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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)1247号 判決 1994年3月28日

原告

田北三良

被告

田坂章一

ほか一名

主文

一  被告田坂章一は、原告に対し、金二三三七万三九〇一円及びこれに対する昭和五七年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告田坂章一に対するその余の請求及び同田坂則幸に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告田坂章一に生じた費用は、これを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告田坂章一の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告田坂則幸に生じた費用は原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一原告の請求

被告らは各自、原告に対し金九二〇六万七七〇五円及びこれに対する昭和五七年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 日時 昭和五七年七月二五日午前〇時一五分ころ

(二) 場所 大阪市阿倍野区阿倍野筋三丁目九番一〇号先の府道和泉泉南線(以下「本件道路」という。)阿倍野斎場前交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 普通乗用自動車(泉五七ま四六七五号、以下「被告車」という。)

右運転者 被告田坂章一(以下「被告章一」という。)

(四) 被害者 原告

(五) 事故態様 原告が、本件交差点北側に設置された横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)を東から西へ横断中、本件道路を南進して来た被告章一運転の被告車と衝突した。

2  責任原因

(一) 被告章一は、被告車を運転して本件道路を北から南へ制限速度を越えて進行中であつたが、対面赤信号を見落としそのまま進行したため、対面青信号に従い本件横断歩道を東から西へ横断中の原告に被告車を衝突させ、原告に傷害を負わせたものである。

よつて、被告章一は、民法七〇九条により、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

(二) 被告田坂則幸(以下「被告則幸」という。)は、本件事故当時被告車を所有していたが、同人と同居し同人の子である被告章一に被告車を無償で貸与していたものである。

よつて、被告則幸は、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条により、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

3  本件事故により原告に生じた損害

(一) 原告の受傷内容、治療経過及び後遺障害

(1) 原告は、本件事故により骨盤骨折、膀胱破裂、左鎖骨骨折等の傷害を受け、次のとおり治療を受けた。

イ 大阪府立病院

昭和五七年七月二五日(本件事故直後搬送)から同年一一月一三日まで入院(一一二日間)

同月一四日から平成元年七月二七日まで通院(通院期間二四四八日間、実通院日数四六日)

同年三月三〇日から同年六月二八日まで入院(九一日間)

ロ 福西接骨院

昭和五七年一一月二〇日から同五八年五月三〇日まで通院(通院期間一九二日間、実通院日数一一八日)

(2) 原告は、(1)記載のとおりの治療を受けたが完治するに至らず、神経因性膀胱・尿道狭窄・勃起不全(症状固定日平成元年四月二八日)及び右股関節中心性脱臼・左尺骨神経不全麻痺・左鎖骨骨折(症状固定日平成元年七月二七日)の後遺障害を残し、労働能力を四五パーセント喪失した。なお、右後遺障害については、自動車損害賠償責任保険の査定において、八級の事前認定を受けている。

(二) 損害額

(1) 治療費 一三八万三九五〇円

(2) 入院付添費 六五万一二〇〇円

(3) 休業損害 五一七三万〇四四六円

原告は、本件事故当時、大阪府警に勤務する警察官であつたが、本件事故による受傷により、本件事故日である昭和五七年七月二五日から最終の症状固定日である平成元年七月二七日まで休業を余儀なくされた。

本件事故当時の原告の年収は七六五万三三四五円であつたが、その後の昇給予定分を考慮して休業損害を算定すると、次のとおりである。

イ 昭和五八年分 三四二万四六八八円

七六五万三三四五円(得べかりし年収、以下同じ)-四二二万八六七七円(取得した年収、以下同じ)

ロ 昭和五九年分 七八六万二一一二円

〔七六五万三三四五円+三六万五〇八四円(昇給予定分、以下同じ)〕-一五万六三一七円

ハ 昭和六〇年分 八三三万七二三五円

七六五万三三四五円+六八万三八九〇円

ニ 昭和六一年分 八六九万三九八一円

七六五万三三四五円+一〇四万〇六三六円

ホ 昭和六二年分 八八七万四三五四円

七六五万三三四五円+一二二万一〇〇九円

ヘ 昭和六三年分 九一四万七七三二円

七六五万三三四五円+一四九万四三八七円

ト 昭和六四年(平成元年)分(ただし、平成元年七月二七日までの分) 五三九万〇三六四円

(七六五万三三四五円+一七八万六二四〇円)÷三六六日×二〇九日

(4) 逸失利益 二一一九万二六二四円

原告は、本件事故による受傷のため、昭和五九年三月三一日退職を余儀なくされたが、同人は、昭和五年一二月二〇日生まれの男子であり(本件事故当時五一歳)、本件事故に遭わなければ、退職予定時である平成三年三月三一日(六〇歳の誕生日後最初に到来する三月三一日)まで大阪府警に、更にその後再就職して六七歳までそれぞれ就労が可能であつたが、前記後遺障害(症状固定日平成元年七月二七日、当時原告五八歳)により、その後、労働能力を四五パーセント喪失した。ホフマン方式により、年五分の割合による中間利息を控除して、同人の逸失利益を計算すると、次のとおり二一一九万二六二四円となる。

イ 平成元年七月二八日ないし同二年七月二七日の分四一七万一七三六円

九七三万四〇五〇円(昇給後の収入、以下同じ)×〇・四五×〇・九五二三八〇九五

ロ 平成二年七月二八日ないし同三年七月二七日の分三五一万二七四〇円

八五八万六六九七円×〇・四五×〇・九〇九〇九〇九一

ハ 平成三年七月二八日ないし同九年七月二七日の分一二七六万三三二〇円

六〇〇万円(再就職先である和光電気の給与額)×〇・四五×(〇・八六九五六五二二+〇・八三三三三三三三+〇・八+〇・七六九二三〇七七+〇・七四〇七四〇七+〇・七一四二八五七一)

