大阪地方裁判所 平成8年(ワ)8435号 判決 1998年10月27日
原告
甲野太郎
同
甲野花子
右両名訴訟代理人弁護士
岸本寛成
被告
大阪府
右代表者知事
山田勇
右訴訟代理人弁護士
井上隆晴
同
青木悦男
同
細見孝二
右指定代理人
平塚勝康
外八名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告甲野太郎に対し金四一七七万四四八四円、同甲野花子に対し金四〇三一万〇七八四円及びこれらに対する平成六年四月九日から支払済みまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、警察官が車両を停止させるためにけん銃を発砲し、このため死亡した運転者の両親が国家賠償法に基づく損害賠償を請求する事案である。
一 基礎となる事実(証拠掲記のない事実は争いがない。)
1 原告らは、甲野一郎(昭和五三年三月一日生。以下「一郎」という)の両親であり、豊岡正明巡査、石田康晴巡査は、いずれも大阪府警南警察署に勤務する警察官である。[争いがない事実及び甲第一、乙第一〇号証]
2 一郎は、平成六年四月九日、大阪市中央区東心斎橋及び宗右衛門町近辺を、友人四名を同乗させて普通自動車の白いクラウン(以下「本件自動車」という)を運転していたところ、同日午後八時四〇分ころ宗右衛門町四丁目の警察官派出所(別紙図面記載の「道頓堀派出所」、以下に指示する関係地点はいずれも別紙図面記載の地点である。)近くで前方の車両がつかえて停車したとき、同派出所で勤務していた石田巡査から職務質問を受けて逃走し、その途中通行人の一人を跳ね、本件自動車に追いついた豊岡巡査から運転席の窓越しにけん銃の発砲を受け(以下「本件発砲」という)、その結果、弾丸が右肩甲下部上方から胸腔左肺下葉を射通して筋層内に止まり、同日、失血死するに至った。
二 原告らの損害主張は次のとおりである。
1 一郎の逸失利益 六〇六二万一五六九円
平成六年度賃金センサス産業計・企業規模計・高校卒の男子労働者の全年齢の平均収入年額五二四万三四〇〇円に一八歳から六七歳までの稼動可能としたホフマン係数23.123を乗じ、生活費五〇パーセントを控除したもの。
2 一郎の慰藉料 二〇〇〇万円
3 葬儀費用 一四六万三七〇〇円
原告太郎の支出した一郎の葬儀費用
三 争点及び当事者の主張
本件の争点は、本件発砲が警察官職務執行法(以下「警職法」という)七条(警察官による武器の使用による加害行為)の要件を満たすものであったか、仮に、要件を満たしていたとしても、けん銃の使用方法に過失が存したか否かにあり、当事者双方の主張は以下のとおりである。
1 被告の主張
(一) 本件発砲の適法性
(1) 本件発砲に至る経過は次のとおりであった。
平成六年四月九日午後八時四七分ころ、道頓堀派出所に詰めていた石田巡査は、徐行して来る少年数名が乗車した本件自動車を認めて派出所外に出たところ、開かれた後部座席の窓からシンナー臭がし、後部座席の女の子が「ポリや。やばい。」というのを聞きつけたため小走りで後を追い、前方の車がつかえて停止した本件自動車に追いついたところで窓を開けるよう求めたが応答がなく、その際、運転していた一郎が左手にジュース缶を握っていたことからシンナーを吸引しながら運転していると判断し、応援に駆け付けた豊岡巡査らともども窓ガラスを叩くなどして呼び掛けたが依然応答がなかった。石田巡査は、本件自動車が逃走しないよう前方に停止して行く手を阻んでいたタクシーの運転手に事情を話して停止していてもらったところ、本件自動車はゆっくりと進行し始めてタクシーの後部に追突するや、突然アクセルをいっぱいに踏み込んでエンジンを唸らせてタクシーを押し退け始めた。そこで、石田巡査は、④点で本件自動車のエンジンを切るべく警棒で窓ガラスを割って左手を運転席に差し込んだとき、タクシーの右側に空間ができて本件自動車が急発進し、通行人や付近商店の店員に頓着なく二〇メートル先の交差点を右折し、人の往来が多く車両通行禁止となっている⑥の相合橋に向かい、橋の上に駐輪した自転車をなぎ倒し、悲鳴を上げて逃げ惑う通行人を無視して橋の中央部を暴走し、通行人一名をボンネットに跳ね上げて逃走した。