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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)11623号 判決 1999年10月08日

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金三七八万六〇九六円及びこれに対する平成九年一二月三日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、フランチャイズ形式によってクリーニング事業を営む原告が、原告と同種のクリーニング事業を営む被告に対し、かつて原告の幹部従業員であった濱﨑正幸(以下「濱﨑」という。)、谷美津博(以下「谷」という。)及び瀬戸田克弘(以下「瀬戸田」という。)ら(以下三名あわせて「濱﨑ら」ともいう。)が、相次いで原告を退職した後、被告を設立して営業を開始するにあたり、原告の取次店を債務不履行を惹起させることを知りながら引き抜いて被告の取次店とした行為が不法行為にあたると主張して、右不法行為による逸失利益とそれに対する遅延損害金を請求し、これに対して、被告が、原告から被告のもとに移った取次店は、それぞれ自己の意思に基づいて原告との契約を終了させ、その後被告と契約したものであって、被告に何ら違法な行為はないと主張して争っている事案である。

一  争いのない事実

1  当事者及び関係者

(一) 原告は、クリーニング業を目的とする株式会社であり、営業形態はフランチャイズ形式、すなわち取次店が原告の名で顧客から預かったクリーニング品を原告がクリーニングして取次店に返還し、取次店がクリーニングされたクリーニング品を原告の名で顧客に返還するという営業形態をとっている。

(二) 被告は、平成七年八月一四日に設立登記をした、「フランチャイズチェーンシステムによるクリーニング店、クリーニング取次店、コインランドリーの加盟店の募集並びに加盟店の指導育成」などを目的とする有限会社である。

(三) 被告の代表者である濱﨑は、原告の南支店副長として勤務していたが、平成七年三月二〇日に原告を退職した。

被告の従業員である瀬戸田は、原告の管理部部長として勤務していたが、同年四月二〇日をもって原告を退職した。

同じく被告の従業員である谷は、原告の中央支店支店長として勤務していたが、同年五月一〇日に原告を退職した。

2  松田サービスステーション

(一) 松田春江(以下「松田」という。)は、原告との間で、昭和六〇年一二月五日、取次業務委託契約を締結し、松田サービスステーション(以下「松田店」という。)として原告のクリーニングの取次業務を営んでいた。

(二) 右取次業務委託契約の契約書(甲四)には、左記の約定が含まれている(一五条)。

乙(松田)は、第一三条(契約期間)に定める期間内又は、契約解除等に基づく本契約終了後一年以内に於いて、甲(原告)と競合する事業者の代理店取次店等その名称の如何を問わず、その事業主の業務の受託行為を行ってはならない。

前項の場合、本契約の遂行にあたり取得した顧客、ノウハウ等を利用していると認められた時、乙は、甲に対し、過去三か月間の一か月平均売上額に一二を乗じた額を違約金として支払わなければならない。

(三) 松田は、平成八年一月二〇日、原告の取次業務を終了し、同月二一日から、「松田クリーニング」の名称で被告のクリーニング取次店としての営業を開始した。

3  桃山サービスステーション

(一) 原田清子(以下「原田」という。)は、原告との間で、昭和五六年一〇月一五日、取次営業契約を締結し、桃山サービスステーション(以下「原田店」という。)として原告のクリーニング取次業務を営んでいた。

(二) 右取次営業契約の契約書(甲五)には、左記の約定が含まれている(一四条二項前段)。

乙(原田)の都合により甲(原告)との契約期間内に廃棄した場合、取次営業終結より向こう六か月間は第三者との契約により、同地域で本契約と同種の営業を行ってはならない。

(三) 原田は、平成七年九月二〇日、原告の取次業務を終了し、同年一〇月一七日、「ファッションクリーニング」の名称で被告のクリーニング取次店としての営業を開始した。

二  争点

1  被告による不法行為の成否

(原告の主張)

