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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)4283号 判決 1998年3月20日

原告

甲野太郎

亡甲野次郎訴訟承継人

甲野花子

原告ら訴訟代理人弁護士

位田浩

内海和男

大槻和夫

小田幸児

金井塚康弘

里見和夫

重村達郎

竹下政行

丸山哲男

宮島繁成

新井邦弘

被告

医療法人北錦会

代表者清算人

川井謙一

被告訴訟代理人弁護士

中村隆

平井利明

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ九〇〇万円及びうち七五〇万円に対する平成五年二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ一六五〇万円及びうち一五〇〇万円に対する平成五年二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)及び甲野次郎(以下「次郎」という)は、亡甲野三郎(昭和一〇年生の男性。以下「亡三郎」という。)の兄弟であり、亡三郎の相続につきそれぞれ四分の一の相続分を有する。

次郎は、本件訴訟の原告であったが、本件訴訟係属中である平成八年三月一四日に死亡し、同人の相続人である原告甲野花子(以下「原告花子」という。)が、遺産分割協議により、本件訴訟において訴えている損害賠償請求権を単独相続し、本件訴訟手続を受け継いだ。

(二) 被告は、大阪府柏原市大字高井田九二三番地において、精神病院である大和川病院(以下「被告病院」という。)を経営していた。

2  亡三郎の被告病院への入院及び転院

(一) 被告病院への入院

(1) 亡三郎は、平成五年一月(以下、年の記載のないものはすべて平成五年のことである。)当時、自宅で一人暮らしをし、精神分裂病で療養中であったが、同月二九日ころ、夜半に野外で寝ているところを柏原警察署に保護された。

原告太郎が同警察署に亡三郎を引き取りに行ったところ、同署から被告病院を紹介されたため、亡三郎は、二月二日に被告病院に入院することになった。被告病院に入院したときの亡三郎の健康状態は良好で、何らの外傷もなかった。

(2) ところが、二月一四日午前一〇時ころ、次郎は、被告病院から、亡三郎が急性肺炎になっているのですぐに病院に来て欲しい旨の電話を受け、原告太郎らと共に被告病院に駆けつけたところ、亡三郎は、A3病棟の個室に寝かされて酸素吸入を受けていた。原告太郎らが呼びかけても応答はなく、意識の存否も分からない状態であり、顔一面が赤く腫れ上がり、両眼の縁は黒く変色していた。

(二) 八尾病院への転院

(1) 翌二月一五日、被告病院は、柏原羽曳野藤井寺消防組合の救急車を要請し、亡三郎を被告病院から搬出した。

同日午後五時過ぎころ、亡三郎は、大阪府八尾市所在の医真会八尾病院(以下「八尾病院」という。)に搬入された。

(2) 同消防組合の救急記録では、亡三郎に、全身打撲、チアノーゼ、昏睡、チェーンストーク型呼吸及び失禁が認められた。

(3) 八尾病院に搬入されたときの亡三郎の症状は、事前に被告病院から八尾病院に電話連絡されていた単なる肺炎の疑いとの説明とは著しく異なり、次のとおり種々の症状を伴う極めて重篤なものであった。

ア 意識障害

3―3―9度方式評価法で、Ⅲ―300という深昏睡の状態にあり、開眼はしていたものの全く反応はなかった。

イ 外傷

前額部の傷、両眼窩部の皮下出血、右眼球結膜出血、左眼球結膜充血、顔面・右耳介前部・頬部・下顎部の皮下出血、左脇窩から側胸・側腹部にかけての広範な皮下出血、右側胸部の皮下出血及び左第七ないし第一〇肋骨骨折が認められた。

ウ 肺挫傷及び肺炎

左第七ないし第一〇肋骨骨折の部位に肺挫傷を生じ、これとほぼ同時期に、肺挫傷部位からのMRSA(メチシリン耐性のブドウ状球菌)感染による肺炎を発症していた。

エ 腎不全

八尾病院搬入時の血液検査結果では、BUN(尿素窒素)が一一一(正常値は六〜二〇)、CRE(血清クレアチニン)が3.5(正常値は0.6〜1.3)という異常値を示しており、腎前性急性腎不全の所見が認められた。

オ 高張性脱水症

八尾病院搬入時の検査結果では、ナトリウム値が一八二(正常値は一三七〜一四五)、クロール値が一四二という異常値を示しており、高張性脱水症、高ナトリウム血症の所見が認められた。

カ 麻痺性イレウス

腹部にガスが充満し、麻痺性イレウス(外傷性)の所見が認められた。

キ 肝機能障害

八尾病院搬入時の検査結果では、LDH(乳酸脱水素酵素)が一四三四(正常値は二〇〇〜三六〇)、GOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)が一七〇(正常値は九〜三三)、GPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ)が一八二(正常値は四〜五〇)という異常値を示しており、肝機能障害の所見が認められた。

ク 早期DIC

八尾病院搬入時の二月一五日から同月一六日にかけて、血液中の血小板数が一五万五〇〇〇、一二万一〇〇〇、九万八〇〇〇と低下し続けており(正常値は一二万〜三四万)、早期DIC(播種性血管内凝固症候群)の所見が認められた。

ケ 二月二一日には、DICを伴う多臓器不全の病態を示した。

3  亡三郎の死亡及び死因

八尾病院における治療・救命措置にもかかわらず、亡三郎は、二月二一日に死亡した。

亡三郎の死因は、多発外傷に伴う肺挫傷から発症した肺炎及びDICを伴う多臓器不全を含む全身の恒常状態の破綻である。

4  被告病院における亡三郎に対する暴行

亡三郎は、被告病院のA3病棟において、二月二日ころから同月一五日ころにかけて、数回にわたり、他の入院患者らから暴行を受けた。

5  被告病院における看護体制

(一) 被告病院は、昭和三八年に開設されたが、昭和四四年四月、同病院の看護助手が入院患者に暴行を加えて死亡させる事件が起こった(看護助手三名が傷害致死罪で有罪の判決を受けた。)。

また、同年七月、入院患者二名が、看護人を補助する「患者世話係」に選ばれていた入院患者一名を殺害する事件が起こった(入院患者二名が殺人罪で有罪の判決を受けた。)。

さらに、昭和五四年八月、看護助手三名が、約二時間にわたって入院患者に殴る蹴るの暴行を加え、翌日容体が急変して死亡するという事件が起こった(この事件につき、大阪府は、被告病院に対し、当分の間新規患者の入院受入れ停止を指示し、知事権限に基づく精神衛生監査の実施等の措置をとった。)。

(二) 被告病院は、A棟(A2、A3)、B棟(B2ないしB4)、C棟(C1ないしC4)の各病棟から構成されており、ベッド数は五二四床、平成五年二月当時の入院患者数は約四八〇名であった。

このベッド数及び入院患者数に対して、被告病院の医療スタッフは極めて貧困であった。すなわち、常勤医とみられる医師は実質的には二、三名しかおらず、そのうち元院長の川井医師は産婦人科医、その後に就任した院長の春日医師は内科医であり、いずれも精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下「精神保健福祉法」という。)上の指定医の資格を有していない。また、看護職員の数は多く見積もっても三〇名程度しかおらず、しかも無資格及び無経験の看護人が多く含まれている。

(三) このように、被告病院においては、医療・看護スタッフの絶対数不足の下、医師による診察はほとんど行われておらず、看護婦はレセプト作成等の業務に従事させられていたことから、患者の看護、管理は無資格の看護職員とその職務を手伝う一部の入院患者に委ねられている状態であった。