ニ 平成九年七月二八日ないし同年一二月二〇日(原告の六七歳の誕生日)の分 七四万四八二八円

二四〇万円(六〇〇万円を日割り計算)×〇・四五×〇・六八九六五五一七

(5) 退職差額金 六二一万五九九二円

原告の定年退職予定時の得べかりし退職金は二九三六万八二六〇円であり、原告が退職時に取得した退職金は二三一五万二二六八円である。

(6) 入通院慰謝料 三〇〇万円

(7) 後遺障害慰謝料 一〇〇〇万円

(8) 弁護士費用 五〇〇万円

4  よつて、原告は、被告章一に対し不法行為に基づき、被告則幸に対し自賠法三条に基づき、それぞれ損害賠償として、任意保険及び自賠責保険からの既払金七一〇万六五〇七円を控除した残額九二〇六万七七〇五円及びこれに対する昭和五七年七月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告ら

(一) 請求原因1(一)ないし(四)の事実は認める。

同1(五)の事実中、原告が本件横断歩道上を横断していたことは否認し、その余は認める。

(二) 同3の事実中、原告が本件事故直後大阪府立病院へ搬送され入院したこと及び原告が治療費、入院付添い費としてそれぞれ一三八万三九五〇円、六五万一二〇〇円要したことは認め、その余は不知ないし争う。

症状固定時期について

原告の症状固定時期は、遅くとも原告の退職時(昭和五九年三月三一日)である。

原告は、変形性股関節症であつたが、右時期には人工関節への置換を要する状態になつていた。にもかかわらず、原告は、当時出始めていたセラミツク製の人工関節の進歩・普及を待つて、平成元年に人工関節への置換手術を受けたのである。

2  被告章一

請求原因2(一)の事実中、被告章一が制限速度を越えて進行中であつたこと、同人が対面赤信号を見落としたこと、原告が対面青信号に従い本件横断歩道を横断中であつたことは否認し、その余は認める。

3  被告則幸

請求原因2(二)の事実は否認ないし不知。

三  抗弁

被告ら

1  過失相殺

(一) 被告車は、本件事故時、本件道路を制限速度である時速四〇キロメートルで南進し本件交差点に差し掛かつたが、その時の対面信号は青色を表示していた。

(二) 原告は、被告車が同人の手前約一九・六メートルに至つた時、対面信号が赤色を表示しているにもかかわらず、同人の右方向を注視することなく、本件横断歩道の北側(横断歩道外)を東から西へ向かつて横断を始めたところ、横断中の同人を発見した被告章一が、急制動の措置を講じ、ハンドルを右へ転把したが間に合わず、被告車が原告に衝突した。

(三) つまり、本件事故は、原告が、対面信号の赤表示を無視し、かつ本件横断歩道外を、右方向を注視することなく横断した過失により生じたものである。

2  損害の填補

被告章一の自賠責保険会社及び任意保険会社から、原告に対し、本件事故による損害の賠償として七一〇万六五〇七円が支払われている。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は、否認する。

2  抗弁2の事実は、認める。

理由

一  事故の発生(請求原因1)

請求原因1(事故の発生)の事実は、原告が本件横断歩道を横断していたか否か(この点は、次項で検討する。)を除き、当事者間に争いがない。

二  被告章一の責任及びその過失割合(請求原因2(一)及び抗弁1の事実)

1  証拠(甲一、乙一、丹羽証人、田中証人、原告本人、被告章一本人、以上いずれも、後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(一)(1)  本件事故現場は、別紙図面のとおり、信号機により交通整理がなされている本件交差点の北側付近の本件道路上である。本件道路は、南北に通じ、中央に軌道敷(以下「本件軌道敷」という。)があり、その両側に幅員各五・四メートルの南行き車線と北行き車線とがあり、その両側に幅員各四メートルの歩道がある。本件道路の南行き車線上には右軌道敷に沿つて、路面電車のための高さ約〇・四ないし〇・五メートルの島状の停留所(安全地帯)があり、その南端から南六・三メートルの所に幅員五・八メートルの本件横断歩道がある。本件道路は、アスフアルトで舗装され、路面は平坦であり、本件事故当時の天候はかなりの雨であつた。本件道路の制限速度は時速四〇キロメートルに規制されており、また、本件事故現場の北側は、標識により人の横断が禁止されており、別紙図面の「阿倍野筋一九」と表示されているあたりから北に向けて、約一メートル位の高さのガードレールが設置されていた。

本件事故当時、本件道路の車両走行量は、北行き車線の方が多く、また、本件軌道敷内を走行する車両は少なかつた。なお、本件事故直後に実況見分がなされた時(昭和五七年七月二五日午前二時一〇分ないし四〇分)の本件事故現場における本件道路の車両交通量は一分間に約三〇台であつた。

(2)  本件事故後、被告車の左前フエンダー先端部から後方〇・七メートルにかけて、地上から〇・四ないし〇・八五メートルの部分が約三センチメートル凹損しており、ボンネツトの中央部が、縦横〇・六メートル×一メートルの範囲にわたつて凹損していた。

