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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)3920号 判決 1995年10月26日

原告

株式会社イシグロ

右代表者代表取締役

石黒為三

右訴訟代理人弁護士

坂東宏

萩原壽雄

被告

野村證券株式会社

右代表者代表取締役

酒巻英雄

右訴訟代理人弁護士

辰野久夫

右訴訟復代理人弁護士

尾崎雅俊

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

一  被告は原告に対し、金一億二五三〇万六〇四六円及びこれに対する平成四年五月二三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二  事案の概要

一  請求原因の要旨

1  主位的請求(証拠金返還請求)

(1) 平成二年一二月、原告は被告との間で、株価指数オプション取引口座設定契約を締結し(以下「本件契約」という。)、被告に株価指数オプション取引(以下「本件取引」という。)を委託した(争いなし)。

(2) 平成三年二月、原告は本件取引の銘柄、数量、対価の額及びオプションを付与する立場の当事者となるか取得する立場の当事者となるかの別の判断を被告に一任した(以下「本件一任勘定取引委託」といい、この委託に係る取引を「本件一任勘定取引」という。)。

(3) 原告は被告に対し、本件契約に基づき、平成四年一月六日に金九〇〇〇万円、同月一三日に金一五九〇万〇五〇〇円を預託した(争いなし)。

(4) 平成四年一月一日、証券取引法が改正され、これにより証券会社と一般投資者との間の一任勘定取引契約の締結が禁止された。したがって、原被告間の本件一任勘定取引委託も同日をもって失効した。

仮に証券取引法の改正による一任勘定取引契約の締結禁止が行政的な規制であって、同契約の私法上の効力には影響しないとしても、被告は証券取引法の改正後も本件一任勘定取引の継続について原告に確認することなく、かつ右法改正を原告に通知することもなく、原告の無知に乗じて本件一任勘定取引を継続させた。被告のこのような行為は著しく信義則に反しているので、本件一任勘定取引委託は平成四年一月一日をもって失効したと解すべきである。

(5) しかるに被告は、平成四年一月一日以降も原告の計算において本件一任勘定取引を継続し、同年一月六日から同年三月一八日までの間に本件取引によって原告の計算において一億二五三〇万六〇四六円の損失を発生させた。

(6) 被告は右(3)記載の預託金合計金一億〇五九〇万〇五〇〇円及び原告が本件取引委託証拠金代用証券として被告に預託していた日立製作所の株式一万株及び日本通運の株式二万株を右損失に充当した(争いなし)。

(7) しかし、右(5)記載の損失は本件一任勘定取引委託失効後に被告が原告に無断で本件取引を継続したことによって生じたものであり、原告の計算において処理することはできない。

(8) 平成四年三月一八日、原告は被告に対して、本件契約を解除する旨の意思表示をした。

(9) よって原告は被告に対し、委託契約終了に基づく預託金及び預託株式相当金の返還請求として、金一億二五三〇万六〇四六円及びこれに対する訴状送達の翌日である平成四年五月二三日から支払済みまで、商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  予備的請求(その一)(不法行為に基づく損害賠償請求)

(1) 意思確認および報告の懈怠

① 仮に、証券取引法上の一任勘定取引契約締結禁止規定が、本件一任勘定取引委託の私法上の効力に影響しないとしても、被告従業員である訴外田中裕之(以下「田中」という。)は一任勘定取引契約の締結が法律上禁止されたことを知りつつ、平成四年一月六日以降も自らの判断に基づき、原告に無断で本件取引を原告の計算において継続し、また本件取引実行後もその取引内容について原告に何ら報告しなかった。

② 原告は田中から一任勘定取引契約の締結が禁止されたことを知らされていれば、平成四年一月初めに本件一任勘定取引を中止していたはずである。また、田中から同人が実行した本件取引の報告を受けていれば、前記1(5)記載の損失発生前に本件取引を中止していたはずである。

(2) 断定的判断の提供による勧誘

① 田中は、原告に本件取引を勧めるに際して、絶対に損失は生じず確実に利益が生じる旨の断定的判断を提供して原告を勧誘した。

② 原告は田中の右判断を信用して本件契約を締結し、本件取引を開始した結果、前記1(5)記載の損害を被った。

(3) 被告は証券業を営む株式会社であり、田中はその従業員であるが、右(1)(2)の不法行為は田中が被告の事業を執行するについて行ったものである。

3  予備的請求(その二)(債務不履行に基づく損害賠償請求)

