大阪地方裁判所 平成4年(ワ)4778号 判決 1997年1月23日
原告
白川多美惠
ほか三名
被告
佐光浩継
ほか一名
主文
一 被告佐光浩継は、原告白川多美惠に対し、三〇七万一〇八一円及びこれに対する平成三年四月一五日から支払済みまで年五分の金員を、原告白川清二、原告白川博、原告白川伸久のそれぞれに対し、九一万四三六〇円及びこれに対する平成三年四月一五日から支払済みまで年五分の金員を支払え。
二 原告らの被告佐光浩継に対するその余の請求及び被告富士火災海上保険株式会社に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告らに生じた費用の六分の五と被告佐光浩継に生じた費用の六分の一は原告らの負担とし、原告ら及び被告佐光浩継に生じたその余の費用は被告佐光浩継の負担とし、被告富士火災海上保険株式会社に生じた費用は原告らの負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告佐光浩継は、原告白川多美惠に対し、二〇三四万〇五七一円及びこれに対する平成三年四月一五日から支払済みまで年五分の金員を、原告白川清二、原告白川博、原告白川伸久のそれぞれに対し、六三六万三五二三円及びこれに対する平成三年四月一五日から支払済みまで年五分の金員を支払え。
二 被告富士火災海上保険株式会社は、原告らの被告佐光浩継に対する判決が確定したときは、原告白川多美惠に対し、二〇三四万〇五七一円及びこれに対する平成三年四月一五日から支払済みまで年五分の金員を、原告白川清二、原告白川博、原告白川伸久のそれぞれに対し、六三六万三五二三円及びこれに対する平成三年四月一五日から支払済みまで年五分の金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実等
以下の事実のうち、1、3、5は当事者間に争いがなく、2は乙第一号証の二ないし四、七ないし九、一二により、4は甲第二ないし第四号証により認めることができる。
1 被告佐光浩継(以下「被告佐光」という。)は、平成三年四月一四日午後三時一〇分ころ、普通乗用自動車(大阪七七ふ七七一二、以下「被告車両」という。)を運転して、大阪市東淀川区豊新一丁目一番五七号先の信号機により交通整理の行われている交差点を東から北へ右折しようとし、同交差点を西から東へ進行してきた白川清(以下「清」という。)の運転する原動機付自転車(大阪市東淀た五六〇七、以下「清車両」という。)と衝突した(以下「本件事故」という。)。
2 本件事故は、被告佐光が、前記交差点中心で一時停止したものの、先行する車両が右折を開始したため、右先行車両により左前方の見通しが悪かつたにもかかわらず漫然とこれに続いて発進し、対向車両の有無を確認しないまま右折進行した過失により、清車両の前部に被告車両の左前部を衝突させて清を転倒させ、清に頭部外傷Ⅱ型、胸腹部打撲、右血胸、肺挫傷、腎挫傷、胸椎圧迫骨折、右肋骨骨折、左足関節脱臼骨折の傷害を負わせたというものである。
3 清は平成三年五月六日に死亡した。
4 清死亡当時、原告白川多美惠(以下「原告」という。)はその妻であり、原告白川清二(以下「原告清二」という。)、原告白川博(以下「原告博」という。)、原告白川伸久(以下「原告伸久」という。)は、いずれもその子であつた。
5 被告佐光は、本件事故当時、被告富士火災海上保険株式会社(以下「被告富士火災」という。)との間で、自動車保険契約を締結していた。
二 争点
1 本件事故と清の死亡との相当因果関係の有無
(原告らの主張)
清は、本件事故の受傷による外傷性ストレスで急激に胃潰瘍となり、そのための出血で死亡したものであり、本件事故と清の死亡との間に因果関係があることは明らかである。なお、清は、本件事故以前に胃潰瘍になつたことはない。
(被告らの主張)
清にストレス性胃潰瘍が発生した事実はなく、仮に清にストレス性胃潰瘍が発生したとしても、本件事故による外傷との間に相当因果関係はなく、仮に相当因果関係が全く否定できないとしても、胃潰瘍の発生には、清が罹患していた心筋梗塞、清が投与されていた薬物、清の性格その他の要因が複雑に影響しあつて寄与しており、被告らが全面的に賠償義務を負うべきものではない。
2 損害額
3 過失相殺
第三当裁判所の判断
一 争点1について
1 甲第五、第六号証、第一一号証、乙第二号証、第一〇号証の二及び証人梁徳淳の証言によれば、以下の事実が認められる。
