大阪地方裁判所 平成4年(わ)2267号 判決 1993年9月28日
主文
被告人を懲役三年及び罰金三〇万円に処する。
未決勾留日数のうち四〇〇日を懲役刑に算入する。
罰金を全額納めることができないときは、その未納分について、五〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
押収してある覚せい剤一袋(平成四年押第四八一号符号1)を没収する。
本件公訴事実のうち、Aに対する覚せい剤譲渡の事実(平成四年九月二五日付公訴事実の第一)について、被告人は無罪。
理由
(犯罪事実)
被告人は、法定の除外事由がないのに、
第一 平成三年九月一〇日ころ、京都市伏見区浄菩提院町<番地略>前路上において、Bに対し、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤結晶約四グラムを代金五万円で譲渡した。
第二 営利の目的で、平成四年五月一日ころ、大阪市淀川区東三国<番地略>の宝石店「ジュエリー・○○」前において、Cに対し、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶約一〇グラムを代金九万円で譲渡した。
第三 同年六月九日ころ、大阪市淀川区西中島<番地略>の自宅において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶約0.075グラムを水に溶かして自己の身体に注射して使用した。
第四 同日午後五時五分ころ、大阪市淀川区東三国<番地略>パチンコ店「××」前路上において、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤結晶約0.326グラム(平成四年押第四八一号符号1はその鑑定残量)を所持した。
(証拠)<省略>
(一部無罪の理由)
一 公訴事実
公訴事実のうち、Aに対する覚せい剤譲渡の点(平成四年九月二五日付公訴事実の第一。以下「本件公訴事実」という。)は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成三年一月下旬ころ、京都市伏見区竹田桶ノ井町先<番地略>前付近路上において、Aに対し、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤結晶約三グラムを代金四万五〇〇〇円で譲り渡したものである。」というのである。
二 争点
関係各証拠によると、本件公訴事実において譲受人とされたAは、平成三年二月六日に自宅の捜索を受け、その際、小分けされた覚せい剤2.807グラムを所持していたため、右覚せい剤所持の事実により逮捕され、その後、同事実等につき有罪判決を受けたことが認められる。Aは逮捕後の取調べにおいて、右覚せい剤は被告人から譲り受けたものであると供述し、この法廷においても、一貫して同旨の証言をしている(第六回公判供述記載。以下「A証言」という。)。
他方、被告人の警察官調書(検察官請求証拠番号(以下、単に「番号」という。)77)及び検察官調書(番号78)には、Aに対して覚せい剤を譲渡したことを認める旨の供述記載があるが、被告人は、この法廷(第三回公判供述記載、第一〇回、第一一回、第一三回、第一四回公判供述。以下これらを「法廷供述」という。)においては、Aに対して覚せい剤を譲渡したことはない旨主張し、事実を全面的に否認している。
当裁判所は、被告人の警察官調書(番号77)には証拠能力がないとして、検察官の証拠請求を却下しているから、本件公訴事実を認めるべき証拠は、A証言と被告人の検察官調書(番号78)しか存在しない。そこで、本件公訴事実が認められるか否かは、A証言と被告人の検察官調書(番号78)が信用性を有するか否かにかかっている。
三 A証言の要旨
当法廷におけるAの証言内容は、以下のようなものである。すなわち、
「被告人と最初に知り合ったのは、平成二年三月、前刑の仮出獄直前の仮釈放前教育のときである。
