大阪地方裁判所 平成9年(ワ)11791号 判決 1998年12月18日
原告(反訴被告、以下「原告」という。)
山本富美代
(ほか六名)
右原告ら訴訟代理人弁護士
大深忠延
同
斎藤英樹
被告(反訴原告、以下「被告」という。)
伊藤博子
右訴訟代理人弁護士
大錦義昭
主文
一 被告は、原告山本富美代に対し一三三万三三二〇円、原告大久保博康に対し一一三万三三二〇円、原告佛圓俊治に対し一一三万三三二〇円、原告和田久代に対し一〇〇万円、原告西田かよ子に対し八〇万円、原告峰友康世に対し三二万六六六二円、原告倉良枝に対し一七万円及びこれらに対するいずれも平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求及び被告の反訴請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じこれを六分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
(本訴)
被告は、原告山本富美代に対し二〇三万三三二〇円、原告大久保博康に対し一八三万三三二〇円、原告佛圓俊治に対し一七六万六六六〇円、原告和田久代に対し一六三万三三二〇円、原告西田かよ子に対し一〇九万三三二八円、原告峰友康世に対し四三万一六六二円、原告倉良枝に対し三三万八〇〇〇円及びこれらに対するいずれも平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(反訴)
被告に対し、原告山本富美代は二〇三万三三二〇円、原告大久保博康及び原告峰友康世は各自二二六万四九八二円、原告佛圓俊治は一七六万六六六〇円、原告和田久代は一六三万三三二〇円、原告西田かよ子は一〇九万三三二八円、原告倉良枝は三三万八〇〇〇円及びこれらに対するいずれも平成一〇年四月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告の被相続人である久保博信税理士(以下「久保税理士」という。)が経営していた税理士事務所(以下「久保税理士事務所」という。)の従業員であった原告らが、久保税理士の死亡によって雇用契約が終了したとして、被告に対し、退職金の支払を求めた(本訴)のに対し、被告が、原告らは、久保税理士死亡後その業務を放棄し、また、関与先を奪うなどの不法行為を行った等と主張して、退職金の支払義務を争うとともに、原告らに対し、不法行為に基づく損害賠償請求をした(反訴)事案である。
一 前提となる事実(争いのない事実並びに<証拠略>及び弁論の全趣旨により明らかに認められる事実)
1 原告山本富美代(以下「原告山本」という。)は、昭和三四年四月一日から、原告大久保博康(以下「原告大久保」という。)は、昭和四四年三月五日から、原告佛圓俊治(以下「原告佛圓」という。)は、昭和五五年七月二一日から、原告和田久代(以下「原告和田」という。)は、昭和四七年八月一日から、原告西田かよ子(以下「原告西田」という。)は、昭和六三年四月八日から、原告峰友康世(以下「原告峰友」という。)は、平成四年九月一日から、原告倉良枝(以下「原告倉」という。)は、平成六年八月二二日から、久保税理士と雇用契約を締結して久保税理士事務所に従業員として勤務してきた者である(ただし、久保税理士が税理士事務所を単独で経営するようになったのは、昭和六〇年九月一日からである。)。
2 久保税理士は、平成九年六月八日死亡し、原告らと久保税理士との間の雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)は終了した。ただし、原告らは、同年七月末日までは事実上残務処理等を行い、被告は、原告らに対し、同日までの給与を支払った。
被告は、久保税理士の唯一の相続人である。
3 久保税理士事務所には退職金支給規定(以下「本件退職金支給規定」という。)があり、次のとおり規定されている。
(一) 従業員が退職又は死亡したときは、この規定により退職金を支給する(第1項)。
