大阪地方裁判所 平成3年(ワ)4533号 判決 1992年12月21日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
理由
第一 原告の請求
被告は、原告に対し、金八〇〇万円及びこれに対する平成二年二月一日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 争いのない事実
1 (保険契約)
訴外住友栄は、昭和四九年七月一九日、被告との間に、左記の生命保険契約を締結した(以下「本件契約」という。)
記
保険契約の名称 特別終生安泰保険
保険契約者 住友栄
被保険者 住友栄
保険金受取人 住友ゆり子(妻・原告)
保険証書番号 九五三組〇八八八七六-二号
2 (住友栄の死亡)
住友栄は、関西商運株式会社に勤務し、港湾労働に従事していたものであるが、平成二年一月三一日午前一一時ころ、大阪市住之江区南港南五丁目一番先F八岸壁に接岸した「くろしお丸」の船内作業に従事中、急性心不全により死亡した。
3 (本件契約の内容)
本件契約は、生命保険契約と傷害保険契約が組み合わさつたものであり、その約款においては、被保険者が、偶発的な外来の事故(不慮の事故)を直接の原因として、その事故の日から起算して九〇日以内に死亡したときは、災害死亡保険金が支払われること、右要件を満たさずに死亡した場合は、(普通)死亡保険金が支払われることとされており、本件契約では、災害死亡保険金は一八〇〇万円、(普通)死亡保険金は一〇〇〇万円とされていた。
4 (保険金の受取)
原告は、被告から、本件契約に基づき(普通)死亡保険金一〇〇〇万円の支払いを受けた。
二 訴訟物
原告は、住友栄の死亡が、災害死亡に当たるとして、災害死亡保険金としての不足額八〇〇万円の支払いを求める。
三 争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は、住友栄の死亡が、本件契約約款に定める不慮の事故を直接の原因として生じたものであるか否かである。
1 原告
住友栄は、死亡当時、くろしお丸船内で、布製ロープ(オビスレギ)はずし作業に従事していたが、当日は、異常寒波による急激な冷え込み状態にあつた。同人は、従来から高血圧症を患つていたが、死亡の結果を誘発するに当たつては、過度の低温に曝されるという肉体的ショックが重要な原因になつているのである。したがつて、同人は、「過度の低温」という不慮の事故を直接の原因として死亡したというべきである。
2 被告
本件契約にいう不慮の事故は、急激かつ偶発的な外来の事故であることが必要であるが、本件の場合、単なる冬の外気の存在があるだけであり、それは人に対して傷害を与える性質のものとも言えず、不慮の事故がないことは明らかである。
また、災害死亡保険金は、不慮の事故を直接の原因として死亡することが要件となつているが、仮に過度の低温を不慮の事故であると認めるとしても、本件では、本人の身体疾患が重要な原因となつて死亡しているのであるから、不慮の事故を直接の原因として死亡したとは言えない。
第三 争点に対する判断
一 前提事実
1 住友栄が死亡するに至つた経緯について
《証拠略》によれば、次のとおり認められる。
住友栄は、死亡の前日は有給休暇を取り、当日(平成二年一月三一日)は、午前八時に出勤し、体操、朝礼の後、送迎車で現場へ出発し、午前九時四〇分ころに大阪市住之江区南港の関西商運寄場に到着し、船が入港するのを待つていたが、そのときは異常はなかつた。そして、午前一〇時三〇分ころに、くろしお丸が入港接岸したので、同人は、同四〇分ころに、船内でラッシング作業を開始し、船艙内据置コンテナー上でオビスレギ(布製ロープ)はずし作業に従事していたが、午前一一時ころ、コンテナー上で、オビスレギを握つた状態でうつ伏せで倒れているのを発見された。
同人の死亡前一年間の労働状況は、一か月当たり、平均出勤日数二二日、平均時間外数三六時間であり、また死亡当日の労働内容は、通常のものと大差がなかつた。
2 住友栄の死亡前後の気象状況について
《証拠略》によれば、別表1のとおりであつて、住友栄が死亡したのは、前夜来の冷え込みが一層厳しくなり、雨がみぞれに変わろうとするところであつたと認められる。
3 住友栄の健康状態と死因について
《証拠略》によれば、次のとおり認められる。
(一) 住友栄は、昭和九年生まれで、死亡当時五五歳であつた。
(二) 住友栄の死因は、病理学的には、心筋変性・冠動脈硬化に基づく急性心機能不全であり、解剖所見は、急性死の所見・冠動脈硬化・心筋変性・脳浮腫であつた。