本件自動車を追い掛けていた豊岡巡査は、跳ねられた通行人が死亡したものと思い、本件自動車がさらに通行人の多い車両通行禁止となった道頓堀通に向かっていることから、第二、第三の被害の発生が予想されるためけん銃を使用しても本件自動車を停止させる必要があると判断し、本件自動車が⑦点で左折するため減速したときに追いついてそのセンターピラーを掴み、運転席の一郎に見えるようにけん銃を突き出し「止まれ。撃つぞ。」を大声で二回警告したのに停車する気配がなかったので、その右前腕部をねらって発砲したが、この瞬間本件自動車が急加速したため同人の背中に弾丸が当たり死亡するに至った。
(2) ところで、警察官によるけん銃の人への発砲要件及び限度に関する法規定は警職法七条、警察官けん銃警棒使用等および取扱い規範(国家公安委員会規則、以下「取扱い規範」という)七条であるが、前者は、警察官が武器を使用して人に危害を与えることができる場合を「警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護……のため必要であると認める相当な理由がある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において」「刑法(明治四十年法律第四十五号)三十六条(正当防衛)若しくは同法三十七条(緊急避難)に該当する場合」または「死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる凶悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる十分な理由がある者が……逃亡しようとするとき……、これを防ぎ、又は逮捕するため他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合」と、後者も警察官が相手に向かってけん銃を撃つことができる場合を、正当防衛、緊急避難の場合のほか「凶悪な罪の犯人を逮捕する際、……その本人が……逃亡しようとする場合、……これを防ぎまたは逮捕するため他に手段がないと認めるとき。」とそれぞれ規定している。
そして、右のような発砲経過によれば、一郎は、車両通行禁止道路で本件自動車を故意に暴走させて通行人を跳ね飛ばし殺人未遂罪にも該当する行為を行っているのであるから、さらに暴走を続けることにより多数の通行人に危害を加えることが必至で、歩行者に対する危険性が切迫している状況にあった。
なお、このような場合、上空への威嚇発砲又はタイヤへの発砲が考えられないでもないが、前者については、それまでの一郎の走行状況よりして威嚇発砲によって停車する可能性は少なく、しかも、それにより余計に本件自動車を加速させる危険性が増大するし、周囲に通行人がいることから流弾、跳弾により危害を及ぼす可能性も大きく、後者についても、回転するタイヤへの発砲が流弾、跳弾により周囲の通行人に危害を与える可能性が強く、そのような方法を採り得なかったものである。
以上によれば、本件発砲は警職法七条、取扱い規範七条の「刑法三六条の正当防衛として他人の生命、身体を防護するため己むを得ない場合」及び「凶悪犯人の逃亡防止のため他に手段がないと信ずるに相当な理由がある場合」の要件に該当するものであって適法である。
(二) 本件発砲により、結果的には一郎が死亡するに至ったが、前記経過、状況からして発砲が刑法三五条に定める正当行為に該当し、右行為についての違法性が阻却される限り、生じた結果により行為の正当性が失われるものではなく、過失を論じること自体失当である。
2 原告らの主張
(一) 本件発砲の違法性
(1) 本件発砲は、正当行為ないし正当防衛行為として警職法七条等に定める発砲の要件を欠くものである。
