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大阪地方裁判所 平成6年(行ウ)22号 判決 1998年2月16日

原告

山本登美枝

右訴訟代理人弁護士

谷智恵子

杉本吉史

雪田樹理

小山操子

武田純

脇山拓

被告

地方公務員災害補償基金

大阪府支部長

山田勇

右訴訟代理人弁護士

今泉純一

主文

一  被告が平成二年一月一一日付けで原告に対してした公務外の災害と認定した処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

主文第一項と同旨

第二  事案の概要

本件は、東大阪市において保母として勤務していた原告が、昭和五六年四月一六日、被告に対し、その頸肩腕障害、腰痛症及び自律神経失調症が保育業務に起因するものであるとして、公務災害の認定を請求したところ、被告が、平成二年一月一一日付けで、これを公務外の災害であると認定した処分をしたため、その取消しを求めた事案である。

一  前提となる事実

当事者間に争いのない事実並びに証拠(甲七の一、二、甲八の一ないし一二、甲二四、四〇、乙四の一、二、七、一二、一七、二二、二七、三一、三三、乙八の一ないし八、乙一〇の二、乙一二の七、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和二一年七月九日生まれの女性であり、昭和四九年一二月一六日に東大阪市に保母(技術吏員)として採用され、以後同市内の保育所において勤務している。

2  原告の現在までの勤務状況は次のとおりである。

(一) 保母として採用されるまで

原告は、昭和四二年三月短期大学の保育科を卒業し、同年四月以降幼稚園及び幼児園で勤務したが、昭和四五年一月に結婚した後退職し、同年一一月一七日に長男、昭和四七年二月二〇日に次男、昭和四九年七月一九日に長女を出産した。

(二) 昭和四九年一二月から昭和五〇年三月まで

原告は、昭和四九年一二月に東大阪市に保母として採用されると、昭和五〇年三月までの間、同年四月から新しく開所される鳥居保育所の開所準備に従事した。

(三) 昭和五〇年四月から昭和五二年三月まで

原告は、昭和五〇年四月から昭和五二年三月まで、鳥居保育所において〇歳児六名(なお、年度当初は五名)を担当した。

(四) 昭和五二年四月から昭和五三年三月まで

原告は、昭和五二年四月から昭和五三年三月まで、鳥居保育所において三歳児二三名を担当した。このうち、三名は障害児であり、二名は要配慮児(病児)であった。

(五) 昭和五三年四月から同年一〇月まで

原告は、昭和五三年四月一八日から産前休暇を取得し、同年六月一七日に出産し、以後同年一〇月一六日まで、産後休暇及び育児休暇を取得した。

(六) 昭和五三年一〇月から昭和五四年三月まで

原告は、昭和五三年一〇月一七日に職場に復帰し、昭和五四年三月まで、鳥居保育所において一歳児八名を担当した。

(七) 昭和五四年四月から昭和五六年三月まで

原告は、昭和五四年度から石切保育所に移動し、同年四月から昭和五五年三月まで同保育所において三歳児二三名を担当した。このうち、二名は障害児であった。

原告は、昭和五五年度も引き続き昭和五四年度のクラスの持ち上がりとして、昭和五五年四月から昭和五六年三月まで四歳児クラスを担当した(ただし、児童数は健常児が一名増えて二四名となった。このうち、障害児は二名であった。)。

(八) 昭和五六年四月以降

原告は、昭和五六年三月の東大阪市保育所職員特殊健康診断でC1(要治療)との判定を受け、同年三月三〇日、上二病院に受診し、同年四月一日頸肩腕障害及び自律神経失調症との診断を受け、同日以降休職した。なお、原告は、同月二七日も、右病院において、右同様の診断を受けた。その後、原告は、財団法人淀川勤労者厚生協会西淀病院(以下「西淀病院」という。)に転院し、同年五月二九日、頸肩腕障害及び腰痛症との診断を受けた。なお、原告は、同年七月一三日、同年八月一七日、同年一一月二五日、昭和五七年一月二九日、同年三月二九日、同年五月二一日、同年七月二一日、同年九月二七日、同年一二月二四日にも、右病院において、それぞれ頸肩腕障害の診断を受けた。

原告は、昭和五六年六月一日から、通院を続けながら、石切保育所において、いわゆるリハビリ勤務と称する半日勤務(二歳児を担当)を開始し、同年九月一日からは通院治療を続けながらの全日勤務に復帰し、昭和五八年三月に完治を見た。

3  原告は、昭和五六年四月一六日付けで、原告の頸肩腕障害、腰痛症及び自律神経失調症(以下「本件疾病」という。)が公務上の災害であるとして、被告に対し、公務災害の認定請求をした。

4  被告は、右認定請求に対し、平成二年一月一一日付けで本件疾病が公務外の災害であるとの認定をした(以下「本件処分」という。)。これに対し、原告は、審査請求をしたが、地方公務員災害補償基金大阪府支部審査会は平成四年一二月一日付けでこれを棄却した。原告は、再審査請求をしたが、地方公務員災害補償基金審査会は、平成五年九月二九日付けでこれを棄却し、原告は、同年一二月二九日、右裁決があったことを知った。

二  原告の主張

原告の本件疾病は、原告が従事してきた保育業務に起因するもので、明らかに公務上の災害である。したがって、これを公務外の災害であるとした本件処分は、違法である。

1  保育業務と頸肩腕障害及び腰痛症

保育業務が一般的に頸肩腕障害及び腰痛症を発生させやすい業務であることは、各種の調査から疑う余地のないものとなっている。また、東大阪市において昭和五六年以降行われてきた保母の特殊健康診断の結果によっても、全職員の中で保母の疲労度が最も高いことが明らかとなっている。

そして、労働行政側においても、平成六年九月六日に労働省労働基準局長が発表した「職場における腰痛予防対策の推進について」と題する予防指針でも、重度心身障害児施設等における介護作業が腰痛を発生させやすい作業として例示されている。また、平成七年八月に中央労働災害防止協会が発表した「職場における頸肩腕症候群予防対策に関する検討結果報告書」において、予防対策を講じるべき作業の一例として保育作業が明記されている。さらに、平成九年一月に労働省の諮問機関である頸肩腕症候群等に関する専門検討会が発表した「頸肩腕症候群等に関する検討結果報告書」では、上肢障害を発生させやすい業務として、①上肢の反復動作の多い作業、②上肢を上げた状態で行う作業、③頸部、肩の動きが少なく、姿勢が拘束される作業、④上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業の四つが挙げられ、④の作業の例として、保育作業が明記されている。これらを受け、労働省は、平成九年二月三日、上肢障害に関する労災の認定基準を大幅に見直した「上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(以下「新認定基準」という。)と題する通達(基発第六五号)を発出し、地方公務員災害補償基金も、同年四月一日、「上肢業務に基づく疾病の取扱いについて」及び「『上肢業務に基づく疾病の取扱いについて』の実施について」と題する各通知(地基補第一〇三号、第一〇四号)を発出し、同趣旨に沿った改正を行い、前記の頸肩腕症候群等に関する専門検討会による「頸肩腕症候群等に関する検討結果報告書」において上肢障害を発生させやすいとされた四つの業務をそのまま明記した。そして、労働省労働基準局補償課長が、平成九年二月三日、新認定基準の運用の統一を図るために発出した事務連絡「上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準の運用上の留意点について」では、上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業の例として、「保育、看護、介護作業」が明記されている。

2  原告の担当した業務及び症状の推移

(一) 原告は、元来元気であって、本件疾病が発症するまでは、肩こりも経験したことがなかった。

(二) 原告の鳥居保育所における業務内容と原告の症状

(1) 昭和五〇年度及び五一年度(〇歳児保育)

原告は、鳥居保育所において、昭和五〇年四月から昭和五二年三月まで、〇歳児六名を保母三名で担当した。しかし、保母のうち一名は、休暇要員として他クラスの応援に行ったり、研修参加等により日常の保育から外れるため、日常の保育は二名で行った。

〇歳児保育における保母の作業内容は、おむつの交換(一日八回ないし一〇回に及ぶ。)、授乳、食事の介助、沐浴などに見られるように、中腰による腰の負担や子供を支えたりすることによる腕への負担など、無理な姿勢からくる背中、肩、上肢、腰部への負担及び緊張が連続する作業である。

さらに、鳥居保育所は開所間もない立ち上がりの時期であったため、園全体が試行錯誤しながら保育に当たらなければならず、保母間の意見調整等の負担も大きかった。

(2) 昭和五二年度(三歳児保育)

原告は、鳥居保育所において、昭和五二年四月から昭和五三年三月まで、三歳児二三名を保母三名で担当した。そして、右二三名には三名の障害児(精神発達遅滞児、てんかん児を含む。)と二名の病児が含まれていた。

三歳児は、動きが活発になる時期であり、子供と体を触れ合う遊びは保母の肩や腕、腰への大きな負担となり、重い体育道具の出し入れ、食事のための机の出し入れ等の負担も大きい。排泄、食事、着替え等の生理活動もまだ自立していない段階であり、それらの介助においては、中腰になったりかがみ込んでの作業が多く、保母の肩、腰、背中への負担が大きい。

また、当時健常児に加え、精神発達遅滞やてんかんを有する障害児及び病児をかかえていたが、精神発達遅滞児は生活の全面介助が必要であり、また、てんかん児はいつ発作が起こるか分からないという緊張を強いられた。東大阪市では、当時障害児保育の指導援助体制が極めて不十分であったこともあって、原告ら保母にとって、身体的負担はもちろんのことその精神的負担も大きかった。

