大阪地方裁判所 平成9年(ワ)12943号 判決 1999年2月25日
原告
蔵前由美子
被告
後藤哲男
主文
一 被告は、原告に対し、二三一〇万二〇六一円及びこれに対する平成七年一〇月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その六を原告の負担の、その余を被告の負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、五八七七万円及びこれに対する平成七年一〇月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告の運転する自動車と中川勝也(以下「中川」という。)が運転し、原告が同乗する自動車との衝突事故に関し、原告が負傷したなどしたとして、被告に対し、民法七〇九条に基づき、損害の賠償を求めた事案である。
一 争いのない事実等
以下は当事者間に争いがない。
1 被告は、平成七年一〇月二八日午後三時三六分ころ、普通乗用自動車(なにわ五七る八九〇九、以下「被告車両」という。)を時速約八五キロメートルで運転し、京都府向日市上植野町名神高速道路下り線四九一・八キロポストにおいて、中川運転、原告、中川和則(以下「和則」という。)同乗の普通乗用自動車(なにわ五六の九五六七、以下「原告車両」という。)に被告車両を追突させ、原告車両は右衝突の衝撃で中央分離帯に衝突した(以下「本件事故」という。)。
2 本件事故は、被告の過失によって発生した。
3 本件事故により、和則は死亡した。
4 原告は、本件事故により、左鎖骨外側端骨折、腰部打撲・捻挫、右大腿部腹部打撲、頭部打撲・挫創、心的外傷後ストレス障害により、済生会京都府病院(以下「京都府病院」という。)に入通院(入院一三九日、通院八日)し、平成八年一一月八日、症状固定した。
5 原告は、本件事故により、少なくとも治療代三九八万二九〇五円、装具代二万二二九四円、入院雑費一三万九〇〇〇円の損害を受けた。
6 原告は、本件事故による損害填補として四七五万五一九九円の支払を受けた。
二 (争点)
原告の損害
1 原告の主張
原告は、本件事故により心的外傷後ストレス障害と臭覚脱失(完全脱失)の後遺障害が残り、右心的外傷後ストレス障害が自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)七級四号に該当し、右臭覚脱失が一二級一二号に該当し、併合等級表七級に該当するから、次の各費用掲記の損害を受けた(争いないものを除く。)。
(一) 休業損害 七六万四四〇〇円
(一日五二〇〇円で入通院一四七日間分)
(二) 逸失利益 四一八一万円(千円以下切り捨て。)
三六八万三四〇〇円(一三歳女子平均給与額)×五六パーセント(労働能力喪失率)×二〇・二七(就労可能三六年のホフマン係数)
(三) 慰藉料 一一八一万円
(入通院分一三〇万円、後遺障害分一〇五一万円)
(四) 弁護士費用 五〇〇万円
2 被告の主張
原告の右損害の主張は争う。
原告の後遺障害のうち、心的外傷後ストレス障害については、等級表一四級一〇号に該当するに過ぎず、心的外傷後ストレス障害の発症及びその治療の長期化は原告自身の心因的要素が大きく寄与するものであるから、大幅な寄与度減額をすべきであり、臭覚脱失については、本件事故後、一年以上経過してから発症しているから、本件事故と相当因果関係ある損害と認められないし、仮に右相当因果関係が認められたとしても、器質的障害ではなく、心因反応が転換した神経障害であるから、等級表一四級一〇号の障害でしかない。
第三争点に対する判断
一1 前記第二の一の事実、証拠(甲一ないし九、一一、乙二、証人山下達久(以下「山下」という。)の証言)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、昭和四〇年一月一七日生まれの女性で、本件事故当時は三〇歳、夫(中川)、子供(和則、平成七年一月三一日生まれ)があり、中川の家業である重量屋(機械の据え付け)の手伝いもしていた主婦であった。
(二) 原告車両は、本件事故当時、運転者中川の他、中川の実父母、原告、和則が同乗していた。原告は、後部座席で和則を抱いて座っていた。原告は、本件事故の衝撃で気を失い、意識が回復したのは救急車により搬送された京都府病院であった。和則は、本件事故による傷害のため、平成七年一〇月三〇日に死亡したが、原告は、和則の最後をみとった。
(三) 原告は、本件事故日の平成七年一〇月二八日から平成八年三月一四日の一三九日間、京都府病院に入院した。原告は、本件事故により、左鎖骨外側端骨折、腰部打撲・捻挫、右大腿部腹部打撲、頭部打撲・挫創等の傷害を負ったが、これらは、右入院期間で一応治癒した。しかし、和則が死亡してから非常に抑鬱的に落ち込んだ状態となり、感情面でも不安定な面があるとして、京都府病院整形外科から同病院精神科に紹介され、同科の山下が原告を診断した結果、診断当初から原告には「フラッシュバック」の症状が出ていた。山下は、右入院期間、ほぼ毎週、合計一五回、原告を診断した。原告は、平成八年二月一四日、夜間興奮状態となり、精神安定剤の静注を受けたことがあったが、抑鬱気分や意欲の低下は時間とともに改善され、リハビリができるようになり、フラッシュバックの症状は消えることはなかったが、すこし頻度が減っていった。このような状態の変化を踏まえ、山下は、精神科の意見として退院可能な状態という意見を出し、整形外科から退院許可が出、原告は、平成八年三月一四日、京都府病院を退院した。