一郎の本件自動車による逃走は、警察官が招来した事態である。もともと、一郎は、警察官の職務質問に対し本件自動車の窓を閉めて応答しなかっただけのことで、職務質問の任意性に鑑みればそれ自体避難されるべきことではないのに、本件自動車を取り囲んだ複数の警察官らが先にフロントガラス等を警棒で割ったため、驚愕した一郎が先方のタクシーを押し退けて逃走を開始したものである。このことは、相合橋に限らず、御堂筋と堺筋間の道頓堀川に架かる橋がすべて車両乗り入れ禁止であることや、現実にも駐輪自転車などで自動車が容易に走行できない場所であることはミナミに来たことのある人間であれば誰でも知っていることであるのに、一郎は、タクシーを押し退けて逃走後に前方で車が渋滞して進行できなかったときも、次の交差点を左折して北行き道路を向かえば車両の通行が禁止されていないのに、わざわざ交差点を南に右折して進行し、物理的にも自動車の走行困難な相合橋を走行するとの行動をとっていることからも裏付けられ、本件発砲は、いわば自招危難に該当する。
また、本件発砲当時、逃亡する本件自動車による多数の被害者が出ることが予想されるような緊迫した状況もなかった。被告は、本件自動車が相合橋の上で通行人一名を跳ねたことを捉えて殺人未遂を云々するが、当時、相合橋に多数の通行人がいたことは否定できないものの、同橋の両側には多数の自転車が駐輪し、中央の車両進行可能なスペースは車一台さえ通ることができない状況で、本件自動車が暴走といわれるような速度は出せなかったし、実際にも、相合橋の多数の通行人のうち、本件自動車の走行による被害は飲酒後の八一歳の老人一人であった。右は、本件自動車が低速でしか走行できなかったことを端的に物語り、被害者老人も約二週間の通院加療を要する程度の軽傷であったのであるから、殺人未遂などといえる状況では到底なかった。右のような状況を見れば、本件発砲をした豊岡巡査が、跳ねられた老人が死亡したと思ったなどというのは虚偽であり、本件自動車の走行により多数の被害者が出ることが予想されるような状況にはなかったというべきである。なお、一郎は相合橋で老人を跳ねたと同時にいきなり射殺されたものである。
以上の経過によると、本件発砲は、警職法七条、取扱い規範七条の場合に該当しないし、同一〇条の警告も満たしていない。また、仮に一郎の本件自動車の運転行為が歩行者に対する急迫不正の侵害に該当するとしても、本件発砲は防衛行為の範囲を逸脱した過剰防衛行為であり、違法性を阻却しない。
(二) さらにまた、豊岡巡査に殺意までがなく、本件発砲が適法であったとしても、けん銃の使用方法に過失があり、その結果一郎を死亡させたものである。すなわち、本件発砲直前の状況が被告主張のとおりであったとしても、豊岡巡査は走行中の本件自動車と併走しながらけん銃を発砲したものであるが、本件自動車が交差点を曲がりきって直線道路へ向かえば加速することが予見できたにもかかわらず、漫然とけん銃を発砲し、一郎の身体の枢要部を射抜いて死亡させたのであるから、本件発砲には重大な過失があったものである。
第三 争点に対する判断
一 甲第二号証、第四号証の一ないし三、第五号証の一、二、第六号証の一ないし三、第七号証の一ないし四、第八ないし第一二号証、乙第一号証の一、二、第二ないし第二〇号証、第二四号証の一ないし一四、石田康晴及び豊岡正明の各証言、原告太郎の供述並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 一郎は、平成五年三月に○○中学校を卒業後一時とび職として働き、原告らの経営する居酒屋を時々手伝っていたが、窃盗の非行事実により平成六年二月一八日保護観察処分を受けていたところ、平成六年四月四日から同月八日にかけて、数台の自動車を連続して盗み、無免許でその車を乗り回したり、シンナーを盗んで、遊び仲間のA(当時一七才)と共に吸引したりしながら、B(当時一四才)、C(当時一四才)、D(当時一四才)とともにドライブしたり、カラオケに行ったり、夜はAと共に盗んだ自動車に寝泊まりして過ごし、自宅には帰っていなかった。
