大阪地方裁判所 平成3年(ワ)4016号 判決 1997年7月28日
原告
甲野一郎
同
乙山太郎
右原告ら訴訟代理人弁護士
山下潔
同
富永俊造
同
杉本吉史
同
植田勝博
同
上田國広
同
臼田和雄
同
内橋裕和
同
大深忠延
同
小野毅
同
笠松健一
同
加藤充
同
金子武嗣
同
加納雄二
同
蒲田豊彦
同
鎌田幸夫
同
神山啓史
同
川崎全司
同
河田英正
同
川村容子
同
木内哲郎
同
岸本達司
同
木村圭二郎
同
桐山剛
同
湖海信成
同
郷路征記
同
國府泰道
同
小賀坂徹
同
小林生也
同
小林将啓
同
小林保夫
同
小宮和彦
同
佐井孝和
同
財前昌和
同
佐伯剛
同
坂田宗彦
同
佐藤欣哉
同
佐藤大志
同
佐藤真理
同
四宮章夫
同
芝原明夫
同
島方時夫
同
下村泰
同
城塚健之
同
白濱澈朗
同
陶山圭之輔
同
陶山和嘉子
同
杉野修平
同
杉山彬
同
鈴木康隆
同
須田滋
同
関戸一考
同
高田良爾
同
高橋典明
同
高橋敏秋
同
田島義久
同
田中祥博
同
谷智恵子
同
谷口舛二
同
月山桂
同
津田広克
同
坪田康男
同
津留崎直美
同
寺沢達夫
同
寺田太
同
徳井義幸
同
長岡麻寿恵
同
中村悟
同
南野雄二
同
縄田政幸
同
西本徹
同
丹羽雅雄
同
馬場勝也
同
濱岡峰也
同
濱川登
同
早川光俊
同
平田広志
同
福山孔市良
同
藤井光男
同
藤木邦顕
同
藤森克美
同
舩富光治
同
星野秀紀
同
本庄正人
同
松尾直嗣
同
松岡康毅
同
松本七哉
同
黛千恵子
同
三上孝孜
同
峯田勝次
同
峯本耕治
同
宮代洋一
同
宮地光子
同
宮原民人
同
村松昭夫
同
村本武志
同
森信雄
同
森下弘
同
森島徹
同
森本宏
同
柳谷晏秀
同
山口健一
同
山口治夫
同
山崎和友
同
山田磯子
同
山田一夫
同
山本勝敏
同
山元康市
同
雪田樹理
同
横田保典
同
横山精一
同
吉井正明
同
吉岡良治
同
若林正伸
同
若松芳也
同
脇山拓
同
渡辺和恵
山下潔訴訟復代理人弁護士
白倉典武
被告
甲野花子
同
乙山一子
同
破産者オウム真理教破産管財人
阿部三郎
右訴訟代理人弁護士
久保井一匡
右訴訟復代理人弁護士
今村峰夫
被告
松本智津夫
主文
一 被告甲野花子及び被告松本智津夫は、連帯して、原告甲野一郎に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成二年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告乙山一子及び被告松本智津夫は、連帯して、原告乙山太郎に対し、七〇〇万円及びこれに対する、被告乙山一子は平成三年一二月一一日から、被告松本智津夫は、平成三年六月一一日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告甲野一郎が破産者オウム真理教に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成二年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員の破産債権を有することを確定する。
四 原告乙山太郎が破産者オウム真理教に対し、七〇〇万円及びこれに対する平成三年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員の破産債権を有することを確定する。
五 訴訟費用は、被告らの負担とする。
六 この判決は、一項及び二項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 本案前の答弁(被告松本智津夫)
(一) 本件訴えを却下する。
(二) 訴訟費用は、原告らの負担とする。
2 本案の答弁(被告ら)
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は、原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
(本案前の主張)
一 被告松本智津夫(通称麻原彰晃、以下「被告松本」という。)
本件訴えは、形式上、法律的な訴えの構成をとっているものの、実質的には、「出家」「布施」等宗教上の教義、信仰などについての判断が不可欠であり、右の点につき国家権力である司法権が介入することは信教の自由の侵害となり、政教分離原則違反となる。また、本件では、右のとおり宗教上の教義、信仰などにつき複雑な価値判断が不可欠であること、本件訴えが原告甲野一郎(以下「原告甲野」という。)及び原告乙山太郎(以下「原告乙山」という。)による破産者オウム真理教(以下「オウム真理教」という。)の弾圧を目的とするものであることからすれば、本件訴えは、裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」に該当しない。
二 原告ら
本件訴えの主要な争点は、オゥム真理教の被告甲野花子(以下「被告花子」という。)及び被告乙山一子(以下「被告一子」という。)に対する出家及び布施の勧誘行為が原告両名の権利を侵害したかにあるのであって、当事者間の具体的権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であるばかりか、本件判決に当たり、「出家」の意義等の宗教上の教義に関する判断が不可欠とは到底いえないのであるから、被告松本の右主張は失当である。
本件訴えが原告両名によるオウム真理教弾圧を目的とするとの主張については、全面的に否認する。
(本案の主張)
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告甲野(昭和二六年一一月八日生まれ。)は、昭和五四年一二月一二日に婚姻届出を了し、被告花子(昭和三〇年一月六日生まれ。)と夫婦となった。被告花子は、平成元年一一月ころから、オウム真理教の信徒として活動していた。右両名の間には、二郎(昭和五五年一〇月一〇日生まれ)、三郎(昭和五七年七月一〇日生まれ)、二子(昭和五九年七月二九日生まれ)、四郎(平成元年二月九日生まれ)の四人の子がいる。なお、原告甲野及び被告花子間では、平成五年二月一五日、大阪地方裁判所平成四年(タ)第二二〇号離婚請求事件の第五回口頭弁論(兼和解)期日において、右両名が協議離婚すること、四人の子の親権者を原告甲野とすることなどを内容とする裁判上の和解が成立した。
(二) 原告乙山(昭和一八年六月二四日生まれ。)は、昭和五九年九月二五日に婚姻届出を了し被告一子(昭和三三年五月一四日生まれ。)と夫婦となった。被告一子は、平成元年夏ころからオウム真理教の信徒として活動していた。右両名の間には、太一(昭和六一年三月一〇日生まれ)、太二(昭和六三年一〇月一五日生まれ)の二人の子がいる。
(三) オウム真理教は、被告松本を代表役員とする宗教法人であったが、平成七年一〇月三〇日、東京地方裁判所において解散命令を受け(なお、平成七年一二月一九日即時抗告が棄却され、平成八年一月三一日特別抗告が棄却された。)、また、平成八年三月二八日、東京地方裁判所において破産宣告を受け、被告オウム真理教破産管財人阿部三郎(以下「被告管財人」という。)が破産管財人に選任された。
(原告甲野の請求)
2 被告花子の現金持ち出し、オウム真理教への布施についての責任
(一) 被告花子は、平成二年五月一七日、前記二郎、三郎、二子及び四郎の四人の子を連れて家出し、オウム真理教に出家した。
(二) (一)の際、原告甲野は、母の葬儀の際に受け取った香典のうちの一部(少なくとも三〇〇万円)を右香典返しとして購入した商品代金の支払準備等のために現金のまま保管していた。
(三) 被告花子は、(一)の際、右三〇〇万円の現金を持ち去り、これをオウム真理教に対し、布施として交付した。
(四) したがって、被告花子は、原告甲野に対し、民法七〇九条(及び七一九条一項)により、右三〇〇万円相当の損害賠償責任を負う。
3 オウム真理教及び被告松本の関与についての責任
(一) オウム真理教
(1) 不法行為
オウム真理教は、被告花子が無収入であり、多額の金員を独自に用意できる能力がないことを知り、また、出家について原告甲野との協議が整っていないことを知りながら、後記「石垣島セミナー」等において、オウム真理教代表者である被告松本自身において、又は、オウム真理教幹部及び信徒により組織的に、社会通念上許されない違法な勧誘をなし、被告花子の出家及び布施を唆して、2(一)及び(三)の各行為をさせた。
右のうち、被告松本自身の行為は、宗教法人法一一条一項、民法四四条一項、七一九条一項に、オウム真理教幹部及び信徒の各行為は、民法七一五条に、右オウム真理教関係者による一連の組織的行為は、民法七〇九条、七一九条一項に、それぞれ該当するので、結局、オウム真理教は、原告甲野に対し、前記三〇〇万円相当の損害賠償責任を負う。
(2) 不当利得
被告花子が無断で持ち出した2(三)の布施をオウム真理教が受け取ったことにより、社会通念上、原告甲野の損失において右教団が利益を得たということができ、また、右2(三)の際、被告花子が原告甲野に無断で持ち出したことにつき、オウム真理教(代表者である被告松本)には悪意又は重大な過失があった。
したがって、オウム真理教は、原告甲野に対し、不当利得として、民法七〇三条、七〇四条に基づき、前記三〇〇万円を返還すべき義務がある。
(二) 被告松本
被告松本は、オウム真理教の最高意思決定機関として、違法な前記勧誘を自ら行ったほか、オウム真理教幹部や信徒の前記各行為を決定し、指揮監督した。
被告松本の右行為は、民法七〇九条、七一九条一項、宗教法人法一一条二項、民法四四条二項に該当する。
したがって、被告松本は、原告甲野に対し、前記三〇〇万円相当の損害賠償責任を負う。
(原告乙山の請求)
4 被告一子の預金持ち出し、オウム真理教への布施についての責任
(一) 被告一子は、平成二年五月二一日、前記太一、太二の二人の子を連れて家出した。
(二) (一)の際、原告乙山は、自己名義の普通預金口座を有していたが、被告一子は、右普通預金通帳を持ち出したうえ、右預金口座から現金四〇〇万円を引き出し、これをオウム真理教に対し、布施として交付した。
(三) したがって、被告一子は、原告乙山に対し、民法七〇九条(及び七一九条一項)により、右四〇〇万円相当の損害賠償責任を負う。
5 被告一子による原告乙山の親権侵害及び婚姻生活の破綻についての責任
(一)(1) 被告一子は、共同親権者である原告乙山に相談することもなく、一方的に二人の子を連れて家出したうえ、子の福祉に著しく反する養育環境の下に親権を濫用して子を拘束し、原告乙山の親権を侵害した。
(2) 被告一子は、原告乙山の親権に基づく正当な二人の子の引渡請求に対し、子の福祉上協力する義務があるにもかかわらず、これを拒否し、また、所在を隠すなどして原告乙山の親権を侵害した。
