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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)8897号 判決 1999年1月25日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

森博行

被告

昭和アルミニウム株式会社

右代表者代表取締役

安西一郎

右訴訟代理人弁護士

高野裕士

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、一九三三万四六〇〇円並びに内金一〇〇〇万円に対する平成八年九月七日から、内金九三三万四六〇〇円に対する平成九年一二月二六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告を解雇された原告が、被告による右解雇に至るまでの一連の不当な出向命令等の人事異動が、人事権の濫用であり労働契約の債務不履行にあたるとして、右債務不履行に基づく精神的損害の賠償(一〇〇〇万円)を求めるとともに、右解雇は解雇権の濫用にあたる無効なものであるとして、解雇時から右解雇がなかった場合の原告の定年退職時までの期間の賃金(九三三万四六〇〇円)の支払を求める事案である。

一  前提となる事実(いずれも、当事者間に争いのない事実である。)

1  当事者等

(一) 被告は、アルミニウム製品等の製造販売等を目的とする株式会社である。

(二) 原告は、昭和三一年三月、大阪市内の高等学校を卒業後、同年四月に被告に雇用され、同年六月より資材課購買係、昭和三五年八月より大阪営業所板販売課の各勤務を経て、昭和四二年三月、同営業所加工品部加工品課主務、昭和四五年一月、加工品営業本部大阪加工品部加工品第三課長補佐、昭和四八年八月、高崎営業所長(課長に昇進)、昭和五一年四月、住器コールドチェーン営業本部大阪住器コールドチェーン部住器課長に各昇進し、昭和五三年四月大阪支店広島営業所長に就任した。昭和五九年六月以降は、関連会社への出向を命じられることが多くなった。

2  関連会社への出向等

(一) 大伸金属株式会社

原告は、昭和五九年六月、被告から大伸金属株式会社(以下「大伸金属」という。)への出向を命じられ、取締役営業部長として赴任した。大伸金属は、被告が出資する関連会社であり(資本金八〇〇万円、従業員約一五名)、被告の製品を販売する商社である。同社への出向は、昭和六三年八月に解かれ、原告は被告に復帰した。

(二) 大阪支店長付主査

被告に復帰した原告は、大阪支店長付主査となり、関西空港のプロジェクトを担当し、泉南営業所に駐在した。

右駐在中、原告の上司の久保義和次長(以下「久保」という。)は、原告に対して転身援助制度を利用して転職することを勧奨した。

(三) ユニオン軽金属株式会社

原告は、平成二年三月、被告からユニオン軽金属株式会社(以下「ユニオン軽金属」という。)への出向を命じられ、被告に対して、内容証明郵便による異議の申し出をしたうえで、同社に赴任した。ユニオン軽金属は、資本金一〇〇〇万円、従業員数約三〇名である。

出向後、原告は、同社の社長である尾堂から営業に回るように要請されたが、これを拒否した。

(四) 昭和サービス株式会社

原告は、平成三年二月、被告から昭和サービス株式会社(以下「昭和サービス」という。)への出向を命じられ、同社に赴任した。同社は、資本金が三億円、従業員が約二六〇名(うち、原告の勤務した堺支社は、従業員一一四名、課長職五名)である。

(1) 原告は、当初、アルミ空き缶回収業務に従事したが、六か月ほどしてから、箔日用品販売業務の担当に変わり、右業務に平成三年六月から平成六年五月まで従事した。

(2) 平成六年三月二〇日、昭和サービス社長の石川正道(以下「石川」という。)は、原告に対し、社長付となって箔日用品以外の新たな開発営業に就くよう、特命事項を列挙した書面により業務転換の指示をした。平成六年三月から同年五月にかけ、原告は、「職務分担変更に関する件」(<証拠略>資料3)、「度重なる会社側の私への不当人事に対する厳重抗議申し入れの件」(同資料4)等、合計七通にわたる書面を石川らに差し出した。

平成六年六月一日、被告は、改めて原告に対して開発営業に就くように指示したため、原告は、以後同年一二月ころまでは命じられた業務を遂行した。

(3) 平成六年一二月、原告は、賞与の額が低いとして、平成七年一月から同年三月ころにかけて、石川宛に多数の書面を発し、人事評価等に関する抗議や、空出張による給与補填(ママ)の要求、過去の冤罪に対する謝罪要求等を繰り返した。

(4) 平成七年三月末ころ、石川は原告に対して口頭で退職勧奨を行い、同年四月二五日、土田璋人材開発部長(以下「土田」という。)も原告に対して退職勧奨した。そのころから、原告から、石川や被告の役員宛に退職勧奨の理由開示要求、不当人事に対する抗議等の多数の書面が送られた。

原告からの退職条件についての書面の要求もあり、被告は、平成七年一一月七日、書面で原告に対して退職条件を提示した。しかし、同月八日、原告はその書面を被告に返却するとともに、「一方的な冤罪のでっち上げ、度重なる不当人事に対する真相究明、謝罪、名誉回復、損害賠償等々を加味した文書である事」を要求し、それまで折衝していた土田からのアプローチを拒否するとの内容証明郵便を被告に送付した。

3  被告による解雇

(一) 就業規則

被告の就業規則一二条二号には、「やむを得ない業務上の都合」により従業員を解雇できるとの定めがある。

(二) 解雇の意思表示

原告は、平成七年一二月二一日付けで昭和サービスへの出向を解かれ、同時に被告就業規則一二条二号に該当するとして平成八年一月三〇日付で解雇するとの予告通知を受けた(以下「本件解雇」という。)。本件解雇以降、被告は、原告の従業員たる地位を否認し、同日以降の賃金を支払わない。

(三) 解雇事由(詳細は争点2に関する被告の主張を参照)