そのような中、一郎は、Aと共に、同月八日午前〇時一五分ころ、運転者がコンビニエンスストアに入った隙に停車中の本件自動車を盗んだ。
2 一郎はAと共に、同月九日午後七時ころ、C、B、Dと誘い合わせ、同日八時ころには、いわゆる大阪ミナミの繁華街を、助手席にC、後部座席にB、A、Dを乗せ、トランクに一斗缶入りのシンナーを積み、途中からはジュースの空缶にいれたシンナーを吸引しながらステレオのボリュームを上げ、窓を開けクラクションを何度も鳴らしながら本件自動車で付近を走行した。しかし、道頓堀派出所が近づくとステレオの音は小さくしていた。
3 道頓堀派出所に勤務中であった石田巡査は、同日午後八時四五分すぎころ、酔客の取扱いを終えて右派出所の正面のガラス越しに宗右衛門町通りを見たとき、①点で本件自動車が北から東へ左折してくるのが目に入った。宗右衛門町通りは、幅員7.4メートルのアスファルト舗装の平坦・直線の東西道路で、西から東への一方通行道路である。
4 石田巡査は、右のように本件自動車が左折して来るのを見て、当時多発していた白色のクラウンを使ったひったくり事件が頭に浮かび派出所から外に出たところ、本件自動車に乗車している女の子が「あっ、ポリや、やばい。」と叫んだことや、一見して少年と思われる四、五人の男女が乗っており、本件自動車が目の前を通り過ぎたときに後部座席の開いた窓からシンナーの臭いがしたため小走りで本件自動車を追って派出所から東へ二五メートル位のところで追いつき、車がつかえて徐行する本件自動車と平行して歩きながら、②点で職務質問のために閉じられていた後部右側の窓ガラスを叩きながら、「止まりなさい。」と言って停止を求めた。本件自動車はこれを無視してさらにゆっくりと東に進んだが、前方にタクシーが止まっていたため、派出所から東五〇メートルの③点附近で停止した。
5 そこで、石田巡査は、「開けなさい。」と言いながら運転席横の窓ガラスをノックして、運転席側の窓を開けるように指示したが、一郎は前方を見たまま、石田の指示を無視し続けた。石田巡査は、一郎が左手にジュース缶を持っていたことなどから、缶に入ったシンナーを吸引しながら運転していると判断し、一郎が呼び掛けを無視し続ける挙動をとっていることを考慮すると、逃走の危険が高いと考え、無線機により道頓堀派出所に応援を求めた。
6 大阪府警南警察署警ら課に勤務し、当夜、道頓堀派出所に詰めていた豊岡巡査及び同僚の川元憲二巡査は、石田巡査からの無線連絡で直ちに派出所を出て本件自動車の方向に走って行き、豊岡巡査は、石田巡査から「シンナーや。」と聞き、運転席の窓を開けさせようとして右手を上下させている石田巡査の左横で、「開けろ、開けなさい。」と言いながら、運転席横の窓ガラスを左手握り拳でノックし、一方、川元巡査は本件自動車の後部左側より「開けなさい。」と呼び掛けていたがいずれも応答がなかった。
7 石田巡査は、本件自動車の前方の交差点付近の自動車が動き始めたことに気付き、その前に停車していたタクシーの運転手に「後の車を職務質問しているので、このまま止まっていてくれませんか。」と協力要請した。この間、豊岡巡査は本件自動車のやや前方に移動し、なおも左手握り拳によりノックして窓を開けるように説得していた。そして、石田巡査が本件自動車の側に戻ったところ、本件自動車はゆっくりと進み始め、ブレーキを掛けたまま停止したタクシーの後部に追突するやエンジンを吹かしてこれを押し退け始め、タクシーは本件自動車に押し出されるような形でタイヤで路面をこすりながら斜め前方に押されて行った。そこで、石田巡査は、実力でエンジンキーを抜き取って本件自動車を停止させ、一郎を器物損壊容疑で現行犯逮捕するため、本件自動車の移動に合わせて歩行しながらアルミ製全長五三センチメートルの警棒により運転席横の窓ガラスを叩き割り、豊岡巡査も全部フェンダー右横に位置して警棒を抜き、「止まれ。」といいながら、警棒により本件自動車のフロントガラスを三、四回程度打ちつけたためクモの巣状のヒビが入った。