(二)(1) 被告一子は、原告乙山に対する同居義務、相互扶助協力義務に反し、一方的に出家をして家庭生活を捨て、原告乙山との婚姻生活を完全に破綻させ、原告乙山の人格権(夫としての権利)を侵害した。
(2) 被告一子は、平成三年一一月ころから、東京都世田谷区内のアパートにおいて、訴外丙野五郎(以下「丙野」という。)と同居を始め、平成五年四月八日には、同人の子を出産するに至った。右行為は原告乙山に対する貞操義務に違反するものであり、これにより、原告乙山の人格権(夫としての権利)を侵害した。
(三) 被告一子の右各行為は、民法七〇九条(及び七一九条一項)の不法行為に該当する。
(四) 原告乙山は、被告一子の右不法行為により多大の精神的苦痛を被ったが、右精神的苦痛を慰謝するには、三〇〇万円が相当である。
したがって、被告一子は、原告乙山に対し、三〇〇万円の損害賠償責任を負う。
6 オウム真理教及び被告松本の関与についての責任
(一) オウム真理教
(1) 不法行為
ア オウム真理教は、被告一子が無収入であって、多額の固有財産もなく、他方原告乙山に多額の財産があることを知り、また、出家について原告乙山との協議が整っていないことを知りながら、後記「石垣島セミナー」等において、オウム真理教代表者である被告松本自身により、又はオウム真理教幹部及び信徒により組織的に、社会通念上許されない違法な勧誘をなし、被告一子の出家及び布施を教唆して、4(二)の行為をさせた。
イ オウム真理教は、被告一子が親権者である原告乙山と何らの協議もなく二人の子を連れて出家することを認識しつつ、被告一子に対し、アのとおり、出家及び布施を唆したうえ、出家した同女らをその施設に受け入れ、原告乙山と子らとの連絡を遮断して、原告乙山の親権を侵害した。
また、オウム真理教は、被告一子を通じて原告乙山の親権を排除しつつ、子の福祉に著しく反する養育環境の下に、原告乙山の二人の子の身体を拘束し、原告乙山の親権を侵害した。
さらに、オウム真理教は、平成二年九月七日、大阪地方裁判所の判決(被告花子に対し、原告甲野に対し四人の子の引渡しを命ずる旨の人身保護請求認容判決)が下されるや、その後、オウム真理教幹部及び信徒に命じて人身保護請求等の申立書の受領を拒否して送達を実行させず、また、被告一子に指示して、教団の下を離れる旨の虚偽の手紙を書かせるなどして故意に被告一子の所在不明の状況を作り出し、原告乙山の親権行使を妨害した。
ウ 右のうち、被告松本自身の行為は、宗教法人法一一条一項、民法四四条一項、七一九条一項に、オウム真理教幹部及び信徒の各行為は、民法七一五条に、右オウム真理教関係者による一連の組織的行為は、民法七〇九条、七一九条一項に、それぞれ該当するので、結局、オウム真理教は、原告乙山に対し、合計七〇〇万円相当の損害賠償責任を負う。
(2) 不当利得
被告一子が無断で持ち出した4(二)の布施をオウム真理教が受けとったことにより、社会通念上、原告甲野の損失において右教団が利益を得たということができ、また、右4(二)の際、被告一子が原告乙山に無断で持ち出したことにつきオウム真理教には悪意又は重大な過失があった。
したがって、オウム真理教は、原告乙山に対し、不当利得として、民法七〇三条、七〇四条に基づき、前記四〇〇万円を返還すべき義務がある。
(二) 被告松本
被告松本は、オウム真理教の最高意思決定機関として、右(一)(1)ア及びイの各行為を決定し、指揮監督した。
被告松本の右行為は、民法七〇九条、宗教法人法一一条二項、民法四四条二項、七一九条一項に該当するので、原告乙山に対し、合計七〇〇万円相当の損害賠償責任を負う。
7 原告らの破産債権届出及び被告管財人の異議
原告らは、オウム真理教に対する後記債権につき、破産債権として届出をした。被告管財人は、平成八年九月二五日の債権調査期日において、原告らの右届出債権全額につき異議を述べた。
8 催告
原告らは、被告らに対し、本件訴状により、本件請求債権の支払を催告した。右訴状は、被告一子については、平成三年一二月一〇日、被告松本及びオウム真理教については、平成三年六月一〇日に、それぞれ送達された。
9 よって、原告甲野は、被告花子及び被告松本に対し、被告花子については民法七〇九条及び七一九条一項、被告松本については民法七〇九条、七一九条一項、宗教法人法一一条二項、民法四四条二項に、それぞれ基づき、連帯して、損害賠償金三〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成二年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、また、原告乙山は、被告一子及び被告松本に対し、被告一子については民法七〇九条、七一九条一項、被告松本については民法七〇九条、七一九条一項、宗教法人法一一条二項、民法四四条二項に、それぞれ基づき、連帯して、損害賠償金七〇〇万円及びこれに対する被告一子につき不法行為の後である平成三年一二月一一日から、被告松本につき不法行為の後である平成三年六月一一日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。また、原告甲野は、被告管財人に対し、民法七〇九条、七一九条一項、七一五条、宗教法人法一一条一項、民法四四条一項又は民法七〇三条、七〇四条に、それぞれ基づき、損害賠償金又は不当利得金三〇〇万円及びこれに対する不法行為又は悪意による不当利得の後である平成三年五月一八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の破産債権を有することの確定を、原告乙山は、被告管財人に対し、民法七〇九条、七一九条、七一五条、宗教法人法一一条一項、民法四四条一項又は民法七〇三条、七〇四条に、それぞれ基づき、損害賠償金又は不当利得金七〇〇万円及びこれに対する不法行為の後であり、かつ、本件訴状の送達の日の翌日である平成三年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の破産債権を有することの確定を、それぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告花子
(一) 請求原因1(一)は認めるが、同1(二)は知らない。同1(三)のうち、オウム真理教が被告松本を代表役員とする宗教法人であったことは認める。
(二) 同2(一)ないし(三)は、認めるが、同2(四)は争う。
(三) 同3は、いずれも否認ないし争う。
(四) 同4、5は、いずれも知らない。
(五) 同6(一)(1)のうち、イの「子の福祉に著しく反する環境」であった点は否認し、その余は知らない。同6(一)(2)および同6(二)のうち、オウム真理教が原告乙山の親権を侵害したとの点は否認し、その余はいずれも知らない。
(六) 同7は、知らない。
2 被告一子
(一) 請求原因1(一)は知らない。同1(二)は、認める。同1(三)のうち、オウム真理教が被告松本を代表役員とする宗教法人であったことは認める。
(二) 同2、3は、すべて知らない。
(三) 同4(一)は認めるが、同4(二)は否認し、同4(三)は争う。
被告一子は、出家につき、夫である原告乙山の同意を得ていなかったため、当時オウム真理教大阪支部に配属されていた、オウム真理教の幹部である松葉裕子(以下「松葉」という。)から、家出する際に持ち出した四〇〇万円を布施として受け取ることを拒否された。やむなく、被告一子は、正式に出家が認められるまでの間、右四〇〇万円を松葉に預かってもらうこととし、その間、暫定的にオウム真理教施設内で保護を受けていたが、その後、これ以上オウム真理教に迷惑をかけるわけにはいかないと決心し、松葉から、右四〇〇万円の返還を受けたうえ、オウム真理教の施設を離れた。したがって、被告一子は、右四〇〇万円をオウム真理教に布施として交付していない。
(四) 同5は、いずれも否認ないし争う。なお、同5(二)及び(三)につき、右当時、原告乙山と被告一子との間の夫婦関係は完全に破綻していたものである。
(五) 同6は、いずれも否認ないし争う。
(六) 同7は、知らない。
3 被告松本
(一) 請求原因1(一)及び(二)は、認める。同1(三)のうち、オウム真理教が被告松本を代表役員とする宗教法人であったことは認める。
(二) 同2(一)のうち、被告花子が、平成二年五月ころ、二郎、三郎、二子及び四郎の四人の子を連れてオウム真理教に出家したことは認める。同2のその余の事実は、すべて否認する。
(三) 同3は、いずれも否認ないし争う。
(四) 同4(一)は、知らない。同4(二)は、否認する。その理由は、同2(三)と同じ。
(五) 同5は、いずれも否認する。
(六) 同6は、いずれも否認ないし争う。
(七) 同7は、知らない。
4 被告管財人
(一) 請求原因1(一)及び(二)は、いずれも知らない。同1(三)は、認める。
(二) 同2ないし7は、いずれも知らない。
三 抗弁
(被告花子及び被告松本)
1 金員持ち出しについての原告甲野の同意
原告甲野は、請求原因2(三)の際、被告花子が三〇〇万円を持ち出すことにつき同意していた。
(被告一子及び被告松本)
2 被告一子の使用ないし管理権
請求原因4(二)の際、被告一子が預金口座から引き出し持ち去った四〇〇万円は、子供の当面の養育費及び生活費として、原告乙山から使用及び管理を任されていたものである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1は、否認する。
2 同2は、否認する。
第三 証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載と同一であるから、これを引用する。
理由
一 本案前の主張について
被告松本は、本件訴えは、形式的には、適法な法律上の訴えの体裁をとっているものの、右請求の当否を判断するに当たっては、「出家」「布施」等宗教上の教義、信仰などについての判断が不可欠であり、右の点につき国家権力である司法権が介入することは信教の自由の侵害となり、政教分離原則違反となること、また、右請求の当否を判断するに当たっては、宗教上の教義、信仰等につき、複雑な価値判断が不可欠であること、本件訴えが原告らによるオウム真理教の弾圧を目的とするものであることを理由に、本件訴えは裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」に該当しない旨主張する。
しかしながら、被告松本の右主張は、以下のとおり理由がなく、失当である。