被告は、原告の昭和サービスでの平成六年三月から平成七年一二月までの間の、上司に対する反抗的な態度、業務命令違反、役員及び上司等に対する侮辱、脅迫、常軌を逸した無理な要求、被害妄想に基づく執拗な謝罪要求、管理職、従業員として著しく適格性を欠いていること等の理由で、本件解雇をした。

4  本件解雇前の賃金額及び被告における定年退職日

本件解雇前の三か月間に、被告から原告に対して支払われた賃金の平均月額は、四二万四三〇〇円である。

被告においては、満六〇歳が定年であり、定年退職日は、満六〇歳到達後最初の五月末日または一一月末日と定められている。仮に原告が満六〇歳の定年まで勤務したとすれば、昭和一二年八月一二日生まれの原告の定年退職日は、平成九年一一月末日である。

本件解雇から右定年退職日までの期間は二二か月間であるから、賃金額は九三三万四六〇〇円となる。

二  争点

1  被告による一連の出向命令等の人事異動及び本件解雇が労働契約上の債務不履行となるか。なるとした場合の損害の有無及びその額。

2  本件解雇が、解雇権を濫用するものとして無効となるか。

三  原告の主張

1  争点1について

労働契約関係において、使用者が労働者に対し、出向等の人事異動を命ずる場合、当該異動命令に業務上の必要性が存しないときや、業務上の必要性が存しても当該異動命令が他の不当な動機、目的をもってなされたときは、当該異動命令は人事権の濫用として無効となる。これは、使用者が労働者に対し、業務上の必要性がないにもかかわらず、あるいは他の不当な動機、目的をもって人事異動命令を発してはならないという労働契約上の不作為義務を負っていることを意味する。

被告は、原告に対し、<1>昭和六一年八月、業務上の必要性がないのに出向先の大伸金属からの復帰を命じたうえ、原告を大阪支店長付主査に降格したが、原告を解雇するのに失敗したため、<2>平成二年三月、原告を退職に追い込む目的で、ユニオン軽金属への出向を命じ、それでも原告が退職しなかったため、<3>平成三年二月、昭和サービスへの出向を命じた。これら一連の異動命令は、前記労働契約上の不作為義務に違反する債務不履行であり、原告がこれによって被った精神的損害は、一〇〇〇万円を下らない。

(一) 大伸金属時代

原告は、昭和五九年六月、平岩高社長(以下「平岩」という。)から誘われて大伸金属に出向した。原告は、被告から出向している常務や専務の職務怠慢ぶりに義憤を感じ、社長に善処方を求めたため、右上司らから疎まれるようになった。また、昭和六三年二月ころ、大伸金属の幹部社員Y(以下「Y」という。)の業務上横領事件が発覚し、原告はその処分をめぐって綱紀維持のために懲戒解雇を主張した。右事件は上級社員の関与がなければ起こり得ないものであったにもかかわらず、Yの単独犯として処理され、処分も一等減じられた。右事件後、原告は右上司らから露骨な追い出し工作を受け、その理由を明らかにされないまま、昭和六三年八月、突然大伸金属への出向を解かれ、被告の大阪支店長付主査に降格された。

(二) 被告大阪支店長付主査時代

原告は、関西空港プロジェクトチームに配属され、泉南営業所に詰め、かつては自分より下位にいた泉南営業所長の川上博(以下「川上」という。)のもとで仕事をするよう命じられ(したがって、同じ課長職でも「降格」である。)、市場調査、PR業務、情報収集等に打ち込み、一定の成果を上げていた。

ところが、平成元年七月ころ、被告は理由を明らかにしないまま、石井社長と河野人材開発部長(以下「河野」という。)の決定であるとして、川上において、原告に対し、期限を同年九月末日とする退職強要もしくは期限付指名解雇の通告をした。原告が、裁判所へ提訴する旨申し向けたところ、被告は右解雇を撤回した。

(三) ユニオン軽金属時代

(1) 原告は、平成二年三月、被告から、その関連会社であるユニオン軽金属に出向を命じられたが、右出向命令に先立つ同年一月八日ころ、ユニオン軽金属の社長である尾堂に呼び出された。その際、尾堂は、原告に対し、原告が大伸金属時代に<1>ほとんど定時出勤せず、行き先も不明であった、<2>無断欠勤が多かった、<3>怠業甚だしく、勤務中、自席で株式の売買に熱中していた、<4>毎日午後になるとメンバーを集め、就業時間中なのに麻雀をしていた、<5>公金を不正着服した、<6>女性問題を起こし会社に迷惑をかけた等の悪行を重ねていたとの噂を聞いていると言ったため、原告は、事実無根であったので、河野に対して真相究明の調査を要求したが、河野からの回答はなかった。

(2) ユニオン軽金属への出向は、原告の希望によるものではなく、久保を尖兵とする原告に対する退職強要が功を奏さなかったため、原告をさらに追い込むための手段として被告が行ったものである。それまで原告は三〇年間にわたって営業一筋に歩んできたにもかかわらず、ユニオン軽金属では総務課に配属され、書類作成や労務作業等の雑務に従事した。尾堂社長は、河野人材開発部長から原告を営業にまわさないよう命令されていたが、ユニオン軽金属の親会社である佐渡島金属株式会社の社長から、原告を営業にまわすよう要求され、両者の板挟みとなり、原告に対し、河野には内緒で営業にまわるように打診してきた。御都合主義の人事に怒りを感じた原告は、右申し出を断った。そのため、原告は、被告から、一〇〇パーセント子会社である昭和サービスへの出向を命じられた。