石田巡査は、運転席横の窓からエンジンを切ろうと左手を車内に差し込み、豊岡巡査も手を入れようと右手に持っていた警棒を左手に持ち替えたが、そのとき、本件自動車が押し続けていたタクシーが道路左側に押し出されて右側に車一台が通れるほどの空間ができ、本件自動車が④点で石田巡査らを振り払うように急加速発進したため、石田、豊岡の両巡査が本件自動車のエンジンキーを抜き取ることはできなかった。
8 本件自動車は、急発進したところから二〇メートル程先の交差点が渋滞で直進できなかったため交差点南側の相合橋に向かって右折し、⑤点手前のポストコーンの前に向かった。このとき、豊岡巡査は相合橋の交差点を曲がる直前であり、約3.3メートル遅れて石田巡査、その約4.5メートル後に川元巡査が本件自動車を走って追跡していた。
相合橋(大阪市中央区道頓堀<番地略>先)は、中央部が広い形ではあるが狭いところで幅員約一一ないし一三メートルの南北に架かり、車両通行禁止規制がされた歩行者専用の橋で、右規制を明示するために橋の北側と南側の両方の入口から一メートルほど入った道路中央付近に赤いポストコーン(直径八センチ、高さ八〇センチで金属製に見えるゴム製の可倒式車止め。)が前後二れつにそれぞれ五本(南北の合計は一〇本)立てられ、さらに橋の入口付近には樹木、中央付近の両側に小振りのフラワーポットとそれより大きめの花壇が設置され、中央部分は幅員約3.3ないし3.4メートル程度となり、進路両端に自転車が多数駐輪されて更に幅員を狭くしており、本件発砲当日は土曜日の夜で歩行者の通行も相当ありた。
豊岡巡査は、当然本件自動車は停止するものと思っていたところ、本件自動車は、ポストコーンをボコン、ボコンと音を立てて倒し、橋の上に駐輪された自転車を次々となぎ倒し、通行人が悲鳴をあげながら本件自動車の進行方向に逃げ惑う中、時速一五キロメートル程度の速度でクラクションも鳴らさず中央部を南に向かって走行し、⑥点の中央附近を通行中の橋村英造(当時八一才)をボンネットに跳ね上げて路上に転倒させ(なお、同人は、頭部外傷Ⅱ型、外傷頸部症候群、右肩及び全身打撲傷で、約二週間の通院安静加療を要する傷害を負った)、道頓堀通に向かって逃走した。
豊岡巡査は、約六メートル遅れて本件自動車を追跡中、橋村の肩から上が急に消えたのを見て本件自動車が人を跳ねたと判断し、橋村のそばに来たとき橋村が目を閉じて仰向けに倒れて身動きもしないでいる状態を見て死亡したと考えたが、本件自動車はその間も、道頓堀通り方向に走行していた。
道頓堀通りは、相合橋以西にくらべるとその以東は人通りは少ないものの、それでも車両通行禁止規制がされた大阪有数の歩行者天国であって、宗右衛門町通りに比べさらに通行人が多い道路で通称ガーデンロードと称し、中央附近に間隔をおいて設置された花壇により北側と南側に画されて幅員が狭くなっており、車両の通行は実際上も制限される状況となっている。
豊岡は、本件自動車が既に歩行者一人を跳ねて逃走し、道頓堀通りの通行人が多いことから、さらなる被害の発生を予想し、場合により、けん銃を使用して警告してでも本件自動車を停止させる必要があると判断し、橋村のそばを全速力で走って通り過ぎながら右腰につけていたけん銃入れからけん銃(ニューナンブ三八口径)を取り出して安全ゴムを外し、下に向けてけん銃入れに添えるように右腰部に当てながら本件自動車を追跡した。本件自動車は、橋の南詰めにあるポストコーンをなぎ倒し、道頓堀通りを左折して東へ向い始めていたが⑦点での左折時に速度を一〇キロメートル程度に落とし、また、本件自動車と豊岡巡査の間を遮っていた駐輪自転車もなくなったので、同巡査は本件自動車の右側に一気に追いつき、左手で運転席後部のセンターピラーの上部を掴みながら、遠心力で振り回されるような姿勢で一郎に見えるようにけん銃を前方に突き出して「止まれ、撃つぞ。」と二回大声で警告した。