本件の主要な争点は、被告松本及びオウム真理教による、被告花子及び被告一子に対する出家ないし布施の勧誘行為が原告らの権利を侵害したか等に存するのであって、形式的にも当事者間の具体的権利義務の存否に関する紛争であるばかりか、実質的にも、本件において、原告らの請求の当否を判断するに当たり、オウム真理教の教義等に関する実質的な判断をすることが必要不可欠とは到底いえないのであるから、本件において、実体的判断をしたからといって、信教の自由に対する侵害となったり、あるいは、政教分離原則に違反することになるものではない。結局、本件訴えは、当事者間の具体的権利義務に関する紛争にほかならず、法律の解釈適用により抜本的な紛争の解決が可能であるから、裁判所法三条一項の「法律上の争訟」に該当するものというべきである。
二 本案についての判断(なお、以下において掲記する書証は、いずれも、成立に争いがないか、その真正な成立が認められるものである。)
1(一) 請求原因1の事実は、一部当事者間に争いがなく、その余は、甲A第一四六号証、甲B第一号証、第一九号証及び弁論の全趣旨により認められる。
(二) 同7の事実は、当事者間に争いがない。
(三) 同8の事実は、当裁判所に顕著である。
2 請求原因2の事実は、一部当事者間に争いがなく、その余は、証拠(原告甲野及び被告花子各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨により認められる。
この点につき、抗弁1につき判断する。
抗弁1については、これを認めるに足りる証拠が存しない。
この点、被告花子は、本人尋問において右抗弁事実に沿う供述をする。
しかしながら、証拠(甲B第三号証、第五号証、第一三ないし第一七号証、第一八号証の一ないし三、検甲第一〇号証の一ないし五、原告甲野及び被告花子各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告甲野の母は、平成二年三月六日、死去し、同月八日、その葬儀が行われた。
(二) 被告花子は、原告甲野の指示により、平成二年四月一〇日、亡母の葬儀の香典返し等に当てるため、阪神銀行三国支店から五〇〇万円を引き出した。
(三) 被告花子は、平成二年四月一〇日、前記五〇〇万円を原告甲野に無断で口座に戻した。なお、同年四月一二日、被告花子は、大和銀行の原告甲野名義の総合口座から一一八万円、阪神銀行三国支店の三郎名義の口座から八万円の合計一二六万円を引き出し、これを銀行振込の方法により、石垣島セミナーの参加費用として、オウム真理教に入金した。
(四) 原告甲野は、平成二年四月一三日、自分で阪神銀行三国支店から再度五〇〇万円を引き出し、これを袋に入れて保管しておいた。
(五) 被告花子は、平成二年四月中旬から下旬にかけて、石垣島セミナーに参加した。同年五月八日ころ、被告花子が帰宅したところ、原告甲野は、亡母の四九日と兄の一周忌の法要を行っていた。原告甲野は、前記五〇〇万円のうち、約二〇〇万円足らずを香典返しや法事費用として使用した。被告花子が持ち出したのは、右の残額である三〇〇万円余であった。
(六) 原告甲野は、被告松本に対し、平成二年六月七日付けで、花子及び子供の安否を気遣う内容の内容証明郵便を送付した。また、原告甲野は、被告松本に対し、平成二年七月ころにも、同内容の手紙を送付した。
(七) 被告花子は、平成二年五月一七日にオウム真理教に出家したが、その際、原告甲野に出家すべきか等の相談をもちかけることはしなかった。
右(一)ないし(五)の事実に基づいて検討するに、被告花子が真実原告甲野から贈与を受けたとすれば、オウム真理教に対し、できるだけ高額の布施をして功徳を積みたいとの信徒の心理からして、直ちに原告甲野名義の口座に金銭を戻したとの被告花子の行為はそれ自体やや不自然である。実際、被告花子は、原告甲野から贈与を受けたとされる日に、石垣島セミナーの参加費用として、合計一二六万円を銀行振込の方法によりオウム真理教に入金したが、その資金は前記五〇〇万円とは別途用意されていた。また、原告甲野は、被告花子が口座に戻した五〇〇万円を再度自己名義の口座から引き出したうえ、その一部を自己の用途(母の葬儀の香典返し及び兄の法事費用)に費消しており、贈与を受けたとの被告花子の供述と相容れない行動を原告甲野自身がとっていたことが窺われるのである。
これらの事実からすると、原告甲野から贈与を受けたとする被告花子の主張はにわかに信じ難いといわざるを得ない。さらに、前記(六)、(七)の事実によれば、被告花子は、原告甲野に対し、出家直前の時点では、出家の当否等につき何ら相談をせず、唐突に家出したのであって、被告花子の主張するように、出家の可否について口論の末、原告甲野が自ら「これ(金)をやるから出家してくれ」などと頼んだ結果、花子が出家に及んだとは到底認められないし、また、原告甲野は、被告花子が出家したことに気付いた後、被告花子及び子供の安否を気遣う手紙を被告松本宛に差し出したことからしても、原告甲野が半ば投げやりの態度で被告花子に出家を迫ったとの被告花子の供述は採用することができない。その他、右抗弁事実を認めるに足りる的確な証拠もない。
以上のとおりであるから、抗弁1の事実は認められない。
3 そこで、請求原因3につき判断するに、当事者間に争いのない事実、証拠(甲A第四、第五号証、第一四ないし第二一号証、第四〇号証、第四四号証、第五一ないし第六〇号証、第八〇号証、第八二、第八三号証、第八五、第八六号証、第八八号証、第九〇号証、第九四ないし第九八号証、第一一五号証の一、第一二〇ないし第一二二号証、第一二七号証、第一三〇ないし第一三三号証、第一三五号証、第一三六号証、第一四一ないし第一四三号証、前掲甲A第一四六号証ないし第一四八号証、証人永岡弘行、同松葉及び同箕島和義(以下「箕島」という。)の各証言、原告ら、被告花子及び同一子各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) オウム真理教は、被告松本を主宰者として、昭和五九年二月ころ、「オウム神仙の会」の名称で活動を開始し、同六二年七月ころ、オウム真理教と名称を変更したうえ、平成元年八月二五日、東京都知事から宗教法人法に基づく規則の認証を受け、同月二九日、宗教法人オウム真理教の設立登記を了した。
(二) オウム真理教は、被告松本及び同人の説くオウム真理教の教義を信奉する者(信徒)により構成され、創始当時には、東京都渋谷区に本拠を置いていたが、その後、昭和六一年一〇月ころには、同都世田谷区内に東京本部を移転した。その後、昭和六三年八月ころ、静岡県富士宮市内に富士山総本部を設けたのをはじめ、平成六年六月ころまでに、東京都港区南青山に東京総本部、同都江東区亀戸に新東京総本部、山梨県西八代郡上九一色村等にサティアンと称する施設群、同県巨摩郡富沢町に清流精舎と称する施設等を建設し、また、昭和六二年二月ころ、大阪市内に大阪支部を設置したのを皮切りに、熊本県阿蘇郡波野村をはじめ全国に支部や道場等を建設し、平成六年六月ころの時点で、国内に合計二四か所の支部、道場等を設置し、各施設に信徒を配置し又は居住させていた。
(三) 被告松本は、オウム真理教において、信徒を指導すべき立場にある大師の選任や、信徒となることを認めるか否か等についての人事権など、一切の権力を一手に掌握して組織を全面的に支配していた。
また、被告松本は、信徒から「尊師」と呼称され、自ら「最終解脱者」と名乗って、同人自身が信仰の対象とされていた。例えば、信徒は、セミナー等と称する被告松本の説法により構成される説法会に参加し、あるいは、被告松本の説法を集めた「ヴァジラヤーナコース数学システム教本」等の教本により、その教義を習得していたが、その説法会ないし教本には、例えば、信徒は、「グル(被告松本)というものを絶対的な立場において、そのグルに帰依する」ものとされ(昭和六三年一〇月二日富士山総本部における説法、右「ヴァジラヤーナコース数学システム教本」に掲載)、また、「ヴァジラヤーナにおけるグルは、自己の本質の具現化であり、真実勝者の化身である、そして、真理の法則そのものととらえる必要がある」などと信徒に対する模範解答が教団自体によって示されるなど(ヴァジラヤーナ・コース、グループⅠ論述 模範解答)、被告松本に対する絶対的帰依が要求されていた。現に、大多数の信徒は忠実にこれに従っており、オウム真理教を去る覚悟がなければ、被告松本の教えに背くことはまず不可能であった。また、被告松本の説法ないし命令は、直接被告松本から信徒に対し伝えられることもあったが、その大部分は、オウム真理教幹部を通じて、あるいは、他の信徒、前記説法会又は教本等を通じて信者に伝えられていた。右のようにして伝えられた説法ないし命令が被告松本の意思を体現していないことは、被告松本による絶対的支配に照らして、ほとんどあり得なかった。
(四) オウム真理教は、前記のとおり、被告松本の教義を広め、これを実現することを目的として、信徒や資金を増加させながら、全国的な組織拡大を企図していたが、その背後には、オウム真理教を中心とした理想郷の実現を目指した「日本シャンバラ化」と称する一大計画の推進があった。
(五) 被告松本は、前記計画を背景に、平成元年ころから、政治と宗教とは切り離せないとの認識の下、オウム真理教の教義を実践し、前記計画を実現するためには、現実社会における政治的な力が是非とも必要であると主張するようになり、被告松本が独裁者として君臨する祭政一致の専制国家体制の樹立を目指して、被告松本をはじめオウム真理教の構成員合計二五名が平成二年二月一八日執行の衆議院議員選挙に立候補した。しかし、被告松本をはじめ立候補者全員は、右選挙に落選した。
(六) 被告松本は、右落選を機にわが国の現行体制の下では、被告松本を中心としたオウム真理教による前記理想郷の建設計画の実現は困難であるとの認識を有するに至り、次第に、前記専制国家体制を樹立するためには、武力により現行体制を打破しなければならないと考え始めるようになっていった。実際、右総選挙の直後である平成二年三月ころ以降、被告松本は、幹部に命じて、ボツリヌス菌の培養実験等を開始するなどしていた。
(七) また、被告松本は、右武力化傾向と相前後して、オウム真理教の教義に異を唱え、右計画の実現を妨げようとする者に対しては、オウム真理教の教義に従い、殺害することも厭わない態度を示すようになっていた。例えば、被告松本は、前記説法会や「ヴァジラヤーナコース数学システム教本」の中で次のような説法をしていた。
(1) グルのためだったら死ねる。グルのためだったら殺しだってやるよと、こういうタイプの人ね。この人は、クンダリニー・ヨーガに向いているということになる。そして、そのグルがやれといったことをやれる状態、例えば、それは殺人を含めてだ、これも功徳に変わるんだよ。例えば、グルがそれを殺せと言うときは、例えば相手はもう死ぬ時に来ている(昭和六二年一月四日丹沢集中セミナーによる説法)。
(2) 例えば、ここで悪業をなしている人がいたとしよう。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか、悪い転生をすると思うか。だとしたら、ここで、彼の生命をトランスフオウムさせてあげること、それによって、彼は、いったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけれど、その苦しみの世界が彼にとってプラスになるのかマイナスになるのか。プラスになるよね。当然。これがタントラの教えなんだよ(平成元年四月七日富士山総本部における説法、ヴァジラヤーナコース数学システム教本に掲載)。