(四) 昭和サービス時代

原告は、平成三年二月、辞令書も交付されないまま、昭和サービスへの出向を命じられ、約半年間、助手として大型トラックで空き缶回収の労務作業に従事させられ、持病の腰痛を悪化させた。被告は、原告に腰痛の持病があることを知悉しながら、嫌がらせで右のような肉体労働に約半年間も従事させた。

その後約三年間は、箔日用品販売の書類の整理作業や集金業務など、嫌がらせとしか思えないような単純作業に従事させられた。原告が配置されたのは、営業(ライン部門)ではなく、事務(スタッフ部門)であったし、そもそも箔日用品の販売は固定契約に基づくものであるから、売上の増大が見込まれる販売部門ではない。販売業務の拡大を原告に求めるのは不可能を強いるものである。

しかし、平成六年六月、社長付となり、石川から開発営業の業務を命じられたので、心機一転仕事に打ち込み、石川に賞賛されるに至った。

(五) 被告への復帰及び本件解雇

原告は、平成六年一二月、それまでも減額されてきた賞与が更に減額されていたので石川に理由を尋ねたが、回答はなかった。さらに、平成七年四月二五日、土田から、被告の社長の意向であるとして退職を勧奨された。土田は、後日退職条件を提示するというので、原告はそれを待ったが、何の回答もないまま時が経過し、同年一二月四日、石川から、「やむを得ない業務上の都合により君を解雇するので、一二月二一日付で昭和アルミ堺製造所総務課への配転を命ずる。」旨申し渡された。そして、本件解雇を受けるに至った。

2  争点2について

解雇事由のうち、原告が石川等に多数の書面を送付したとの外形的事実は認めるが、被告は、原告を自主退職に追い込むために昭和サービスに出向させ、最初は単純肉体労働に従事させ、その後は箔日用品販売業務に就かせたものの、以下に述べるとおり「開発営業」なる実現不可能な業務に就かせ、そのことによって誘発された抗議的な態度を理由に原告を解雇に処したのであるから、本件解雇は合理的理由を欠き、解雇権の濫用として無効である。

(一) 原告は、平成六年三月、再び被告から担当業務の変更を命じられることとなったので、この機会にそれまで受けてきた不当な処遇から解放されたいとの願いに駆られ、多くの書面を書かないではいられなかった。原告は、何の理由もなく業務命令に従わなかったのではなく、業務に対する意欲を持ったが故に、就労条件及び就労環境の整備(自己の所属及び指揮命令系統の明確化)を求めざるを得ず、それが果たされるまでは業務の変更に応じられないと返答したまでである。なお、被告による箔日用品販売からの担当業務の変更は、原告を退職に追い込むために、新たに過大な義務を原告に課したものである。

原告は、平成六年三月から同年五月にかけて、一日たりとも休暇を取っていないし、仮に休暇を取得していたとしても、もともと原告は十分な有給休暇残日数を有しており、被告が時季変更権を行使したわけでもないのであるから、問責の対象とならない。また、箔日用品販売業務の停滞等は、昭和サービスの原告に対する業務妨害が原因であり、原告に責任はない。

原告は、大声で石川に抗議したことはないし、他の従業員と口論したこともない。かえって、石川が原告に対して罵詈雑言を浴びせかけた。

(二) 平成六年六月一日以降、原告は、心機一転、開発営業の業務に打ち込んでおり、業務遂行面において解雇に値する非違性は存しない。また、この時点で原告と被告との間で担当業務についての合意に達したのであるから、もはや担当業務の変更に関する業務命令違反の責任を原告に問うことは出来ない。

改めて指示された業務内容についても、同年三月二〇日付業務命令においては多岐にわたっていた開発業務を、<1>屋上庭園、<2>サーモコイル、<3>トータルサニテーションの三つのプロジェクトに絞るものであった。しかし、それぞれのプロジェクトには問題点があり、成約に至るのが困難もしくは不可能なものであった。右業務命令は、原告を退職に追い込むための奸計であった。

MBOスターシート(考課査定に利用されるもの)については、平成四年以降、原告は、同制度から疎外されており、被告から交付を受けたことはないし、提出を求められたこともない。

(三) 平成六年一二月の賞与減額については、原告の業務遂行も軌道に乗り、被告から注意を受けることもなかったにもかかわらず、減点評価を受けたのであるから、その理由を被告に問い質したくなるのは当然である。右減額は、何ら原告に低査定の理由がないにもかかわらず、原告を退職に追い込むための嫌がらせである。原告が低査定の理由の開示を求めたにもかかわらず石川はこれを無視したため、その理不尽な態度に徐々に書面の表現がボルテージを高めていったのもやむを得ないことである。

空出張の件も、石川の前任の高辻社長時代に現に行われていた空出張による給料減額分補填(ママ)処理に照らして、原告の場合はどうなのかと揶揄的に述べたにすぎない。

石川に対して大声で苦情を述べた事実は、全く正反対であり、原告の方が石川に大声で罵られたのである。被告は、平成七年一、二月ころ、原告の席にある電話機を取り上げるなど、原告の業務妨害等の嫌がらせをエスカレートさせていった。

(四) 平成七年三月から四月にかけての被告による原告に対する退職勧奨は、原告は必要のない人間だから早く辞めるように迫るものであり、これに対してその理由を問うのは人間として当然のことである。したがって、退職勧奨後の原告の言動を解雇事由とすることは信義則上許されないというべきである。

また、複数の書面についても、昭和サービスと被告が一体となって原告に対して行った嫌がらせに対抗するためのものである。原告は、退職勧奨を受けていた間も、一貫して誠実に業務を遂行していた。

四  被告の主張

1  争点1について

原告は、昭和四八年八月、課長に昇格したが、課長職は、被告での担当職層、指導職層、管理職層の三職層の最上位に位置し、組織運営の統括、業務計画の立案、推進、部下の指導、監督等が主たる業務とされる。課長職にある者として要求される高度な業務が遂行できなければ、それ相応の評価を受けてもやむを得ない。