(四) 原告は、平成八年五月七日、中川と協議離婚した。
(五) 原告は、平成八年九月六日、再度京都府病院精神科を受診した。原告は、同病院退院後から右再受診までの間、また抑鬱状態が出て、意欲もかなり落ち込んでいる状態となり、意識が飛んでしまう解離症状も出ていた。原告は、右再院後、毎月一回、同病院精神科を受診し、山下に診てもらっている。原告の通院後の状態は、多少抑鬱状態が改善してきたが、意欲の低下、フラッシュバック、他の子供を見ると和則を思い出すので外出できない状態がずっと続いている。山下は、月一度の通院では改善が難しいと考え、原告に入院を勧めたが、原告は、意欲の低下が著しいことと現状を変えることに対する不安とで入院を拒否している。
(六) 原告は、本件事故後一年余り経過したころから、臭覚が徐々になくなり、医療法人ミノヤマ耳鼻咽喉科を受診したら、器質的な原因が認められないのに臭覚が回復しないので神経性臭覚障害の疑いがあると診断され、同病院から大阪市立大学医学部付属病院を紹介され、同病院で受診し、同病院で検査を受けたら、基準臭力検査、全脱失、静脈性臭力検査、無向交という結果で、臭覚脱失症と診断された。山下は、原告を診てきた専門的見地から、神経症状のひとつとして臭覚脱失はありうるし、器質的な原因がない場合、神経症状の臭覚脱失の可能性は高く、原告の場合は、心的外傷後ストレス障害の症状が悪化することを防ぐため関連の神経症状としての臭覚脱失であると判断している。
(七) 原告の以上の神経症状について、山下は、原告を診てきた専門的見地から、これらの症状が原告固有の体質というより、本件交通事故により原告自身が受けた衝撃と和則を本件事故で亡くしたという衝撃によるものであり、また、本件事故時から既に夫婦関係が悪化していたので離婚が原告の右症状に与えた影響もないという意見を持っていた。山下は、本件事故からかなり長時間経過しているのに原告には未来のことが考えられず、かつ和則に対する喪の作業(現実を認識し、愛着を断念し、代わりの対象を発見する心理作業)がまったくできていないことなどから本件事故による前記衝撃は原告にとってかなり破壊的なものであったといえるから、原告の予後は難しく、原告の現在の状態は右症状から、軽易な労務、日常生活が辛うじて送るのが精一杯な状態であると判断している。なお、心的外傷後ストレス障害にも一過性に出て、あとは消失していくタイプと、より複雑なタイプとがあり、山下の判断では、原告は複雑なタイプである。
(八) 京都府病院整形外科の医師は、平成八年一一月八日診断で、傷病名、左鎖骨外側端骨折、腰部打撲・捻挫、右大腿部腹部打撲、頭部打撲・挫創、心的外傷後ストレス障害、左鎖骨はX線所見上、骨癒合完成、特に変形なし、左肩関節可動域正常、左肩部骨折部に圧痛あり、左傍脊柱筋部圧痛あり、著明、歩行時左肩が下がりぎみになる、X線所見で胸腰椎特に異常なしとして、平成八年一一月八日に症状固定という後遺障害診断書を書いたが、山下は、平成九年一〇月三一日診断で、傷病名、心的外傷後ストレス障害、他覚症状および検査結果として、精神医学的症状評価において、抑鬱気分、意欲の低下、不安、刺激に対する過敏性、作業能率の低下、一過性の意識変容を認め、明らかに交通事故、息子の死亡による精神的外傷に対する重篤な後遺症があり、日常生活を送ることが困難であり、随時介護を要するという後遺障害診断書を書いた。
(九) 自動車保険料率算定会(以下「自算会」という。)は、原告の症状は外傷性神経症であるとして等級表一四級一〇号に過ぎないと認定した。
2 右によると、原告は、本件事故により、左鎖骨外側端骨折、腰部打撲・捻挫、右大腿部腹部打撲、頭部打撲・挫創、心的外傷後ストレス障害の傷害を受けたが、平成八年一一月八日には症状固定した状態であったものと認めるのが相当であるが、その結果、心的外傷後ストレス障害による後遺障害として、原告には軽易な労務、日常生活が辛うじて送るのが精一杯な状態が残り、右は等級表七級四号に該当するものと認められる。被告は、原告の心的外傷後ストレス障害による後遺障害は等級表一四級一〇号に過ぎないと主張し、乙四の意見書などを根拠とするが、乙四は原告本人を直接診断していない一般的意見に過ぎず十分な反論の根拠とはならないこと、自算会は、等級表一四級一〇号と認定したが、前提となる原告の症状が的確なものとはいえず、右認定も相当ではないこと、そして、前記認定の事実から認められる原告の症状からすると、心的外傷後ストレス障害による後遺障害は、等級表一四級一〇号に該当するに過ぎないと認めるのは相当ではなく、前述のとおり、等級表七級四号に該当すると認めるのが相当である。