(四) 亡三郎に暴行を加えた入院患者らは、上記のとおり、看護職員から患者管理の職務の一部を委ねられる等して病棟を取り仕切る、いわゆるボス患者グループであり、訴えの多い患者や反抗的な患者に対し、私的制裁を加えていた。

看護職員は、私的制裁が行われていても見て見ぬふりをしているのが一般で、中には、自ら患者に対して暴力を振るう看護職員もいた。

6  被告の債務不履行(安全配慮義務違反)又は過失

(一) 亡三郎に対する暴行を未然に防止する義務を怠ったこと

被告病院は、患者の生命・健康の維持・回復をその使命とする医療機関として、亡三郎を入院患者として受け入れ、かつ、同人を閉鎖病棟であるA3病棟に収容して完全に自己の管理・監督下に置いていたのであるから、入院中の事故・不祥事を未然に防止し、生命身体の安全に万全の配慮をすべき義務を負っていたにもかかわらず、同人に対する暴行を未然に防止することを怠った。

その具体的内容は次のとおりである。

(1) 被告病院は、量的・質的に適正な医療・看護人員を確保し、安全確保のための職員教育を実施し、暴力傾向のある患者に対しては暴力禁止を徹底する等して、暴行等の不祥事の発生を防止する体制を整えるべきであったのに、これを怠り、量的・質的に医療・看護人員を極めて貧困な水準に止め、安全確保のための職員教育も行わなかった。また、被告病院はA3病棟においてボス患者が病棟を取り仕切ることを黙認していたばかりか、患者管理のためにボス患者を利用し、A3病棟において私的制裁が頻繁に行われていたにもかかわらず、これを防止しようとしなかった。

(2) 被告病院は、上記のような実態に鑑み、亡三郎をA3病棟に収容すれば同人に対する暴行が行われる可能性を予見できたのであるから、暴行の起こりにくい他の病棟に収容するか、あるいは、A3病棟に収容するとしても、暴力防止・制止体制を整えるなどして暴行を未然に防止すべきであったのに、漫然とA3病棟に収容して、特段の措置もとらず、同人に対する暴行を招いた。

(3) 亡三郎に対する暴行は、その外傷の態様から、短時間の偶発的な喧嘩によるものではなく、集団による多数回の暴行であると考えられるから、暴行発生時に病棟にいた看護人が気がつかなかったはずがない。したがって、暴行当時の病棟の看護人は、亡三郎に対する暴行の発生に気がついた時に、直ちに制止すべきであったのに、これを怠り、何ら制止しなかった。

(4) 被告病院は、亡三郎に対する最初の暴行が行われた時点で、同人に対する再度の暴行の可能性を予見できたのであるから、直ちに同人を他の病棟に移すか、あるいは、他の患者から隔離する等して、再度の暴行を防ぐべきであったのに、これを怠り、同人が二度目以降の暴行により左肋骨骨折等の瀕死の重傷を負わされる事態を招いた。

(二) 暴行後、亡三郎に対する適切な治療・救命措置を怠ったこと

被告病院は、患者の生命・健康の維持・回復をその使命とする医療機関として、亡三郎を入院患者として受け入れ、かつ、同人を閉鎖病棟であるA3病棟に収容して完全に自己の管理・監督下に置いていたのであるから、万一事故や不祥事が起こった場合は、早期に転院を含めた治療・救命のための処置をとるべき義務を負っていたにもかかわらず、暴行後も何らの必要かつ適切な治療・救命処置を施さず、早期の転院処置もとらず(本件では遅くとも二月八日か九日ころまでには転院させるべきであった。)、数日間にわたって亡三郎を被告病院内に放置した。

その具体的内容は次のとおりである。

(1) 多発外傷について

亡三郎は被告病院内で集団暴行を受けて、遅くとも二月八日ころには多発外傷の状態になってショック状態を引き起こしたものであり、被告病院の医師は、そのまま放置すれば肺炎等の感染症及びそれに起因する多臓器不全を招来することを容易に予見できたのであるから、外科的処置についての特段の設備・人員の整っていない被告病院としては、遅くとも二月八日の時点までに、亡三郎を救急の医療・救命措置のとれる設備の整った医療機関に転院させるべきであったのに、これを怠り、二月八日に亡三郎を保護室に移しただけで、多発外傷に対する何らの治療・救命処置もとらず、転院もさせず、漫然とその後数日間にわたって被告病院内に放置し、多発外傷に起因する肺炎、腎不全、高張性脱水症等の症状を併発させた。

(2) 肺挫傷及び肺炎について

亡三郎は遅くとも二月八日までの間に暴行によって多発外傷を負ったものであり、被告病院の医師は、これにより感染症を招来すべきことを容易に予見できた。また、二月九日の時点で、血沈値が一時間で一六〇、二時間で一七〇、平均一二二という異常値が測定されており、三八度の発熱、湿性ラ音が確認され、レントゲン検査の指示がされている。したがって、内科的処置について特段の設備・人員の整っていない被告病院としては、遅くとも二月九日の時点で、肺炎を疑い、レントゲン検査等の必要な検査、診断を行い、肺炎であることが判明した時点で直ちに、亡三郎を救急の医療、救命処置のとれる設備の整った病院に転院させるべきであった。ところが、被告病院はこれを怠り、レントゲン等必要な検査を行わず、早期の転院もさせず、風邪症状もしくは気管支炎と誤信し、腎機能の異常を来していた亡三郎に対してストレプトマイシンを使用するような誤った治療処置しか行わず、二月一一日から同月一三日にかけては医師の診察すら行わず、漫然と数日間にわたって同人を被告病院内に放置したままにし、その結果、症状を悪化させた。

(3) 腎不全について

被告病院の医師は、亡三郎が多発外傷を負っていたこと及び二月八日付け検査結果でBUN値三六という異常値が認められていることから、容易に腎疾患の発生を予見できたにもかかわらず、検査結果の分析を怠り、腎不全を発見できず、何らの治療も行わず、早期の転院もさせず、ストレプトマイシンを使用するような誤った治療を行い、漫然と数日間にわたって同人を被告病院内に放置したままにし、その結果、症状を悪化させた。

(4) 高張性脱水症・高ナトリウム血症について

被告病院の二月八日付け検査結果において、ナトリウム値が一四七、クロール値が一一一、BUN値が三六と数値の上昇を示していることから、被告病院の医師は、遅くともこの検査結果を得た二月一〇日の時点で、亡三郎の高張性脱水症、高ナトリウム血症の存在を容易に予見できたにもかかわらず、検査結果の分析を怠り、高張性脱水症、高ナトリウム血症を発見できず、何らの治療も行わず、早期の転院もさせず、テルアミノ、プラスアミノという高張性輸液を投入するような誤った処置を行い、その結果、さらに症状を悪化させ、八尾病院搬入時に見られた意識障害、脳萎縮をもたらした。

7  因果関係

(一) 亡三郎の直接の死因となった肺炎及びDICを伴う多臓器不全を含む全身状態の破綻は、被告病院入院中に加えられた多発外傷が原因となって引き起こされたものである。亡三郎に対する暴行がなければ、その後の肺炎、腎不全、高張性脱水症等の症状は生じず、亡三郎は死亡しなかった。