(3) すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちてしまうと。ここで、例えば、生命を絶たせた方がいいんだと考え、ポワさせたと。この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか。殺生ですか、それとも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますかと。こういうことになるわけだよね。でもだよ、客観的にみるならば、これは殺生です。客観というのは人間的な客観的な見方をするならば。しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。そして、知恵ある人は、ここで大切なのは知恵なんだよ。知恵というのはーわたし先程何て言った?――神通力と言ったよね。知恵ある人がこの現象を見るならば、この殺された人、殺した人、共に利益を得たと見ます(平成元年九月二四日世田谷道場における説法、ヴァジラヤーナコース数学システム教本に掲載)。
(4) タントラ・ヴァジラヤーナにおいては、アクショーブヤの法則というものが存在する。例えば、毎日悪業を積んでいる魂がいるとしよう。この魂は、一〇年生きることによって、地獄で一〇億年生きなきゃなんない。とするならば、例えば、一年、二年、三年と長くなればなるほど、その次の生の苦しみは大きい。したがって、早く命を絶つべきであるという教えである。…したがって、早く結果を出し、結果を出すことにより、世の中に大きな影響を与え、世の中に大きな影響を与えることにより、多くの衆生を済度しなければならないと説くのである。これがアモーガシッディの法則と呼ばれるものである。つまり、結果のためには、手段を選ばないということである(平成六年三月二七日杉並道場における説法、ヴァジラヤーナコース数学システム教本に掲載)。
(八) 被告松本は、前記の理想郷建設計画を背景として、平成元年ころから、早急に数百人、最終的には三万人の解脱者を作らなければ、核戦争が起こって世界は悪い方向へ進むなどと述べたり、盛んに、「ハルマゲドン」、「第三次世界大戦」等を示唆する説法を繰り返し、右混乱期の後に、オウム真理教による理想郷が実現する旨を説いて、オウム真理教への出家を強く勧誘するようになっていた。また、それと同時に、平成元年ころから、オウム真理教に出家した信徒とその家族との間のトラブルも相次ぎ、新聞、雑誌等でさかんにオウム真理教の出家制度の問題点が論じられたり、信徒の家族から、被告松本に対し、手紙や抗議文が送付されるなどの事態が生じていた。
(九) また、被告松本は、信徒の自己に対する前記絶対的帰依を背景に、できる限り多くの布施を実践させるべく「布施の極限の実践」を説き、同時に、信徒に対し、強く出家を勧誘するとともに、被告松本に全財産を捧げることで功徳が積まれ、より高いステージに到達できると説いた。その動きは、右理想郷建設計画推進の過程で、積極的かつ計画的なものになっていった。例えば、信徒に対し布施や出家を勧誘する際の詳細なマニュアルが作成され、これに基づき信徒が布教活動をするようになった。また、布施の総額に応じて信者をランク付けしたうえ、より高額の布施をすることにより、より多くの功徳を積んで早期に解脱できるようになる旨説いて、出家及び布施を勧誘した。
(一〇) 被告松本は、前記の理想郷建設計画を背景として、平成元年ころから、前記ヴァジラヤーナコース数学システム教本等において、以下の説法をし、また、教団幹部と通じて、以下の決意表明をするなどしていた。
(1) 「例えば、いいかな、ここに、悪いことをして大金を持っていた人がいたと。その人のことをよく知っている者が、「あの人は来世餓鬼道に落ちる」といって、こっそりその金を盗んだと。そして、例えば、真理のために、例えば貧しい人のために、その金を布施したと。これはじゃ善業といえるだろうか、悪業といえるだろうか。どうだ。―どうだ。これは、完全なる善業といえる。」(平成元年四月二八日富士山総本部における説法、ヴァジラヤーナコース数学システム教本に掲載)
(2) 「財そのものは誰の所有でもない。」「この誰の所有でもないものを真理のために使うとするならば、それは最高の功徳となる。逆にこの誰の所有でもない財が、煩悩を増大させるために使われているとするならば、それは断じて救済の障碍である。…なぜならば、その魂がその財を布施することによって積むはずの功徳を、積むことができないからである。したがって、はぎ取るぞ、はぎ取るぞ、はぎ取るぞ。」「財は積極的に奪い取るべきである。財は積極的に盗み取るべきである。」「生前の財を所有することはできないんだ。したがって、財は積極的に奪い取るべきである。財は積極的に盗み取るべきである。」(省庁別決意表明文から抜粋)
(一一) そのような中、平成二年四月一四日ころから同月二三日ころまでの間、沖縄県石垣島において、「石垣島セミナー」がオウム真理教によって開催された。
右セミナーの開催直前には、被告松本の前記説法等の影響もあって、「大災害が起きて日本が沈没する」などの噂が信徒の間で飛び交っており、また、オウム真理教は、右セミナーにおいて「グル(被告松本)が予言を行う」と事前に予告していた。そのような状況の下、信徒の中には、右セミナーに参加しなければ、救済を受ける機会を逸するとの危機感から、敢えて三〇万円という高額の費用を支出して参加を決めた者もいた。
右セミナーの開催を信徒に呼びかけるに当たり、オウム真理教の各施設においては、前記のような噂が飛び交う状況下で、オウム真理教の幹部等から「このテープは今日で買えなくなる」「親類縁者もできるだけ参加させるように」などと前記の噂を前提にした発現をするなど、信徒の焦燥感を徒にかき立てるような態度がとられていたところもあった。被告松本は、右のとおり、セミナーに参加する者の大多数が前記噂に恐怖し、オウム真理教ないし被告松本による救済を望んで参加するものであること、参加者の中には、信徒のみならず、その親類縁者も含まれている可能性があること、したがって、その中には、資力に乏しい者が一定の割合で存在すること、また、前記のとおり、当時、出家信徒の家族等との間で、種々のトラブルが発生していたところ、右セミナーには雑多な参加者が予想される以上、中には、家族等の同意を得ないままセミナーに参加する者も一定数存在するであろうということなどにつき、十分認識していた。
(一二) 「石垣島セミナー」の参加者は、とにかく船でどこかへ行くといわれただけで、当初行き先さえ知らされていなかった。行きの船の中でも、前記のような噂が依然として飛び交う状況下で、参加者の不安を増幅させていた。参加者は、船で現地に上陸したものの、当初予告された被告松本による予言はなされず、単に、修行をせよとの指示を受けたのみであった。宿泊中には、折からの嵐に見まわれて、宿泊用のテントが吹き飛ばされそうになるなどしたため、参加者の大半が眠ることすらできない状況になった日もあった。そのうち石垣島で、被告松本から、「オースチン彗星が近づいているが、これは大きな波乱の前兆である」旨の予言がなされた。その内容が余りに抽象的であったため、かえって、参加者の不安は募った。また、その後も、オウム真理教幹部を通じて、被告松本の予言内容に沿った話がなされたりしたこと、長旅に加え、慣れない現地での修行の疲れも手伝って、参加者の疲労も極限状況にあったことなどから、参加者の不安感も頂点に達していた。
その後、帰りの船の中でも、再び被告松本による予言がなされたが、その際、参加者の多くは、折からの荒波のために船酔いをしていた。また、右予言がなされた場所は、暗い船底であり、船のエンジンの振動と轟音が響く中で行われた。まず、一〇〇〇人以上にのぼる参加者をこれまでの布施の額の多い順に四つのグループに分けたうえ、それぞれのグループに被告松本及びオウム真理教の幹部が各一人配置されて、グループ毎に予言内容が明らかにされた。その内容は、間もなく核戦争が起こるが、出家者に対しては、オウム真理教が生き残り策として核シェルターを備えた施設を準備しているというものであった。そして、その直後、その日に出家する者、一月後に出家する者、三か月後に出家する者、三か月以降に出家する者の四つのグループのどこかに座ることにより、自己の方針を決定するようにとの指示がオウム真理教幹部よりなされた(出家しないとの選択肢は、用意されていなかった。)。参加者のうち、七割から八割程度の参加者が三か月以内に出家することを選択した。その場で、明示的に出家しない意思を表明した者はいなかった。右参加者の一人である被告花子は、平成二年五月一七日、四人の子を連れて家出をしてオウム真理教に出家し、その際、夫の財産である現金三〇〇万円を持ち出し、オウム真理教に布施した。
右認定事実によれば、被告松本は、オウム真理教による前記理想郷建設計画を実現するため、平成元年ころから、積極的に信徒獲得に乗り出していたが、これに加えて、信徒に対し、出家及び布施の極限の実践を推奨していたこと、被告松本は、平成元年以降、とりわけ、平成二年二月一八日執行の衆議院議員選挙で敗北した後のころから、右理想郷建設計画実現に向けてタントラ・ヴァジラヤーナの教えを全面に押し出し、そこでは、次第に、右出家及び布施の極限の実践という目的のためには、場合によっては、他人の所有物を盗んで布施をしても功徳になるとの教えまで示していたこと、これを受けて、実際、前記石垣島セミナーの後の平成二年五月一七日、被告花子は、オウム真理教に出家し、その際、夫の財産である現金三〇〇万円を持ち出し、オウム真理教に布施したことが認められる。
そこで、被告松本の出家及び布施の勧誘行為が違法性及び故意過失を具備するかにつき検討するに、前記認定事実によれば、被告松本の右勧誘行為は、オウム真理教が石垣島セミナーに先立ち、同セミナーにおいて、被告松本により予言が行われると宣伝して不安を煽り、近く大災害等が起こるなどの噂が信徒の間で飛び交っていたことなどによりセミナーの参加者が不安感を抱いていたところへ、長旅の疲れ等で船酔いする者が続出し、また、暗い船底で船のエンジンの振動と轟音が響くという悪条件の中でなされたものであり、また、被告松本の予言後もオウム真理教の幹部等からしきりに参加者の不安感を増幅するような言動が繰り返されたうえ、出家以外の選択肢を与えずに、布施の額の多い順に四つのグループに分け、被告松本に帰依する参加者の「出家しなければ救われない」との焦燥感と「自分だけが遅れをとるわけにはいかない」との集団心理とを巧みに利用してなされたものであり、右勧誘行為は、被告松本の、オウム真理教への出家と布施の極限の実践及び右布施の極限の実践のためには、他人の所有物を盗んで布施しても、功徳になるとの教えを貫徹する意図の下になされたと推認されるのであって、その目的、手段、態様等からみて、右の出家及び布施の勧誘行為は、社会通念上著しく不相当と認められるから、違法性を有するということができる。