(1) 意思確認義務違反

① 仮に、証券取引法上の一任勘定取引契約締結禁止規定が、本件一任勘定取引委託の私法上の効力に影響しないとしても、田中は一任勘定取引契約の締結が法律上禁止されたことを知っていたのであるから、原告に対して本件一任勘定取引を継続するか否かを確認する義務があるのにこれを怠り、平成四年一月六日以降も自らの判断に基づき、原告に無断で本件取引を原告の計算において継続した。

② 平成四年一月初めにおいて、被告が原告に証券取引法の改正により一任勘定取引契約の締結が禁止された旨を告知し、本件取引を継続するか否かを確認していれば、原告は本件取引を中止していたはずであり、前記1(5)記載の損害を被ることはなかった。

(2) 取引報告義務違反

① 被告は、本件取引実行後原告にその取引内容を報告する義務があるのに、平成四年一月以降、右報告義務を怠った。

② 被告の右債務不履行により、原告は自ら本件取引による損益を確認して、本件取引継続の是非を判断する機会を奪われ、その結果前記1(5)記載の損害を被った。

(3) 情報提供義務違反

① 被告は、原告に対し、本件取引の内容及び方針を決定するために有用な情報を提供すべき義務があるのに、平成四年一月以降右情報の提供をしなかった。

② 原告は被告の右債務不履行によって前記1(5)記載の損害を被った。

(4) 損失限定合意違反

被告は、原告との間で、本件取引の開始に際して、本件取引による損失の通算が一〇〇〇万円を超えないようにする旨合意したが、被告は右合意に違反して本件取引を行い、原告に前記1(5)記載の損害を被らせた。

二  被告の主張

1  一任勘定取引の無効、無断売買及び情報提供義務違反の主張に対して

田中は、本件取引の執行にあたっては、毎日午前九時前に原告代表者石黒為三(以下「石黒」という。)に連絡し、海外の株式市況の動向など、本件取引の方針を決定するのに有用な情報を提供し、石黒とその日の本件取引についての基本的な方針を打ち合わせ、石黒の意向を確認した上、その範囲内で本件取引を執行する権限を与えられ、これに基づいて本件取引を行ってきたのであり、このような取引形態は証券取引法の禁止するところではない。

また仮に証券取引法に違反するとしても、証券取引法は行政取締法規であり、一任勘定取引委託の私法上の効力には影響がない。

2  取引報告義務違反の主張に対して

田中は個々の本件取引について、毎日その内容及び損益を電話、ファックスあるいは訪問の方法により石黒に報告していた。

また、被告は原告に対し、本件取引の約定日の翌営業日に本件取引の内容を記載した取引報告書(乙四一)を送付していたし、右取引報告書のほかに取引の明細及び預り証券などの明細を記載した「月次報告書」及び売買取引計算書(乙八ないし二一)を原告に送付していたのであるから、取引の報告として欠けるところはない。