(二)  本件事故態様に関し、原告、被告双方の対面信号の色、原告の横断経路について特に争いがあるので、以下検討する。

(1) まず、被告章一は、次のように供述する。

同人は、昭和五七年七月二五日午前〇時一五分ころ、被告車を時速約四〇キロメートルで運転して本件道路を北から南に向かつて走行していたところ、別紙図面<1>点において、本件交差点に設置してある対面信号の青表示を認め、同<2>点において、同<ア>点(停留所上)で一本の傘をさして立つている原告と田中智枝(以下、双方を「原告ら」、田中智枝を「田中」という。)を初めて認め、同<3>点において、同<ア>点から本件道路の横断を開始した原告らを発見し、急制動の措置を講じたところ、被告車はスリツプを始め原告らに衝突しそうになつたので、被告章一はハンドルを左に切り衝突をさけようとしたら、被告車は、その左側を停留所に接触させた後、横滑りの状態で進行し、その左横前部を同<4>点で原告らに衝突させた。衝突後、原告は、一度被告車のボンネツトに打ち上げられた後、道路上に落下し、被告車は、同<5>点で停止した。原告らが横断を開始した時の被告車の対面信号の色に関しては、被告車が右<3>点を走行している時、本件道路の南行き車線・北行き車線双方とも自動車は停止しておらず走行していたが、右<3>点で、対面信号を見たのかどうかは記憶にない(被告章一本人二〇丁表)。

なお、本件事故後になされた実況見分時の被告章一の指示説明によれば、右のうち、同人が対面信号の青表示を認めたとする前記<1>点から原告らを初めて認めた同<2>点までの距離は一三・七メートル、同<2>点から原告らが本件道路の横断を開始するのを発見し急制動の措置を講じた同<3>点までの距離は八・二メートル、同<3>点から原告と衝突した同<4>点までの距離は二〇・四メートル(同<1>点から同<4>点までの距離は、合計四二・三メートル)であつたとされている。

これに対し、原告は、別紙図面<ア>点で田中智枝と共に対面信号表示が青に変わるのを待つていたところ、青に変わつたので右<ア>点から、同図面<イ>点へ進み、そこで本件道路の北方面から自動車が走行して来ないことを確認してから本件横断歩道の北端を西へ向けて横断を開始し、二、三歩進んだが、その後の記憶はない旨供述する。また田中証人も原告の供述と同様の証言を行い、更に対面信号表示が青に変わつた時、右<ア>点でも本件道路の北方面から自動車が走行して来ないことを確認したことも証言し、また衝突後、気が付いた時、被告車は同図面<7>点に移動されていた旨証言している。

(2) 対面信号の色に関して

前記各供述及び証言は、原告らが別紙図面<ア>点で対面信号が青に変わるのを待つていたこと、右原告らが同<ア>点で待つていた当初、本件道路の車両用信号が青色を呈し、本件横断歩道の歩行者用信号が赤色を呈していたこと、原告らが被告車が間近に接近しているにもかかわらず、本件道路の横断を開始したことに関し、大筋において合致しており、本件ではこれらの事実は動かし難いものとして認められる。

ところで、被告章一の供述のうち、信号の色に関する部分について検討すると、同被告は、時速約四〇キロメートルの速度で走行中、衝突地点から約四二・三メートル離れた別紙図面<1>点で対面信号の青表示を認めたと供述するが、同被告の本人尋問の結果によれば、その後、原告と衝突する同<4>点まで同信号の色を確認していないことが認められるから、右<1>点から右<4>点に至るまでの間に同信号の色が変わつた可能性を否定できないものといわざるを得ない。

すなわち、同被告の供述を前提としても、同被告が走行していたとする時速約四〇キロメートルを秒速に換算すると、一秒間に約一一・一一メートルの速度となるから、右<1>点から右<4>点までの間(約四二・三メートル)に約四秒の時間的経過が存したことになり、被告車が右<1>点を経過して間もなく同信号の色が黄色(通例三秒間)に変わり、さらにその後、赤色に変わつた可能性が存することになる。

しかも、交通事故が発生した後の実況見分において、同被告が対面信号を見たとする右<1>点の特定や速度に関する同被告の供述には、誤差が存在する可能性が少なくなく、運転者にとつて現実に走行している速度について数値的に認識するのは速度計をたまたま見たなどの場合でなければかなりの難事であり、また、走行する車両において目前に生じた出来事につき位置関係を正確に把握しながら供述することには相当な困難が伴うのが通例であるから、多くの場合、かかる速度及び視認した時の走行地点に関する供述には、それぞれ少なくとも時速約一〇キロメートル、十数メートル前後の誤差が生じ得ることはやむを得ないものと考えられる。

そして、仮に、被告章一が対面信号の青色表示を確認した地点が十数メートル手前であり(その場合、同地点から衝突地点までの距離は五〇数メートルとなる。)、被告車の速度が時速約三〇キロメートル(秒速約八・三三メートル)であつた場合を想定すると、同被告が対面信号の青色表示を確認した地点から原告と衝突するまで六秒を超える時間的経過があつたことになり、被告車が同地点を経過して間もなく、同信号の色が黄色(通例三秒間)に変わつた後、赤色に変わり(通例三秒間の全赤)、さらに本件横断歩道の歩行者用信号が青色に変わつた可能性を否定できない。

