全趣旨によれば,原告は,平成14年3月に被告を退社した際,本件職務発明の原告の寄与度を40%と回答した事実が認められるところ(前記第3の1(1)ア),これも旧特許規程を前提とするものと認められる。

原告が,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●旧特許規程6条2項①の内容を,具体的には理解していなかった可能性があるとしても,旧特許規程自体,社員に開示することを前提としたものであること,原告自身,旧特許規程に則って被告との間で手続を行い,登録補償金を受領する等の利益を受けたと認められることを考慮すると,新特許規程施行前に出願された特許権に旧特許規程6条2項①を適用することが,信義則に反するとまではいえない。

エ 以上によれば,表A記載の7件の特許権については,本件特許権を含め,●●●●●●●●●●●●●●●●●べきこととなり,この点についての原告の主張は採用できない。

(3)  原告の寄与度について

ア 原告は,被告が,登録補償金及び登録報奨金について,原告の寄与度を40%として算定している点につき,監督者であるP2は発明者ではなく,原告の寄与度は50%であるとして,その差額分を請求する。

しかし,本件特許は,原告,P2,P3の3名を発明者として特許登録されているのであり,P2が発明者ではないことを前提とする原告の主張は,容易にはこれを認めることができない。

また,原告自ら,本件職務発明の原告の寄与度を40%と被告に回答していることも,前記(2)アのとおりである。

イ 以上の点に加え,寄与度が40%であることを前提に算出した登録補償金及び登録報奨金の支払を受けながら(前記第3の2(5)),原告が,本件訴訟提起以前に,その算定に異議を述べた等の事実が認められないことを考慮すると,原告自ら回答した40%の寄与度を覆すべき理由はないといわざるを得ず,原告の主張は,採用できない。

(4)  争点(1)についてのまとめ

そうすると,表A及び表Bの記載の各特許権に関し,被告が原告に対し,前記第3の2(5)のとおり支払った登録補償金ないし登録報奨金について,新旧特許規程に照らし未払があるということはできず,その部分の原告の請求は理由がない。

2  争点(2)(本件職務発明の実施による実績報奨金)について

(1)  本件職務発明の技術的範囲について

ア 原告は,実績報奨金として対価を求める職務発明について,別紙1記載の発明(甲1出願)であって,国内外において特許されたものに加え,イオンアシスト法によりハイブリッド層を形成する技術をノウハウとして含む旨を主張する。

前記前提となる事実によれば,被告の新特許規程において実績報奨金の対象となるのは,実体審査を経て登録された特許権が顕著に実施されるか,これに基づいて収入等があった場合とされるから,それ自体特許としては登録されなかった甲1出願や,権利化されずノウハウに止まったにすぎないものは,実績報奨金の根拠にはならない。

原告は,国内で販売されるSFT製品を購入,分析の上,SFT製品が本件職務発明の実施にあたると主張していることから,SFT製品が,国内の特許である本件特許を実施したものと認められるかにつき,まず検討することとする。

イ 本件特許の特許請求の範囲は別紙2のとおりであるが,本件特許における請求項2ないし10までの発明(以下請求項1も含めて「本件発明」という。)は,いずれも請求項1の従属項であり,以下の請求項1に記載の光学部材を前提としている。

【請求項1】

「プラスチック基材と,真空蒸着で形成された反射防止膜とを有する光学部材であって,反射防止膜中の少なくとも1層が,無機物質及び有機物質よりなるハイブリッド層であり,有機物質が以下の一般式(b)又は(d)で表わされる構造を有する変性シリコーンオイルであり,全てのハイブリッド層がイオンアシスト法で形成され,イオンアシスト法の条件が,加速電圧50V~150V及び加速電流30mA~100mAであり,かつプラスチック基材に最も遠い層がハイブリッド層である光学部材。(略)」

ウ 本件明細書には,要旨次の記載がある(甲7)。

(ア) 「プラスチック基材と下地層との密着性確保及び蒸着物質の初期膜形成状態の均一化を図るために,下地層を形成する前にイオン銃前処理を行っても良い。イオン銃前処理におけるイオン化ガスは,酸素,アルゴン(Ar)などを用いることができ,出力で好ましい範囲は,特に良好な密着性,耐摩耗性を得る観点から,加速電圧が50V~200V,加速電流が50mA~150mAである。」(【0009】)

(イ) ハイブリッド層に使用されるのに好ましい有機物質(【0011】~【0019】),有機物質の成膜方法(【0020】~【0026】)の記載があり,「本発明における,ハイブリッド層中の有機物質の好ましい膜内含有率は,特に良好な物性改質効果が得られる点を考慮して,0.02重量%~70重量%であり,0.5重量%~25重量%であると特に好ましい。(略)ハイブリッド層を形成する際には,無機物質,有機物質それぞれを別の蒸着源にて同時に蒸着して成膜するのが好ましい。この有機物質の無機物質に対する相対濃度は,有機物質及び/又は無機物質の加熱装置の表面温度を変えることにより制御できる。また,ハイブリッド層が,複数種の有機物質もしくは複数種の無機物質を含む場合には,別々の加熱装置で蒸着するのが好ましい。」(【0023】)とされている。