さらに、担任保母の一人が、昭和五二年五月二二日から一〇日間結婚休暇を取り、そのうえ、もう一人の担任保母が切迫流産のため、昭和五二年六月一日から同年一二月末まで休業し、その間アルバイトの保母が配置されたことから、保育の責任は、正規の保母である原告ら残り二人の担任にしわ寄せされることになった。原告は同年八月頃第四子を妊娠したが、このような事情から妊娠を打ち明けられず、同年一一月頃妊娠を報告した後も、一時間の時間短縮を得られない状況であった。

(3) 昭和五三年度(一歳児保育)

原告は、鳥居保育所において、昭和五三年一〇月から昭和五四年三月まで、一歳児八名を保母三名で担当した。しかし、保母のうち一名は、会議、研修等で抜けるので、日常の保育は二名で行った。

一歳児は、歩き始める時期であり、原告は、子供の動作に合わせ、一日中しゃがんだり、立ったり、中腰となったり、前かがみとなったり、子供を抱いたりする動作を繰り返した。特に、外遊びや散歩を毎日繰り返すため、子供の身長に合わせて手をつなぎ中腰のまま約一時間歩くことが、腰や肩への大きな負担となった。

(4) 原告の症状の推移

原告は、昭和五一年五月頃、生まれて初めて肩がこるようになった。また、同年夏頃から、腕、肩にだるさを感じたり、肩から背中にかけてぴりぴりと痛みを感じたりすることもあったが、いずれの症状も長く続くことはなかった。

しかしながら、昭和五二年五月末頃、肩、腰の痛みが強くなり、朝起きることができず、二日間欠勤し、同年六月にも同様の症状により三日間欠勤した。同年六月初め頃より、肩こりを強く感じるようになり、腰の痛みも感じるようになった。重度の障害児をかかえ、かつ、担当保母の一人がアルバイトの保母になったことによる重圧もあり、夕方には疲れのため砂場に座り込んでしまうこともたびたびあった。昼食の後片付け、重い机の持ち運びがつらく感じたり、布団敷きや片付けの際肩や腰に力が入らないと感じることが多くなった。さらに昭和五三年に入ると、肩の痛み、腰痛は慢性化し、雑巾を絞るときにも手に力が入らず、特に右腕の痛みが強かった。

その後、原告は、昭和五三年四月から同年一〇月まで出産に伴う休暇を取得したが、仕事から離れることにより、肩痛、腰痛は軽減した。しかしながら、同年一〇月に仕事を再開すると、同年一二月頃から再び肩こりが再発し、昭和五四年三月には、右肩、腕にしびれやだるさを感じるようになった。

(三) 原告の石切保育所における業務内容と原告の症状

(1) 昭和五四年度(三歳児保育)

原告は、石切保育所において、昭和五四年四月から昭和五五年三月まで、三歳児二三名を保母四名で担当した。しかし、保母のうち一名は休暇取得、研修会出席等で保育から離れるため、日常の保育は三名で行った。また、一名の保母は頸肩腕障害によるいわゆるリハビリ勤務であったため、週一回の通院と週一回の針治療のための勤務解除が保証されていた。

二三名の園児の中には、二名の障害児が含まれており、うちA・Kは多動性の対人関係障害を有する重度の自閉症児で、推定発達段階は九か月から一歳半までの状態であり、本来保育所における保育が不適切な子供であった。また、K・Nは、発達遅滞児で、言葉の遅れがあり、発達年齢は約二歳半で、特別の指導が必要であった。

保育は、三名の保母がリーダー(クラス全体の子供の把握、課業指導、保育日誌の作成を行う。)、サブリーダー①(リーダーの援助をしながら、障害児A・Kを除く幼児全体の保育、保護者への連絡帳の作成その他の雑務を行う。)、サブリーダー②(障害児A・Kの保育及びK・Nの個別指導を行う。)の役割を数日ごとに交代して担当したが、昭和五四年八月からは、原告を含む二名の保母がA・Kの保育を一週間交替で行うこととした。

(2) 昭和五五年度(四歳児保育)

原告は、その後、昭和五五年四月から昭和五六年三月まで、前年度のクラスの持ち上がりで、四歳児二四名を保母三名で担当した。もっとも、保母のうち一名は休暇や会議等により抜けるため、日常の保育は二名で行った。また、A・Kの保育については、当初は昭和五四年度と同様にローテーションによっていたが、担当保母を固定させることになり、原告は、昭和五六年一月から同年三月までA・Kを専属で担当した。

(3) A・Kの保育の特徴

A・Kは、常に一対一の保育が必要であり、身体的な接触が第一に要請されたこともあって、終始抱きかかえる姿勢をしていなければならず、振り回したり揺さぶるような遊びを常に行わなければならなかった。そのうえ、多動で行動範囲が広いため、絶えず安全面での注意が必要であった。また、排泄等生活習慣においてはほとんど全面的な介助が必要であった。さらに、体重が重い(一八キログラム)うえに、抱いていてものけぞったり反り返ったりするなど動きが激しいため、一つ一つの動作での保母の腕や腰への負担が健常児よりも大きかった。

(4) 障害児保育が原告に与えた負担

原告は、石切保育所において、障害児、特にA・Kの保育を担当することで、通常の三、四歳児保育以上に腰、肩、腕等に負担を受けることになったが、特に、昭和五六年一月以降は、A・Kの保育を専属で担当することになったことに加え、年間の保育のまとめの作成、生活発表会の準備、保育参観、保護者懇談会等の行事に追われ、極めて重い負担となった。

(5) 原告の症状の推移

原告は、一日中、肉体的、精神的に緊張している状態が続き、疲労が蓄積し、特にA・Kを抱きかかえたときなどに腕に激しい痛みを感じるようになった。昭和五四年五月には、腰、背中、腕、肩の痛みが激しくなり、さらに吐き気を催すようになったため、二週間入院して休業した。

また、同年一二月頃になると、腰、肩、右腕がだるく、日常生活ではほとんど右腕が使えない状態であった。

原告の症状はその後深刻さを増し、昭和五五年一二月以降、腕、肩、背中、腰の痛みが強く、日常生活でほとんど右腕を使えない状態が続いた。また、保育中に腕や手の冷えを感じ、疲労が強くなると吐き気を催すようにもなり、肩、腕、背中の痛み及びだるさのために寝ることもできない状態であった。

原告は、右のような症状の中でも、年度末の多忙な業務をこなしていたが、昭和五六年三月に行われた東大阪市保育所職員特殊健康診断でC1(要治療)の判定を受け、同年四月一日及び同月二七日、上二病院の近藤慧医師により、頸肩腕障害、自律神経失調症により要休業との各診断を受け、同年五月末まで休業した。

その後は、同年六月から一部就業しながら、昭和五八年三月末まで西淀病院において通院治療を続けた。

3  原告の保育業務の過重性

(一) 障害児保育における過重性

東大阪市では、昭和四九年から公立保育所における障害児保育が実施されるようになったが、厚生省の基準に違反して重度の障害を有する障害児を受け入れていたにもかかわらず、受け入れのための物的、人的な整備が全くされなかったため、保母に対する適切な障害児保育研修や援助がなく、すべて担当保母の肉体的、精神的負担に委ねられるという状況であった。原告は、このような状況のもとで、昭和五二年度、昭和五四年度及び昭和五五年度の三年度にわたり、重度の障害児を含む障害児の保育を担当したのであり、その業務過重性が明らかである。

(二) 担任保母数の不足による過重性

原告が、昭和五二年度に担当した三歳児クラスは、東大阪市の基準によれば、二三名の児童に対する二名の保母の他に、重度の障害児二名に対する加配二名の合計四名の保母により保育に当たる必要があった。しかしながら、三名の保母で保育に当たっていたうえに、そのうち一名はアルバイトの保母であって、障害児を担当しないなど業務に制約があり、原告を含む正規の保母二名に過重な負担がかかることになった。

また、原告が昭和五四年度に担当した三歳児クラスは、東大阪市の基準によれば、二三名の幼児に対する二名の保母の他に、重度の障害児一名に対する加配一名の合計三名の保母により保育に当たる必要があった。しかしながら、現実には担当保母のうち一名はいわゆるリハビリ勤務であり、原告ら他の保母がその仕事をカバーしなければならなかったうえに、他の二名の障害児に対する保母配置も全く考慮されなかったため、原告に過重負担がかかることになった。

(三) 保育所の施設、設備の不備による過重性

原告が勤務していた鳥居保育所及び石切保育所には、その施設の構造上次のような問題があり、これらが原告ら保母に過大な負担を与えていた。

(1) 食堂がないために、保育室で食事をしなければならず、限られた時間内に机、椅子を並べ、また片付け、清掃などを行わなければならない。

(2) 廊下が開放廊下であるため、雨、砂、土等が室内に入りやすく、拭き掃除やござ敷きなどの余分な労働を生んでいる。

(3) 押入の高さが適当でなく、保母が布団の収納作業をする際に不自然な姿勢になり、腰、肩に負担がかかる。

(4) 三歳児便所が保育室の外にあるため、保育室から直接に行けず、また、排泄している様子が保母から見えないため、労働負担をもたらしている。

(5) 休憩室の位置が事務室に隣接しているため、深い休憩ができず疲労が回復しない。

(6) 保育室や便所に保母用の手洗いがなく、子供用の低い手洗いを使用するため、腰を曲げなければならず、腰に負担がかかる。

(7) ガスコックやコンセントが低い位置にあるため、子供が触ると危険であり、常に精神的緊張を強いられる。

4  他の要因の不存在

西淀病院における原告の諸検査の結果によれば、原告には頸椎や腰椎にレントゲン所見上異常を見出せず、また、血液検査でも他疾患の存在を疑わせる結果は得られなかった。さらに、新認定基準が求める八項目の疾病との鑑別もなされ、脊椎根症状や脊髄症状などの神経学的異常所見もなかった。