他方、前記のとおり、原告らは、本件道路の車両用信号が青色を呈し、本件横断歩道の歩行者用信号が赤色を呈していたことを認識の上、別紙図面<ア>点で対面の歩行者用信号が青に変わるのを待つていたところ、被告車が間近に接近しているにもかかわらず、突如、本件道路の横断を開始したのであるが、右横断を開始した理由としては、原告らが供述するように本件横断歩道の歩行者用信号が青色に変わつたからであると考えるのが自然である。本件横断歩道の歩行者用信号が赤色のままであれば、同信号の状況を認識し、それ故に信号待ちをしていた原告らとしては、いつたん交通事故が生ずれば自らの身体に重篤な傷害を受け、場合により生命すら落とすおそれがある歩行者の立場にある以上、特段の事情がない限り、同信号が赤表示であることを認識しながら、前照灯を点けた上、間近に接近していた被告車につき、十分な注意を払うことなく横断を開始するという事態を想定することは困難であるから、右原告らの供述は信憑性が高いものといわざるを得ない。

したがつて、右特段の事情を認め難い本件においては、本件事故時の信号の色は、本件道路の車両用信号が赤色、本件横断歩道の歩行者用信号が青色であつたものと認めるのが相当である。

なお被告章一は、被告車が同<3>点を走行している時、本件道路の南行き車線・北行き車線双方とも自動車は停止しておらず走行していた旨供述しているが、右自動車は本件交差点の対面赤信号に従いこれから停止しようとしている自動車であつたり、また、本件交差点の対面信号が赤になる直前に本件交差点を通過した自動車であつた可能性等もあるので、その供述だけでは、右認定を妨げるものではない。

(3) 原告の横断経路に関して

被告車が衝突後停止していた位置に関し、被告章一の供述及び弁論の全趣旨によれば、被告車が本件軌道敷内で停止していたことは認められる。

また、被告章一は、本件事故後、実況見分時に警察が被告車を本件道路の北行き車線上に移動するまでは被告車を移動していない旨供述している。そして、本件事故当時、本件軌道敷は、自動車の走行が少なく空いていたことからして、右軌道敷に自動車を短時間停車させておいても高度の危険が生じるわけではないことに照らすと、同被告の右供述は信用することができる。したがつて、被告車は、本件実況見分が始まる時点においても、本件衝突時の状況のまま本件軌道敷内に停車していたことが推認される。右認定に反し、田中証人は、事故直後被告車は本件道路の北行き車線上の別紙図面<7>点に移動されていた旨証言するが、それは、前記認定のとおり、本件道路の北行き車線は、自動車の走行量が多かつたことからして右<7>点に自動車を停止させて自動車を離れることは危険であることに照らすと、信用することができない。

そこで、実況見分時に、被告車がどこに停止していたかを検討するに、原告は、乙第一号証に添付されている実況見分時に撮影された写真3の被告車と背景に写つている近畿相互銀行のシヤツターとの位置関係を、被告車が別紙図面<6>点に停止していたことの根拠とし、その旨供述するものであるが、右写真の背景は不鮮明であること、被告車の向いている方向及び写真を写した角度が必ずしも明らかではないことからして、原告の右供述はにわかに信用し難い。むしろ、実況見分時に作成された乙第一号証に添付された図面は、警察官が実況見分時に停車されていた被告車を認識した上で作成されたと考えられるので、被告車は、実況見分時に同<5>点に停止していたと認められる。

したがつて、被告車は、事故直後から実況見分時まで移動されてはいなかつたこと、実況見分時に被告車は右<5>点に停止していたことからして、被告車は、被告章一の供述するとおり、事故直後も右<5>点に停止していたことが認められる。

すると、原告の横断経路であるが、被告章一の主張するとおりでない限り被告車は原告に衝突し得ないことになる。したがつて、原告は同図面<ア>点から本件道路の横断を開始、その横断中に被告車と衝突したと推認するのが相当である。

なお、前記のとおり、被告章一の認識に誤差が生じ得ることを考慮しても、本件横断歩道の歩行者用信号が青色に変わつてから本件事故が発生するまで、原告らが供述する程の相当のゆとりのある時間的経過があつたとは考え難いこと、また、本件では、被告章一は被告車を半回転させる程の異常に急激な制動措置をとつているが、その理由としては、右<ア>点に居た原告らが突如自車の目前を横断しようとしたため、これに驚いて異常に強くブレーキを踏み、その結果、路面が雨で濡れていたことと相まつて、同車が回転するという事態が生じたものと解するのが自然であることからしても、原告の横断経路に関する右認定は合理性があると考えられる。

(4) 右(2)(3)の判断及び前掲の証拠によれば、次の事実が認められる。

原告らは、南行きのタクシーを拾うべく、別紙図面◎点で立つていたが、空車がなかつたので、北行きのタクシーを拾うこととし、南行きの車両が途切れるのを待つて、右◎点から南行き車線を同図面<ア>点の方向に斜めに横断し、右<ア>点で暫く佇立した後、本件横断歩道の歩行者専用信号が青に変わるのを見て(反対にその時の被告車の対面信号は赤であることになる。)、本件道路の北方向からの車両の進行の有無を十分に確認することなく本件道路の横断を開始し、右<ア>点から本件軌道敷に二、三歩入つたところで、被告車に衝突され、そのボンネツトに跳ね上げられた後、同図面<ウ>点に転倒した。なお、田中も原告同様、被告車に跳ねられ、同点付近に転倒した。衝突後、被告車は、同<5>点に停止した。