(三) 住友栄は、勤務先の関西商運株式会社において、毎年定期的に健康診断を受けており、昭和五九年二月七日の診断時から昭和六三年一〇月一八日の診断時までは、毎回「血圧注意」の指示を受けていたが、平成元年九月一八日の検査では、特に異常がないものとされた。この間、同人は同年八月二四日から大場内科病院を受診して、降圧剤の投与を受けていたため、血圧が下がつていたが、同年一〇月一六日を最後として以後は通院せず、投薬も受けていなかつた。
なお、定期健康診断及び大場内科受診中の血圧の状態は、別表2のとおりである。(その後の血圧測定の記録はない)
(四) 高血圧という圧負荷が心臓に加わると、一般に左心室心筋が肥大する傾向があるが、住友栄の平成元年九月一八日時点でのレントゲンフィルムでは、形態的には左心室肥大は認められない。
二 右事実に基づき、証人黒田稔の証言を合わせ考慮して判断する。
1 先に認定した解剖所見、住友栄の年齢や従前の健康状態、当日の気象状況及び労働内容を総合考慮すると、同人は、従前からの高血圧のために冠動脈硬化が進んでおり、急性心臓死の素因を有していたところ、当日の低温の環境での労働が引き金となつて、急性心不全を招来したものと認められる。
2 そこで、労働環境が低温であつたことが、本件契約上の災害死亡保険金の給付要件たる「不慮の事故」に該るか否かについて検討する。
不慮の事故とは、約款上、偶発的な外来の事故と定義されており、本件契約のような傷害保険契約における災害保険金の給付要件としての、事故の外来性とは、傷害(死亡を含む)の原因が被保険者の身体の外からの作用であることをいい、身体の内部に原因するものは除外され、また、事故の偶発性とは、被保険者にとつて予知できない原因から傷害(死亡)の結果が生じることをいう。
ところで、死亡を招来するような素因を身体内部に抱えている人が、何らかの外部的なきつかけがあつて素因が現実化し、死亡するに至つた場合、そのようなきつかけが、日常生活上普通に起こり、通常人であればおよそ死亡には結びつかないものである場合にまで、それを外部性を有するものとして、不慮の事故の中に含めるのは相当でない。なぜなら、右のように解さないと、急性死の場合には何らかの外部的なきつかけを見つけ得るのが通常であろうから、およそ急性死の場合には不慮の事故に基づくということになりかねず、不慮の事故の要件として「外来性」を立てた意味が失われてしまうからである。本件保険約款の別表中で、「疾病又は体質的な要因を有する被保険者が、軽微な外因により発症しまたはその症状が増悪したときには、その軽微な外因は、不慮の事故には含まれません。」とされているのも、右の趣旨を示すものと理解できる。
本件の場合、気温が前二日と比べて低く、雨からみぞれに移行する気候条件下での労働であり、このような気象条件下での労働が引き金となつて急性心不全が生じたと認められることからすると、住友栄の死亡の原因が身体の外からの作用によるものであると言えないではない。しかし、外気温二度程度というのは、冬季であれば大阪地方でも稀なことではないと推測されること、住友栄は船艙内で作業をしており、船艙内が外気に比べて低温であるとは考えられないこと、作業内容も普通と大差がなかつたこと、同人が船内で作業を開始してから倒れているのが発見されるまで約二〇分しか経過していないこと、他方、同人は、少なくとも昭和五九年二月以降は高血圧状態にあり、平成元年八月下旬から大場内科で降圧剤の処方を受けて血圧を下げていたが、平成元年一一月以降は降圧剤の服用を中止したと推認されること、同人には冠動脈硬化が見られ、これが同人の死亡に重大な影響を与えていると考えられることを総合すると、同人の死亡当時の低温の気象は、日常生活上普通に起き、通常人であればおよそ死亡には結びつかない事象であつたというべきである。
また、住友栄は、当日、午前八時に出勤し、体操、朝礼等をしたあと、送迎車で港に赴いて寄場で待機し、くろしお丸の接岸を待つて、午前一〇時四〇分ころ作業を開始したものであるが、午前九時ころの外気温はすでに二・九度とかなり低くなつており、その後作業を開始するまでの間の気温の低下幅はさほど大きくなかつたと推定されることからすると、待機中からすでに、かなりの低温下での労働となることは十分予見でき、作業を開始する時点においては、その点を当然に認識していたはずである。
そうすると、住友栄の死亡当時の労働環境は、低温とはいえ、外来性の偶発的な不慮の事故とは認めることができない。
第四 結論
よつて、原告の請求は、理由がないからこれを棄却する。
(裁判長裁判官 下司正明 裁判官 西口 元 裁判官 高松宏之)
《当事者》
原 告 住友ゆり子
右訴訟代理人弁護士 河田 毅
被 告 第一生命保険相互会社
右代表者代表取締役 桜井孝頴
右訴訟代理人弁護士 内田 智