大阪地方裁判所 平成6年(ワ)13342号 判決 1997年3月03日
原告
村松好孝
被告
冨土建設機械株式会社
ほか二名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告冨士建設機械株式会社及び同福田猛は、原告に対し、連帯して金八四九八万二七三〇円及び平成五年三月二日(事故日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告安田火災海上保険株式会社は、原告に対し、金一七五八万円及び平成七年一月一九日(訴状送達の日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、自動二輪車を運転していた原告が、被告冨士建設機械株式会社(以下「被告冨士建設」という。)が所有し、被告福田猛(以下「被告福田」という。)が運転する普通乗用自動車(以下「被告車両」という。)に衝突されて傷害等を負つたとして、被告冨士建設に対しては自賠法三条、被告福田に対しては民法七〇九条、被告車両の自賠責保険会社である被告安田火災海上保険株式会社(以下「被告安田火災」という。)に対しては自賠法一六条に基づき、損害賠償請求した事案である。
一 争いのない事実等(証拠摘示のない事実は争いのない事実である。)
1 交通事故の発生(以下「本件事故」という。)
(一) 日時 平成五年三月二日午前八時五〇分ころ
(二) 場所 大阪市住之江区新北島五丁目一番三号先路上(以下「本件事故現場」という。)
(三) 加害車両 被告車両(大阪七七す三八〇五)
(四) 被害車両 原告運転の自動二輪車(なにわ・う八六八八。以下「原告車両」という。)
(五) 事故態様 道路外から左折した被告車両と直進の原告車両が衝突した。
2 責任原因
(一) 被告冨士建設は、被告車両の保有者として、原告に対し、自賠法三条に基づく責任を負う。
(二) 被告福田は、本件事故につき、右方安全確認義務違反の過失があるから、原告に対し、民法七〇九条に基づく責任を負う。
(三) 被告安田火災は、被告車両の自賠責保険会社であり、原告に対し、自賠法一六条に基づく責任を負う。
3 本件事故後の状況
(一) 治療経過等
原告は、本件事故後、次のとおり入通院して治療を受けた。
(1) 平成五年三月二日から同年五月一二日まで南港病院入院(入院日数七二日)傷病名「頸部・腰部挫傷、頭部打撲、左半身挫傷」(甲一〇)
(2) 平成五年五月一三日から同年六月二八日まで斉藤整骨院通院(通院実日数三四日)
傷病名「腰部挫傷、左膝部挫傷」(乙二)
(3) 平成五年六月二九日から富永脳神経外科病院入通院傷病名「頸椎症、腰椎症、脳動脈硬化症、外傷性脊髄損傷、不整脈」(甲一六の1ないし11)
(二) 示談契約の締結(甲九、弁論の全趣旨)
原告と被告福田は、平成五年七月六日、次の内容の示談契約を締結した(以下「本件示談契約」という。)。
(1) 被告福田は、原告に対し、平成五年三月二日から同年六月一〇日までの治療費を全額支払う。
(2) 被告福田は、原告に対し、本件事故の全損害賠償額として、既払額を除き、七五万円を支払う。
(3) 将来万が一、原告に本件事故に起因する医証のある後遺障害が発生した場合には、原告は、被告安田火災に被害者請求する。
(三) 原告は、平成五年七月二四日、富永脳神経外科病院において頸部MRI検査を受けたところ、第四、第五頸椎推間板ヘルニアがある旨診断され、同年一〇月一日、前方固定術を受けた。
(四) 平成五年一二月一二日、富永脳神経外科病院の担当医は、後遺障害診断書を作成し、自覚症状として、右上肢全体しびれ感、巧緻運動障害、歩行障害等、他覚症状として、第四、第五頸椎椎間板ヘルニア、前方固定術、ハローベストによる外固定術等と記載した(甲二、弁論の全趣旨)。
(五) 被告安田火災は、平成六年七月一八日、原告の後遺障害は、<1>頸椎前方固定術後の脊柱の変形が自賠法施行令第二条別表の後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)第一一級七号、<3>腸骨からの採骨による骨盤骨の変形が等級表第一二級五号、<2>右上肢の神経症状が等級表第一二級一二号にそれぞれ該当し、併合一〇級であると認定した(甲七、弁論の全趣旨)。