被告は、濱﨑らが原告に在職していた当時から原告の取次店を横取りすることを前提に準備された会社であり、被告設立後には、原告の取次店(松田店、原田店)に対し競業禁止条項違反まで惹起せしめて勧誘し、原告の取次店との契約関係を失わせた。

右の行為は、独占禁止法で禁止されている不公正な取引方法に当たるとともに、被告の実質的な構成員である濱﨑ら三名の一連の行為が、従業員が原告と競業関係にある企業へ就職し、原告の営業を妨害した場合において、原告に損害を与え、又は与えるおそれのあるときは、退職金を減額し、又は返還させることがある旨を定めた原告の退職金規程一一条一号の趣旨に実質的に違反するものであることを考慮すると、被告による原告の取次店の引抜行為は、自由競争原理を逸脱する違法なものであって、債権侵害による不法行為を構成する。

(被告の主張)

被告は、原告の取次店(松田店、原田店)に対し、債務不履行をそそのかし、自己の取次店になるよう営業活動はしていない。松田店及び原田店は、原告のクレーム処理が拙い等の理由で、自己の意思に基づいて原告との契約を解除し、その後被告と契約したものであって、被告になんら自由競争原理を逸脱するような違法行為はない。

2  損害の有無及びその額

(原告の主張)

(一) 原告と松田との取次業務当時、その終了前三か月間の一か月平均の売上高は三八万七六五〇円(平成七年九月ないし一一月分の平均)であり、売上高に対する原告の利益(間接経費、管理費を含む。)は二五パーセントが相当であるから、原告が松田店から得るべき利益は月額九万六九一三円であるところ、被告の不法行為により原告は少なくとも一年間右利益を喪失したから、松田店についての原告の逸失利益は一一六万二九五六円となる。

(二) 原告と原田との取次業務当時、その終了前三か月間の一か月平均の売上高は八七万四三八〇円(平成七年六月ないし八月分の平均)であり、右(一)と同様に計算すると、原田店についての原告の逸失利益は二六二万三一四〇円となる。

(三) したがって、被告の不法行為により原告が被った損害は右(一)、(二)の合計三七八万六〇九六円であり、それに対する遅延損害金は商事法定利率年六分である。

(被告の主張)

全て争う。

第三  当裁判所の判断

一  前記第二、一記載の争いのない事実に証拠(甲一ないし一〇、一六の1、2、一九、乙四ないし七、一二ないし一五、一九、二一、二三、証人岡田安嘉(一部)、証人松田春江(一部)、証人谷美津博(一部)、被告代表者(一部))及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  当事者及び関係者

(一) 原告は、クリーニング業を目的とする株式会社であり、大阪府八尾市に本部を置き、近畿一円に五〇〇店あまりの取次店を有して営業を展開している。

原告の営業形態はフランチャイズ形式、すなわち、原告の名でクリーニングを顧客と取次ぐ取次店を募集・開拓し、開業資金を貸与するなどして開業を手助けし、経営指導や研修(開業時研修、定期研修、臨時研修等)を行い、その取次店が原告の名で顧客から預かったクリーニング品を原告がクリーニングして取次店に返還し、取次店がクリーニングされたクリーニング品を原告の名で直接顧客に返還するというものである。

原告には、就業規則の他に「退職金規程」(甲六)があり、その一一条には、「(退職金の返還)」と題して、「従業員が退職後六か月以内に次の各号に該当し、会社に損害を与え、または与えるおそれのある場合は、退職金を減額し、支払済の退職金を返還させることがある。」「1・当社と競業関係にある企業へ就職し、当社の営業を妨害したとき」との記載がある。もっとも、この規程は、職場に掲げるなどして従業員に周知徹底されているものではなく、事業所ごとに一部ずつ配布されているにすぎない。

(二) 被告は、平成七年八月一四日に設立登記されたクリーニング業等を目的とする有限会社であって、大阪府羽曳野市に本店を置き、大阪府及びその近辺に一四店の直営店、取次店を有しており、原告と競業関係にある。