3  断定的判断の提供による勧誘及び損失限定合意違反の主張に対して

田中が石黒に対して断定的判断を提供した事実はない。また、原被告間には原告が主張するような損失限定合意は存在しない。

三  争いのない事実

1  原告は被告との間で、昭和五一年以降有価証券売買委託取引を開始し、昭和六二年六月からは株式先物取引も開始した。原告は、被告以外の証券会社とも取引があった。

2  田中は石黒に対し、本件取引開始にあたって、次の各事項について説明し、取引説明書(乙三)を交付した。

(1) 本件取引は、株価指数を権利行使期間内に権利行使価格で買い付ける権利及び売り付ける権利の売買であること

(2) 右買い付ける権利をコールと言い、売り付ける権利をプットと称すること

(3) 日経ダウを指標とすること

(4) コール及びプットそれぞれについて売りと買いができること

(5) 買いについては、現物株式と同じように現金(取引代金、プレミアム)が必要であること

(6) 売りについては委託証拠金が必要であり、有価証券で代用できること

(7) 委託証拠金の計算方法

(8) 権利行使価格が日経平均株価の数値について五〇〇円刻みであること

(9) 買いは損失をプレミアム分に限定できるが、売りは損失を限定できないこと

(10) 少ない資金で大きな利益が期待できる(レバレッジ効果)代わりに、その分リスクも大きいこと

(11) いろいろなポジションを組むことやいろいろな戦略をとることが可能であること

(12) 一ケ月ごとに満期日が到来すること

(13) 満期時に現物株式のダウにリンクすること

(14) 日本の場合、直近の限月に商いが集中すること

(15) 精算日は四日目であること

(16) 決済の方法

3  石黒は、個人としても、平成三年六月から被告との間で本件取引を開始したが、税制上メリットが少ないことから翌七月に取引を終了させた。

4  原告は資産形成の一環として被告と取引しており、同取引は代表者の石黒が担当していた。

5  平成三年二月頃、田中は石黒に対し、「オプションは価格変動が激しいので、個別に事前に連絡を取ろうとするとタイミングを逸してしまう可能性がある。」と説明し、石黒は、「すべてを任せる。」と答えた。

6  平成三年一二月以前においては、石黒は田中から海外の株式市況の動向等東京株式市況に影響のありそうな情報の提供を受けていた。また、月々の売買取引計算書(乙八ないし二一)を送付してもらい、石黒は本件取引による原告の損益を確認していた。この期間中石黒は本件取引につき被告に異議や苦情を述べたことはない。

7  被告は原告から、一任勘定取引に関する確認書を徴求していない。

四  争点

1  証券取引法上の一任勘定取引契約締結禁止の規定が既存の一任勘定取引契約の私法上の効力に与える影響

2  一任勘定取引継続意思の確認義務の有無

3  本件取引執行後の報告の有無

4  取引方針の事前確認の有無

5  情報提供義務違反の有無

6  断定的判断の提供による勧誘の有無

7  損失限定合意の有無

五  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載のとおりであるから、これらを引用する。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  平成三年七月八日付で大蔵省証券局長から社団法人日本証券業協会長宛に、証券会社は売買の別、銘柄、数及び価格のすべてを顧客から一任されて行う一任勘定取引を行ってはならない旨及び右に列挙した事項のうちいくつかを顧客から一任されて行う一任勘定取引については顧客から確認書を取り、財務局長に提出すべきこと等を内容とする通達が出された(甲一、二)。

更に証券取引法改正により、平成四年一月一日から証券会社が一般投資者と一任勘定取引契約を締結することが禁止された(同法五〇条一項三号参照)。

2  被告は原告から右1記載の確認書を徴求していない(争いなし)。

3  しかし、右通達は社団法人日本証券業協会に対する行政指導に過ぎないのであるから、これを根拠として各証券会社が私法上、顧客に対して一任勘定取引継続の意思確認の義務を負うと解することはできない。また、証券取引法の右規定は新たな一任勘定取引契約の締結を禁止しているに過ぎず、既存の一任勘定取引契約の継続をも禁止するものではない。

4  証券取引法が一任勘定取引契約の締結を原則的に禁止した趣旨としては、

(1) 顧客の自己責任意識の希薄化をもたらし、損失が生じた場合に顧客と証券会社との間で紛争が生じやすいこと

(2) 証券会社が売買委託手数料を稼ぐ目的で過度の売買を行うなど、顧客に対する背任的あるいは利益相反的取引が行われる温床となる可能性があること

が考えられる。

右(1)については、「自己責任意識の希薄化の防止」や「紛争の防止」は証券市場の健全化という行政目的に資するものではあるが、個々の顧客の個人的利益の保護とは直接関係がない。証券取引法五〇条が一定の例外を認めていることからも推知されるように、一任勘定取引は一面において合理性を有しており、それ自体が公序に反すると言うことはできない。したがって、顧客が証券投資に伴う危険性を認識し、一任勘定の意味を理解して一任勘定取引契約を締結した場合に、その契約を私法上無効とする理由はない。

もっとも、証券投資の危険性や一任勘定の意味を理解しないままに一任勘定取引を勧められ、それによって損失が生じた場合に、顧客に損害賠償請求が認められることがあり得るが、これは適合性原則違反ないし詐欺的手法による投資勧誘(説明義務違反、断定的判断の提供など)を理由とするものであり、一任勘定取引契約の締結が証券取引法上禁止されていることを直接の理由とするものではない。危険性を認識しつつ一任勘定取引という方法を選択した顧客が、証券取引法が同取引を禁止したからといって損失の帰属を否認できるという解釈こそ、自己責任の意識の希薄化に拍車をかけるものであり、到底採用できない。