その後、同年九月ころ、偶然被告人と再会し、自宅の場所を教えた。しばらくして、被告人が、覚せい剤が欲しいといって訪ねてきたが、持ち合わせがなかったため、友人に聞いて知っていた京都市内の川端二条の密売所に行き、覚せい剤を買ってやった。そのようなことが二、三日の間隔をおいて二回ほどあった。このときに被告人から、被告人のポケットベルの番号を聞いて、自宅にあった何かにメモをした。
一週間ほど後の平成二年一〇月下旬ころ、今度は、被告人が、覚せい剤をいらないかと言ってきた。たくさんの量の覚せい剤を持ちたかったので、被告人から買うようになった。被告人との連絡は、先に聞いていた番号のポケットベルにメッセージを入れる方法で行なった。平成二年一〇月下旬ころから逮捕される直前の翌平成三年一月下旬まで、一か月に一回程度の割合で譲り受けた。取引の場所は、大体決まっていて、近鉄竹田駅近くの路上であったが、一度、被告人が大阪まで取りに来てほしいと言ったので、豊中まで取りに行ったこともある。
逮捕されたときに持っていた覚せい剤は、平成三年一月下旬ころに、被告人から三グラムを四万五〇〇〇円で買ったものである。このときも先に聞いた番号のポケットベルに連絡をとった。取引した場所は、いつもと同じ近鉄竹田駅近くの路上で、被告人は白色のレンタカーに乗ってきた。このとき連絡をとったポケットベルの番号は、逮捕された後の取調べの際には記憶していた。」
四 A証言の信用性について
右のように、Aは、逮捕時に所持していた覚せい剤は、平成三年一月下旬に被告人から譲り受けたものに間違いないと断言しており、被告人から覚せい剤を譲り受けるに至る経緯、取引の回数、時期、方法・態様、場所などを相当具体的に証言しているから、その内容から見て信用性が高いように思える。しかし、その証言内容を子細にみると、客観的事実に反する部分や、取引に至る経緯に不自然な部分が認められる。
1 客観的事実との矛盾について
(1) ポケットベルの開設時期について
すなわち、A証言によると、平成二年一〇月下旬以降の被告人からの覚せい剤の譲り受けは、その前に被告人から聞いていた番号のポケットベルに連絡をとる方法で行なったとされ、その番号は、法廷で証言した時点ではすでに忘れていたが、逮捕当時は記憶しており、それを警察官や検察官に対して供述したというのである。この点、Aを取り調べた警察官である証人Dの第八回公判供述記載、第九回公判証言(以下、これらを「D証言」という。)によると、Aは、右逮捕当時、被告人と連絡をとったポケットベルの番号は「〇六―九一八―五九七一」または「〇六―九一八―九五七一」のいずれかであると供述していたことが認められる。そして、被告人は、この法廷で、右の番号の一つである「〇六―九一八―五九七一」のポケットベルを使用していたことを認めているから、Aが被告人から聞いて記憶していたと証言しているポケットベルの番号は右の「〇六―九一八―五九七一」であると考えられる。
ところが、NTTに対する照会結果(番号84)によると、Aが被告人から聞いて、連絡をとったとされる右番号のポケットベルは、平成二年一二月四日に開設されたことが認められる。したがって、Aが被告人から聞いたとされる平成二年一〇月下旬以前には、未だこの番号のポケットベルは開設されていなかったのであるから、被告人からこの番号を聞くことはありえないし、一二月四日以前の取引においてこの番号のポケットベルを使用することもありえない。この点で、A証言は、明らかに客観的事実に反している。
(2) 別のポケットベルを使用していた可能性について
ところで、D証言の中には、Aは取調べの際に、平成三年一月下旬の取引については、この番号のポケットベルに連絡をしたと供述したが、Dが、いつからその番号を使用していたのかを確認しないまま、取引の当初からそれが使用されていたものと思い込んで、平成二年一〇月下旬からその番号に連絡して取引をしていたという内容の供述調書を作成したものであって、Aはそこまで明確に供述していたわけではなかったとする部分がある。これを受けて検察官は、平成二年一二月四日にポケットベルが開設されるまでは、別のポケットベルを使用していた可能性があるから、A証言は客観的事実と必ずしも矛盾するものではないと主張している。