このように、原告には医学的に基礎疾患や他の疾患が存在する疑いはなく、また、頸肩腕障害や腰痛症に関して、原告にこれらの疾病を発症しやすいとされる特段の素因は何ら見当たらない。

5  まとめ

(一) 前記1に述べたところによれば、保育業務に従事する労働者の頸肩腕障害及び腰痛症については、原則として業務(公務)起因性を推定すべきであり、業務(公務)以外の原因によって発症したという特段の反証がない限り業務(公務)上の疾病と認定すべきである。

また、仮に、業務と疾病との関係を個別的に検討しなければならないとしても、当該仕事に就労後に初めて当該疾病を経験し、同一職場、職種で同様の疾病が多発しており、かつ、職場における労働条件や職場環境の改善、休職、職場転換等の対策により当該疾病が解消又は軽快したという事実があれば、公務起因性を肯定すべきである。

(二) 以上に見たとおり、本件疾病は、他病や個人的な素因にその原因を見出すことのできない疾病であり、原告の症状の経過はその保育業務の負担の増減と一致しており、またその症状経過も頸肩腕障害及び職業性腰背部痛に通常見られるものであるうえ、治癒の経過も他の保母の頸肩腕障害、腰痛症の治癒の経過と共通しており、原告の保育業務に起因するものであることは明らかである。

三  被告の主張

原告の本件疾病は、原告の従事してきた保育業務を相対的に有力な原因とするものではないので、公務外の災害である。したがって、本件疾病を公務外の災害とした本件処分は適法である。

1 公務上の疾病の意義

地方公務員災害補償法上の公務上の疾病というためには、当該疾病と公務との間に相当因果関係があることが必要であり、疾病が公務とその他の要因が複合して発生したものである場合には、公務が相対的に有力な原因となって疾病が発生したことを要する。

2  本件疾病及びその公務起因性の認定基準

(一) 頸肩腕症候群について

頸肩腕症候群は、医学的には半健康の状態をいうものであり、また、症状名であってそれ自体独立の疾患とはいえない。また、その発生機序、原因等についていまだに定まった医学的見解があるともいえない。頸肩腕障害という診断名は、日本産業衛生学会が、職業起因性の頸肩腕症候群に対して付することを提唱しているものであるが、このような見解は、医学的知見として到底定説とはいえない。

整形外科的立場によれば、頸肩腕症候群とは、広義には頸部から肩及び上肢にかけて何らかの症状、つまり項部痛、重感、肩こり、上腕から前腕にも及ぶ痛み、重感、手指のしびれ、脱力などを呈するものに対して与えられた総括的名称であるとされている。そして、このうち、局在性の原因が明らかでないものを狭義の頸肩腕症候群と呼んでおり、本件疾病もこれに該当するものである(なお、以下特に断らない限り、単に頸肩腕症候群というときは、狭義の頸肩腕症候群を意味するものとする。)。

このように、頸肩腕症候群は、いまだ医学的に定説がなく、その発生機序も不明なのであるから、医学的に公務起因性を肯定することは本来不可能なのであるが、社会的見地から見て、公務起因性を首肯し得る病体が存在することも事実であることから、行政的見地から、一定の職種、業務内容に対し、一定の業務過重性等の要件を付して、公務起因性を認めることとしたのが、前記の地方公務員災害補償基金が平成九年四月一日付けで発出した「上肢業務に基づく疾病の取扱いについて」及び「『上肢業務に基づく疾病の取扱いについて』の実施について」と題する各通知である(なお、これらは、「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」及び「『キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて』の実施について」と題する通知を、平成九年四月一日に改めたものである。)。これらによれば、上肢等に負担のかかる作業を主とする業務に相当期間従事した後に発症した疾病は、一定の要件のもとで、公務上の疾病として取り扱うものとされている。

しかしながら、原告の従事した保育業務は、園児の食事指導、排泄指導、午睡指導、遊戯指導等の多種多様な作業を含んだ身体の各部位を使う混合的業務であり、上肢等の特定の部位に負担を持続的に集中させる強制的な動作を伴わないものであり、長時間継続して行われるものでもなく、断続的に行われるものであるから、右通知にいう「上肢等に負担のかかる作業を主とする業務」に該当するものではないと考えるべきである。

なお、この点に関し、前記の「『上肢業務に基づく疾病の取扱いについて』の実施について」と題する通知は、「上肢に負担のかかる作業」として「上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業」を挙げ、前記の労働省労働基準局補償課長が平成九年二月三日付けで発出した事務連絡「上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準の運用上の留意点について」において、保育作業が右「上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業」の一つとして挙げられているが、これは保育作業のすべてが上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業であるという趣旨ではなく、保育作業の中には、上肢等の特定部位に負担のかかる状態で行う作業も存在するという趣旨に過ぎない。

(二) 腰痛症について

本件疾病である腰痛症は、厳密な意味での傷病名ではなく、症状に対し付されている名称に過ぎない。このような腰痛症は、職業(作業)のほか、姿勢、食生活からくる栄養過多による肥満、運動不足による腰部腹筋の脆弱化、生活様式の変化、加齢等による脊柱の変化、心理的要因等により、作業とは無関係に日常生活において発症することも多く、作業態様との直接的な因果関係が常に肯定されるものではない。

しかしながら、腰部に過度の負担がかかる業務に従事してこのような腰痛が発症した場合には、補償の必要性のあるものもあるから、行政的見地から、現時の医学的常識に即して、腰部に過度の負担のかかる作業のうち、一定の職種業務内容を特定して、業務起因性を認定するものとしたのが、労働省が昭和五一年一〇月一六日付けで発出した「業務上腰痛の認定基準等について」(基発第七五〇号)と題する通達であり、これに対応して、地方公務員の災害補償においても、「腰痛の公務上外の認定について」及び「『腰痛の公務上外の認定について』の実施について」と題する各通知(地基補第六七号、第六八号)が発出されており、ここでは、災害性の原因によらない腰痛に関し、おおむね二〇キログラム以上の重量物又は軽重不同の物を繰り返し中腰で取り扱う業務、腰部にとって極めて不自然又は極めて非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務等腰部に過度の負担のかかる業務により発症する疾病について公務上の疾病と取り扱うものとされている。

そして、原告の従事した保育業務は、腰部に負荷のかかる作業もあるものの、腰部に過度の負担のかかる業務とはいえない。

(三) 自律神経失調症について

自律神経失調症は、多彩な身体的自律神経性の愁訴がある一方で、これに見合うだけの気質的変化がなく、その原因も不明である自律神経機能失調に基づく一連の病症に付される診断名である。そして、この愁訴の内容は、頸肩腕症候群の症状と一致する内容が多く、原告の場合も、頸肩腕症候群の症状に付された診断名と考えるべきである。

(四) 本件疾病の公務起因性の認定について

以上のとおり、保育業務は、前記各通知が定める業務には直ちに該当しないから、本件疾病が公務上の疾病であると認められるためには、原告の業務の中に一部上肢に負担のかかる作業や腰部に影響を与える作業が含まれることに鑑み、原告の業務が他の同種同等の職員の業務と比較して明らかに精神的、肉体的負担を伴う過重又は過激なものであること、通常の業務に比して著しく不良な環境での作業であること等の特別の事情が認められなければならないというべきである。

3  原告の業務の過重性等について

(一) 原告の担当した保育業務について

(1) 昭和五〇年、五一年度

原告のクラスの保母配置は三名であったから、原告も直接の保育作業から離れていた場合があったことが明らかであり、また、授乳作業やおしめ交換作業についても、原告だけが行っていたわけではない。また、いずれのクラスも産休明けの幼児を対象にしておらず、授乳作業が必要な園児が多かったとは考えられないし、おしめ交換の作業は、乳児一名当たり二、三回に過ぎなかった。したがって、原告にのみ負担がかかったということはない。

(2) 昭和五二年度

原告のクラスの保母配置は三名で、常時三名での保育が保証されており、十分な配置がされていた。また、アルバイトの保母が障害児を全く担当しなかったとは考えられず、保育日誌の作成や親との話合い等の負担が重くなったとしても、それらは上肢や腰部に負担のかかる作業ではない。

(3) 昭和五三年度

原告は、昭和五三年四月から同年一〇月まで産休及び育児休暇を取得し、この間に肩こりや腰痛はなくなったのであるから、これ以前の保育業務と本件疾病との間にはそもそも因果関係が存在しない。また、復帰後も昭和五四年六月一六日まで一時間の勤務時間の短縮を受けていたのであるから、原告に特に負担がかかったということはない。

(4) 昭和五四年、五五年度

原告のクラスの保母の配置は、昭和五四年度は四名、昭和五五年度は三名であり、障害児が含まれていたとしても、十分な配置がなされていた。

また、障害児の保育作業や保育日誌の作成等は担当保母で分担して行っており、原告だけに負担がかかるということはなかった。障害児A・Kについても、昭和五五年度にはその障害の程度が顕著に改善し、身辺処理能力も向上していたため、担当保母の負担も軽減したというべきであるから、原告が昭和五六年一月から同児を専属で担当したとしても、原告に過大な負担がかかったとはいえない。

(二) 時間外勤務状況及び休暇取得状況

原告及び同僚保母の昭和五〇年度から昭和五五年度までの時間外勤務及び休暇の取得状況を見ると、原告の時間外勤務時間数は昭和五〇年度から昭和五二年度までは同僚保母と同程度であり、昭和五三年度は産休関係で少ないが、昭和五四年、昭和五五年度は同僚保母よりも明らかに少ない。また、原告の休暇取得数は、昭和五三年度を除いても、同僚保母よりも概して多く、特に昭和五四年度及び昭和五五年度は、同僚保母の1.3倍ないし1.8倍もの休暇を取得している。