よって、被告病院が亡三郎に対する暴行を未然に防止すべき義務を怠ったことと亡三郎の死亡との間には、因果関係がある。

(二) 亡三郎の多発外傷、肺炎、腎不全、高張性脱水症等の症状が始まった二月八日か九日ころまでに被告病院が転院処置をとっていれば、亡三郎は死亡しなかった。

よって、被告病院が転院を含む治療・救命のための措置を怠ったことと亡三郎の死亡との間には、因果関係がある。

8  被告の責任

被告は、前記6の債務不履行又は過失により、診療契約上の債務不履行責任又は不法行為責任を負う。

9  損害

(一) 亡三郎の精神的苦痛

亡三郎は、自ら治療と快癒を願って被告病院に入院することとしたのに、その期待を裏切られたばかりか、入院後極めて短期間のうちに暴行を受け、適切な治療・救命処置をとることもなく放置されて死亡するに至ったことにより精神的苦痛を被った。これを金銭に見積もれば四〇〇〇万円を下らない。

原告太郎及び次郎は、それぞれ法定相続分である四分の一の割合でこの慰謝料請求権を相続した。そして、前記1のとおり、原告花子は、次郎の相続した慰謝料請求権を単独相続した。

(二) 遺族の精神的苦痛

原告太郎及び次郎は、亡三郎が被告病院入院後極めて短期間のうちに暴行を受け、適切な治療・救命処置をとることもなく放置されて死亡したことにより精神的苦痛を被った。これを金銭に見積もれば各人につき五〇〇万円を下らない。そして、前記1のとおり、原告花子は、次郎の慰謝料請求権を単独相続した。

(三) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟追行を弁護士に委任し、弁護士費用は原告一人につき一五〇万円と約束した。

10  よって、原告らは、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求として、原告らそれぞれに一六五〇万円及びうち弁護士費用を除く一五〇〇万円に対する平成五年二月二一日(亡三郎死亡の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は知らない。

同(二)の事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)(1)のうち、亡三郎に精神分裂病の治療歴があったこと、亡三郎が一月二九日ころ、夜半に野外で寝ているところを柏原警察署に保護されたこと、同署員が原告らに被告病院を紹介したこと及び亡三郎が二月二日に被告病院に入院したことは認め、その余の事実は不知ないし否認する。

同(一)(2)のうち、二月一四日午前一〇時ころ、被告病院が次郎に電話をし、亡三郎が肺炎になっているのですぐに病院に来て欲しい旨の電話をしたこと、原告太郎らが同日被告病院に来たこと、同人らが来院した当時、亡三郎がA3病棟の個室に寝かされ酸素吸入を受けていたこと及び亡三郎の両眼の縁が黒く変色していたことは認め、その余の事実は否認する。

(二)  同(二)(1)の事実は認める。

同(二)(2)の事実は否認する。

同(二)(3)のうち、被告病院が八尾病院に対して、肺炎を疑う旨の病状説明をしたことは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。

3  請求原因3(一)のうち、亡三郎が二月二一日に八尾病院で死亡したことは認め、その余の事実は知らない。

同(二)の事実は否認する。

4  請求原因4のうち、亡三郎が二月三日に他の入院患者から暴行を受けたことは認める(ただし、直ちに看護助手が暴行を制止した。)が、その余の事実は否認する。

5  請求原因5(一)の事実は認める。

同(二)のうち、被告病院がA棟(A2、A3)、B棟(B2ないしB4)、C棟(C1ないしC4)の各病棟から成っており、ベッド数は五二四床であること、平成五年二月当時の入院患者数が約四八〇名であったことは認め、その余の事実は否認する。

同(三)、(四)の事実は否認する。

6  請求原因6の事実は否認する。

7  請求原因7の事実は否認する。

8  請求原因8は争う。

9  請求原因9(一)、(二)の事実は否認する。同(三)の事実は知らない。

三  被告の主張

1  被告病院入院時の状況

(一) 春日医師が亡三郎の初診時の診察をした。

診察所見では、内的不穏・睡眠障害・幻覚妄想・思考障害(滅裂思考)・硬い表情が認められ、「自分は皇太子である」等との話をするような誇大妄想があり、訳の分からないことを一方的に大声でしゃべりまくり、中程度の精神分裂病(分裂残遺型)と診断された。内科的には全身衰弱傾向が認められ、他に呼吸促迫が認められた。また、初診時の血液生化学検査では貧血が認められた。

亡三郎は、閉鎖病棟であるA3病棟の三〇一号室(六人部屋)入室とされた。

(二) 精神分裂病に対する治療として、スルピリド錠(一錠一〇〇ミリグラム、一一錠)、プロペチル細粒一〇(一グラム)、ゾピデ錠(一錠五〇ミリグラム、四錠)、パドラセン錠(二錠)、ハラペリドール細粒(一グラム)、プロクラジン顆粒(一グラム>(以上の投薬量はいずれも一日分である。)の抗精神病薬の経口投薬治療を開始した。

また、全身衰弱傾向に対する治療として、水分栄養補給のためにプラスアミノ(一日二本、計一〇〇〇ミリリットル)点滴、循環改善のためにトーモル1A(二ミリリットル)点滴、循環・呼吸改善のためにビタカンファー1A(一ミリリットル)の皮下注射及び酸素療法(一日一〇〇〇リットル、経鼻投与)を施行した。

食事は全粥とし、二月二日昼食から開始した。

2  入院後の経過

(一) 亡三郎は、二月三日午後四時か五時ころ、A3病棟のナースステーション前のロビーにおいて、覚醒剤後遺症で入院中の患者に顔を二、三回殴られた。

二月五日、川井医師が診察した際、亡三郎には、眼窩部皮下出血、前胸部、胸部両側、両脇腹に直径約一センチメートルの赤い斑点様の皮下出血痕が認められたが、前胸部、胸部両側及び両脇腹の触診による理学所見では異常が認められず、胸部レントゲン写真所見でも異常は認められなかった。

(二) 亡三郎は、入院してから家族からの差し入れが一切ないために他の患者の菓子等を盗んだり、失禁をする等していたが、二月八日には、垂れ流した糞便を同室の他の患者のベッドや病室の壁になすりつける等したことから、同室者から苦情が出るに至った。

そこで、被告病院は、患者間の喧嘩を予防するために、亡三郎を三〇一号室(六人部屋)から三〇九号室(個室)に隔離転室させた。

(三) 二月五日、入院時から毎日投与していた水分栄養補給のための点滴をプラスアミノからテルアミノ3S(一日二本、計一〇〇〇ミリリットル)に変更し、循環動態・呼吸状態が改善されたので、トーモル、ビタカンファー及び酸素療法を中止した。

二月八日からは、貧血症に対してフェロスタチン一カプセルを投与し、食事を貧血食全粥に変更した。

二月八日採血の生化学検査報告では、血清ナトリウム濃度(Na)は一四七と正常値を示し、脱水症状は認められなかった。

(四) 二月九日午後三時ころ、亡三郎は、体温37.8度、脈拍一〇四であったので、春日医師が診察した。

診察所見は、咳、喀痰、呼吸音粗が認められ、意識状態は3―3―9度方式の2であり、従前に比べ著変はなかった。午後四時の体温は三八度、脈拍は一〇八であった。午後九時の診察所見では、体温三八度、呼吸音は湿性ラ音が聴取されるが、呼吸困難、両肺野喘鳴は認められなかった。同日の血沈は、一時間一六〇、二時間一七〇、平均一二二であった。

春日医師は、診察所見から風邪症状を認め、上気道炎又は気管支炎の感染症を疑い、同日午後三時すぎに、抗生物質リンタマイシン1A(六〇〇ミリグラム)筋注、抗菌製剤オゼックス錠一日三錠、喀痰喀出・消炎剤塩化リゾチーム一日六錠を経口投与(五日分処方)し、午後五時ころ、抗生物質ストレプトマイシン1A(一グラム)筋注、午後一〇時ころ、熱が下がらないため、テルアミノ3S五〇〇ミリリットルとともにケイペラゾン二グラムを点滴静注し、酸素療法(一〇〇〇リットル)をした。(なお、午前中に、テルアミノ3S五〇〇ミリリットルを点滴した。)