そして、前記認定事実によれば、被告松本は、右石垣島セミナー参加者のうち、専業主婦等自己の特有財産が希少で資産に乏しい者が相当数に上っていたこと、平成元年秋ころから、出家信徒が家族等の同意なく家出同然に家族の下を離れ、オウム真理教施設での生活を開始したことに伴い、家族との間で諸々のトラブルが生じており、出家信徒の中には、右のように家族等の了解なく家出をしている者が相当数含まれていること、当時のオウム真理教の方針からいって、多くの布施を実践した方が高いステージに上がることができるとの教えに忠実に従おうとする信徒であればあるほど、場合によっては家族を含む他人の財産を勝手に持ち出して布施に及ぶ可能性があること、したがって、右セミナーの参加者のうち一定割合の者がそのような行為に及ぶ可能性があること、などを十分認識していたとみられるし、また、そのような行為に及ぶ者がいた場合、オウム真理教としては、前記タントラ・ヴァジラヤーナの教えに従い、これを布施として受け取る意思であり、セミナー参加者(出家者)が他人の財産を窃取して布施することにつき、被告松本に少なくとも過失があったことを認めることができる。実際、オウム真理教では、極限の布施の実践のため、あらゆる手段を使って信徒獲得及び布施の勧誘をしていたが、例えば、麻原から幹部を通じて信徒に対し、勧誘のためのマニュアルが配布されており、そこには、本人の財産状態からみて到底不可能な額の布施を実行させることも厭わず、場合によっては第三者からの借金等本人の能力の限界を超える布施を行う際の財源確保の方法にまで言及するなど、執拗かつ用意周到な手段を講じて、極限の布施を実践させようとしていたのであって、実際、本件で被告花子が原告甲野の財産を持ち出して布施したことは、オウム真理教及び被告松本にとっては、十分に予想ないし期待されたとおりの結果であったものといえるのである。したがって、被告松本に、少なくとも過失があったということができる。
なお、被告花子は、右石垣島セミナーで被告松本の予言及び勧誘を受ける前から出家を決意していた旨供述するが、前記認定事実によれば、右石垣島セミナーにおける被告松本の予言及び勧誘行為は、その内容面においても、手段方法の面においても、参加者に対し、強烈な印象を与えたであろうことは想像に難くなく、一般的客観的にみて、出家への強い動機付けとなりうるものであることは否定し難いこと、加えて、証拠(甲A第一三号証、前掲甲A第四号証、第一四号証、第四〇号証、第一二七号証、証人箕島の証言)及び弁論の全趣旨によれば、右石垣島セミナーへの参加者の多くがその後ほどなくオウム真理教へこぞって出家したことが認められること、その反面、被告花子が右石垣島セミナーへの参加以前に、具体的現実的に出家の意思を固めていたとまで認めるに足りる証拠はなく、仮に、被告花子が右セミナー参加以前に出家の意思を有していたとしても、それはせいぜい漠然と将来の出家を想定していたというにとどまるものと推認され、もし、被告松本の予言及び勧誘行為に接しなければ、平成二年五月一七日という、右セミナー参加後からほどない時期に、原告甲野の多額の現金にまで手をつけて出家したとは、到底考えられないことなどに照らせば、被告花子の右供述は採用することができない。結局、被告花子の右供述は、被告松本の前記勧誘行為と原告甲野の権利侵害ないしその損害との間の相当因果関係の存在を否定するに足るものではない。
なお、証拠(甲A第四五号証、前掲甲A第九〇号証)によれば、従来、被告松本ないしオウム真理教は、他人の者を盗まないことを教えの一つにしていたことが認められるが、右は、せいぜい平成元年中頃までのことであって、その後は、前記理想郷建設計画に伴い、実質的な教義内容が変化したことが前掲各証拠により窺われるので、この点は、前記認定を左右しない。
以上の事実を総合すれば、オウム真理教及び被告松本は、前記理想郷建設計画を実現するため、石垣島セミナー等を利用して出家及び布施の極限の実践を勧誘したものであって、右違法な勧誘行為(右行為は、外形上、オウム真理教の目的の範囲内の行為といいうる。)の結果として、被告花子が原告甲野の財産を盗取し、これをオウム真理教に布施したことにより原告甲野が損害を被った以上、右損害につき、オウム真理教は、宗教法人法一一条一項、民法四四条一項に基づき、また、オウム真理教の代表者である被告松本は、民法七〇九条に基づき、それぞれ賠償責任を負うものというべきである。
そして、被告松本及びオウム真理教は、被告花子と民法七一九条一項の共同不法行為の関係にあるので、連帯して前記三〇〇万円の損害賠償責任を負うというべきである。
4 請求原因4(一)の事実は、被告一子との関係では、当事者間に争いがなく、その余の被告らとの関係では、被告一子本人尋問の結果により認められる。
同(二)の事実のうち、同(一)の際、被告一子が原告乙山名義の三菱信託銀行の普通預金口座の通帳を持ち出したうえ、右口座から現金四〇〇万円を引き出したことは、証拠(甲C第一九号証、第三四号証、被告一子本人尋問の結果)により認められる。
そこで、被告一子が右四〇〇万円をオウム真理教に布施として交付したか否かにつき検討するに、当事者間に争いない事実、証拠(甲C第三〇号証の二、第三一、第三二号証、第四三号証の一、二、第四六号証、証人松葉の証言、被告一子本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 被告一子は、右四〇〇万円をオウム真理教に対する布施として差し出すつもりで、オウム真理教大阪支部に持参し、同支部に配属されていたオウム真理教幹部の前記松葉がこれを受け取った。その後、右四〇〇万円は、オウム真理教富士山総本部に搬出され、オウム真理教の管理下に置かれた。
(二) 被告一子は、家出して松葉の下を訪れた平成二年五月二一日から、少なくとも、同年九月二五日までの間、オウム真理教の保護下にあったことを自認している。
(三) 被告一子は、少なくとも、(二)の期間中、出家者と全く同一の生活を送っていた。
(四) 被告一子が、オウム真理教大阪支部道場を訪れた後にオウム真理教によって作成された文書(甲C第四三号証の二)中には、被告一子が、平成二年五月二一日付けをもって、出家した旨の記載がある。
(五) 被告一子は、平成二年九月二五日、静岡家裁富士支部の家事調停の席上、実父母である丁野六郎及び丁野七子に対し、持って出たお金はすべてオウム真理教に布施として差し出した旨述べた。
(六) 被告一子が平成二年八月二一日付けで作成した書面(甲C第三一号証)には、被告一子が、平成二年五月二一日にオウム真理教に出家した旨の記載がある。
以上の認定事実によれば、被告一子は、平成二年五月二一日、オウム真理教に出家し、その際、オウム真理教に対する布施の趣旨で四〇〇万円をオウム真理教大阪支部幹部の松葉に交付し、これにより、右金員がオウム真理教の所有に帰属したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
もっとも、この点につき、被告一子及び被告松本は、被告一子が出家につき、原告乙山の同意を得ていなかったため、前記松葉から、四〇〇万円を布施として受け取ることを拒否され、やむなく、正式に出家が認められるまでの間、右四〇〇万円を松葉に預かってもらうこととし、その間、暫定的にオウム真理教施設内で保護を受けていたが、その後、これ以上オウム真理教に迷惑をかけるわけにはいかないと決心し、松葉から、右四〇〇万円の返還を受けたうえ、オウム真理教の施設を離れたのであるから、結局、右四〇〇万円は、オウム真理教に布施として交付したものではない旨主張し、これに沿う証拠(乙第二七ないし二九号証、証人松葉の証言、被告一子本人尋問の結果)も存する。
しかしながら、前記認定のとおり、オウム真理教及び被告松本が、オウム真理教による前記理想郷建設計画を実現するため、平成元年ころから、積極的に信徒獲得に乗り出す一方、信徒に対し、出家及び布施の極限の実践を勧誘し、右実践のためには、他人の所有物の窃取をも功徳となるとの教えを説いていた経緯にかんがみ、オウム真理教大阪支部の幹部の松葉がいったん被告一子から布施として提供された金員の受領を拒否したり、これを預かった後、返還したりすることは容易に推認し難く、右証人松葉の証言及び被告一子本人尋問の結果は到底採用し難いというべきである。
この点、抗弁2につき判断するに、本件全証拠によるも、右事実を認めるに足りない。
この点、被告一子は、本人尋問において、家出の際、将来の子供の養育費及び生活費として、原告乙山から使用及び管理を任されていた旨供述する。
たしかに、証拠(甲C第二八、第二九号証、前掲乙第二七ないし第二九号証、原告乙山及び被告一子各本人尋問の結果)によれば、原告乙山は毎月の給料を全額被告一子に渡していたこと、原告乙山の銀行預金の管理は、厳格でなく、印鑑や通帳も被告一子が自由に出し入れできる箪笥内に置かれていたにすぎないこと、現に、被告一子は、しばしば原告乙山の代わりに乙山名義の銀行口座から金銭の出し入れをしていたこと、原告乙山が被告一子に渡した給料のうち、日常生活に必要な費用については、被告一子において、随時支出しており、特にこれについて、原告乙山の明示の承諾等は必要とされず、原告乙山も家計については、被告一子に対し、ほぼ全面的に委ねていたことが認められるが、他方、証拠(原告乙山本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、被告一子が右金員の使用及び管理を許されていたのは、夫婦共同生活に通常必要な範囲内に限られていたこと、被告一子が銀行から引き出した四〇〇万円は、原告乙山が税金の支払と住宅購入資金として預金していたものの一部であること、現に、原告乙山も使途を限定した特有財産については、比較的厳格に管理をしていたことが認められるのであって、これらを総合すれば、結局本件で被告一子が原告乙山から使用及び管理を任されていたのは、右夫婦共同生活に通常必要な範囲内に限定されていたと認められる。
しかして、証拠(前掲甲C第一九号証、第三四号証、原告乙山本人尋問の結果)によれば、本件四〇〇万円は、原告乙山が住宅購入資金等に充てるため銀行に預金していたもの(したがって、これは、原告乙山の特有財産というべきである。)の一部であることが認められるところ、被告一子は、これをオウム真理教への布施の目的で引き出したものであって、右は、夫婦共同生活に通常必要な範囲内の費用とは到底いえず、右使用及び管理の範囲を明らかに逸脱するものであるから、その持出行為は、違法たるを免れない。そして、右のほかに、被告一子が原告乙山から、特に右使用及び管理の範囲を超えて金員の持ち出しを許容されていたと認めるに足りる証拠も存在しない。したがって、右抗弁事実の主張は失当である。