(三) 保育所の施設について

原告が本件疾病発症前に勤務していた鳥居保育所及び石切保育所は、いずれも児童福祉施設最低基準を満たしており、また、東大阪市の保育所の幼児童一名当たりの施設面積は、大阪府下公立保育所の平均より広い。

また、原告は、石切保育所の設備について縷々述べるが、原告は昭和五八年三月末頃本件疾病が治癒して以来同保育所で現在まで一四年間以上保母として従前と同様の保育業務に従事しているにもかかわらず、本件疾病が再発していないのであるから、石切保育所の設備が本件疾病の発症と無関係であることは明らかである。

(四) 保母の配置数について

東大阪市の保母の配置基準は、児童福祉施設最低基準を大幅に上回っており、原告の担当したクラスはいずれも東大阪市の保母の配置基準を満たしていた。また、障害児加配についても、東大阪市の基準は、精神薄弱者援護施設の設備及び運営に関する基準や寝屋川市の肢体不自由児、精神薄弱児通園施設の保母等の配置割合に照らし、十分なものである。

(五) 原告の個人的要因について

原告は、東大阪市採用時には、身長157.2センチメートル、体重七七キログラム、本件疾病発症時には、身長一五六センチメートル、体重74.5キログラムであり、腰痛を起こしやすい体型であった。

また、原告は、昭和五四年、昭和五五年度は、自宅に一歳から二歳になる幼児を含む四名の子供を抱え、その家事、育児の負担は大きかったと考えられる。

4  まとめ

以上のとおり、原告の担当した保育業務は、同僚保母に比較して過重、過激なものとはいえず、かえって同僚保母よりも遥かに多い休暇を取得していて十分な休養の機会が与えられていたと考えられ、また、保育所施設の不備が本件疾病発症の原因であるとは考えられないのに対し、原告が腰痛を起こしやすい体型であり、その家事、育児の負担が大きかったことを考慮すると、原告の保育業務が本件疾病の相対的に有力な原因であるとはいえないから、本件疾病は公務外の災害である。

第三  争点に対する当裁判所の判断

一  公務上の疾病の意義について

地方公務員災害補償法二六条にいう「公務上の疾病」とは、疾病が公務を原因として発症したことをいい、そのためには、公務と当該疾病との間に相当因果関係があることを要するというべきである。

二  本件疾病及びその労働行政上の取扱いについて

1  当事者間に争いのない事実並びに証拠(甲一一ないし一三、八四ないし八九(枝番を含む。)、九三ないし九七(枝番を含む。)、一〇二、一〇六、一〇九、一一〇の一、二、乙一八ないし二六、三五、三六、証人中田)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 頸肩腕症候群ないし頸肩腕障害

頸肩腕症候群とは、主として頸部、肩、上腕、前腕、手、指等の上肢の一部又は全部にこり、痛み、しびれ、脱力感、知覚異常などの症状を呈し、他覚的には、病的な圧通及び緊張、筋硬結等が見られる障害であって、局在性の原因が明らかでないものをいう。その病理発生機序は、いまだ完全には解明されてはいないものの、上肢等を継続的に使用する特定の業種に従事する者の間で多発したことなどから、労働因子が無視できないものとされるが、精神的・心理的要因、身体的要因を強調する見解もある。

日本産業衛生学会は、頸肩腕症候群のうち、上肢を同一肢位に保持、又は反復使用する作業により神経、筋(肉)疲労を生ずる結果起こる機能的あるいは気質的障害を「頸肩腕障害」とし、頸肩腕症候群と区別しており、この考え方は医学界においてある程度広く受け入れられている。しかしながら、この頸肩腕障害という疾病の捉え方は、病理学的疾病概念に基づいたものではなく、労働負担に視点を置いた原因論疾病概念に基づくものであって、当該疾病が労働負担から発生したものであることを前提とした診断名であることが明らかであるから、本判決では、より一般的な概念であると考えられる頸肩腕症候群との用語を用いることとする。

(二) 頸肩腕症候群とその労働行政上の取扱い

頸肩腕症候群については、昭和三〇年代頃から、キーパンチャー等、上肢特に手指を酷使する職業に従事する者の間で多発したことから、これが職業病として認識されるに至り、労働基準法施行規則三五条別表第一の二―三4において、「せん孔、印書、電話交換又は速記の業務、金銭登録機を使用する業務、引金付き工具を使用する業務その他上肢に過度の負担のかかる業務による手指の痙攣、手指、前腕等の腱、腱鞘若しくは腱周囲の炎症又は頸肩腕症候群」が業務上の疾病として労災補償の対象とされ、労働省は、昭和四四年一〇月二九日付け通達「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第七二三号)において、その業務上外の認定基準を示し、その後、右基準は昭和五〇年二月五日付け通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第五九号)により改正された。さらに、その後より広範な上肢業務に基づき多様な疾病が生ずることが認識されるようになったことから、前記の平成九年一月に公表された頸肩腕症候群等に関する専門検討会による「頸肩腕症候群等に関する検討結果報告書」を踏まえ、前記の同年二月三日付け通達「上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第六五号)が発せられて現在に至っている。

この基発第六五号は、上肢作業に基づく疾病が多様なものに及んでいることから、より広範な上肢業務に伴う障害に対する認定基準の明確化を計ったものであるとされ、頸肩腕症候群以外の上肢障害をも含めた認定基準となっている。

そして、地方公務員の災害補償についても、従来より、労働省の通達と同様の基準で認定が行われてきたが、平成九年四月一日付け地方公務員災害補償基金理事長通知「上肢業務に基づく疾病の取扱いについて」(地基補第一〇三号)及び同日付け同基金補償課長通知「『上肢業務に基づく疾病の取扱いについて』の実施について」(地基補第一〇四号)により、基発第六五号と同様の認定基準が用いられるに至っている。

(三) 腰痛症とその労働行政上の取扱い

腰痛症(なお、ここでいう腰痛症とは、災害性の原因によらない非災害性の腰痛症をいう。)についても、その発症原因には、内臓疾患によるものや心因性のものも含め多様なものがあると考えられているが、腰部に負担のかかる業務に従事したことによる腰痛症が職業病として認知されるところとなり、労働基準法施行規則三五条別表第一の二―三2において、「重量物を取り扱う業務、腰部に過度の負担を与える不自然な作業姿勢により行う業務その他腰部に過度の負担のかかる業務による腰痛」が、業務上の疾病として労災補償の対象とされ、労働省も、昭和四三年二月二一日付け通達「腰痛の業務上外の取扱い等について」(基発第七三号)において、その認定基準を示し、さらに、前記の昭和五一年一〇月一六日付け通達「業務上腰痛の認定基準等について」(基発第七五〇号)において、その後の医学的情報等に基づく改正が行われ、現在に至っている。また、労働省は、職場における腰痛予防対策について、昭和四五年七月一〇日付け通達「重量物取扱い作業における腰痛の予防について」(基発第五〇三号)及び昭和五〇年二月一二日付け通達「重症心身障害児施設における腰痛の予防について」(基発第七一号)により指導してきたが、平成六年九月六日、新たに、通達により、「職場における腰痛予防対策の推進について」(基発第五四七号)が定められた。

地方公務員の災害補償についても、昭和五二年二月一四日付け地方公務員災害補償基金理事長通知「腰痛の公務上外の認定について」(地基補第六七号)及び同日付け同基金補償課長通知「『腰痛の公務上外の認定について』の実施について」(地基補第六八号)により、同様の認定基準が用いられている。

(四) 頸肩腕症候群及び腰痛症の業務(公務)上外の認定基準の内容

前記の各種通達等に示された認定基準によれば、頸肩腕症候群を含む上肢障害及び腰痛症の業務(公務)起因性については、次のように取り扱われている。

(1) 上肢障害については、①上肢等に負担のかかる作業を主とする業務に相当期間従事した後に発症した上肢障害であって、②発症前に過重な業務に従事しており、かつ③過重な業務への従事と発症までの経過が医学上妥当なものと認められる場合には、当該上肢障害を業務(公務)上の疾病として取り扱うものとしている。そして、「上肢等に負担のかかる作業」とは、ア 上肢の反復動作の多い作業、イ 上肢を上げた状態で行う作業、ウ 頸部、肩の動きが少なく、姿勢が拘束される作業、エ 上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業のいずれかであるとされ、「相当期間従事した」とは、発症までに六か月程度以上上肢業務に従事したことをいうものとされ、「過重な業務」とは、上肢等に負担のかかる作業を主とする業務において、医学経験則上、上肢障害の発症の有力な原因と認められる業務量を有するものであって、原則として、ア 当該勤務所における同種の他の職員と比較して、平均的な一か月の業務量のおおむね一〇パーセント以上業務量が増加し、その状態が発症直前に三か月程度継続している場合、又は、イ 業務量が一か月の平均又は一日の平均では通常の日常の範囲内であっても、一日の業務量が一定せず、例えば通常の一日の業務量のおおむね二〇パーセント以上業務量が増加した日が一か月のうち一〇日程度あることが認められる状態又は一日の勤務時間の三分の一程度にわたって、業務量が通常の当該時間内の業務量のおおむね二〇パーセント以上増加した日が一か月のうち一〇日程度あることが認められる状態が発症直前に三か月程度継続しているような場合をいうものであるとされ、ただし、過重な業務の判断に当たっては、業務量の面から過重な業務とは直ちに判断できない場合であっても、通常業務による負荷を超える一定の負荷が認められ、a 長時間作業、連続作業 b 他律的かつ過度な作業ペース c 過大な重量負荷、力の発揮 d 過度の緊張 e 不適切な作業環境 といった要因が顕著に認められる場合には、それらの要因も総合して評価するものとされている。