(二) 次の各号の一により退職した者については、退職時の基本給の三分の一(一円未満切り捨て)に別に定めた勤続年数に応じた支給率を乗じた額を支給する(第2項)。
A 定年退職
B 死亡
C 負傷・疾病・老衰のため労務に耐えられないと認めたとき
D その他前各号に準じやむを得ないと認めたとき
(三) 事務所の都合により解雇する場合の退職金は(二)に定める額に同じ。ただし勤続一年未満の者にはこの規定によらない(第3項)。
(四) (二)、(三)に定める以外の事由により退職した者に対しては、勤続一年以上の者に限り、(二)に定める退職金に次の割合(略)を乗じて計算した金額を支給する。
ただし、就業規則第二九条の第四号から第八号までに該当するときは支給しない(第4項)。
(五) 退職金は退職の日より三か月以内に本人に支払う(第7項)。
4 久保税理士事務所の就業規則第二九条(解雇事由について定めた条項)の第四号から第八号までには、次のとおり規定されている。
(第四号)
無届欠勤七日以上に及ぶとき、又は無届欠勤屡々なるとき
(第五号)
上長の命に服従せず、又は所内の秩序を乱したとき
(第六号)
採用時の本人の申立て或いは履歴書等に偽りあるとき
(第七号)
雇用契約に違反したとき
(第八号)
関与先に関し不誠実な行為があったとき
二 本訴に関する当事者の主張
1 原告ら
(一) 久保税理士の死亡と同時に原告らと久保税理士との間の雇用契約は終了し、本件退職金支給規定に基づき、原告らに退職金請求権が発生し、その退職金支払債務を久保税理士の相続人である被告が相続した。
(二) 本件退職金支給規定に原告らの基本給(物価手当を含む。)及び勤続年数を当てはめ、退職金の額を算定すると、別表(一)のとおりである。なお、物価手当は、名目上基本給とは別個に支給されているが、現実には、定期昇給は物価手当を毎年五〇〇〇円ずつ増額する形で行われており、これが基本給の補充であったことは明らかである。したがって、基本給と物価手当を合算したものが退職金支給規定における基本給に該当すると解すべきである。
よって、原告らは、別表(一)「支給金額」欄記載の各金員の支払を求める。
(三) 被告は、原告らに退職金不支給事由があると主張するが、原告らの行為には何らの背信性も存在しない。
原告らは、久保税理士の死亡により、税理士業務が行えなくなったため、その対価である顧問料等の振込を停止し、あるいは受け取ってしまったものを返還したに過ぎない。また、原告らがコンピュータのリース契約の承継手続を取ろうとしたり、被告に無断で関与先のデータを持ち出したりしたことはない。関与先の一部は、丸尾真一税理士事務所(以下「丸尾税理士事務所」という。)との間で顧問契約を締結しているが、これは、関与先が、原告ら個人との信頼関係を基礎に、自らの意思で、原告らが所属する丸尾税理士事務所と顧問契約を締結したものである。
2 被告
(一) 労働契約上の地位は一身専属的なものであり、相続の対象にならないところ、本件では、久保税理士の死亡により、原告らと久保税理士との雇用契約は終了し、被告に相続されることはなかったのであるから、原告らに本件退職金支給規定を適用する余地はない。
(二) 仮に原告らに本件退職金支給規定が適用又は準用されるとしても、原告らは、久保税理士事務所の従業員であった石川郁男及び藤田久文とともに、久保税理士死亡後次のような著しい背信行為を行ったのであり、これらは、就業規則第二九条第四号ないし第八号に該当するので、被告は、退職金支給規定第4項但書に基づき、原告らに対し、退職金を支給しない。
また、そのように解することができないとしても、原告らが退職金を請求することは、権利の濫用である。
(1) 久保税理士事務所の関与先の顧問料、記帳料、決算料等(以下「顧問料等」という。)につき、一一三八万六九〇五円の未収金を発生させた。
また、同事務所の関与先二八件について、別紙振込停止一覧表<略>記載のとおり、被告に無断で顧問料等について振込停止措置をとり、あるいは、これらを受け取りながら各関与先に返還した。
(2) 久保税理士事務所内に設置してあったコンピュータ(ニホンデンキオフコンEC二五〇―21式)及び財務会計ソフトウェア一式並びにNECN五二〇〇システム装置一式につき、被告に無断でリース契約の承継手続を取ろうとした。
