大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成26年(ワ)11023号 判決 2016年9月02日

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  原告被告間で締結された別紙1の環境保全協定及び別紙2の覚書が,別紙物件目録記載の土地に適用されることを確認する。

2  被告は,別紙物件目録記載の土地において,地下水の汲上げを行ってはならない。

第2事案の概要等

1  事案の概要

本件は,原告が,被告に対し,原告と被告の間の環境保全協定に基づき,被告が事業所内の土地において地下水の汲上げを行うことの差止めを求め,また,同協定及び同協定の適用に関する事項を定めた覚書が上記土地に適用されることを確認することによって紛争を抜本的に解決することができると主張し,同確認を求める事案である。

2  前提事実

以下の事実は,当事者間に争いがないか,括弧内に掲げる各証拠(枝番号を含む。以下同じ。)又は弁論の全趣旨により容易に認められる。

(1)  当事者

ア 原告は,普通地方公共団体である。

イ 被告は,鉄道事業等を行う株式会社であり,東海道新幹線(以下,単に「新幹線」ということがある。)の車両基地である東海道新幹線甲車両基地(以下「甲基地」という。)を操業している。

(2)  甲基地

ア A鉄道(以下「A」という。)は,昭和39年,東海道新幹線の運行を開始し,甲基地の操業を開始した。被告は,その後,Aから東海道新幹線に関する権利義務を承継し,現在,甲基地を操業している。原告市域内に存在する被告の事業場は甲基地のみである。

イ 甲基地は,原告と大阪府B市の市境付近に位置し,大部分は原告市域内にあるが(原告は甲基地のうち原告市域内にある部分が96.6%であると主張し,被告は同部分が約95%であると主張する。),甲基地のうち,別紙物件目録記載1から3までの土地(合計1万2315平方メートル)はB市域内にある(甲1。以下,甲基地のうち原告市域内にある部分を「原告市域部分」,B市域内にある部分〔別紙物件目録記載1から3までの土地〕を「B市域部分」という。)。

(3)  昭和52年条例及び昭和52年規則

ア 原告は,昭和52年4月1日,原告市生活環境条例(昭和52年4月1日条例第9号。以下「昭和52年条例」という。)及び同条例施行規則(昭和52年4月1日規則第1号。以下「昭和52年規則」という。)を制定した(乙8,27)。昭和52年条例及び昭和52年規則は,同年7月1日に施行された。

イ 昭和52年条例第7条は,原告市長は良好な環境を保全するために必要があると認めるときは,事業者と良好な環境の確保及び公害の防止に関する協定(環境保全協定)を締結するものとすると定め,昭和52年条例第12条は,事業者は市長からの要請に基づき環境保全協定を締結するものとすると定めていた。

(4)  昭和52年協定

ア 原告とA新幹線総局は,昭和52年9月20日付けで,環境保全協定(以下「昭和52年協定」という。)を締結した(甲4)。

イ 昭和52年協定の前文及び第8条は,以下のとおり定めていた(甲4)。

(ア) 前文

原告市域の大気の汚染,水質の汚濁,騒音,振動,悪臭等の現状及び将来の動向を考慮して住民の健康を保護し,良好な環境の保全を図るため,原告市(以下「市」という。)と事業者のA新幹線総局(以下「事業者」という。)は,事業者の事業場(以下「事業場」という。)を操業するに関し,相協力して公害関係法令等の定めに従って,原告市域の自然的・社会的条件に応じた総合的な公害防止対策を推進することを確認し,次のとおり協定する。

(イ) 第8条(地盤沈下の防止)

事業者は,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため原則として地下水の汲み上げを行わないものとし,現に地下水の汲み上げを行っている場合は,工業用水等に切り換えるため,地下水汲み上げ抑制計画を策定し,その達成に努めるものとする。

(5)  昭和63年協定

ア 昭和62年4月,Aが廃止され,同月に設立された被告が東海道新幹線に関する権利義務を承継した。

イ 原告と被告の新幹線鉄道事業本部大阪支社は,昭和63年9月1日付けで,環境保全協定(以下「昭和63年協定」という。)を締結した。

昭和63年協定は,締結の主体をAから被告の新幹線鉄道事業本部大阪支社とし,昭和63年協定の締結と同時に昭和52年協定はその効力を失うと定めた(第17条)ほかは,前文を含めて昭和52年協定と同一の内容を定めていた(甲5)。

(6)  本件協定及び本件覚書

ア 原告と被告の新幹線鉄道事業本部関西支社は,平成11年4月6日付けで,別紙1の環境保全協定(以下「本件協定」という。)及び別紙2の覚書(以下「本件覚書」という。)を締結した(甲6,11)。

イ 本件協定の前文及び第8条は,以下のとおり定めていた(甲6)。

(ア) 前文

原告市域の大気の汚染,水質の汚濁,騒音,振動,悪臭等の現状及び将来の動向を考慮して住民の健康を保護し,良好な環境を図るため,原告市(以下「市」という)と被告会社新幹線鉄道事業本部関西支社(以下「事業者」という)は,事業者の事業場(以下「事業場」という)を操業するに関し,相協力して公害関係法令等の定めに従って,原告市域の自然的・社会的条件に応じた総合的な環境保全対策を推進することを確認し,次のとおり協定する。

(イ) 第8条(地盤沈下の防止)

事業者は,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため,地下水の汲み上げを行わないものとする。

(7)  本件計画

被告は,平成26年9月までに,B市域部分に2本の井戸を設置し,その井戸を使用して地下水の汲上げを行うことを計画した(以下「本件計画」という。)。

(8)  本件訴訟の経緯

ア 原告は,平成26年11月14日,被告に対し,被告がB市域部分における井戸の掘削工事及び地下水の汲上げを行うことの差止めなどを求める訴えを提起した。

イ 被告は,平成26年11月以降平成28年3月までに,本件計画に係る2本の井戸の掘削工事を完了した。

原告は,本件訴えを前記アの訴えから被告がB市域部分における地下水の汲上げを行うことの差止めを求める訴えに変更した。

第3争点及び争点に関する当事者の主張

1  確認の利益について

(原告の主張)

本件協定及び本件覚書がB市域部分には適用されないと被告が主張しており,原告と被告の間には,本件協定及び本件覚書がB市域部分に適用されるかどうかについて,今後,紛争が継続する可能性が高い。

被告が本件協定に違反した場合に原告がB市域部分に立入調査を行うことができるか,被告が本件協定が定める報告義務を負うかどうかなどについて,現に,被告は,B市域部分において井戸の掘削工事を開始した後,本件協定第14条に基づく原告職員による立入調査を拒絶し,揚水試験に伴う排水の排出の際,原告と事前に協議すべきであったにもかかわらず,これをしなかった。

このような紛争を抜本的に解決するためには,本件協定及び本件覚書がB市域部分にも適用されることを確認することが必要であり,同確認を求める訴えには確認の利益がある。

(被告の主張)

昭和52年協定の締結後現在に至るまで,本件計画に関連する紛争以外に本件協定又は本件覚書の適用をめぐる紛争は生じておらず,本件協定及び本件覚書がB市域部分に適用されるかどうかについて紛争が継続する蓋然性が高いとはいえない。

本件協定及び本件覚書の適用に関して原告と被告の間で紛争が生じる可能性があるとしても,個別の条項についてその法的拘束力の有無を検討せざるを得ないから,本件協定及び本件覚書の全てについて一般的かつ抽象的に適用の有無を確認することで将来生じ得る紛争の抜本的な解決を図ることはできない。

被告が原告の立入調査を拒絶したのは,原告が仮処分命令を申し立てた後であり,既に裁判所において本件協定の適用範囲をめぐって争っていた時期のことである。また,被告は,揚水試験において汲み上げた地下水そのものを排出していて,その地下水の排出は,本件協定第14条に基づく報告や立入調査の対象とはならない。原告が主張する事情は,確認の利益を基礎付けるものではない。

2  本件協定の適用範囲について

(原告の主張)

(1) 本件協定は,甲基地の全体に適用され,B市域部分にも適用される。

(2) 本件協定は,原告と被告とが対等の立場で締結した契約であり,その適用範囲は,本件協定の目的や文言等に照らし,当事者の意思を合理的に解釈することにより決定されるべきである。

(3) 本件協定は,原告市域の大気の汚染,水質の汚濁,騒音,振動,悪臭等の現状及び将来の動向を考慮して住民の健康を保護し,良好な環境を図るため,事業者である被告の事業場を操業するに関し,原告市域の自然的・社会的条件に応じた総合的な環境保全対策を推進することを確認したものである(前文)。

原告市域内に存在する被告の事業場は甲基地のみであるから,本件協定のいう事業者の「事業場」が甲基地を意味することは,本件協定の文言から明らかである。また,本件協定の適用範囲を原告市域内に限定する文言はないため,本件協定が甲基地全体に適用されることも明確である。

(4) 地盤沈下は,地盤から水分が抜けた場合に,汲み上げられた水分量に相当する体積の収縮が起こって地盤が下方に向かって沈降する現象である。甲基地内において原告市域部分とB市域部分とは連続しているから,いずれにおいて地下水を汲み上げた場合も,その影響は甲基地全体に及ぶ。したがって,本件協定の目的を達成するために,甲基地全体において地下水の汲上げを禁止することには十分な合理性があり,B市域部分を本件協定の適用対象から除外すると解釈すべき理由はない。

本件協定は,被告が原告との間で甲基地内において地下水の汲上げを行わないと約束したものであり,被告がそのように約することは,B市固有の施政権を何ら侵害するものではない。

(5) 昭和52年協定の締結に先立ち,Aに対して地下水の汲上げを抑制するよう求めた際も,原告は,甲基地における地下水の汲上げを問題としていたのであって,原告市域に限定して地下水の汲上げを抑制するよう求めていたのではない。原告及びAは,甲基地全体に適用されるとの認識で昭和52年協定を締結した。

また,Aが地下水汲上げを中止して原告市域での地下水汲上げの抑制について大きな前進があり,C協同組合連合会なども昭和52年中には地下水汲上げの中止を約束したことを踏まえて,昭和52年協定において地下水汲上げに係る第8条を記載したものであり,昭和52年協定に同条が挿入されたのは,原告市域で事業者として最大の汲上げを行っていたAとの交渉経緯が前提となっていた。

(6) 本件協定が昭和52年条例を前提としたものであったとしても,昭和52年条例は環境保全協定を締結することができる旨を定めるのみであり,その内容については全く限定していないから,昭和52年条例の解釈から当然に本件協定の適用される地理的範囲が画されるという必然性はない。甲基地において原告市域部分とB市域部分とは区分されていないにもかかわらず,「事業場」を分割して原告市域部分に限定する解釈は,原告市域の住民の健康を保護して良好な環境を図るという本件協定の目的に照らして不自然・不合理である。

(被告の主張)

(1) 本件協定は,甲基地のうち,原告市域部分には適用されるが,B市域部分には適用されない。

(2) 本件協定は,被告が普通地方公共団体である原告との間で締結した行政契約の一種であり,規制代替手段としての行政契約に当たり,片務契約の実態,すなわち確約書又は誓約書の実態を有するものである。本件協定の適用範囲は,本件協定に関する客観的事実関係に照らして明らかとなり,当事者の意思の合理的解釈が問題となるものではない。

(3) 本件協定のような環境保全協定は,事業者である被告が受ける制約の内容及び程度を明確に定めなければならないから,原告の行政管理区域を越えて適用される旨の特段の意思表示(留保)がない限り,その地理的な適用範囲は当該地方公共団体の行政管理区域内に限られる。

本件協定において,そのような留保はない。被告も,本件協定がB市域部分に適用されるという認識は有しておらず,B市域部分における行為について規制を受け容れる意思を明確に表示したことはない。本件協定が原告市域外の行為についても適用されるとの解釈を採れば,本来は法律又は条例によって初めて許容される私人の権利又は自由の制約が,特段の手続的な保障もなく,適用範囲も極めて不明確な状態のまま認められることとなり,法律に基づく行政の趣旨を逸脱する。

(4) 昭和52年協定から本件協定に至るまでの一連の協定は,いずれも,昭和52年条例に基づいて締結されたものであり,協定締結の基礎となった条例の適用範囲を超えてB市域部分における被告の行為が規制される合理的理由はない。

B市域内において地下水の汲上げを禁止するかどうかは,その施政権を有するB市が判断すべき事項であり,本件協定をB市域部分にも適用することは,B市の施政権を侵害する。