4 損害の填補
原告は、被告らから合計七六一万三五七八円の支払を受けた(その内訳は、付添家政婦代金(南港病院)九万七二三〇円、治療費(南港病院分)五七万七二八六円、治療費((斉藤整骨院分)一八万三三〇〇円、健康保険求償分六一万五七六二円、任意保険会社保険金一五三万円、自賠責保険会社保険金四六一万円)。
二 争点
1 原告の後遺障害の内容、程度及び本件事故との因果関係の有無
(一) 原告の主張の要旨
原告は、本件事故により、脊髄損傷、頸椎椎間板ヘルニア等の傷害を負い、これにより、胸腰椎部、右肩、膝等に大きな運動障害や感覚障害等が残存し、ほぼ両上下肢が麻痺して、回復の見込みがない状況となつている。右後遺障害は、少なくとも、等級表第三級に該当する。
(二) 被告らの主張の要旨
原告は、本件事故から約四か月後に初めて頸部痛を訴えており、それまで頸部については何の治療も受けておらず、原告の頸椎椎間板ヘルニアは、本件事故により生じたものではない。そして、原告主張の後遺障害は、主として頸椎椎間板ヘルニアに起因するものであるから、右後遺障害と本件事故との間に因果関係は認められない。
2 本件示談契約の有効性
(一) 原告の主張の要旨
本件示談契約は、頸椎椎間板ヘルニア等の重篤な傷害が判明していない段階でなされたものであり、当時、原告は、軽度の後遺障害と誤信していたのであるから、錯誤により無効である。
(二) 被告らの主張の要旨
前記のとおり、原告の後遺障害は本件事故とは無関係であり、本件示談契約は、本件事故に起因する原告の損害を賠償するものとして有効である。
3 損害額(原告の主張)
(一) 治療費(一一六万四九九六円)
南港病院分が五七万七二八六円、斉藤整骨院分が一八万三三〇〇円、富永脳神経外科病院分が四〇万四四一〇円。
(二) 入院雑費(二一万八〇〇〇円)
一日一〇〇〇円で二一八日間
(三) 入通院慰藉料(一八〇万円)
入院日数二一八日、通院期間六八日
(四) 付添家政婦代金(九万七二三〇円)
(五) 休業損害(三〇六万六四九二円)
日額一万〇七二二円として、休業期間二八六日分
(六) 後遺障害による逸失利益(三八四三万四七七八円)
原告(昭和一四年四月一七日生・平成五年一二月一二日当時五四歳)は、等級表第三級該当の後遺障害により労働能力を一〇〇パーセント喪失したものであるが、本件事故がなければ、六七歳になるまで一三年間にわたつて日額一万〇七二二円の収入を取得できた。よつて、新ホフマン方式により中間利息を控除して原告の後遺障害による逸失利益を算定すると次のとおりとなる。
一万〇七二二円×三六五×九・八二一=三八四三万四七七八円
(七) 付添看護費用(二九一八万九〇五〇円)
原告は、前記後遺障害により、原告の平均余命である七九歳になるまで二五年間、終身にわたつて付添看護が必要な状態にあり、その付添看護費用は一日あたり五〇〇〇円を下らない。よつて、新ホフマン方式により中間利息を控除して付添看護費用を算定すると次のとおりとなる。
五〇〇〇円×三六五×一五・九九四=二九一八万九〇五〇円
(八) 後遺障害慰藉料(一八〇〇万円)
(九) まとめ
以上より、原告は、被告冨士建設及び同福田に対しては、右損害合計額の内金である八四九八万二七三〇円及びこれに対する平成五年三月二日(本件事故日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告安田火災に対しては、等級表第三級と第一〇級の後遺障害による自賠責保険金額差額分の損害金一七五八万円及びこれに対する平成七年一月一九日(訴状送達の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
4 過失相殺
(一) 被告らの主張の要旨
本件事故は、原告が前方をしつかりと注視していれば避けられたものであり、原告にも四割程度の過失がある。
(二) 原告の主張の要旨
本件事故は、被告車両が突然、原告車両進路前方に飛び出したために生じたものであり、被告福田の一方的過失によるものである。原告に過失はない。
第三争点に対する判断
一 争点1(原告の後遺障害の内容、程度及び本件事故との因果関係の有無)について