なお、前記の平成九年二月三日付け労働省労働基準局補償課長事務連絡「上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準の運用上の留意点について」においては、「上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業」の例として、保育、看護、介護作業が挙げられている。この例示は、従前の事務連絡(昭和五〇年二月五日付け事務連絡第七号「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準の運用上の留意点について」にはなかったものであるが、前記の「頸肩腕症候群等に関する検討結果報告書」において、一般的に当該業務に主として従事する労働者において上肢障害の発症例を見ている業務の例示として、保育、看護、介護作業が挙げられていることを踏まえて示されたものである。また、前記の中央労働災害防止協会の平成七年八月付け「職場における頸肩腕症候群予防対策に関する検討結果報告書」によれば、上肢等の特定の部位に負担のかかる作業として保育作業が例示されており、右報告書の内容は労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課長事務連絡によって各都道府県労働基準局に周知されている。

(2) 業務(公務)上の疾病としての腰痛症(災害性の原因によらないもの)については、①腰部に過度の負担のかかる業務に比較的短期間(おおむね三か月から数年以内をいう。)従事する労働者に発症した腰痛と②重量物を取り扱う業務又は腰部に過度の負担のかかる作業態様の業務に相当長期間(おおむね一〇年以上をいう。)にわたって継続して従事する労働者に発症した慢性的な腰痛があるとされ、これらにおける「腰部に過度の負担のかかる業務」とは、ア おおむね二〇キログラム程度以上の重量物又は軽重不同のものを繰り返し中腰で取り扱う業務、イ 腰部にとって極めて不自然ないしは非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務、ウ 長時間にわたって腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行う業務、エ 腰部に著しく粗大な振動を受ける作業を継続して行う業務をいうものとされている。また、前記の「職場における腰痛予防対策の推進について」(基発第五四七号)においては、重症心身障害児施設等における介護作業が腰痛の発生が比較的多い作業として例示されている。

(五) 自律神経失調症について

原告は、昭和五六年四月、上二病院において、頸肩腕障害とともに自律神経失調症との診断を受けているが、頸肩腕症候群が悪化すると、痛みが大脳辺縁系に作用し、自律神経反応が生ずることにより、自律神経失調症と同様の症状が発生することが認められる。そして、原告に本症状名が付されたのは、当初上二病院に受診したときだけであることをも考慮すると、自律神経失調症は、原告の頸肩腕症候群の症状の一発現形態であったものと認められるから、その公務起因性については、頸肩腕症候群と同様に考えればよいものと解される。

2 以上によれば、腰痛症については、もとより、単に原告が保育業務に従事していたというだけでは直ちにその公務起因性を認めることはできないし、また、頸肩腕症候群を含む上肢障害については、平成九年二月の上肢作業に基づく疾病の業務上外認定基準の改正に伴い、保育業務が「上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業」の一つとして示されるに至ったことが認められるが、その発生機序の未解明性、要因の多様性等に鑑みるとき、単に原告が保育業務に従事していたというだけでは、直ちにその公務起因性を認めることはできないというべきであるので、本件疾病が公務を原因として発症したものであるというためには、保育業務と健康障害の一般的な関連性、原告の担当した具体的業務内容、右業務が原告に与えた負担の内容、程度、原告の症状の経過等を仔細に検討し、右業務と本件疾病との間に相当因果関係があるかどうかを個別に判断する必要があるというべきである。

三  保育業務と健康障害について

証拠(甲九ないし一二、一四、二七、五六ないし六八(枝番含む。)、七三の一ないし二〇、甲七四、九二ないし九四、一〇五、一一〇の一、二、甲一三八、一四〇、乙一〇の四、五、証人杉本、証人中田、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  保母に上肢及び腰の疲労感を訴える者が多く見られることは、昭和四五年に細川汀医師により日本産業医学会総会において保母の頸肩腕障害例が報告されるなど、早くから一部医師らにより指摘されていたが、東大阪市においても、昭和四四年頃から、頸肩腕症候群又は腰痛の症状を訴えて公務災害の申請をする保母が現れ、昭和五四年には、三名の保母が、頸肩腕症候群又は腰痛等により公務災害の認定を受けた。そして、東大阪市は、昭和四六年頃から、労働組合の要求を受け、公務に起因すると考えられる保母の頸肩腕症候群等の疾病について、基金による公務上の認定を経ないで、特別休暇を付与し、治療費を市が負担する等の取扱いをするようになった。

2  東大阪市では、労働組合の要求もあって、昭和四六年から、保育所職員に対する特殊健康診断が実施されるようになった。右健康診断は、昭和五〇年度にいったん中断されたが、昭和五五年度に再開された。昭和五五年度の健康診断(昭和五六年三月実施)の結果は、東大阪市の保母の受診者三六二名のうち、C1(要治療者)四名(1.1パーセント)、B3(要注意、症状により治療が必要)八名(2.2パーセント)、B2(要注意、疲労蓄積、要作業軽減)三一名(8.6パーセント)、B1(要注意)一七三名(47.8パーセント)、A(異常なし)一四六名(40.3パーセント)であった。

3  保育業務と頸肩腕障害との関連については、いくつかの調査、研究が行われているが、細川汀による昭和五八年一一月発行にかかる「保育者の労働負担軽減に関する研究」においては、昭和四六年ないし昭和四九年ころの調査結果によれば、保育者に肩、首、腕、腰及び下肢の疲れを訴える者が多いことが報告されており、西山勝夫による平成五年五月発行にかかる「最近の吹田市立保育園保母の疲労自覚症状の特徴について」においては、平成五年の吹田市立保育園の保母及び同一地域の主婦の疲労度を調査した結果、頸肩腕部、腰背部の疲れを訴える者が、保母においては、主婦に比して有意に多いことが報告されている。また、他にも保育作業を詳細に分析して頸肩腕症候群及び腰痛症との関連性を検討した研究も少なからず存在し、いずれにおいても、保育業務が上肢や腰部に負担を与える業務であることが示されている。

四  原告が担当した具体的業務内容と原告の負担の内容について

当事者間に争いのない事実並びに証拠(甲一ないし五(枝番を含む。)、一〇、二〇ないし二四、二六、二八、二九、三五ないし四〇(枝番を含む。)、六七、七九、八一ないし八四(枝番を含む。)、八八、一三三、一三四、検甲一ないし一一六、乙八の一ないし八、乙一〇の一ないし二五、乙一二の一ないし七、証人杉本、証人中川、証人藤野、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  昭和五〇年四月から昭和五二年三月まで

(一) 原告は、昭和五〇年四月から昭和五二年三月まで鳥居保育所において〇歳児六名(なお、年度当初は五名)を保母三名で担当した。ただし、保母のうち一名は休暇、他クラスの応援、研修等で抜けるため、日常の保育は二名で当たるのが通常であった。

(二) 〇歳児保育の具体的な内容は、次のとおりであった。

(1) 保護者からの園児の受け取り及び聴取

午前八時頃、保護者から園児を受け取る。園児を抱きながら保護者から子供の様子を聴き取る。

(2) 排泄介助

園児の排泄介助を行う。子供を床に寝かせ、おしめを交換する。この際保母は床に座って子供に覆い被さるような姿勢をとる。おしめが大便で汚れている場合には、汚物処理漕で振り洗いする(鳥居保育所では、汚物処理漕が床上約三五センチメートル程度しかなかったため、この作業は、中腰になってかがみ込んで行わなければならなかった。)。おむつ交換の作業は、〇歳児一人当たり一日九回ないし一〇回程度行う。

月齢の大きな子供の場合は、抱き上げてオマルに座らせて排泄させる。終了後はお尻を拭き、汚れている場合は子供を汚物処理漕に抱え上げて洗う。オマルは何個かまとめて便所に持っていき、汚物処理漕で洗浄する。

子供が尿等を漏らした場合は、直ちに床を雑巾で拭き、消毒する。

(3) おやつ及び食事の世話

保育室にカーペットを敷き、約一二キログラムの机を出し、人数分の椅子を並べる。子供を抱いて座らせ、手を拭く。歩ける子供の場合は、手洗場で手を洗うが、手洗場は子供の背丈に合わせてあるので、保母は中腰になって子供を支えることが多い。おやつを配膳したあと、子供におやつを食べさせるが、この際、保母は、子供の前に中腰になって座り、スプーンで子供の口におやつ(離乳食)を運ぶ。乳児の場合は、抱いて哺乳する。

おやつを食べ終わった後は、子供の手と顔を拭き、汚れた衣服を着替えさせる。また、机の上を拭き、机、椅子を片付け、カーペットを片付ける。

おやつ及び食事の世話は、一日三回行う。

(4) 散歩

大型の乳母車に子供を抱き上げて入れ、子供を複数乗せた乳母車を押して園外に散歩する。途中の砂場で遊ばせるため、一人一人抱きかかえて降ろし、その後再び乳母車に乗せて散歩を続ける。

歩ける子供の場合は、靴を履かせ、両手に二人の子供の手をつないで歩くが、この際、保母は、子供の歩調に合わせて腰をかがめながら歩くことになる。この間、子供が危険な方向に歩き出さないように常に緊張を強いられる。

(5) 午睡の世話

押入から人数分の子供の布団を出し、床に広げる。そして、子供の衣服を脱がせ、寝間着に着替えさせる。保母はこの作業を膝を突き、前かがみになって行うことが多い。子供が布団に入った後は、手でゆっくり布団をたたいて寝付かせる。布団で眠ることのできない子供の場合は、抱いたり背負ったりして寝かせる。