また,本件協定は,本件協定における用語の意義は昭和52年条例において使用する用語の例によると定めている(第1条)。昭和52年条例は,「指定工場」について「工場及び事業場・・・のうち,規則で定めるもの」と定めており(第1条第5号),昭和52年規則において指定工場に関する地理的な限定はないから,本件協定のいう「事業場」は,原告市域内のものに限られる。

3  本件協定第8条の内容について

(原告の主張)

(1) 本件協定第8条は,地下水の汲上げを一律に禁止したものであり,地盤沈下の具体的な危険性の有無は問題とならない。本件計画による地下水の汲上げは,同条に違反する。

(2) 地盤沈下は,一旦被害が発生すると回復が不可能な公害である一方,個別の地下水の汲上げと広範囲に及ぶ地盤沈下との間の因果関係を立証することが困難であるという特性を有する。地盤沈下の被害を予防するためには,本件協定のような環境保全協定による事前の規制が重要であるところ,事前に具体的危険性の調査や判断を行うことは困難であるから,地下水の汲上げを一律に禁止することには合理性がある。

(3) 本件協定第8条は,その文言から,地下水の汲上げを行わないことを無条件で合意したものであることが明らかである。同条の「地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため」との文言は,同条の目的を明確にしたものであるが,同条の適用範囲を地盤沈下の具体的な危険性のある地下水の汲上げに限定する趣旨のものではない。

(4) 昭和52年協定の締結に際し,Aは,原告や原告の住民による苦情を考慮して,地盤沈下対策として,地盤沈下の具体的危険性とは無関係に地下水の汲上げの禁止に合意した。被告も具体的危険性のある地下水の汲上げのみ禁止されるとは考えていなかった。

(5) 被告は,本件協定第8条が地下水の汲上げを一律に禁止したものだとすれば比例原則に反し,同条は効力を有しないと主張する。

しかし,本件協定は,原告とA又は被告が交渉を重ねた結果地下水の汲上げを全面的に禁止する旨の合意に至ったものである。被告は甲基地内において,地下水の汲上げを行わなくても,工業用水や上水道を利用することができ,これまで30年以上にわたって地下水を利用することなく操業を続けることに支障はなかった。

また,本件協定について,当事者の合意があるにもかかわらず,あえて比例原則違反と評価すべき理由はない。個別の地下水の汲上げと地盤沈下との間の因果関係を立証することや事前に具体的危険性の調査・判断を行うことは困難である。本件計画について,地盤沈下の抽象的な危険性を否定することはできないところ,地盤沈下が発生すれば被害回復は極めて困難であるから,地下水の汲上げを一律に禁止することは合理的かつ最も効果的であり,地盤沈下を防止する手段として均衡を失していない。本件協定は,比例原則に違反するものではない。

(被告の主張)

(1) 本件協定第8条は,地下水の汲上げを一律に禁止したものではなく,環境に影響を及ぼすような地盤沈下が生じる具体的危険性がある地下水の汲上げを禁止したものである。本件計画の実施には,地盤沈下の具体的危険性がなく,本件計画による地下水の汲上げは,同条に違反しない。

(2) 本件協定第8条は,地盤沈下の防止を目的とする条項であり,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するために地下水の汲上げを行わない旨定めている。このような目的及び文言に照らし,本件協定第8条が禁止しているのは,環境に影響を及ぼすような地盤沈下が生じる具体的危険性がある地下水の汲上げに限られる。

(3) 原告市域においては,原告を含めて複数の事業者が日量約1万2000立方メートルの地下水の汲上げを行っている。この事実に照らしても,本件協定第8条が地下水の汲上げを一律に禁止したものと解釈する合理性はない。

(4) 本件計画の実施によって,環境に影響を及ぼすような地盤沈下が生じる具体的危険性はない。このことは,被告が行った各種試験の結果を基にした専門家の意見から明らかである。

(5) 仮に本件協定第8条が地下水の汲上げを一律に禁止したものだとすれば,比例原則に違反する。

地盤沈下を防止するという目的のために,地盤沈下の具体的危険性のない地下水の汲上げまで禁止することは,過剰な規制である。また,本件計画は,重大な災害に備えて井水システムを整備しておくことにより,上水道との二重系化を確保することを目的とするものである。災害発生時等において甲基地に優先的に送水される見込みがないため,本件計画の目的を達成するためには,地下水の汲上げの他に容易な代替手段はない。

4  本件協定の法的拘束力又は本件協定に違反した場合の効果について

(原告の主張)

(1) 本件協定第8条は,地下水の汲上げを行わないという具体的な義務について,それを遵守するという被告の意思が明確に表れているものであるから,契約としての効力を有する。被告が同条に違反した場合,原告は,被告に対し,司法手続を通じて,同義務の履行の強制すなわち地下水の汲上げの差止めを求めることができる。

(2) 昭和52年協定は,原告とAの間で粘り強い交渉を行った成果であり,Aに対し,定型的なひな型に調印を求めただけのものではない。A以外の事業者との間でも同内容の協定を締結したことは,昭和52年協定や本件協定の効力に影響を及ぼすものではない。

(3) 本件協定を締結し,明文の定めを設けて一定の義務を負う旨合意した以上,その義務を履行しない場合に司法判断を通じて義務の履行を強制されることは,被告において当然に認識し得た。

本件協定第16条は,環境保全協定一般に挿入される条項であり,司法判断を通じて強制的に義務の履行を求めることを放棄したものではない。仮に,事業者が原告の指示に従わず本件協定に違反する操業を続けた場合に,事業者に対して義務の履行を強制できないとすると,本件協定の定める義務の違反を助長することになりかねない。

(4) 被告は,本件協定が法的拘束力を有しないと主張するが,以下に照らして,そのような主張は採用できない。

ア 本件協定の効力は,本件協定を締結した当事者である原告及び被告に及ぶものであって,被告がB市内において一定の義務を課されたとしても,B市の施政権を侵害することにはならない。

イ 昭和52年協定を締結したのは,被告の前身であり国の公共企業体であるAであった。被告も,我が国を代表する巨大企業である。これに対し,原告は,小規模な普通地方公共団体である。原告とA及び被告を比較して,A及び被告が相対的に弱い立場にあったとはいえない。

昭和52年協定締結当時,甲基地における地下水汲上げを規制する法律及び条例は存在せず,原告と環境保全協定を締結しなかった事業者も存在した。Aは,原告が求めていた新幹線の減速運転の要求を受け入れなかったのであり,昭和52年協定の締結についても容易に拒否することができた。また,昭和63年協定及び本件協定についても,協定を締結しなければ被告の事業に支障が生じたような事情はない。

Aは,甲基地における地下水の汲上げと地盤沈下の因果関係を認め,地盤沈下対策として地下水の汲上げを任意に中止したのであり,地下水汲上げに対する規制の必要性・合理性を認めていた。

ウ 本件協定の適用範囲にB市域部分が含まれること,地下水の汲上げが一律に禁止されていることは,いずれも明確である(前記2及び3)。また,本件協定の定める義務に違反した場合に,同義務の履行を強制されることは当然であって,この点も明確である。

エ 環境保全協定は,規制がその目的に照らして一見して不合理であるという例外的な場合でなければ,比例原則違反とはいえない。

本件計画について,地盤沈下の抽象的な危険性を否定することはできない。本件協定第8条は,被告による地下水の汲上げを禁止するだけであり,被告は上水道及び工業用水を利用することが可能であるから,被告の事業に与える影響は軽微なものにとどまる。

個別の地下水の汲上げと地盤沈下との間の因果関係を立証することや事前に具体的危険性の調査・判断を行うことは困難であるから,地下水の汲上げを一律に禁止することは,地盤沈下の防止のために合理的かつ最も効果的な手段である。他方,一度地盤沈下が発生すれば,事後的に被害を回復することは極めて困難であり,地下水の汲上げを一律に禁止することは,地盤沈下を防止する手段として均衡を失していない。本件協定は,比例原則に違反するものではない。

(被告の主張)

(1) 本件協定のような行政契約が法的拘束力を有するためには,合意内容が行政機関の職務の範囲内に属すること,行政機関と相手方の任意の合意に基づくこと,相手方の義務内容が十分に特定されていること,規制目的との関係で比例原則に反しないことが必要である。以下の事情に照らせば,本件協定は,法的拘束力が認められない。

ア B市は条例による地下水汲上げの規制を行っていないため,仮に本件協定がB市域部分に適用されるとすれば,B市の施政権を侵害することになり,原告の職務の範囲を超える。

イ 被告は,本件協定がB市域部分に適用されること,環境に影響を及ぼす具体的危険がない地下水の汲上げまで禁止されること,本件協定に違反した場合に履行を強制されることについて,いずれも合意していない。

ウ 本件協定は,B市域部分に適用されること,第16条第2項及び第3項の定めがあるにもかかわらず履行強制されること,環境に影響を及ぼす具体的危険がない地下水の汲上げまで禁止されることについて,明確に定めているとはいえない。

エ 本件計画を実施したとしても,地盤沈下が生じる具体的危険性はなく,本件協定第8条の規制目的の実現は阻害されない。地下水の汲上げの一律かつ全面的な禁止は,目的達成のための手段として著しく均衡を欠く。また,地下水の汲上げを禁止することは,新幹線輸送に支障を来すものであり,その弊害は甚大である。

(2) 原告市域内において,原告や他の複数の事業者が地下水の汲上げを行っている。本件協定第8条によって,被告にのみ,甲基地内における地下水の汲上げを禁止することは平等原則に反する。この観点からも,本件協定は法的拘束力を有しない。

(3) 昭和52年協定は,昭和52年条例に基づき締結された環境保全協定であり,原告が原告市域内に事業所を有する多数の事業者との間で原告作成のひな型(例文)を用いて同一内容で締結した協定の一つにすぎず,例文に従って締結された協定であって,紳士協定にすぎない。昭和52年協定の締結に先立ち,原告とAの間で一定の交渉は行われたが,協定を締結する以上何らかのやり取りがあることは当然のことであり,特別な意味を持たない。

(4) 本件協定第16条第2項及び第3項は,本件協定に違反した場合の措置について,原告が被告に対し必要な措置を取るよう指示することや操業停止を要請することを定めており,司法判断を通じた強制力が認められない緩やかな措置を定めている。行政契約において,事業者が当該契約に違反した場合の措置が定められており,その措置が民事法における措置よりも緩やかなものである場合は,当該契約に違反した事業者に対する措置は,当該契約に定められた措置に限定されるべきである。本件協定は,本件協定に基づく義務の履行強制を予定したものではなく,被告において,上記措置を超えて,司法判断を通じた強制的な義務の履行を受け入れなければならない理由はない。

5  権利濫用又は公序良俗違反について

(被告の主張)

本件協定第8条は,前記4記載のとおり,被告の企業活動を著しく不合理に制限するものである。同条は公序良俗に反し無効であり,同条に基づき地下水の汲上げの差止めを求めることは権利濫用であって許されない。

また,原告は,水道料金収入の減少や議会説明の困難などを理由にB市域部分における地下水の汲上げの差止めを求めており,原告の権利行使は社会的相当性を欠く不合理なものである。

(原告の主張)

本件協定は,原告とA又は被告が交渉を重ねた結果地下水の汲上げを全面的に禁止する旨の合意に至ったものであって,被告は甲基地内において地下水の汲上げを行わなくても,工業用水や上水道を利用することができ,これまで30年以上にわたって地下水を利用することなく操業を続けることに支障はなかった。

本件協定第8条は,公序良俗に反するものではないし,原告が同条に基づき地下水の汲上げの差止めを求めることは権利を濫用するものではない。

第4当裁判所の判断

1  認定事実

前記前提事実に加えて,証拠(甲1から6まで,9から13まで,17,18,29,33から40まで,49,52,53,60,乙1,2,4,7から9まで,11から13まで,17,21,23,27から29まで,36,43から45まで)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)  昭和52年以前の経緯

ア Aは,昭和39年10月,東海道新幹線の運行を開始し,同年から,甲基地の操業を開始した。

Aは,当時,甲基地において地下水の汲上げを行い,甲基地の用水の供給を地下水で賄っていた。

イ 原告市域は,中央を安威川が貫流して南で淀川に接し,両河川の沖積作用によって形成された地盤が広がっている。

大阪府一級水準測量成果によれば,大阪府下の地盤沈下を正確に知るために大阪府土木部高潮課により昭和38年に測量が実施されて以降,原告市域内の多くの地点において,地盤沈下が観測され,甲基地周辺でも地盤沈下が観測されていた(乙4,弁論の全趣旨)。