右(2)については、一任勘定取引を受託した証券会社も顧客に対して善管注意義務を負っているのであるから、背任的取引が行われて顧客に損失が生じた場合に証券会社が右顧客に対して債務不履行責任ないし不法行為責任を負うのは当然のことである。確かに、一任勘定取引が背任的取引の温床となる可能性があるということが証券取引法改正の趣旨であるから、その点において一任勘定取引の禁止は顧客の保護とは無関係ではないが、個々の顧客の救済としては債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償で必要かつ十分である。善管注意義務違反がない場合であっても、一任勘定取引契約を私法上無効として顧客が損失の帰属を否認できるとの解釈は、顧客が証券会社のリスクにおいて投機することを認めるに等しく、不当である。

5  したがって、平成四年一月一日をもって本件一任勘定取引委託が失効したと解することはできず、それを前提とする預託金返還請求は理由がない。

二  争点2について

証券投資をするか否か、あるいは一任勘定取引を行うか否かは本来的に投資者本人が自己の責任において判断すべき事項であり、証券会社に顧客の意思確認の義務はない。

確かに、前記一4で述べたような証券取引法改正の趣旨に鑑みると、証券取引市場の健全化という行政的観点からは、既存の一任勘定取引を終結させるのが望ましいと言えるが、その一任勘定取引契約の締結過程に何ら違法な点がなければ、その継続は当該顧客の個人的利益を侵害するものではないのであるから、意思確認を行うことは行政的な取締目的には資するものの、顧客の個人的利益の保護とは関係がない。後記のとおり、本件一任勘定取引委託の違法性を認めることはできないから、意思確認をせずに本件一任勘定取引を継続させたことを私法上違法と評価することはできず、意思確認の懈怠を理由とする一任勘定取引委託の失効、不法行為及び債務不履行の主張はいずれも理由がない。

三  争点3について

被告は平成四年一月以降も取引明細書(乙三六、三九)を原告に送付しており、原告は、経理担当者のチェックを経た後、同年二月中旬被告に右明細書に対する回答書を返送している(乙三五、三八、原告代表者本人)。

乙三九には、平成四年一月以降の本件取引が明記されていること、原告の経理担当者が取引明細書をチェックするためには個々の本件取引に関する取引報告書(乙四一)との対照作業が必要であること、及び取引報告書は担当外務員の手を経ないで、被告から機械的に顧客に送付される仕組になっていること(乙三)などからすると、平成四年一月以降も原告は取引報告書を受領していたと認められる。

また、右取引報告書にはその日に実行された取引の内容及び生じた損益が明記されているのであるから(乙四一)、前記争いのない事実1の原告の取引経験からすれば、原告が本件取引による損益を把握して、その継続の是非を判断する機会はあったと認められる。

したがって、事後報告の懈怠を理由とする不法行為及び債務不履行の主張は理由がない。

四  争点4について

1  平成三年一二月以前

(1) 平成三年一二月以前において、石黒が田中から海外の株式市況の動向等東京株式市況に影響のありそうな情報の提供を受けていたことは当事者間に争いがないが、原告は、本件取引の基本的方針の打合せは一切行われていない旨主張し、原告代表者本人もこれに沿う供述をしている。

証人田中及び乙二三によれば、田中が石黒に右のような情報を提供する場合、それに付随して両者の間で、取引についての基本的方針の確認がなされていた事実が認められる。石黒は本件取引の仕組み等を理解していなかったと原告は主張しているが、前記争いのない事実1ないし4によれば到底右のように認めることはできず、原告代表者本人によっても、石黒には本件取引について基本的な理解はあったものと認められる。こうした石黒の理解を前提とすれば、右基本的方針確認の事実を認めるのが相当である。すなわち、顧客の最大の関心事は損益の見込みである以上、情報の提供はその相場への影響の予想と一体としてなされているはずであり、その相場への影響の予想に基づいて、取引の方針を決定しているはずだからである。外務員が情報を提供するだけで、それが相場に与える影響を全く説明せず、取引方針も提示しないということは、顧客が一定の理解力を有する一般投資者である限り想像し難い。したがって、右のとおり平成三年一二月以前において、田中が石黒に対して本件取引について事前に一定の方針を提示していたと認めるのが相当である。