(一) 清は、本件事故後救急車で医誠会病院に搬送され、同病院において、頭部外傷、右第三、第四、第五肋骨骨折、右血胸、肺挫傷、腎損傷、左足関節脱臼骨折の傷病のため入院となり、保存的加療にて経過観察とされた。その後、清は平成三年四月一六日にはICUから通常の病棟に移り、同年四月二〇日ころからは医師の看護婦への指示も減り、同月二四日には抗生物質の投与が中止されるなど、清の外傷に対する症状はこのころにはかなり安定し、左足関節脱臼骨折に対する処置として考えられた観血的整復術には十分耐えうる全身状態となつていた。
(二) 平成三年四月二六日、医誠会病院において、清の左足関節脱臼骨折に対し観血的整復術が施行されたが、清は、術後の同日午後一時二〇分に急性心筋梗塞を窺わせる発作を起こし、同月二七日ころからは、胸痛、心電図異常から心筋梗塞を窺わせる症状が出たが、心筋梗塞が発症した場合大きな胸の痛みが発生するものの、清の場合もともと外傷の痛みがあつたため、清の症状が心筋梗塞であるのかどうかをはつきりと診断するには難しかつたが、最悪の事態を想定してニトログリセリン製剤の点滴投与等の治療が行われた。
なお、清は、本件事故以前に、昭和五九年一一月に心筋梗塞、昭和六〇年五月に気管支喘息、昭和六一年二月に右脳梗塞で治療を受けたことがあつた。
(三) その後、清は、平成三年四月三〇日には朝から吐下血が出現し、胃内視鏡検査の結果胃全般に地図状の潰瘍が認められ、多発性胃潰瘍からの出血と診断されたが、手術を施行するのであれば胃摘出となり全身状態から現在は無理と判断され、抗潰瘍剤投与及び輸血を受けたところ、やがて全身状態は安定した。しかし、同年五月三日に大量吐血があり、意識障害を起こしたため、輸血及び胃内視鏡下に止血処置が施行され、その後血圧等が安定したものの、同月六日に再び大量吐血があり、血圧が急激に低下、シヨツク状態となり、輸血及び昇圧剤の投与によつても効果がなく、清はシヨツク状態を離脱できないまま、同日午後九時三分死亡した。
同月七日、大阪大学医学部法医学教室において、医師若杉長英によつて行われた死体検案の結果、清の死因は胃潰瘍による失血とされた。
2 乙第二号証及び証人梁徳淳の証言並びに弁論の全趣旨によれば、医誠会病院における清の主治医であつた梁徳淳医師は、清に対し内視鏡検査を行つた結果、平成三年四月三〇日には胃の全般に浅い地図状の潰瘍が多発しているとの所見を、また、同年五月三日には胃上部前壁には母指大の孤立性の潰瘍があり、その深さは粘膜下層に達するものであるとの所見を、更に、同月四日には六ないし七個の潰瘍があり、そのうちの一個は血管露出、露出血管は黒く変色しており枯れた状態であり一応止血しているが、地図状の浅い急性多発性潰瘍があり、そのうちの一つが急性孤立性胃潰瘍であるとの所見をそれぞれ得、これらの所見から、清には急性的にできたストレス性潰瘍の症状があると考えたことが認められる。そして、証人梁徳淳は、清は、胸部の痛みに加え、足関節の脱臼骨折のため左足を固定されベツド上で一日中寝ていなければならないという状況であつたため、これらの肉体的精神的なストレスを原因とする胃潰瘍による出血で死亡したものである旨供述し、また、証人辻孝夫も、清は、事故によるストレスを原因とする胃潰瘍で死亡したと断言できると供述する。
しかし、一方で、乙第二号証及び証人梁徳淳の証言によれば、清には、本件事故後に頭部外傷による意識障害はあつたものの、頭蓋骨骨折や脳挫傷などの脳に対する器質的障害はなく、同年四月二六日に施行した観血的整復術の直前の時点では、清の症状のうち一番重篤であつたのは胸背部痛であり、証人梁徳淳も、肋骨骨折が原因でストレス性の胃潰瘍になつてしまつた患者を診た経験のないことが認められ、これらによると、清の年齢や個体差などを考慮しても、清が本件事故によつて受けた外傷自体は、清に胃潰瘍を発症させるほどの強度の肉体的並びに精神的ストレスを及ぼす程度のものであつたとは認めにくい。しかも、証人若杉長英が、清の解剖時の所見としては胃潰瘍が一個認められたにすぎず、潰瘍の修復過程からみて、本件事故よりもつと以前のものであり、少なくとも一週間とか二週間というレベルのものではないと思つた、また、この程度の外傷でストレス性胃潰瘍になつたという例は知らないと供述し、また、乙第三号証には、胃粘膜は死後変化を受けやすい組織の一つであるので、生前清の胃粘膜に粘膜の発赤程度の異常が存在していた可能性は否定しないが、同潰瘍以外に大量出血を来すような潰瘍が存在していなかつたことは確実であるとの記載があることに照らすと、清は本件事故以前から胃潰瘍を発症していたと認めるのが相当であり、本件事故によるストレスによつて清が胃潰瘍を発症したと認めることはできない。