以下に述べるとおり、被告は、原告の能力及び適性を考慮し、原告に新天地での再起を期させるという業務上の必要性に基づき出向等の人事異動を行ってきたし、給与、賞与の査定は公正に行われてきた。

(一) 大伸金属時代

原告は、取締役営業部長としては力不足であった。被告は、原告の勤務につき、外出時における連絡が不十分である等、行動にルーズな面があり、取引先の来客に挨拶すら十分できないという指摘を大伸金属から受け、出向を解くこととなった。原告が大伸金属で立派な業績をあげた事実はない。

(二) 大阪支店長付主査時代

原告の勤務態度には横柄さが目立ち、泉南営業所に出勤する回数が少なく、社外での行動が不明であった。被告の求めた行動についての報告書の提出もなく、業務に関する月報やレポートの提出もなかった。被告がそれらの提出を求めると、強く反発し、休みを取るという状態で、営業成績はほとんどなかった。また、定期的な会合にも欠席し、上司に対しても反抗的な態度をとった。

なお、大阪支店長付主査は、前任の営業所長と同じ課長格であり、降格ではない。泉南営業所長の川上は課長職の一級、原告は二級であり、給与上は原告の方が若干高かったが、川上が泉南営業所における先任者であることを考慮すれば不当な配属ではない。

平成元年七月、勤務態度の悪い原告に対し、川上から被告に配転の要請があったため、久保はやむなく転身援助制度利用の勧奨をしたが、期限付指名解雇ではない。

(三) ユニオン軽金属時代

(1) 尾堂が原告の行状について種々述べたことがあったとしても、真実ではないとの信念があればそれを否定すれば足りるのであり、また、ユニオン軽金属は原告を暖かく迎え入れたのであるから、そのことでこだわるのは企業人あるいは社会人として相当でない。

(2) 原告がユニオン軽金属に出向して六か月程度経過し、同社はその経営改善のために原告に従来の総務的な業務ではなく、営業を命じようとした。そのための対策会議を開催しようとしたところ、原告は、突然、従業員の面前で社長である尾堂に対し、「そんな会議には出席できない。」と大声でわめきだし、朝に予定されていた会議が夕刻まで延期された。原告の言い分は、被告から出向するについて営業をさせないという約束があったというものであったが、そのような約束はなく、単に河野が「原告は営業に向かないと思うので、しばらく内勤で適性をみてから使い方を考えて欲しい。」と尾堂に述べただけである。原告の右行動は、職場の秩序を著しく乱す業務命令違反である。

このようなことがあったため、被告は九か月で原告の出向を解いた。被告は再び原告に退職勧奨をしたが、被告に残りたいという原告の希望により、昭和サービスに出向させることとなった。

(四) 昭和サービス時代

原告は、昭和サービスでのアルミ空き缶回収業務において、袋を放り投げる等、投げやりな勤務態度がみられたため、約六か月で原告と相伴の課長の要望により、箔日用品販売業務に変えざるを得なかった。

箔日用品販売業務において、原告は支社長付として営業を活発に行うことを要求されていたにもかかわらず、積極的に取り組まず、同人の業務から生ずる粗利益は、その給与総額の半分にも満たない月平均二九万円程度であった。そのため、被告は、平成六年三月二〇日、原告に対して業務転換の指示をした。

その後の原告の勤務態度及び本件解雇に至る経緯については争点2についての主張のとおりである。

2  争点2について

原告の昭和サービスへの出向後の勤務態度及び言動は以下のようなものであって、これらは管理職としてはもちろん、従業員としての常軌を逸するものである。これらは、本来懲戒解雇事由にも該当するものであるが、被告は、原告の将来や退職金等を考慮し、会社都合による普通解雇を行ったのであって、本件解雇は何ら解雇権を濫用するものではない。

(一) 平成六年三月二〇日の昭和サービスにおける箔日用品販売から新たな開発営業への業務転換の指示にもかかわらず、原告は箔日用品販売業務の引継と新業務の担当を拒否した。

平成六年三月から同年五月にかけ、原告は、「職務分担変更に関する件」(<証拠略>資料3)、「度重なる会社側の私への不当人事に対する厳重抗議申し入れの件」(同資料4)等、合計七通にわたる抗議書面等を石川らに差し出した。右抗議書面の内容は、<1>交際費による接待先のリストの提示要求(原告に交際費はないといわれて)、<2>原告に対する不当人事についての抗議、<3>辞令書交付のないことに対する抗議、<4>過去に期限付指名解雇を申し渡されたことについての抗議等であり、いずれも原告が要求すべき事項でないものや、過去に解決済みの問題であり、何ら業務命令を拒否する正当な理由たり得ないものであった。右書面は、上司に対する侮辱、揶揄、誹謗、罵詈雑言に満ち溢れた読むに堪えないものであった。

この期間の原告の勤務態度は、休みが多く日曜、祝祭日を含めると営業日の六割程度しか出勤せず、新業務への取り組みは全くなかったことはもとより、箔日用品の販売業務(伝票処理等)も著しく停滞して顧客に迷惑をかけ、正常な決算もできない状態となった。さらに、原告は、石川に大声で抗議したり、他の従業員と口論したため、狭い事務所内における職場の雰囲気は悪化し、職場規律が著しく乱された。