しかし、一郎は、警告を無視して運転を続けるばかりか、交差点を曲がりきった本件自動車の目前に人影があったことから、豊岡巡査は、もはやけん銃を発砲して停車させるほかないと判断し、相合橋から東へ7.4メートルの⑧点で右手を伸ばして銃口をやや下方へ向け、ハンドルを握っていた一郎の右前腕部を狙って発砲した。ところがこの瞬間、本件自動車は急加速し、豊岡巡査は、センターピラーを掴んでいた左手が振り払われたようになってしまい右方向に飛ばされた。そして、なおも本件自動車が道頓堀通りを東に走行し続けたため、豊岡巡査はけん銃の弾丸が命中しなかったと思い、直ちに暴走車両が堺筋方向に逃走した旨の無線発報をしながら追跡を続けた。
9 本件自動車は、道頓堀通りの中央に設置された花壇の北側をかなりの速度で東方向に向かって走り、⑨、⑩点で通行人の窪田都(当時二五歳)、花崎幸雄(当時五三歳)、北尾昭二(当時六一歳)をつぎつぎ跳ね飛ばして転倒、負傷させ、堺筋を横断して⑫点の日本橋南詰交差点南東角の建物に衝突して停止し、一郎は、弾丸が左右肺、下行大動脈、食道等に射創を生ぜしめたため、平成六年四月九日午後九時ころ、失血により死亡した。
二 原告らは、一郎が逃走を始めたのは、石田巡査らが突然窓ガラスを割るなどしたため驚愕した結果であると主張し、これに符合する甲第八(C陳述書)、第一〇号証(B陳述書)、第一二号証(原告陳述書)及び原告本人供述を提出、援用するが、人通りの多い繁華街の道路上での職務質問に際し、これに応じなかったからといって衆人環視の前で複数の警察官がいきなり警棒で車の窓ガラスを割り始めたとするのはいかにも唐突であって不自然さは否めず、一郎が保護観察中にもかかわらず車を窃取し、さらにはシンナーを現に吸引し、職務質問に当たる警察官を無視し続けていたとの状況と石田、豊岡各証言内容に照らしてみれば、一郎が前の車両を押し除けて逮捕しようとした警察官の実力行使を招いたとみるのが自然であり、前記各証拠は容易に採用できない。
また、原告らは、豊岡巡査による本件発砲は⑦点ではなく⑥点付近の相合橋の上であり、発砲は、本件自動車が跳ねた橋村の様子を確認したり、その後、本件自動車が逃走する前のことであるとも主張するが、本件発砲が一郎の致命傷になったことを考えれば、もし、⑥点付近で本件発砲があったとすれば、一郎が⑦点の交差点付近で速度を落として本件自動車を適切に左折操舵するなどの運転行為をできたとまでは容易に考えられず、⑨、⑩点で通行人に接触し、⑫点の建物に衝突して停止したとの客観的事実に照らせば、前記認定に副う豊岡証言の合理性を疑うことができず、これに反する甲第八、第一〇号証、さらに原告太郎本人供述(甲第一二号証を含む)を採用することもできない。なお、本件自動車の同乗者であったCの司法警察員に対する供述調書である乙二三号証の三及び四中には「橋村を跳ね上げた直後にバーンとすごい音が聞こえ、その後赤いポールが見えた。本件発砲の場所は二列に並んだポールの中央くらい。」と述べる部分があるが、一方で、乙第二三号証の五(同人の司法警察員に対する供述調書)によれば、一郎が橋村を跳ね上げた後に発砲があったことは明確に記憶しているものの、「その場所は相合橋を出た後かもしれない」とも供述しており、本件発砲の場所について明確な記憶があるわけではなく直ちに採用できない。
三 本件発砲の適法性について
1 警察の責務である国民の生命、身体及び財産の保護などの職務の遂行上、人に対して強力な実力を用いざるを得ない場合に一定の限度で武器の使用が認められるべきであるが、反面、それは当然に国民の生命、身体に直接的危険をもたらすため、警職法七条は、武器全般の使用により人に危害を加えることのできる要件として「犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己又は他人に対する防護……のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において」武器の使用が許され、「刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