亡三郎は、発熱しているが、二月九日も外観上は従前と変わらず、院内をうろつき、よくしゃべり、食事も普通に摂取していた。

なお、入院時から経口投与している抗精神病薬は、二月九日から減量投与とした。

(五) 二月一〇日午前の体温は37.8度、脈拍は一〇四であった。

一〇〇〇リットルの酸素療法、テルアミノ3S五〇〇ミリリットルの点滴の他に、テルアミノ3S五〇〇ミリリットルとともにケイペラゾン二グラムを点滴静注し、リンタマイシン1A筋注した。午後四時の体温は38.2度と熱が下がらなかったため、ストレプトマイシン1A筋注、免疫グロブリン製剤グロブリンV1A(二五〇〇ミリグラム)を点滴静注した。

なお、亡三郎は、外観上特に変わりなく食事も普通に摂取していたが、日中、精神状態が不穏となったので、抗精神病薬セレネース1Aとアキネトン1A(セレネースの副作用抑制剤)を筋注した。

(六) 二月一一日、体温は37.2度と微熱になり、風邪症状も改善傾向が見られ、一般状態に著明な変化はなかった。

同日は、経口投薬、テルアミノ3S二本点滴のほか、リンタマイシン1Aを筋注した。

二月一二日、体温は平熱(36.5度)となり、軽度の精神状態の不安が見られた他は一般状態に著変はなく、テルアミノ3S二本点滴のほかにストレプトマイシン1A、リンタマイシン1A、セレネース1A、アキネトン1Aを筋注し、同日から抗菌剤パセトシン(1日四カプセル)を処方した。

二月一三日、体温は平熱(36.5度)で、一般状態に著変はなかった。経口投薬以外にテルアミノ3S二本点滴をし、また、便秘薬センノサイドを経口投与した。

(七) 二月一四日午前六時ころ、看護助手が三〇九号室を巡視した際、亡三郎がベッド横下の床上に横たわっているのを発見した。このとき、床に微量の血液が付着しており、亡三郎は後頭部の右寄りに微量の血がにじむ程度のけがをしていた。看護助手がベッドに座らせ、砂糖湯を与えたところ、亡三郎は介護なしにこれを飲み干し、特に痛みを訴えなかった。

同日午前八時三〇分ころ、看護婦が亡三郎の後頭部を消毒したが、このとき亡三郎は元気のない状態であった。

(八) 二月一四日午前一〇時ころ、当直の後藤医師が亡三郎を診察したところ、体温37.1度、血圧八〇/五〇、上中肺野を中心に吸気呼気とも湿性ラ音を聴取、喀痰喀出困難、血沈一時間一六〇、呼吸促迫が認められた。

後藤医師は、肺炎により呼吸不全を起こしていると疑った。

治療としては、喀痰吸引、酸素吸入毎分一リットル、プラスアミノ五〇〇ミリリットル三本点滴、ケイペラゾン一グラム点注、五パーセントTZ(ブドウ糖)五〇〇ミリリットル点滴、リンタマイシン1A筋注、塩酸ドパミン1A、メデコート1A点注が行われた。

(九) 二月一五日午前中、川井医師が亡三郎を診察したところ、前日と同様の肺炎症状所見が認められた。昼過ぎころに春日医師も亡三郎を診察し、同じく肺炎と診断し、内科専門病院への転院治療を決断した。

川井医師は、家族の希望を聞いて八尾病院に転院の打診をし、受入れを了承されたので、亡三郎を八尾病院に転院させることとなった。

転院時までの治療は、持続的酸素療法、プラスアミノ五〇〇ミリリットル三本点滴、ケイペラゾン一グラム点注二回、グロブリンV1A・塩酸ドパミン1A、メデコート1A各点注、オゼックス三錠、塩化リゾチーム六錠の経口投与であった。

(一〇) 二月一五日午後五時一〇分ころ、八尾病院への転院時、亡三郎には、両眼窩の皮下出血以外に、肩・前胸部・胸部両側・両脇腹に直径約一センチメートルの皮下出血痕が認められたほかは、明らかな全身打撲は認められなかった。また、チアノーゼはなく、呼吸促迫による呼吸困難は認められたが、チェーンストークス型呼吸ではなかった。そして、意識状態は、ぐったりとしているが昏睡にまでは至っていなかった。

3  八尾病院の診断及び治療の誤りについて

(一) 八尾病院では、左第七ないし第一〇肋骨及び頭蓋骨の外傷性骨折と診断されているが、司法解剖所見では、頭蓋骨骨折も左第七ないし第一〇肋骨も認められず、八尾病院における、左第七ないし第一〇肋骨及び頭蓋骨の外傷性骨折との診断は誤りである。

(二) 八尾病院では、二月一五日に亡三郎から採取した喀痰の細菌培養検査の結果、MRSA+(少数陽性)が顕出されたことから、亡三郎の肺炎の起炎菌をMRSAと判断したが、同時に行われた抗生物質感受性テスト結果において、セファメジン、ペントシリンがMRSA肺炎に無効であり、バンコマイシンが有効であると判定されたにもかかわらず、亡三郎に有効な治療薬であるバンコマイシンを投薬せず、無効なセファメジン、ペントシリンの投薬を続けた。

(三) 八尾病院転院後、亡三郎の呼吸状態は良好に改善されていたにもかかわらず、二月一九日午後八時三〇分に気胸を発症しており、八尾病院の患者管理に問題があったと考えられる。

また、肺膿瘍が形成されていたのであれば、胸腔ドレナージによる外科的排膿治療を行うべきであるのに、八尾病院ではこの措置をとっていない。

4  亡三郎の死因について

亡三郎は、MRSA感染による大葉性肺炎とこれに続発する肺膿瘍による呼吸器感染症を発症し、気胸・膿胸・胸膜癒着と肥厚を併発して致死的呼吸困難を招来し、死に至ったものである。

5  被告病院における看護体制について

現在の被告病院においては、検温、脈拍測定、食事の配膳、投薬、日用品購入受付等はすべて病院職員が行っており、患者の一部を責任者にしてその患者に継続的に病院職員の職務を代行させるようなことや、病院職員が患者に対して私的制裁を加えるようなことはしておらず、その他原告が請求原因5で主張するような状態は存在しない。

6  被告の債務不履行又は過失について

(一) 被告病院は、前記2のとおり、亡三郎が患者同士の喧嘩で受傷した際、レントゲン検査及び理学的診察で骨折がないこと及び負傷の程度が軽傷であることを診断して治療をし、風邪症状を発したときも適切に治療をし、肺炎を疑ったときも適切に抗生物質投与及び持続点滴、酸素療法等の治療を行っているのであるから、被告病院と同規模程度の精神病院における医療水準に照らし、被告病院の医療行為に債務不履行又は過失はない。

また、被告病院における、亡三郎の肺炎に対する前記2の投薬治療内容からすれば、二月一五日の転院措置が遅すぎたとはいえない。

(二) 二月三日に亡三郎が他の患者から暴行を受けたとき、看護助手が直ちにこれを制止している。また、患者間の紛争を予防するために、その後亡三郎を相部屋から個室に移している。