なお、原告は、臭覚脱失にもなっていると認めるのが相当であるが、右症状は、心的外傷後ストレス障害の症状が悪化することを防ぐため関連の神経症状として発現したものであり、根は同じものと推測できること、原告の前記認定の軽易な労務、日常生活が辛うじて送るのが精一杯な状態中には右臭覚脱失も考慮されているといえることから、前記認定の原告の後遺障害と独立した後遺障害として臭覚脱失を認めるのは相当ではない。原告は、右後遺障害により、労働能力の五六パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。原告の予後は難しく、原告の心的外傷後ストレス障害は、一過性に出て、あとは消失していくタイプというより、むしろより複雑なタイプと認められるが、原告の症状は、山下が後遺障害診断書を書くため診断した時とその後の状態とでは微妙な改善の兆しが窺えなくもないこと、一般的に言って、遺族が悲しいけれど、もう一度、生き直さなければいけないという気持になるのに長い人でも数年から一〇年くらいであるとも言われていることからすると、原告の右後遺障害の残る期間も長い方で考えても一〇年間とみるのが相当である。また、原告の心的外傷後ストレス障害の後遺障害は、原告固有の体質というものより、本件交通事故により原告自身が受けた衝撃と和則を本件事故で亡くしたという衝撃によるものであるといえること、本件事故後、原告は離婚したが、右離婚が原告の右症状に与えた影響はないとはいえるが、しかしながら、心的外傷後ストレス障害は心因性の症状で、交通事故で原告のような悲しい体験をする人は原告だけではないが、それらの人全部が、全部、原告のような心的外傷後ストレス障害の後遺障害が残るわけではないことからすると、本件の場合、やはり原告本人の性格、心因反応を引き起こし易い素因等が競合していると推測できるから、右素因等は控えめに見ても、損害の公平な分担の見地から民法七二二条二項を類推適用して、原告に生じた損害については、全損害のうち神経症状によって発生した損害の割合も考慮し、総合して全損害の二割を控除するのが相当である。
二 右を前提にすると、原告は、本件事故により次のとおりの損害賠償請求権を取得したと認められる。
1 治療費 三九八万二九〇五円
右治療費が本件事故と相当因果関係ある損害であることには当事者間に争いがない。
2 装具代 二万二二九四円
右装具代が本件事故と相当因果関係ある損害であることには当事者間に争いがない。
3 入院雑費 一三万九〇〇〇円
弁論の全趣旨によれば、原告は京都病院に入院中の一三九日間に、一日当たり一三〇〇円を下らない雑費を支出したものと認められるところ、右合計は一三万九〇〇〇円となる。
4 休業損害 七六万四四〇〇円
前記の原告の受傷の程度及び治療状況に照らせば、原告は、本件事故により入通院した一四七日間、まったく家事労働ができず、原告は、本件事故当時、平成七年賃金センサス・産業計・企業規模計・学歴計・三〇ないし三四歳の女子労働者の平均年収である三六八万三四〇〇円を下らない収入を得ていたものと認められるから、すくなくとも一日五二〇〇円以上の休業損害が発生しているといえるから、本件事故による原告の休業損害金は、次のとおり七六万四四〇〇円となる。
計算式 147×5,200=764,400
5 逸失利益 一六三八万七九七七円
原告の前記後遺障害の内容及び程度によれば、原告は、前記後遺障害により症状固定時から一〇年間にわたり労働能力の五六パーセントを喪失したものと認められる。そこで、前記収入を基礎とし、右期間に相当する年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除すると、原告の逸失利益の本件事故時の現価は、次のとおり一六三八万七九七七円となる(円未満切捨て、以下同じ。)。
計算式 3,683,400×0.56×7.9449=16,387,977
6 慰藉料 一〇九〇万円
本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告が本件事故によって受けた精神的苦痛を慰藉するためには、一〇九〇万円(入通院分一四〇万円、後遺障害分九五〇万円)をもってするのが相当である。
三 結論
以上によると、原告の損害は三二一九万六五七六円となるところ、素因減額として二割を控除すると、二五七五万七二六〇円となり、原告が支払を受けた四七五万五一九九円を控除すると、残額は二一〇〇万二〇六一円となる。
本件の性格及び認容額に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当損害金は二一〇万円とするのが相当であるから、結局、原告は被告に対し、二三一〇万二〇六一円及びこれに対する本件事故の日の後の日である平成七年一〇月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 岩崎敏郎)