被告は、濱﨑を唯一の取締役として設立されているが、実質的には濱﨑、瀬戸田、谷の三名による共同事業である。

(三) 濱﨑は、平成六年当時、原告の南支店副長であり、原告の羽曳野工場の責任者的な立場にあったが、原告の事業所の統合により平成六年一二月に羽曳野工場が閉鎖となったため、平成七年一月から三月までは原告の関空支店開店準備要員の課長職として勤務し、同月二〇日をもって原告を退職した。

現在、濱﨑は被告の代表者の地位にある。

(四) 瀬戸田は、平成六年当時、原告の管理部部長であったが、平成七年四月二〇日をもって原告を退職した。

(五) 谷は、平成六年当時、原告の中央支店支店長であったが、女性問題の噂が立ち、原告の会長から叱責されたことをきっかけとして、平成七年五月一〇日をもって原告を退職した。

2  被告設立の経緯等

(一)(1) 遅くとも平成七年四月ころには、濱﨑、瀬戸田、谷の三名が話し合い、三名が中心となってフランチャイズ形式又はそれに近い形でのクリーニング事業を営む会社を設立し、濱﨑が生産管理(クリーニングの洗い、仕上げ等)、瀬戸田が管理(経理関係等)、谷が営業(取次店の開発等)を主として受け持つことを決めた。

(2) そして、同年六月ころから、濱﨑らは被告を設立して営業を開始する準備を始め、同月末ころ、濱﨑らは、濱﨑がかつて原告で担当していた羽曳野工場の建物を住居兼工場(一階が被告のクリーニング工場、二階が濱﨑の住居)として賃借した。

(3) 同年八月一四日、被告は資本金三〇〇万円で設立登記された。

(4) 同年九月ころ、谷は、直営店二店(高見ノ里店、布忍店)を開発し、他にも取次店の開発を続け、さらに原告の取次店数店にも原告よりも好条件を提示するなどして被告の取次店になるよう勧誘を行った。

その後、松田店、原田店が原告の取次店をやめて被告の取次店となり、その後、原告の取次店であった西山サービスショップ、田中サービスショップ、あサービスショップ、竜田サービスショップも被告の取次店となった。

(二)(1) もっとも、被告は、当初は濱﨑個人のクリーニング店をする話であり、瀬戸田と谷は濱﨑を援助していただけで、右両名は平成八年四月になってから被告に入社したものであると主張し、右主張に沿う証拠(乙二一、証人谷美津博、被告代表者)もあるが、濱﨑がクリーニング業を始めるため平成七年六月に賃借した羽曳野の建物は、以前には原告のクリーニング工場として使用されていた建物であって、そのころには取次店八〇店舗分のクリーニングを処理していたのであり、一部濱﨑の住居として使用するにしても、工場に付設する個人のクリーニング店の作業場としてはあまりに広すぎるものであること、谷と瀬戸田は、遅くとも平成七年六月ころから、被告のために直営店や取次店の開発、クリーニング品の集配などをして稼働していることは明らかであり、その稼働状況に照らすと、自ら就職活動をするかたわら濱﨑の手助けをするにとどまっていたものとは到底考えられないことからして、この点に関する右各証拠は採用することができず、結局、当初から、フランチャイズ形式又はそれに近い形のクリーニング会社を三名で設立・運営する計画であったものと認めざるを得ない。