しかしながら、被告人が、平成二年一〇月下旬から一二月四日までの間に、別のポケットベルを所持・使用していたと認める証拠はない。また、仮に、一二月四日より前の取引について、別のポケットベルを使用していた事実が存在するならば、Aは、捜査官に対しても、また、この法廷においても、その旨供述するのが通常であり、そうでなくとも、当該番号の使用については、平成三年一月の取引に限定するなど留保をつけて供述するはずである。ところが、Aの証言内容をみると、そのような限定の趣旨は一切含まれておらず、弁護人からの再三にわたる確認の尋問に対しても、「平成二年一〇月下旬以前に教えてもらった番号のポケットベルに連絡をとる方法で、同年一〇月下旬から翌平成三年一月下旬までの間、取引をしていた」という趣旨にしか解する余地のない証言をしているのである。そうだとすると、捜査段階においても、捜査官が確認を怠ったために、そのような供述記載になったと考えるのは困難であり、Aは当初から、法廷で証言したのと同趣旨の供述をしていたものと認められる。したがって、この点からも、被告人が別のポケットベルを使用していた可能性があったとは認められない。
(3) Aの記憶違いの可能性について
右のように、Aの証言内容が、取引開始前に被告人から教えられた番号のポケットベルに連絡をとって取引をしていたという趣旨であったとしても、Aが取引の開始時期について記憶違いをしていて、それが平成二年一〇月下旬ではなく一二月四日以降であった可能性についても一応考慮しておく必要がある。
しかしながら、Aが逮捕されたのが平成三年二月六日であり、D証言によると、Aが同人に対して、記憶していたというポケットベルの番号を供述したのが逮捕の当日かその翌日だというのであるから、平成二年一二月四日からはわずか二か月後である。そのような時期において、一二月以降に開始した取引を一〇月下旬から開始したと記憶違いをすることは通常ありえないというべきであって、Aの証言内容は、同人の記憶違いに由来すると考えることもできない。
(4) Aがポケットベルの番号を記憶していたことについて
なお、A証言及びD証言によると、Aは、被告人が平成二年一二月四日に開設したポケットベルの番号を、逮捕当時記憶していたことは間違いないから、Aがこのポケットベルを使用した可能性は否定できない。しかしながら、被告人の法廷供述によれば、Aが逮捕される平成三年二月までの間にも、賭博仲間のEとの間で、賭博の連絡などのためにポケットベルで頻繁に連絡を取り合っていたというのであり、Aは右Eの弟分であったというのであるから、Aが、例えばEに依頼されて、そのポケットベルに連絡をとるなどした機会に、その番号を知り、また記憶したとしても格別不思議ではない。したがって、Aが右のポケットベル番号を記憶していたことから、当該ポケットベルが被告人との覚せい剤取引に使用されたと推認することはできない。
(5) 小括
以上のことからみると、被告人との間で、平成二年一〇月下旬から翌平成三年一月下旬まで、当該ポケットベルを使用して取引していたというA証言は、客観的事実に明らかに矛盾していると言わざるを得ない。
ただ、そうだとしても、右の点は取引の手段・方法に関することにすぎないし、平成三年一月下旬の本件公訴事実の取引時点においては当該ポケットベルが開設されていたことは間違いないのであるから、被告人とAとの間で当該取引が行なわれたことには変わりがないと見る余地もないではない。しかしながら、Aは、被告人のことを知った時期、取引を開始したいきさつや動機、取引の時期、方法までを一連のものとして証言しているのであって、Aが証言する約四か月間の取引のうち前半の二か月間については、証言している方法での取引は客観的に不可能なのであるから、それは単に取引の方法に関する部分のみが信用性を失うというにとどまらず、取引の存在自体に重大な疑いを生じさせているものであり、ひいては、本件公訴事実の取引を含めた取引全体が存在しなかったのではないかとの疑いを否定できなくなるというべきである。
2 証言内容の不自然さについて