(二) 右のような原告の態度は解雇に値するものであったが、平成六年六月一日、原告が業務命令に従うと述べたので、石川は、改めて「当面する特命業務等」と題する書面(<証拠略>資料8)を原告に交付し、業務を指示した。石川は原告に訪問先を指示したり、場合によっては同行したりして原告の販売活動を支援し、原告は、以後、同年一二月ころまでは命じられた業務を不完全ながら遂行するようになった。しかし、<1>原告の販売成約はゼロであり、<2>平成六年九月ころまでに準備が整い、石川が秋のうちに発送するよう指示した市場調査用のダイレクトメールの発送すら実行せず、<3>要求されたMBOスターシートの提出をしなかった。

このような原告の勤務成績、満五五歳という年齢及び結果を重視する評価制度への変更のため、平成六年一二月の原告の賞与の査定は低くなった。

(三) 原告は、平成六年一二月の賞与の額が低かったとして、平成七年一月から三月ころまでの間、再び石川宛に多数の書面を発し、人事評価についての抗議や、空出張による給料補填(ママ)の要求、過去の冤罪に対する謝罪要求等を執拗に繰り返すに至った。それら書面は、上司に対する侮辱、愚弄に満ちており、非常識、不正な要求をする内容であった。職場内においても、石川に大声を上げて苦情を述べたり、机を叩いて威嚇したり、抗議や反発あるいは反抗することが度々(多いときには一週間に二、三度)あり、職場秩序は極めて混乱した状態となった。この間、原告は業務の推進を督促されたにもかかわらず、全く業務を遂行せず、販売実績を全く上げていない。

(四) このような原告の状態から、平成七年三月三〇日、石川は、原告に対し口頭で退職勧奨を行い、さらに、同年四月二五日、土田は、職場秩序維持の必要から、原告に対し、管理職不適格の理由による退職勧奨を行った。

原告は、平成七年四月、ついに内容証明郵便を石川の自宅宛にまで送付した。そのころから、原告から石川宛に、退職勧奨の理由や減給の説明要求「諸事項確認及び究明の件」(<証拠略>資料15)、管理者安全教育の受講拒否(同資料20)、退職条件の明示要求(同資料21、22、23)、過去の冤罪問題など紛争事実に対する最終決着要求(資料27)等の書面が多数送付され、被告の役員宛にも、「退職条件を書面で示せ」(<証拠略>資料3)、「退職勧告を拒否する」(同資料4)、「管理職不適任の理由を示せ」(同資料5)、「過去の冤罪を負わせた不当な人事に対する責任をとれ」(同資料7、8)等の記載がある内容証明郵便による書面が多数送付された。右書面は、相変わらず上司に対する侮辱、揶揄、誹謗、罵詈雑言に満ち溢れた読むに堪えないものであった。

職場内でも原告が興奮して石川に詰め寄ることがあった。この間の原告の業務遂行状況は、外出が多く、その報告もなく、引き合い打診のあった分も断るなど、昭和サービスの業務妨害となっていた。

原告からの執拗な退職条件についての書面要求があったため、被告は、平成七年一一月七日、書面で退職条件を示したが、翌日、原告はその受け取りを拒否し、右書面を返却するとともに、「一方的な冤罪のでっち上げ、度重なる不当人事に対する真相究明、謝罪、名誉回復、損害賠償等々を加味した文書」を要求し、それまで折衝してきた被告担当者である土田からのアプローチを一切拒否するとの内容証明郵便を送付してきた。被告は、右書面を見て、勧奨による原告の任意退職を断念した。右の書面でも、「君ほど、不誠実で、約束をホゴにし、欺瞞に満ちた卑劣な人物を知らない」と、土田を口汚く侮辱する表現が用いられている。

第三争点に対する当裁判所の判断

一  争点1(人事異動及び本件解雇が債務不履行となるか)

一般に、労働契約においては、職種や勤務場所の限定などの特約がない限り、使用者は、その人事権の内容として、従業員の担当職務の決定について広範な裁量権を有し、人事権の行使が労働契約上の債務不履行を構成するのは、当該人事権の行使が不当な目的をもってなされたり、業務上の必要性がないのに従業員に著しい不利益を与える配転や出向がされるなど、社会通念上明らかに相当性を欠き、権利の濫用と評価されるような場合に限られると解すべきである。

これを本件についてみると、原被告間の雇用契約において職種を限定する旨の特約があった事情は窺われないから、以下、原告が債務不履行と主張する各人事異動等につき、それらが権利の濫用となるか否かについて検討する。

1  大伸金属時代及び被告(大阪支店長付主査)への復帰

大伸金属への出向を解く人事異動は、被告以外の企業から被告への復帰であり、それ自体では原告に本来の雇用先の業務に従事させるものにすぎないから、原告に何ら不利益を与えるものではなく、人事権の濫用及び債務不履行の問題は生じない。原告は、大阪支店長付主査とされたことをもって降格であると主張するが、右主張は、給与面で自分より低い待遇の者の部下となったことをもって降格であるとするものにすぎず、それが具体的な役職や格付けの下降を伴うものではなく、従前どおりの課長職であることは原告自身も認めるところであるから、右主張を採用することはできない。結局、右人事異動によって、原告がいかなる不利益を被ったかに関しては、何ら具体的な主張はなく、債務不履行を構成するとはいえない。

なお、原告は、右人事異動が不当な動機、目的によってなされたものであることを基礎づける事実として、大伸金属時代の業務上横領事件における上級社員の関与と、上司の職務怠慢ぶりに対する社長への改善の要求を主張する。(証拠・人証略)及び原告本人によれば、昭和六三年に大伸金属においてYによる何らかの不正事件があり、それによってYが大伸金属から去ったとの事実を認めることができるものの、それ以上に他の上級社員が右事件に関与していたこと等の詳しい事実関係については推測の域を出るものではないし、上司の職務怠慢ぶりに対する改善要求があったとしても、それが原因で大伸金属への出向が解かれたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