さらに、被告は、原告の取次店であったものが被告の取次店となったのは、原告の取次店の中で原告に対する不満が高まり、他方で被告のよい噂が広まったため、原告の取次店の方から被告の取次店になりたいと言ってきたものであって、濱﨑らが積極的に勧誘活動を行った結果によるものではないと主張し、証人谷美津博、同松田春江も同趣旨の供述をしている。しかし、証人松田春江は、友人から被告の噂を聞いたと供述するものの、具体的な点は曖昧である上、原告との間の別件訴訟で敗訴しているなど必ずしも中立的な立場の証人とはいえないし、証人谷美津博も、平成八年春ころに原告の取次店であるエサービスショップに行ったことは認めながら、そこに行った理由については開業祝いのお礼であるなどと不自然な供述をしていること、仮に原告に対する不満があるにしても、長年にわたって原告の取次店として営業活動に従事してきた者が、単に被告に関するいい噂を聞いたというだけの理由で、原告の取次店をやめて被告の取次店になることを簡単に決意するというのは容易に首肯し難いこと、被告としては賃借した工場の操業率を上げることが当時火急の課題とされていたものと考えられ、しかも、取次店の開発は、原告の従業員であったころからその方面に長けていた谷が主に担当しており、被告設立直後の信用も何もない時期に、短期間に原告の取次店から移籍した店舗を含め、取次店を数多く開発していること等も考え併せると、証人松田春江及び同谷の右各供述はたやすく信用することができず、谷は、前記(一)(4)で認定のとおり、原告の取次店に対し、原告よりもよい条件を提示する方法で勧誘行為を行っていたものと認めるのが相当である。

(2) 他方、原告は、①谷が、平成七年六月ころ、岡田安嘉(以下「岡田」という。)に何度か電話をして、新会社の資金調達の相談や原告の取次店の引き抜き、被告への転職の誘いなどの話をした、②同月ころ、谷は、田中俊隆(以下「田中」という。)に対し、居酒屋で新会社についての打ち明け話をしたと主張し、これに沿う証拠として、①については岡田の当法廷における供述及び陳述書(甲一八)が、②については田中の陳述書(甲一一)が存在する。しかし、①については、原告の従前の主張(訴状等)には谷が岡田にこのような話をしたという主張はなく、本件の証拠調の直前になってはじめて同人の陳述書が提出されていること、しかも、岡田は、本件訴訟を担当している総務課に在籍する原告の従業員であって、岡田のこの点に関する供述は陳述書に記載されている内容と大差ないことに照らすと、岡田の右供述及び陳述書の記載はたやすく信用することができず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。また、②については、田中の陳述書は同人が原告に在籍していたころに作成されたものであること、田中は、現在原告を退職しているところ、当法廷に証人として出頭しながら、証言を拒む同人の行動態度に照らすと、田中の陳述書の記載もたやすく信用することができず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

3  松田店に関する経緯

(一) 松田は、昭和六〇年九月ころ、住宅を購入して入居したが、前所有者が原告の取次店をしていた関係で、以後その取次店の業務を引き継いでいた。そして、同年一二月五日、原告との間で正式に取次業務委託契約を締結し、契約書(甲四、以下「松田契約書」という。)を作成した。

松田契約書の一五条には、「業務の中止・禁止」と題して「乙(松田)は、第一三条に定める期間内又は、契約解除等に基づき本契約終了後一年以内に於いて、甲(原告)と競合する事業者の代理店取次店等その名称の如何を問わず、その事業主の業務の受託行為を行ってはならない。前項の場合、本契約の遂行にあたり取得した顧客、ノウハウ等を利用していると認められた時、乙は甲に対し、過去三か月間の一か月平均売上額に一二を乗じた額を違約金として支払わなければならない。」と定められていた。

(二) 平成六年七月二日、長谷川が松田店にコートをクリーニングに出したところ、コート下のライナーが原告から戻ってこなかったことから、松田は再三原告の担当者に調査を依頼するなどしていたが、原告は工場の統廃合や担当者の変更もあって、二年以上この問題を解決できなかった。

また、平成七年八月五日、明石が松田店に毛布を二枚クリーニングに出したところ、原告から一枚しか毛布が戻ってこず、原告はその年の一二月になってもこの問題を解決できなかった。

(三) 平成七年七月、松田は、原告の研修会に参加した際、月二回の集金を毎日集金する方式に変更するという原告の方針に反対したところ、原告から、他の取次店ではできるのに松田店だけできないわけがないと言われ、その後、松田は、原告から、同年八月にもらえるはずの報償金をもらうことができなかった。