十六条(正当防衛)若しくは同法第三十七条(緊急避難)に該当する場合」又は「死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる凶悪な罪を現に犯した者……が、……逃亡しようとするとき……これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合に人に危害を与えることができると規定し、取扱い規範七条においても、武器のうちけん銃を相手に向かって撃つことのできる要件として同旨の規定を設け、さらに、取扱い規範一〇条において「けん銃を撃とうとするときは、状況が急迫であって、特に警告するいとまのないときを除き、あらかじめけん銃を撃つことを相手方に警告しなければならない。」と警告の要件を定めているものである。
2 前記認定事実によれば、一郎は警察官の追跡を振り切るための逃走行為に随伴したものとはいえ、通行人の往来が繁華な車両通行禁止道路に進入し、現に駐輪自転車を次々となぎ倒したうえ通行人一名を跳ね、さらに、通行人の多い直線道路である車両通行禁止道路(いわゆる歩行者天国)に進行して加速走行しようとし、歩行者の生命、身体に対し前同様の危害を加えかねない状況であったのであるから、追跡中の豊岡巡査が本件自動車を停止させ、本件自動車の前方を歩行する通行人の生命、身体に対する新たな侵害を防止するため、かつ、その最小限の手段として運転者の致命傷とならない腕部を狙って発砲したことは、法益の均衡(なお、原告らは、豊岡巡査が当初から一郎を射殺する意図で本件発砲に及んだと主張するが、本件全証拠を検討しても、これを認めるに足る資料はない。)、手段の相当性を勘案すれば、正当防衛行為として違法性を阻却するものというのが相当である。
原告らは、当時の状況からして、他の一般通行人に危害の及ぶ可能性はなく、本件発砲は侵害性を欠くもので正当防衛の要件はなかったと主張するが、本件発砲時までの状況、なかんずく、一郎が、逃走路を確保するため故意に前方のタクシーに本件自動車を追突させて道路脇に押しやり、駐輪していた自転車を次々となぎ倒して車両通行禁止となった歩行者専用の道路を逃走し、ついには歩行者一名を跳ねたにもかかわらず、これを顧慮することなく逃走を継続し、しかも、その逃走方向が歩行者が車両の通行を予期せず多数往来する繁華街で、現に本件発砲前には本件自動車の前方に歩行者があったのであるから、本件自動車の走行により歩行者に対する法益の侵害が切迫していたものというのが相当である。
また、被告も指摘するとおり、このような場合、逃走車両を停止させるためのけん銃の使用方法として、一郎の身体以外に向けた威嚇射撃、あるいはタイヤへの発砲を試みることも手段としてとり得る一方法であるから、本件発砲がやむを得なかったものであるかは慎重に検討さるべきであるが、乙第一六号証、豊岡証言によれば、現場の周囲はすべてビルで人通りも多く、ある程度の仰角を保って発砲しても流弾で付近のビルの住民や、あるいは落下する銃弾で歩行者に危険を及ぼすことが予測され、また、警察官の携行する拳銃では高性能ラジアルタイヤの回転時には銃弾を跳ね返すことがあって流弾、跳弾により人に危害を及ぼす可能性があること、仮に、タイヤを射抜いたとしても自動車が直ちに停止するものではないことが認められ、通行人や付近住民に危害を加えない方法で確実に本件自動車を停止させるには、ハンドルを握っている運転者の人体の枢要部ではなく、かつ、直接運転行為にかかわる四肢の一部の機能に障害を与える限度で発砲するのは誠にやむを得ない措置であり、威嚇射撃等を経なかったというだけで本件発砲が正当防衛の要件を欠くとはいい難い。