したがって、被告病院の患者の管理監督において債務不履行又は過失はない。

7  因果関係について

仮に、被告病院の肺炎に対する内科的治療行為(転院措置を含む。)に何らかの落ち度があったとしても、亡三郎の肺炎による死亡は、病状の自然増悪による不可抗力又は八尾病院における前記3の不適切な治療行為によってもたらされた可能性が考えられ、被告病院の内科的治療行為と亡三郎の死亡との間に因果関係はない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  当事者(請求原因1)について

(一)  証拠(甲一の1ないし9)及び弁論の全趣旨によれば、請求原因1(一)の事実が認められる。

(二)  請求原因1(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  亡三郎の被告病院への入院及び転院(請求原因2)について

争いのない事実及び証拠(甲二の1・2、甲三、四、二二、二三、一五二、検甲一ないし六、乙一ないし三、五、六、一二、検乙一ないし三〇<枝番を含む>、証人森功、証人川井謙一、証人春日正博、証人吹田和徳、原告甲野太郎)によれば、次の事実が認められる。

1  被告病院への入院

(一)  亡三郎は、平成五年一月当時、自宅で一人暮らしをし、精神分裂病で療養中であったが、同月二九日ころ、夜半に野外で寝ているところを柏原警察署に保護された。

原告太郎は、柏原警察署に亡三郎を引き取りに行き、同署の警察官に亡三郎を入院させる施設について相談したところ、被告病院を紹介された。

(二)  二月二日、亡三郎は、次郎と原告太郎に付き添われて、被告病院を受診した。

被告病院の春日医師が亡三郎を診察したところ、内的不穏・睡眠障害・幻覚妄想・思考障害(滅裂思考)・硬い表情が認められ、中程度の精神分裂病、全身衰弱及び呼吸促迫と診断された。この他に特に内科的疾患や外傷等は認められなかった。

同日、亡三郎は、被告病院に入院することになったが、その日は被告病院に精神保健指定医が不在でその診察が受けられず、精神保健福祉法三三条所定の医療保護入院の手続をとることができなかったため、任意入院(同法二二条の三)となり、閉鎖病棟であるA3病棟の三〇一号室(六人部屋)に入院した(なお、その後、二月三日に精神保険指定医による診察が行われ、二月八日に保護義務者の選任を経て、医療保護入院となった)。

同日、亡三郎に対し、入院時の一般検査として、尿検査及び血液検査が行われたが、いずれも特に異常は認められなかった。

そして、精神分裂病に対する治療として、スルピリド、プロペチル、ゾピデ、パドラセン、ハラペリドール、プロクラジンの投薬を開始し、全身衰弱傾向に対する治療として、プラスアミノ(一日一〇〇〇ミリリットル)とトーモル(1A)の点滴、ビタカンファー(1A)の皮下注射及び酸素療法(一日一〇〇〇リットル)が行われた。

(三)  二月五日午前九時すぎ、A3病棟を担当する川井医師が亡三郎を診察したところ、亡三郎の目の周りに殴られた跡があり、胸、肩、脇腹等に赤い皮下出血が認められた。このとき、看護婦から川井医師に対し、二月三日の夜に亡三郎が他の入院患者から殴られるトラブルがあった旨の報告がされた。

同日、心臓や肺に異常がないかを調べるためのレントゲン撮影が行われた。

また、この日から、点滴をプラスアミノからテルアミノ3S(一日一〇〇〇ミリリットル)に変更し、トーモル、ビタカンファー及び酸素療法が中止された。

(四)  二月八日午前九時ころ、川井医師は、亡三郎を六人部屋である三〇一号室から、個室である三〇九号室に隔離した。

同日、二度目の血液検査が行われた。その結果は、二月一〇日に外注先から被告病院に届いたが、Naは一四七(基準値は一三五〜一四七)でかろうじて基準値の上限であったものの、LDHが八四五(基準値は二〇〇〜四五〇)、CPKが四九二(基準値は二〇〜一八〇)、BUNが三六(基準値は八〜二〇)、C1が一一一(基準値は九八〜一〇八)という異常値を示していた。

(五)  二月九日午後三時ころ、春日医師は、看護婦から、亡三郎が発熱しているので診察して欲しいとの連絡を受け、亡三郎を診察した。春日医師は、咳、喀痰、発熱(37.8度)、胸部呼吸音粗、意識状態は3―3―9度方式の2と認め、軽度から中程度の気管支炎と診断し、リンタマイシン(六〇〇ミリグラム)とストレプトマイシンの筋注、オゼックス(三錠)、塩化リゾチウム(六錠)の投与をした。

また、このとき、亡三郎の目の周りに赤い皮下出血が認められた。

同日、血沈の検査が行われ、その結果は、一時間で一六〇、二時間で一七〇、平均値が一二二であった。

同日午後九時ころ、非常勤医師が亡三郎を診察したところ、三八度の発熱があり、湿性ラ音が認められたため、酸素療法(一〇〇〇リットル)及びテルアミノ(五〇〇ミリリットル)・ケイペラゾン(二グラム)の投与をし、翌日に胸部エックス線撮影を行うようカルテに記載した。

(六)  二月一〇日午前八時二五分ころ、川井医師は、看護婦から亡三郎が発熱しているので診察して欲しいとの連絡を受け、亡三郎を診察した。このとき、亡三郎は37.8度の発熱があった。川井医師は、二月八日の血液検査の結果と前日の血沈値が異常値を示しているのを見たが、肝機能の低下と心疾患の疑いをもつにとどまり、前日、非常勤医師がカルテに記載していた胸部エックス線撮影は不要と判断し、経過観察をすることとした。

そして、酸素療法(一〇〇〇リットル)を行い、セレネース(1A)とアキネトン(lA)の筋注、テルアミノ(五〇〇ミリリットル)とケイペラゾン(二グラム)の点注及びリンタマイシン(1A)の筋注をした。

さらに、同日午後四時、亡三郎の体温が38.2度に上昇したので、ストレプトマイシン(1V)の筋注とグロブリン(二五〇〇ミリグラム)の点注をした。

(七)  二月一一日から一三日までの間、亡三郎に対する診察は行われなかった。

この間、リンタマイシン、ストレプトマイシン等の投与が続けられた。

(八)  二月一四日午前一〇時ころ、当直の非常勤医師が亡三郎を診察したところ、体温は37.1度、血圧は八〇/五〇で、上中肺野を中心に吸気呼気とも湿性ラ音が認められ、血沈は一時間で一六〇であった。また、同医師が、二月五日に撮影されたエックス線写真を見たところ、肺に白い影が認められた。

同医師は、肺炎から呼吸不全を起こしていると診断し、酸素療法(毎分一リットル)を行い、プラスアミノ(合計一五〇〇ミリリットル)、ケイペラゾン(一グラム)、五パーセントツッカー(五〇〇ミリリットル)の点注、リンタマイシン(1V)筋注、塩酸ドパミン(lA)、メデコート(1A)の点注をした。

(九)  二月一五日午前九時ころ及び同一一時ころ、川井医師は、亡三郎を診察し、呼吸促迫を伴う重度の肺炎と診断した。そこで、川井医師は、かつて内科医であった春日医師に診察を依頼した。

同日午後二時ころ、春日医師が亡三郎を診察したところ、呼吸困難、湿性ラ音が認められ、意識は朦朧状態であった。また、このとき、目の周りと胸部に黒ずんだ皮下出血が認められた。

