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大阪地方裁判所 平成4年(ヨ)98号 決定 1992年3月23日

債権者

甲永花子

右代理人弁護士

山口健一

坂田宗彦

飯高輝

財前昌和

債務者

株式会社井上達明建築事務所

右代表者代表取締役

井上達明

主文

一  債権者が債務者に対し、従業員たる地位を有することを仮に定める。

二  債務者は債権者に対し、金一五万九五三一円及び平成四年三月から毎月二五日限り金一九万一七四九円を仮に支払え。

三  債権者のその余の申立てを却下する。

四  申立費用は債務者の負担とする。

理由

第一申立ての趣旨

「債務者は債権者に対し、平成四年一月から毎月二五日限り金二〇万四七八二円を仮に支払え。」及び主文第一項と同旨。

第二事案の概要

一  債務者は、建築の設計、監理等を目的とする株式会社である。債権者は債務者に、平成三年四月一日、期間の定めなく雇用されたが、債務者は債権者に対し、平成四年一月一〇日債務者到達の内容証明郵便で解雇通知を行う(以下「本件解雇」という。)とともに、平成四年一月一日から九日までの給与名目で五万三二八〇円、平成三年度分源泉徴収税払戻分名目で五〇〇〇円、解雇予告手当三〇日分名目で一七万八七二〇円の合計二三万七〇〇〇円を債権者の銀行口座に振り込んだ(以上の事実は当事者間に争いがない。)。

しかしながら、債権者は、右解雇通知には「契約解除の必要がある」との記載があるのみであり、本件解雇は何ら正当な理由によってなされたものではなく解雇権の濫用であって無効であるということで、従業員としての地位保全と賃金仮払いを求めている事案である。

二  争点

本件解雇の有効性。債務者が主張する解雇の理由は次のとおり。

1  仕事に関する能力欠如

2  賃金に対する一方的で強い要求等信頼関係破壊言動

第三争点に対する判断

一  債務者主張の本件解雇理由の詳細

1  能力欠如

債務者は債権者を設計補助及び一般事務に従事させるために採用したが、それぞれでの能力欠如を示す事実は次のとおりである。

(一) 設計補助

(1) 設計図の筆写をさせると、何度注意しても薄く書くためコピーが困難で急遽他の者が残業して濃く書き直すということがあった。

(2) 現場に連絡係として連れていくと、債務者が指定した支給事務服を着用せる(ママ)に私服のまま現場に行き、打ち上げ直後のコンクリートに穴をあけ、債務者代表者代表取締役井上達明(以下「井上社長」という。)が修復したところ、これを業者に報告するという非常識な行動をとった。

(3) 測量図の計算について、三角形の面積の計算方法を何度教えても計算式を間違えたり、計算そのものを間違えるという状況である。

(二) 一般事務

郵便物整理について分類方法を何度説明しても重要であるものとそうでないものを混同するために井上社長が再度整理することがままあった。

2  信頼関係破壊の言動

(一) 平成三年一二月一八日井上社長に対し、一二月のボーナスが少ないと強硬に抗議してきた。同月二七日にもボーナスの件で苦情を言ったため、口論となった。さらに、翌年一月六日ボーナスの査定について文句を言った。

(二) 井上社長が机の引き出しに保管している経理帳簿を密かに盗み見している。

二  前記争いのない事実及び疎明資料を総合すれば、次の事実が一応認められる。

1  債務者は井上社長のほか債権者を含め労働者三名前後の建築の設計・監理業務を行う井上社長の個人企業であるが、平成二年一二月に二回にわたり筆記試験、適性検査及び面接試験を行い債権者のほか一名を採用した。なお、債権者は採用内定を経て、平成三年四月一日付けで採用され、他の一名は、平成三年一月から五月まで勤務して退職した。

2  債務者の社員募集に対するの(ママ)債権者の自己紹介状(<証拠略>)、採用内定後の手紙(<証拠略>)の記載はごく常識をわきまえた文面であって、債務者における長期雇用を前提とした内容である。

3  井上社長は日頃から債権者の服装のことについてかなり気にして、債権者に対して度々注意を与えていた。

4  井上社長は債権者に対し、設計補助事務として、ある中学校の改修工事の設計図の筆写をさせる作業を行わせたが、井上社長の満足のいくものはできなかった。

5  井上社長が債権者を工事現場に連絡係として連れていった際、債務者が指定した支給事務服を着用せずに私服のまま現場に行き、打ち上げ直後のコンクリートに穴をあけた。これを井上社長が急いで修復したが、債権者は自分が穴をあけたことについて、当該業者に報告したということがあった。

6  井上社長は債権者に対し、測量図を基にこれを小さな三角形に分解し、当該三角形の面積を合計する方法で土地の総面積計算をさせたり、ゴルフ場のクラブハウスの基本設計の作図をさせたことがあったが、所要時間、内容等において井上社長の要求に応えることはできなかった。

7  井上社長が債権者に対し、郵便物整理を依頼したが、井上社長が再度整理することがあった。

8  平成三年一二月一八日及び翌一九日の両日、債権者は井上社長に対し、一二月のボーナスが少ないと感じ、その査定について説明を求めたが、このような指摘が、井上社長の気分を害し、井上社長の債権者に対する感情的対立が決定的となった。

9  債務者における平成三年の最後の出社日である一二月二七日、井上社長は債権者に対し、金銭面では債権者の要求に応じかねるとの趣旨で退職の打診をしたが、債権者は理由がないということでこれを拒絶した。