ウ 新幹線の開業後,原告の住民は,Aに対し,新幹線の騒音,振動等への対応を求めるようになった。原告も,Aに対し,新幹線による被害に対応するよう求め,昭和48年4月には,A新幹線総局に対し,甲基地における地下水の汲上げを必要最小限にとどめるとともに,可及的速やかに甲基地の用水の供給源を地下水から大阪府工業用水道及び原告の上水道に切り替えるよう求めた(甲2)。

Aは,昭和51年9月,甲基地における用水の供給について,地下水から工業用水及び上水道への切替えを完了し(乙7),甲基地における地下水の汲上げを止めた。

この間の,原告とAとの間の甲基地における地下水の汲上げや新幹線の騒音や振動についてのやり取りの内容は,後記(11)のとおりである。

原告市域においては,A以外にC協同組合連合会やD工業株式会社なども地下水の汲上げを行っていたが,両者とも昭和52年には地下水の汲上げを中止することを約束した(弁論の全趣旨)。

(2)  昭和52年条例

ア 原告は,昭和50年2月,同月に発足した原告市生活環境条例審議会に対し,原告市域における開発に伴う農業緑地の喪失,工場の進出による大気汚染や河川の水質汚濁,騒音,振動,悪臭,通過交通自動車による交通公害などの環境問題に関する条例の制定を諮問した。同審議会は,昭和52年1月,原告市域の環境保全に関する条例を制定することが適切である旨の答申を行った(甲53)。

イ 原告は,昭和52年4月1日,昭和52年条例及び昭和52年規則を制定した。昭和52年条例及び昭和52年規則は,同年7月1日施行された(前記前提事実,乙8,27)。

ウ 昭和52年条例は,原告市域における健康で安全かつ快適な生活を阻害する一切の公害及び環境の侵害を防止するとともに,後代の原告市民に自然と調和のとれた良好な環境を保全するために制定されたものであり(前文),市長,事業者及び市民の責務を定め(第2条から第14条まで),公害の防止及び環境の保全のための規制を定め(第15条から第42条まで),雑則として,条例に違反した場合の効果等を定めていた(第43条から第48条まで)。

昭和52年条例には,市長の責務として,良好な環境を保全するために必要があると認めるときは環境保全協定を締結すること(第7条),事業者の責務として,市長の要請に基づき環境保全協定を締結すること(第12条)が定められていた。また,公害の防止のための規制として,ばい煙の排出に関する規制基準の遵守(第15条)や開発行為の届出(第24条)が定められ,Aや地方鉄道業者は,騒音,振動等の公害を防止するよう努めなければならないこと(第40条から第42条まで)が定められていた。さらに,市長は,条例の施行に必要な限度で,職員に立入調査等をさせることができること(第43条),一定の義務については,指導に従わない者に対して,市長が期限を定めて必要な改善措置を取るべきことを勧告することができ(第45条),勧告に従わない者の氏名を必要に応じて公表すること(第46条)が定められていた。他方,昭和52年条例には,地下水の汲上げについての規定は何らなかった。昭和52年条例には,具体的には下記の規定があった(乙8)。

(ア) 第1条(定義)

(1)から(4)まで 省略

(5) 「指定工場」とは,工場及び事業場(以下「工場等」という。)のうち,規則で定めるものをいう。

(イ) 第7条(環境保全協定)

1  市長は,良好な環境を保全するために必要があると認めるときは,事業者と良好な環境の確保及び公害の防止に関する協定(以下「環境保全協定」という。)を締結するものとする。

2  市長は,前項の環境保全協定を締結するに当たって,必要があると認めるときは,関係地域住民にその内容を公開するものとする。

(ウ) 第8条(基本的責務)

事業者は,良好な環境の侵害を防止するため,その事業活動における責任において必要な措置を講じるとともに市,府その他関係行政機関の実施する良好な環境の保全に関する施策に積極的に協力しなければならない。

(エ) 第9条(最大努力義務)

事業者は,この条例,公害関係法令及び府公害防止条例に違反していないことを理由に良好な環境を保全するための最大限の努力を怠ってはならない。

(オ) 第12条(環境保全協定)

事業者は,市長からの要請に基づき,環境保全協定を締結するものとする。

(カ) 第40条(維持管理義務)

日本国有鉄道法(昭和23年法律第256号)第1条に規定する日本国有鉄道又は地方鉄道法(大正8年法律第52号)第1条第1項に規定する地方鉄道業者(以下「鉄軌道運輸事業者」という。)は,鉄軌道敷の整備及び維持管理等を適正に行うことにより騒音,振動等の低減を図るよう努めなければならない。

(キ) 第41条(騒音,振動等の防止)

1 鉄軌道運輸事業者は,鉄軌道沿線地域における生活環境を保全するため,新幹線鉄道構造規則(昭和39年運令第70号)を遵守し,音源対策,障害対策,技術開発,土地利用対策等の施策を総合的に推進して,騒音,振動等の公害を防止するよう努めなければならない。

2 鉄軌道運輸事業者は,市,府その他関係行政機関の実施する鉄軌道沿線地域の適正な土地利用について積極的に協力しなければならない。

3  市長は,鉄軌道から発生する騒音,振動等により沿線地域の生活環境が著しく阻害されていると認められるときは,当該鉄軌道運輸事業者に対し,鉄軌道敷の維持管理を十分に行うとともに騒音,振動等の防止対策等適切な措置を講じるよう要請するものとする。

(ク) 第42条(最大努力義務)

鉄軌道運輸事業者は,新幹線鉄道に係る環境基準(昭和50年環境庁告示第46号)の達成のために最大限の努力をするとともに,環境基準が定められていない鉄軌道沿線についても,新幹線鉄道に係る環境基準を上回らないよう努めなければならない。

(ケ) 第43条(立入調査等)

市長は,この条例の施行に必要な限度において,当該職員に工場等に立入調査及び検査を行わせることができる。

(コ) 第44条(報告の徴収)

市長は,必要と認める場合は,事業者及びその他の関係者に対し,関係書類等の提出を求めることができる。

(サ) 第45条(勧告)

市長は,第17条,第18条,第20条第2項,第21条,第22条,第23条,第25条,第28条第1項,第29条並びに第30条の指導に従わない者に対し,期限を定めて必要な改善措置をとるべきことを勧告することができる。

(シ) 第46条(氏名等の公表)

市長は,前条の勧告に従わない者がある場合には,必要に応じて,その者の氏名等を市民に公表するものとする。

エ 昭和52年規則は,用語の意義や届出書の様式など昭和52年条例の施行に関し必要な事項を定めたものであり,昭和52年条例第1条第5号に規定する「指定工場」について,食料品製造業等の事業内容を列挙して定める(第3条,別表第1)などした。

昭和52年条例にも昭和52年規則にも,「事業場」の定義規定はなかった。

また,昭和52年規則も,地下水の汲上げについての規定を何ら設けていなかった(乙8,27)。

(3) 昭和52年協定

ア 原告は,原告市域内の環境に影響を及ぼす可能性がある設備・施設を有すると考えた83の事業者に対し,環境保全協定に係る説明会を開く旨の案内を行った。

原告は,昭和52年6月16日及び同月30日,合計54の事業者に対して環境保全協定に係る説明を行った(甲53,弁論の全趣旨)。

イ 原告は,昭和52年9月20日付けでA新幹線総局と環境保全協定(昭和52年協定。甲4)を締結したほか,同日付けで,C協同組合連合会近畿圏販売事業部(甲35の1),D工業株式会社(甲36の1),E株式会社(甲37の1),F興業株式会社(甲38の1,甲49)など,合計75社との間で環境保全協定を締結した(乙7)。

これらの環境保全協定は,いずれも「環境保全協定書」という表題の書面により締結されたもので,敷地内において緑地として確保する面積の割合に関する条文の有無やその割合が異なるほかは,後記ウのとおりの前文,第8条及び第15条を含めて同じ文言のものであった。これらの協定書は,事業者名及び上記の敷地内に緑地として確保する面積の割合のほかは,不動文字で印字されていて,上記の事業者名等について個別に手書き等で記載されたものであった(甲4,35の1,36の1,37の1,38の1,甲49,弁論の全趣旨)。

ウ 昭和52年協定は,原告市域の大気の汚染,水質の汚濁,騒音,振動,悪臭等の現状及び将来の動向を考慮して住民の健康を保護し,良好な環境の保全を図るため,原告とA新幹線総局が,原告市域の自然的・社会的条件に応じた総合的な公害防止対策を推進することを確認して協定されたものであり(前文),用語の定義(第1条)のほか,事業者による公害対策の実施(第3条),大気汚染の防止(第4条),水質汚濁の防止(第5条),騒音の防止(第6条),振動の防止(第7条),地盤沈下の防止(第8条),悪臭の防止(第9条),産業廃棄物の適正処理(第10条)などが定められ,また,協定事項を適正に実施するために必要があるときには,原告が,事業者に対して事業場に関する事項の報告を求め,事業所内に立ち入るなどの調査をすることができ,その結果を必要に応じ公表すること(第13条)などが定められていた。上記の公害防止の義務は,主にAが負う義務を定めたものであり,具体的には,下記の定めがあった(甲4)。

(ア) 前文

原告市域の大気の汚染,水質の汚濁,騒音,振動,悪臭等の現状及び将来の動向を考慮して住民の健康を保護し,良好な環境の保全を図るため,原告市(以下「市」という。)と事業者のA新幹線総局(以下「事業者」という。)は,事業者の事業場(以下「事業場」という。)を操業するに関し,相協力して公害関係法令等の定めに従って,原告市域の自然的・社会的条件に応じた総合的な公害防止対策を推進することを確認し,次のとおり協定する。

(イ) 第1条(用語の定義)

この協定における用語の意義は,原告市生活環境条例(昭和52年条例第9号)において使用する用語の例による。

(ウ) 第3条(公害対策の実施)

1 事業者は,公害関係法令及び府公害防止条例並びに原告市生活環境条例の規定を遵守し,周辺住民の健康及び生活環境を阻害しないように努めなければならない。

2 事業者は,周辺住民の健康及び生活環境に特に著しく影響を及ぼす場合,又は公害防止に必要がある場合は,市と協議し,公害防止計画を定め覚書を交換するものとする。

(エ) 第4条(大気汚染の防止)

1 事業者は,燃料のガス化,低いおう化,排ガス処理装置等によって,いおう酸化物及び窒素酸化物の排出の削減に努めるものとする。

2 事業者は,ばいじんの防止について集じん装置等の整備強化に努めるものとする。

(オ) 第5条(水質汚濁の防止)

1 事業者は,事業場から排出する汚水について,規制基準を遵守し,農業用水に支障を及ぼさない水質とする。

2 事業者は,事業場から排出する汚水が規制基準以下であっても,当該基準を下回る目標を定め,技術的に可能な限り水質汚濁の防止に努めるものとする。

(カ) 第6条(騒音の防止)

事業者は,事業場から発生する騒音について,時間の区分及び区域の区分ごとの規制基準を遵守し,騒音発生源対策等適切な防音措置を講じ,近隣の静穏を阻害しないよう努めるものとする。

(キ) 第7条(振動の防止)

事業者は,事業場から発生する振動について,時間の区分及び区域の区分ごとの規制基準を遵守し,振動発生源対策等適切な防振措置を講じるよう努めるものとする。

(ク) 第8条(地盤沈下の防止)

事業者は,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため原則として地下水の汲み上げを行わないものとし,現に地下水の汲み上げを行っている場合は,工業用水等に切り換えるため,地下水汲み上げ抑制計画を策定し,その達成に努めるものとする。

(ケ) 第9条(悪臭の防止)

事業者は,事業場から発生する悪臭について,規制基準を遵守し,防止のための必要な措置を講じ,敷地境界線上で悪臭を感知しないよう対策を行い,周辺住民に影響を及ぼさないよう努めるものとする。

(コ) 第10条(産業廃棄物の適正処理)

事業者は,事業場から生ずる産業廃棄物について,みずからの責任において適正に処理し,二次公害の防止に万全を期するものとする。また,他の業者に処理させる場合においても事業者の責任において措置するものとする。

(サ) 第13条(報告及び調査)

1 市は,この協定事項を適正に実施するために必要があるときは,事業者に対し,事業場内の施設の状況,公害物質の測定結果その他必要な事項の報告を求め,又はその職員に,事業場内に立ち入り,施設その他の物件,関係書類等の調査をさせることができるものとし,事業者は,これに積極的に協力するものとする。