Aは、被告人から覚せい剤を譲り受けるに至った経緯について、「平成二年一〇月下旬以前に、被告人が覚せい剤を欲しいと言ってきたので、密売所で覚せい剤を貫ってやったことが、二、三日の間隔をおいて二回ほどあった。その後、一週間ほどして、今度は被告人の方から、覚せい剤をいらないかと言ってきた。そのときは五グラムを八万円で買った。たくさんの量を持ちたかったので、その後、被告人から買うようになった。」と証言する。
たしかに、当初、覚せい剤を買いに来ていた者が、その後、逆に売る立場になることも、ありえない話とまではいえないかもしれない。しかしながら、本件では、覚せい剤を欲しいと言ってきたそのわずか一週間後に、今度は被告人の方から売りに来たというのである。被告人の法廷供述によれば、被告人は、平成二年九月末までは京都に住んでいたもので、被告人がAに覚せい剤の譲渡を始めたとされる一〇月下旬の時点では、未だ大阪に移り住んで間がなかったと認められるのであり、五グラムという量の覚せい剤を容易に入手できる相手を知っていたとも認めがたいし、わずか一週間でそのような入手先を探し出すことも通常は困難である。しかも、その一〇月下旬ころには、被告人はトラック運転手として働いていたと認められるのであり、その一方で、覚せい剤の入手先を探し出して、密売を始める動機があったとも考えられない。
それゆえ、Aが証言する前記のような経緯は、常識に照らし不自然であると言わざるを得ない。
3 入手先を転嫁している可能性について
本件のような覚せい剤譲渡の事案においては、譲受人が真実とは別の譲渡人の名前を出すなどして、その者を罪に陥れたり、真実の譲渡人を秘匿したりする危険性が指摘されているところである。
この点、本件においては、A及び被告人が供述する両者の従来からの関係を見ると、Aには被告人を罪に陥れる動機があったとまでは認められない。しかしながら、Aが真実の譲渡人を秘匿し、入手先を被告人に転嫁する可能性について見るに、Bの検察官調書(番号75、76)によると、Bは平成三年一月ころよりEから覚せい剤を入手していたと認められるところ、AはこのEの弟分であったから、いつでもEから覚せい剤を入手できる状況にあったといえる。また、Aは、被告人から覚せい剤を買う以前には、「友人」から入手していた旨証言している。そうだとすると、本件においても、Aは、Eや別の友人から覚せい剤を入手しながら、それらを秘匿し、その代わりに、当時、大阪に住んでいて、京都の警察には検挙されにくいと考えられた被告人に入手先を転嫁して供述しているおそれが相当程度認められると言わねばならない。
4 総括
以上のように、A証言には明らかに客観的事実に反する部分が認められるほか、取引に至る経緯において不自然な点も認められる。そして、Aが真実の入手先を秘匿し、被告人に転嫁して供述している可能性も否定できないことを併せ考えると、A証言は全体として信用できないと言わざるを得ない。
五 被告人の検察官調書の信用性について
右のように、A証言が信用できないものであるとしても、Aが覚せい剤を所持していたことは疑いがないから、Aに覚せい剤を譲渡したことを認める内容の被告人の検察官調書(番号78)が高い信用性を有するものであれば、本件公訴事実を認める余地は残ることになる。そこで次に、被告人の右検察官調書の信用性について検討する。
1 被告人の警察官調書(番号77)について
前記のように、当裁判所はすでに、右検察官調書の前に作成された警察官調書(番号77)は証拠能力を有しないとして、検察官の証拠請求を却下した。その理由は、平成五年八月一七日付決定書記載のとおりであるが、要するに、先にA証言の信用性を検討した際に述べたのと同様に、右警察官調書において、被告人が平成二年一〇月以降、Aと取引した際に使用したと述べている番号のポケットベルは、その日より後の平成二年一二月四日に開設されたことが明らかになっていて、被告人の供述内容と客観的事実とが明らかに矛盾していること、被告人がAと知り合った時期について、被告人がこの法廷で述べている認識内容と供述調書の記載内容には齟齬が見られ、証人Fの証言によれば、この法廷で述べている認識内容の方が信用できると認められることなどから見て、内容的におよそ信用できないと考えられること、右の客観的事実に反する部分等も含めて、右警察官調書の内容が、Aの証言内容とほとんどすべて一致していること、右警察官調書が作成された経緯についての被告人の弁解主張が、D証言と対比してより信用できると考えられることなどを総合した結果、右警察官調書は、取り調べにあたった警察官Dが、「内偵状を書く」ためと言って被告人に白紙の調書用紙に署名指印させたものを利用して、被告人の供述に基づかずに、Aの供述内容に合わせて作成した疑いを否定できず、刑事訴訟法三二二条一項にいう「被告人の供述を録取した書面」に該当しないとして、証拠能力を否定したのである。