なお、前掲の各書証、各証言及び供述中右認定事実に反する部分は、採用することができない。

2  右で認定した事実、特に、被告章一には、衝突直前、対面信号の色が赤であつたにもかかわらず、被告車を運転し、本件道路を南へ向けて走行し、本件交差点へ進入しようとし、かつ、本来走行してはならない本件軌道敷上を走行したという過失があり、他方、原告には、本件事故現場付近には横断禁止の表示がなされているにもかかわらず、夜間、本件横断歩道から約六・三メートル離れた地点を横断しようとしたこと、横断時に被告車が進行して来る方向の安全確認が不十分であつたことという過失があることを考慮し、両者の過失を対比すると、被告章一の過失の方が重大であり、原告と被告章一の過失割合は二対八と認めるのが相当である。

三  被告則幸の運行供用者性(請求原因2(二))

これを認めるのに足る証拠はない。むしろ被告章一の尋問の結果によれば、本件事故当時、被告車を所有していたのは、被告章一であることが認められる。

よつて、原告の被告則幸に対する請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないので、認められない。

四  損害(被告章一との関係)

1  原告の受傷内容、治療経過(請求原因3(一)(1))等及び後遺障害(請求原因3(一)(2))

証拠(甲二の一ないし三、甲三、甲四の一及び二、甲一一の一及び二、甲一二の一及び二、甲一五の一及び二、甲二〇、乙三、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(一)  原告の受傷内容、治療経過等

原告は、本件事故により右股関節中心性脱臼・骨盤骨折・膀胱破裂・左鎖骨骨折・左尺骨神経不全麻痺の傷害を受け、直ちに大阪府立病院へ搬送され、その後、同病院において膀胱修復手術・右股関節脱臼に対する牽引整復治療等を受け(甲一一の二)、昭和五七年一一月一三日、同病院を退院した(一一二日間入院)。その退院の際、原告には、右股関節に疼痛と可動域制限があり、跛行を呈していた。

原告は、同月一四日から、同病院へ経過観察のため通院したが、右股関節の疼痛が徐々に増加していき、右股関節機能障害が増悪した(なお、原告は、退院後昭和五八年七月までは、松葉杖やT字型の杖を使用していた。)。そのため、原告は、平成元年三月三〇日同病院へ再入院し、同年四月二七日右股関節人工関節全置換術を受け(甲一五の二)、同年六月二八日同病院を退院した(九一日間入院)。なお、右手術前後において、原告の症状にさほど変化はなく、右退院の際、同人の股関節の疼痛は軽減していたが、可動域制限は残存しており、二キロメートル以上の歩行が無理であり、階段の昇り降りの時、靴下を履く時、爪を切る時等に不便を感じていた(甲一一の二、原告本人)。

退院後、原告は、平成元年七月二七日まで同病院へ通院した〔昭和五七年一一月一四日から同日まで、通院期間二三五七日間(再入院した九一日間を除く)、実通院日数四六日〕。

なお、原告は、福西接骨院へも、昭和五七年一一月二〇日から昭和五八年五月三〇日まで通院した(一九二日間通院、実通院日数一一八日)。

(二)  原告の後遺障害

原告の前記傷害は完治せず、右股関節機能全廃の後遺障害(人工関節置換 屈曲、伸展、外転、内転、外旋、内旋がそれぞれ自動で八五度、マイナス一五度、二八度、一〇度、三〇度、マイナス五度)を残して、平成元年七月二七日、その症状が固定した。

なお、被告らは、原告の後遺障害固定時期に関し、原告は、変形性股関節症であつたが、大阪府警退職時(昭和五九年三月三一日)には人工関節への置換を要する状態になつていたにもかかわらず、当時出始めていたセラミツク製の人工関節の進歩・普及を待つて、平成元年に人工関節への置換手術を受けたのであり、したがつて、原告の症状固定時期は、遅くとも原告の右退職時であると主張するが、右主張を認めるに足る証拠はない。

なお神経性膀胱・尿道狭窄・勃起不全の後遺障害が原告に残つていることを認めるに足る証拠はない。

2  原告の損害額(請求原因3(二))

(一)  治療費 一三八万三九五〇円

原告が、治療費一三八万三九五〇円を要したことは、当事者間に争いがない。

(二)  入院付添い費 六五万一二〇〇円

原告が入院付添い費六五万一二〇〇円を要したことは、当事者間に争いがない。

(三)  休業損害(原告が退職した昭和五九年三月三一日までの減収分)及び逸失利益(原告が退職した日の翌日である昭和五九年四月一日以降の分) 二五八六万五三六一円

証拠(甲五、甲七ないし九、甲一〇の一及び二、甲一六、甲一七、甲一九、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告(昭和五年一二月二〇日生)は、本件事故当時(昭和五七年七月二五日)、大阪府警南警察署に勤務する。五一歳の健康な男子であつたところ、勧奨退職基準年限である平成三年三月三一日(六〇歳の誕生日後、最初に到来する三月三一日)まで大阪府警に勤務することが可能であり、その意思も有していたが、本件事故により、前記のとおり、歩行能力の低下を来し、勤務に支障を生ずるようになり、昭和五九年三月三一日付けで退職を余儀なくされた。

原告が、本件事故当時、大阪府から支給されていた金員は、毎月の給与(本給、調整手当、その他各種諸手当、時間外勤務手当等により構成される。)及び年三回の賞与である。

そして、原告が本件事故当時、支給されていた本給は三二万六二〇〇円であり(甲一七)、休業及び退職をすることなく警察官として勤務を継続した場合においては、後記のとおり、大阪府公安職給料表(甲一六)に従い本給が昇給し、更にベースアツプをするはずであつたので、原告が本給の昇給及びベースアツプを主張する昭和五九年四月一日から平成三年三月三一日までに大阪府から原告へ支給されるべきであつた本給は、各年ごとに別紙<1>記載のとおりとなる。