(四) 松田は、右(二)、(三)記載の事情などから原告に対する不信感を強めていたところ、遅くとも平成七年一一月ころ、谷の勧誘を受け、平成六年一二月まで松田店を長年担当していた濱﨑が原告を退職して被告を設立したということを聞き、濱﨑とは長年のつきあいで良い印象を持っていたことや、原告の取次店の手数料は二五パーセントであるのに対し、被告の取次店の手数料は三〇パーセントであることもあって、原告の取次店をやめて被告の取次店になることを決意した。

そのころ、谷は、松田に対し、契約書があるか否か、競業禁止期間はどれだけの期間とされているのかを確認したところ、松田は、当時、松田契約書の存在を忘れていたため、谷に対し、原告との契約書はないと述べた。そこで、谷は、原告の取次店の中にはそのような取次店もあるのかもしれないと思う一方、松田に対し、被告の取次店になる前提として、原告との間できちっと話を付けておく必要があると述べた。

(五) 松田は、平成七年一二月、松田契約書を見つけ、原告の事務所を訪ねて、当時松田店を担当していた中央支店支店長の田中に対し、原告の取次店をやめて被告の取次店になると告げた。さらに、松田は、松田契約書を田中に返還しようとしたところ、田中から、松田契約書は松田において所持しておくよう言われたので、結局、それを持ち帰ったが、松田は、松田契約書に記載されている競業避止義務についてよく理解していなかった。

(六) 松田は、平成七年末で原告の取次店をやめるつもりであったが、田中の懇請により、平成八年一月二〇日まで原告の取次店業務を継続した。

そのころ、松田は、谷に対し、松田契約書があったことを告げたところ、谷は、松田に対し、原告と裁判になるかもしれないと言った。

(七) その後、松田は、平成八年一月二一日から被告の取次店の業務を開始したが、原告を債権者とする仮処分により、平成八年四月ころから一年間被告の取次店として営業することができなくなった。

さらに、原告は、松田に対し、競業避止義務違反に基づく損害賠償請求の訴えを提起し、大阪高等裁判所は、松田に対し金一三二万九〇九六円及びそれに対する遅延損害金の支払を命ずる判決を言い渡した(同裁判所平成九年(ネ)第二四〇二号事件)。

4  原田店に関する経緯

(一) 原田は、昭和五六年一〇月一五日、原告との間で取次業務委託契約を締結し、契約書(甲五、以下「原田契約書」という。)を作成した。

原田契約書の一四条には、「営業中止」と題して「2・乙(原田)の都合により甲(原告)との契約期間内に廃棄した場合、取次営業終結より向こう六か月間は第三者との契約により、同地域で本契約と同種の営業を行ってはならない。」と定められていた。

(二) 顧客からのクレームについて

(1) 平成七年四月二七日、上田が原田店にカーディガンをクリーニングに出したところ、洗った後にカーディガンが縮んでいたため、原告は、製造元から採寸表を取り寄せ、採寸表どおりに寸法直しをして、同年九月ころ右カーディガンを上田に引き渡した。

(2) 同年四月二〇日、公平が原田店にスキーズボンをクリーニングに出したところ、原告がそれを紛失してしまったため、原告は、公平にスキーズボンを購入してもらい、同年一二月二二日、その代金三万三〇〇〇円を支払う方法で弁償した。

(3) 同年五月三〇日、王蔵が原田店にスポーツカッターをクリーニングに出したところ、原告が洗濯のミスでスポーツカッターを縮ませてしまったため、原告は、同年六月二七日、王蔵に対し、弁償金として一万三〇〇〇円を支払った。

(三) 原田は、遅くとも平成七年七月ころ、谷の勧誘を受け、右(二)記載のような原告のクレーム処理に不満を持っていたことに加え、原告の取次店の手数料は二五パーセントであるのに対し、被告の取次店の手数料は三〇パーセントであることから、原告の取次店をやめて被告の取次店になることを決意した。