午睡の世話は、午前、午後一回ずつ計二回行う。

(6) 室内遊具による遊戯

食事、午睡の時間以外は、子供を滑り台などの室内遊具で遊ばせる。その際、保母は、子供の身長や姿勢に合わせ、前かがみになったり、膝を突いたり、身体をねじったりすることが多く、場合によっては、子供を両腕に抱えて高く上げたりする。また、子供を裸にして寝かせ、保母が子供の関節を動かしたりマッサージをする「赤ちゃん体操」を行う。

(7) 沐浴

夏季には、子供を沐浴させる。このときは、保母が子供を片手で抱き抱えて沐浴台に乗せ、もう一方の手で体を洗うという作業を行う。沐浴台は堅くて滑りやすいため、保母は緊張を強いられることが多い。

(8) その他

前記の作業をしていない間は、保母は、ほとんど子供を抱いたり、背負ったりしてあやしていることが多い。二人の子供を同時に両手に抱くこともある。

また、子供が午睡している間が休憩の時間となるが、子供が寝付くまでの時間はまちまちであるうえ、その間に個人別連絡ノート(各保護者に対する連絡事項を記入する。)及び保育日誌(一日のクラス全体の保育状況を記入する。)を記入したり、保母間の打合せをするのが通例であるため、まとまった休憩が取りにくいのが実状であった。

2  昭和五二年四月から昭和五三年三月まで

(一) 原告は、昭和五二年四月から昭和五三年三月まで、鳥居保育所において三歳児二三名を担当したが、この二三名のうち、三名は障害児であり、二名は要配慮児(病児)であった。障害児のうち、T・Kは、重度の自閉的傾向を有する精神発達遅滞児であり、K・Kは、てんかんを有する発達遅滞児であり、T・Hは、てんかんを有する幼児であった(なお、T・Kは昭和五二年六月から入所した幼児である。)。担任の保母は、原告を含め三名であったが、うち一名は、他クラスの応援、研修等に入るが、その際は応援の保母があるため、常時保育に携わる保母は三名であった。

ただし、担任保母の一人であった矢田保母が昭和五二年五月二二日から一〇日間結婚休暇を取得したため、この間正保母である残りの二人の保母が中心となって保育を担当することになった。さらに、同年六月一日から同年一二月末まで、担任保母の一人であった兵庫保母が切迫流産のために長期休業し、その代替として、同年六月一二日頃に至ってアルバイトの保母が配置されたが、アルバイトの保母は、障害児保育は担当せず、保護者との対応や保育日誌の記載も担当しないなど、業務内容が限られることから、保育の責任が正規の保母である原告を含む二人にかかることとなり、同年六月からT・Kが入所したこともあり、原告の精神的、肉体的負担が高まった。また、原告自身も同年夏頃妊娠したが、右のような事情から、妊娠による時間短縮も満足に取得できない状況であった。

(二) 三歳児保育の具体的内容は、次のとおりである。

(1) 排泄指導

子供を保育室の外にあるトイレまで誘導し、女の子は後ろから支えて介助する。怖がる子供は抱え上げる。また、大便の時はお尻を拭く。保母は、これらの作業をいずれも中腰になったりかがみ込んで行うことが多い。また、排泄を介助する回数は子供一人当たり一日約五回程度に上る。

(2) 設定保育

一日に次の①ないし⑦のうち一つを行う。

① 散歩

春秋は週二日程度、夏冬は二週間に一日程度の割合で、クラスの子供全員を往復約一時間程度外出させる。その間、保母は、子供の体格に合わせ、かがみながら手を引っ張られたりしながら歩くことが多く、また、子供の安全に細心の注意を払わなければならないため、精神的に緊張した状態が継続する。

帰園すると、保母が子供一人一人の手と足を洗う。手を洗うときは、子供の背の高さの洗い場で後ろからかがみ込んで手を洗ってやらなければならず、足を洗うときは、中腰やしゃがみ込む姿勢で行う。

② どろんこ遊び

四月から七月の間、週に三、四日行う。この間、保母は、子供らとともに立ったり座ったりを繰り返す。

終了後は、道具を洗ったり、汚れた服を脱がせて洗う。また、子供の手足を一人一人洗う。

③ 体育遊び

保母がマット、跳び箱、平均台、鉄棒等を倉庫から運んで来て並べ、子供に指導する。指導に際しては、子供の体を支えたり、子供のサイズに合わせた遊具での実演を繰り返すため、不自然な姿勢を強いられることが多い。

④ 製作(折り紙、切り紙)

製作準備のために机を運んで設置する。保母は、子供の前で折り紙を折ったり、子供に後ろから手を添えてはさみの使用を助けたりする際に、中腰にならなければならないことが多い。

終了後は、部屋のゴミを拾い、掃き掃除をするとともに、子供の片付けを手助けして点検する。

⑤ リズム

保母がピアノを弾き、子供がリズムに合わせて動くように指導する。また、保母が実際に動きを示したり、中腰になって子供を支えて指導したりすることも多い。

⑥ プール遊び

七月及び八月には毎日行う。子供の服を脱がせて水着を着せ、保母も水に入って約一時間指導する。子供の服を脱がせる際には、中腰になったり立ったりを繰り返すことが多い。プール内では子供の手を持って引っ張ったり、子供を放り投げたりするなどを繰り返す。この間、事故が発生しないよう常に緊張を強いられる。

終了後、子供にシャワーを一人一人かけてやり、再び子供に着替えをさせる。

⑦ ごっこ遊び

子供と一緒にままごと、劇などの遊びをする。保母は、座ったり、立ったり、寝ころんだりの姿勢を繰り返すことになる。

(3) 食事の世話

保育室に机を運び、並べ、調理室から人数分の皿を運ぶ。子供が自分の食事を運ぶ際は、介助をするが、子供の姿勢に合わせ、中腰になる。食事中は、子供を介助しながら一緒に食事をするが、机が子供用なので、この際も中腰になることが多い。

終了後は、机、床を拭くが、この際中腰になったり四つん這いになったりすることが多い。

午後三時頃には、おやつを食べさせるが、この場合も食事と同様の作業を行うことになる。

なお、同一の保育室で食事も行うため、食事(おやつ)の度ごとに机を出したりしまったりする必要があった。

(4) 午睡の指導

食事終了後、午睡用のじゅうたんを敷き、布団を押入から出して人数分敷く。子供をパジャマに着替えさせ、昼寝させる。終了後は再び布団を押入に片付け、じゅうたんを片付ける。

食事と午睡を同一の保育室で行うため、食事の後の後片付け及び布団の上げ下ろしを素早く行わなければならなかった。

(5) 絵本の読み聞かせ

午睡前に、子供を座らせ、保母が椅子に座って二〇分程度絵本を読み聞かせる。この間、保母は絵本を子供が見やすいように掲げて持ち、首を傾けて絵本をのぞき見るような姿勢を続ける。

(三) その他

保母は、毎日、個人別連絡ノート及び保育日誌を記入するが、障害児については、個別に保育日誌を作成する必要があった。また、年二回保育状況のまとめを作成するが、これも、障害児については、個別に作成する必要があった。

保母の休憩は、幼児が午睡している間に、一時間ずつ交替で取ることになっていたが、子供が寝付く時間帯がまちまちであるため、規則正しく休憩を取ることは困難であり、また、休憩を取ることができても、その間に保母の食事をすませたり、保育日誌や連絡帳の記載をするのが通常であったため、まとまった休憩を取ることができないことが多かった。

3  昭和五三年一〇月から昭和五四年三月まで

原告は、昭和五三年四月から同年一〇月まで産休を取得し、同月一七日から昭和五四年三月まで鳥居保育所において一歳児の保育を担当したが、一歳児保育の具体的業務内容は、〇歳児のそれとおおむね同様であった。

4  昭和五四年四月から昭和五六年三月まで

(一) 原告は、昭和五四年度から石切保育所に移動し、同年四月から同保育所において障害児二名を含む三歳児二三名を担当した。担任の保母は、原告、中川保母、村田保母及び岸保母の四名であったが、日常の保育は三名の保母で担当し、さらに、岸保母は頸肩腕障害によるいわゆるリハビリ勤務であったため、同保母には、通院及び針治療のためにそれぞれ週一回の勤務解除が保証されていた。なお、原告以外の三名の保母は、二歳児クラスからの持ち上がりであった。

原告は、昭和五五年度も引き続き昭和五四年度のクラスの持ち上がりとして、四歳児クラスを担当した(ただし、児童数は健常児が一名増えて二四名となった。このうち、障害児は二名であった。)。担当保母は、原告、藤野保母及び村田保母の三名であったが、日常の保育は二名で行っていた。

障害児のうち、A・Kは、重度の自閉性発達障害児であり、その知能レベルは一歳半以下で、対人関係障害を有し、多動で行動範囲が広く、高いところへ上るのを好むといった特徴があり、排泄、着替え等の日常活動にはほぼ全面的な介助を必要とする幼児であった。体重は、昭和五四年度17.5キログラム、昭和五五年度19.5キログラムであった。また、K・Nは、自閉的傾向のある精神発達遅滞児であり、一対一の指導が必要な幼児であった。体重は、昭和五四年度17.9キログラム、昭和五五年度19.5キログラムであった。

(二) 昭和五四年度に原告が担当したクラスの保育は、次のような役割分担のもとに行われた。<別紙参照・編注>

当初は、各保母が一週間ずつ交替で各役割を担当していたが、いわゆるリハビリ勤務中であった岸保母は、障害児を担当するのが困難であったため、サブリーダー②の担当がなかった。なお、昭和五四年九月以降は、幼児の把握をしやすくし、保育効果を高めるため、原告と中川保母の二名が専属で障害児を担当することになり、それぞれサブリーダー①、②を交代で担当する体制となった。さらに、昭和五五年三月には、岸保母が妊娠し、リーダーを担当できなくなったことから、原告が、リーダーとサブリーダー②を一週間ごとに担当した。