春日医師は、重度の肺炎と診断し、内科専門の病院に転院させる必要があると判断した。

この日も、酸素療法、プラスアミノとケイペラゾンの点注、グロブリン、塩酸ドパミン、メデコートの点注等が行われた。

2  八尾病院への転院

(一)  二月一五日午後四時ころ、川井医師は、八尾病院に電話連絡をして亡三郎の転院受入れを打診した上で、救急車を要請して亡三郎を八尾病院に搬送した。

(二)  亡三郎を搬送した救急隊員は、亡三郎の状態につき、チアノーゼ、昏睡、チェーンストーク呼吸及び全身打撲を認めた。

(三)  同日午後五時一八分、亡三郎は八尾病院に搬入された。

同日、八尾病院において、亡三郎に対し、心電図モニター装着、気管内挿管、酸素吸入等の緊急措置の後、血液検査、腹部エコー、頭部及び胸部エックス線撮影、頭部及び腹部のCT検査、細菌検査等が行われた。

(四)  八尾病院の森医師は、亡三郎を診察し、次のような所見を認めた。

(1) 意識は3―3―9度方式のⅢ―300(刺激に全く反応しない状態)、呼吸は浅く、両眼窩部の皮下出血、右眼球結膜出血、左眼球結膜充血、顔面・右耳介前部・頬部・下顎部の皮下出血、左脇窩から側胸・側腹部にかけての皮下出血、右側胸部の皮下出血、前額部の痂皮、外傷による骨折(頭蓋骨亀裂骨折及び左第七ないし第一〇肋骨骨折)、打撲による麻痺性イレウスの疑い及び肺挫傷を認めた。

(2) 前記の血液検査の結果、BUNが一一一(基準値は六〜二〇)、CREが3.5(基準値は0.6〜1.3)であったことから、腎不全の所見を認め、また、Naが一八二(基準値は一三七〜一四五)であったことから高張性脱水症、高ナトリウム血症の所見を認めた。

(3) 前記の血液検査の結果、WBCが一万九一〇〇(基準値は四〇〇〇〜九〇〇〇)、CRPが30.6(基準値は0〜0.8)と高度の炎症を示していることやエックス線写真所見等から、膿瘍を形成するに至る重度の肺炎の所見を認めた。そして、この肺炎の原因は、後日送られてきた細菌検査の結果により、MRSA(メチシリン耐性のブドウ状球菌)と判断された。

(4) 前記の血液検査の結果、LDHが一四三四(基準値は二〇〇〜三六〇)、GOTが一七〇(基準値は九〜三三)、GPTが一八二(基準値は四〜五〇)であったことから、中程度の肝機能障害の所見を認めた。

(5) 二月一五日から一六日にかけて血小板数(PLT)が一五万五〇〇〇、一二万一〇〇〇、九万八〇〇〇と低下し続け、ATⅢが四七パーセント、FDPが一六〇という数値を示していたことから、早期DIC(播種性血管内凝固症候群)の所見を認めた。

(6) 頭部CT写真から、脳萎縮の所見を認めた。

森医師は、以上のような所見から、八尾病院搬入時の亡三郎の症状は、外傷を原因とする肺挫傷から肺炎を引き起こし、肺炎からの敗血症を主体にした多臓器不全の状態にあり、ほとんど危篤状態であると判断した。

(五)  八尾病院において、輸液等の処置により高ナトリウム血症及び腎不全は改善されたものの、肺炎については、セファメジン及びペントシリン(抗生物質)の投与等をしたが、肺膿瘍を起こしていたため功を奏せず、二月一九日には肺気胸を発症し、亡三郎は、二月二一日に死亡した。

三  亡三郎の死亡及び死因(請求原因3)について

1  証拠(乙一一、証人吹田和徳)によれば、次の事実が認められる。

(一)  二月二二日、鑑定処分許可状に基づき、鑑定人吹田和徳(以下「吹田鑑定人」という。)により、亡三郎の司法解剖が行われた。

司法解剖で認められた亡三郎の損傷の主なものは、頭頂左側後寄りの部の表皮剥脱(擦過傷)を伴う皮下出血、右前頭髪際部の表皮剥脱(擦過傷)を伴う皮下出血、左右眼窩部及び頬部の皮下出血(打撲傷)、上下口唇の粘膜剥離(擦過傷)及び上顎第一切歯根部の出血、右耳介表皮剥脱(擦過傷)、頸部右側の皮下出血(打撲傷)、項部の皮下出血(打撲傷)、左右胸・腹・腰・背部の皮下筋肉内出血(打撲傷)、左右肋間筋出血、右第六、七、八肋骨骨折、融合部離解、肺臓、右肺中下葉の胸膜及び肺組織欠損、左右両前腕の表皮剥脱(擦過傷)、皮下出血(打撲傷)等であった。なお、立会官である警察官から吹田鑑定人に説明のあった頭蓋骨骨折及び左肋骨骨折は認められなかった。

(二)  吹田鑑定人は、これらの損傷の原因及び受傷時期について、次のように判断し、鑑定書にその旨記載した。

(1) 頭頂左側後寄りの部の表皮剥脱(擦過傷)を伴う皮下出血は、単に一回の打撲によるものではなく、少なくとも複数回の打撲、擦過により生じたとみるのが妥当である。ベッドから自己転落して生じたとみるのは不自然である。受傷後少なくとも数日は経過しているとみるのが自然である。

(2) 右前頭髪際部の表皮剥脱(擦過傷)を伴う皮下出血は、他為(自分で生じさせたものではなく、外部からの力によるもの)とみるのが自然である。受傷時期は、(1)よりは古く、少なくとも二週間以上は経過したものとみるのが妥当である。

(3) 左右眼窩部及び頬部の皮下出血(打撲傷)は、手拳による打撲とみるのが自然であり、他為である。受傷時期は、(2)とほぼ同時期である。

(4) 上下口唇の粘膜剥離(擦過傷)及び上顎第一切歯根部の出血は、手拳等による打撲とみるのが自然である。受傷時期は、一〇日又は一〇日以上経過しているとみるのが自然である。

(5) 右耳介表皮剥脱(擦過傷)は、軽傷であり、自・他為いずれの可能性もある。

(6) 頸部右側の皮下出血(打撲傷)は、軽傷であり、他為とみるのが適当である。受傷時期は(4)とほぼ同時期とみるのが妥当である。

(7) 項部の皮下出血(打撲傷)は、衣服の襟が強く作用した際に生じたとみるのが適当である。自・他為いずれの可能性もある。受傷時期は(6)とほぼ同時期とみるのが自然である。

(8) 左右胸・腹・腰・背部の皮下筋肉内出血(打撲傷)は、殴る、蹴る、踏みつける等により生じたものとみるのが妥当である。受傷時期は一〇日又は一〇日以上経過している。

(9) 左右肋間筋出血、右第六、七、八肋骨骨折、融合部離解は、(8)の傷が生じた際に随伴して生じたものである。

(10) 肺臓、右肺中下葉の胸膜及び肺組織欠損は、肋骨骨折端の刺通によって生じたものである。

(11) 左右両前腕の表皮剥脱(擦過傷)、皮下出血(打撲傷)は、自・他為いずれの可能性もある。受傷時期は一〇日又は一〇日以上経過している。

(三)  吹田鑑定人は、左右両肺に、起炎菌を黄色ブドウ球菌とする大葉性肺炎(肺の全葉又はそれ以上の範囲にわたる肺炎<乙三九>)及び大小多数の肺膿瘍が認められ、胸膜の癒着・肥厚、気胸、膿胸を併発し、強い呼吸困難を生じさせていることから、亡三郎の死因を大葉性肺炎と判断した上で、前記の外傷は、直ちに死因となり得るものではないが、直接死因に強く影響を及ぼしたことは確実であると判断し、鑑定書にその旨記載した。