(2) そして、平成三年一二月以前においては原告が個々の本件取引について事後報告を受けていた事実及びその事後報告の際に石黒が異議を述べず、田中の求めに応じて、その日に行われた取引内容を委託注文書に記載して、記名捺印していたことは原告も認めるところであり、右各事実からすると、石黒は事前に田中が提示した取引方針に同意し、田中はその方針に沿って本件取引を行っていたと認められる。

2  平成四年一月以降

(1) 前記三で認定したとおり、平成四年一月以降においても、日々の本件取引について取引報告書が原告に送付されており、石黒も少なくとも右報告書に「プット」「コール」の文字が記載されていることは認識していた(原告代表者本人)。

(2) 石黒は、同年一月六日に九〇〇〇万円、同月一三日に一五九〇万〇五〇〇円を本件取引の資金として被告に預託した(争いなし)。

右各事実及び証人田中によれば、石黒は平成四年一月以降においても本件取引の継続を認識していたと認められる。

ところが、原告は、平成四年一月以降の本件取引は原告に無断で行われたものであると主張し、原告代表者本人もこれに沿う供述をしている。

しかし、平成三年一二月以前には前記1で認定したように、事前に取引の方針について打合せが行われていたのに、仮に平成四年一月以降はそれが全く行われなくなったというのであれば、右で述べたように石黒は本件取引の継続を認識していたのであるから、田中に何らかの異議なり苦情なりを述べてしかるべきであるが、平成四年三月以前に石黒が田中に対して異議を述べたことはない(甲六、乙二三、証人田中)。遅くとも乙三九が原告に送付された時点で、損失の発生は明確に認識しうるのに、原告はこれに対して異議のない旨の回答書(乙三八)を被告に返送している。

右のような経過は無断売買とは相容れないものであり、平成四年一月以降も、それ以前と同様に基本的方針について事前の打合せが行われていたと認めざるをえない。

したがって、田中の無断売買を理由とする不法行為及び債務不履行の主張はいずれも理由がない。

五  争点5について

原告は、被告が平成四年一月以降、本件取引の判断に有用な情報を提供しなくなったと主張し、原告代表者本人もこれに沿う供述をしている。

しかし、前記四で認定したとおり、平成四年一月以降も田中と石黒の間で本件取引の基本的な方針についての打合せが行われていたのであり、その前提としての情報提供の点についても特段の変化はなかったものであるから(証人田中)、情報提供義務違反を理由とする債務不履行の主張は理由がない。

六  争点6について

1  原告は、田中が石黒に対し、「必ず売り買い同時売買の保険を掛けるので絶対に損失が生じない」と言って勧誘した旨主張し、原告代表者本人もこれに沿う供述をしている。

しかし、乙八ないし二一の売買取引計算書から明らかなように、本件取引においては必ずしも「同時売買」が行われているわけではない。例えば、本件取引開始早々の平成二年一二月一八日にはプットオプションの新規売付が行われ、同日決済されているが、これに対応する新規買付は行われていない。また、翌一九日にはコールオプションの新規買付が行われ、同日決済されているが、これに対応する新規売付は行われていない。同二五日も一九日と同様である(乙八)。

前記三で認定したとおり、石黒は田中から日々の取引の事後報告を受けていたのであるから、仮に、田中が本件取引勧誘時に、「売り買い同時売買による保険を掛ける」旨述べていたとすれば、田中にこの点について質してしかるべきであるが、そのような事実は認められない。

2  また、以下の各事実が認められる。

(1) 田中が本件取引勧誘時に石黒に対して、「買いは損失をプレミアム部分に限定できるが、売りは損失を限定できないこと」、「少ない資金で大きな利益が期待できるかわりに、リスクも大きいこと」を説明したこと及び取引説明書(乙三)を交付したことについては当事者間に争いがなく、同説明書にも右と同様の説明が明記されている。

(2) 平成三年二月ころ、田中が石黒に「オプションは価格変動が激しいので、個別に事前に連絡を取ろうとするとタイミングを逸してしまう可能性がある。」と言い、これに対して石黒が「すべて任せる。」と答えたことについては当事者間に争いがない。