一方、昭和五五年度も当初は一週間交替のローテーションを組んでいたが、A・Kの指導のために、一定期間担当保母を固定した方が好ましいとの配慮から、同年九月から一二月までは村田保母が、昭和五六年一月から三月までは原告が、それぞれA・Kを担当した。なお、村田保母はA・Kを担当していた当時、腱鞘炎を訴えており、昭和五六年三月の東大阪市の特殊健康診断では、B2(要注意、疲労蓄積、要作業軽減)との診断を受けた。

リーダー

全体の子供の把握、課業指導、

遊びの計画、運営を行う。保育日誌を作成する。

サブリーダー①

リーダーの補助をしながら、一人一人の子供の指導、援助、雑務、親との連絡、

連絡帳の記入を行う。障害児K・Nの集団指導を担当する。

サブリーダー②

障害児A・Kの指導を担当し、障害児K・Nの個別の課業指導も行う。

(三) 原告がこの間従事した保育の具体的内容は、施設の状況も含め、鳥居保育所における三歳児保育の内容とおおむね同様であったが、この間に特有の事情としては、次の事実がある。

(1) 障害児A・Kの保育

A・Kは、多動であったため、常に動き回り、ピアノや窓枠の上など高いところに上ったり、園外に走り出たりするため、常に監視し、走り出すのを制止したり、高いところから降ろしたり、抱いたり背負ったりして連れ戻さなければならなかった。また、食事、着替え、排泄、歯磨き、手洗い等の生活活動は、保母の全面的な介助が必要であり、それぞれにおいて、保母が抱きかかえたり、動き出そうとするのを制止したりしなければならなかったが、A・Kは多動で身体が固く、抱くと手足をばたばたさせたり反り返ったりするうえに、二〇キログラム近い体重があったため、抱き留めたり背負うのに相当の力を必要とした。特に排便は必ず失敗するため、そのたびに下半身を洗わなければならないが、石切保育所には子供の下半身を洗うための設備がなく、モップ洗い漕に抱え上げて洗う必要があった。さらに、A・Kは身体を使った遊びを求める傾向があったが、石切保育所には障害児専用の遊具がなかったため、保母がA・Kの手をとって身体を振り回したりする「ぶら下げ遊び」等を頻繁に行う必要があった。また、座っている保母の上半身にA・Kが飛びかかってくることがよくあった。したがって、A・Kの保育を担当する保母には、上肢や腰を酷使することになった。

昭和五五年になると、対人関係、体のバランス等に改善が見られたが、かえって行動が活発になり、同年一一月頃からは昼寝をしなくなった。

(2) 昭和五六年二月から三月にかけての原告の業務

昭和五六年二月及び三月には、生活発表会、卒園式、遠足、保育参観、保護者懇談会、個人懇談等の行事が集中し、通常の保育に加え、それらの準備及び実施のための作業が加わり、多忙となった。また、年度末には保育の年間のまとめを作成しなければならず、原告もその作成に加わったが、障害児については、個別にまとめを作成しなければならなかったところ、当時A・Kを専属で担当していた原告は、その作成作業の中心とならざるを得なかったため、持ち帰り仕事が多くなった。

5  原告及び同僚保母の休暇の取得状況並びに時間外勤務の状況

原告及びその同僚保母の、昭和五〇年度から昭和五五年度までの休暇の取得状況及び時間外勤務の状況は、別表のとおりである。

五  原告の症状の経過について

当事者間に争いのない事実、証拠(甲一の一、二、甲六ないし八(枝番を含む。)、二三、八四、一四〇、乙四の一二、一七、二二、二七、三一、乙六の一ないし一四、乙七の一ないし一五、乙一〇の九ないし一二、一九、二四、証人中川、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和四九年一二月、東大阪市に保母として採用されるまでは、健康であり、肩こりも経験したことがなかった。

2  原告は、鳥居保育所において〇歳児を担当していた昭和五一年夏頃、肩こりを感じるようになったが、当時は、一晩寝ると、あるいは週末に仕事から離れると軽快する程度であった。

3  原告は、鳥居保育所において三歳児を担当するようになった昭和五二年五月頃、肩こり及び腰痛の症状が現れ、同月末に腰の痛みから立っていることができなくなり、発熱も伴って二日間欠勤した。同年六月にも同様の症状で四日間欠勤した。そのころ以降、原告は、腰の痛みのため立っていられなかったり、右腕が痛くて雑巾が絞れなかったりすることがあった。

4  原告の右症状は、昭和五三年四月に産休に入ると軽快した。なお、原告は、産休中である同年九月二五日、胃の痛みを覚えて植木医院に受診したが、その際、自覚症状はなかったものの、肩がこっていると言われ、胃炎及び頸肩腕症候群と診断された。

5  原告は、昭和五三年一〇月に職場に復帰すると、同年一二月頃から、再び腰、肩、腕のだるさを覚えるようになり、雑巾が絞りにくかったり、だるくて鉛筆で筆記がしにくかったりするようになった。このような症状は、昭和五四年三月まで続いた。

6  原告は、石切保育所に転勤した昭和五四年四月以降、保育中に肩、腕及び腰に加え、背中に激しい痛みを感じるようになった。そして、同年五月一一日頃、背中の激しい痛みと吐き気を感じ、同月一三日山川医院において胃炎兼肝機能障害、腎盂炎兼腰痛症と診断され、翌一四日から約一週間生駒総合病院に入院した。このため、原告は、同月一四日から同年六月二日まで欠勤した。この間、背中等の激しい痛みや肩こりは軽快し、職場に復帰してからも、夏場にさしかかったこともあり、症状は和らいだ。

7  原告は、昭和五四年一二月頃から、再び慢性的な肩こり、腕のだるさ、腰の痛みを感じるようになり、一週間から二週間に一度あんまに通うようになった。このような状態は、翌昭和五五年一〇月頃まで続いた。

8  原告は、昭和五五年の冬頃から、腰から肩、首及び右手に痛みを感じるようになり、昭和五六年二、三月頃には、右腕の痛みから字が書きにくく、コーヒーカップや箸、鞄を持つのもつらくなり、背中の痛み、吐き気などの症状も現れるようになった。原告は、同年三月に行われた東大阪市保育所職員特殊健康診断でC1(要治療)との判定を受け、同年三月三〇日上二病院に受診し、同年四月一日、自律神経失調症及び頸肩腕障害により一か月の休業加療を要する旨の診断を受けた。同月二七日にも、右病院において、右同様の診断を受けた。また、原告は、同年五月二九日西淀病院において頸肩腕障害及び腰痛症と診断された。なお、原告は、同年七月一三日、同年八月一七日、同年一一月二五日、昭和五七年一月二九日、同年三月二九日、同年五月二一日、同年七月二一日、同年九月二七日、同年一二月二四日にも、右病院において、それぞれ頸肩腕障害の診断を受けた。

西淀病院における診断によれば、原告の両側の肩は僧帽筋を中心に筋の硬結を伴った圧痛が強く、棘下部、肩甲帯部のとりわけ右側でも強い圧痛(放散痛を伴う。)があり、右の上腕二頭筋その他の屈筋群、両側の大胸筋もそれぞれ圧痛と緊張の亢進が認められ、両側の傍腰椎部にも筋硬結が認められた。背筋力が四〇キログラムと著しい低下を示し、握力及び六〇パーセント持久力も右腕で低下が見られた。一方、アドソン、ライト、きをつけ姿勢、スパーリング等の諸試験の成績はすべて陰性であり、四肢の腱反射の異常はなく、知覚の異常その他の頸、腰椎の脊椎根症状や脊髄症状は認められなかった。その他、尿、血液検査においても、病的所見は認められず、レントゲン検査でも、異常所見は認められなかった。

9  なお、原告は、昭和四九年以降ほぼ毎年定期的に受診していた東大阪市の定期健康診断では、血圧、尿検査、胸部エックス線検査等において、異常は認められなかった。

10  原告は、二ヶ月間の休業の間、症状が軽快し、昭和五六年六月一日から半日勤務を開始し、同年九月一日から全日勤務に復帰した。そして、西淀病院に昭和五八年三月まで通院を続け、完治した。その後も原告は石切保育所において勤務しているが、症状が再発することはなく、昭和五七年度以降の特殊健康診断の結果は、昭和五七年度がB2(要注意、疲労蓄積)であったが、昭和五九年度からは、毎年B1(要注意)である。

六  以上の事実を前提に検討する。

1(一) 以上の事実によれば、原告の担当していた保母の業務は、対象児の年齢によっても異なるが、おおむね、遊びや教育的活動の指導(遊戯、水遊び、散歩、工作等)、生理行為の補助(排泄、おむつ替え、食事・おやつの介助、哺乳、衣服着脱の世話、午睡の世話等)、準備、整頓、掃除、保育日誌の作成、親との連絡、離乳食の調整等多様な内容を含むものであり、長時間にわたり同一の姿勢を維持したり、同一の作業を反復したりする性質のものではないものの、乳幼児の排泄、食事、衣服着脱の介助、遊戯や水遊びの介助等の作業は、腕を使ったり中腰になったりする作業が多く、上肢(腕、肩)や腰に負担のかかる作業であることは明らかであり、保母の作業は、これらを間断なく繰り返すものである。