(3) 反訴における被告の主張のとおり、久保税理士事務所の顧問料の約九割を占める一三八件の関与先を奪い、丸尾税理士事務所と顧問契約を締結させた。
(4) 原告らは、被告から提出を求められていた関与先名簿を、平成九年八月一日になってやっと提出した。
三 反訴に関する当事者の主張
1 被告
(一) 原告らは、久保税理士事務所を退職するに際し、従前原告らにおいて担当していた別紙関与先一覧表<略>記載の関与先のデータ一切を被告に無断で持ち出し、右関与先をして丸尾税理士事務所と顧問契約を締結させた。その結果、被告は、右関与先から得ることのできた顧問料等相当額の損害を被った。その額は、別紙関与先一覧表の「顧問料、記帳料、決算料」欄記載のとおりである(いずれも平成八年度実績)。
右行為は、被告が顧問契約上の債権債務を相続した関与先を奪い取る行為であって、被告に対する不法行為を構成する。
(二) よって、被告は、右損害のうち、原告らが請求する退職金額の範囲内で一部請求をする。
2 原告ら
原告らが久保税理士事務所の関与先のデータ等を無断で持ち出したことは全くない。関与先の一部が、丸尾税理士事務所と顧問契約を締結しているが、これは、前記のとおり、関与先が、原告ら個人との信頼関係を基礎に、自らの意思で、原告らが所属する丸尾税理士事務所と顧問契約を締結したものであって、原告らが何ら違法な行為をしたものではない。また、そもそも久保税理士の死亡とともに関与先との顧問契約は終了したのであるから、被告には、関与先を失ったことによる損害は発生しない。
四 争点
1 原告らが、被告に対し、本件退職金支給規定に基づく退職金請求権を取得するか。
2 原告らが、久保税理士死亡後、被告に対し、その関与先を奪うなどの不法行為を行った事実があるか。
第三争点に対する当裁判所の判断
一 争点1について
1 前記前提となる事実によれば、本件雇用契約は、久保税理士の死亡によって終了したものであるところ(本件雇用契約は、久保税理士の税理士資格を前提とした雇用契約であるから、一身専属性を有し、同税理士の死亡によって終了すると解される。)、本件退職金支給規定には、使用者の死亡によって雇用契約が終了した場合については、明示の定めがない。
しかしながら、使用者の死亡による雇用契約の終了は、もっぱら使用者側の事情によるものであって、従業員にとっての利益状況は使用者の都合による解雇と何ら変わりがないというべきであるから、かかる場合に退職金が支給されないとすることが当事者の合理的意思に合致するものとは考えられず、かかる場合にも、従業員は、本件退職金支給規定第3項による退職金請求権を取得し、これをその相続人に対し請求することができると解すべきである。したがって、原告らは、被告に対し、本件退職金支給規定第3項による退職金を請求することができる。
2 そこで、退職金の額について見るに、(証拠略)によれば、原告らの退職金の額は、別表(二)の「退職金額」欄のとおりであると認められる(なお、原告らの退職の日は平成九年六月八日とし、また、原告山本、同大久保、同佛圓及び同和田の勤続年数は、原告らの主張に従い、昭和六〇年九月一日から計算した。)。
この点につき、原告らは、物価手当も退職金計算上の基本給に含まれると主張する。しかしながら、本件退職金支給規定上、退職金算定の基礎とされるのは「基本給」であると明示されている以上、原則として文理解釈をすべきであって、これと異なる慣行の存在やかかる解釈をすることが当事者の合理的意思解釈に明らかに反する等の特段の事情がない限り、退職金は名目上の基本給のみを基礎に計算すべきである。そして、本件においては、右特段の事情は認められない。
3 これに対し、被告は、原告らが、久保税理士死亡後、顧問料等の回収を放棄し、また、関与先を奪い取るなどの背信行為を行ったとして、これが本件退職金支給規定における退職金不支給事由に該当すると主張するとともに、原告らの退職金請求が権利の濫用に当たると主張する。