5(一) 次に、請求原因5(一)(1)、(2)につき判断するに、被告一子が平成二年五月二一日、共同親権者である原告乙山に相談することなく、二人の子を連れて、家出し、その後、原告乙山が再三にわたり二人の子の引渡しを請求するも、これを拒否して、現在も一方的に二人の子を自己の全面的支配下に置いていることは、当事者間に争いがない事実及び証拠(原告乙山、被告一子各本人尋問の結果)により認められる。
ところで、被告一子による二人の子に対する右全面的支配は、被告一子の有する親権に基づくものであると解されるところ、一方親権者による子の全面的支配は、一応自己の有する権限に基づくものといえるので、原則として適法と評価されるべきものであるが、子の福祉に著しく反する環境の下に置いてこれを全面的に支配し、他方親権者の関与を完全に排除するなど、実質的に夫婦共同親権行使の趣旨を没却し、親権の濫用と認められる特段の事情がある場合には、例外的に違法になると解するのが相当である。
そこで、右特段の事情の有無につき検討するに、当事者間に争いない事実、証拠(甲A第一号証、第三号証、第九号証、第一二号証、第一〇九号証、第一三九号証、甲C第三号証の一ないし四、第四、第五号証、第六号証の一ないし六、第七、第八号証、第九号証の一ないし一三、第一〇号証、第一一号証の一、二、第一三ないし一八号証の各一、二、第二五、第二六号証、第三〇号証の一、第三八号証の一、二、第四五号証、第四七ないし五一号証、乙第三〇号証、検甲第九号証の一ないし四、前掲甲A第五号証、第一三号証、第一六号証、第一九号証、第四〇号証、甲C第三〇号証の二、第三二号証、原告乙山及び被告一子各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 被告一子は、平成二年五月二一日、二人の子を連れてオウム真理教に出家した後、同年八月上旬までころの間は、山梨県の富士清流精舎の施設において、右以降、同年九月ころまでの間は、熊本県の波野村の施設において、右以降、平成三年四月ころまでの間は、東京都杉並区宮前三丁目<番地略>所在の前記松崎所有建物において、それぞれ、二人の子とともに暮らしていた。
(2) 前記施設内の暮らしは、すべてオウム真理教ないし被告松本の教義ないし方針に則って規律されており、その概要は、以下のとおりであった。
ア 概ね、施設内の生活は、集団生活であり、そこには、人間が社会生活を営むべき基本単位とされる家庭生活は必ずしも存在せず、とりわけ、幼少の子供が良好な家庭教育を受けられる環境にはほど遠かった。また、子供が外部と接触する機会はほとんどなく、社会教育もないに等しかった。その教育内容は、将来、子供が社会に適応し、健全な家庭生活ないし社会生活を営むための前提知識、経験の習得というには、余りに不十分なものであった。
イ 施設内の生活は、護摩供養と称する儀式、数学と称する教義の学習、立位礼拝と称する修行、マントラや懺悔の詞章と呼ばれる呪文を唱える修行、クンバカと呼ばれる呼吸法の修行、夜行と称する修行、教団作成のビデオ鑑賞、通常の教科学習、掃除、食事、睡眠等からなっていた。修行以外の活動時間が基本的に少なく、子供の自由時間と呼べる時間は極端に短かった。
ウ 子供の教育は、基本的には学校教育を受けさせずに、オウムの教義に立脚した教育方針に基づいて定められたスケジュールに従い、教師の経験を持つオウム真理教の幹部又は信徒が指導することにより、オウム真理教の教義に基づく一種の修行という形式で行われた。教育環境は、まず、物的設備の点で極めて不十分であり、また、教材等の学習道具の点でも系統的に完備された内容のものはなく、教育水準も必ずしも学校教育程度のレベルを保っているか疑問が存した。右のような、教団の教義に基づく教育の影響から、子供が将来社会的適応力を獲得しうるかについても、疑問が存した。
エ 毎日の食事は、一日二食が原則であり、概ね、オウム食と呼ばれる、胚芽米、納豆、根菜類の水煮、豆乳、海苔、ひじき、脱脂粉乳といったメニューの繰り返しであった。右は成長期の子供にとり、例えば動物性タンパク質が極端に少ないこと、その反面これを十分補うに足りる配慮が常になされていたか疑問であることなど必ずしも十分な栄養の取れた食事とはいい難い面があった。睡眠時間も、教義内容との関係で、一日当たり四、五時間内に抑さえられることも少なくなかった。施設の管理も、オウム真理教の教義において、殺生を禁じているため、例えば、部屋の中をハエやゴキブリが動き回るような事態も珍しくなかった。
オ 居住場所は、必ずしも一定しておらず、教団(被告松本)の指示があれば、いつでも他所へ移動しなければならない可能性を孕んでおり、生活の安定が確保され得ない状況であった。
カ 医療は、各施設に、一応医師の資格を有する幹部や信徒が常置されているものの、教団の教義ないし方針から、必ずしも十分な医学的療法が施されるわけではなく、例えば、子供が風邪をひいて高熱を出した場合であっても、ほとんど医学的手当をされないまま放置される場合がしばしばあった。
キ 教団施設内の生活は、基本的に外部との接触を完全に絶っていた。外部からの情報も教団による分別を経たもののみが信徒の目に触れるという仕組みになっており、子供がさまざまな情報に接する中で、他者の意見を批判しつつ、自己の意見を再検討するといった機会はなく、将来、子供が正常な判断能力を持ちうるか疑問とされる面が存した。
(3)ア 被告一子は、平成二年五月二一日に二人の子を連れて家出した後、原告乙山に対し、数度電話をかけた程度で、積極的に自己及び二人の子の居場所を明らかにしようとはせず、かえって、前記のとおり、オウム真理教の各施設を転々と移動して原告乙山からの追求から逃れるため身を隠し、終始原告乙山を排除して、完全に二人の子を自己の事実的支配下に置いていた。
イ 原告乙山は、平成二年七月二三日、静岡家庭裁判所富士支部に対し、夫婦関係調整の調停を申し立て、右第一回調停期日は、平成二年八月二二日に開かれた。その席上、被告一子は、原告乙山に対し、「オウムを離れる気持ちはない」旨明言した。調停委員は、被告一子に対し、次回調停期日には、二人の子を連れてくるようにと説明した。
ウ 前記夫婦関係調整の第二回調停期日は、平成二年九月二五日に開かれた。原告乙山は、被告一子を説得すべく、原告乙山の実親二人を連れて出頭したが、被告一子は、子供を連れてこなかった。被告一子は、その席上でも、子供を渡すつもりはないと言い放った。原告乙山は、被告一子の右応対から、同女の意思が固く、子供を取り返すのは容易でないと思い、当該申立てを取り下げた。右第二回調停期日終了後、被告一子は、原告乙山が被告一子に対して子供を取り返すべく人身保護請求に及ぶことを恐れ、これを避けるため、一時的にオウム真理教の下を離れたかのように装って身を隠し、原告乙山からの右人身保護請求を実効性なきものにしようと企てた。そこで、被告一子は、原告乙山に対し、平成二年九月二六日付けで、「これ以上オウムに迷惑をかけたくない」との理由でオウム真理教の下を離れる旨の手紙を送った。
エ その後、被告一子は、二人の子を連れて、平成三年四月ころまでの間、東京都杉並区宮前三丁目<番地略>の松崎美喜子(以下「松崎」という。)所有建物に住まわせてもらうなどし、原告乙山の追求を逃れるため、身を隠していた。それ以降も、被告一子は、オウム真理教の支配下において、原告乙山から身を隠しつつ、生活を送った。
オ 原告乙山は、平成三年四月三〇日、長年勤めた検察庁を退職し、被告一子及び二人の子供を連れ戻すため各地を探索していたが、平成三年九月一日、東京都杉並区上荻一丁目<番地略>所在の杉並公会堂で開催されたオウム真理教の集会に足を運んだ折、たまたま子供とともに参加していた被告一子に遭遇した。原告乙山は、「お父さんと一緒に大阪に帰ろう」と言って、長女の太一を抱きあげようとしたが、ただちに、数名のオウム真理教の信徒にとり囲まれ、無理やり二人の子と引き離され、二人の子は、オウム真理教の信徒に連れ去られてしまった。原告乙山は、すぐにその場に居合わせた者に頼んで警察を呼ぶとともに、何とか被告一子を説得しようと思い、被告一子に対し、「どこに住んでいるのか」「家に帰ってこないのか」などと尋ねたが、被告一子は、「どこに住んでいるかは言えない。言えば、裁判に負けて子供を取られてしまう」「家には帰らない」などと言うのみであった。そのうち、被告一子も、オウム真理教の信徒とともにバスに乗せられて何処かへ姿を消してしまった。
(4) 被告一子は、平成三年一一月一一日、東京都世田谷区上北沢<番地略>の△△△号室を賃借し、平成三年一一月中旬ころから、二人の子及び前記丙野とともに同居し始めた。さらに、被告一子は、平成五年三月一日、二人の子及び丙野とともに、石川県加賀市動橋町<番地略>に住所を移し、同年四月八日、丙野との間に第一子を出産した(平成六年一二月一七日死亡)。その後、平成六年一二月三日、同人との間に第二子を出産し、平成八年五月一一日、同人との間に第三子を出産した。現在も、被告一子は、二人の子を丙野とともに自己の手もとに置いており、原告乙山の引渡請求に対し、全くこれに応じようとしない。
(5) なお、原告乙山は、平成二年一〇月九日、大阪高等裁判所に、被告一子を拘束者として二人の子の引渡しを求める人身保護請求を、同年一一月一六日、熊本家庭裁判所に、被告一子の親権喪失及び二人の子の引渡しの審判の申立てを、同年一一月二八日、神戸地方裁判所尼崎支部に、被告一子及び被告松本を拘束者として二人の子の引渡しを求める人身保護請求を、それぞれしたが、被告一子は、全くこれに応ずることはなく、かえって、前記のとおり、オウム真理教の支配の下、原告乙山から身を隠そうとしていたため、いずれも取下げ等をせざるを得なくなり、その効果はなかった。
以上によれば、被告一子は、平成二年五月二一日に、二人の子を連れてオウム真理教に出家した後、平成三年一一月中旬ころまでの間、二人の子とともにオウム真理教の施設等に身を隠しながら生活していたこと、右施設内の暮らしは、食住環境が劣悪であることに加え、教育や医療等の面でも二人の子供の健全な成長の妨げとなる要素が極めて多かったこと、被告一子は、原告乙山の再三再四にわたる二人の子に対する懸命の働きかけ(引渡請求等)に一切目もくれず、終始原告乙山の親権行使を完全に排除して自己の二人の子に対する支配を維持確保しようとしていたことが認められる。
これらの事実を総合すれば、被告一子は、二人の子供をその福祉に著しく反する環境の下に置き、これを全面的に支配し、他方親権者である原告乙山の関与を完全に排除したものと認められるところ、右は、実質的にみて、夫婦共同親権行使の趣旨を没却し、親権の濫用と認められる特段の事情が存する場合に該当するものと認められるから、結局、被告一子の右行為は、原告乙山の親権を侵害し、違法というべきである。