調整手当は、本給に〇・〇八三を乗ずることにより算出される(甲一七、なお甲第一六号証は、その乗ずる率を、昭和六二年一二月三一日までは〇・〇九、昭和六三年一月一日以降は〇・一であるとするが、甲第一七号証により算出される比率と異なつている理由が明らかでないので、甲一六号証の調整手当に関する右部分は、採用することができない。)

原告は、昭和五七年五月ないし七月、調整手当以外の各種諸手当を毎月二万五八〇〇円支給されていた(甲一七)。したがつて、勤務可能であつた平成三年三月三一日まで、毎月右金額を支給されたであろうことが推認される。

原告は、勤務可能であつた平成三年三月三一日まで、次の計算により算出される賞与を支給されたであろうことが推認される〔賞与とは、本給と調整手当とを加えた金額に一定比率を乗じて得られた額を、毎年六月、一二月、三月に支給されるものであり、その六月、一二月、三月の比率は、それぞれ、平成元年三月三一日までは一・九、二・五、〇・五、同年四月一日以降平成二年三月三一日までは二・一、二・五、〇・五、同年四月一日以降は二・二、二・六、〇・五五であり、警部補役職加算は、平成二年四月一日以降に支払われるべき賞与に関し、一定比率を乗ずる対象たる基礎金額を、本給と調整手当とを加えた額に一・一倍を乗ずることにより算出された金額とするものである(甲一六)。〕。

原告は、昭和五七年中には大阪府から七〇五万三三四五円の支給を受けた(甲五)が、その内訳は、時間外勤務手当等を除く毎月の給与支給合計額が四五四万八六七二円、賞与支給合計額が一七三万〇九五四円、時間外勤務手当等支給合計額が七七万三七一九円となる【昭和五七年分の給与・賞与等の支給総額が七〇五万三三四五円である(甲五)ところ、時間外勤務手当等を除く給与支給額は四五四万八六七二円であり(三七万九〇五六円×一二か月、甲一七)、また賞与支給額が一七三万〇九五四円となり〔(三二万六二〇〇円+二万七〇五六円)×四・九、一円未満切り捨て、以下同じ〕、その差額が時間外勤務手当等になる(七〇五万三三四五円-四五四万八六七二円-一七三万〇九五四円)。】。そして、右時間外勤務手当等は、昭和五七年一月ないし七月の合計であるので、同人は一か月当たり平均して一一万〇五三一円の時間外勤務手当等の支払を受けていたことになる(七七万三七一九円÷七か月)。すると、原告が本件事故により休業・退職を余儀なくされなければ、時間外勤務手当等として同人が勤務可能であつた平成三年三月三一日まで毎月右金額を支給されたであろうことが推認される(原告は、昭和五七年中の一か月当たりの時間外勤務手当等は少なくとも一二万円であると主張し、甲第一三号証を提出し、その趣旨に沿つた供述をするが、甲第一三号証は、昭和五五年中の時間外勤務手当等であるので、右認定を妨げるものではない。)。

右認定事実を基礎として、原告の取得したであろう年収を計算すると、別紙<2>記載のとおりになる。

(2) 休業損害

原告は、昭和五八年一月一日から翌昭和五九年三月三一日までに、大阪府から給与等として、昭和五八年分四二二万八六七七円、翌昭和五九年一月一日から同年三月三一日までの分一五万六三一七円、計四三八万四九九四円(甲八、九)の支給を受け、そして、右休業がなく通常どおりに勤務したと仮定した場合に原告が支給を受けたであろう金員は、別紙<2>記載のとおり昭和五八年分七六〇万六〇〇〇円、翌昭和五九年三月三一日までの分一九七万三七四〇円(日割り計算、七九三万八三四〇円÷三六六日×九一日)、計九五七万九七四〇円となる。

そうすると、右期間中の本件事故がなければ本来支給されたであろう金員と右期間中に現実に支給された金員の差額、昭和五八年分三三七万七三二三円、翌昭和五九年一月一日から同年三月三一日までの分一八一万七四二三円、計五一九万四七四六円が右期間中の休業損害となる。

(3) 逸失利益

前記認定事実によれば、原告が昇給及びベースアツプを主張する昭和五九年四月一日から退職予定時の平成三年三月三一日までの同人の年収は、各年ごとに別紙<2>記載のとおりとなる。

なお、原告は、右退職後再就職することを前提として、平成三年四月一日以降の分の逸失利益も主張するが、原告自ら「定年退職後は、郷里大分県へ帰り、妻とともに悠々自適の生活を送ることにしていた」と主張し、原告本人もその旨供述するので、右再就職を前提としての主張は採用することができない。

前記認定の受傷内容、治療経過、症状の経過等を勘案すると、原告の労働能力の喪失割合は、それぞれ、原告が大阪府警を退職した日の翌日である昭和五九年四月一日から大阪府立病院へ再入院した日の前日である平成元年三月二九日までは平均して四〇パーセント、右病院へ再入院した日である同月三〇日から右股関節の症状が固定した日の前日である同年七月二六日までは一〇〇パーセント、右症状固定日である同月二七日から原告の退職予定日であつた平成三年三月三一日までは平均して四〇パーセントであるとするのが相当である。

そうすると、昭和五九年四月一日以降に原告が働くことができなかつたことによる損害は、労働能力喪失による逸失利益として評価することとし、その額は、別<3>一のとおりとなる。

(4) (1)ないし(3)で算定された各年ごとの休業損害及び逸失利益をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の右損害の本件事故時の現価を計算すると、別紙<3>二のとおりとなる。