2 検察官調書の内容及び信用性について
右警察官調書とは異なり、証拠能力を認めた被告人の検察官調書(番号78)についても、その内容を見ると、Aに対して覚せい剤を譲渡したか否かの点については、「上鴨署の刑事に話した通りで、確かに私はこのAにシャブを譲り渡しています。」「譲り渡した事実は間違いありません。」「犯罪事実は……いずれも間違いありません。」という程度の記載しかなされておらず、警察官調書以上のことが記載されている部分があるとすれば、その後の他の譲受人に対する譲渡の場合と価格が違うのは入手価格が違うからである、Aは博打の客であるから利益なしに譲渡した、本件取引に使用したレンタカーは、そのころGという男から又貸しの形で借りて使用していたものである、といった程度の説明が付加されていることくらいであって、取引の経緯、譲渡の方法、場所、回数、時期等については、警察官調書の記載を前提にそれを受けた内容となっているにすぎないのである。ところが、前述のように、右警察官調書の内容は、客観的事実や被告人の認識内容と矛盾していて、信用性を有しないのであるから、したがって、右検察官調書もまた同様に信用性を有しないと言わざるを得ない。
六 結論
以上のように、本件公訴事実において譲受人とされたAの証言と、被告人の検察官調書(番号78)は、いずれも本件公訴事実を認定する証拠として十分な信用性を有しない。そして、他に被告人がAに対して覚せい剤を譲渡したことを認めるに足りる証拠はない。
それゆえ、公訴事実のうち、Aに対する覚せい剤譲渡の点についは犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。
(累犯前科)
一 事実
1 被告人は、昭和六一年一一月一七日、京都地方裁判所で、覚せい剤取締法違反の罪により懲役一年六か月に処せられ、昭和六三年四月一六日、その刑の執行を受け終わった。
2 その後犯した覚せい剤取締法違反の罪により、昭和六三年一一月四日、京都地方裁判所で、懲役一年八か月に処せられ、平成二年六月一三日、その刑の執行を受け終わった。
二 証拠
右の各事実は、検察事務官作成の前科調書、昭和六三年一一月四日付判決書謄本によって認められる。
(法令の適用)
被告人の第一の行為は、平成三年法律第九三号附則三項により同法による改正前の覚せい剤取締法(以下、単に「覚せい剤取締法」という。)四一条の二第一項二号、一七条三項にあたる。第二の行為は、同法四一条の二第二項、一項二号、一七条三項にあたる。第三の行為は、同法四一条の二第一項三号、一九条にあたる。第四の行為は、同法四一条の二第一項一号、一四条一項にあたる。
第二の罪については、定められた刑の中から、情状により懲役刑及び罰金刑を選択する。
被告人には、前記の各前科があるから、各罪につき刑法五九条、五六条一項、五七条により三犯の加重(第二の罪の懲役刑は同法一四条の制限に従う。)をする。
以上の各罪は、刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い第二の罪の懲役刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、その刑期及び定められた罰金額の範囲内で被告人を懲役三年及び罰金三〇万円に処する。
刑法二一条を適用して、未決勾留日数のうち四〇〇日を懲役刑に算入する。
罰金を全額納めることができないときは、刑法一八条により、その未納分につき五〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