2 市は,前項の規定により報告された事項または同項の規定によって行った立入調査の結果を必要に応じ公表することができるものとする。

(シ) 第15条(被害の補償及び違反時の措置)

1 事業者は,事業場の操業に起因して公害が発生し,住民の健康及び財産に被害を与えたときは,その被害の補償を誠意をもって行うものとする。

2 事業者が,この協定に違反したときは,市は,期間を定めて施設の改善等必要な措置をとることを指示することができる。

3 前項の措置によっても,なお違反事実が継続していると,市が認めるときは,その違反に係る操業の停止を要請するものとし,事業者は,これを尊重するものとする。

エ 原告市役所が昭和52年3月31日に発行した「原告市史」のうち「原告市の現況」(昭和51年4月)と題する地図には,原告市域とB市域との境界線が記載されており,甲基地の一部がB市域に存在する旨が記載されていた。また,Aが昭和36年頃に甲基地の用地取得を行う際に作成した地図には,甲基地の一部がB市域に存在する旨が記載されていて,Aは,同年から昭和42年にかけて,B市域に存在する別紙物件目録記載1から3までの土地(B市域部分)について,Aが所有者である旨の登記手続をした(甲1,乙1,12,13,弁論の全趣旨)。

昭和52年協定の締結に当たり,原告及びAは,甲基地には原告市域部分だけでなくB市域部分があることを認識していた。

原告とAとの間で,昭和52年協定がB市域部分にも適用される旨のやり取りがされたことは認められない。

オ 原告とA新幹線総局は,昭和52年12月7日付けで,昭和52年協定の実施に関する細目的な事項について覚書を取り交わした(甲39)。この覚書では,大気汚染の防止に関係して排出口における硫黄酸化物等の基準,水質汚濁の防止に関係して排出口における水素イオン濃度等の基準等が定められた。この覚書には,地盤沈下や地下水の汲上げに関する定めはなかった。

原告は,昭和52年12月7日付けで,前記イの各事業者との間で,上記のA新幹線総局との間の覚書と同じ項目について,前記イの環境保全協定の実施に関する細目的な事項について覚書を取り交わした(甲35の2,36の2,37の2,38の2)。

これらの覚書に定められた基準となる数値は,事業者ごとに異なっていた。

(4) 昭和63年協定

ア 昭和62年4月,Aが廃止され,同月に設立された被告が東海道新幹線に関する権利義務を承継した。

イ 原告と被告の新幹線鉄道事業本部大阪支社は,昭和63年9月1日付けで,環境保全協定(昭和63年協定)を締結した(甲5)。

昭和63年協定は,昭和63年協定の締結と同時に昭和52年協定はその効力を失うと定めた(第17条)ほかは,前文を含めて昭和52年協定と同一の内容であった(以下,昭和52年協定と昭和63年協定を併せて「旧協定」ということがある。)。

なお,前記(3)オの覚書についても,実情に合わせて基準値を改定した覚書が新しく締結された(甲39)。

(5) 本件協定及び本件覚書

ア 原告と被告の新幹線鉄道事業本部関西支社は,平成11年4月6日付けで,本件協定及び本件覚書を締結した(甲6,11)。

イ 本件協定の内容は,別紙1のとおりである。

本件協定も,旧協定と同様,「環境保全協定書」という表題で締結されたものであり,本件協定の前文やそれぞれの定めは,旧協定における前文やそれぞれの定めと基本的に同一である。ただし,事業者がダイオキシン類の低減に努める定め(第11条)が加わり,条数が1条増えたほか,地盤沈下に関する定め(第8条)の文言も旧協定の文言(事業者は,「地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため原則として地下水の汲み上げを行わないものとし,現に地下水の汲み上げを行っている場合は,工業用水等に切り換えるため,地下水汲み上げ抑制計画を策定し,その達成に努めるものとする。」旧協定第8条。)とは異なっている。

ウ 被告は,平成8年2月26日付けで,B市域に存在する別紙物件目録記載1から3までの土地(B市域部分)について,平成3年10月1日新幹線鉄道に係る鉄道施設の譲渡等に関する法律第2条の譲渡を原因とする所有権移転登記手続をしていた(甲1)。

本件協定の締結に当たり,被告は,甲基地には原告市域部分だけでなくB市域部分があることを認識していた。

しかし,原告と被告との間で,協定が適用される範囲及び旧協定が定めた義務の内容や義務違反時の効果について変更する旨のやり取りがされたことは認められない。

本件協定は,被告における担当部署が「大阪支社」から「関西支社」に変更されたために締結された。また,本件協定の締結の際に内容の確認を行ったところ,旧協定の第8条のうち「現に地下水の汲み上げを行っている場合は,工業用水等に切り換えるため,地下水汲み上げ抑制計画を策定し,その達成に努めるものとする」との文言が,既に地下水の汲上げを行っていない被告と締結する内容としてそぐわないとして削除されて,地盤沈下に関する定めの変更がされた。原告は,その定めも含めて旧協定から大きな内容の変更はないと認識している(弁論の全趣旨〔原告の平成27年3月9日付け準備書面18頁〕)。

エ 本件協定のうち,前文,用語の定義,公害対策の実施,地盤低下の防止,ダイオキシン類の低減,原告が取り得る措置などについての定めの内容は下記のとおりである。

(ア) 前文

原告市域の大気の汚染,水質の汚濁,騒音,振動,悪臭等の現状及び将来の動向を考慮して住民の健康を保護し,良好な環境を図るため,原告市(以下「市」という)と被告会社新幹線鉄道事業本部関西支社(以下「事業者」という)は,事業者の事業場(以下「事業場」という)を操業するに関し,相協力して公害関係法令等の定めに従って,原告市域の自然的・社会的条件に応じた総合的な環境保全対策を推進することを確認し,次のとおり協定する。

(イ) 第1条(用語の定義)

この協定における用語の意義は,原告市生活環境条例(昭和52年条例第9号)において使用する用語の例による。

(ウ) 第3条(公害対策の実施)

1 事業者は,公害関係法令及び大阪府生活環境の保全等に関する条例並びに原告市生活環境条例の規定を遵守し,周辺住民の健康及び生活環境を阻害しないように努めなければならない。

2 事業者は,周辺住民の健康及び生活環境に特に著しく影響を及ぼす場合,又は公害防止に必要がある場合は,市と協議を行い,公害防止計画を定め覚書を締結するものとする。

(ウ) 第4条(大気汚染の防止)

1 事業者は,燃料のガス化,低硫黄化,排ガス処理装置等によって,硫黄酸化物及び窒素酸化物の排出の削減に努めるものとする。

2 事業者は,ばいじんの防止について集じん装置等の整備強化に努めるものとする。

(オ) 第5条(水質汚濁の防止)

1 事業者は,事業場から排出する汚水について,規制基準を遵守し,農業用水等に支障を及ぼさない水質とする。

2 事業者は,事業場から排出する汚水が規制基準以下であっても,当該基準を下回る目標を定め,技術的に可能な限り水質汚濁の防止に努めるものとする。

(カ) 第6条(騒音の防止)

事業者は,事業場から発生する騒音について,時間の区分及び区域の区分ごとの規制基準を遵守し,騒音発生源対策等適切な防音措置を講じ,近隣の静穏を阻害しないよう努めるものとする。

(キ) 第7条(振動の防止)

事業者は,事業場から発生する振動について,時間の区分及び区域の区分ごとの規制基準を遵守し,振動発生源対策等適切な防振措置を講じ,近隣の静穏を阻害しないよう努めるものとする。

(ク) 第8条(地盤沈下の防止)

事業者は,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため,地下水の汲み上げを行わないものとする。

(ケ) 第9条(悪臭の防止)

事業者は,事業場から発生する悪臭について,規制基準を遵守し,防止のための必要な措置を講じ,敷地境界線上で悪臭を感知しないよう対策を行い,周辺住民に影響を及ぼさないよう努めるものとする。

(コ) 第10条(廃棄物の適正処置)

1 事業者は,事業場から生ずる廃棄物については,環境負荷の少ない事業活動等,排水量の抑制及びリサイクルの徹底を図り,廃棄物の減量化を行うとともに自らの責任において適正に処理し,二次公害の防止に万全を期するものとする。

2 事業者が廃棄物を他の業者に処理させる場合においても事業者の責任において措置するものとする。

(サ) 第11条(ダイオキシン類の低減)

事業者は,廃棄物処理施設から排出されるダイオキシン類が規制基準以下であっても,当該基準を下回る目標を定め,技術的に可能な限りダイオキシン類の低減に努めるものとする。

(シ) 第14条(報告及び調査)

1 市は,この協定事項を適切に遂行するために必要があるときは,その職員に事業場内に立ち入り,施設,その他の物件及び関係書類の調査をさせることができるとともに,事業者に対し事業場内の施設の状況,ばい煙等の排出物質の測定結果,その他必要な事項の報告を求めることができる。又,事業者は市から立入調査及び報告の要請があった場合は,これに積極的に協力するものとする。

2 市は,前項の規定により報告された事項又は同項の規定によって行った立入調査の結果を必要に応じ公表することができるものとする。

(ス) 第16条(被害の補償及び違反時の措置)

1 事業者は,事業場の操業に起因して公害が発生し,住民の健康及び財産に被害を与えたときは,その被害の補償を誠意をもって行うものとする。

2 事業者がこの協定に違反したときは,市は期間を定めて施設の改善等必要な措置をとることを指示することができる。

3 前項の措置によっても,なお違反事実が継続していると市が認めるときは,その違反に係る操業の停止を要請するものとし,事業者はこれを尊重するものとする。

(セ) 第18条(従前の協定書の失効)

この協定書の締結と同時に,昭和63年2月1日付締結の環境保全に係る協定書は,その効力を失うものとする。

オ 本件協定においても,旧協定と同様,協定の実施に関する細目的な事項についての覚書(本件覚書)が取り交わされた。本件覚書の内容は,別紙2のとおりである(甲11)。本件覚書にも,地盤沈下や地下水の汲上げに関する定めはなかった。

(6) 原告市域又は甲基地周辺における地下水に関する規制

ア 昭和31年6月11日に施行された工業用水法は,政令で定める指定地域内の井戸により地下水を採取してこれを工業の用に供しようとする者は,井戸ごとに,そのストレーナーの位置及び揚水機の吐出口の断面積を定め,通商産業大臣の許可を受けなければならないと定めていた(同法3条1項)。

昭和40年10月,原告市域全域が上記指定を受けた(甲13)。

工業用水法のいう「工業」は,製造業(物品の加工修理業を含む。),電気供給業及びガス供給業をいうところ(同法2条2項),Aは,昭和52年当時,上記「工業」に該当する事業を行っていなかった。

被告は,他の鉄道事業者から委託を受けて鉄道車両の修理を行うなど上記「工業」に該当する事業を行っている。

イ 昭和46年に制定された大阪府公害防止条例は,地下水の採取により地盤が著しく沈下し又は著しく沈下するおそれがある地域内において揚水設備により地下水を採取しようとする者は知事の許可を受けなければならないと定めていた。

原告市域は,上記条例による指定を受けていない(甲13,弁論の全趣旨)。

ウ 原告は,平成11年6月29日,昭和52年条例を廃止し,原告市環境の保全及び創造に関する条例(平成11年6月29日条例第14号。以下「平成11年条例」という。)を制定し,平成11年11月1日,同条例施行規則(平成11年11月1日規則第20号)を制定した。平成11年条例及び同規則は,同年12月1日から施行された(乙9)。

平成11年条例は,規則で定める用途に供するため地下水を採取する場合であって,当該地下水に代えて他の水源を確保することが著しく困難であると認めるときは,市長は地盤沈下を防止するための必要な条件を付し地下水を採取することを許可することができるが,許可を受けた場合を除き,原告市域内において井戸から地下水を採取することを禁止した(第55条)。

エ B市域は,前記イの大阪府公害防止条例による指定を受けていない。また,B市は,地下水の汲上げを規制する条例を制定していない(甲13,弁論の全趣旨)。

(7) 本件計画

ア 被告は,平成26年9月までに,B市域部分のうち別紙物件目録記載1の土地に2本の井戸を設置し,その井戸を使用して地下水の汲上げを行うことを計画した(本件計画。以下,本件計画に係る2本の井戸を併せて「本件井戸」という。)。

イ 被告は,平成26年9月10日,工業用水法が定める井戸使用許可申請のため,大阪府に対し,本件計画に係る井戸使用許可事前協議書を提出し,協議を求めた。

被告は,本件井戸について,上記協議書に,ストレーナーの位置がいずれも地表面から150メートルから200メートル,揚水機の吐出口の断面積が33.16平方センチメートル,揚水量が1日約750立方メートル,工事工程が平成26年10月から平成27年10月までである旨を記載した。