(ウ) 実施例1~20では,イオンアシスト法を併用した真空蒸着法で無機物質に対し有機物質が28%~37%の範囲で含まれているハイブリッド層を含む反射防止膜を形成している旨の記載がある(【0033】~【0058】)。

エ 被告は,平成20年2月20日,本件特許の査定請求における拒絶査定に対し,査定不服審判を請求し,その際,請求項1における有機物質を限定するなどの補正をした。甲1出願当時,透光性基材と反射防止膜とを有する光学部材であって当該反射防止膜の層が無機物質及び有機物質よりなる層を有する反射防止層は,他の公開公報に記載があり,無機物質及び有機物質からなるハイブリッド層を真空蒸着法によって形成することも周知技術であった。さらに,真空蒸着法の一形態としてのイオンアシスト法は,甲1出願当時一般的に知られた技術であり,真空蒸着法による膜形成を行う際に,イオンアシスト法を採用することは,当業者であれば適宜選択しうることであった(甲7,乙19)。

オ 以上,本件特許の特許請求の範囲及び本件明細書の記載からすると,本件職務発明は,反射防止膜を,本件特許の請求項1で定められた条件下でイオンアシスト法を用いた真空蒸着で形成し,その際,無機物質及び本件特許に所定の有機物質が存在する状態でハイブリッド層を形成することを内容とするものと認められる。

(2)  被告のSFT製品の仕様

ア 被告の技術標準書には,次の記載がある(乙17の1ないし4)。

(ア) 成膜方法

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

(イ) 使用原料

●●●●●●●●●●●●●

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●●●●●

(ウ) 膜構成

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

(エ) 成膜条件

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

(オ) ●●●

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●●●●●●●●●●●●●●●

イ 以上の被告の技術標準書の内容は,SFT製品の分析結果報告書(乙3)における,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●被告SFT製品の仕様は上記のとおりであると認められる。

(3)  被告の実施について

ア 変性シリコーンオイルの使用

(ア) ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●「無機物質及び有機物質を含むハイブリッド層」が,形成されることはない。

(イ) 原告は,技術標準書とは異なる分析結果を提出し(甲13ないし15,22),これによれば,SFT製品の反射防止膜に有機物に由来する炭素原子が存在するとされ,前記有機物は変性シリコーンオイルと推測されるなどとして,SFT製品が本件発明の実施品であることを主張する。

しかしながら,上記分析については,反射防止膜中の金属原子の検出感度が設定により影響を受けていること(甲22),炭素の検出は,試料汚染等の可能性もあること(乙18)等が指摘されるのであり,直ちにこれを採用することはできず,SFT製品の構成についての上記認定を覆すものではない。

イ ハイブリッド層の形成

(ア) 原告は,仮に被告が蒸着原料として変性シリコーンオイルや有機化合物を使用していない場合であっても,その点は重要ではなく,「無機化合物と有機化合物に起因したハイブリッド膜が,反射防止膜中に存在するか否か」が問題であるとして,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●反射防止膜とハードコート層の有機化合物,及び反射防止膜と撥水層の有機化合物との間でハイブリッド層が形成されているので,やはり本件発明の実施にあたると主張する。

しかし,本件明細書で開示されているのは,前記(1)イのとおり,反射防止膜の無機物質に対し,所定の有機物質を存在させ,その際の相対濃度を調整することによりハイブリッド層を制御・形成する方法であるが,原告が主張する方法は,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●これによるハイブリッド層の制御・形成は困難と推測される。

(イ) また,上記の様な方法で有機物と無機物が混在する層が形成される場合があるとしても,そこで形成される層は,前記(1)エで認定した,所定の有機物質を存在させ,無機物質との相対濃度を調整して制御・形成して成膜するという,本件発明が本来想定しているハイブリッド層とは異なるといわざるを得ない。

原告の主張するような場合も本件発明におけるハイブリッド層であるとすると,反射防止膜を形成する際に,ハードコート層に対しイオンアシスト法を適用して無機物質の反射防止膜を蒸着していく従来技術の場合にも,本件発明を実施したことになるが,本件発明が特許として登録されている点に照らせば,原告の主張は採用できない。

(ウ) 以上によれば,SFT製品が本件発明を実施したものと認めることはできず,この点についての原告の主張は理由がない。また,外国で販売されているSFT製品が,原告を発明者とする,被告の外国における特許を実施したものと認めるべき証拠もない。

なお,原告は,現行SFT製品以前の旧SFT製品について,特許第4654233号の特許請求の範囲に記載のある化合物を使用していた旨を被告が回答した事実があるとして,旧SFT製品は本件発明を実施したものであった旨も主張するが,前記特許の発明者は原告ではなく(甲8),その実施の有無は原告と無関係であるし,前記特許の明細書に記載された化合物を使用していたというだけの理由から,旧SFT製品が,本件特許の実施品にあたるとまでは認められない。

3  結論

(1)  そうすると,本件職務発明に関係する特許の登録補償金ないし登録報奨金について,未払部分が存するとは認められず,この点を理由とする原告の請求は理由がない。

また,本件職務発明が実施された事実は認められないから,実績報奨金の請求は前提を欠くというべきであり,その余の点について検討するまでもなく,この点についての原告の請求も理由がない。

(2)  以上から,原告の請求は,理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用し,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷有恒 裁判官 田原美奈子 裁判官 松阿彌隆)

file_4.jpg別紙

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