3 もつとも、証人若杉長英が、清にもともと潰瘍があつてストレスが加わつたためにその潰瘍を少し悪くしたということであれば理論上はあり得ると供述していること、また、証人辻孝夫も、清の既往症である心筋梗塞、脳梗塞は、清の胃潰瘍を助長した原因にはなつたかも知れない、本件事故以外に、清が高齢であることや清の陳旧性の脳梗塞が胃潰瘍に影響したということは十分考えられ、条件としてストレス潰瘍を発生させやすい若干の素地はあつたのではないかと考えることができると供述していること、更に、乙第一一号証の二にも、観血的整復術が多臓器障碍を助長した結果、従前からの胃潰瘍が悪化したとする可能性が考えられる旨の記載があることに照らすと、清に本件事故以前から胃潰瘍があつたとしても、本件事故と清の死亡とが無関係であるということはできず、むしろ、本件事故によつて清が受けた外傷と、もともと清に発症していた胃潰瘍とが相俟つて、清が死亡したと認めるのが相当であり、本件事故は、清の胃潰瘍を増悪させ清を死亡させたものとして、本件事故と清の死亡の結果との間には相当因果関係を認めることができるというべきである。
しかし、乙第一一号証の二及び証人梁徳淳の証言によれば、ある人間がストレス状態となるには、生活様式、精神状態、体質、過去に罹患した疾患、現在どのような疾病に罹患しているのか、その治療内容、経過等の種々の個人差や、ストレツサーの状態など複雑な条件があることが認められるところ、本件事故によつて受けた清の外傷はそれほど重篤なものであつたとは認められず、清にもともとあつた個人的な要因が主たる原因となつて清が死亡したものと認めるのが相当であり、右の事情が清の死亡の結果に寄与した割合は、既に認定した諸事情に照らし七割とするのが相当である。したがつて、清及び原告らに生じた損害のうち、清が死亡したことにより生じた分については、民法七二二条二項の過失相殺の法理を類推して、その七割を控除するのが相当である。
二 争点2(原告らの損害)について
1 清の損害
(一) 入院雑費 二万〇八四五円(請求どおり)
甲第七号証の一ないし八及び弁論の全趣旨によれば、清は、平成三年四月一四日から同年五月六日までの間医誠会病院に入院し、右期間中雑費として少なくとも二万〇八四五円を支出したことが認められる。
(二) 交通費 〇円(請求一万三一八〇円)
原告らは、清が本件事故を受けたことにより交通費として一万三一八〇円の損害を受けたと主張するが、清は本件事故後医誠会病院に入院したのであるから、清自身が交通費を要したとは認められない。また、原告らが右損害を立証するために提出する甲第八号証の一ないし五は、本件事故との関係が不明であり、これをもつて原告ら主張額の損害が清に生じたと認めることはできない。
(三) 物損 〇円(請求一五万円(バイク一〇万円、服二万円、眼鏡三万円))
乙第一号証の三によれば、本件事故により清車両が破損したことが認められるが、その修理費用もしくは本件事故当時における時価額を確定するに足りる証拠はない。また、弁論の全趣旨によれば、本件事故により清が着用していた服及び眼鏡が使用不能となつたことが認められるが、右各物件の本件事故当時における残存価格または再調達価格を確定するに足りる証拠はない。
(四) 休業損害 八万五四〇八円(請求一五万六六七二円)
原告多美惠本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、清は、原告清二とともに建築業を営んでいたことが認められる。
ところで、原告らは、本件事故当時、清に一年間に二五九万九三三四円の所得があつたと主張するが、そのうちの三三万九三三四円は老齢年金の受給による所得を主張するものであると認められるところ、老齢年金の受給による所得は、清の休業期間中もなんら影響のないことは明らかであるから、右部分についての主張は理由がない。また、就労による所得については、甲第九号証によれば、清は、平成三年度の確定申告において、所管の税務署に対し、就労による収入を二二六万円、所得を一四一万七〇〇〇円とする確定申告書を提出していることが認められるところ、右甲第九号証には、経費等の記載はないものの、清自身が所得としては一四一万七〇〇〇円と申告していたことが明らかであり、他に清にこれを上回る所得があつたことを認めるに足りる的確な証拠が存しない以上、右額をもつて清の所得とみるのが相当である。
そして、清は本件事故により平成三年四月一五日から五月六日までの二二日間就労ができなかつたものと認められるから、この間の休業損害は八万五四〇八円となる。
計算式 1,417,000÷365×22=85,408