被告は,本件井戸の使用目的について,上記協議書に「甲車両基地において,災害時等に強い井戸システムを導入し,井水と上水との二重系化を図ることにより,日本の大動脈である東海道新幹線の安定した輸送という社会的使命を強固に果たしていく。なお,井水の使用用途は,列車給水(トイレ,洗面所),事務所(洗面所等),その他(洗浄用等)である。」と記載した(乙17)。

ウ 被告は,平成27年5月までに,2本の本件井戸の中間地点の土質試験並びに本件井戸における揚水試験(段階揚水試験,連続揚水試験及び水位回復試験)を実施した(乙36)。

土質試験は,土の強度や変形特性等を求めるために行われるものであり,日本工業規格(JIS)及び地盤工学会基準(JGS)の試験方法で実施された。

揚水試験は,井戸の性能と帯水層の特性を求めるために行われるものであり,社団法人G協会のさく井工事施工指針の試験方法で実施された。揚水試験のうち,段階揚水試験は,揚水量を段階的に増加させ,揚水量と井戸水位の関係から限界揚水量を求める試験である。限界揚水量とは,井戸で採取する帯水層に供給される水の量を超えて過剰に地下水を揚水した場合に,井戸水位が急激に低下し始める揚水量をいい,この過剰な揚水を続けると井戸周辺の帯水層の劣化等につながるものである。連続揚水試験は,上記限界揚水量を超えない範囲で試験揚水量を決定し,継続して揚水している状況で井戸水位を観測する試験である。水位回復試験は,自然水位まで回復することを確認する試験である。

エ 被告は,平成27年12月11日付けで,工業用水法3条1項に基づき,大阪府知事に対し,本件井戸の使用許可を申請した。

大阪府知事は,平成28年1月7日,上記申請を許可した(乙43)。

上記において,本件井戸は,2本とも,井戸の深さは200メートルで,ストレーナーの位置(取水位置)は地表面から161.5メートルから194.5メートル,揚水機の吐出口の断面積は33.16平方センチメートルであり,各井戸の使用計画は下記のとおりである。

(ア) 揚水能力

1時間当たり22.5立法メートル

(イ) 年間稼動日数

365日

(ウ) 運転時間

1日当たり16.6時間

(エ) 揚水量

1時間当たり22.5立方メートル

(オ) 用途別使用水量

生活用水が1日当たり290立方メートル,洗浄用が1日当たり85立方メートル

(カ) 使用開始予定年月日

平成28年12月1日

オ 被告は,平成28年1月14日付けで,本件計画における専用水道の布設工事の設計が水道法5条の定める施設基準に適合するものであることについて,原告及びB市に対して同法32条に基づく確認を申請した。

原告市長及びB市水道事業管理者は,平成28年2月12日付けで,被告に対し,上記の確認をした旨を通知した(乙44)。

カ 被告は,平成26年11月以降平成28年3月までに,本件井戸の掘削工事を完了した。

本件井戸は,地表面からマイナス29メートルの位置に渇水センサーを設置しており,同センサーの位置まで水位が低下した場合には自動的に揚水を停止するシステムになっている(乙45)。

(8) 本件計画による地盤沈下の可能性等

ア H大学大学院工学研究科社会基盤工学専攻教授のI(以下「I教授」という。)は,本件計画により地盤沈下が発生する可能性等に関して,平成26年10月6日付けの「大阪府北摂地域における地下水採取の影響について」と題する書面を作成した。同書面には,以下の記載があり,本件計画により問題となるような地盤沈下は発生しないと考えられる旨記載されている(乙29)。

(ア) J観測所の地下水位は,昭和43年を境に約10メートル上昇している。原告市域内のKの累積沈下量は,昭和53年を境にほぼ横ばいの状態が続いている。J観測所の地盤沈下量は,35年以上大きな変化を示していない。

(イ) 大阪府北摂地域及び原告市域における現在の1日当たりの地下水の採取量は,大阪府北摂地域が約10万立方メートル,原告市域が約1万2000立方メートルである。原告のL浄水場は,深さ45メートルから190メートルの間にストレーナーを設置して,平成24年度実績で1日当たり平均1万0668立方メートルの地下水を採取しているが,周辺で地盤沈下は発生していない。

(ウ) 大阪府北摂地域においては,深さ80メートルから200メートルの位置に洪積世の海成粘土層(不透水層)であるMa6・Ma5・Ma4・Ma3の4層が分布すると推察される。一般的に,海成粘土層はある程度の層厚があり,かつ,広域に分布している層である。また,深さ30メートル付近までの粘性土が概ね水平に分布していることから,甲基地周辺は深さ80メートルから200メートルの位置に複数の不透水層が分布していると推察される。したがって,甲基地からの離隔が約2キロメートルのJ浄水場についても,一般的に深い位置の地層はほぼ同一であると推察される。

(エ) 地盤沈下は,浅い位置にある軟弱な沖積層の圧密沈下と深い位置にある洪積層の圧密沈下の2種類に大別できる。

甲基地からの離隔が約2キロメートルであるL浄水場が本件計画と同程度の深さで1日当たり平均1万0668立方メートルの地下水を採取しても周辺で地盤沈下が発生していないことから,その14分の1の量である1日当たり750立方メートルの地下水の採取によって,深い位置にある洪積層の圧密沈下は発生しないと考えられる。

本件計画による採取量は1日当たり750立方メートルと少なく,深さ150メートルから200メートルの間にストレーナーを設置して採取するものであり,採取位置と軟弱なMa13沖積粘土層との間に複数の不透水層が存在するため,浅い位置の地下水位に影響を及ぼすことはなく,浅い位置にある軟弱なMa13沖積粘土層の圧密沈下も発生しないと考えられる。

イ I教授は,前記(7)ウの土質試験及び揚水試験の結果を踏まえ,平成27年5月11日付けの「甲車両基地における井水活用計画実施に伴う地盤沈下について」と題する書面を作成した。同書面には,以下の記載があり,土質試験及び揚水試験の結果に鑑みて,本件計画を実行しても地盤沈下は発生しないと考えられる旨記載されている(乙36)。

(ア) 土質試験の結果から,浅い位置にあるMa13沖積粘土層の過圧密比(OCR)が1.57であり,過圧密状態であることが分かった。一般的に,Ma13沖積粘土層の過圧密比は1程度であり,正規圧密(新たな荷重が加わると圧密沈下する。)状態に近いと言われているが,過去の荷重履歴により過圧密比が1.57になったと考えられる。この過圧密比から,甲基地周辺のMa13沖積粘土層は,現在,一般的な沖積粘土層と比較して沈下しにくい粘土層といえる。

深い位置にあるMa7~Ma5洪積粘土層の各層の圧密降伏応力と現状の推定有効土被り圧の差分から,地盤沈下につながる地下水位の変化量を算定した。圧密降伏応力とは,過去のその粘土が受けたことのある最大の応力である。現状の推定有効土被り圧とは,現状の地下水の浮力を考慮し,実際にその粘土が受けている応力である。地下水を揚水すると,地下水位の低下に伴い地下水の浮力が低下するため,有効土被り圧が増加する。過剰な揚水を行い,有効土被り圧が圧密降伏応力を超えると,圧密沈下が発生する。

Ma7~Ma5洪積粘土層のうち,最も圧密降伏応力と現状の推定有効土被り圧の差分が小さいMa6洪積粘土層における差分は635kN/㎡であり,井戸水位に換算すると約60メートルとなる。

これによれば,井戸水位の低下が60メートル程度以下の揚水量であれば,Ma7~Ma5洪積粘土層の圧密沈下は発生しないと考えられる。

連続揚水試験において井戸水位が2.90メートルしか低下せず,井戸水位が60メートル以上低下することはほとんど考えられないこと,過圧密比が概ね2以上あることから,深い位置にあるMa7~Ma5洪積粘土層の圧密沈下は発生しないと考えられる。また,一般的に,年代が古い海成粘土層ほど上部の厚い地層分の荷重を受けていることから,圧密降伏応力が高い傾向にあるため,Ma4~Ma2洪積粘土層においても圧密沈下は発生しないと考えられる。

(イ) 段階揚水試験の結果から,揚水量が毎分847リットル(井戸2本合計毎分1694リットル)では限界揚水量に達していないこと及び帯水層に供給される水の量が豊富にあることが分かる。

段階揚水試験時において2本の観測井戸の自然水位が全く変化しなかったことから,上記揚水量では深さ25メートル及び120メートルの帯水層には全く影響がないことが分かる。

これらの試験結果から,上記揚水量ではMa13沖積粘土層及びMa5・Ma4洪積粘土層の各粘土層から地下水が絞り出されることはないため,圧密沈下は発生しないと考えられる。

(ウ) 連続揚水試験及び水位回復試験の結果によれば,井戸は2本とも10分台で水位が回復しており,帯水層に供給される水の量が豊富にあることが分かる。

連続揚水試験時において2本の観測井戸の自然水位が全く変化しなかったことから,24時間連続で地下水の揚水(2本の井戸の合計で1日当たり1180立方メートル)を実施した場合であっても,深さ25メートル及び120メートルの帯水層には全く影響がないことが分かる。

これらの試験結果からも,井戸1本当たりの適正揚水量毎分410リットルを2本同時に継続的に揚水(2本の井戸合計1日当たり1180立方メートル)したとしても,軟弱なMa13沖積粘土層及びMa5・Ma4洪積粘土層の各粘土層から地下水が絞り出されることはないため,圧密沈下は発生しないと考えられる。なお,連続揚水試験の開始前と終了後に実施した地表面の水準測量結果も,全く変化は見られていない。

(エ) 以上の各試験結果から,本件計画が実行されたとしても,地盤沈下は発生しないと考えられる。

ウ 一般財団法人M研究所の技術者であるN及びOは,平成27年10月,「L浄水場と甲基地の表層地盤状況の違いに関する報告書」と題する書面を作成した。

上記書面には,地盤沈下の最も大きな素因である地層(Ma13層)がL浄水場には分布しないのに対し,甲基地及びその周辺地域では側方に連続的に厚く分布するため,両地点における地盤沈下の可能性を一律に比較できないこと,原告市域では狭い範囲で様々な微地形条件を有しているため,狭い範囲内では連続している遮水層(粘性土層)も,より広範囲で見れば分布が途絶え2層の帯水層(砂礫層)が1層につながってしまう可能性が否定できないこと,過去に井戸を廃止する際に適切にセメント充填されなかったような地点があればその井戸が人工的な水みちとなって浅部と深部の帯水層が人為的につながってしまう可能性があること,新たな揚水井を設置する際にもストレーナーが適切な深度に設置されていないなどの施工不良があった場合には深井戸であっても浅部の地下水を同時に採取してしまう可能性があることから,甲基地において地下水を汲み上げることにより将来的に確実に地盤沈下が発生しないとは言い切れず,地下水の揚水による影響が甲基地の外に及ぶ可能性も否定できない旨が記載されている(甲40)。

(9) 本件訴訟の経緯

ア 原告は,平成26年7月29日,被告に対し,本件計画は本件協定第8条に違反していると指摘し,本件協定を遵守するよう求めた。

被告は,平成26年8月19日,原告に対し,災害時等に備えて水源を二重系化するためB市域部分において井水を活用することを計画していること,本件計画は本件協定に違反しないと考えていること,本件計画による地盤沈下のおそれはないと考えていることなどと述べた(乙21)。

イ 原告代理人は,平成26年9月12日,被告に対し,本件協定はB市域部分にも適用され,被告が井戸の掘削工事に着手した場合は法的措置を取ることになる旨申し入れた(甲9)。

被告代理人は,平成26年9月26日付けで,原告代理人に対し,本件協定はB市域部分には適用されないこと,本件計画は地下150メートルから200メートル程度の深度において1日当たり約750立方メートルの井水を取得するものであり地盤沈下の具体的な危険性はないと考えられること,大規模災害等に備えて本件計画による水源の二重系化が重要であると考えていること,同月30日付けで本件計画に係る工事に着手することを回答した(甲10)。

ウ 原告は,平成26年9月29日,被告を相手方として,大阪地方裁判所に対し,B市域部分において井戸の掘削工事をして地下水の汲上げを行ってはならない旨の仮処分命令を申し立てた(乙11)。