(四)  退職差額金 〇円

前記認定のとおり、原告退職予定時(平成三年三月三一日)の本給が四三万三八〇〇円であること及び甲第一〇号証の二によれば、原告の退職予定時の退職金は、右本給四三万三八〇〇円に六七・七を乗じた金額二九三六万八二六〇円であることが認められ、甲第一〇号証の一によれば、原告は、退職時(昭和五九年三月三一日)に退職金二三一五万二二六八円が支給されたことが認められる。そこで、右退職予定時の退職金額につき年五分の割合によりホフマン方式により中間利息を控除し、右退職時の現価を求めると二一七三万二五一二円(二九三六万八二六〇円×〇・七四〇)になり、右金額よりも原告が現実に支給された退職金の方が多額となるので、退職差額金は生じない。

(五)  慰謝料 七七〇万円

前記認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容及び程度並びに年齢その他弁論に現れた諸事情を総合考慮すれば、本件事故により原告が受けた精神的・肉体的苦痛に対する慰謝料としては七七〇万円(入通院慰謝料一七〇万円、後遺障害慰謝料六〇〇万円)とするのが相当である。

五  過失相殺

前記二で認定した過失割合からして、以上認定の原告の損害額合計(三五六〇万〇五一一円)から二割を控除すると、被告章一に請求可能な損害額は二八四八万〇四〇八円となる。

六  損害の填補(抗弁2)

抗弁2の事実は当事者間に争いがない。

よつて、七一〇万六五〇七円を前記認定の原告の損害額から控除すると、残損害額は二一三七万三九〇一円となる。

七  弁護士費用(請求原因三(二)(8))

原告が本件訴訟の提起・遂行を原告訴訟代理人に委任したことは本件記録上明らかであるところ、請求額、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係のある損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、二〇〇万円とするのが相当である。

八  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告章一に対し、原告が金二三三七万三九〇一円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五七年七月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求及び被告則幸に対する請求は失当であるからこれらをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 林泰民 大沼洋一 中島栄)

別紙<1>(本給)

昭和五八年一月一日ないし昭和五九年三月三一日

三二万六二〇〇円(なお、原告は、この間の昇給・ベースアツプの主張・立証を行つていない。)

昭和五九年四月一日ないし同年六月三〇日

三四万六八〇〇円

昭和五九年七月一日ないし昭和六〇年六月三〇日

三五万〇四〇〇円

昭和六〇年七月一日ないし昭和六一年三月三一日

三七万一九〇〇円

昭和六一年四月一日ないし同年六月三〇日

三八万〇五〇〇円

昭和六一年七月一日ないし昭和六二年三月三一日

三八万四二〇〇円

昭和六二年四月一日ないし同年六月三〇日

三八万九七〇〇円

昭和六二年七月一日ないし昭和六三年三月三一日

三九万三三〇〇円

昭和六三年四月一日ないし昭和六三年九月三〇日

四〇万二二〇〇円

昭和六三年一〇月一日ないし平成元年三月三一日

四〇万五八〇〇円

平成元年四月一日ないし同年九月三〇日

四一万七三〇〇円

平成元年一〇月一日ないし平成二年三月三一日

四二万〇九〇〇円

平成二年四月一日ないし平成三年三月三一日

四三万三八〇〇円

別紙<2>(年収)

1 昭和五七年分 七六〇万六〇〇〇円

七〇五万三三四五円+一一万〇五三一円×五か月(昭和五七年八月ないし一二月の時間外勤務手当等)

2 昭和五八年分 七六〇万六〇〇〇円

原告は、昭和五八年分の昇給及びベースアツプを主張・立証しないので、同人が得たであろう同年分の年収は少なくとも昭和五七年分のそれと同額であると推認される。

3 昭和五九年分 七九三万八三四〇円〔七六〇万六〇〇〇円(昭和五八年分の収入、以下同じ)+(一〇万九四〇九円+二二万二九三一円、昭和五九年分の増収分、以下同じ)〕

(一) 昭和五九年四月一日ないし同年六月三〇日の昇給及びベースアツプによる増収分 一〇万九四〇九円

【〔三四万六八〇〇円×一・〇八三(本給と調整手当の合計額、以下同じ)〕-〔三五万三二五六円(昭和五八年の本給と調整手当の合計額、以下同じ)〕】×四・九か月(四月、五月、六月及び六月に支給される賞与分、以下同様)

(二) 昭和五九年七月一日ないし同年一二月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 二二万二九三一円

(三五万〇四〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×八・五か月

4 昭和六〇年分 八二四万七一五七円〔七六〇万六〇〇〇円+(二二万〇三〇八月+四二万〇八四九円)〕

(一) 昭和六〇年一月一日ないし同年六月三〇日の昇給及びベースアツプによる増収分 二二万〇三〇八円

(三五万〇四〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×八・四か月

(二) 同年七月一日ないし同年一二月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 四二万〇八四九円

(三七万一九〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×八・五か月

5 昭和六一年分 八六〇万一六一一円〔七六〇万六〇〇〇円+(一七万三二九〇円+二八万八二四四円+五三万四〇七七円)〕

(一) 昭和六一年一月一日ないし同年三月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 一七万三二九〇円