10  平成四年一月六日、債権者は出社し、井上社長と債権者の勤務について話合いが行われたが、債権者は仕事をさせられることはなく、井上社長から「社員個人の利益と会社の経営」という題で作文を命ぜられ、その旨の作文を書いて提出した。

井上社長は債権者に対し、翌七日は「入るを計って出ずるを制す」という題で、翌八日には「衣装のおしゃれより心のおしゃれ」との題で作文を書くように命じたが、債権者はこれを拒否した。また、同日、債権者は井上社長に対して「お願い」と題する書面で八項目の事項について説明と謝罪を求めた。

11  同月九日、井上社長は債権者に対し、解雇通告書と解雇予告手当を交付するからということで、解雇予告手当の領収書を書くように求めたが、債権者はこれを拒否した。債権者は翌一〇日も出社したが、井上社長は債権者の就労を解雇済みであるとして拒否し、本件解雇に至った。

12  井上社長は債権者に対して、退職の打診をしたり、解雇通告するに当たって、ボーナス査定について説明を求める債権者の態度を非難したものの、理由を明示しなかった。

三1  右二3ないし12の認定事実と審尋の全趣旨を総合すると、井上社長は、債権者の仕事にもどかしさを感じ、教育のつもりで行ったことも思惑どおりに行かず、むしろ恩義を感じてもらってしかるべきであると思っていた状況で、労使関係について権利意識をある程度明確に持っている債権者の言動に触れるにつれ、両者の感情的な溝が深まり、ボーナスの査定をめぐって、その人間関係が一気に悪化して本件解雇に至ったことを一応推認することができる。しかし、右の各事実からは、債務者が主張する解雇理由としての能力欠如及び信頼関係破壊の言動があったことまでは推認することはできないし、右二1及び2の認定事実も併せ考慮すれば、なおさら右推認は困難であって、他に右解雇理由を疎明するに足りる資料はない。

2  右のような判断に関して、以下、若干敷衍する。

(一) 能力欠如の点について

経験、学識の豊富な井上社長(疎明資料及び審尋の全趣旨により一応認めることができる。)の目から見れば、債権者の仕事振りが覚束ないという面は否定できないかもしれないが、一方、疎明資料によれば、債権者の学歴及び職歴から見れば、必ずしも始めから井上社長の要求水準を満たすことを期待するのは無理があると一応認められるとともに、債務者が指摘する具体的な問題となる事実は、井上社長による仕事の指示方法等債権者の責めに帰すべからざる事情に起因することがあり得ることをうかがわせるので、債権者の能力欠如に関する事実は、前記認定の限度にとどまらざるを得ない。

(二) 信頼関係破壊の言動について

確かに、前記認定のとおり債務者は建築の設計・監理という専門的な業務を扱う個人企業であることから、債権者は人間関係特に経営者井上社長との関係には配慮すべきであるということはできる。また、井上社長にとっては、ボーナスについて一々説明を求められるということを面白くないと思うことは無理からぬことであるかもしれない。しかしながら、債権者のとった前記各行動は、社会通念から見てこれを問題視されるべきものではなく、ボーナスの査定について説明を求めること自体も、何ら非難されるべきものではない(もちろん、説明を求めるについて、どのような方法をとるかによって場合により問題になり得るが、債権者による求釈明が著しく不穏当な発言・方法によったものであるということを認めるに足りる疎明資料はない。)。したがって、債務者側の前記事情を十分考慮したとしても、債務者は債権者の前記認定の各行動を非難したり、ひいては解雇理由とすることは許されないと言わざるを得ない。

なお、井上社長が机の引き出しに保管している経理帳簿を債権者が密かに盗み見しているという事実は、債務者の推測の域を出ず、これを認めるに足りる疎明資料はない。

(三) その他、債務者は債権者の服装等陳述書において数々の点を挙げつらっているが、井上社長の個人的な趣味に合わないという範囲にとどまる問題であったり、労働者としては当然の要求を捕らえて問題にしてのことなので、人によってはそのことで不快感を覚えたりすることがあり得るとしても、いずれも解雇の理由たり得ないものである。

また、債務者は債権者又は債権者を支援する者による本件解雇後の言動を取り上げて問題にしているが、その態様、方法が相当かという問題はあるにしても、本件解雇が有効か否かとは直接結びつかないことはいうまでもない。

(四) 保全の必要性

前記二1及び2の認定事実によれば、債権者は一時のアルバイトとして債務者に就職したのではなく、長期雇用を望んでいたことを一応推認することができるが、債務者において就業できないことにより収入の途を断たれたものであって、賃金の仮払いを受ける必要性がある。疎明資料によれば、一か月当たりの給与は解雇の前三か月間(平成三年一〇月分ないし一二月分)平均で二〇万四七八二円(一円未満四捨五入)であることが一応認められる。ただし、本件解雇後、債権者が債務者から受領したことに争いがない合計二三万七〇〇〇円を仮払賃金から控除し、かつ、実費の性質を有する通勤手当一万三〇三三円は平成四年一月分を除き各月の仮払賃金から控除するのが相当である。(なお、本件においては、賃金仮払いの終期については、現時点でこれを付すのではなく、債権者の新たな就業、債権者に就業することを期待しても当然であるという状況等の事実が発生した場合に、これらを事情変更による仮処分取消事由として斟酌するのが相当であると考えられる。)

また、健康保険の維持等のため、地位保全の必要性も認められる。

(五) よって、主文のとおり決定するが、債務者の経営形態、債権者と井上社長との信頼関係修復の困難性、債権者の年齢・能力、現在の就業環境等も考慮するならば、話合いなどによる早期の解決が望まれるところである。

(裁判官 大門匡)

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