2  以上の事実及び証拠(証人吹田和徳)によれば、亡三郎は、殴る、蹴る、踏みつける等の暴行を受けて、肋骨骨折、胸膜挫傷を生じ、これがきっかけとなって黄色ブドウ球菌に感染し、さらに、多数の他為による外傷が血液循環の悪化と抵抗力の低下をもたらして菌の増殖を助長したことにより、肺全体に炎症が及ぶ大葉性肺炎及び多数の肺膿瘍を生じさせ、強い呼吸困難を招来し、死亡したものと認めるのが相当である。

四  被告病院における亡三郎に対する暴行(請求原因4)について

前記認定のとおり、二月二日の被告病院入院時には、亡三郎には外傷はなかったにもかかわらず、二月一五日に被告病院から救急車で八尾病院に搬出されたときには、救急隊員は全身打撲と観察し、八尾病院においても、両眼窩部の皮下出血、右眼球結膜出血、左眼球結膜充血、顔面・右耳介前部・頬部・下顎部の皮下出血、左脇窩から側胸・側腹部にかけての皮下出血、右側胸部の皮下出血等の外傷が認められていること、二月五日に川井医師が亡三郎を診察した際、看護婦から二月三日の夜に亡三郎が他の入院患者から殴られるトラブルがあった旨の報告がされており、このとき、亡三郎の目の周りに殴られた跡があり、胸、肩、脇腹等に皮下出血があったこと、血液中のLDH、CPKは外傷を受けた場合に上昇するものであるところ(甲一六二、証人森功)、入院時に行われた血液検査では正常値であったのが、二月八日に行われた血液検査では異常値を示していること及び二月二二日に行われた司法解剖では、亡三郎には頭部、顔面、胸・腹・腰・背部、肋骨、肋間筋等に多数の外傷が認められたが、それらの多くが、殴る、蹴る等の外部からの力により生じたもので、およそ一〇日又は一〇日以上経過した傷であり、受傷の機会は単一ではないことからすれば、亡三郎は、被告病院入院中に、病院内の他の入院患者等から、複数の機会に、頭部、顔面、胸・腹・腰・背部等に殴る、蹴る等の暴行を受けたものと認められる。

五  被告病院における看護体制(請求原因5)について

争いのない事実及び証拠(甲一六の1、2、甲一七、一四四ないし一四九、一五七、一六三の1・2、甲一六七、一六八、検甲一〇、証人川井謙一、証人春日正博)によれば、次の事実が認められる。

1  被告病院は、昭和三八年に開設されたが、昭和四四年四月、同病院の看護助手が入院患者に対し暴行を加えて死亡させる事件が起こり、看護助手三名が傷害致死罪で有罪の判決を受けた。

また、同年七月、入院患者二名が、看護人を補助する「患者世話係」に選ばれていた入院患者一名を殺害する事件が起こり、この入院患者二名が殺人罪で有罪の判決を受けた。

さらに、昭和五四年八月、看護助手三名が約二時間にわたって入院患者に殴る蹴るの暴行を加え、翌日容体が急変して死亡するに至った事件が起こった。この事件につき、大阪府は、被告病院に対し、当分の間新規患者の入院受入れ停止を指示し、知事権限に基づく精神衛生監査の実施等の措置をとった。

2  被告病院は、A棟(A2、A3)、B棟(B2ないしB4)、C棟(C1ないしC4)の各病棟から成っており、平成五年二月当時のベッド数は五二四床、入院患者数は約四八〇名(うち、A3病棟は約一〇〇名)であった。

被告病院には、常勤の医師は、実質的には、当時院長であった春日医師、川井医師ら二、三名しかおらず、そのうち川井医師は産婦人科医、春日医師は内科医であって、いずれも精神保健福祉法上の指定医の資格を有していなかった。また、看護職員は合計三〇名程度しかおらず、無資格及び無経験の看護人が多く含まれていた。

被告病院は、このような状況であることを隠蔽するため、行政庁による調査に対して、職員を水増しした架空の出勤簿を提示するなどしていた。

3  平成五年七月に被告病院に対して行われた大阪府環境保健部による立入検査では、精神保健指定医不在時に医療保護入院となっている例、入院を指示した医師が不在である時間帯に入院となっている例、勤務していないはずの医師の署名による保護室の使用がされている例、解除を指示した医師が解除時間に勤務していなかった例等があることや、入院患者のほとんどが全く診察を受けていないか又は入院時しか診察を受けていないこと等が判明した。

4  被告病院の看護職員のうち看護婦の資格のある者は、レセプト作成等の業務に従事させられていたことから、患者の看護、管理の多くは、無資格の看護職員に委ねられていた。

5  被告病院では、特にA3棟において、入院患者が他の入院患者らから暴行を受けることがしばしばあり、時には、被告病院の職員も暴行に関与することがあった。

六  被告の過失(請求原因6)について

1(一) 前記認定のとおり、被告病院においては、過去に入院患者が病院内で他の入院患者や看護助手から暴行を受けて死亡する事件が複数回起こっていることや、亡三郎が入院した平成五年当時においてもA3病棟内で暴行が横行していたことからすれば、被告病院は、A3病棟に収容される入院患者が、他の入院患者等から暴行を受けて生命・身体に危険が及ぶことを十分予見できたはずである。

そして、このような暴行の横行は、適正な数の医師及び看護職員を配置し、各患者の症状及び動静を的確に把握することにより防止できたと考えられる。

ところが、前記認定のとおり、被告病院は、約四八〇名の入院患者に対して、常勤医としては、精神保健福祉法上の指定医でない医師二、三名を置くのみであり、診察は、入院時に行われる他はほとんど行われていなかった。また、看護職員は、看護婦の資格も経験もない者も含めて三〇名程度しかおらず、看護婦の資格のある者はレセプト作成等の業務に従事させられていたことから、入院患者の看護、管理の多くは、無資格の看護職員に委ねられていた。

このような事実を前提として判断すると、被告病院は、病院内における暴行の横行を防止する措置を何らとらないまま、亡三郎を入院患者として受け入れ、A3病棟に収容して亡三郎に対する暴行を招き、さらに、二月三日の夜に亡三郎が他の入院患者から殴られるという事態が現実に生じた後においても何らの措置もとらなかった(被告病院がこれに対する処置をとったと認めるに足りる証拠はない。)のであるから、亡三郎に対する暴行を防止すべき注意義務を怠った過失があるというべきである。

(二)  この点に関し、被告は、二月三日に亡三郎が他の患者から暴行を受けたときには看護助手が直ちにこれを制止し、その後、患者間の紛争を予防するため亡三郎を相部屋から個室に移したのであるから、被告病院には過失はないと主張する。

しかし、被告病院は、前記のとおり、そもそも暴行を未然に防止すべき注意義務を怠っているのであり、暴行が行われた後に看護助手がこれを直ちに制止したしても、それで足りるものではない。それに、看護助手が直ちに制止したと認めるに足りる証拠もない。また、前記認定のとおり、亡三郎は、被告病院に入院中複数回にわたって暴行を受けているのであるから、被告病院が各患者の動静を的確に把握していなかったことは明らかであるといえる。亡三郎を個室へ移した点についても、それはもっぱら他の患者からの苦情を聞き入れて亡三郎を相部屋から出したものにすぎず(証人川井謙一)、亡三郎を他の患者等の暴行から保護する目的で行われたものではないから、亡三郎に対する暴行を防止すべき注意義務を尽くしたとはいえない。