しかし、原田としては、原田契約書の競業避止期間である六か月間、店を閉めることはできないし、閉めたくないと考え、その旨谷に相談したところ、谷は、弁護士を電話帳で探し、平成七年八月末ころ、まず濱﨑、瀬戸田とともに三人で被告訴訟代理人である豊島達哉弁護士(以下「豊島弁護士」という。)のもとに相談に行き、対処法を検討した。さらに、原田が豊島弁護士に直接相談した上、平成七年九月五日ころ、原田は、顧客のクレームのなかでも原告の対応が悪い右(二)(1)ないし(3)記載のクレームを列挙し、それを根拠に原告との契約を平成七年九月二〇日限りで解除する旨の意思表示をした。

(四) その後、原田は、平成七年一〇月一七日から被告の取次店として営業を開始した。これに対し、原告は、原田店が被告の取次店として開店した約一〇日後、原田店のすぐ近くに、ノムラクリーニングすずらん店(以下「すずらん店」という。)を開設した。

その後、原告は、原田に対し、競業避止義務違反に基づく損害賠償請求の訴えを提起し、原田は正当な解除であると主張してこれを争ったが、大阪高等裁判所は、原田に対し金一四四万円及びそれに対する遅延損害金の支払を命ずる判決を言い渡した(同裁判所平成一一年(ネ)第九〇、九一号事件)。

二  争点1(被告による不法行為の成否)について

1  本件のように、フランチャイズ形式によってクリーニング事業を営む会社が、競業関係にある会社の取次店を引き抜く行為は、右競業関係にある会社が取次店との間の取次契約上有する利益を侵害する性質を有するものであるが、他方において、右引抜行為を行う会社及び取次店を営む個人の営業的活動の自由の保障(憲法二二条一項)あるいは自由競争秩序の維持の要請もあるため、右引抜行為が違法と認められるか否かの判断に当たっては、これらの事情をいかに調整するかという問題が生ずる。確かに、クリーニングの取次店の引抜行為は、会社の従業員の引抜行為(いわゆるヘッドハンティングなど)とは異なり、事実上その取次店の顧客ごと引き抜く結果になることが多分にあり、その取次店の周辺に同業店がない場合、特にそのような傾向があること、全く経験のない者にクリーニングの取次店を始めてもらうには、クリーニングの知識、金銭等の援助が必要であるが、営業成績のいい取次店を引き抜いてしまえば、引き抜いた側としては、それだけでそれほど手間や費用をかけずにある程度の利益が見込めることになり、反面、引き抜かれる側の会社はその利益を失うことになるので、引き抜かれる側の会社の利益の保護を軽視することは当然のことながら許されない。しかしながら、引き抜かれる側の企業としても、取次店との意思疎通を密にしていれば、いきなり引き抜かれるような事態もある程度は回避できる上、取次店と競業避止義務を合意しておくことにより損害の発生を未然に防止することも可能であること、そもそも、取次店を営む個人にしても、より条件のよい会社に移りたいと希望することはごく自然な感情であり、前述の営業的活動の自由は憲法上の権利として取次店を営む個人に対しても最大限に保障されなければならないことからすれば、取次店により有利な条件を提示するなど社会通念上容認される態様、手段によって同業他社のクリーニング取次店を獲得する行為は、道義的にはともかく、法的には原則として違法でないというべきである。すなわち、大量かつ一斉に取次店を引き抜くとか、会社の信用等について虚偽の情報を流布して勧誘するなど、引抜行為が公序良俗に違反し、自由競争原理を逸脱するような悪質な態様・手段による場合に限り、はじめて取次契約上の利益を違法に侵害するものとして不法行為を構成するものというべきである。

また、右転職(引き抜き)の勧誘が引き抜かれる側の会社の元従業員によるものであったとしても、元従業員がその会社を退職した以上は、その時点から会社との雇用関係は存在しないのであるから、特段の合意があるか、又はその勧誘(引き抜き)の態様が、在職中の上下関係、情報等を悪用したような悪質なものでない限り、右引抜行為は、原則として違法ではないというべきである。