(3) また、平成三年一二月以前において、原告が被告から月々売買取引計算書(乙八ないし二一)を送付してもらい、石黒がそれによって本件取引による損益を確認していたことについては当事者間に争いがない。そして乙一一には、平成三年二月一九日から同年三月二二日までに行われた本件取引によって、一九三〇万七二五七円の損失が生じていることが明記されているのであるから、石黒は右損失を認識していたと認められる。

(4) 石黒は原告代表者として被告と昭和五一年から取引を始め、これまで株式現物取引、同信用取引、同先物取引、ワラント取引など多数回にわたる証券投資経験を有しており(乙三〇、三一)、本件取引勧誘時においてワラント取引から約五〇〇〇万円の評価損が生じていた(争いなし)。

右(1)の説明及び説明書の記載は、「絶対に損失が生じない」との勧誘文言と明らかに矛盾するものであるから、田中が本件取引の危険性の説明と原告が主張するような断定的判断の提供を両方行ったとは到底認められない。

また、右(2)の「価格変動が激しい」、「タイミングを逸してしまう」との田中の発言も、本件取引においては、わずかな時機の遅れによって大きな損失が生じることがあるという危険性を示すものであり、「絶対に損失は生じない」との断定的判断の提供とは明らかに矛盾する発言である。

したがって、仮に、田中が本件取引勧誘時に右のような断定的判断を述べ、石黒がそれを信用して本件取引を開始したのであれば、田中が右(2)のように申し出た時点で、石黒から、「そんな危険なものとは知らなかった。すぐに取引を中止してくれ。」という趣旨の異議が出てしかるべきであるが、石黒は田中に異議を述べたり、本件取引の中止を申し入れたりすることなく、「すべて任せる。」と言ったのである(争いなし)。それどころか石黒は、本件取引の危険性が顕在化したことを乙一一によって認識した時点においても、田中に本件取引の中止を申し入れていない。このような経過も、断定的判断の提供による勧誘とは矛盾するものである。

以上により、田中が本件取引勧誘時に、石黒に対して、「売り買い同時売買の保険を掛けるので絶対に損失は生じない」との断定的判断を提供したと認めることはできないし、仮に、田中が努力目標的な趣旨で「損失が生じないようにする」というような発言をしたとしても、石黒は右(4)で述べたような豊富な証券投資経験を有していたのであるから、「損失が生じない証券取引」などあり得ないことは石黒自身がよく知っていたと認められる。

したがって、石黒が田中の右のような発言を断定的判断ないし利益保証として受け取ったとは到底認められず、断定的判断の提供を前提とする不法行為の主張は理由がない。

七  争点7について

1  原告は被告に対して、平成二年一二月二五日に本件取引のために金一〇〇〇万円、同三年二月には委託証拠金代用有価証券として株券を預託している(乙二八、証人田中)。

2  田中は本件取引勧誘時に石黒に対して、「買いは損失をプレミアム部分に限定できるが、売りは損失を限定できないこと」を説明しており(争いなし)、その際石黒に交付された「株価指数オプション取引説明書」(乙三、この説明書の交付については争いなし。)にも同様の説明が明記されている。

3  本件取引においては新規売付も多数回行われており、その決済により損失が現実化したこともある。例えば、平成三年三月四日から八日にかけてコールオプションの新規売付が行われているが、決済によっていずれも損失が生じており、同年二月一九日から三月二二日の間に本件取引によって生じた損失は一九三〇万円余である。石黒も日々の事後報告及び売買取引計算書(乙一一)によってその事実を認識していたが、田中に本件取引の中止を申し入れていない。

右1ないし3の経過及び争いのない主位的請求の原因(3)の事実に照らすと、原告が主張するような損失限定の合意があったとは認められず、右合意違反を前提とする債務不履行の主張は理由がない。

第四  結論

以上、説示したとおり、本件一任勘定取引委託が無効であるとは認められず、原告の投資経験、被告の本件取引についての説明の程度、石黒の理解の程度、本件一任勘定取引の具体的態様等を総合すれば、平成四年一月以降に行われた本件取引が違法性を有すると認めることもできない。

よって、原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官前坂光雄 裁判官辻次郎 裁判官山本正道)

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