原告は,平成26年11月14日,上記仮処分命令の申立てを取り下げた(乙2)。

エ 原告は,平成26年11月14日,B市域部分における井戸の掘削工事及び地下水の汲上げの差止めを求める本件訴えを提起した。

オ 原告代理人は,平成27年7月17日付けで,被告代理人に対し,本件井戸の掘削工事及び前記(7)ウの揚水試験を実施したことについて抗議するとともに,本件井戸から汲み上げた地下水の水質が本件協定第5条及び本件覚書第2条の定める水質基準に適合するかどうかについて本件協定第14条第1項に基づく立入調査を要請した(甲33)。

被告代理人は,平成27年7月28日付けで,原告代理人に対し,本件計画の実施は本件協定に違反しないこと,本件計画及び前記(7)ウの揚水試験には地盤沈下の具体的な危険性はないこと,被告は同揚水試験において汲み上げた地下水をそのまま排出しており,同地下水は「事業場から排出する汚水」(本件協定第5条第2項)に該当しないと考えていること,同地下水について上記水質基準及び法令上の水質基準に適合することを確認しており立入調査の必要性は認められないことを回答した(甲34)。

カ 被告は,平成28年3月までに,本件井戸の掘削工事を完了し,原告は,本件訴えを前記エの訴えからB市域部分における地下水の汲上げの差止めを求める訴えに変更した。

(10) 原告市域における地下水の汲上げ及び地盤沈下の状況

ア 原告は,L浄水場において,地下水の汲上げを行っている。

L浄水場における1日当たりの揚水量は,6800立方メートルである(平成26年5月時点。平成24年度は1万0668立方メートル。甲60,乙29)。

原告市域において,原告が4か所で地下水の汲上げを行っているほか,9か所で地下水の汲上げが行われている(平成24年度の各井戸使用状況報告書につき乙28)。

イ 甲基地の近隣にある大阪府原告市Kにおける累積沈下量は,昭和53年から平成23年までほぼ横ばいの状態が続いている(前記(8)ア(ア),乙23,29)。

(11) 原告とAの交渉経過

ア 遅くとも昭和44年1月頃には,東海道新幹線の騒音及び振動に関する苦情が原告に申し入れられるようになった(甲29〔1330頁〕)。

イ 昭和45年3月,原告の住民がAに対し騒音及び振動に関して改善を申し入れた。A東海道新幹線支社大阪保線所長は,同年6月25日付けで,騒音及び振動をできる限り軽減しようとしているが現段階ではやむを得ない現象である旨回答した(甲29〔1330,1331頁〕)。

ウ 昭和46年,原告の住民がA新幹線総局大阪保線所に対して被害の実情に関する調査を申し入れ,同保線所が騒音及び振動に関する調査を行った(甲29〔1331,1332頁〕)。

エ 昭和47年6月15日,原告が原告市域内の3か所において騒音の測定を行ったところ,3か所の平均測定値は84~90ホンであった(甲29〔1332頁〕)。

環境庁長官は,昭和47年12月20日,運輸大臣に対し,新幹線の騒音対策に関する勧告を行った。同勧告は,85ホンを超える場合を国及びAが何らかの対策を講じなければならない暫定対策基準であるとした。

昭和48年1月16日,原告が原告市域内3か所において騒音を測定したところ,3か所とも上記の暫定対策基準を超えた(甲29〔1332,1333頁〕)。

オ 原告は,昭和48年3月3日,Aの大阪保線所に対し,住民の生命,健康に重大な影響を及ぼすことが心配されるとして,騒音及び振動の防止策を講じるよう求めた。大阪保線所は,各種の騒音対策を講じ指針値達成の努力をする,振動防止について技術開発を積極的に推進している旨回答した(甲29〔1334頁〕)。

原告は,A新幹線総局に対し,昭和48年4月23日付けの「東海道新幹線甲基地における地下水くみ上げの抑制について(要望)」と題する書面を送った。同書面には,甲基地周辺において近年地盤沈下が起きているところ,甲基地及びその付近の施設における地下水の汲上げの量に照らすと甲基地における地下水の汲上げが上記地盤沈下の主な原因であると推定せざるを得ず,今後も地下水の汲上げが継続されると甲基地周辺において地盤沈下が累積して住民の生活環境の悪化を引き起こし,甲基地の運営や新幹線の運行にも重大な支障を来すおそれが十分にあると考えられること,地下水の汲上げによる地盤沈下の進行を防止するため,甲基地における水の使用を極力抑制して地下水の汲上げを必要最小限にとどめるとともに,将来的に可及的速やかに甲基地の用水の供給源を地下水から大阪府工業用水道及び原告の上水道に切り替えるよう強く要望すること,用水の供給源を切り替える場合には原告もできる限り協力するので一日も早く適切な措置を講じるよう求めることが記載されていた(甲2)。

昭和48年5月,原告の住民によって原告市新幹線被害者同盟が結成された。同月24日,同被害者同盟は,Aに対し,直ちに騒音及び振動の実態調査を実施することなどを申し入れた。

昭和48年6月1日,Aの大阪保線所の所長らが原告の庁舎を訪れ,甲基地建設当時(昭和39年)は工水の供給量が少なく工業用水の適用対象になっていなかったので地下水の汲上げを行うことになったが,地下水の汲上げと地盤沈下が直接的ではないだろうが関係していると思われ,工業用水,浄水に変えていきたく原告もできる限り協力してほしいこと,騒音の測定を行い,暫定基準を超えている地点では防音壁の設置を予定し,原告市域では約1kmの防音壁の設置を予定していること,振動については新幹線の技術研究所で研究中であることなどと述べた(甲17)。

Aの大阪工事局長らは,昭和48年6月2日,原告の住民から騒音等に関する事情を直接聞いた。大阪工事局長は,3か年計画で鉄げたをコンクリート床に変えて騒音を減らし,被害について早急に調査を行い家屋の修理や二重窓など必要な補修に着手したいと述べた。(甲29〔1337,1338頁〕)。

Aは,昭和48年7月10日付けで,騒音及び振動の実態調査については調査員の増強を図っている,防音壁の設置等鋭意努力している,補修費は実態調査の結果を考慮して決める旨などを回答した(甲29〔1338頁〕)。

A新幹線総局は,昭和48年7月19日付けの「新幹線甲基地における地下水くみ上げの抑制について」と題する書面により,原告に対し,前記オの要望について,関係業務機関に対し水の使用節約について極力努力するよう指導していること,使用中の用水のうち工業用水で可能な部分は大阪府の工業用水に切り替えるべく計画を進めていること,上水について引き続き検討することにしていることを回答した(甲12)。

原告は,昭和48年9月11日,Aに対し,実態調査や防音工事の実施方法と実施時期の明示等についての対策を講じるよう申し入れた。同月25日,新幹線総局は,11月頃から騒音及び振動の実態調査並びに防音壁の工事を行うなどと回答した(甲29〔1338,1339頁〕)。

カ 原告の住民は,昭和49年4月27日,原告市長に対し,新幹線当局に対する申入れを行うよう要請し,同年5月20日,騒音を70ホン以下に引き下げることなど8項目の要求事項を申し入れ,同月31日,原告は,要求事項を添付して対策実施要望書を発した(甲29〔1340,1341頁〕)。

原告市長は,昭和49年7月15日,新幹線を減速して運転するよう求める申入書を持ってAの本社を訪れた。その際,原告市長は,甲基地における地下水の汲上げによる地盤沈下や廃棄物の処理に伴う悪臭等の被害が生じている旨も申し入れ,同年8月20日までに回答するよう求めた(甲29〔1342頁から1345頁まで〕)。

Aは,昭和49年8月19日付けで,騒音及び振動防止策として減速運転の申し入れに応じることはできないこと,既に設置した防音壁を延長すること,新たな防音工事を同年9月に着工することなどを回答した(甲29〔1345頁〕)。

Aは,昭和49年9月6日,原告を含む沿線の自治体に対し,防音壁を設置しても騒音が暫定基準値以下とならない住居に対して助成金を交付する旨定めた障害防止処理要綱に関する説明を行った。原告は,室内の騒音について基準が明らかでないことや振動対策が考えられていないことなどを指摘した(甲29〔1346,1347頁〕)。

キ A新幹線総局は,昭和50年2月28日付けの「新幹線甲基地における地下水くみ上げの抑制について」と題する書面により,原告に対し,路盤沈下対策として工事を進めてきたこと,工業用水関係工事も同年3月末日に切替えできる見通しとなったこと,この切替えにより1日約1200立方メートルの井水汲上げは中止すること,上水道について,原告の水道計画と併せて検討していることを連絡した(甲3)。

Aは,昭和50年3月,甲基地における用水の一部を地下水から工業用水に切り替えた。

ク A新幹線総局は,昭和50年7月30日,原告との交渉の際に,昭和51年度から上水道に切り替えるよう努力する旨回答し,同年11月7日には,原告に対し,甲地区における原告の上水道計画に合わせて上水道に切り替える旨回答した(甲52)。

原告は,昭和51年4月2日,Aから正式に甲基地における上水道給水の申込みと給水工事の委託を受け,同年5月10日頃に同工事に着工し,同年8月末日に同工事を完成させる予定とした(甲52)。

昭和51年9月,甲基地における用水の給水源について,地下水から工業用水及び上水道への切替えが完了し,Aは,甲基地における地下水の汲上げを止めた(乙7)。

2 本件協定の適用範囲について(争点2)

(1)ア 本件協定の適用範囲を検討するに当たり,まず,本件協定が締結された趣旨を検討する。

以下に述べる理由により,本件協定は,原告と被告間において,昭和52年条例に基づき,昭和52年条例に基づく規制を補完し又は条例に基づく規制を代替する趣旨(以下,これらの趣旨を単に「昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨」ということがある。)で締結されたものであり,昭和52年協定も含めた旧協定も,上記と同趣旨で締結されたものと認めるのが相当である。

イ 昭和52年条例は,原告市域における健康で安全かつ快適な生活を阻害する一切の公害及び環境の侵害を防止するとともに,後代の原告市民に自然と調和のとれた良好な環境を保全するために制定されたものである(前文)。昭和52年条例は,市長の責務として,良好な環境を保全するために必要があると認めるときは環境保全協定を締結すること(第7条)を,事業者の責務として,市長の要請に基づき環境保全協定を締結すること(第12条)を定め,ばい煙の排出に関する規制基準の遵守(第15条)や開発行為の届出(第24条)など,公害の防止及び環境の保全のための規制を定めていた(第15条から第42条まで)。

他方,本件協定及び旧協定は,いずれも「環境保全協定書」という表題で締結されたものであり,その前文や各定めの内容は,基本的に同一であるところ,いずれも,原告市域の大気の汚染,水質の汚濁,騒音,振動,悪臭等の現状及び将来の動向を考慮して住民の健康を保護し,良好な環境の保全を図るため,原告とA又は被告が,原告市域の自然的・社会的条件に応じた総合的な公害防止対策又は環境保全対策を推進することを確認して協定されたものであって,事業者による公害対策の実施,大気汚染の防止,水質汚濁の防止,地盤沈下の防止など,公害防止又は環境保全に関して主にA又は被告が負う義務が定められている。また,用語の意義は,昭和52年条例において使用する用語の例によるとされている。

ウ 原告は,原告市域の環境に影響を及ぼす可能性がある設備等を有すると考えた事業者に対して環境保全協定に係る説明会を開く旨の案内を行い,昭和52年条例が昭和52年4月に制定された後,同年6月には,合計54の事業者に対して環境保全協定に係る説明を行い,昭和52年条例が同年7月1日に施行された後の同年9月20日付けでAとの間で本件協定を締結したほか,同日付けで,Aを含む合計76社との間で「環境保全協定書」と題する表題の文書により,環境保全協定を締結した。

昭和52年協定を含むこれらの環境保全協定は,いずれも,基本的に同じ内容,文言のものであった。また,これらの協定書は,事業者名及び敷地内に緑地として確保する面積の割合のほかは,不動文字で印字されていたものであった。

その後,被告の組織の変更等により,昭和52年協定に代わって昭和63年協定が締結され(昭和63年協定第17条),昭和63年協定に代わって本件協定が締結された(本件協定第18条)。

エ 前記イのとおりの昭和52年条例で定められた市長,事業者の責務や本件協定の内容等に照らせば,本件協定は,原告市域における環境の保全等の目的を達成するため,被告が負う義務を定めたものであり,上記目的に関する規制を行い得る普通地方公共団体である原告と被告との間で,昭和52年条例に基づき,昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨で締結されたものと解される。