2  大阪支店長付主査時代及びユニオン軽金属への出向

(証拠略)によれば、原告は、大阪支店長付主査として関西空港プロジェクトチームに配属となっていた当時、駐在場所である泉南営業所に出勤する回数が少なく、被告の求めた行動についての報告書の提出もなく、業務に関する月報やレポートの提出がないかもしくは期限に遅れるなどの勤務態度であり、被告がそれらの提出を求めても強く反発していたこと、定期的な会合にも欠席していたこと、右のような勤務態度であったため、平成元年七月一四日、久保が原告に対して転身援助制度の利用を勧奨したこと、原告がこれに応じなかったことから、被告は、新しい職場で再起を期させるため、平成二年三月に原告をユニオン軽金属に出向させたことが認められる。そして、右出向によって原告が労働条件上及び生活上具体的に不利益を受けた事実は窺うことができない。右の事実によれば、原告をユニオン軽金属に出向させたことには一定の合理性が認められ、債務不履行を構成するとはいえない。

原告は、大阪支店長付主査時代、市場調査、PR業務、情報収集等に打ち込み、一定の成果を上げていたと主張し、(証拠略)及び原告本人の供述はそれに沿うものであるが、原告が「降格」されたとして人事に大きな不満を持っており、その不満を勤務態度等に表したことは容易に認められるところであり、(証拠略)の記載内容に照らして、右(証拠略)及び原告本人の供述はこれを採用することはできない。また、原告は、被告による右転身援助制度利用の勧奨をもって退職強要もしくは期限付指名解雇の通告である旨主張し、(証拠略)にはそれに沿う記載もみられるが、同時に「退職勧告問題」との記載もみられるところであり、前記認定の原告の勤務態度に照らして債務不履行を構成するほどの具体的事実を認定することはできない。

3  ユニオン軽金属時代及び昭和サービスへの出向

(一) (証拠略)及び原告本人の供述によれば、ユニオン軽金属への出向に先立つ平成二年一月八日ころ、尾堂が原告に対し、原告が大伸金属時代に<1>ほとんど定時出勤せず、行き先も不明であった、<2>無断欠勤が多かった、<3>怠業甚だしく、勤務中、自席で株式の売買に熱中していた、<4>毎日午後になるとメンバーを集め、就業時間中なのに麻雀をしていた、<5>公金を不正着服した、<6>女性問題を起こし会社に迷惑をかけた等の悪行を重ねていたとの噂を聞いていると言ったことが認められる。

原告は、ユニオン軽金属に対する出向の不当性を基礎付けるために右事実を主張するようであるが、右出向が債務不履行を構成しないことは前記認定のとおりであるし、尾堂が原告に右のような悪行の有無を確かめたこと自体が労働契約上の債務不履行とならないことは当然である。

(二) (証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、原告がユニオン軽金属に出向して六か月程度経過したころ、原告に従来の総務的な業務ではなく、営業を命じようとして右営業のための対策会議への出席を求めたところ、原告が、被告から出向するについて営業をさせないという約束であったとの理由で「そんな会議には出席できない。」と大声でわめき、右会議への出席を拒否し、その後も業務命令を拒否したこと、右業務命令違反等の勤務態度から、被告はユニオン軽金属への出向を解き、再び原告に対して退職勧奨をしたが、被告に残りたいとの原告の希望により、平成三年二月、被告は、原告を昭和サービスに出向させたことが認められる。

原告は、被告への入社以来三〇年間にわたって営業一筋に歩んできたにもかかわらず、ユニオン軽金属においては総務課に配属されたことが債務不履行にあたる旨主張するようであるが、原被告間の労働契約において原告の業務内容を営業に限定する合意があったことを窺わせる事情がみられない以上、被告が原告に対していかなる内容の業務を命じるかは被告に裁量があるから、原告の右主張には理由がない。また、ユニオン軽金属における原告の担当業務の総務から営業への変更命令に対し、原告が従わなかったのは、業務内容限定の合意がない以上、これを業務命令違反と評価されてもやむを得ないものである。なお、原告は、被告からユニオン軽金属に対して、原告を営業に就かせないようにとの命令が出ていたと主張するが、(証拠略)によれば、原告の業務内容として営業が全く除外されていたわけではないことが認めれ(ママ)るから、原告の右主張には理由がない。そして、昭和サービスへの出向命令も、ユニオン軽金属における原告の業務命令違反を契機になされたもので、原告に対して労働条件上及び生活上の不利益を与えるものではないことを考慮すると、これが人事権の濫用であるともいえない。

4  昭和サービス時代

原告は、昭和サービス出向後、アルミ空き缶回収業務及び箔日用品販売業務を肉体労働もしくは単純作業として、右業務に従事させられたことを人事権の濫用であり、債務不履行である旨主張するが、前述のとおり、原被告間の労働契約において原告の業務内容を特定のものに限定する合意があったことを窺わせる事情がない以上、肉体労働や単純労働の業務に従事させられたことをもって直ちに債務不履行があるとはいえない。そして、(証拠略)によれば、アルミ空き缶回収業務は昭和サービスにおける重要な業務に位置づけられており、回収作業には他の課長職の者も従事していたことが認められるから、原告をアルミ空き缶回収業務に従事させたことが、著しく相当性を欠くものとも断定できない。なお、原告は、被告は、原告に腰痛の持病があることを知悉しながら、嫌がらせのためにアルミ空き缶回収業務という肉体労働に従事させたと主張するが、かかる事実を認めるに足りる証拠はない。