押収してある覚せい剤一袋(平成四年押第四八一号符号1)は、犯罪事実第四に係る覚せい剤で犯人が所有するものであるから、覚せい剤取締法四一条の六本文により没収する。
訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させない。
(量刑の理由)
被告人には、覚せい剤取締法違反の前科が三犯あり、ともに実刑に処せられているにもかかわらず、前刑出所後わずか半年で再び自己使用を再開したのみならず、今回は密売まで行っていたもので、覚せい剤に対する常習性、親和性はきわめて強固と言わざるを得ず、しかも、一回あたりの密売の量も約四グラムや約一〇グラムと多量であることを考えると、その刑責は重く、厳しい非難を免れない。
ただ、被告人は、職業的に反復譲渡していたとまでは認められず、また密売譲渡の相手方は比較的限定されているとともに、被告人の方から積極的に勧誘したわけではないこと、事実を素直に認め、入手先も供述するなど反省の態度が認められること、服役後は覚せい剤とは縁を切り、タクシー運転手としてまじめに働く旨決意していることなどの事情も認められるので、これらを考慮した結果、主文の刑が相当と判断した(求刑 懲役四年六か月、罰金三〇万円)。
(裁判官神坂尚 裁判官野田恵司 裁判長裁判官西田元彦は、転任のため、署名押印することができない。裁判官神坂尚)
《参考・証拠決定》
主文
被告人の警察官に対する平成四年七月二〇日付供述調書一通(証拠等関係カード検察官請求番号77)の証拠調請求を却下する。
被告人の検察官に対する平成四年九月一七日付供述調書一通(右同番号78)を証拠として採用する。
理由
一 被告人の警察官に対する平成四年七月二〇日付供述調書(証拠等関係カード検察官請求番号77。以下「本件警察官調書」という。)の証拠能力について
1 証人Dの証言及び検察事務官作成の平成五年四月一日付捜査報告書添付の供述調書によれば、本件請求にかかる警察官調書は、京都府上鴨警察署の警察官Dが、平成四年七月二〇日、当時被告人が別件で勾留されていた大阪府寝屋川警察署において、本件請求調書の立証事項であるAに対する覚せい剤譲渡の事実について被告人を取り調べ、同日付で作成したとされるものである。
右調書について、被告人は、当日寝屋川署でAに対する覚せい剤譲渡の事実についてDから取り調べは受けたが、被告人が事実を否認したため、供述調書は作成されていない。ただ、その際Dから、被告人のポケットベルにメッセージの入っていた者について「内偵状を書く」ためと頼まれ、白紙の調書用紙五枚ないし七枚くらいに署名指印した事実があると述べ、これを受けて弁護人は、本件警察官調書は、被告人が白紙にした署名指印を利用して、被告人の供述にもとづかずに作成された疑いがあり、刑訴法三二二条一項の「被告人の供述を録取した書面」にあたらないと主張している。
2 前記検察事務官作成の捜査報告書添付の供述調書によれば、本件警察官調書の記載内容の要旨は次のとおりであり、証人Dが本件取り調べの際の被告人の供述として証言するところも同旨である。
「被告人がAと知り合ったのは、前刑仮出獄直前の仮釈放前教育の際である。平成二年三月二九日に出所し、約半年後の平成二年九月中旬ころ偶然Aと再会し、その後、同年一〇月中旬ころ、被告人がA方を訪れ、その際密売所を教えてもらった。Aは高価な覚せい剤を買っているようだったので、被告人はその後同月下旬ころに被告人のポケットベルの番号「〇六―九一八―五九七一」をAに教え、覚せい剤がいるときは連絡するように言っておいたところ、Aからポケットベルに連絡があり、覚せい剤を譲渡するようになった。取引は同年一〇月下旬からAが逮捕される直前の翌年一月下旬までであり、その間平均月一回の割合で譲渡した。最後の譲渡は、平成三年一月二七日か二八日であり、このとき当時借りて乗っていたレンタカーで京都に行き、三グラムを四万五千円で譲渡した。西成の密売所で入手したものをそのままの値段で譲渡した。」
3 しかしながら、右調書の記載内容は、被告人の当法廷での供述と大きく食い違うだけでなく、以下のように客観的事実に反する部分が見られる。