2(一) さらに、被告病院は、入院患者に外科的又は内科的疾患が生じた場合には、それに対する適切な処置をするか、又はそれができない場合には専門の病院に転送すべき義務があるのに、これを怠ったと認められる。

すなわち、前記認定のとおり、二月五日に川井医師が亡三郎を診察した際、目の周りに殴られた跡があり、胸、肩、脇腹等に皮下出血が認められたにもかかわらず、川井医師は、これに対する治療を行わなかった。また、二月九日に春日医師が看護婦から連絡を受けて亡三郎を診察した際には、咳、喀痰、発熱、胸部呼吸音粗が認められ、異常な血沈値(一時間で一六〇、二時間で一七〇)を示しており、これらは肺炎の診断をすべき所見であったにもかかわらず(証人森功)、春日医師は、軽度から中程度の気管支炎と診断し、それに対する処置しか行わなかった。また、同日夜に診察した非常勤医師が翌日に胸部エックス線撮影をするようカルテに記載したのは肺炎を疑ったからであると考えられるか、翌日に診察した川井医師は、その非常勤医師が緊急の必要があると判断してそのような記載をしたことを認識していたにもかかわらず(証人川井謙一)、肝機能の低下と心疾患の疑いをもつにとどまり、その非常勤医師に確認もせずに(その非常勤医師と意見交換をしたと認めるに足りる証拠はない。)、胸部エックス線撮影は不要と判断してこれを行わなかった。また、二月九日には少なくとも風邪ないし気管支炎の症状を認めているのに、一一日から一三日までの間は全く診察が行われておらず(なお、腎機能障害がある場合にはストレプトマイシンは投与すべきでないのに<証人森功>、亡三郎には血液検査の結果BUNが異常値を示す等腎機能障害の疑いがあったにもかかわらず、ストレプトマイシンの投与が続けられた。)、二月九日の春日医師の診察及び二月一〇日の川井医師の診察はいずれも、看護婦から「亡三郎が発熱しているので診察して欲しい」との連絡を受けてはじめて行われたものであった。そして、二月一四日になって非常勤医師が診察して肺炎と診断し、二月一五日には川井医師と春日医師が転送の判断をして八尾病院に転送したが、このときにはすでに肺膿瘍を形成するほど重度の肺炎となっており、脱水症状、腎不全等も生じていた。

これらの事実からすれば、川井医師及び春日医師は、被告病院内において外傷を受け肺炎を発症した亡三郎に対し、医師として通常行うべき適切な診察及び有効な処置(適時における転送も含む。)をしなかったものと認められ、過失があるというべきである。

(二)  この点に関し、被告は、亡三郎が他の入院患者から暴行を受けて負傷した際には、レントゲン検査及び理学的診察で骨折がないこと及び負傷の程度が軽傷であることを診断して治療をし、風邪症状を発したときも適切に治療をし、肺炎を疑ったときも適切に抗生物質の投与及び持続点滴、酸素療法等の治療を行ったのであるから、被告病院と同規模程度の精神病院における医療水準に照らし、被告病院の医療行為(転送措置を含む。)に過失はないと主張する。

しかし、二月五日に行われたレントゲン検査は、入院時の一般検査として心臓や肺の状態を調べるために行われたものであって、肋骨等の骨折の有無を調べるために行われたものではない(証人川井謙一)。また、被告病院には内科医の経歴をもつ医師(春日医師)もおり、かつ、肺炎は臨床症状及び胸部エックス線所見から診断はそれほど困難ではないとされている(乙三八)うえ、肺炎は早期に発見し治療すれば治癒率は九〇パーセント以上である(証人森功)のに、転送時には肺膿瘍を形成するほどに重篤な状態になっていたのであるから、このことから考えても、被告病院における診察及び処置(転送を含む。)に誤りがあったことは十分に推認できるものである。

七  因果関係(請求原因7)について

1  被告病院が他の入院患者等による暴行を防止する措置を怠った結果、前記認定のとおり、亡三郎は、他の入院患者等から殴る、蹴る、踏みつける等の暴行を受けて肋骨骨折、胸膜挫傷を生じ、これがきっかけとなって黄色ブドウ球菌に感染し、さらに、多数の他為による外傷が血液循環の悪化と抵抗力の低下をもたらして菌の増殖を助長したことにより、肺全体に炎症が及ぶ大葉性肺炎及び多数の肺膿瘍を生じさせ、強い呼吸困難を招来して死亡したのであるから、被告病院の上記の過失と亡三郎の死亡との間には因果関係が認められる。

2(一)  また、肺炎は、早期に発見し治療すれば治癒率は九〇パーセント以上であり、遅くとも二月九日の時点で内科専門の病院に転送されていれば亡三郎は死亡するに至らなかったと考えられること(証人森功)及び多数の外傷による抵抗力の低下が肺炎の悪化をもたらしたことからすれば、被告病院の医師が亡三郎の肺炎及び外傷に対する適切な診察及び処置(適時における転送も含む。)を怠った過失と亡三郎の死亡との間にも因果関係が認められる。

(二)  この点に関し、被告は、被告病院の肺炎に対する内科的治療行為(転院措置を含む。)に何らかの落ち度があったとしても、亡三郎の肺炎による死亡は、病状の自然増悪による不可抗力又は八尾病院における不適切な治療行為(MRSAに有効な抗生物質であるバンコマイシンの投与をしなかった等)によってもたらされたのであるから、亡三郎の死亡との間に因果関係はないと主張する。

しかし、前記認定事実によれば、肺炎の増悪は被告病院において適切な診察及び処置が行われなかったことが原因であると認められるし、バンコマイシンはMRSAに有効な抗生物質ではあるが腎障害の副作用があり(乙七七、八〇、証人森功)、亡三郎の全身状態が悪化していたためバンコマイシンの効果が期待できないとしてこれを投与しなかった八尾病院の判断が不適切であったと認めるに足りる証拠はない。

八  被告の責任

以上により、被告は、不法行為に基づく損害賠償責任を負うというべきである。

九  損害

(一)  亡三郎の精神的苦痛

前記認定のとおり、亡三郎は、特に外傷も内科的疾患もない状態で被告病院に入院したにもかかわらず、入院後二週間足らずの間に、被告病院内において暴行による多数の外傷を受け、肺炎を発症し、それに対する適切な治療を施されず、重篤な状態となって、転送先の病院で死亡したのであるが、本来、患者の生命・健康の維持・回復を目的とする医療施設内でこのような被害に遭ったという点や、亡三郎の年齢、生活状況等の諸事情に照らし、亡三郎の被った精神的苦痛を金銭に評価すれば、三〇〇〇万円とするのが相当である。

そして、原告太郎及び次郎は、それぞれその四分の一(法定相続分)である七五〇万円の慰謝料請求権を相続し、原告花子は、次郎の相続した慰謝料請求権を単独相続した。

(二)  遺族固有の精神的苦痛

原告太郎及び次郎は、民法七一一条所定の「父母、配偶者及び子」のいずれにも当たらず、かつ、これらの者と実質的に同視できるだけの身分関係が存在すると認めるに足りる証拠もないから、遺族固有の慰謝料請求は認められない。

(三)  弁護士費用

本件事案の性質、審理の経過及び認容額等に照らすと、本件不法行為による損害として賠償を求めることのできる弁護士費用は、原告らそれぞれについて一五〇万円とするのが相当である。

一〇  以上により、原告らの請求は、原告らそれぞれについて九〇〇万円及びうち弁護士費用を除く七五〇万円に対する平成五年二月二一日(不法行為による損害発生の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条本文を、仮執行宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中田昭孝 裁判官村上正敏 裁判官冨上智子)

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