しかしながら、原告らと久保税理士の雇用契約は、久保税理士の死亡によって終了し、その時点で原告らに本件退職金支給規定に定める退職金不支給事由がなかった以上、原告らの退職金請求権は確定的に発生し、右退職金支払債務を被告が相続したと解すべきであるから、その後の原告らの行為について本件退職金支給規定を適用する余地はなく、また、被告は原告らに対する使用者としての地位を承継したものではないから、その後の原告らの被告に対する行為を理由に原告らの退職金請求が権利の濫用となる余地もないというべきである。
したがって、退職金支払義務がないとする被告の主張は理由がない。
二 争点2について
1 証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すれば、久保税理士が死亡した後も原告ら従業員は、被告の承諾のもと、後任の税理士が事務所を承継することを前提に業務を継続したが、後任の税理士が決まらないうちに顧問料等を受け取ることは好ましくないとの税務署の指導に従い、顧問料等の振込手続を停止し、また、既に支払われた三件については、これらを返還したこと、後任の税理士については、原告ら従業員が丸尾税理士を希望したのに対し、被告がこれに難色を示し、折り合いがつかなかったこと、被告は、杉本祐一税理士(以下「杉本税理士」という。)らに事務所を承継させることとしたが、原告らを含む従業員らは、丸尾税理士に固執し、同年八月一日からは全員丸尾税理士事務所において勤務するようになったこと、これに伴い、原告らが従前担当していた関与先の大部分は、丸尾税理士との間で顧問契約を締結することとなり、同税理士の事務所で引き続き原告らが担当していること、以上の事実が認められる。
そして、これらの事実に、原告ら及び丸尾税理士が、すでに杉本税理士らが久保税理士事務所を引き継ぐことを知っていながら(原告大久保本人によれば、原告らは、平成九年七月二七日には杉本税理士らが事務所を引き継ぐことを知ったことが認められる。)、従前の同事務所の関与先に対し、丸尾税理士が久保税理士事務所を引き継いだかのような挨拶状を送っていること(<証拠略>)を併せ考えると、久保税理士事務所の関与先の大部分が丸尾税理士と顧問契約を締結するに至ったことについては、原告らの積極的な働きかけがあったものと推認するのが相当である。
2 しかしながら、久保税理士と関与先との顧問契約は、久保税理士の死亡によって終了したと解される(民法六五三条)から、被告が、右顧問契約上の地位を相続することはあり得ないし、また、被告は、税理士ではないから、税理士業務を行うことはできないのであって、久保税理士の従前の関与先を引き継ぐことができる地位ないし権利(一種の営業権と解される。)を相続したということもできない。してみれば、被告は、そもそも関与先から顧問料等の支払を受ける地位にないのであって、原告らの行為によって、関与先から得られるはずであった顧問料相当額の損害を被ったという被告の主張は、全く理由がない。
もっとも、(人証略)によれば、被告は、杉本税理士らに事務所及び什器備品等を賃貸し、現在同税理士らがもと久保税理士事務所があった場所で税理士事務所を経営していること、被告は、杉本税理士らから、関与先の件数に応じた一定の謝礼を受け取ったことが認められるから、被告は、原告らの行為によって、杉本税理士らからさらに多くの謝礼を受けることができたであろうという期待的利益を失ったと見る余地がないではない。しかしながら、かかる期待的利益は、あくまで事実上のものであって、法的な権利ないし地位とは評価できないというべきである((人証略)も、これは気持ちということでもらった謝礼であって、契約に基づくものではないと証言しているところである。)から、結局、原告らの行為によって、被告に何らかの法的な損害が生じたとは認められない。
したがって、久保税理士の関与先に丸尾税理士との間で顧問契約を締結させたことが不法行為を構成するという被告の主張は理由がない。
三 結論
以上の次第で、原告らの本訴請求は主文の限度で理由があるから認容し、被告の反訴請求は棄却する。
(裁判官 谷口安史)
<別表(一)> 退職金目録
起算日 昭和60年9月1日
<省略>
<別表(二)>
<省略>