まず、NTTに対する照会結果(検察官請求証拠番号84)によると、平成二年の一〇月下旬ころに被告人がAに教えたとされる番号のポケットベルは、同年一二月四日に開設されたものであることが認められ、したがって、同年一〇月下旬段階には未だ開設されていないのであるから、被告人がその番号をAに教えることはありえないと言わざるを得ない。そして、同年一〇月下旬ころ、被告人が別のポケットベルを使用していたことをうかがわせるものもないから、Aが後日聞いた番号を当時聞いていたものと取り違えたと考えることもできない。とすれば、この点で被告人の調書内容は客観的事実に反する内容を含んでいる。
次に、ニッポンレンタカーに対する照会結果(弁護人請求証拠番号2、3)によると、被告人がレンタカーを借りていたのは平成二年一一月六日から同年一二月二〇日までであると認められる。そして、被告人は当法廷において、そのころ右照会結果以外のレンタカーを借りていたことはない旨供述しており、他に被告人が右以外のレンタカーを借りていたことを認めるに足りる証拠もない。そうだとすると、被告人が平成三年一月下旬の取引の際にレンタカーで京都に赴いたとする調書内容も客観的事実に反するものと言わざるを得ない。
さらに、被告人の当法廷での供述及び証人Fの証言によると、被告人がAと知り合ったのは前々刑出所の日に右FとともにA方を訪れたときであり、前刑の仮釈放前教育の以前からAを知っていたことが認められる。もっとも、当時の被告人とAの関係は、FがA方を訪れた際、二、三回被告人も同行していたというにすぎないから、Aの認識としては、「京都刑務所で前刑仮釈放前教育中に知り合った」との供述に嘘はないかもしれない。しかし、だからといって被告人の認識も同様になることにはならない。したがって、この点でも、調書内容と被告人の認識との間には明らかに食い違いがある。
そして、以上のような点について、被告人が、本件取り調べに際して、その認識するところや客観的事実と矛盾する供述を敢えてしたかもしれないとする合理的な理由は見出し難いのであって、本件取り調べにおいて、被告人が警察官に対して前記調書記載のような供述をしたと解すること自体に大きな疑問が残る。
さらに加えて、被告人の前記調書内容は、Aの証言内容とほとんどすべて一致しており、しかも、こうした供述の一致は、前記で検討したような客観的事実に反する部分等にも及んでいる。このような事情をもあわせ考えるとき、本件警察官調書は、被告人自身の供述にもとづいて作成されたというよりも、Aの供述に符合するように作成された可能性を否定できない。
4 以上の被告人の調書内容についての疑問に加えて、本件取り調べの状況や被告人とDとの従来からの関係などについての被告人の供述とD証言とを対比して検討するとき、より一層疑問は強まる。
すなわち、被告人は、本件取り調べ状況や被告人とDとの従来からの関係などについて、細部にわたるまで具体的かつ詳細に供述し、その内容は迫真性に富んでいるほか、その内容にも格別不自然な点はない。これに対し、D証言は、被告人とDとの従来からの関係については曖昧な証言に終始している。また、同証言中の本件取り調べ状況に関する部分についても、同人が被告人のポケットベルに入力された番号の一覧表を入手した時期や、その後の同一覧表を本件取り調べの過程でどのように使用したかという点などにつき一部変遷を含むあいまいな点ないしは取り調べを担当した捜査官の態度として不合理な内容を含んでいるのであって、これらは同人の証言全体の信用性に影響を及ぼさざるを得ない。そこで両者を対比してみると、D証言は、前記被告人の供述を排斥し得る程度の信用性を有するものとは認めがたく、したがって同証言により、本件警察官調書を、本件取り調べの当日被告人の面前でその供述を録取して作成されたものと認めることはできない。
5 以上を総合して考えると、本件警察官調書は、「被告人の供述を録取した書面」にあたらない疑いを否定できず、その証拠能力を認めることはできない。
二 被告人の検察官に対する平成四年九月一七日付供述調書(前記番号78。以下「本件検察官調書」という。)の証拠能力について