また、施設が乳幼児の体格に合わせてあるため、保母が行う準備、後片付け、清掃等の作業及び保母自身の食事、書類作成作業等において、前屈、しゃがみ込み、中腰等の不自然な姿勢を強いられることが多く、これらが保母の上肢及び腰部に対する負荷を増大させると考えられる。さらに、精神的、肉体的発達の未熟な乳幼児を対象とする業務であることから、他律的な作業形態とならざるを得ず、また、他人の乳幼児を預かって保育するという作業の性質上、安全面に対する高度の配慮が求められ、常に精神的緊張を強いられる作業であることに加え、乳幼児の午睡の時間が休憩時間に当てられているけれども、必ずしも乳幼児が一斉に睡眠するとは限らないこと、その間に保育日誌等を記載するのが通例であったこと等から、事実上休憩時間をとることが極めて困難であり、全体として密度の高い作業内容であることも認められる。そして、高度な精神的緊張の持続が、上肢等の筋肉の緊張度を間接的に高めることは、医学的にも認められているところであり、前掲「頸肩腕症候群等に関する検討結果報告書」においても、他律的かつ過度の作業ペースや過度の緊張を伴う作業が、上肢障害の促進要因として挙げられているところである。

さらに、保母の中に頸肩腕症候群や腰痛を発症している者が少なからず存在し、また、保母の中に上肢や腰の疲労感を訴える者が多いことも認められる。新認定基準も、保育作業を「上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業」の一つとして例示しているところである。

これらの事実を総合するならば、原告が担当した保母の業務は、それ自体上肢及び腰部に相当な負担のかかる業務であったと認めるべきである。

(二) また、原告が勤務していた鳥居保育所及び石切保育所は、保育室が一つしかなく、食堂がなかったため、食事、午睡及び設定保育の度に机、椅子、布団等を素早く出し入れしなければならなかったこと、子供の体を洗うための設備がなく、子供をモップ洗い漕に抱え上げて不自然な姿勢で洗わなければならなかったことが認められ、これらの事情は、原告の保育による上肢及び腰への負担を高めたものと考えられる。

また、原告が昭和五二年度、昭和五四年度及び昭和五五年度に担当した障害児の保育においては、それぞれの作業が健常児の場合に比べて過重され、これに精神的負担も加わること、特に、原告が昭和五四年度及び昭和五五年度に担当したA・Kは、重度の自閉的傾向を有する発達遅滞児であり、とりわけ多動かつ肉体的接触を好む児童であったことから、担当する保母は、常に動き回るA・Kを追いかけ、同人を抱きかかえたり、背負ったり、手を引いたりするなどしていなければならず、同人が二〇キログラム近い体重を有していたことを考えると、これが保母の上肢や腰に相当の負担を及ぼしたことが認められる。また、証拠(甲四一ないし五一(枝番を含む。)、八三の一ないし三、証人杉本、原告本人)によれば、東大阪市では、昭和四九年頃から制度的に障害児を公立保育所において受け入れるようになったが、昭和五四年、五五年頃は、それに見合う施設の整備や研修体制の整備が行われないまま推移していたため、障害児を担当する保母は、試行錯誤を繰り返しながら保育作業に当たらなければならず、このことが精神的に大きな負担を及ぼしていたことも認められる。原告は、A・Kを二年間担当したうえに、昭和五六年一月から三月までは、同児の保育を全面的に担当していたことから、この間の上肢及び腰への負担が大きなものとなっていたことが推認される。

(三) さらに、原告は、東大阪市に保母として勤務するまでは、肩こりを経験したことがなかったが、保母として勤務し始めて一年半程度が経過した昭和五一年夏頃に上肢及び腰の症状が現れ、それは、昭和五二年ころ増悪したものの、産休を取得している間に軽快し、職場に復帰して障害児を担当するようになると再び肩こり、腰痛等が慢性化し、昭和五四年五月から六月にかけて背部痛により一時欠勤を余儀なくされたが、その間症状が一時的に軽快し、同年六月四日に職場に復帰して以降、同年一二月頃から再び肩こり、上肢のだるさ、腰痛が慢性化し、これが軽快することなく、昭和五六年に入ってA・Kを専属で担当するようになると症状が急激に悪化し、頸肩腕障害と診断され、二か月の休業治療を経ると急速に症状が回復したという原告の症状の経過は、原告の保母としての業務の負担の軽重と極めて高い対応関係を示している。そして、西淀病院における前記認定の診断の結果及び東大阪市における定期健康診断の結果によれば、原告には、上肢及び腰部の痛み等を引き起こす他の病的素因は存在せず、他に原告に上肢及び腰部の痛み等を引き起こす素因となるような事情が存在することを認めるに足りる証拠はない。

なお、この点に関し、被告は、原告が腰痛を起こしやすい体型であり、家庭における育児、家事の負担が大きかったと主張する。確かに、証拠(甲六の一、乙一〇の一〇、乙一二の六、七、原告本人)によれば、原告がやや肥満気味であったこと、原告は、昭和五四年、昭和五五年当時、家庭において乳児を含む子供四人を抱えており、その育児の負担が相当程度あったことが認められるけれども、原告の保育業務の負担の大きさに比して、右負担はさほどのものではないと推認されるので、これらの事情が、本件疾病の発症の原因となったとまでいうことはできない。

(四) このように、原告の担当した業務の内容及び原告の症状の推移とを併せ考えると、原告は、もともと保育業務によって上肢及び腰部の疲労が蓄積していたところ、昭和五四年、昭和五五年度に担当した障害児の保育による業務過重によってこれが増悪し、昭和五六年一月からA・Kを専属に担当するようになったことに年度末の業務過重が加わり、本件疾病を発症したものと考えるのが自然であって、原告の本件疾病と保育業務との間に相当因果関係を認めるのが相当である。

2  これに対し、被告は、原告の担当していた業務が他の同僚保母の業務と変わるところがなく、また、発症直前の原告の休暇の取得状況、時間外勤務の状況を考慮すると、原告の業務に過重性が認められないとし、原告の本件疾病と保育業務との間に因果関係が存しない旨主張する。

確かに、前記認定のとおり、保育業務は複数の保母の共同作業として行われ、障害児保育も基本的には複数の保母のローテーションにより行われていたこと、原告の年次有給休暇及び生理休暇の取得日数は、特に昭和五四年、昭和五五年度は他の同僚保母に比べると多いこと、原告の時間外勤務時間数は、特に昭和五四年、昭和五五年度は他の同僚保母に比べると少ないことが認められる。

しかしながら、前記認定のとおり、原告は、昭和五四年及び昭和五五年頃には、既に肩、背中及び腰の痛みに悩まされながら保育を行っていたのであって、そのような時期に休暇取得数が多いことや時間外勤務時間数が少ないことを重要視すべきではない。そのうえ、前記のとおり、通常の保母の業務自体が上肢及び腰部に負担をかける性質の業務であると認められること、原告の休暇取得日数は、夏期等を除けばおおむね月間年次休暇二日程度と生理休暇二日程度であって、取り立てて多いというほどではないこと、昭和五五年一〇月から昭和五六年三月までの時間外勤務の状況を見ると、長時間保育においては他の同僚保母とそれほど大きな差はなく、差があるのは専ら保育準備や行事の準備の時間であること(乙一二の二、三)、その理由は原告が家族を有していたことからこれらの仕事を持ち帰っていたためであることが推認されること(証人藤野、原告本人)、特に重度の障害児を担当した昭和五四年度及び五五年度は、通常の保母業務に伴う負担に加え、障害児保育に伴う精神的、肉体的な負担が加わったと認められること、とりわけ昭和五六年一月ないし三月の間は、A・Kの保育の負担が専ら原告にのみかかっていたことに加え、年度末の行事の集中、保育記録等の作成に追われ、原告に相当の負担が及んだと考えられること、昭和五五年度に原告と同クラスを担当し、同年九月から一二月までA・Kを担当した村田保母も、腱鞘炎を訴え、昭和五六年三月の健康診断ではB2と診断されていること等を考慮すれば、被告主張の各事実は、本件疾病の公務起因性を否定するものではないというべきである。

3  また、被告は、原告が勤務していた鳥居保育所及び石切保育所が、いずれも児童福祉施設最低基準を充たす施設であったこと、保母の配置が右最低基準を大幅に超える東大阪市の基準を満たすものであったことを公務起因性を否定する理由に挙げているけれども、右最低基準は、主として施設に入所する児童の福祉に適合するか否かとの観点から定められたものであるから、これを充たしているからといって、直ちに本件疾病の公務起因性が否定されることにならないことは明らかである。

また、証拠(甲七六、七七、証人杉本)によれば、原告が石切保育所で担当した三歳児クラスは、二三名のクラスに重度の障害児一名を含む三名の障害児がいたにもかかわらず、常時保育に当たる保母はいわゆるリハビリ勤務の保母一名を含む三名であったことに鑑みると、東大阪市の保母の配置基準に照らしても、保母一人当たりの負担は決して軽くなかったというべきである。

4  さらに、被告は、原告が昭和五七年以降も石切保育所において従前と同様の保育業務を継続しながら、本件疾病が発症していないことを、本件疾病の公務起因性を否定する理由の一つに挙げるようであるが、本件疾病のような疾病は、経験による業務に対する適応や再発防止のための努力等により、同一の業務についていたからといって必ずしも再発するわけではないと考えられるから、右のような事情を重要視すべきではない。

七  結論

以上の次第であるから、原告の本件疾病は原告の保母としての業務に起因して生じたものということができる。よって、本件疾病を公務外の災害であるとした本件処分は違法であるから、これを取り消すこととする。

(裁判長裁判官中路義彦 裁判官谷口安史 裁判官仙波啓孝)

別紙<省略>

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