5  結論

以上によれば、被告による一連の出向等の人事異動は、原告に労働条件及び生活上の不利益を与えるものではないし、昭和六三年からの大阪支店長付主査時代以降の原告の勤務態度等に照らして、被告が新たな職場で原告に再起を期させるという業務上の必要性から比較的短期間の間に出向先や担当業務を変更したことも直ちに不合理とは断定できないから、右人事異動が人事権を濫用するものとして労働契約上の債務不履行にあたるということはできない(なお、本件解雇も解雇権の濫用ではなく、債務不履行にあたらないことは後述のとおりである。)。

二  争点2(解雇権の濫用の有無)

1  平成六年三月から同年五月まで

(一) (証拠・人証略)によれば、原告は、昭和サービスに出向してから三年以上も経過した平成六年三月の時点でなお、被告から辞令書が交付されておらず、社告にも異動が掲載されなかったという些細な点に拘泥して業務命令に従わなかったこと、原告が平成六年三月から同年五月にかけて石川らに差し出した書面の内容は、不当人事に対する抗議や接待先のリストの提示要求であり、その書面には、「不本意ながらお手向い致します」、「度重なる会社組織ぐるみの私に対する不当、且つ違法的、計画犯的な人事行為は無効」(以上<証拠略>資料4)、「社長より、頼もしい業務命令」、「命令のみでは成果は上がりませんよ」、「ご注意を喚起させていただきたい」、「業務命令を出されることは越権的不当行為」(以上同資料5)、「男らしくハッキリ申されたい」、「貴殿に対する信頼は崩壊した。完全に裏切られた」、「人事権は社長にはなく、その下司の者にあるのか」、「ご不満なら、出るところへ出て決着をつけましょう」(以上同資料6の1)等と記載されていたことが認められる。

原告は、平成六年三月、再び被告から担当業務の変更を命じられることとなったので、この機会にそれまで受けてきた不当な処遇から解放されたいとの願いに駆られて多くの書面を書いたのであるし、何の理由もなく業務命令に従わなかったのではなく、業務に対する意欲を持ったが故に、就労条件及び就労環境の整備(自己の所属及び指揮命令系統の明確化)を求めざるを得ず、それが果たされるまでは業務の変更に応じられないと返答したまでである、被告による箔日用品販売からの担当業務の変更は、原告を退職に追い込むために新たに過大な義務を原告に課したものであると主張する。しかし、それまでの原告に対する人事異動が不当なものであったとはいえないことは前記認定のとおりであるし、三年以上も勤務している昭和サービスへの出向辞令書が交付されておらず、社告に異動が掲載されなかったことや、接待先のリストの提示をされなかったことが、昭和サービスからの業務命令を拒否する正当な理由たり得ないことは明らかである。また、右書面の文面は上司に対する書面に相応しくない表現が多くみられるものであり、原告の右態度は常軌を逸しているといわなければならない。そして、新たな開発営業について原告に与えられた業務内容の難易はともかく、そもそも原告は箔日用品販売業務からの転換に応じなかったのであるから、それが過大な義務であることを理由に右業務命令違反の責めを免れることはできない。

(二) (証拠略)によれば、原告は、平成六年三月から五月にかけ、職場で石川に大声で抗議したり、他の複数の従業員と口論したことが認められ、(証拠略)によれば、右期間内に有給休暇を超えて七日間欠勤しており、出勤日が少ないため新業務への取り組み及び箔日用品販売業務を停滞させていたことが認められる。

原告は、右事実を否認し、逆に石川が原告に対して罵詈雑言を浴びせかけたと主張するが、原告が右石川宛に出した書面の攻撃的な内容から判断して、原告が石川から一方的に罵詈雑言を浴びせかけられたとは考えがたい。また、右期間の出勤日数が著しく少ないことから、業務の停滞が昭和サービスによる業務妨害が原因とは認めがたい。

2  平成六年六月から同年一二月まで

(一) (証拠・人証略)によれば、平成六年六月一日に昭和サービスから原告に改めて指示された開発営業は、いずれも原告が担当をやめた後それなりの業績をあげており、原告が主張するほど困難なものではないこと、原告はそもそも業務命令を受けつつダイレクトメールの発送、MBOスターシートの提出といった何ら困難でない業務ですら実行していないことが認められる。また、原告自身が右開発営業に関して石川に提出したという「開発事業部門活動白書」(<証拠略>資料15)によっても、原告が右開発営業を担当していた当時、それが実現困難もしくは不可能であるとの認識を有していなかったことが認められる。改めて指示された開発営業は、実現が困難もしくは不可能なものであり、右業務命令は、原告を退職に追い込むための奸計であったとの原告の主張は理由がない。

(二) 原告は、平成六年六月一日の時点で被告との間で担当業務についての合意に達したのであるから、もはや担当業務の変更に関するそれまでの業務命令違反の責任を原告に問うことは出来ないと主張するが、原告が「合意」と称しているのは、昭和サービスからの業務命令に従うという従業員として当然のものにすぎず、その当然のことをするようになったからといって、それまでになしてきた業務命令違反を解雇事由にすることができなくなるものではないことは明らかであり、原告の右主張は理由がない。

3  平成七年一月から同年三月まで

(一) (証拠・人証略)によれば、被告において結果を重視する評価制度への変更があったこと、平成六年度における原告の販売成約はなく、平成六年九月ころまでに準備が整い、石川が秋のうちに発送するよう指示した市場調査用のダイレクトメールの発送すら実行せず、要求されたMBOスターシートの提出をしなかったこと、原告が、平成六年一二月の賞与の額が低かったとして、平成七年一月から三月ころまでの間、石川宛に多数の書面を発し、人事評価についての抗議や、空出張による給料補填(ママ)の要求、過去の冤罪に対する謝罪要求等を執拗に繰り返すに至ったこと、それらの書面には、「私に対して過去に冤罪までデッチ上げし」「傀儡」(<証拠略>資料12)、「横柄…権力で道理をひん曲げる…ゴリ押し…人事権の濫用…驕慢な姿勢」「無責任な答弁」(同資料13)等の記載があったことが認められる。