1 弁護人は、右検察官調書は、前記警察官調書を前提とし、それを基にして作成されたものであるから、違法収集証拠である旨主張し、被告人も、当法廷において、検察官の取り調べに対し事件を否認したところ、前記警察官調書を示して執拗な追及を受け、また取り調べを中断されたため、否認を続けると取り調べがいつまで続くか分からないと考え、意に反して事実を認め、内容虚偽の調書に署名指印した旨供述する。これに対して、取り調べを担当した検察官小林敬は、被告人は譲渡の事実自体は素直に認めており、営利の点について否認していたに過ぎない。そして、営利の点については否認のまま検察官調書を作成した。したがって、調書への署名指印については被告人が調書内容を納得の上で行なったものである旨証言する。
このように被告人の当法廷での供述と小林検事の証言とは大きく食い違うものの、被告人が本件検察官調書に署名指印したことについては両者とも一致しているのであって、問題なのは、調書の作成に至る取り調べ過程に、供述の任意性に疑いを生じさせる状況が存在したか否かという点である。
2 まず、検察官による取り調べの際、被告人は本件譲渡事実について否認したため、翌日再度呼び出された旨供述するが、この供述自体その後の被告人の供述であいまいになっているうえ、大阪拘置所への照会結果(検察官請求番号86、87)によると、本件譲渡事実の取り調べのため被告人を検察庁へ呼び出したのは、本件検察官調書の作成日である平成四年九月一七日の一回のみであると認められ、その前後に検察官による被告人の取り調べが行なわれたことをうかがわせる証拠はないから、被告人が供述するように、事実を否認したため取り調べが打ち切られ、翌日再度呼び出されたという事実があったと認めることはできない。
そしてまた、被告人は、本件譲渡事実を否認すると、検察官が前記警察官調書を示し、警察段階では事実を認めているのではないかと追及してきた旨供述するのであるが、被告人の供述によっても、その際、被告人が検察官に対し、示された前記警察官調書が被告人の供述に基づいて作成されたものではない旨を主張したとの事情は認められない。他方、小林証言によると、当日の取り調べの大部分は譲渡事実の有無自体についてではなく、営利性の有無について費やされたというのであり、この点は小林証言からうかがわれる検察官調書の内容とも符合すると認められるうえ、被告人自身も、営利性についてかなり執拗な追及を受けたことを認める供述をしているのである。
これらからみて、前記検察官による取り調べにおいて、本件譲渡事実そのものについて、被告人の供述の任意性に疑いを生じさせるような取り調べ方法が取られたと認めることはできない。さらに、その他に検察官が被告人に対して通常の否認事件について取られる取り調べ方法以上に、強制や利益誘導等の手段を用いて取り調べを行ったことをうかがわせる事情も存在しない。
もっとも、本件検察官調書の内容は、本件譲渡事実に関し、本件警察官調書と一致していることから、なお、被告人において任意にこうした供述をしたことには疑問の余地がないではないが、被告人自身当法廷での供述において、営利譲渡で起訴されているのにこのような些細な事件について検察官から執拗な追及を受けて何度も呼び出されるのも耐えられないし、当該事件が付加されたとしても量刑的に大した違いはないと考えたからだと供述しているのであり、右供述内容は、本件検察官調書が作成されるに至った経緯として了解できるものである。
これらを総合して考えると、譲渡事実の認否をめぐって被告人と検察官との間でやり取りがあったとしても、被告人の意思決定の自由を奪うような方法での取り調べが行われた疑いはなく、被告人は前述したような独自の判断から事実を認め、かつ調書作成に同意するに至ったと解するのが相当であって、そのこと自体は調書の内容の信用性には疑問を抱かせるものではあるにしても、検察官の取り調べ過程の供述の任意性に疑いを生じさせる性質のものではないというべきである。
3 そうだとすると、被告人の本件検察官調書については、警察官調書の証拠能力が前記のように否定されることを前提としても、その任意性に疑いはなく、証拠能力が認められると解するのが相当である。
三 よって、主文のとおり決定する。
大阪地方裁判所第四刑事部
(裁判長裁判官西田元彦 裁判官神坂尚 裁判官野田恵司)