1 前記争いのない事実等に証拠を総合すれば、次の事実が認められる(証拠は認定事実の項目ごとに摘示する。)。
(一) 本件事故前の原告の症状等について(乙二、三の1、丙二、三、弁論の全趣旨)
原告は、平成五年二月二日、階段から転落し、腰部捻挫、左右膝部捻挫の傷害を負い、同月四日から本件事故発生日の前日である平成五年三月一日まで斉藤整骨院において治療を受けた(実通院日数は一八日であり、同整骨院における治療は本件事故により中断された。)。
右整骨院初診時の原告の症状は、第三、第四腰椎両側の圧痛、左膝部膝蓋骨下の圧痛及び軽度の腫脹、腰部・左右膝部の屈曲痛及び歩行時疼痛等であり、治療中断時点では、左右膝部の屈曲痛等が多少残存していたもののほぼ治癒状態であつた。
(二) 本件事故態様等について(甲一五、検甲一四ないし二一、乙一の1ないし8、七、検乙一ないし二〇、原告本人、被告福田本人、弁論の全趣旨)
原告は、歩車道の区別のある中央線の設けられた片側一車線の東西道路(指定最高速度は時速三〇キロメートル)の東行き車線を、原告車両(ホンダ・ヒユージヨン・二五〇cc)を運転し、時速約三〇ないし四〇キロメートルの速度で直進していたところ、同道路北側の被告冨士建設の駐車場から東西道路に進入して左折しようとした被告車両と接触して、路上に転倒した(接触部位は、原告車両の前部分と被告車両の右前角部分)。
本件事故により、原告車両には、左ハンドルグリツプ擦過損、左前カウル擦過損及び割れ、左座席カウル割れ等の損傷(損害額は一三万四九五二円)、被告車両には、右前フエンダー擦過凹損、右前ウインカーカバー破損、右前ホイル擦過損、右前ボンネツト擦過損等の損傷(損害額は一八万五四〇〇円)が生じた。
(三) 南港病院における原告の症状等について(甲一〇、乙二、三の1ないし5、丙一、原告本人、弁論の全趣旨)
原告は、被告冨士建設の車で南港病院に搬送されたが、歩行困難の状態であつたことから、入院安静が必要とされた。原告は、同病院の担当医に対し、左側頭部、左上肢、左肩、左側胸部、腰痛、左膝等の各疼痛を訴えたため(同病院における傷病名は「頸部・腰部挫傷、頭部打撲、左半身挫傷」)、担当医が、各疼痛部位のレントゲン検査及び頭部CT検査を実施したところ、第四、第五頸椎間に変形性関節症が認められたほかは(ただし、斉藤整骨院への紹介状には、レントゲン写真上異常を認めずと記載されている。)特に異常はなく、吐き気もなく、関節運動も良好で、下肢伸展挙上テストの結果も左右とも八〇度であつた。担当医は、各疼痛部位に湿布を貼るなどの処方を行うとともに、歩行障害についてリハビリテーシヨンを行つたところ、歩行障害の点について改善がみられたものの、原告の前記愁訴はほとんど変わらなかつた(主訴は腰痛、左膝関節痛であつた。)。なお、同病院の担当医は、心因性愁訴の可能性もあると考えていた。
そして、原告は、平成五年五月一二日、独歩退院し、本件事故前に通院していた斉藤整骨院に転院した。
(四) 斉藤整骨院における原告の症状等について(乙二、丙三、弁論の全趣旨)
斉藤整骨院通院当初の原告の症状は、第三、第四腰椎部分及び左膝部の圧痛、屈曲痛、歩行痛等であり、同病院を転院するころには、自立歩行も大分できるようになつたものの、依然として歩行時の疼痛が残存している状態であつた(同整骨院における傷病名は「腰部挫傷、左膝部挫傷」)。
(五) 富永脳神経外科病院における原告の症状等について(甲二、三の2、四、乙一二ないし一四、弁論の全趣旨)
原告は、同病院の担当医に対しては、従前の腰痛、両側膝関節痛等のほか、後頭部痛、頸部痛を訴え、平成五年七月二〇日から、同病院に入院して治療を受けた(同病院における傷病名は「頸椎症、腰椎症、脳動脈硬化症、外傷性脊髄損傷、不整脈」)。なお、原告は、同病院に通院していた同年七月六日、本件示談契約を締結した。
同月二四日、原告は、頸部MRI検査により、第四、五頸椎椎間板ヘルニアが存在する旨指摘され、同病院の担当医は、同年一〇月一日、前方固定術等を施行した。
原告は、現在、第四、第五頸椎椎間板ヘルニアに起因する上肢機能障害、知覚障害等が存在し、上肢運動機能は不自由ではあるが箸を用いて食事ができる状態であり、下肢運動機能は平地でも杖または指示を必要とする状態であり、上肢には明確な知覚障害があり、下肢にも軽度の知覚障害またはしびれ感があるほか、右上下肢に頑痛、両膝関節痛等があり、労働は不可能な状態にある。