(三七万一九〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×三・五か月

(二) 同年四月一日ないし同年六月三〇日の昇給及びベースアツブによる増収分 二八万八二四四円

(三八万〇五〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×四・九か月

(三) 同年七月一日ないし同年一二月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 五三万四〇七七円

(三八万四二〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×八・五か月

6 昭和六二年分 八七八万〇八二七円〔七六〇万六〇〇〇円+(二一万九九一四円+三三万七〇六六円+六一万七八四七円)〕

(一) 昭和六二年一月一日ないし同年三月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 二一万九九一四円

(三八万四二〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×三・五か月

(二) 同年四月一日ないし同年六月三〇日の昇給及びベースアツプによる増収分 三三万七〇六六円

(三八万九七〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×四・九か月

(三) 同年七月一日ないし同年一二月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 六一万七八四七円

(三九万三三〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×八・五か月

7 昭和六三年分 八九八万五〇二六円〔七六〇万六〇〇〇円+(二五万四四〇七円+六五万〇三八〇円+四七万四二三九円)〕

(一) 昭和六三年一月一日ないし同年三月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 二五万四四〇七円

(三九万三三〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×三・五か月

(二) 同年四月一日ないし同年九月三〇日の昇給及びベースアツプによる増収分 六五万〇三八〇円

(四〇万二二〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×七・九か月

(三) 同年一〇月一日ないし同年一二月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 四七万四二三九円

(四〇万五八〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×五・五か月

8 昭和六四年(平成元年)分 九二七万一二七七円〔七六〇万六〇〇〇円+(三〇万一七八八円+七九万九三〇七円+五六万四一八二円)〕

(一) 昭和六四年一月一日ないし平成元年三月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 三〇万一七八八円

(四〇万五八〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×三・五か月

(二) 同年四月一日ないし同年九月三〇日の昇給及びベースアツプによる増収分 七九万九三〇七円

(四一万七三〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×八・一か月

(三) 同年一〇月一日ないし同年一二月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 五六万四一八二円

(四二万〇九〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×五・五か月

9 平成二年分 九七九万八九一二円〔七六〇万六〇〇〇円+(三五万九〇二五円+一八三万三八八七円)〕

(一) 平成二年一月一日ないし同年三月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 三五万九〇二五円

(四二万〇九〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×三・五か月

(二) 同年四月一日ないし同年一二月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 一八三万三八八七円

(四三万三八〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×九か月+〔四三万三八〇〇円×一・〇八三×一・一(警部補役職加算分、以下同じ)-三五万三二五六円〕×四・八か月(六月及び一二月の賞与分、以下同様)

10 平成三年分 二三一万五〇四一円(七六〇万六〇〇〇円÷三六五日×九〇日+四三万九五八九円)

平成三年一月一日ないし同年三月三一日の昇給及びベースアツプによる増収分 四三万九五八九円

(四三万三八〇〇円×一・〇八三-三五万三二五六円)×三か月+(四三万三八〇〇円×一・〇八三×一・一-三五万三二五六円)×〇・五五か月

別紙<3>(労働能力喪失による昭和五九年四月一日以降の逸失利益、中間利息控除後の損害額)

一 労働能力喪失による昭和五九年四月一日以降の逸失利益

労働能力喪失率は、昭和五九年四月一日から平成元年三月二九日までが四〇パーセント、同月三〇日から同年七月二六日までが一〇〇パーセント、同月二七日から平成三年三月三一日までが四〇パーセントである。昭和五九年四月一日ないし同年一二月三一日 二三八万五八三九円

五九六万四五九九円(七九三万八三四〇円÷三六六日×二七五日、昭和五九年分の年収の日割り計算、以下同様)×〇・四

昭和六〇年分 三二九万八八六二円

八二四万七一五七円×〇・四

昭和六一年分 三四四万〇六四四円

八六〇万一六一一円×〇・四

昭和六二年分 三五一万二三三〇円

八七八万〇八二七円×〇・四

昭和六三年分 三五九万四〇一〇円

八九八万五〇二六円×〇・四

昭和六四年一月一日ないし平成元年三月二九日 八九万四一〇六円

二二三万五二六六円×〇・四

同年三月三〇日ないし同年七月二六日 三〇二万二六九〇円

三〇二万二六九〇円×一

同年七月二七日ないし同年一二月三一日 一六〇万五三二七円

四〇一万三三一九円×〇・四

平成二年分 三九一万九五六四円

九七九万八九一二円×〇・四

平成三年分 九二万六〇一六円

二三一万五〇四一円×〇・四

二 中間利息控除後の損害額

昭和五八年分 三二一万五二一一円

三三七万七三二三円×〇・九五二

昭和五九年一月一日ないし同年三月三一日 一六五万二〇三七円

一八一万七四二三円×〇・九〇九

同年四月一日ないし同年一二月三一日 二一六万八七二七円

二三八万五八三九円×〇・九〇九

昭和六〇年分 二八六万六七一一円

三二九万八八六二円×〇・八六九

昭和六一年分 二八六万六〇五六円

三四四万〇六四四円×〇・八三三

昭和六二年分 二八〇万九八六四円

三五一万二三三〇円×〇・八〇〇

昭和六三年分 二七六万三七九三円

三五九万四〇一〇円×〇・七六九

昭和六四年一月一日ないし平成元年三月二九日 六六万一六三八円

八九万四一〇六円×〇・七四〇

同年三月三〇日ないし同年七月二六日 二二三万六七九〇円

三〇二万二六九〇円×〇・七四〇

同年七月二七日ないし同年一二月三一日 一一八万七九四一円

一六〇万五三二七円×〇・七四〇

平成二年分 二七九万八五六八円

三九一万九五六四円×〇・七一四

平成三年分 六三万八〇二五円

九二万六〇一六円×〇・六八九

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