2  そこで、以上の見地に立って、本件について検討を加えることとする。

(一) まず、前記一で認定したところによれば、被告が濱﨑ら三命による事業であって、原告在職中から計画的になされたものであり、原告の取次店を取り込むことも計画されていたことが窺われなくもないが、少なくとも濱﨑らが原告在職中に引き抜きのための活動をしていた事実は証拠上認められない上、現在の被告の一四店舗のうちかつて原告の取次店であったのは六店にすぎないところ、原告は近畿一円に五〇〇あまりの取次店を有し、被告が引き抜いたのはそのうち一パーセント程度にすぎず、引抜きによって原告が侵害された利益の程度もそれほど重大ではないこと、引抜行為も大量かつ一斉というわけではなく、虚偽の情報を流布するなど社会通念上不相当な方法を用いたと認めるに足りる証拠もない。、

(二) そして、松田店についてみると、前記一3で認定のとおり、谷は、松田に対して、遅くとも平成七年一一月ころ、原告が松田に支払っていた二五パーセントの手数料を上回る三〇パーセントの手数料を被告が支払うといった条件を示して勧誘し、松田は、これを受けて原告の取次店をやめて被告の取次店となることを決意したこと、松田は、原告との契約上、競業避止義務を負っていたが、被告の取次店となったことでこの義務に違反したことが認められる。

しかし、谷は、松田を勧誘する際、手数料を三〇パーセントとするといった条件を提示したところ、松田が、原告に対して少なからず不満を抱いていた上、濱﨑に対してよい印象を持っていたことも相まって、被告への移籍を決断したものであって、在職中の上下関係や情報等を悪用したと認めるに足りる証拠はないこと、松田が競業避止義務に違反したことについても、そもそも松田と原告との問題である上、松田が原告との契約書はないと当初思いこんでおり、濱﨑らは松田が競業避止義務に違反するとは思っていなかったと推認される。

(三) また、原田店についてみると、前記一4で認定のとおり、谷は、原田に対して、遅くとも平成七年七月ころ、松田の場合と同様に手数料を三〇パーセントとするといった条件を示して勧誘し、原田は、これを受けて原告の取次店をやめて被告の取次店となることを決意したこと、原田は、原告との契約上、競業避止義務を負っていたが、被告の取次店となったことでこの義務に違反したことが認められる。

しかし、谷は、松田の時と同じく、原田を勧誘する際には手数料を三〇パーセントとするといった条件を提示したところ、原田が、原告に対して少なからず不満を抱いていたことも相まって、被告への移籍を決断したものであり、在職中の上下関係や情報等を悪用したと認めるに足りる証拠はない。また、原田が競業避止義務に違反したことについても、そもそも原田と原告との問題であって、被告には直接関係がないことであるし、最終的には原田自身が豊島弁護士と相談の上解除の意思表示を行ったものであって、被告が原田の競業避止義務違反をあえて惹起したということはできない。

(四) なお、原告は、濱﨑らによる取次店の引抜行為が原告の退職金規程一一条に実質的に違反することから、被告の取次店の引抜行為が自由競争原理を逸脱する違法なものであることが基礎づけられると主張するが、前記一で認定のとおり、退職金規程は各事業所に一部ずつ配布されているにすぎず、従業員のほとんどはその具体的な内容を知らないと考えられる(証人岡田安嘉も、退職金規程の内容について間違った証言をしている。)上、そもそもこの規程は原告とその従業員であった者個人との間の退職金の支給、返還に関する規定であって、被告による不法行為の成否とは直接関係がないというべきである。

(五) 以上(一)ないし(四)で述べたところを総合勘案すると、被告の本件引抜行為は、その動機・態様及び原告が受けた侵害利益の程度において、未だ公序良俗に違反する自由競争原理を逸脱した違法行為であるとは認め難いというべきである。

3  よって、被告の引抜行為は、自由競争原理を逸脱するものとはいえないから、不法行為を構成しない。

したがって、その余の点(損害の存否及びその額)を判断するまでもなく、原告の主張は理由がない。

三  以上により、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用については民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

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