なお、被告一子は、家出後も、二人の子の母親として、立派に子供の看護養育を果たしてきたのであって、親権の濫用と評されるいわれはない旨主張するが、前記認定に照らせば、被告一子が家出後、身を隠すなどして原告乙山の関与を完全に排除しつつ、二人の子を劣悪な環境のもとで自己の完全な支配下に置いていた事実が存する以上、被告一子の右行為は、親権の濫用と評価すべきであるので、被告一子の右主張は失当である。
以上によれば、被告一子の右一連の行為は、原告乙山の親権を違法に侵害するものであり、民法七〇九条の不法行為に該当するということができる。そして、原告乙山は、被告一子の右不法行為により著しい精神的苦痛を被ったことを認めることができる。
(二) 次に、請求原因5(二)(1)、(2)につき判断するに、前記(一)で認定した事実、(一)で掲げた証拠、証拠(甲A第一〇二、第一〇四号証)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 被告一子は、平成二年五月二一日に、夫である原告乙山に何らの相談もすることなく、置き手紙(甲C第三二号証)を残したまま、一方的に二人の子を連れてオウム真理教に出家した。その後も、被告一子は、原告乙山に対し、自己の居場所や子供の安否等につき一切を知らせようとせず、むしろ、原告乙山からの追求を逃れるべく身を隠し、一度も原告乙山の下に戻ろうとはしなかった。
(2) 被告一子は、平成三年一一月一一日、東京都世田谷区上北沢五丁目<番地略>△△△を賃借し、平成三年一一月中旬ころより、原告乙山に対する貞操義務に反して、前記丙野と同居し始めた。
(3) 被告一子は、平成五年三月一日、二人の子及び丙野とともに、石川県加賀市動橋町<番地略>に住所を移し、同年四月八日、丙野との間に第一子を出産した(平成六年一二月一七日死亡)。その後、平成六年一二月三日、同人との間に第二子を出産し、平成八年五月一一日、同人との間に第三子を出産した。
(4) 被告一子の右一連の行為により、原告乙山との夫婦関係は、完全に破綻し、これにより、原告乙山は、精神的苦痛を受けた。
右認定事実によれば、被告一子は、原告乙山に何らの相談もなく、一方的にオウム真理教に出家し、その後も家庭生活を一切顧みることなく原告乙山との婚姻生活を崩壊させたこと、また、被告一子は、原告乙山との夫婦関係の存在にもかかわらず、平成三年一一月中旬ころより、丙野と同居し、その間に三人の子を儲けたこと、これにより、原告乙山との夫婦関係は完全に破綻したこと、右により、原告乙山が著しい精神的苦痛を受けたことが認められ、これらの事実を総合すれば、被告一子の右一連の行為は、原告乙山の人格的利益(夫としての権利)を侵害する違法なものであるので、民法七〇九条の不法行為に該当するというべきである。
なお、この点につき、被告一子は、婚姻当初から、原告乙山との間で口論が絶えず、両者間に性格上の不一致を来していたこと、その原因は、専ら原告乙山が被告一子の言に耳を貸さず、夫婦生活ないし家庭生活に全く無関心であった点にあること、本件における被告一子の家出も、原告乙山が被告一子に対し、「出ていけ」などと怒鳴ったことに起因していることなどを主張し、被告一子が家出により家庭を顧みなかったとしても、それは、むしろ原告乙山に責任がある旨主張する。
たしかに、証拠(原告乙山本人尋問の結果)によれば、被告一子の家出の二週間程前に、原告の乙山が被告一子に対し、「出ていけ」などと発言した事実が認められるが、それは、被告一子がオウム真理教の活動に熱中し、掃除等の家事を放置し、また、子供を病院に連れていかないなど家庭生活を顧みない態度が顕著になってきたため、思い余って、一時の感情の発露として、やや強い表現となったにすぎないと認められるので、この点は、被告一子の家出の原因が原告乙山にあったとする根拠にはならない。被告一子のその余の主張事実についても、例えば、原告乙山及び被告一子各本人尋問の結果によれば、従来から口喧嘩程度のいさかいがあったこと、原告乙山が夜遅く帰宅することが多く、そのため、家族の会話の機会が減っていたことが認められるが、そもそも、婚姻生活上、一般に、夫婦が口論に及んだり、多忙な仕事等の理由で家族同志の接触の機会が一時的に希薄になることは稀ではないのであるから、右の程度に止まる限り、そのような事実から直ちに妻の家出の責任が夫にあったとすることはできない。そして、本件全証拠によるも、右程度を超えて、婚姻関係の破綻につき、原告乙山に主たる責任があったと認めるに足りる証拠はない。なるほど、前記認定事実及び証拠(前掲甲C第三八号証の一、二)によれば、原告乙山が被告一子に対し、離婚届を郵送したり、夫婦関係調整の調停の申立て等に及んだ事実が認められるが、右は、いずれも、前記同様、オウム真理教に没頭して家庭を顧みない被告一子に対し、家庭に目を向けさせるため、やや強い手段に訴えたにすぎないことが窺えるので、この点も前記認定を左右するものではない。以上の認定に反する証拠(被告一子本人尋問の結果等)は、被告一子が家出直前に、原告乙山に対し、特に目立った不満等を表明しておらず、むしろ、将来、夫婦共々オウム真理教に入信して修行できることを望んでいたこと(前掲甲C第四五号証の被告一子の手紙)、被告一子が家出の前日まで原告乙山とともに新居選びのため外出していたこと(甲C第三三、前掲甲C第二八号証、第三四号証)などに照らし、採用することができない。
(三) 以上によれば、被告一子の前記(一)、(二)認定の各行為は、原告乙山の親権及び夫としての権利を侵害する不法行為であると解されるところ、右各不法行為により原告乙山が被った精神的苦痛を慰謝するには、原告乙山の子供との別居期間、被告一子の原告乙山の親権の侵害の態様及び程度、原告乙山と被告一子の別居期間、被告一子と丙野との同居期間、被告一子の原告乙山の夫としての権利の侵害の態様及び程度、その他諸般の事情を総合考慮するとき、慰藉料として、三〇〇万円を認めるのが相当である。
6(一) 次に、請求原因6につき判断するに、まず、同6(一)(1)アについては、前記3と同様に考えることができる。
すなわち、前記3で認定した事実に、証拠(前掲甲C第二八号証、甲C第二九号証、原告乙山及び被告一子各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告松本は、前記理想郷建設計画を実現するため、平成元年ころから、積極的に信徒獲得に乗り出していたが、さらに、信徒に対し、出家及び布施の極限の実践を推奨していたこと、被告松本は、平成二年二月一八日執行の衆議院議員選挙で敗北した後のころから、右理想郷建設計画実現に向けてタントラ・ヴァジラヤーナの教えを全面に押し出し、次第に、右出家及び布施の極限の実践のためには、場合によっては、他人の所有物を盗んで布施をしても功徳になるとの教えまでも提示するようになっていたこと、実際、石垣島セミナーの後の平成二年五月二一日、被告一子は、オウム真理教に出家し、その際、被告乙山名義の通帳から現金四〇〇万円を持ち出し、オウム真理教に布施したことが認められる。
被告松本の右勧誘行為は、オウム真理教が石垣島セミナーに先立ち、同セミナーにおいて、被告松本により予言が行われると宣伝して不安を煽り、近く大災害等が起こるなどの噂が信徒の間で飛び交っていたことなどによりセミナーの参加者が不安感を抱いていたところへ、長旅の疲れ等で船酔いする者が続出し、また、暗い船底で船のエンジンの振動と轟音が響くという悪条件の中でなされたものであり、また、被告松本の予言後もオウム真理教の幹部等からしきりに参加者の不安感を増幅するような言動が繰り返されたうえ、出家以外の選択肢を与えずに、布施の額の多い順に四つのグループに分け、被告松本に帰依する参加者の「出家しなければ救われない」との焦燥感と「自分だけが遅れをとるわけにはいかない」との集団心理とを巧みに利用してなされたものであり、右勧誘行為は、被告松本の、オウム真理教への出家と布施の極限の実践及び右布施の極限の実践のためには、他人の所有物を盗んで布施しても、功徳になるとの教えを貫徹する意図の下になされたと推認されるのであって、その目的、手段、態様等からみて、右の出家及び布施の勧誘行為は、社会通念上著しく不相当と認められるから、違法性を有するということができる。
そして、被告松本は、右石垣島セミナー参加者のうち、専業主婦等自己の特有財産が希少で資産に乏しい者が相当数に上っており、また、平成元年秋ころから、出家信徒が家族等の同意なく家出同然に家族の下を離れ、オウム真理教施設での生活を開始したことに伴い、家族との間で諸々のトラブルが生じていて、出家信徒の中には、右のように家族等の了解なく家出をしている者が相当数含まれている可能性があることを十分認識していたし、また、当時のオウム真理教の方針からいって、多くの布施を実践した方が高いステージに上がることができるとの教えに忠実に従おうとする信徒であればあるほど、場合によっては家族を含む他人の財産を勝手に持ち出して布施に及ぶ可能性があること、したがって右セミナーの参加者のうち一定割合の者がそのような行為に及ぶ可能性があることなどについても十分認識していたとみられる。また、そのような行為に及ぶ者がいた場合、オウム真理教としては、前記タントラ・ヴァジラヤーナの教えに従い、これを布施として受け取る意思であったことも認められる。したがって、被告松本に、少なくとも過失があったということができる。
以上の事実によれば、オウム真理教及び被告松本は、前記理想郷建設計画を実現するため、石垣島セミナー等を利用して出家及び布施の極限の実践を勧誘したものであって、右違法・有責な勧誘行為(右行為は、外形上、オウム真理教の目的の範囲内の行為といいうる。)の結果として、被告一子が原告乙山の財産を盗取し、これをオウム真理教に布施したことにより原告乙山が損害を被った以上、右損害につき、オウム真理教は、宗教法人法一一条一項、民法四四条一項に基づき、また、オウム真理教の代表者である被告松本は、民法七〇九条に基づき、それぞれ賠償責任を負うというべきである。
そして、被告松本及びオウム真理教は、被告一子と民法七一九条一項の共同不法行為の関係にあるというべきであるので、同被告と共に、前記四〇〇万円の損害賠償責任を負うというべきである。
(二) そこで、次に、請求原因6(一)(1)イ以下につき検討するに、前記6(一)で認定した事実、証拠(甲A第九、第一〇号証、第一〇三号証、一〇五号証、第一一〇、第一一一号証、第一五〇号証、第一五二号証、甲C第三五号証、第五五号証、前掲甲A第一、第三ないし第五号証、第一二号証、第一三号証、第一六号証、第一九号証、第一〇二号証、第一〇九号証、第一二一号証、甲C第二五、第二六号証、第三二号証、第三八号証の一、二、第四五号証、第四七、第四八号証、証人永岡、同松葉及び同箕島の各証言、原告乙山及び被告一子各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 被告一子は、平成二年五月二一日に、二人の子を連れてオウム真理教に出家した後、同年八月上旬までころの間は、山梨県の富士清流精舎の施設において、右以降、同年九月ころまでの間は、熊本県の波野村の施設において、右以降、平成三年四月ころまでの間は、東京都杉並区宮前三丁目<番地略>所在の前記松崎所有建物において、それぞれ、二人の子とともに暮らしていた。