また,前記ウのとおりの昭和52年協定の締結経緯に照らせば,昭和52年協定は,昭和52年条例に基づき,昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨で,原告が多数の事業者との間で同日付けで締結したほぼ同内容の協定の一つであるといえる。そして,本件協定は,昭和52年協定に代わって締結されたものである。

オ 以上によれば,原告及び被告は,昭和52年条例に基づき,昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨のものとして本件協定を締結したと認められる。

なお,本件訴訟は,原告と被告が締結した本件協定に基づく義務の履行等を求めるものであって,原告が専ら行政権の主体として行政上の義務の履行等を求めるものではないから,本件協定の締結が上記の趣旨でされたとしても,そのことを理由として直ちに本件の訴えが不適法となるとは解されない。

(2)ア 前記のとおりの本件協定を締結した趣旨を踏まえると,本件協定が適用される範囲は,以下に述べる理由により,原則として,原告が条例に基づき環境の保全等に関する規制を及ぼすことができる範囲,すなわち原告市域に限られ,原告市域外には,原告市域外にも適用されることを合意したなどの特別な事情がある場合に限り,適用されると解するのが相当である。

イ まず,本件協定が,昭和52年条例に基づき,昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨のものとして締結されたものである以上,原告及び被告は,いずれも,条例が原告市域に適用されるものであることから,本件協定の適用範囲も,原則として,条例の適用範囲と同じ範囲である原告市域であると考えて本件協定を締結したものであるとするのが自然である。

また,本件協定は,事業場の操業に当たり事業者に義務を負わせるものであるが,本件協定では「事業場」とのみ定め,事業場の個別的な特定を行っていない。本件協定において,用語の意義は昭和52年条例において使用する用語の例によるとされているが(第1条),昭和52年条例及び昭和52年規則には,「事業場」の個別の特定やその地理的範囲に関する定義規定はない。そうすると,本件協定がいう事業場の範囲につき,明示的な定めがあるなどの特別の事情がないにもかかわらず原告市域外の事業場も含まれると解すると,被告が原告市域外にも事業場を有し得ると考えられることなどからも,本件協定の適用範囲は不明確になる。なお,昭和52年協定と同日付けで,原告と多数の事業者との間で環境保全協定が締結されているが,そこでも「事業場」の個別の特定や地理的範囲について記載はない。本件協定が,明示的な定めなどの特段の事情がないにもかかわらず原告市域外にも適用されるとすると,それら事業者にも原告市域外に事業場を有する事業者がいることがうかがえ,当該事業者にとって,その義務の範囲が不明確となり適切でないといえる。

(3)ア 次に,本件協定が,原則として原告市域に適用されるとしても,本件において,本件協定が原告市域外に適用されることになるような特別な事情の有無について検討する。

イ 本件協定は,「原告市域の大気の汚染,水質の汚濁,騒音,振動,悪臭等の現状及び将来の動向を考慮して住民の健康を保護し,良好な環境を図るため,原告市(以下「市」という)と被告会社新幹線鉄道事業本部関西支社(以下「事業者」という)は,事業者の事業場(以下「事業場」という)を操業するに関し,相協力して公害関係法令等の定めに従って,原告市域の自然的・社会的条件に応じた総合的な環境保全対策を推進することを確認し,次のとおり協定する。」(前文),「この協定における用語の意義は,原告市生活環境条例(昭和52年条例第9号)において使用する用語の例による。」(第1条),「事業者は,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため,地下水の汲み上げを行わないものとする。」(第8条)などと定めているが,本件協定が,原告市域外にも適用されることがある旨の明示的な定めはない。

ウ 昭和52年協定を締結するに当たって,原告とAとの間で,昭和52年協定の地理的な適用範囲について,甲基地の全体であり,B市域部分を含むものであることについての交渉等がされたことを認めることはできないし,昭和63年協定及び本件協定の締結に当たっても同様である。かえって,昭和52年協定は,他の多くの事業者と同日付けで締結された協定と実質的に同内容の協定であることからも,その文言や内容,適用範囲等について,特段のやり取りはなかったことがうかがえる。

エ もっとも,甲基地は,原告市域部分に接してB市域部分があり,原告市域部分が多くの面積を占めてB市域部分が占める面積的な割合は小さい。このような甲基地における原告市域部分とB市域部分の位置関係等を考慮し,また,原告市域にある被告の事業場が甲基地のみであることを併せ考えて,本件協定にいう「事業場」は,甲基地全体を指すと解釈されるのではないかが問題となる。

しかしながら,本件協定では,問題とする事業場を「事業場」とするのみであって,「甲基地」などと特定はしていない。そして,前記のとおり,本件協定が締結された趣旨等を考慮すると,前記(2)イのとおり,原告及び被告は,いずれも,本件協定の適用範囲も,原則として,条例の適用範囲と同じ範囲である原告市域であると考えて本件協定を締結したものであるとするのが自然である。特に,被告は,本件協定締結当時,甲基地には原告市域部分だけでなくB市域部分があることも認識していたと認められるが(前記1(5)ウ),そのような被告は,本件協定を締結するに当たり,本件協定が前記のような趣旨のものであり,そこに特段の明示がない以上,本件協定の適用範囲は,原告市域部分に限られると考えて,本件協定を締結したと解されるし,また,被告がそのように考えていたことを覆すに足りる証拠はない。そうである以上,原告と被告間で,本件協定の事業場にB市域部分を含むとする合意がされたと認めることはできない。また,上記のような甲基地の地理的範囲等をもって,原告市域外であるB市域部分にも本件協定が適用されるとすることは,前記のような趣旨を有し,被告が義務を負う本件協定について,適用される範囲の明確性を欠くことになるものであり,相当ではないといわざるを得ない。

オ これらを考慮すれば,本件協定が原告市域外のB市域部分にも適用されることを合意したとはいい難いし,本件協定の適用範囲について,原告市域外にも適用されることについての特別な事情があるとは認められない。

(4)ア これに対し,原告は,本件協定は原告住民の健康を保護し良好な環境を図るため,被告の事業場を操業するに関し締結されたものであるところ,B市域部分における地下水の汲上げの影響は甲基地全体に及ぶため,本件協定の目的を達成するためには甲基地全体において地下水の汲上げを禁止することに十分な合理性があり,B市域部分を本件協定の適用対象から除外すると解釈すべき理由はないと主張する。

確かに,原告市域外における行為であっても,原告の住民の健康や環境に影響を及ぼし得る場合があり,原告の住民の健康を保護し良好な環境の保全を図るという目的を達成するため,原告市域外における行為について協定を締結することに合理性がある場合があるといえる。地下水汲上げの性質等を考えると,原告に接するB市域部分における地下水汲上げは,内容によっては,原告の環境に影響を及ぼし得る場合がないとはいえない。

しかしながら,本件協定は大気汚染や水質汚濁の防止についても定めているところ,それらの影響が及ぶ範囲を考慮しても明らかなとおり,原告の住民の健康や環境に対して影響を及ぼす行為の範囲は,原告市域内の行為に限られない。したがって,本件協定の目的によって,本件協定が適用される行為の範囲を原告の住民の健康や環境に影響を及ぼし得る行為であると解すると,その適用の範囲を明確に確定することができなくなるといわざるを得ず,本件協定に基づき被告が義務を負う範囲が不明確になり,相当ではない。

このことに,前記(2)のとおり,本件協定が,適用範囲が原告市域であることを前提とする昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨で締結されたことをも考慮すると,本件協定の目的に基づけばB市域部分を本件協定の適用対象に含めるべきである旨の原告の主張は直ちに採用することができない。

イ 原告は,原告市域内に存在する被告の事業場は甲基地のみであるから,本件協定のいう「事業場」が甲基地を意味することは本件協定の文言から明らかであり,本件協定の適用範囲を原告市域内に限定するとの文言がない以上,本件協定が甲基地全体に適用されることは明確であると主張する。

確かに,原告市域内に存在する被告の事業場は甲基地のみである。しかし,本件協定は,「事業場」を問題とするが,その事業場を「甲基地」とは定めてはいない。また,昭和52年条例においても,事業場について,個別の特定を行っていない。

そして,本件協定が,適用範囲が原告市域であることを前提とする昭和52年条例に基づき,昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨で締結されたこと,条例であれば,仮に一つの事業場の所在地が複数の市域にまたがっていたとしても,その条例は,条例が制定されている市域に適用されることをも考慮すると,前記(2)イのとおり,原告市域外にも適用されることを合意したなどの特別な事情がない場合に,原告が条例に基づく規制を補完等する趣旨で事業者に義務を負わせたという本件協定が原告市域外にも適用されるとすれば,当該事業者にとって,その義務の範囲が不明確となり適切でない。原告市域内に存在する被告の事業場が甲基地のみであったとしても,本件協定が甲基地のうち原告市域部分に限り適用されるのか,B市域部分も含めて適用されるのかが明確でないことが問題なのであり,原告市域内に存在する被告の事業場が甲基地のみであることをもって,直ちに本件協定がB市域部分を含む甲基地全体に適用されることが明確であるとはいえない。

そして,甲基地における原告市域部分とB市域部分の面積の割合等を考慮しても同様に解されることは,前記(3)エのとおりである。

本件協定の文言から本件協定の適用範囲にB市域部分が含まれることが明らかであるとの原告の主張は採用できない。

ウ 原告は,昭和52年協定の締結に先立ち,原告がAに対して地下水の汲上げを抑制するよう求めていて,その際も甲基地における地下水の汲上げを問題としていたのであって,原告市域に限定して地下水の汲上げを抑制するよう求めていたのではなく,昭和52年協定は甲基地全体に適用されるとの認識であったと主張する。また,原告は,原告との交渉を経てAが地下水汲上げを中止したことを前提に,昭和52年協定において,地下水汲上げに関する定めが設けられた旨主張する。

確かに,新幹線が操業を開始した後,原告市域においても騒音や振動についての問題が発生し,前記1(11)のとおり,原告は,遅くとも昭和48年頃以降,新幹線による騒音や振動などの被害について,Aに対し,繰り返し,対策を申し入れるなどして,原告市域の環境を保全するための努力を続けてきた。また,当時,地盤沈下の問題が顕在化し,原告は,Aに対し,昭和48年4月23日付けで甲基地における地下水の汲上げの抑制を求め,その後も,甲基地における地下水の汲上げを問題視して,地盤沈下を訴えるとともに,甲基地に上水道による給水を行うための工事等の整備を進めた。そして,昭和51年9月には,甲基地における用水について,地下水から工業用水及び上水道への切替えが完了し,Aは甲基地における地下水の汲上げを止めた。

これらに照らせば,原告市域の環境を保全するため,原告は,新幹線による騒音,振動のほか,甲基地における地下水の汲上げを問題として,甲基地における地下水の汲上げを止めるようAと交渉を行い,原告自身も上水道給水のための工事を行うなどして,昭和51年9月,Aが甲基地における地下水の汲上げを止めるに至ったということができる。

しかし,昭和52年までに,原告が原告市域の環境を保全するためにAと交渉を行ってきたことやAが地下水の汲上げを止めたことは認められるものの,昭和52年協定は,Aとの個別交渉の結果締結されたということはできないものである。昭和52年協定は,前記(1)のとおり,昭和52年条例に基づいて,昭和52年条例における規制を補完等するために,他の70以上の事業者と共に,それらの事業者との間の協定と同日付けで,それら事業者との協定と基本的に同じ内容で締結されたものである。昭和52年条例は,昭和50年2月に発足した原告市生活環境条例審議会に対し,環境問題一般に関する条例の制定が諮問されたものであり,Aとの間で問題となっていた被害に限らず環境に影響を与える行為を広く問題とする一方,地下水の汲上げに関する定めそのものはない。昭和52年条例の制定に向けた活動と上記交渉等とは,時期や目的が重なる部分があることは優にうかがえるものの,昭和52年までに原告とAの間でされたやり取りが,昭和52年協定の締結に向けた交渉経過そのものであると評価することはできない。そして,前記のような趣旨で締結された昭和52年協定について,原告とAとの間で,本件協定の地理的な適用範囲について,甲基地の全体であることを前提とする交渉等がされたことを認めるには足りない。

そうすると,昭和52年までにされた前記1(11)のような原告とAとの交渉内容や昭和51年9月にAが甲基地における地下水の汲上げを止めたという経緯を考慮したとしても,昭和52年協定の前記の趣旨にも照らせば,昭和52年協定において,昭和52年協定の適用範囲にB市域部分も含むとの合意がされたと認めるには足りない。そして,本件協定は,昭和52年協定,昭和63年協定に代わるものとして締結されものであり,その適用範囲について,何らかの交渉がされたとは認めるに足りず,その適用範囲について,B市域部分も含むとの合意がされたと認められない。