ところで、原告らは、本件発砲は警察官の自招危難であると主張するが、本件では緊急避難ではなく正当防衛の成否が問題とされているのであるから、その趣意は、警察官による本件自動車の窓ガラスの損壊行為、これに引き続く本件自動車の追跡行為が、一郎に相合橋上での右のような危険な運転行為を余儀なくさせたもので、その経過に鑑みて、本件発砲が法秩序全体の観点から違法であるとするものと思われる。しかし、警察官による本件自動車の窓ガラスの損壊行為が一郎の逃走の契機となったものでないことは前判示のとおりであり、その後の追跡行為についてみても、前記認定事実によれば、警察官は、少年数名が同乗した本件自動車からシンナー臭がし、ジュース缶を手に持った一郎がシンナーを吸引しながら運転していることを具体的に予想できたばかりか、一郎が警察官の目前で逃走経路を塞いでいるタクシーに故意に車両を衝突させて逃走を開始したのであるから、警察官には警職法二条に基づく職務質問及び刑訴法二一三条に基づく現行犯逮捕を行う権限があったものである。しかして、警察官は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当たることをもって責務とする(警察法二条)のであるから、逃走車両の無謀運転により一般歩行者に対して及ぶ危険があるというだけで追跡、逮捕を中止すべきとするのは法秩序維持の任を担う警察官としての忠実な職務執行とはいえない。そして、本件の具体的な追跡経過、態様をみても、当時、警察官には現行犯人である一郎の氏名は判明していなかったのであるから、そのまま逃走させたのでは逮捕が困難となり、しかも、警察官には、パトロールカー等により一郎の運転行為を掣肘する術がなく、もっぱら逃走車両に停止を求めながら走って追跡していたのであるから、実質的にみても追跡経過、方法、態様に問題は見当たらない。
よって、本件発砲は警職法七条等所定の武器の使用により人に最小限の危害を加えることのできる要件が存したというべきであり、この点において被告に国家賠償責任を負担させることはできない。
四 死亡の結果について
1 ところで、本件では、豊岡巡査が一郎の右前腕部を狙って発砲に及んだが、実際には、弾がそれて右肩甲部下部上方から胸腔左肺下葉を射通して一郎が死亡するという重大な結果をみたことは前記認定のとおりである。
2 被告は、本件発砲が適法である限り、結果についての過失を問題にする余地はないと主張するが、武器の使用による加害行為が許され、その範囲で所期した結果について責任を負担するものでないことは主張のとおりであるが、その使用方法に過失にあって意想外の重大な結果を発生させた場合は、別途、過失責任を問責されることは当然であって、右主張は採用できない。
よって、この点についての過失の有無について検討を進めるに、前記認定事実と弁論の全趣旨によれば、けん銃の発射について専門的訓練を受けた警察官である豊岡巡査が本件自動車の窓越しという至近距離から狙いを定めながら、結果的には狙いがはずれたのは、本件自動車が相合橋南詰めの交差点を左折して加速しようとしていたことや、同巡査が、左手で本件自動車のセンターピラーを掴みながら遠心力で振り回されるような姿勢で発砲せざるを得なかったこと、すなわち、目標、撃手のいずれもが移動し、ことに、撃手が発砲時に不自然な態勢にあった状況を加味しなければ容易に理解し難いものであり、右の状況に鑑みれば、豊岡巡査にも狙いがはずれるかも知れないことの予見可能性があったというのが相当である。しかし、そこにおいて、豊岡巡査に結果回避義務を負担させることは、本件発砲を中止させることを強いることにほかならず、それは本件発砲が本件自動車を停止させてその前方の通行人の生命、身体を防護するための正当防衛行為として必要であったことと矛盾するのであって、右のような状況の下で豊岡巡査に結果回避義務を負担させることはできないから、一郎の死亡の結果について同巡査に過失があったとはなし難い。
五 以上のとおりであって、原告らの請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官渡邉安一 裁判官今井攻 裁判官武田正)
別紙図面<省略>