右事実によれば、原告に対する賞与の減額が原告を退職に追い込むための不当なものであったとはいえない。また、右書面の内容は上司を侮辱するものである。原告は、空出張の件も、石川の前任の高辻社長時代に現に行われていた空出張による給料減額分補填(ママ)処理に照らして、原告の場合はどうなのかと揶揄的に述べたにすぎないと主張するが、文面からそのような趣旨で書かれたものとみるのは困難である。

(二) (証拠・人証略)によれば、平成七年一月から同年三月の間、職場内において、原告は石川に大声を上げて談判に及んだり、執拗に抗議や要求に及び、職場秩序は極めて混乱した状態となったこと、この間、原告は業務の推進を督促されたにもかかわらず、仕事が出来ない言い訳を述べたり、「不満なら首にすればいい」と述べるのみで全く業務を遂行せず、販売実績を全く上げていないことが認められる。

原告は、石川に対して大声で苦情を述べた事実は、全く正反対であり、原告の方が石川に大声で罵られた、被告は、平成七年一、二月ころ、原告の席にある電話機を取り上げるなど、原告の業務妨害等の嫌がらせをエスカレートさせていったと主張するが、原告が一方的に大声で罵られたというのは考えにくいし、石川に執拗に抗議や要求を繰り返す原告が与えられた業務を遂行していたとは考えにくく、電話機を取り上げたことが原告に対する業務妨害になっていたということはできない。

4  平成七年三月三〇日から本件解雇まで

(証拠・人証略)によれば、平成七年三月三〇日、石川が、原告に対し口頭で退職勧奨を行い、さらに、同年四月二五日、土田が、原告に対し、管理職不適格の理由による退職勧奨を行ったこと、原告は、成(ママ)七年四月五日付の内容証明郵便を石川社長の自宅宛にまで送付したこと、そのころから、原告から石川社長宛に退職勧奨の理由や減給の説明要求「諸事項確認及び究明の件」(<証拠略>資料15)、管理者安全教育の受講拒否(同資料20)、退職条件の明示要求(同資料21、22、23)、過去の冤罪問題など紛争事実に対する最終決着要求(同資料27)等の書面が多数送付され、被告の役員宛にも、「退職条件を書面で示せ」(<証拠略>資料3)、「退職勧告を拒否する」(同資料4)、「管理職不適任の理由を示せ」(同資料5)、「過去の冤罪を負わせた不当な人事に対する責任をとれ」(同資料7、8)等の記載のある内容証明郵便による書面が多数送付されたこと、右書面には、上司や役員に対して、「相当の補償は覚悟の上と存ずる」「傀儡」(<証拠略>資料15)、「この恥知らずな無責任な姿勢」(同資料19)、「こんな卑怯かつ卑劣な人格の持主なのか」(資料22)、「佞臣達の讒言」「責任は免れ得ないものと肝に銘じておかれるが良い」(<証拠略>資料3)、「土田なる人物」(同資料4)、「貴殿もそうだが嘘をつく人物は信用が出来ない」(同資料7)等といった記載があること、職場内でも原告が興奮して石川社長に詰め寄ることがあったこと、この間の原告の業務遂行状況は、外出が多く、その報告もなく、引き合い打診のあった分も断るなど、昭和サービスの業務妨害となっていたこと、被告は、平成七年一一月七日、原告に対して書面で退職条件を示したが、翌日、原告はその受け取りを拒否し、右書面を返却するとともに、「一方的な冤罪のでっち上げ、度重なる不当人事に対する真相究明、謝罪、名誉回復、損害賠償等々を加味した文書である事」を要求し、それまで折衝してきた被告担当者である土田からのアプローチを一切拒否するとの内容証明郵便(<証拠略>資料8)を送付してきたことが認められる。

原告は、退職勧奨後の言動を解雇事由とすることは信義則上許されないと主張するが、勧奨後の原告の言動を解雇事由にできない理由はない。また、原告は、被告から退職勧奨を受けていた間も、一貫して誠実に業務を遂行していたと主張するが、前記認定の原告と昭和サービス及び被告との関係の悪化等の状況や従前の原告の行動に鑑み、そのような事実は認められない。

5  以上によれば、原告は、昭和サービスに出向中、仕事に対する意欲がみられず、特に平成六年三月以降は、石川が与えた業務指示に対し、種々難癖を付けてこれに従わないばかりか、過去の不当人事に対する謝罪要求に異常なまでに執着し、これが行われない限り業務を放棄する旨を宣言する書面を石川に送付するなどし、同年六月以降は、一時的に業務指示に従って一応の仕事をしたものの、平成七年一月ころからは、冬季賞与の査定が低かったことをきっかけとして、再び常軌を逸した要求や上司を侮辱するような内容を記載した書面を石川や被告関係者に頻繁に送付するようになり、出勤しても石川としばしば右要求をめぐって激しく口論などするに至り、他方、職務に対する意欲は全くみられず、かえって引き合いを断るなど昭和サービスの業務を妨害するかの如き投げやりな態度に出るようになったのであって、これら原告の勤務態度及び言動は、原告がそれまで意に反するような人事異動を繰返(ママ)し受けていたという事情を斟酌してもなお、いささか常識の範囲を超えるもので、管理職としてはいうまでもなく、被告の従業員としても適格性を欠くものと評価されてもやむを得ないところである。

したがって、これら原告の態度を理由としてされた本件解雇は、著しく不合理で社会通念上相当なものとして是認することができないとはいえず、解雇権を濫用するものではないというべきである。

第四結論

よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 谷口安史 裁判官 和田健)

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