(2) 前記施設内の暮らしは、前記認定事実のとおり、すべてオウム真理教(被告松本)の教義ないし方針に則って規律されていた。オウム真理教においては、信徒の財産関係が厳密に調査され、その情報も厳重に管理されていたが、とりわけ出家信徒については、その財産関係(布施の金額)についてはもちろん、当該信徒をどこの地域のどの施設に配属するかなどを決定する場合などに備えて、各信徒の所在地や家族関係等についても、教団側で十分に把握していた。
(3) 原告乙山は静岡家庭裁判所富士支部に対し申立てた夫婦関係調整の第一回調停期日の席上、調停委員は、被告一子に対し、次回調停期日には二人の子を連れてくるようにと説明した。これに対し、被告一子の代理人であった訴外青山吉伸(以下「青山」という。)は、「子供たちの意見を聞いて検討する」と答えた。
(4) 青山は、オウム真理教の信徒(幹部)であると同時に、オウム真理教の顧問弁護士(法律の専門家)として、被告松本から、絶大の信頼を受けていた。特に、雑誌等でオウム真理教に対する批判記事が頻繁に掲載されるようになってからは、青山は、いわゆるマスコミ対策、出家信徒の家族とのトラブルの解決等法律問題が生ずる度に、オウム真理教の法務部(省庁制が設置される以前の名称)の部長に就任していた加藤健次(以下「加藤」という。)に対して助言し、個別の指示を与えるなどしていた。出家信徒の家族とのトラブルが裁判にまで発展した場合、オウム真理教の基本方針は、「完璧に裁判に勝訴し、不利な裁判は引き延ばす」であり、右のような重要な裁判上の紛争についての青山の右指示は、全て被告松本との相談のうえ、被告松本の意思決定に従ってなされていた。なお、当時、被告甲野の件(平成二年九月七日、原告甲野の人身保護請求に対し、大阪地方裁判所で原告甲野勝訴の判決がなされた。)をはじめ、数名の信徒の家族から人身保護請求がなされていたが、既に裁判手続自体が終了していたものについては、一部を除き、オウム真理教の敗訴という結果であり、これにより拘束されていた子供が引き渡されていた。
(5) 前記夫婦関係調整の第二回調停期日は、平成二年九月二五日に開かれた。原告乙山は、被告一子を説得すべく、原告乙山の実親二人を連れて出頭したが、青山は、子供を連れてこなかった。被告一子も、その席上、子供を渡すつもりはないと言い放った。右調停終了後の帰途、被告一子は、原告乙山が被告一子に対して子供を取り返すべく人身保護請求に及ぶ可能性があることを青山から示唆された。被告一子は、一時的にオウム真理教の下を離れたかのように装って身を隠し、原告乙山からの右人身保護請求を実効性なきものにしようと企てた。そこで、被告一子は、原告乙山に対し、平成二年九月二六日付けで、「これ以上オウムに迷惑をかけたくない」との理由でオウム真理教の下を離れる旨の手紙を書いた。被告一子は、右一連の行動につき、青山の指示を受けていた。
(6) その後、被告一子は、二人の子を連れて、平成三年四月ころまでの間、東京都杉並区宮前三丁目<番地略>の前記松崎所有建物に住まわせてもらうなどして暮らしていた。右松崎は、家族とともにオウム真理教に入信し、オウム真理教の熱心な信徒であり、右建物を、オウム真理教に対し、事務所等として使用させるため、差し出していたほどであった。右建物は、オウム真理教ないし被告松本が実質上経営するオウム出版の営業所、オウム真理教の事業部、さらに、平成二年二月一八日執行の衆議院議員選挙の際には、被告松本をはじめ真理党からの立候補者のための選挙事務所(麻原彰晃後援会)として、終始オウム真理教のために利用されており、その他にも、オウム真理教法務部長である前記加藤、同じくオウム真理教の幹部の前記満生及び松葉が同所を住所地として届け出るなどしており、他にも一般信徒が居住することもあるなど、いわば、同所は、オウム真理教の巣窟であった。
(7) 原告乙山は、平成二年一〇月九日、大阪高等裁判所に、拘束者を被告一子として、次いで、同年一一月二八日には、神戸地方裁判所尼崎支部に、拘束者を被告一子及び被告松本として、いずれも、人身保護請求をしたが、オウム真理教側が教団施設内には、被告一子はいないとして、申立書の受領を拒否したため、送達不能となり、請求を取り下げざるを得なくなった。
(8) 平成二年一二月八日付けで被告松本が作成した上申書が同月一〇日に神戸地方裁判所尼崎支部に到達した。右上申書には、被告一子がオウム真理教の施設にいないこと、また、被告松本は、右人身保護請求とは無関係であることなどが記載されていた。右上申書を送付した封書(甲A第一〇六号証)の差出人は、オウム真理教法務部長の前記加藤であり、その差出人住所地には、当時、被告一子が居住していた、前記東京都杉並区宮前<番地略>の松崎宅であった。なお、前記原告乙山の神戸地方裁判所尼崎支部に対する人身保護請求の申立書は、いったん、波野村のオウム真理教の施設において、オウム真理教の事務員と思われる人物が受け取ったものの、その後、間違いであったとして、返送された。
(9) 被告一子は、平成三年四月以降も、二人の子とともに、オウム真理教の支配の下、信徒の家ですまわせてもらうなどして、原告乙山からの追求を逃れ、身を隠して暮らしていた。原告乙山は、そのころ、長年勤めた検察庁を退職し、被告一子及び二人の子供を連れ戻すため各地を探索していたが、平成三年九月一日、東京都杉並区上荻一丁目<番地略>所在の杉並公会堂で開催されたオウム真理教の集会に足を運んだ折り、たまたま子供とともに参加していた被告一子に遭遇した。原告乙山は、「お父さんと一緒に大阪へ帰ろう」と言って、長女の太一を抱きあげようとしたが、ただちに、数名のオウム真理教の信徒にとり囲まれ、無理やり二人の子と引き離され、二人の子は、オウム真理教の信徒に連れ去られてしまった。原告乙山は、すぐにその場に居合わせた者に頼んで警察を呼ぶとともに、何とか被告一子を説得しようと思い、被告一子に対し、「どこに住んでいるのか」「家に帰ってこないのか」などと尋ねたが、被告一子は、「どこに住んでいるかは言えない。言えば、裁判に負けて子供を取られてしまう」「家には帰らない」などと言うのみであった。そのうち、被告一子も、オウム真理教の信徒とともにバスに乗せられて何処かへ姿を消してしまった。
(10) 被告一子は、平成三年一一月一日付けで、住民票を東京都世田谷区赤堤<番地略>の×××号に移した。右×××とは、、オウム真理教の出家信徒で世田谷道場で修行している者が住む、いわばオウム真理教の寮というべき場所であった。その後、被告一子は、東京都世田谷区上北沢<番地略>の△△△号室を賃借し、平成三年一一月中旬ころより、夫である原告乙山に対する貞操義務に反して、前記丙野と同居し始めた。右丙野は、オウム真理教の信徒であり、被告一子と同じく、平成三年一一月一日付けで、前記×××に住民票を移動させていた。また、右△△△の賃貸借契約の連帯保証人になっていたのは、オウム真理教幹部の前記満生均史であった。
以上の事実によれば、被告一子が平成二年五月二一日にオウム真理教に出家してから、一貫して自己の支配下に子供を置き、原告乙山の追求から身を隠していたこと、オウム真理教(被告松本)は、出家信者のその時々の所在地等につき、情報を十分管理し把握していたこと、オウム真理教においては、裁判等重要な法律問題につき、前記青山が被告松本と相談のうえ、最終的には、被告松本の意思決定に従って、その処理に当たっており、右青山が法務部長であった前記加藤に個々的に指示を与えていたこと、当時のオウム真理教の裁判に対する基本方針は、「完璧に裁判に勝訴し、不利な裁判は引き延ばす」ことであったこと、当時、オウム真理教ないしオウム真理教信徒を拘束者として提起された人身保護請求が一部を除き軒並みオウム真理教側敗訴であったため、平成二年九月二五日の調停期日終了後、被告一子は、原告乙山からの人身保護請求を恐れ、身を隠すべく、原告乙山に対し虚偽の手紙を差し出したこと、右は、裁判対策のために青山が指示したものであったこと、被告一子が平成二年一〇月ころから同三年四月ころまでの間に住んでいた、東京都杉並区宮前三丁目<番地略>の前記松崎の所有建物は、オウム真理教の巣窟ともいうべき場所であり、オウム真理教の監視の目が最も届きやすいと考えられること、にもかかわらず、神戸地裁尼崎支部に対する被告松本の上申書には、被告一子はオウム真理教の施設内にいない旨明記され、あまつさえ、同所を住所地にしており、裁判等の法律問題には被告松本、青山に次いで関心を有するはずの前記加藤が差出人として名を連ねていたこと、平成三年九月一日の杉並公会堂における原告乙山と被告一子との再会に伴うトラブルの際も、オウム真理教の信徒が組織的に介入して、被告一子の二人の子を素早く連れ去り、被告一子自身もバスで連れ去ったこと、被告一子は、平成三年一一月一日付けでオウム真理教の寮というべき場所に住民票を移し(転入日付け及び転入場所が丙野と同じであることが認められる。)、また、同月中旬からは、丙野と同居を始めたこと、右丙野との同居した建物の賃貸借契約の保証人は、オウム真理教幹部である前記満生であったことが認められる。
右認定事実を総合すれば、被告松本の指示の下、組織的に青山をはじめオウム真理教幹部等が関与して、原告乙山による子どもの奪還を防止すべく、被告一子及び二人の子を劣悪な環境のオウム真理教施設等にかくまい、また、前記青山が被告松本との相談のうえ、最終的には、被告松本の意思決定に基づき、被告一子に指示して内容虚偽の手紙を作成させ、あるいは、同様に、幹部や信徒に命じて、申立書等の書類の受領を不当に拒否させ送達を実施させないなどの妨害行為を行って、原告乙山の二人の子に対する親権の行使を妨げ、右権利を侵害したこと、これにより、原告乙山に前記損害を被らせたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右認定に反する証拠はいずれも採用することができない。
以上の事実によれば、被告松本は、民法七〇九条に基づき、また、オウム真理教は、宗教法人法一一条一項、民法四四条一項に基づき、損害賠償責任を負うというべきである。
そして、被告松本及びオウム真理教は、被告一子と民法七一九条一項の共同不法行為の関係にあるので、連帯して前記三〇〇万円の損害賠償責任を負うというべきである。
三 よって、原告らの請求は、いずれも理由があるので、これを認容し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九三条を、仮執行宣言につき、同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官中路義彦 裁判官西﨑健児 裁判官仙波啓孝)