同病院の担当医は、今後リハビリにより原告の症状は改善する可能性があるものの、相当程度の後遺障害が残る旨診断している。
2 なお、原告本人は、本件事故から一週間ないし一〇日程経過したころから頸部に鈍痛があつたこと、吐き気や嘔吐があつたこと等右認定に反する供述をするが、南港病院の診療録等(乙三の1ないし5等)の記載に照らし、採用し難い。
3(一) 右認定事実によれば、原告には、現在、第四、第五頸椎椎間板ヘルニアに起因する上肢機能障害、知覚障害等の神経症状が残存していろところ、右頸椎椎間板ヘルニアが本件事故によつて生じたか否かについて検討するに、原告は、本件事故により、路上に転倒して傷害を負い、南港病院の担当医に頸部挫傷等と診断され、レントゲン上、第四、第五頸椎間の変形性関節症(ただし、斉藤整骨院への紹介状には、レントゲン写真上異常を認めずとの記載がある。)を指摘されたとの事情もあるが、原告は、右病院及びその後転院した斉藤整骨院では、主として腰部、左膝に関する疼痛を訴え、頸部については何の訴えもしていないこと(なお、腰部、左膝に関する疼痛は、本件事故前の症状と同様であり、南港病院の担当医は、心因性愁訴の可能性もあると考えていた。)、このため、右病院及び整骨院では、頸部について何の治療も行つていないこと、原告には、右病院及び整骨院において、第四、第五頸椎椎間板ヘルニアに起因する神経症状が出現していないこと〔外傷性椎間板ヘルニアは、多くはヘルニアを起こして突出した椎間板に圧迫された神経の特異的症候(一定の部位の疼痛、痺れ、運動麻痺等)が受傷直後から明確に出ているのが普通であるところ(丙四)、第四、第五頸椎椎間板ヘルニアの場合には、第五頸髄を圧迫するため、上肢等に神経症状が出現するのが通常であるのに(丙五)、前記のとおり、原告には右のような症状が認められていない。〕、カルテ上、本件事故から約四か月経過した富永脳神経外科病院受診中に初めて頸部に関する症状を訴えていること、前記認定事実によつても、本件事故によりどの程度の衝撃が原告の頸部に加わつたのか必ずしも明らかでないこと、原告は、本件事故当時五三歳であり、前記のような神経症状は、もつぱら経年性による頸椎椎間板ヘルニアにより生じた可能性も否定し得ないこと等の事情を考慮すれば、原告の第四、第五頸椎椎間板ヘルニアが、本件事故によつて生じたものとは直ちには認め難いと言わざるを得ない。
(二) この点、富永脳神経外科病院の担当医は、原告の頸椎椎間板ヘルニアは、本件事故による外傷が誘因になつたものであり、事故以前に存在した頸椎推間板ヘルニアが外傷により症状発症したとみるのが医学的に正しいと思われる旨診断しているが(甲一四の1、2)、同医師の診断根拠(特に本件事故から約四か月経過してから頸部の症状が発現した根拠)は本件全証拠によつても明らかでないから、これを採用することもできない。
そして、他に本件事故と頸椎椎間板ヘルニアとの因果関係を認めるに足りる証拠はない。
(三) 以上によれば、原告の頸椎椎間板ヘルニアが本件事故によつて生じたものと認めるには、なお証拠不十分と言わざるを得ず、原告の主張を認めることはできない。
二 争点2について
前記認定事実によれば、原告は、本件示談契約当時に存在していた後遺障害(腰痛、歩行障害等の症状)を前提に本件示談契約を締結したところ、その後、主として頸椎椎間板ヘルニアに起因する神経症状等が発症して後遺障害が増悪しているが(なお、頸椎椎間板ヘルニアと歩行障害との因果関係は本件全証拠によつても不明確である。)、頸椎椎間板ヘルニアが本件事故に基づくものと認められないことは前記のとおりであるから、結局、本件示談契約後に種々の神経症状が出現し、後遺障害が増悪したことを根拠として本件示談契約は無効であるとする原告の主張は、その前提を欠くと言わねばならない。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
三 よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がない。
(裁判官 松本信弘 佐々木信俊 村主隆行)