(円未満切捨て、以下同じ。)
(五) 逸失利益 五八二万六四二〇円(請求七九四万〇四四五円)
清は、本件事故当時六八歳であつたところ、平成四年簡易生命表によれば六八歳男子の平均余命は一四・一六年であることに照らすと、清は本件事故に遭わなければあと七年間は就労することが可能であつたと認められる。そこで、前記のとおりの清の収入を基礎とし、生活費として三割を控除し、右期間に相当する年五分の割合による中間利息を新ホフマン式により控除すると、清が就労できなくなつたことによる逸失利益の本件事故当時の現価は五八二万六四二〇円となる。
計算式 1,417,000×(1-0.3)×5.874=5,826,420
なお、甲第九号証及び弁論の全趣旨によれば、清は、本件当時老齢年金として一年間に三三万九三三四円の受給を受けていたことが認められるが、右年金の性格及びその金額に照らすと、生活費としてこれをすべて費消したものと推認され、清が死亡して年金受給権を喪失したことをもつて逸失利益と認めることはできない。
(六) 慰藉料 三六〇万円(請求五〇〇万円)
本件に顕れた一切の事情を考慮勘案すれば、清が本件事故により受けた精神的苦痛を慰藉するには三六〇万円が相当である。
2 原告多美惠の損害
(一) 葬儀費用 一二〇万円(請求どおり)
弁論の全趣旨によれば、原告多美惠は、清が死亡したことによりその葬儀を行い、そのための費用として一二〇万円を下らない支出をしたことが認められる。
(二) 慰籍料 一〇二〇万円(請求一二〇〇万円)
原告多美惠は、清が死亡したことにより近親者として精神的苦痛を受けたことが認められ、これを慰藉するには、一〇二〇万円が相当である。
3 原告清二、原告博、原告伸久の損害 各三四〇万円(請求各四〇〇万円)
原告清二、原告博、原告伸久は、清が死亡したことにより近親者として精神的苦痛を受けたことが認められ、これを慰藉するには、各三四〇万円とするのが相当である。
三 争点3(過失相殺)について
本件事故の態様は、前記第二の一の1、2のとおりであるところ、本件事故は、清が右折車両の動静を注視し適切な措置を講じなかつた点も与つて発生したものと認められ、過失相殺として清及び原告らに生じた損害からその二割を控除するのが相当である。
四 結論
1 被告佐光に対する請求
以上によると、清の損害のうち、入院雑費及び休業損害についてはいずれも全額本件事故と相当因果関係のある損害と認められるが、それ以外については、前記一のとおり損害額から七割を控除するのが相当であるから、本件事故により清が受けた損害は合計二九三万四一七九円となるところ、原告らはこれをそれぞれの相続分に従い相続したものと認められるから、その額は、原告多美惠は一四六万七〇八九円、原告清二、原告博、原告伸久は各四八万九〇二九円となる。また、原告らの固有の損害についても、前記一のとおり損害額から七割を控除するのが相当であるから、本件事故により原告らが受けた損害は、原告多美惠は三四二万円、原告清二、原告博、原告伸久は各一〇二万円となる。そして、これらを合計すると、原告多美惠は四八八万七〇八九円、原告清二、原告博、原告伸久は各一五〇万九〇二九円となる。そして、これらから前記のとおり過失相殺として二割を控除すると、原告らの損害は、原告多美惠は三九〇万九六七一円、原告清二、原告博、原告伸久は各一二〇万七二二三円となる。
乙第一四号証及び弁論の全趣旨によれば、原告らは、被告富士火災から二二三万七一八〇円の支払を受け、これを相続分に従い各自の損害のてん補に充てたものと認められるから、原告らの損害残額は、原告多美惠は二七九万一〇八一円、原告清二、原告博、原告伸久は各八三万四三六〇円となる。
本件の性格及び認容額に照らすと、弁護士費用相当損害金は原告多美惠は二八万円、原告清二、原告博、原告伸久は各八万円とするのが相当であるから、結局、被告佐光に対し、原告多美惠は三〇七万一〇八一円、原告清二、原告博、原告伸久は各九一万四三六〇円を請求することができる。
2 被告富士火災に対する請求
甲第一号証及び弁論の全趣旨によれば、被告佐光は、本件事故当時、東京海上火災保険株式会社との間で、被告車両について自動車損害賠償責任保険契約を締結していたことが認められるところ、前記1のとおり、被告佐光が、原告らに対して賠償責任を負担する額は、被害者が死亡した場合の自賠責保険金の限度額である三〇〇〇万円を下回ることが明らかであるから、原告らが被告富士火災に対して損害賠償額に相当する保険金の直接請求ができる場合には当たらないというべきである。
よつて、原告らの被告富士火災に対する請求は理由がない。
(裁判官 濱口浩)