エ 原告は,本件協定が昭和52年条例を前提としたものであったとしても,昭和52年条例は環境保全協定を締結することができる旨を定めるのみであり,その内容については全く限定していないから,昭和52年条例の解釈から当然に本件協定の適用される地理的範囲が画されるという必然性はなく,本件協定が適用される範囲を原告市域部分に限定する解釈は,本件協定の目的に照らして不自然・不合理であると主張する。

本件協定が昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨で締結されたものであることから,本件協定が適用される範囲が昭和52年条例の適用範囲と一致する必然性はないとしても,本件協定の適用範囲を検討するに当たっては,本件協定が上記のような趣旨で締結されたことを考慮するのが相当である。また,前記アのとおり,本件協定の目的によって本件協定が適用される範囲を画することは,本件協定に基づき被告が義務を負う範囲を不明確にするものであり,適切でない。

(5) 以上によれば,本件協定の適用範囲は原告市域部分に限られると解するのが相当である。

原告は,本件協定に基づき,被告がB市域部分において地下水の汲上げを行うことの禁止を求めるところ,本件協定は,B市域部分には適用されないから,原告の請求第2項には理由がない。

3 本件協定の法的拘束力又は本件協定に違反した場合の効果について(争点4)

(1)ア 被告が本件協定第8条に違反した場合に原告が取り得る措置について,以下,検討する。

本件協定は,「事業者は,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため,地下水の汲み上げを行わないものとする。」と定めている(第8条)。また,本件協定は,被告が本件協定に違反したときは,原告は期間を定めて施設の改善等必要な措置を取ることを指示することができ(第16条第2項),同措置によってもなお違反事実が継続していると原告が認めるときは,その違反に係る操業の停止を要請するものとし,被告はこれを尊重するものとする(同条第3項)と定めている。本件協定は,上記の定めのほかに,被告が本件協定第8条に違反した場合に原告が取り得る措置について,明示的な定めを設けていない。

また,本件協定は,昭和52年条例に基づいて締結されたものであり,前記2(1)のとおり,原告及び被告間において,昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨で締結されたものといえる。昭和52年条例は,地下水の汲上げについての定めを何ら設けていなかったが,昭和52年条例が定める一定の義務について,指導に従わない者に対し市長が期限を定めて必要な改善措置を取るべきことを勧告することができ(第45条),勧告に従わない者の氏名を必要に応じて公表すること(第46条)を定めていた。

イ 本件協定には,被告が本件協定が定める義務に違反した場合について,前記アに定めるもののほかには定めがないところ,上記の義務違反があった場合に,本件協定に定めるもののほか,原告がどのような措置を取り得るかにつき,原告と被告間で交渉等がされたことを認めるに足りる証拠はない。また,原告とAとの間では,昭和52年より前にAによる甲基地における地下水の汲上げの問題も含めて交渉等がされていたことは認められるが,昭和52年協定も本件協定も,昭和52年条例に基づき昭和52年条例を補完等するものとして締結されたものであり,昭和52年までのAとの交渉等の経緯をもって,本件協定の内容や本件協定第8条に違反した場合の効果についての当事者の意思を解釈することが相当であるとは認められない。

そして,本件協定は,原告及び被告間において,昭和52年条例に基づき,昭和52年条例に基づく規制を補完等する趣旨で締結された。そのような趣旨の本件協定において,上記のとおり,被告が本件協定に違反した場合に原告が取り得る措置について原告と被告間に特段の交渉はなかったし,地下水の汲上げに関して義務の履行を強制し得ることを示唆する定めはなく,他方,対象となる定めを限定することなく本件協定に違反した場合に原告が取り得る措置が明示的に定められているのであるから,本件協定を締結した当事者は,本件協定に違反した場合に原告が取り得る措置は,本件協定に明示的に定められたものに限られるとして,本件協定を締結したとするのが自然であるといえる。

また,昭和52年条例において,地下水の汲上げについての定めを何ら設けていなかったことは措くとしても,条例の定める義務の履行を確保する手段として,条例に従わない者に対して必要な改善措置を取るべきことを勧告することや勧告に従わない者の氏名を公表することを定め,原告が氏名の公表という不利益を課すことができることを定めていた。これに対し,本件協定においては,本件協定に違反した場合,原告による要請と被告による要請の尊重のみが定められていた。

前記のとおりの本件協定の性質,定め,昭和52年条例における義務の履行を確保する手段の内容との比較等に照らすと,本件協定において,第8条が定める義務に違反した場合の効果として,本件協定において明示的に定められたものを超えて,直接的に義務の履行を強制することが予定されていたとするのが,本件協定を締結した当事者の意思であったとは考え難い。

ウ なお,昭和52年協定は,地下水の汲上げについて,原則として行わないものとし,現に行っている場合は地下水汲上げ抑制計画を策定しその達成に努めると定めていた(第8条)。また,昭和52年協定においても,本件協定と同様,Aが昭和52年協定に違反した場合,原告がAに対し期間を定めて施設の改善等必要な措置を取るよう指示することができること,同措置によってもなお違反事実が継続していると原告が認めるときは,その違反に係る操業の停止を要請するものとし,Aはこれを尊重するものとすることを定めていた(第15条第2項,第3項)が,他に原告が取り得る措置については定めていなかった。

このような昭和52年協定の地下水の汲上げに関する定めの内容等に照らすと,昭和52年協定においては,文言上,Aが地下水の汲上げを行うことが一律かつ全面的に禁止されていたものとはいえず,Aが地下水の汲上げを行った場合に,その禁止を強制することまでは予定していなかったのが当事者の意思であると解する余地がある。

本件協定は,「事業者は,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため,地下水の汲み上げを行わないものとする。」と定めており(第8条),昭和52年協定とは文言が異なる。しかし,本件協定の締結に当たり,原告と被告との間で,旧協定が定めた義務の内容や義務違反時の効果について変更する旨のやり取りがされたことは認められない。また,被告が本件協定に違反した場合に原告が取り得る手段についての定めは,昭和52年協定と同一のままである。

このような本件協定の締結経緯に照らしても,本件協定第8条は,昭和52年協定と同様に,原告が被告に対し,地下水の汲上げの禁止を強制することを予定していないのが当事者の意思であるとするのが相当であるとも解される。

(2)ア 原告は,本件協定及び旧協定は粘り強い交渉の末に締結されたものであって法的拘束力を有し,原告は被告に対し本件協定の定める義務の履行を強制することができると主張する。

確かに,原告は,昭和52年までに,Aに対し甲基地における地下水の汲上げを止めて工業用水及び上水に切り替えるよう申し入れ,Aは,昭和51年9月,甲基地における用水を工業用水及び上水に切り替えて甲基地における地下水の汲上げを止めており,原告とAとの間で,甲基地における地下水の汲上げ中止に関する交渉がされていた。

しかしながら,本件で原告が請求の根拠としている本件協定は,Aとの個別交渉の結果締結されたものではない。昭和52年協定は,昭和52年条例に基づいて,昭和52年条例における規制を補完等するために,他の70以上の事業者と共に,それら事業者と基本的に同じ内容で締結されたというものである。昭和52年までの間に原告とAの間でされたやり取りが,昭和52年協定の締結に向けた交渉経過そのものであると評価することはできない。また,その後,昭和52年協定に代わるものとして,昭和63年協定及び本件協定が締結されたが,その締結に際して,被告が地下水の汲上げをした場合に原告が取り得る措置について,原告と被告との間で特段の交渉があったとは認められない。

なお,実際に締結された昭和52年協定は,前記(1)ウのとおり,Aが地下水の汲上げをすることを一律かつ全面的に禁止したものとはいえず,そうである以上,Aが地下水の汲上げを行った場合に,原告がAに対し義務の履行を強制することを予定したものと直ちにいえるものではいと解する余地のあるものであった。本件協定の締結経緯についてみても,原告と被告の間で,本件協定が定めた義務を履行しなかった場合の効果について,旧協定の定めていたものとは異なる内容にする旨のやり取りがされたとは認められない。

旧協定及び本件協定の締結経緯をもって,本件協定第8条が被告の負う義務の履行を強制することを予定したものであったとは認められず,原告の主張は採用することはできない。

イ 原告は,本件協定第8条は具体的な義務を定めたものであり,本件協定第16条は履行強制を放棄したものではないと主張する。

確かに,本件協定第8条の文言は,「事業者は,地下水の保全及び地域環境の変化を防止するため,地下水の汲み上げを行わないものとする。」というものであり,被告の負う義務の内容は文言上は明確であるようにもみえる。

しかしながら,文言が上記のようなものであったとしても,前記(1)イのとおり,本件協定の性質等に照らせば,本件協定第8条が定める義務に違反した場合の効果として,本件協定において明示的に定められた前記のものを超えて,直接的に義務の履行を強制していることが予定されていたとするのが,本件協定を締結した当事者の意思であったとは考え難い。本件協定に基づき被告が負う義務についての定めの中には,燃料のガス化,低硫黄化,排ガス処理装置等によって,硫黄酸化物及び窒素酸化物の排出の削減に努める(第4条第1項),ばいじんの防止について集じん装置等の整備強化に努める(同条第2項),事業場から排出する汚水が規制基準以下であっても,当該基準を下回る目標を定め,技術的に可能な限り水質汚濁の防止に努める(第5条第2項),事業場から発生する悪臭について,規制基準を遵守し,防止のための必要な措置を講じ,敷地境界線上で悪臭を感知しないよう対策を行い,周辺住民に影響を及ぼさないよう努める(第9条),事業場から生ずる廃棄物について,環境負荷の少ない事業活動等,排水量の抑制及びリサイクルの徹底を図り,廃棄物の減量化を行うとともに自らの責任において適正に処理し,二次公害の防止に万全を期する(第10条第1項),廃棄物処理施設から排出されるダイオキシン類が規制基準以下であっても,当該基準を下回る目標を定め,技術的に可能な限りダイオキシン類の低減に努める(第11条)ものとするなど,環境を保護するために被告が負う義務の内容について,直接的に義務の履行を強制し得るほど具体的に定めたとはいい難いものが多かった。そして,本件協定第16条第2項は,対象となる定めを限定することなく被告が本件協定に違反した場合に原告が取り得る措置を定めている。このような本件協定に照らしても,義務の履行を強制し得ることを示唆する定めがないにもかかわらず,環境を保護するために被告が負う義務のうち,地下水の汲上げをしないことに限って,直接的に義務の履行を強制することが予定されていたと解するのは不自然であるとも解される。

なお,前記(1)ウのとおり,昭和52年協定においては,そもそも,文言上,Aが地下水の汲上げを行うことが一律かつ全面的に禁止されておらず,Aが地下水の汲上げを行った場合に,その禁止を強制することまでは予定していなかったのが当事者の意思であると解する余地があり,その後の本件協定締結に至る経緯をも考慮すれば,原告が被告に対し,本件協定に基づき地下水の汲上げの禁止を強制することを予定していないのが当事者の意思であると解する余地もある。

したがって,本件協定第8条の文言を理由に同条が被告の負う義務の履行を強制することを予定したものであるとは認められない。原告の主張は採用することができない。

(3) 以上によれば,本件協定は,被告が本件協定第8条に違反した場合に,原告が被告に対しその義務の履行を強制することは予定していないと解するのが相当である。

原告は,被告に対し,本件協定に基づき,地下水の汲上げの禁止を求めるところ,本件協定は第8条に基づく義務の履行を強制することは予定していないと解されるから,原告の請求第2項には理由がない。

4 確認請求について

(1) 前記2のとおり,本件協定の適用範囲は原告市域部分に限られ,本件協定は,B市域部分には適用されないと解される。

したがって,原告の請求第1項には理由がない。

(2) なお,被告は,原告の請求第1項に係る訴えには確認の利益がない旨主張する(争点1)。

しかしながら,原告と被告間で締結された本件協定には,原告が取り得る措置についての定め(第14条)などもあり,B市域部分における行為についての原告と被告間の法律関係を確認するものといえる前記訴えには,確認の利益があると解される。

第5結論

以上の次第であり,原告の請求第1項は,前記第4の4のとおり理由がなく,原告の請求第2項は,前記第4の2又は3により,その余を判断するまでもなく理由がないから,原告の請求をいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田義明 裁判官 牧野宇周 裁判官 矢崎達也)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例